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水路をゆく
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2007/05/10のBlog
[ 22:54 ] [ 水辺の気になるモノ ]
(『勝島運河…3』のつづき)
京浜運河側から見た、東品川橋です。
目黒川の橋づくし…9」で、撮影に失敗したため、リベンジしたのはいいのですが、今度は逆光だったという、笑うに笑えない結果になってしまいました(泣)。

しかも、「目黒川水門」では、この水路が、「天王洲南運河」だと、自分で書いているにもかかわらず、「橋づくし」では、「東品川橋が目黒川の第一橋」と、間違っているていたらく…。情けない限りです。お詫びして訂正いたします(涙)。
撮影地点のMapion地図
…気を取り直して、「4月15日の桟橋」でもご紹介した、芝浦アイランドの桟橋から発着する、スマートな水上コミューター「アーバンランチⅠ」の姿を。

橋梁通過を考えた、高さを押さえたラインにもかかわらず、鈍重な感じがしないのは、カタマラン(双胴船型)のおかげでしょうか。19総t、全長15.5m、最高速力20kt。芝浦~お台場間の航路を、9時台~17時台の間、ほぼ1時間ごとに1往復の便が、設定されているとのこと。

今まで定期航路のなかったルートであり、東京港に出るまで、水門や低い橋をくぐるというイベント(笑)もあるので、その手がお好きな方には、なかなか楽しい船旅になるでしょう。船型が大きくない分、水面や橋がぐっと身近に感じられるでしょうから、従来の水上バス遊覧とは違った、臨場感も味わえることと思います。
現在は、同型船2隻によって運航されていますが、近く3隻目も就航するとのことです。

ちなみに、月刊「ボート倶楽部」の記事によると、オフィシャルサイトは、http://www.urbanlaunchi.net/ らしいのですが、なぜか表示されませんでした。製作中なのでしょうか…。
(参考:月刊『ボート倶楽部』2007年6月号『今月のヒト・モノ・フネ』)
芝浦の運河めぐり…9」のときは、まだ橋台の工事中だった橋が、ほぼ完成した姿を見ることができました。鋼桁橋ですが、中高に作られた曲線に柔らかさが感じられ、塗色も落ち着いて、なかなか魅力的な橋ですね。

私は知らなかったのですが、ここにはついこの間まで、船路橋という橋が架かっており、しかもその橋は、都電の線路が残された街の遺跡として、その筋には有名な橋だったようなのです。
かつて芝浦にあった、都電の修繕工場と船路橋については、「都電 船路橋 芝浦工場」(09 Photo-Rail)が詳しく、貴重な写真も掲載されていますので、ご一読をおすすめします。

う~ん、そうと知っていれば、一度見ておきたかったなあ…。この新しい橋も、旧橋の名前をを襲名して、船路橋、と呼ばれるのでしょうか。
撮影地点のMapion地図
新船路橋(?)の橋台に、近寄ってみました。
レンガ模様の柱に、円筒状の橋灯を乗せた、華奢な親柱が素敵です。橋台近くの法面に、土嚢が階段状に積まれているのは、盛り土を締めて、落ち着かせるためでしょう。

ん? もしかしてこの橋、茂森橋(『最低橋に挑戦!…4』参照)や、一ツ橋(『日本橋川…8』参照)と同じ、「鋼桁橋のラーメン橋台橋」なのでしょうか? だとしたら、震災復興橋以来、約80年ぶりの復活、ということになりますね。

いずれにせよ、最近新設された橋の中では、非常によくまとまったデザインのように思えました。完成したら、ぜひ、この足で渡ってみたいです。


(19年4月29日撮影)

(『消防艇出動?』につづく)
2007/05/09のBlog
[ 21:19 ] [ 航行河川・運河 ]
(『勝島運河…2』のつづき)
運河の最奥部、水はますます青みを増し、エメラルドグリーンと言ってもいいほど。
西岸の、少し張り出したような部分には、小さなポンツン桟橋があります。今年2月に設けられた、「運河の駅」なる施設だそうです。せっかくの、お天気の日曜日にもかかわらず、桟橋はひっそりとしていました。
(参考:『勝島運河 運河の駅浮桟橋開所品川区HP
西からそそぐ、立会川の河口をのぞき込んだところ。

残念ながら工事中で、左手は、水面に張り出した足場で箱状に囲われ、河口はブイで閉鎖されており、これ以上進むことはできませんでした。
撮影地点のMapion地図
最奥部の東岸です。

