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2008/07/14のBlog
地下鉄白石駅の隣が[東札幌駅]です。南郷通を夾んで住宅や会社などが建て込んでいますが、特に目につくのが高層マンシヨンです。東札幌地区は白石区の中でも開拓の歴史が古くかつては水田地帯でしたが、地下鉄や道路が整備されるとともに近代都市としてのまちづくりが急速に進んだ地区です。
南郷通と交差している幹線が[米里行啓通]と[菊水旭山公園通]ですが、この間には旧国鉄の千歳線の貨物基地であった広大なヤードがあり、この地帯の再開発が近年急速に進められ、街の姿も大きく変わりつつあります。東札幌駅から札幌寄りに進み右折するとこの一帯は現在再開発工事が進められ長い屏に囲まれた中でスポーツジムなどの建設が進められています。
この道路を進むと再開発で完成した[産業振興センター]と[札幌コンベンションセンター]の中間を走る道路に出会います。広大な敷地の中に建てられた二つの建物を横目に見ながら[菊水]方面に通ずる道路です。ゆったりとした佇まいです。
札幌市の[産業振興センター]で様々な施設が施されています。この中には[市民情報センター]も併設されており、パソコンの貸し出しや、ITに絡んだ各種の学習講座なども頻繁に開催される他、パソコングループの研修センターとしても大きな役割を果たしています。
[札幌コンベンションセンター]です。国際会議にも使用できる設備が施され年間を通じて各種のイベント、会議が行われています。赤いドーム型の建物が印象的です。これらの建物が出来、この一帯は文化ゾーンとして大きな脚光を浴びています。先日のサミツトの期間中も様々な会議なども行われていました。
2008/07/12のBlog
地下鉄東西線南郷18丁目駅から札幌大通駅に向つて3つ目が白石駅です。古くから開拓された白石の中心は白石本通ですが、ここは南郷通と環状通が交差しています。写真は白石駅でこの1階部分がバスターミナルとなっています。この白石駅からも区内各方面へ繋がるバス路線が発着していますが、市営バスが中央バスに路線を譲渡し現在は中央バスが市民の足となっていますが、不採算路線の廃止が浮上し現在大きな問題となっています。
バスセンターの前を南北に走る環状線です。この環状線が出来た事で札幌の東西を結ぶ交通面でも大きなメリツトがあり重要な役割を果たしています。
南郷通りの沿道には大きなビルやマンションが立ち並んでいますが、これらも皆地下鉄とこの南郷津通りの開通によるものです。白石駅と七丁目駅との中間点に麦酒工場が建設されてこの一帯のロケーシヨンも大きく変わりました。沿道側に立てられている工場の[カリヨン(看板塔)]が一際目立った存在感を示しています。
北海道では、サッポロ麦酒、麒麟麦酒と並んで朝日麦酒も工場を持っています。朝日麦酒は昭和41年に[アサヒビール北海道工場]として操業を始めました。工場は地下鉄東西線の白石駅の近くにあり約27,000坪の敷地のなかに一連の施設があり年間生産量は、大瓶に換算して約1,2億本といわれています。住宅エリアの中に居を構える工場が作られ周辺の町並みも大きく変わりました。
工場に隣接して[ビール園・はまなす館]があります。ここではジンギスカンとビールです。ビールと共に味あうジンギスカンは、夏の栄養補給には最高のエネルギー源です。多くの観光客も訪れる観光スポツトの一つでもあります。
2008/07/10のBlog
地下鉄大谷地駅の隣が[南郷18丁目駅]です。このあと[南郷13丁目駅][南郷7丁目駅]と続き[白石駅]へと繋がります。[南郷]という地名は白石本通の南部地区を指した総称ですがこれに対して北部地区を[北郷]と呼んでいます。南郷18丁目駅もここから広がる住宅エリアへのアクセスの拠点でもあります。地下鉄へのバスでの乗り換えの他に自転車による通勤通学も多く駅周辺は自転車で溢れかえっているようです。
