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水路をゆく
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2005/11/27のBlog
[ 01:33 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新河岸川…1』のつづき)
志茂橋、岩淵橋をくぐり、新荒川大橋の手前まで来ました。
荒川とは、堤防のみを境に、ほぼ接しているような区間ですので、大きな橋は、2つの河川を1本でひとまたぎです。
時間は午後1時ごろですが、秋の日差しだけに、ちょっと日陰に入ると底冷えがします。新河岸川は、南側に建物や垂直護岸があり、ひんやりとした空気を水面に送ってくるので、寒さがますます身にしみるのです。
撮影地点のYahoo地図
新荒川大橋を過ぎると、右岸の堤防上には、美しく紅葉した並木道を見ることができました。D君とI君も「うわあ、キレイだなあ」と、感に堪えない様子で立ち上がり、何回もシャッターを切っていました。

こちらも、新芝川に劣らず、釣り人さんの姿が多いのですが、川幅が広いので、余裕を持って避けられる分、気が楽でした…。
堂々たるトラスをいくつも重ねているのは、東北本線の鉄橋です。

この写真を撮る直前、めったに見られそうもない、茶色い旧型の電気機関車が、たった一輌の荷物車かなにかを従えて、ゴォッと通り過ぎてゆくのに出くわしました。
回送でしょうか? 写真は撮れませんでしたが、何かトクをした気分になりました。

下の写真は、人道橋の、中の橋です。細身のアーチが、静かな水面に倒立した姿を映して、「静謐」とでも表現したくなる風情があり、寒ささえなければ、しばらく艇を止めて見ていたい情景でした。
視界をさえぎるように、横たわる箱状の建物は、川をまたいでプラットホームを設けた、埼京線北赤羽駅です。
手前の浮間橋も、結構な規模のトラスですが、嵩だかなホームが背後にあっては、端正な姿も埋もれてしまっているようで、少々哀れな感じすらします。

浮間橋手前、右岸に防災桟橋が小さく写っていますが、この前を通り過ぎたとき、桟橋上でお弁当を広げている数家族がいて、奥さんたちから「ご苦労さま~!頑張って~!」と、声援を送られてしまいました。…ナニと勘違いされたのでしょうか? 
撮影地点のYahoo地図
北赤羽のあたりから、河道は南へそれ、再び大きく北へと曲がります。今度は右岸に垂直護岸が見えるようになりました。

写真は、浮間と小豆沢を結ぶ、新河岸大橋です。右岸には大平製紙、左岸は取次の栗田出版販売と、印刷や出版流通に関連する企業が、軒を連ねています。
かつては、印刷用紙も、東京港で、本船から小型船に積み替えられ、隅田川・新河岸川をさかのぼって、この地に陸揚げされたのでしょう。
現在は、印刷用紙のほとんどが、千葉県の袖ヶ浦港に陸揚げされ、トラックで各地に配送されるそうです。

(17年11月13日撮影)

(『新河岸川…3』につづく)
2005/11/23のBlog
[ 10:50 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新芝川…3』のつづき)
そんなわけで、若干凹んだ気分で新芝川を後にしました。

水門を出たところで、振り返って、新芝川排水機場の表側をご覧に入れます。
操作室の、ガラス面積を多く取った、展望台さながらのデザインは、なかなか格好がよろしいのですが、こんな肌寒い日でも、直射日光を浴びたら、内部の温度は相当なものになるに違いない…などと、妙な想像をしました。
新芝川河口から、荒川・隅田川の分流点であり、新河岸川への入り口である、岩淵水門へは、はす向かいと言っていいほどの近さです。

新旧の岩淵水門の間にある水路を抜け、新岩淵水門をくぐり、右に一杯転針すれば、新河岸川と隅田川の合流点です。
お馴染みの赤水門と青水門にご挨拶。ご両人とも、今日も元気で何よりです。
新河岸川の入り口に来ました。何度か訪れてはいますが、当ブログには初登場ですね。
向かって左岸の土手が低いせいでしょう、水はなみなみといった感じで、いかにも水量が豊かそうに見えます。

