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2008/05/10のBlog
豊平橋から街の中心部に戻ると南4条西4丁目のススキの交差点です。夜のとばりが降りる頃にはススキノに訪れる人々で雑踏する繁華街も、日中は人通りもまばらで閑散としています。写真は[ロビンソン百貨店札幌店]です。1974年札幌でオリンピツクが開かれた後[札幌松坂屋]としてオープン、その後[ヨークマツザカヤ]と名称が変わり現在に至っていますが、ススキノに誕生した地域のデパートとして長く親しまれてきました。このデパートが営業不振のため明年1月18日閉店することが決まりました。心なしか建物全体がおも苦しい雰囲気に包まれ寂しげにたたずんでいるようです。
このデパート前がススキノ歓楽街の入り口です。写真は、中島公園入り口に繋がるススキノ本通です。夜の世界では見られない静かな街の顔です。
ススキノの入り口から南に進み南5条周辺です。大型ビルが建ち並び、ススキノ全盛時代の面影をとどめています。
ここは南6条界隈です。ここを進むと豊水地区に変わり中島公園入り口となります。
ススキノ本通を夾んで東西に立ち並ぶ飲食街です。それぞれ名前が付いていて[銀座通][新宿通]と呼ばれる小路です。本通の新しいビルとは一味違った、古き時代の名残が感じられるまさに[飲み屋街]といった趣です。
2008/05/08のBlog
札幌創建の原点といわれている[創成橋]を渡った東南の方向に北海道神宮の末社頓宮があります。所在地は、南2条東3丁目になりますが、このあたりは札幌でも最初に街造りが進められた由緒ある地域です。この創成橋は、1869年(明治2年)に架けられましたが、当初は丸太を並べ板を敷いただけの橋でした。現在の橋は1910年(明治43年)に建設されたものですが、下部の構造はモダンなアーチ型で上部は純日本風の美しいデザインが施され、両側の高欄には擬宝珠が取り付けられていました。この擬宝珠は江戸時代は藩主のみが橋につけることを許されていたという格式の高いものだそうです。創成橋の擬宝珠も長年の風雪で無惨な状況になりましたが、その復元の要望に応えて昭和53年には復元作業が行われました。写真は復元された高欄と擬宝珠です。明治時代の当時を彷彿とさせるものがあります。
この頓宮も1901年(明治34年)に失火により全焼しましたが、その後1910年には北海道神宮の大造営による旧材で現在の社殿が造営されました。このときに[頓宮]と称せられる様になりました。毎年の北海道神宮例大祭(札幌まつり)の御神輿もお休みになる場所です。拝殿の正面両脇に設置されている[狛犬]は、札幌軟石で造られたもので1890年(明治23年)奉納された古い物ですが、この狛犬は[出雲型]と呼ばれるスタイルだといわれています。
札幌を代表する酒造メーカの日本清酒が平成14年にオープンした[酒 ミュージアム]の正面から見た写真です。この建物はもと北海道の道南[伊達]にあった同社の味噌醤油蔵を復元した物だそうですが、古い中にもなかなか重みを感じさせる建物です。場所は豊平川の側、南3条東5丁目にあります。札幌の酒と文化の発信地として人気を呼んでおり、観光スポツトの一つになりつつあります。

この界隈には日本清酒の他にも北の誉酒造などもありますが、豊平川の水とも関係があるのでしょうか。すぐそばには豊平川が流れ豊平橋もすぐ近くです。豊平橋両側にはかつての[渡し守]であつた志村鐵一さんと吉田茂八さんの碑が川を挟んで仲良く建てられています。写真は豊平橋から札幌市内の方向を俯瞰したものです。中央にテレビ塔が見えます。市内を東西に走る幹線で交通量も多い道路です。かっての雄姿を誇っていた旧豊平橋の復元を目指す運動も展開されています。
豊平橋の欄干から北の方向を見ると[豊平水管橋]がモダンな姿を見せています。この橋は昭和45年に竣工した橋で、札幌市民に水を供給するため白川浄水場から水を運ぶ札幌市民のライフラインとして重要な役割を果たしていま。この先に行くとももう一つ豊平第二水管橋が架かつています。後方にでんでん大橋のアーチが見えます。
