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2008/04/02のBlog
[ 11:13 ]
[ |- ■BayStars ]
ベイスターズの大逆転劇での初勝利も消えてしまいそうなのが、FAでシカゴカブスに移籍した元中日の福留選手の話題。
0-3で迎えた9回裏。ノーアウト1,2塁でバッターは福留選手。
ここでシカゴのファンは、プラカードに「It’s Gonna Happen」 「何かが起きるぞ!」お前に任せた。何かをしでかせ的なニュアンスの言葉なのですが、シカゴのファンはこれを作る時きっと
「おい、福留は英語読めるのか?日本語で書いてやろうぜ!!」
「でも、日本語でなんていうんだい?」
「そういう時はPCの翻訳機が便利なんだ」
とか言って、その言葉を「英→日」に自動翻訳したのでしょう。そして出てきた言葉が
「偶然だぞ」
そりゃないよな。高い移籍金で大きな期待を受けてアメリカにわたって最初のホームランを打った瞬間、ファンから、そのホームランを「偶然」なんていわれちゃあ立つ瀬がないって言うもの。
もちろんそんな裏事情もわかって笑い話になったからいいけれど、今日の新聞の一面はやっぱりこの話でした。
4連敗の巨人の皆さんは、2面になってよかったかな?
0-3で迎えた9回裏。ノーアウト1,2塁でバッターは福留選手。
ここでシカゴのファンは、プラカードに「It’s Gonna Happen」 「何かが起きるぞ!」お前に任せた。何かをしでかせ的なニュアンスの言葉なのですが、シカゴのファンはこれを作る時きっと
「おい、福留は英語読めるのか?日本語で書いてやろうぜ!!」
「でも、日本語でなんていうんだい?」
「そういう時はPCの翻訳機が便利なんだ」
とか言って、その言葉を「英→日」に自動翻訳したのでしょう。そして出てきた言葉が
「偶然だぞ」
そりゃないよな。高い移籍金で大きな期待を受けてアメリカにわたって最初のホームランを打った瞬間、ファンから、そのホームランを「偶然」なんていわれちゃあ立つ瀬がないって言うもの。
もちろんそんな裏事情もわかって笑い話になったからいいけれど、今日の新聞の一面はやっぱりこの話でした。
4連敗の巨人の皆さんは、2面になってよかったかな?
2008/03/31のBlog
[ 08:41 ]
[ ▼雑記 ]
農業系の僕の会社。このご時世、なかなか困窮をしています(笑) ボーナスの支給も数年前からはなくなってしまいました。都会では、景気の回復が言われていますが、まだまだ小田原のそれは不景気の真っ只中です。
ですから3ちゃん(ジーちゃん、バーちゃん、カーちゃん)農家の高齢者一人が動けなくなったりすれば、農家の方はその土地を管理してくれる方を探し、それでも少しはまともに従業員を抱えてやっている当社に土地の管理を依頼されます。
・・・・当社の土地の借用の仕方は、土地を借りるのではなく、その方の土地に当社の商品を植え、その管理を地主さんにしてもらっている形です。もちろん実際の管理は、地主さんではなく当社の従業員が代行するのですが、そういう形を取ることで地上権が発生しないので貸主さんも安心なされるようです。
話を戻します。過日もそのような話が舞い込みました。以前その方が別の建設屋さんに貸していたときの実態を知っている従業員は、コンクリートガラがいっぱい埋まっていて農地に戻すのは大変だからやめた方がいい、と進言しましたが、社長は借りました。
それは地域の真ん中で、あけておけば地主さんは困って結局別の建設屋さんに貸しその地域がよくなることがない。当社が借りれば何とかしてそこに商品を植えつけようと努力するので、その地はよくなる。地域の将来を考えれば借りるべきだという判断によるもの。
今日何とかガラ等の排除が終わったと工事を担当してくれた方が来られました。『いやぁ、先がなかなか見えなくて大変な仕事だったよ』という担当者に、社長は笑いながら『これで次は(うちの次に借りる人は)楽だぞ』といいます。
以前にも同様の事例があって、当社に委託をして開墾しなおしをしてきれいになった農地を見たら、貸すのが惜しくなって整地後に契約のキャンセルもあったので、それも頭に入れながらの話でしょう。
「イサクのおじさん井戸をほる。ようやく水がでてくると、ゆずってにこにこよそへいく」
子ども賛美歌で歌われる旧約のイサク。
なんだかダブって見えるのは思い過ごしでしょうか。
ですから3ちゃん(ジーちゃん、バーちゃん、カーちゃん)農家の高齢者一人が動けなくなったりすれば、農家の方はその土地を管理してくれる方を探し、それでも少しはまともに従業員を抱えてやっている当社に土地の管理を依頼されます。
・・・・当社の土地の借用の仕方は、土地を借りるのではなく、その方の土地に当社の商品を植え、その管理を地主さんにしてもらっている形です。もちろん実際の管理は、地主さんではなく当社の従業員が代行するのですが、そういう形を取ることで地上権が発生しないので貸主さんも安心なされるようです。
話を戻します。過日もそのような話が舞い込みました。以前その方が別の建設屋さんに貸していたときの実態を知っている従業員は、コンクリートガラがいっぱい埋まっていて農地に戻すのは大変だからやめた方がいい、と進言しましたが、社長は借りました。
それは地域の真ん中で、あけておけば地主さんは困って結局別の建設屋さんに貸しその地域がよくなることがない。当社が借りれば何とかしてそこに商品を植えつけようと努力するので、その地はよくなる。地域の将来を考えれば借りるべきだという判断によるもの。
今日何とかガラ等の排除が終わったと工事を担当してくれた方が来られました。『いやぁ、先がなかなか見えなくて大変な仕事だったよ』という担当者に、社長は笑いながら『これで次は(うちの次に借りる人は)楽だぞ』といいます。
以前にも同様の事例があって、当社に委託をして開墾しなおしをしてきれいになった農地を見たら、貸すのが惜しくなって整地後に契約のキャンセルもあったので、それも頭に入れながらの話でしょう。
「イサクのおじさん井戸をほる。ようやく水がでてくると、ゆずってにこにこよそへいく」
子ども賛美歌で歌われる旧約のイサク。
なんだかダブって見えるのは思い過ごしでしょうか。
2008/03/30のBlog
[ 17:56 ]
[ |- ★礼拝説教を聴いて ]
3月30日に小田原教会に与えられた聖書のみ言葉は、ルカによる福音書10章25~37節、標記のタイトルの説教を東のぞみ伝道師より受けました。
今日も礼拝に集った一信者の僕が説教を聞いたものを自己流に咀嚼したことを記してみたいと思います。
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
昔、どなたかのWebSite・・・・たぶん牧師だったと思いますが、当時「重い皮膚病にかかっていた人」は、町外れに住まなくてはいけなく、町に入る際には「私は穢れています。」と大声で言い続けなければいけなかった。イエスが「あなたの罪は清められた」といったのは、そうした「穢れている」宣言を言いながら歩かなくてはいいという福音だった、と言うことを聞いたことがあります。
そうした時代背景がわからないと、聖書の物語はわからないことが多々あります。
今日の「善きサマリア人のたとえ」も同じです。なぜ、祭司やレビ人が半殺しにあった人を見捨てたか、は単に関わりになりたくない、といったものではなく、彼らは「穢れ」てはいけなく、死体(半殺しにあってピクリとも動かないので生きているか死んでいるかわからない。万が一死んでいるかもしれない)に触ったり、流れ出る血に触ることは、神に仕えるものとして絶対にしてはいけないことでした。
