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水路をゆく
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2006/10/17のBlog
(『上川丸に会いにゆく…2』のつづき)
2階の展示フロアから撮ったものです。やはり近すぎて、うまく撮れないのがもどかしいのですが、右舷後部から、前部を見てみました。
機関室から後部の船室は、客室として使用されました。十字に桟の入った木製の窓枠や、手荷物置き場としても使用されたであろう、屋上の手すりなどの、ディテールが解ります。

写真右奥、スプラッシャー(外輪カバー)の後ろに、四角く張り出した部屋は、通運丸では、便所や倉庫として利用されていたことが多かったようですが、上川丸ではどうだったのでしょうか。
後部船室の扉から、内部をのぞいたところです。
板張りの床にむしろが敷かれ、反対舷の扉近くには行李が置かれて、天井からは照明の石油ランプが下がるなど、当時の室内の様子が再現されています。

ご覧になっておわかりかと思いますが、窓ガラスや船室側面などに、ウェザリング(風雨や日光に晒された様子を再現するため、わざと汚したような仕上がりにすること)が施されていますね。

映画のセットや、テーマパークの建物などではお馴染みの技法ですが、前者のそれが、強調し過ぎてわざとらしくなる嫌いがあるのに比べ、上川丸のウェザリングは適度で、嫌味がなく、なかなかリアルに見えます。
右舷外輪付近です。
船体の中央に、機関室と外輪が、船体幅いっぱいにスペースを取っているため、この種の船は、前後の交通が極めて不便でした。
船員が前後に走り回る必要がある、入出港作業は、おそらくすべて屋上で行われたのでしょう。

屋上から突き出ている、キセルのがん首のようなものは、機関室に外気を取り入れるベンチレーター、その左、「川」の字を模したマークが入っているのは、煙突と蒸気捨管です。煙突の後ろ、木枠で囲まれている箇所は、排気口を兼ねたトップライト(明り取り)ではないでしょうか。
操舵室と、その後ろに立つ旗竿を、後ろから見てみました。屋根上には両舷灯(船が、左右どちらを向いているか、他船に判別させるためのランプ。紅・緑二色で左右を区別する)室内には舵輪が見えます。
舵輪の軸には、舵から伸びた操舵索が巻きつけられており、舵を遠隔操作できるような、しくみになっているのです。
エンジンの操縦は、機関室と操舵室を伝声管でつなぎ、声で命令を下したか、機関室に鐘を備え、操舵室からロープなどで鳴らして信号を送ったかの、いずれでしょう。
なお、いただいたパンフレットによると、ここは船長室を兼ねていた、とのことですが、居室として使うには、あまりにも狭すぎるようですね。

操舵室下の船室は、船員の居室と、食堂、荷物室ほかに使われた、との説明がありましたが、造作から見て、少なくとも初期は、客室に充てられたのではないか、と思います。
通運丸も、初期は全ての船室を客室とし、全部を上等室、後部を下等室というように使用していましたが、乗客が減り、曳船として貨物を輸送することが多くなると、前部客室を、乗組員や貨物のスペースに転用し、後部のみ客扱いをした、との記録が残っています。

波風の影響が少なく、馬力に比較的余裕のある川蒸気船を、単独で旅客専用に用いるのは、ある意味ぜいたくな使用法で、何隻かの非動力船を曳航して、曳き船賃を稼いで、初めてペイするのが、むしろ自然な状態のようです。
明治5年に就航した淀川の川蒸気も、単独航行では運賃が高過ぎ、一旦は休業の止むなきに至ったものの、何隻かの艀(はしけ、バージ)を曳かせるようになってからは、運賃も下がり、利用者も増えたという記録があります。

上川丸をはじめとする、石狩川水運も、その例外ではなかったのでしょう。数隻の艀を曳航して活躍する蒸気船の写真が、当館に展示されています。
船首甲板です。甲板上には係船柱と錨が、船首のブルワーク(波除けの囲い)には、フェアリーダー(ロープを繰り出すとき、ロープが他と擦れ合わないよう通す穴)が設けられているのが見えますね。
錨の種類は、マークなどでお馴染みの、コモン型という、洋式錨ではもっとも古いタイプです。