こちらも、古くから水運が盛んで、30年ほど前までは、印刷用紙やインキといった、この近辺の地場産業を支える原料を、陸揚げする岸壁が多くあったと聞いていますが、現在では化石燃料など、ごく一部の荷揚げ設備のほかは、かつての喧騒をうかがい知るすべはありません。
撮影地点のYahoo地図
新岩淵水門の真横まで回り切ると、国交省・荒川下流河川事務所のポンド(船だまり)が目に入ります。

青いキャビンの、水上バスタイプの船は、河川巡視船「あらかわ号」です。
その搭載能力と、低い全高・ウォータージェット推進など、河川航行専門船ならではの装備を活かして、パトロールのほか、視察やイベントに、縦横の働きをしています。
荒川で最も、著名な船だと言ってもよろしいでしょう。
ポンドの、さらに河上側には、荒川知水資料館があります。
すでに何度か話題に上っていますし、川に関心のある皆さんはご存知かと思いますが、改めてご紹介しますね。

ここは、荒川をとりまく、治水の歴史や現状を中心に展示した、入館無料の資料館です。(サイトはこちら
荒川・隅田川・新河岸川という、3つの川の分流・合流点であり、新旧の岩淵水門もすぐ近くにあるという、まさに絶好の立地にあり、この方面がお好きな方は、1日いても飽きないところでしょう。
土木や治水に関心の無い、ボート乗りの方にとっても、川の海図ともいうべき、「河川航行情報図」の配布元でもありますから、決して無関係ではありません。
この情報図は、直接にこちらに来館して、1階窓口で、アンケート(住所・氏名の記入が必要です)に答えると、無料で配布してもらえます。
ただし、かなり大きい紙に刷られた図版ですので、ビックリなさらないように…。巻いた状態で渡されますので、持ち運びに不便はないと思いますが。

(17年11月13日撮影)

(『新河岸川…2』につづく)
2005/11/20のBlog
[ 01:11 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新芝川…2』のつづき)
芝川マリーナの前まで来ました。落ちついた感じの装飾が施された、なかなか瀟洒な水門です。中をのぞいて見ると、係留ではなく、上架保管のようですね。

芝川マリーナのサイトはこちら。中川の支流、大場川にある、大場川マリーナとともに、埼玉県河川公社が運営しています。内陸河川のマリーナというのも、水路好きにとっては魅力的な存在ですね。
満潮のゆるい逆流に乗って、入谷大橋にさしかかりました。
水深・水路幅ともに申し分なし、風を受けなければ暖かなので、静かな川面と相増し、鼻歌が出そうな順調さです。

ところが、マリーナを過ぎると、釣り人の姿がちらほら見られるようになりました。
釣り糸を引っ掛けては大変と、ウェイト要員としてバウに乗ってもらっているD君と、スターンのI君も見張ってくれますが、相手が透明な釣り糸だけに、容易ではありません。

棹が、岸に立っているのを発見すると、釣り糸がどこに入っているかを探すのですが、幸い満潮時のわずかな逆流で、糸の周囲にかすかな引き波が立つので、近づけばなんとかわかります。
このあたりから、両岸の法面には草が生い茂った部分が多くなり、接近するまで、棹や釣り人の姿をみつけるのは、難しくなってきました。
「すいませーん、通りまーす!」と、声をかけつつ、デッドスローで進みます。
撮影地点のYahoo地図
白鷺橋の先に、屈曲部が見えはじめました。あそこを曲がり切ると、川口オートレース場のそばにある、新旧芝川の分流点まで一直線です。
バウに座るD君の頭越しにみる水面は、鏡のようで、空も雲ひとつ無い快晴という、一見のどかな映像ですが、釣り糸を避けつつ、頻繁に舵を切って進むので、実はかなり緊迫している最中の一枚なのです。

