Blog
2006/05/19のBlog
[ 22:57 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『京浜運河を散策する…2』のつづき)
旭運河の右隣、境運河に入りました。
こちらは運河沿いの係船設備や、建屋も多く、だいぶおもむきが異なりますね。
本船が入ってくるような規模でこそありませんが、繋留船もちらほらあり、静かながら、港の息吹が感じられる一角です。
旭運河の右隣、境運河に入りました。
こちらは運河沿いの係船設備や、建屋も多く、だいぶおもむきが異なりますね。
本船が入ってくるような規模でこそありませんが、繋留船もちらほらあり、静かながら、港の息吹が感じられる一角です。
写真左岸は、油槽所がひしめく「石油の街」であるせいか、消防艇の、朱色の船体が目を引きます。この奥左には、米海軍の油槽所もあるそうで…。
境運河という名称から、県境かなにかかしら、と思っていたら、この運河上に、川崎市鶴見区と、川崎区の区境が走っているとのこと。なるほど…。もっとも、それが名前の元かどうかは解りません。
【撮影地点のMapion地図】
境運河という名称から、県境かなにかかしら、と思っていたら、この運河上に、川崎市鶴見区と、川崎区の区境が走っているとのこと。なるほど…。もっとも、それが名前の元かどうかは解りません。
【撮影地点のMapion地図】
消防艇、というよりは、放水銃などの消防装備を充実させた、民間の曳船ですね。
朱い船体に、低いブリッジ、放水銃のマストを高々と立てたラインは、俊敏そうでなかなか格好がよく、鍛えられた猟犬のようなおもむきです。
さすがに油槽地帯、内航タンカーの出入りも多いとあって、警戒は厳重ですね。呼び止められるかな、と覚悟したのですが、以外と大丈夫で、拍子抜けしました。
朱い船体に、低いブリッジ、放水銃のマストを高々と立てたラインは、俊敏そうでなかなか格好がよく、鍛えられた猟犬のようなおもむきです。
さすがに油槽地帯、内航タンカーの出入りも多いとあって、警戒は厳重ですね。呼び止められるかな、と覚悟したのですが、以外と大丈夫で、拍子抜けしました。
安善運河と対面している、白石運河ものぞいてみました。
上の写真は、境運河から白石運河に曲がる、角のところです。写真左の建物、塔状の部分にクレーンのトラスが設けられており、唐突さというか、奇抜な感じがして、なんだか魅せられてしまいました。
下の写真は、白石運河に入り、鶴見線鉄橋と大川橋を望んだところ。こちらも安善運河にも増して浚渫がされておらず、ご覧のとおりのありさまです。
橋という障害があって、大型バージが通過できないとなれば、運河としての意味は、ほとんどないに等しいのかも知れませんね…。
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
【追記】1段目本文訂正しました。
(『京浜運河を散策する…4』につづく)
上の写真は、境運河から白石運河に曲がる、角のところです。写真左の建物、塔状の部分にクレーンのトラスが設けられており、唐突さというか、奇抜な感じがして、なんだか魅せられてしまいました。
下の写真は、白石運河に入り、鶴見線鉄橋と大川橋を望んだところ。こちらも安善運河にも増して浚渫がされておらず、ご覧のとおりのありさまです。
橋という障害があって、大型バージが通過できないとなれば、運河としての意味は、ほとんどないに等しいのかも知れませんね…。
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
【追記】1段目本文訂正しました。
(『京浜運河を散策する…4』につづく)
2006/05/14のBlog
[ 17:45 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『京浜運河を散策する…1』のつづき)
旭運河に入ってみました。風向きのせいか波は収まり、水面は平らかで、繋留船もなく、静かなホッとする雰囲気です。
両岸の安善町・末広町は、京浜港周辺では、最も古い埋立地で、この旭運河も大正時代からの、草分けの運河です。
「運河論」によりますと、以前は川崎運河と呼ばれており、埋立地の工場群から八丁畷駅まで、艀輸送の便を図るため、京浜電鉄(現・京浜急行)が、大正11年に竣工させたものだそうです。
現在は、末広橋付近から先は埋め立てられてしまい、往事の長さの半分以下になってしまいましたが、例によって、Googleマップ・サテライト(拡大してご覧ください)で見てみると、運河の痕跡が残されており、コースをたどることができます。
末広橋の上、産業道路のあたりから斜め右に折れ、しばらくして再び斜め左に曲がり、あとは国道15号線付近の終点まで、直進しています。終点はポンド(船溜り)としたため、四角いプール状になっていました。
【撮影地点のMapion地図】
旭運河に入ってみました。風向きのせいか波は収まり、水面は平らかで、繋留船もなく、静かなホッとする雰囲気です。
両岸の安善町・末広町は、京浜港周辺では、最も古い埋立地で、この旭運河も大正時代からの、草分けの運河です。
「運河論」によりますと、以前は川崎運河と呼ばれており、埋立地の工場群から八丁畷駅まで、艀輸送の便を図るため、京浜電鉄(現・京浜急行)が、大正11年に竣工させたものだそうです。
現在は、末広橋付近から先は埋め立てられてしまい、往事の長さの半分以下になってしまいましたが、例によって、Googleマップ・サテライト(拡大してご覧ください)で見てみると、運河の痕跡が残されており、コースをたどることができます。
末広橋の上、産業道路のあたりから斜め右に折れ、しばらくして再び斜め左に曲がり、あとは国道15号線付近の終点まで、直進しています。終点はポンド(船溜り)としたため、四角いプール状になっていました。
【撮影地点のMapion地図】
上の写真は、旭運河の上から、京浜運河方向を望んだ様子、下の写真は、鶴見線・新芝浦駅です。
他の枝運河は、岸壁や繋留設備が並び、船影も賑やかで活気がありましたが、旭運河はご覧のとおり、ひっそりとして、どことなくのどかな感じです。
