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2007/07/12のBlog
[ 12:32 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(14)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝─(3)──チベット族民族村
先に書いたように原住民であるチベット族には、この施設の中でのみやげ物屋などの権利を与えて、優遇策を採っているという話だった。
とにかく、すごい数の観光客だから、みやげ物の売れる金額も大変だろう。
貧しい生活をしていた彼らにとっては、生活様式も一変したにちがいなかろう。
写真①が「民族村」の遠景である。
四川省世界遺産の旅8日間──(14)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝─(3)──チベット族民族村
先に書いたように原住民であるチベット族には、この施設の中でのみやげ物屋などの権利を与えて、優遇策を採っているという話だった。
とにかく、すごい数の観光客だから、みやげ物の売れる金額も大変だろう。
貧しい生活をしていた彼らにとっては、生活様式も一変したにちがいなかろう。
写真①が「民族村」の遠景である。
その一角に立つ仏塔とマニ車とタルチョの林立である。
『四川の魅力』誌から、ここにまつわる伝説の物語を引いておく。
<昔、ここで暮らしていた男の神様・ターゴオと女の神様・スオーモオがお互いに恋い慕っていましたが、山の鬼に反対されて、二人は鬼と激しい戦いをしました。
スオーモオがうっかりして手鏡を落とし、その割れた欠片が今の一つ一つの湖になりました。
ターゴオは勇ましくて、鬼を九寨溝の入口まで追いかけました。彼を助けるために山の神様は山を屏風にして、鬼の進路を塞ぎ、力を入れて鬼を岩壁に押し込めました。
今その鬼の顔が山の壁に見えたり隠れたりして、その山も「宝鏡岩」と呼ばれるようになっています。ターゴオとスオーモオは一緒になり、ここの守り神になりました。>
『四川の魅力』誌から、ここにまつわる伝説の物語を引いておく。
<昔、ここで暮らしていた男の神様・ターゴオと女の神様・スオーモオがお互いに恋い慕っていましたが、山の鬼に反対されて、二人は鬼と激しい戦いをしました。
スオーモオがうっかりして手鏡を落とし、その割れた欠片が今の一つ一つの湖になりました。
ターゴオは勇ましくて、鬼を九寨溝の入口まで追いかけました。彼を助けるために山の神様は山を屏風にして、鬼の進路を塞ぎ、力を入れて鬼を岩壁に押し込めました。
今その鬼の顔が山の壁に見えたり隠れたりして、その山も「宝鏡岩」と呼ばれるようになっています。ターゴオとスオーモオは一緒になり、ここの守り神になりました。>
丁度ここに駐留する中国人民解放軍の交代式と遭遇したので撮ってみた。
表面的には彼らの存在には気づかなかったのだが、軍隊が何かに備えて目を光らせているのだった。
ついでに書いておくと、現在、中国人民解放軍は「志願制」で、志願者の中から優秀な人物を選抜しているのだそうだ。
この写真からも、一種の威圧感をひしひしと感じるではないか。
表面的には彼らの存在には気づかなかったのだが、軍隊が何かに備えて目を光らせているのだった。
ついでに書いておくと、現在、中国人民解放軍は「志願制」で、志願者の中から優秀な人物を選抜しているのだそうだ。
この写真からも、一種の威圧感をひしひしと感じるではないか。
写真④が「民族村」という施設だが、実際は、みやげ物を売る売店と変わりはなかった。
チベットの「曼荼羅」と説明されたものは、マンダラでも何でもなく、仏像を描いたものに過ぎず、マンダラとはどういうものか、が何も判っていないのであった。
仏画なども、べらぼうな値段を言い、文化的価値など一切ない代物である。
毛皮なども豊富だが、製品の質が悪く、買って帰っても、臭くて室内には置けないという。
チベットの「曼荼羅」と説明されたものは、マンダラでも何でもなく、仏像を描いたものに過ぎず、マンダラとはどういうものか、が何も判っていないのであった。
仏画なども、べらぼうな値段を言い、文化的価値など一切ない代物である。
毛皮なども豊富だが、製品の質が悪く、買って帰っても、臭くて室内には置けないという。
2007/07/11のBlog
[ 11:48 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(13)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝─(2)
ここの峡谷には、もともと西蔵族─チベット族が主に9つの山寨に分かれて住んでいた、と先に書いた。
政府は、ここを開発するにあたり、彼らに売店などの権利を与えて融和策を取っているのだった。①の写真は樹正瀑布だが、ここを下がったところにチベット族の水車を利用した「磨房」が展示されている。水車を利用して穀物を粉に挽くところである。
四川省世界遺産の旅8日間──(13)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝─(2)
ここの峡谷には、もともと西蔵族─チベット族が主に9つの山寨に分かれて住んでいた、と先に書いた。
政府は、ここを開発するにあたり、彼らに売店などの権利を与えて融和策を取っているのだった。①の写真は樹正瀑布だが、ここを下がったところにチベット族の水車を利用した「磨房」が展示されている。水車を利用して穀物を粉に挽くところである。
写真②が、その「磨房」の建物の説明板。
チベット族も広い地域に散らばって住んでいるので、地域によって生活様式は異なるらしい。
ここでは農牧生活を送っていたのであろう。
先日に行った「牟尼溝」に住むのもチベット族であったが、帰りに立ち寄った昼食のレストラン「山野軒」の料理のメインは「きのこ」だった。
この辺りは標高が高い、湿潤な土地であるから、きのこ類が豊富なのであろうか。
そういう山野草などの採集も彼らの主な仕事だったと思われる。
チベット族も広い地域に散らばって住んでいるので、地域によって生活様式は異なるらしい。
ここでは農牧生活を送っていたのであろう。
先日に行った「牟尼溝」に住むのもチベット族であったが、帰りに立ち寄った昼食のレストラン「山野軒」の料理のメインは「きのこ」だった。
この辺りは標高が高い、湿潤な土地であるから、きのこ類が豊富なのであろうか。
