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LOGOS-喜びを分かち合い、悲しみをともにするために-
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2006/05/20のBlog
[ 15:14 ] [ ▼雑記 ]
MIXIのコミュニティに神奈川県立足柄高校、というコミュがあり、その説明に神奈川県最西部、との記載がありました。

昨年山北町に計画されたエコループセンターの説明会などに際しては、同高校の横をとおり出向いており、土地勘がなくもなく、神奈川県立山北高校のほうが西にあるのではないか? と言う素朴な疑問を持ちました。
そこで閑人はgooの地図項目から3校(山北・足柄・湯河原)のポイントを探ったところ、
山北高校は 139度06分39秒64
足柄高校は 139度06分24秒34
湯河原 は 139度07分00秒10 であることが判明。管理人さんの仰るとおり、足柄高校が最西部であることがわかりました。山北との差はおよそ400m。

頭の中の地図の位置はやはりあてにならない模様です。
暇人のローカルネタですいませんでした。

[ 12:34 ] [ |- ●平和・国際問題 ]
「共謀罪」が見送られました。戦前の「治安維持法」のように言わんとしようとする崇高な理想と、その法律を使って出来ること、悪用して生み出せることが大きく隔たる法律が通過しなくてよかったです。

ところで、この法律が出来たら一番先に捕まるのは誰かといえば、当の自民党と公明党ではないでしょうか? 憲法9条を改定して、国民を危険な戦場に送り込もう、そのためには如何に現状憲法に従っていると天罰が下る(他国が攻めてくる)、今すぐに(アメリカの作成した憲法を)除霊しよう、と言わんばかりにしたのはこの2党のお偉いさんですから(笑) エセ宗教にお金をつぎ込む(自分の頭でよく考えて憲法9条改定がいいかどうか判断しない)と身包み剥がされます(自分の家族が戦場で恐怖におびえることになる)からねぇ~、気をつけましょうね。
確か、共謀して国民を恐怖に落としてはいけないんでしたよね、この法律では・・・。

あっ、このコメントにその通り、なんてRESつけないでくださいね。それも共謀罪の適用範囲かもしれませんから(爆)


自由自在さんのBlogにTBさせてもらいました
2006/05/19のBlog
[ 22:48 ] [ ▲Fellowship ]
友と呼ぶよりは、仲間と呼びたい、そんな人だった。
久野環でともに廃棄物焼却施設の反対運動をし、43日間県の行政センター前に座り込み抗議をした仲間のHさんが5月2日に亡くなった、というニュースを聞いた。
僕の知っている男性で一番瞳がきれいだった人だ。純粋な人で、本当に澄み切った目をしていた、というのが一番の印象。

秋風、行きたい方へ行けるところまで

また一枚ぬぎすてる旅から旅

種田山頭火を愛して、無駄や華美を廃し、車の中で質素な生活をし、自然の音を聞きながら朝日で起き、夕日に眠る人だった。書を書き、詩を詠み、そして三尺を奏でた。
会えば何時も満面の笑みで迎えてくれた。
わずかの蓄えは、少々の食料のほかは、すべて野宿者のためにと献金を続けてくれていた。
立って半畳寝て一畳、を実践する生活。
死んだ、実感はまったくない。山頭火のように放浪を続け、またいつの日かあの笑顔で大きく手を振り駆け寄るように近づいてきてくれ、そして赤ん坊のような柔らかい手で握手をしてくれる、そんな気がしてならない。


今日は叔父にも別れを告げた。僕がこの世に生を受けて以来40余年、ずっと母は一人っ子だと思っていた。ところが弟がいることを知ったのは、叔父がいよいよひとりで生活が出来なくなって生活保護の申請を埼玉県の某市に申請したのがきっかけだった。
始めてあったのは祖母の葬儀。そして特別養護老人ホームを経て病院で14日に亡くなった。
僕と連れ合い、そして叔父の親友だった人の三人で斎場で骨を拾い、骨壷を市役所の職員に預けた。
初めてだった、3人の火葬場。写真もなければ、宗教者もいない。ひっそりと粛々と骨を拾いながら、それでも親族と親友に骨を拾ってもらえる叔父は幸せもんだったんだろう、となんとなく漠然と思った。

