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2008/04/23のBlog
[ 21:35 ]
[ |- ●PeaceCafe ]
ピースウォークがやってきました。
ハイ、いろいろあった長い日・・・・。どこから書き始めたらいいのでしょう?
ヴ~ン・・・・、総括すれば、とても反省の多いイヴェントでした。
準備と連絡・・・・大切です。
相手が何を考えているのか?事前によく理解しあえていることも大切だと感じました。
それでもいい集会でした。プログラムの段取り(タイムスケジュール管理などにおいて)余裕がない自分と、そんな先導の後を心静かにただ信仰の祈りとしてうちわ太鼓を叩きながら歩いてくれる日本山のご上人たちの対比。
いかんな、心に余裕を持っていかんと・・・・と思いながらもついつい「時間が・・・・」と口走っていました。今日一日本当に精神的に余裕のなかったような気がします。
午前のピースウォークでは先走り(露払いは、ピースウォークが来たことを少し先に知らしめ、横断幕などのアピールを隠さない位置を歩くように、との指示があり)、午後や平和集会もスタップ的な動きをする部分も多々あり、せっかく他の地から来られた方々とゆっくりお話する時間もありませんでした。
でも、そんな仲間と一緒に歩いていることをヒシヒシと感じられる一日でした。本当に感謝です。
まぁ、そんなこんなはさておいて・・・・
5時30分起床。寝坊の僕には珍しいことですが、なんせルートを知っているのは僕一人ですのでバスに乗り遅れるわけに行きません。起きていない体を無理やり起こすようにして、小田原駅に行きコンビニで今日のルートで迷いやすい場所に印をつけた地図をコピー。程なくして同行の清水牧師とM範さんと合流。6:50のバスで、双子茶屋付近の前泊地へ。
スケジュールの打ち合わせをして、「ピースカフェあしがら」からのお土産の箱根寄木細工のペンダントを渡し、記念撮影をして出発。
ハイ、いろいろあった長い日・・・・。どこから書き始めたらいいのでしょう?
ヴ~ン・・・・、総括すれば、とても反省の多いイヴェントでした。
準備と連絡・・・・大切です。
相手が何を考えているのか?事前によく理解しあえていることも大切だと感じました。
それでもいい集会でした。プログラムの段取り(タイムスケジュール管理などにおいて)余裕がない自分と、そんな先導の後を心静かにただ信仰の祈りとしてうちわ太鼓を叩きながら歩いてくれる日本山のご上人たちの対比。
いかんな、心に余裕を持っていかんと・・・・と思いながらもついつい「時間が・・・・」と口走っていました。今日一日本当に精神的に余裕のなかったような気がします。
午前のピースウォークでは先走り(露払いは、ピースウォークが来たことを少し先に知らしめ、横断幕などのアピールを隠さない位置を歩くように、との指示があり)、午後や平和集会もスタップ的な動きをする部分も多々あり、せっかく他の地から来られた方々とゆっくりお話する時間もありませんでした。
でも、そんな仲間と一緒に歩いていることをヒシヒシと感じられる一日でした。本当に感謝です。
まぁ、そんなこんなはさておいて・・・・
5時30分起床。寝坊の僕には珍しいことですが、なんせルートを知っているのは僕一人ですのでバスに乗り遅れるわけに行きません。起きていない体を無理やり起こすようにして、小田原駅に行きコンビニで今日のルートで迷いやすい場所に印をつけた地図をコピー。程なくして同行の清水牧師とM範さんと合流。6:50のバスで、双子茶屋付近の前泊地へ。
スケジュールの打ち合わせをして、「ピースカフェあしがら」からのお土産の箱根寄木細工のペンダントを渡し、記念撮影をして出発。
どうしても人数が多くなれば、歩くスピードも遅くなるもので、3.2km/hのスピードで換算した予定時間より、甘酒茶屋で15分、畑宿で20分、箱根湯本で30分の遅れ。
それでも、江戸時代のメーンストリート箱根の石畳はぜひ歩いてもらいたいと苔むした道も約1kmほど歩いてもらいます。日本は始めて?のFOUNDATION MOVEMENTのお一人は気に入ってもらえたようで、ビデオに写すからこの道のことを説明をしろ、と・・・・。拙い英語で「300年前の日本の一番のメイン道路だったところだ」と説明。そうなんです、歩きにくい道かもしれないですが、わずか300年前はこんなに歩きやすい道路と感謝されていたところです。
さて、湯本駅で、もうこの遅れはどうしようもない、と言う判断で、今後小田原まで早足で歩ける人はウォーク組、そうでない人は電車組と別れ、少しペースを上げて出発。
ところが、俄然危機管理能力が働いたか、みんなの歩く早さが早いこと早いこと。
おかげで時間通りにお昼の場所である「なりわい交流館」に到着。
カフェエリムの作ってくれたお弁当で舌鼓。しばし歓談をして13:50、午後のイヴェント市内ピースパレードの集合場所に向かいます。
藤棚は大賑わい。思った以上に大勢の人が集っています。
いろいろな社会運動で知り合った仲間、教会の仲間・・・・。初見の方々、旧知の友。
さぁ、パレードが始まります。
ニコニコしながら旗を振りながら歩けば、多くの市民が振り返り、学校帰りの子どもたちは手を振ってくれて、このニコニコ本当にいいなぁ・・・・。
それでも、江戸時代のメーンストリート箱根の石畳はぜひ歩いてもらいたいと苔むした道も約1kmほど歩いてもらいます。日本は始めて?のFOUNDATION MOVEMENTのお一人は気に入ってもらえたようで、ビデオに写すからこの道のことを説明をしろ、と・・・・。拙い英語で「300年前の日本の一番のメイン道路だったところだ」と説明。そうなんです、歩きにくい道かもしれないですが、わずか300年前はこんなに歩きやすい道路と感謝されていたところです。
さて、湯本駅で、もうこの遅れはどうしようもない、と言う判断で、今後小田原まで早足で歩ける人はウォーク組、そうでない人は電車組と別れ、少しペースを上げて出発。
ところが、俄然危機管理能力が働いたか、みんなの歩く早さが早いこと早いこと。
おかげで時間通りにお昼の場所である「なりわい交流館」に到着。
カフェエリムの作ってくれたお弁当で舌鼓。しばし歓談をして13:50、午後のイヴェント市内ピースパレードの集合場所に向かいます。
藤棚は大賑わい。思った以上に大勢の人が集っています。
いろいろな社会運動で知り合った仲間、教会の仲間・・・・。初見の方々、旧知の友。
さぁ、パレードが始まります。
ニコニコしながら旗を振りながら歩けば、多くの市民が振り返り、学校帰りの子どもたちは手を振ってくれて、このニコニコ本当にいいなぁ・・・・。
小田原駅前のポケッポパークでは、ボストンで一番メジャーなヒップホップデュオのFOUNDATION MOVEMENT が1曲だけのスペシャルライブ。
オヤヂ世代の僕は、ロック&フォークまでが許容範囲で、ヒップホップというのはどんな音楽なのか、どんな形で発生したのか分からなかったので、アンチョコの Wikipedia で検索。
すると、『これらはアメリカのギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われたり・・・・』 ウァヲ!!平和な音楽なんだ!!
ギャングすら流血抗争をなくそうとしているのに、僕らは何をしているんだ。
オヤヂ世代の僕は、ロック&フォークまでが許容範囲で、ヒップホップというのはどんな音楽なのか、どんな形で発生したのか分からなかったので、アンチョコの Wikipedia で検索。
すると、『これらはアメリカのギャング文化とも関係があるといわれ、抗争を無血に終わらせるために、銃や暴力の代わりとしてブレイクダンスやラップの優劣が争われたり・・・・』 ウァヲ!!平和な音楽なんだ!!
ギャングすら流血抗争をなくそうとしているのに、僕らは何をしているんだ。
パレードは、繁華街を練り歩きました。その数、200余人。
平日の小田原を想定すれば、予想以上の人数です。
ここ一年だけでも、自衛隊や米軍に関する様々な事件がありました。
そして、ガソリン代の問題、後期高齢者医療費問題、と税金の使い道について国民はいよいよ真剣に国政をチェックしなければいけない時期と言うのも関係するのではないでしょうか?
