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2008/05/31のBlog
[ 10:57 ]
[ 月次掲示板 ]
■■■■■■■■■お知らせ・お断り■■■■■■■■■
5/10~5/22の間かねて行きたいと思っていた北スペインの
サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道を含むツアーに行くことになりました。
この間は訪問ならびにコメントに応答できません。
いま頃ではネット・カフェが出来ていて繋げると思いますが、旅先では忙しいので繋ぎません。
記事だけは先日来せっせと「下書き」にまとめておいたので、一挙にアップしておきます。
帰ったら紀行文にして載せますので、よろしく。では、皆さん、お元気で!■■■■■■■■■■
新緑の風薫る五月になりました。
木々の生命力を身に受けつつ人間はとかく「五月病」とかになりやすい。
酔うてしまうには美しい五月の夜・・・・・・・・・・有馬籌子
目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹・・・・・・・・・寺山修司
少年に五月ぞ青し悲しめり・・・・・・・・・・・・・・ 高柳重信
うつむけば人妻も夏めけるもの・・・・・・・・・・長谷川春草
植田の水たつぷり畦にあやめ咲く・・・・・・・・・・・高島茂
トップ画像の中の与謝野晶子の歌の説明です。
余りにも有名な歌なので蛇足かと思いますが。。。。
ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)
ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いて下さい。頂いたコメントには必ずお返事しますので、私の「返信」を忘れずにご覧下さい。
このDoblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
私は、このDoblogをWeb上のHPと連動したものとして、日々詩作品や文章を書き溜めています。
私の、このBLOGは文芸に──特に「詩歌句」に特化したものとして編集しています。
体裁としては、今はもう終了したが朝日新聞の大岡信「折々のうた」、読売新聞の長谷川櫂「四季」、毎日新聞の坪内稔典「季節のたより」などを参照して分量としては、かなり長目の記事を書いています。
自作も多目に採り上げています。
ぜひ多くの方のご訪問と閲覧をお願いします。
2008年4月30日に私のBLOGへのアクセス数が遂に630000件を超えた。62万件を超えたのが
2008年4月7日であるから何とも早い達成であり感慨ふかいものがある。
私の場合、検索サイトからの人などDoblog以外からのアクセスが多いらしい。
アクセスして下さった人たちに心から感謝します。これからもよろしく。
■─My Works─■
私のWebのHP「木村草弥の詩と旅のページ─《風景のコスモロジー》─」にアクセスして頂くと、目次が20個弱並んでいます。詩、四冊の歌集の自選歌などの短歌と批評文、連句、旅日記、エッセイなど、自作と他人の作品が収録されており、各「目次」からリンク出来ます。
http://www.google.co.jp/あるいはhttp://www.yahoo.co.jp/で「木村草弥」と検索して頂くと、数百件の検索結果が出ます。重複も多いのですが、詳しく全部検索して頂くと、他には載らないエッセイなども読めます。
BLOGの文章はジャンル別に分けてあります。閲覧は左側の「ジャンル」から、お入り下さい。
このBLOGをご覧になっての感想は、下部の「コメントを見る・書く」をクリックして記入願います。
バックナンバーは、左記の「カレンダー」のお好きな月の「朱字」をクリックして呼び出して読んで下さい。
「黒字」になっている年、月、日は、過去未来とも「書き込み記事」のないものです。
■木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、
ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集)の題名はWebのHPをご覧下さい。よろしく。
5/10~5/22の間かねて行きたいと思っていた北スペインの
サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の道を含むツアーに行くことになりました。
この間は訪問ならびにコメントに応答できません。
いま頃ではネット・カフェが出来ていて繋げると思いますが、旅先では忙しいので繋ぎません。
記事だけは先日来せっせと「下書き」にまとめておいたので、一挙にアップしておきます。
帰ったら紀行文にして載せますので、よろしく。では、皆さん、お元気で!■■■■■■■■■■
新緑の風薫る五月になりました。
木々の生命力を身に受けつつ人間はとかく「五月病」とかになりやすい。
酔うてしまうには美しい五月の夜・・・・・・・・・・有馬籌子
目つむりいても吾を統ぶ五月の鷹・・・・・・・・・寺山修司
少年に五月ぞ青し悲しめり・・・・・・・・・・・・・・ 高柳重信
うつむけば人妻も夏めけるもの・・・・・・・・・・長谷川春草
植田の水たつぷり畦にあやめ咲く・・・・・・・・・・・高島茂
トップ画像の中の与謝野晶子の歌の説明です。
余りにも有名な歌なので蛇足かと思いますが。。。。
ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)
ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いて下さい。頂いたコメントには必ずお返事しますので、私の「返信」を忘れずにご覧下さい。
このDoblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
私は、このDoblogをWeb上のHPと連動したものとして、日々詩作品や文章を書き溜めています。
私の、このBLOGは文芸に──特に「詩歌句」に特化したものとして編集しています。
体裁としては、今はもう終了したが朝日新聞の大岡信「折々のうた」、読売新聞の長谷川櫂「四季」、毎日新聞の坪内稔典「季節のたより」などを参照して分量としては、かなり長目の記事を書いています。
自作も多目に採り上げています。
ぜひ多くの方のご訪問と閲覧をお願いします。
2008年4月30日に私のBLOGへのアクセス数が遂に630000件を超えた。62万件を超えたのが
2008年4月7日であるから何とも早い達成であり感慨ふかいものがある。
私の場合、検索サイトからの人などDoblog以外からのアクセスが多いらしい。
アクセスして下さった人たちに心から感謝します。これからもよろしく。
■─My Works─■
私のWebのHP「木村草弥の詩と旅のページ─《風景のコスモロジー》─」にアクセスして頂くと、目次が20個弱並んでいます。詩、四冊の歌集の自選歌などの短歌と批評文、連句、旅日記、エッセイなど、自作と他人の作品が収録されており、各「目次」からリンク出来ます。
http://www.google.co.jp/あるいはhttp://www.yahoo.co.jp/で「木村草弥」と検索して頂くと、数百件の検索結果が出ます。重複も多いのですが、詳しく全部検索して頂くと、他には載らないエッセイなども読めます。
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私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、
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■他称「若」年寄の日々侘び寂びのblogが京都に関する記事が満載で面白い。
もっとも、競馬の記事などもあるので、karesansui氏の「侘び寂びに関する記事」目次を呼び出してお読み下さい。
■前田雀郎ネット(yahantei)氏運営の『晴生のブログ』が面白い。俳句、川柳、連句などに関する豊富な話題の記事が満載だ。ぜひアクセスしてみて下さい。
■ 「角川書店」話題の新刊書
■ 「新潮社」今月の新刊
■ 講談社BOOK倶楽部
■ 「集英社文庫」新刊
■ 「岩波書店」
■ 「青土社・ユリイカ」
■Titleback&others──Designed by Naomi&千秋
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2008/05/24のBlog
[ 09:37 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
みほとけの千手犇く五月(さつき)闇・・・・・・・・・・・・能村登四郎
今日5月24日は能村登四郎の忌日である。
それに因んで記事を載せる。
昼なお暗い五月雨(さみだれ)どき。大寺の御堂の中にたたずんでいると、不意に眼前に立つ千手観音の手がひしめくような気配を感じたのである。この観音は多分大きな仏像であろう。五月闇と言われるほど陰鬱な梅雨時の薄暗がりの中で、長い歳月を経た仏像に秘められている魔性が、ふとざわめいたような思いのする肌寒さ。「千手犇く」がつぎの「五月闇」と重なって、仏像のある意味では不思議に官能的な側面を引き出している。
千手観音像は普通40本の手で表わされる。掌中にはそれぞれ一眼を備え、一本の手毎に二十五有(う)を救うとされているところから、25×40=1000で「千手」と言われる。
昭和59年刊『天上華』に載る。
能村登四郎は明治44年東京生まれ。国学院大学卒。水原秋桜子に師事。「沖」主宰。
第8句集『天上華』で1984年「蛇笏賞」受賞。第11句集『長嘯』で1993年第8回「詩歌文学館賞」受賞。
平成13年没。
すこし能村の句を引く。
