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水路をゆく
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2007/01/30のBlog
[ 21:42 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『佐原と小野川…1』のつづき)
忠敬橋を過ぎると、小野川は西に東にと、S字状のカーブを描き、コンクリート桁橋、共栄橋をくぐります。

現在は、いくつもの橋がかかる小野川も、江戸時代から大正初めまでは、協橋(かなえばし・現在の忠敬橋の場所に架かっていた橋)ただ一つだったとのことです。

この協橋、明治15年(西暦1882年)に竣工したものは、一径間の石造アーチ橋で、当時の佐原の財力を象徴するような、小ぶりながら豪壮な橋でしたが、交通量の増加などの理由から、昭和43年に、現在の忠敬橋に架け替えられたそうです。もし現存していたら、佐原を象徴する建造物になっていたことでしょうね。
撮影地点のMapion地図
共栄橋下流の「ダシ」をふと見ると、松や南天などを、青竹の花生けに挿したお正月飾りらしきものが…。

まるでお座敷のように、屋外の桟橋を飾るその気持ちが、なんとも嬉しく思えました。かつては、商家ごとに「ダシ」を持っていたそうですから、わが家の玄関として、大切にする習慣が、残っているのかもしれません。
石の護岸がしだいに途切れて、コンクリートブロックの護岸が多くなりましたが、街並みが落ち着いているせいか、雰囲気は悪くありません。

前方に見える橋は、縁起の良い名前を持つ、開運橋。
あ、この手前にあった、中橋を撮り忘れてしまった…。
撮影地点のMapion地図
開運橋のすぐ下流にある、JR成田線の鉄橋。佐原駅は、写真左手にあります。下流側には人道橋、小鮒橋が併設されています。

船頭さんの話では、昔、農産物の積み出しが忙しくなると、佐原港(後述)だけではさばききれず、この付近にも貨車を留めて、舟から荷揚げをしたものだとか。
成田線鉄橋の下流で、川はほぼ直角に曲がり、東に向かいます。舟の行く先を、航跡を立てて逃げながら、決して飛び立とうとはしないものぐさ(笑)な水鳥たちが、なんともユーモラス。

写真左手、階段のあるあたりから奥へ、かつては、水路が佐原駅の北まで伸びており、終端は大きな船溜りになっていました。現在、佐原文化会館などの、公共施設のある大きな区画(Mapion地図)が、佐原港跡です。

ずっと昔からあった船溜りと、思われるかも知れませんが、なんと着工されたのは戦後、昭和22年のこと。現JR鹿島線の延長以前とはいえ、地域的な水運網が、まだまだ重視されていた時代だったのですね。
役目を終えた佐原港は、昭和51年に埋立てが完了しました。河港の街としての佐原の歴史は、このとき終止符を打ったと言ってよいでしょう。
撮影地点のMapion地図

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『佐原と小野川…3』につづく)
2007/01/29のBlog
[ 21:43 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『あんば様…3』のつづき)
本日の最終目的地である、佐原に着いたのは、午後2時をだいぶ過ぎたころでした。

傾きかけた冬の陽に、せかされるようにして小野川畔へ出ました。遊覧船での小野川めぐりだけでも、ぜひ体験しておきたかったからです。

佐原は、安政5年(西暦1858年)に書かれた「利根川図志」にも、「下利根附第一繁盛の地なり」と紹介されるほど、関東屈指の河港として発展した街です。わが国初の実測全国地図を完成させた、伊能忠敬を輩出した街としても有名ですね。

路地を急ぎ抜けて、小野川の下流方を見ると、放水中の樋橋(とよばし)に、人垣ができていました。
この樋橋、その名のとおり、かつては人道橋を兼ねた水路橋で、用水の不要な季節は、樋の側板を外して、川にあふれさせていたことから、「ジャージャー橋」と通称されて、親しまれていたそうです。
その後、昭和の初めにコンクリート製に改築、昔の風情は失われましたが、平成4年に再び木橋に改築、同6年からは、ポンプアップながら放水が行えるようにし、「ジャージャー橋」が名実ともに復活しました。
撮影地点のMapion地図
珍しい樋橋の放水風景を見ながら、橋のすぐ下流にある船着場(佐原の言葉に従うと『ダシ』)で、船頭さんに声をかけると、どうやら暇を持て余していた風情(失礼)で、すぐに出してくれるとのこと。

