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moiwaつれづれの記
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2008/06/20のBlog
札幌駅北口北7条通りを少し西に進むと西5丁目、通称北大通りに出ます。写真の奥(南方向)に高架が見えます。先に紹介したようにこの処にかつては跨線橋が架かつており、ここを市電も走っていました。国鉄函館本線の踏切のため常に渋滞する道路でしたが高架化により現在では車もスムーズに流れている様です。
この5丁目通りを北に進むと左手一帯は北大のキヤンパスです。北大正門前です。正門からキャンパスを見ると中央ローン一帯は緑濃い樹木で奥を眺望する事が出来ません。又、正門のすぐそばに[新撰組 永倉新八来訪の地]碑が建てられています。ここには大凡次の様に書かれています[新撰組の永倉新八は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名して剣道の指南に努めた。晩年には北大剣道場でも指南している。新八ゆかりの道場は、現北大本部(写真のビル)の北西にあった。新八は大正4年小樽市で77才の生涯を終えた]。
正門から北へと歩を進めます。左手一帯は緑の木の間からキヤンパスの建物が顔を見せていますが、都心の中の原始林的なイメージが漂よいます。道路を挟んで向かい側は、かつては学生相手の飲食店、古本屋なとが店を並べ学生街の様な町並みも、今は大きく変わりビジネスホテル、マンション、コンビニにど時代を反映する町並みとなつています。
おなじみの北13条の銀杏並木です。秋にはこの並木も紅葉で真赤に染まり見物客が大勢訪れる観光スポツトです。今は緑濃い並木ですがすがしい緑の空間を演出しています。
路線バスの停留所[北大病院前]です。市電がなくなりこの通りは市の北の地域と繋がる路線バスが走っています。この道路と平行して近くには地下鉄[南北線]も走っており、この場所は[地下鉄北13条]と[北18条]の中間地点といえましょう。東側一帯は事務所、マンション、商業施設が軒を連ね、古い住宅は殆ど姿を消して新しい町並みを形成しているようです。
2008/06/18のBlog
[ 05:23 ] [ 町並みウオッチング ]
写真は札幌駅北口を走る北7条通りです。これまで札幌の中心街は、JRの線路のため南・北が遮断され、北の発展が阻害されてきましたが、札幌駅が改築され市内中央部は高架となったため、北地区の発展に弾みがかかりました。この北7条通りを東に進むとサッポロピール園やかつての雪印乳業など札幌を代表する工場が連なっています。また西に進むと偕楽園や北大キヤンパスを横に見ながら桑園地区に向かいます。大変交通の多い幹線で大変なにぎあいを見せています。
この北7条道路沿いにたてられている[エルプラザ]です。この道路沿いには国の出先機関が集まっている第一合同庁舎や近くには札幌中央郵便局もありのす。写真のエルプラザは前面はガラス張りの建物で札幌市の男女共同参画の事業で、広く市民の文化、教育の研修センターとしても利用されています。
札幌で最も高いビル[JRタワー]です。北口から見た写真ですが173メートルのこのタワーにはホテル、展望台もありますが、特に160メートルの展望台からの夜景はすばらしく、新しい観光スポツトとしても脚光を浴びつつあります。
北7条道路側から見た札幌駅です。北口の広場には、各地域に繋がるバスセンターや、観光バスのターミナルなどもありますが、広場には噴水なども設置され大変心が和む空間を作っています。
先程紹介したエルプラザの隣に高層マンシヨンが建設され話題を呼んでいます。駅に直結し、専門店、デパートにも近く利便性が高いところから大変な競争率になつたマンションです。一際その高さが目立ちます。この北7条通りから北に向かっては北区ですが、北大を始め各大学、高校などの文教施設の多い地区で歴史も古くまた面積も広いなかに古さと新しさが入り混つた町並みを形成しています。
2008/06/16のBlog
地下鉄東西線の西のターミナル[宮の沢]は、地下鉄開通以後急速な発展を見せ郊外のベットタウンとして人口も増大の一途を辿っています。この地区は、かつての[上手稲村]で、現在は[西区]に地番変更になっています。宮の沢駅そばには国道が走り、このターミナルからは、各方面への路線バスが走行しています。駅からほど近くに[手稲記念館]がありますが、その近くに写真のような[上手稲開村記念碑が建てられています。
