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水路をゆく
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2007/01/28のBlog
[ 16:51 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『あんば様…2』のつづき)
参拝してから、愛艇のためにお札をいたたいでおこうと、社殿右にある社務所へ。

「『航海安全』のような、フネのためのお札はありますか?」と、若い係の方に訊いたところ、「いえ、そういったお札はちょっと…」と、反応ははかばかしくありません。仕方なく(なんて言ったら、バチが当りそうですが)、クルマにつけるような、「交通安全」のお札をいただくことにしました。

ところが、隣に並べられていた絵馬をフト見ると、なんと! 天狗様が如意棒のような竿を水中に挿しこんで、水難に遭った人を救い上げている絵が、描かれているではありませんか! しかも、隣には帆を五合まで降ろした和船と、船上で手を合わせる人物までおり、明らかに船と船乗りの守護を主題にしています。

絵馬ですから、裏側に願いごとを書いて、境内に結び付けて来るのが本当なのですが…今や、船との縁が薄くなってしまったあんば様の、数少ない船とのつながりのような気がして、いただいて帰ることにしました。
こちらは、お札を入れてもらった袋と、社務所でいただいた、大杉神社の縁起を記した刷りもの。全体的に赤っぽいのは、古来厄除け・疱瘡除けに効く色が、赤とされているからだそうです。

キント雲? に乗った二人の天狗様が、こちらを睨みつけている絵柄は、ユーモラスな中にも迫力があり、厄も恐れをなして退散しそうですね。
あんば様とは関係がありませんが、阿見飛行場でいただいたものも、ついでですので、ここでご覧に入れます。

受付けを済ませると、まずいただいたのが、阿見飛行場のロゴ入りハンドタオルとボールペン、そして飛行機の写真が入ったティッシュ。タオルとボールペンは、何かもったいない気がして、まだ使っていません(笑)。
写真入りマグカップは、記念に買ったものです。すっかり気に入ってしまい、これで毎日お茶を飲んでいます。

(『佐原と小野川…1』につづく)
2007/01/27のBlog
[ 23:51 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『あんば様…1』のつづき)
あんば様の境内に入りました。初詣の参拝者で結構な混雑ぶり、しかもこじんまりとした境内には、露店が社殿近くまでひしめき、雑然とした感じですが、実ににぎやか。ちょっと柴又帝釈天にも似た雰囲気ですね。

大杉神社は、江戸時代以来、主に疱瘡の治癒神として関東一円に知られ、また「夢結び大明神」、大願成就、商売繁盛の神様としても名高いのですが、その信仰のおこりはなかなか古く、奈良時代にさかのぼるようです。

ここは昔、内海の水が足元まで迫る、安婆島と呼ばれた半島だったそうです。半島の突端に巨杉が立っており、航海の目印としても役立ったことから、素朴な信仰心が芽生えたのでしょう。天狗様が現れて、遭難せんとする船を救った、という口伝から、天狗信仰も併せてあるなど、その霊験はバラエティー(笑)豊かです。

なお、阿波大杉神社の縁起については、「大杉神社」(古代であそぼ)に詳しく述べられています。
現在の社殿は、享和2年(西暦1802年)に、火災で焼失したあと再建された、文化10年(西暦1813年)竣工のもの、とのことです。最近も改修されたようで、軒飾りの金や、欄干の朱も目に沁みるような鮮やかさですね。

前回も触れましたが、高瀬舟が活躍していた大水運時代、あんば様は、船乗りの神様としても著名で、関東の川舟のみならず、東回り航路をゆく海船乗りにも信仰され、講中は遠く、東北地方まで存在していたとのことです。

正月は、神社前の旅館が、船頭の代参人であふれ、参拝前夜の酒席では女たちが、名物「あんば囃子」を賑やかに踊り、社殿には船乗りたちの奉納した、扁額が隙間なく飾られている…。
いまやその面影は、境内にすら探すことは難しいのですが、船頭たちが去った後も、なお神社が盛んであるのは、あんば様の霊験が、多岐に渡っている証しでしょうか。
社殿裏手にそびえるご神木、三郎杉です。樹高28m、幹周り6.5mという巨木で、まっすぐに天をめざす姿は清々しく、自然に手を合わせたくなる雰囲気があります。この三郎杉も、高瀬舟の白帆を見守ってきた、生き証人であるに違いありません。

