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moiwaつれづれの記
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2008/04/20のBlog
札幌駅南口から大通方向のストリートは、現在地下道建設のため大型機材が配置されそこここが建設現場で荒々しい様相です。南口のすぐ前にあるのが[西武デパート]です。このデパートは札幌のデパート発祥の地で[五番館]というデパートがあった場所です。かつては札幌のデパートは、丸井今井、三越札幌支店、それにこの五番館の3店舗のみでした。この西武も色々と話題にのぼっていますが、流通業界のめまぐるしい変遷には驚かされます。
この西武デパートの東に[東急百貨店]があります。写真の中央の白い建物です。その先の赤い高層ビルは、北海道の農業団体のビルです。ここは駅前ゾーンです。地下道の新設はここがスタート地点になります。
北3条通に来ると左手に[道庁赤レンガ庁舎]が見えます。この北3条通りはかつて[苗穂駅前]まで市電も走っていた処ですが、開拓使時代は、札幌でも産業の中心的なエリアで、東に進むとかつての麦酒醸造所や永山記念館などもあります。本道開拓の先駆者ケプロンに因んで[ケプロン通]と名付けようとの市民運動も立ち上がっています。
この画像は地下道建設工事前に撮影したもので地下鉄大通駅から地上に上がり駅の方向を俯瞰したものです。此の地下道が開通すると札幌駅からススキノまでは地下道で繋がり、冬期間の歩行は大変便利になります。このため中央分離帯に植えられている樹木は撤収され、此までのイルミネーションの輝きは暫く見られなくなります。
札幌駅から大通に建設される地下道は長さ約460㍍です。この区間はショツピングゾーンと言うよりは官公庁、金融、会社関係が多く、今後地下道とこれらビルとの連結による都市の活性化が期待される処です。
地下鉄大通駅を上がると旧拓銀のビルです。1900年に創立し1世紀にわたり北海道経済の牽引力であった拓銀が、1997年11月17日営業破綻で北洋銀行に営業譲渡され、現在は同銀行の支店になっています。重厚なこのビルも数年後には近代高層ビルに建て替えられますが、現在はその建設工事も始まっています。
2008/04/18のBlog
これはJR札幌駅南口の正面入り口です。この建物は約65.500㎡の敷地に商業施設を始めシネマコンプレックス、オフイス、百貨点、ホテルなどの施設が完備して札幌の新しい街を造っています。連日多くの客が札幌はもとより全道各地から訪れています。
札幌駅の右手に見える高層ビルが[JRタワー]です。地上38階の高層ビルでここの展望室から見る景観は素晴らしいの一言です。この中にはホテルもあります。
ここは札幌駅の南口広場です。この広場には本郷 新制作の[牧歌の像]が秋雨に濡れながら道行く人を見つめています。台座に書かれている案内には次の様に記されています。[この作品は、北海道の象徴としてポプラの若木、トウモロコシ、スズランを持った3人の女性、子羊を抱いて立つ男性、角笛を吹く男性という5基の等身大の像で構成されています。]
駅ビル南口から札幌の南方向を俯瞰した写真です。駅ビルを一歩外に出ると広々とした空間の南口広場です。ここには石柱が並べられ車道の端には自然木が2本あり、このモニューメントが大自然に羽ばたく北海道を表徴しているような思いに駆られます。
写真は[大丸デパート札幌]です。JR駅南口の開発計画で出店しましたが、この進出により、札幌のショツピングゾーンは[駅前(大丸、東急、西武)]対[大通(三越、丸井、池内)に大別され、しのぎを削った商戦が展開されていますが、今後、駅前通り地下道の開設でこの関係がどのように変化するのか、多いに関心のもたれる処です。
2008/04/16のBlog
[ 05:40 ] [ 町並みウオッチング ]
JR札幌駅の隣の駅が[桑園駅]です。ここは函館本線、学園都市線の2路線が通過します。[桑園]の由来は昔はこの地帯が桑畑だつた事に起因しています。北海道開拓使黒田清隆時代に養蚕を振興するために桑園を造成しましたが、当時の酒田県(現在の山形県)旧鶴岡藩士族156名が渡道して約21万坪の土地を開墾し桑苗4万株を植えたと言われています。写真の記念碑は現在札幌の知事公館の庭に設置されていますが、この近くにかつての桑園開拓の事務所がありました。
