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水路をゆく
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2006/06/10のBlog
[ 14:30 ] [ 水郷で遊ぶ ]
(『魅惑の水郷…4』のつづき)
注水が終わって扉が上がり、先着のサッパから順に閘室を出ます。例によって、扉から落ちるしずくを警戒し、カメラを懐に隠し、首をすくめたのですが、扉が小さいせいか水切りが良く、ほとんど被害なし。
外ではすでに一艘のサッパが、接岸して扉の開くのを待っていました。

常陸利根川の水面に出てから、加藤洲閘門を振り返ると、扉には水郷の象徴、菖蒲が描かれていました。水門の扉に、絵が描いてある例は多いですが、これはなかなか洒落ていて、別格という感じがしました。

小さくても、気配りの行き届いた加藤洲閘門…もしかしたら、日本で一番オシャレな閘門かもしれませんね。
常陸利根川の水面に出ました。
霞ヶ浦から外浪逆浦までの、決して長くはない流れですが、豊かな水を湛えた川面の雄大さに、さすが水郷の顔と、感心したものです。

対岸は潮来、水郷観光の拠点であるホテル街があり、河岸沿いは華やかな雰囲気です。薄緑色の水門は、潮来の目玉である前川を守る、前川水門。細長い箱のような扉は、シェル式ローラーゲートという形式のスマートな扉体で、やはり観光地ならではの気遣いが見えますね。

船頭さんによると、前川にも「新十二橋」があるとのこと。うーん、この調子だと、そのうち近所の川に、「新々十二橋」「本家十二橋」(笑)とか、どんどんイミテーションが増えたりしませんかね?
撮影地点のMapion地図

川の中央に出て西進し、潮来大橋をくぐります。いや、爽快爽快。自分で舵を握っていない分、周りの風景をめでる余裕がありますわ…。(欲を言えば、自分で舵を取りたい気持ちはあるのですがね!)
おや、たくさんのプレジャーボートが…。
一見、単なる船溜りかな、とも思ったのですが、陸置保管艇があるようなので、マリーナで間違いないでしょうね。なにしろ、広大な内水面を擁する水郷地帯、たくさんのマリーナがあることでも有名です。
こういうマリーナで、ボートレンタルしていたら、借りてみるのも楽しいかも…。

我々のサッパは、徐々に速度を落とし、左に舵を切りました。進路の先には、加藤洲閘門によく似た、やはり小型の閘門が。周りにはほとんど建物がなく、ポツンとした感じなのは、だいぶ雰囲気が異なりますが。
大割閘門というそうです。
「あそこを通るの?」「そうだよ~」と船頭さん。いや~、二つも閘門を通れるなんて…。「一粒で二度おいしい」とはまさにこのこと、本当に乗ってよかった!

船頭さんによると、繁忙期は、二つの閘門を通って一周などせず、十二橋の往復だけで済ましてしまうそうで、そういう意味でも幸運だったようです。
いま一艘のサッパと、大割閘門の閘室に進入。排水が済むまで、二艘の船頭さん同士が、お国訛りで四方山話をしていました。のどかな空気が、よりいっそうノンビリする感じです。

加藤洲閘門に比べると、ご覧のとおりぐっと簡素で、側壁はコンクリート打ちっぱなし、操作用の把手を納める樋も、パイプのみと実用一点張り…イヤ、これが普通ですね。
二つの閘門を見比べて、船頭さんの言った、繁忙期は十二橋の往復のみ、というのがなるほどと実感できました。こちらはあくまで、閑散期のオプションコースなのでしょう。もちろん私にとっては、もう楽しくてたまらないコースですがね!

我々の後から、バス釣りのプレジャーボートも入ってきて、こちらは一般の艇も通れることが解りました。先ほど与田浦で見かけたボートも、こちらから入ってきたのでしょう。
撮影地点のMapion地図
大割閘門を出ると、与田浦側には、お客さんを乗せた5隻を下らないサッパが、長蛇の列をなしていました。これで繁忙期ではないのだとしたら、書き入れ時には、一体どれほどの舟が、この閘門を通るのでしょうか…。
ちょっと見てみたい気もします。たくさんの舟に通ってもらって、もし閘門に心あらば、冥利に尽きると、涙をこぼすかもしれません(笑)。

