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2008/03/12のBlog
[ 21:06 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『江戸川最下流部…1』のつづき)
河口の市川大橋から、1.5kmほどの間は橋がありません。
静かな水面を進んでゆくと、河道がゆるく西に曲がり始めるあたりに、第二橋である水管橋と、その向こうに地下鉄東西線のトラス橋が現れます。
河口の市川大橋から、1.5kmほどの間は橋がありません。静かな水面を進んでゆくと、河道がゆるく西に曲がり始めるあたりに、第二橋である水管橋と、その向こうに地下鉄東西線のトラス橋が現れます。
水管橋の前後から、船影が濃くなり始め、ちょっとした船溜の趣きがあります。桟橋も河中に多く突き出されているのですが、ちょっと嬉しくなるのは、それらのほとんどが鉄パイプなどではなく、木製の河岸棒を突いた上に、設けられていること。
情緒豊かな、「青べか」の匂いがする水辺風景です。
このあたりの船溜が、よそのそれと異なるのは、岸辺に伏せてあるローボート(オールで漕ぐボート)の多さです。上の写真では黄色、左の写真では青い船底のボートが、伏せてあるのが見えますね。それぞれ、違う船宿が管理する、釣り用の貸しボートなのでしょう。
最近は、池や川での貸しボートも、珍しくなっていますから、これはずいぶん魅力的に映りました。一度乗りに来てみたいものです。
地下鉄東西線のトラス橋のかたわらでも、クレーン付き台船が作業中でした。矢板を打ち込んで、囲いを作っているようです。おっ、台船に横付けしている黒い曳船、イイ感じだなあ…。
【撮影地点のMapion地図】
(20年3月2日撮影)
(『江戸川最下流部…3』につづく)
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2008/03/10のBlog
[ 21:00 ]
[ 航行河川・運河 ]
(『三番瀬の海苔ヒビ』のつづき)
市川航路を、そろりそろりと出てゆく本船を見送りつつ、江戸川に進入。
薄曇りのこの日は風も微かで、おかげで私も、気楽な航海を楽しむことができたのですが、むしろ、このような大型船のほうが、風落(接岸時などに、船体が風下に落とされること)に悩まされがちですから、彼にとっても、嬉しい天候だったに違いありません。
市川航路を、そろりそろりと出てゆく本船を見送りつつ、江戸川に進入。薄曇りのこの日は風も微かで、おかげで私も、気楽な航海を楽しむことができたのですが、むしろ、このような大型船のほうが、風落(接岸時などに、船体が風下に落とされること)に悩まされがちですから、彼にとっても、嬉しい天候だったに違いありません。
江戸川の第一橋が近づいてきました。首都高湾岸線および、国道357線の市川大橋、JR京葉線の各橋が隣接しているのは、荒川河口と同様です。
中央径間の右、クレーン付きの台船が碇泊していますね。何か工事をしているのでしょうか。
橋脚の近くを浚渫していました。バケットが入る水面はフェンスで囲まれ、巻き上げた泥が、流れ出さないようにしているようです。橋名は、ご覧のとおり「江戸川放水路橋梁」。もちろん今では、こちらが江戸川本流とされており、かつての流路は「旧江戸川」(『旧江戸川下流部…1』ほか参照)となっていますが、鉄道橋のみ、昔をしのばせる名前なのが印象的です。
【撮影地点のMapion地図】
市川大橋をくぐると、一番に目に飛び込んでくるのが、東岸にあるこの清掃工場。白亜の建物とスマートな煙突は、周囲にさえぎるものがなく、静かな水面に映って、なかなかきれいです。地図では、「市グリーンセンター」とありました。下水処理場を「水再生センター」と呼ぶが如しで、この手の施設の名称から、機能がちょっと想像しにくくなっているのは、いずこも同じのようですね…。
そのほぼ対岸には、なんとも可愛らしい造りの樋門が。おとぎの国の、小人さんのおウチ(笑)といった風情です。
(20年3月2日撮影)
【3月12日追記】4段目、「浄水場」を「下水処理場」に訂正しました。
(『江戸川最下流部…2』につづく)
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2008/03/09のBlog
[ 22:32 ]
[ その他 ]
(『江戸川河口へ向かう』のつづき)
市川航路を直進すると、間もなく、江戸川の河口が近づいてきました。
前回も触れたように、本船航路であるここは、遠浅の水域を浚渫した人口の澪筋で、ブイの外側はぐっと浅くなります。
江戸川が近くなるにつれて、航路の両側に見えはじめたのは…。
市川航路を直進すると、間もなく、江戸川の河口が近づいてきました。前回も触れたように、本船航路であるここは、遠浅の水域を浚渫した人口の澪筋で、ブイの外側はぐっと浅くなります。
江戸川が近くなるにつれて、航路の両側に見えはじめたのは…。
見渡す限りの、海苔ヒビの林…。写真は西側、三番瀬の海苔ヒビ群。かつての本場であった、現在の大田区沿岸など、東京湾の西側の海苔養殖が壊滅してしまった今でも、ここ江戸川河口では、盛んに養殖が行われているのです。
Googleの航空写真で、この水域を見てみると、航路の両側に広がる、海苔ヒビの群落の様子がよくわかります。