樋橋のまわりは、伊能忠敬の家の前ということもあり、観光客でにぎわっているのですが、皆さん舟に乗る我々を笑って見ているだけで、自ら乗ろうという人はいないようです。暖冬とはいえ、真冬の肌寒い陽気に、舟遊びはチト酔狂だったようですね…。
それでも、石積み護岸を降りて、暖かいこたつのついた、小ぎれいな舟の胴の間に落ち着くと、すっかり幸せな気分になりました。
樋橋の船着場を、後進微速で出発。郷土の偉人の名を冠した、写真の忠敬橋近くで舟を回し、小野川を下ります。

船外機を操る、男性の船頭さんとともに、菅の笠をかむった女性の船頭さんも同乗して、お国訛りの語り口で、沿岸の名所や歴史を案内してくださるサービス(?)ぶり。女船頭さんの素朴な案内と、石造りの護岸、静かな水面といったディテールが、肩こりをほぐすような感じで、身体に染み入ってきます。やっぱり、水路はいいなぁ…。
撮影地点のMapion地図
忠敬橋をくぐると…さすが「小江戸」を名乗るだけあって、いらかの黒と、壁の白いコントラストが美しい、しっとりとした、かつての河岸らしい街並みが広がりました。かつての日本橋川や、小名木川にも、こんな風景があったことでしょうね。

舟中でいただいた、「小江戸さわら 舟めぐり」と題した三つ折り案内によると、船着場のある樋橋周辺から、これから向かう、中橋下流までの沿岸区域は、「重要伝統的建造物群保存地区」とされ、極力昔の建物を保存したり、電線を埋設式にして、電柱を少なくするなどの、方針が採られているそうです。
自治体の援助はあるのでしょうが、古い建物を使い続けるご苦労は、並大抵のものではありますまい。やはり、郷土への愛着なくしてはできない仕事だと、頭が下がる思いでした。
江戸時代の風情を色濃く残した、商家風の建物群も素敵ですが、ときおりポツリ、ポツリと顔を出す、昭和30年代テイスト(?)の和洋折衷建築にも、いくつか惹かれるものがありました。

これは、その中でも出色の美容院。タイル張りの外壁に、丸い穴を並べた看板部分の、しなやかな曲線を用いたデザイン…う~ん、思わず見入ってしまいました。腰部分と、窓枠から上のタイルの色を変えているのも、細やかさが感じられます。

…そういえば、子供のころ行かされた床屋さんて、タイル張りの印象が強かったなあ。水周りがあるご商売だからでしょうか?

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『佐原と小野川…2』につづく)
2007/01/28のBlog
[ 16:51 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『あんば様…2』のつづき)
参拝してから、愛艇のためにお札をいたたいでおこうと、社殿右にある社務所へ。

「『航海安全』のような、フネのためのお札はありますか?」と、若い係の方に訊いたところ、「いえ、そういったお札はちょっと…」と、反応ははかばかしくありません。仕方なく(なんて言ったら、バチが当りそうですが)、クルマにつけるような、「交通安全」のお札をいただくことにしました。

ところが、隣に並べられていた絵馬をフト見ると、なんと! 天狗様が如意棒のような竿を水中に挿しこんで、水難に遭った人を救い上げている絵が、描かれているではありませんか! しかも、隣には帆を五合まで降ろした和船と、船上で手を合わせる人物までおり、明らかに船と船乗りの守護を主題にしています。

絵馬ですから、裏側に願いごとを書いて、境内に結び付けて来るのが本当なのですが…今や、船との縁が薄くなってしまったあんば様の、数少ない船とのつながりのような気がして、いただいて帰ることにしました。
こちらは、お札を入れてもらった袋と、社務所でいただいた、大杉神社の縁起を記した刷りもの。全体的に赤っぽいのは、古来厄除け・疱瘡除けに効く色が、赤とされているからだそうです。