駅前を走る南郷通から北へ向かうと先程紹介した[本通]に向かいますが、ここは[清田通]で、ここを北に走ると12号線に出ますが、この地区には流通関連の施設が多く見られます。木立の間を走る閑静な道路です。
南郷通の中央分離帯の並木は本当に素晴らしい景観です。道路が造成されて永い年月が経ち樹木も大きく生育して雄大な景観を作るようになりましたが景観の面ばかりでなく自然保護、温暖化対策の意味も含めて大きな役割を果たしています。
札幌中心街に向かう車線です。緑が色鮮やかに輝きを見せています。
西18丁目駅も[札幌ドーム]へのアクセス拠点の一つです。札幌ドームへは、地下鉄東豊線福住駅が最短の駅ですが、この他にも様々な地下鉄駅とドームを結ぶシャトルバスが運行され、観客の輸送に一役かつています。
2008/07/08のBlog
札幌の中心と厚別地区を結ぶ南郷通は、まっすぐな道路の中央分離帯が見事な樹木で上下線に区分されています。地下鉄[新さっぽろ駅]から[ひばりヶ丘]を過ぎると[大谷地駅]です。ここはかって国鉄千歳線が走行していた時代の駅ですが、1973年に新しい線が出来たため廃止された駅です。現在は、スケールの大きいバスセンターが置かれ交通の拠点として大きな役割を担っています。
バスセンターには、札幌から遠距離に走るバスの中継点でもあり、民間のバスの路線も多くがここから出ています。それだけに地下鉄と乗り継ぐ人達でセンター内は混み合っています。
地下鉄の開通でこの地区も急速に発達しました。近代的な店舗が並び数多くのマンションが並立するマンション街といつた趣です。
駅の側には[札幌ー北広島自転車道路(サイクリングロード)があり、四季を通じて自転車、ジヨキング、散策の人達が絶えません。
写真は、札幌市の交通局です。都心のオフイスからこちらに引っ越しました。この近くには,コンサドーレの本拠地でもある [札幌厚別競技場]や、北星大学のキャンパスなどもあり、地下鉄とバス路線を中心に大きく飛躍を続けるエリアでもあります。
2008/07/06のBlog
地下鉄東西線は[南郷通]の下を走っています。前回紹介した[厚別・青葉通]と交って南郷通りが走っています。道路幅も広く中央分離帯に植えられた樹木も濃緑に輝き良く整備された道路です。写真は札幌方向を俯瞰したものですが、この先は[ひばりヶ丘][大谷地]へと続きます。この道路が整備され、地下鉄が運行してこの地域の発展はすざましく、行政エリアも当初の[白石区]から分区して新たに[厚別区]の誕生となりました。
この写真は[もみじ台]に通ずる南郷通です。札幌市の都市計画の中で新しい住宅地区として[青葉町団地][もみじ台団地]の造成が行われ、曾ての原野は一大住宅団地に変身しています。この地域が一名[下野幌]とも言われている地域です。
[厚別・青葉通]と[南郷通]が交差していますがこの通の南方向は、青葉町の住宅ゾーンです。市営団地と並んで個人住宅が密集していますが、すぐそばには昔からの原始林が公園として整備されるなど自然の豊かなエリアを形成しています。
二つの幹線が交差する地点に[厚別区役所]があります。ここには併設して消防署もあり、副都心としての玄関口に相応しい様々な施設も配置されています。
区民センターと地区の図書館です。地下鉄とのアクセスも良く、地域の文化活動の拠点として大きな活動が行われています。
2008/07/04のBlog
地下鉄東西線[新さつぽろ駅]は、札幌の東の玄関口として大きく発展しています。札幌の副都心として位置づけられたこの一帯には、市の公共施設を始め、大型の商業施設、ホテルなどが立ち並び、JRの新札幌駅とも併せてアクセス面でも大きな役割を担っています。中央の道路を跨いで回廊が設けられ、この回廊を結んで大型施設に相互に行き来できる様になつており、道路にはタクシーが列をなして客の送迎に大忙しです。