閘門の隣は、小洒落た住宅だとばかり思っていたら、排水機場でした。こういうあたり、この町の人はほんと、気配りが細やかだなあ。

あとは、ほぼ一直線の水路を、一路与田浦へ。
コンクリート法面の護岸ですが、広々とした風景の中を走る、美しい水路です。
地面と水との距離が近いのも水郷らしく、行き合い舟も多く活気にあふれるさまは、現在進行形で必要とされている水路を実感させました。
どちらかというと、閑散とした水路ばかり走ってきた自分には、そこがなんとも嬉しく、幸せな気分になったものです。

(18年5月4日撮影)

【20年1月14日追記】大割閘門を通って、与田浦に至る水路は、大割水路というそうです。

(『魅惑の水郷…6』につづく)
2006/06/09のBlog
[ 20:07 ] [ 水郷で遊ぶ ]
(『魅惑の水郷…3』のつづき)
橋かと思ってふと見上げると、藤棚が。青空をバックに、よく手入れされた藤が映えてなかなかきれい。これも、十二橋のうちの一本なのかしら?
そういえば、水路の素晴らしい風景に、すっかりのぼせ上がって、橋を数えるのを、忘れてしまっていました…。

江戸時代に、十二橋を初めて紹介した、「利根川図誌」(岩波文庫より、最近復刻)によりますと、「加藤洲十二の橋は、川の兩邊に民家ありて、家ごとの通行橋也。もとより十二なるが、時として十三になる事あれば、また一橋闕くること極めて出來るとなり」とのことです。つまり、私的な橋なので、「十二橋」の看板通りにはいかず、増えたり減ったりすることもよくある、と。ちょっと楽しんでいる風にも読めますね。

下写真の橋は、護岸と同じような、石造りの橋台なのが、珍しく感じました。
大利根分館で買った、「利根川文化研究・8号(94年12月)」の、「『利根川図誌』と水郷十六島」(米谷博)という記事を読んだら、十二橋のかかる加藤洲地区は以前、道路が新左衛門川の東岸にしか設けられていなかったため、西側の家が、道に出るために各戸で橋を渡したのが、その始まりとありました。
左手に、先ほどのものより、少し広い舟入りが。家が迫っていないせいか、陽光が降り注いで、草も茂り、のどかな雰囲気です。こういうところに、自艇を繋いで暮らすのもいいなあ、などと妄想。
もしかしたら、かつてのエンマ(水路)を埋めた、その痕跡かも知れませんね。

舟入りの近くには、板に手すりを一本渡しただけの、簡素な橋が。かつての水郷の写真集にも、このタイプがよく出てきます。
船頭さんのお話では、少し前までは、こういう橋がほとんどだったのだが、近年、観光用にだいぶ架け替えたとのこと。まだ何本かは残っているので、昔をしのぶことができます。
そういえば、護岸を木の杭と板から、石積み(大谷石だそうです)にしたのも、平成になってからだとか。雰囲気をなるべく壊さずに、つねに整備を怠らない姿勢には、頭が下がる思いです。

水路はゆるい右カーブを描き、木や生垣が行く手を隠しています。十二橋の水路は、思ったよりカーブが多く、家並みや生垣で見通しをさえぎられるので、次に何が出てくるか解らず、ドキドキさせてくれる面白さがありますね。

奥に見える橋には、また看板がかけられているようです。
「ここからエンジンをかけてよろしい」という看板かな?だとしたら、出口も近いのでしょうか。
いきなり閘門です。

木の影になっていたので、まさに唐突とも言える、出現のしかたにまず驚きました。
さらに、周囲を民家と橋に囲まれた、余裕のないギッシリ具合が、まるで住宅密集地の路面電車のようで…住人の方には失礼ながら、私にとって、こんな楽しい「国道のある風景」ならぬ「閘門のある風景」は、かつてありません。
しかも、このコンパクトにまとまった、閘門らしからぬ可愛らしさは、どうでしょうか!たたみかけられるように、同時多方向から意表を突かれ、手放しではしゃいでしまいました。
ううん、十二橋、あなどれない…。最後までやられっぱなし(?)とは!
撮影地点のMapion地図
この閘門、加藤洲閘門といって、ウェブ上でも何度か紹介されており、(『閘門のリンク集』にリンクあり)その存在や、門扉の形は知っていたのですが、まさかこんな素晴らしい(笑)ロケーションとはつゆ知らず、いやホントに、ビックリするやら嬉しいやら。