------------------------------------------
くちびるを出て朝寒のこゑとなる
ぬばたまの黒飴さはに良寛忌
寡作なる人の二月の畑仕事
妻のほかの黒髪知らず夜の梅
白鳥の翅もぐごとくキャベツもぐ
梅漬けてあかき妻の手夜は愛す
白川村夕霧すでに湖底めく
優曇華や寂と組まれし父祖の梁
秋蚊帳に寝返りて血を傾かす
花冷えや老いても着たき紺絣
夢の世と思ひてゐしが辛夷咲く
男梅雨かな三日目は蘆伏して
朴散りしのち妻が咲く天上華
墓洗ふみとりの頃のしぐさにて
秋蒔きの種子とてかくもこまかなる
ほうたるの火と離れたき夜もあらむ
今思へば遠火事のごとくなり
ゆつくりと来て老鶴の凍て支度
----------------------------------
あたらしき声出すための酢牡蠣かな
おぼろ夜の霊のごとくに薄着して
きのふてふ遥かな昔種子を蒔く
すぐ帰る若き賀客を惜しみけり
たわいなき春夢なれども汗すこし
てのひらの艶をたのめる初湯かな
ひだり腕すこし長くて昼寝せり
べつたりと掌につく春の樹液かな
むばたまの黒飴さはに良寛忌
ゆつくりと光が通る牡丹の芽
よき教師たりや星透く鰯雲
ガニ股に歩いて今日は父の日か
一雁の列をそれたる羽音かな
一撃の皺が皺よぶ夏氷
一度だけの妻の世終る露の中
羽蟻ふり峽のラジオは悲歌に似て
煙管たたきて水洟漁夫の不漁(しけ)ばなし
遠い木が見えてくる夕十二月
夏つばめ同齡者みな一家なす
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ
火取虫男の夢は瞑るまで
花冷えや老いても着たき紺絣
潟人の大長靴が枯るゝ戸に
葛の花遠つ江(あふみ)へ怨み文
気に入りの春服を出す心当て
去年よりも自愛濃くなる懐手
教師に一夜東をどりの椅子紅し
教師やめしその後知らず芙蓉の實
隙間入る雪四十なる平教師
月明に我立つ他は箒草
己が糞踏み馬たちに冬長からむ
吾子すがる手力つよし露無量
今思へば皆遠火事のごとくなり
今日の授業誤ちありし青葉木萸
紺の厚司で魚賣る水産高校生
妻死後を覚えし足袋のしまひ場所
削るほど紅さす板や十二月
鮭の切身の鮮紅に足止むる旅
子とみれば雪ゆたかなり童話劇
子にみやげなき秋の夜の肩車
子等に試驗なき菊月のわれ愉し
紙魚ならば棲みてもみたき一書あり
秋づきし母の嶺負ひし檜挽き
秋燕をくらきが吸ふ遠山家
秋風に突き当りけり首だせば
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
初あかりそのまま命あかりかな
身にしみて一つぐらいは傷もよし
甚平を着て今にして見ゆるもの
みほとけの千手犇く五月(さつき)闇・・・・・・・・・・・・能村登四郎
今日5月24日は能村登四郎の忌日である。
それに因んで記事を載せる。
昼なお暗い五月雨(さみだれ)どき。大寺の御堂の中にたたずんでいると、不意に眼前に立つ千手観音の手がひしめくような気配を感じたのである。この観音は多分大きな仏像であろう。五月闇と言われるほど陰鬱な梅雨時の薄暗がりの中で、長い歳月を経た仏像に秘められている魔性が、ふとざわめいたような思いのする肌寒さ。「千手犇く」がつぎの「五月闇」と重なって、仏像のある意味では不思議に官能的な側面を引き出している。
千手観音像は普通40本の手で表わされる。掌中にはそれぞれ一眼を備え、一本の手毎に二十五有(う)を救うとされているところから、25×40=1000で「千手」と言われる。
昭和59年刊『天上華』に載る。
能村登四郎は明治44年東京生まれ。国学院大学卒。水原秋桜子に師事。「沖」主宰。
第8句集『天上華』で1984年「蛇笏賞」受賞。第11句集『長嘯』で1993年第8回「詩歌文学館賞」受賞。
平成13年没。
すこし能村の句を引く。
------------------------------------------
くちびるを出て朝寒のこゑとなる
ぬばたまの黒飴さはに良寛忌
寡作なる人の二月の畑仕事
妻のほかの黒髪知らず夜の梅
白鳥の翅もぐごとくキャベツもぐ
梅漬けてあかき妻の手夜は愛す
白川村夕霧すでに湖底めく
優曇華や寂と組まれし父祖の梁
秋蚊帳に寝返りて血を傾かす
花冷えや老いても着たき紺絣
夢の世と思ひてゐしが辛夷咲く
男梅雨かな三日目は蘆伏して
朴散りしのち妻が咲く天上華
墓洗ふみとりの頃のしぐさにて
秋蒔きの種子とてかくもこまかなる
ほうたるの火と離れたき夜もあらむ
今思へば遠火事のごとくなり
ゆつくりと来て老鶴の凍て支度
----------------------------------
あたらしき声出すための酢牡蠣かな
おぼろ夜の霊のごとくに薄着して
きのふてふ遥かな昔種子を蒔く
すぐ帰る若き賀客を惜しみけり
たわいなき春夢なれども汗すこし
てのひらの艶をたのめる初湯かな
ひだり腕すこし長くて昼寝せり
べつたりと掌につく春の樹液かな
むばたまの黒飴さはに良寛忌
ゆつくりと光が通る牡丹の芽
よき教師たりや星透く鰯雲
ガニ股に歩いて今日は父の日か
一雁の列をそれたる羽音かな
一撃の皺が皺よぶ夏氷
一度だけの妻の世終る露の中
羽蟻ふり峽のラジオは悲歌に似て
煙管たたきて水洟漁夫の不漁(しけ)ばなし
遠い木が見えてくる夕十二月
夏つばめ同齡者みな一家なす
火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ
火取虫男の夢は瞑るまで
花冷えや老いても着たき紺絣
潟人の大長靴が枯るゝ戸に
葛の花遠つ江(あふみ)へ怨み文
気に入りの春服を出す心当て
去年よりも自愛濃くなる懐手
教師に一夜東をどりの椅子紅し
教師やめしその後知らず芙蓉の實
隙間入る雪四十なる平教師
月明に我立つ他は箒草
己が糞踏み馬たちに冬長からむ
吾子すがる手力つよし露無量
今思へば皆遠火事のごとくなり
今日の授業誤ちありし青葉木萸
紺の厚司で魚賣る水産高校生
妻死後を覚えし足袋のしまひ場所
削るほど紅さす板や十二月
鮭の切身の鮮紅に足止むる旅
子とみれば雪ゆたかなり童話劇
子にみやげなき秋の夜の肩車
子等に試驗なき菊月のわれ愉し
紙魚ならば棲みてもみたき一書あり
秋づきし母の嶺負ひし檜挽き
秋燕をくらきが吸ふ遠山家
秋風に突き当りけり首だせば
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る
初あかりそのまま命あかりかな
身にしみて一つぐらいは傷もよし
甚平を着て今にして見ゆるもの
2008/05/23のBlog
[ 09:25 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
ががんぽを栞となせる農日記
閉ざして妻は菜園に出づ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
ガガンボというのは蚊とんぼという場合もあるが、蚊の姥(うば)からなまったもので、「かがんぼ」が正しいとも言われている。蚊を大きくしたような虫で、細くて長い足を持ち、その足もすぐにもげる。人には害は与えない。
この歌に詠っているのは、まだ妻が元気で菜園に出ていた頃の作品で、農日記と称する手帳をつけていて、たまたま、そのページにガガンボが止まったまま閉じたので、栞のようにガガンボが挟まれている、という情景である。
妻は都会育ちの人で農作業に関しては全くの素人であるが、農村育ちの私の母などから教えられて、農作業を覚えていった。素人だから、何ごともメモしておく習慣がつき、ひところは狭いながら菜園を作っていた。
同じ歌集に
母よりも姑(はは)と暮らすが長しと言ひ妻は庭べの山椒をもぐ
という歌が載っている。このようにして農作業に従事してゆくうちに、ものを「育てる」「収穫する」という喜びを体験して、だんだん農作業が面白くなってきて、ナスやキュウリ、トマトなどを育ててきたのである。いっぱし農作業に精通しているかのように、私に手伝いの指示を出したりするようになった。農作業についての妻を詠ったものは、まだたくさんあるので、またの機会に書きたい。
それらのことも妻が死んだ今となっては、懐かしい思い出である。
花や植物の名前などは、私は妻に教えられたものが多いのである。
ガガンボを詠んだ句を引いて終わる。
ががんぼの脚の一つが悲しけれ・・・・・・・・高浜虚子
ががんぼのかなしかなしと夜の障子・・・・・・・・本田あふひ
蚊とんぼの必死に交む一夜きり・・・・・・・・山口誓子
ががんぼのタップダンスの足折れて・・・・・・・・京極杞陽
ががんぼに熱の手をのべ埒もなし・・・・・・・・石橋秀野
ががんぼの悲しき踊り始まりぬ・・・・・・・・伊藤いうし
ががんぽを栞となせる農日記
閉ざして妻は菜園に出づ・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
ガガンボというのは蚊とんぼという場合もあるが、蚊の姥(うば)からなまったもので、「かがんぼ」が正しいとも言われている。蚊を大きくしたような虫で、細くて長い足を持ち、その足もすぐにもげる。人には害は与えない。
この歌に詠っているのは、まだ妻が元気で菜園に出ていた頃の作品で、農日記と称する手帳をつけていて、たまたま、そのページにガガンボが止まったまま閉じたので、栞のようにガガンボが挟まれている、という情景である。
妻は都会育ちの人で農作業に関しては全くの素人であるが、農村育ちの私の母などから教えられて、農作業を覚えていった。素人だから、何ごともメモしておく習慣がつき、ひところは狭いながら菜園を作っていた。
同じ歌集に
母よりも姑(はは)と暮らすが長しと言ひ妻は庭べの山椒をもぐ
という歌が載っている。このようにして農作業に従事してゆくうちに、ものを「育てる」「収穫する」という喜びを体験して、だんだん農作業が面白くなってきて、ナスやキュウリ、トマトなどを育ててきたのである。いっぱし農作業に精通しているかのように、私に手伝いの指示を出したりするようになった。農作業についての妻を詠ったものは、まだたくさんあるので、またの機会に書きたい。