元祖のご神木である太郎杉は、寛政10年に焼失したとのこと。あれ、次郎杉は? どこかに説明板があったと思うのですが、撮り忘れてしまったようです…。

社殿には、もちろん主祭神がおわすのでしょうが、このような巨木が人々の心を動かし、今に至ったことを思うと、この杉こそが、あんば様そのものだと、言って良いような気がします。
社殿に隣接して、お寺さんがありました。龍華山安穏寺、神仏混交の時代は、恐らく僧が、神社のために働くこともあったのでしょう。
賑やかなあんば様の境内に比べて、対照的にひっそりとしており、本堂も古びていて、むしろこちらの方が、歴史を感じさせます。

面白いのは、文治年間(西暦1185~1190)に、源義経の家来であった、常陸坊海存が滞在、奇跡を示したことから、容貌魁偉な海存を天狗になぞらえ、天狗信仰が盛り上がった、という話が伝わっていることです。
天狗の石像近くにあった、観光案内板です。太古は、霞ヶ浦の一部であった平地も、今は田んぼや住宅地となり、湖面は遠くに去ったものの、灌漑水路が走る水郷らしい風景は健在です。

話は変わりますが、今回の参考にしようと、高瀬舟乗りのあんば様信仰について、詳しく書かれた「利根川高瀬船」(渡辺貢二著・崙書房)を読みかえしていたら、新河岸川の旧福岡河岸(ふじみ野市)にも、大杉神社が勧進されたことが触れられており、機会があったら、こちらも訪ねてみたくなりました。


(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『あんば様…3』につづく)
2007/01/26のBlog
[ 19:51 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…4』のつづき)
阿波大杉神社に到着しました。鳥居の両脇には、天狗の顔をかたどった、ユーモラスな石像が置かれて、人目を引きます。

大杉神社は、「あんば様」とも通称され、かつて、利根川水系を行き来する船乗りたちの、絶大な信仰を集めたそうです。私も遊びブネながら、川船乗りのはしくれ。かねてから、一度ご挨拶しておこうと思っており、今回ようやく実現したわけです。

ここで、あんば様創建にまつわるお話でも、と思ったのですが……到着した直後、さっそく、あんば様のご利益か、凄いモノを発見してしまったのです! というわけで、神社の詳細は後ほど…。
(以下、興奮してお見苦しい説明になりますが、ご勘弁ください…。)
撮影地点のMapion地図
神社裏にある、初詣客で混雑する駐車場に、運良くクルマをとめることができました。クルマから降りて、境内へ向かおうとすると、連れが「これ、船じゃないの?」と繁みの方を指差しました。

ゴミの山と思って、気にも留めなかったのですが、言われてみると確かに船…しかも和船です! 残骸に等しい状態とはいえ、見れば見るほど、洋式化の度合いが低い、純粋に近い和船であることがわかり、一人で盛り上がってしまいました(笑)。
 
写真は、船首から船尾方向を見たところ。全長7~8m、縦横比の大きい船が多い小型和船としては、かなり小さい部類です。
左に埋もれて見える、湾曲した材は、水押(ミヨシ、船首材)が脱落したもの。棚板(側板)と、水押をつなぐ釘が腐り、棚板の湾曲部が弾けるようにして、分解してしまったようですね。青白く見える部分は、釘の頭や、接合部を保護するために貼られた、銅板が緑青をふいたものです。