すでに先着のサッパが一艘いて、右の壁に貼りつくようにして、閘門から出てくる舟のために、道をあけています。
通船操作は、左の写真にある、吊り皮のような把手を引いて行います。船頭さんによると、ふだんは無人だが、繁忙期になると人が一人ついて、操作してくれるとのこと。
やがて、可愛らしい扉が上がると、中から行き合い舟が続々と出てきました。対岸の潮来から来たのでしょうか、やはり開放型の舟は、我々だけのようです。
閘室は、外から見た印象より広くできていて、一回の操作で、サッパ10艘くらいは楽に通過できそうでした。
さすが、景勝地水郷と思ったのは、閘室の側壁が、緑色のタイルで飾られていること。右上に立てられた、「水郷佐原」の標柱も派手過ぎず、観光地らしい心遣いが感じられました。

プレジャーボートで、この閘門を通れるかしらと思ったのですが、閘門だけならまだしも、新左衛門川の水路が、今までご覧に入れてきたとおりですから、全幅のあるボートでは、まず無理ですね。
やはり十二橋と加藤洲閘門は、サッパの天下なのでしょう。和船しか通れない水路!いいなあ。

考えてみると、ひとのフネで閘門を通過する(笑)のは、これが初めてだなあと、変なところで感慨深いものが…。
水位差は約1m、扉の向こうは、霞ヶ浦の落とし水を湛える、常陸利根川です。

(18年5月4日撮影)

(『魅惑の水郷…5』につづく)
2006/06/04のBlog
[ 21:16 ] [ 水郷で遊ぶ ]
(『魅惑の水郷…2』のつづき)
目前に迫る、小さなコンクリート橋をよく見ると、桁の側面には「あじさい橋」と彫られた、立派な銘板がはめ込まれ、欄干にはその名の通り、あじさいがあしらわれていました。最近造られたようですが、派手過ぎない装飾に、小さな橋の可愛らしさが相増し、好ましく感じました。

欄干には「これより十二橋 エンジン停止 佐原警察署 加藤洲区長」と書かれた看板が。間もなく船頭さんは船外機を止め、よいしょ、とチルトアップすると、やおら、舷側の段差部に引っ掛けてあった竿を手にし、「こっからは、竿で行くからねえ」と言いました。
ささ、さお?あの、「竿は三年櫓は三月」と言われる竿? 路地のような水路というだけで嬉しいのに、この上竿さして進むことができるとは! 解っているはずなのに、うろたえっぱなし。
もう萌え死にますわ…(笑)。
竿さすわずかな水音のほかは、ほとんど音のない静かな水路。我々の声が妙に大きく聞こえるほどです。
切石でととのえられた護岸は、落ち着いた、清潔感のある雰囲気で、護岸と言うよりは、路地裏の万年塀のよう。
コンクリ護岸にしないあたりが、この街の心意気なのでしょうね。

水路が左に曲がったあたり、もとは店らしい廃屋がありました。田舎の駅の、ホームのような造作が目を引きます。舟に乗ったまま、買い物ができるのかなと思ったので、ちょっとがっかり。
せっかくのいい雰囲気が、ここだけ、なにか物悲しい感じになってしまい、やはり、かつてに比べて、お客さんが減ったのかしら?と思ったり。

廃屋の脇には、なんと、わずかサッパ一艘分の、かわいらしい舟入り(ふないり)が!
いや~、私の好みのど真ん中、ステキな水路情景の連続に、息つく暇もありません…。
撮影地点のMapion地図
角を曲がりきると、背の高い橋脚に載った木橋が、家並みに挟まるようにして、狭い水路にいくつも架かる、十二橋おなじみの風景がひらけました。

「おなじみの」などと、シレッと書いていますが、もう興奮の連続で、「いいねえ、ステキだねえ!」を連発し、やたらとシャッターを押しまくる姿は、単なるだらしない観光客(笑)。
見れば、女性がカメラをかまえている橋の下、「十二橋名物 草もち みたらし団子」の看板が! 先ほど見た廃屋で、舟からの買い物はできないものと、がっかりしたばかりですから、嬉しさも倍しようというもの。
「おだんご食べてくかい?」と、船頭さんがまた、タイミング良く声をかけるものですから、ますます欲しくなり、二つ返事でお願いして、さっそく舟を横付けしてもらいます。

よしずの下がった縁側には、木の台が張り出してあって、船頭さんと同じような笠をかぶったおばさんが、座布団に座って、お皿に盛った草団子を差し出してくれます。興奮していた上、代金を払ったりお団子を受け取ったりと、忙しかった(?)ので、肝心なときに、ろくな写真が撮れずじまいでした…。
団子屋さんを離れると、行き合い舟が続々と現れました。
岸に繋いである舟もあり、両方同時に進むことはできないので、我々の舟がしばし留まって、数隻をやり過ごします。どれもオーニングを張った密閉式で、前面の窓は引き戸のため、視界は限られそうです。今さらながら、開放式だったことに感謝しました。

