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2008/08/03のBlog
[ 09:16 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
昼寝より覚めてこの世の声を出す・・・・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行
今年の夏も梅雨明けから猛暑が襲来して、連日「猛暑日」がつづくようになった。
夏は暑くて体力を消耗するので、午後のしばらくを昼寝して元気を回復させる。
三尺寝という言葉があるが、これは日影が三尺移るぐらいの時間を眠るので、こういう。
植木屋や大工などの職人は、いたるところで場所をみつけて昼寝する。
これも生活の知恵である。
ラテン・ヨーロッパや南方ではシエスタと称して店も役所も閉める習慣がある。
会社勤めの人には、こういう光景は許されないが、まあ、許されよ。
掲出した写真は昼寝のものではないが、アンリ・ルッソーの「眠れるジプシー女」という有名な絵を出しておく。
以下、昼寝または午睡の句を挙げてみよう。
ひやひやと壁をふまへて昼寝哉・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉
我生の今日の昼寝も一大事・・・・・・・・・・・・・高浜虚子
うつぶせにねるくせつきし昼寝かな・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
稍固き昼寝枕や逗留す・・・・・・・・・・・・松本たかし
一片舟昼寝の足裏涛のむた・・・・・・・・・・・・中村草田男
浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねいやい」・・・・・・・・・・・・中村草田男
昼寝覚凹凸おなじ顔洗う・・・・・・・・・・・・西東三鬼
父の齢しみじみ高き昼寝かな・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
昼寝覚うつしみの空あをあをと・・・・・・・・・・・・川端茅舎
昼寝ざめ剃刀研ぎの通りけり・・・・・・・・・・・・西島麦南
よき昼寝なりし毛布をかけありし・・・・・・・・・・・・堺梅子
やまひなきひとの昼寝を羨しめり・・・・・・・・・・・・山口波津子
光陰の流るる音に昼寝覚・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥
さみしさの昼寝の腕の置きどころ・・・・・・・・・・・・上村占魚
麦の青樹の青赫と昼寝さむ・・・・・・・・・・・・野沢節子
午睡たのしげ乳ぽつちりと釦はづし・・・・・・・・・・・・中山純子
いづくより手足しびれて昼寝覚・・・・・・・・・・・・森澄雄
神護景雲元年写経生昼寝・・・・・・・・・・・・小沢実
昼寝の子起きしにあらず裏返る・・・・・・・・・・・・三村純也
悠久の印度大陸にて昼寝・・・・・・・・・・・・藤戸秀庸
三尺寝仏の風の出入口・・・・・・・・・・・・小笠原和男
昼寝より覚めてこの世の声を出す・・・・・・・・・・・・・・・鷹羽狩行
今年の夏も梅雨明けから猛暑が襲来して、連日「猛暑日」がつづくようになった。
夏は暑くて体力を消耗するので、午後のしばらくを昼寝して元気を回復させる。
三尺寝という言葉があるが、これは日影が三尺移るぐらいの時間を眠るので、こういう。
植木屋や大工などの職人は、いたるところで場所をみつけて昼寝する。
これも生活の知恵である。
ラテン・ヨーロッパや南方ではシエスタと称して店も役所も閉める習慣がある。
会社勤めの人には、こういう光景は許されないが、まあ、許されよ。
掲出した写真は昼寝のものではないが、アンリ・ルッソーの「眠れるジプシー女」という有名な絵を出しておく。
以下、昼寝または午睡の句を挙げてみよう。
ひやひやと壁をふまへて昼寝哉・・・・・・・・・・・・松尾芭蕉
我生の今日の昼寝も一大事・・・・・・・・・・・・・高浜虚子
うつぶせにねるくせつきし昼寝かな・・・・・・・・・・・・久保田万太郎