船の姿は、終端部の船溜りに曳船がもやうくらいで、岸辺の浅いところでは、ここでも漁師さんが貝を採っていました。
左岸は鶴見線で占められているので、岸壁を設けられないという、単純な理由もあるのでしょうが…。新芝浦駅の、田舎の駅を思わせる素朴な風情も、こののどかさを演出するのに、一役買っているのかもしれませんね。
港湾としての運河でなく、かつての、純粋な通船路としての面影がうかがえる運河と言えるでしょう。
他の枝運河は、岸壁や繋留設備が並び、船影も賑やかで活気がありましたが、旭運河はご覧のとおり、ひっそりとして、どことなくのどかな感じです。
船の姿は、終端部の船溜りに曳船がもやうくらいで、岸辺の浅いところでは、ここでも漁師さんが貝を採っていました。
左岸は鶴見線で占められているので、岸壁を設けられないという、単純な理由もあるのでしょうが…。新芝浦駅の、田舎の駅を思わせる素朴な風情も、こののどかさを演出するのに、一役買っているのかもしれませんね。
港湾としての運河でなく、かつての、純粋な通船路としての面影がうかがえる運河と言えるでしょう。
旭運河の途中から右に伸びている、安善運河にも、少し入ってみました。
実業家・安田善次郎の名を冠したいかめしさとは裏腹に、右手にバージがもやっているくらいで、こちらもひっそり。
あとで、ここを通り抜けようと思っていたら、中潮の干潮時にあたったこともあり、安善橋の下は長々と砂州が露出して、仮に通航できたとしても、とても近づきたくないような状態です。
橋脚の間隔がこう狭くては、通航できる船も限られてしまい、浚渫も勢いおざなりになるのでしょう。
岸壁もないので、プレジャーボートで遊びに来た際の、泊地としては良さそうでしたが…。
【撮影地点のMapion地図】
実業家・安田善次郎の名を冠したいかめしさとは裏腹に、右手にバージがもやっているくらいで、こちらもひっそり。
あとで、ここを通り抜けようと思っていたら、中潮の干潮時にあたったこともあり、安善橋の下は長々と砂州が露出して、仮に通航できたとしても、とても近づきたくないような状態です。
橋脚の間隔がこう狭くては、通航できる船も限られてしまい、浚渫も勢いおざなりになるのでしょう。
岸壁もないので、プレジャーボートで遊びに来た際の、泊地としては良さそうでしたが…。
【撮影地点のMapion地図】
京浜運河に戻ろうとしたら、先ほど海芝浦駅にいた電車が、新芝浦駅に到着するところに出くわし、早速一枚。
考えてみたら、橋以外で、船上から列車をきちんと(しかも、至近で)撮影できるポイントって、珍しいのではないでしょうか。
日中とあって、この駅から乗ったお客さんは、たった一人でした。
考えてみたら、橋以外で、船上から列車をきちんと(しかも、至近で)撮影できるポイントって、珍しいのではないでしょうか。
日中とあって、この駅から乗ったお客さんは、たった一人でした。
旭運河の出口近くまで戻ると、まさにヌッ、といった感じで、運河の幅いっぱいを塞がんばかりに、巨船が入港してきました。
曳船を右舷後方に従えた、コンテナ船のお出ましです!
陽光に白い船体が映えて美しく、大好きな「質量過剰」なシーンに、このあとウェーキに翻弄されることも忘れ、夢中でシャッターを切りました。
(18年5月1日撮影)
(『京浜運河を散策する…3』につづく)
曳船を右舷後方に従えた、コンテナ船のお出ましです!
陽光に白い船体が映えて美しく、大好きな「質量過剰」なシーンに、このあとウェーキに翻弄されることも忘れ、夢中でシャッターを切りました。
(18年5月1日撮影)
(『京浜運河を散策する…3』につづく)
2006/05/10のBlog
[ 23:25 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『海老取川から多摩川へ…3』のつづき)
多摩運河に入ると、さっそく一直線の舷側ラインがスマートな、荷役中の鋼材運搬船に出会いました。
本船を眺めたことで、先ほどまでの緊張もほぐれつつ、やや速度を上げて十字路に出ると、今度は川崎海上保安署の監視取締艇「ふえにつくす」(『ふぇにっくす』なんでしょうね、本来なら。独特の表記ですな!)に臨検?され、ますます目尻が下がってしまう私。
…え、えーと、私おかしいですか?
いえ、別に喜色満面で応対したわけではありませんので、ご安心下さい。神妙に臨検されました。
「すいませーん、船検証見せてくださーい」と、若い保安官に玉網を出されて、船検証と免許をあらためられ、そのあと、住所氏名を口頭で聞かれるなどの臨検フルコース(笑)を、数年ぶりに体験しました。
船検証を返されたとき、映画「海猿」の写真が入った、救命胴衣着用促進のチラシと、「鶴見・川崎航路及び京浜運河の航行に注意」というリーフレットをもらい、タダでいただきものまでして…と、かえって恐縮してしまう始末(笑)。お勤めご苦労さまです!
とにかく風が強いので、接舷はせず、受け渡しのときだけ近づいて、あとは操船で船位を保ちつつ、待機しました。
このクラスの艇は、40ノットは出るので、悪いことをしてもまず、逃げられませんね…(笑)。
多摩運河に入ると、さっそく一直線の舷側ラインがスマートな、荷役中の鋼材運搬船に出会いました。
本船を眺めたことで、先ほどまでの緊張もほぐれつつ、やや速度を上げて十字路に出ると、今度は川崎海上保安署の監視取締艇「ふえにつくす」(『ふぇにっくす』なんでしょうね、本来なら。独特の表記ですな!)に臨検?され、ますます目尻が下がってしまう私。
…え、えーと、私おかしいですか?
いえ、別に喜色満面で応対したわけではありませんので、ご安心下さい。神妙に臨検されました。
「すいませーん、船検証見せてくださーい」と、若い保安官に玉網を出されて、船検証と免許をあらためられ、そのあと、住所氏名を口頭で聞かれるなどの臨検フルコース(笑)を、数年ぶりに体験しました。
船検証を返されたとき、映画「海猿」の写真が入った、救命胴衣着用促進のチラシと、「鶴見・川崎航路及び京浜運河の航行に注意」というリーフレットをもらい、タダでいただきものまでして…と、かえって恐縮してしまう始末(笑)。お勤めご苦労さまです!
