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2007/10/28のBlog
[ 18:48 ]
[ 水辺の気になるモノ ]
去る8月12日、横浜の川をめぐったあとは(『横浜の川をめぐる…1』以下のシリーズ参照)、京浜運河~多摩川・海老取川~京浜運河(東京側)という、定番の「内水路ロングランコース」を通って帰りました。多摩川を遡航して、海老取川の澪筋に近づくと…。
おや? 何かか違う…。
澪筋を示す航路標識…竿の先に、旗のように布片をつけたあれが、新しくなっていたのです。傾いた夏の陽を浴びて、キラキラと乱反射する川面に並ぶ、紅い旗たち。
おろしたてらしい色の鮮やかさが、目に沁みるようで、なかなかキレイです。
澪筋を振り返ったところ。抜けるような青空と、群青色の川面にはさまれて連なる、二色の旗たち。新しいせいか、いつもより頼もしく見えたものです。
恐らく、台風による増水で、澪標が流失したため、新調したものと思われますが、意外だったその美しさとともに、この澪筋を守る人たちの営みも垣間見えて、頭が下がる思いがしたものです。
【撮影地点のMapion地図】
(19年8月12日撮影)
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2007/10/27のBlog
[ 21:28 ]
[ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『両国橋で呆ける…1』のつづき)両国橋をほてほてと渡り、川面をのぞき見つつ、西岸へ。
夕日を浴びる、独特な球体の親柱を撮ってみました。
写真左、欄干の支柱も、小さな球体で造られているのがわかります。70年以上を経て、貫禄充分のこれも、架橋当時は、さぞ斬新なデザインに見えたことでしょう。
…なんて、大層なことを考えながら撮ったのではありません。
ボーッとしながら、なんとなく撮った写真です、ハイ。
両国橋を渡って、脇道に入り、柳橋を眺めようと、神田川畔に出ました。柳橋の橋詰、堤防の上で、ハト君に会いました。足輪のあるところを見ると、飼われているハトなのでしょう。近寄っても逃げません。それとも、私同様、水辺の魔力に吸い寄せられ、呆けているのでしょうか(笑)。
柳橋をバックに、ハト君の写真を撮ったら、おや、目をつぶった状態で撮れてしまいました。人間ではよくあるけれど、トリさんでは初めて…。
【撮影地点のMapion地図】
柳橋と言えば、船宿が立ち並ぶ粋筋の巷。河岸にもやうフネブネを眺めるのは、楽しいものです。個性派揃いの、小松屋さんの持ち船の中で、いぶし銀(?)のように光る一隻。都内唯一の全木製屋形船、和船好きとしては見逃せない存在が、この第二小松丸。
いつかは乗ってみたいものです…。
(『こまつや・どっと・ねっと』参照)
以前、「吸い寄せられる場所…4」で、ナゾのハデハデ水上物体(笑)として目前を横切った、三浦屋さんの大江戸丸。昼間、何度もこの横を通りながら、電飾のハデ加減には全く気付かずに過ごしていたので、驚きはひとしおでしたが、こうして夕暮れ時に見てみると、本性(笑)を現わしつつあるのが見て取れ、面白く眺めました。昼と夜の顔が、180度異なる船というのも、そうそうありますまい。
(『船宿 三浦屋』参照)
(19年8月26日撮影)
(この項おわり)
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2007/10/26のBlog
[ 19:06 ]
[ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
江戸東京博物館を訪ねた日(『通運丸がいた!』参照)、運河の模型を見た後だったこともあり、水辺が恋しくなって、帰り道に隅田川畔をお散歩することに。日も傾いた時刻ということもあり、歩く人の姿も少ない、静かな川景色。両国橋詰のベンチに腰掛けていると、時のたつのも忘れて、しばしボーッと呆けてしまいました(笑)。