それらのことも妻が死んだ今となっては、懐かしい思い出である。
花や植物の名前などは、私は妻に教えられたものが多いのである。
ガガンボを詠んだ句を引いて終わる。
ががんぼの脚の一つが悲しけれ・・・・・・・・高浜虚子
ががんぼのかなしかなしと夜の障子・・・・・・・・本田あふひ
蚊とんぼの必死に交む一夜きり・・・・・・・・山口誓子
ががんぼのタップダンスの足折れて・・・・・・・・京極杞陽
ががんぼに熱の手をのべ埒もなし・・・・・・・・石橋秀野
ががんぼの悲しき踊り始まりぬ・・・・・・・・伊藤いうし
2008/05/22のBlog
[ 09:11 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
をとこにて栗の花咲く樹下にゐる
鬱情の香の満つる真昼を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「栗の花」というと少し説明が必要だろう。
栗の花は、ちょうど男性のスペルマの臭いと同じ香りを発する。だから栗の花というと、文学的には「精液」あるいは「性」の暗喩として使われることが多い。
栗の花が咲くのは梅雨前のむせかえるような時期で、男性のスペルマのような特有の青臭い臭いを甘たるくしたような臭いは、嗅いだ人でないと理解できないかも知れない。
だから、私の歌も、そういう「喩」を前提にした歌作りになっている。この歌の収録される項目の名が「フェロモン」というのから察してもらいたい。
をとこにて栗の花咲く樹下にゐる
鬱情の香の満つる真昼を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「栗の花」というと少し説明が必要だろう。
栗の花は、ちょうど男性のスペルマの臭いと同じ香りを発する。だから栗の花というと、文学的には「精液」あるいは「性」の暗喩として使われることが多い。
栗の花が咲くのは梅雨前のむせかえるような時期で、男性のスペルマのような特有の青臭い臭いを甘たるくしたような臭いは、嗅いだ人でないと理解できないかも知れない。
だから、私の歌も、そういう「喩」を前提にした歌作りになっている。この歌の収録される項目の名が「フェロモン」というのから察してもらいたい。
写真②は図鑑から拝借したものだが、雄花と雌花を一緒に見ることが出来る。字で説明してあるのでわかり易い。雌花の棘のようなものが、のちに栗のイガになる。
栗咲くと森のいきものなまめける・・・・・・・・能村登四郎
栗咲くと面のすさぶ翁かな・・・・・・・・飯島晴子
栗咲く香血を喀く前もその後も・・・・・・・石田波郷
栗の花ふり乱すなり多佳子の忌・・・・・・・・平畑静塔
栗の花ねつとりと粥噴きこぼれ・・・・・・・・橋間石
まどろめばあの世の栗の花匂ふ・・・・・・・・滝春一
ここに引用した六つの句などは、先に書いた「栗の花」の意味する「喩」のイメージで作られていることは、間違いない。
このような「イメージ」「喩」については西欧文学でも同じことであって、向うでは、もっと徹底していて、それらを「イメージ小辞典」として一冊の本にまとめられていたりする。
以下、栗の花を詠んだ句を引いて終わる。
栗の花脚の長さは尚ほ仔馬・・・・・・・・中村草田男
栗咲けりピストル型の犬の陰(ほと)・・・・・・・・西東三鬼
ゴルゴダの曇りの如し栗の花・・・・・・・・平畑静塔
赤ん坊に少年の相栗の花・・・・・・・・沢木欣一
花栗のちからかぎりに夜もにほふ・・・・・・・・飯田龍太
栗の花匂ふとき死はみにくいもの・・・・・・・・桂信子
栗咲く香この青空に隙間欲し・・・・・・・・鷲谷七菜子
中年や栗の花咲く下を過ぐ・・・・・・・・神蔵器
栗の花より栗の実がうまれけり・・・・・・・・平井照敏
父いまもゴッホを愛し栗の花・・・・・・・・皆吉司
老人に花栗の香の厚みかな・・・・・・・・橋本郁子
栗咲くと森のいきものなまめける・・・・・・・・能村登四郎
栗咲くと面のすさぶ翁かな・・・・・・・・飯島晴子
栗咲く香血を喀く前もその後も・・・・・・・石田波郷
栗の花ふり乱すなり多佳子の忌・・・・・・・・平畑静塔
栗の花ねつとりと粥噴きこぼれ・・・・・・・・橋間石
まどろめばあの世の栗の花匂ふ・・・・・・・・滝春一
ここに引用した六つの句などは、先に書いた「栗の花」の意味する「喩」のイメージで作られていることは、間違いない。
このような「イメージ」「喩」については西欧文学でも同じことであって、向うでは、もっと徹底していて、それらを「イメージ小辞典」として一冊の本にまとめられていたりする。
以下、栗の花を詠んだ句を引いて終わる。
栗の花脚の長さは尚ほ仔馬・・・・・・・・中村草田男
栗咲けりピストル型の犬の陰(ほと)・・・・・・・・西東三鬼
ゴルゴダの曇りの如し栗の花・・・・・・・・平畑静塔
赤ん坊に少年の相栗の花・・・・・・・・沢木欣一
花栗のちからかぎりに夜もにほふ・・・・・・・・飯田龍太
栗の花匂ふとき死はみにくいもの・・・・・・・・桂信子
栗咲く香この青空に隙間欲し・・・・・・・・鷲谷七菜子
中年や栗の花咲く下を過ぐ・・・・・・・・神蔵器
栗の花より栗の実がうまれけり・・・・・・・・平井照敏
父いまもゴッホを愛し栗の花・・・・・・・・皆吉司
老人に花栗の香の厚みかな・・・・・・・・橋本郁子
2008/05/21のBlog
[ 08:47 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
筒鳥の遠音きこゆる木の下に
九十の母はのど飴舐むる・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
筒鳥は郭公やほととぎすと同じ仲間で姿、形が似ている。これらの鳥は鳴声は田舎なら、よく聞くことがあるが、姿を見ることはめったにない。
この種類の鳥は子育ての際に、独特の「托卵」という習性があることが共通している。
私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも
み熊野の出で湯に宿るあかときにぽぽろぽぽろと筒鳥の声
という歌を載せている。
掲出の歌のことだが、私の母は93歳で亡くなったが、この歌は90歳の頃のことを詠んでいる。母には曾孫も出来ていたから文字通り悠々自適の晩年だった。初夏のむせかえるような陽気の日には大きな木の蔭でのんびりと過ごしていた。
「のど飴」を舐める母、というところに私の歌作りの工夫を込めたつもりである。
以下、歳時記に載る句を少し引いて終わりたい。
つつ鳥や木曽の裏山木曽に似て・・・・・・・・加舎白雄
筒鳥を幽かにすなる木のふかさ・・・・・・・水原秋桜子
筒鳥なく泣かんばかりの裾野の火・・・・・・・・加藤楸邨
筒鳥や楢の下草片敷けば・・・・・・・・石田波郷
筒鳥鳴けり腕を撫でつつ歩むとき・・・・・・・・大野林火
旅にして聴く筒鳥も辰雄の忌・・・・・・・安住敦
筒鳥やひとの名彫られ一樹立つ・・・・・・・・中島斌雄
筒鳥や涙あふれて失語症・・・・・・・・相馬遷子
筒鳥や分れて道は火山灰ふかく・・・・・・・・皆吉爽雨
筒鳥や思はぬ尾根に牛群れて・・・・・・・・堀口星眠
筒鳥の遠音近づくことのなし・・・・・・・・森田峠
筒鳥や山に居て身を山に向け・・・・・・・・村越化石
今度こそ筒鳥を聞きとめし貌・・・・・・・・飯島晴子
筒鳥の風の遠音となりにけり・・・・・・・・三村純也
筒鳥やこんにやく村はすぐ陰る・・・・・・・・茂木連葉子
筒鳥や豆が双葉となりし朝・・・・・・・・矢上万理江
筒鳥の遠音きこゆる木の下に
九十の母はのど飴舐むる・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
筒鳥は郭公やほととぎすと同じ仲間で姿、形が似ている。これらの鳥は鳴声は田舎なら、よく聞くことがあるが、姿を見ることはめったにない。
この種類の鳥は子育ての際に、独特の「托卵」という習性があることが共通している。
私の第二歌集『嘉木』(角川書店)にも
み熊野の出で湯に宿るあかときにぽぽろぽぽろと筒鳥の声
という歌を載せている。
掲出の歌のことだが、私の母は93歳で亡くなったが、この歌は90歳の頃のことを詠んでいる。母には曾孫も出来ていたから文字通り悠々自適の晩年だった。初夏のむせかえるような陽気の日には大きな木の蔭でのんびりと過ごしていた。
「のど飴」を舐める母、というところに私の歌作りの工夫を込めたつもりである。
以下、歳時記に載る句を少し引いて終わりたい。
つつ鳥や木曽の裏山木曽に似て・・・・・・・・加舎白雄
筒鳥を幽かにすなる木のふかさ・・・・・・・水原秋桜子
筒鳥なく泣かんばかりの裾野の火・・・・・・・・加藤楸邨
筒鳥や楢の下草片敷けば・・・・・・・・石田波郷
筒鳥鳴けり腕を撫でつつ歩むとき・・・・・・・・大野林火
旅にして聴く筒鳥も辰雄の忌・・・・・・・安住敦
筒鳥やひとの名彫られ一樹立つ・・・・・・・・中島斌雄
筒鳥や涙あふれて失語症・・・・・・・・相馬遷子
筒鳥や分れて道は火山灰ふかく・・・・・・・・皆吉爽雨
筒鳥や思はぬ尾根に牛群れて・・・・・・・・堀口星眠
筒鳥の遠音近づくことのなし・・・・・・・・森田峠
筒鳥や山に居て身を山に向け・・・・・・・・村越化石
今度こそ筒鳥を聞きとめし貌・・・・・・・・飯島晴子
筒鳥の風の遠音となりにけり・・・・・・・・三村純也
筒鳥やこんにやく村はすぐ陰る・・・・・・・・茂木連葉子
筒鳥や豆が双葉となりし朝・・・・・・・・矢上万理江
2008/05/20のBlog
[ 08:23 ]
[ <非>季節の詩歌句鑑賞 ]
──<非>季節の一句鑑賞──
島が月の鯨となつて青い夜の水平・・・・・・・・・・・・・・荻原井泉水
今日5月20日は、荻原井泉水の忌日である。それに因んで記事を書く。
自由律俳句の先駆者である荻原井泉水の、この句に初めて触れたのは、私の少年時代であり、亡長兄の蔵書で彼の句集を見たときである。
彼の経歴を、先ずお見せする。Wikipediaに載るものである。
