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2008/07/06のBlog
[ 05:41 ]
[ 町並みウオッチング ]
地下鉄東西線は[南郷通]の下を走っています。前回紹介した[厚別・青葉通]と交って南郷通りが走っています。道路幅も広く中央分離帯に植えられた樹木も濃緑に輝き良く整備された道路です。写真は札幌方向を俯瞰したものですが、この先は[ひばりヶ丘][大谷地]へと続きます。この道路が整備され、地下鉄が運行してこの地域の発展はすざましく、行政エリアも当初の[白石区]から分区して新たに[厚別区]の誕生となりました。
この写真は[もみじ台]に通ずる南郷通です。札幌市の都市計画の中で新しい住宅地区として[青葉町団地][もみじ台団地]の造成が行われ、曾ての原野は一大住宅団地に変身しています。この地域が一名[下野幌]とも言われている地域です。
[厚別・青葉通]と[南郷通]が交差していますがこの通の南方向は、青葉町の住宅ゾーンです。市営団地と並んで個人住宅が密集していますが、すぐそばには昔からの原始林が公園として整備されるなど自然の豊かなエリアを形成しています。
2008/07/04のBlog
[ 05:23 ]
[ 町並みウオッチング ]
地下鉄東西線[新さつぽろ駅]は、札幌の東の玄関口として大きく発展しています。札幌の副都心として位置づけられたこの一帯には、市の公共施設を始め、大型の商業施設、ホテルなどが立ち並び、JRの新札幌駅とも併せてアクセス面でも大きな役割を担っています。中央の道路を跨いで回廊が設けられ、この回廊を結んで大型施設に相互に行き来できる様になつており、道路にはタクシーが列をなして客の送迎に大忙しです。
ツインビルの片方の1階部分はバスターミナルで、東・西方向に分かれたバスレーンからは、札幌・江別などの他、後背地の住宅地への路線バスが休む暇なく頻繁に走行しています。まさに地域住民の足の拠点として欠くことの出来ない役割を果たしています。
地下鉄駅から地上に出ると[札幌市青少年科学館]があります。緑に包まれた公園内に子供達の夢をはぐくむこの施設には、札幌市内の他道内他地区からの修学旅行の生徒達も訪れ何時も子供達の歓声が飛び交っています。この近くには、サンピアザ水族館もあり、こちらもフアミリーで楽しめる施設として多くの観客を集めています。
新さっぽろ駅を中心として、[厚別青葉通]りが走っています。一方は[南郷通]から青葉町、もみじ台などの広大な住宅団地に繋がりますが、反対方向は国道12線に繋っています。写真は厚別青葉通ですが、駅の近くには高層ホテルが建ち、総合病院も中心地から移転して新しい街の顔となつています。
2008/07/02のBlog
[ 05:31 ]
[ 町並みウオッチング ]
7月1日から3日間、札幌ドームでは、パリーグ首位の西武ライオンズと北海道日ハムフアイターズの3連線が繰り広げられます。今後の優勝を占う上でも目の離せない3日間となります。残念ながら初戦は日ハムの完敗に終わりました。第2戦に期待しています。国道36号線を今度は日を改めてドームの札幌側から歩いて見ました。ドームに向って右側は緑に包まれ、その中には絵はがきなどでもよく見られる[月寒種羊場]があります。静かな林道が続いています。
2008/06/30のBlog
[ 07:40 ]
[ 町並みウオッチング ]
地下鉄東豊線のターミナル[福住駅]が開通して国道36号線のこのエリアは急速に発展しました。その上に[札幌ドーム]と[北海道日ハム]が更に発展の速度を加速しつつあります。札幌ドームへのアクセスとしてとしも[福住駅]は大変な役割を果たしています。
札幌ドームで試合のある日は終日この街道には人が溢れ、地下鉄が着くたびに多くの観客がドームへ向つて行列が出来ます。
札幌ドームで試合のある日は終日この街道には人が溢れ、地下鉄が着くたびに多くの観客がドームへ向つて行列が出来ます。
2008/06/28のBlog
[ 13:24 ]
[ 町並みウオッチング ]
入り口の商店の脇に[さっぽろふるさと文化百選]の案内板が設置されています。此処には次の様に書かれています[明治43年(1910年)、旧豊平役場が豊平から月寒に移転したため、平岸の人々は役場の連絡道となる新道の開設を要望した。町は歩兵第25連隊に協力を要請し、翌年地元民も参加して工事が行われ全長2.6キロの道路が僅か4ヶ月で完成した。町は工事中兵士達に間食としてアンパンを提供した。これが今日の名物[月寒アンパン]である。以来この道はアンパン道路と呼ばれ地元民に親しまれている}。