その時、D君が「あ!」という小さな叫び声を上げ、空を掻くような仕草をしました。ジャラジャラと大げさな鈴の音がして、しなった棹が、藪の中から顔を出しました。ついにやってしまったようです!
引っかかった釣り糸を、外そうと慌てていると、鈴の音を聞きつけたのでしょう、濃い藪をかき分けつつ、もの凄い勢いで、おじさんがすっ飛んできました。
「あ~あ~、ボートなんかで入ってきやがって!」
怒り心頭といったご面相で、怒鳴られてしまいました。

「申しわけありません、今外しますから…」3人で平謝りしつつ、前後進を繰り返して、ペラに糸が絡まないよう、糸を持ち上げますが、なかなか上手くいきません。その間、おじさんにはたっぷりとお説教をされてしまいました。

「まったく、ようやく潮の具合が好くなって来たってえのに…。」真っ赤な顔をしたおじさんに怒られながら、意外と太い釣り糸を、ようやく外すことに成功。
「どうも、申しわけありませんでした。気をつけてはいたのですが…」と皆で頭を下げると、おじさんはそれをさえぎって、
「おまえら、まだ上まで行くのかい? これからあと5本は棹を出すから、おまえら帰れなくなるぞ!!」
う~ん、そこまで言われたら、帰らざるを得ません。残念ながら、写真の鳩ヶ谷大橋を前にして、引き返すことにしました。

おじさんのいるところから離れたとき、D君がボソリと一言。
「あそこ、一応、立ち入り禁止だと思うんですがねえ…」
まあ、既得権と言うところでしょうね。いずれにせよ、よそ者が大きな顔はできません。新芝川の攻略は、他日を期すことにして、新河岸川に転進することにしました。

(17年11月13日撮影)
撮影地点のYahoo地図

(『新河岸川…1』につづく)
2005/11/15のBlog
[ 20:28 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新芝川…1』のつづき)
新芝川排水機場の、ほぼ向かいには、トラス構造の印象的なローラーゲート、領家水門があります。旧芝川の河口でもありますが、締め切り状態で、船舶が入ることはできません。
下の写真は、山王橋東側近くで見つけた、ささやかなスライドゲート。こじんまりしたところが気に入りました。

これから我々が通る新芝川は、昭和40年に完成した、水害防止のための放水路です。竪川の合流点でもある、川口オートレース場付近で、芝川から東に分岐、ここ領家で再び旧芝川と合流しています。
(芝川については、埼玉県ホームページの『芝川改修事業』をご覧下さい。)

領家水門のYahoo地図
見沼通船堀華やかなりしころは、通船の盛んな内陸水路の一つとして名を知られていた、旧芝川をのぞき見ることができないのは残念でしたが、水門が閉鎖されていては、仕方がありません。

山王橋を過ぎると、両岸には一定間隔で杭が打たれ、杭の間にはロープでつながれたブイが浮かべられて、可航幅が狭くなっていました。向かって左岸には、多くの係留船があります。
なぜ、わざわざ可航幅を狭くするようなことを、と思っていたら、領家橋に「新芝川桟橋設置禁止」の看板が…。ナルホド。
人道橋である順信橋をくぐると、短いながら立派な、白く塗装された斜張橋が見えてきました。稲荷橋です。

ブイと杭の列は続いていますが、係留船の姿はなくなりました。可航幅は狭いですが、水深は確保されているようで、堤防には柵が設けられているため、岸辺には人もおらず、船舶にとっては安心できる水路であることは、間違いありません。
花の枝橋(詩的なネーミングですね…)と、新芝川橋です。ここで河道は大きく左に曲がります。

写真にも見えますが、この時は、芝川マリーナに入港する先行船が3隻おり、一列縦隊でゆっくりと遡行していました。
短気な人なら、イライラするかもしれないな、などと考えながら、我々も少し間を置いて、ノンビリ続航します。(少しでも速度を上げると、寒いということもあり…)
ここを曲がり切ると、まもなくマリーナが見えてきます。
内側に、大きな印刷会社の工場がある屈曲部を曲がりきると、再び河道はまっすぐになり、渋い造作のアーチ橋、南平大橋が見えてきました。
橋を透かして、左側に見える水門が、マリーナの入り口ですね。