ツインビルの片方の1階部分はバスターミナルで、東・西方向に分かれたバスレーンからは、札幌・江別などの他、後背地の住宅地への路線バスが休む暇なく頻繁に走行しています。まさに地域住民の足の拠点として欠くことの出来ない役割を果たしています。
地下鉄駅から地上に出ると[札幌市青少年科学館]があります。緑に包まれた公園内に子供達の夢をはぐくむこの施設には、札幌市内の他道内他地区からの修学旅行の生徒達も訪れ何時も子供達の歓声が飛び交っています。この近くには、サンピアザ水族館もあり、こちらもフアミリーで楽しめる施設として多くの観客を集めています。
新さっぽろ駅を中心として、[厚別青葉通]りが走っています。一方は[南郷通]から青葉町、もみじ台などの広大な住宅団地に繋がりますが、反対方向は国道12線に繋っています。写真は厚別青葉通ですが、駅の近くには高層ホテルが建ち、総合病院も中心地から移転して新しい街の顔となつています。
総合病院です。駅から直結した通路も設けられ地下鉄から通院する人達の利便性を高めています。
2008/07/02のBlog
7月1日から3日間、札幌ドームでは、パリーグ首位の西武ライオンズと北海道日ハムフアイターズの3連線が繰り広げられます。今後の優勝を占う上でも目の離せない3日間となります。残念ながら初戦は日ハムの完敗に終わりました。第2戦に期待しています。国道36号線を今度は日を改めてドームの札幌側から歩いて見ました。ドームに向って右側は緑に包まれ、その中には絵はがきなどでもよく見られる[月寒種羊場]があります。静かな林道が続いています。
国道36号線は、札幌から千歳に繋がる幹線で交通量も多い処ですが、国道沿いには商業施設の他に食品、飲料などの工場も多く見られます。又、自動車関連の店舗や施設も多く見られます。
モダンな外装が目立つパンの製造工場です。
ドームに近づくにつれドームを取り囲んで草原が広がつています。この中の小径を通つてドームにたどり着きます。
ドームの外周には、サッカーの芝生があり緑色が一際輝きを増して目に映ります。ドームがサッカーの試合で使われる時は、この芝生が移動されてサッカー場に変身するのです。之も札幌ドームの特徴の一つと言われています。
2008/06/30のBlog
地下鉄東豊線のターミナル[福住駅]が開通して国道36号線のこのエリアは急速に発展しました。その上に[札幌ドーム]と[北海道日ハム]が更に発展の速度を加速しつつあります。札幌ドームへのアクセスとしてとしも[福住駅]は大変な役割を果たしています。
札幌ドームで試合のある日は終日この街道には人が溢れ、地下鉄が着くたびに多くの観客がドームへ向つて行列が出来ます。
道央圏の幹線の一つである36号線も札幌ドーム開業後交通量も大幅に増え常に渋滞が続く幹線となりました。幹線沿いには、観客を当てこんだ様々な施設も増え大変活気に満ちた町並みと成っています。
札幌ドームへ向かう観衆の列です。まだ時間が早いのでこれからが本番です。
福住駅から徒歩約10分足らずでドームの姿が見えてきます。
ドームの回廊から眺めた[福住・桑園通]です。36号とは対照的に森の中を走る道路には自然のすがすがしさが感じられます。
2008/06/28のBlog
地下鉄東豊線の月寒中央駅を地上に出ると、国道36号線が走っています。駅の近くが[アンパン道路]の入り口となっています。
入り口の商店の脇に[さっぽろふるさと文化百選]の案内板が設置されています。此処には次の様に書かれています[明治43年(1910年)、旧豊平役場が豊平から月寒に移転したため、平岸の人々は役場の連絡道となる新道の開設を要望した。町は歩兵第25連隊に協力を要請し、翌年地元民も参加して工事が行われ全長2.6キロの道路が僅か4ヶ月で完成した。町は工事中兵士達に間食としてアンパンを提供した。これが今日の名物[月寒アンパン]である。以来この道はアンパン道路と呼ばれ地元民に親しまれている}。