稍固き昼寝枕や逗留す・・・・・・・・・・・・松本たかし
一片舟昼寝の足裏涛のむた・・・・・・・・・・・・中村草田男
浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねいやい」・・・・・・・・・・・・中村草田男
昼寝覚凹凸おなじ顔洗う・・・・・・・・・・・・西東三鬼
父の齢しみじみ高き昼寝かな・・・・・・・・・・・・阿波野青畝
昼寝覚うつしみの空あをあをと・・・・・・・・・・・・川端茅舎
昼寝ざめ剃刀研ぎの通りけり・・・・・・・・・・・・西島麦南
よき昼寝なりし毛布をかけありし・・・・・・・・・・・・堺梅子
やまひなきひとの昼寝を羨しめり・・・・・・・・・・・・山口波津子
光陰の流るる音に昼寝覚・・・・・・・・・・・・野見山朱鳥
さみしさの昼寝の腕の置きどころ・・・・・・・・・・・・上村占魚
麦の青樹の青赫と昼寝さむ・・・・・・・・・・・・野沢節子
午睡たのしげ乳ぽつちりと釦はづし・・・・・・・・・・・・中山純子
いづくより手足しびれて昼寝覚・・・・・・・・・・・・森澄雄
神護景雲元年写経生昼寝・・・・・・・・・・・・小沢実
昼寝の子起きしにあらず裏返る・・・・・・・・・・・・三村純也
悠久の印度大陸にて昼寝・・・・・・・・・・・・藤戸秀庸
三尺寝仏の風の出入口・・・・・・・・・・・・小笠原和男
2008/08/02のBlog
[ 08:40 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
睡蓮スイレン(写真②③)は原種に近く、花蓮は同じ蓮の仲間でも改良されたものである。
古代の遺跡から発見された「大賀ハス」の種というのが千年以上の眠りから覚めて発芽した、という事実があり、その子孫はあちこちに貰われて行って花を咲かせている。ご存じの方は少ないと思うが、ハスの種の殻はとても固くてなかなか割れない。そんな種だから土の中の泥に包まれて千年以上を生き延び、よい環境下になって発芽したものである。
古代の遺跡から発見された「大賀ハス」の種というのが千年以上の眠りから覚めて発芽した、という事実があり、その子孫はあちこちに貰われて行って花を咲かせている。ご存じの方は少ないと思うが、ハスの種の殻はとても固くてなかなか割れない。そんな種だから土の中の泥に包まれて千年以上を生き延び、よい環境下になって発芽したものである。
個人的な話になるが、前の戦争末期に学徒動員で京都市南方の「巨椋池」干拓地で農作業の勤労奉仕に狩り出されたことがある。ここは昭和初年まで広大な巨椋池であって、宇治川、木津川の交差する「遊水地」であった。大雨が降って水量が増すと川をはみでた水は、ここに流れ込み、川の水量が減ると徐々に川に戻ってゆく、というのが「遊水地」の役目だった。
この池には昔たくさんの蓮が自生していたと言い、干拓されて田んぼになった当時でも蓮の種がたくさん田の土の中から出てきたものである。
農作業のかたわら、その種を鍬などで割ってかじったりしたものである。
大賀ハスの千年には敵わないないが、とにかく長年を生き残る蓮の種であることを実感したものである。
「蓮」の花は仏教と深い関係があり、「花のうてな」というと蓮の花のことである。
私の住むところでは仏花や華道用に花蓮の栽培が盛んで、今やお盆の行事用に花と葉の切り取りが最盛期で大忙しである。日の出前に切り取って市場に向けて出荷される。
歳時記に載る句を引く。
睡蓮の隙間の水は雨の文(あや)・・・・・・・・富安風生
睡蓮や鯉の分けゆく花二つ・・・・・・・・松本たかし
睡蓮の明暗たつきのピアノ打つ・・・・・・・・中村草田男
睡蓮の少し沈むは睡るらし・・・・・・・・安住敦
睡蓮開花太陽のほか触るるなし・・・・・・・・野沢節子
睡蓮の花に神慮のあるごとし・・・・・・・・高橋直子
睡蓮や金魚は水面好むもの・・・・・・・・平畑静塔
睡蓮を打つ黄檗の驟雨かな・・・・・・・・細見綾子
睡蓮の白いま閉づる安堵かな・・・・・・・・野沢節子
睡蓮や聞き覚えある水の私語・・・・・・・・中村苑子
睡蓮の開ききつたる塔の下・・・・・・・・佐川広治
睡蓮や遥かな国に百済あり・・・・・・・・斎藤夏風