海苔ヒビの並ぶ風景を楽しみつつ、江戸川河口に入りました。ブイの列が、河口を横切っているのは、本船の岸壁が写真左側にあり、水深が確保された航路が、左に曲がった形で走っているためです。
我が艇はもちろん、ブイの間を抜けて、上流へ直進します。
タイミングよく、内航タンカーが出港してきました。荷を降ろした後なのでしょう、赤い船底塗料を見せつつ、面舵を取って沖に向かいます。巨体の彼にとって、狭い航路を脱出するまでは、気の抜けない長い時間であるに違いありません。
船首近くに、チョコンと乗せられた装載艇が、私の艇よりはるかに立派なボート(笑)なのが、印象的でした。
【撮影地点のMapion地図】
(20年3月2日撮影)
(『江戸川最下流部…1』につづく)
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2008/03/08のBlog
[ 22:59 ]
[ その他 ]
去る3月2日(日)、潮時と天候よろしきを得て、本年初出航と相成りました。昨年の初出航は3月4日、先月の閏29日を計算に入れると、一日早く出船することができ、まずまずとしたり顔で、荒川河口橋をくぐり、いざ沖へ。
この調子で、少しづつ出航日を早めて、寒がりを克服できるといいなあ…。
少し遅い時間に出港したため、荒川沖に出ると、ディンギーのフリートから、大型クルーザーまで、すでに結構な数の艇が、春まだ浅い海を楽しんでいました。風は弱い北東、薄曇りで時々陽が差す程度と、もちろん寒いのですが、穏やかな海は、小型艇にとって、何よりのご馳走です。
風が穏やか過ぎて、写真のようなヨットにとっては、少々物足りない日和だったかもしれませんね。
さて、本日の目的地は、千葉県の市川市と船橋市の市境近く、江戸川の最下流域。かつて、江戸川放水路と呼ばれていた区間です。東京湾最奥部のこのあたりは、南風が入ると波浪するので、北風、しかも微風の今は、木っ端ブネにとって、江戸川を訪問する絶好のチャンスです。
出る前に見た天気予報では、午後遅くになると南風に変わる、とあったので、急がなければなりません。三枚洲の標識をかわし変針後、ぐっと増速。約16ktで、浦安沖を北東に進みます。
波のない、穏やかな海を指すとき、「油を流したような」という表現がよく使われますが、まさにそんな比喩がぴったりの水面を、切り裂くようにして快適に進むこと、数十分。本船が前方を横切りました。一旦停止して、静かな水面の揺れを楽しみつつ、本船をやり過ごします。
江戸川河口部の両岸は、本船が横付けできる岸壁が連なる、臨海工業地帯。本船航路にぶつかれば、江戸川ももう間近です。
ほどなく、市川航路の紅2番ブイを発見できました。市川航路は、江戸川の軸線を、海に延長した形で伸びているので、紅緑のブイの間を進めば、自然と江戸川に入れるという寸法です。
航路の市川側は、いまや数少ない湾奥の干潟・三番瀬のある水域でもあります。
そういえば、あのヘンな船モドキ(『ヘンなものに惹かれて…1』以下参照)があったのも、三番瀬の奥あたりでしたっけ…。
【撮影地点のMapion地図】
(20年3月2日撮影)
(『三番瀬の海苔ヒビ』につづく)
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[ 22:20 ]
[ 水運趣味のおもちゃ・模型 ]
物流博物館を見学したとき(『物流博物館で小躍り』参照)、大喜びで購入した、通運丸のペーパークラフトですが…。「正月休みに作る」などと、息巻いていたものの、いざ、現物を前にしてみると、色々と欲が出てきて、あらぬ方向にやる気のベクトルが向いてしまい、未だに完成していませなんだ(泣)。
難しさのあまり、投げ出してしまっているのでは…と思われるのも空恐ろしく、不出来で恐縮ではありますが、とりあえず以下に、進捗の報告だけでも…。
まず最初に気になったのが、外輪部分でした。キットでは、円盤状に印刷された部品の周りに、帯状のものを貼り合わせ、大判焼きのような形にする構成でした。
外輪船のキモだけに、せめてここだけは、スポークの向こうが透けて見える造作にしたいと思い、ありあわせの真鍮線と板で、ハンダ細工を始めてしまったのが運のツキ…。
と言っても、スプラッシャー(外輪カバー)から出ている、下半分だけを作った、ごくインチキなシロモノで、自慢できるものではありません…。ハンダ組みは、外周のリムとスポークだけで、パドルや内側のリムは、組みたて後にエポキシで付けたため、少しボテッとしてしまいました。いいんです、隠れる部分だから…(笑)。
次に、たまたま煙突にピッタリな径の、真鍮パイプがあることに気付き、ハンダ付けで帯を巻いて完成。写真左の二本は、ジャンク箱をかき回したら出てきた、真鍮鋳物製の、キセルのがん首型ベンチレーター。これも嬉しいことに大きさがピッタリで、工程がひとつはしょれたと、得をした気分に(笑)。
ここでやめておけば、よかったのですが…。
細い手すりを、紙からキレイに切り抜くような器用さは、到底持ち合わせていないため、いっそガサツに、ハンダ細工で作ったほうが早かろう…。それなら、手すりのつく甲板も、ハンダの効く真鍮で作っちゃえ、と、どんどん原型から遠ざかってゆくハメに。
こうなると、もうペーパークラフトでもなんでもなく、単なる型紙です…。設計者の方、申しわけありません(泣)。ペーパークラフトそのものは、色使いが素晴らしく、設計も巧みで、申し分のないものであることを、特記しておきたいと思います!