国道36号線の入り口から真っ直ぐに伸びているアンパン道路は、途中で水源地通り合流してなだらかな勾配が続きます。暫く進むと右手に[月寒公園][月寒神社]があります。更に進むと平岸街道に出ることが出来ます。
この道路の脇に[アンパン道路碑]があります。昭和62年12月に建立されたもので、[明治44年歩兵第25連隊兵士の労力提供と地元民の奉仕により完成]と刻まれています。
アンパン道路の途中に、とよひらふるさと再発見で選定された建物に出会いました。この建物は建築家倉本竜彦さんの設計による建築で昭和41年に自宅として建築され、子息の名にちなんで[たくんち]と呼ばれていました。昭和58年に増改築して現在は喫茶店として営業しています。木製の下見板を使った独特な建物です。
2008/06/26のBlog
地下鉄南北線で北大周辺を歩き麻生駅から一路大通駅経由で東豊線に乗り継ぎます。東豊線の大通駅から終着駅の福住駅の間には、学園前、豊平公園、美園、月寒中央、の各駅があります。[学園前]駅は、平岸街道沿いにある北海学園大学、高校などの学舎と隣接しています。学園のために駅が作られた様な趣ですが、この平岸地帯はかってのリンゴ園とホップ園のあつた場所ですが、都心にも近く交通のアクセスも良い処から急速に発展を続けています。学園前には、学生のためのマンシヨン類も多く見られ一大学生街を形成しています。
札幌市のはずれ[野幌森林公園]の中に作られた[開拓の村]には、明治・大正期の建造物が復元・再現されています。[旧北海中学]もその一つです。かって北海中学は、札幌での私立中学の名門校として、多くの人材を輩出してきました。長い伝統を保持しながら今日の総合学園[北海学園]の基盤を築いたのは、浅羽 靖(しずか)と戸津高知(たかとも)の二人の先人です。この校舎は1909年(明治42年)豊平川沿いにある現在地に建てられたものです。復元された校舎内には、中学の歴史など豊富な資料が展示され各教室など昔ながらの状態そのままに再現されています。この古い学舎と現在のキヤンパスを比較するとまさに歴史の流れを痛切に感じさせられます。
広いキヤンパスの中には大学、高校などが並立されており伝統ある校風のもと文武両道に励んでいます。雰囲気としては伸び伸びとした校風がそこはかとなく漂う思いがします。
キャンパスの前を走る平岸街道には昔の面影もなく、広い道路の両側は近代的なビルやマンシヨンが立ち並ぶ近代的な町並みと変わりました。
曾ての平岸街道の道路の中央には排水溝が流れこれを夾んで道路がありましたが、完全に地下に埋め立てられその面影を留めていません。排水溝の部分は中央分離帯に変わり、リンゴの木なども植えられ風情豊かな空間を演出しています。
2008/06/24のBlog
地下鉄南北線の北18条駅から終点の[麻生駅]へ向かいます。麻生駅の長いコンコースは長く南北に通路が繋がつています。地下鉄から地上にあがると広い交差点が目の前に広がります。かつてこの地帯は、新琴似番外として1891年に帝国製麻琴似工場が操業していましたが、1957年に閉鎖しその後住宅団地として造成された地域です。この時に亜麻の発祥の地として[麻]の字を残して地名が[麻生]と名付けられました。麻生町は、南の1丁目から北の9丁目まで区画が整理され札幌でも一大住宅エリアと大きく発展を続けています。
麻生は、札幌の北の玄関口として、路線バスもここから郊外、石狩市などと頻繁に走行しております。写真は石狩方面に通ずる幹線ですが、石狩新港の開港以降物流を中心とした陸上輸送が大幅に増加し道央の通過点としてこの面からも大きな役割を果たしています。