そのようなことをしたら(司祭らは)仕事も出来なくなるだけでなく、神を裏切ることになります。そんな大それた事は絶対してはいけないことです。社会通念上ユダヤの国の人たちは誰でも知っている当たり前のことでしょう。
そうした時代背景を知った上での今日の説教。イエスはこの律法の専門家に一つの例題として語られます。その中で、「たまたま」この場所を3人は通りかかった、と語っています。偶然、たまたまぶつかるアクシデント、そこではとっさの判断が大切であり、その判断下の対応に真価が問われます。
世論では常識とされた出来事です。誰もが当たり前と思っていたことでしょう。律法にのっとった判断です。専門家ゆえにその大切さは重々承知で、しかも理で討論したらイエスに負けない自信があったのでしょう。
しかし、そこに本物の「愛」があったのでしょうか?他人が決めた常識だからと安易な判断はしなかったのでしょうか?律法で決まったことだからという他人任せはなかったでしょうか?イエスはそこを鋭くつきます。
この話には、間違った判断をした人は出てきません。考え方の差をあなたはどう思いますか?というイエスの問いかけのみです。
しかし、僕は説教を聞きながら「憐れみに思った」というサマリア人の直感、かつ、自らの痛みに重ねあわした想像。痛みの部分がシンクロしたと言った本物の判断。「愛」するという心、気持ちは人が作成した法律よりも強い。これこそイエスが「良き隣人になれ」といった言葉の本質のように思います。
それが当時の世論の非常識だとしたら、常識を疑う力の大切さも重要なことだと思います
今日も礼拝に集った一信者の僕が説教を聞いたものを自己流に咀嚼したことを記してみたいと思います。
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」
イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
昔、どなたかのWebSite・・・・たぶん牧師だったと思いますが、当時「重い皮膚病にかかっていた人」は、町外れに住まなくてはいけなく、町に入る際には「私は穢れています。」と大声で言い続けなければいけなかった。イエスが「あなたの罪は清められた」といったのは、そうした「穢れている」宣言を言いながら歩かなくてはいいという福音だった、と言うことを聞いたことがあります。
そうした時代背景がわからないと、聖書の物語はわからないことが多々あります。
今日の「善きサマリア人のたとえ」も同じです。なぜ、祭司やレビ人が半殺しにあった人を見捨てたか、は単に関わりになりたくない、といったものではなく、彼らは「穢れ」てはいけなく、死体(半殺しにあってピクリとも動かないので生きているか死んでいるかわからない。万が一死んでいるかもしれない)に触ったり、流れ出る血に触ることは、神に仕えるものとして絶対にしてはいけないことでした。
そのようなことをしたら(司祭らは)仕事も出来なくなるだけでなく、神を裏切ることになります。そんな大それた事は絶対してはいけないことです。社会通念上ユダヤの国の人たちは誰でも知っている当たり前のことでしょう。
そうした時代背景を知った上での今日の説教。イエスはこの律法の専門家に一つの例題として語られます。その中で、「たまたま」この場所を3人は通りかかった、と語っています。偶然、たまたまぶつかるアクシデント、そこではとっさの判断が大切であり、その判断下の対応に真価が問われます。
世論では常識とされた出来事です。誰もが当たり前と思っていたことでしょう。律法にのっとった判断です。専門家ゆえにその大切さは重々承知で、しかも理で討論したらイエスに負けない自信があったのでしょう。
しかし、そこに本物の「愛」があったのでしょうか?他人が決めた常識だからと安易な判断はしなかったのでしょうか?律法で決まったことだからという他人任せはなかったでしょうか?イエスはそこを鋭くつきます。
この話には、間違った判断をした人は出てきません。考え方の差をあなたはどう思いますか?というイエスの問いかけのみです。
しかし、僕は説教を聞きながら「憐れみに思った」というサマリア人の直感、かつ、自らの痛みに重ねあわした想像。痛みの部分がシンクロしたと言った本物の判断。「愛」するという心、気持ちは人が作成した法律よりも強い。これこそイエスが「良き隣人になれ」といった言葉の本質のように思います。
それが当時の世論の非常識だとしたら、常識を疑う力の大切さも重要なことだと思います
****
聖餐の配餐を誰にするのか? で、日本キリスト教団はゆれています。
受洗者しか配餐は預かれないのか? ルールを決めたのは人間です。そのルールは神の言葉なのか?
そこに愛はあるのか? 原理主義に走らないのか?
律法とイエスの求めた隣人愛、神の御心に近いのはどちらなのか?
今日の礼拝説教から発展したこと、君が生きているさんのBlogを読みながら今考えています。
聖餐の配餐を誰にするのか? で、日本キリスト教団はゆれています。
受洗者しか配餐は預かれないのか? ルールを決めたのは人間です。そのルールは神の言葉なのか?
そこに愛はあるのか? 原理主義に走らないのか?
律法とイエスの求めた隣人愛、神の御心に近いのはどちらなのか?
今日の礼拝説教から発展したこと、君が生きているさんのBlogを読みながら今考えています。
2008/03/29のBlog
[ 21:54 ]
[ ▼雑記 ]
[ 18:26 ]
[ ▲Fellowship ]
一本の電話が掛かってきた。(Mは、九州に1年前転勤したMYKさん。Tは僕Takeです)
M『ワシぢゃ、MYKぢゃ。何をしておる!!』
T『ハッ?何をしておると言われましても・・・・。』
M『先日メールでしばしの転勤期間が終わって小田原に戻ると言っておいたろう。』
T『ああ・・・・。』
M『何をしている。帰還祝いの宴の準備じゃ。』
T『ああっ申し訳ございません、何もしておりません。』
M『お前はクリスチャンの癖に「10人の乙女のたとえ(注1)」も知らぬのか!きちんと用意をして「その時」を待っていなくてはならない』
『そんなことでは神の御国は遠いぞ!悔い改めよ!!』
『これからお前のうちに行くぞ!車を用意せよ』
T『ハハッ』
M『ワシはあさっての教会総会に間に合わせるよう帰ってきた。役員選挙もあるしな』
T『いやぁ、さすがは小田原教会のホープでげすな。こりゃまた一本とられましたな(ト書き:持っていた扇子で自らの頭を叩く)』
というわけで、MYK君が我が家を訪問してくれました。小田原帰還おめでとう!!
話はもちろんまったくのフィクションです。
帰還の喜びの表情もUPしようと思ったのですが、ディジカメの調子がいまいちで・・・・。
あっ、ノンフィクションの馬刺しと熊本ラーメンのお土産、ごっちゃんでした。美味しかったです(^o^)/
(注1)
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
M『ワシぢゃ、MYKぢゃ。何をしておる!!』
T『ハッ?何をしておると言われましても・・・・。』
M『先日メールでしばしの転勤期間が終わって小田原に戻ると言っておいたろう。』
T『ああ・・・・。』
M『何をしている。帰還祝いの宴の準備じゃ。』
T『ああっ申し訳ございません、何もしておりません。』
M『お前はクリスチャンの癖に「10人の乙女のたとえ(注1)」も知らぬのか!きちんと用意をして「その時」を待っていなくてはならない』
『そんなことでは神の御国は遠いぞ!悔い改めよ!!』
『これからお前のうちに行くぞ!車を用意せよ』
T『ハハッ』
M『ワシはあさっての教会総会に間に合わせるよう帰ってきた。役員選挙もあるしな』
T『いやぁ、さすがは小田原教会のホープでげすな。こりゃまた一本とられましたな(ト書き:持っていた扇子で自らの頭を叩く)』
というわけで、MYK君が我が家を訪問してくれました。小田原帰還おめでとう!!
