Blog
2006/08/17のBlog
[ 21:52 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『新中川の橋づくし…3』のつづき)帰路は、中川のウネウネ区間?を利用して、荒川に出るという、これもお馴染みのコースを採ることにしました。
このつづら折り河道については、以前にも紹介しました(こちら)ので、前と違うアングルを中心に、かいつまんでご覧に入れます。
写真上:奥戸橋。上流側から撮影。左岸には、葛飾区総合スポーツセンターがあります。
写真下:平和橋の中央部。桁下端の、ゼブラ塗装の部分、衝突痕がいくつか見えますね。通航する皆さん、お気をつけて…。
こぢんまりとした、2径間のローラーゲートは、(社)東京下水道設備協会が運営する、本田ポンプ所からの排水口を、守る水門のようですね。小さいながらもゴツい風貌で、惹かれるものがあります。Mapionには表示されなかったので、Googleマップでご覧下さい。
【撮影地点のGoogle地図】
中川と綾瀬川の合流点まで来ました。斜張橋・首都高の葛飾ハーブ橋、トラス・上平井橋、その向こうに上平井水門と、個性豊かな構造物が交錯する、魅力的な風景です。
澪筋の限られた、屈曲連続区間もここで終わり、緊張も解けて、少しホッとする風景でもあります。
都内最大の可航水門、上平井水門の裏表を、撮ってみました。日も傾きつつあるころだったので、腕の悪さに光量不足が加わり、残念な仕上がりになってしまいましたが、裏側の、高潮の水圧に耐えるトラス構造や、ツートンカラーの扉体が、おわかりいただけると思います。
これも、以前紹介しましたが、中川水門の表裏もご覧に入れましょう。荒川側から見ると、ディテールに乏しいということもあり、小さく見えてしまう中川水門ですが、中川の面は一転して、ちょっとおどろおどろしいような、迫力ある風貌です。高速道路の、影になっている時間帯ということも、手伝っているのかもしれません。
(『8月5日のフネブネ』へつづく)
(18年8月5日撮影)
【8月19日追記】5段目、中川水門の写真と文を追加しました。
2006/08/14のBlog
[ 23:02 ]
[ 川っプネのトピックス ]
新中川のお話の途中ですが、まず今回の大停電の、被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げたいと思います。30℃前後の気温の中、エレベーターの中に閉じ込められたり、電車の線路を歩かされたりなどの、災難に遭われた方もおられたとのこと、皆さんご同情申しあげますが、死傷者が出なかったことは、幸いではありました。
私は、ありがたいことに、通勤に利用している電車が、若干遅れた程度で済み、停電の被害の大きさは、仕事場に着いてから知ったほどで、申しわけないくらい、実にノンキな朝でした…。
停電の原因となった、旧江戸川の高圧送電線を壊したクレーン船の運用や、その乗組員の行動については、首をひねるような点が多くありますが、情報は限られており、細部は今後、警察によって究明されるでしょうから、素人論評は控えておきましょう。
珍しく、タイムリーな話題を引き合いに出したのは、事故の起こった水域が、通い慣れた旧江戸川で、つい一週間ほど前に通過したばかりということもあり、やはりびっくりはしました。(ただそれだけか、と言われると、まあ、それだけですが…笑)
いつもは人影もまばらな堤防が、見物人や報道陣で騒然としているさまを見て、「あ、そういえば、この辺りの写真を撮ってあったなあ…」と思い出し、探してみると、ありました。前回航行時、8月5日の江戸川河口付近です。
遠くにうっすらと、くだんの送電線が見えています。確か、送電線には旗のような布片がつけられ、両岸の堤防には、大きな看板に「送電線注意!」と、書かれるなど、幾重にも注意を促す処置が、されていたはずです。
送電線の、水面からの最低高は、16メートルほどだそうですが、支えるもののない水面上では、少しの風で電線が大きく揺れるでしょうから、復旧作業はやはり、命がけのものなのでしょう。
艇上からはるかに見上げた、上空の送電線を思うと、電力会社の職員の皆さんの無事と、作業の成功を祈らずにはおれません。
2006/08/13のBlog
[ 21:33 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『新中川の橋づくし…2』のつづき)上:上一色橋(蔵前橋通り)
下:JR新金貨物線、新中川橋梁
新中川橋梁は、やはり中央がトラスの鉄道橋。右岸に渡ると、線路は川と平行になり、上流方に進んでゆきます。
【撮影地点のMapion地図】
上:高砂諏訪橋下:高砂橋(中川)
上の高砂諏訪橋が、新中川最上流の橋です。「入り口の橋」としては、平凡な人車分離の桁橋で目立ちませんが、目印としての役割は、少し上流の高砂橋が果たしているので、致し方ないのかもしれません。
斜張橋、高砂橋は言うまでもなく、新旧中川の分流点に立つ橋で、高砂から柴又帝釈天に至る道路(なんて呼ぶんでしょう?)を渡しています。