そういう山野草などの採集も彼らの主な仕事だったと思われる。
写真③が「磨房」の建物。
渓流の上に高足式で建てた水車小屋である。
床下には冷たい、清らかな渓流の水が、とうとうと流れていた。
小屋の周りには、チベット仏教の象徴である旗「タルチョ」が何本も立てられている。
多くの人々が(ほとんどは中国人だが)珍しそうに小屋の中を覗きこんでいる。
屋根は板の上に石を置いた素朴なもの。
渓流の上に高足式で建てた水車小屋である。
床下には冷たい、清らかな渓流の水が、とうとうと流れていた。
小屋の周りには、チベット仏教の象徴である旗「タルチョ」が何本も立てられている。
多くの人々が(ほとんどは中国人だが)珍しそうに小屋の中を覗きこんでいる。
屋根は板の上に石を置いた素朴なもの。
その並びには、これもチベット仏教の象徴である「マニ車」が置かれている。
このマニ車は、中に「経典」が入っており、くるくると回すことで一巻のお経を読んだことになるのだった。
中国人の観光客も珍しいのか、横に立ってさかんに写真に納まっている。
中国は総勢13億人という巨大な人口を擁する国であるから、旅に出る人間の数も巨大である。
このマニ車は、中に「経典」が入っており、くるくると回すことで一巻のお経を読んだことになるのだった。
中国人の観光客も珍しいのか、横に立ってさかんに写真に納まっている。
中国は総勢13億人という巨大な人口を擁する国であるから、旅に出る人間の数も巨大である。
2007/07/10のBlog
[ 16:18 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(12)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝─(1)
世界遺産の中でもピカ一のところだけあって、入口のビジターセンターも、ゲートもきれいに整備されている。
写真①はゲート。混むときは一日に3万人が押し寄せるという。
今日は、せいぜい1万人だろうと言い、空いているらしい。
九寨溝は成都市の北450kmのチベット族チャン族自治州に属する。
ここの魅力は峡谷に沿って、「海子」と呼ばれる大小の湖と周囲の自然が織り成す景観にある。特に濃い青色をした湖水に代表される色彩が人々を魅了する。
写真はクリックすると大きくなり、鮮明に見られる。お試しあれ。
四川省世界遺産の旅8日間──(12)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝─(1)
世界遺産の中でもピカ一のところだけあって、入口のビジターセンターも、ゲートもきれいに整備されている。
写真①はゲート。混むときは一日に3万人が押し寄せるという。
今日は、せいぜい1万人だろうと言い、空いているらしい。
九寨溝は成都市の北450kmのチベット族チャン族自治州に属する。
ここの魅力は峡谷に沿って、「海子」と呼ばれる大小の湖と周囲の自然が織り成す景観にある。特に濃い青色をした湖水に代表される色彩が人々を魅了する。
写真はクリックすると大きくなり、鮮明に見られる。お試しあれ。
ここはY字型になっている3つの峡谷に沿って、チベット族の9つの山寨に分かれて暮らしていたことから、このように呼ばれるようになったが、標高2000~4500メートルの高地にあって、交通の便も非常に悪かったため、昔から一部の人しか知らない風光明媚な場所に過ぎなかった。
しかし、1992年にユネスコの世界自然遺産に登録されると、その特異な景観が知られるようになり、21世紀に入るとホテルの建設や空港、道路の整備がすさまじいスピードで進められ、国内外から多くの観光客を迎えるようになった。
特に、中国の景気が良くなり、旅行ブームにも乗って、中国人の観光客が多いのが目立つ。
写真②は「諾日朗瀑布」である。
しかし、1992年にユネスコの世界自然遺産に登録されると、その特異な景観が知られるようになり、21世紀に入るとホテルの建設や空港、道路の整備がすさまじいスピードで進められ、国内外から多くの観光客を迎えるようになった。
特に、中国の景気が良くなり、旅行ブームにも乗って、中国人の観光客が多いのが目立つ。
写真②は「諾日朗瀑布」である。
入口の標高は2000メートルだが、一番奥の長海は3100メートルになる。
入口から長海までは距離が31.6kmもある。
この中の移動は天然ガスを燃料にするバスを使用しており、私たちはグループで一台を貸切で使用した。
標高が高く気温が低いので、写真③の「五花海」の倒木なども腐敗しないので、倒れたままの姿をとどめている。
入口から長海までは距離が31.6kmもある。
この中の移動は天然ガスを燃料にするバスを使用しており、私たちはグループで一台を貸切で使用した。
標高が高く気温が低いので、写真③の「五花海」の倒木なども腐敗しないので、倒れたままの姿をとどめている。
写真④は「樹正瀑布」である。
ここの標高は2200メートル、滝の高さは11メートル、巾は62メートルある。
岩の間に樹木が生え、樹木の間を水が流れ、こういう樹木と水との融合した風景は、ここに無限の生命力を見せつける。
秋の紅葉のシーズンには、また違った印象を与えることだろう。
ここは冬も閉鎖しないと言い、冬は冬で、氷や氷結した瀑布に落ちる水の様子が見ものだろう。
ここには114の高山湖沼(海子という)、47の泉、17の滝(瀑布)、5つの湿地、11の急流が点在し、その透明度の高い水面に周囲の緑や雪山の白が映える様は、とても見事である。
ここの標高は2200メートル、滝の高さは11メートル、巾は62メートルある。
岩の間に樹木が生え、樹木の間を水が流れ、こういう樹木と水との融合した風景は、ここに無限の生命力を見せつける。
秋の紅葉のシーズンには、また違った印象を与えることだろう。
ここは冬も閉鎖しないと言い、冬は冬で、氷や氷結した瀑布に落ちる水の様子が見ものだろう。
ここには114の高山湖沼(海子という)、47の泉、17の滝(瀑布)、5つの湿地、11の急流が点在し、その透明度の高い水面に周囲の緑や雪山の白が映える様は、とても見事である。
2007/07/09のBlog
[ 14:26 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(11)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝シェラトンホテル・リゾート
英文で書くと SHERATON JINZHAIGOU RESORT
中国語表記では 九寨溝喜来登国際大酒店 となる。