話はもちろんまったくのフィクションです。
帰還の喜びの表情もUPしようと思ったのですが、ディジカメの調子がいまいちで・・・・。
あっ、ノンフィクションの馬刺しと熊本ラーメンのお土産、ごっちゃんでした。美味しかったです(^o^)/
(注1)
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』
愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
2008/03/28のBlog
[ 14:45 ]
[ |- ●平和・国際問題 ]
「議案第44号 小田原無防備平和都市条例の制定について」の本会議での審議・採択が27日に行われました。
残念ながら傍聴はできませんでしたが情報が入ってきましたので、感想とあわせて記して見たいと思います。
24日の条例提案者の意見陳述と常任委員会での審議で結果の予測は難しくありませんでしたが、その予想通り賛成2名の賛成少数で否決されてしまいました。
誤解を恐れずに言わせていただければ、僕はこの結果でも満足です。それは、このような大切で、しかし行政にとってやっかいな大きな問題(今の立法府はその機能は万全でなく行政圧が高いので・・・・)が簡単に通るとは思えず、しかしながらこうした小さなうねりが何度も繰り返し打ち寄せることで大きな波になることも確かなことですので、第一歩を踏み出せたことは本当に立派なことだと思えるからです。
8000人の署名者の方は次なる機会には大きな戦力としてこの運動の中心的な力になってくれるでしょう。
24日の意見陳述では多くの議員が陳述者の意見を真摯に聞いてくれました。それぞれの立場の意見は胸に響くものも多くあったのだと思います。27日には「条例案には残念ながら反対だが、24日の議会での市民からの平和への思いを受けて私も発言したい。」として自身が被爆地の出身で、戦争のおろかさを子どもの頃から学び、平和への思いを人一倍強く持っており、条例請求の市民の意思には共感する旨が意見表明されました。(情報は、公式Siteより)
平和は与えられるものではなく、作るものだと思います。そしてそれは地上の動物が本能で戦いあって生き延びた、という部分と相反する知性が大いに必要になると思います。
道具を使えた知性は、本能に従いエゴイスティックに戦うためではないと思います。創造する力は、未来を冷静にわきまえるために与えられたものだと思います。
そうした人にのみ与えられた能力は、地球という星の頂点に立たされた人が、責任を持って地球を守るために有効に使う必要があると思います。
アメリカのイラク攻撃、中国のチベット攻撃。こうしたことを見聞きする中、僕たち日本人は何をすべきか?どうすれば攻撃の手が緩むのか? どうすれば知恵を使って争いを回避できるのか?
グローバルな社会の一員として、武器を持ち出し、威圧して『平和もどき』でとりあえずの平常を維持するのではなく、真の平和を作り出す作業を、今後も小田原の地から多くの仲間と共に発信していきたいものです。
いっそうパワーアップした無防備地域運動を推し進めていきたいと思います。
残念ながら傍聴はできませんでしたが情報が入ってきましたので、感想とあわせて記して見たいと思います。
24日の条例提案者の意見陳述と常任委員会での審議で結果の予測は難しくありませんでしたが、その予想通り賛成2名の賛成少数で否決されてしまいました。
誤解を恐れずに言わせていただければ、僕はこの結果でも満足です。それは、このような大切で、しかし行政にとってやっかいな大きな問題(今の立法府はその機能は万全でなく行政圧が高いので・・・・)が簡単に通るとは思えず、しかしながらこうした小さなうねりが何度も繰り返し打ち寄せることで大きな波になることも確かなことですので、第一歩を踏み出せたことは本当に立派なことだと思えるからです。
8000人の署名者の方は次なる機会には大きな戦力としてこの運動の中心的な力になってくれるでしょう。
24日の意見陳述では多くの議員が陳述者の意見を真摯に聞いてくれました。それぞれの立場の意見は胸に響くものも多くあったのだと思います。27日には「条例案には残念ながら反対だが、24日の議会での市民からの平和への思いを受けて私も発言したい。」として自身が被爆地の出身で、戦争のおろかさを子どもの頃から学び、平和への思いを人一倍強く持っており、条例請求の市民の意思には共感する旨が意見表明されました。(情報は、公式Siteより)
平和は与えられるものではなく、作るものだと思います。そしてそれは地上の動物が本能で戦いあって生き延びた、という部分と相反する知性が大いに必要になると思います。
道具を使えた知性は、本能に従いエゴイスティックに戦うためではないと思います。創造する力は、未来を冷静にわきまえるために与えられたものだと思います。
そうした人にのみ与えられた能力は、地球という星の頂点に立たされた人が、責任を持って地球を守るために有効に使う必要があると思います。
アメリカのイラク攻撃、中国のチベット攻撃。こうしたことを見聞きする中、僕たち日本人は何をすべきか?どうすれば攻撃の手が緩むのか? どうすれば知恵を使って争いを回避できるのか?
グローバルな社会の一員として、武器を持ち出し、威圧して『平和もどき』でとりあえずの平常を維持するのではなく、真の平和を作り出す作業を、今後も小田原の地から多くの仲間と共に発信していきたいものです。
いっそうパワーアップした無防備地域運動を推し進めていきたいと思います。
2008/03/27のBlog
[ 15:12 ]
[ |- ■BayStars ]
桑田投手が引退したらしいですね・・・・。「たら・れば」は言っちゃあいけないけれど、捻挫さえなかったらなぁ・・・・。
実は巨人に入団したときはあまり好きな選手でなかったんですよね。そもそも巨人に入った選手だし、早稲田に行くと行っておきながら発言を撤回したし、暗そうだし・・・・(失礼)。でも、ピークを過ぎたあたりから、その野球にかける熱意というか真摯な態度には敬意を表した選手です。
齋藤隆投手はピークは過ぎたかもしれないけれど、それでもまだ現役のエリアかなと思っていましたが、桑田投手は江夏投手以来のオールドルーキーとして期待していました。それだけに活躍のシーンがあまり見れなかったのは残念です。
一方、松井選手が結婚するそうですね。こちらの選手も熱心でまじめな人柄で好きな選手です。芸能人やアナウンサーなど著名人でなく普通の方という点もなんだか松井選手らしい感じがします。
イチロー選手があいも変わらず大活躍をしているに比べ、松井選手はアピール力は少し落ちていますが、でもインタビューなどを聞くにつれ人柄で応援したくなってしまいます。
さて、セントラルリーグがいよいよ開幕です。
昨年に引き続き、ベイスターズが今年も3位に入れるように応援したいものです(但し、TV観戦が中心ですが^_^;)
トップは中日と予測しています。続いて巨人、この2強は残り4チームの追従を許さないでしょう。でも、巨人は一流選手が故のチーム内のライバル心とかき集めた選手のプライドが邪魔になって2軍に落とせないので、選手のイライラが募ればモチベーションが上がらないでしょうから、大きな変動の可能性もあります。
そして3球団目に、わがベイスターズが入ってくれないかと願っています。大方の予測の阪神タイガースは、新井選手のポイントと金本選手の慢性的な怪我や下柳選手らの高齢化で昨年よりも戦力ダウン。あの秋の奇跡の連勝は今年はなければベイが上?と思っています。
逆に大穴スワローズ。生きのいいピッチャーがどうなのか? カープは球団の財政のてこ入れが課題なんでしょう。
パリーグは退任を発表している王監督と野村監督には最後まで残ってもらいたいですね。もう一チームは、さてさてさて・・・・。やっぱり地方を活気付けてくれている北海道を応援しちゃおうかな。
こうした素人のあてにならない予想で一年間楽しみたいです。