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい)1884年6月16日(明治17年) ~ 1976年5月20日(昭和51年))
日本の俳人。本名・幾太郎のち藤吉。
経歴
東京府芝神明町(現・東京都港区浜松町)で雑貨商・新田屋を営む荻原藤吉の3番目の子として生まれる。
長男・長女を幼くして失ったため、延命地蔵で占ったところ「今度生まれる子は男の子であるから、幾太郎と名づけよ。必ず長命する。」というお告げがあり幾太郎と名づけられる。荻原家は家督を継ぐものは代々藤吉を名乗ることとなっており井泉水もこれを継いだが、幾太郎の名を好んだようだ。
麻布中学の頃より俳句を作り始める。正則中学、第一高等学校(一高)を経て、明治41年(1908年)東京帝国大学文学部言語学科卒業。明治44年(1911年)新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、桂子と結婚。大正3年(1912年)、自由律俳句として層雲より創刊した初の句集『自然の扉』を刊行。大正4年(1913年)季語無用を主張し、自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した井泉水と意見を異にした碧梧桐が層雲を去る。この頃、一高時代の同窓であり1歳年下の尾崎放哉や、種田山頭火が層雲に加わる。しかし彼らが実際に面会したことはなかった。
大正12年(1923年)妻・桂子死去。また同年、母も死去し、京都に転居。昭和4年(1929年)寿子と再婚。翌昭和5年(1930年)、長男海一誕生。昭和40年(1965年)日本芸術院会員となる。昭和51年5月20日死去。享年91と、門弟の放哉や山頭火と違い、延命地蔵のお告げ通り、天寿を全うした。
なお、俳号は当初、荻原幾太郎のイニシャルから愛桜(あいおう)としていたが、生年の納音(なっちん)から井泉水と改めた。因みに、山頭火も井泉水に倣い俳号を納音から付けたが、これは本人の生まれ年からでなく単に音の響きが良いので決めたようだ。
代表著作
句集
『湧出もの』(1920年)
『流転しつつ』(1924年)
『無所在』(1935年)
『金砂子』(1946年)
『原泉』(1960年)
『長流』(1964年)
評論
『山頭火を語る』
『放哉という男』
『一茶随想』
など
-----------------------------------------
先にも書いた通り私が彼の句に触れたのは少年の頃であり、彼の句集も次兄の蔵書になってしまったから、いま私の手元にはないので、掲出句のほかには引用出来ない。ネット上に載る記事を以下に引いておくが、これらの句が彼の代表作であるとは、私には思えないが仕方がない。
------------------------------------------
荻原井泉水の俳句
秀句とその鑑賞
佛を信ず麦の穂の青きしんじつ
「佛を信ず」に思い至らす麦の穂の青さ。季感の把握が的確。一粒
の麦から育ち、青い穂に幾多の実を結ぶ。麦の穂の、先ずは形とな
っと青さに佛の一途さを見たのであろうか。麦の穂の青さが訴える
強い印象に佛性が象徴される。 (高橋正子)
力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝
空を歩む朗々と月ひとり
石のしたしさよしぐれけり
南無観世音杉間より散るは櫻よ
萩原井泉水、日田を詠む
行く水日永し遠山水いろに暮れていく
水音水棹の石にふれる音の暗く涼しく
灯して灯のうつる水を水上へとる
更けて月はと思う涼しすぎるへさきをめぐらす
今は流れに放ちたる舟の舟灯との棹
山は日を入れて水のひろびろとあるヤナ番
手からはねてヤナにはねる鮎を手にする
闇を一つの灯が鵜のはしに鮎がいる
------------------------------------------
井泉水講演から
フォーラムへのコメント
「写生」という言葉が出てきましたので、小豆島で発見された井泉水講演の記録から取り上げてみます。これは昭和初期のころ、井泉水が小豆島で行った講演を伊東俊二が筆記したもので、提供は井上泰好さんです。長文ですから、2、3回に分けてアップします。
「子規は写生主義の主張には非常に真剣で、命を打ちこんで句作に没入したので
ありましたが、晩年になって病床六尺に捕らわれてしまい、自然に接する機会が
無くなったが為に、その句も遺憾ながら新鮮味を欠くようになってしまいました。
その時、周囲の人が子規に頼ってばかりいないで、写生ということを一層深く
掘り下げて研究して、もっと気張ればよかったのですが、そのことをしなかった
が為に写生主義が一つの新しい袋小路に迷い込んでしまいました。
(ここで4句実例を上げてありますが、1例だけ取り上げます)
職業のわからぬ家や枇杷の花
こういう句になると、句を作る人と否とでその味わい方も異なってきますが、
この句の勘所は、あまり美しくないボヤッとした感じの枇杷の花と、職業のわか
らない家というものを、くっつけたものなのです。こんな句は写生して出来たの
ではなくて机の上で作ったということが直ぐに判ります。枇杷の花と職業の判ら
ぬ家を取り合わせたところに手品のたねがあるのです。病床にばかりいた子規の
晩年は実際に見て作ったと見せかけるようにだんだんなりました。
そういう風になると、味わう上にも写生そのままの句は面白味が無く、こしら
えた句が面白い、物心一如という気持からではなくて、句として面白いのがいい
ということになってきました。
前にも言ったように、俳句は俳句であればいいのではありません。精神がなけ
ればいけないのです。ところが子規の晩年は真精神から一歩退いたものでありま
す。
今日のホトトギスの人達の句の作り方は子規の跡を継いだもので、写生主義を
根本として題による作り方しています。子規が亡くなってから三十年も経
った今も子規の晩年の頃(明治三十五年頃)もちっとも相違がありません。何故
そうであるのか、それは、俳句を題で作ることを、子規が勧めたことが原因であ
るのです。
昔も全然題詠をしなかったのでもありませんが、元禄時代には、今日のような
題ではなく、「山によせて」とかいう風な和歌で出すような題で作ったものでし
た。子規が連句は文学でないといって止めてしまってから、大勢集まった俳句の
会のときに題を出すようになったのです。」
承前、これは井泉水が小豆島で行った講演を伊東俊二が筆記したものです。仮名遣いは現代風にしました。
「その頃俳句会を運座と言いました。旧派の方でもよくやりますが、運座という
のはたとえば、十人ばかりの人が寄ったとしますと封筒を十枚用意して各人に一
枚ずつ渡し、各人が好きな題を、牡丹なら牡丹、或いは時鳥とか若葉とか書いて
次へ回す。次の人は麦なら麦と書く、こうして隣から隣へと回します。
その中には滋養食だとか鍋祭りだとか、ちょっと解らないような題を出して人
を困らせるというような悪戯をする者もあったりします。
鍋祭りというのは近江の国の津久摩神社の祭礼のことなのですが、そのお祭り
には、里の女が婚家の数によって鍋の数を増して頭にいただいて神幸に従う、奇
習があります。それが珍しい風俗なので俳句の題になっているのですが、一茶な
ども、「今一度婆もかぶらんつくま鍋」と・・・こんな句を作ったりしています。
運座ではどんな題が回って来てもそれには必ず一句を詠まねばならない掟にな
っていますので、隣から回ってきた題が難しいと困るわけです。
それで懐に忍ばせている季寄せや歳時記などをそっと取り出して、俄か勉強を
して十七字にまとめて出すようなことをします。
私もその頃、運座の句会に好んで出歩いた頃は、歳時記を片っ端から読んで、
題に出るものの意味や趣味を研究したものです。
子規に夏木立十句とかいうものがありますが、一題十句といって一つの題でた
くさんの句を作る、そういう風な作り方もしたものです。
こうなると、自然面白そうにこしらえて行くようにならざるを得ないことにな
り、写生主義の真実の建前を通すことが難しくなりました。写生俳句が行詰まっ
たのはこの為であります。」(つづく)
承前、
「それから、句の形が、五七五を離れたら俳句でないということを鉄則として
いた為に行詰まらざるを得ないわけなのです。
難しく言いますと、数学のパーミテーション(錯列法)によって数えてみても、
僅か十七字に過ぎない俳句の数は決まった数でしかないのです。例えば、時鳥の
題ならば、ホトトギスで五字とられますからあとは十二字です。十二字でホトト
ギスらしい事を詠もうとしたところで、人の想像にも、物にも限りがあるのです
が、そうそう良い句が限りなく出来る筈はないのです。
俳句が十七字の物とすると俳句の全数はパーミテーションの式による四十八字
の十七乗という限られた一定の数になります。その中には、いろはの並んでいる
ものもありましょうし、勿論、俳句として価値のないものも込めての数でありま
す。
俳句が一升のものとすると、元禄時代に三合、天明時代に三合、明治時代に三
合出てしまって、あと一合だけしか残っていないのだ・・・・と、ある人が言いまし
たが、ちょうど小豆島の水不足のようなもので・・・俳句の行詰まりは数学的の運
命なのです。」
このあと、子規晩年の作品から新鮮味を失った経過、さらに新傾向俳句運動、野村朱鱗洞の紹介と続きますが、いちおうここまでとします。
------------------------------------------
「短歌」の世界でも同じだが、俳句の世界でも「自由律」というと、定型を墨守する連中からは毛嫌いされている。戦争中は自由律は弾圧されたので、彼もすっかり逼塞してしまったようである。
先にも書いたように私は「詩」を書いていたので、そんな定型云々ということは何ら気にならなかった。当時は、この句以外にもいくつか覚えていたのだが、今では、この句以外は忘れてしまった。平井照敏編「現代の俳句」(1993年講談社学術文庫刊)にも彼は含まれていない。種田山頭火や尾崎放哉は収録されているのに残念である。彼の句集などが手に入れば後日に書きたい。