ここは神田川河口、柳橋が真正面に望める、絶好のロケーション。屋形船の船溜りが、夕闇迫るビルの谷間に、沈みつつあるのが見られました。なにしろ普段は、舵を握りつつ眺める風景なので、楽しいとは言え、それなりの緊張感とセットになっている眺めでもあるわけです。
それが、何の心配もなく、ただボーッと眺めていられるのですから、嬉しくなって、さらに呆心の数分間を堪能(笑)。
ベンチに戻ろうとすると、今度は神田川から、一艘の屋形船が、後進で出てきました。屋形船が、川下側に向きを変えて間もなく、上流からはまた、水上バスが。
ううん、この通船量、さすが隅田川…って、いまさら何を言っているんでしょう(笑)。
水上バスの航過を確認してから、屋形船も前進微速、隅田川を下ってゆきました。お台場に向かうのでしょうか。そんなわけで、意外とボーッとするヒマがありませんでした(笑)。
【撮影地点のMapion地図】
(19年8月26日撮影)
(『両国橋で呆ける…2』につづく)
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2007/10/25のBlog
[ 22:36 ]
[ 水運趣味の本など ]
なじみの古書店で棚をあさっていたら、昔の水郷案内の印刷物を、何点か見つけました。そのうちの一点、昭和一桁ごろと思われるものをご覧に入れましょう。(水郷については、『魅惑の水郷…1』『ふたたび水郷へ!…1』以下のシリーズ参照)
佐原駅前・石橋旅館の銘が入った四つ折のこれは、表面に、霞ヶ浦や北浦を含めた、水郷全域のパノラマ地図、裏面には、いくつかの観光コースの解説と、主な交通案内が記されたものです。
鉄道が佐原・土浦まで通じて以降、東京~銚子間のような長距離航路は衰退したものの、大正末から昭和初期になると、逆に、地域的な観光用の航路は増加したという、水郷観光のまさに勃興期。昭和6年には、内水域最大の観光船「さつき丸」「あやめ丸」が進水、佐原津宮から、土浦に至る航路に就航するなど、大水運時代とはまた違った、華やかな観光ブームの幕開けでもありました。
(『さつき丸』ほかについては、『霞ヶ浦昔の画像集と水郷汽船史(東関東アクアライン)』に詳しく述べられています。)
裏面の説明を、少し拾ってみると…。「一泊 金参円 金弐円 二食付き」の料金表示が、時代を感じさせますね。カコミの中には、以下のような宣伝文も。「御大勢様の団体に御慰に水郷美人たちの
新曲長唄 水の郷 小唄 佐原音頭 御覧に入れます」
ちょっと聴いてみたい気もします。二曲も新曲があったとは、当時の水郷観光が、いかに盛り上がっていたかがうかがえますね。
そして、こちらがパノラマ地図。名所旧跡をわかりやすく盛り込んだ、この時代らしい雰囲気満点の観光案内で、見ているだけで楽しい気分にさせてくれます。佐原から中利根川を経て、遠く土浦まで至るメインラインに、江戸以来の名所十二橋を通るコース、北浦の大船津、銚子行きの航路も見えます。
長距離航路は衰退したものの、まだまだ陸上交通は乏しい時代ですから、これらの航路は、生活路線としても重要なものだったそうです。ちなみに昭和5年の時点で、土浦~鹿島(大船津)間の所要時間は、約3時間でした。
敬神の志篤かった当時のこと、鹿島・香取両神宮に、息栖神社を加えた参詣コースは、人気も高かったと思われますが、3社とも浜鳥居が描かれているのが、さすが水郷です。船で本来の表参道からお参りするのは、現代では味わえない水郷の贅、さぞ風雅で楽しいものだったことでしょう。画面中央やや下、「カン門」なる表記がありますが、これは横利根閘門(『魅惑の水郷…6』参照)を指しています。間違いではなく、地元では当時、閘門のことを「カンモン」と呼んでいたことに従ったもので、これもローカル色豊かというか、時代を感じさせるパーツですね。
参考文献水郷汽船史 白土貞夫・羽成裕子 著 筑波書林
水郷の原風景 千葉県立大利根博物館
【10月26日追記】1段目、東関東アクアラインのリンク先を訂正しました。
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2007/10/23のBlog
[ 22:17 ]
[ 水運趣味の本など ]
最近読んだ水運関連の本の中から、特に面白かった3冊をご紹介いたします。