この街は道路沿いにホテルや旅館がずっと並ぶ細長い街道をなしているが、その一番奥の入口に近いところに広い敷地を占めている。成都のホテルのような高層ではなく、五階建てくらいの中国風の作りになっている。
シェラトンホテルは世界的なホテルチェーンではあるが、オーナーが居るフランチャイズ制になっている。ここのホテルは多分に中国風の経営スタイルになっている。
オーナー制のフランチャイズについて言えば、たとえば、神戸の六甲アイランドにあるシェラトンは、オーナーは旅行代理店のJTBである。ここには、阪神大地震以後に、亡妻と一緒に泊まったことがある。
四川省世界遺産の旅8日間──(11)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
九寨溝シェラトンホテル・リゾート
英文で書くと SHERATON JINZHAIGOU RESORT
中国語表記では 九寨溝喜来登国際大酒店 となる。
この街は道路沿いにホテルや旅館がずっと並ぶ細長い街道をなしているが、その一番奥の入口に近いところに広い敷地を占めている。成都のホテルのような高層ではなく、五階建てくらいの中国風の作りになっている。
シェラトンホテルは世界的なホテルチェーンではあるが、オーナーが居るフランチャイズ制になっている。ここのホテルは多分に中国風の経営スタイルになっている。
オーナー制のフランチャイズについて言えば、たとえば、神戸の六甲アイランドにあるシェラトンは、オーナーは旅行代理店のJTBである。ここには、阪神大地震以後に、亡妻と一緒に泊まったことがある。
[ 11:54 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(10)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
黄龍──富士山山頂のような高地で酸素うすく息切れする
ここは1993年にユネスコの世界遺産の自然遺産として指定された。
成都から400kmの四川省北西部の松藩県の北部に位置している。色とりどりの池群、3400もの沼、奇妙に鍾乳洞の景観が特徴である。8万平方メートルの土地はカルシウム化で、世界でも独特なカルストの形になっている。
トルコの地中海沿岸のパムッカレとよく似ているが、ここは大自然の中に広大な面積を占め、規模は比較にならないほど大きいし、海抜も3300~3600mにも達する高地である。黄龍の「龍」の字は、簡略体では、このように書く。
写真はクリックすると大きくなり鮮明に見られる。お試しあれ。
四川省世界遺産の旅8日間──(10)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
黄龍──富士山山頂のような高地で酸素うすく息切れする
ここは1993年にユネスコの世界遺産の自然遺産として指定された。
成都から400kmの四川省北西部の松藩県の北部に位置している。色とりどりの池群、3400もの沼、奇妙に鍾乳洞の景観が特徴である。8万平方メートルの土地はカルシウム化で、世界でも独特なカルストの形になっている。
トルコの地中海沿岸のパムッカレとよく似ているが、ここは大自然の中に広大な面積を占め、規模は比較にならないほど大きいし、海抜も3300~3600mにも達する高地である。黄龍の「龍」の字は、簡略体では、このように書く。
写真はクリックすると大きくなり鮮明に見られる。お試しあれ。
ここの施設は立派で、入口に着くと、構内専用のバスが待っており、ロープウエイの乗り場まで乗せてくれる。
全部歩いて上下してもいいのだが、大半の人は上りは写真②のロープウエイを利用するようだ。
ロープウエイの終点の高度は3500メートルだと言い、ここから歩いて頂上のお寺までの2キロほどの道は、木道も含めて相当のアップダウンがあり、もらった携帯用の酸素ボンベを吸っても息も絶え絶えで、ヘトヘトで何度も休憩してぜいぜいする。
私が高地に、いかに弱いかが、よく判った。
全部歩いて上下してもいいのだが、大半の人は上りは写真②のロープウエイを利用するようだ。
ロープウエイの終点の高度は3500メートルだと言い、ここから歩いて頂上のお寺までの2キロほどの道は、木道も含めて相当のアップダウンがあり、もらった携帯用の酸素ボンベを吸っても息も絶え絶えで、ヘトヘトで何度も休憩してぜいぜいする。
私が高地に、いかに弱いかが、よく判った。
写真③が頂上の「黄龍寺」である。
この周りには青色の水の美しい棚田の沼が散在する。
沼、池の周りは木道が巡らされて見事に整備されている。
もっとも私は息も絶え絶えでゆっくり鑑賞する暇はなかった。
帰りの集合時間が迫っており、早々にロープウエイの駅に引き返したが、この帰りの道が予想に反してアップがあり、息を切らせて難渋したのだった。
この周りには青色の水の美しい棚田の沼が散在する。
沼、池の周りは木道が巡らされて見事に整備されている。
もっとも私は息も絶え絶えでゆっくり鑑賞する暇はなかった。
帰りの集合時間が迫っており、早々にロープウエイの駅に引き返したが、この帰りの道が予想に反してアップがあり、息を切らせて難渋したのだった。
山頂では辺りをよく見る余裕はなかったので、目についた池の写真を夢中で撮ったのみである。
心配した添乗員が途中まで迎えにきてくれていた。
頂上駅で少し休んでロープウエイで下におり、バスに乗って、集合場所で待つ。
頂上から歩いて下まで降りた人が大半であるが、酸素を使い果たしたと言って疲れたという人など多数である。
黄龍の由来
『四川の魅力』から少し引いておこう。
むかし、大禹という神が岷江の水を治めたとき、彼は騎乗の黄龍に乗って、いろいろの辛苦をなめた末に、やっと水害を鎮めた。その功績を讃えるために山の南麓に寺を建てた。
この辺りの地勢は飛び起きそうな金色の龍のようで、こういう名前がつけられたという。
水に溶けた炭酸カルシウムの沈殿物が数万年を経て、独特のカルスト地形になり、見る角度によって青かったり、緑っぽく見えたりする見事な景観を呈している。
心配した添乗員が途中まで迎えにきてくれていた。
頂上駅で少し休んでロープウエイで下におり、バスに乗って、集合場所で待つ。
頂上から歩いて下まで降りた人が大半であるが、酸素を使い果たしたと言って疲れたという人など多数である。
黄龍の由来
『四川の魅力』から少し引いておこう。
むかし、大禹という神が岷江の水を治めたとき、彼は騎乗の黄龍に乗って、いろいろの辛苦をなめた末に、やっと水害を鎮めた。その功績を讃えるために山の南麓に寺を建てた。