この池には昔たくさんの蓮が自生していたと言い、干拓されて田んぼになった当時でも蓮の種がたくさん田の土の中から出てきたものである。
農作業のかたわら、その種を鍬などで割ってかじったりしたものである。
大賀ハスの千年には敵わないないが、とにかく長年を生き残る蓮の種であることを実感したものである。
「蓮」の花は仏教と深い関係があり、「花のうてな」というと蓮の花のことである。
私の住むところでは仏花や華道用に花蓮の栽培が盛んで、今やお盆の行事用に花と葉の切り取りが最盛期で大忙しである。日の出前に切り取って市場に向けて出荷される。
歳時記に載る句を引く。
睡蓮の隙間の水は雨の文(あや)・・・・・・・・富安風生
睡蓮や鯉の分けゆく花二つ・・・・・・・・松本たかし
睡蓮の明暗たつきのピアノ打つ・・・・・・・・中村草田男
睡蓮の少し沈むは睡るらし・・・・・・・・安住敦
睡蓮開花太陽のほか触るるなし・・・・・・・・野沢節子
睡蓮の花に神慮のあるごとし・・・・・・・・高橋直子
睡蓮や金魚は水面好むもの・・・・・・・・平畑静塔
睡蓮を打つ黄檗の驟雨かな・・・・・・・・細見綾子
睡蓮の白いま閉づる安堵かな・・・・・・・・野沢節子
睡蓮や聞き覚えある水の私語・・・・・・・・中村苑子
睡蓮の開ききつたる塔の下・・・・・・・・佐川広治
睡蓮や遥かな国に百済あり・・・・・・・・斎藤夏風
ここで「蓮」を詠んだ私の歌を引いておく。
作歌の場面は、奈良の唐招提寺である。説明する必要もなく一連の歌の中に詠み込んであるので、歌を見てもらえば判ることである。唐招提寺の一連の歌は「夢寐」と題して詠んでいる。
その後に引続いて「西湖」と題する一連から蓮に関するものを引用しておく。いずれも『嬬恋』(角川書店)に載るもの。
夢寐
睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ
くれなゐの蓮は鑑真のために咲き朝日さしたり安心(あんじん)の池
結跏趺坐和上のおはす堂の辺の蓮に朝(あした)の日照雨(そばへ)ふるなり
<蓮叢を出て亀のゆく苦界あり>さわさわと開花の呼吸整ふ
*丸山海道
くれなゐの蓮群れ戯(そば)ふ真昼間の風はそよろと池を包みぬ
睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたび過(よ)ぎる
西湖
<睡蓮の中に西施が舫(もや)ひ舟>西湖の蓮にわれ逢ひ得たり
*堀古蝶
睡蓮の花閉ぢむとして水曇る金色の夕べ波立ちゆらぐ
睡蓮にぴりぴり雷の駆けゆけり花弁をゆらし騒だつ水面
声明(しやうみやう)に湖の明けゆく水面には岸にむかひて日照雨ふるなり
てのひらに蓮の紅玉包みたし他郷の湖を風わたりゆく
湖に真昼の風の匂ふなり約せしごとく蓮と向きあふ
手にすくふ水の空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ
戻り来しいのち虔(つつ)しみ菖蒲田を妻と歩めば潦(にはたづみ)照る
----------------------------------------
「日照雨」(そばえ)とは、陽が差しているのに小雨がはらはらと降ること。別名「きつねの嫁入り」などという。
「潦」(にわたずみ)とは俄か雨などで一時的に出来た水溜りのこと。
作歌の場面は、奈良の唐招提寺である。説明する必要もなく一連の歌の中に詠み込んであるので、歌を見てもらえば判ることである。唐招提寺の一連の歌は「夢寐」と題して詠んでいる。
その後に引続いて「西湖」と題する一連から蓮に関するものを引用しておく。いずれも『嬬恋』(角川書店)に載るもの。
夢寐
睡蓮の咲くも閉づるも夢寐(むび)のうち和上の言ひし朱き蓮(はちす)よ
くれなゐの蓮は鑑真のために咲き朝日さしたり安心(あんじん)の池
結跏趺坐和上のおはす堂の辺の蓮に朝(あした)の日照雨(そばへ)ふるなり
<蓮叢を出て亀のゆく苦界あり>さわさわと開花の呼吸整ふ
*丸山海道
くれなゐの蓮群れ戯(そば)ふ真昼間の風はそよろと池を包みぬ
睡蓮は小さき羽音をみごもれり蜂たちの影いくたび過(よ)ぎる
西湖
<睡蓮の中に西施が舫(もや)ひ舟>西湖の蓮にわれ逢ひ得たり
*堀古蝶
睡蓮の花閉ぢむとして水曇る金色の夕べ波立ちゆらぐ
