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2008/05/14のBlog
[ 05:22 ]
[ 町並みウオッチング ]
北海道立文学館です。[北海道立文学館]は、札幌市の中島公園の一角にあります。この文学館は1993年に建設工事が始められ1995年9月23日オープンしました。館内には常設展示室がありますが、ここでは[北海道文学の流れ]を鑑賞する事が出来ます。この常設展示室では有島武郎、小林多喜二、渡辺淳一、三浦綾子など本道と縁の深い作家の歴史と作品に触れることが出来ます。
2008/05/12のBlog
[ 05:13 ]
[ 町並みウオッチング ]
[ススキノ]の繁華街を南に進むと、[すすきの市場]の建物があります。この建物は地下が飲食を中心としたお店が並び、1階は市場そのものです。この市場の始まりは[札幌第二公設廉売市場]で、大正11年に設けられていたもので札幌の廉売市場の老舗でもあります。この市場は、ススキノのお店の調理場を一手に引き受け、夕刻になると仕入れ、配送など大忙しです。この階上は住宅公団の賃貸マンションで、札幌でもマンシヨンのはしりでした。建物自体は外壁などは塗り替えられていますが、佇まいは昔と変わらず、多くのサラリーマンが[ススキノ0番地]と呼んで夜の社交場としてに賑合っていた頃を思い出します。
繁華街のど真ん中に赤い鳥居が目立つのが[豊川稲荷札幌別院]です。この鳥居の側に[三岸好太郎生誕の地]の案内板があります。[三岸好太郎]生誕の地]案内板には次のように記されています。
[明治36年(1903年)4月8日にここ南7条西4丁目の一角で生まれた。札幌一中(現南高)卒業後上京して第一回春陽展に入選し、後独立美術協会の創立に参加する。天才的な感覚で次々と作風を変え、、特に死の直前の蝶と貝による幻想的な光景など日本前衛絵画の先駆者として果たした役割は大きい。昭和9年7月1日旅先の名古屋で急死した。31才だつた。女流画家三岸節子は夫人、道立三岸好太郎美術館がある。
厚田村で生まれた時代小説家の子母沢寛は異父兄にあたり、私立北海中学に学ぶなど札幌とも縁が深い。]
[明治36年(1903年)4月8日にここ南7条西4丁目の一角で生まれた。札幌一中(現南高)卒業後上京して第一回春陽展に入選し、後独立美術協会の創立に参加する。天才的な感覚で次々と作風を変え、、特に死の直前の蝶と貝による幻想的な光景など日本前衛絵画の先駆者として果たした役割は大きい。昭和9年7月1日旅先の名古屋で急死した。31才だつた。女流画家三岸節子は夫人、道立三岸好太郎美術館がある。
厚田村で生まれた時代小説家の子母沢寛は異父兄にあたり、私立北海中学に学ぶなど札幌とも縁が深い。]
かつての料亭[川甚]です。このblogでも紹介した[鴨々川]のほとりに昭和20年に創業した老舗です。かつてはススキノにも料亭が多くあり、それぞれに話題も多くありましたがそれらの料亭も時代の流れて殆どが姿を消してしまいました。この[川甚]だけは昔のままに残っています。外観は昔のままですが、内部は昔とすつかり趣を変え大座敷が洋風のホールに替わって現代風に変身しています。でも調度品などは昔ながらの風格を感じるものばかりです。
2008/05/10のBlog
[ 05:24 ]
[ 町並みウオッチング ]
豊平橋から街の中心部に戻ると南4条西4丁目のススキの交差点です。夜のとばりが降りる頃にはススキノに訪れる人々で雑踏する繁華街も、日中は人通りもまばらで閑散としています。写真は[ロビンソン百貨店札幌店]です。1974年札幌でオリンピツクが開かれた後[札幌松坂屋]としてオープン、その後[ヨークマツザカヤ]と名称が変わり現在に至っていますが、ススキノに誕生した地域のデパートとして長く親しまれてきました。このデパートが営業不振のため明年1月18日閉店することが決まりました。心なしか建物全体がおも苦しい雰囲気に包まれ寂しげにたたずんでいるようです。
2008/05/08のBlog
[ 05:31 ]
[ 町並みウオッチング ]