この辺りの地勢は飛び起きそうな金色の龍のようで、こういう名前がつけられたという。
水に溶けた炭酸カルシウムの沈殿物が数万年を経て、独特のカルスト地形になり、見る角度によって青かったり、緑っぽく見えたりする見事な景観を呈している。
頂上にある「黄龍寺」について『四川の魅力』誌には、こう書かれている。
<この寺は、平凡だと見えるが、一つの「絶」がある。それは玄関の横額である。
正面から見ると「黄龍古寺」、右から見れば「飛閣流丹」、左から見れば「山雪水碧」ということです。実は、近くに行ってみると一つの額に書かれていることがわかり、角度によって字の形、内容も変わるようになっていて、不思議でしょう。>
とある。
私は写真③にも写っている通り、息も絶え絶えだったので、少し離れた正面から一枚だけ写真を撮ったのだった。
この説明に気づいた人が、どのくらい居ただろうか。
集合場所に落ち合って、あとは一路、今夜の宿泊の九寨溝シェラトンホテルに入る。
そこまでに長い道のりを二時間くらいも走ることになる。
このホテルは九寨溝の入口の至近距離にある。
<この寺は、平凡だと見えるが、一つの「絶」がある。それは玄関の横額である。
正面から見ると「黄龍古寺」、右から見れば「飛閣流丹」、左から見れば「山雪水碧」ということです。実は、近くに行ってみると一つの額に書かれていることがわかり、角度によって字の形、内容も変わるようになっていて、不思議でしょう。>
とある。
私は写真③にも写っている通り、息も絶え絶えだったので、少し離れた正面から一枚だけ写真を撮ったのだった。
この説明に気づいた人が、どのくらい居ただろうか。
集合場所に落ち合って、あとは一路、今夜の宿泊の九寨溝シェラトンホテルに入る。
そこまでに長い道のりを二時間くらいも走ることになる。
このホテルは九寨溝の入口の至近距離にある。
2007/07/08のBlog
[ 10:09 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(9)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
牟尼溝─地図にもガイドブックにも載っていない
ここ「牟尼溝」は、後から振り返る今だから説明できるが、地質的には「ミニ黄龍」「ミニ九寨溝」だと言える。
岷江沿いの谷筋から逸れて山の中に入ってゆく。
写真①がその入口であり、ここで入場料を支払い、ゲートのバーを上げてもらって入る。先には駐車場もあり、施設は整備されている。
資料がないので、高度がどのくらいか判りかねる。
四川省世界遺産の旅8日間──(9)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
牟尼溝─地図にもガイドブックにも載っていない
ここ「牟尼溝」は、後から振り返る今だから説明できるが、地質的には「ミニ黄龍」「ミニ九寨溝」だと言える。
岷江沿いの谷筋から逸れて山の中に入ってゆく。
写真①がその入口であり、ここで入場料を支払い、ゲートのバーを上げてもらって入る。先には駐車場もあり、施設は整備されている。
資料がないので、高度がどのくらいか判りかねる。
滝(瀑布)がいくつかあり、写真②のように説明板が設置されている。
土が石灰分を含んでおり、茂る草に付着した石灰分が沈着し、それらが「堰」の役目をして「棚田」のような形の段を作る。石灰分を含んでいるので、水は見る角度によって青く見えるということである。
ここはチベット族の村(寨)だという説明である。これらも、後でゆく黄龍などと共通する。
土が石灰分を含んでおり、茂る草に付着した石灰分が沈着し、それらが「堰」の役目をして「棚田」のような形の段を作る。石灰分を含んでいるので、水は見る角度によって青く見えるということである。
ここはチベット族の村(寨)だという説明である。これらも、後でゆく黄龍などと共通する。
扎嘎瀑布。どう発音するのか判らない。
この滝の位置は海抜3100メートルと言い、歩くと息切れする。
ここは夏から秋にかけてがベストシーズンとかで、冬場には黄龍の代わりのツアーとして組み込まれることが多いという。後から言えることだが、黄龍を見たら、ここの規模は小さいので、改めて見る必要はないところ。
資料がないので、写真だけ載せておく。悪しからず。
この滝の位置は海抜3100メートルと言い、歩くと息切れする。
ここは夏から秋にかけてがベストシーズンとかで、冬場には黄龍の代わりのツアーとして組み込まれることが多いという。後から言えることだが、黄龍を見たら、ここの規模は小さいので、改めて見る必要はないところ。
資料がないので、写真だけ載せておく。悪しからず。
写真④が成都を基点として各地へ乗せてくれた大型バスである。
エアコンも快適に効く立派なもの。
中国製である。狭い道もあるので、都江堰を終わってから「助手」を一人乗せた。
このようなことはトルコなどでは、よくあることである。運転の交代要員ということではない。
九寨溝空港までわれわれを送った後は、また、例の悪路と渋滞のところを通って成都まで帰ってゆくのだと思うと大変である。
エアコンも快適に効く立派なもの。
中国製である。狭い道もあるので、都江堰を終わってから「助手」を一人乗せた。
このようなことはトルコなどでは、よくあることである。運転の交代要員ということではない。
九寨溝空港までわれわれを送った後は、また、例の悪路と渋滞のところを通って成都まで帰ってゆくのだと思うと大変である。
2007/07/07のBlog
[ 07:40 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(8)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
岷江上流─映秀・茂県への道─悪路と交通渋滞
先日行った楽山を流れている川も岷江だった。
岷江は大河・長江に合流して遥か東シナ海に注ぐのだが、今回の旅は、ずっとこの岷江にかかわるものだった。
黄龍、九寨溝に至る道は、ずっとこの川に沿っていることが、今回の旅で、よく判った。
中国の大河・長江は、大国・中国の遥か西の奥地から発しているのだった。
成都を発った私たちのバスは、地図を見ると、楽山への距離の三分の一足らずのところにある茂県(今晩の宿泊地)をめざして「地道」に入ったが、途中、どこか名前の判らない所で激しい交通渋滞に巻き込まれた。ガイドの話ではトンネル工事にともなう一方通行規制のためらしかったが、ここでわれわれは「勝手者」の中国人の一面を、かいま見ることになる。片側一車線の道路が渋滞しているのに、反対車線を強引に逆走してクラクションを鳴らしながら、先に割り込もうとするマナーの悪さ。