睡蓮にぴりぴり雷の駆けゆけり花弁をゆらし騒だつ水面
声明(しやうみやう)に湖の明けゆく水面には岸にむかひて日照雨ふるなり
てのひらに蓮の紅玉包みたし他郷の湖を風わたりゆく
湖に真昼の風の匂ふなり約せしごとく蓮と向きあふ
手にすくふ水の空あり菖蒲田の柵に病後の妻と凭(よ)りゐつ
戻り来しいのち虔(つつ)しみ菖蒲田を妻と歩めば潦(にはたづみ)照る
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「日照雨」(そばえ)とは、陽が差しているのに小雨がはらはらと降ること。別名「きつねの嫁入り」などという。
「潦」(にわたずみ)とは俄か雨などで一時的に出来た水溜りのこと。
2008/08/01のBlog
[ 11:57 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
■ゆうらりとわれをまねける山百合の
夜半の花粉に貌(かほ)塗りつぶす・・・・・・・・・・・前登志夫
■狂ふべきときに狂はず過ぎたりと
ふりかへりざま夏花揺るる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前登志夫
今年の四月に前登志夫が亡くなった。酒好きな人で肝硬変になり、病院を抜け出して自宅で死んだ。
奈良県吉野の二十数代つづく山林地主の家に生れた。
はじめは詩人として出発し、ほどなく歌人として頭角を現した。
以下、ネット上に載る記事を転載しておく。
-----------------------------------------
前登志夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前登志夫(まえ としお、1926年1月1日~ 2008年4月5日)は、歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。
日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。
奈良県吉野郡下市町広橋にて、父理策、母可志の二男として誕生。旧制奈良中学(現・奈良県立奈良高等学校)に入学。同志社大学に入学するが、昭和20年(1945年)に応召、大学は中退。戦後まもなく詩作を始め、昭和26年(1951年)に吉野に戻り、前川佐美雄を訪問。活動はここ吉野を中心に行う。1956年、詩集『宇宙駅』を刊行したが、やがて短歌に転じ、前川に師事。58年以降、吉野に住み家業の林業に従事する。
昭和30年(1955年)、『樹』50首で第1回角川短歌賞最終候補(安騎野志郎名義)。昭和33年(1958年)に、『短歌』四月号にて、塚本邦雄・上田三四二両氏らと「詩と批評をめぐって」で座談会。昭和39年(1964年)第一歌集『子午線の繭』出版。この頃より、テレビ・新聞・雑誌等で吉野を語ることが多くなる。以後、『霊異記』・『縄文記』(第12回迢空賞受賞)・『樹下集』(第3回詩歌文学館賞受賞)・『鳥獣蟲魚』(斉藤茂吉短歌文学賞受賞)・1998年、『青童子』で第49回読売文学賞受賞、『流轉』(第26回現代短歌大賞受賞)・『鳥總立』を出版。昭和55年(1980年)に歌誌『ヤママユ』創刊、平成18年(2006年)に第20号を刊行。平成17年(2005年)に全業績により、第61回日本芸術院賞文芸部門受賞、併せて恩賜賞受賞。同年、日本芸術院会員となる。
歌集のほかに、エッセイ集『吉野紀行』・『存在の秋』・『樹木三界』・『吉野日記』・『古代のしるべ』・『吉野遊行抄』・『吉野風月抄』・『吉野山河抄』・『明るき寂寥』・『病猪の散歩』・『歌のコスモロジー』ほかがある。
作品
宇宙駅 昭森社, 1956
子午線の繭 白玉書房, 1964
吉野紀行 角川文庫書店, 1967. -- (角川文庫)
霊異記 前登志夫歌集 白玉書房, 1972
山河慟哭 朝日新聞社, 1976
非在 自選歌集 短歌新聞社, 1976
存在の秋 小沢書店, 1977 のち講談社文芸文庫
繩文紀 歌集 白玉書房, 1977
『前登志夫歌集』国文社、1978
前登志夫歌集 小沢書店, 1981
『吉野日記』角川書店、1983