ものと人間の文化史139 河岸 川名 登 著 (財)法政大学出版局 平成19年8月発行 上製本316ページ
河川水運史の研究家である、川名登氏の最新刊です。
江戸期の利根川流域を中心に、河岸とは何かから説き起こし、大量輸送が必要になり、河川に物流のシステムが形成されてゆく過程、それにともなって活況を呈してゆく「内川廻し」「奥川筋」航路の状況、船頭と問屋間のトラブルを通じて描き出される、河岸の人々の生活など、微に入り細をうがつ記述は、水運史研究の第一人者ならではで、豊富な図版と併せて、黄金時代の水運を知るには、格好の一冊と言えるでしょう。
余談になりますが、この「ものと人間の文化史」シリーズは、立川昭二氏の「からくり」を子供のころに手にして以来、内容とラインナップの素晴らしさに、すっかりファンになって、結構な点数を読んできたのですが、中にはちょっと…、と思える内容のものもあり、当たり外れの差が激しい(失礼)シリーズ、というのが、実感としてはありました。
この「河岸」ですが、欲を言わせていただけば、明治以降の利根川水運の記述に、食い足りなさが感じられるものの、関東大水運時代に思いを馳せるには、余りあるディテールが語られており、その点では間違いなく「当たり」の読後感がありました。
水上学校の昭和史 船で暮らす子どもたち石井 昭示 著 隅田川文庫 平成16年3月発行 並製本212ページ
この本に出会ったときは、正直、嬉しくなりました。近代に入ってからの、港湾荷役に従事する艀(はしけ、バージ)を住まいとした人々のことを知りたいと、その手の本を探しても、なかなか出会えず、残念に思っていた矢先だったからです。
タイトルのとおり、住居が移動する水上生活者の子弟に、未就学の児童が多いことを憂えた人たちが設立した、東京における「水上学校」の消長を中心にした記録です。巻末には、横浜の「日本水上学校」、瀬戸内など他地方の、水上生活児童養護施設にも、それぞれ一章を設けて触れられています。
注目に値するのは、単なる水上学校の歴史に留まらず、生徒の作文を多数引用して、当時の水上生活者の暮らしぶりを、活き活きと再現する章あり、また、なぜ船を住まいとする人々が生まれたのか、明治以降のいきさつについても、一項を設けて解説するなど、類書が少ないことを意識したと思われる、書き方がなされていることでしょう。
全盛期の昭和10年には、東京だけで7,650世帯・18,286人を数える水上生活者が暮らし、高度成長期、その人口を急速に減らしながらも、昭和40年代まで水上小学校が存続したことを知ると、かつて東京の物流が、いかに舟運を頼ってきたかを目の当たりにする思いがします。
私にとっては、まさに「ポンポン大将」(『「ポンポン大将」が見たい!』参照)の世界が目の前に広がった感すらして、興奮の一冊でした。
(水上小学校については、『干潮時にすり抜けろ!…1』でも触れています)
桴(いかだ) 日本いかだ史研究会 編・著・発行 昭和54年11月発行 並製本224ページ
行きつけの古書店で見つけたもの。筏について専門的に書かれた研究書というのも、出会ったのは初めてで、これまた喜んだものです。
山間部から、河川を利用して流下させる運材法は、各地で古くから行われてきたので、郷土史的な本で触れているのはよく目にしますが、一冊の本にまとまっているのは、非常に珍しいのではないでしょうか。
この本は、当時の名古屋市長が序文を寄せており、研究会の所在地も、名古屋の木場にある「名港運輸㈱内」とあるので、ご当地の銘木業者が、業界の歴史を後世に伝えるために編まれたものと推察します。
当然話題も、名古屋と関係の深い、木材産地の雄である木曽と、木曽材を流下させた木曽川・長良川などの河川に関することが中心ですが、古代から続く筏の歴史と、林政の変遷、筏の組み方や航行法などの技術的な側面に至るまで、図版をまじえて詳しく解説され、興味深く読みました。
巻末には、木曽だけでなく、各地の筏の組み方や、運材法も紹介されています。特に面白かったのは、ばらばらに浮いている木をアバ(丸太を環状に連結したもの)で囲っただけのものも、筏の一種として紹介されていること、また、外洋を曳船に引かれる、海洋筏なるものは、数千立米におよぶものもあること…。