国道36号線の入り口から真っ直ぐに伸びているアンパン道路は、途中で水源地通り合流してなだらかな勾配が続きます。暫く進むと右手に[月寒公園][月寒神社]があります。更に進むと平岸街道に出ることが出来ます。
2008/06/26のBlog
[ 05:27 ]
[ 町並みウオッチング ]
地下鉄南北線で北大周辺を歩き麻生駅から一路大通駅経由で東豊線に乗り継ぎます。東豊線の大通駅から終着駅の福住駅の間には、学園前、豊平公園、美園、月寒中央、の各駅があります。[学園前]駅は、平岸街道沿いにある北海学園大学、高校などの学舎と隣接しています。学園のために駅が作られた様な趣ですが、この平岸地帯はかってのリンゴ園とホップ園のあつた場所ですが、都心にも近く交通のアクセスも良い処から急速に発展を続けています。学園前には、学生のためのマンシヨン類も多く見られ一大学生街を形成しています。
札幌市のはずれ[野幌森林公園]の中に作られた[開拓の村]には、明治・大正期の建造物が復元・再現されています。[旧北海中学]もその一つです。かって北海中学は、札幌での私立中学の名門校として、多くの人材を輩出してきました。長い伝統を保持しながら今日の総合学園[北海学園]の基盤を築いたのは、浅羽 靖(しずか)と戸津高知(たかとも)の二人の先人です。この校舎は1909年(明治42年)豊平川沿いにある現在地に建てられたものです。復元された校舎内には、中学の歴史など豊富な資料が展示され各教室など昔ながらの状態そのままに再現されています。この古い学舎と現在のキヤンパスを比較するとまさに歴史の流れを痛切に感じさせられます。
2008/06/24のBlog
[ 05:18 ]
[ 町並みウオッチング ]
地下鉄南北線の北18条駅から終点の[麻生駅]へ向かいます。麻生駅の長いコンコースは長く南北に通路が繋がつています。地下鉄から地上にあがると広い交差点が目の前に広がります。かつてこの地帯は、新琴似番外として1891年に帝国製麻琴似工場が操業していましたが、1957年に閉鎖しその後住宅団地として造成された地域です。この時に亜麻の発祥の地として[麻]の字を残して地名が[麻生]と名付けられました。麻生町は、南の1丁目から北の9丁目まで区画が整理され札幌でも一大住宅エリアと大きく発展を続けています。
麻生は、札幌の北の玄関口として、路線バスもここから郊外、石狩市などと頻繁に走行しております。写真は石狩方面に通ずる幹線ですが、石狩新港の開港以降物流を中心とした陸上輸送が大幅に増加し道央の通過点としてこの面からも大きな役割を果たしています。
バス停留所には[麻生駅前]と記されています。この通りは札幌の中心部に繋がる幹線でね先に紹介した[北大通]に繋がっています。地下鉄が開通する以前は、北の玄関口は北24条でしたが、1978年地下鉄が北24条から延伸したため麻生は北の玄関口として大きく脚光を浴びつつあります。
2008/06/22のBlog
[ 05:46 ]
[ 町並みウオッチング ]
北大正門から銀杏並木の北13条を過ぎると左手に[北海道大学病院]が姿を現します。通称[北大病院]ですが、広い駐車場を抱えて巨大な病院の建物が悠然と構えています。病院正門前には、本田明二さんの[母子像]や、歴代医学部長などの胸像が並べられています。地下鉄北12条駅からも近く、又、路線バスの停留所もあり、何時も多くの人が行き交っています。
やや暫く北に進むと、メインの[北大]通りから左に折れて道路が延びています。道路の両側が樹木で覆われた通りで左手は北大の施設、右手はマンションなど一般の住宅街となつています。この通りは北18条まで続いています。表通りの喧噪から離れて静寂感が漂うストリートを形成しています。
広大な北大構内は、札幌市の東西を結ぶ幹線道路を遮断して都市計画の上での障害になつていました。この道路のもう少し先(左手)に長さ730㍍のエルムトンネルが完成し、北大構内の下を車が走行するようになり、アクセス面では大変利便性が高くなりました。写真はトンネルから抜け出て東に連なる道路ですがこのようにかっての北大の姿も時代と共に大きく変貌を遂げつつあります。
2008/06/20のBlog
[ 06:06 ]
[ 町並みウオッチング ]
札幌駅北口北7条通りを少し西に進むと西5丁目、通称北大通りに出ます。写真の奥(南方向)に高架が見えます。先に紹介したようにこの処にかつては跨線橋が架かつており、ここを市電も走っていました。国鉄函館本線の踏切のため常に渋滞する道路でしたが高架化により現在では車もスムーズに流れている様です。