実は巨人に入団したときはあまり好きな選手でなかったんですよね。そもそも巨人に入った選手だし、早稲田に行くと行っておきながら発言を撤回したし、暗そうだし・・・・(失礼)。でも、ピークを過ぎたあたりから、その野球にかける熱意というか真摯な態度には敬意を表した選手です。
齋藤隆投手はピークは過ぎたかもしれないけれど、それでもまだ現役のエリアかなと思っていましたが、桑田投手は江夏投手以来のオールドルーキーとして期待していました。それだけに活躍のシーンがあまり見れなかったのは残念です。
一方、松井選手が結婚するそうですね。こちらの選手も熱心でまじめな人柄で好きな選手です。芸能人やアナウンサーなど著名人でなく普通の方という点もなんだか松井選手らしい感じがします。
イチロー選手があいも変わらず大活躍をしているに比べ、松井選手はアピール力は少し落ちていますが、でもインタビューなどを聞くにつれ人柄で応援したくなってしまいます。
さて、セントラルリーグがいよいよ開幕です。
昨年に引き続き、ベイスターズが今年も3位に入れるように応援したいものです(但し、TV観戦が中心ですが^_^;)
トップは中日と予測しています。続いて巨人、この2強は残り4チームの追従を許さないでしょう。でも、巨人は一流選手が故のチーム内のライバル心とかき集めた選手のプライドが邪魔になって2軍に落とせないので、選手のイライラが募ればモチベーションが上がらないでしょうから、大きな変動の可能性もあります。
そして3球団目に、わがベイスターズが入ってくれないかと願っています。大方の予測の阪神タイガースは、新井選手のポイントと金本選手の慢性的な怪我や下柳選手らの高齢化で昨年よりも戦力ダウン。あの秋の奇跡の連勝は今年はなければベイが上?と思っています。
逆に大穴スワローズ。生きのいいピッチャーがどうなのか? カープは球団の財政のてこ入れが課題なんでしょう。
パリーグは退任を発表している王監督と野村監督には最後まで残ってもらいたいですね。もう一チームは、さてさてさて・・・・。やっぱり地方を活気付けてくれている北海道を応援しちゃおうかな。
こうした素人のあてにならない予想で一年間楽しみたいです。
[ 08:28 ]
[ ◆健康・ガン友 ]
病院のスキルの高さは何も『医療技術』だけではなく、精神面のケアーを含めてのものだと僕は思います。ですからターミナルケアーが末期がんなどの一部の方たちだけのものではなく、初期であってもそういうトータルな『希望』とか『勇気』とか間でももらえるようなものになって欲しいと思っています。
そうした意味においては、僕の友人たちも多く依頼をしている静岡がんセンターはそのレベルが高いとお聞きし、地方の病院がそうした立派な病院であることを敬意を評していました。
ところが多くのスタッフの中には、そうした崇高な理念から逸脱した先生もいるようで、これまた僕の友人がこの病院で大変な目にあったと記しています。
せっかくのスキルの高さも一部の方によって落とされること、また、前評判だけでは決めてはいけないんだとの思いも含めてくりおさんが味わった困窮にリンクしておきます。
そうした意味においては、僕の友人たちも多く依頼をしている静岡がんセンターはそのレベルが高いとお聞きし、地方の病院がそうした立派な病院であることを敬意を評していました。
ところが多くのスタッフの中には、そうした崇高な理念から逸脱した先生もいるようで、これまた僕の友人がこの病院で大変な目にあったと記しています。
せっかくのスキルの高さも一部の方によって落とされること、また、前評判だけでは決めてはいけないんだとの思いも含めてくりおさんが味わった困窮にリンクしておきます。
2008/03/26のBlog
[ 15:43 ]
[ ◆健康・ガン友 ]
1昨年、シュウさんをはじめとするメンバーが、がん患者によるがん患者の大会。
・・・・つまりは、いまや1/3の方がかかる病気なのに、いまだ社会では不治の病という風評が蔓延し、また患者の方も情報不足で一人での闘病のように感じられ精神的に落ち込んでしまう、といったことが起こっている現実です。そんな負の部分を払拭しようと、アメリカで始まった『リレーフォーライフ(RFL)』というものが、2006年度は筑波会場で、2007年度は、芦屋(サテライト会場は、埼玉と鹿児島)会場、東京お台場の会場で盛大に催されました。NHKをはじめ多くのマスメディアが取り上げてくださることもありいずれも大成功のうちに次の会場で会うことを約束し、閉会しています
もちろん、RFLだけががん患者の大会ではなく、2007年度には土浦でウォーキング大会やピンクリボン大会なども開催されました。
そして2008年度はその盛り上がりはますます大きくなり、RFL以外の大会も含めて、北は北海道から南は大分までエントリーが上がっています。
その一番手として、静岡がんセンターの患者さんが立ち上げた 静岡県がん患者会「一歩一歩の会」 が、海抜0mからみんなで富士山に登ろうと以下のようなイヴェントを立ち上げました。
以下は、主催者のりんたろうさんの文章を転記です。
第1~第5ステージにつきましては以下の通りです。
第1ステージ 4月5日(土)沼津千本浜公園から裾野市中央公園までの区間
※この間、短い距離で歩きやすい区間(スペシャルステージSP)を設けます。
※SP区間:スタートの沼津千本浜公園から沼津中央公園までの約1時間の行程
第2ステージ 4月20日(日)裾野市中央公園から裾野市須山の須山浅間神社
※SP区間:景ケ島から仙年寺までの約30分ほどの行程(もののふの里散策)
第3ステージ 5月17日(土)須山浅間神社から富士山資料館(須山口登山道)
※SP区間:忠ちゃん牧場から富士山資料館までの約30分ほどの行程
第4ステージ 6月 1日(日)富士山資料館から水が塚公園(須山口登山道)
※SP区間:スタートの富士山資料館から約30分ほど富士山遊歩道を歩きます。
第5ステージ 6月22日(日)水が塚公園から富士山5合目(須山口登山道)
※SP区間:富士山5合目に集合して宝永火口付近までの往復路
【ファイナルステージ 8月23日(土)から24日(日)の1泊2日】
※頂上アタック隊(選抜隊)が頂上を目指して登っている間に、参加者は
富士山麓にある施設で交流会や勉強会等を楽しみます。
(●この間の内容は確定しだい、ご案内いたします)
◆参加費◆
第1ステージから第5ステージは400円(保険代含む)ペットボトルの水が付いてます。
(会費はスタート前に受付にて集金します)
スペシャルステージ(8月)につきましては、内容が決まり次第ご案内させていただきます。
※バンダナの購入(600円)
なお、参加者は初回時にバンダナを購入していただき、参加者として目印にしていただくと共に
皆様の願いやお気持ちを各自バンダナに書いていただこうと思います。
歩けない方はこのバンダナを仲間に託して歩いていただくことになります。
◆お申込み・お問い合わせはメールでお願いします。りんたろうまで。
ippoippo2003jp@yahoo.co.jp
※締め切りは開催日の1週間前といたします。お早めにお申込み下さい。
※申込みの際には、氏名、住所、電話番号、年齢、性別、参加コース
※どこのステージに参加するかを明記の上、以下の4つのコースから選択してお 申込み下さい
・ステージ全行程を歩く
・SP区間を歩き、その後の交流会(実費)に参加
・SP区間のみに参加
・交流会のみに参加
なお、8月のファイナルステージ申込みはもうしばらくお待ち下さい。
詳細につきましてはブログ 「一歩一歩0to3776富士登山」
http://blogs.yahoo.co.jp/hachidori2007
をご覧下さい。
なにぶん、少人数で企画しておりますので、至らぬ点が多々あろうかと存じますが、
趣旨賛同者とともに相談して準備して参ります。宜しくご了承下さい。
もし、今年富士山に登ろうとしている方。自分自身だけで登るのもいいですが、闘病の友と『袖触れ合うも他生の縁』と、ゆっくりと6回に分けて0m地点から人生を語りながら上るのもよろしいではないでしょうか?
参加者を広く募集しています!!