なお、彼のペンネーム「井泉水」が納音から付けられた、とあるが「納音」とは少し詳しい「暦」なら載っているので参照されたい。
念のために下記にネット上に載る資料を転載しておく。
-------------------------------------------
納音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
納音(なっちん)とは、六十干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用して、木・火・土・金・水の五行に分類し、さらに形容詞を付けて30に分類したもの。生れ年の納音によってその人の運命を判断する。
荻原井泉水、種田山頭火などはこの納音から俳号をつけた。
海中金 かいちゅうきん 甲子・乙丑
爐中火 ろちゅうか 丙寅・丁卯
大林木 たいりんぼく 戊辰・己巳
路傍土 ろぼうど 庚午・辛未
釼鋒金 じんぼうきん 壬申・癸酉
山頭火 さんとうか 甲戌・乙亥
澗下水 かんかすい 丙子・丁丑
城頭土 じょうとうど 戊寅・己卯
白鑞金 はくろうきん 庚辰・辛巳
楊柳木 ようりゅうぼく 壬午・癸未
井泉水 せいせんすい 甲申・乙酉
屋上土 おくじょうど 丙戌・丁亥
霹靂火 へきれきか 戊子・己丑
松柏木 しょうはくぼく 庚寅・辛卯
長流水 ちょうりゅうすい 壬辰・癸巳
沙中金 さちゅうきん 甲午・乙未
山下火 さんげか 丙申・丁酉
平地木 へいちぼく 戊戌・己亥
壁上土 へきじょうど 庚子・辛丑
金箔金 きんぱくきん 壬寅・癸卯
覆燈火 ふくとうか 甲辰・乙巳
天河水 てんがすい 丙午・丁未
大駅土 たいえきど 戊申・己酉
釵釧金 さいせんきん 庚戌・辛亥
桑柘木 そうしゃくもく 壬子・癸丑
大溪水 だいけいすい 甲寅・乙卯
沙中土 さちゅうど 丙辰・丁巳
天上火 てんじょうか 戊午・己未
柘榴木 ざくろぼく 庚申・辛酉
大海水 たいかいすい 壬戌・癸亥
-------------------------------------------
因みに、私の干支から言うと、私の納音は「路傍土」となるらしい。私は「草」や「土」が好きなので、この路傍土という納音は気に入っている。正確には生年からの「年納音」と、生まれ日からの「日納音」というのがあり、「納音配当」というのに当てはめると
あなたの結果
生まれ年の干支 庚午
生まれ年の九星 七赤金星
生まれ年の納音 路傍土
生まれ日の納音 霹靂火
という結果が出てきて、私の生まれ日の納音は「霹靂火」というらしい。
私は一時、同人雑誌に所属していたときの雑誌の名前が「霹靂」(かむとき)だったので、この不思議な一致にも驚いている。
島が月の鯨となつて青い夜の水平・・・・・・・・・・・・・・荻原井泉水
今日5月20日は、荻原井泉水の忌日である。それに因んで記事を書く。
自由律俳句の先駆者である荻原井泉水の、この句に初めて触れたのは、私の少年時代であり、亡長兄の蔵書で彼の句集を見たときである。
彼の経歴を、先ずお見せする。Wikipediaに載るものである。
荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい)1884年6月16日(明治17年) ~ 1976年5月20日(昭和51年))
日本の俳人。本名・幾太郎のち藤吉。
経歴
東京府芝神明町(現・東京都港区浜松町)で雑貨商・新田屋を営む荻原藤吉の3番目の子として生まれる。
長男・長女を幼くして失ったため、延命地蔵で占ったところ「今度生まれる子は男の子であるから、幾太郎と名づけよ。必ず長命する。」というお告げがあり幾太郎と名づけられる。荻原家は家督を継ぐものは代々藤吉を名乗ることとなっており井泉水もこれを継いだが、幾太郎の名を好んだようだ。
麻布中学の頃より俳句を作り始める。正則中学、第一高等学校(一高)を経て、明治41年(1908年)東京帝国大学文学部言語学科卒業。明治44年(1911年)新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。河東碧梧桐もこれに加わる。この年、桂子と結婚。大正3年(1912年)、自由律俳句として層雲より創刊した初の句集『自然の扉』を刊行。大正4年(1913年)季語無用を主張し、自然のリズムを尊重した無季自由律俳句を提唱した井泉水と意見を異にした碧梧桐が層雲を去る。この頃、一高時代の同窓であり1歳年下の尾崎放哉や、種田山頭火が層雲に加わる。しかし彼らが実際に面会したことはなかった。
大正12年(1923年)妻・桂子死去。また同年、母も死去し、京都に転居。昭和4年(1929年)寿子と再婚。翌昭和5年(1930年)、長男海一誕生。昭和40年(1965年)日本芸術院会員となる。昭和51年5月20日死去。享年91と、門弟の放哉や山頭火と違い、延命地蔵のお告げ通り、天寿を全うした。
なお、俳号は当初、荻原幾太郎のイニシャルから愛桜(あいおう)としていたが、生年の納音(なっちん)から井泉水と改めた。因みに、山頭火も井泉水に倣い俳号を納音から付けたが、これは本人の生まれ年からでなく単に音の響きが良いので決めたようだ。
代表著作
句集
『湧出もの』(1920年)
『流転しつつ』(1924年)
『無所在』(1935年)
『金砂子』(1946年)
『原泉』(1960年)
『長流』(1964年)
評論
『山頭火を語る』
『放哉という男』
『一茶随想』
など
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先にも書いた通り私が彼の句に触れたのは少年の頃であり、彼の句集も次兄の蔵書になってしまったから、いま私の手元にはないので、掲出句のほかには引用出来ない。ネット上に載る記事を以下に引いておくが、これらの句が彼の代表作であるとは、私には思えないが仕方がない。
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荻原井泉水の俳句
秀句とその鑑賞
佛を信ず麦の穂の青きしんじつ
「佛を信ず」に思い至らす麦の穂の青さ。季感の把握が的確。一粒
の麦から育ち、青い穂に幾多の実を結ぶ。麦の穂の、先ずは形とな
っと青さに佛の一途さを見たのであろうか。麦の穂の青さが訴える
強い印象に佛性が象徴される。 (高橋正子)
力一ぱいに泣く児と啼く鶏との朝
空を歩む朗々と月ひとり
石のしたしさよしぐれけり
南無観世音杉間より散るは櫻よ
萩原井泉水、日田を詠む
行く水日永し遠山水いろに暮れていく
水音水棹の石にふれる音の暗く涼しく
灯して灯のうつる水を水上へとる
更けて月はと思う涼しすぎるへさきをめぐらす
今は流れに放ちたる舟の舟灯との棹
山は日を入れて水のひろびろとあるヤナ番
手からはねてヤナにはねる鮎を手にする
闇を一つの灯が鵜のはしに鮎がいる
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井泉水講演から
フォーラムへのコメント
「写生」という言葉が出てきましたので、小豆島で発見された井泉水講演の記録から取り上げてみます。これは昭和初期のころ、井泉水が小豆島で行った講演を伊東俊二が筆記したもので、提供は井上泰好さんです。長文ですから、2、3回に分けてアップします。
「子規は写生主義の主張には非常に真剣で、命を打ちこんで句作に没入したので
ありましたが、晩年になって病床六尺に捕らわれてしまい、自然に接する機会が
無くなったが為に、その句も遺憾ながら新鮮味を欠くようになってしまいました。
その時、周囲の人が子規に頼ってばかりいないで、写生ということを一層深く
掘り下げて研究して、もっと気張ればよかったのですが、そのことをしなかった
が為に写生主義が一つの新しい袋小路に迷い込んでしまいました。
(ここで4句実例を上げてありますが、1例だけ取り上げます)
職業のわからぬ家や枇杷の花
こういう句になると、句を作る人と否とでその味わい方も異なってきますが、
この句の勘所は、あまり美しくないボヤッとした感じの枇杷の花と、職業のわか
らない家というものを、くっつけたものなのです。こんな句は写生して出来たの
ではなくて机の上で作ったということが直ぐに判ります。枇杷の花と職業の判ら
ぬ家を取り合わせたところに手品のたねがあるのです。病床にばかりいた子規の
晩年は実際に見て作ったと見せかけるようにだんだんなりました。
そういう風になると、味わう上にも写生そのままの句は面白味が無く、こしら
えた句が面白い、物心一如という気持からではなくて、句として面白いのがいい
ということになってきました。
前にも言ったように、俳句は俳句であればいいのではありません。精神がなけ
ればいけないのです。ところが子規の晩年は真精神から一歩退いたものでありま
す。
今日のホトトギスの人達の句の作り方は子規の跡を継いだもので、写生主義を
根本として題による作り方しています。子規が亡くなってから三十年も経
った今も子規の晩年の頃(明治三十五年頃)もちっとも相違がありません。何故
そうであるのか、それは、俳句を題で作ることを、子規が勧めたことが原因であ
るのです。
昔も全然題詠をしなかったのでもありませんが、元禄時代には、今日のような
題ではなく、「山によせて」とかいう風な和歌で出すような題で作ったものでし
た。子規が連句は文学でないといって止めてしまってから、大勢集まった俳句の
会のときに題を出すようになったのです。」
承前、これは井泉水が小豆島で行った講演を伊東俊二が筆記したものです。仮名遣いは現代風にしました。
「その頃俳句会を運座と言いました。旧派の方でもよくやりますが、運座という
のはたとえば、十人ばかりの人が寄ったとしますと封筒を十枚用意して各人に一
枚ずつ渡し、各人が好きな題を、牡丹なら牡丹、或いは時鳥とか若葉とか書いて
次へ回す。次の人は麦なら麦と書く、こうして隣から隣へと回します。
その中には滋養食だとか鍋祭りだとか、ちょっと解らないような題を出して人
を困らせるというような悪戯をする者もあったりします。