札幌創建の原点といわれている[創成橋]を渡った東南の方向に北海道神宮の末社頓宮があります。所在地は、南2条東3丁目になりますが、このあたりは札幌でも最初に街造りが進められた由緒ある地域です。この創成橋は、1869年(明治2年)に架けられましたが、当初は丸太を並べ板を敷いただけの橋でした。現在の橋は1910年(明治43年)に建設されたものですが、下部の構造はモダンなアーチ型で上部は純日本風の美しいデザインが施され、両側の高欄には擬宝珠が取り付けられていました。この擬宝珠は江戸時代は藩主のみが橋につけることを許されていたという格式の高いものだそうです。創成橋の擬宝珠も長年の風雪で無惨な状況になりましたが、その復元の要望に応えて昭和53年には復元作業が行われました。写真は復元された高欄と擬宝珠です。明治時代の当時を彷彿とさせるものがあります。
この頓宮も1901年(明治34年)に失火により全焼しましたが、その後1910年には北海道神宮の大造営による旧材で現在の社殿が造営されました。このときに[頓宮]と称せられる様になりました。毎年の北海道神宮例大祭(札幌まつり)の御神輿もお休みになる場所です。拝殿の正面両脇に設置されている[狛犬]は、札幌軟石で造られたもので1890年(明治23年)奉納された古い物ですが、この狛犬は[出雲型]と呼ばれるスタイルだといわれています。
札幌を代表する酒造メーカの日本清酒が平成14年にオープンした[酒 ミュージアム]の正面から見た写真です。この建物はもと北海道の道南[伊達]にあった同社の味噌醤油蔵を復元した物だそうですが、古い中にもなかなか重みを感じさせる建物です。場所は豊平川の側、南3条東5丁目にあります。札幌の酒と文化の発信地として人気を呼んでおり、観光スポツトの一つになりつつあります。
この界隈には日本清酒の他にも北の誉酒造などもありますが、豊平川の水とも関係があるのでしょうか。すぐそばには豊平川が流れ豊平橋もすぐ近くです。豊平橋両側にはかつての[渡し守]であつた志村鐵一さんと吉田茂八さんの碑が川を挟んで仲良く建てられています。写真は豊平橋から札幌市内の方向を俯瞰したものです。中央にテレビ塔が見えます。市内を東西に走る幹線で交通量も多い道路です。かっての雄姿を誇っていた旧豊平橋の復元を目指す運動も展開されています。
2008/05/06のBlog
[ 13:37 ]
[ 町並みウオッチング ]
昨日紹介した[狸小路]の東端1丁目から創成川をわたると目の前に[二条市場]が顔を見せます。今では、観光スポツトとしても全国的に有名になり多くの観光客が訪れる場所でもあります。[二条市場]と呼ばれる様になつたのは昭和に入ってからで、それ以前は[二条魚町]と呼ばれていました。現在でも正式名称は[札幌二条魚町商業協同組合]だそうです。この市場の歴史は古く、前を流れる創成川(大友堀)を使って石狩からの搬送船の荷の積み卸しをする人たちが13軒あったことから[十三組合]と呼ばれていました。現在の様な姿になったのは1903年(明治36年)からでその後店舗数も年々多くなり現在に至っています。写真手前の創成川は現在大改修中で雑然とした雰囲気です。
2008/05/04のBlog
[ 05:03 ]
[ 町並みウオッチング ]
現在の[狸小路]です。デパート、専門店、大型店がひしめく札幌ではかっての様な賑あいはありませんが、1丁目から6丁目まではアーケードに覆われ、地下鉄、地下街とも連結して老舗としての位置を保持しています。
狸小路商店街も時代と共に様変わりを見せています。古くから店舗を構えているお店の中にあって、目に付くのは、飲食関係、中でもラーメン店です。ラーメンといえば札幌と言う位有名ですが、この通にもラーメン店が店を連ねています。因みに6丁目には8軒のラーメン店が居並び激戦を繰り広げています。これまでの[ラーメン横町][新ラーメン横町]と並んで[狸めんこい通]としう名前が広がりつつあります。
[狸小路]の歴史は古く、開拓使による札幌の開発が進められた1871年(明治4年)には現在の南1条から南3条にかけて210戸の町並みが形成されたと言われています。狸小路の名前の謂われは次の様に言われています。[明治6-7年頃には男をたぶらかして金を儲ける女達所謂白首(ごけ、売春婦のこと)が多くなり、一帯は[白首小路]と呼ばれる様になり、男をたぶらかす事から狸小路と呼ばれる様になった]。狸小路は、白首といわれる[売春宿]、落語家による[寄席]、現代で言うスーパーマーケットの[勧工場]の三つを大きな柱として発展してきました。大正、昭和にかけては市内最大のショツピングゾーンとして200軒以上の店が連なり賑やかな通りでした。