尾崎法哉が、咳をしても一人、と詠った。Hさんはどうだったんだろう? その静寂は寂しくはなかったのか? 心細さはなかったのか?
叔父は何時も誰か一人はそばにいたんだろうな。決して上手に生きれる人ではなかったらしいけれど、親友が最後まで一緒にいてくれたから、寂しさはなかったんだろうな。

咳をするときに周りの静けさが分かるのが人生なのかもしれない。
2006/05/18のBlog
[ 19:13 ] [ ▲Fellowship ]
昨日のアクセス数:140件。

ドブログ恒例(?)72時間メンテナンスで、せっかく訪れてくれても開けることが出来ないのに、こんなに多くの方がクリックしてくれたのでしょうか?
本当に申し訳ないです。そしてありがとうございます。

拙いBlogですが、また日々の雑感を記していきますのでよろしくです。

PS また6月にも72時間のメンテが入るそうです<m(__)m>
2006/05/17のBlog
[ 08:45 ] [ ◆健康・ガン友 ]
癌サバイバーのはるちさんのBlogは、定期的に訪れているSiteの一つです。
彼女は大きな手術を11日にし、こん睡状態が続いているという経過に、人事ではなく不安な気持ちを持ってみていました。
と言うのも、数年前尊敬する知人が同じような状態に陥り、静かな本人の周囲で、怯えが来るような大きな音の機械が彼を支えているのをフラッシュバックのように思い出したからです。
肌寒い部屋なのに、それでも体を冷やしていることは、僕が寒がりだから、と言う部分を差し引いても異様にしか感じられなかった・・・。医療の最前線を垣間見たからでしょう。
同時に看護師の方々は、その間も忙しい合間の中に何度も部屋を訪問してくださりました。そんな人の出入りが唯一の生命の力強さを感じさせる部分だったように感じていました。見守る僕らにはその力強さはなかったのか、周囲の環境に圧倒されていたように、今に思えば思います。

はるちさんは5日ぶりに目を覚ましました。大きな危機を一つ乗り越えました。そのニュースは、見ず知らずの僕の胸を熱くしました。
まだまだ彼女は癌と闘い続けなければならないでしょうし、その状況は決して甘くはありません。でもその力強い頑張りに、ご家族もご友人も、そして僕らも勇気づけられました。元気をもらったからにはお返ししますよ。どうぞ、元気になりますように、と祈っています。そして、彼女も行きたがっていたリレー・フォー・ライフ第1回大会IN筑波で元気にお会いしましょう。

左のリンク集にはるちさんのBlogへのリンクがあります。是非、祈りをあわせてあげてください。そして訪れて、一生懸命生きようとしている彼女や懸命の看病を続けているお姉さんに温かいメッセージを添えてあげてください。
2006/05/14のBlog
[ 18:38 ] [ |- ★礼拝説教を聴いて ]
この日、小田原教会に与えられたみ言葉は、使徒言行録2:22-36.高橋牧師より標記のタイトルでの説教を受けました。

イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。
このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。
しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
ダビデは、イエスについてこう言っています。『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。だから、わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を/朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。
ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。
そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました。
神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。
それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。
ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着け。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするときまで。」』
だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」


信じるか、信じるに値しないか、は各自の判断です。そして、死を受け入れられるか? も各自の判断です。
といっても死を受け入れられなくても人は必ず死を迎えます・・・。
死を受け入れるか? という問いかけは、渋々死んでいくのか、希望を持って死んでいくか、という問題だと思います。
言い換えれば、死に怯えながら生きるか? 怖がることなく生きれるか? と言うことでしょう。

さまざまな宗教書が死後の世界を描いています。が、それはどれも証明できるものではありません。
死が終わり、という人もいます。死後しばらくして他の生命体に生まれ変わる、ことを信じている人もいます。僕らクリスチャンは永遠に天国で生活できると語られることが多いです。
神様がなぜ宇宙を創造したのか? その中にちっぽけな一つの惑星を作ったのか? そこになぜ生命体を生み出させ、その中に知能を作ったのか? はまったく分かりません。
そもそも、原子の集合体があるものは、たとえば空気と呼ばれ、あるものはカップと呼ばれ、あるものはコーヒーと呼ばれる。人の口も粘膜も神経もそして脳もすべて分子で構成されているのに、その原子の塊のカップの中の、原子の塊のコーヒーが、原子の塊の空気を払いのけて、原子の塊の口に入る。そうすると原子の塊の神経を通って原子の塊の脳が、おいしいと感じる。
なぜ同じ原子なのに、触れていることを感じない空気があったり、硬いカップがあり、生命体である人が存在するのか? そしておいしいと思うことは原子ではなく、信号体だけであるならその電気的な信号は何故に存在するのでしょう? それを偶然の産物と呼ぶには余りにも不可解なことだと思います。なぜ電気的なプラスのごく小さな物質の周りをマイナスのもっと小さな物質が廻っているものだけで宇宙は作られているのか? っそしてその物質が特定の並び方をしたときだけ、意思を持つのか? 僕には意図を感じます。神の存在を感じます。