JR札幌駅から程なく[桑園駅]に到着です。札幌-桑園間の車窓からは左手にオフイス街、マンション群を、右手には広大な北大のキャンパスが見られます。桑園駅は高架駅でこの高架を跨いで街が東西に延びています。この写真は西側の駅前広場です。かつては静かな佇まいでしたが今ではマンションが並ぶ一大住宅地に変わりました。ここからは競馬場も近く、5分-10分間隔で無料バスが運行しています。駅前には大型の商業施設もあり利便性が高く、札幌中心街へのアクセスもよく、大変評判の高いエリアに変わりつつあります。
かつての桑園は住宅地として様変わりし、マンションが建ち並ぶ町並みとなりました。未だ手の付けられていない空き地も近々マンションの建設も予定されるなど、今後の桑園地区の発展が期待されます。
桑園駅の東側に札幌市立病院があります。市立病院の歴史は古くそのはじめは明治2年だと言われていますが、市立病院に変わつたのは大正11年で、札幌の中心である北1条西8丁目で明治24年から業務を行ってきましたが、平成7年に現在の桑園に本院を移転しました。市立病院には市内各方面からの直通バスが運行され、毎日多くの患者さん達が訪れています。
JR北海道本社、正式には[北海道旅客鉄道(JR北海道)]は桑園駅に隣接したビルにあります。JJR北海道は現在鉄道14路線2.4998㎞で運行しています。バス事業は子会社のJR北海道バスが管理運営しています。主な路線は、函館本線、千歳線、石勝線、室蘭本線、日高本線、留萌本線、根室本線、石北本線、釧網本線などです。
2008/04/14のBlog
まもなく大通公園にも花壇が造営され秋口まで百花繚乱の季節が訪れ大通公園は四季折々の花々でにぎあいを見せます。やがて造成される花壇を思い浮かべながら昨年の花壇を振り返って見ました。今回のblogにはコメントは省略して画像を見ていただきたいと思います。
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2008/04/12のBlog
[ 05:24 ] [ 札幌の自然(2) ]
現在の大通公園の一齣です。[円山公園][中島公園]と並んでこの[大通公園]も札幌の代表的な公園の一つです。この公園は1911年(明治44年)に整備が進められ、現在では[夏祭り][雪まつり]の会場としても全国的に知れわたっています。しかし過去には第二次大戦後は一時畑地とゴミ捨て場となりましたが、昭和25年から始まった雪まつりを契機に逍遙地に生まれ変わっています。
大通公園の写真は至る所で紹介されていますので今回は割愛します。現在建設中の旧拓銀ビルの工事外壁でパネル展が展示されています。この中には大通公園の時代的変遷の写真が展示されていましたので、今回はそれらの写真を紹介します。
正面に見えるのが[札幌控訴院(現在の札幌資料館)]の建物です。昭和のはじめの頃の大通公園です。
戦後昭和25年(1950年)当時の公園風景です。のどかな佇まいが感じられます。この年に初めての[さっぽろ雪まつり]が始まりました。
昭和35年(1960年)当時の大通公園を俯瞰した写真です。この前年には、札幌とアメリカポートランド市との姉妹都市提携が行われ、はじめて[ライラックまつり]が始まりました。昭和35年には、札幌を象徴する花として[スズラン]、木として[ライラック]、鳥として[カッコウ]が市民投票により決定しています。
昭和45年(1970年)当時の大通公園の俯瞰図です。この年には札幌の人口も100万人を突破して都市化が大きく進みました。大倉山のジヤンプ競技場の大改修も終わり間近に迫った札幌冬季オリンピツクに向けて地下鉄を始めビルの建設ラッシュが続いた時代です。
2008/04/10のBlog
[ 06:11 ] [ 札幌の自然(2) ]
札幌を代表する公園の一つ[中島公園]です。札幌市の中央に位置し、藻岩山を背景にした緑と水に満ちた市民憩いの公園です。公園の面積は、210,416平方メートルあり、数多くの文化、スポーツ施設をはじめ、日本庭園、百花園など四季折々の草花が楽しめる公園です。中島公園の歴史は古く1886年(明治19年)に公園の造園が始まりましたが当初は[物産陳列所]でこの後様々な施設が拡充されて現在に至っています。