拝見していて、おやと思ったのは、上川丸には暖房装置の再現が、見当たらないことでした。石狩川は、冬季は結氷しますので、運休するのは当然想像できるとして、運行しているであろう春から秋にかけても、寒い日はあるに違いない、と考えたからです。

動力の余剰蒸気を利用した、暖房装置でもあったのでしょうか。または、単純に火鉢などを持ちこんで、しのいでいたのかな?
また結氷時は、船は陸に曳き上げて保管していたのか、水面に浮かせたまま、氷漬けにしたのか、その際、外輪は外しておいたのか? 
他にも、現役当時の写真を見ると、この実物大模型より、船体や外輪の幅が、広いように見えるのですが、寸法は再現時に、何かの理由があってアレンジされたのか、それとも、現役時に改造があったのか?

などなど、数々の疑問が浮かんできましたが、現時点の展示やパンフレットには、その疑問に答えてくれそうな記述は、見当たりませんでした。今後の、楽しみな宿題ですね…。

(18年9月30日撮影)

(『上川丸に会いにゆく…4』につづく)
2006/10/15のBlog
(『上川丸に会いにゆく…1』のつづき)
周囲の散策を終え、入り口の前に立って開館を待っていると、係の方が気づいて、開館時刻の5分前にもかかわらず、扉を開けてくださいました。

お礼を言って、いそいそと館内に。いよいよ上川丸と、感動の対面です!

入口付近から見た光景は、写真のように、上川丸の川船らしい、平底の船体が視界いっぱいに広がり、全貌を見渡すことはできません。なにしろ、1・2階の吹き抜けに納まっているとはいえ、室内の寸法は、ほぼ船体ぎりぎりだからです。
いきおい写真も、こまぎれ状態でご覧いただくほかないのですが、逆に考えれば、船体の細部を、ためつすがめつ観察するには良いのですから、私のような好き者(?)向けと言えるかもしれませんね。
船首部を見上げたところです。垂直に立ち上がった船首材、リベットで組まれた外板、デッキの張り出し部を支える持ち送り材など、この時代の川蒸気らしい特徴が観察できます。
赤と黒の塗料の境目が、喫水線で、この線を越えて船体が水没するほど、人や荷物を積むと、船が危険な状態になるという、目安になる線です。

いただいたパンフレットによると、上川丸の要目は以下のとおりです。
明治22年8月、東京の石川島造船所で竣工、全長25m、全幅6.2m、深さ1.1m、総トン数60t、竣工時の出力24.2馬力で、昭和10年1月に廃船になるまで、45年間の長きに渡り、石狩川流域の足として活躍しました。

利根川水系の花形として、よく知られた通運丸も、第一船はじめ数隻が、同じ石川島(当時は、石川島平野造船所)で製造されましたから、上川丸とは兄弟と言ってよろしく、通運丸を描いた当時の錦絵や図面を見ると、全体の造作もよく似ています。
ちなみに、上川丸の兄貴分である、明治10年進水の第一通運丸は、全長21・3m、幅3.2m、深さ1m、総トン数34tだそうですから、ほぼ同規模の船だったことが解ります。
(通運丸の模型の写真は、こちらでご覧になれます。千葉県立中央博物館大利根分館の展示品より)

明治も一ケタから、石狩川よりはるかに多くの川蒸気船が活躍した、利根川や淀川流域では、現在見られないモノが、こうして遠く北海道の地で、いま目の前にある…想像の域にのみあった船が、現物として見られる感動は、例え難いものがありました…。
船体側面の、ほぼ中心に備えられた、外輪(外車・パドルホイール)! 川蒸気の象徴とも言える部分です。ここがとくに見たかったんですよ!
左右に備えられた外輪を、船内にある蒸気機関(本船の場合は、レシプロ、恐らく単気筒複動で、ボイラーは素朴な円形缶だったことでしょう)で回転させ、外輪の周囲にある水かきで、推進力を生み出すのです。