2008/05/06のBlog
[ 13:37 ] [ 町並みウオッチング ]
昨日紹介した[狸小路]の東端1丁目から創成川をわたると目の前に[二条市場]が顔を見せます。今では、観光スポツトとしても全国的に有名になり多くの観光客が訪れる場所でもあります。[二条市場]と呼ばれる様になつたのは昭和に入ってからで、それ以前は[二条魚町]と呼ばれていました。現在でも正式名称は[札幌二条魚町商業協同組合]だそうです。この市場の歴史は古く、前を流れる創成川(大友堀)を使って石狩からの搬送船の荷の積み卸しをする人たちが13軒あったことから[十三組合]と呼ばれていました。現在の様な姿になったのは1903年(明治36年)からでその後店舗数も年々多くなり現在に至っています。写真手前の創成川は現在大改修中で雑然とした雰囲気です。
創成川通りと南2条通りに面した各商店です。平日の午前中で余り多くの客の姿は見えませんが、景気よく飛び交うかけ声が木霊してお客の購買心をあおっています。
市場の中央にも通路がありここにも50軒ほどのお店が並び商品も魚ばかりでなく乾物屋、総菜屋なども加わり一層の賑あいを呈しています。
店頭に並べられた[蟹]です。各店舗にも目玉商品として[蟹]が並べられて競いあつています。観光客の品選びも大変です。
二条市場の活性化を図るため最近(2007年2月)市場内に[のれん横町]がオープンしました。産地直送の素材を使つた様々なお店が並んでいます。観光客ばかりでなく地元の人たちにも静かなブームを呼んでいます。お店は1階と2階に合わせて15 店あります。また最近この近くに[スープカレー横町]が誕生して話題をよんでいます。今では二条市場も一つの町並みを形成して地域の活性化に大きく貢献しています。
2008/05/04のBlog
[ 05:03 ] [ 町並みウオッチング ]
現在の[狸小路]です。デパート、専門店、大型店がひしめく札幌ではかっての様な賑あいはありませんが、1丁目から6丁目まではアーケードに覆われ、地下鉄、地下街とも連結して老舗としての位置を保持しています。
狸小路商店街も時代と共に様変わりを見せています。古くから店舗を構えているお店の中にあって、目に付くのは、飲食関係、中でもラーメン店です。ラーメンといえば札幌と言う位有名ですが、この通にもラーメン店が店を連ねています。因みに6丁目には8軒のラーメン店が居並び激戦を繰り広げています。これまでの[ラーメン横町][新ラーメン横町]と並んで[狸めんこい通]としう名前が広がりつつあります。
[狸小路]の歴史は古く、開拓使による札幌の開発が進められた1871年(明治4年)には現在の南1条から南3条にかけて210戸の町並みが形成されたと言われています。狸小路の名前の謂われは次の様に言われています。[明治6-7年頃には男をたぶらかして金を儲ける女達所謂白首(ごけ、売春婦のこと)が多くなり、一帯は[白首小路]と呼ばれる様になり、男をたぶらかす事から狸小路と呼ばれる様になった]。狸小路は、白首といわれる[売春宿]、落語家による[寄席]、現代で言うスーパーマーケットの[勧工場]の三つを大きな柱として発展してきました。大正、昭和にかけては市内最大のショツピングゾーンとして200軒以上の店が連なり賑やかな通りでした。
狸小路5丁目には、昭和48年(1973年)建てられた本陣狸大明神社(通称 狸神社)があり、ここの狸には八つの御利益があると言われています。狸小路を行き交う客がお参りする姿が見られます。
小路の6丁目の角には、流政之さんの作品が建立されています。彫刻には[PONSA]と刻まれています。ユーモアな姿が行き交う人の笑顔を誘っています。
2008/05/02のBlog