キント雲? に乗った二人の天狗様が、こちらを睨みつけている絵柄は、ユーモラスな中にも迫力があり、厄も恐れをなして退散しそうですね。
あんば様とは関係がありませんが、阿見飛行場でいただいたものも、ついでですので、ここでご覧に入れます。

受付けを済ませると、まずいただいたのが、阿見飛行場のロゴ入りハンドタオルとボールペン、そして飛行機の写真が入ったティッシュ。タオルとボールペンは、何かもったいない気がして、まだ使っていません(笑)。
写真入りマグカップは、記念に買ったものです。すっかり気に入ってしまい、これで毎日お茶を飲んでいます。

(『佐原と小野川…1』につづく)
2007/01/27のBlog
[ 23:51 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『あんば様…1』のつづき)
あんば様の境内に入りました。初詣の参拝者で結構な混雑ぶり、しかもこじんまりとした境内には、露店が社殿近くまでひしめき、雑然とした感じですが、実ににぎやか。ちょっと柴又帝釈天にも似た雰囲気ですね。

大杉神社は、江戸時代以来、主に疱瘡の治癒神として関東一円に知られ、また「夢結び大明神」、大願成就、商売繁盛の神様としても名高いのですが、その信仰のおこりはなかなか古く、奈良時代にさかのぼるようです。

ここは昔、内海の水が足元まで迫る、安婆島と呼ばれた半島だったそうです。半島の突端に巨杉が立っており、航海の目印としても役立ったことから、素朴な信仰心が芽生えたのでしょう。天狗様が現れて、遭難せんとする船を救った、という口伝から、天狗信仰も併せてあるなど、その霊験はバラエティー(笑)豊かです。

なお、阿波大杉神社の縁起については、「大杉神社」(古代であそぼ)に詳しく述べられています。
現在の社殿は、享和2年(西暦1802年)に、火災で焼失したあと再建された、文化10年(西暦1813年)竣工のもの、とのことです。最近も改修されたようで、軒飾りの金や、欄干の朱も目に沁みるような鮮やかさですね。

前回も触れましたが、高瀬舟が活躍していた大水運時代、あんば様は、船乗りの神様としても著名で、関東の川舟のみならず、東回り航路をゆく海船乗りにも信仰され、講中は遠く、東北地方まで存在していたとのことです。

正月は、神社前の旅館が、船頭の代参人であふれ、参拝前夜の酒席では女たちが、名物「あんば囃子」を賑やかに踊り、社殿には船乗りたちの奉納した、扁額が隙間なく飾られている…。
いまやその面影は、境内にすら探すことは難しいのですが、船頭たちが去った後も、なお神社が盛んであるのは、あんば様の霊験が、多岐に渡っている証しでしょうか。
社殿裏手にそびえるご神木、三郎杉です。樹高28m、幹周り6.5mという巨木で、まっすぐに天をめざす姿は清々しく、自然に手を合わせたくなる雰囲気があります。この三郎杉も、高瀬舟の白帆を見守ってきた、生き証人であるに違いありません。

元祖のご神木である太郎杉は、寛政10年に焼失したとのこと。あれ、次郎杉は? どこかに説明板があったと思うのですが、撮り忘れてしまったようです…。

社殿には、もちろん主祭神がおわすのでしょうが、このような巨木が人々の心を動かし、今に至ったことを思うと、この杉こそが、あんば様そのものだと、言って良いような気がします。
社殿に隣接して、お寺さんがありました。龍華山安穏寺、神仏混交の時代は、恐らく僧が、神社のために働くこともあったのでしょう。
賑やかなあんば様の境内に比べて、対照的にひっそりとしており、本堂も古びていて、むしろこちらの方が、歴史を感じさせます。

面白いのは、文治年間(西暦1185~1190)に、源義経の家来であった、常陸坊海存が滞在、奇跡を示したことから、容貌魁偉な海存を天狗になぞらえ、天狗信仰が盛り上がった、という話が伝わっていることです。
天狗の石像近くにあった、観光案内板です。太古は、霞ヶ浦の一部であった平地も、今は田んぼや住宅地となり、湖面は遠くに去ったものの、灌漑水路が走る水郷らしい風景は健在です。