とにかく風が強いので、接舷はせず、受け渡しのときだけ近づいて、あとは操船で船位を保ちつつ、待機しました。
このクラスの艇は、40ノットは出るので、悪いことをしてもまず、逃げられませんね…(笑)。
フネ好きとしては、嬉しいハプニングを味わったあと、十字路を直進して、荷役中のフネブネを眺めつつ、千鳥運河に進入。
工業地帯ですから、当たり前ではありますが、風向きによっては、異臭が漂ってきます。
派手な模様に塗装されたタンクを横目で見つつ、臨港鉄道のガーダー橋と、国道132号線の千鳥橋をくぐり、さらに前進。水深は十分あるようでしたが、水路幅、高さともに狭く、曳船やバージが通るのは、難しそうでした。
【撮影地点のMapion地図】
工業地帯ですから、当たり前ではありますが、風向きによっては、異臭が漂ってきます。
派手な模様に塗装されたタンクを横目で見つつ、臨港鉄道のガーダー橋と、国道132号線の千鳥橋をくぐり、さらに前進。水深は十分あるようでしたが、水路幅、高さともに狭く、曳船やバージが通るのは、難しそうでした。
【撮影地点のMapion地図】
ちょっと画像が荒くなってしまいましたが、ご容赦下さい。
千鳥橋をくぐると、左手にいくつか船だまりがありました。まず見えるのは、臨港消防署・千鳥町出張所の前にもやう、川崎市の消防艇たち。
この並びには、川崎市港湾局・市営埠頭受電所、川崎清港会もあり、川崎における港湾の中心地といった感があります。
下の写真は、民間の警戒船として第二の人生を送っている、もと海上保安庁の旧型巡視艇です。確か、昭和40年代に就役、現在は退役している、しきなみ型巡視艇だったと思いますが、いかがでしょうか。
払い下げ巡視艇は、マリーナのレスキューボートとして活躍しているのを、過去に2、3見たことがあり、思わぬところでオッ、と色めき立つこともありました。
千鳥橋をくぐると、左手にいくつか船だまりがありました。まず見えるのは、臨港消防署・千鳥町出張所の前にもやう、川崎市の消防艇たち。
この並びには、川崎市港湾局・市営埠頭受電所、川崎清港会もあり、川崎における港湾の中心地といった感があります。
下の写真は、民間の警戒船として第二の人生を送っている、もと海上保安庁の旧型巡視艇です。確か、昭和40年代に就役、現在は退役している、しきなみ型巡視艇だったと思いますが、いかがでしょうか。
払い下げ巡視艇は、マリーナのレスキューボートとして活躍しているのを、過去に2、3見たことがあり、思わぬところでオッ、と色めき立つこともありました。
左折して塩浜運河に入り、京浜運河に出て、右折したところです。写真左手遠方に、湾岸線の鶴見つばさ橋が、霞んで見えています。
京浜運河は、わが国でも数少ない本船運河で、構想は明治時代からあったそうですが、この雄大さには、いつ来ても圧倒される思いがします。
強風の上、盛んに行き合う本船のウェーキで、硬い衝撃が間断なく襲いますが、これでも外海よりは、はるかにマシな海況です。
水路の広大さに誘われて、ぐんとスロットルを倒し、ひとまず、扇島の西端近くまで、直行することにしました。
京浜運河は、わが国でも数少ない本船運河で、構想は明治時代からあったそうですが、この雄大さには、いつ来ても圧倒される思いがします。
強風の上、盛んに行き合う本船のウェーキで、硬い衝撃が間断なく襲いますが、これでも外海よりは、はるかにマシな海況です。
水路の広大さに誘われて、ぐんとスロットルを倒し、ひとまず、扇島の西端近くまで、直行することにしました。
東芝・京浜事業所の前まで来ました。駅を出ても、東芝の敷地以外に、行くところがないことで有名な、JR海芝浦駅が見えます。
過去に京浜運河を通ったときは、脇目もふらず沖を通り過ぎてしまっていたので、せっかくだからと、今回は停車中の電車を撮ってみました。
このあたりは、鶴見つばさ橋のかかる水路から、外海の風波が入ってくる場所でもあるため、たかが停まっている電車の写真、と思っていたら大間違い。こちらが波にもまれてガブるため、この一枚を撮るのに、えらく時間を食ってしまいました…。
帰路は、枝運河にも入ったりして、寄り道を楽しみながらゆくことにしました。
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
(『京浜運河を散策する…2』につづく)
【追記】地図リンク追加しました。
過去に京浜運河を通ったときは、脇目もふらず沖を通り過ぎてしまっていたので、せっかくだからと、今回は停車中の電車を撮ってみました。
このあたりは、鶴見つばさ橋のかかる水路から、外海の風波が入ってくる場所でもあるため、たかが停まっている電車の写真、と思っていたら大間違い。こちらが波にもまれてガブるため、この一枚を撮るのに、えらく時間を食ってしまいました…。
帰路は、枝運河にも入ったりして、寄り道を楽しみながらゆくことにしました。
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
(『京浜運河を散策する…2』につづく)
【追記】地図リンク追加しました。
2006/05/08のBlog
[ 20:56 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『海老取川から多摩川へ…2』のつづき)
多摩川本流に出て、羽田側を望んだところです。
ひたすら平たい空港の縁に、モノレールとレーダー塔のみが目立つ、雄大な風景ですが、これに見とれて、羽田側に寄り過ぎるのは禁物です。
上の写真の、左端にも写っていますが、小型タンカーが頻繁に離着岸するバースがあるので、まずこれを十分避けなければいけません。