札幌地下鉄の開通にあわせて、昭和46年11月16日には大通駅を中心に西1丁目のテレビ塔から西3丁目の大通駅までの[オーロラタウン]、南1条から南4条ススキノ駅までの[ポールタウン]あわせて152店舗からなる一大ショツピングセンターが誕生しました。オリンピックを控えて大型店の進出、店舗のリニユーアルなどが進む市内の中心部に、新しいショツピングゾーンが生まれ、初めての本格的な地下ショツピングゾーンの誕生に年末、プレオリンピック商戦は最高潮に達しました。写真は二つのショツピングゾーンの交差点でもある、大通駅コンコースです。
[オーロラタウン]は、地下鉄大通駅のコンコースから東に延び、テレビ塔の地下に繋がつています。途中にはデパートの地下にも直結しています。衣料品、喫茶・レストランなどが店を並べていますが、昨年は、市営地下鉄の財政赤字を解消するため、定期券売り場を縮小してコンビニに貸与するなど、大変苦労の様子がうかがえます。
[ポールタウン]は、大通駅からススキノ駅まで南に延びています。この地上には、狸小路商店街を始め、大型店、ブテッイクなどの専門店が並んでいる地上・地下あわせて札幌の一大ショツピングゾーンを形成しています。
札幌の商業圏の拡大は、1972年の冬季オリンピックがその契機となって大きく塗り替えられる事となりました。現在は大通周辺のデパート群を核としたショツピングゾーンと、札幌南口を中心としたデパート群、各種専門店などのショツピングゾーンの他に、郊外の住宅地の拡大にあわせた大型店の郊外進出が相次ぎ、市内全域での商業活動は目を見張るものがあります。
札幌の地下鉄は、昭和47年開催の札幌冬季オリンピックを控えた昭和46年12月、札幌を南北に横断する[地下鉄南北線]として開通しました。当初は北24条から真駒内までの12.1 ㎞の運行でした。
札幌地下鉄の特徴は、[中央案内軌条式鉄道]で、中央に案内軌条を設置し、車両は世界でも初めての本格的なゴムタイヤを使用しています。騒音が少なく、且つ乗り心地も快適です。
2008/04/30のBlog
北1条駅前通りを更に南に進むと大通公園を夾んで南1条の交差点に出ます。4丁目交差点の北東角が三越札幌支店でここから東に向かって池内デパート、丸井今井本店が連なっています。三越の隣には長い歴史を持つ丸善もありましたが、郊外に拠点を移しています。三越の向かいには、パルコもあります。この一帯のショツピングゾーンと駅前シヨツピングゾーンが熱いたたかいをを繰り広げています。流通業界では南北戦争といわれています。
三越から丸井にかけての歩道です。かつては開拓史時代には、ここを基点として札幌の街造りが始められ[渡島通]と呼ばれていました。古い建物が時代とともに姿を消しつつありますが、まだいくつか札幌軟石で作られた建物が保存され歴史の香りをとどめています。札幌の冬を彩るイルミーネシヨンの頃には、このストリートの木々にも電飾が施され幻想的な空間を演出しています。
札幌を代表する地元デパートの雄、丸井今井デパートです。南1条から大通にかけて本館、大通館、南1条を夾んで南館、西1丁目の大通館別館などこのエリアは丸井デパートの各館が軒を連ねています。このデバートから程近くには創成川が流れ、札幌の原点となった創成橋が架けられています。
南1条通にはかつては市電が走行していましたが、地下鉄開通に伴い市電は廃止され、西4丁目-ススキの間を循環して走行しています。このストリートは、夏の間休日には歩行者天国となります。普段は大変交通の激しい通りでもあります。
市電は西4丁目から西に進み15丁目から南に進みます。かつては西線と呼ばれ、現在も停留場には西線の名前が付けられています。この電車が進む方向の右手には、札幌の守り神である札幌三吉神社も鎮座しています。
2008/04/28のBlog
札幌経済センターの前の幹線は北1条通りです。この写真は小樽方面に向かう西方向を俯瞰したものですが、いつもは車の往来も激しい幹線道路ですが、信号の合間の閑散とした一時です。この道路の地下一帯に今話題の道路特定財源で作られた立派な駐車場が整備されています。