日本の軍事費は5兆円とも言われています。赤ちゃんからお年寄りまで一人年間5万円を軍事費にかけるなら、9条を世界に広め、いずこの国もともに減税する方向に持っていくべきではありませんか!
そんな思いが、知らず知らずのうちに多くの市民をパレードの輪の中に向かわせているのではないでしょうか。
平日の小田原を想定すれば、予想以上の人数です。
ここ一年だけでも、自衛隊や米軍に関する様々な事件がありました。
そして、ガソリン代の問題、後期高齢者医療費問題、と税金の使い道について国民はいよいよ真剣に国政をチェックしなければいけない時期と言うのも関係するのではないでしょうか?
日本の軍事費は5兆円とも言われています。赤ちゃんからお年寄りまで一人年間5万円を軍事費にかけるなら、9条を世界に広め、いずこの国もともに減税する方向に持っていくべきではありませんか!
そんな思いが、知らず知らずのうちに多くの市民をパレードの輪の中に向かわせているのではないでしょうか。
今日は、無防備ちょうちんに赤くハートの火が灯ったデザインのオリジナルシャツを着ていきました。
箱根を下るときにはTシャツでははだ寒かったでしたが、小田原は太陽と皆さんの熱気で汗ばんでいました。
さて、今日ピースウォークのメンバーさんが寝袋の下に敷いた毛布は『命の毛布』です。
野宿を余儀なくしている方(いわゆる、ホームレスと呼ばれている方)が、冬凍死しないで乗り越えられるようにお渡しする毛布です。言葉のあやだけでなく、健康的な意味での『命の毛布』です。
様々なPeaceに関する運動がこの小田原にもあり、「命」と向かいあう毛布のクッション性のよさ、暖かさ、寝心地のよさを感じてくれたら、よりいっそうPeaceな活動が広がるのではないかと期待します。
さぁ、箱根を越えれば関東です。ピースウォークのメンバーさん、東京まではあと一息です。9条会議にいけない世界中の代表として一丁お願いしますね。
TBさせてもらいました。
地場・旬・自給さま
猫と彫刻と鶏とさま
うろこ玉絵日記さま
日々徒然さま
チャレンジャー・ナオミの日常 さま
箱根を下るときにはTシャツでははだ寒かったでしたが、小田原は太陽と皆さんの熱気で汗ばんでいました。
さて、今日ピースウォークのメンバーさんが寝袋の下に敷いた毛布は『命の毛布』です。
野宿を余儀なくしている方(いわゆる、ホームレスと呼ばれている方)が、冬凍死しないで乗り越えられるようにお渡しする毛布です。言葉のあやだけでなく、健康的な意味での『命の毛布』です。
様々なPeaceに関する運動がこの小田原にもあり、「命」と向かいあう毛布のクッション性のよさ、暖かさ、寝心地のよさを感じてくれたら、よりいっそうPeaceな活動が広がるのではないかと期待します。
さぁ、箱根を越えれば関東です。ピースウォークのメンバーさん、東京まではあと一息です。9条会議にいけない世界中の代表として一丁お願いしますね。
TBさせてもらいました。
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うろこ玉絵日記さま
日々徒然さま
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2008/04/22のBlog
[ 23:59 ]
[ |- ●PeaceCafe ]
9条PeaceWalkが昨日から始まりました。広島平和公園を出発して、5月4日に幕張メッセで行われる「9条世界会議」の会場をゴールとして、平和を訴えながら71日間平和を訴え行進を続けるものです。
ここ小田原には4月23日通過とのことで、PeaceCafeの代表笹鶏さんを通じて協力依頼がありました。できれば小田原教会を会場に使用していただきたく、まずは教会側の考えを確認すべく・・・・3月9日の役員会の議事に入れてもらうべくお願いをしておきましたが、その(事前の議事に入れてもらうお願いの)時点では各役員さんも「積極的にやっていきましょう」とのことですので、なんら問題なく可決しそうです。
こういう活動のバックアップはわくわくします。特にお疲れになって到着したメンバーへのウエルカムパーティーは、彼らの労をねぎらうだけでなく、共に食事をしながらの意見交換や交わりを深められることとして楽しみな部分です。
約2ヶ月の間いい準備のときとなりますようにと祈りつつ過ごしたいものです。
PS
皆さんの地域もウォークされる可能性があります。どうぞご支援ください。
ここ小田原には4月23日通過とのことで、PeaceCafeの代表笹鶏さんを通じて協力依頼がありました。できれば小田原教会を会場に使用していただきたく、まずは教会側の考えを確認すべく・・・・3月9日の役員会の議事に入れてもらうべくお願いをしておきましたが、その(事前の議事に入れてもらうお願いの)時点では各役員さんも「積極的にやっていきましょう」とのことですので、なんら問題なく可決しそうです。
こういう活動のバックアップはわくわくします。特にお疲れになって到着したメンバーへのウエルカムパーティーは、彼らの労をねぎらうだけでなく、共に食事をしながらの意見交換や交わりを深められることとして楽しみな部分です。
約2ヶ月の間いい準備のときとなりますようにと祈りつつ過ごしたいものです。
PS
皆さんの地域もウォークされる可能性があります。どうぞご支援ください。
公式速報はこちら
広島の情報です
奈良県の情報です
愛知岐阜の情報です
名古屋の情報です
静岡県西部の情報です
藤枝の情報です
静岡県中部の情報です
9条ピースウォーク三島の情報です
9条ピースウォーク★湘南の情報です
関連Blogです。TBを貼らせていただいたものです。直接は一緒に歩けない仲間とBlogを通じて知り合えたら嬉しいです。
笹鶏さん
おすぎとピースさん
いつか。ね。返事のない手紙さん
the morning star ~明けの明星~さん
gospel cafeさま
aura日記さま
楠見子連れ9条の会さま
こころの一人旅さま
鳥居正宏のときどきLOGOSさま
MONOLOGUEさま
LoveNatureさま
けんきょカト連さま
藤枝の空と緑と子どもたちさま
スナフの酔いどれ日記さま
Greens.jpさま
らくがき・わーるど (今日の一枚)さま
月明かりの下の独り言さま
一滴の水さま
河内長野九条の会さま
あなたには、この宝物がみえますか―憲法たんばさま
喫茶シマコスさま
常春日記さま
奈良宗教者九条の会さま
natural voyage journalさま
バンビの独り言さま
るっく・あっと・ほ~れ!さま
イン・ラケチシンクロの波に乗ろうさま
Mon petits bonheursさま
キルトで9条さま
島田啓介の Voice in Voiceさま
ガン(がん) でも大丈夫「いのちのヨーガ・セラピー」さま
So Special!さま
Beautiful Daysさま
続:ラッパ一丁吹きある記さま
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続:ラッパ一丁吹きある記さま
****
9条PeaceWalkおだわら の詳細、です。
__8:30 元箱根の前泊地をスタート
__9:15頃 甘酒茶屋を通過
10:00頃 畑宿寄木会館にて休憩
11:00過ぎ 箱根湯本駅前通過
12:00頃 入生田駅通過
12:20頃 風祭駅通過
13:00頃 藤棚到着
(昼食・休憩)
14:00 ピースパレード出発(右地図参照。クリックで拡大します)
コースは、御堀端通り(藤棚・三の丸小前」学橋・御堀端通り」旭丘高前「お城通り)→ 小田原駅東口 (小田原駅派出所前・小田原駅東口・錦通り入り口) → 錦通り (栄町・銀座通り・大工町通り) → 大工町通り → 国際通り (浜町1丁目・本町2丁目・小田原郵便局前」栄町1丁目) → ダイア街 → 錦通り (錦通り出口・無印・無印) → 日本キリスト教団小田原教会
斜体は交差点名 名前間の“・”は直進、“「” “」”は曲がります。