かつては、お馴染みの[中島球場]や[中島スポーツセンター][子供の国]などの施設がありましたが、それらの施設も他に移転して公園のロケーションは大きく変わっています。
公園の中にある[日本庭園]です。この側には文化財として保存されている[八窓庵]もあります。庭園には四季折々様々な花が咲き誇り美しい情景を醸し出しています。
写真は[菖蒲池]です。かっては[鴨々川]に繋がる貯木場として利用されていた池が整備されて現在の[菖蒲池]となつています。シーズにはこの池はボートを楽しむ人たちで大変な賑あいを見せています。そんなことから一名[ボート池]とも呼ばれています。
お馴染みの[豊平館]です。1958年(昭和33年)現在地に移転され、現在は市営の結婚式場として使用されています。貴重な文化財の一つでもあります。
北海道初の本格的な音楽専用ホールとして1997年(平成9年)建設された[札幌コンサートホールKitara]です。年間を通じて国内外のアーテシストによるコンサートが頻繁に行われ、音楽フアンを堪能させています。
文化施設としてはこの近くに[北海道立文学館][札幌市天文台]などもあります。
2008/04/08のBlog
[ 06:07 ] [ 札幌の自然(2) ]
北大と言えば[ポプラ並木]と言われるようにこの並木はいかにも北海道らしい雄大な並木で全国的にも名を馳せている観光スポツトの一つです。このポプラ並木が2004年9月北海道を襲った台風18号の為多くの老木が倒壊し無惨な姿をとなりました。その後北大関係者のご努力こよつてかつての勇姿を取り戻しつつあります。この写真は現在のポプラ並木の姿です。(撮影2007.11.5日)
倒壊後移植された若木も順調に成長していますが元の姿を取り戻すにはこれからも長い年月が必要でしよう。次の世代に向けて更に雄々しく逞しく成長を続けることを願わずにはいられません。
ここから先は歩行者は入ることが出来ませんが、ここから塀越しに眺望するポプラ並木は、かつての勇姿を彷彿とさせるよにダイナミツクで、北の大地北海道を象徴する文化財の貫禄充分です。
2004年の災害で大木が倒壊した跡にはこのように若木が移植されましたが、今から見ても大変痛々しい光景です。この若木が逞しく大きく成るには長い長い月日が必要です。この写真は、翌年の2005年6月に撮影したものですが、若木の生長は早く現在ではかなり大きく成長しています。
倒壊後新しく移植された若木も足かけ3年目を迎えました。この写真は2006年6月4日に撮影したものです。前年の写真と比較してみても大きく成長を続けている事がわかります。倒壊した直後から毎年見続けていますが、自然の力の偉大さと、ひたむきな保護に対する努力の大切さを痛感させられます。
2008/04/06のBlog
北大構内のかって恵迪寮があった場所の近くに約2万4千平方メートルの土地がフエンスで囲われています。ここが[遺跡保存庭園]です。庭園として整備されたのは、昭和57年だそうですが、この広い原野の中には30ヶ所以上の[居住址]の表示杭が散在しています。いずれも深さ50㌢ぐらいで直径が数㍍の窪地で、かっての[タテ穴式住居]の痕跡だそうです。
庭園の入り口に設置されている案内板です。ここには[明治年間の絵地図にも無数の竪穴住居の跡を示すくぼみが描かれていましたが、現在ではその殆どが完全に埋まり地表からは見えません。この自然林には竪穴住居のくぼみが30ヶ所ほど残されており往事の状況を偲ぶ事が出来ます]と記されています。
庭園と言うよりは原野です。この原野にはヤチダモやハンノキが覆い茂り奥に入ることは諦めました。庭園の入り口側から奥を俯瞰したものです。
北大構内を流れる[サクシュコトニ川]の両岸には、数多くの古代タテ穴式住居の跡が有るそうです。奈良時代から平安時代のものだといわれています。右図は、中央道路から見たサクシュコトニ川の上流ですが、殆ど流もなく静かに淀んでいます。この川の岸でも囲いが施され遺跡の保存作業がおこなわれています。