[ 17:52 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『新中川の橋づくし…1』のつづき)鹿本橋から、鹿骨新橋を見たところです。
植込みと、橋脚の位置にあわせたベランダが設けられており、お散歩にはもってこいという雰囲気ですね。
【撮影地点のMapion地図】
上:松本橋下:小岩大橋(千葉街道)
小岩大橋は、交通量が多いだけに、がっちりした鈑桁橋です。
参考までに、通過時は、中潮のほぼ満潮時でした。21ftクラスでしたら、おそらく通過に問題はないと思われますが、ハードトップや、マスト類のついている艇の方は、橋下通過時はご注意くださいね。衝突痕のある橋桁が、結構ありましたので…。
上:JR総武線・新中川橋梁下:上一色中橋
中央にトラスを配した、総武線の鉄橋。後ろにPC桁橋の、快速線がありますが、1点と数えました。
上一色中橋は、「標準型」の桁橋です。橋脚は、近くで見ると、ちょっと古風な感じがして、味わいがあります。
(18年8月5日撮影)
(『新中川の橋づくし…3』につづく)
2006/08/11のBlog
[ 20:08 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『旧江戸川下流部…2 』のつづき)今井水門をくぐり、新中川を遡行しつつ、下流側から全貌の見える橋、全てを撮影しました。
上:新今井橋(新大橋通り)
下:瑞江大橋(今井街道)
川に対して、大きな角度を取って斜めに横切る橋が少なくないのも、そこに元から道があり、後から水路が開かれた、なによりの証拠と見ましたが、いかがでしょうか。
上:南椿橋・首都高7号・新椿橋下:一之江橋(京葉道路)
首都高をはさんで、下流側に南椿橋、上流側に新椿橋が隣接してあるので、一点としました。
一之江橋は、京葉道路だけに車列が絶えることがなく、新中川でも最も交通量の多い橋でしょう。上流側右岸には、防災用岸壁があります。
上:大杉橋(大杉橋通り)下:鹿本橋(鹿骨街道)
ここでようやく斜張橋が登場、なんだかホッとしてしまいした。明和橋と同様、橋名が通りの名前にもなっているあたり、地域のシンボルとして、見られていることがわかります。
鋼桁橋は、新中川開鑿時に標準化して架けられたのでしょうか、同じタイプの橋がいくつか見られます。
(18年8月5日撮影)
(『新中川の橋づくし…2』につづく)
2006/08/07のBlog
[ 21:42 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『旧江戸川下流部…1』のつづき)緑の鋼桁橋は、江戸川の2本の水路と、妙見島をあわせてひとまたぎする、浦安橋です。
旧浦安橋はトラス橋で、昭和15年開通。浦安待望の、そして長い間、唯一の橋でありました。(水門から下流の旧江戸川は、今もって橋の乏しい地域ではありますが…)
右岸手前が、前項で触れた「蒸気河岸」のあったところです。明治43年より、内国通運の船着場として創設され、末期は深川の高橋(『小名木川…4』に写真あり)、行徳方面の通船が発着、昭和19年まで使用されたとのことです。
かつて、河港として栄えた場所の、そのほとんどは現在、船影もまばらな寂しい水面となっていますが、ここ浦安は、その用途を変えたとは申せ、たくさんの出船入船を目にすることができるので、なにか、救われる思いがするのです。
妙見島東岸には、ボート・ヨット乗りさんにはお馴染みのマリーナ、ニューポートマリンクラブがあります。川の中洲にマリーナがあるというだけで、川走り好きとしては、意識が吸い寄せられる(?)感じがします。レンタルボートもあるなど、サービスも充実しているそうで、東京湾奥では、古くからのマリンスポーツ拠点として著名ですね。
ニューポートの周りは、工場が多いので、このタンカーのような無骨なフネと、モーターボートが舷を並べる光景も見られます。う~ん、カッコいいブリッジのタンカーだなあ…。
ここでちょっと、以前から気になっていた、強烈な物件をひとつ…。左の写真は、当代島水門…の跡、と言ってよろしいと思います。
もとはもちろん、棚状の梁の上には、巻上げ機室の上屋があり、スライドゲートの扉体が吊り下げられ、通船もしていたのでしょう。身にまとっていたものを、全てはがされた姿はなんとも異様で、コンクリートの鳥居の出来損ないというか、物悲しい雰囲気すらあります。(別に、嫌がっているのではなく、廃墟の雰囲気も好きなのですが…)
これは、昭和48年まであった、船圦川(ふないりがわ)の水門で、川はもちろん、舟溜りとしても利用されていました。現在はご多分に漏れず、埋め立てられて、船圦緑道となっています。水門をふさいだコンクリート板に、余水吐らしい、ヒンジつきの丸いフタが付いているところを見ると、暗渠化されたのかもしれませんね。
【撮影地点のMapion地図】
右写真は成れの果て…ではなく、稼動中です。スライドゲートの新井水門。後ろには、新井排水機場があります。左の杭に、白ペンキで「ヨシノヤ」と書かれている…船宿の名前でしょうか?