16:00 平和集会(同教会内)
17:00 解散
24日
8:30 教会出発で、国府津ちえのわハウスに向かってウォークを続けます。その後、国府津駅からJRに乗車し次の町へ移動です。
各イヴェントはすべて自由参加です。ただ、特に午前中にピースウォークに関しては、場所を移動するわけですので、お会いできない不憫さを解消するためにも事前のご連絡をいただけましたら幸いです。
9条PeaceWalkおだわら の詳細、です。
__8:30 元箱根の前泊地をスタート
__9:15頃 甘酒茶屋を通過
10:00頃 畑宿寄木会館にて休憩
11:00過ぎ 箱根湯本駅前通過
12:00頃 入生田駅通過
12:20頃 風祭駅通過
13:00頃 藤棚到着
(昼食・休憩)
14:00 ピースパレード出発(右地図参照。クリックで拡大します)
コースは、御堀端通り(藤棚・三の丸小前」学橋・御堀端通り」旭丘高前「お城通り)→ 小田原駅東口 (小田原駅派出所前・小田原駅東口・錦通り入り口) → 錦通り (栄町・銀座通り・大工町通り) → 大工町通り → 国際通り (浜町1丁目・本町2丁目・小田原郵便局前」栄町1丁目) → ダイア街 → 錦通り (錦通り出口・無印・無印) → 日本キリスト教団小田原教会
斜体は交差点名 名前間の“・”は直進、“「” “」”は曲がります。
16:00 平和集会(同教会内)
17:00 解散
24日
8:30 教会出発で、国府津ちえのわハウスに向かってウォークを続けます。その後、国府津駅からJRに乗車し次の町へ移動です。
各イヴェントはすべて自由参加です。ただ、特に午前中にピースウォークに関しては、場所を移動するわけですので、お会いできない不憫さを解消するためにも事前のご連絡をいただけましたら幸いです。
[ 12:51 ]
[ |- ●PeaceCafe ]
「9条ピースウォークおだわら」が明日に迫ってきました。
静岡のヒカリさんや重箱のスミさんから、メールや電話でどんだけ楽しいウォーキングだったかの連絡が入っており、気分はすでに遠足前日(笑)
気になるお天気は、どうやら明日いっぱいは曇りの予報で、気温も15-17℃、風も風速1m程度余暇なり心地よさそうな感じ。16km強の道のりを歩きには最高の天気です。
強烈な雨男の僕が先導する企画なのに、本当でしょうか(笑)
先ほどピースウォークおだわらのリーダー笹鶏さんが道路使用許可の申請書を持ってきてくれました。
昨晩の最終打ち合わせで、僕の連絡すべきところには全部手配をし終わりました。
特製のTシャツも用意しました。
さぁ、あとは今晩ゆっくり休んで明日に備えましょう。
明日一日(だけでも)一緒に歩けるよ、という方、ご一緒しませんか?
小田原駅発 6:50 の箱根町行きのバスに乗って、連続ウォークの方と合流します。
静岡のヒカリさんや重箱のスミさんから、メールや電話でどんだけ楽しいウォーキングだったかの連絡が入っており、気分はすでに遠足前日(笑)
気になるお天気は、どうやら明日いっぱいは曇りの予報で、気温も15-17℃、風も風速1m程度余暇なり心地よさそうな感じ。16km強の道のりを歩きには最高の天気です。
強烈な雨男の僕が先導する企画なのに、本当でしょうか(笑)
先ほどピースウォークおだわらのリーダー笹鶏さんが道路使用許可の申請書を持ってきてくれました。
昨晩の最終打ち合わせで、僕の連絡すべきところには全部手配をし終わりました。
特製のTシャツも用意しました。
さぁ、あとは今晩ゆっくり休んで明日に備えましょう。
明日一日(だけでも)一緒に歩けるよ、という方、ご一緒しませんか?
小田原駅発 6:50 の箱根町行きのバスに乗って、連続ウォークの方と合流します。
閑話休題・・・・
箱根の山を歩く、事について考えて見たいと思うのです。
21世紀、アスファルト舗装の上をビュンとひとっ走り軽快に走り抜けるドライブではなくて、まだ関東を坂東と呼んでいた頃のことを・・・・。
いや、それだけでなく、縄文・弥生時代の全国の先人たちの思いを・・・・。
大きく険しくそびえ立つ山の向こうに行こうとしたのは何か?
彼らは何を求めていたのか、と言えば、単に宝石や矢じりを作るための黒曜石を求めてだけではないと思うのです。
知りえないものへの探究心・・・・。これが彼らを山の向こうに生かせて原因でしょう。
今回全道を歩破する方のお一人が、できれば箱根では舗装されていない、誰が歩いたか分からない道も歩きたい、と言ったとか・・・・。
古代探究心のみで険しい山に入り込んだ人たちは、きっとそんな獣道を歩いていたのでしょう。
「未知」なる地へ続く「道」。結構ゴロあわせがいいじゃない。きっと語源は一緒かもしれないな、なんて思ったりもしました。
韻を踏んだり、ゴロあわせが好きなのは僕だけでなく、古今東西多くの人間の趣味であったのは、漢文の授業で絶句を学んだことでも推測できるし、旧約聖書の詩篇も僕はあんまり美しい調べと思えないのは日本語だからで、原文はきれいな韻を踏んでいたりするそうです。
そうトラブルとトラベルも同じ言葉から発生したと言うのを聞いたことがあります。見知らぬところへの旅は、いざこざの危険性をはらんでいる。郷に入っては郷に従え、の言葉通り。
『未知なる道』も『トラブルあるとラベル』も、みんなそんな豊かな好奇心。天下の険と歌われた箱根の先にはきっと探究心を満足させる夢や希望があります。
それは、憲法9条だけで平和を実現するのは難しい、と言われている最中、それを実現できる方法への探求と希望です。
そんなゴロ合わせや韻を踏んだ音楽が最近若者の間でも流行っているそうです。
ラップミュージック・・・・FOUNDATION MOVEMENT の2人が、小田原でもヒッポホップを演奏してくれるそうです。14:20-小田原駅前のポケットパークに集合!!
check it out!!!!
箱根の山を歩く、事について考えて見たいと思うのです。
21世紀、アスファルト舗装の上をビュンとひとっ走り軽快に走り抜けるドライブではなくて、まだ関東を坂東と呼んでいた頃のことを・・・・。
いや、それだけでなく、縄文・弥生時代の全国の先人たちの思いを・・・・。
大きく険しくそびえ立つ山の向こうに行こうとしたのは何か?
彼らは何を求めていたのか、と言えば、単に宝石や矢じりを作るための黒曜石を求めてだけではないと思うのです。
知りえないものへの探究心・・・・。これが彼らを山の向こうに生かせて原因でしょう。
今回全道を歩破する方のお一人が、できれば箱根では舗装されていない、誰が歩いたか分からない道も歩きたい、と言ったとか・・・・。
古代探究心のみで険しい山に入り込んだ人たちは、きっとそんな獣道を歩いていたのでしょう。
「未知」なる地へ続く「道」。結構ゴロあわせがいいじゃない。きっと語源は一緒かもしれないな、なんて思ったりもしました。
韻を踏んだり、ゴロあわせが好きなのは僕だけでなく、古今東西多くの人間の趣味であったのは、漢文の授業で絶句を学んだことでも推測できるし、旧約聖書の詩篇も僕はあんまり美しい調べと思えないのは日本語だからで、原文はきれいな韻を踏んでいたりするそうです。
そうトラブルとトラベルも同じ言葉から発生したと言うのを聞いたことがあります。見知らぬところへの旅は、いざこざの危険性をはらんでいる。郷に入っては郷に従え、の言葉通り。
『未知なる道』も『トラブルあるとラベル』も、みんなそんな豊かな好奇心。天下の険と歌われた箱根の先にはきっと探究心を満足させる夢や希望があります。
それは、憲法9条だけで平和を実現するのは難しい、と言われている最中、それを実現できる方法への探求と希望です。
そんなゴロ合わせや韻を踏んだ音楽が最近若者の間でも流行っているそうです。
ラップミュージック・・・・FOUNDATION MOVEMENT の2人が、小田原でもヒッポホップを演奏してくれるそうです。14:20-小田原駅前のポケットパークに集合!!
check it out!!!!