樹下三界 角川書店, 1986
万葉びとの歌ごころ 日本放送出版協会, 1986 (NHK市民大学)
樹下集 小沢書店, 1987
吉野遊行抄 角川書店, 1987
吉野鳥雲抄 角川書店, 1989
吉野風日抄 角川書店, 1991
『森の時間』新潮社, 1991
鳥獣虫魚 小沢書店, 1992
『吉野山河抄』角川書店、1993
『木々の声』角川書店、1996
青童子 短歌研究社, 1997
明るき寂寥 岩波書店, 2000
流轉 砂子屋書房, 2002
鳥總立 砂子屋書房, 2003
『病猪の散歩』日本放送出版協会、2004
歌のコスモロジー 数奇と伝統 本阿弥書店, 2004
前登志夫歌集 短歌研究社, 2005
-----------------------------------------
これ以後の著作として
歌集『落人の家』(雁書館刊・07.8.20)がある。第九歌集にあたる。
掲出した歌は、一番目が第六歌集『青童子』、二番目が第二歌集『霊異記』に載るものである。
晩年近くの歌は平易さが見えるが、それまでの歌には現代詩を作っていた彼らしく、レトリックに工夫を凝らしたものが多い。
掲出した一番目の歌などはメタファーを駆使したもので「夜半の花粉」に「貌塗りつぶす」という個所なんかには、或る種の「性的暗喩」があるのは確かだろう。
同じ歌集には、こんな歌もある。
炎天に峯入りの行者つづく昼山の女神(めがみ)を草に組み伏す・・・・・・・・・・・・前登志夫
この歌なども同じく「セックスの抽象化」(稲葉京子)という評のあるのも当然のことであろう。
二番目の歌も「狂ふべきとき」というような表現で、子供も小さく、山林業の経営にも心を砕かねばならない時期があったことを暗示する。
「年譜」によると昭和49年大阪・金蘭女子短期大学に教授として招かれ、以後15年間勤めた。
歌集の他にも多くの随筆・エッセイの本があるが、前登志夫はエッセイの書き手として非凡なものを持っていた、と私は力説したい。つまり韻文としての書き手として優れた腕を振るった一方で、「散文」の書き手としても
一流だった。
『吉野山河抄』のあとがきに
<十年一日のごとくというが、ほとんど変化のない山家の気色(けしき)と山の暮らし>
と書かれているように、特別なことが書かれている訳ではないが、心の深いところに語りかけ、作用するのである。彼に言わせれば、吉野の山の中から現代の世間を眺めての、彼一流の「文明批評」が見られて、秀逸だ。
川野里子の歌集『鳥總立』書評の文章なども的確であるので、読んでみてもらいたい。
「わたしの好きなお国ことば」という小エッセイなども面白い。
東京新聞「土曜訪問」の「吉野の山中から文明を批判─前登志夫さん」という、死の少し前の取材記事も面白い。 ご覧あれ。
なお角川書店『短歌』誌7月号で、追悼特集・前登志夫の足跡、というのが組まれているので読んでみると彼のことが概観できるだろう。榎幸子編になる詳細な「年譜」も載っていて参考になる。
以下、彼の歌を少し抄出して終わりたい。
かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり──『子午線の繭』
あなうらゆ翔びたつ雉の黄金(きん)のこゑ夭夭(えうえう)として樹樹は走れる
死者も樹も垂直に生ふる場所を過ぎこぼしきたれるは木の実か罪か
夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ
帰るとはつひの処刑(しおき)か谷間より湧きくる蛍いくつ数へし
暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か
しんしんと青き傾斜(なぞへ)に陽は差して谷行(たにかう)といふ亡びもあらむ──『霊異記 』
この父が鬼にかへらむ峠まで落暉(らつき)の坂を背負はれてゆけ
さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は
檜の山の枝差し交はす高みよりくるひかりあり素志たがはざれ
向う山のぬかにしぶとく雪のこるいくとせみつつ浄まるわれか──『縄文紀』