ご覧のとおり、階段状のアプローチがある、こぎれいな親水施設になっています。階段に座って、水面を眺めながら憩う人々の姿もあり、くつろいだ雰囲気ですね。
思わず艇をもやって、一息ついてしまいそうです。イヤ、そんなことをしては、いけないのでしょうが…(笑)。
最奥部から北、鮫洲駅方を眺めたところ。

特になにか見所がある、といわけではないのですが、適度に開けた風景と、周囲の落ち着いた感じが気に入って、時々休憩に立ち寄りたくなる水面です。
邪魔にならないように投錨して、のんびりお昼寝なんていいかも。心身ともに、リラックスさせる魅力がある運河…なんて感想は、大げさでしょうか。


(19年4月29日撮影)

(『芝浦の新しい橋』につづく)
2007/05/07のBlog
[ 20:49 ] [ 航行河川・運河 ]
(『勝島運河…1』のつづき)
鮫洲橋をくぐった直後の眺めです。正面には屋形船がもやう、船溜りがあります。

私が初めてここを訪ねたときは、写真奥右側にも、北に向かう短い水路があったのですが、いまや埋め立てられて、跡形もありません。
水路は左方、ほぼ直角に曲がり、約700m南方で終わっています。

周囲はほとんどが、法面のある親水護岸で、建物によりうまく風も防がれているため、波もないおだやかな入り江といった風情です。
運河の終端まで、行ってみましょう。
撮影地点のMapion地図
東側の護岸には、春の花が咲いている一角がありました。
地元の方が、丹精されたものでしょうか。

背後の倉庫敷地内にある緑も、海岸の疎林の雰囲気で、いい感じです。
少し奥に入った、西側の岸にも、通船や曳船が船べりを接する、桟橋がありました。

整備された美しい水辺でも、船影の絶えた運河は、やはり生気が乏しいように感じます。ささやかであっても、船溜りがあることが、なんだか、運河が運河たる条件の一つのように思えるのですが、いかがでしょうか…。
船溜りの隣には、インクライン式の船台もありました。造船所でもあるのかな?

立会川から流れてくる、真水のせいでしょうか、奥に入るにつれて、水の色は次第に青みを増して、何か神秘的な光景です。
撮影地点のMapion地図



(19年4月29日撮影)

(『勝島運河…3』につづく)
2007/05/06のBlog
[ 14:40 ] [ 航行河川・運河 ]
(『多摩川点描』のつづき)
大師橋の前後をうろうろし、水門を撮ったり、フネブネを眺めたりして過ごしたあとは、再び海老取川へ。

海老取川から多摩川へ…2」のときには、工事中だった弁天橋、仮の橋脚も取り払われ、現在はご覧のとおりです。
撮影地点のMapion地図
海老取川をゆっくり進んでいると、むっ、空港側に何やら人だかりが…。

おまわりさんの姿も見えます。事故かしら? お気をつけて。
京浜運河を走って、鮫洲付近を通過中、ここの勝島運河が未紹介であることに気づき、入ってみることにしました。

かつては、昭和島まで貫通していた勝島運河も、数度の埋め立てによって分断されてしまいました。現在のもっとも大きな残存部分が、名前のもとになったここ、勝島の北半分を取り巻く区間です。
撮影地点のMapion地図
首都高羽田線の橋をくぐり、右手に見えるのは、ドライバー諸兄にはおなじみ、鮫洲の自動車免許試験場。私もここで、試験を受けました。

免許の更新時(違反が一回あったので、講習を受けなければなりませんでした!)も、江東試験場に行けばよいものを、運河見たさに、鮫洲に来てしまう運河バカ(笑)ぶり…。
海岸通を渡す鋼桁橋、鮫洲橋。
周囲は開けており、岸の法面には花が咲き、水面も静か。本当にノンビリした気分になるんですよ、この辺は…。

免許の更新の帰りは、当然のように水辺をお散歩。この橋を渡って、向こう岸をうろついたり、また戻ってきて水の中をのぞき込んだりと、ほとんど不審人物だったことを思い出しました(恥)。
撮影地点のMapion地図

(19年4月29日撮影)

(『勝島運河…2』につづく)
[ 14:40 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新呑川…5』のつづき)
新呑川を出たあとは、海老取川(『海老取川から多摩川へ…1』以下を参照)を通って、多摩川を、ほんの少しぶらついてきました。

先ほども触れたように、私が小型船舶の実技教習を受けたところは、多摩川にあって、練習水面は羽田沖でした。言わば、私が最初に走った川になるわけで、ここに来るたび、何か里帰りをしたような気持ちになるのです。

実技教習の日、教習艇に生徒として乗ったのは、石炭会社の社長さんと、私の二人。教習の休み時間、今はなき羽田の東急ホテルで、社長さんに昼食をご馳走になったこと、ホテルの食堂はがらんとしていて、我々二人だけだったことなど、今ふと思い出しました。