そうなると、船体が紙のままでは、上部の重さに耐えられなくなるため、積層したバルサから、削り出さざるを得なくなり…と、ますます自分の首を締める結果になったころは、もう時すでに遅し。工程を圧縮するどころか、むしろ拡大する方向へ、追い込まれてしまいました(涙)。
まあ、他ならぬ通運丸の模型が我がものにできるのなら、多少の苦労はいといませんが…。というわけで、完成ははるか水平線の彼方、となってしまいました。
当初の予定からは大幅に後退し、とりあえず、年内の完成を目指したいと思います…(笑)。
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2008/03/07のBlog
[ 21:20 ]
[ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『銚子っぱずれで…1』のつづき)こちらは本当の銚子っぱずれ、太平洋と銚子港を一望できる展望台、ポートタワーに上ってみようと、外港を訪れてみると…。
轟々と爆音がして、間近に見える岸壁の向こうでは、なんと海上保安庁のヘリコプターがホバリング中。
おまけに、巡視船の姿も見えると来ては、もうたまりません。ポートタワーは一瞬にして忘れ去られ(笑)、岸壁の方へ吸い寄せられるようにして、歩き出していました。
巡視船はPL125「かとり」。海上保安庁は、任地にちなんだ船名をつけるので、この船も銚子に間近い、香取の名を名乗っています。しかし、あのヘリコプター、何をしているのでしょう?
折りからの強風は、画面左手から間断なく吹き付けているにもかかわらず、空中で微動だにしない操縦の腕は、見事というほかありませんが…。
もしかして、自動操縦なのかしら?
【撮影地点のMapion地図】
巡視船の横まで来て、何となく察しがつきました。船尾甲板には、たくさんの見学者らしい人が集まって、じっとヘリコプターを見つめていたからです。どうやら、展示訓練のようですね。
この後のカットは、先日のタイトルでお見せしましたが、見学者の間には、緊迫した雰囲気が感じられました。何が始まるのでしょうか?
爆音が少し高まり、ヘリが突堤の上まで移動してきた間なしに、一人の保安官が、ロープでスルスルッと地上に降りて来て、びっくりさせられました。地上に降りた一人が、風に抗してロープを支えていると、今度はそのロープを伝って、二人目がストンと急降下!