多摩川本流に出て、羽田側を望んだところです。
ひたすら平たい空港の縁に、モノレールとレーダー塔のみが目立つ、雄大な風景ですが、これに見とれて、羽田側に寄り過ぎるのは禁物です。
上の写真の、左端にも写っていますが、小型タンカーが頻繁に離着岸するバースがあるので、まずこれを十分避けなければいけません。
羽田側に寄り過ぎない理由は、むしろ、これからご覧に入れるところにあります。
上の写真、(毎度解りづらくて恐縮ですが)右側の赤三角印から、下流に向かって斜めに伸びている、石造りの水制があるのですが、これが澪筋の中央近くまで、水面下に沈んで長々と設けられているのです。
青三角印は、恐らくこの水制が、水中にも続いていることを示すための、青いブイの位置です。
なお、船位の参考までに、左の赤三角印で、穴守稲荷の赤鳥居を示しました。
なぜ、このような水制を設けたのか、理解に苦しみますが、昔は澪筋が川崎寄りにあって、侵食や海からの波を防ぐため、設けられたのかもしれませんね。
また、多摩川の中央やや羽田寄りには、下の写真のような竿の列が、流れと平行に並んでいます。この竿の列より川崎側は浅瀬ですので、羽田側から距離を取り、竿の列から数艇身のところを、沿うようにして進みます。
上の写真、(毎度解りづらくて恐縮ですが)右側の赤三角印から、下流に向かって斜めに伸びている、石造りの水制があるのですが、これが澪筋の中央近くまで、水面下に沈んで長々と設けられているのです。
青三角印は、恐らくこの水制が、水中にも続いていることを示すための、青いブイの位置です。
なお、船位の参考までに、左の赤三角印で、穴守稲荷の赤鳥居を示しました。
なぜ、このような水制を設けたのか、理解に苦しみますが、昔は澪筋が川崎寄りにあって、侵食や海からの波を防ぐため、設けられたのかもしれませんね。
また、多摩川の中央やや羽田寄りには、下の写真のような竿の列が、流れと平行に並んでいます。この竿の列より川崎側は浅瀬ですので、羽田側から距離を取り、竿の列から数艇身のところを、沿うようにして進みます。
浅瀬の多い多摩川を脱出、京浜港への入り口、多摩運河から羽田側を望んだ風景です。ここでようやく、本当にホッとできるわけです…(こうして書いていてもホッとします!)。
赤三角印は、浅瀬の末端を示す杭(2~3本一組)で、下流側に傾いでいますから、満潮時は視認しづらいかもしれません。つまり、多摩川から多摩運河の入り口が見えても、すぐに舵を切ったりせず、下流側にやり過ごしてから、鋭角に進入するようなかたちになるわけです。
なお、写真右手の、川崎側の岸も浅いので、あまり下流側に行き過ぎないよう、注意が必要です。
以上にご紹介したような、多摩川の澪筋も、やはりGoogleマップ・サテライトをご覧になった方が、より解りやすいでしょう。浅瀬の様子はもとより、先ほど触れた石造りの水制も、はっきりと写っています。
海老取川河口右手から、多摩川下流方向に向かって、斜めに伸びている水制が、澪筋の河底まで、予想以上に長く突き出していることが、お解りいただけると思います。
赤三角印は、浅瀬の末端を示す杭(2~3本一組)で、下流側に傾いでいますから、満潮時は視認しづらいかもしれません。つまり、多摩川から多摩運河の入り口が見えても、すぐに舵を切ったりせず、下流側にやり過ごしてから、鋭角に進入するようなかたちになるわけです。
なお、写真右手の、川崎側の岸も浅いので、あまり下流側に行き過ぎないよう、注意が必要です。
以上にご紹介したような、多摩川の澪筋も、やはりGoogleマップ・サテライトをご覧になった方が、より解りやすいでしょう。浅瀬の様子はもとより、先ほど触れた石造りの水制も、はっきりと写っています。
海老取川河口右手から、多摩川下流方向に向かって、斜めに伸びている水制が、澪筋の河底まで、予想以上に長く突き出していることが、お解りいただけると思います。
浮島橋をくぐって、末広運河・千鳥運河・大師運河の十字路に向かいます。
意外に思われるかもしれませんが、このあたりの運河では、両岸の浅いところで、漁師さんが首まで水に浸かって、貝を獲ったりしていることが多いので、あまりウェーキを立てないよう、気をつけなければなりません。
この海老取川~多摩川の水路も、「羽田の干潟水路」同様、「川の本…2」で紹介ずみの「月刊ボーティフィールド・04年11月号」に掲載されており、過去に、愛好家のサイトで紹介されたこともあるなど、通の間ではすでに有名ですが、澪標を含めた航路の様子は時々変化しますので、現状をご紹介する意味で、あえて詳しく掲載しました。
久々の京浜港運河地帯、ここでも巨大船の雄姿に、お目にかかれるでしょうか。平日とあって期待度大、胸が高まります!
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
(『京浜運河を散策する…1』につづく)
【追記】地図リンク追加しました。
意外に思われるかもしれませんが、このあたりの運河では、両岸の浅いところで、漁師さんが首まで水に浸かって、貝を獲ったりしていることが多いので、あまりウェーキを立てないよう、気をつけなければなりません。
この海老取川~多摩川の水路も、「羽田の干潟水路」同様、「川の本…2」で紹介ずみの「月刊ボーティフィールド・04年11月号」に掲載されており、過去に、愛好家のサイトで紹介されたこともあるなど、通の間ではすでに有名ですが、澪標を含めた航路の様子は時々変化しますので、現状をご紹介する意味で、あえて詳しく掲載しました。
久々の京浜港運河地帯、ここでも巨大船の雄姿に、お目にかかれるでしょうか。平日とあって期待度大、胸が高まります!
