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2007/05/12のBlog
[ 22:51 ]
[ 水郷で遊ぶ ]
初夏のような好天に恵まれた、黄金週間2日目は、2度目の水郷訪問を果たしてきました。4月は公私ともに多忙で、疲れているはずの身体にムチ打って、休みになったとたん、二日連続で水路漬けとは、因果というか、我ながらガツガツしています(笑)。今年1月の佐原訪問(『佐原と小野川…1』以下参照)を含めると、下利根周辺は3度目になります。まあ、自分の中では、一種理想郷のようなところでありますから、訪れるたびに新たな発見があり、楽しさもいや増すように思えるのです。
昨年は、十六島の与田浦から舟に乗りましたので(『魅惑の水郷…1』以下参照)、今回は、前川が常陸利根川に注ぐ地点にある、潮来遊覧船組合の桟橋から、出発することにしました。
河畔のホテル街にはさまれた、言わば潮来観光の中心地で、専用駐車場もすぐ近くにあり、飲食店や土産物店も多く、舟を下りてからの散策にも、便の良いところです。
【撮影地点のMapion地図】
桟橋の近くにあった、「地方港湾 潮来港」の看板。ここは全国でも数少ない、地方港湾指定を受けた、現役の河港なのです!
川船のための港が、今なおこうして存在している、というだけで、私にとっては感動もの…。
さすが水郷! さすが潮来!
今回乗ったサッパは、前回と異なり、ご覧のようなキャンバスオーニングがついた、半密閉型です。受付で申し込むと、まず常駐のカメラマン氏が、船頭さんとの記念写真を撮ってくれます。編み笠を渡されて、あやめが描かれた板の前でニッコリ(笑)。出来上がった写真は、帰港時に、きれいな台紙に入れて渡してくれました。
なんだか面映いような、観光地らしいジャブ(?)のあと、船頭さんにうながされて、常陸利根川に浮ぶサッパに乗船。
今回のコース、まだ行ったことのない、前川めぐりだけでも良かったのですが、ちょっと欲張って、昨年と逆コースの十六島一周のあと、前川を往復してもらうというコースにしました。常陸利根川を渡る途中で、同形式のサッパをよくよく見ていると、なるほどと思わせる部分がありました。
原型である農舟のサッパは、タテイタという、戸立造りの平らな船首尾を、跳ね上げたような形ですが、遊覧仕様のこれは、船外機と操船者の重量が後ろにかかるため、船尾水線付近に、箱型の船尾材を張り出して、浮力を補っているのが(まあ、ようやくですが)わかったのです。
直線的なタテイタが際立たせる、全体の流れるような輪郭…。サッパは、和船では多く見られる、ミヨシ(船首材)のない分、外観は素朴になりますが、ラインがスッキリして、むしろ好ましい感じがします。内舷の開口に取り付ける、船外機の装着方法も、妙に気に入っていることもあり、コレに自分好みのセイジ(居住設備)をつけて、利根川・江戸川をロングランしたら、さぞ面白いだろう…などと、よく妄想してしまうのです。
常陸利根川を横断し、加藤洲閘門に到着。十二橋、新左衛門川に入ります。昨年は、住宅密集地にある小型閘門という、マニアック(笑)な存在に大騒ぎした私ですが、今年は2回目なので、つとめて冷静を装うだけの余裕(?)はありました。
気持ちにゆとりがあるせいか、はたまた日ごろの行いの良さからか、水路周辺のさまざまな変化を目にし、また船頭さんからは、多くの興味深いお話を伺うことができて、前回以上に、濃厚かつ充実した船行になりました。
次回より順次、ご紹介したいと思います。
【撮影地点のMapion地図】
(19年4月30日撮影)
(『ふたたび水郷へ!…2』につづく)
2007/05/11のBlog
[ 23:24 ]
[ 船 ]
(『芝浦の新しい橋』のつづき)この日は午後になると、だいぶ風が強まってきました。芝浦から東京港に出たら、木っ端ブネにとっては少々厳しい波で、向かい風を突いて港を横切ります。
ふと、隅田川の方を見ると、大小の消防艇から、消防ジェットスキー?までがぞろぞろと、こちらに向かってくるのを発見。臨港消防署の所属艇が、全艇出動したような、ただならぬ雰囲気です。
カメラを向けたものの、何しろ、波と風にあおられながらの撮影ですので、なんとか写っていたのは、この1枚のみ。よく見えませんね…(泣)。
晴海の公園前には、臨港消防署のフラッグシップたる、消防艇「みやこどり」が漂泊中でした。(『3月4日のフネブネ』参照)おりしも、天気のよい休日の午後、港内は水上バスから、レストラン・クルーズ船に、プレジャーボートも何隻かいて、その輻輳ぶりは結構なもの。
その間を縫うようにして、「みやこどり」の前や後ろを、消防艇船隊が、白波を立てて通り過ぎてゆきます。う~ん、何が行われるのでしょう?