そしてその神は生と死を地球上の生命にあたえました。それは何故なのでしょうか?
わざわざこんな複雑な世界を築いた神様は、気まぐれに人を生み出し、そして滅びさせるのでしょうか? 僕は、聖書を読み、聖書の奥深さの中からそんなことを信じられないのです。死後どうなるかは分かりません。でも神様がきっと悪いようにはしない、ということだけは漠然と信じています。
この日の聖書の箇所は、受け入れない人にとってはたわごとにしか聞こえないと思います。僕の文章の下手さもありますが、それでも死は滅びではなく神の右に座せる入り口、という希望をなんとなくでも感じてくれたらうれしいです。
この日の説教の話は、まったく違う話でした。が、このみ言葉を聞き、説教を聞きながら、こんなことを思い浮かべました。
2006/05/12のBlog
下記の要領でチャペルコンサート(教会礼拝堂を使ったコンサート)を開催します。
お時間がございましたらどうぞお越しください

日時:6月10日 14:00-
場所:日本キリスト教団小田原教会礼拝堂
曲目:メンデスルゾーン ピアノ三重奏曲第1番ニ短調Op.49
 同 第2番ハ短調Op.66
演奏者:ピアノ 高橋美信
 バイオリン 鍋谷里香
 チェロ 高橋よしの
入場料:1000円

約100名の席分しかチケットをご用意しておりません。
ご希望される方は、お早めに小田原教会にお問い合わせください。
TEL 0465-22-2076
2006/05/11のBlog
[ 20:15 ] [ |- ■モーターモーム ]
ただいまぁ~
昨日の夜徹夜で走り続けて、今日午前中帰ってきました。
Blog長いことお休みしてしまい申し訳ありませんでした。

言い訳するわけじゃあないけれど、Moblog『送信できました』の文字になってもUPしないぢゃん。と途中であきらめました。しっかりやり方覚えていかなかったのが問題です。昨年の男鹿半島からは送れたんですがねぇ・・・。

そんなわけで、PHSの入らない玉川温泉と切留平では、まったく電波とは関係ない毎日でした。
唯一メールチェックが出来るのは、買出しの花輪の街に出たときだけ・・・。

でもね、不思議と情報が恋しくなかったです。
心からゆっくり豊かなときが過ごせました。

一応、キャラバンレポート書いてみました。特に面白い企画のない旅でしたので、書き方に少し思考を凝らしてみました。
お時間がおありになりましたらキャラバンレポを是非ご覧下さい。


2006/5/12
時同じくして、八幡平周辺をトレーラー引っ張ってエンジョイされていた 我が家の日記 さんのBlogにTBさせてもらいました。
2006/05/02のBlog
[ 01:11 ] [ ■アウトドア・趣味 ]
当然のごとく間に合わない・・・(ーー;)
会社の仕事は何とかごまかしが効く程度のところまで持っていけたからOKとしても、5月14日に行われる役員会のアジェンダと、書記が作成すべき資料。
そしてその日に最終チェックする報告総会の資料。

今日の仕事は、明日から行く玉川に忘れ物がないようにすべての資料を積むことにあります。
2005年のバインダー2冊、そして今年のバインダー。ペーパーで3冊と、今年度の役員会の議事録のディジタルデータ。
すべて万端、明日は会社から帰ったら速攻で出発です。

本当は夜はモビリティーハウスの中で、のんびりと、と言いたいんだけれどそうは行かず準備準備準備・・・。
でも、昼間のんびり温泉に使ってだから、まぁいいや!所詮僕はお供ですから(笑)
行ってきます。

PS
PHSもDOCOMO携帯もほとんど電波が届かない所です。
お返事が遅くなるかと思います、お許しください。
2006/05/01のBlog
[ 10:12 ] [ |- ★礼拝説教を聴いて ]
各地からユダヤ教の五旬節のお祭りのために集まった人たち。その距離は1000km四方に及ぶと思っても過言ではないでしょう。