外輪を覆うスプラッシャーは、この種の船では、デザイン上重要な部分ですので、後部を流れるようなラインに整形したり、軽く装飾を施し、船名を入れるなど、工夫が凝らされました。

外輪は、推進装置が船底よりかなり上に位置するので、浅い水路を走る川船に適し、またスクリュープロペラのように、長い推進軸を設けたり、船体の水面下に穴を開けなくても済むため、工作が容易で、初期の動力船には、盛んに用いられました。

しかし、流木や激しい波浪が当たったり、船体が傾斜してから回りすると、外輪が破損しやすい欠点がありました。通運丸は、破損にそなえて、予備の外輪を用意してあったという証言もあるほどです。
また、スクリューに比べて効率が悪く、非常にカサ高で、狭い甲板のスペースを喰うというのも、衰退した原因の一つであるようです。

ともあれ、外輪は、川蒸気船のシンボルであることには間違いなく、ザンザンと水を噛む音や、ダイナミックなその動きが、川船独特の情緒や、幾多の物語を生み出したことは、想像にかたくありません。
実は、私のハンドルも、外輪への思い入れから採ったものです…。
船尾から、船首方向を望んだところです。
ここからですと、なんとか全貌(とは言いにくいですが…)を収めることができました。

喫水を浅く保つための、だんびろな船体、船室後部の造作、舵や操舵索の様子などがよく解ります。両舷の張り出し部分は、甲板面積をかせぐとともに、外輪を岸との接触から保護できるだけの、船体幅を得るのも目的でした。

操舵装置は、ご覧のとおり、舵面の後部上端に取り付けた動滑車を、マニラロープらしい操舵索で引いて、左右に動かす素朴なものです。
多くの場合は、舵軸が船体を貫通して上に伸びており、軸に舵柄(レバー)などの操舵装置が備えられるのですが、座洲が頻繁に起こることを考えて、水面下に貫通部を作りたくなかったのでしょうか。
船室正面です。右舷側にある階段を2階に上ると、撮影できるポイントはさらに少なく、この写真も、食堂に入らせていただき、ガラス越しになんとか撮ったもの。ちょっとお見苦しいですが、お許しください。

操舵室は、船室の上にちょこんと乗っかった風情で、正面の表情も、ある種の旧式電車のようで、なかなかユーモラス。
利根川や江戸川ですと、低い橋が多かったため、操舵室は船室前端を仕切って設けるのが普通で、煙突も、起倒式になっているものがありました。石狩川は、橋そのものが少なかったため、ある種理想的な配置が、実現したのでしょう。

(18年9月30日撮影)

【10月16日追記】通運丸の模型の写真(千葉県立中央博物館大利根分館の展示品)へのリンクを、2段目に追加しました。

(『上川丸に会いにゆく…3』につづく)
2006/10/14のBlog
去る9月30日、私は札幌近郊の、江別駅に降り立ちました。
ここに至るまでをお話しすると、ちょっと長くなってしまうのですが…、自分の備忘録も兼ねて、書かせていただきますね。

以前「閘門のリンク集」の中で、札幌の創成川にあった閘門について、少し触れましたが、あれがきっかけとなり、石狩川流域に興味を覚えて、関連書籍を探して読んでみたり、検索してみたりするうち、私の中で、石狩川流域の存在が、次第に大きくなってきたのです。

下流部に開鑿された、意外なほど多くの運河、開拓時代の水運、暴れ川との闘い、直線河道への改修、そして素敵な水門の数々…。今まで全然知らなかった流域の顔が、浮かび上がってきました。う~ん、さすが国内有数の大河、石狩川は面白い!!