遺跡の発掘と保存作業の写真です。北大構内全体が古代人の遺跡群の上に出来たキヤンパスだとさえ言われています。大学の話では西暦4世紀頃から人の居住が可能に成ったと言われています。緑の多い[エルムの学園]もこのような古い遺跡の上に出来た事を知るにつけても、北大は名実共に[歴史の散歩道]との思いに駆られるのです。
2008/04/04のBlog
[ 06:15 ] [ 札幌の自然(2) ]
現在の植物園は、およそ13万3千㎡の敷地の中に4,000種の植物を栽培・分類して生態的展示を行っています。北大植物園は札幌の自然の歴史を語り続ける博物館的な存在です。この植物園が生まれるきつかけとなつたのは、クラーク博士の提言に基づくもので、札幌農学校は所有する温室とその付属地など(現在の中央区北4条東1丁目付近)を合わせて植物園を設立することとし、1880年頃(明治13年頃)には、北海道産の樹木70種ほどの移植を行っています。1883年(明治16年)、農学校の助教授となつた宮部博士は新しく植物園の設立計画責任者となり設立に着手しました。その後1884年(明治17年)博物場及び付属地約15,000坪が植物園用地として農学校に移管され、ここに現在の植物園が誕生することとなりました。1900年(明治33年)には、宮部博士が初代園長に就任し、1927年(昭和2年)二代目園長伊藤誠哉教授が就任するまで園の整備拡充に心血を注がれたのです。写真は、今も残されている園内の湿地ゾーンです。
遠くに見えるのは、宮部金吾記念館です。記念館から奥に進むと広い芝生が広がつています。この芝生を進むと様々な樹木が保存されている樹木園、灌木園、草本分科園など、自然美溢れた光景が展開されます。大都会の中心地にこのような自然が残されていることは札幌市民にとっても貴重な財産です。宮部博士はじめ先人達の先見性に改めて深い敬意を表せずにはいられません。
植物園の園内にある[宮部金吾記念館]です。この建物は、1901年(明治34年)建てられたもので、当初は農学校キヤンパスで動植物学講堂として使用されていましたが、1942年(昭和17年)建物の東半分を移築したものです。植物園では庁舎として使用されていましたが、1991年に北側半分を取り壊して記念館としてオープンしました。館内には、宮部博士に纏わる資料が豊富に展示され、資料を通じて農学校以来の歴史の一端に触れる事が出来ます。この建物も明治期の札幌農学校の建築様式を今に伝える貴重な文化財の一つでもあります。
この建物も歴史的文化財で現在は[博物館]として使われていますがかつての[札幌博物場]です。この博物場は開拓使の所管でしたが、1884年(明治17年)に札幌農学校に移管されたのを機会にこの場所に[北大植物園]が誕生しました。
植物博士として、又、北大植物園生みの親として良く知られている、宮部金吾は、学者としてのみならず札幌市発展の功労者として1924年(昭和24年)7月10日、札幌市名誉市民第一号の称号が贈られています。宮部金吾は、1860年(万延元年)江戸で生まれ、1881年(明治14年)札幌農学校を卒業、2年間東京大学に派遣され、帰校後は札幌農学校の助教授を拝命し、植物園の開設を命ぜられています。博士は、生涯を植物の研究に捧げられましたが、敬虔なクリスチャンとして札幌独立教会を創立しその維持発展にも尽力を尽くされました。1947年(昭和22年)3月16日、満90才で他界されました。
2008/04/02のBlog
[ 06:13 ] [ 札幌の自然(1) 川・山・緑地 ]
今回は、ジャンプ競技で有名な大倉山とその周辺に広がる自然豊かな丘陵ちたいについて紹介します。現在のジャンプ台の側に[大倉喜七郎男爵顕彰碑]が建立されていますがこのジャンプ台は、昭和3年(1928年)に秩父宮から世界的なシャンツェの建設についてお口添いがあり、大倉男爵が快諾して、昭和6年(1931年)大倉土木株式会社(現大成建設)が工事を引き受け60メートル級のシヤンツェが完成しました。大倉男爵はこのシャンツェを札幌市に寄贈したため、昭和7年(1932年)1月の開場式で、大倉男爵の好意に応えて[大倉シャンツェ]と命名されました。本格的なジャンプ競技場の最初です。
平成10年(1998年)には頂上に[展望台]が設けられました。リフトからジャンプ台の頂上に登ると眼下に札幌の町並みが広がり素晴らしい景観が見られます。夏場もサマージャンプ競技も行われ、札幌の新しい観光スポットの一つとなっています。