4月30日小田原教会が頂いたみ言葉は、使徒言行録2章1節から13節。そして、高橋牧師より標記のタイトルでメッセージを頂きました。

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。

 
この日の説教で牧師は、バベルの塔で言葉を乱した旧約の話と、このペンテコステで他地方の言葉をしゃべれるようになった話を絡めて話されました。
基本は相手を理解すること。
バベルの塔は神をも超えようと言う傲慢さは、きっと他人との関係も必要なやつ、不要なやつ、という区別だったのでしょう。
自分に利益を供してくれるものには手をすり合わせながら近づき、いったん力がなくなったことを知ればけんもほろろに切り捨てる。そんな弱肉強食の社会であったのではなかったのでしょうか?そこには、いつも疑心暗鬼と言う言葉があった様な気がします。
「もう、あきまへん」関西出身の方が小田原でそう言ったところ、軽くあしらわれてしまった、と悲しんでいました。僕らには「あきまへん」という言葉は軽く感じられるのですが、関西では『最悪の状態』のことらしいです。日本語同士でも相手の状態を十分に理解しなかった故の通じなかったエピソードです。
逆に、ペンテコステの出来事は、イエスの隣人愛の真髄を心から出来た時でしょう。イエスの弟子たちはこの日何に気がついたのか?を説教を聴きながら考えました。

この聖書の箇所が不思議な奇跡物語、と思えるのは、この話が『言葉による会話』しか思いつかなかったからです。日本語もおぼつかず、学生時代一番の苦手教科が英語だった僕のことですから異国の言葉で会話できることに、そんな簡単に他国の言語でしゃべれるわけない、と言う気持ちがあったからだと思います。
しかし相手を理解できた、と、この部分を置き換えるとそれは十分に理解できるようになります。

2日から僕らは玉川温泉に湯治に行きます。
ここで僕は他の温泉のように気軽に『どこから来られたんですか?』などと話しかけたりしません。多くの人が無言でお湯に浸かっています。
言葉による会話はありません。
でも、僕には聞こえるんです。みんなの思いが・・・。
『俺も頑張るから、皆ガンなんかに負けるなよ』と言う心の声が・・・。
玉川温泉には言葉による会話以外の会話手段は確かに存在しています。知らないものどおしガンに対して共闘しているんです。
そこには無言の理解が存在します。
自分も大変なはずなのに、他人を気にしてあげれる優しさとパワーがあります。

理解しあえる関係は、信頼と言う言葉になります。
ペンテコステの出来事は、民族を越えた信頼なのでしょう。それは、玉川温泉と言う場所において、ガンとの共闘がベースになった信頼と同じように、ペンテコステの出来事はイエスにつながる信頼だと思います。
玉川温泉の話では納得いかないなぁ、と言う方もいらっしゃるかもしれません。では別のたとえで話しましょう。
ペットの犬や猫と話せる人多いんじゃないですか?正規な犬語や猫語は辞書としても発刊されていません。でも、長年連れ添ったり、愛情を持って接しているうちに何を言わんとしているのか? 何を欲しているのか? をだんだん判るようになります。その頃にはペットも安心して腹を見せたり甘えたりします。十分な信頼関係は、言葉を超えた会話ができると思います。
ペンテコステの出来事はそういうことではないのでしょうか?

奇跡は起こるものではない、起こすものだ、と言う言葉もありますが、まさにこの奇跡は僕らの意識によって起こせる奇跡だと思います。様々な鬱積した歴史は仮想敵国と言う言葉を生み、対立国家には厚い心のバリアを作ってしまいます。
でも隣人を愛しぬくことで僕らは奇跡を起こせる、そんな希望をペンテコステの物語から知ることが出来ました。
2006/04/30のBlog
[ 02:00 ] [ ◆健康・ガン友 ]
先のことですが、9月の第一土・日のスケジュールが決まりました。
行き先は筑波です。
・・・というのもリレーフォーライフという試みがあります。
ガンの患者の方が中心に歩きながら連帯を深め、また支援者は屋台で商品販売をしてその利益で闘病生活を困窮している人を支援しようというものです。
その日本における第一回大会がこの日行われるからです。
筑波の近くに住んでいる方、歩くのが好きな方、歩き終わった後の一杯を楽しみたい方(はぁ~い!!)、Takeとその連れ合いに会いたい方、Takeの乗っているイクスス号(キャンピングカーに乗ってみたい方)、是非是非ご参加ください。