ところが、気になる創成川閘門の資料に、なかなか行き当たりません。思い切って、管轄のお役所に問い合わせてみることに。
担当の方が、とても親切に対応してくださり、郷土史研究家であるY先生をご紹介いただいたうえ、Y先生からは、石狩川治水の功労者・岡崎文吉の事蹟を中心とした、たくさんの資料をお送りいただきました。おかげさまで、ますます興味が深まり、ぜひ一度訪ねてみたいものだという、思いがつのりました。
道庁のSさん、Y先生には、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。)

さらに検索していたら、驚くべきものがヒット。江別市にある江別河川防災ステーションなる、防災施設兼博物館の存在です。かつて、石狩川・千歳川の水運で活躍した、外輪蒸気船の実物大模型が、展示されているというではありませんか! その名は、上川丸。

淀川、利根川、北上川etc…およそ、河岸(川の港)のシステムが発達した大河には、明治に入ると、外輪を備えた河川用の蒸気貨客船が活躍し始め、鉄道や道路が整備されるまで、重宝されたのはご承知のとおりです。
しかし、これらの流域にある博物館に、川蒸気船の実物大模型が展示されている話など、ついぞ聞いたことがありません(例によって、私が知らないだけかもしれませんので、ご存知の方がおられたら、ぜひお知らせください!)。

それが、大変失礼な言い方ですが、江戸時代以来の河岸とは、無縁そうな北海道に、立派な展示物として、顕彰されているとは……。その意気やよし! 上川丸に、ぜひとも会ってみたくなりましたが、学生時代とは違い、遠方に旅行する時間など、おいそれと作れません。悶々としました。

ところが、私の強烈な欲望(笑)が、天に通じたのでしょうか、札幌に行く用事ができたのです! まるで漫画のような展開に、笑ってしまいました。話を面白くしようとして、ウソをついているわけではありませんよ。
とにかく、千載一遇の好機、逃すまじと、半日の時間を作り、例によって駆け足ではありますが、熱い?水運・土木スポットを、いくつか見て回れることと相成りました。
江別駅前には、立派な神社があるのが目につきました。
江別神社、明治18年の創建、主祭神は天照大御神だそうです。(参考…江別神社HP

不案内な土地ですので、せっかくだからご挨拶と、道中の安全を祈願。薄曇りですが、幸いにも気温は20度前後、寒がりの私には、ありがたい限りです。
さあ、まずは河川防災ステーションだ!
江別河川防災ステーションに、到着しました。建物に近づくと、川蒸気船・上川丸の実物大模型が、ガラス越しに見えて、すっかり嬉しくなってしまいました。
この大きな展示物を収めるには、建物は少し小さすぎるようで、この距離から見ると、まるでアクリルケースに入れられた、小さな模型さながらです。

千歳川が、石狩川に合流する地点に位置するここは、防災ステーションの名のとおり、水防機材の保管・集積場と、船着場を備えた防災拠点として建設されたもので、たてまえとしては、博物館の機能はあくまで二義的なのでしょう。
撮影地点のMapion地図
開館まで、少し時間があったので、周囲を検分。
建物の裏手、千歳川を見下ろすところに出ると、レンガ色の防災用岸壁が設けられていました。
岸に下りる階段は、観覧席にもなるような造りで、岸壁をステージとして、イベントにも使用できるのでしょう。画面右手には、道路につながるスロープもあり、災害時、緊急車輌の進入も考えられているようです。

東京や、その近郊の防災用船着場の場合、周囲は柵で、厳重に囲まれているのが普通(最近の治安の悪さを考えると、それがベストなのでしょうが)ですから、このように開放的な岸壁施設は、ちょっとうらやましい気がします。

この岸壁の対岸、江別市街側の岸は、かつて蒸気船の発着所があり、江別は河岸としても、栄えていたそうです。
水辺に下りてみました。写真は上流側、JRの鉄橋を見たところです。

水はなかなかきれいで、流れもゆるやか。岸壁も使い良さそうだし、貸しボートでもあったら、ちょっと走ってみたいものだと、ムラムラ(笑)しました。





(18年9月30日撮影)