一頃の中国は、全くこうだった。マナーもよくなったと思っていたら、マナーの悪さは温存されていた。
今までからの経験から、私は中国人は、尊大で、「勝手者」だと思っている。激しい「自己主張」の持ち主である。厳しい乱世を生き抜いて来た何千年来の経験が性格として定着したのだろう。おまけに、世界は自分たちを中心に回っているという「中華思想」を抱いている。いまアフリカなどで天然資源の獲得を求めて中国人が進出しているが、その際の現地人などへの対応で、この尊大さが各地で多くの紛争を起こしているという。
私は日本人の「自己主張の無さ」をいつも反面教師として問題にするのだが、今回のような事態に直面すると、いろいろ考えさせられた。
高い山が延々とつづき、うねる谷あいに沿って狭い国道が走っている。「地道」にトンネルというものはない。ところどころにトンネル工事が見られるのは、山腹をぶち抜く「高速道路」の工事現場だ。
険しい岩山の山腹に張り付くようにして道は、くねり、登り、下りして延々とつづく。こちらから向うへ向かう車も大渋滞なら、向うから来る対向車も延々と渋滞しいている。ルートは、この道一本しか無いらしい。この間、何時間空費しただろうか。約3時間か。
映秀での昼食は午後3時ころ
悪路でゆられ、ゆすぶられ、くたびれ果てて、写真どころではなかったので、写真は無い。
途中、土砂崩れのために、工事中の高速道路予定地の地道に迂回することになったが、仮設の橋が重量制限のため、乗客のわれわれは下車して先に歩いて対岸に渡る。もうもうとした土煙にむせながら300mも歩いたか。
みんな奥地でも学校教育には力を入れており、もうもうたる土煙の横に立派な小学校があったのを印象ふかく覚えている。
この辺りから、もう「アバチベット族チャン族自治州」に入っているらしかった。
そして、すっかり暗くなった中、できたばかかりの茂県国際飯店に着く。雨である。ホテルの横には岷江の流れが渓流の音をたてて流れていた。
四川省世界遺産の旅8日間──(8)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
岷江上流─映秀・茂県への道─悪路と交通渋滞
先日行った楽山を流れている川も岷江だった。
岷江は大河・長江に合流して遥か東シナ海に注ぐのだが、今回の旅は、ずっとこの岷江にかかわるものだった。
黄龍、九寨溝に至る道は、ずっとこの川に沿っていることが、今回の旅で、よく判った。
中国の大河・長江は、大国・中国の遥か西の奥地から発しているのだった。
成都を発った私たちのバスは、地図を見ると、楽山への距離の三分の一足らずのところにある茂県(今晩の宿泊地)をめざして「地道」に入ったが、途中、どこか名前の判らない所で激しい交通渋滞に巻き込まれた。ガイドの話ではトンネル工事にともなう一方通行規制のためらしかったが、ここでわれわれは「勝手者」の中国人の一面を、かいま見ることになる。片側一車線の道路が渋滞しているのに、反対車線を強引に逆走してクラクションを鳴らしながら、先に割り込もうとするマナーの悪さ。
一頃の中国は、全くこうだった。マナーもよくなったと思っていたら、マナーの悪さは温存されていた。
今までからの経験から、私は中国人は、尊大で、「勝手者」だと思っている。激しい「自己主張」の持ち主である。厳しい乱世を生き抜いて来た何千年来の経験が性格として定着したのだろう。おまけに、世界は自分たちを中心に回っているという「中華思想」を抱いている。いまアフリカなどで天然資源の獲得を求めて中国人が進出しているが、その際の現地人などへの対応で、この尊大さが各地で多くの紛争を起こしているという。
私は日本人の「自己主張の無さ」をいつも反面教師として問題にするのだが、今回のような事態に直面すると、いろいろ考えさせられた。
高い山が延々とつづき、うねる谷あいに沿って狭い国道が走っている。「地道」にトンネルというものはない。ところどころにトンネル工事が見られるのは、山腹をぶち抜く「高速道路」の工事現場だ。
険しい岩山の山腹に張り付くようにして道は、くねり、登り、下りして延々とつづく。こちらから向うへ向かう車も大渋滞なら、向うから来る対向車も延々と渋滞しいている。ルートは、この道一本しか無いらしい。この間、何時間空費しただろうか。約3時間か。
映秀での昼食は午後3時ころ
悪路でゆられ、ゆすぶられ、くたびれ果てて、写真どころではなかったので、写真は無い。
途中、土砂崩れのために、工事中の高速道路予定地の地道に迂回することになったが、仮設の橋が重量制限のため、乗客のわれわれは下車して先に歩いて対岸に渡る。もうもうとした土煙にむせながら300mも歩いたか。
みんな奥地でも学校教育には力を入れており、もうもうたる土煙の横に立派な小学校があったのを印象ふかく覚えている。
この辺りから、もう「アバチベット族チャン族自治州」に入っているらしかった。
そして、すっかり暗くなった中、できたばかかりの茂県国際飯店に着く。雨である。ホテルの横には岷江の流れが渓流の音をたてて流れていた。
茂県国際飯店はモーニングコールは午前5時
─弁当もらって6時出発
高地と雨と低気温に備えてフードつきのコートを着用する。
どのくらい進んだだろうか。トイレ休憩も兼ねて羌(チャン)族の村に立ち寄る。
この「羌」という字は日本では「キョウ」と音読みするが、現代中国語では「チャン」と発音されている。
羌族は中国の少数民族の中では歴史が一番古い民族の一つで、アイマーとも呼ばれ、「現地の人」という意味である。彼らは今ほとんど九寨溝へ行く途中の岷江流域に住み、人口ほぼ20万人だという。
写真②は羌族の村。
─弁当もらって6時出発
高地と雨と低気温に備えてフードつきのコートを着用する。
どのくらい進んだだろうか。トイレ休憩も兼ねて羌(チャン)族の村に立ち寄る。
この「羌」という字は日本では「キョウ」と音読みするが、現代中国語では「チャン」と発音されている。
羌族は中国の少数民族の中では歴史が一番古い民族の一つで、アイマーとも呼ばれ、「現地の人」という意味である。彼らは今ほとんど九寨溝へ行く途中の岷江流域に住み、人口ほぼ20万人だという。
写真②は羌族の村。
道沿いに住む彼らは写真③のように乾燥させたサクランボやナッツ類、などを売って生計をたてている。
羌族の歴史は3000年くらい前に遡ることができるという。殷の時代に甲骨文の中に彼らに関する記録があるという。秦の始皇帝の時代から、もうこの辺りに住み始めたという。もともとは遊牧民だったが、次第に農牧民になった。自分たちの言葉はあるが文字はない。漢民族とチベットの言葉によく似ているという。