この水押は、本水押(ホンミヨシ、一本水押とも言う)という形式です。水押と、以下に述べたように棚板の構成から、この舟を荷足舟(にたりぶね、茶舟とも呼ばれる)の一種と判断したのですが、いかがでしょうか。ご存知の方、ご指摘ください。
腐朽が激しいこともあり、私の乏しい知識では、はっきりと判断しかねるのが、痛いところです。
側面、中央部を見たところ。
この写真で見ると、棚板が一棚(一段)造りに見えますが、棚通り釘を隠す銅板の列が、棚板下部に見えることから、この下にもう一段、下棚(マツラとも呼ばれる)があったと思われます。腐朽して接合部が折れ、上部の船体が、座り込んでしまったようです。(このあたり、自信がありませんが…)

棚板上部の出っ張りは、小縁(コベリ)と言って、接岸時などに、棚板を保護する縁材です。FRP艇で言うなら、ガンネルですね。
高瀬舟などの大型船になると、小縁の幅もぐっと広くなり、この上を歩いて、竿を刺せるくらいの幅員がありました。舷側通路といったところでしょうか。
棚板の内側をみたところ。上が船首側です。
アバラと呼ばれる、肋骨様の補強材が見えます。ボルト・ナットで無造作に留められているところを見ると、就役後、相当期間が経ってからの補修時に、取り付けられたものと思われます。(上の写真にも、ボルトの頭が出ているのが見えます)

写真左に見える、内側の縁材は、高瀬舟では「ウチナゲシ」と呼ばれましたが、荷足舟ではなんと言ったのでしょうか。

私にとって、とても興味深いものには違いないのですけれど、中には落ち葉や枯れ枝がたまって、草も生えている光景は、やはり痛ましく、心の中でこの舟の冥福を祈り、手を合わせました。

この舟は、なぜここに来て、なぜ打ち捨てられたのでしょうか。現役時代を送った、霞ヶ浦や利根川の水を離れて、どのくらいの月日を過ごしたのでしょうか。
川舟ゆかりの神様のお膝元を、終焉の地とすることが、せめてもの手向けだと考えた人が、ここに置いたのかもしれないな…と、とりあえず良い方に解釈しました。

まあ、そんなことをあれこれ想いながら、あんば様の境内に向かったわけです。

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『あんば様…2』につづく)
2007/01/23のBlog
[ 20:38 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…3』のつづき)
土浦市街の対岸、桜川の河口部にある、国交省・霞ヶ浦河川事務所・土浦出張所のポンドに設けられた、霞ポート水門。ハイカラ(?)な名前の水門だなあ…。
立派な水門つきの船溜りって、なんだかワクワクさせられる存在ですね。

ここには、「霞ヶ浦インフォメーションセンター『水の交流館』」が、併設されているとのこと。今度は陸から攻めてみたいです!
水門のMapion地図
河口を守る、排水機場を併設したグレーの門扉は、備前川水門。
名称は2門とも、皆さんにはおなじみの、水門写真家・佐藤淳一氏のサイト「Floodgates」リストNo.21を、参考にさせていただきました。

いや~、霞ヶ浦を空から眺められただけでも嬉しいのに、水門まで空撮できるなんて…ありがたい限りです!
水門のMapion地図
操縦士氏が、「ここが、予科練のあったところですよ。ほら、水上機を降ろすスロープが、残っているでしょう」と指差すところを見ると、なるほど、水際にコンクリート製のスロープが見えます。
「若鷲の歌」で有名な、飛行予科練習生の教育施設があった場所ですね。

ここは旧海軍・土浦航空隊の跡地で、現在は陸上自衛隊の駐屯地と、武器学校という教育施設として使われています。敷地内には、博物館や、ツェッペリン伯号来航記念碑もあるとのこと。こちらも、いずれ訪ねてみたいです。
霞ヶ浦湖畔は、海軍航空の揺籃の地の一つでもありますから、飛行機の好きな方には、興味深い遺跡や記念碑が、たくさんあることでしょう。
撮影地点のMapion地図
楽しかった空のお散歩も、残念ながらそろそろ終わりに近づきました。