(『上川丸に会いにゆく…2』につづく)
2006/10/13のBlog
[ 22:36 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『横浜港散策…5』のつづき)
夕闇の迫る横浜港内を横切り、遊覧船は、大岡川河口に進入。(ああ、やっと『水路をゆく』らしくなってきた?…笑)

観覧車のある新港パークと、ランドマークタワーはじめ、高層ビルがそびえるみなとみらいに挟まれた、実に華やかな一角ですね。
撮影地点のMapion地図
時は満潮、河口に架かる国際橋が近づくと、下から、クルーのお嬢さんが上がってきて、「橋が低いですから、席をお立ちにならないでください」と、注意を促しました。

橋の下をくぐると、なるほど、手すりから1mと余裕がなく、私の艇で恐る恐るくぐるのとまた違って、急には止まれない分、なかなかスリリング。
お客さんたちは、首をすくめながらも大喜び、橋桁を手で触ったり、カメラを向けたりとはしゃいでいました(もちろん、私も!)。
遊覧船は、日本丸と、横浜マリタイムミュージアムのかたわらに設けられた、小さな船着場に接岸。ここまでの片道乗船もできますが、我々は、大桟橋に戻るコースの券を買ったので、まだお楽しみは続きます。

正面には、かつての臨港貨物線、現在は馬車道ならぬ「汽車道」として、遊歩道になっており、山下公園まで、港の風景を味わいながら、お散歩することができます。

この橋をくぐり、大岡川を遡ったり、中村川から堀割川に入って、ヨットハーバーもある磯子に出るコースは、川走り好きの皆さんには、すでにおなじみですね。
撮影地点のMapion地図
汽車道の土手脇には、赤い提灯をぶら下げた、屋形船が停泊中。
お客さんが餌をやっているのでしょうか、海鳥たちが集まっています。

よく見ると、この船、和船としては、なかなかの古式が出ている部分があるなあ…。
オーナーは、和船好きなのかしら?
みなとみらいを出て、横浜の素敵な夕景を楽しみつつ、大桟橋へ戻りました。空は、港全体がオレンジ色に染まるくらいの夕焼けとなり、まさに、絵にも描けない美しさ…。
船もたくさん見られたし、こうしてお天気にも恵まれて、本当に来て良かった、と思えました。

その道々、ドーナツ状というか、円盤状というか、不思議な形の雲が、東の空に発生。同乗のお客さんたちも、指をさして注目しています。そのとき撮影したものは、以前のタイトルでもご覧いただきましたが、いつもお世話になっている、がーちゃんさんも同時刻、ご自宅の近くで目撃されたとのこと。(記事はこちら

なにか、風の強い日に富士山の山頂にかかる、レンズ雲のような、変わった形をしていましたから、目をひかれた方も、少なくないのではないでしょうか。

(18年9月18日撮影)

【10月15日追記】本項の参考文献は、以下のとおりです。
「第2 船の本」柳原良平著 至誠堂 昭和44年10月発行 
【20年1月18日追記】一段目、大岡川河口ではないですね…。「川の町・横浜 ミナトを支えた水運」(横浜開港資料館)によると、「新港町埋立堀川」というそうです。

(この項おわり)
(『横浜港散策…4』のつづき)
ベイブリッジの真下まで来ました。橋の裏側というのは、表面からは見えない、複雑な構造のラインを見ることがでるので、私にとっては、ちょっと嬉しい瞬間でもあります。(今ふと思いついたのですが、橋の裏側の写真ばかり、艇で撮り歩くのもいいですね…でも、誰も喜んでくれなそう!)