[上手稲神社]は、地下鉄東西線[宮の沢駅]から徒歩で約10分の距離にあります。近くには[手稲記念館]もあります。かつてこの地域は[上手稲村]に属していたため現在も西区西野にありながら[上手稲]という名前が付けられているのです。神社は宮の沢駅から西野屯田通沿いの小高い丘にあり、急勾配のある階段を登った奥に拝殿が鎮座しています。写真は、表参道でこれと並んで裏参道もあります。裏参道の両側は[鎮守の森]で多くの樹木に覆われています。境内には、ご神木や牛馬塚なども建立されています。上手稲神社は明治9年仙台藩からの移住者が、現在の宮の沢2条4丁目に小祠を建立して上手稲神社と呼んでいました。現在地に移転したのは昭和40年の事で平成18年は創祀130年を迎えている大変古い神社でもあります。この神社には御祭神として天照大神、須佐之男命が祀られています。社殿の屋根が急勾配で一見教会風な建物と間違えそうなイメージです。
小高い丘の境内から宮の沢駅方面を俯瞰したものです。マンション群の高層ビルも数多く見られます。住宅地として発展を続けていることがわかります。
目を転じて山手方向を俯瞰したものです。こちらもビルが林立しています。札幌ほ代表する手稲山も間近に望む事も出来ます。自然に恵まれた住環境といえましょう。
地下鉄宮の沢駅と直結した、[札幌市生涯学習センターチエリア]です。平成12年8月にオープンしましたが、学習活動の拠点として大きな役割を果たしています。札幌の中心から地下鉄で[琴似]そして[宮の沢]を訪れましたが、地下鉄で折り返して[札幌駅]へ向かいます。次回は[札幌駅北口]の紹介です。
2008/06/14のBlog
地下鉄東西線[琴似駅]で降りると目の前に南北に連なる幹線が走っています。この通りがかつての琴似屯田兵村の幹線道路で、駅から数百メートル離れた場所が兵村の中心地でしたが現在は西区役所や区民センター、消防署などが建ち並び、近くには[屯田の森][琴似神社]もあり当時の面影を留めています。琴似兵村は、明治7年(1874年)に208戸が完成しましたが最初に10間幅の中央道路を建設しました。(現在の琴似本通)此を兵村の中心として東西南北に道路を設け村内の兵屋の地割を行いこの中央道路を挟んで南側(現在の西区役所前の屯田の森)に週番所(後の中隊本部)をまた、南東地区(現在の琴似神社)に養蚕の作業所を設けています。この兵村は現在の札幌市西区琴似3丁目から6丁目にあたります。
琴似兵村は、明治7年(1874年)に208戸が完成しました。地下鉄[琴似駅]を中心とした街の中心街にも[兵村兵屋跡][屯田の森][授産場跡]など屯田兵村の面影を留める遺産が残されています。区役所、消防署、区民センター等が並ぶ行政エリアの中の一つ消防署の建物の中に[琴似屯田歴史館資料室]があり開拓の歴史が一目でわかるように記録が陳列されています。
琴似神社は、現在の札幌市西区役所の前にあります。この地区は、琴似神社の前を走る幹線は、当時の兵屋の中心となつた道路です。この道路を挟んだ前には、[市役所][区民センター]等の行政機関と並んで、屯田兵に纏わる多くの碑などが建立されている[屯田の森]もあり、神社を含めてこの一帯は、琴似屯田兵村縁の地でもあります。琴似兵村は、屯田兵に養蚕を奨励し、この神社のあつた場所に[屯田授産場]がありました。正面鳥居の側に[授産場趾]碑が建立され側に由来が刻まれています。
境内の奥に[琴似屯田兵屋]が保存されています。屯田兵屋は、この近くにも1軒あり國の指定史跡に指定されていますが、この兵屋はかっての屯田兵の住まいを復元したものですが、神社の敷地内にある兵屋は、当時のものを改修した本物の兵屋で、別の場所にあったものを昭和38年に神社に奉納され保存されているものです。
この兵屋は1875年の入植者で宮城県から入植した清野専次郎さんの住居です。この敷地面積は150坪、兵屋は17坪だそうです。入り口の右手には格子の窓があり中に入ると中央の[居間兼台所]をはさんで右は[土間]左には8畳と4.5畳の二間があります。