鍋祭りというのは近江の国の津久摩神社の祭礼のことなのですが、そのお祭り
には、里の女が婚家の数によって鍋の数を増して頭にいただいて神幸に従う、奇
習があります。それが珍しい風俗なので俳句の題になっているのですが、一茶な
ども、「今一度婆もかぶらんつくま鍋」と・・・こんな句を作ったりしています。
運座ではどんな題が回って来てもそれには必ず一句を詠まねばならない掟にな
っていますので、隣から回ってきた題が難しいと困るわけです。
それで懐に忍ばせている季寄せや歳時記などをそっと取り出して、俄か勉強を
して十七字にまとめて出すようなことをします。
私もその頃、運座の句会に好んで出歩いた頃は、歳時記を片っ端から読んで、
題に出るものの意味や趣味を研究したものです。
子規に夏木立十句とかいうものがありますが、一題十句といって一つの題でた
くさんの句を作る、そういう風な作り方もしたものです。
こうなると、自然面白そうにこしらえて行くようにならざるを得ないことにな
り、写生主義の真実の建前を通すことが難しくなりました。写生俳句が行詰まっ
たのはこの為であります。」(つづく)
承前、
「それから、句の形が、五七五を離れたら俳句でないということを鉄則として
いた為に行詰まらざるを得ないわけなのです。
難しく言いますと、数学のパーミテーション(錯列法)によって数えてみても、
僅か十七字に過ぎない俳句の数は決まった数でしかないのです。例えば、時鳥の
題ならば、ホトトギスで五字とられますからあとは十二字です。十二字でホトト
ギスらしい事を詠もうとしたところで、人の想像にも、物にも限りがあるのです
が、そうそう良い句が限りなく出来る筈はないのです。
俳句が十七字の物とすると俳句の全数はパーミテーションの式による四十八字
の十七乗という限られた一定の数になります。その中には、いろはの並んでいる
ものもありましょうし、勿論、俳句として価値のないものも込めての数でありま
す。
俳句が一升のものとすると、元禄時代に三合、天明時代に三合、明治時代に三
合出てしまって、あと一合だけしか残っていないのだ・・・・と、ある人が言いまし
たが、ちょうど小豆島の水不足のようなもので・・・俳句の行詰まりは数学的の運
命なのです。」
このあと、子規晩年の作品から新鮮味を失った経過、さらに新傾向俳句運動、野村朱鱗洞の紹介と続きますが、いちおうここまでとします。
------------------------------------------
「短歌」の世界でも同じだが、俳句の世界でも「自由律」というと、定型を墨守する連中からは毛嫌いされている。戦争中は自由律は弾圧されたので、彼もすっかり逼塞してしまったようである。
先にも書いたように私は「詩」を書いていたので、そんな定型云々ということは何ら気にならなかった。当時は、この句以外にもいくつか覚えていたのだが、今では、この句以外は忘れてしまった。平井照敏編「現代の俳句」(1993年講談社学術文庫刊)にも彼は含まれていない。種田山頭火や尾崎放哉は収録されているのに残念である。彼の句集などが手に入れば後日に書きたい。
なお、彼のペンネーム「井泉水」が納音から付けられた、とあるが「納音」とは少し詳しい「暦」なら載っているので参照されたい。
念のために下記にネット上に載る資料を転載しておく。
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納音
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
納音(なっちん)とは、六十干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用して、木・火・土・金・水の五行に分類し、さらに形容詞を付けて30に分類したもの。生れ年の納音によってその人の運命を判断する。
荻原井泉水、種田山頭火などはこの納音から俳号をつけた。
海中金 かいちゅうきん 甲子・乙丑
爐中火 ろちゅうか 丙寅・丁卯
大林木 たいりんぼく 戊辰・己巳
路傍土 ろぼうど 庚午・辛未
釼鋒金 じんぼうきん 壬申・癸酉
山頭火 さんとうか 甲戌・乙亥
澗下水 かんかすい 丙子・丁丑
城頭土 じょうとうど 戊寅・己卯
白鑞金 はくろうきん 庚辰・辛巳
楊柳木 ようりゅうぼく 壬午・癸未
井泉水 せいせんすい 甲申・乙酉
屋上土 おくじょうど 丙戌・丁亥
霹靂火 へきれきか 戊子・己丑
松柏木 しょうはくぼく 庚寅・辛卯
長流水 ちょうりゅうすい 壬辰・癸巳
沙中金 さちゅうきん 甲午・乙未
山下火 さんげか 丙申・丁酉
平地木 へいちぼく 戊戌・己亥
壁上土 へきじょうど 庚子・辛丑
金箔金 きんぱくきん 壬寅・癸卯
覆燈火 ふくとうか 甲辰・乙巳
天河水 てんがすい 丙午・丁未
大駅土 たいえきど 戊申・己酉
釵釧金 さいせんきん 庚戌・辛亥
桑柘木 そうしゃくもく 壬子・癸丑
大溪水 だいけいすい 甲寅・乙卯
沙中土 さちゅうど 丙辰・丁巳
天上火 てんじょうか 戊午・己未
柘榴木 ざくろぼく 庚申・辛酉
大海水 たいかいすい 壬戌・癸亥
-------------------------------------------
因みに、私の干支から言うと、私の納音は「路傍土」となるらしい。私は「草」や「土」が好きなので、この路傍土という納音は気に入っている。正確には生年からの「年納音」と、生まれ日からの「日納音」というのがあり、「納音配当」というのに当てはめると
あなたの結果
生まれ年の干支 庚午
生まれ年の九星 七赤金星
生まれ年の納音 路傍土
生まれ日の納音 霹靂火
という結果が出てきて、私の生まれ日の納音は「霹靂火」というらしい。
私は一時、同人雑誌に所属していたときの雑誌の名前が「霹靂」(かむとき)だったので、この不思議な一致にも驚いている。
2008/05/19のBlog
[ 08:12 ]
[ <非>季節の詩歌句鑑賞 ]
──<非>季節の詩鑑賞──
すぎし時もきたる日も
わすれたる昼の夢なれや
ただ今宵
君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ・・・・・・・・・・・竹久夢二
夢二は、いつも満たされぬ心を抱き、郷愁を抱いてさまよいつづけた「永遠の旅びと」である、と言われている。
茂(も)次郎という泥くさい名前が本名であるが、この名前を嫌い「夢二」というペンネームに替え、名前の通り、常に夢を追いつづけたと言える。
この詩は夢二の夢の通い路を詠んでいるが、しかし「真実」もまた、瞬時ののちには、虚しい夢となってしまうことを、一番よく知っていたのも、夢二自身であったろう。
どの時代においても、恋も人生もすべては夢、そう知りながら、やはり人は、恋をし、人生をひたすら歩いてゆかなければならないようである。
この詩を引用している私の心中にも、妻とともに過ごして来た日々を振り返って、それらの日々が、ああ夢のように過ぎ去ったのか、という深い感慨に満たされるのである。
太閤秀吉は死に際して「夢のまた夢」と呟いたというが、私の心中にも深く共感するものがある、と告白せざるを得ないだろう。
夢二の詩の終連の
君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ
という表白を忘れないように心に刻みたい、と念じて。。。。
すぎし時もきたる日も
わすれたる昼の夢なれや
ただ今宵
君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ・・・・・・・・・・・竹久夢二
夢二は、いつも満たされぬ心を抱き、郷愁を抱いてさまよいつづけた「永遠の旅びと」である、と言われている。
茂(も)次郎という泥くさい名前が本名であるが、この名前を嫌い「夢二」というペンネームに替え、名前の通り、常に夢を追いつづけたと言える。
この詩は夢二の夢の通い路を詠んでいるが、しかし「真実」もまた、瞬時ののちには、虚しい夢となってしまうことを、一番よく知っていたのも、夢二自身であったろう。
どの時代においても、恋も人生もすべては夢、そう知りながら、やはり人は、恋をし、人生をひたすら歩いてゆかなければならないようである。
この詩を引用している私の心中にも、妻とともに過ごして来た日々を振り返って、それらの日々が、ああ夢のように過ぎ去ったのか、という深い感慨に満たされるのである。
太閤秀吉は死に際して「夢のまた夢」と呟いたというが、私の心中にも深く共感するものがある、と告白せざるを得ないだろう。
夢二の詩の終連の
君とともにあるこそ 真実(まこと)なれ
という表白を忘れないように心に刻みたい、と念じて。。。。
2008/05/18のBlog
[ 16:04 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
花菖蒲紫紺まひるは音もなし・・・・・・・・・・・・・・・中島斌雄
「花菖蒲」はアヤメ科の多年草。「ノハナショウブ」の栽培変種で、観賞用に水辺・湿地に栽培され、品種が多い。
先日、カキツバタについて書いたところで、それらの違いについて触れておいた。
江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培されて、菖蒲園には愛好家がつめかけたという。
花菖蒲紫紺まひるは音もなし・・・・・・・・・・・・・・・中島斌雄
「花菖蒲」はアヤメ科の多年草。「ノハナショウブ」の栽培変種で、観賞用に水辺・湿地に栽培され、品種が多い。
先日、カキツバタについて書いたところで、それらの違いについて触れておいた。
江戸時代から多数の品種が作られ、広く栽培されて、菖蒲園には愛好家がつめかけたという。
先日、カキツバタのことを載せたBLOGで、関連として菖蒲あやめのことを書いたところで、菖蒲は6月にならないと咲かないと言ったが、これは間違いで、5月中旬からそろそろ咲き始めるということである。菖蒲田が満開になり田一面が花で埋まるのが5月下旬から6月上旬にかけてのことである。