橋脚には、半円形の展望台が設けられています。まだ行ったことはないのですが、ここも大桟橋に負けず劣らず、フネ好きには楽しい場所でしょうね。
ベイブリッジを再びくぐって、ゆっくりと港内に取って返すと、ボーッ、ボーッと高らかな汽笛の音が響き渡り、大桟橋を離岸した「飛鳥Ⅱ」が、微速でこちらに向かってくるのが見えました。

う~ん、さすが50,000t、この距離から見ても、その質量過剰さには、圧倒されるばかり…。
遊覧船は、速度をグッと落とし、左舷を「飛鳥Ⅱ」に向けて、サイドビューを堪能できるよう、サービスしてくれました。

「ティッシュボックス」と形容される、昨今の大型客船らしい、上部構造を大きく取った背の高い風貌を、航行中に間近で見ることができるなんて、そうざらにはありません。
遊覧船クルーの気遣いも嬉しく、もう満腹、満腹。
こちらは、明治時代の建造でしょうか、横浜港を半円形に取り囲む、最初に作られた防波堤の入口に設けられた灯台。

現在は言うまでもなく、港域の内側になっていますが、これを撤去せずに残しているあたりが、さすがミナト横浜。
撮影地点のMapion地図
遊覧船は、みなとみらいの船着場に向かいます。

途中、左舷から見えた、船首をこちらに向けて整然と並ぶ曳船群。命令一下、直ちに全艇出動できそうな、引き締まった雰囲気が伝わってきます。
塗装もきれいで、まさに粒揃いといった感じですね。

撮影地点のMapion地図

(18年9月18日撮影)

(『横浜港散策…6』につづく)
2006/10/10のBlog
(『横浜港散策…3』のつづき)
遊覧船は、氷川丸に近づきました。

山下公園の顔であり、横浜の象徴の一つ、と言っても過言ではないこの船は、昭和5年横浜生まれ、シアトル航路の花形としてデビューし、戦中は海軍の特設病院船として活躍、戦後も太平洋航路で働いた後、昭和35年に引退した、貴重な戦前型貨客船です。

私が子供のころは、船体を緑色に塗っていたのですが、いつのころからか、現役時代の黒に白線一本の塗装に戻され、引き締まった感じになりました。
海上に浮かせての保存ゆえか、最近は、痛みも激しいようですが、どうか末永く、大切にしていただきたいものです。
大桟橋を、東側海面から遠望したところ。
客船ターミナルの巨大さはもちろんですが、向こうに接岸している「飛鳥Ⅱ」の大きさと、手前のロイヤルウイングの対比が際立っていて、面白く眺めたものです。
撮影地点のMapion地図
緑色の通船が、勇ましくウェーキを立てて、港内を横切ってゆきます。

以前も触れましたが、通船とは、いわば海上タクシーで、沖がかりしている本船から、乗組員を送り迎えしたりするなど、港内での、人の行き来に使われます。
横浜ベイブリッジに近づきました。橋をくぐってから、再び港内に戻るコースだそうです。

このあたり、私の艇でも来たことがあるのですが(写真右奥の水路に、数少ない桟橋付きレストランがあるので)、考えてみると、ベイブリッジのいい写真は一枚もない…。
早速、カメラを構えて、パシャパシャと何枚か。
いい写真かどうかは別として、とりあえずご覧に入れます。
ベイブリッジの少し外側に立つ、古そうな灯台。かつて、外海と港域を隔てる防波堤であったのですが、埋立てが進み、現在はその外側にも、コンテナヤードが広がります。

昔はともかく、現在はもちろん、自動化された無人灯台なのでしょう。ちらほら見える人影は、釣り人さんのようですね。
釣れるとあらば、どんな危険な場所にも出かけてゆく、釣り人さんの胆力には、いつもながら感服しますが、波にさらわれたりしないよう、どうかお気をつけて…。




(18年9月18日撮影)

(『横浜港散策…5』につづく)
(『横浜港散策…2』のつづき)
大桟橋の上、西側のスロープから先端方向を見たところです。

木のデッキと芝生で構成された、階段を廃したゆるやかな斜面の連続は、こうして切り取って見ると、絵画のようにものすごく現実感のない(嫌がっているわけではありません!)風景で、面白く思えたものです。
すがすがしい芝生に寝ころんで、橋やフネブネを眺めつつ、のんびり…。