2008/05/02のBlog
[ 06:17 ]
[ 町並みウオッチング ]
札幌地下鉄の開通にあわせて、昭和46年11月16日には大通駅を中心に西1丁目のテレビ塔から西3丁目の大通駅までの[オーロラタウン]、南1条から南4条ススキノ駅までの[ポールタウン]あわせて152店舗からなる一大ショツピングセンターが誕生しました。オリンピックを控えて大型店の進出、店舗のリニユーアルなどが進む市内の中心部に、新しいショツピングゾーンが生まれ、初めての本格的な地下ショツピングゾーンの誕生に年末、プレオリンピック商戦は最高潮に達しました。写真は二つのショツピングゾーンの交差点でもある、大通駅コンコースです。
[オーロラタウン]は、地下鉄大通駅のコンコースから東に延び、テレビ塔の地下に繋がつています。途中にはデパートの地下にも直結しています。衣料品、喫茶・レストランなどが店を並べていますが、昨年は、市営地下鉄の財政赤字を解消するため、定期券売り場を縮小してコンビニに貸与するなど、大変苦労の様子がうかがえます。
[ポールタウン]は、大通駅からススキノ駅まで南に延びています。この地上には、狸小路商店街を始め、大型店、ブテッイクなどの専門店が並んでいる地上・地下あわせて札幌の一大ショツピングゾーンを形成しています。
札幌の商業圏の拡大は、1972年の冬季オリンピックがその契機となって大きく塗り替えられる事となりました。現在は大通周辺のデパート群を核としたショツピングゾーンと、札幌南口を中心としたデパート群、各種専門店などのショツピングゾーンの他に、郊外の住宅地の拡大にあわせた大型店の郊外進出が相次ぎ、市内全域での商業活動は目を見張るものがあります。
札幌の商業圏の拡大は、1972年の冬季オリンピックがその契機となって大きく塗り替えられる事となりました。現在は大通周辺のデパート群を核としたショツピングゾーンと、札幌南口を中心としたデパート群、各種専門店などのショツピングゾーンの他に、郊外の住宅地の拡大にあわせた大型店の郊外進出が相次ぎ、市内全域での商業活動は目を見張るものがあります。
2008/04/30のBlog
[ 05:06 ]
[ 町並みウオッチング ]
北1条駅前通りを更に南に進むと大通公園を夾んで南1条の交差点に出ます。4丁目交差点の北東角が三越札幌支店でここから東に向かって池内デパート、丸井今井本店が連なっています。三越の隣には長い歴史を持つ丸善もありましたが、郊外に拠点を移しています。三越の向かいには、パルコもあります。この一帯のショツピングゾーンと駅前シヨツピングゾーンが熱いたたかいをを繰り広げています。流通業界では南北戦争といわれています。
三越から丸井にかけての歩道です。かつては開拓史時代には、ここを基点として札幌の街造りが始められ[渡島通]と呼ばれていました。古い建物が時代とともに姿を消しつつありますが、まだいくつか札幌軟石で作られた建物が保存され歴史の香りをとどめています。札幌の冬を彩るイルミーネシヨンの頃には、このストリートの木々にも電飾が施され幻想的な空間を演出しています。
札幌を代表する地元デパートの雄、丸井今井デパートです。南1条から大通にかけて本館、大通館、南1条を夾んで南館、西1丁目の大通館別館などこのエリアは丸井デパートの各館が軒を連ねています。このデバートから程近くには創成川が流れ、札幌の原点となった創成橋が架けられています。
南1条通にはかつては市電が走行していましたが、地下鉄開通に伴い市電は廃止され、西4丁目-ススキの間を循環して走行しています。このストリートは、夏の間休日には歩行者天国となります。普段は大変交通の激しい通りでもあります。
2008/04/28のBlog
[ 05:01 ]
[ 町並みウオッチング ]
札幌経済センターの前の幹線は北1条通りです。この写真は小樽方面に向かう西方向を俯瞰したものですが、いつもは車の往来も激しい幹線道路ですが、信号の合間の閑散とした一時です。この道路の地下一帯に今話題の道路特定財源で作られた立派な駐車場が整備されています。
