ニックネーム:   パスワード:
| MyDoblogトップ | Doblogポータル | Doblogガイド | ユーザ登録 | 使い方 | よくある質問 | ツールバー | サポート |
水路をゆく
Blog
[ 総Blog数:914件 ] [ このMyDoblogをブックマークする ] [ RSS0.91   RSS1.0   RSS2.0 ] [ ATOM ]
2007/04/24のBlog
[ 22:47 ] [ 航行河川・運河 ]
(『目黒川の橋づくし…7』のつづき)
緑色の高欄が目立つ、市場橋。

荏原調節池のところで触れた、旧荏原青果市場にちなんだ名前でしょう。
撮影地点のMapion地図
市場橋の高欄をよく見ると、大八車があしらわれており、色彩もなかなかすてきです。

おとなしいタイプの、桁橋が多い目黒川ですから、水面から見上げると特に、こういう気遣いが嬉しいものですね。
市場橋の近くには、もう2つの橋が隣接しています。

亀の甲橋と、東急目黒線の高架橋。下流側からはうまく収まらないので、上流から、桜並木を入れて遠望してみました。

南に曲がる河道が、再び直線になると、桜並木越しに、空を圧するガラス張りの巨大なビルが…。目黒雅叙園の建物ですね。

両岸を台地にはさまれた、谷地に入ったせいでしょうか、先ほどから、時々吹いていた強い風が、突風となって下流側から吹き抜けてゆきます。まるで、ここしか風の通り道がない、といった感じです。
今回会いたかった橋の、ひとつに近づいてきました。太鼓橋です。鋼桁橋ながら、石張り風の装飾が施されているあたり、この橋が、今まで見てきた橋とは、違った出自であることを物語っていますね。

この太鼓橋、古くから目黒不動尊への参道として有名な、行人坂から下ってくる道を渡しています。
「江戸の橋」(鈴木理生著)によると、ここには明治中ごろまで、同名の石造アーチ橋が架かっていたそうです。造られたのは享保年間(西暦1716年~1735年)の末で、庭園にあるものを除くと、江戸近郊では唯一の石造アーチ橋でした。
「太鼓橋」とは、神社の境内にあるような(『竪川睦』参照)、極端に中高の橋を指す普通名詞ですが、ここでは固有名詞になってしまったのです。言うまでもなく、アーチによって中高になった、その姿を側面から見ての命名でしょう。

前出の「運河論」にも、「改修区域の準用河川は太鼓橋下流で、上流は公有水面である」と、触れられており、かつての太鼓橋が、著名な構造物であったことがわかります。
昔の面影は、もちろんありませんが、桁橋の装飾に見られる心配りが、いにしえの賑わいをわずかに偲ばせるように思え、興味深いものがありました。
撮影地点のMapion地図


(19年4月15日撮影)

(『目黒川の橋づくし…9』につづく)
2007/04/23のBlog
[ 19:21 ] [ 航行河川・運河 ]
(『目黒川の橋づくし…6』のつづき)
五反田大橋に隣接する人道橋、本村橋。上流より見たところです。

やはり桜並木が両岸にあり、盛りは過ぎたとは言え、水面は散り落ちた花びらがたゆたい、艇の航跡で白い模様を描きます。
撮影地点のMapion地図
ズームを効かせて、名残の花たちを撮ってみました。
う~ん、思ったように撮れない…。腕が悪いのか、それともカメラが悪いのか(笑)。

距離を置いて眺めると、ふくらんだ小鳥が、たくさん枝に留まっているように見えます。
首都高2号目黒線と二段重ねになった、谷山橋。

暗渠の開口部があるせいでしょう、このあたりもちょっと臭います。
撮影地点のMapion地図
谷山橋をくぐると、右手には目黒川可航部のハイライト? 目黒川荏原調節池が、口をあけているのが見えてきました。写真は上流側より撮影。

この調節池は、荏原市場の移転にともない、その跡地を再開発して建設されたもので、平成3年着工、同12年に稼動開始したとのこと。貯留量200,000立米の巨大な空間に、増水時の水を飲み込み、一帯の浸水被害を防ぐという、大規模な水防施設です。

詳細は「目黒川荏原調節池建設事業」(PDFファイル、月刊建設03-08・全建賞・河川部門)や、「主要事業の進行状況報告書(平成17年度前期)」(東京都HP)に掲載されています。
調節池のちょうど対岸には、護岸に階段を設けた、船着場様の設備があります。昔からあるもののようですね。かつては何に使われていたのでしょう?