今や、港湾荷役の世界で、わずかに露命を保っているのが現状ですが、華やかな時代に思いを馳せると、筏の世界もまた、実に奥が深そうですね。
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2007/10/22のBlog
[ 19:23 ]
[ 水路航行メモ ]
ジャンルに「水路航行メモ」を新設、これから折に触れて、川や運河を航行するときに役立ちそうなお話を、自分の備忘録もかねて、少しづつまとめてみようと思います。ほとんどは、過去の記事で既出のうえ、ボートオーナーの皆さんはご存知のことばかりで、おこがましい限りですが、これから水路を探索しようと考えている皆さんにとって、微力ながらお役に立てる記事になれば幸いです。
第一回は、ウェブ上で得られる、河川航行のための参考情報を…。
Google航空写真の効用まず挙げたいのは、浅瀬の多い水域で、澪筋が水面下に透けて見える場合があることでしょう。もちろん、地域によって、表示できる航空写真の縮尺は異なり、撮影時刻や水の透明度によっても差はできますが、場所によっては、充分な航路情報になりえます。
その良い例が、多摩川河口付近、海老取川~多摩運河に至る澪筋(『海老取川から多摩川へ…3』参照)でしょう。(Google航空写真)
また、川をどのあたりまで遡れるかという、いわば遡航限界点の目星をつけたい場合にも、結構役立ちます。航空写真を川に沿ってスクロールしてゆき、岸にもやっている船があるところは、すなわち可航域にほかなりません。鶴見川を例にとると、川崎市幸区・末吉橋付近で船影が途絶える(Google航空写真)ことから、少なくともこのあたりまでは、遡上できることがわかります。
繋留船舶が途絶えたあたりで、注意して周りを見回してみると、堰があったり、浅瀬があったりと、何らかの障害が見つかる場合もあるのです。
さらに、橋が水面に落とす影の幅で、桁下高が推測できる場合もあります。綾瀬川の綾瀬新橋(Google航空写真)の例(『初めての綾瀬川…7』参照)では、橋の前後、堤防に開口部があることも併せて見られ、橋の低さが実感できます。
私が気づいた限りでも、以上のように、なかなか使えるツールだと思います。皆さんが気づかれた活用法があったら、ぜひお教え願いたいものです。
テレメータ水位で安全航行国土交通省・自治体ほかで公開している、リアルタイムの観測水位は、観測所付近の断面図をともなう場合も多く、そこに航行できる水深があるか否かを確認するには、実に便利なものです。
最近では、神田川の水位観測所、「白鳥橋(神田川)」(新宿区気象情報・区内の河川水位情報)をご紹介しましたが、やはりこの手を活用された白眉は、amieさん(ブログ『友へ』)が、江戸川を関宿まで航行されたときでしょう。
野田水位観測所の水位を、「テレメータ水位 野田」(川の観測情報・水位観測所リアルタイムデータ ・江戸川河川事務所)で観察して勇躍出港、わずか3時間で関宿まで到達されました。「野田水位観測所の水位が2m以上なら江戸川全行程航行可能と思われる」(『江戸川 川下り⑤』参照)という言葉には、永年観察された成果がうかがえます。
何はともあれ潮の満ち干き江東内部河川のように、閘門で扼された水域を除き、ほとんどの可航河川や運河は、潮汐の影響を受けて、水位が変動します。
桁下高の低い橋や浅瀬がある水路でも、潮時さえ頭に入れておけば、臆することなく通航できるのは、これまでもたびたびお話ししたとおりです。
海上保安庁海洋情報部が提供する「潮汐推算」は、そんな水路への航行計画を立てる際、もっとも有用なものといってよいでしょう。私は推算港湾を「芝浦」に指定し、年月日を入力して利用していますが、全国さまざまな地点が選べますから、最寄の港湾を選択してみてください。
なお、ここに表示されるデータは、信頼性の高いものとはいえ、あくまでも推算値に過ぎませんから、実際の観測結果とは誤差が生じます。験潮所の観測データは、「リアルタイム験潮データ」で閲覧できますから、観測地点を選択して、確認するとよいでしょう。