お馴染みの大倉ジャンプ競技場の正面には、2004年亡くなった詩人の川邨文一郎さんが札幌冬季オリンピツクのため作曲した[虹と雪のバラード]の詩碑が建立されています。この詩碑は、歌詞を記した黒御影石の銘板と、ギリシア神話の勝利の女神[ニケ像]をモチーフにした、高さ2.5メートルの翼の形をしたモニュメントで国松明日香さんが制作されたものです。この歌は、トワ・エ・モアが歌っているお馴染みの歌です。
ジャンプ台の着地点から遠く札幌市内が眺望できます。大倉山の近くには円山、三角山、藻岩山などが連なりそれぞれがシンボル的な役割を果たしながら自然の姿を今に伝え続けています。
頂上から見る四囲の景観です。
2008/03/27のBlog
都合により1週間ほどblogを休ませていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。
2008/03/25のBlog
[ 07:02 ] [ 札幌の自然(2) ]
北海道の知事公館は、札幌市のほぼ中心北1条西16丁目の一角にあり、前は国道5号線が走り、道路を隔てて隣には北海道近代美術館があります。広大な敷地のため外部の騒音も聞かれず静かな佇まいです。
この地帯は昔は[桑園]でした。今でもここから北の方に[桑園]という地名が残っています。この桑園が後ほど三井合名会社の所有となり、1936年(昭和11年)同社の迎賓館として建設され[三井クラブ]と呼ばれて来客の応接に使われていましたが、昭和28年に道の所有となり現在の知事公館となりました。入り口を入ると木立の中に知事公館の建物が見えますが、周りは自然がそのまま残され、小川のせせらぎも聞こえてきます。
芝生のある場所から公館の全景を撮した写真です。この建物は、鉄筋コンクリート・木造造2階建てで白い建物に赤い線が美しいコントラストを描いています。
公館の裏側は広い芝生で開放感に満ちた空間です。ここでは道内外の賓客を迎えての野外パーティなども行われる他、一般の市民も参加する知事との交流イベントなども行われています。芝生の真ん中に二つの柱が見えますが、これは流政之製作の[さきもり]というモニユーメントです。
また、芝生には大きな石がモニユーメントとして置かれています。この作品は安田侃制作の[意心帰]で、1978年の有珠山の泥流災害を蒙った犠牲者を鎮魂するために作られたと言われています。いかにもどっしりとした重みがあり、北海道の大地に根を下ろしている雄大さをイメージしている様に思いました。
この知事公館構内には1000年以上も前の遺跡が残されています。庭の一隅に案内板が設置されています。この案内板は[北海道知事公館構内縦穴住居跡のご案内]というタイトルが付けられています。内容を要約すると[明治年間に発刊された札幌沿革史の記録によると札幌地方で縦穴住居が多いのは琴似川流域でその数は860個と記されています。当公館構内にも17個の縦穴住居が点在していた様子が記されています。今から約1千年の昔、春から秋にかけて遡上する鮭や鱒を食料とした擦文文化期の人たちがこの地に住んでいた事を物語っています]このような歴史に纏わる話を読みながら、改めて古代の北海道を知るいいきっかけとなりました。
2008/03/24のBlog
[エドウィン・ダン]とは人名です。彼は明治政府の大きな課題の一つであった、北海道開拓のために尽力された米人で、我が国の農業・畜産の発展にも多大の功績を残されています。同氏を記念してかっての[北海道庁種育場の庁舎]の一部を保存して、現在地に[エドウィン・ダン記念館]として移転したものです。場所は札幌市の真駒内公園の近くで[エドウイン・ダン公園]の中にあります。札幌-支笏湖線もこの公園の間近を走っており、地下鉄真駒内からも徒歩で10分位の距離なので多くの方が参観に来られている様です。
記念館を出て公園に入ると東側に[エドウィン・ダン像(峯孝氏作)]が見えてきます。緑に色づいた樹木の下から眼前の[ひょうたん池]を見下ろしています。
農作業衣に身を固め、肩には小牛を背負った逞しさを感じさせる像です。
名前の上には右の写真のような[牛を引くエドウィン・ダン]のレリーフが飾られています。