広大な湖面を左手に見ながら、水辺沿いに南下して、飛行場に戻ります。
プロペラを透かして、前方に滑走路が見えてきました。帰宅後、デジカメのタイムスタンプを確かめると、飛行時間はほぼ17分。その正確さにさすがはプロと、操縦士氏の腕前に舌を巻いたものです。

縁あって、飛び入りで楽しめた遊覧飛行が、単に下界を眺めるにとどまらず、水運にゆかりのある場所や施設を、空から訪ねることができて、本当に幸せなことだと思いました。
素晴らしき道草を終えて、当初の目的地である、大杉神社へ急ぐとしましょう。

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『あんば様…1』につづく)
2007/01/22のBlog
[ 20:52 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…2』のつづき)
すでにタイトルでもご紹介した、土浦市街が見えてきました。かつての霞ヶ浦水運の要であり、桜川の河口に、港街として発達したこの地域の中心です。

機はぐっと高度を落とし、約300mに。「東京タワーくらいの高さ」とは操縦士氏の弁。霞ヶ浦周遊の、クライマックスといったところです。
土浦の中心部、駅周辺を見下ろしながら、ぐっと右旋回。

高いビルが連なる駅前近くまで、港の水路が迫っているあたり、私から見ると非常にそそる(笑)水辺の街ですね。ここを母港にできたら、北浦から利根川まで、広大な内水域を縦横に駆けめぐることができて、きっと楽しいことでしょう。

撮影地点付近のMapion地図
さらに旋回して、港町一丁目の、土浦市営球場付近を見たところ。昔、外輪蒸気船が出入りしていた場所は、このあたりでしょうか?

土浦の歴史については、まだ、あまり調べていないのですが…かつては写真右方にも、水路が伸びていたと思わせる形に見えます。鉄道との接続の便を考えると、いかにもらしく思われるのですが、いかがでしょうか。

撮影地点付近のMapion地図
上の写真の左下方、土浦の外港とも言える、川口二丁目付近の光景です。眼下に見えるマリーナは、霞ヶ浦京成マリーナ。この付近では、随一の規模を誇ります。

ここは私にとって、とても気になる会社でもあるのです。そのわけは以下に…。

(マリーナについての詳細は、霞ヶ浦京成マリーナHPをご覧ください)
撮影地点付近のMapion地図
土浦市街を離れ、再び沖に向かったその時、まさに出港せんとする遊覧船、ホワイトアイリスの姿を、上空より捉えることに成功! 「遊覧船ごときで、何を興奮しているんだろう?」と、呆れられたかもしれません。

ホワイトアイリスは、京成マリーナ所属の唯一の遊覧船ですが、実はこの京成マリーナ、かつて水郷の女王と呼ばれた、内水域最大(当時)の客船「さつき丸」ほか、多数の船隊を擁し、霞ヶ浦から利根川に至るまで、多くの航路を開設して一時代を築いた、水郷汽船の後身会社。つまりホワイトアイリスは、名門の末裔とも称されるべき船なのです。

水郷汽船の歴史については、京成マリーナHPよりリンクされている、「水郷汽船の歴史と昔の就航船画像集」(東関東アクアライン)に、「さつき丸」を始め、貴重な写真とともに詳述されていますので、ぜひご一読をお勧めします。

(19年1月3日撮影)

【2月11日追記】すごく恥ずかしい間違いを発見。「ホワイトアリス」は「ホワイトアリス」の誤りです(泣)。お詫びして訂正いたします。
【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『空から水路をゆく!…4』につづく)
2007/01/21のBlog
[ 15:12 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…1』のつづき)
操縦士氏が、「エンジンの音がうるさいですけど、我慢してくださいね」と言いつつ、スロットルを開けて滑走開始。いえいえ、うるさいなんてそんな…高まる爆音に陶然としている間もなく、機は速度を増して、ふわりと離陸。

この力強い鼓動! ジェットのタービン音も嫌いではないですけれど、やはりレシプロエンジンの、横隔膜を揺さぶるような爆音は、血をたぎらせる魅力がありますね!
みるみる遠ざかっていく、美しい里山や田んぼの向こうに、はやくも霞ヶ浦の水面が顔をのぞかせています。
「まずは、高度1500mまで上がります」と操縦士氏。離陸コースから針路を転じると、霞ヶ浦の広大な湖面が眼下に広がり、まさに絶景です。