屯田兵はこの兵屋を生活の拠点としながら、周りに5千坪の未開地が与えられこれらの開拓に汗を流したのです。現在の都市化した琴似の現況からは全く想像だにできない苦労があったことをしみじみと感じさせられます。
2008/06/12のBlog
[ 07:15 ] [ 町並みウオッチング ]
写真は北1条西4丁目に建てられている表柱です。この北1条通りは国道5号線で札幌と小樽を結ぶ幹線ですが、西25丁目から小樽方面に右折するため、25丁目に第一鳥居が建てられています。1895年建てられた鳥居は高さ8.7メートルの鉄筋コンクリートのもので札幌中心部に向かつて偉容を誇っています。この通りが所謂[表参道]ですが、これに対し南1条通が[裏参道]と呼ばれ、最近は[札幌の原宿]と称せられて大変なブームを呼んでいます。
裏参道西25丁目付近から神宮方向を俯瞰したものです。正面は大倉山でジヤンプ競技でお馴染みのジャンプ台が見えます。この通りは1976年の地下鉄東西線の開通が大きな起爆剤となりましたが、古くはこの通りで地域の農民が野菜を持ち寄り[円山朝市]も開かれるなど大変な賑あいを呈して様です。
南大通西23丁目にある[まるやまいちば]です。このいちばは、かつての円山朝市の面影を残している唯一の存在でもあります。1893年(明治26年)頃から営業を始めたお店が1953年(昭和28年)には小売市場となり今日に至っています。以前から新鮮な魚菜類、懐かしい対面販売などで遠くからも常連が多いことで有名です。
現在の裏参道は、おしやれなブテックや工芸店などが店を連ね若者が押し寄せるシヨツピング街に変身しました。[若者向けの新しいライブタウンの誕生]と言われ[札幌の原宿]とも言われています。かつての神宮参詣者の参道も時代の変化と共に大きく変わっています。
北海道神宮には地下鉄東西線[円山公園駅]から徒歩で行けます。途中円山公園の木々の間をなだらかな坂道を登つていくと[第三鳥居]から神宮の境内です。この鳥居から札幌中心部に向かって真っ直ぐに伸びる南1条西28丁目から西20丁目までを[裏参道]と呼んでいます。
2008/06/10のBlog
北1条通りを西に進むと厚生年金会館を過ぎテレビ局(uhb)の正面玄関前には本郷新さんの彫像が2体大空に向かって手を広げています。やがて西16丁目にさしかかると右手一帯は樹木に覆われた広大な敷地です。角には瀟洒な交番もあります。この一帯は、かつて開拓使時代、鶴岡藩(現在の山形県)の士族156名が入植して[桑園]を造成した地域で、現在も[桑園]の地名が遺されています。この一角が知事公館そして三岸記念美術館、北海道立近代美術館などが並ぶ札幌の文化拠点の一つでもあります。この道路を西進すると北海道神宮から宮ノ森方面と途中右折して小樽方面に向かう幹線です。
北1条通りが公館の正面入り口ですが、公館の裏側は広い芝生で開放感に満ちた空間です。ここでは道内外の賓客を迎えての野外パーティなども行われる他、一般の市民も参加する知事との交流イベントなども行われています。芝生の真ん中に二つの柱が見えますが、これは近年建立されたモニユーメントです。流政之さんの[北のさきもり]です。
知事公館の構内の一隅に[三岸好太郎美術館]があります。この美術館は札幌出身の画家である三岸好太郎さんの画業を讃えて建設されたもので、ここには氏の作品220点余が展示されています。ホワイトカラーの建物が素敵です。
北海道立近代美術館は、1977年7月オープンしました。この美術館は札幌市の中央区、いわゆる文化ゾーンの中にあり、静かな木立に囲まれた中にユニークな建物が一際注目を集めています。この建物の周りは芝生に囲まれ、その中に数々のモニュメントが配置されていて来館者の心を和ませてくれます。
北海道立近代美術館の庭は、さながら野外モニュメント広場と言うに相応しく数々のモニュメントが配置されています。その中の一つが[時間の風景]飯田善国作 1979年です。ここには紹介していませんが、本郷新作の[嵐の母子像]もあります。これらの姿は北2条道路からも眺める事が出来ます。
2008/06/08のBlog