・・・・つまりは、いまや1/3の方がかかる病気なのに、いまだ社会では不治の病という風評が蔓延し、また患者の方も情報不足で一人での闘病のように感じられ精神的に落ち込んでしまう、といったことが起こっている現実です。そんな負の部分を払拭しようと、アメリカで始まった『リレーフォーライフ(RFL)』というものが、2006年度は筑波会場で、2007年度は、芦屋(サテライト会場は、埼玉と鹿児島)会場、東京お台場の会場で盛大に催されました。NHKをはじめ多くのマスメディアが取り上げてくださることもありいずれも大成功のうちに次の会場で会うことを約束し、閉会しています
もちろん、RFLだけががん患者の大会ではなく、2007年度には土浦でウォーキング大会やピンクリボン大会なども開催されました。
そして2008年度はその盛り上がりはますます大きくなり、RFL以外の大会も含めて、北は北海道から南は大分までエントリーが上がっています。
その一番手として、静岡がんセンターの患者さんが立ち上げた 静岡県がん患者会「一歩一歩の会」 が、海抜0mからみんなで富士山に登ろうと以下のようなイヴェントを立ち上げました。
以下は、主催者のりんたろうさんの文章を転記です。
第1~第5ステージにつきましては以下の通りです。
第1ステージ 4月5日(土)沼津千本浜公園から裾野市中央公園までの区間
※この間、短い距離で歩きやすい区間(スペシャルステージSP)を設けます。
※SP区間:スタートの沼津千本浜公園から沼津中央公園までの約1時間の行程
第2ステージ 4月20日(日)裾野市中央公園から裾野市須山の須山浅間神社
※SP区間:景ケ島から仙年寺までの約30分ほどの行程(もののふの里散策)
第3ステージ 5月17日(土)須山浅間神社から富士山資料館(須山口登山道)
※SP区間:忠ちゃん牧場から富士山資料館までの約30分ほどの行程
第4ステージ 6月 1日(日)富士山資料館から水が塚公園(須山口登山道)
※SP区間:スタートの富士山資料館から約30分ほど富士山遊歩道を歩きます。
第5ステージ 6月22日(日)水が塚公園から富士山5合目(須山口登山道)
※SP区間:富士山5合目に集合して宝永火口付近までの往復路
【ファイナルステージ 8月23日(土)から24日(日)の1泊2日】
※頂上アタック隊(選抜隊)が頂上を目指して登っている間に、参加者は
富士山麓にある施設で交流会や勉強会等を楽しみます。
(●この間の内容は確定しだい、ご案内いたします)
◆参加費◆
第1ステージから第5ステージは400円(保険代含む)ペットボトルの水が付いてます。
(会費はスタート前に受付にて集金します)
スペシャルステージ(8月)につきましては、内容が決まり次第ご案内させていただきます。
※バンダナの購入(600円)
なお、参加者は初回時にバンダナを購入していただき、参加者として目印にしていただくと共に
皆様の願いやお気持ちを各自バンダナに書いていただこうと思います。
歩けない方はこのバンダナを仲間に託して歩いていただくことになります。
◆お申込み・お問い合わせはメールでお願いします。りんたろうまで。
ippoippo2003jp@yahoo.co.jp
※締め切りは開催日の1週間前といたします。お早めにお申込み下さい。
※申込みの際には、氏名、住所、電話番号、年齢、性別、参加コース
※どこのステージに参加するかを明記の上、以下の4つのコースから選択してお 申込み下さい
・ステージ全行程を歩く
・SP区間を歩き、その後の交流会(実費)に参加
・SP区間のみに参加
・交流会のみに参加
なお、8月のファイナルステージ申込みはもうしばらくお待ち下さい。
詳細につきましてはブログ 「一歩一歩0to3776富士登山」
http://blogs.yahoo.co.jp/hachidori2007
をご覧下さい。
なにぶん、少人数で企画しておりますので、至らぬ点が多々あろうかと存じますが、
趣旨賛同者とともに相談して準備して参ります。宜しくご了承下さい。
もし、今年富士山に登ろうとしている方。自分自身だけで登るのもいいですが、闘病の友と『袖触れ合うも他生の縁』と、ゆっくりと6回に分けて0m地点から人生を語りながら上るのもよろしいではないでしょうか?
参加者を広く募集しています!!
2008/03/24のBlog
[ 20:43 ]
[ |- ●平和・国際問題 ]
小田原で行われた無防備地域条例は過日小田原市役所に8000弱の署名と共に提出され、3月21日に小澤小田原市長が自分の意見と一緒に小田原市議会に提出されました。
その意見は、4つの理由で反対をされていました。要約すると、
一つ目は、憲法9条があるのでいまさら無防備条例は不要であると思われること。
二つ目は、武力行使を受けた時は、小田原市は国に従って地域を防備するので、小田原の独自案は不要であること。
三つ目は、無防備地域宣言は地方自治が発することが出来ないという点。
四つ目は、上位法に抵触すので発することが出来ない点。
でした。
それに対して、本日請求代表者6名が意見陳述をしました。小田原市で直接請求が請求されるのは初めてで、ですから議会壇上で議員以外の市民が発言するのも初めてです。小田原の民主主義(議会政治)の大きな一ページの日でもありました。
60分の時間を使い、各人が無防備地域所売れの必要性を訴え、時には小澤市長の勘違い・認識違いを指摘しました。
議員は、10番議員が欠席したほか全員が出席でしたが、傍聴席から見ていると熱心な方、どうでもいいと思っている方さまざまでした。また、熱心に聴かれている方も、関心がある場所がそれぞれで、最初に陳述した方の「いざ武力攻撃をうける危険が迫ったときにはジュネーブ条約追加議定書を活用して「無防備地域宣言」を行うことができるように、平時より条例として整備していこう、と発言した時には9番、19番議員は発言箇所にアンダーラインを引いている姿が見れました。
その後も2番目の方の自衛隊イラク出兵は違憲という裁判の原告人になったとの発言にも18番や27番議員が関心を示されていました。一方、15番議員は陳述書を開きもせず、いすに深く腰掛け頭をいすにつけた(半分上を向きかけで)微動だにしないまま30分以上過ごしていました。その後、1度顔を前方に向けてめがねを掛けましたがすぐにまためがねを外し、前述のスタイルに戻り微動だにしなくなりました。
傍聴席から見た熱心に見えた議員は、3、4はもとより、5(委)、8、9、18、19(委)、21,23(委)、24、27(委)でしたが、これはこのあとの委員会付託になった時の審議委員会総務民生常任委員会のメンバーであるが故もあったのかもしれません。
6人の陳情が終わった後、27番議員が9条があるだけで十分である。逆に、平成5年10月1日に小田原市平和都市宣言が発したが、その後それはどのように進めているのか? と質問をしました。「護憲」を言い続けながら、最近方向変換をしているのか自衛隊をも容認する姿勢をとってから、この政党の平和解釈は僕らのそれと違いを見せ始めています。
常々市民の意見を政策につなげる、と声を大にして発言している政党の方でしたので、この発言には失望しました。自分や自党の考えが8000人の署名 (ちなみに、前回の小田原市議会議員選挙のトップ当選者の得票数は4280票でしたし、同政党の議員総票数は6860票でした。) より強いのでしたら、その政党の言う市民の声は、自党のフィルターを掛けて合致したもののみを市民の声と考えられているのでしょう。
9条の会は理にかなっているから賛成で、無防備は自分たちの理にかなわないというのなら、その際はどこにあるのか? まったく理解のできない質疑でした。
その後、4番議員が、国際条例と国内法が差異があった場合どちらが優先されるのか?と質問をしましたところ、市橋副市長は優先順位を『憲法』>『国際条例』>『国内法・条例』と回答しました。これはたぶんいかなる行政区でも同じ回答がなされることだと思います。ですから国際法に批准をすることは大きな審議になるわけです。ですが、小澤小田原市長は、意見書の中で上位法に抵触する、と発言をし、その上位法とは「武力攻撃対処法」や「国民保護法」だといいます。明らかに矛盾をしている意見書だということはこれで判明してしまったわけです。小澤小田原市長は、下位法を重視し、ジュネーブ条約を無視する方針をとっています。