話は変わりますが、今回の参考にしようと、高瀬舟乗りのあんば様信仰について、詳しく書かれた「利根川高瀬船」(渡辺貢二著・崙書房)を読みかえしていたら、新河岸川の旧福岡河岸(ふじみ野市)にも、大杉神社が勧進されたことが触れられており、機会があったら、こちらも訪ねてみたくなりました。


(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『あんば様…3』につづく)
2007/01/26のBlog
[ 19:51 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…4』のつづき)
阿波大杉神社に到着しました。鳥居の両脇には、天狗の顔をかたどった、ユーモラスな石像が置かれて、人目を引きます。

大杉神社は、「あんば様」とも通称され、かつて、利根川水系を行き来する船乗りたちの、絶大な信仰を集めたそうです。私も遊びブネながら、川船乗りのはしくれ。かねてから、一度ご挨拶しておこうと思っており、今回ようやく実現したわけです。

ここで、あんば様創建にまつわるお話でも、と思ったのですが……到着した直後、さっそく、あんば様のご利益か、凄いモノを発見してしまったのです! というわけで、神社の詳細は後ほど…。
(以下、興奮してお見苦しい説明になりますが、ご勘弁ください…。)
撮影地点のMapion地図
神社裏にある、初詣客で混雑する駐車場に、運良くクルマをとめることができました。クルマから降りて、境内へ向かおうとすると、連れが「これ、船じゃないの?」と繁みの方を指差しました。

ゴミの山と思って、気にも留めなかったのですが、言われてみると確かに船…しかも和船です! 残骸に等しい状態とはいえ、見れば見るほど、洋式化の度合いが低い、純粋に近い和船であることがわかり、一人で盛り上がってしまいました(笑)。
 
写真は、船首から船尾方向を見たところ。全長7~8m、縦横比の大きい船が多い小型和船としては、かなり小さい部類です。
左に埋もれて見える、湾曲した材は、水押(ミヨシ、船首材)が脱落したもの。棚板(側板)と、水押をつなぐ釘が腐り、棚板の湾曲部が弾けるようにして、分解してしまったようですね。青白く見える部分は、釘の頭や、接合部を保護するために貼られた、銅板が緑青をふいたものです。

この水押は、本水押(ホンミヨシ、一本水押とも言う)という形式です。水押と、以下に述べたように棚板の構成から、この舟を荷足舟(にたりぶね、茶舟とも呼ばれる)の一種と判断したのですが、いかがでしょうか。ご存知の方、ご指摘ください。
腐朽が激しいこともあり、私の乏しい知識では、はっきりと判断しかねるのが、痛いところです。
側面、中央部を見たところ。
この写真で見ると、棚板が一棚(一段)造りに見えますが、棚通り釘を隠す銅板の列が、棚板下部に見えることから、この下にもう一段、下棚(マツラとも呼ばれる)があったと思われます。腐朽して接合部が折れ、上部の船体が、座り込んでしまったようです。(このあたり、自信がありませんが…)

棚板上部の出っ張りは、小縁(コベリ)と言って、接岸時などに、棚板を保護する縁材です。FRP艇で言うなら、ガンネルですね。
高瀬舟などの大型船になると、小縁の幅もぐっと広くなり、この上を歩いて、竿を刺せるくらいの幅員がありました。舷側通路といったところでしょうか。
棚板の内側をみたところ。上が船首側です。
アバラと呼ばれる、肋骨様の補強材が見えます。ボルト・ナットで無造作に留められているところを見ると、就役後、相当期間が経ってからの補修時に、取り付けられたものと思われます。(上の写真にも、ボルトの頭が出ているのが見えます)

写真左に見える、内側の縁材は、高瀬舟では「ウチナゲシ」と呼ばれましたが、荷足舟ではなんと言ったのでしょうか。

私にとって、とても興味深いものには違いないのですけれど、中には落ち葉や枯れ枝がたまって、草も生えている光景は、やはり痛ましく、心の中でこの舟の冥福を祈り、手を合わせました。

この舟は、なぜここに来て、なぜ打ち捨てられたのでしょうか。現役時代を送った、霞ヶ浦や利根川の水を離れて、どのくらいの月日を過ごしたのでしょうか。
川舟ゆかりの神様のお膝元を、終焉の地とすることが、せめてもの手向けだと考えた人が、ここに置いたのかもしれないな…と、とりあえず良い方に解釈しました。