札幌駅の近く、道庁前庭を挟んだ場所に現在の札幌グランドホテルがあります。数多いホテルの中でもこのホテルは老舗中の老舗として大きな存在感を見せています。このホテル内の記念資料室には、北海道の開発の歴史に関わる貴重な資料が多数展示されています。大滝甚太郎の将来を見据えた大きな構想が実を結んだ歴史の一つの証でもあります。
2008/04/26のBlog
[ 05:20 ]
[ 町並みウオッチング ]
開拓通り(北3条通)を東進して、サッポロフアクトリー、永山武四郎邸から折り返してテレビ塔方面にもとる道すがらには、さつほろふるさと文化百選にも選定されている[福山商店][北海湯]などの古い建造物に出会います。テレビ塔の建設は、昭和26年の民放発足以来、ラジオに続くテレビ放送の気運が高まり、札幌地区でもテレビ放送のためのアンテナ建設が必要となり、昭和31年6月1日にテレビ塔の建設が始まり11月に竣工しました。テレビ塔は、テレビ放送のためばかりでなく鉄塔を利用して展望台を併設し観光面でも活用するように計画されました。このテレビ塔のアンテナを使ってNHKが同年12月22日から放送を開始しました。現在テレビ塔は大通公園のシンボルとして観光面でも大きな役割を果たしています。
現在の札幌市民会館が竣工したのは 昭和33年です。かつてはこの場所に[豊平館]があり、市民会館建設のために中島公園に移転しました。市民会館の正門玄関脇には記念碑が設置されています。この市民会館も老朽化が激しく新しく建て替えられることとなり長い歴史に幕を閉じる事と成りました。昨年解体されまもなく代替え施設の建設が始まります。
昭和47年(1972年)札幌市は政令都市の指定を受け、区制を施行しました。現在は10区制を採っていますが、当初は7区制でスタートしました。(中央、東、西、南、北、白石、豊平区)その後平成元年に、厚別区、手稲区が誕生、更に平成9年に清田区が誕生しました。札幌も大正11年(1922年)市制を施行以来、近隣町村との合併を重ね市域、人口も増大の一途を辿ってきました。昭和45年(1970年)には待望の100万都市の仲間入りを果たし、オリンピツクを契機として都市基盤の整備も進み近代都市としての歩みを始めました。写真は190万都市札幌の市役所本庁舎です。
2008/04/25のBlog
[ 06:22 ]
[ 町並みウオッチング ]
ご存じの[道庁赤レンガ庁舎]です。是までも何回か取り上げてきましたので説明は省略します。この赤レンガを中心に札幌の街造りが進められ、この赤レンガ庁舎から北進する通りはかつての産業の中心でした。当時の開拓の想い出を留めようと[ケプロン通]という呼称をつける運動も起きています。
時計台から更に東進すると札幌市民会館があります。丁度大通公園の東端で直ぐ側にはテレビ塔もあります。札幌市民会館は、1958年(昭和33年)7月にオープンしたホールでかなりの年月も経過しています。そのため今回新しく建て替えられることが決まり、現在の会館は昨年解体され跡地に代替え施設の建設が予定されています。近い将来現在にほど近い一画に装いも新たに新市民会館がお目見えすることでしょう。
市民会館から創成川を渡り東に進むと、札幌でも評判の高い観光スポツトになつた[サッポロフアクトリー]があります。ここはかつてのビール工場の跡地ですが、この中に[開拓使麦酒醸造所]の建物が[開拓使麦酒醸造所見学館]として残されています。本道ビール生みの親とも言われている、村橋久成や中川清兵衛さん達の足跡が展示されています。
2008/04/22のBlog
[ 05:10 ]
[ 町並みウオッチング ]
写真は道庁正門から北3条通を俯瞰したものです。道路の両側に植えられている32本のイチヨウ並木が、さっぽろふるさと文化百選に選定されています。北3条通りは産業道路とも呼ばれる位、札幌の開発とは切つても切れない関係にあります。開拓使の本府であった現赤レンガ庁舎から東に延びる幹線道路沿いに、ビール工場を始め開拓使時代は工場群などが軒を並べていました。かつては札幌の市電も走っていた処です。こんな歴史的経緯からこの通りを[ケプロン通]と呼称する市民活動が進められています。