石山通りを北に進みます。途中南14条周辺はかつての山鼻屯田兵村の中心地で屯田兵ゆかりの碑などが建立されています。まっすぐに伸びる石山通に平行して[東屯田通]と[西屯田通]が屯田兵村の面影をとどめています。大通公園の西端にある[札幌資料館]は、かつての[控訴院]です。札幌控訴院]が出来たのは、大正15年(1926年)9月です。札幌の大通公園の西端に位置しており、新しく大通公園も造成され(公園の造成は明治44年)、一際目立つ存在でした。この建物の外壁は、内側にレンガを、外側には、軟石を交互に凹凸をつけて積み上げた[組積造]という物だそうです。又、二階の床部分を鉄筋コンクリート造りとする近代的な手法を取り入れています。軟石を使った建物としては全国的にも貴重なものだそうです。
この緑地は、資料館の裏側に広がり大通の南北を走る道路に夾まれながら静かな佇まいです。資料館の威厳のある建物を取り囲む緑のオアシスです。
南大通りを夾んで資料館と向かい合っているのが、札幌教育文化会館です。市の芸術、文化の活動拠点として1977年に建設されました。札幌軟石で造られた資料館と赤煉瓦で造られたこの建物が相対峙して[赤]と[白]のコントラストを演じています。
この施設は1971年、札幌冬季オリンピックの前年にオープンし、此まで1500万人が音楽会を始めその他のイベントに訪れたと言われています。札幌には音楽専門のホールとしてKitaraが有名ですが、厚生年金ホールは都心の文化拠点としての役割も大きく、多くの道民、市民がその存続を願っています。厚生年金会館は札幌でも都心の北1条通にあり、この界隈は各テレビ局、知事公館、近代美術館そして近くは大通公園で札幌資料館など札幌の文化ゾーンと名付けられています。その中にあって厚生年金ホールは文化の殿堂としてその役割は今後益々大きなものがあります。
この界隈でひときわ目立つ高層ビルは[ロイトンホテル]です。この細長いホテルに対して南に少し離れた場所に[札幌プリンスホテル]がありますが、このホテルは、円筒形のホテルで、大通公園を夾んで[長方形]と[円筒形]がこれまた対照的な姿を顕しています。
2008/06/06のBlog
[ 05:28 ] [ 町並みウオッチング ]
川沿地区から国道230号線を右に豊平川、左に藻岩の山並みを眺めながら街の中心に向って進むと、やがて南区から中央区に変わり、中央区の南端にあたる南21条通りにでます。写真は、交差点から札幌中心部を俯瞰したものですが、道幅も広くこの通りが先に紹介した[馬車鉄道]が走っていた通称[石山通]です。
この南21条通りを現在の市電が走っています。この電車は[ススキノ]から[南1条西4丁目]間の循環電車です。写真の電車はこの後西に進み15丁目通りを北に進み南1条から東におれて南1条西4丁目間で走行しています。地下鉄が運行されてから路線もこの路線のみとなりましたが、札幌の市民にとつては懐かしい交通アクセスの一つでもあります。
南21条周辺は、東は豊平川を挟んで町並みが広がり、一方西は藻岩の山裾にマンションをはじめとする住宅街が広がっています。写真は、市の中央図書館と文化財埋蔵センターの建物です。かつてこの一帯は現在の北海道教育大学のキヤンパスがあつた場所です。広い跡地は再開発されて、学校、公園、住宅団地として大きく変貌を遂げています。
図書館の周りはマンション群です。ここは再開発された[サンタウン]で、かつての大学のキヤンパスのなかに多くのマンシヨンが建ち並び一つの町並みを形作っています。
南21条からやや南東一帯は自衛隊の敷地です。かつてはビールのホップ園でしたが現在は、北部方面総幹部とその関連施設が建ち並んでいます。
2008/06/04のBlog
[ 05:35 ] [ 町並みウオッチング ]
藻南橋から藻南公園の広場を右手に見ながら西に歩くと国道230号線にでます。札幌から定山渓を経て中山峠に通ずる幹線で交通量も多い道路です。
川沿い11条の標識が見えますが、ここが分岐点で、ここから東に進むと藻南公園、西に進むと南の沢、中の沢、北の沢など藻岩の山裾に広がる住宅地です。南の沢はラベンダーの発祥の地でもあります。この国道が開通するまでは定山渓方面に行くには、先に紹介した藻南橋から石山陸橋を経て行く道路しかありませんでしたので国道開通で交通アクセスも格段に利便性がアップしました。
国道230号線を定山渓方向に走り、藻南橋に左折する角に[ウエルカムゲート]と称した右の様なモニューメントがあります。案内板には次のように書かれています[このモニューメントは札幌軟石で造られた倉庫群の屋根の形をもちーフとしたもので、軟石の美しさを後世に伝えたいとの願から造った]。このモチーフは、ここの他に先に紹介した石山陸橋手前にも設置されています。