街の中心地は、商業施設をはじめ企業のビルも林立し活気に溢れた町並みです。それにしてもバスの停留所が多く、ひっきりなしにバスが発着し、地下鉄と乗り換える人の波が続いています。
バス停留所には[麻生駅前]と記されています。この通りは札幌の中心部に繋がる幹線でね先に紹介した[北大通]に繋がっています。地下鉄が開通する以前は、北の玄関口は北24条でしたが、1978年地下鉄が北24条から延伸したため麻生は北の玄関口として大きく脚光を浴びつつあります。
麻生駅前から札幌中心部を俯瞰したものです。
2008/06/22のBlog
北大正門から銀杏並木の北13条を過ぎると左手に[北海道大学病院]が姿を現します。通称[北大病院]ですが、広い駐車場を抱えて巨大な病院の建物が悠然と構えています。病院正門前には、本田明二さんの[母子像]や、歴代医学部長などの胸像が並べられています。地下鉄北12条駅からも近く、又、路線バスの停留所もあり、何時も多くの人が行き交っています。
北大病院正門から道路沿いに北に進むと歩道脇は緑濃い木々が整然と立ち並び心が和む遊歩道といった趣です。
やや暫く北に進むと、メインの[北大]通りから左に折れて道路が延びています。道路の両側が樹木で覆われた通りで左手は北大の施設、右手はマンションなど一般の住宅街となつています。この通りは北18条まで続いています。表通りの喧噪から離れて静寂感が漂うストリートを形成しています。
広大な北大構内は、札幌市の東西を結ぶ幹線道路を遮断して都市計画の上での障害になつていました。この道路のもう少し先(左手)に長さ730㍍のエルムトンネルが完成し、北大構内の下を車が走行するようになり、アクセス面では大変利便性が高くなりました。写真はトンネルから抜け出て東に連なる道路ですがこのようにかっての北大の姿も時代と共に大きく変貌を遂げつつあります。

この道路越しに屋根が見えるのが[遠友学舎]です。この隣が[モデルバーン]で、ここから更に北に北大のキャンパスは続きます。[遠友学舎]は、大学創基125年記念事業の一つとして建設されたものですが、これは、かの新渡戸稲造が設立した[遠友夜学校]に由来して命名されたもので、地域社会と大学の交流の場として広く活用されています。この[遠友学舎]や[モデルバーン(第二農場)]から更に北西に広がるキヤンパス内には、[低温科学研究所]をはじめ各種の先端技術の研究拠点が配置されています。
ここからは地下鉄北18条駅も近いので、地下鉄に乗り換え地下鉄の北のターミナル[麻生]へと向かいます。
2008/06/20のBlog
札幌駅北口北7条通りを少し西に進むと西5丁目、通称北大通りに出ます。写真の奥(南方向)に高架が見えます。先に紹介したようにこの処にかつては跨線橋が架かつており、ここを市電も走っていました。国鉄函館本線の踏切のため常に渋滞する道路でしたが高架化により現在では車もスムーズに流れている様です。
この5丁目通りを北に進むと左手一帯は北大のキヤンパスです。北大正門前です。正門からキャンパスを見ると中央ローン一帯は緑濃い樹木で奥を眺望する事が出来ません。又、正門のすぐそばに[新撰組 永倉新八来訪の地]碑が建てられています。ここには大凡次の様に書かれています[新撰組の永倉新八は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名して剣道の指南に努めた。晩年には北大剣道場でも指南している。新八ゆかりの道場は、現北大本部(写真のビル)の北西にあった。新八は大正4年小樽市で77才の生涯を終えた]。
正門から北へと歩を進めます。左手一帯は緑の木の間からキヤンパスの建物が顔を見せていますが、都心の中の原始林的なイメージが漂よいます。道路を挟んで向かい側は、かつては学生相手の飲食店、古本屋なとが店を並べ学生街の様な町並みも、今は大きく変わりビジネスホテル、マンション、コンビニにど時代を反映する町並みとなつています。