時は満潮近く、水深も十分のようです。
まだまだイケそう、とほくそえんでいたのですが…。

(17年11月13日撮影)
撮影地点のYahoo地図

(『新芝川…3』につづく)
2005/11/13のBlog
[ 19:45 ] [ 航行河川・運河 ]
以前も書きましたが、私は寒がりで、しかも愛艇はオープントップであるため、いままで秋から冬にかけては、まず出港することはありませんでした。

その私が、11月13日(日曜)は、快晴・最高気温17℃・ほぼ無風という、天気予報を受けてとは申せ、厚着をして出港に踏み切ったのは、よほど「水路分欠乏症」とでも銘打つべき、変わり者の病にさいなまれていたに、違いありません。
今回は、友人のD君とI君を誘って、同乗してもらいました。
二人とも好奇心は旺盛で、写真も趣味にしているほど、なかなかの腕前ですので、水門など水路の風景の、傑作写真をものしてもらいましょう。

荒川に出て、速度を上げると、ほとんど無風状態とはいえ、艇の速度分だけの風が頬を刺します。…やっぱり寒い…。
荒川閘門を遠望するところまで来ると、閘門前の水面には、たくさんの船が出ている模様。リバーステーションにはテントが張られ、人出も多いようです。
何事かと近づいてみると、写真のように、なんとレガッタ競艇の、まさにスタート直前!
コースの真横には、競技を支援していると思しき、モーターボートも見えるのですが、特に警告はありませんでした。
波を立てないように微速で、慌てて舵を切り、現場を離れました。

しかし…前後の水面に、警戒船くらい出したほうが、よろしいのではないでしょうか…。
四つ木橋をくぐると、航路を示す黄色いブイが立ち並び、台船が数艘碇泊して、なにやら工事中の様子。
航路の終端には警戒船もいて、白い大旗を振っています。減速しつつ通り過ぎると、警戒船の乗組みの方が、手を振ってくれました。こちらも手を振って応えます。

警戒船の真横にさしかかった、我々の脇を、全速力でモーターボートが通り過ぎてゆきました。う~ん…。

撮影地点のYahoo地図
荒川河口から、1時間ほどで、本日の最初の目的地、新芝川の入り口、芝川水門に到着。平均速度は、10ノットほどでしょうか。
芝川水門は、昭和47年に竣工した2径間の水門で、新芝川を増水時の荒川から守るために作られました。左側には、隣接して新芝川排水機場が設けられています。
この対岸、やや荒川上流側には岩淵水門があり、新芝川には芝川マリーナもあって、休日ともなれば、結構な数のプレジャーボートが、行き交う水域でもあります。
撮影地点のYahoo地図
芝川水門を、くぐった直後の新芝川です。
ここを訪ねるのは初めてなので、上流にマリーナがあり、水深は確保されていることが頭では解っていても、ちょっと緊張。

水路中央には、数隻の船が碇泊していて、一瞬どちら側を通ったらよいのか、迷いましたが、幸い地元の方らしい先行艇がいて、左側が航路と判明。
左奥には、排水機場がありましたね。裏側は見られるのでしょうか?
新芝川排水機場を、裏から見てみました。
特にブイや柵などもなく、眼前に取水口が、少々恐ろしげな雰囲気で口を開けているさまを、眺めることができます。
毎秒最大、100立方メートルの排水能力を誇るそうで、台風などの増水時には、水門とコンビを組んで新芝川の溢水を防ぐのですね。
(『ARA』の『新芝川排水機場の役割は?』をご覧ください)

(17年11月13日撮影)

(『新芝川…2』につづく)
2005/11/11のBlog
[ 19:42 ] [ リンク集 ]
「閘門」でGoogle検索してみて、ヒットしたものの中から、興味深かったもの、役に立ちそうなものをいくつか掲げます。
「」内が、ヒットしたページのタイトル、()内がサイトのトップページです。