試験の当日に、社長さんはわざわざ私の席を捜して来て、「オイッ、お互いにがんばろうぜ!」と、私の背中をたたいて激励してくれました。社長さんはお元気なら、もう90歳を越えるご高齢だと思いますが、今でもボートに乗っておられるのでしょうか…。
海老取川を出て、上流に向かい、最初に目に入ってくるのが、青い扉体の羽田水門。
昭和63年竣工、船溜りを守る水門としては、なかなか立派です。

多摩川下流部は、かつては筏流しを含めた水運が盛んであり、戦前、隣接する工業地帯に向けての、運河開鑿計画もいくつかありましたが、計画の時期が比較的遅かったせいでしょうか、ほとんどが未成に終わっています。
撮影地点のMapion地図
こちらは、羽田第二水門。上の羽田水門と同じく、船溜りに作られた水門で、大師橋と首都高横羽線の間にあります。

なぜか、どちらも銘板は「羽田水門」となっています。昭和52年竣工で、こちらの方が古いのに、第二とはこれいかに…。
(以上2点、参考:『橋の写真館・羽田第二水門羽田水門京浜河川事務所
撮影地点のMapion地図
羽田の船溜りで発見した、背高ノッポのプッシャー。

エンクローズドキャブを、三段に積み重ねたスタイルで、以前、「京浜運河を散策する…4」で紹介したノッポ君よりは、はるかにおとなしい(?)スタイルですが、さて、どちらの背が高いでしょうか。
羽田第二水門の前から、川崎側を望んだところ。澪筋は羽田側にあり、川崎側は大きな洲があるなど、浅くなっています。

下流側から伸びてきた、首都高横羽線の橋が、大師橋の上に重なってゆき、2本の橋の間に三角形をかたちづくる、独特の風景です。




(19年4月29日撮影)

(『勝島運河…1』につづく)
[ 14:39 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新呑川…4』のつづき)
清水橋。いままで直線だった河道は、少し南に曲がってから、北に向きを変えます。自然の状態に近くなったということでしょうか。

繋留船はまばらになり、清水橋をくぐると、ついに船の姿は見られなくなりました。
撮影地点のMapion地図
ガーダーの両端に、型鋼桁を渡した形の白い橋、天神橋。タイトルでアップをお見せしましたが、古いのか新しいのかわからない、独特の雰囲気がある橋です。
この南岸には、北野神社がありますから、それにちなんだ名前でしょうか。

水深は、徐々に浅くなってきたものの、まだ大丈夫なようです。天神橋をくぐってみましょう。
天神橋をくぐると、南岸に立派な船着場が現れ、その向こうには国道15号を渡す、夫婦橋が見えました。
ここは京急蒲田駅の近く、駅前らしくビルが立ち並び、駅のアナウンスや、電車の走る音も聞こえる、賑やかな場所です。

このあたりは、屈曲の内側(写真右)が特に浅く、船着場側も、水深が十分でありませんでした。夫婦橋の下をのぞいてみると、右側に洲が出ており、これ以上の遡行は難しいように思えたので、ここで引き返すことにしました。

正面に見える、夫婦橋で思い出すことがありました。
たびたび引用させていただいている、「東京の橋」の巻末の記事に、以前、この橋で開催された「橋供養」の準備や、当日の、予想を上回る盛況ぶりが書かれていたのです。

「橋供養」とは、本来、橋の完成時に行われるものですが、夫婦橋のそれは、大正13年落成の、旧橋の取り壊しに際して、ねぎらいの意味と、川で亡くなった方の鎮魂を兼ねて、行われたところが変わっていました。もちろん、「橋を供養する」という習慣は、当時から見ても、とっくの昔に途絶えていて、地元のお寺の住職すら、知らなかったそうです。

「橋供養」が行われたのは、昭和57年10月3日。施主は「呑川の環境を考える会」および、「東京の橋」の著者、伊東孝氏の所属する「東京の橋研究会」と、地元有志によるものでした。橋に提灯が飾られ、灯篭流しも行われて、200人を越える参加者を集め、成功裏に終了したとのことです。

この記事を初めて読んだときは、橋に対する地元の人の愛情や、著者らの情熱と、技術の成果である橋をを大切にする気持ちに対し、胸が熱くなったことを覚えています。
(参考:『東京の橋』伊東 孝 著)
船着場の出現には、正直驚きました。
橋脚の径間も狭く、水深も十分でないここに、これほどの規模の船着場にふさわしい、大型舟艇が遡行してこられるとは、思えなかったからです。