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
(『京浜運河を散策する…1』につづく)
【追記】地図リンク追加しました。
2006/05/07のBlog
[ 21:49 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『海老取川から多摩川へ…1』のつづき)
弁天橋のアップをお目にかけます。
写真では、ちょっと解りにくいかもしれませんが、欄干には4枚の看板が貼られており、左から「×」「徐行」「航路」「×」とあります。航路は、2本の橋脚の間、右側の橋脚寄りです。通過は、くれぐれもデッドスローで…。
弁天橋のアップをお目にかけます。
写真では、ちょっと解りにくいかもしれませんが、欄干には4枚の看板が貼られており、左から「×」「徐行」「航路」「×」とあります。航路は、2本の橋脚の間、右側の橋脚寄りです。通過は、くれぐれもデッドスローで…。
弁天橋を出た直後の風景です。
水路は大きく左へ曲がり、多摩川の水面との間には、下流側に向けて砂州が伸びています。
右の護岸沿いには、数隻の船がもやっていますが、左側は浅く、澪筋は右側ぎりぎりにしかありません。停泊船にぶつけないよう、慎重に艇を歩かせます。
イヤ、いつ通ってもドキドキさせられる水路ですわ…。
水路は大きく左へ曲がり、多摩川の水面との間には、下流側に向けて砂州が伸びています。
右の護岸沿いには、数隻の船がもやっていますが、左側は浅く、澪筋は右側ぎりぎりにしかありません。停泊船にぶつけないよう、慎重に艇を歩かせます。
イヤ、いつ通ってもドキドキさせられる水路ですわ…。
左に曲がりきって、多摩川の流れと平行になったら、右手には、竿の先に布キレなどの目印をつけた澪標が、ずらりと立ち並ぶのが見えます。
写真やや左に見える、二本足の黒い棒状のものは、現在は使っていない、かつての着陸誘導灯です。
右側の澪標の列に寄せるようにし、着陸誘導灯のやや右を目指すようにして、しばらく直進します。
写真やや左に見える、二本足の黒い棒状のものは、現在は使っていない、かつての着陸誘導灯です。
右側の澪標の列に寄せるようにし、着陸誘導灯のやや右を目指すようにして、しばらく直進します。
着陸誘導灯に、近づいたところです。
誘導灯の向こうは、ごらんの通り砂州ですので、このまま進むことはもちろんできません。
澪標の竿のうち、左から2本目と3本目に、赤い旗がついているものがありますが、これが出口への澪筋を示したものです。
ほぼ直角に右折し、この2本の竿の間に入り、直進すれば間もなく出口です。
誘導灯の向こうは、ごらんの通り砂州ですので、このまま進むことはもちろんできません。
澪標の竿のうち、左から2本目と3本目に、赤い旗がついているものがありますが、これが出口への澪筋を示したものです。
ほぼ直角に右折し、この2本の竿の間に入り、直進すれば間もなく出口です。
これは帰路に撮影したものですが、多摩川の上から見た、海老取川の水路出口の様子です。解りにくいかもしれませんが…。
赤三角印をつけた2本の竿が、出口を示す澪標です。道路工事などに使う、パイロン(コーン)を先端にかぶせているのが、お解りいただけるでしょうか。この竿の間を抜けたら、すぐに舵を切らず、数艇身は直進してから左折(河口に向かう場合)します。
写真左の青三角印の竿にも、パイロンがかぶせられているので、間違えないように注意しなければなりません。右の2本とは、オレンジ色のブイが下げられていることで区別できます。
以上のように、海老取川から多摩川に出る水路は、S字状に屈曲しており、航路標識もごらんの通りチープで解りにくく、しかも浚渫された幅は広くないので、地元の方でもない限り、緊張を要する場所ではあります。
しかし、多摩川が増水するたびに、上流からの土砂によって変化する澪筋を、航路として維持していく関係者の努力は、並大抵ではないに違いなく、また、この水路のおかげで、京浜間を外海の波に悩まされず、行き来できることを思うと、非常にありがたいことで、頭が下がります。
さて、海老取川は抜けられましたが、多摩川を抜けるまでは、やはり浅瀬が多いので、まだまだ気が緩められません…。
(18年5月1日撮影)
(『海老取川から多摩川へ…3』につづく)
赤三角印をつけた2本の竿が、出口を示す澪標です。道路工事などに使う、パイロン(コーン)を先端にかぶせているのが、お解りいただけるでしょうか。この竿の間を抜けたら、すぐに舵を切らず、数艇身は直進してから左折(河口に向かう場合)します。
写真左の青三角印の竿にも、パイロンがかぶせられているので、間違えないように注意しなければなりません。右の2本とは、オレンジ色のブイが下げられていることで区別できます。
以上のように、海老取川から多摩川に出る水路は、S字状に屈曲しており、航路標識もごらんの通りチープで解りにくく、しかも浚渫された幅は広くないので、地元の方でもない限り、緊張を要する場所ではあります。
しかし、多摩川が増水するたびに、上流からの土砂によって変化する澪筋を、航路として維持していく関係者の努力は、並大抵ではないに違いなく、また、この水路のおかげで、京浜間を外海の波に悩まされず、行き来できることを思うと、非常にありがたいことで、頭が下がります。
さて、海老取川は抜けられましたが、多摩川を抜けるまでは、やはり浅瀬が多いので、まだまだ気が緩められません…。
(18年5月1日撮影)
(『海老取川から多摩川へ…3』につづく)
2006/05/05のBlog
[ 21:22 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『羽田の干潟水路』のつづき)
羽田可動橋をくぐり(開いているのですから、『くぐる』という実感は乏しいのですが…)海老取川に入りました。
海老取川については、すでに「海老取川」で紹介しましたが、当時のこととて写真も少ないので、今回改めて、もう少し詳しくお知らせしたいと思います。
進入直後は、広い水面が広がっており、左手には、水上警察の派出所を含む船だまりが、右手には、東京都下水道局の東糀谷ポンプ所、それに新呑川の河口も見えます。
新呑川は、北方にある旧呑川の新河道として、造られたものです。ごらんの通り船だまりとしても利用されており、以前から意識している可航河川ながら、まだ入ったことはありません。近いうちに、挑戦したいと思っています。
羽田可動橋をくぐり(開いているのですから、『くぐる』という実感は乏しいのですが…)海老取川に入りました。
海老取川については、すでに「海老取川」で紹介しましたが、当時のこととて写真も少ないので、今回改めて、もう少し詳しくお知らせしたいと思います。