この碑は、北海道庁正門前の北三条西四丁目の道路脇に建立されています。札幌ではじめて舗装道路が敷かれたのは大正13年でこのあたりに、現在のアスフアルトではない[木レンガ]を敷き詰めたものでした。この木レンガの舗装も寒い札幌の気候には適合せず翌年には廃止されました。この碑は、高さ1メートル、幅40センチで、木レンガをあしらつたブロンズ碑の両側を、道路の縁石に見立てたみかげ石で型どり、上部には当時使われていた木レンガがはめ込まれています。現在このあたりはイチョウ並木が並び道庁の赤レンガが庁舎を正面に望む大変素晴らしいロケーションです。
碑の側に建てられている案内パネルです。標題は[赤レンガへの途は木の舗装]で、大凡次の様に記されています。[大正13年(1924年)、北海道庁正門から駅前通の117,27メートルを歩道と車途に区分して舗装が行われました。歩道はアスフアルト、車道は木塊(木レンガ)を施しました。木塊は、縦5寸8(約15センチ)、横3寸(約9センチ)、厚さ2寸5分(約8,5センチ)のブナ材を用い、クレオソート油にコールタールを混ぜた防腐剤を注入していました。これが札幌で初めての舗装道路です。]
北3条通秋の風情です。銀杏並木の落ち葉が路面を埋めています。この歩道の両側に北原白秋の[この道]の歌詞が書かれたボードが立てられています。
この道はいつか来た道
ああそうだよ
あかしやの花がさいている
あの丘はいつか見た丘
ああそうだよ
ほら白い時計台だよ
幼い頃から口ずさんできた愛唱歌に、堪らなく郷愁を感ずるのです。
この道はいつか来た道
ああそうだよ
あかしやの花がさいている
あの丘はいつか見た丘
ああそうだよ
ほら白い時計台だよ
幼い頃から口ずさんできた愛唱歌に、堪らなく郷愁を感ずるのです。
2008/04/20のBlog
[ 05:21 ]
[ 町並みウオッチング ]
札幌駅南口から大通方向のストリートは、現在地下道建設のため大型機材が配置されそこここが建設現場で荒々しい様相です。南口のすぐ前にあるのが[西武デパート]です。このデパートは札幌のデパート発祥の地で[五番館]というデパートがあった場所です。かつては札幌のデパートは、丸井今井、三越札幌支店、それにこの五番館の3店舗のみでした。この西武も色々と話題にのぼっていますが、流通業界のめまぐるしい変遷には驚かされます。
北3条通に来ると左手に[道庁赤レンガ庁舎]が見えます。この北3条通りはかつて[苗穂駅前]まで市電も走っていた処ですが、開拓使時代は、札幌でも産業の中心的なエリアで、東に進むとかつての麦酒醸造所や永山記念館などもあります。本道開拓の先駆者ケプロンに因んで[ケプロン通]と名付けようとの市民運動も立ち上がっています。
この画像は地下道建設工事前に撮影したもので地下鉄大通駅から地上に上がり駅の方向を俯瞰したものです。此の地下道が開通すると札幌駅からススキノまでは地下道で繋がり、冬期間の歩行は大変便利になります。このため中央分離帯に植えられている樹木は撤収され、此までのイルミネーションの輝きは暫く見られなくなります。
札幌駅から大通に建設される地下道は長さ約460㍍です。この区間はショツピングゾーンと言うよりは官公庁、金融、会社関係が多く、今後地下道とこれらビルとの連結による都市の活性化が期待される処です。
札幌駅から大通に建設される地下道は長さ約460㍍です。この区間はショツピングゾーンと言うよりは官公庁、金融、会社関係が多く、今後地下道とこれらビルとの連結による都市の活性化が期待される処です。
2008/04/18のBlog
[ 05:04 ]
[ 町並みウオッチング ]
これはJR札幌駅南口の正面入り口です。この建物は約65.500㎡の敷地に商業施設を始めシネマコンプレックス、オフイス、百貨点、ホテルなどの施設が完備して札幌の新しい街を造っています。連日多くの客が札幌はもとより全道各地から訪れています。
ここは札幌駅の南口広場です。この広場には本郷 新制作の[牧歌の像]が秋雨に濡れながら道行く人を見つめています。台座に書かれている案内には次の様に記されています。[この作品は、北海道の象徴としてポプラの若木、トウモロコシ、スズランを持った3人の女性、子羊を抱いて立つ男性、角笛を吹く男性という5基の等身大の像で構成されています。]
駅ビル南口から札幌の南方向を俯瞰した写真です。駅ビルを一歩外に出ると広々とした空間の南口広場です。ここには石柱が並べられ車道の端には自然木が2本あり、このモニューメントが大自然に羽ばたく北海道を表徴しているような思いに駆られます。