駅前通の北1条に御影石で作られた[北海道神宮]の標石が建立されています。この道路をまっすぐ西進すると北海道神宮の正門前に出ることが出来ます。
札幌駅の近く、道庁前庭を挟んだ場所に現在の札幌グランドホテルがあります。数多いホテルの中でもこのホテルは老舗中の老舗として大きな存在感を見せています。このホテル内の記念資料室には、北海道の開発の歴史に関わる貴重な資料が多数展示されています。大滝甚太郎の将来を見据えた大きな構想が実を結んだ歴史の一つの証でもあります。
北1条西5丁目の一角に札幌中央警察署の庁舎があります。現在の庁舎は平成10年に完成したもので、かつての特徴ある建物のスタイルを残してその上に積み重ねた変わった姿を現しています。
この建物は道立文書館の別館です。道庁南門を出た直ぐ側の北1条通りに面して建っています。当初は札幌で初めての本格的な図書館として建設されました。この建物の前にある案内ボードには大略次の様に記載されています。[ジャイアントオーダーを建てた古典様式を基調にしながら、細部に幾何学的な装飾をつけたセセツシヨン風のデザインを施し、建築史上の過渡期の特徴を表している]。この建物が建設されたのは大正15年(1926年)で昭和42年(1967年)迄は図書館として使用されていましたが、その後道立美術館(後に三岸好太郎美術館)となり、現在は道立文書館の別館となっています。
2008/04/26のBlog
開拓通り(北3条通)を東進して、サッポロフアクトリー、永山武四郎邸から折り返してテレビ塔方面にもとる道すがらには、さつほろふるさと文化百選にも選定されている[福山商店][北海湯]などの古い建造物に出会います。テレビ塔の建設は、昭和26年の民放発足以来、ラジオに続くテレビ放送の気運が高まり、札幌地区でもテレビ放送のためのアンテナ建設が必要となり、昭和31年6月1日にテレビ塔の建設が始まり11月に竣工しました。テレビ塔は、テレビ放送のためばかりでなく鉄塔を利用して展望台を併設し観光面でも活用するように計画されました。このテレビ塔のアンテナを使ってNHKが同年12月22日から放送を開始しました。現在テレビ塔は大通公園のシンボルとして観光面でも大きな役割を果たしています。
かつて中島公園にあつたNHKが1959年(昭和34年)9月18日、大通のテレビ塔脇に[NHK札幌放送会館]が竣工しこちらへ移転しています。
現在の札幌市民会館が竣工したのは 昭和33年です。かつてはこの場所に[豊平館]があり、市民会館建設のために中島公園に移転しました。市民会館の正門玄関脇には記念碑が設置されています。この市民会館も老朽化が激しく新しく建て替えられることとなり長い歴史に幕を閉じる事と成りました。昨年解体されまもなく代替え施設の建設が始まります。
昭和47年(1972年)札幌市は政令都市の指定を受け、区制を施行しました。現在は10区制を採っていますが、当初は7区制でスタートしました。(中央、東、西、南、北、白石、豊平区)その後平成元年に、厚別区、手稲区が誕生、更に平成9年に清田区が誕生しました。札幌も大正11年(1922年)市制を施行以来、近隣町村との合併を重ね市域、人口も増大の一途を辿ってきました。昭和45年(1970年)には待望の100万都市の仲間入りを果たし、オリンピツクを契機として都市基盤の整備も進み近代都市としての歩みを始めました。写真は190万都市札幌の市役所本庁舎です。
現在の札幌商工会議所は、市役所と道路1本を挟んだ北1条西2丁目の北海道経済センターの中にあります。現在の商工会議所は、1891年(明治24年)実業家の親睦機関としての[札幌商業倶楽部]が前身で、これが発展して札幌商業会議所として活動してきましたが、1928年(昭和3年)から新しい法に基づいて現在の名前に改められました。
このように北1条通りを中心にこの周辺は、官庁やマスコミ、などが連なり経済、文化活動の拠点となつています。
2008/04/25のBlog