230号線を札幌方面に向かって俯瞰したものです。川沿いの地名は、そのものずばり豊平川沿いにあることから付けられました。この国道の右手には豊平川が流れ左手には藻岩の山並みが連なっています。昭和38年に新国道230号線が開通したことでこの地区も都市化がすすみ、大型店から小型店まで多くの店舗があります。
この国道沿いでひときわ目につくのが[アパホテル&リゾート札幌]の建物です。ホテルは903という客質を備え東北以北最大の規模を誇っています。
2008/06/02のBlog
[ 05:26 ] [ 町並みウオッチング ]
採石場跡地から道路に出るとすぐ近くに[藻南橋]があります。この橋は昭和23年に長さ147㍍、幅5㍍の木造橋として建設されましたが翌昭和24年の水害で流失したため、昭和26年9月、以前よりやや下流の藻南公園内に長さ105㍍。幅6㍍kの鋼橋が完成しました。以前はこの橋を石山大橋と呼んでいましたが、現在は藻南橋となつています。橋の欄干の両サイドに銅板に刻まれたレリーフが飾られています。[石山馬車鉄道]と[軟石採掘現場]です。ここに書かれている馬車鉄道は現在の札幌市電のルーツで、明治の末に石切山から始まっています。1904年に助川貞次郎が札幌石材馬車鉄道合資会社を設立して札幌区の山鼻と豊平町石切山穴の沢間に馬鉄を走らせました。当時耐火性の強い軟石の需要が高まり、石切山の軟石を札幌市内に運ぶ手段として使われていました。当時は札幌駅から北5条通りを走り西11丁目から国道230 号線を山鼻まで、ここで乗り換えて硬石山まで行ったそうです。[軟石採掘現場]のレリーフは軟石を採掘している人達のご苦労が伝わって来るようです。
藻南橋から上流を俯瞰すると川が静かに流れています。[清流]と呼ぶに相応しい趣です。
一方下流(真駒内方向)を眺めると、軟石の岩肌を露出した山が続いていますが、恐らく真駒内がこの山並みが切れる地点かと思われます。荒々しい自然が作った姿は大きなパノラマを見る思いです。
藻南橋は藻南公園の中にあります。[藻南公園]は豊平川沿いの中でも特に景観の美しい処です。この一帯は約3万2千年前の支笏火山(現在の支笏湖)から流れてきた軽石流がここで止められたと言われています。藻南公園は札幌扇状地の扇頂(扇状地の始まった部分)だそうです。
藻南公園にまつわる話題を一つ紹介します。
この公園は昭和24年に造園され今の名前が付けられましたが、以前は[おいらん渕]として知られていた場所です。この名前の由来について案内板には次の様に書かれています(要旨)[右手花壇広場の崖下河原に佇立している岩の付近をおいらんふちと言う。この渕、豊平川の流れの中でも最も深く、又渦も清らかなよどみであった。明治の末期吉原より身請けされてきたおいらんが話と違う余りの寂しさに世をはかなみ着飾って身を投じ、短く哀しい一生を終えたという話からおいらん渕と言われるようになった(中略)
この渕の断崖絶壁を眺めているとその昔おいらんと言う不幸な運命を背負った女性が身を投じたという話に実感がこもってくる]
★ この名前の由来については別の説も有るようです。
2008/05/31のBlog
石山陸橋から今度は徒歩で藻南公園方面に戻ります。右側はそそり立つ岩山が続き道路を挟んで左側の真下は町並みが広がつていまする緩やかな勾配の道を下るとまもなく[採石場跡地]です。
荒々しい岩肌が露出し所々に採掘した痕跡が残されています。この一帯が採石場跡地広場として整備されており、かっての採石場の面影をとどめています。
広場にはベンチなども整備され、所々に切り取られた軟石が積み重ねられタオブジェクトが、採石場跡地にふさわしい空間を演出しています。採石の歴史や工法を記した写真パネルも数多く設置されています。
広場の全景を俯瞰したものでする先程紹介した軟石が様々な形で積み上げられ広場にアンテークな空間を演出しています。
広場を離れて道路に出ると[藻南橋]のバス停があり、少し進むと藻南橋にさしかかります。
2008/05/29のBlog
真駒内から路線バスで定山渓方面に向かいます。ここは、石山地区でかつて札幌軟石で有名な採石場などがあつた場所です。藻南公園、採石場跡など岩肌があらわな山裾を走り、眼下に町並みが眺望されます。この陸橋あたりから、石山-定山渓に繋がる国道と、芸術の森-支笏湖に向かう国道453号、などが交差しています。写真は陸橋のバス停から石山方面を俯瞰したものです。