フネ好きにとっても、こんなに楽しいところは、おいそれとないことでしょう。
大桟橋からおりてみると、橋詰東側の、大桟橋埠頭ビルの前で、港内遊覧船の最終便が出る、とのアナウンスが。せっかくだからと、急ぎ切符を買い求め、桟橋へ出ました。

この写真を撮っていたら、係の方が、「こんなもの撮っていないで、『飛鳥Ⅱ』がもうすぐ出港するから、そっちを撮りなさいよ! うまくタイミングを合わせて、横に並んで走ってあげるから!」と言われました。
私が、「いや、こういうフネを撮りに来たんですよ」と返すと、妙な顔をしていましたっけ…。もちろん、「飛鳥Ⅱ」も、嫌いではないんですがね。

係の方によると、「飛鳥Ⅱ」は、一泊のショートクルーズで、相模湾あたりを周って、翌朝帰港するとのこと。ははあ、道理で…(笑)。
遊覧船のコース・料金などはこちら→京浜フェリーボート㈱
船は離岸すると、まず山下公園の前を、東に向かいます。走り初めて間もなく、早速、パイロットボートに出会いました。沖合いの本船に乗り込む水先案内人(パイロット)を、送迎する艇です。

船名が「第三十按針丸」! 泣かせるじゃないですか。按針とは、昔の船乗り用語で、航海士や水先案内人のことです。
徳川家康の家臣だった帰化イギリス人、三浦按針の名前を、ご存知の方もおられるでしょう。彼は、オランダ船の航海士だったことから、この名前をもらったのです。
先ほど、大桟橋の上から撮影した、ロイヤルウイングのサイドビューを、海上から一望することができました。

なかなかの老嬢のようですが、丸みを帯びた船体のラインは、最新の客船とは、また違った魅力がありますね。



(18年9月18日撮影)

【10月18日追記】3段目、誤字訂正しました。

(『横浜港散策…4』につづく)
2006/10/08のBlog
(『横浜港散策…1』のつづき)
廃クレーンから一転して、華やかな大桟橋に足を向けました。

こちらが改装されてから、訪ねるのは初めてで、しかも運のいいことに大型客船、「飛鳥Ⅱ」が接岸中とあって、足も自然と速まります。
撮影地点のMapion地図
大桟橋西側から見える、横浜海上保安部には、最大の巡視船「しきしま」が、白いスマートな船体を休めています。

核物質運搬船の護衛船として活躍したことを、おぼえておられる方も多いことでしょう。
「しきしま」の右側の岸壁に、目を転じると、中小型の巡視船艇群に混じり、赤いブイを積んだ、設標船「ほくと」(手前、グレーの船体)の姿も…。

設標船とは、航路標識であるブイを、海面に設置するのが仕事の、いわば縁の下の力持ち。勇ましい巡視船もいいですが、「ほくと」のような地道な作業をするフネが、私は大好きです。
大桟橋から、「飛鳥Ⅱ」の50,142t、全長241mの威容をパチリ。800人の乗客を収容でき、先般も世界一周クルーズを行ったことは、記憶に新しいところです。

しばらく見とれていると、船橋の下のデッキなどで、酔っているのでしょうか、乗船客らしい何人かが、大声で騒いでいるのが見えました。こういう船のお客さんとしては、ちょっとお品(笑)がアレだな、と思ったのですが、あとで、その理由がわかりました。

(本船の詳細は、郵船クルーズ㈱ 飛鳥ⅡのHPをご覧ください。)
大桟橋の、「飛鳥Ⅱ」と反対側に行ってみると、ここを定繋港とするレストラン・クルーズ船、ロイヤルウイングがもやっていました。

スターン(船尾)の造作といい、全体のラインといい、いかにも古そうで、個人的にそそられるスタイルです。前身はなんというフネだったのでしょうか、興味が湧いてきました。このへん詳しくないので、コチャックさんの掲示板で、お尋ねしてみようかしら…。

ロイヤルウイングのHPはこちら


(18年9月18日撮影)

(『横浜港散策…3』につづく)