残念ながら、柵は閉鎖されているようです。こちらも、上流側から撮影しました。
撮影地点のMapion地図



(19年4月15日撮影)

(『目黒川の橋づくし…8』につづく)
2007/04/22のBlog
[ 20:04 ] [ 航行河川・運河 ]
(『目黒川の橋づくし…5』のつづき)
五反田の駅にほど近いこのあたりは、なかなか賑やかです。前方に見える橋は、人道橋、ふれあいK字橋。

この橋、小名木川に架かる、「クローバー橋」(『小名木川…2』参照)に匹敵する、変わった形の橋です。
どう変わっているかというと…。
撮影地点のMapion地図
上流側に2本、斜めに取り付けられた通路が分岐しており、ほんのちょっと近道ができる構造に、造られているのです。真上から見た形は、名前どおり「K」の字をしています。

写真は、裏側を見上げたところ。直線の主桁に、円弧状の桁を、寄り添わせたような構造になっているのがわかります。
川面はるか上空に架かる、東急池上線の高架橋。すぐ右は五反田駅です。
JR総武線の秋葉原付近や、東京モノレール同様、開通当初は、まさに天空をゆく電車のおもむきだったここも、ご覧のとおり、いまやビルの谷間から出入りする窮屈さ…。

しかし…こうして橋を拾ってゆくと、目黒川って、短い距離の間に、実に多くの鉄道橋がある川だなあと、改めて思いました。
撮影地点のMapion地図
大崎橋。
五反田駅前に接していることもあるのでしょう、この付近の橋には珍しく、白いパネルで桁まで覆われており、周囲を意識した装いです。
第二京浜を渡す、五反田大橋を遠望。この真下を、都営浅草線が通っています。
右手に、柳の並木が見えるあたり、かつての数寄屋橋付近を思わせる、繁華街らしい雰囲気です。

花見のシーズンほどではありませんが、水面には花びらが点々と浮かび、なかなか風流です。
ただ、護岸に開口する暗渠からの臭いが、風向きによって時おり流れてきて、ちょっと息苦しくなることがありました。
撮影地点のMapion地図


(19年4月15日撮影)

(『目黒川の橋づくし…7』につづく)
2007/04/21のBlog
[ 18:35 ] [ 航行河川・運河 ]
(『目黒川の橋づくし…4』のつづき)
小関歩道橋の難所? を過ぎると、右側に、まだ散っていない桜並木が広がりました。写真の腕が悪いので、あまりきれいに撮れませんでしたが、見事な咲きっぷりに、ちょっと得した気分です。

え、えと、八重桜…だったかな?
例によって、花のことはまるで見当もつかない、無粋者の書くことです、間違っていたらごめんなさい(笑)。
上路式の、しかも一径間の桁橋ばかりで、ちょっと食傷(ごめんなさい)していたところへ、ようやく下路式の橋が登場、なんだかホッとしてしまいました。
細い桁の上に、アーチのついたランガー桁橋、鈴懸歩道橋です。

桁の中央には、橋名でなく「目黒川」と大書きされ、左右には「大崎1丁目」「東五反田2丁目」と、両岸の所番地が書かれています。…そういえば、この川の橋は、桁側面に橋名が書いていないものがほとんどですね。
撮影地点のMapion地図
朱色の桁が鮮やかな、御成橋。

一見、何の変哲もない鋼桁橋に見えますが…帰りに通ってみて、ビックリさせられました。どうビックリしたかは、後ほどご覧に入れましょう。
再開発区域の終端部に位置する、山本橋です。