ご存じの[道庁赤レンガ庁舎]です。是までも何回か取り上げてきましたので説明は省略します。この赤レンガを中心に札幌の街造りが進められ、この赤レンガ庁舎から北進する通りはかつての産業の中心でした。当時の開拓の想い出を留めようと[ケプロン通]という呼称をつける運動も起きています。
[赤レンガ庁舎]を出て北3条通りを東に進むとすぐ近くに[時計台]が目に入ります。かっての札幌農学校演武場の跡ですが、この北3条通りのビルの一角に、当初の演武場跡碑があります。
時計台から更に東進すると札幌市民会館があります。丁度大通公園の東端で直ぐ側にはテレビ塔もあります。札幌市民会館は、1958年(昭和33年)7月にオープンしたホールでかなりの年月も経過しています。そのため今回新しく建て替えられることが決まり、現在の会館は昨年解体され跡地に代替え施設の建設が予定されています。近い将来現在にほど近い一画に装いも新たに新市民会館がお目見えすることでしょう。
市民会館から創成川を渡り東に進むと、札幌でも評判の高い観光スポツトになつた[サッポロフアクトリー]があります。ここはかつてのビール工場の跡地ですが、この中に[開拓使麦酒醸造所]の建物が[開拓使麦酒醸造所見学館]として残されています。本道ビール生みの親とも言われている、村橋久成や中川清兵衛さん達の足跡が展示されています。
サッポロフアクトリーと隣接して[永山武四郎邸]が静かな木立の中に佇んでいます。永山武四郎は、第2代の北海道庁長官を勤められた方です。白い外壁で洋風造りの建築は当時としては目を見張る物があつたと思います。道庁赤レンガ庁舎から永山邸までの北3条通は[開拓通]と呼ばれ、開拓使工業局製作所、麦酒会社、製糸所、屯田司令部などがあり、開拓の拠点でもありました。
2008/04/22のBlog
写真は道庁正門から北3条通を俯瞰したものです。道路の両側に植えられている32本のイチヨウ並木が、さっぽろふるさと文化百選に選定されています。北3条通りは産業道路とも呼ばれる位、札幌の開発とは切つても切れない関係にあります。開拓使の本府であった現赤レンガ庁舎から東に延びる幹線道路沿いに、ビール工場を始め開拓使時代は工場群などが軒を並べていました。かつては札幌の市電も走っていた処です。こんな歴史的経緯からこの通りを[ケプロン通]と呼称する市民活動が進められています。
この碑は、北海道庁正門前の北三条西四丁目の道路脇に建立されています。札幌ではじめて舗装道路が敷かれたのは大正13年でこのあたりに、現在のアスフアルトではない[木レンガ]を敷き詰めたものでした。この木レンガの舗装も寒い札幌の気候には適合せず翌年には廃止されました。この碑は、高さ1メートル、幅40センチで、木レンガをあしらつたブロンズ碑の両側を、道路の縁石に見立てたみかげ石で型どり、上部には当時使われていた木レンガがはめ込まれています。現在このあたりはイチョウ並木が並び道庁の赤レンガが庁舎を正面に望む大変素晴らしいロケーションです。
碑の側に建てられている案内パネルです。標題は[赤レンガへの途は木の舗装]で、大凡次の様に記されています。[大正13年(1924年)、北海道庁正門から駅前通の117,27メートルを歩道と車途に区分して舗装が行われました。歩道はアスフアルト、車道は木塊(木レンガ)を施しました。木塊は、縦5寸8(約15センチ)、横3寸(約9センチ)、厚さ2寸5分(約8,5センチ)のブナ材を用い、クレオソート油にコールタールを混ぜた防腐剤を注入していました。これが札幌で初めての舗装道路です。]
北3条通秋の風情です。銀杏並木の落ち葉が路面を埋めています。この歩道の両側に北原白秋の[この道]の歌詞が書かれたボードが立てられています。
この道はいつか来た道
ああそうだよ
あかしやの花がさいている

あの丘はいつか見た丘
ああそうだよ
ほら白い時計台だよ

幼い頃から口ずさんできた愛唱歌に、堪らなく郷愁を感ずるのです。
写真奥に見えるのが北海道庁赤煉瓦庁舎です。