まだ詳細は決まっていないようです。判りましたらまたトピックスで載せらせて頂きます。
2006/04/28のBlog
[ 12:06 ] [ ▼雑記 ]
PENNYLANEが16年ぶりに復活する、と言う朗報を聞きました。

都心から90分の位置に住みながら、然程豊かな家庭に育ったわけでもなく、また当時は都心に遊びに行くことは『本当に特別な出来事』だったから、高校までは原宿などに行ったことはありませんでした。
大学に入った時に地方から出てきた友人と、授業をサボって原宿などに出向くことが、セコハンで友人が購入したブルーバード-Uに乗って第三京浜を走り夜の横浜にドライブすることと共に、なんとも大人ぶった『学生生活をエンジョイしている』ことのように感じていたものでした。
時代は、フォークからニューミュージックと、若者の聴く音楽も反体制的で斜に構えたものからおしゃれでポップな感じに変化しつつある頃でした。

原宿で何をするわけでもなく、『おのぼりさん』の僕らはおもちゃの殿堂キディーランドで最前線のおもちゃを見たり、-今はおしゃれな表参道ヒルズになってしまったけれど-同潤会青山アパートを『渋いなぁ』といぶし銀のかっこよさを感嘆しつつ眺めながら歩いたり、そしてお決まりに最後はPENNYLANEに寄ってビートルズを聴きながらコーヒーを飲むのがコースでした。
今考えると無邪気な遊び方でしたが、当時は原宿と言うステータス性を醸し出す町の薄暗い店の窓際で素敵な音楽を聞きながらコーヒーを飲むことに至福の喜びを感じていたものです。

時は無情にも流れ、僕らおぢさんは原宿と言う町に気恥ずかしさを感じ始めました。それは店のオーナーの吉田拓郎氏も同じだったように思います。たけのこ族が町を闊歩し始めた頃、彼はもうこの店には来ない、と宣言しました。

拓郎さんは、CX系『LOVE LOVEあいしてる』で見せた顔 肺がんでの僕は弱虫でした、と言う発言など、いい親父になった感があります。とんがっていた、傍若無人の発言はまるで川の中の石のように、時の流れで丸くなった感があります。
そして僕は、そんな町に友人の娘さんが住むようになりしばらくぶりに都心の若者の街に出向きました。
雑然とした人の波と勢い、パワーの塊を真正面から受け止めれる自信はないけれど、片隅の喫茶店でそれを眺める楽しさを感じます。きっと昔を懐古しながらも若者からパワーをもらえそうな気がして、ワクワクしてしまいます。

懐かしきPENNYLANE・・・、そこにはあの頃の僕らのように目一杯背伸びをしている若者と、その世代には気がつかなかった丸くなったおやぢが、その危なっかしそうでパワー満タンの姿をちょっぴりうらやましくみているような気がします。オープンしたら是非一度遊びに行きたいです。
写真は、大学に入った時に購入したバインダーノート。これ一冊といくつかの専門書をブックバンドで締め持ち歩いたものです。
今もまだ現役です。


時おりしも、ぴあが発刊された年だったと思います。巻頭には数ページに亘ったクイズと下隅にはパラパラ漫画の『コオニ(小鬼)ちゃん』の漫画が載っていました。
まさかこんなに世間を風靡する会社になるとは思いませんでした。

2006/04/30
上記の記載に間違いがございました。ぴあの創刊は1972年で、Takeが愛読したのはその5年後です。大変失礼を致しました。
2006/04/27のBlog
 小泉首相は25日、記者団に「支持団体で一部の既得権を擁護する勢力をぶっ壊した」「閣僚人事でも派閥推薦もぶっ壊した。だから古い自民党はぶっ壊した」と語り、就任時の“公約”を実現したことを強調。(西日本新聞) - 4月26日10時2分更新 一部抜粋