まあ、そんなことをあれこれ想いながら、あんば様の境内に向かったわけです。

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『あんば様…2』につづく)
2007/01/23のBlog
[ 20:38 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…3』のつづき)
土浦市街の対岸、桜川の河口部にある、国交省・霞ヶ浦河川事務所・土浦出張所のポンドに設けられた、霞ポート水門。ハイカラ(?)な名前の水門だなあ…。
立派な水門つきの船溜りって、なんだかワクワクさせられる存在ですね。

ここには、「霞ヶ浦インフォメーションセンター『水の交流館』」が、併設されているとのこと。今度は陸から攻めてみたいです!
水門のMapion地図
河口を守る、排水機場を併設したグレーの門扉は、備前川水門。
名称は2門とも、皆さんにはおなじみの、水門写真家・佐藤淳一氏のサイト「Floodgates」リストNo.21を、参考にさせていただきました。

いや~、霞ヶ浦を空から眺められただけでも嬉しいのに、水門まで空撮できるなんて…ありがたい限りです!
水門のMapion地図
操縦士氏が、「ここが、予科練のあったところですよ。ほら、水上機を降ろすスロープが、残っているでしょう」と指差すところを見ると、なるほど、水際にコンクリート製のスロープが見えます。
「若鷲の歌」で有名な、飛行予科練習生の教育施設があった場所ですね。

ここは旧海軍・土浦航空隊の跡地で、現在は陸上自衛隊の駐屯地と、武器学校という教育施設として使われています。敷地内には、博物館や、ツェッペリン伯号来航記念碑もあるとのこと。こちらも、いずれ訪ねてみたいです。
霞ヶ浦湖畔は、海軍航空の揺籃の地の一つでもありますから、飛行機の好きな方には、興味深い遺跡や記念碑が、たくさんあることでしょう。
撮影地点のMapion地図
楽しかった空のお散歩も、残念ながらそろそろ終わりに近づきました。

広大な湖面を左手に見ながら、水辺沿いに南下して、飛行場に戻ります。
プロペラを透かして、前方に滑走路が見えてきました。帰宅後、デジカメのタイムスタンプを確かめると、飛行時間はほぼ17分。その正確さにさすがはプロと、操縦士氏の腕前に舌を巻いたものです。

縁あって、飛び入りで楽しめた遊覧飛行が、単に下界を眺めるにとどまらず、水運にゆかりのある場所や施設を、空から訪ねることができて、本当に幸せなことだと思いました。
素晴らしき道草を終えて、当初の目的地である、大杉神社へ急ぐとしましょう。

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『あんば様…1』につづく)
2007/01/22のBlog
[ 20:52 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…2』のつづき)
すでにタイトルでもご紹介した、土浦市街が見えてきました。かつての霞ヶ浦水運の要であり、桜川の河口に、港街として発達したこの地域の中心です。

機はぐっと高度を落とし、約300mに。「東京タワーくらいの高さ」とは操縦士氏の弁。霞ヶ浦周遊の、クライマックスといったところです。
土浦の中心部、駅周辺を見下ろしながら、ぐっと右旋回。

高いビルが連なる駅前近くまで、港の水路が迫っているあたり、私から見ると非常にそそる(笑)水辺の街ですね。ここを母港にできたら、北浦から利根川まで、広大な内水域を縦横に駆けめぐることができて、きっと楽しいことでしょう。

撮影地点付近のMapion地図
さらに旋回して、港町一丁目の、土浦市営球場付近を見たところ。昔、外輪蒸気船が出入りしていた場所は、このあたりでしょうか?