水路幅は、行き違いにぎりぎりの幅しかなく、対向舟と擦れ合いそうで、しかもフェンダーを下げていません。いつもの習慣で、私が対向舟の舷側を押そうとして、手を出すと、
「いいんだよ、手ぇ挟まれるから、引っ込めてなさい」と、船頭さんにたしなめられました。
見ていると、どの舟も構わずに、岸や我々の舟に、ガリガリと擦って通ってゆきます。なるほど。キズでもつけたらと心配するのは、遊びブネの悪い癖ですね。
たくさんの小さな木橋、ガレージのような舟入りと、個々の家のために造られたものの集合体であるところが、十二橋の水路風景の魅力なのですが、いまひとつの魅力は、水路に向けて開かれた玄関が、そこここに見られるところでしょう。

石段をあつらえ、鉄環を打ってもやえるようにした、水辺の玄関は、私から見ると、もうそれだけで理想郷の風景ですが、写真のように、花咲き乱れる鉢植えで、美しく飾られた石段を見ると、この地の風景を、本当に大事にされているなあと、感に堪えません。

(18年5月4日撮影)

(『魅惑の水郷…4』につづく)
2006/06/02のBlog
[ 23:58 ] [ 水郷で遊ぶ ]
(『魅惑の水郷…1』のつづき)
ベンチに座って談笑している、船頭のおばさんたちにたずねてみると、乗船する人数に関係なく舟を出してくれ、一周40分ほどとのこと。二人でも出してくれるのなら、気兼ねがなくていいなと、お願いしてみることにしました。

私が声をかけた間なしに、一見ノンビリしていた船頭さんたちが、いっせいに立ちあがって、準備や説明にと、テキパキと動き始めたのには、びっくりしました。古くからの観光地ですから、お客の扱いには、慣れているのでしょう。
観光地化しているのはどうも…、という向きもありましょうが、私には、お客さんを大事にしてくれる雰囲気があふれていて、とても好ましいものに思えました。

船頭さんが乗り込み、船外機がかかる音がして、早速出港。
戸立造りの船首を持つサッパ舟は、木造FRP被覆構造のようで、艫の戸立に穴が開けられ、穴にはまるようにして、小型の船外機が取り付けられていました。
胴の間にはござと座布団が敷かれ、きれいに掃き清められています。隅に、丸棒を曲げた枠が積まれているところを見ると、胴の間にオーニングを張ることもできるのでしょう。

船頭さんは、この地にお嫁に来てから40数年、この仕事を続けられているそうです。船頭さんの雰囲気が、私の祖母にも似ていることもあり、年配の方に舵を取ってもらうというのも、少々恐縮しましたが、お話はとても面白く、年の功を感じさせました。

まずは与田浦を東へ進みます。前回書いたように、最初はあまり乗り気でなかった私も、舟が進むにつれて、次第に気分が高まってきました。
なにしろ、見渡すかぎり起伏のない、平べったい土地です。加えて、地面と水面の高さが、非常に近いのです。それだけで、なんだか、興奮してきてしまいました。ヒョイと舟をつなごうと思えば、どこでもできそうな岸辺ばかりですから…。
ふと岸を見ると、モーターボートを草むらに寄せて、釣りをしている人が。このあたりに母港があれば、利根川は言うに及ばず、霞ヶ浦や北浦、印旛沼といった、広大な内水面と、無数の閘門を、我が物と走りまわれるのですね…。
東京湾~印旛沼間を通船化する計画、実現しないかなあ…。

広かった水面は次第に狭まって、舟は先ほどクルマで渡った、与田浦橋をくぐり、左鋭角に針路を取って、新左衛門川に入ります。

かつての与田浦は、水郷の3分の1を占めると思われるほど、広大な湖だったのですが、前回触れた土地改良の際、主に常陸利根川から浚渫した土砂で、田の面積を増すために埋めたてられ、川のように細長くなりました。
もっとも、この地に人が住みついて以来数百年、肥沃な浚渫土を盛って、田や生活空間を僅かづつ増やして行く作業は、度重なる洪水と闘いつつ、営々と続けられてきたのですから、与田浦が狭められたのは、むしろ努力の結果なのでしょう。