わが国で2番目の面積を誇る湖、古代は香澄流海と呼ばれ、近代に至るまで、幾多の歴史の舞台となった、大海跡湖…。
霞ヶ浦でまず思い出されるのは、かつて盛んだった帆引き漁船の白帆、それに昭和4年に飛来したドイツの飛行船・ツェッペリン伯号の寄航でしょうか。
撮影地点付近のMapion地図
ずいぶん高度が上がってきました。写真は、美浦村牛込の沖付近から南方、小野川河口のある湾入を望んだところです。

この湾入の奥、現在、稲敷市役所のある江戸崎は、かつて内国通運・銚子汽船の汽船寄航地であり、昭和の初めまで、河口港として、重要な役割を果たしていました。

撮影地点付近のMapion地図
ふと上を見ると、両翼の前端が、風防の中に食い込んだようなかたちになっていて、その断面に、何か計器がついているのに気がつきました。よく見ると温度計で、摂氏だけでなく、華氏でも目盛りを切ってあるのが、珍しく感じました。
外気温は約5℃、思ったより低くありません。

それにしても、大きな窓から見る眺望の素晴らしいこと! 用途の違う機種を比較するのは、お門違いかもしれませんが…ジェット旅客機の、何重にもアクリルがはめ込まれた小さな窓に比べれば、無限と言ってもいいほどの、視界の広さです。
霞ヶ浦の中央部を横断して、東岸が見えてきました。小さなポンドを持つ集落は、行方市五町田のようですね。

操縦士氏によると、岸近くに広がる、湿田のような水面は、蓮田だそうです。茨城県は全国のレンコンの3割を生産する名産地、収穫は真冬ですから、今は忙しい時期なのでしょうね。

撮影地点付近のMapion地図

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『空から水路をゆく!…3』につづく)
2007/01/20のBlog
[ 23:25 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
厳寒期航行をもって締めくくった、平成18年度もお蔭さまで無事に暮れ、明けて1月3日は、阿波大杉神社と、佐原を訪ねようと、常磐自動車道を北上しました。

桜土浦ICを降りて、国道125号線を走りながら、どこかで霞ヶ浦の眺めを楽しんでから、大杉神社に向かおうと思っていました。
水郷最大の内水面である霞ヶ浦は、かつて、土浦を中心に航路が網の目のように発達していた、水運史から見ても見逃せない場所で、その広大な水面を、ぜひ一度眺めてみたいという思いがあったのです。

ところが、クルマが阿見町付近に差しかかると、国道沿いに「遊覧飛行」の文字を染め抜いた、黄色い幟が何本も立っているのが目に付いたのです。
連れの「ちょっと寄ってみよう」という一言に、背中を押される格好となり、案内板の示す方向にハンドルを切りました。飛び入りで乗せてくれるかどうかは、わからないにせよ、小型機が発着するところを眺められるというだけでも、魅力的なものがあります。
もし乗ることができたら、霞ヶ浦を眼下に望めるかも…という期待もありました。
こんもりとした神社の杜をながめつつ、細い道を登ってゆくと、小高い岡の上にひらけた、飛行場の施設が見えてきました。
格納庫らしい、建物の側面には、「阿見飛行場」「東京航空株式会社」と大書きされています。発着する飛行機の爆音が響いてくると、もうすでに軽く興奮状態(笑)。