おなじみの北13条の銀杏並木です。秋にはこの並木も紅葉で真赤に染まり見物客が大勢訪れる観光スポツトです。今は緑濃い並木ですがすがしい緑の空間を演出しています。
路線バスの停留所[北大病院前]です。市電がなくなりこの通りは市の北の地域と繋がる路線バスが走っています。この道路と平行して近くには地下鉄[南北線]も走っており、この場所は[地下鉄北13条]と[北18条]の中間地点といえましょう。東側一帯は事務所、マンション、商業施設が軒を連ね、古い住宅は殆ど姿を消して新しい町並みを形成しているようです。
2008/06/18のBlog
[ 05:23 ] [ 町並みウオッチング ]
写真は札幌駅北口を走る北7条通りです。これまで札幌の中心街は、JRの線路のため南・北が遮断され、北の発展が阻害されてきましたが、札幌駅が改築され市内中央部は高架となったため、北地区の発展に弾みがかかりました。この北7条通りを東に進むとサッポロピール園やかつての雪印乳業など札幌を代表する工場が連なっています。また西に進むと偕楽園や北大キヤンパスを横に見ながら桑園地区に向かいます。大変交通の多い幹線で大変なにぎあいを見せています。
この北7条道路沿いにたてられている[エルプラザ]です。この道路沿いには国の出先機関が集まっている第一合同庁舎や近くには札幌中央郵便局もありのす。写真のエルプラザは前面はガラス張りの建物で札幌市の男女共同参画の事業で、広く市民の文化、教育の研修センターとしても利用されています。
札幌で最も高いビル[JRタワー]です。北口から見た写真ですが173メートルのこのタワーにはホテル、展望台もありますが、特に160メートルの展望台からの夜景はすばらしく、新しい観光スポツトとしても脚光を浴びつつあります。
北7条道路側から見た札幌駅です。北口の広場には、各地域に繋がるバスセンターや、観光バスのターミナルなどもありますが、広場には噴水なども設置され大変心が和む空間を作っています。
先程紹介したエルプラザの隣に高層マンシヨンが建設され話題を呼んでいます。駅に直結し、専門店、デパートにも近く利便性が高いところから大変な競争率になつたマンションです。一際その高さが目立ちます。この北7条通りから北に向かっては北区ですが、北大を始め各大学、高校などの文教施設の多い地区で歴史も古くまた面積も広いなかに古さと新しさが入り混つた町並みを形成しています。
2008/06/16のBlog
地下鉄東西線の西のターミナル[宮の沢]は、地下鉄開通以後急速な発展を見せ郊外のベットタウンとして人口も増大の一途を辿っています。この地区は、かつての[上手稲村]で、現在は[西区]に地番変更になっています。宮の沢駅そばには国道が走り、このターミナルからは、各方面への路線バスが走行しています。駅からほど近くに[手稲記念館]がありますが、その近くに写真のような[上手稲開村記念碑が建てられています。
[上手稲神社]は、地下鉄東西線[宮の沢駅]から徒歩で約10分の距離にあります。近くには[手稲記念館]もあります。かつてこの地域は[上手稲村]に属していたため現在も西区西野にありながら[上手稲]という名前が付けられているのです。神社は宮の沢駅から西野屯田通沿いの小高い丘にあり、急勾配のある階段を登った奥に拝殿が鎮座しています。写真は、表参道でこれと並んで裏参道もあります。裏参道の両側は[鎮守の森]で多くの樹木に覆われています。境内には、ご神木や牛馬塚なども建立されています。上手稲神社は明治9年仙台藩からの移住者が、現在の宮の沢2条4丁目に小祠を建立して上手稲神社と呼んでいました。現在地に移転したのは昭和40年の事で平成18年は創祀130年を迎えている大変古い神社でもあります。この神社には御祭神として天照大神、須佐之男命が祀られています。社殿の屋根が急勾配で一見教会風な建物と間違えそうなイメージです。