中央の展望スペースと、高い橋灯が印象的ですね。
撮影地点のMapion地図
川が南に曲がる地点を、斜交いに渡るプレートガーダーは、山手線の上目黒川橋梁。ペンキ書きされた銘が読み取れたので、鉄道橋には珍しく、橋名がわかりました。
先ほど「目黒川の橋づくし…3」でご覧に入れたように、南に向かった山手線(複線ですから、こういう言い方も妙ですが)は、ぐるっとターンして、ここで再び目黒川を渡ります。
撮影地点のMapion地図

(19年4月15日撮影)

(『目黒川の橋づくし…6』につづく)
[ 18:34 ] [ 航行河川・運河 ]
(『目黒川の橋づくし…3』のつづき)
山手通りを渡す鋼桁橋、居木橋。ここで河道は左に曲がります。

左の橋詰には、スライドゲートがあるのですが、これは後ほどご紹介しましょう。
撮影地点のMapion地図
河道は屈曲を繰り返しながら、ビルの谷間へと分け入っていきます。
両岸には、再び桜並木が姿をあらわしました。

水深は2m前後、満潮時はまだ先ですので、心配はなさそうです。
高い親柱のあるコンクリート桁橋、森永橋。まだ新しい橋のようですね。

橋の向こうには、資材や機械らしきものを載せた、大きな台船が停泊しています。右に舵を切りましょう。
撮影地点のMapion地図
台船の脇を進むと、小関歩道橋が見えてきました。歩道橋の向こうにも、もう一艘台船がいるようです。橋の架け替え工事をしているのですね。

左手は、大崎ニューシティ、ゲートシティ大崎と、高層ビルの並ぶ再開発区域です。橋を渡る人も多く、手を振ってくれる、かわいい子供たちの姿もちらほら。こちらからも、手を振り返して応えます。
小関歩道橋の向こうに停泊する台船は、右の岸に足場が張り出している分、左に寄っており、残った水面は、ご覧のとおりわずかです。

これだけの幅のものが川に浮ぶと、流路が狭められて、流れも速くなる(満潮に向かう時間なので、流れは逆ですが)ため、艇の速度を落とし過ぎると、舵効きが悪くなります。
水深も1m強と、浅くて狭い航路を、思い切って1000回転超で突っ込み、なんとか通過…。
撮影地点のMapion地図


(19年4月15日撮影)

(『目黒川の橋づくし…5』につづく)
2007/04/20のBlog
[ 18:52 ] [ ご挨拶 ]
本日、お陰さまでアクセス60,000件を数えました。

いつもご来訪くださり、本当にありがとうございます。皆さんのアクセス数こそ、無精者の私が、なんとかブログを継続できた大きな力なのだなあと、最近とみに感じております。

今後とも、水路徘徊にお付き合いいただければ幸いです。
毎度、似たようなご挨拶だけではどうも…と思い、ちょっと変わったものをご覧に入れます。
旧愛艇の唯一の遺品、満身創痍? のプロペラです。

数回の座洲や触礁で、先端の塗料がはがれて刃物のようになり、角がめくれ上がったり、凸凹になっているなど、昔のムチャで、未熟な操縦ぶりが現れていて、ちょっと恥ずかしくもあり、また懐かしくもあります。
プロペラは2回取り替えたはずですので、3個あるうちの一つ、損傷の具合から見て、おそらく最初の江戸川行(『無念!引き返す。』参照)のときに、付けていたものでしょう。

今は? …ずいぶん慎重になりましたので、さすがに、ここまで傷だらけにはしていませんけれど、川底の泥に触れさせることは時々あり、やはり、先端はいつもピカピカ(笑)です…。

(上の写真は汐見運河、18年5月1日撮影)
2007/04/18のBlog
[ 22:59 ] [ 航行河川・運河 ]
(『目黒川の橋づくし…2』のつづき)
JR東海道本線・京浜東北線のプレートガーダー橋。
桁に天地幅があるせいか、桁下高にも余裕がないように錯覚します。