意外なところにあった可航水域情報都内の河川をきれいにしてくれている、各種の清掃船は、まず間違いなく我々の艇より大型(都環境局『河川清掃船の紹介』参照)なので、彼らが行き来する水域は、ほぼ安全な可航水路と考えて間違いありません。
都環境局の「河川清掃計画図」(註:現在は建設局が管理・運行している)には、清掃船の行動範囲が図示されており、特に都心部の中小河川は、どこまでが可航水域なのかが一目でわかります。(竪川東部の、埋め立てられた区間が描かれているなど、間違っている部分もありますが…)
ここに示されている、清掃水域でない河川でも、特に危険のない可航河川がある(荒川、中川、江戸川など)ことは言うまでもありませんが、目黒川や古川といった都市河川が、どこまで可航域として整備されているかがわかるだけでも、なかなか興味深いものがあり、航行の参考にもなります。
(『清掃船の走る川』参照)
まあ、毎度繰り返していることではありますが、古書店を探し回るでもなく、管轄のお役所に出向くでもなく、いながらにしてこれだけの情報が手に入る時代になるとは、まったくありがたくて、泣けてきます(笑)。もちろん、本当のところは、実際に現地に行ってみるまでわかりませんし、それでなくては、面白くもなんともないのですがね…。
(写真は霊岸島水位観測所、19年5月4日撮影)
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2007/10/21のBlog
[ 00:20 ]
[ 橋の裏側 ]
9月24日に撮影した、橋の裏側をご覧に入れましょう。⑳日本橋川、一ツ橋。
定期的に塗り替えられているらしく、意外ときれいでした。
大寸法の鋼材が得難かった時代ですから、部材の数は、最近の橋に比べて、桁違いに多いのが印象的で、それがまた、独特の構造美を産み出しています。
(21)神田川、隆慶橋。ポニートラスというと、このような、割と線の太いものを思い出してしまうのですが、アングル材を中心に組み上げられたこれは、重いクルマが乗ったら、ヘニョッといきそうで、少々頼りなげな印象です。
機種依存文字のマル付き数字が、⑳までだったのはうかつでした…(笑)。
(22)日本橋川、常盤橋。コンクリートアーチの裏側は、鋼橋のような面白さはないものの、曲面にはあたたかみが感じられ、くぐっていると、まるで母胎に包まれたような、妙な安堵感に襲われます。
水面の倒立像とでつくられる、紡錘形も美しく、まさに橋は水あってこそ、の感を強くします。
(23)隅田川派川、相生橋。「橋の裏側…2」で、すでにご紹介しましたが…。この日は日本橋川を出たあと、やはり雨に降られて、相生橋の下でしばしの雨宿りをさせてもらったのです。
上げ潮と追い風が、うまい具合に艇を均衡させたのでしょう、エンジンを止めても、艇は橋の下から動きませんでした。大粒の雨が川面をたたく音だけの、静かなひととき。なかなか風流な数十分でした。
(19年9月24日撮影)
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2007/10/20のBlog
[ 16:57 ]
[ 水辺の気になるモノ ]
(『日本橋川に拾う…1』のつづき)帰路、一ツ橋の手前で、往きにも出会った、清掃船に追いついてしまいました。
こちらも微速で、ゆっくり進んではいるのですが、清掃作業をしながら下る、清掃船の最微速ぶりには、さすがに適いません。
ディーゼルの排気の匂いをかぎつつ、しばらく続航したあと、水路幅の広がったところで、声をかけて追い越させてもらいました。
川の方を向いている、看板やロゴは少ないので、つい目を引かれてしまいます。これは…「せんば」、と読むのでしょうか。なんだか波打つような、楽しい書体(笑)のロゴで、つい撮ってしまいました。
(19年9月24日撮影)
9月24日の項の参考文献東京の橋 生きている江戸の歴史 (石川 悌二 著)新人物往来社
東京の橋 (伊東 孝 著)鹿島出版会
神田川遡上 (岩垣 顕 著)街と暮らし社
江戸の川・東京の川 (鈴木 理生 著)井上書院
(この項おわり)
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