私の住む東京と、ここ十六島、町場と田地の違いはあれ、沖積低地での営みは、必然的に埋め立てをともなうあたり、妙なところで親近感を覚えてしまいました。人がつねに水防活動をするなど、面倒をみていないと、東京も十六島も、いずれは水に帰ってしまうであろうところも、よく似ています。
撮影地点のMapion地図
新左衛門川に入ると、さっそく他のサッパと行き合いました。
ご覧のように、オーニングを張り、前面に窓枠をはめたものが多く、我々の舟のように、開放したままのものは、ほとんど見えません。当日は好天とは言え風があり、舟が走ると少し肌寒い、ということもあったのでしょう。

船頭さんも「寒かったら、綿入れ半纏があるから着なさいよ」と言ってくれました。しかし、眺望の点では断然、開放式の方がよく、第一屋根付きだったら、思い通りに写真も撮れなかったでしょう。このことでも、あの船着場から乗ったことが、幸いしたと思いました。

新左衛門川の川幅が狭まり、水路好きとしてはイイ感じになってきました。水面からの高さを稼ぐためでしょう、中央部をわずかに高めた、しかも平べったい桁橋が、生きている水路を実感させます。水辺を走る道路が低く、水面から周囲が見晴らせるという、ただそれだけのことが、実に新鮮。もうひとつひとつが、嬉しいことばかりです。

しかし、走るサッパを始めて見て、舷側のゆるやかな曲線といい、戸立造りの船首といい、実に格好のいい舟だなと、改めて惚れこみました。かつての利根川水運の主役、高瀬舟も、これに似た二枚造りの戸立でした。もちろん高瀬舟は、サッパとは比較にならない、居住設備も付いた、最大級の川舟ですが…。
今回サッパの元気な姿を見て、やはり川舟の船首は、一本ミヨシ(→こんな形の船首)もいいけれど、小粋な戸立に限るなあ、と思った次第です。
(↑こんなうがったことを、長々と書き連ねるあたり、興奮している証拠とお察しください…)
開けた風景から、家並みが水辺に迫る、生活感のある雰囲気になってきました。水路はますます狭くなり、それにつれて興奮の度合いも、いや増します。

土地が低いので、橋の前後だけ土盛りがしてあるのは、東京の江東地区と同様ですが、すべてが小ぶりである分、手に触れんばかりの近しさがあり、ええと、なんと表現したらいいのか、とにかく、形容しがたい感動がありました。

民家の土台そのものが、水路の岸である上、かたわらに架かる橋は、むりやりと言った感じでガードレールをしょい込み、さらに脇には水道管を吊り下げている…。
次々と目に飛び込んでくる、濃厚な水路風景、圧倒的な情報量に、いやもう、いっぱいいっぱいですわ…。
民家のある角を曲がると、再び周囲が開けたおとなしい眺め(?)となり、若干クールダウン(笑)。

とは言うものの、並木や土手の新緑も美しく、爽やかな水路風景です。両岸の平場には、使われなくなった農舟が、たくさん並べられており、あれは何か、と船頭さんにたずねると、これには菖蒲が植えられていて、満開になると実に綺麗なのだそうです。花壇となって、観光に一役買っているとは、粋な廃物利用じゃないですか。

爽やかな並木道に癒されて、安心していたら(笑)、虚をつかれました。
「こ、ここに入るの!?」
一本道だから、当たり前なのですが、つい船頭さんに(しかも詰問口調で)訊いてしまいました。
「そうだよ~」と、私の亡くなった祖母に似た船頭さんは、動揺を隠せない、若造の無礼な質問にも、涼しい顔で答えました。
いや、すごく狭いし、橋の間からのぞく水路の雰囲気が、もう谷中の路地に近いよ。別に、怖がっているのではありません。何度も本で見たはずの、水郷十二橋の水路なのですが、写真の印象とは、えらく感じが違います。
もちろん、ホンモノの方がずっと、面白いのです。「百聞は一見に如かず」という古諺を、地でゆくことになるとは、思いませんでした。

単に狭い水路ではなく、これはもう、雰囲気が道そのもの、なのです。
天然の河川でなく、洪水から街を守る放水路でもなく、ましてや物流の動脈としての運河でもない…これは人いきれのする「道」、生活水路とも言うべき、人のいとなみが生んだ水路の原点が、口を開けていました。
私はそれを、生まれて初めて見せつけられ、なんとも言いようのない気持ちになったのです。好奇心のメーターが、振りきれてしまったようなと言えば、近いでしょうか。