札幌から定山渓方面に通ずる国道230号線は、通称[石山通]を走っていますが、途中川沿11条から右折して藻南橋を渡る[川沿石山連絡線]です。左手に連なる岩、右手には眼下に町並みを見下ろしながら山腹を走り、この地点から下り勾配でやがて石山の平坦な道路に戻ります。かつて採石のために開削された道路なのでしょう。先に紹介した[平岸道路]の一部なのかも知れません。この先に進むと国道そばに[石山街道]と言う標石も置かれています。このあたりが山間の頂点で遠くの山並みを始め札幌の南部の町並みを望む事が出来ます。
道路の直下に広がる町並みです。石山で正面は商業高校だと思います。
目を転じると遠くに手稲山を望むことが出来ます。川沿の町並みの奥は藻岩山系で札幌中心街から西の方向に当たります。
眼前には藻岩の南斜面を見ることが出来ます。この陸橋から今度は徒歩で藻南公園方面に向かいます。林間のなだらかな勾配の道路です。
2008/05/27のBlog
[ 05:30 ] [ 町並みウオッチング ]
[五輪大橋]や[五輪小橋]はオリンピック開催のために架けられた橋で、それ迄途中の豊平川と真駒内川に遮られて国道230号線(札幌-定山渓方面)から真駒内に入る道は有りませんでした。現在はこの橋が出来たお陰で、地下鉄真駒内駅から市内各所に連絡するバス路線として、又、この道から国道札幌-支笏湖線への連絡道路として大きな役割を果たしています。
写真は真駒内側から国道に向かって建てられている交通標識です。
国道230号線をおれて[五輪大橋][五輪小橋]をわたり真駒内方向に進むと、国道札幌-支笏湖線に交差します。この間 を[五輪通]と呼んでいます。五輪大橋の手前に右の写真の様な標識があります。直進すると[真駒内公園]右折すると[藻南公園]と表示されています。
[藻南公園]は豊平川の激流部にあり、ダイナミツクな川の流れや、そそり立つ崖、深い森などが自然の雄大な姿で広がっています。真駒内公園からもハイキングコースが設定されていますが、秋の紅葉のシーズンなどはあちこちで野外パーティなども開かれ大変賑わいを呈している公園です。
[五輪小橋]をわたると右前方に[屋内競技場](通称アイスアリーナ)と呼ばれている円形の屋根が顔を出します。アイスアリナーはオリンピックで、アイスホッケーやフイギュアースケートなどで観衆を熱狂させた競技場です。このアイスアリナーの周りも公園として活用されています。戦後は駐留軍に接収されたあとゴルフ場として利用されていました。
ここから先は両側に並木が続く素晴らしい道路です。この道路を挟んで真駒内公園が広がり、公園を縦断する形で五輪通りが走っています。
2008/05/25のBlog
札幌市南区は、市の南西部に位置してその面積は、657.23㎡で札幌全市の約60%を占めている広大なエリアです。現在では、真駒内を中心に一大住宅ゾーンと成ってますが、定山渓温泉や豊平峡も南区内です。真駒内は1972年の冬季オリンピックのメイン会場として良く知られていますが、オリンピック開催にあわせて作られた地下鉄南北線の真駒内駅は、南区の玄関口といった趣です。
札幌のシエルター付き地下鉄については既に紹介しましたが、真駒内駅から見ると自衛隊駅に向かってシエルターが延びています。この東側は樹木に覆われた山林で市民の散策道も整備されています。西側は、住宅群の真駒内団地です。
真駒内駅前には、かつての札幌冬季オリンピックで選手村として建設された建物がマンション[五輪団地]として遺されています。整然と配置されたマンション群、緑に恵まれた環境は、札幌の新しい高級住宅地として名声を博しています。
札幌市の南の玄関口真駒内駅には、各社の路線バスが集まり、地下鉄との乗り換えの上でも大変重要なアクセス拠点となつています。駅前には、区役所を始めとする公共施設、商業施設が並び、利便性の優れた住環境です。
駅前通りを西に進み北方向に進むとここは真駒内の中心的な住宅街で、集合住宅、マンション、戸建て住宅などが整然と区画された地番に配置されています。かつての放牧場としての真駒内地区も現在では、札幌の誇る住宅エリアとして大きく発展を続けています。この先を進むと、オリンピックとも縁の深い真駒内公園から五輪通りにつながります。