全体の造作は、目黒川の東海橋で見た船着場(『目黒川の橋づくし…2』参照)とよく似ており、同時期の設計・施工であることがうかがえました。
撮影地点のMapion地図
この船着場の名前は…と、手がかりを捜してウロウロしましたが、見つかったのは写真の看板のみ。「東京水路MAP」にも、掲載されていませんでした。

うーん、大田区役所に問い合わせてみますか…。




(19年4月29日撮影)

【20年3月6日追記】がーちゃんフォトアルバム」の「夫婦橋親水公園」に、トラックバックさせていただきました。本記事で紹介した船着場を、陸からルポしておられます。

(『多摩川点描』につづく)
2007/05/05のBlog
[ 18:20 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新呑川…3』のつづき)
産業道路を渡すプレートガーダー、呑川新橋。新呑川で最大規模の橋です。

ガーダーの中央付近をよく見ると、「→ ←」という風に、黒い矢印が描かれていました。この矢印の内側が航路だよ、という意味でしょうか。
昭和島の「浅い」ではありませんが、この手のローカルな航路標識というのも、チープ(失礼)な魅力があって、面白いものですね。
撮影地点のMapion地図
古そうなコンクリート桁橋、八幡橋。

北岸にある、子安八幡神社にちなんだ命名でしょう。
八幡橋の上流側には、人道橋が併設されていました。幅員の狭い、古い橋にはよく見られます。

繋留船の姿は、次第にまばらになり、足場に使うようなパイプで作った、河岸棒ばかりが目立つようになってきました。岸の水面下には、基礎護岸の張り出しがあるのでしょうか。
撮影地点のMapion地図
鋼桁橋、北糀谷橋。写真右、北岸は北糀谷2丁目です。

船の姿はますます少なくなり、ちょっとさびしくなってきました。ただ、沿岸に高い建物が少ないせいか、水面には常に陽光が降り注いでおり、可航区間を通じて、明るい雰囲気なのが救われます。
宝来橋。南岸にある、西糀谷商店街からの道を渡します。

新呑川である区間は、このあたりまで。この少し上流が、かつての旧呑川との分岐点です。
分岐付近の旧呑川の河道は、写真右にも写っている、東蒲中学校の敷地を通っていたようです。
撮影地点のMapion地図


(19年4月29日撮影)

(『新呑川…5』につづく)
[ 18:20 ] [ 航行河川・運河 ]
(『新呑川…2』のつづき)
藤兵衛橋の橋詰近くには、「国土交通省東京航空局 東京国際空港 救護・海上班 ドクターボートセンター」の看板を掲げる桟橋が…。あ、以前、雑誌の記事で見たことがあります。航空機事故の救難を担当する、お医者様の集まりですね。

検索してみたら、サイトがありました。「ドクターボートセンター
昭和57年の、羽田沖日航機墜落事故の惨事を教訓に、現代表・高橋康之氏が設立したボランティア団体で、呑川の本部ほか5支部があり、70人の会員と、20隻の登録船舶を擁し、羽田空港から「9km圏内の海上において航空機事故が発生した場合に、東京国際空港長の出動要請を受けて医療救護活動を行う」そうです。

そういえば…私が小型船舶免許の、実技教習を受けた教習所は、多摩川畔にあったのですが、そのときの教官が、「日航機事故のときは、私も救助に出動しました」と、話してくれたっけ…。
末広橋です。かつての藤兵衛堀であった区間は、このあたりまで。ここから上流、夫婦橋付近までは、新たに開鑿した新河道です。

千葉の浦安同様、河口部の漁村であった羽田一帯は、無数の水路を漁港として、また物流の道として発展してきました。河口に堆積した洲の間に生じた、澪が原型となって生まれたこれらの水路は、今でも貴船堀、北前堀、南前堀などの名前が残り、往時をしのばせます。
撮影地点のMapion地図
住宅地が増えたものの、こうした工業地帯らしい面影も、まだまだ健在です。

こちらの工場も盛業中のようですね、どんな機械を造っているのでしょうか。
中央に橋灯と展望スペースがある、東橋。

この道を写真右手(北)に進むと、浦守稲荷を控えたこの地域の中心、前の浦商店街です。
撮影地点のMapion地図
東橋を過ぎると、右手に見えてくる緑地は、一丁目公園。このあたりは、大森南一丁目なのですね。

公園の、産業道路に近い護岸は、一段下げられており、親水スペースまでとはいかないものの、川面を眺められる一角になっています。梯子も備えられているので、緊急時の接岸地点としての機能も、考えられているのかもしれません。
撮影地点のMapion地図


(19年4月29日撮影)

(『新呑川…4』につづく)