当代島水門跡の、ほぼ向かいにある、新川東水門です。さすが都建設局と申しましょうか、当代島水門跡の、北風の音が聞こえてきそうな(笑)雰囲気に比べて、こちらは明るい雰囲気です。しかし、水門の立派さに比べて、水路の短さはご覧のとおり…。それでも小さなポンドとして、ここをねぐらとする船がいるのが、いじましいくらいです。
ご存知の方も多いとは思いますが、かつての新川は、中川をはさんで小名木川に接続する、関東水運のメインラインの一つ、幹線運河中の幹線運河でした。
ここが今でも、運河として機能していれば…河口波や浅瀬に悩まされることなく、江戸川~隅田川間を、行き来できるのですが…と、例によって栓のない妄想。水路の行き止まりの部分は、上を都道450号線が通っており、短い区間ですが暗渠化しているようです。
新中川が、旧江戸川に合流する、今井水門に来ました。手前は第一橋、瑞穂大橋です。折りしも、水門を通過したボートが、待ちかねたようにスロットルを開けて、こちらに向かってくるのが見えます。(平成5年の同地点の写真は『今井水門と中川』にあります)
【撮影地点のMapion地図】
新中川は、戦後になってから開鑿された放水路です。ここを通るたびに、気になっていたのは、架けられた橋の多さでした。
宅地化が始まってから完成した、というせいもあるのでしょう、短い区間に、多くの橋があるという点では、隅田川や、江戸川にはない特徴を持っているとも、言えるのではないでしょうか。
というわけで、思いつきではありますが、新中川の橋を、全部撮影してみました。
もっとも、すぐ横に人道橋が併設されている類のものは、勝手に1本と数えてしまったので、「全部」というのには語弊があるのですが…。(撮り忘れたものも、あるかも知れないし…もう一度、よく確認してみよう)
次回より、ご覧に入れたいと思います。
(18年8月5日撮影)
(『新中川の橋づくし…1』につづく)
[ 19:55 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『三枚洲の水路』のつづき)お久しぶりの、旧江戸川河口です。京葉線江戸川橋梁の後ろに、湾岸線舞浜大橋が平行して設けられています。
写真では、見えづらいかもしれませんが、右から2本目と、3本目の橋脚の間が航路です。誰が書いたのか、2本目の橋脚正面に、「←」が書かれているのが、座洲事故の多さを物語っているようです。広々とした水面にもかかわらず、写真左岸、東京側は浅瀬が広がっているのです。
何度も触れましたが、利根川行きに惹かれて、幾度も江戸川遡行に挑戦したころは、この橋が、冒険への入り口(笑)のように思えて、鉢巻きを締めなおし(もちろん、心の中で…)たものです。
河口からしばらく行くと、右手に見えてくるのが、見明川(みあけがわ)の入り口です。水面に影を落とす、堀江橋の平べったい形が、土手の草の青さにマッチして、夏の午後らしい、のどかな風景です。埋め立てが急速に進む、昭和40年代以前は、広大な砂洲の間に、「圦(いり)」と呼ばれる水路が縦横に流れていたそうですが、この川もかつては、そんな浅瀬の澪筋のひとつであったのでしょう。
【撮影地点のMapion地図】
やはり右岸の、さらに上流に進むと、コンクリート堤防が途切れて、結構な規模のポンドが姿をあらわします。これは、「堀江ドック」と、ちょっとハイカラな呼び方をされている舟溜りで、昭和24年、キティ台風の被害で壊れた堤防を復旧する際、あわせて建設されたものだそうです。地場の漁船専用で、外来艇の使用はできませんからご注意。
青い鋼アーチ、東西線江戸川橋梁の近くまで来ました。橋の向こう左寄りには、東京では珍しい中洲、妙見島も見えます。島の西水路は、屋形船や遊漁船の舟溜りで、やはり外来艇は立ち入り禁止です。写真右岸は、浦安市の当代島。かつては渡し舟や、東京行き通船の発着所があり、現在は東西線浦安駅にも近く、昔から浦安の中心地として、栄えている街でもあります。
東西線の橋のすぐ近く、下流側にあるのが、写真の境川西水門。以前紹介しました、境川東水門と対をなす、「浦安の母なる川」、境川を守る水門です。昭和28年、木製マイタゲートにて創設、現水門が建造されたのは、昭和40年だそうです。(木製マイタゲートの時代、見たかったなあ…)