羌族の歴史は3000年くらい前に遡ることができるという。殷の時代に甲骨文の中に彼らに関する記録があるという。秦の始皇帝の時代から、もうこの辺りに住み始めたという。もともとは遊牧民だったが、次第に農牧民になった。自分たちの言葉はあるが文字はない。漢民族とチベットの言葉によく似ているという。
牛の仲間の「ヤク」は黒色をしているが、一万頭に一頭ほどの割合で、白いヤクが居ると言い、珍しいので写真④のように観光客を乗せて一回5元で写真を撮らせる。
もっともガイドの張さんの話では、あちこちに白いヤクが見られるので、白毛に染めているのではないかという。
彼らの宗教は、万物には神と霊魂が宿るという、日本とよく似た宗教観を持つ。
それぞれの神は無限の力を持ち、人と家畜の安全、植物の収穫などの一切を支配しているから、彼らの宗教活動の主な内容は「魔よけ」などであるという。
もっともガイドの張さんの話では、あちこちに白いヤクが見られるので、白毛に染めているのではないかという。
彼らの宗教は、万物には神と霊魂が宿るという、日本とよく似た宗教観を持つ。
それぞれの神は無限の力を持ち、人と家畜の安全、植物の収穫などの一切を支配しているから、彼らの宗教活動の主な内容は「魔よけ」などであるという。
2007/07/06のBlog
[ 13:41 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(7)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
武候祠─劉備玄徳と諸葛孔明
私は1993年1月に、昆明、石林、桂林、広州などを訪ねた旅で、成都に来たことがある。十数年ぶりということになる。
先に少し書いたように、成都の街は、その頃の面影は全く無いと言ってよい。
この武候祠や後日行く「杜甫草堂」などは、よく保存され、昔のままの風情だが、辺りはすっかり近代化してしまっている。
紀元223年4月に劉備玄徳が白帝城で亡くなり、諸葛孔明が彼の遺物をここに埋葬して以来、すでに1800年の歴史のあるところである。
四川省世界遺産の旅8日間──(7)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
武候祠─劉備玄徳と諸葛孔明
私は1993年1月に、昆明、石林、桂林、広州などを訪ねた旅で、成都に来たことがある。十数年ぶりということになる。
先に少し書いたように、成都の街は、その頃の面影は全く無いと言ってよい。
この武候祠や後日行く「杜甫草堂」などは、よく保存され、昔のままの風情だが、辺りはすっかり近代化してしまっている。
紀元223年4月に劉備玄徳が白帝城で亡くなり、諸葛孔明が彼の遺物をここに埋葬して以来、すでに1800年の歴史のあるところである。
入口には黒い壁があり、それは中国の礼儀では、重要な人物がここに祀られているという意味である。
写真②の横額には「漢昭烈廟」と書いてある。
「昭烈」、「武候」とは、それぞれ劉備玄徳、諸葛孔明の尊号で、古代では君臣の身分を厳しく区別して、劉備には皇帝としての「贈り名」で「昭烈」と名づけたが、諸葛孔明の功績を讃えて、後世に君臣を一緒に、この地に祀ったものである。
この武候祠の敷地は4ヘクタールある。
明の時代に隣の劉備玄徳の廟と合併して今の規模になった。
「三国志」の時代と関連する塑像、鼎、太鼓、碑など200余りの文物が展観されている。
写真②の横額には「漢昭烈廟」と書いてある。
「昭烈」、「武候」とは、それぞれ劉備玄徳、諸葛孔明の尊号で、古代では君臣の身分を厳しく区別して、劉備には皇帝としての「贈り名」で「昭烈」と名づけたが、諸葛孔明の功績を讃えて、後世に君臣を一緒に、この地に祀ったものである。
この武候祠の敷地は4ヘクタールある。
明の時代に隣の劉備玄徳の廟と合併して今の規模になった。
「三国志」の時代と関連する塑像、鼎、太鼓、碑など200余りの文物が展観されている。
劉備殿
この建物の中に入ると上の横額に「業紹高光」と書いてある。「業」は功績、手柄ということで、劉備が蜀の国を建てたということだ。「紹」は当たるということ、「高」は前漢の創始者である高祖劉邦のこと、「光」は後漢を建てた光武帝劉秀のことで、つまり劉備の功績は、祖先である劉邦や劉秀の功績と同じくらいだという意味である。
劉備は、もともと「漢」の再興をめざしていたということに因むものである。
劉備は河北省の生まれで、40歳頃まで各地を流浪する者であった。
当時「黄巾党」の乱で庶民が苦しんでいたので、彼は自分の兵を連れて、この乱を平定しようと考え、その後、張飛、関羽と桃の木の下で義兄弟の契りを結ぶ。これが有名な「桃園の義」という物語である。「関羽殿」「張飛殿」に彼らが祀られている。
関羽は「関帝廟」として後世、中国、世界各地に祀られて有名である。
この建物の中に入ると上の横額に「業紹高光」と書いてある。「業」は功績、手柄ということで、劉備が蜀の国を建てたということだ。「紹」は当たるということ、「高」は前漢の創始者である高祖劉邦のこと、「光」は後漢を建てた光武帝劉秀のことで、つまり劉備の功績は、祖先である劉邦や劉秀の功績と同じくらいだという意味である。
劉備は、もともと「漢」の再興をめざしていたということに因むものである。
劉備は河北省の生まれで、40歳頃まで各地を流浪する者であった。
当時「黄巾党」の乱で庶民が苦しんでいたので、彼は自分の兵を連れて、この乱を平定しようと考え、その後、張飛、関羽と桃の木の下で義兄弟の契りを結ぶ。これが有名な「桃園の義」という物語である。「関羽殿」「張飛殿」に彼らが祀られている。
関羽は「関帝廟」として後世、中国、世界各地に祀られて有名である。
武候祠
ここが本来の意味で諸葛孔明を祀るところ。
入口の横額に「武候祠」と書いてあるのは、有名な作家・郭沫若の筆になるもの。
先に書いたように「武候」とは孔明の「贈り名」である。
殿に入る上の額に「名垂宇宙」と書かれているが、これは孔明はいつまでも人々に偲ばれる人だ、という意味である。
羽毛の団扇を持って、穏やかな顔つきをしているが、紀元181年、山東省の生まれで、27歳まで湖南省の北にある襄陽で晴耕雨読の生活をしていた。
劉備の「三顧の礼」によって宰相に迎えられたというのは有名な話。
後は省略する。
ここが本来の意味で諸葛孔明を祀るところ。
入口の横額に「武候祠」と書いてあるのは、有名な作家・郭沫若の筆になるもの。