進入直後は、広い水面が広がっており、左手には、水上警察の派出所を含む船だまりが、右手には、東京都下水道局の東糀谷ポンプ所、それに新呑川の河口も見えます。
新呑川は、北方にある旧呑川の新河道として、造られたものです。ごらんの通り船だまりとしても利用されており、以前から意識している可航河川ながら、まだ入ったことはありません。近いうちに、挑戦したいと思っています。
やはり右手に、ささやかな水面を守る小型の水門、北前堀水門(写真上)と、南前堀水門が見えてきました。州崎南水門とも形が似ています。おそらく近い年代の竣工なのでしょう。
これらも港湾局管轄ですので、「高潮から守る施設の紹介・呑川区域」(東京都港湾局)にデータが掲載されています。
【北前堀水門・撮影地点のMapion地図】
【南前堀水門・撮影地点のMapion地図】
これらも港湾局管轄ですので、「高潮から守る施設の紹介・呑川区域」(東京都港湾局)にデータが掲載されています。
【北前堀水門・撮影地点のMapion地図】
【南前堀水門・撮影地点のMapion地図】
モノレール・整備場駅に近づくと、水路はじょうごの口のように狭くなり、両岸は、積石の法面と、コンクリ護岸になります。ウェーキがもろに跳ね返ってきますから、せっかちな方も、速度を落とした方が良いでしょう。
右手には、空港名物の巨大電飾看板が…(笑)。
空港施設の沖合い移転で、少なくなってしまいましたが、子供のころ、羽田に連れてこられて、これが目に入ると、「ああ、飛行機に乗るんだなあ…」と、嬉しくなったことを思い出します。
撤去跡を見て気づいたのですが、すぐ裏側は住宅地なのですね。驚きました。
右手には、空港名物の巨大電飾看板が…(笑)。
空港施設の沖合い移転で、少なくなってしまいましたが、子供のころ、羽田に連れてこられて、これが目に入ると、「ああ、飛行機に乗るんだなあ…」と、嬉しくなったことを思い出します。
撤去跡を見て気づいたのですが、すぐ裏側は住宅地なのですね。驚きました。
護岸の狭水路が尽きるあたり、穴守橋が見えてきました。
ここから、水路は少し幅を増し、両岸はギッシリと船がもやわれ、人いきれならぬ船いきれ?にあふれます。いにしえの羽田州と、この水路を挟んで栄えた、漁師街の面影が残る、最も海老取川らしい風景ですね。
赤い橋は稲荷橋、かつて空港側にあった、穴守稲荷への参道の橋です。ここまでは、水路のほぼ中央を走れば、間違いありません。
ここから、水路は少し幅を増し、両岸はギッシリと船がもやわれ、人いきれならぬ船いきれ?にあふれます。いにしえの羽田州と、この水路を挟んで栄えた、漁師街の面影が残る、最も海老取川らしい風景ですね。
赤い橋は稲荷橋、かつて空港側にあった、穴守稲荷への参道の橋です。ここまでは、水路のほぼ中央を走れば、間違いありません。
茶色いガーダー橋、天空橋の近くまで来ました。
船だまりは右側だけとなり、羽田側は少し浅かったり、杭が出ていたりするので、右側を走った方が良いでしょう。碇泊船に迷惑がかからないよう、デッドスローで通航するのは、言うまでもありません。
この橋の先から、水路は再び急速に狭くなります。
右の、碇泊船の列に寄るようにして、左側を避けて通りましょう。念のため、フェンダーも降ろしておいた方が、いいかも知れません。
下の写真、遠方に見える、工事中の橋は弁天橋、海老取川の最終橋です。
ここからが、東京近郊の内水路のなかで、最大の難所といわれる(私が勝手に、そう思っているだけかもです…笑)海老取川・多摩川河口部です。
気持ちを引き締めて、舵とスロットルを握りなおしました。
(今回は、緊張してばっかりですな…)
【弁天橋・撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
【20年1月14日追記】海老取川ですが…整備場駅のあたりから北を海老取運河、南の狭い部分を海老取川と、区別されているそうです。
(『海老取川から多摩川へ…2』につづく)
船だまりは右側だけとなり、羽田側は少し浅かったり、杭が出ていたりするので、右側を走った方が良いでしょう。碇泊船に迷惑がかからないよう、デッドスローで通航するのは、言うまでもありません。
この橋の先から、水路は再び急速に狭くなります。
右の、碇泊船の列に寄るようにして、左側を避けて通りましょう。念のため、フェンダーも降ろしておいた方が、いいかも知れません。
下の写真、遠方に見える、工事中の橋は弁天橋、海老取川の最終橋です。
ここからが、東京近郊の内水路のなかで、最大の難所といわれる(私が勝手に、そう思っているだけかもです…笑)海老取川・多摩川河口部です。
気持ちを引き締めて、舵とスロットルを握りなおしました。
(今回は、緊張してばっかりですな…)
【弁天橋・撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
【20年1月14日追記】海老取川ですが…整備場駅のあたりから北を海老取運河、南の狭い部分を海老取川と、区別されているそうです。
(『海老取川から多摩川へ…2』につづく)
[ 18:38 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『平日の東京港は』のつづき)
東京港口を横切る形で、防波堤を出ると、さらに波が高くなり、スロットルを絞っても間断なくスプレーが頭上に降りそそぐほどで、すっかりびしょ濡れになってしまいました。オープントップのツライところ…イヤ、ここは醍醐味とヤセ我慢するべきでしょうか?
難航わずか15分ほどでしたが、ほうほうの体で城南島南方の水路に入り、建材埠頭に並ぶ砂利運搬船を横目に見つつ、一息ついたところです。
【撮影地点のMapion地図】
ここから京浜運河に入り、左折して海老取川に向かうことにしました。
3回目にして、ようやく行き先を明かすのも何ですが…近いうちにゲストをお乗せして、京浜運河の鶴見方面まで行く用事ができたので、しばらく走っていなかった、こちら方面の水路の様子を見るのと、私の慣熟訓練も兼ねての水路行なのです。
特に、これからご紹介する、羽田北方の干潟水路や、海老取川から多摩川にかけての水路は、浅瀬を縫うような澪筋で、過去に幾度も利用しているものの、かなり緊張する航路であることには違いないので、念のため、一往復してみることにしました。
東京港口を横切る形で、防波堤を出ると、さらに波が高くなり、スロットルを絞っても間断なくスプレーが頭上に降りそそぐほどで、すっかりびしょ濡れになってしまいました。オープントップのツライところ…イヤ、ここは醍醐味とヤセ我慢するべきでしょうか?