2008/04/20のBlog
札幌駅南口から大通方向のストリートは、現在地下道建設のため大型機材が配置されそこここが建設現場で荒々しい様相です。南口のすぐ前にあるのが[西武デパート]です。このデパートは札幌のデパート発祥の地で[五番館]というデパートがあった場所です。かつては札幌のデパートは、丸井今井、三越札幌支店、それにこの五番館の3店舗のみでした。この西武も色々と話題にのぼっていますが、流通業界のめまぐるしい変遷には驚かされます。
この西武デパートの東に[東急百貨店]があります。写真の中央の白い建物です。その先の赤い高層ビルは、北海道の農業団体のビルです。ここは駅前ゾーンです。地下道の新設はここがスタート地点になります。
北3条通に来ると左手に[道庁赤レンガ庁舎]が見えます。この北3条通りはかつて[苗穂駅前]まで市電も走っていた処ですが、開拓使時代は、札幌でも産業の中心的なエリアで、東に進むとかつての麦酒醸造所や永山記念館などもあります。本道開拓の先駆者ケプロンに因んで[ケプロン通]と名付けようとの市民運動も立ち上がっています。
この画像は地下道建設工事前に撮影したもので地下鉄大通駅から地上に上がり駅の方向を俯瞰したものです。此の地下道が開通すると札幌駅からススキノまでは地下道で繋がり、冬期間の歩行は大変便利になります。このため中央分離帯に植えられている樹木は撤収され、此までのイルミネーションの輝きは暫く見られなくなります。
札幌駅から大通に建設される地下道は長さ約460㍍です。この区間はショツピングゾーンと言うよりは官公庁、金融、会社関係が多く、今後地下道とこれらビルとの連結による都市の活性化が期待される処です。
地下鉄大通駅を上がると旧拓銀のビルです。1900年に創立し1世紀にわたり北海道経済の牽引力であった拓銀が、1997年11月17日営業破綻で北洋銀行に営業譲渡され、現在は同銀行の支店になっています。重厚なこのビルも数年後には近代高層ビルに建て替えられますが、現在はその建設工事も始まっています。
2008/04/18のBlog
これはJR札幌駅南口の正面入り口です。この建物は約65.500㎡の敷地に商業施設を始めシネマコンプレックス、オフイス、百貨点、ホテルなどの施設が完備して札幌の新しい街を造っています。連日多くの客が札幌はもとより全道各地から訪れています。
札幌駅の右手に見える高層ビルが[JRタワー]です。地上38階の高層ビルでここの展望室から見る景観は素晴らしいの一言です。この中にはホテルもあります。
ここは札幌駅の南口広場です。この広場には本郷 新制作の[牧歌の像]が秋雨に濡れながら道行く人を見つめています。台座に書かれている案内には次の様に記されています。[この作品は、北海道の象徴としてポプラの若木、トウモロコシ、スズランを持った3人の女性、子羊を抱いて立つ男性、角笛を吹く男性という5基の等身大の像で構成されています。]
駅ビル南口から札幌の南方向を俯瞰した写真です。駅ビルを一歩外に出ると広々とした空間の南口広場です。ここには石柱が並べられ車道の端には自然木が2本あり、このモニューメントが大自然に羽ばたく北海道を表徴しているような思いに駆られます。
写真は[大丸デパート札幌]です。JR駅南口の開発計画で出店しましたが、この進出により、札幌のショツピングゾーンは[駅前(大丸、東急、西武)]対[大通(三越、丸井、池内)に大別され、しのぎを削った商戦が展開されていますが、今後、駅前通り地下道の開設でこの関係がどのように変化するのか、多いに関心のもたれる処です。
2008/04/16のBlog
[ 05:40 ] [ 町並みウオッチング ]
JR札幌駅の隣の駅が[桑園駅]です。ここは函館本線、学園都市線の2路線が通過します。[桑園]の由来は昔はこの地帯が桑畑だつた事に起因しています。北海道開拓使黒田清隆時代に養蚕を振興するために桑園を造成しましたが、当時の酒田県(現在の山形県)旧鶴岡藩士族156名が渡道して約21万坪の土地を開墾し桑苗4万株を植えたと言われています。写真の記念碑は現在札幌の知事公館の庭に設置されていますが、この近くにかつての桑園開拓の事務所がありました。