ここで、河道は大きく北に曲がり、御殿山の崖線に沿って、S字カーブを繰り返しつつ遡上します。
撮影地点のMapion地図
中高に作られた鋼桁橋、三嶽橋。
下を通る船舶のことを考えて中高にしたのか、本当のところは知りませんが、単純な鋼桁橋でも、外観に曲線を取り入れると、ぐっと印象が柔らかくなるものですね。

橋をはさんだ両岸には、製薬会社や電工、印刷会社などの工場が立ち並び、工業地帯の雰囲気が、今なお色濃い地域です。
JR新幹線・横須賀線・山手線と、三つの複線鉄道橋が連続します。

手前の水管橋もまた、ぐっと中高ですね。こういう構造物を見ると、水運好きとしては、やはり、「船を意識した設計かしら?」と勘ぐりたくなるもの。
単に、計画高水位(設計上ここまでなら、水かさが増しても大丈夫、という水位)を避けて架設しただけだとしても、そこはそれ…。
新幹線の下をくぐった直後、在来線の鉄橋を見上げると、ちょうど、成田エクスプレスの電車が通過…。

撮影地点のMapion地図
以前にも、一回やりましたが、プレートガーダー橋の裏側を、真上を見上げる形で撮ってみました。

道床(砕石を敷いた部分)のない、直接枕木を乗せた鉄橋は、見上げたときの造形が幾何学的で、なかなか面白いものです。
ただ、透けているだけに、枕木の間から何かが落ちてきそうな、妙な恐怖感はあるのですが…。まあ、今は垂れ流しトイレ(笑)も廃止されたようですから、変なものが落ちてくる心配は、なさそうですね。


(19年4月15日撮影)

(『目黒川の橋づくし…4』につづく)
2007/04/16のBlog
[ 21:05 ] [ 航行河川・運河 ]
(『目黒川の橋づくし…1』のつづき)
洲崎橋に似たコンクリート桁橋、荏川橋。

右岸は、荏原神社の杜が葉を茂らせており、清々しい感じがします。
撮影地点のMapion地図
箱状になったホームの上屋が、川をまたいでいる橋上駅、京浜急行の新馬場駅です。

東京の川を走っていると、都営新宿線の東大島駅(『旧中川』参照)や、埼京線北赤羽駅(『新河岸川…2』参照)など、橋上駅に出くわすことがありますが、全国には、この手の駅がいくつくらいあるのでしょうね…。
新馬場駅のかたわらにある、国道15号線を渡す、東海橋。

直線的な鋼桁橋ですが、メインルートを通す橋だけあって、親柱にグローブ灯を備えるなど、装飾はなかなか立派です。
撮影地点のMapion地図
東海橋の上流側、北岸には、東海橋防災船着場があります。

歩道を低めたタイプの固定岸壁で、柵の部分まで防舷物が伸びているのが、珍しい感じがします。以前紹介した、「東京水路MAP」によると、東京都の管轄だそうです。
ここまで、ほぼ直線だった河道は、ゆるやかなS字を描きます。両岸には見事な桜並木…。私は出遅れたので、すでに葉桜ではありますが、お花見の季節には、フネブネで賑わうのもうなずけますね。前方の鋼桁橋は、要津橋です。

「運河論」(『あの本が!』参照)によると、目黒川は、「…氾濫による水害除去と共に一部区間を運河として利用し、沿岸工業の発展を図る為め」、「目黒川運河」と称し河道改修が計画され、当時の東京府の事業として、大正12年に起工、昭和12年に完成したとのことです。
現在の直線河道は、そのころの工事が元になっているのでしょう。この川もかつては、舟運路としての機能を期待された「水の道」だったのです。

目黒川の歴史に興味のある方は、「目黒の歴史 目黒の川(1)(目黒川)」(目黒区HP)をご覧ください。呑川や立会川などについての記事もあります。
撮影地点のMapion地図

(19年4月15日撮影)

(『目黒川の橋づくし…3』につづく)