戦前の浦安をモデルに書いた、山本周五郎の小説「青べか物語」にも登場する、通船発着所「蒸気河岸」は、この少し左、東西線橋梁の、少し上流側にありました。
【撮影地点のMapion地図】
(参考文献『浦安 文化財めぐり』浦安市教育委員会、平成13年発行)
(18年8月5日撮影)
(『旧江戸川下流部…2』につづく)
2006/08/06のBlog
[ 20:02 ]
[ 航行河川・運河 ]
昨日5日午後は、仕事を休ませてもらい、久しぶりに、新中川を散策してきました。寒がりの私にとっては、貴重な夏だというのに、先月はついに出動なし。約一月ぶりの出港です。
写真は、6月に新しく装備した、GPS魚群探知機です。魚探はその名の通り、水中にいる魚群を音波で知る装置なのですが、私は釣りには興味がないので、もっぱら浅い水路を走るときの、測深機として用いるために設けました。
GPSはカーナビでお馴染みの、衛生を利用した航法装置で、自艇の現在位置と、航跡を記録し、対地速度も表示されるなどの機能があります。私は、画面の左半分にGPS、右に魚探を表示させて、使っています。
だいぶ前に、「魚探を測深のみに使うような、蓮っ葉な使用法もいいかも…」といった意味のことを書きましたが、それがようやく実現したわけです。早速、6月24日の海老取川通過時より威力を発揮、澪筋の把握がぐっと楽になりました。
澪筋を読む緊張感も、川走りの醍醐味の一つではあるのですが、トシのせいでしょうか、緊張を持続させるのが、だんだんツラくなってきたので、恥ずかしながら機械化に踏み切った、というわけで…。まあ、だらしないお話で、自慢できることではありませんが。
猛暑のせいでしょうか、水を黄土色に濁らせた、荒川河口を左折して、葛西臨海公園前、三枚洲を横切る水路に進入。三枚洲は、江戸川と、かつての中川(現荒川河口)が、運んできた土砂が積もって形成された、東京湾奥に散在する干潟の一つです。浅瀬は、意外なほど沖合いまで伸びており、澪標も設置してあるのですが、船の乗り上げ事故が、絶えない水域でもあります。
写真右側に見える、二つの「なぎさ」は、持ち込んだ砂で造られた人工海浜で、西なぎさが、正面に見える「葛西なぎさ橋」で結ばれ、臨海公園の一部になっています。
なにしろ気温35度、マリンスポーツには最高の日よりですから、水路も混雑しているに違いありません。
【撮影地点のMapion地図】
臨海公園内にある、大観覧車が見えてきました。以前、乗ったことがあるのですが…今どき珍しいなと思ったのは、乗る前に記念写真を撮られ、下りると、写真を額装して待ち構えているという、大昔の観光地みたいなことをやっていたことです。もちろん押し売りはせず、購入は自由でしたが、今でもやっているのかしら。
話が脱線しました…。陸上も結構な人出ですが、水路内の停泊船もかなりの数です。前にも触れましたが、東京湾奥で、ヨットやモーターボートがのんびりできる泊地というと、お台場とここくらい。しかも、両方ともたてまえは、碇泊禁止水域なのですから、なんとかできないものか、と考えてしまいます。
江戸川寄りにある、東京水辺ラインの、葛西臨海公園発着所。土地柄か、待合所上屋も、桟橋もなかなか立派です。ここから、両国や浜離宮に向かう、水上バスが出ています。ここを過ぎると、江戸川河口までの水路は、浅瀬が多くなりますから、澪標に注意して進まなければなりません。
水上バス桟橋を過ぎたあたりから、ディズニーランド方を望んだところです。猛暑に微風ときて、もやが多いので、写真が平板になり、遠景が見づらくなってしまうのがなんとも。まあ、波風がないのは、木っ端ブネにとってありがたいので、ゼイタクは言えますまい。江戸川の東京寄り付近は、浅瀬が広がっているので、いきなり左折は禁物です。水路中央から、ディズニーランドの白い円錐形の建物(ええと、ビッグサンダーマウンテンだったかな?)にヨーソロして、川幅の3分の2くらい、千葉県側に寄ってから、江戸川に向かってください。
もちろん、紅緑のブイなど、航路標識は設置されていますので、よほどスピードを出していない限り、それほど危険はありませんが…。
(18年8月5日撮影)
(『旧江戸川下流部…1』につづく)