先に書いたように「武候」とは孔明の「贈り名」である。
殿に入る上の額に「名垂宇宙」と書かれているが、これは孔明はいつまでも人々に偲ばれる人だ、という意味である。
羽毛の団扇を持って、穏やかな顔つきをしているが、紀元181年、山東省の生まれで、27歳まで湖南省の北にある襄陽で晴耕雨読の生活をしていた。
劉備の「三顧の礼」によって宰相に迎えられたというのは有名な話。
後は省略する。
写真⑤が劉備玄徳の陵である。
私の写真には無いが、『四川の魅力』誌には、この陵には「千秋凛然」という横額があるという。
劉備は威風堂々としており、いつまでも人々に偲ばれるという意味だという。
この陵墓は高さ12m、周囲180mである。紀元223年4月に劉備玄徳は夷陵の戦いに敗れ、白帝城で病死した。
そこから、ここ成都まではとても遠いから、劉備の遺体が確かにここに埋葬されているかどうかは判らない。
この千年間、一度も盗掘されたことがないというが、物語があり、唐の時代に二人の泥棒が盗掘に入ったところ、声がして、近づくと、劉備と孔明が碁をさしていて、しかも関羽と張飛が側に立って見ている。驚いた二人が逃げようとすると酒をすすめられ、一気に飲んで逃げたところ大きな雷が鳴った。帰った二人は、病気になり死んでしまったという。
ここにどのくらいの時間居ただろうか。
われわれは一路、黄龍、九寨溝めざして奥地へ向かうことになる。今晩の宿泊地は「茂県」である。途中、悪路と交通渋滞に遭遇することになる。乞う、ご期待。
私の写真には無いが、『四川の魅力』誌には、この陵には「千秋凛然」という横額があるという。
劉備は威風堂々としており、いつまでも人々に偲ばれるという意味だという。
この陵墓は高さ12m、周囲180mである。紀元223年4月に劉備玄徳は夷陵の戦いに敗れ、白帝城で病死した。
そこから、ここ成都まではとても遠いから、劉備の遺体が確かにここに埋葬されているかどうかは判らない。
この千年間、一度も盗掘されたことがないというが、物語があり、唐の時代に二人の泥棒が盗掘に入ったところ、声がして、近づくと、劉備と孔明が碁をさしていて、しかも関羽と張飛が側に立って見ている。驚いた二人が逃げようとすると酒をすすめられ、一気に飲んで逃げたところ大きな雷が鳴った。帰った二人は、病気になり死んでしまったという。
ここにどのくらいの時間居ただろうか。
われわれは一路、黄龍、九寨溝めざして奥地へ向かうことになる。今晩の宿泊地は「茂県」である。途中、悪路と交通渋滞に遭遇することになる。乞う、ご期待。
2007/07/05のBlog
[ 12:27 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(6)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
楽山大仏─(2)
船は一旦、大仏前よりも上流まで行き、流れを利用してエンジンを加減しながら大仏前に静止するかたちで航行する。その間に、観光客は写真をパチパチと撮るわけである。
写真①のように、この山は川の上から見ると、「涅槃仏」のように見える。山の上に見えるのが仏塔ストゥーパである。
四川省世界遺産の旅8日間──(6)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
楽山大仏─(2)
船は一旦、大仏前よりも上流まで行き、流れを利用してエンジンを加減しながら大仏前に静止するかたちで航行する。その間に、観光客は写真をパチパチと撮るわけである。
写真①のように、この山は川の上から見ると、「涅槃仏」のように見える。山の上に見えるのが仏塔ストゥーパである。
大仏の彫られている岩は紅砂岩という風化しやすい、壊れやすいのだが、なぜ1200年もの間その姿を保ち得たのか。
先ず、大仏は周りの岩の隠れた位置にあって、原始林に囲まれていて、太陽の日差しも弱まり、風もある程度防げて、風化が他のところより遅かったと思われる。
次に、大仏自身に精巧な排水設備があるためで、後ろの排水のための穴や、頭部の三本の排水溝は、下の衣の折り目と繋がり、雨水による被害を防いだ。
また、もともと大仏には当初、屋根が掛けられて保護されていたのである。明朝の末期に農民の蜂起軍によって焼き払われたが、長年、このように保護が手厚くされてきたので、今日も立派な像を拝見できるのである。
現在、昔のように「屋根」を復元しようという計画があるという。
先ず、大仏は周りの岩の隠れた位置にあって、原始林に囲まれていて、太陽の日差しも弱まり、風もある程度防げて、風化が他のところより遅かったと思われる。
次に、大仏自身に精巧な排水設備があるためで、後ろの排水のための穴や、頭部の三本の排水溝は、下の衣の折り目と繋がり、雨水による被害を防いだ。
また、もともと大仏には当初、屋根が掛けられて保護されていたのである。明朝の末期に農民の蜂起軍によって焼き払われたが、長年、このように保護が手厚くされてきたので、今日も立派な像を拝見できるのである。
現在、昔のように「屋根」を復元しようという計画があるという。
船を下りて、駐車場から歩いて「凌雲寺」と、大仏の頭部のよく見えるところへ上る。
写真③が間近に見る仏の頭部である。頭の上には1021個の「螺髪」ラホツがあるという。
耳の長さは7mもある。ここまで上ると、川を渡ってくる風が涼しい。
この大仏建立にあたった海通の浄財を集める苦労話も伝わっている。
「布施」を求めていた或る日、貪欲な役人に遭い、集めた浄財を奪われそうになった。海通は毅然として「たとえ目を取られても、浄財は一銭も渡さない」と言い放った。役人が怒って「では目を頂こう」と言ったら、海通はその場で自分の目を抉りだした。これには強欲な役人も驚き、以後は二度と彼を困らせることはなくなったという。
写真③が間近に見る仏の頭部である。頭の上には1021個の「螺髪」ラホツがあるという。
耳の長さは7mもある。ここまで上ると、川を渡ってくる風が涼しい。
この大仏建立にあたった海通の浄財を集める苦労話も伝わっている。
「布施」を求めていた或る日、貪欲な役人に遭い、集めた浄財を奪われそうになった。海通は毅然として「たとえ目を取られても、浄財は一銭も渡さない」と言い放った。役人が怒って「では目を頂こう」と言ったら、海通はその場で自分の目を抉りだした。これには強欲な役人も驚き、以後は二度と彼を困らせることはなくなったという。
写真④は頭の高さのところから、下の台座と川を見下ろしたもの。
この辺りから、大仏の脇を通って石段を川まで降りられるというが、私は降りなかった。