廃止されて、記念物となったものも含めて、全国の閘門の外観、スペック、通航方法や通航時間、休日などの、必要な情報が一覧できるサイトがあると楽しいのですが、お役所でもまだ、そういった動きはないようですね。
とりあえず、このリンク集でご辛抱下さいね(笑)。


こうして、各地の閘門サイトを見て回っていると、クルマにインフレータブルか、小さなカートッパーを積んで、全国の閘門めぐりというのも素敵だなあ、と妄想しますが、愛艇の出航日数すらかせげない昨今、妄想のままと終わりそうですなあ…。


★「水門・閘門ガイド」(利根川下流河川事務所
★「日本の閘門式運河」(国士舘大学文学部・地理・環境専攻
★「石井閘門」(宮城県
★「富岩運河・中島閘門」(とやまねっと・富山商工会議所
★「三栖閘門資料館
★「船頭平閘門」(木曽川文庫
★「鍋川閘門」(独立行政法人・水資源機構・旧吉野川河口堰管理所
★「満願寺閘門と小阿賀樋門」(阿賀野川河川事務所・阿賀野川アラカルト
★「大河津洗堰を船で通過されるみなさまへ」(大河津分水路 洗堰・可動堰
★「加藤洲閘門・舟の通過」(かすみがうら*ネット
★「近代遺産を訪ねて:九州発・三池港閘門」(読売新聞
★「新・旧北上川の分流地点・脇谷洗堰」(Mr Kappaの北上川ガイド・見どころ・歩きどころ

また、こちらは、閘門そのものではありませんが、検索結果を何とはなしに見ていたら、川走りがお好きな方のブログを発見!
across the road
小名木川はじめ、東京近辺の水路はもとより、イギリスの運河のお話もあります。narrowboatさんの著書も読んでおられるようですね。

(写真は豊洲水門、17年6月5日撮影)

【追記】昨日、「水門工学」(技報堂出版)という本を書店で発見。ぱらぱらと見て、専門的な記述が多いものの、治水の歴史や、技術の変遷についての読み物は、趣味的に見ても滅法面白く、早速購入しました。

わが国の水門や運河の歴史について、書かれた項目を読んでいたら、「吉井水門は1679(延宝7)年竣工した、わが国最古の閘門」という下りがあり、「1731(享保16)年に完成した、見沼通船堀より、さらに半世紀近くも前にできた閘門があったのか!」と、興奮しましたが、図版が入っていません。
そこで検索してみると、いくつかヒットしましたので、こちらもご紹介します。

★「県指定史跡 倉安川吉井水門」(おかやまの埋もれた歴史発見
★「吉井川」(河川局 百科事典 日本の川

この「水門工学」の技術史の項で、盛んに引用されているのが、矢野剛著「運河論」という本で、引用の仕方を見ると、どうも、今なおこれを超える運河の研究書は出ていないようなのです。
こちらも、読みたくてたまらないのですが、発行が戦前ということもあり、入手は困難だと思われます。(でも読みたいなあ…)

【さらに追記】こちらは、以前から気になっていたのですが、紹介するのを忘れていました。

★「郷愁をそそる流れ 創成川」(札幌市北区役所HP
★「創成川ルネサンス」(カムイミンタラ.net

これらによると、慶応2年から明治7年にかけて、札幌市内に開削された運河、創成川には、全長約15kmの間に、8ヶ所の閘門があったそうです。
国内で、1本の運河に、連続して閘門を設けたのは、見沼通船堀くらいだと思っていましたので、これが本当だとしたら凄いものだと、知った当時は驚いたものです。
今のところ、当時の閘門を撮影した写真や、工学的な視点で細部を説明したサイトが発見できず、起工・竣工年や閘門数も、サイトによってまちまちな部分がありますので、詳しいことは解りません。書籍をあたってみた方が早いのかも…。