晴海の客船埠頭前でも、やはり二隻の消防艇が漂泊していました。埠頭の側面をよく見ると、何やら目標というか、標的のようなものが、取り付けられているのも見えたことから、放水の展示訓練の練習かな、という見当はついたのですが。
帰宅してから、東京消防庁のHPを見てみて、納得しました。「平成19年水の消防ページェント」の、予行演習だったのですね。5月20日(日)に行われ、消防艇の分列行進や、一斉放水も見せてくれるとのことです。
ちなみに、この後行われた演習の模様は、がーちゃんさんのブログ「がーちゃんフォトアルバム」の「海へポタ その9 レインボーブリッジから見た船」に、写真がありますので、ぜひご覧ください。がーちゃんさんたちと、橋の上と下で、ニアミス(でもなんでもないですか?)していたようですね!
【撮影地点のMapion地図】
(19年4月29日撮影)
4月29日の項の参考文献大田区海苔物語 大田区郷土博物館
東京の橋 (伊東 孝 著) 鹿島出版会
月刊「ボート倶楽部」2007年6月号 舵社
(この項おわり)
2007/05/10のBlog
[ 22:54 ]
[ 水辺の気になるモノ ]
(『勝島運河…3』のつづき)京浜運河側から見た、東品川橋です。
「目黒川の橋づくし…9」で、撮影に失敗したため、リベンジしたのはいいのですが、今度は逆光だったという、笑うに笑えない結果になってしまいました(泣)。
しかも、「目黒川水門」では、この水路が、「天王洲南運河」だと、自分で書いているにもかかわらず、「橋づくし」では、「東品川橋が目黒川の第一橋」と、間違っているていたらく…。情けない限りです。お詫びして訂正いたします(涙)。
【撮影地点のMapion地図】
…気を取り直して、「4月15日の桟橋」でもご紹介した、芝浦アイランドの桟橋から発着する、スマートな水上コミューター「アーバンランチⅠ」の姿を。橋梁通過を考えた、高さを押さえたラインにもかかわらず、鈍重な感じがしないのは、カタマラン(双胴船型)のおかげでしょうか。19総t、全長15.5m、最高速力20kt。芝浦~お台場間の航路を、9時台~17時台の間、ほぼ1時間ごとに1往復の便が、設定されているとのこと。
今まで定期航路のなかったルートであり、東京港に出るまで、水門や低い橋をくぐるというイベント(笑)もあるので、その手がお好きな方には、なかなか楽しい船旅になるでしょう。船型が大きくない分、水面や橋がぐっと身近に感じられるでしょうから、従来の水上バス遊覧とは違った、臨場感も味わえることと思います。現在は、同型船2隻によって運航されていますが、近く3隻目も就航するとのことです。
ちなみに、月刊「ボート倶楽部」の記事によると、オフィシャルサイトは、http://www.urbanlaunchi.net/ らしいのですが、なぜか表示されませんでした。製作中なのでしょうか…。
(参考:月刊『ボート倶楽部』2007年6月号『今月のヒト・モノ・フネ』)
「芝浦の運河めぐり…9」のときは、まだ橋台の工事中だった橋が、ほぼ完成した姿を見ることができました。鋼桁橋ですが、中高に作られた曲線に柔らかさが感じられ、塗色も落ち着いて、なかなか魅力的な橋ですね。私は知らなかったのですが、ここにはついこの間まで、船路橋という橋が架かっており、しかもその橋は、都電の線路が残された街の遺跡として、その筋には有名な橋だったようなのです。
かつて芝浦にあった、都電の修繕工場と船路橋については、「都電 船路橋 芝浦工場」(09 Photo-Rail)が詳しく、貴重な写真も掲載されていますので、ご一読をおすすめします。
う~ん、そうと知っていれば、一度見ておきたかったなあ…。この新しい橋も、旧橋の名前をを襲名して、船路橋、と呼ばれるのでしょうか。
【撮影地点のMapion地図】
2007/05/09のBlog
[ 21:19 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『勝島運河…2』のつづき)運河の最奥部、水はますます青みを増し、エメラルドグリーンと言ってもいいほど。
西岸の、少し張り出したような部分には、小さなポンツン桟橋があります。今年2月に設けられた、「運河の駅」なる施設だそうです。せっかくの、お天気の日曜日にもかかわらず、桟橋はひっそりとしていました。
(参考:『勝島運河 運河の駅浮桟橋開所』品川区HP)
西からそそぐ、立会川の河口をのぞき込んだところ。残念ながら工事中で、左手は、水面に張り出した足場で箱状に囲われ、河口はブイで閉鎖されており、これ以上進むことはできませんでした。
【撮影地点のMapion地図】
最奥部の東岸です。ご覧のとおり、階段状のアプローチがある、こぎれいな親水施設になっています。階段に座って、水面を眺めながら憩う人々の姿もあり、くつろいだ雰囲気ですね。