難航わずか15分ほどでしたが、ほうほうの体で城南島南方の水路に入り、建材埠頭に並ぶ砂利運搬船を横目に見つつ、一息ついたところです。
【撮影地点のMapion地図】
ここから京浜運河に入り、左折して海老取川に向かうことにしました。
3回目にして、ようやく行き先を明かすのも何ですが…近いうちにゲストをお乗せして、京浜運河の鶴見方面まで行く用事ができたので、しばらく走っていなかった、こちら方面の水路の様子を見るのと、私の慣熟訓練も兼ねての水路行なのです。
特に、これからご紹介する、羽田北方の干潟水路や、海老取川から多摩川にかけての水路は、浅瀬を縫うような澪筋で、過去に幾度も利用しているものの、かなり緊張する航路であることには違いないので、念のため、一往復してみることにしました。
京浜運河(同名の運河は神奈川県にもありますから、『京浜運河・東京側』とでもすべきでしょうか)の終端部にある、京和橋です。
この橋を抜けると、昭和島と京浜島、羽田空港と3つの埋立地に挟まれた、四角い内水面が現れます。
地図を見た限りでは、京浜島と昭和島の間から左斜め下、海老取川の入り口に向けて、直行すればよさそうなものですが、実はそうも行きません。昭和島に寄り添うような形で、ぐっと遠回りをしなければ航行できないのです。
【撮影地点のMapion地図】
この橋を抜けると、昭和島と京浜島、羽田空港と3つの埋立地に挟まれた、四角い内水面が現れます。
地図を見た限りでは、京浜島と昭和島の間から左斜め下、海老取川の入り口に向けて、直行すればよさそうなものですが、実はそうも行きません。昭和島に寄り添うような形で、ぐっと遠回りをしなければ航行できないのです。
【撮影地点のMapion地図】
この水路については、言葉で説明するより、衛星写真をご覧いただいた方が、解りやすいでしょう。
Googleマップ・サテライトをご覧下さい。四角い水面の、南方と西方の周縁部をのぞいたほとんどが、浅瀬で占められているのがお解りいただけると思います。
浅瀬の端部には棹が、曲がり角の部分にはオレンジ色の丸いブイが設けられてはいるものの、干潟が水没する満潮時は、広い水面に気を取られて、発見しにくい場合もあります。干潟がハッキリと視認できる、干潮時に通った方が、むしろ安全かと思います。
(満潮時に、まっすぐ干潟に突っ込もうとする艇を、追いかけて止めたことも過去にあるくらいです!)
写真は帰路、14時ごろ撮影したもので、上が海老取川入り口付近から昭和島方向を撮ったもの、下が同所から、モノレールの線路に沿った西方航路です。干潮時の干潟の様子が、お解りいただけるでしょう。
干潟には、たくさんの鳥たちが翼を休めていました。きっと貝やカニなどの、餌が豊富な場所なのでしょうね。
なお、以前「川の本…2」で紹介しましたが、「月刊ボーティフィールド・04年11月号」にも、この水路の詳細が掲載されています。
Googleマップ・サテライトをご覧下さい。四角い水面の、南方と西方の周縁部をのぞいたほとんどが、浅瀬で占められているのがお解りいただけると思います。
浅瀬の端部には棹が、曲がり角の部分にはオレンジ色の丸いブイが設けられてはいるものの、干潟が水没する満潮時は、広い水面に気を取られて、発見しにくい場合もあります。干潟がハッキリと視認できる、干潮時に通った方が、むしろ安全かと思います。
(満潮時に、まっすぐ干潟に突っ込もうとする艇を、追いかけて止めたことも過去にあるくらいです!)
写真は帰路、14時ごろ撮影したもので、上が海老取川入り口付近から昭和島方向を撮ったもの、下が同所から、モノレールの線路に沿った西方航路です。干潮時の干潟の様子が、お解りいただけるでしょう。
干潟には、たくさんの鳥たちが翼を休めていました。きっと貝やカニなどの、餌が豊富な場所なのでしょうね。
なお、以前「川の本…2」で紹介しましたが、「月刊ボーティフィールド・04年11月号」にも、この水路の詳細が掲載されています。
岸に沿ってゆるゆる進むと、首都高1号羽田線の旋回橋・羽田可動橋が見えてきました。ここから海老取川を通って、多摩川に出られます。
この羽田可動橋、珍しいので以前から気になっていたのですが、これに触れた本には出会ったことがないので、いい機会だからと検索してみました。
残念ながら、首都高速のオフィシャルサイトには記事がなく、「道の遺跡:羽田可動橋 」(路地裏旅行社)なる、愛好家のサイトが採り上げていました。
それによると、この橋、「首都高速羽田線のトンネル改良工事が行われた際に迂回路として作られ、現在は使われていない」のだそうで、いわば遺跡なのだとか。小ぎれいなので、とても廃墟には見えないのですが…。今のところ、裏が取れていないので、詳細をご存知の方がおられたら、ぜひご教示いただきたいものです。
(18年5月1日撮影)
(『海老取川から多摩川へ…1』につづく)
【19年12月10日追記】3段目の本文1箇所訂正しました。
【20年1月14日追記】この「干潟水路」は、京浜運河と海老取運河を結ぶ線を境に、西半分が平和島運河、東半分が京浜南運河…だそうです。
この羽田可動橋、珍しいので以前から気になっていたのですが、これに触れた本には出会ったことがないので、いい機会だからと検索してみました。
残念ながら、首都高速のオフィシャルサイトには記事がなく、「道の遺跡:羽田可動橋 」(路地裏旅行社)なる、愛好家のサイトが採り上げていました。
それによると、この橋、「首都高速羽田線のトンネル改良工事が行われた際に迂回路として作られ、現在は使われていない」のだそうで、いわば遺跡なのだとか。小ぎれいなので、とても廃墟には見えないのですが…。今のところ、裏が取れていないので、詳細をご存知の方がおられたら、ぜひご教示いただきたいものです。
(18年5月1日撮影)
(『海老取川から多摩川へ…1』につづく)
【19年12月10日追記】3段目の本文1箇所訂正しました。
【20年1月14日追記】この「干潟水路」は、京浜運河と海老取運河を結ぶ線を境に、西半分が平和島運河、東半分が京浜南運河…だそうです。