【まだ追記】先日、ダム研究家・灰エースさんのサイト「ダム好きさん」を拝見。その内容の濃さ、素晴らしさにも驚きましたが、河口堰も守備範囲とされていて、その中の佐賀県・六角川河口堰に、閘門が併設されているのを見て嬉しくなり、掲示板でお尋ねしたところ、親切にご教示いただきました。以下は灰エースさんにお教えいただいた、閘門付き河口堰です。灰エースさんに、改めて御礼申し上げます。

★「長良川河口堰ホームページ
★「筑後大堰管理所

【もっと追記】灰エースさんに、再びご教示いただきましたので、追記いたします。鍋川の閘門は、上ですでにご紹介しましたが、今切川河口堰にも閘門があるのですね。
また、私にとって、身近な閘門が掲載されているサイトも、ご紹介させていただきます。(以前こちらで、扇橋閘門のサイトが見当たらない、などと書きましたが、やっぱり、私が知らないだけでした…)

★「旧吉野川・今切川河口堰の特徴」(旧吉野川河口堰管理所
★「江戸川水閘門施設概要」(八広の爺ちゃんママチャリ漫遊記
★「扇橋閘門扇橋閘門通船要領」(東京都江東治水事務所水門と排水機場を見てみよう
2005/11/05のBlog
なかなか出航もできそうにないので、撮りためた画像のファイルをかき回し、久方ぶりにフネ見物の数枚をお目にかけます。お付き合い下さい。

だいぶ前になりますが、日露戦争の事実上の決戦となった、日本海海戦から100周年の今年5月は、海軍ゆかりの地の横須賀でも、さまざまなイベントやシンポジュウムが開かれました。
特に5月29日の日曜は、横須賀新港で、自衛艦の一般公開があることを聞きつけ、フネ好きとしては、これを逃す手はないと、数年ぶりの自衛艦拝観と相成りました。

お邪魔したのは、最新型の護衛艦「たかなみ」と、潜水艦救難母艦「ちよだ」(写真下)。晴れてはいましたが、少々肌寒い強風下、まさに「天気晴朗なれど波高し」と言った風情で、満艦飾もはためいています。

撮影地点のYahoo地図
親切な乗組みの方々の解説を受け、「たかなみ」の、最新型艦らしい航海機器や、「ちよだ」が搭載する救難潜水艇にも、大いに興味をそそられたのですが、このときは、どちらかというと、艦内に貼り出された標語や、浴室など、生活臭のある区画に惹かれるモノがありました。

「食事前に全く手を洗わない人、水を少しかけるだけの人が多数見受けられます。
健康を害してまで節水に努める必要性は無いと思います。前の人が手を洗わなかったら注意するなど、乗員の意識改革にご協力下さい!
 たかなみ
 衛生科」
「たかなみ」の食堂の前にある、手洗所に貼られた注意書きですが、フネと言う閉ざされた空間の中で、集団生活をすることの大変さが、伝わってきますね。

左の2枚は、上が「たかなみ」の食堂入り口に貼られた、ケッサクなお品書き。(隣のポスト、郵便マークが付きながら『目安箱』とは?)下は「ちよだ」の艦内神社です。お賽銭箱が備えられていたので、折角だからと、連れと二人でお賽銭を入れてお参りをしたら、奥の部屋から出てきた隊員の方が、妙な顔をしてこちらを見ていました…。
「たかなみ」後部のヘリコプター甲板では、ロープワークを教えるコーナーがあったり、制服を着せてもらって、写真を撮るサービスがあったりと盛況でしたが、航海科の隊員による実演があるとのことで、黒山の人だかりに混じって拝見。

右側に立つ、2人の「水兵さん」は、ずいぶん若く見えましたが、りゅうりゅうたる信号ラッパの演奏振りと、目にも止まらぬスピードで交わされる、信号旗の動きはまったく見事。
背筋の伸びた姿勢の好さ、張りのある声とともに「さすがホンモノの海の男!」と、最近体力の衰えを感じる、木っ端ブネ船長は感心しきりです。
自衛艦拝観のあとは、記念艦三笠前の桟橋から、最終の渡船「シーフレンド1」で猿島へフラリと。ここの渡し船も、しばらく見ないうちに、ずいぶん立派になりましたね。