また、意見書の第2項では有事に際して、市が、市民の安全を確保し、及び市民の財産を守る責任を有することは明らかだと言っています。市政は、県政や国政が市民の安全や財産を守れないときは、盾となって戦うべきだと思います。しかし、小澤小田原市長はそう語っておきながら、続いて国に全責任を委託するとへっぴり腰になって守ることを放棄します。この点も意見書は破綻しているとしか言いようがありませんでした。
なお、地方自治体がジュネーブ条約にのっとり無防備地域宣言を出すことに関して正式な法的解釈を出しているのは、赤十字国際委員会のコメンタールPara2283のみで、そこには地方自治でも4条件を満たせば発することができるときされています。一方、政府解釈は政府の考えであるとしてのみでその法的な裏づけについてはノーコメントです。なお、詳細については公式Siteをご覧ください。
さて、話を議会に戻します。陳情が終わり、質疑が終わったあと、この審議は先ほども書いたとおり総務民生常任委員会に委託されました。僕は残念ながら仕事に戻らなくてはならず、このあとは別の方のレポートの要約となります。
多くの市民が傍聴しているということで、通常の委員会室ではなく全員協議会の大きな部屋を用意してくれました。小田原市行政の、発の直接請求に対する誠意ある対応には本当に感謝です。
そこでの質疑は、5番:平和を考えることに対して賛成だが、無防備は問題がある。 14番:無防備は違法である(訂正された)。国との関係が悪くなる。 17番:平和都市宣言は国からの要請だったが、今回は憲法での対応が出来るので不要である。 などの意見で否決で終了し、27日の本会議に戻される模様です。
ただ、多くの無防備地域宣言を否定する方が言う違法である点は小田原市議会では否定され、上位法のジュネーブ条例をどのように日本の法律に組み込むかが次の戦いのポイントとなりそうな模様です。
その意見は、4つの理由で反対をされていました。要約すると、
一つ目は、憲法9条があるのでいまさら無防備条例は不要であると思われること。
二つ目は、武力行使を受けた時は、小田原市は国に従って地域を防備するので、小田原の独自案は不要であること。
三つ目は、無防備地域宣言は地方自治が発することが出来ないという点。
四つ目は、上位法に抵触すので発することが出来ない点。
でした。
それに対して、本日請求代表者6名が意見陳述をしました。小田原市で直接請求が請求されるのは初めてで、ですから議会壇上で議員以外の市民が発言するのも初めてです。小田原の民主主義(議会政治)の大きな一ページの日でもありました。
60分の時間を使い、各人が無防備地域所売れの必要性を訴え、時には小澤市長の勘違い・認識違いを指摘しました。
議員は、10番議員が欠席したほか全員が出席でしたが、傍聴席から見ていると熱心な方、どうでもいいと思っている方さまざまでした。また、熱心に聴かれている方も、関心がある場所がそれぞれで、最初に陳述した方の「いざ武力攻撃をうける危険が迫ったときにはジュネーブ条約追加議定書を活用して「無防備地域宣言」を行うことができるように、平時より条例として整備していこう、と発言した時には9番、19番議員は発言箇所にアンダーラインを引いている姿が見れました。
その後も2番目の方の自衛隊イラク出兵は違憲という裁判の原告人になったとの発言にも18番や27番議員が関心を示されていました。一方、15番議員は陳述書を開きもせず、いすに深く腰掛け頭をいすにつけた(半分上を向きかけで)微動だにしないまま30分以上過ごしていました。その後、1度顔を前方に向けてめがねを掛けましたがすぐにまためがねを外し、前述のスタイルに戻り微動だにしなくなりました。
傍聴席から見た熱心に見えた議員は、3、4はもとより、5(委)、8、9、18、19(委)、21,23(委)、24、27(委)でしたが、これはこのあとの委員会付託になった時の審議委員会総務民生常任委員会のメンバーであるが故もあったのかもしれません。
6人の陳情が終わった後、27番議員が9条があるだけで十分である。逆に、平成5年10月1日に小田原市平和都市宣言が発したが、その後それはどのように進めているのか? と質問をしました。「護憲」を言い続けながら、最近方向変換をしているのか自衛隊をも容認する姿勢をとってから、この政党の平和解釈は僕らのそれと違いを見せ始めています。
常々市民の意見を政策につなげる、と声を大にして発言している政党の方でしたので、この発言には失望しました。自分や自党の考えが8000人の署名 (ちなみに、前回の小田原市議会議員選挙のトップ当選者の得票数は4280票でしたし、同政党の議員総票数は6860票でした。) より強いのでしたら、その政党の言う市民の声は、自党のフィルターを掛けて合致したもののみを市民の声と考えられているのでしょう。
9条の会は理にかなっているから賛成で、無防備は自分たちの理にかなわないというのなら、その際はどこにあるのか? まったく理解のできない質疑でした。
その後、4番議員が、国際条例と国内法が差異があった場合どちらが優先されるのか?と質問をしましたところ、市橋副市長は優先順位を『憲法』>『国際条例』>『国内法・条例』と回答しました。これはたぶんいかなる行政区でも同じ回答がなされることだと思います。ですから国際法に批准をすることは大きな審議になるわけです。ですが、小澤小田原市長は、意見書の中で上位法に抵触する、と発言をし、その上位法とは「武力攻撃対処法」や「国民保護法」だといいます。明らかに矛盾をしている意見書だということはこれで判明してしまったわけです。小澤小田原市長は、下位法を重視し、ジュネーブ条約を無視する方針をとっています。
また、意見書の第2項では有事に際して、市が、市民の安全を確保し、及び市民の財産を守る責任を有することは明らかだと言っています。市政は、県政や国政が市民の安全や財産を守れないときは、盾となって戦うべきだと思います。しかし、小澤小田原市長はそう語っておきながら、続いて国に全責任を委託するとへっぴり腰になって守ることを放棄します。この点も意見書は破綻しているとしか言いようがありませんでした。
なお、地方自治体がジュネーブ条約にのっとり無防備地域宣言を出すことに関して正式な法的解釈を出しているのは、赤十字国際委員会のコメンタールPara2283のみで、そこには地方自治でも4条件を満たせば発することができるときされています。一方、政府解釈は政府の考えであるとしてのみでその法的な裏づけについてはノーコメントです。なお、詳細については公式Siteをご覧ください。
さて、話を議会に戻します。陳情が終わり、質疑が終わったあと、この審議は先ほども書いたとおり総務民生常任委員会に委託されました。僕は残念ながら仕事に戻らなくてはならず、このあとは別の方のレポートの要約となります。
多くの市民が傍聴しているということで、通常の委員会室ではなく全員協議会の大きな部屋を用意してくれました。小田原市行政の、発の直接請求に対する誠意ある対応には本当に感謝です。
そこでの質疑は、5番:平和を考えることに対して賛成だが、無防備は問題がある。 14番:無防備は違法である(訂正された)。国との関係が悪くなる。 17番:平和都市宣言は国からの要請だったが、今回は憲法での対応が出来るので不要である。 などの意見で否決で終了し、27日の本会議に戻される模様です。
ただ、多くの無防備地域宣言を否定する方が言う違法である点は小田原市議会では否定され、上位法のジュネーブ条例をどのように日本の法律に組み込むかが次の戦いのポイントとなりそうな模様です。
2008/03/23のBlog
[ 19:45 ]
[ |- ★礼拝説教を聴いて ]
ハレルヤ!!ハッピーイースタ!