 自民党の福田康夫元官房長官が9月の党総裁選に意欲をにじませたことで、安倍晋三官房長官と福田氏の2人の総裁候補を抱える森派に、さざなみが立ち始めた。安倍、福田両氏が同時に立候補すれば、同派の分裂も招きかねないからだ。同派会長の森喜朗前首相は両氏の話し合いによる一本化を目指そうとしているが、早くも派内の足並みの乱れが表面化しつつある。
 (中略) このため、派内からは早くも「安倍、福田両氏が真っ向から対決するようなことになるかもしれない。体が引き裂かれる思いだ」(閣僚)と分裂への危機感も漏れる。中川氏は26日、「福田さんは出馬を決めたのではない。外交政策上の提言を行ったというだけのことだ」と火消しに躍起になった。
 森氏が描くシナリオは、同氏が小泉首相と会談し、一本化に弾みをつけるというもの。ただ、早急に首相との調整に入ると、派内の亀裂をいっそう大きくしかねないため、国会閉会後に党内情勢を見極めて行う考えとみられる。森氏は6日夜、首相公邸で首相に会った際も「総裁選の話は今度じっくりやろう」と伝えるのにとどめたという。
(毎日新聞) - 4月26日22時47分更新 一部抜粋

就任時の小泉氏の公約では、会派制からの脱皮を口にされていたと思うが、この二つのニュースを見合わせると、最低自分たちのグループすら改革されなかったように思えます。

ワンマンで周囲の意見を聞かずして進む姿を指導力のある姿と捉える向きもありましたが、そう国民が思いこんでいて内閣支持率が高いことをいいことに、自民党内の議員はぶっ壊す気もぶっ壊れる気もなく、現状維持を良しとしていたのではないかと思います
毎日新聞のニュースを読むとそれはうわべだけの付き合いで、実際はグループの中は肩書きにひれ伏していただけでぶっ壊れていないんじゃあないでしょうか? そうだとしたら彼は自分の仲間のことが全くわかっていなかった裸の王様だったわけです。
次の自民党総裁の選び方は、小泉氏がどこまで改革できたのかの一つの試金石ではないでしょうか?
2006/04/26のBlog
[ 12:45 ] [ ★信仰・教会 ]
仕事中に鼻歌が出そうな時があります。気持ちよく、効率よく順調に仕事が楽しく出来ている時です。
今日もそんな午前中でした。無意識に頭の中に浮かび上がったのは、賛美歌21の290番の後半のリフレインの箇所。

曲が頭の中に浮かんだ時に思い出したのは、過日の日曜うちの教会に集っている二人の子どもたち。
「この歌好きなんだよね」どうも二人とも同じ気持ちだったようです。
一番最近になって他の友達に連れてこられた子とその子の友達。クリスチャンホームで育ったわけでも、関連幼稚園の卒園生でも、ミッションスクールの子どもたちでもありません。ですから、あまりうるさい規制もなく自由に遊べる場所であることが楽しみなのか、と思いきや、このような会話を聞いておぢさん感激です。

それを思い出したら、なおさら良い気持ちになって、昼休みBlogにUPしようと、この賛美歌が何番だったか? 正式な歌詞は何だったか? を調べてみました。
そうして出くわしたのが「眠られぬ夜のために」さんのBlog。RESコメントに『最近、牧師のお気に入りの一つが、#290「おどり出る姿で」です。』ヘェ~この賛美歌好きな牧師さんの教会の信徒さんなんだ、と名前を見たらまたびっくり。ぼくのBlogにも遊びに来てくださっているゴトウさんじゃあありませんか。
なんだかどんどんつながりが見つかってますます心地よい幸せな気分になっています。

 おどれ輪になって、
 リードする主とともに
福音の喜びへと
招かれた者はみな。 
[ 09:42 ] [ ●社会問題 ]
コンビニエンスストアーを囲む営業的な事情と記したトピックスが思いがけないほどRESコメントを頂いたので関連記事。
My News Japan さんによると、
西日本新聞発行のブックレット「食卓の向こう側」によると、福岡の養豚業者がえさ代の20万円を浮かそうと、賞味期間が切れ(経営者が自分でも食べられると判断した)廃棄コンビニの弁当を毎日約3kgづつ母ブタに供したところ死産や催奇形性が相次いだ、と言うもの。

もちろん全てCVSの弁当に含まれる成分が問題だと思えません。揚げ物が多いCVSの弁当であるなど、ブタの必要栄養と人間の栄養素の違いなども考慮しなければなりませんし、記載がどこまでも正確か(過大評価していないか)も判りかねますが、前記の『腐らない弁当』の危険性は多いにあるような気がしています。