2008/04/20のBlog
[ 16:15 ]
[ |- ★礼拝説教を聴いて ]
4月20日に小田原教会に与えられた聖書のみ言葉は、ガラテアの信徒への手紙5章13~25節、標記のタイトルの説教を高橋敬基牧師より受けました。
今日も礼拝に集った一信者の僕が説教を聞いたものを自己流に咀嚼したことを記してみたいと思います。
今日も礼拝に集った一信者の僕が説教を聞いたものを自己流に咀嚼したことを記してみたいと思います。
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。
だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
キリスト者になる、ということは、イエスが十字架を背負って生涯を終えたように、僕らも人生の中の十字架を見つけ、それが他人の価値観ではなく、自分の価値観、また、イエスならどうするのか? を考えながら愚直に生きることでしょう。
受洗をする前の過去、つまりは社会の価値観に振り回され、他人の目におびえ、時には自分を殺していい隣人を演じなければならない時もあり、その度を過ごせば精神的に参って心の病を起こすこともあるでしょう。そうしたものは重いくびきであるから、自分が共に背負ってあげよう、というイエスの隣人愛に甘えることが受洗の意義なのかもしれません。ですから洗礼を受けたものは、過去の囚われに死に、新たな命に生き、その命は主イエスが共に居ればこその自由、古い自分からの解放だとおもいます。
ガラテアの信徒は、イエスをキリストと信じた時点で自由になったはずです。しかし、またかこの律法に囚われるようになったことを、手紙の著者パウロは問題視します。
ガラテアの信徒は、闇雲にイエスの教えよりユダヤ教の掟が良いとイエスの教えを捨てたわけではないでしょう。イエスの弟子でありながら、それでもユダヤ教時代の生活様式や考え方と言った、「周囲の常識」にも従うことも含めたほうが良いのではないか、美風ではないか、と思ったのではないでしょうか。
律法も一緒に守っても良いじゃないか! というのは、彼らがまた「律法の奴隷」に戻ることです。自由をもらいながら、その自由をもてあまして奴隷のみのほうが楽だといっているのです。
河島英五さんという言うシンガーソングライターが居ました。その方の歌に「てんびんばかり」という歌があります。そのワンフレーズに『ウチの子犬は、とても臆病で、独りでは街を歩けない。 首輪をつけると、とても自由だ。 僕を、神様だと、思っているんだろう。』というのがあります。想像に難しくありません。
そう、今日の説教のタイトルはフランスの哲学者サルトルの言葉だそうです。僕の勝手な推測ですが、遠藤周作氏の初期の作品の主人公は、サルトルがモデルのような気がします。・・・・いや、話がそれました。フランスの哲学者も日本のミュージシャンも同じようなことを考えているのだな、と思いました。
イエスの示した過去からの解放は、周囲の生きかたや考え方と違ってもいい、彼らの価値観と違う価値観にも大きな意味がある、という「世の常識」からの開放です。でも、そんな今までの方が歩いた道以外もあるといわれても、その道を探すのは自分自身なのです。
四方八方に荒野が広がります。その先には険しい山が見えています。激流も見えています。ただ、今までの多くの方が歩いたところは、踏み固められ道となっていて一番歩きやすそうなんです。
さて、話は変わりますが、先の聖書の箇所でパウロは途中でユダヤ教の価値観・倫理観を否定し、対してキリスト教の価値観を伝えます。冷静に考えれば、このパウロも実は過去の価値観に縛られ、それをベースに話を進めているのがわかります。
パウロでさえ、その呪縛の中で、その呪縛から逃れようともがいているのでしょう。その事実は、僕にとってはホッとする出来事です。パウロはきっと、律法自身が悪いのではなく、枝葉にこだわってはいけない、といいたいのでしょう。
律法に記されてありながら、今日の聖句でパウロが最後に書いている共通点は、神に従い隣人を愛すことです。「他者」との良い関係、それはそのまま神との良い関係であり、それを「愛」という言葉で僕らは使っているのでしょう。
だが、互いにかみ合い、共食いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。
しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。
これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。
キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
キリスト者になる、ということは、イエスが十字架を背負って生涯を終えたように、僕らも人生の中の十字架を見つけ、それが他人の価値観ではなく、自分の価値観、また、イエスならどうするのか? を考えながら愚直に生きることでしょう。
受洗をする前の過去、つまりは社会の価値観に振り回され、他人の目におびえ、時には自分を殺していい隣人を演じなければならない時もあり、その度を過ごせば精神的に参って心の病を起こすこともあるでしょう。そうしたものは重いくびきであるから、自分が共に背負ってあげよう、というイエスの隣人愛に甘えることが受洗の意義なのかもしれません。ですから洗礼を受けたものは、過去の囚われに死に、新たな命に生き、その命は主イエスが共に居ればこその自由、古い自分からの解放だとおもいます。
ガラテアの信徒は、イエスをキリストと信じた時点で自由になったはずです。しかし、またかこの律法に囚われるようになったことを、手紙の著者パウロは問題視します。
ガラテアの信徒は、闇雲にイエスの教えよりユダヤ教の掟が良いとイエスの教えを捨てたわけではないでしょう。イエスの弟子でありながら、それでもユダヤ教時代の生活様式や考え方と言った、「周囲の常識」にも従うことも含めたほうが良いのではないか、美風ではないか、と思ったのではないでしょうか。
律法も一緒に守っても良いじゃないか! というのは、彼らがまた「律法の奴隷」に戻ることです。自由をもらいながら、その自由をもてあまして奴隷のみのほうが楽だといっているのです。
河島英五さんという言うシンガーソングライターが居ました。その方の歌に「てんびんばかり」という歌があります。そのワンフレーズに『ウチの子犬は、とても臆病で、独りでは街を歩けない。 首輪をつけると、とても自由だ。 僕を、神様だと、思っているんだろう。』というのがあります。想像に難しくありません。
そう、今日の説教のタイトルはフランスの哲学者サルトルの言葉だそうです。僕の勝手な推測ですが、遠藤周作氏の初期の作品の主人公は、サルトルがモデルのような気がします。・・・・いや、話がそれました。フランスの哲学者も日本のミュージシャンも同じようなことを考えているのだな、と思いました。
イエスの示した過去からの解放は、周囲の生きかたや考え方と違ってもいい、彼らの価値観と違う価値観にも大きな意味がある、という「世の常識」からの開放です。でも、そんな今までの方が歩いた道以外もあるといわれても、その道を探すのは自分自身なのです。
四方八方に荒野が広がります。その先には険しい山が見えています。激流も見えています。ただ、今までの多くの方が歩いたところは、踏み固められ道となっていて一番歩きやすそうなんです。
さて、話は変わりますが、先の聖書の箇所でパウロは途中でユダヤ教の価値観・倫理観を否定し、対してキリスト教の価値観を伝えます。冷静に考えれば、このパウロも実は過去の価値観に縛られ、それをベースに話を進めているのがわかります。
パウロでさえ、その呪縛の中で、その呪縛から逃れようともがいているのでしょう。その事実は、僕にとってはホッとする出来事です。パウロはきっと、律法自身が悪いのではなく、枝葉にこだわってはいけない、といいたいのでしょう。
律法に記されてありながら、今日の聖句でパウロが最後に書いている共通点は、神に従い隣人を愛すことです。「他者」との良い関係、それはそのまま神との良い関係であり、それを「愛」という言葉で僕らは使っているのでしょう。
2008/04/19のBlog
[ 00:28 ]
[ ▼雑記 ]
仕事でオフコンを使っています。簡単なプログラムしかかけないので、非常勤のアドバイザー兼助っ人の人と一緒に今日は古いデータをオフコンからPCに移動する作業をしていました。
業界が少し特殊なので、当社の見積書は5年位有効の場合があります。ですからプラス1年つけて、2002年以前のデータを移そうとチェックをかけていたときのことです。
見積もり有効期限1980年**月**日の文字。で、見積もり作成日を見ると2008年$$月$$日。
どう考えても作成日より有効日のほうが前づけはおかしいし、28年前はこの機種のマシン(同一言語)は使っていなかったはずと、2人でチェック。
すると分かりました。作成者が、年数を「08」と打つところを「80」と打ったらしいです。
それだけなら2080年までが有効期限になり、削除データには入ってこなかったのでしょうけれど、あの2000年問題(覚えていますか?21世紀直前にコンピュータが誤作動を起こすのではないかと戦々恐々となったことを・・・・)
西暦を4桁にするのはボリュームの無駄と当社も大方の企業に右に倣えで、YYMMDDの6桁で年月日を記載します。そしてプログラムを組んだとき(1985年頃)に将来2000年になったら下2桁だと00年で1999年の99年より小さくなってしまうので、誤作動をしないように、