一瞬のことでしたが、緊張感あふれる場面の連続で、まさに手に汗握るという言葉がぴったり来るシーン…。心臓がドキドキしてしまいました。
次は、ヘリから下がっていたロープが巻き上げられ、二人一緒にヘリに戻ってゆきます。遭難船や、岩場などに取り残された人を、ヘリで吊り上げて救助する…そんな想定をした、展示訓練のように思えました。いや、見ているこちらが冷や汗をかくような、迫力満点の展示でした。厳しい気象の中でも、命がけで任務を遂行する、保安庁の姿勢が垣間見えて、頭が下がる思いがします。
楽しかった下利根めぐりの終わりに、予想外のスペクタクルが拝見できて、最後まで、実に充実した小旅行となりました。
(20年2月10日撮影)
(この項おわり)
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2008/03/06のBlog
[ 22:21 ]
[ 水辺のお散歩・遊覧船 ]
(『常陸川閘門…2』のつづき)銚子の市街に入り、遅い昼食をとろうと、魚市場近くの飲食店街に近づくと、休日とあってどこも満員。仕方なくそこを通過して、利根川河口を望む、街外れの食堂に入り、なんとか、おいしい魚料理にありつくことができました。
ここは、銚子の外れ…まさに銚子っぱずれ。
昔読んだ、内田百閒の本の下りに、お弟子の平山三郎に向かって、百閒が「貴君の歌は犬吠埼だ」とのたまい、その心は「銚子の外れ、調子っぱずれ」だ、というのを思い出したのです(違っていたらごめんなさい)。
食堂の裏は、小高い丘になっていたので、食後のお散歩がてら登ってみることに。
頂上は平たく、寂れた公園のようなつくりになっており、いくつかの石碑が建っていました。
石碑の中でも、ひときわ立派なのが、この海難漁民慰霊塔です。地元の有志が、海で命を落とした漁民たちの霊を慰めるため、港を望むこの地に、昭和35年に建立したとのことです。
手を合わせて、ご冥福をお祈りしました。
この小さな丘は、「商都として栄えた銚子」(銚子観光)によると、「千人塚」と言い、慶長19年(西暦1614年)10月25日に襲来した、大津波による犠牲者を葬った場所とのこと。丘全体が、お墓だったのですね…。
【撮影地点のMapion地図】
いくつかの石碑を見て回るうち、平場のほぼ中央にぽつんと立つ、小さなこれが気になりました。「銚子漁港基準点」とあります。
ここは、「銚子っぱずれ」などではありませんでした。ある種の原点だったのですね。失礼しました…。
千人塚の上から望んだ大利根の河口は、沖合いから、間断なく押し寄せる三角波が、防波堤にぶち当たって砕け散っており、三方が海であるこの地の厳しさを、目の当たりにすることができました。江戸時代、東北からの海路の終点であったここは、海象の厳しさと、暗岩や浅瀬の多さから、海難の頻発する水域としても有名でした。
当時から決して「良港」と言えなかったここが、それでも内川廻し(内陸河川航路)の雄として殷賑を極めたのは、いかに房総半島をかわすことが難しく、また時間はかかっても、海難のない、安全な河川航路が貴重な存在であったかを、物語っているのではないでしょうか。
現在では、写真にも写っている防波堤が、岸に沿って長々と設けられており、小規模な沿海運河をかたちづくって、船や町を、波濤から守っています。思えば、戦前に計画された阪神運河や、多摩川をはさんで分断されたまま、今日を迎えた二つの京浜運河も、海岸に沿って防波堤を連ね、艀輸送を安全に行おうという、沿海運河構想でした。
外洋の大波を防いで、静かな内水航路をもたらしている、銚子港の防波堤を見ていると、そんなことが思い出されました。
(20年2月10日撮影)
(『銚子っぱずれで…2』につづく)
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2008/03/04のBlog
[ 21:00 ]
[ 水門・閘門 ]
(『常陸川閘門…1』のつづき)上流側の、大小の門扉の間に掲げられた注意書き。
通航時間は、7:00から17:00まで。通航できる船のサイズは、大閘門が長さ30m・幅8m・高さ4m・喫水3m。小閘門が長さ8m・幅1.5m・高さ2m・喫水0.8mまでとのこと。水門の上流・下流側とも、60m以内は通航禁止区域です。
大小の閘門部分を見たところ。大閘門と小閘門の、大きさの違いがよくわかります。
コンクリートの肌の色や、デザインの違いから、小閘門は後になって増設されたものと思われます。
常陸川水門の竣工は、昭和38年とのことですから、萩原閘門ほか一連の「量産型閘門」と、ほぼ同世代。大閘門を見ると、やはり、それらと外観がよく似ていますね。
小閘門のアップ。扉体に、「幅1.5mまで」と大書きされていますが、一見したところでは、幅2m強あっても、余裕で通航できそうでした。幅の割に、門柱の天地寸法が取られているのが印象的です。大閘門の通航可能な喫水・3mから考えて、小閘門の閘室内の水深も、同様に深く取ってあるのでしょう。
しかし、この閘室の丁度よいこんころもち(笑)の狭さ加減…。イイですねえ。
ここを、ぶつけないように、おっかなびっくり自艇で通る場面を想像して、一人軽くコーフン(笑)。
大洲閘門に始まった、本日の閘門・水運スポットめぐりも、ひとまずお仕舞いです。どれも、その道の方には知られた、いわば有名観光地(?)ばかりでしたが、やはり百聞は一見に如かず、本やサイトの上では味わうことのできない、さまざまな発見があり、言葉に尽くせない感動がありました。
雄大な常陸利根川の水門風景を眺めつつ、ここまで来たついで、欲張って大利根の河口を拝んで行こうと、銚子に足を伸ばすことにしました。
【撮影地点のMapion地図】
(20年2月10日撮影)
(『銚子っぱずれで…1』につづく)
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