思わず艇をもやって、一息ついてしまいそうです。イヤ、そんなことをしては、いけないのでしょうが…(笑)。
最奥部から北、鮫洲駅方を眺めたところ。特になにか見所がある、といわけではないのですが、適度に開けた風景と、周囲の落ち着いた感じが気に入って、時々休憩に立ち寄りたくなる水面です。
邪魔にならないように投錨して、のんびりお昼寝なんていいかも。心身ともに、リラックスさせる魅力がある運河…なんて感想は、大げさでしょうか。
(19年4月29日撮影)
(『芝浦の新しい橋』につづく)
2007/05/07のBlog
[ 20:49 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『勝島運河…1』のつづき)鮫洲橋をくぐった直後の眺めです。正面には屋形船がもやう、船溜りがあります。
私が初めてここを訪ねたときは、写真奥右側にも、北に向かう短い水路があったのですが、いまや埋め立てられて、跡形もありません。
水路は左方、ほぼ直角に曲がり、約700m南方で終わっています。周囲はほとんどが、法面のある親水護岸で、建物によりうまく風も防がれているため、波もないおだやかな入り江といった風情です。
運河の終端まで、行ってみましょう。
【撮影地点のMapion地図】
少し奥に入った、西側の岸にも、通船や曳船が船べりを接する、桟橋がありました。整備された美しい水辺でも、船影の絶えた運河は、やはり生気が乏しいように感じます。ささやかであっても、船溜りがあることが、なんだか、運河が運河たる条件の一つのように思えるのですが、いかがでしょうか…。
船溜りの隣には、インクライン式の船台もありました。造船所でもあるのかな?立会川から流れてくる、真水のせいでしょうか、奥に入るにつれて、水の色は次第に青みを増して、何か神秘的な光景です。
【撮影地点のMapion地図】
(19年4月29日撮影)
(『勝島運河…3』につづく)
2007/05/06のBlog
[ 14:40 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『多摩川点描』のつづき)大師橋の前後をうろうろし、水門を撮ったり、フネブネを眺めたりして過ごしたあとは、再び海老取川へ。
「海老取川から多摩川へ…2」のときには、工事中だった弁天橋、仮の橋脚も取り払われ、現在はご覧のとおりです。
【撮影地点のMapion地図】
京浜運河を走って、鮫洲付近を通過中、ここの勝島運河が未紹介であることに気づき、入ってみることにしました。かつては、昭和島まで貫通していた勝島運河も、数度の埋め立てによって分断されてしまいました。現在のもっとも大きな残存部分が、名前のもとになったここ、勝島の北半分を取り巻く区間です。
【撮影地点のMapion地図】
首都高羽田線の橋をくぐり、右手に見えるのは、ドライバー諸兄にはおなじみ、鮫洲の自動車免許試験場。私もここで、試験を受けました。免許の更新時(違反が一回あったので、講習を受けなければなりませんでした!)も、江東試験場に行けばよいものを、運河見たさに、鮫洲に来てしまう運河バカ(笑)ぶり…。
海岸通を渡す鋼桁橋、鮫洲橋。周囲は開けており、岸の法面には花が咲き、水面も静か。本当にノンビリした気分になるんですよ、この辺は…。
免許の更新の帰りは、当然のように水辺をお散歩。この橋を渡って、向こう岸をうろついたり、また戻ってきて水の中をのぞき込んだりと、ほとんど不審人物だったことを思い出しました(恥)。
【撮影地点のMapion地図】
(19年4月29日撮影)
(『勝島運河…2』につづく)
[ 14:40 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『新呑川…5』のつづき)新呑川を出たあとは、海老取川(『海老取川から多摩川へ…1』以下を参照)を通って、多摩川を、ほんの少しぶらついてきました。
先ほども触れたように、私が小型船舶の実技教習を受けたところは、多摩川にあって、練習水面は羽田沖でした。言わば、私が最初に走った川になるわけで、ここに来るたび、何か里帰りをしたような気持ちになるのです。
実技教習の日、教習艇に生徒として乗ったのは、石炭会社の社長さんと、私の二人。教習の休み時間、今はなき羽田の東急ホテルで、社長さんに昼食をご馳走になったこと、ホテルの食堂はがらんとしていて、我々二人だけだったことなど、今ふと思い出しました。試験の当日に、社長さんはわざわざ私の席を捜して来て、「オイッ、お互いにがんばろうぜ!」と、私の背中をたたいて激励してくれました。社長さんはお元気なら、もう90歳を越えるご高齢だと思いますが、今でもボートに乗っておられるのでしょうか…。