この5丁目通りを北に進むと左手一帯は北大のキヤンパスです。北大正門前です。正門からキャンパスを見ると中央ローン一帯は緑濃い樹木で奥を眺望する事が出来ません。又、正門のすぐそばに[新撰組 永倉新八来訪の地]碑が建てられています。ここには大凡次の様に書かれています[新撰組の永倉新八は、徳川幕府崩壊後は杉村義衛と改名して剣道の指南に努めた。晩年には北大剣道場でも指南している。新八ゆかりの道場は、現北大本部(写真のビル)の北西にあった。新八は大正4年小樽市で77才の生涯を終えた]。
正門から北へと歩を進めます。左手一帯は緑の木の間からキヤンパスの建物が顔を見せていますが、都心の中の原始林的なイメージが漂よいます。道路を挟んで向かい側は、かつては学生相手の飲食店、古本屋なとが店を並べ学生街の様な町並みも、今は大きく変わりビジネスホテル、マンション、コンビニにど時代を反映する町並みとなつています。
2008/06/18のBlog
[ 05:23 ]
[ 町並みウオッチング ]
写真は札幌駅北口を走る北7条通りです。これまで札幌の中心街は、JRの線路のため南・北が遮断され、北の発展が阻害されてきましたが、札幌駅が改築され市内中央部は高架となったため、北地区の発展に弾みがかかりました。この北7条通りを東に進むとサッポロピール園やかつての雪印乳業など札幌を代表する工場が連なっています。また西に進むと偕楽園や北大キヤンパスを横に見ながら桑園地区に向かいます。大変交通の多い幹線で大変なにぎあいを見せています。
この北7条道路沿いにたてられている[エルプラザ]です。この道路沿いには国の出先機関が集まっている第一合同庁舎や近くには札幌中央郵便局もありのす。写真のエルプラザは前面はガラス張りの建物で札幌市の男女共同参画の事業で、広く市民の文化、教育の研修センターとしても利用されています。
札幌で最も高いビル[JRタワー]です。北口から見た写真ですが173メートルのこのタワーにはホテル、展望台もありますが、特に160メートルの展望台からの夜景はすばらしく、新しい観光スポツトとしても脚光を浴びつつあります。
2008/06/16のBlog
[ 05:51 ]
[ 町並みウオッチング ]
地下鉄東西線の西のターミナル[宮の沢]は、地下鉄開通以後急速な発展を見せ郊外のベットタウンとして人口も増大の一途を辿っています。この地区は、かつての[上手稲村]で、現在は[西区]に地番変更になっています。宮の沢駅そばには国道が走り、このターミナルからは、各方面への路線バスが走行しています。駅からほど近くに[手稲記念館]がありますが、その近くに写真のような[上手稲開村記念碑が建てられています。
[上手稲神社]は、地下鉄東西線[宮の沢駅]から徒歩で約10分の距離にあります。近くには[手稲記念館]もあります。かつてこの地域は[上手稲村]に属していたため現在も西区西野にありながら[上手稲]という名前が付けられているのです。神社は宮の沢駅から西野屯田通沿いの小高い丘にあり、急勾配のある階段を登った奥に拝殿が鎮座しています。写真は、表参道でこれと並んで裏参道もあります。裏参道の両側は[鎮守の森]で多くの樹木に覆われています。境内には、ご神木や牛馬塚なども建立されています。上手稲神社は明治9年仙台藩からの移住者が、現在の宮の沢2条4丁目に小祠を建立して上手稲神社と呼んでいました。現在地に移転したのは昭和40年の事で平成18年は創祀130年を迎えている大変古い神社でもあります。この神社には御祭神として天照大神、須佐之男命が祀られています。社殿の屋根が急勾配で一見教会風な建物と間違えそうなイメージです。
2008/06/14のBlog
[ 05:53 ]
[ 町並みウオッチング ]
地下鉄東西線[琴似駅]で降りると目の前に南北に連なる幹線が走っています。この通りがかつての琴似屯田兵村の幹線道路で、駅から数百メートル離れた場所が兵村の中心地でしたが現在は西区役所や区民センター、消防署などが建ち並び、近くには[屯田の森][琴似神社]もあり当時の面影を留めています。琴似兵村は、明治7年(1874年)に208戸が完成しましたが最初に10間幅の中央道路を建設しました。(現在の琴似本通)此を兵村の中心として東西南北に道路を設け村内の兵屋の地割を行いこの中央道路を挟んで南側(現在の西区役所前の屯田の森)に週番所(後の中隊本部)をまた、南東地区(現在の琴似神社)に養蚕の作業所を設けています。この兵村は現在の札幌市西区琴似3丁目から6丁目にあたります。