土浦の歴史については、まだ、あまり調べていないのですが…かつては写真右方にも、水路が伸びていたと思わせる形に見えます。鉄道との接続の便を考えると、いかにもらしく思われるのですが、いかがでしょうか。

撮影地点付近のMapion地図
上の写真の左下方、土浦の外港とも言える、川口二丁目付近の光景です。眼下に見えるマリーナは、霞ヶ浦京成マリーナ。この付近では、随一の規模を誇ります。

ここは私にとって、とても気になる会社でもあるのです。そのわけは以下に…。

(マリーナについての詳細は、霞ヶ浦京成マリーナHPをご覧ください)
撮影地点付近のMapion地図
土浦市街を離れ、再び沖に向かったその時、まさに出港せんとする遊覧船、ホワイトアイリスの姿を、上空より捉えることに成功! 「遊覧船ごときで、何を興奮しているんだろう?」と、呆れられたかもしれません。

ホワイトアイリスは、京成マリーナ所属の唯一の遊覧船ですが、実はこの京成マリーナ、かつて水郷の女王と呼ばれた、内水域最大(当時)の客船「さつき丸」ほか、多数の船隊を擁し、霞ヶ浦から利根川に至るまで、多くの航路を開設して一時代を築いた、水郷汽船の後身会社。つまりホワイトアイリスは、名門の末裔とも称されるべき船なのです。

水郷汽船の歴史については、京成マリーナHPよりリンクされている、「水郷汽船の歴史と昔の就航船画像集」(東関東アクアライン)に、「さつき丸」を始め、貴重な写真とともに詳述されていますので、ぜひご一読をお勧めします。

(19年1月3日撮影)

【2月11日追記】すごく恥ずかしい間違いを発見。「ホワイトアリス」は「ホワイトアリス」の誤りです(泣)。お詫びして訂正いたします。
【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『空から水路をゆく!…4』につづく)
2007/01/21のBlog
[ 15:12 ] [ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『空から水路をゆく!…1』のつづき)
操縦士氏が、「エンジンの音がうるさいですけど、我慢してくださいね」と言いつつ、スロットルを開けて滑走開始。いえいえ、うるさいなんてそんな…高まる爆音に陶然としている間もなく、機は速度を増して、ふわりと離陸。

この力強い鼓動! ジェットのタービン音も嫌いではないですけれど、やはりレシプロエンジンの、横隔膜を揺さぶるような爆音は、血をたぎらせる魅力がありますね!
みるみる遠ざかっていく、美しい里山や田んぼの向こうに、はやくも霞ヶ浦の水面が顔をのぞかせています。
「まずは、高度1500mまで上がります」と操縦士氏。離陸コースから針路を転じると、霞ヶ浦の広大な湖面が眼下に広がり、まさに絶景です。

わが国で2番目の面積を誇る湖、古代は香澄流海と呼ばれ、近代に至るまで、幾多の歴史の舞台となった、大海跡湖…。
霞ヶ浦でまず思い出されるのは、かつて盛んだった帆引き漁船の白帆、それに昭和4年に飛来したドイツの飛行船・ツェッペリン伯号の寄航でしょうか。
撮影地点付近のMapion地図
ずいぶん高度が上がってきました。写真は、美浦村牛込の沖付近から南方、小野川河口のある湾入を望んだところです。

この湾入の奥、現在、稲敷市役所のある江戸崎は、かつて内国通運・銚子汽船の汽船寄航地であり、昭和の初めまで、河口港として、重要な役割を果たしていました。

撮影地点付近のMapion地図
ふと上を見ると、両翼の前端が、風防の中に食い込んだようなかたちになっていて、その断面に、何か計器がついているのに気がつきました。よく見ると温度計で、摂氏だけでなく、華氏でも目盛りを切ってあるのが、珍しく感じました。
外気温は約5℃、思ったより低くありません。

それにしても、大きな窓から見る眺望の素晴らしいこと! 用途の違う機種を比較するのは、お門違いかもしれませんが…ジェット旅客機の、何重にもアクリルがはめ込まれた小さな窓に比べれば、無限と言ってもいいほどの、視界の広さです。
霞ヶ浦の中央部を横断して、東岸が見えてきました。小さなポンドを持つ集落は、行方市五町田のようですね。

操縦士氏によると、岸近くに広がる、湿田のような水面は、蓮田だそうです。茨城県は全国のレンコンの3割を生産する名産地、収穫は真冬ですから、今は忙しい時期なのでしょうね。

撮影地点付近のMapion地図

(19年1月3日撮影)

【2月15日追記】5段目、誤記を訂正しました。

(『空から水路をゆく!…3』につづく)