われの死ぬ静けき山か月の出は樹木のこずゑしろくけぶりぬ
残雪の山に歩まむ 春がすみはや棚引きてわれは山びと
夜となりて山なみくろく聳ゆなり家族(うから)の睡りやままゆの睡り
ひかり湧く木の間の雪を踏みゆけば木樵のわれにことばさきはふ
志なほくあるべし今の世に歌まなびするいのちなるゆゑ──『樹下集』
垂直に樹液はのぼれ山びとの歌詠むこころ血のみなかみぞ
草萌えろ、木の芽も萌えろ、すんすんと春あけぼのの摩羅のさやけさ
行け、若葉 さやげる山の夏こだまひるがへるまのかなしみにして
くさむらに晩夏の汗を拭ひけりいくたび悔ゆるいのちなるべし
国原に虹かかる日よ鹿のごと翁さびつつ山を下りぬ──『鳥獣虫魚』
天上の一枝を折りて土に差す靄ふかきかなわれの国原
木木の芽に春の霙(みぞれ)のひかるなりああ山鳩の声ひかるなり
葛城にかかれる虹を西行と仰ぎ見にけり山びとわれは
崖りうえにほんのしばらく繭のごと棲まはれてもらふと四方(よも)を拝めり
単純に生きたがりけり花野行く女童(めわらは)ひくく遅遅と歩みて──『青童子』
夢のごと火はもえてをり森ふかく童子のわれのさまよへる秋
紫の紫雲英(れんげ)の原の縁行けり見はてぬ夢を童子歩めり
いつまでも成熟なさぬわが青をしぼりしぼりて春の黒森
風鈴となりて漂ふ乳いろのコンドームこそ春いかのぼり
雹降れり樹下山人の禿頭はげしく撃ちて雹は弾めり──『流転』
亡びゆく国のはたてに蹲る蟇(ひき)引き連れて真夏の無頼
かたはらにサリンをいだき睡りゐる若者と行く春の地下道
卑し卑し、王のむらさき新緑の野を運ばれて五月となれり(オウム真理教の尊師捕へられる)
いまだわれ見ざりしもののひとつにてヘア写真集たのしきごとし
葬式はなさずともよしと長(をさ)の子に言ひしのみにて夏を迎ふる
木々にふるきさらぎの雨あけがたに霙となれるまでを聴きをり──『鳥總立』
こともなく染井吉野は咲きそめて立ち遅れたる力士ありけり
真珠色の鯨なるべししなやかにわれの娘は寝返りをする
夢なべてかたく鋭し夏花の殊に明るきまひるまにして
力つきてわが眠るとき瞼より春の樹液の動かむとする
あしひきの山の霜夜を燃えつづく花びらありき老のきりぎし──『落人の家』
山こぶし咲ける斜面(なだり)にまむかひて年寄といふ言葉を愛づる
やうやくにわれの煩悩も淡くなり歌詠むことは息するごとし
静かなる余生であれよ小春日の枯草分けて孕み鹿歩む
野遊びにも一人のユダがゐるならむ小禽(せうきん)のこゑ空に澄めれば
無数のわれと一人のわれのはざまにて繭青々と重なりてをり
魂はもつともかろき歌ならむ風蘭の花たかく咲きをり
■ゆうらりとわれをまねける山百合の
夜半の花粉に貌(かほ)塗りつぶす・・・・・・・・・・・前登志夫
■狂ふべきときに狂はず過ぎたりと
ふりかへりざま夏花揺るる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前登志夫
今年の四月に前登志夫が亡くなった。酒好きな人で肝硬変になり、病院を抜け出して自宅で死んだ。
奈良県吉野の二十数代つづく山林地主の家に生れた。
はじめは詩人として出発し、ほどなく歌人として頭角を現した。
以下、ネット上に載る記事を転載しておく。
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前登志夫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前登志夫(まえ としお、1926年1月1日~ 2008年4月5日)は、歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。
日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。
奈良県吉野郡下市町広橋にて、父理策、母可志の二男として誕生。旧制奈良中学(現・奈良県立奈良高等学校)に入学。同志社大学に入学するが、昭和20年(1945年)に応召、大学は中退。戦後まもなく詩作を始め、昭和26年(1951年)に吉野に戻り、前川佐美雄を訪問。活動はここ吉野を中心に行う。1956年、詩集『宇宙駅』を刊行したが、やがて短歌に転じ、前川に師事。58年以降、吉野に住み家業の林業に従事する。