もし年数が80より大きかったら、その頭に19をつけなさい
もしそれ以外だったら、その頭に20をつけなさい
と言う命令をプログラムに書き込んでいたのです。
その結果、「08」と打つべきところ「80」と打ってしまったので、年号2桁→4桁の時点で、上記の命令形より19がつけられ、1980年となってしまったのです。
いやはや、2008年になって2KY-troubleに巻き込まれるとは思ってもいませんでした。
たいしたミスでなくてよかったです。
業界が少し特殊なので、当社の見積書は5年位有効の場合があります。ですからプラス1年つけて、2002年以前のデータを移そうとチェックをかけていたときのことです。
見積もり有効期限1980年**月**日の文字。で、見積もり作成日を見ると2008年$$月$$日。
どう考えても作成日より有効日のほうが前づけはおかしいし、28年前はこの機種のマシン(同一言語)は使っていなかったはずと、2人でチェック。
すると分かりました。作成者が、年数を「08」と打つところを「80」と打ったらしいです。
それだけなら2080年までが有効期限になり、削除データには入ってこなかったのでしょうけれど、あの2000年問題(覚えていますか?21世紀直前にコンピュータが誤作動を起こすのではないかと戦々恐々となったことを・・・・)
西暦を4桁にするのはボリュームの無駄と当社も大方の企業に右に倣えで、YYMMDDの6桁で年月日を記載します。そしてプログラムを組んだとき(1985年頃)に将来2000年になったら下2桁だと00年で1999年の99年より小さくなってしまうので、誤作動をしないように、
もし年数が80より大きかったら、その頭に19をつけなさい
もしそれ以外だったら、その頭に20をつけなさい
と言う命令をプログラムに書き込んでいたのです。
その結果、「08」と打つべきところ「80」と打ってしまったので、年号2桁→4桁の時点で、上記の命令形より19がつけられ、1980年となってしまったのです。
いやはや、2008年になって2KY-troubleに巻き込まれるとは思ってもいませんでした。
たいしたミスでなくてよかったです。
2008/04/18のBlog
[ 01:02 ]
[ ★信仰・教会 ]
聖書はまったく間違いがない、という人がいます。僕は否定もしませんが、肯定はできません。
それは聖書が神によって啓示され、聖霊が人に下って書かせたとしても、所詮パピルスに書いたのも、そのパピルスを他のパピルスに写し換えたのも不完全なものである人のなせる業で、「正しい人は誰一人としていない」と思っているからです。神の能力に比べたら無に等しい人間のなせることです、どこでどのような間違いをしているかはわからない、というのが「聖書」の書き記しに関してでも僕はそう思うのです。
では、聖書はまったく当てにならないかといえば、僕はその点に関しては頑なに否定をします。
神の教えを何とか後世に伝えようという「不完全な」人々の最大限の努力と、そこに真理があると信じた人の熱意は聖書研究という学問と信仰という両面から旧約の時代何千年もの間の血の滲む努力の上にあり、そしてそれを生活の規範としていき続けて、時には間違いを犯し、そしてそれを修正しながら生き続いてきたことに、聖書は「生きた書物」であり、聖書の正しさは時代の中で軌道修正をしながら、それでもその軸となるベクトルが揺るぎのないものであるところにそれを感じるのです。大げさかもしれませんが、聖書との格闘が歴史だと思うのです。
定期的に僕を訪れるクリスチャンのBlogを見たくなる欲望が強くなった最中の昨今にであった「とあるBlog」で、聖書や信仰が本当に正しいか、という難しい悩みを真摯に考えている人のところにさまざまな方が書き込みをしています。
そこには僕に比べればみな熱心な信仰者の方々ばかりに見えるわけですが、それでも聖書や信仰に対しての意見はまちまちです。
聖書は絶対正しい、という方も居ます。僕もこれは「ある意味」否定はしないわけです。が、“一言一句正しいか”と問われれば、僕はNo!といわざるを得ないのは、昔聖書の読み比べをした経験があるからです。
日本キリスト教団の多くの教会は、昭和時代後半近くまで日本聖書協会の発行した「口語訳聖書」を使用していました。そして、その後カトリック教会と合同で編纂した「新共同訳聖書」に切り替えたところが多いと思います。
また、福音系の教会は「新改訳聖書」をお使いのところが多いのではないでしょうか?
それぞれの聖書の旧約の士師記14章15節を見て見ますと、
【口語訳】14:15 四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った、
【新改訳】14:15 四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。
【新共同訳】14:15 七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。
【NKJV】14:15 But it came to pass on the seventh day that they said to Samson's wife,
【TEV】14:15 On the fourth day they said to Samson's wife,
と4日という訳と7日という訳が出てきます。
面白い現象ですが、僕は聖書学者でも何でもありませんので、この部分の原文が何日なのか知る術も、またこれを学問的に分析する能力はありません。そしてこのように違いがあるから聖書はあてにならない、とはまったく思っていないのです。
聖書は一言一句間違いがないからそのとおりに信じなさい、という書物ではないと思うのです。そこに出てくる人物は、不真面目な人も出てくるし、社会的な倫理をはずした行為も出てきます。でも、そんな人たちを一度は神様は見捨てようとし大洪水を起しますが、なんと神さまが考え方を改め、二度と人間を見捨てないと約束し、そしてその生活の指針、生き方の指針を示すために、自らの分身(三位一体の子、である)イエス=キリストをお遣わしになったわけです。
聖書は「生きた書物」だと当初言ったように、僕はどう生きるか?をその時代その時代に照らし合わせ、イエスならどうしようとしたのか?を考えながら読むことが重要なのではないでしょうか?
イエスの時代には、まだ重い皮膚病を患った人の人権はなく困窮した様子が書かれています。が、21世紀になりその社会的な人権はだいぶ改善されてきた感はあります。
また、近年自分の性別に関しての悩みをもつ方がいます。イエスの時代には、その人たちの人権は否定されていましたが、今それはいかなるものか?聖書から、イエスの行動からどう読むべきなのか?が研究されています。
くどいですが、聖書は「生きて」僕らを導いてくれています。
サムソンの出した謎掛けの答えがわからないとデリラに答えを聞き出したのが何日目という細かい点があっていようがなかろうが、ざっくりと聖書を読んで、僕らは自分の生涯においてイエスのみあとをどう歩むかを導き出すことのほうが大事に思えます。
その間違いない解答は、聖書に「真理」として記載されていると僕は思います。ですから僕は聖書は間違いがない、ことに肯定するし、否定をするのです。
ちなみにタイトルは遠藤周作氏の発言です。この1%が信仰であり、神であると思うのです。そこに賭けたいのです。
それは聖書が神によって啓示され、聖霊が人に下って書かせたとしても、所詮パピルスに書いたのも、そのパピルスを他のパピルスに写し換えたのも不完全なものである人のなせる業で、「正しい人は誰一人としていない」と思っているからです。神の能力に比べたら無に等しい人間のなせることです、どこでどのような間違いをしているかはわからない、というのが「聖書」の書き記しに関してでも僕はそう思うのです。
では、聖書はまったく当てにならないかといえば、僕はその点に関しては頑なに否定をします。
神の教えを何とか後世に伝えようという「不完全な」人々の最大限の努力と、そこに真理があると信じた人の熱意は聖書研究という学問と信仰という両面から旧約の時代何千年もの間の血の滲む努力の上にあり、そしてそれを生活の規範としていき続けて、時には間違いを犯し、そしてそれを修正しながら生き続いてきたことに、聖書は「生きた書物」であり、聖書の正しさは時代の中で軌道修正をしながら、それでもその軸となるベクトルが揺るぎのないものであるところにそれを感じるのです。大げさかもしれませんが、聖書との格闘が歴史だと思うのです。
定期的に僕を訪れるクリスチャンのBlogを見たくなる欲望が強くなった最中の昨今にであった「とあるBlog」で、聖書や信仰が本当に正しいか、という難しい悩みを真摯に考えている人のところにさまざまな方が書き込みをしています。
そこには僕に比べればみな熱心な信仰者の方々ばかりに見えるわけですが、それでも聖書や信仰に対しての意見はまちまちです。
聖書は絶対正しい、という方も居ます。僕もこれは「ある意味」否定はしないわけです。が、“一言一句正しいか”と問われれば、僕はNo!といわざるを得ないのは、昔聖書の読み比べをした経験があるからです。
日本キリスト教団の多くの教会は、昭和時代後半近くまで日本聖書協会の発行した「口語訳聖書」を使用していました。そして、その後カトリック教会と合同で編纂した「新共同訳聖書」に切り替えたところが多いと思います。
また、福音系の教会は「新改訳聖書」をお使いのところが多いのではないでしょうか?