私の住む辺りでは豊富な地下水を利用して各種の花卉栽培が盛んだが、5月中旬には「菖蒲まつり」が開催され、来会者に花菖蒲3本づつがプレゼントとして配られるという。
私の住む辺りでは豊富な地下水を利用して各種の花卉栽培が盛んだが、5月中旬には「菖蒲まつり」が開催され、来会者に花菖蒲3本づつがプレゼントとして配られるという。
掲出する写真はいずれも菖蒲あやめである。色や柄もいろいろのものがある。私などは、やはり紫色が好きだが、これは各人の好みだろう。
私より二つほど年長の花卉栽培専業農家の人が居て、先日の端午の節句には菖蒲をたくさん戴いた。これは露地のものではなく、ビニールハウスによる促成栽培のものである。栽培農家としては蕾のうちに出荷し、花屋ないしは消費者の手元についてから花が開くようにするのが普通であるので、私の方に戴いたのも、もちろん蕾のものであった。花が開いてからは開花期は短く二日ほどで萎れてしまう。
私より二つほど年長の花卉栽培専業農家の人が居て、先日の端午の節句には菖蒲をたくさん戴いた。これは露地のものではなく、ビニールハウスによる促成栽培のものである。栽培農家としては蕾のうちに出荷し、花屋ないしは消費者の手元についてから花が開くようにするのが普通であるので、私の方に戴いたのも、もちろん蕾のものであった。花が開いてからは開花期は短く二日ほどで萎れてしまう。
こういう端午の節句の菖蒲とか、お盆の蓮の花とかいう、期日の決まったものは期日に合せて出荷しなくてはならず、それまで花を保存するために「冷蔵庫」を設置するなど多くの投資が必要である。一時的に花を切る必要があるので、その時は臨時に人を増やして雇うこともあり、なかなか端(はた)から見て羨むほど楽な仕事ではないらしい。
こういう一時的な需要の集中する花は、その日が過ぎると、とたんに花の相場は大きく下がるのである。この辺に農家としても経営的な手腕が求められるのである。
こういう一時的な需要の集中する花は、その日が過ぎると、とたんに花の相場は大きく下がるのである。この辺に農家としても経営的な手腕が求められるのである。
俳句にもたくさん詠まれているが少し引いておきたい。
夜蛙の声となりゆく菖蒲かな・・・・・・・・水原秋桜子
花菖蒲ただしく水にうつりけり・・・・・・・・久保田万太郎
花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・・・・・・高野素十
雨どどと白し菖蒲の花びらに・・・・・・・・山口青邨
菖蒲剪つて盗みめくなり夕日射・・・・・・・・石田波郷
菖蒲見に淋しき夫婦行きにけり・・・・・・・・野村喜舟
黄菖蒲の黄の映る水平らかに・・・・・・・・池内たけし
白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・稲垣きくの
菖蒲髪して一人なる身の軽さ・・・・・・・・田畑美穂女
京へつくまでに暮れけりあやめぐさ・・・・・・・・田中裕明
花菖蒲水のおもてにこころ置く・・・・・・・・加納染人
白菖蒲空よりも地の明るき日・・・・・・・・中村路子
ほぐれそめ翳知りそめし白菖蒲・・・・・・・・林翔
咲きそめて白は神慮の花菖蒲・・・・・・・・藤岡筑邨
てぬぐひの如く大きく花菖蒲・・・・・・・・岸本尚毅
花菖蒲どんどん剪つてくれにけり・・・・・・・・石田郷子
菖蒲田のもの憂き花の高さかな・・・・・・・・糸屋和恵
---------------------------------------
「菖蒲しょうぶ」と「あやめ」は厳密には区別されているらしい。アヤメは野生のものを指し、菖蒲は栽培種を指すらしい。「属」が同じものか違うのか、などは判らない。一応お断りしておく。
夜蛙の声となりゆく菖蒲かな・・・・・・・・水原秋桜子
花菖蒲ただしく水にうつりけり・・・・・・・・久保田万太郎
花菖蒲ゆれかはし風去りにけり・・・・・・・・高野素十
雨どどと白し菖蒲の花びらに・・・・・・・・山口青邨
菖蒲剪つて盗みめくなり夕日射・・・・・・・・石田波郷
菖蒲見に淋しき夫婦行きにけり・・・・・・・・野村喜舟
黄菖蒲の黄の映る水平らかに・・・・・・・・池内たけし
白菖蒲過去なくて人生きられず・・・・・・・・稲垣きくの
菖蒲髪して一人なる身の軽さ・・・・・・・・田畑美穂女
京へつくまでに暮れけりあやめぐさ・・・・・・・・田中裕明
花菖蒲水のおもてにこころ置く・・・・・・・・加納染人
白菖蒲空よりも地の明るき日・・・・・・・・中村路子
ほぐれそめ翳知りそめし白菖蒲・・・・・・・・林翔
咲きそめて白は神慮の花菖蒲・・・・・・・・藤岡筑邨
てぬぐひの如く大きく花菖蒲・・・・・・・・岸本尚毅
花菖蒲どんどん剪つてくれにけり・・・・・・・・石田郷子
菖蒲田のもの憂き花の高さかな・・・・・・・・糸屋和恵
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「菖蒲しょうぶ」と「あやめ」は厳密には区別されているらしい。アヤメは野生のものを指し、菖蒲は栽培種を指すらしい。「属」が同じものか違うのか、などは判らない。一応お断りしておく。
2008/05/17のBlog
[ 12:43 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
日が照ればエーテルのごとく香を放つ
楢の若葉よ午前六時だ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
写真は小楢の若葉である。ちょうど開花期で雄花序が垂れ下がっている。
ナラ、クヌギの類は人家に近い、いわゆる「里山」の木で、薪にされてきたもので、伐採した後には株元から次の新芽が出てきて林が更新するのである。
日が照ればエーテルのごとく香を放つ
楢の若葉よ午前六時だ・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
写真は小楢の若葉である。ちょうど開花期で雄花序が垂れ下がっている。
ナラ、クヌギの類は人家に近い、いわゆる「里山」の木で、薪にされてきたもので、伐採した後には株元から次の新芽が出てきて林が更新するのである。
写真②はナラの実、いわゆるドングリである。ナラの実は細長い。クヌギの実は、もっと丸い形をしている。
里山は薪などに加工して、伐採して世代更新をしないと木は大きくなりすぎて逆に荒廃する。
この頃では農村でも台所では電気やプロパンガスを使うので薪の使い場所がない。ようやくシイタケ栽培のホダ木としてシイタケの菌を打つ位であるが、そのシイタケが中国産に押されて価格が下がり日本産は採算が合わないとかで、栽培は減っている。
里山は薪などに加工して、伐採して世代更新をしないと木は大きくなりすぎて逆に荒廃する。
この頃では農村でも台所では電気やプロパンガスを使うので薪の使い場所がない。ようやくシイタケ栽培のホダ木としてシイタケの菌を打つ位であるが、そのシイタケが中国産に押されて価格が下がり日本産は採算が合わないとかで、栽培は減っている。
五月に入ると里山も気温がぐんぐんあがり、天気のよい、湿気の多い日には林はむっとむせかえるような様子になる。
私の歌は、そういう楢の林が新緑に満ちた朝六時の光景を詠っている。
新芽からはツンとする新緑特有の香りが立ち、太陽が中天にさしかかると、むせかえるような空気に包まれる。
「森林浴」というのは本来、ロシアで言われてきたことで、針葉樹の木から出る「フィトンチッド」というエーテル系の成分が体によいことを指したのだが、今では広葉樹の森の森林浴も含めて言われるようになってしまった。しかし、いずれにせよ森林浴というのは、いいものである。
俳句にも「新緑」「新樹」など多く詠まれているので、それを引いて終わりたい。
大風に湧き立つてをる新樹かな・・・・・・・・高浜虚子
夕風の一刻づつの新樹濃し・・・・・・・・中村汀女
阿蘇も火を噴くと新樹のきのふけふ・・・・・・・・百合山羽公
夜の新樹詩の行間をゆくごとし・・・・・・・・鷹羽狩行
若葉して御目の雫拭はばや・・・・・・・・松尾芭蕉
若葉して手のひらほどの山の寺・・・・・・・・夏目漱石
まざまざと夢の逃げゆく若葉かな・・・・・・・・寺田寅彦
槻若葉雫しやまずいつまでも・・・・・・・・加藤楸邨
青葉若葉しかすがに逝く月日かな・・・・・・・・中川宋淵
青葉満ちまなこばかりの稚魚誕生・・・・・・・・加藤一夫
動くもの皆緑なり風わたる・・・・・・・・五百木瓢亭
新緑やうつくしかりしひとの老い・・・・・・・・日野草城
新緑の天にのこれりピアノの音・・・・・・・・目迫秩父
摩天楼より新緑がパセリほど・・・・・・・・鷹羽狩行
水筒の茶がのど通る深みどり・・・・・・・・辻田克己
まぶたみどりに乳吸ふ力満ち眠る・・・・・・・・沖田佐久子
私の歌は、そういう楢の林が新緑に満ちた朝六時の光景を詠っている。
新芽からはツンとする新緑特有の香りが立ち、太陽が中天にさしかかると、むせかえるような空気に包まれる。
「森林浴」というのは本来、ロシアで言われてきたことで、針葉樹の木から出る「フィトンチッド」というエーテル系の成分が体によいことを指したのだが、今では広葉樹の森の森林浴も含めて言われるようになってしまった。しかし、いずれにせよ森林浴というのは、いいものである。
俳句にも「新緑」「新樹」など多く詠まれているので、それを引いて終わりたい。
大風に湧き立つてをる新樹かな・・・・・・・・高浜虚子
夕風の一刻づつの新樹濃し・・・・・・・・中村汀女
阿蘇も火を噴くと新樹のきのふけふ・・・・・・・・百合山羽公
夜の新樹詩の行間をゆくごとし・・・・・・・・鷹羽狩行
若葉して御目の雫拭はばや・・・・・・・・松尾芭蕉
若葉して手のひらほどの山の寺・・・・・・・・夏目漱石
まざまざと夢の逃げゆく若葉かな・・・・・・・・寺田寅彦
槻若葉雫しやまずいつまでも・・・・・・・・加藤楸邨
青葉若葉しかすがに逝く月日かな・・・・・・・・中川宋淵
青葉満ちまなこばかりの稚魚誕生・・・・・・・・加藤一夫
動くもの皆緑なり風わたる・・・・・・・・五百木瓢亭