繰り返しになりますが、私、水郷をナメていました。
撮影地点のMapion地図

(18年5月4日撮影)

(『魅惑の水郷…3』につづく)

【追記】5段目に地図リンク追加しました。
【さらに追記】申しわけありません、上記の更新の際間違えて、しばらく「下書き」で非表示になっていました(泣)。
2006/05/31のBlog
「水路をゆく」に、ようこそいらっしゃいました。このブログは、全長21ft(約6m)の小さなモーターボートで、東京と、その近郊の川や運河を、散策する話を中心に、管理人が興味を持つ、水門や橋などの土木構造物や、治水・海事史、船舶全般の話題について、お届けしております。

最新の記事は、このご案内の下から掲載されています。スクロールしてご覧下さい。

原則としては、管理人の艇で航行できる、東京近郊の水路は、いずれはすべてご紹介したいと思っております。最近、状況は好転してきたとは言え、内陸の水路には、まだまだ航路情報が少ないのが現状です。管理人が航行することによって、管理人の艇と同クラスから、小さいクラスの艇のオーナーに、航路情報としても、参考になる記事を目指してゆきたいと思っております。

本ブログをご覧になり、掲載された水路を航行された方が、事故を起こされても、管理人は責任を負いかねますので、航行にあたっては、入念な下調べをされるなど、事故を起こさないように、各自の責任で安全航行をお願いいたします。
間違った記述については、コメント欄にてご遠慮なく、ご指摘、ご叱声をいただければ幸いです。本人が気づいた点は、後日「追記」として、訂正・言いわけを、各項目の末尾に書き加えております。

ジャンルは左欄にあるように、7種に大別されておりますが、例えば、「河川・運河」の項目に閘門の記事が、あるいは「その他」に文献の記事が、といったように、異なるジャンルの記事が含まれることもあります。
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各記事と関連のないコメントは、できれば、この「ご案内」のコメント欄にお願いいたします。
管理人のメールアドレスは、この「ご案内」のコメント欄にあります。

【5月1日更新】タイトルバック画像を更新しました。荒川の旧岩淵水門です。17年5月5日撮影。なお、お陰さまで本日、ようやく本年初出航をすることができました。詳細は、追ってご紹介いたします。
【5月8日更新】タイトルバック画像を更新しました。城南島、大井建材埠頭に接岸中の土砂運搬船と、羽田空港への着陸体制に入った旅客機です。18年5月1日撮影。
【5月14日更新】お知らせ・他のブログよりお越しの方へ Doblogではバージョンアップのために、下記の期間、サービスを停止し、移行を行う予定とのことです。下記の期間は、閲覧ができなくなります。
★2006/5/15(月) AM 10:00 ~ 2006/5/18(木) AM 10:00
★2006/6/上旬 3日間
【5月20日更新】木下(きおろし)蒸気船物語」にリンクさせていただきました。明治の初め、利根川の河港として栄えた、木下の外車船隊の話題を中心に、郷土の歴史を研究されており、河川舟運好きとしては見逃せないサイトです。
【5月28日更新】タイトルバック画像を更新しました。千葉県香取市、水郷十二橋の水路です。18年5月4日撮影。水郷訪問のお話については、次回より掲載いたします。
[ 21:54 ] [ 水郷で遊ぶ ]
去る5月4日、クルマで水郷を訪ねました。

江戸時代以来の、あまりにも有名な景勝地ですから、皆さんご存知とは思いますが、ここで言う「水郷」とは、普通名詞ではなく、千葉・茨城両県の県境一帯、利根川中下流域に広がる、河川や湖沼に囲まれた地域のことです。

広い意味での水郷は、潮来や佐原といった、古来からの河港街も含みますが、やはり水郷の中心は、利根川本流、横利根川、常陸利根川に囲まれた十六島、通称「シマ」でありましょう。

かつての水郷は、一面の水田の間を、エンマと呼ばれる水路が網の目のように走り、モノや人の動きすべてが、農舟「サッパ」によって為される、まさに水運が欠かせない日々の営みであった、全国でも珍しい穀倉地帯です。
昭和39年から始まった、土地改良によって乾田化され、無数のエンマは姿を消しましたが、今なお、いくつかの魅力的な水路が息づいています。

無数の川や、水路は言うに及ばず、霞ヶ浦や北浦など、広大かつ多彩な内水面を有するこの地域は、「水郷の原風景」ほかの本で読んで、以前から一種憧れの場所であり、自艇で走れないにせよ、一度この目で見てみてみたいものだと、思い続けていました。(もっと以前は、無謀にも、関宿を越えて、自艇でこのあたりに来ようとしていたのですから…。)