海老取川を出て、上流に向かい、最初に目に入ってくるのが、青い扉体の羽田水門。昭和63年竣工、船溜りを守る水門としては、なかなか立派です。
多摩川下流部は、かつては筏流しを含めた水運が盛んであり、戦前、隣接する工業地帯に向けての、運河開鑿計画もいくつかありましたが、計画の時期が比較的遅かったせいでしょうか、ほとんどが未成に終わっています。
【撮影地点のMapion地図】
こちらは、羽田第二水門。上の羽田水門と同じく、船溜りに作られた水門で、大師橋と首都高横羽線の間にあります。なぜか、どちらも銘板は「羽田水門」となっています。昭和52年竣工で、こちらの方が古いのに、第二とはこれいかに…。
(以上2点、参考:『橋の写真館・羽田第二水門・羽田水門』京浜河川事務所)
【撮影地点のMapion地図】
羽田の船溜りで発見した、背高ノッポのプッシャー。エンクローズドキャブを、三段に積み重ねたスタイルで、以前、「京浜運河を散策する…4」で紹介したノッポ君よりは、はるかにおとなしい(?)スタイルですが、さて、どちらの背が高いでしょうか。
羽田第二水門の前から、川崎側を望んだところ。澪筋は羽田側にあり、川崎側は大きな洲があるなど、浅くなっています。下流側から伸びてきた、首都高横羽線の橋が、大師橋の上に重なってゆき、2本の橋の間に三角形をかたちづくる、独特の風景です。
(19年4月29日撮影)
(『勝島運河…1』につづく)
[ 14:39 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『新呑川…4』のつづき)清水橋。いままで直線だった河道は、少し南に曲がってから、北に向きを変えます。自然の状態に近くなったということでしょうか。
繋留船はまばらになり、清水橋をくぐると、ついに船の姿は見られなくなりました。
【撮影地点のMapion地図】
ガーダーの両端に、型鋼桁を渡した形の白い橋、天神橋。タイトルでアップをお見せしましたが、古いのか新しいのかわからない、独特の雰囲気がある橋です。この南岸には、北野神社がありますから、それにちなんだ名前でしょうか。
水深は、徐々に浅くなってきたものの、まだ大丈夫なようです。天神橋をくぐってみましょう。
天神橋をくぐると、南岸に立派な船着場が現れ、その向こうには国道15号を渡す、夫婦橋が見えました。ここは京急蒲田駅の近く、駅前らしくビルが立ち並び、駅のアナウンスや、電車の走る音も聞こえる、賑やかな場所です。
このあたりは、屈曲の内側(写真右)が特に浅く、船着場側も、水深が十分でありませんでした。夫婦橋の下をのぞいてみると、右側に洲が出ており、これ以上の遡行は難しいように思えたので、ここで引き返すことにしました。
正面に見える、夫婦橋で思い出すことがありました。たびたび引用させていただいている、「東京の橋」の巻末の記事に、以前、この橋で開催された「橋供養」の準備や、当日の、予想を上回る盛況ぶりが書かれていたのです。
「橋供養」とは、本来、橋の完成時に行われるものですが、夫婦橋のそれは、大正13年落成の、旧橋の取り壊しに際して、ねぎらいの意味と、川で亡くなった方の鎮魂を兼ねて、行われたところが変わっていました。もちろん、「橋を供養する」という習慣は、当時から見ても、とっくの昔に途絶えていて、地元のお寺の住職すら、知らなかったそうです。
「橋供養」が行われたのは、昭和57年10月3日。施主は「呑川の環境を考える会」および、「東京の橋」の著者、伊東孝氏の所属する「東京の橋研究会」と、地元有志によるものでした。橋に提灯が飾られ、灯篭流しも行われて、200人を越える参加者を集め、成功裏に終了したとのことです。
この記事を初めて読んだときは、橋に対する地元の人の愛情や、著者らの情熱と、技術の成果である橋をを大切にする気持ちに対し、胸が熱くなったことを覚えています。
(参考:『東京の橋』伊東 孝 著)
船着場の出現には、正直驚きました。橋脚の径間も狭く、水深も十分でないここに、これほどの規模の船着場にふさわしい、大型舟艇が遡行してこられるとは、思えなかったからです。
全体の造作は、目黒川の東海橋で見た船着場(『目黒川の橋づくし…2』参照)とよく似ており、同時期の設計・施工であることがうかがえました。
【撮影地点のMapion地図】
この船着場の名前は…と、手がかりを捜してウロウロしましたが、見つかったのは写真の看板のみ。「東京水路MAP」にも、掲載されていませんでした。うーん、大田区役所に問い合わせてみますか…。
(19年4月29日撮影)
【20年3月6日追記】「がーちゃんフォトアルバム」の「夫婦橋親水公園」に、トラックバックさせていただきました。本記事で紹介した船着場を、陸からルポしておられます。
(『多摩川点描』につづく)