それぞれの聖書の旧約の士師記14章15節を見て見ますと、
【口語訳】14:15 四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った、
【新改訳】14:15 四日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。
【新共同訳】14:15 七日目になって、彼らはサムソンの妻に言った。
【NKJV】14:15 But it came to pass on the seventh day that they said to Samson's wife,
【TEV】14:15 On the fourth day they said to Samson's wife,
と4日という訳と7日という訳が出てきます。
面白い現象ですが、僕は聖書学者でも何でもありませんので、この部分の原文が何日なのか知る術も、またこれを学問的に分析する能力はありません。そしてこのように違いがあるから聖書はあてにならない、とはまったく思っていないのです。
聖書は一言一句間違いがないからそのとおりに信じなさい、という書物ではないと思うのです。そこに出てくる人物は、不真面目な人も出てくるし、社会的な倫理をはずした行為も出てきます。でも、そんな人たちを一度は神様は見捨てようとし大洪水を起しますが、なんと神さまが考え方を改め、二度と人間を見捨てないと約束し、そしてその生活の指針、生き方の指針を示すために、自らの分身(三位一体の子、である)イエス=キリストをお遣わしになったわけです。
聖書は「生きた書物」だと当初言ったように、僕はどう生きるか?をその時代その時代に照らし合わせ、イエスならどうしようとしたのか?を考えながら読むことが重要なのではないでしょうか?
イエスの時代には、まだ重い皮膚病を患った人の人権はなく困窮した様子が書かれています。が、21世紀になりその社会的な人権はだいぶ改善されてきた感はあります。
また、近年自分の性別に関しての悩みをもつ方がいます。イエスの時代には、その人たちの人権は否定されていましたが、今それはいかなるものか?聖書から、イエスの行動からどう読むべきなのか?が研究されています。
くどいですが、聖書は「生きて」僕らを導いてくれています。
サムソンの出した謎掛けの答えがわからないとデリラに答えを聞き出したのが何日目という細かい点があっていようがなかろうが、ざっくりと聖書を読んで、僕らは自分の生涯においてイエスのみあとをどう歩むかを導き出すことのほうが大事に思えます。
その間違いない解答は、聖書に「真理」として記載されていると僕は思います。ですから僕は聖書は間違いがない、ことに肯定するし、否定をするのです。
ちなみにタイトルは遠藤周作氏の発言です。この1%が信仰であり、神であると思うのです。そこに賭けたいのです。
PS
「富士山の高さって何mだっけ・・・・?」 と言う問いかけに
ざっくりと「3000mちょい」と言う答えに対して、僕は「ああそうだったね」と答えられますが、
「えっーと、確か下二桁は76mなんだよね」と言う答え方には、いくら正しくとも納得いきません。
重箱の隅をつつくのではなく、ざっくりとでもおぼろげでもゴールの方向性を示すことが大事ではないでしょうか?
「富士山の高さって何mだっけ・・・・?」 と言う問いかけに
ざっくりと「3000mちょい」と言う答えに対して、僕は「ああそうだったね」と答えられますが、
「えっーと、確か下二桁は76mなんだよね」と言う答え方には、いくら正しくとも納得いきません。
重箱の隅をつつくのではなく、ざっくりとでもおぼろげでもゴールの方向性を示すことが大事ではないでしょうか?
2008/04/15のBlog
[ 22:02 ]
[ ●社会問題 ]
今日、このようなビラが入っていました。(A3カラー両面の一部をスキャニングした後に切り取りました。下にはPRが続いています。 クリックで拡大します)
しかし、誰が、何を、どうするのか? 本気で公約を守る気があるのか?それとも、票を集めて当選した暁には「どこにも私の名前がなかったでしょ?私がするなんて書いていないじゃないですか!」と言いたいのか、発行する意味が分からない無責任なビラす。
もちろん小田原市民ならそのビラの発行元が、5月に行われる市長選の候補者の豊島輝慶現県議の後援者の発行したものだと言うことは、写真も似顔絵も氏のものである事から充分分かっています。
そして名前を書いたなら選挙違反になるので、一切豊島氏の名前をいれていないのも推測に難しくありません。
しかし、『約束します』と言いながら市制担当者(責任者)の名前を書かない人に言われても、そうですか!なんてまったく思えないし、返ってそんな姑息なことをすることに憤りを感じます。
内容からみれば、このビラが選挙のためのビラであることは火を見るより明らかです。そこに名前を入れることができない選挙戦前であることも事実です。
選挙戦を平等にする気があるのなら、加藤候補や山田候補のように、正々堂々と選挙戦の開始日を待つべきではないでしょうか。
意味を持たないビラは資源の無駄遣いです。たんなるフライングとしか考えられません。
しかし、誰が、何を、どうするのか? 本気で公約を守る気があるのか?それとも、票を集めて当選した暁には「どこにも私の名前がなかったでしょ?私がするなんて書いていないじゃないですか!」と言いたいのか、発行する意味が分からない無責任なビラす。
もちろん小田原市民ならそのビラの発行元が、5月に行われる市長選の候補者の豊島輝慶現県議の後援者の発行したものだと言うことは、写真も似顔絵も氏のものである事から充分分かっています。
そして名前を書いたなら選挙違反になるので、一切豊島氏の名前をいれていないのも推測に難しくありません。
しかし、『約束します』と言いながら市制担当者(責任者)の名前を書かない人に言われても、そうですか!なんてまったく思えないし、返ってそんな姑息なことをすることに憤りを感じます。
内容からみれば、このビラが選挙のためのビラであることは火を見るより明らかです。そこに名前を入れることができない選挙戦前であることも事実です。
選挙戦を平等にする気があるのなら、加藤候補や山田候補のように、正々堂々と選挙戦の開始日を待つべきではないでしょうか。
意味を持たないビラは資源の無駄遣いです。たんなるフライングとしか考えられません。
2008/04/14のBlog
[ 22:18 ]
[ |- ★礼拝説教を聴いて ]
4月13日に小田原教会に与えられた聖書のみ言葉は、ヨハネの黙示録3章14~22節、標記のタイトルの説教を高橋敬基牧師より受けました。
今日も礼拝に集った一信者の僕が説教を聞いたものを自己流に咀嚼したことを記してみたいと思います。
今日も礼拝に集った一信者の僕が説教を聞いたものを自己流に咀嚼したことを記してみたいと思います。
ラオディキアにある教会の天使にこう書き送れ。『アーメンである方、誠実で真実な証人、神に創造された万物の源である方が、次のように言われる。「わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく熱くもない。むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう。わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその玉座に着いたのと同じように。耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」』」
黙示文学はエゼキエル書と並んで僕にとって難解で好きになれない聖書の箇所です。でも、黙示録は、手紙部分と文学部分があり、今日の場所は手紙の部分だと牧師は当初に語られました。しかし、そんな手紙ですら、何を言いたいのか?僕には難解でした(笑)
熱いなら熱く、冷たいなら冷たい状態になれ。中途半端なのは好かないので吐き出す(相手にしない)と記しています。白黒はっきりしろ、というこの申し出は、僕らには危険にすら感じられます。特に日本という文化土壌においては、「なあなあ」「ほどほど」が生活の知恵であり、それがなくなってきた昨今ギスギスした社会になりつつあるような気すらします。
しかし、そのあと聖書の言葉は突然「金持ちだ」と自分の日々の生活が満足と思い込もうとしている、と話を変えているように思います。これは、自分をはじめほとんどの方がそうではないでしょうか? 三昔前「日本人、一億総中流階級」という言葉が流行りました。中流というほどほど、つまり熱くもなく冷たくもないポジションにおいて、満足していないはずが、満足している振りをしていたのではないでしょうか?