琴似兵村は、明治7年(1874年)に208戸が完成しました。地下鉄[琴似駅]を中心とした街の中心街にも[兵村兵屋跡][屯田の森][授産場跡]など屯田兵村の面影を留める遺産が残されています。区役所、消防署、区民センター等が並ぶ行政エリアの中の一つ消防署の建物の中に[琴似屯田歴史館資料室]があり開拓の歴史が一目でわかるように記録が陳列されています。
琴似神社は、現在の札幌市西区役所の前にあります。この地区は、琴似神社の前を走る幹線は、当時の兵屋の中心となつた道路です。この道路を挟んだ前には、[市役所][区民センター]等の行政機関と並んで、屯田兵に纏わる多くの碑などが建立されている[屯田の森]もあり、神社を含めてこの一帯は、琴似屯田兵村縁の地でもあります。琴似兵村は、屯田兵に養蚕を奨励し、この神社のあつた場所に[屯田授産場]がありました。正面鳥居の側に[授産場趾]碑が建立され側に由来が刻まれています。
境内の奥に[琴似屯田兵屋]が保存されています。屯田兵屋は、この近くにも1軒あり國の指定史跡に指定されていますが、この兵屋はかっての屯田兵の住まいを復元したものですが、神社の敷地内にある兵屋は、当時のものを改修した本物の兵屋で、別の場所にあったものを昭和38年に神社に奉納され保存されているものです。
2008/06/12のBlog
[ 07:15 ]
[ 町並みウオッチング ]
写真は北1条西4丁目に建てられている表柱です。この北1条通りは国道5号線で札幌と小樽を結ぶ幹線ですが、西25丁目から小樽方面に右折するため、25丁目に第一鳥居が建てられています。1895年建てられた鳥居は高さ8.7メートルの鉄筋コンクリートのもので札幌中心部に向かつて偉容を誇っています。この通りが所謂[表参道]ですが、これに対し南1条通が[裏参道]と呼ばれ、最近は[札幌の原宿]と称せられて大変なブームを呼んでいます。
裏参道西25丁目付近から神宮方向を俯瞰したものです。正面は大倉山でジヤンプ競技でお馴染みのジャンプ台が見えます。この通りは1976年の地下鉄東西線の開通が大きな起爆剤となりましたが、古くはこの通りで地域の農民が野菜を持ち寄り[円山朝市]も開かれるなど大変な賑あいを呈して様です。
南大通西23丁目にある[まるやまいちば]です。このいちばは、かつての円山朝市の面影を残している唯一の存在でもあります。1893年(明治26年)頃から営業を始めたお店が1953年(昭和28年)には小売市場となり今日に至っています。以前から新鮮な魚菜類、懐かしい対面販売などで遠くからも常連が多いことで有名です。
現在の裏参道は、おしやれなブテックや工芸店などが店を連ね若者が押し寄せるシヨツピング街に変身しました。[若者向けの新しいライブタウンの誕生]と言われ[札幌の原宿]とも言われています。かつての神宮参詣者の参道も時代の変化と共に大きく変わっています。
2008/06/10のBlog
[ 05:30 ]
[ 町並みウオッチング ]
北1条通りを西に進むと厚生年金会館を過ぎテレビ局(uhb)の正面玄関前には本郷新さんの彫像が2体大空に向かって手を広げています。やがて西16丁目にさしかかると右手一帯は樹木に覆われた広大な敷地です。角には瀟洒な交番もあります。この一帯は、かつて開拓使時代、鶴岡藩(現在の山形県)の士族156名が入植して[桑園]を造成した地域で、現在も[桑園]の地名が遺されています。この一角が知事公館そして三岸記念美術館、北海道立近代美術館などが並ぶ札幌の文化拠点の一つでもあります。この道路を西進すると北海道神宮から宮ノ森方面と途中右折して小樽方面に向かう幹線です。
北1条通りが公館の正面入り口ですが、公館の裏側は広い芝生で開放感に満ちた空間です。ここでは道内外の賓客を迎えての野外パーティなども行われる他、一般の市民も参加する知事との交流イベントなども行われています。芝生の真ん中に二つの柱が見えますが、これは近年建立されたモニユーメントです。流政之さんの[北のさきもり]です。
知事公館の構内の一隅に[三岸好太郎美術館]があります。この美術館は札幌出身の画家である三岸好太郎さんの画業を讃えて建設されたもので、ここには氏の作品220点余が展示されています。ホワイトカラーの建物が素敵です。
北海道立近代美術館は、1977年7月オープンしました。この美術館は札幌市の中央区、いわゆる文化ゾーンの中にあり、静かな木立に囲まれた中にユニークな建物が一際注目を集めています。この建物の周りは芝生に囲まれ、その中に数々のモニュメントが配置されていて来館者の心を和ませてくれます。
2008/06/08のBlog
[ 05:21 ]
[ 町並みウオッチング ]