主の復活の喜びの日、小田原教会に与えられた聖書も御言葉は、ローマの信徒への手紙6章3節から11節。表記のタイトルの説教を高橋敬基牧師より頂きました。いつものように一信徒である僕が礼拝に出席して、説教を聞いた感想・思いを記してみます。
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
歴史の長い宗教、新興宗教、さまざまな宗教はあれど、自らの教祖が真の姿を現した日は神の栄光の出来事と喜ぶのは当然ですが、キリスト教に関していえばそれが「私たちのよころび」であることは特異な点です。キリスト教のイースターは、主イエスの復活と同時に、私たちの罪の赦しの日でもあります。この日、十字架がなぜ私の救いなのか?を考えようと牧師は説教のはじめに語り始めました。
「生」と「死」は「どう生きるか」「死が終わりなのか?」という二つの点を軸に、さまざまな周辺環境で宗教として、また政治として、倫理として語られます。たとえば、第二次世界大戦時には、「日本軍人として生きて生き恥を晒すな」と上官は事あるごとに部下に指導します。それは、別に珍しい教えではなく、イエスの時代のローマ兵然り、戦国時代の武士道然り、イスラーム原理主義者然り、命を惜しむことなく戦うこと、命以上の勇気を出すことという、死への美化の賛美をします。そしてその出来事が空しいことと悟った時、死が最悪であることを教育します。現在の日本はまさにその時代ですが、本来なら同時にいかに生きるか、を教え、そして考えるべきなのでしょうが、その部分は欠損の部分であり、それが故の自殺者の増大、簡単に周囲の人々を殺戮する、ということに繋がったのだと思います。
どう生きるか?は難しい問題で、哲学的な問題です。生きることは必ず周囲に迷惑を掛けることです。息を吸えば二酸化炭素を出す、ものを食べることはその命を殺すこと。そうした極めようとすればするほど、自分の首を絞めることでありながら、前述の自らの希望がなくなるような社会の中で生きているわけです。
バブテスマ(洗礼)を受けることは、古い自分が死に新しい命に生きることです。でも、それはどういうことなのでしょうか?
洗礼を受けたことで満足し、永遠の命を得た、と喜ぶことなのでしょうか? 洗礼を受けた人は、古い命と新しい命と変化はありましたか?
なかった、といわれる方のほうが多いのではないでしょうか? 洗礼を受けただけで変わるという受動態ではなく、実は洗礼を受けたことで変わるのだ、という意識の変化がなければ変化は感じられないのでしょう。もちろん、洗礼を受けたことで神の導き、神の加護はあるかとは思いますが・・・・。
そこでどう変わるか? が、問題です。イエスはどう生きたのか? 聖書の中の「大切な教え」はどこにあるのか?を考えなければいけないのでしょう。それは「隣人愛」だったのではないでしょうか?
先ほど「生」と「死」に関しての牧師の説教の要約を記しましたが、あわせて古い命の「死」と新しい命の「生」を交えて考えれば、その「隣人愛」に従った生き方が見えてくるかと思います。
世間に縛られた生き方、経済に縛られた生き方、そうした縛られた生き方は十字架のイエスに託しました。縛られない真の「隣人愛」の生き様こそが神の望まれている生き方かと思います。
主の復活の喜びの日、小田原教会に与えられた聖書も御言葉は、ローマの信徒への手紙6章3節から11節。表記のタイトルの説教を高橋敬基牧師より頂きました。いつものように一信徒である僕が礼拝に出席して、説教を聞いた感想・思いを記してみます。
それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。
わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。
歴史の長い宗教、新興宗教、さまざまな宗教はあれど、自らの教祖が真の姿を現した日は神の栄光の出来事と喜ぶのは当然ですが、キリスト教に関していえばそれが「私たちのよころび」であることは特異な点です。キリスト教のイースターは、主イエスの復活と同時に、私たちの罪の赦しの日でもあります。この日、十字架がなぜ私の救いなのか?を考えようと牧師は説教のはじめに語り始めました。
「生」と「死」は「どう生きるか」「死が終わりなのか?」という二つの点を軸に、さまざまな周辺環境で宗教として、また政治として、倫理として語られます。たとえば、第二次世界大戦時には、「日本軍人として生きて生き恥を晒すな」と上官は事あるごとに部下に指導します。それは、別に珍しい教えではなく、イエスの時代のローマ兵然り、戦国時代の武士道然り、イスラーム原理主義者然り、命を惜しむことなく戦うこと、命以上の勇気を出すことという、死への美化の賛美をします。そしてその出来事が空しいことと悟った時、死が最悪であることを教育します。現在の日本はまさにその時代ですが、本来なら同時にいかに生きるか、を教え、そして考えるべきなのでしょうが、その部分は欠損の部分であり、それが故の自殺者の増大、簡単に周囲の人々を殺戮する、ということに繋がったのだと思います。
どう生きるか?は難しい問題で、哲学的な問題です。生きることは必ず周囲に迷惑を掛けることです。息を吸えば二酸化炭素を出す、ものを食べることはその命を殺すこと。そうした極めようとすればするほど、自分の首を絞めることでありながら、前述の自らの希望がなくなるような社会の中で生きているわけです。
バブテスマ(洗礼)を受けることは、古い自分が死に新しい命に生きることです。でも、それはどういうことなのでしょうか?
洗礼を受けたことで満足し、永遠の命を得た、と喜ぶことなのでしょうか? 洗礼を受けた人は、古い命と新しい命と変化はありましたか?
なかった、といわれる方のほうが多いのではないでしょうか? 洗礼を受けただけで変わるという受動態ではなく、実は洗礼を受けたことで変わるのだ、という意識の変化がなければ変化は感じられないのでしょう。もちろん、洗礼を受けたことで神の導き、神の加護はあるかとは思いますが・・・・。
そこでどう変わるか? が、問題です。イエスはどう生きたのか? 聖書の中の「大切な教え」はどこにあるのか?を考えなければいけないのでしょう。それは「隣人愛」だったのではないでしょうか?
先ほど「生」と「死」に関しての牧師の説教の要約を記しましたが、あわせて古い命の「死」と新しい命の「生」を交えて考えれば、その「隣人愛」に従った生き方が見えてくるかと思います。
世間に縛られた生き方、経済に縛られた生き方、そうした縛られた生き方は十字架のイエスに託しました。縛られない真の「隣人愛」の生き様こそが神の望まれている生き方かと思います。
さて、「隣人愛」。大上段に構えることなく、日々の生活の中の「愛」は何か?が問題でしょう。
中学生の方のBlogですが、ご一読あれ。
『復活はまさに「他者のために」が起こされること』と、波乱(?)感動(?)のイースターの一日、バブテスト京都教会牧師先生のBlogです。
中学生の方のBlogですが、ご一読あれ。
『復活はまさに「他者のために」が起こされること』と、波乱(?)感動(?)のイースターの一日、バブテスト京都教会牧師先生のBlogです。
2008/03/22のBlog
[ 09:16 ]
[ |- ●平和・国際問題 ]
「がんばれッ!!日本国憲法」ってご存知ですか?