しかも、「金」と「白い衣(これは社会的身分、を表しているそうです)」と「薬(健康)」で窮々していることを戒めています。まじめで勤勉です、日本人は・・・・。でもその努力の方向性は正しいのでしょうか?
近年日本が一番大きく変わったのは、他人が信じられなくなった点ではないでしょうか?「知らない人についていってはいけません」この言葉はきっと約40年ほど前の吉展ちゃん事件などから始まったでしょう。しかし、今日日は知らない人が近づいてきて刺されたりする事件も多発しています。教師と呼ばれる人、警察権力を持つ人、為政者、こうした人が間違いを当然のように犯しています。
先ほど述べた「金」「社会的身分」「健康」・・・・。確かに日本の社会の中でほしいものの3つと問われれば必ず上位に来るものでしょう。
しかし、神は聖書を通じて戒めています。本当に必要なものは「他者」ではないでしょうか?信じられる隣人。安心して打ち明けられる隣人。厚い殻をかぶって、上っ面の建前論でしかおしゃべりが出来ないのでは、「金」があっても「社会的地位」があっても「健康」があってもさびしくないでしょうか?
イエスは戸口であなたを「隣人」として招くためにノックを続けています。そしてあなたが出てきてくれれば共に食事をするといいます。この食事というのは宴会のことです。神の座での宴会、即ち、そこにはインマニエル、神共に居る場所へ招かれる福音です。心を開けばその宴会にいける、そう、他人とそういう関係になること、心を頑なにしないことが神からのメッセージではないでしょうか?
黙示文学はエゼキエル書と並んで僕にとって難解で好きになれない聖書の箇所です。でも、黙示録は、手紙部分と文学部分があり、今日の場所は手紙の部分だと牧師は当初に語られました。しかし、そんな手紙ですら、何を言いたいのか?僕には難解でした(笑)
熱いなら熱く、冷たいなら冷たい状態になれ。中途半端なのは好かないので吐き出す(相手にしない)と記しています。白黒はっきりしろ、というこの申し出は、僕らには危険にすら感じられます。特に日本という文化土壌においては、「なあなあ」「ほどほど」が生活の知恵であり、それがなくなってきた昨今ギスギスした社会になりつつあるような気すらします。
しかし、そのあと聖書の言葉は突然「金持ちだ」と自分の日々の生活が満足と思い込もうとしている、と話を変えているように思います。これは、自分をはじめほとんどの方がそうではないでしょうか? 三昔前「日本人、一億総中流階級」という言葉が流行りました。中流というほどほど、つまり熱くもなく冷たくもないポジションにおいて、満足していないはずが、満足している振りをしていたのではないでしょうか?
しかも、「金」と「白い衣(これは社会的身分、を表しているそうです)」と「薬(健康)」で窮々していることを戒めています。まじめで勤勉です、日本人は・・・・。でもその努力の方向性は正しいのでしょうか?
近年日本が一番大きく変わったのは、他人が信じられなくなった点ではないでしょうか?「知らない人についていってはいけません」この言葉はきっと約40年ほど前の吉展ちゃん事件などから始まったでしょう。しかし、今日日は知らない人が近づいてきて刺されたりする事件も多発しています。教師と呼ばれる人、警察権力を持つ人、為政者、こうした人が間違いを当然のように犯しています。
先ほど述べた「金」「社会的身分」「健康」・・・・。確かに日本の社会の中でほしいものの3つと問われれば必ず上位に来るものでしょう。
しかし、神は聖書を通じて戒めています。本当に必要なものは「他者」ではないでしょうか?信じられる隣人。安心して打ち明けられる隣人。厚い殻をかぶって、上っ面の建前論でしかおしゃべりが出来ないのでは、「金」があっても「社会的地位」があっても「健康」があってもさびしくないでしょうか?
イエスは戸口であなたを「隣人」として招くためにノックを続けています。そしてあなたが出てきてくれれば共に食事をするといいます。この食事というのは宴会のことです。神の座での宴会、即ち、そこにはインマニエル、神共に居る場所へ招かれる福音です。心を開けばその宴会にいける、そう、他人とそういう関係になること、心を頑なにしないことが神からのメッセージではないでしょうか?
2008/04/12のBlog
[ 09:44 ]
[ ◆健康・ガン友 ]
ご覧になっている皆様にはどうでも良いことでしょうけれど、メタボ対策も国家を挙げての一大事業になったことですので(何でこんなことを国を挙げて騒ぐのかな?)、今週も歩数をチェーック!
4月5日 31193歩(22.4Km)
4月6日 21803歩(15.2Km)
4月7日 817歩(0.5Km)
4月8日 1108歩(0.7Km)
4月9日 660歩(0.4Km)
4月10日 3436歩(2.3Km)
4月11日 1678歩(1.2Km)
これを消費カロリーに換算すると、
5日 1087kcal
6日 722kcal
7日 16kcal
8日 20kcak
9日 10kcal
10日 86kcal
11日 43kcal
ご飯1杯が262kcal、カップヌードルが凡そ450kcalです。出典
これで運動しなければ太るわけですよね(笑)
ちなみに僕の性別・年齢・身長・体重から割り出した基礎代謝1494kcalです。
それでも週1,2度のスポーツジム(筋トレマシン)で1時間強汗をかいているおかげで、約1ヶ月でベルトの穴1つウエストのメタボとおさらばしました。68kg→66kgです。
4月5日 31193歩(22.4Km)
4月6日 21803歩(15.2Km)
4月7日 817歩(0.5Km)
4月8日 1108歩(0.7Km)
4月9日 660歩(0.4Km)
4月10日 3436歩(2.3Km)
4月11日 1678歩(1.2Km)
これを消費カロリーに換算すると、
5日 1087kcal
6日 722kcal
7日 16kcal
8日 20kcak
9日 10kcal
10日 86kcal
11日 43kcal
ご飯1杯が262kcal、カップヌードルが凡そ450kcalです。出典
これで運動しなければ太るわけですよね(笑)
ちなみに僕の性別・年齢・身長・体重から割り出した基礎代謝1494kcalです。
それでも週1,2度のスポーツジム(筋トレマシン)で1時間強汗をかいているおかげで、約1ヶ月でベルトの穴1つウエストのメタボとおさらばしました。68kg→66kgです。
2008/04/11のBlog
[ 22:28 ]
[ |- ●平和・国際問題 ]
4月10日16時1分配信の時事通信社のニュースで、ダライラマ師の記者会見が公表されました。
訪米途中に日本に立ち寄ったチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は10日午後、成田空港近くのホテルで記者会見し、チベット暴動を鎮圧した中国に抗議するため北京五輪の聖火リレーがロンドンやパリなどで妨害されたことについて「暴力行為を行うべきでない」と述べ、暴力停止を呼び掛けた。また、「五輪の中国開催を支持しており、開催国として十分な国だ」とし、チベット暴動が起きても考えに変化がないことを強調した。
ダライ・ラマはその一方で、「中国では新疆ウイグル自治区でも(チベットと)同様のことが起こっており、中国は現実を受け入れる時期にきている」と語り、中国政府に対し暴力による弾圧ではなく、現実的な解決方法を取るよう要求。チベット情勢に関する透明性の高い情報提供とともに、信頼と敬意に基づく「調和ある社会」を構築する必要性を訴えた。
「調和社会」は、胡錦濤国家主席が唱えるスローガンであり、ダライ・ラマはチベットにも浸透させるよう突き付けた形だ。
一方、今回の暴動について「チベット人の心に積もった憤りが表出したもので、独立を求めているのではない」とした上で「外交や軍は中国の下でもいい。欲しいのは仏教や文化、教育などの自治だ」と主張、ダライ・ラマが独立をたくらんでいるとする中国に反論した。
このほか暴動の真相解明に向け、国際機関による調査を改めて求めた。
この中で僕が一番注目したのは、チベットは独立を要求しているのではない。文化や教育の自治だ、という点。
宗教指導者の指導者たる所以を垣間見た感じがしました。
海外に簡単に行き来できる今、国境の意味は何か? ヨーロッパが国境の意識をなくしていることも含めて、人と人との交わりが深まり、お互いが善き隣人になれれば国境が要らない、ということを師は言いたいのではないだろうか?