新緑やうつくしかりしひとの老い・・・・・・・・日野草城
新緑の天にのこれりピアノの音・・・・・・・・目迫秩父
摩天楼より新緑がパセリほど・・・・・・・・鷹羽狩行
水筒の茶がのど通る深みどり・・・・・・・・辻田克己
まぶたみどりに乳吸ふ力満ち眠る・・・・・・・・沖田佐久子
2008/05/16のBlog
[ 15:16 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
■むらさきの声を山辺に夏燕・・・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏
■陀羅尼助軒端の燕孵りけり・・・・・・・・・・・・水原秋桜子
燕は春に南方から飛来すると、四月下旬から七月下旬にかけて産卵する。同じ雌雄が二回産卵すると書かれている本もあるが、個体が似ているので、本当かどうかは確認できない。
■むらさきの声を山辺に夏燕・・・・・・・・・・・・・・・飯田蛇笏
■陀羅尼助軒端の燕孵りけり・・・・・・・・・・・・水原秋桜子
燕は春に南方から飛来すると、四月下旬から七月下旬にかけて産卵する。同じ雌雄が二回産卵すると書かれている本もあるが、個体が似ているので、本当かどうかは確認できない。
17、8日で孵化し、その後20日ほどで巣立ちする。
都会でも子育てをするから、よく見かけることがあろう。燕の巣は田んぼの泥で出来ている。写真①は親鳥が田に下りて口に泥を銜えたもの。
それを壁などに泥をくっつけてゆく。写真②以下のように台になるようなものがあると、うまく利用する。巣は泥と藁などを組み合わせて作る。
燕は弱い鳥で、カラスなどの敵から逃れるために、燕の巣は人家に作ることが多い。人間が頻繁に出入りする入り口辺りに巣を作る。一番いいのは人家の戸を入った中がよいのだが、この頃では閉鎖的な構造の家が多いので、外に作る。
都会でも子育てをするから、よく見かけることがあろう。燕の巣は田んぼの泥で出来ている。写真①は親鳥が田に下りて口に泥を銜えたもの。
それを壁などに泥をくっつけてゆく。写真②以下のように台になるようなものがあると、うまく利用する。巣は泥と藁などを組み合わせて作る。
燕は弱い鳥で、カラスなどの敵から逃れるために、燕の巣は人家に作ることが多い。人間が頻繁に出入りする入り口辺りに巣を作る。一番いいのは人家の戸を入った中がよいのだが、この頃では閉鎖的な構造の家が多いので、外に作る。
このように昔から燕は人間の身近にいたので、ツバメが巣を作る家は縁起がいい、と大切にされたものである。ただ巣の下におびただしい糞をするので、その糞の始末が大変である。
写真のように一つの巣に4、5羽の子が生まれる。巣は狭いので、子どうしは押しくらまんじゅうである。弾かれて下に落ちることも多いが、人間が丁寧に巣に戻してやったりする。子育ての様子は微笑ましいものである。お寺の庫裏などは広い土間があって開放的なので、いくつもの巣が連なっている光景が見られる。
写真のように一つの巣に4、5羽の子が生まれる。巣は狭いので、子どうしは押しくらまんじゅうである。弾かれて下に落ちることも多いが、人間が丁寧に巣に戻してやったりする。子育ての様子は微笑ましいものである。お寺の庫裏などは広い土間があって開放的なので、いくつもの巣が連なっている光景が見られる。
餌は空中を飛びながら小さい虫や昆虫を捕食する。
私の家でも昔の古い家では玄関の戸を入った土間の天井の梁に巣をかけていたが、そこにも天敵がいるもので、私の家の「主」ぬしとして住み着いている蛇に巣立ち直前の大きくなった頃に夜明けに襲われて飲み込まれ、全滅するようなことがあった。
今の家は洋風に建て替えたので家の中には巣は作れず、玄関脇の壁に巣をかけていたが、夜明けの、まだ暗いうちにカラスに襲われて食われてしまい、以後、私の家には巣をしなくなった。
巣立ちした幼鳥は親から餌をもらった後、自分で餌を捕れるようになったら幼鳥どうしで暮らし、秋九月頃になると、大きな川の河川敷の「葭原」などに数千、数万羽の単位で集結し、餌を十分に食べて体力を蓄えたあとで、集団で南方に渡ってゆく。関西では、淀川の河川敷などに見られる。
日本に渡ってくるツバメにもいくつか種類がある。写真②③④に載せたように巣の上部があいた巣を作るツバメばかりではなく、天井に張り付いた巣で巣穴が横についているのを作る種類もある。このツバメの胸の色は淡い土色である。京都大学構内などには、この種類のツバメが見られた。
鳴声も違う。
俳句では「夏燕」「燕の子」が夏の季語である。以下、句を引いておく。
夏つばめ遠き没り日を見つつゐる・・・・・・・・山口誓子
暮れて明るき空かぎりなし夏燕・・・・・・・・重田暮笛
かはらざるものに川あり夏つばめ・・・・・・・・上村占魚
木曽川の光る瀬を打つ夏燕・・・・・・・・佐藤泳人
夏つばめ一閃最上は男川・・・・・・・・武田玄女
町は伸び駅は小さし夏燕・・・・・・・・沢木てい
夏つばめ嬬恋村の瀬にひかる・・・・・・・・蒲田陵鴉
十ほどの鎌かけし壁夏つばめ・・・・・・・・辻三枝子
夏燕夕べ目の玉かゆしかゆし・・・・・・・・小川千賀
子燕のさざめき誰も聞き流し・・・・・・・・中村汀女
燕の子眠し食いたし雷起る・・・・・・・・西東三鬼
天窓の朝明けを知るつばめの子・・・・・・・・細見綾子
燕の子ゐると思へば昼しづか・・・・・・・・山口青邨
白樺の雨につばめの巣が匂ふ・・・・・・・・飯田龍太
花の如き口をあけたり燕の子・・・・・・・・青木月斗
私の家でも昔の古い家では玄関の戸を入った土間の天井の梁に巣をかけていたが、そこにも天敵がいるもので、私の家の「主」ぬしとして住み着いている蛇に巣立ち直前の大きくなった頃に夜明けに襲われて飲み込まれ、全滅するようなことがあった。
今の家は洋風に建て替えたので家の中には巣は作れず、玄関脇の壁に巣をかけていたが、夜明けの、まだ暗いうちにカラスに襲われて食われてしまい、以後、私の家には巣をしなくなった。
巣立ちした幼鳥は親から餌をもらった後、自分で餌を捕れるようになったら幼鳥どうしで暮らし、秋九月頃になると、大きな川の河川敷の「葭原」などに数千、数万羽の単位で集結し、餌を十分に食べて体力を蓄えたあとで、集団で南方に渡ってゆく。関西では、淀川の河川敷などに見られる。
日本に渡ってくるツバメにもいくつか種類がある。写真②③④に載せたように巣の上部があいた巣を作るツバメばかりではなく、天井に張り付いた巣で巣穴が横についているのを作る種類もある。このツバメの胸の色は淡い土色である。京都大学構内などには、この種類のツバメが見られた。
鳴声も違う。
俳句では「夏燕」「燕の子」が夏の季語である。以下、句を引いておく。
夏つばめ遠き没り日を見つつゐる・・・・・・・・山口誓子
暮れて明るき空かぎりなし夏燕・・・・・・・・重田暮笛
かはらざるものに川あり夏つばめ・・・・・・・・上村占魚
木曽川の光る瀬を打つ夏燕・・・・・・・・佐藤泳人
夏つばめ一閃最上は男川・・・・・・・・武田玄女
町は伸び駅は小さし夏燕・・・・・・・・沢木てい
夏つばめ嬬恋村の瀬にひかる・・・・・・・・蒲田陵鴉
十ほどの鎌かけし壁夏つばめ・・・・・・・・辻三枝子
夏燕夕べ目の玉かゆしかゆし・・・・・・・・小川千賀
子燕のさざめき誰も聞き流し・・・・・・・・中村汀女
燕の子眠し食いたし雷起る・・・・・・・・西東三鬼
天窓の朝明けを知るつばめの子・・・・・・・・細見綾子
燕の子ゐると思へば昼しづか・・・・・・・・山口青邨
白樺の雨につばめの巣が匂ふ・・・・・・・・飯田龍太
花の如き口をあけたり燕の子・・・・・・・・青木月斗
2008/05/15のBlog
[ 09:12 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
茶師なれば見る機(をり)もなき鴨祭
むらさき匂ふ牛車(ぎつしや)ゆくさま・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
この歌は塚本邦雄氏が読売新聞の「短歌時評」で採り上げて下さった2首のうちの一つである。
葵祭は5月15日(雨天順延)に行われるが、この歌の主旨は、私が「茶」を生業としていたので、丁度その頃には新茶の製造時期であり、それどころではない忙しい日々を過ごしていたので、じっくりと祭を見物する機会もなかった、ということである。
茶師なれば見る機(をり)もなき鴨祭
むらさき匂ふ牛車(ぎつしや)ゆくさま・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』に載るものである。自選にも採っているのでWebのHPでも、ご覧いただける。
この歌は塚本邦雄氏が読売新聞の「短歌時評」で採り上げて下さった2首のうちの一つである。
葵祭は5月15日(雨天順延)に行われるが、この歌の主旨は、私が「茶」を生業としていたので、丁度その頃には新茶の製造時期であり、それどころではない忙しい日々を過ごしていたので、じっくりと祭を見物する機会もなかった、ということである。
京都には三大祭といって、葵祭、祇園祭、時代祭のことだが、一番古いのが、この葵祭である。もともと京の先住民とも言える賀茂氏の祭だった。現在の上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)という賀茂氏の神社で五穀豊穣を祈願する祭が、平安遷都を境に国家的な祭になって行った。
さわやかな新緑匂う皐月の頃、藤の花で飾られた牛車(ぎっしゃ)や輿に乗った「斎王代」を中心にした行列が、御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する祭の光景は、平安の昔をそのままに、都の雅(みやび)そのものを展開すると言える。
さわやかな新緑匂う皐月の頃、藤の花で飾られた牛車(ぎっしゃ)や輿に乗った「斎王代」を中心にした行列が、御所を出て下鴨神社から上賀茂神社を巡幸する祭の光景は、平安の昔をそのままに、都の雅(みやび)そのものを展開すると言える。