2006/05/03のBlog
[ 16:32 ]
[ 船 ]
(『辰巳運河』のつづき)
運河を出てすぐ左側、辰巳の内貿埠頭では、写真のように国内航路の小型貨物船群が、盛んに荷役しているのが目に入りました。
木材投下泊地では、木材運搬船が荷降ろし中(『5月のご案内』に掲げた写真です)。自船のデリックで、木材をつかんでは投げ、つかんでは投げ…まるで子供がオモチャを散らかしている、といった風情で、はた目にはなんとも乱暴な荷扱いに見えました(笑)。
もちろん、水面に投下した原木は、曳船が集めて、貯木場に曳いてゆくのでしょう。
なお、東京港の埠頭や、泊地の名称については、こちら(東京都港湾局・各ふ頭の概要と位置)に詳しく掲載されています。ご参考までに…。
運河を出てすぐ左側、辰巳の内貿埠頭では、写真のように国内航路の小型貨物船群が、盛んに荷役しているのが目に入りました。
木材投下泊地では、木材運搬船が荷降ろし中(『5月のご案内』に掲げた写真です)。自船のデリックで、木材をつかんでは投げ、つかんでは投げ…まるで子供がオモチャを散らかしている、といった風情で、はた目にはなんとも乱暴な荷扱いに見えました(笑)。
もちろん、水面に投下した原木は、曳船が集めて、貯木場に曳いてゆくのでしょう。
なお、東京港の埠頭や、泊地の名称については、こちら(東京都港湾局・各ふ頭の概要と位置)に詳しく掲載されています。ご参考までに…。
右に舵を切ると、有明の10号地(その1)に沿って、写真のような、巨大なケーソンが並んでおり、その異様さに目を奪われました。
ケーソンの角から、四方にアンカーロープらしいラインが、海中に伸びているところを見ると、どうやら置いてあるのではなく、浮いているらしいのです。側面には伊豆諸島の島名や、港名が書かれているところを見ると、これから曳航して行って、港湾施設の基礎にでもするのでしょうか?
ケーソンの角から、四方にアンカーロープらしいラインが、海中に伸びているところを見ると、どうやら置いてあるのではなく、浮いているらしいのです。側面には伊豆諸島の島名や、港名が書かれているところを見ると、これから曳航して行って、港湾施設の基礎にでもするのでしょうか?
10号地(その2)の突端にあるフェリー埠頭には、2隻の大型船が接岸していました。周囲を圧する巨体の迫力に惹かれて、波に翻弄される艇の上にふんばり、カメラを構えました。
こちらは「おーしゃん いーすと」。オーシャン東九フェリー㈱の、東京~徳島~北九州間に就航するフェリーです。
整備中なのでしょう、船首のバイザーが開放されており、ランプがだらりと垂れ下がって、まるで、アカンベーをしているように見えるのがユーモラスですね。
オフィシャルサイトには、船舶紹介がありませんでしたが、「長距離フェリー情報」(国土交通省 関東運輸局)に、スペックが掲載されていました。11,500総トン、速力21.5ノット、トレーラー101台、トラック27台、自動車75台を積載可能。旅客定員462名 と収容力を誇り、内装もなかなか豪華なようですね。
【撮影地点のMapion地図】
こちらは「おーしゃん いーすと」。オーシャン東九フェリー㈱の、東京~徳島~北九州間に就航するフェリーです。
整備中なのでしょう、船首のバイザーが開放されており、ランプがだらりと垂れ下がって、まるで、アカンベーをしているように見えるのがユーモラスですね。
オフィシャルサイトには、船舶紹介がありませんでしたが、「長距離フェリー情報」(国土交通省 関東運輸局)に、スペックが掲載されていました。11,500総トン、速力21.5ノット、トレーラー101台、トラック27台、自動車75台を積載可能。旅客定員462名 と収容力を誇り、内装もなかなか豪華なようですね。
【撮影地点のMapion地図】
「さんふらわあ とまこまい」こちらはお客さんをほとんど乗せない、自動車渡船です。「貨物案内・就航船舶一覧」(商船三井フェリー・さんふらわあ)によると、12,526総トン、速力30ノット、トラック161台・自動車46台積載とのこと。
さすが、30ノットの航海速力を誇る高速船だけあって、「おーしゃん いーすと」と比べても、ぐっとファインな船型は、贅肉のない精悍さを感じさせますね。東京~苫小牧間を、約20時間で走破するという韋駄天ぶりも、このスタイルを見れば肯かされます。
さすが、30ノットの航海速力を誇る高速船だけあって、「おーしゃん いーすと」と比べても、ぐっとファインな船型は、贅肉のない精悍さを感じさせますね。東京~苫小牧間を、約20時間で走破するという韋駄天ぶりも、このスタイルを見れば肯かされます。
青海のコンテナ埠頭と、中央防波堤内埋立地の間を抜けて、大井埠頭方向を見たところです。
さすが平日の東京港だけあって、出船入船が繁く、荷役も活発で、私にとっては血沸き肉踊る光景の連続ですが、本船の引き波と、ますます強くなる波と風に、艇は大揺れに揺れ、進路を保持するのも少し辛いほど…。
写真の左はす向かいにある、空港と京浜島の間にある水路に入るには、短い区間ですが、防波堤を出てしばらく走らなければなりません。難航になるでしょうが、久方ぶりの水路行、波に叩かれつつ進むのも足慣らしのうちと、丹田に力を入れて(大げさですが!)、舵を握りなおしました。
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
(『羽田の干潟水路』につづく)
さすが平日の東京港だけあって、出船入船が繁く、荷役も活発で、私にとっては血沸き肉踊る光景の連続ですが、本船の引き波と、ますます強くなる波と風に、艇は大揺れに揺れ、進路を保持するのも少し辛いほど…。
写真の左はす向かいにある、空港と京浜島の間にある水路に入るには、短い区間ですが、防波堤を出てしばらく走らなければなりません。難航になるでしょうが、久方ぶりの水路行、波に叩かれつつ進むのも足慣らしのうちと、丹田に力を入れて(大げさですが!)、舵を握りなおしました。
【撮影地点のMapion地図】
(18年5月1日撮影)
(『羽田の干潟水路』につづく)