たとえば朝鮮学校が日本には存在するわけで、彼らは北朝鮮人としてのアイデンティティを持っているが、その(生活の地としての)国家は「日本」であるわけで、国交がない分困窮はあっても、それを除けば、文化の維持、教育の自由が日本は保障している。それはそれで海外に駐在している子女と同じような生活なのでしょう。
僕が知らない在日の方々の困窮があるだろう。だからそんな簡単に日本のようになればいい、などとはいえない。でも、ダライラマ師のチベット人のアイデンティティある中国内での存続は、こんなところにあるのかもしれない。
訪米途中に日本に立ち寄ったチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世は10日午後、成田空港近くのホテルで記者会見し、チベット暴動を鎮圧した中国に抗議するため北京五輪の聖火リレーがロンドンやパリなどで妨害されたことについて「暴力行為を行うべきでない」と述べ、暴力停止を呼び掛けた。また、「五輪の中国開催を支持しており、開催国として十分な国だ」とし、チベット暴動が起きても考えに変化がないことを強調した。
ダライ・ラマはその一方で、「中国では新疆ウイグル自治区でも(チベットと)同様のことが起こっており、中国は現実を受け入れる時期にきている」と語り、中国政府に対し暴力による弾圧ではなく、現実的な解決方法を取るよう要求。チベット情勢に関する透明性の高い情報提供とともに、信頼と敬意に基づく「調和ある社会」を構築する必要性を訴えた。
「調和社会」は、胡錦濤国家主席が唱えるスローガンであり、ダライ・ラマはチベットにも浸透させるよう突き付けた形だ。
一方、今回の暴動について「チベット人の心に積もった憤りが表出したもので、独立を求めているのではない」とした上で「外交や軍は中国の下でもいい。欲しいのは仏教や文化、教育などの自治だ」と主張、ダライ・ラマが独立をたくらんでいるとする中国に反論した。
このほか暴動の真相解明に向け、国際機関による調査を改めて求めた。
この中で僕が一番注目したのは、チベットは独立を要求しているのではない。文化や教育の自治だ、という点。
宗教指導者の指導者たる所以を垣間見た感じがしました。
海外に簡単に行き来できる今、国境の意味は何か? ヨーロッパが国境の意識をなくしていることも含めて、人と人との交わりが深まり、お互いが善き隣人になれれば国境が要らない、ということを師は言いたいのではないだろうか?
たとえば朝鮮学校が日本には存在するわけで、彼らは北朝鮮人としてのアイデンティティを持っているが、その(生活の地としての)国家は「日本」であるわけで、国交がない分困窮はあっても、それを除けば、文化の維持、教育の自由が日本は保障している。それはそれで海外に駐在している子女と同じような生活なのでしょう。
僕が知らない在日の方々の困窮があるだろう。だからそんな簡単に日本のようになればいい、などとはいえない。でも、ダライラマ師のチベット人のアイデンティティある中国内での存続は、こんなところにあるのかもしれない。
2008/04/10のBlog
[ 18:28 ]
[ |- ●PeaceCafe ]
9条ピースウォークが春のぐずついた天気の元、東海道を東に向かって行進しています。
このピースウォークと切っても切れない関係が、資金源の絵葉書の作成などを手がけた石岡真由海さん。
なんと小田原のご出身だとか・・・・。しかも、小田原-藤沢間歩行する24日のお昼ごはんの受け渡し場所である国府津ちえのわハウスの看板を手がけられた方だとか。
ちえのわハウスは、僕の属している日本キリスト教団小田原教会の信徒さんがオーナーのお店。そういった意味では、とてもご縁のある方の絵葉書なんですね。
さて、通しで歩かれているみなさん。24日は是非お昼ご飯を受け取られたら、看板を見てくださいね。石岡さんの看板から元気をもらったらラストスパートです!!
近隣の市町村からもピースウォークや小田原市内を練り歩くピースパレードへの参加要望が来ております。
どうすればいいか分からない、と言う方はどうぞこの記事のRESコメにその旨をお書きください。追ってご連絡をさせて頂きます。
このピースウォークと切っても切れない関係が、資金源の絵葉書の作成などを手がけた石岡真由海さん。
なんと小田原のご出身だとか・・・・。しかも、小田原-藤沢間歩行する24日のお昼ごはんの受け渡し場所である国府津ちえのわハウスの看板を手がけられた方だとか。
ちえのわハウスは、僕の属している日本キリスト教団小田原教会の信徒さんがオーナーのお店。そういった意味では、とてもご縁のある方の絵葉書なんですね。
さて、通しで歩かれているみなさん。24日は是非お昼ご飯を受け取られたら、看板を見てくださいね。石岡さんの看板から元気をもらったらラストスパートです!!
近隣の市町村からもピースウォークや小田原市内を練り歩くピースパレードへの参加要望が来ております。
どうすればいいか分からない、と言う方はどうぞこの記事のRESコメにその旨をお書きください。追ってご連絡をさせて頂きます。
[ 18:10 ]
[ |- ●野宿者(ホームレス)問題 ]
今日のパトビラ(野宿者のお宅を訪問するときに持っていくビラ)はこんなことを国や県の実態調査について書いてみました。(いつもながら字数の制限で乱暴な文章になっちゃいますが)
花冷えのする毎日です。お風邪を召しませんようにと念じています。
神奈川県がこの1月に調査をしたとして、県内の野宿者の数を公表しました。
小田原市は49名の野宿を余儀なくしている仲間がいると発表され、その数は2007年1月に比べて4人減少。2003年に比らべて26人の減少だそうです。
野宿の仲間が一番多いのは横浜市の649人、続いて川崎市の635人。そして平塚の95人、厚木の75人、藤沢の55人、小田原は6番目に野宿の仲間が多い街らしいです。
そして1年前に比べて神奈川県内の野宿者の人口は300人減っています。これは全国的な傾向で、日本全国で2003年より約1万人、昨年より2500人少なくなっていますが、それでも約1万6千人の方が困窮の日々を過ごしています。
この数字はある程度の信憑性があると思っています。でも、それは僕ら支援者でも会うのを避けている仲間もいますからもう少し多いのが実態でしょう。
ちなみに僕らが2008年1月の各木曜日に廻ったときにお会いできたのは、10日は、46人。17日は45人。24日は46人。31日が47人です。僕らが回れていない国府津や上下府中、根府川・米神などには後数名から十数人いると思います。
花冷えのする毎日です。お風邪を召しませんようにと念じています。
神奈川県がこの1月に調査をしたとして、県内の野宿者の数を公表しました。
小田原市は49名の野宿を余儀なくしている仲間がいると発表され、その数は2007年1月に比べて4人減少。2003年に比らべて26人の減少だそうです。
野宿の仲間が一番多いのは横浜市の649人、続いて川崎市の635人。そして平塚の95人、厚木の75人、藤沢の55人、小田原は6番目に野宿の仲間が多い街らしいです。
そして1年前に比べて神奈川県内の野宿者の人口は300人減っています。これは全国的な傾向で、日本全国で2003年より約1万人、昨年より2500人少なくなっていますが、それでも約1万6千人の方が困窮の日々を過ごしています。
この数字はある程度の信憑性があると思っています。でも、それは僕ら支援者でも会うのを避けている仲間もいますからもう少し多いのが実態でしょう。
ちなみに僕らが2008年1月の各木曜日に廻ったときにお会いできたのは、10日は、46人。17日は45人。24日は46人。31日が47人です。僕らが回れていない国府津や上下府中、根府川・米神などには後数名から十数人いると思います。
2008/04/07のBlog
[ 21:10 ]
[ ■アウトドア・趣味 ]