まえぶれが長くなってしまいましたが、上の写真は、東関道・利根川橋より、利根川本流と水郷十六島をのぞんだところです。水また水の素晴らしい眺望に、思わず声を上げてしまいました。
撮影地点のMapion地図
高速を潮来インターで降り、潮来の町の歓迎ゲートを抜け、水郷の中心たる十六島、中洲を目指します。第一の目的は、千葉県立中央博物館・大利根分館(もと大利根博物館)を見学することです。
水郷十六島のほぼ中央、与田浦の西端にある、水生植物園前の駐車場に到着しました。

水生植物園の前庭に、「水郷の美は天下に冠たり」と刻まれた、大きな石碑があるのが目に入り、思わず駆け寄りました。何度も本で見ていたので、初めて見る気がしません。
この石碑は、徳富蘇峰の筆によるもので、昭和12年、旧水郷大橋の橋詰近く、現在もある横利根閘門の付近に建立されました。現水郷大橋完成時に、こちらに移設されたのだそうです。
昔から景勝地として、多くの人々に愛されていたことが、実感できます。

右写真の案内板でおわかりのように、植物園や博物館のある中州は、与田浦の西端、水郷のヘソのようなところにあります。
撮影地点のMapion地図
千葉県立中央博物館・大利根分館に着きました。水生植物園に隣接していて、歩いても数分の距離です。最初から、こちらの駐車場に入れればよかったかな? でも、一面の水田を眺めながら、のんびり歩くのも、うららかな好天に恵まれていることもあり、実にいいものです。

入口にある、「大利根博物館」の銘が入った石は、訂正されていませんでした。今の名前は、ちょっと長すぎますからね…。

敷地内に入ると、前庭に展示された、かつての大倉渡船が出迎えてくれました。
説明板によると、昭和42年から62年まで、佐原市(現香取市)大倉新田と、対岸大倉の間で、使用されたものとのこと。ミヨシ上のステップや、船室前の引き戸に、学童渡船らしさが出ています。
館内は撮影禁止ですので、主な展示物は同館HPでご覧ください。
博物館の展示は、高瀬舟の、巨大な舵の実物に圧倒されるなど、楽しめたのですが、未整理の部分もいくつかあるなど、守備範囲の近い関宿城博物館と比べて、展示や応対の点で、少々残念なところがあるのは、否めませんでした。

屋外の展示物を、2つご覧に入れましょう。
上の写真は、角落としをそのままつないだような、素朴な木製スライドゲートの扉体です。昭和54年3月まで、佐原市・利根本流で使用されたとのこと。
下の写真は、昭和17年から63年まで、与田浦東端の、附洲で使用された排水機。現在の揚排水機場が整備されるまで、十六島を水害から守りました。
博物館見学のあとは、例によって本をオトナ買い(笑)し、すぐ前にあった食堂で、ご当地のウナギをいただき、食後、ゆっくり歩いて与田浦畔へ。

水生植物園の横には、写真の船着場があって、水郷十二橋めぐりの看板を掲げていました。ははあ、これがご当地名物、おんな船頭さんのサッパ舟による水郷めぐりかと、ピンときました。
クルマでこちらに来る途中にも、このような看板を掲げた船着場が、そこここに店を広げており、おんな船頭さんが、盛んにお客を呼んでいるのを見てきました。

実を言いますと、当初の予定では、サッパ舟を借りての遊覧は、まったく考えていなかったのです。要所をクルマで巡って、閘門や水路を撮り、水郷情緒の一端でも味わえれば御の字と、欲のないことを考えていました。やはり心のどこかに、「自分のフネで、思うさま走り回れない水面なんて…」という思いがあったのでしょう。

あとになって思い知ったのですが、それはとんでもない間違いでした。さらに、この場所から乗ったことが、幸運だったことも…。

私は、明らかに、水郷をナメていたのです。

(18年5月4日撮影)

(『魅惑の水郷…2』につづく)
2006/05/27のBlog
[ 23:51 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『汐見運河』のつづき)

帰港して、艇の清掃を終えると、もう夕方になりましたが、幸いまだ日が高いので、寄り道をしてから帰ることにしました(こちらは艇でなく、クルマで…)。江東区にいくつか見られるような、小さなトラス橋を、間近で眺めたり、触れたりしてみたくなったのです。