ご存知のとおり、かつては旧海軍の要塞であり、また、東京湾では希少な自然の島である猿島は、島全体に要塞の遺構が点在し、ちょっとした探検気分が味わえます。
今回、久方ぶりに訪ねたら、遊歩道や説明板が整備されて、探検と言うよりは、屋外博物館のおもむきでした。

今を去ること、もう20年近く前になるのでしょうか、最初の一泊航海の目的地が、猿島を望む三笠前の、某マリーナ所有の桟橋でした。
天気があまりよろしくなくて、三角波の立つ中、友人と二人でずぶ濡れになって、なんとか剣崎、久里浜、観音崎の難所をかわし、三笠前に飛び込んだときは、大げさではなく「命が助かった!」という気持ちだったのを、今でもよく憶えています。

その時は、まさか約10年後、自分が川走りフリークとなって、この横須賀沖を素通りし、何回も東京まで往復する身分になろうとは、夢にも思っていませんでしたねえ…。

(17年5月29日撮影)
2005/10/29のBlog
[ 22:44 ] [ 航行河川・運河 ]
(『小名木川…3』のつづき)

東深川橋の下から、青いトラスの西深川橋を望んだところです。

西深川橋は、橋の下をポンツン式の遊歩道が通っていて、徒歩で、橋の裏側を眺めることができます。親水施設も、いろいろ種類が豊富になってきましたね。
高橋が見えてきました。先ほどの新高橋の銘板で、お気づきの方もおられるでしょうが、「たかばし」と読みます。右側に見える桟橋は、水上バスの高橋のりばです。

そういえば、さんどさんの「追跡日記」(ニフティ・デイリーポータルZ)で、「高橋のりば。佐藤君でも乗れるのかが気になる。」という爆笑モノのキャプションつきで、紹介されていたのを思い出しました。
早速同乗のBさんにも披露して、「鈴木君や山田君の立場はどうなるのか?」なんて、バカ話の応酬をしつつ、艇を進めました。

余談になりますが、いまや姓としても一般的な「高橋」、もともとの意味は、「(船の通航に便利なように)桁を高くした橋」なんだそうです。水上交通と密接な関わりのある名前なのですね。
三径間の青いローラーゲート、新小名木川水門までやってきました。

ちょうど水路幅きっちりに設計されていて、左右にコンクリート堤防がないせいか、周りの風景にもしっくりとなじんで、好ましい雰囲気です。
船舶は右側通航ですから、右径間を通っていくべきなのでしょうが、行き会い船もないので、ここは堂々と、真中を通ることにしました。
小名木川の終点…イヤ、隅田川を基点とすれば始点ですね。この萬年橋は、小名木川の第一橋として、恥ずかしくない威容を誇っています。
そういえば、神田川や日本橋川なども、隅田川に面した第一橋は、立派に作られていますね。震災復興計画の成果なのでしょう。

以前ご紹介した、旧中川端の「江東区・中川舟番所資料館」で知られる、江戸時代の舟改めの番所は、最初は、この萬年橋近くにあったとのことです。
撮影地点のYahoo地図
隅田川の広い水面に出ました。東京の水路の銀座通りも、月曜の午前中とあって、船影はまばらです。

少しづつ、明るくなりつつある曇り空に、清洲橋の曲線美が映えて、平日であることを忘れさせます。
わずかな時間でしたが、閘門を二つくぐり、運河を抜け…都内での出来事とは思えない、心からノンビリした、浮世離れしたひとときでした。
水路好きのボート乗りらしからぬセリフと、思われるかもしれませんが、なんべん艇を出しても、この気持は変わりません。
それだけ、楽しめているということなのでしょうし、また、陸(オカ)と水面との距離が、まだまだ遠いという、証しであるのかもしれません。(小名木川の項、おわり)

(17年10月3日撮影)