横浜の市民が中心で上演している市民ミュージカルです。
小田原市久野の産廃処分場問題の弁護をお引き受けくださった岩橋弁護士が実行委員長だったこともあり、長年憲法の日を中心としたあたりに開催されるこの上演会を見に行かせてもらっていたのですが、ここ5年ほどは憲法記念日があるGWは連れと一緒に玉川温泉に湯治に行ってしまうので見に行くことができませんでした。
しかし、今年はなんと、6月20日(金)夜一部・21日(土)昼一部、夜一部 とのこと。
これなら見にいけるかも♪
素人ミュージカル劇などと馬鹿にしたもんではありません。そして何よりも、難しいような政治の話を小学生でもわかるようなタッチで上演していますので、楽しんで学ぶこともできます。
ぜひご覧になってください。
横浜の市民が中心で上演している市民ミュージカルです。
小田原市久野の産廃処分場問題の弁護をお引き受けくださった岩橋弁護士が実行委員長だったこともあり、長年憲法の日を中心としたあたりに開催されるこの上演会を見に行かせてもらっていたのですが、ここ5年ほどは憲法記念日があるGWは連れと一緒に玉川温泉に湯治に行ってしまうので見に行くことができませんでした。
しかし、今年はなんと、6月20日(金)夜一部・21日(土)昼一部、夜一部 とのこと。
これなら見にいけるかも♪
素人ミュージカル劇などと馬鹿にしたもんではありません。そして何よりも、難しいような政治の話を小学生でもわかるようなタッチで上演していますので、楽しんで学ぶこともできます。
ぜひご覧になってください。
[ 08:17 ]
[ ★信仰・教会 ]
御濠端幼稚園の臨時理事会に行ってきました。
定期理事会では、園児数も増え、とりだてた大きな議論もなく無事に過ぎましたが、なんと任期が切れた監事さんがこの任期を持ってご退任なさるということで突然のお申し出による後任人事についての理事会でした。
監事候補を現評議委員会の方から出て頂き、その空いた評議委員には幼稚園に対して非常に関心を持たれ熱心にご奉仕されているGさんが推挙されたので理事会もあっさりと承認。
H監事は18年ものあいだ幼稚園運営に携わって頂いたので、そのご苦労を拍手を持ってねぎらい解散しました。
あとは異動のYさんと新規にお名前が挙がったGさんがお引き受けいただけるかだけが気がかり。でも、きっとこの二人ならやっていただけると信じています。
神のお守りと導きが園と子どもたちの上にありますように。
定期理事会では、園児数も増え、とりだてた大きな議論もなく無事に過ぎましたが、なんと任期が切れた監事さんがこの任期を持ってご退任なさるということで突然のお申し出による後任人事についての理事会でした。
監事候補を現評議委員会の方から出て頂き、その空いた評議委員には幼稚園に対して非常に関心を持たれ熱心にご奉仕されているGさんが推挙されたので理事会もあっさりと承認。
H監事は18年ものあいだ幼稚園運営に携わって頂いたので、そのご苦労を拍手を持ってねぎらい解散しました。
あとは異動のYさんと新規にお名前が挙がったGさんがお引き受けいただけるかだけが気がかり。でも、きっとこの二人ならやっていただけると信じています。
神のお守りと導きが園と子どもたちの上にありますように。
2008/03/20のBlog
[ 14:09 ]
[ ■アウトドア・趣味 ]
第一土曜日は唯一の休暇にできる土曜日なのです。もしかしたら、次年はまた教会の役員のご奉仕をするかもしれないので、この4月の第一週は今後4年間(役員任期)なかなか休めなくなる日曜日を迎えるなかでの極めて少ない連休になるかもしれません。
そんな訳でF母娘と4人で京都にお花見に行こうと思っております。
GWは、情に厚い会社のご好意もあって、毎年連れの術後の温泉療養を玉川温泉にしに行っています。まだ残雪たっぷりの八幡平は、湯治を終える頃に若葉が萌え始め、周辺の桜も見事に咲き乱れます。
そんな訳でここ数年は、地元小田原と共に3箇所以上でお花見を楽しんでいます。
さて、気象協会から、サクラの開花予想が出ました。
小田原市(小田原城址公園):開花予想日(平均年対比) 3月28日( 0)、満開日(平均年対比) 4月4日( -1)
京都市: 3月30日( -1)、 4月5日( -2)
仙北市(角館・桧木内川堤) :4月22日( -3)、 4月27日( -3)
と、京都はちょうど満開日に訪れることになりそうです。逆に玉川温泉は、ちょうど散りかけの頃になるのかもしれません。
そういえば、昨年の春京都の桜を写すのを楽しみに購入したデジ一カメラ。撮影旅行に行く旅にへたくそなりにUPした写真Blogも最近はなかなかUPできていません。
この春はせっかくのカメラをフルに使用したいものです。
そんな訳でF母娘と4人で京都にお花見に行こうと思っております。
GWは、情に厚い会社のご好意もあって、毎年連れの術後の温泉療養を玉川温泉にしに行っています。まだ残雪たっぷりの八幡平は、湯治を終える頃に若葉が萌え始め、周辺の桜も見事に咲き乱れます。
そんな訳でここ数年は、地元小田原と共に3箇所以上でお花見を楽しんでいます。
さて、気象協会から、サクラの開花予想が出ました。
小田原市(小田原城址公園):開花予想日(平均年対比) 3月28日( 0)、満開日(平均年対比) 4月4日( -1)
京都市: 3月30日( -1)、 4月5日( -2)
仙北市(角館・桧木内川堤) :4月22日( -3)、 4月27日( -3)
と、京都はちょうど満開日に訪れることになりそうです。逆に玉川温泉は、ちょうど散りかけの頃になるのかもしれません。
そういえば、昨年の春京都の桜を写すのを楽しみに購入したデジ一カメラ。撮影旅行に行く旅にへたくそなりにUPした写真Blogも最近はなかなかUPできていません。
この春はせっかくのカメラをフルに使用したいものです。
2008/03/19のBlog
[ 22:16 ]
[ |- ●PeaceCafe ]
9条ピースウォークの第3回目の準備会が開催されました。
いくつかの具体的なことを決めましたが、その一つは費用の問題。
箱根を越えて通しで歩かれる30人のウォーカーの夕・朝・昼食費はどうしても実費費用が掛かるのをどう賄うかという当初からの問題を「サポーター」を募集することで解決に向けようとすること。
つまりは 500円 でサポーターになってもらい、9条ピースウォークIn小田原の資金の協力をして頂く。その代わりといっちゃあなんですが、この箱根寄木細工で作ったペンダントをプレゼント!
箱根の下見ウォークをともにしたGさんが、はじめ塾を通じて頂いたものを加工したもので、本物(無垢材)です。
できればサポーターの皆様には、箱根-小田原間のピースウォーク、もしくは、小田原市内のピースパレードのいずれかを一緒に歩いて頂きたいのですが、ご無理な方は支援金のみでも構いません。
どうぞお気持ちがおありの方は、リンク集の一番下の『Blog管理者のSite』から、Take宛にメールを下さい。追って方法をご連絡させて頂きます。
いくつかの具体的なことを決めましたが、その一つは費用の問題。
箱根を越えて通しで歩かれる30人のウォーカーの夕・朝・昼食費はどうしても実費費用が掛かるのをどう賄うかという当初からの問題を「サポーター」を募集することで解決に向けようとすること。
つまりは 500円 でサポーターになってもらい、9条ピースウォークIn小田原の資金の協力をして頂く。その代わりといっちゃあなんですが、この箱根寄木細工で作ったペンダントをプレゼント!
箱根の下見ウォークをともにしたGさんが、はじめ塾を通じて頂いたものを加工したもので、本物(無垢材)です。
できればサポーターの皆様には、箱根-小田原間のピースウォーク、もしくは、小田原市内のピースパレードのいずれかを一緒に歩いて頂きたいのですが、ご無理な方は支援金のみでも構いません。
どうぞお気持ちがおありの方は、リンク集の一番下の『Blog管理者のSite』から、Take宛にメールを下さい。追って方法をご連絡させて頂きます。