記念館側から[ひょうたん池]を眺めた写真です。前方に橋が架かっていて此処をわたって池を一周出来ます。池にはカモが住んでおり水面で動き廻っています。
池の周りには池越しに見える記念館を撮影する方、絵を描いている方、ベンチで談笑する方などの姿がみられます。街中の喧騒から逃れた長閑な一時です。
2008/03/20のBlog
[ 05:19 ] [ 札幌の自然(2) ]
地下鉄東豊線[福住]駅をおりると国道36号線を挟んで北側に広がるのが[八紘学園]の敷地です。この敷地の中にある洋館が[栗林記念館]です。この洋館は1907年(明治40年)に月寒地区の開発功労者である、吉田善太郎氏の別宅として建てられたものですが、1933年(昭和8年)、八紘学園の創始者である栗林元二郎氏が購入して現在地に保存されているものです。邸内には入れませんので塀の外から外観を窺い知るのみですが、広い牧歌的な風景の中に佇む洋館、今は残雪が残る庭園の中に静かに佇んでいます。
この洋館は広い庭園の中にありますが、庭園は[栗林石庭]と呼ばれ、邸の入り口から様々な形をした石が配列されています。八紘学園は正式には[北海道農業専門学校 八紘学園]です。1896年(明治29年)秋田県で生まれた栗林元二郎さんがその後北海道に移住し、1930年(昭和5年)この学園を開きました。
60ヘクタールの耕地が広がる広い学園の校内には実習農場を始め、菖蒲園、養鶏場などが点在しています。写真は養鶏場の入り口のサイロです。白樺の木々が春の日差しに映える中に養鶏場がありますが、サイロがこじんまりとしたミニチュアの様で可愛らしい感じがします。
北海道を象徴するような牧舎の風景です。かつては[吉田農場]があった時代に建築されたもので最初は1基でしたが昭和18年に2基になりました。先程の養鶏場のサイロと比べるとスケールも大きく重厚感があります。
牧舎です。この牧舎を見ていると、北大のモデルバーンの牧舎を連想します。古いこのスタイルがかっての牧舎のモデルだつたのかも知れません。八紘学園で有名なものに[ジンギスカン鍋]があります。北海道を代表するジンギスカン鍋ですが、この名前はここから始まったと言われています。1944年(昭和19年)月寒にある第25連隊が樺太に移動することとなり、この壮行会で栗林元二郎氏は兵士達には羊の肉であることを伏せ、モンゴル帝ジンギスカンの[雪原の闘い]をはなむけの訓話としました。羊肉の食習慣は大正時代にもあった様ですが、ジンギスカンと呼び始めたのはこの訓話によるものだそうです。又、この学園の菖蒲園は有名でこれからのシーズン多くの愛好家が訪れる事でしょう。
2008/03/18のBlog
[ 05:33 ] [ 札幌の自然(2) ]
札幌市と江別市・北広島市とが隣接する地帯に[野幌森林公園]があり、広大な自然林の中に[開拓の村]があります。幹線道路(国道12号線)から森林公園に入ると直ぐ左側に[百年記念塔]が姿を現します。北海道百年記念塔は、1968年(昭和43年)の開道百年を記念して建設が進められ昭和45年に竣工しました。野幌森林公園の一角に聳えている塔は、百年記念塔に因んで高さも100メートルあります。[設立記]には次の様に書かれています。[かって原始の密林を切り拓き厳しい風雪に耐え抜いて、本道発展の基礎を築いた多くの先人の偉業を長く後世に顕彰し、慰霊の誠を捧げるとともに輝く未来を創造する決意の表徴としてこの塔を建設した]。
開拓の村入口に設置されている標石です。[北海道開拓の村]と書かれた石の側に並んで、開村の由来が記された石も置かれています。そこには次のように記されています。[北海道開拓の村は、おもに明治・大正期の北海道開拓の歩みの中で残された建造物及び歴史的資料を収集展示し、先人の苦労を再現した、未来への文化遺産である。総面積54,2ヘクタール 昭和58年4月設立 揮毫者 北海道知事 堂垣内尚弘]。
階段を登ると正面に見えるのは[旧札幌停車場]です。現在は、管理棟として使用されています。来村者はここから入場して入村します。この停車場は、1908年(明治41年9から1952年(昭和27年)まで親しまれてきた札幌市民にとつては懐かしい建造物です。
村内に敷設された線路上を走行する馬車鉄道です。札幌停車場前から市街地群