砕石を敷いた駐車場に車を止め、滑走路の方へ向かうと、格納庫横には、露天に机を置いた臨時受付が。机に張り出してある、コースと料金表を示されて、見れば「霞ヶ浦コース 所要時間約17分」と、おあつらえ向きのコースがあるじゃないですか! これはぜひ乗りたいと、係の男性に告げると、すぐに飛べるとのこと! こんなに簡単に飛行機に乗れるとは、思ってもいませんでした。
(コース・飛行時間など詳細については、『東京航空株式会社 阿見飛行場』をご覧ください。)
撮影地点のMapion地図
手続きを済ませると、目の前に駐機していたセスナ機に「さあ、どうぞ」と、やはりいとも簡単に案内され、操縦士が乗り込むと、直ちに出発。訓練飛行の離着陸をやり過ごしてから、滑走路に出ました。

操縦士氏によると、本機は15年ほど前に作られた形式とのこと、ちょっと古めな雰囲気が、なんともいい感じです。腹に響く爆音と、目の前で回転するプロペラを楽しみつつ、ワクワクした気分で離陸を待ちます。
格納庫と、事務所棟のある一角から、駐機場と滑走路を見たところです。
駐機場に休む飛行機は、すべて単発のプロペラ機で、ここが小型機専門のささやかな飛行場であることを、実感させました。

空には、少々もやがかかっていますが、遊覧飛行には絶好な、おだやかな好天に恵まれたのは何よりでした。
操縦席のメーターパネルです。あたりまえではありますが、単発の小型機でも、これだけの計器をチェックしなければならないのを見ると、空を飛ぶということが、いかに大変な仕事か、頭の下がる思いがしたものです。

操縦士氏は、各舵や補助翼の動きを確認すると、離陸の許可を申請したのでしょう、無線で手早くやりとりをし、「では、出発します」と、機を滑走路に進めました。

私はと言えば、もう頬がゆるみっぱなし(笑)。嬉しくて、快哉を叫びたくなるのを、ガマンするのが精一杯でした…。

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『空から水路をゆく!…2』につづく)
2007/01/15のBlog
[ 21:27 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『福富川公園…1』のつづき)
スライドゲートの手前(吉岡水門側)に、今ひとつの水門模型…イヤ、台座のみ残っているので、残骸でしょうか。
スリットの上には、同じく、木製の躯体があったと思われるのですが、残念ながら、根本からぼっきり折れてしまったようです。

「水門の歩み」と称しているところから考えると、順番からして、スライドゲートよりさらに前の形式の、角落とし式水門(見沼通船堀と同じ形式、『すごい人気だ通船堀…2』参照)だったのでしょうか? 見てみたかったなあ…。
そして最後は、「水門の歩み」の白眉、マイタゲートの模型です。こちらも、扉体の表側に「合掌型水門」と、説明板が貼られていました。

略式ではありますが、ちゃんと鉄板で、しかもボルトをたくさん打った、こだわりの感じられる造りに、もうシビレました(笑)。
マイタゲートの模型を、反対側からみたところです。

二つある、開閉ハンドルの下を見ると、ハンドル軸についたピニオンギヤが、扉体にヒンジで取り付けられたラックギヤに噛み合っており、実際に開閉して、仕組を学べるようにできていた…と、思われるのですが、ご覧のとおり、かなり錆びついており、少なくとも、今は動かせません。

せっかくの展示物です。できれば、きちんと整備していただきたいのですが…。
福富川公園の案内図です。
左が仙台堀川方、下が木場公園・大横川方です。

ちなみに、福富川公園でGoogle検索をすると、多くのサイトでは、ビオトープの方がクローズアップされているのですが、ここは土木バカ(笑)としてですね、全国でも珍しいと思われる、「水門の模型がある公園」であることを、声を大にして申し上げておきます!
大晦日のお散歩の最後は、亀久橋(『干潮時にすり抜けろ!…3』参照)でしめくくることにしました。

暮れなずむ空を背景に、ビームが描く稲妻型のシルエットが美しく、また、入口上部に見える意匠も素敵で、水面上からあおぐ姿とは違った、魅力的な表情を見せてくれました。
撮影地点のMapion地図


(18年12月31日撮影)

(この項おわり)

12月31日の項の参考文献
ゆこうあるこう こうとう文化財まっぷ(江東区教育委員会)
江東古写真館 ~想い出のあの頃へ~(江東区教育委員会)