JR札幌駅から程なく[桑園駅]に到着です。札幌-桑園間の車窓からは左手にオフイス街、マンション群を、右手には広大な北大のキャンパスが見られます。桑園駅は高架駅でこの高架を跨いで街が東西に延びています。この写真は西側の駅前広場です。かつては静かな佇まいでしたが今ではマンションが並ぶ一大住宅地に変わりました。ここからは競馬場も近く、5分-10分間隔で無料バスが運行しています。駅前には大型の商業施設もあり利便性が高く、札幌中心街へのアクセスもよく、大変評判の高いエリアに変わりつつあります。
かつての桑園は住宅地として様変わりし、マンションが建ち並ぶ町並みとなりました。未だ手の付けられていない空き地も近々マンションの建設も予定されるなど、今後の桑園地区の発展が期待されます。
桑園駅の東側に札幌市立病院があります。市立病院の歴史は古くそのはじめは明治2年だと言われていますが、市立病院に変わつたのは大正11年で、札幌の中心である北1条西8丁目で明治24年から業務を行ってきましたが、平成7年に現在の桑園に本院を移転しました。市立病院には市内各方面からの直通バスが運行され、毎日多くの患者さん達が訪れています。
JR北海道本社、正式には[北海道旅客鉄道(JR北海道)]は桑園駅に隣接したビルにあります。JJR北海道は現在鉄道14路線2.4998㎞で運行しています。バス事業は子会社のJR北海道バスが管理運営しています。主な路線は、函館本線、千歳線、石勝線、室蘭本線、日高本線、留萌本線、根室本線、石北本線、釧網本線などです。
2008/04/14のBlog
まもなく大通公園にも花壇が造営され秋口まで百花繚乱の季節が訪れ大通公園は四季折々の花々でにぎあいを見せます。やがて造成される花壇を思い浮かべながら昨年の花壇を振り返って見ました。今回のblogにはコメントは省略して画像を見ていただきたいと思います。
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2008/04/12のBlog
[ 05:24 ] [ 札幌の自然(2) ]
現在の大通公園の一齣です。[円山公園][中島公園]と並んでこの[大通公園]も札幌の代表的な公園の一つです。この公園は1911年(明治44年)に整備が進められ、現在では[夏祭り][雪まつり]の会場としても全国的に知れわたっています。しかし過去には第二次大戦後は一時畑地とゴミ捨て場となりましたが、昭和25年から始まった雪まつりを契機に逍遙地に生まれ変わっています。
大通公園の写真は至る所で紹介されていますので今回は割愛します。現在建設中の旧拓銀ビルの工事外壁でパネル展が展示されています。この中には大通公園の時代的変遷の写真が展示されていましたので、今回はそれらの写真を紹介します。
正面に見えるのが[札幌控訴院(現在の札幌資料館)]の建物です。昭和のはじめの頃の大通公園です。
戦後昭和25年(1950年)当時の公園風景です。のどかな佇まいが感じられます。この年に初めての[さっぽろ雪まつり]が始まりました。
昭和35年(1960年)当時の大通公園を俯瞰した写真です。この前年には、札幌とアメリカポートランド市との姉妹都市提携が行われ、はじめて[ライラックまつり]が始まりました。昭和35年には、札幌を象徴する花として[スズラン]、木として[ライラック]、鳥として[カッコウ]が市民投票により決定しています。
昭和45年(1970年)当時の大通公園の俯瞰図です。この年には札幌の人口も100万人を突破して都市化が大きく進みました。大倉山のジヤンプ競技場の大改修も終わり間近に迫った札幌冬季オリンピツクに向けて地下鉄を始めビルの建設ラッシュが続いた時代です。
2008/04/10のBlog
[ 06:11 ] [ 札幌の自然(2) ]