木場公園にほど近い、内部河川ファンにはおなじみの大横川沿いを散策。まずは福寿橋を訪ねました。
水面から仰ぐ橋もいいものですが、自分の足や手で、感触を確かめつつ橋を渡るのも、また楽しいものです。親柱のデザインや、橋詰広場の様子は、実際こうして渡ってみないと、解らないものです。
福寿橋の上から眺めた、大横川の様子です。
もちろん、もう葉桜ですが、びっしりと並んだ桜並木の新緑が見事で、夕暮れ時にもかかわらず、葉の色の鮮やかさが、目に沁みるようでした。

来年こそ、愛艇に、桜を拝ませてやりたいものです…。
福寿橋の橋詰広場には、江東区の形が刻まれた、小さな日時計が設けられていました。

何かの記念碑的なものだろう、と、まわりを見回したり、日時計の台座をあらためてみたりしましたが、曰く因縁を書いた説明が見当たらず、由来は分からずじまい。
でも、主要な水路が、ちゃんと刻まれているところをみると、運河や水運を意識して作られたことは間違いなさそうで、好感を持ちました。
木場公園を少し散歩したあと、大横川と仙台堀川の交差点近くにある、やはりトラス橋の崎川橋を撮影。
水面が近いって、いいものですね。

日中は真夏の暑さだったこの日も、夕凪とともにふと涼しさが戻り、静かな水面が、暮れなずむ空と一緒に橋を映して、夕涼みにはもってこいの情景でした。

大好きな川景色を、のんびり眺めながら、夕暮れ時を過ごすなんて、本当に久しぶりで、遅い本年初出航の日を締めくくるには、素敵過ぎるくらいだと、思えたものです。

(18年5月1日撮影)

(この項おわり)

【追記】これら2つの橋の詳細については、江東区HP・施設案内「福寿橋」「崎川橋」の項をご覧下さい。リンク先に地図もあります。
[ 23:50 ] [ 航行河川・運河 ]
(『河口点描』のつづき)

帰りにちょっと寄り道して、まだご紹介していない、汐見運河に入ってみることにしました。
汐見運河は、豊洲運河・朝凪橋の西から始まり、まもなく平久川と交差して、越中島貨物駅(現レールセンター)の南側を直進、曙北運河との丁字路で終わる、全長2km強の運河です。

写真は、豊洲運河から入ってまもなく、蛤橋を見たところ。「蛤橋」という名前が、かつての干潟が多く、豊かな漁場だった時代を思い起こさせます。
撮影地点のMapion地図
汐見運河に入って早速、河川用の小型タンカーに出会いました。おそらく水船(本船に真水を供給する船)と思います。舷側が水面すれすれの、川っプネならではのスタイル、いいですねえ。

下は、平久川との交差点にある、燃料スタンド。
日曜は営業していないようです。一回お世話になってみたいんですが、今だ果たせず…。
撮影地点のMapion地図
平久川との十字路を過ぎると、水路はやや右に折れ、ほぼ真東に向かいます。
白い鋼桁橋、鴎橋をくぐると、親水護岸とマンションに挟まれた、江東の水路おなじみの風景が広がりました。

日中のマンション街は静かなので、艇の水きり音も、ビルの壁に反響して聞こえてくるほど…苦情が来ないかしらと心配になり、ただでさえ低い速度を、ますます落としてしまいます。
下写真、遠くに見える、青い桁橋は汐枝橋、上を通る高速道路は、首都高9号深川線です。
かわいらしい斜張橋、しおかぜ橋が見えてきました。

人道橋ですが、ちょっと不思議な橋でもあり、江東区HPの施設案内・区道橋一覧を見ると、「しおかぜⅡ」から「しおかぜⅦ」までが記載されていました。
これはどういうことかと思っていたら、同サイト「しおかぜ橋」のデータに、「1径間鋼製斜張橋、1径間鋼製アーチ橋他多彩 」とあり、どうやら1本の橋でありながら、複数の異なる種類の橋で、構成されているようだということが解りました。おそらく、陸上にある立体交差部も、橋としての勘定に入れられているのでしょう。
しおかぜ橋を過ぎたあたり、いかにも通船、といった感じの、魅力的なフネが…。残念ながら、シートをかぶっていましたが。

遠方に見えるのは、京葉線の地下から上がってくる高架で、越中島貨物駅の近くです。右から斜めにつながる、東雲北運河と合流すると、曙北運河との丁字路はまもなくです。

(18年5月1日撮影)

(『寄り道』につづく)