完成した当時、大仏は金ピカに全身金箔が貼られていたという。
海通の死後、工事は中断され、以後、遺志を継いだ人たちの名前もわかっているが、省略する。
この辺りから、大仏の脇を通って石段を川まで降りられるというが、私は降りなかった。
完成した当時、大仏は金ピカに全身金箔が貼られていたという。
海通の死後、工事は中断され、以後、遺志を継いだ人たちの名前もわかっているが、省略する。
2007/07/04のBlog
[ 10:15 ]
[ 四川省世界遺産の旅─黄龍・九寨溝 ]
峨眉山・楽山・黄龍・九寨溝・成都
四川省世界遺産の旅8日間──(5)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
峨眉山山麓──報国寺──中国の食事のこと
峨眉山の頂上から降りて、昨夜宿泊したホテルで昼食を摂る。
ここで、中国の食事のことを書いておく。
朝食はバイキングが多いが、シェラトンホテルの朝食は、西欧式のものも多く、中華風のものなどバラエティに富んでいるが、外で食べるときも含めて、いわゆる「中華」料理と称するものの連続であり、おまけに「四川」料理の味付けは概して「激カラ」である。
私は中華料理は嫌いではないが、毎日毎日、昼も晩も、これが続くとうんざりする。
回転テーブルの食卓で、一品で食べる量は少しづつだが、8日間も居ると、お腹の中が変になったようで、私は痔の持病があるので、脱肛気味になり、血がにじんだりした。肛門の辺りがゆるくなったのかブリーフの局部が汚れて困った。
それに、海外旅行の旅はヨーロッパでもそうだが、バスに乗る移動時間が多くて、体調を崩しがちである。私は疲れが胃腸に来る質で、今回も口の周りに「あくち」の吹き出物が出たりした。
写真①は、山麓にある峨眉山の登り口に建つ碑である。「書」の国らしく、毛筆体の達筆の字が彫られている。
「報国寺」は作られたのは古くはない、16世紀の明代に創建され、清朝に今の場所に移されたという。
四川省世界遺産の旅8日間──(5)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2007/6/2~6/9・・・・・・木村草弥
峨眉山山麓──報国寺──中国の食事のこと
峨眉山の頂上から降りて、昨夜宿泊したホテルで昼食を摂る。
ここで、中国の食事のことを書いておく。
朝食はバイキングが多いが、シェラトンホテルの朝食は、西欧式のものも多く、中華風のものなどバラエティに富んでいるが、外で食べるときも含めて、いわゆる「中華」料理と称するものの連続であり、おまけに「四川」料理の味付けは概して「激カラ」である。
私は中華料理は嫌いではないが、毎日毎日、昼も晩も、これが続くとうんざりする。
回転テーブルの食卓で、一品で食べる量は少しづつだが、8日間も居ると、お腹の中が変になったようで、私は痔の持病があるので、脱肛気味になり、血がにじんだりした。肛門の辺りがゆるくなったのかブリーフの局部が汚れて困った。
それに、海外旅行の旅はヨーロッパでもそうだが、バスに乗る移動時間が多くて、体調を崩しがちである。私は疲れが胃腸に来る質で、今回も口の周りに「あくち」の吹き出物が出たりした。
写真①は、山麓にある峨眉山の登り口に建つ碑である。「書」の国らしく、毛筆体の達筆の字が彫られている。
「報国寺」は作られたのは古くはない、16世紀の明代に創建され、清朝に今の場所に移されたという。
写真②には世界遺産のマークが見られる。
マイクを握っているのが現地ガイドの「張」さんである。日常会話に不自由はないし、説明すべき文物の知識もほぼ完璧だが、ときどき微妙な表現に違和感があるのはやむを得ないだろう。
このツアーでは、「イヤホーン」ガイドによる説明を採用していて、少し離れていても聞き取れるので便利である。
この「山麓」は海抜500mくらいのところで、暑い日中だった。
マイクを握っているのが現地ガイドの「張」さんである。日常会話に不自由はないし、説明すべき文物の知識もほぼ完璧だが、ときどき微妙な表現に違和感があるのはやむを得ないだろう。
このツアーでは、「イヤホーン」ガイドによる説明を採用していて、少し離れていても聞き取れるので便利である。
この「山麓」は海抜500mくらいのところで、暑い日中だった。
写真③が報国寺。
この辺りは山への上り口で緑も多く、ホテルやみやげ物屋も軒を連ねている。
中国政府も地方の機関も「観光」開発には力を入れており、予算もつぎ込んであるらしく、よく整備されている。
ここは行政的には「峨眉山市」になっているというが、ここの観光を済ませて、われわれは一路、隣接する「楽山市」へと向かう。
楽山大仏─(1)
楽山市は成都の南西164kmに位置し、人口348万人で四川盆地の南西部における水陸交通の要衝である。中国は、どこでも、ちょっとした都市でも数百万の人口を擁している。
ここは「楽山大仏」のあるところで古くから観光地として栄えた。
有名人では作家の郭沫若が、ここの出身だ。
この辺りは山への上り口で緑も多く、ホテルやみやげ物屋も軒を連ねている。
中国政府も地方の機関も「観光」開発には力を入れており、予算もつぎ込んであるらしく、よく整備されている。
ここは行政的には「峨眉山市」になっているというが、ここの観光を済ませて、われわれは一路、隣接する「楽山市」へと向かう。
楽山大仏─(1)
楽山市は成都の南西164kmに位置し、人口348万人で四川盆地の南西部における水陸交通の要衝である。中国は、どこでも、ちょっとした都市でも数百万の人口を擁している。
ここは「楽山大仏」のあるところで古くから観光地として栄えた。
有名人では作家の郭沫若が、ここの出身だ。
街について「岷江」の船つき場から船に乗って水上から大仏を見る。
写真④は船つき場。
この大仏は1996年に峨眉山と合わせてユネスコの世界遺産(文化、自然の複合)に登録されたが、仏像は高さ71m、肩幅28m、頭部の高さ14m、頭の直径10mという巨大さである。足の甲には大人100人がゆったりと座れるという。仏像の正式名称は「凌雲大仏」と言い、弥勒菩薩である。
この大仏が作られたのは岷江の氾濫を鎮めるためだった。
写真④は船つき場。
この大仏は1996年に峨眉山と合わせてユネスコの世界遺産(文化、自然の複合)に登録されたが、仏像は高さ71m、肩幅28m、頭部の高さ14m、頭の直径10mという巨大さである。足の甲には大人100人がゆったりと座れるという。仏像の正式名称は「凌雲大仏」と言い、弥勒菩薩である。
この大仏が作られたのは岷江の氾濫を鎮めるためだった。