昭和30年(1955年)、『樹』50首で第1回角川短歌賞最終候補(安騎野志郎名義)。昭和33年(1958年)に、『短歌』四月号にて、塚本邦雄・上田三四二両氏らと「詩と批評をめぐって」で座談会。昭和39年(1964年)第一歌集『子午線の繭』出版。この頃より、テレビ・新聞・雑誌等で吉野を語ることが多くなる。以後、『霊異記』・『縄文記』(第12回迢空賞受賞)・『樹下集』(第3回詩歌文学館賞受賞)・『鳥獣蟲魚』(斉藤茂吉短歌文学賞受賞)・1998年、『青童子』で第49回読売文学賞受賞、『流轉』(第26回現代短歌大賞受賞)・『鳥總立』を出版。昭和55年(1980年)に歌誌『ヤママユ』創刊、平成18年(2006年)に第20号を刊行。平成17年(2005年)に全業績により、第61回日本芸術院賞文芸部門受賞、併せて恩賜賞受賞。同年、日本芸術院会員となる。
歌集のほかに、エッセイ集『吉野紀行』・『存在の秋』・『樹木三界』・『吉野日記』・『古代のしるべ』・『吉野遊行抄』・『吉野風月抄』・『吉野山河抄』・『明るき寂寥』・『病猪の散歩』・『歌のコスモロジー』ほかがある。
作品
宇宙駅 昭森社, 1956
子午線の繭 白玉書房, 1964
吉野紀行 角川文庫書店, 1967. -- (角川文庫)
霊異記 前登志夫歌集 白玉書房, 1972
山河慟哭 朝日新聞社, 1976
非在 自選歌集 短歌新聞社, 1976
存在の秋 小沢書店, 1977 のち講談社文芸文庫
繩文紀 歌集 白玉書房, 1977
『前登志夫歌集』国文社、1978
前登志夫歌集 小沢書店, 1981
『吉野日記』角川書店、1983
樹下三界 角川書店, 1986
万葉びとの歌ごころ 日本放送出版協会, 1986 (NHK市民大学)
樹下集 小沢書店, 1987
吉野遊行抄 角川書店, 1987
吉野鳥雲抄 角川書店, 1989
吉野風日抄 角川書店, 1991
『森の時間』新潮社, 1991
鳥獣虫魚 小沢書店, 1992
『吉野山河抄』角川書店、1993
『木々の声』角川書店、1996
青童子 短歌研究社, 1997
明るき寂寥 岩波書店, 2000
流轉 砂子屋書房, 2002
鳥總立 砂子屋書房, 2003
『病猪の散歩』日本放送出版協会、2004
歌のコスモロジー 数奇と伝統 本阿弥書店, 2004
前登志夫歌集 短歌研究社, 2005
-----------------------------------------
これ以後の著作として
歌集『落人の家』(雁書館刊・07.8.20)がある。第九歌集にあたる。
掲出した歌は、一番目が第六歌集『青童子』、二番目が第二歌集『霊異記』に載るものである。
晩年近くの歌は平易さが見えるが、それまでの歌には現代詩を作っていた彼らしく、レトリックに工夫を凝らしたものが多い。
掲出した一番目の歌などはメタファーを駆使したもので「夜半の花粉」に「貌塗りつぶす」という個所なんかには、或る種の「性的暗喩」があるのは確かだろう。
同じ歌集には、こんな歌もある。
炎天に峯入りの行者つづく昼山の女神(めがみ)を草に組み伏す・・・・・・・・・・・・前登志夫
この歌なども同じく「セックスの抽象化」(稲葉京子)という評のあるのも当然のことであろう。
二番目の歌も「狂ふべきとき」というような表現で、子供も小さく、山林業の経営にも心を砕かねばならない時期があったことを暗示する。
「年譜」によると昭和49年大阪・金蘭女子短期大学に教授として招かれ、以後15年間勤めた。
歌集の他にも多くの随筆・エッセイの本があるが、前登志夫はエッセイの書き手として非凡なものを持っていた、と私は力説したい。つまり韻文としての書き手として優れた腕を振るった一方で、「散文」の書き手としても
一流だった。
『吉野山河抄』のあとがきに
<十年一日のごとくというが、ほとんど変化のない山家の気色(けしき)と山の暮らし>
と書かれているように、特別なことが書かれている訳ではないが、心の深いところに語りかけ、作用するのである。彼に言わせれば、吉野の山の中から現代の世間を眺めての、彼一流の「文明批評」が見られて、秀逸だ。
川野里子の歌集『鳥總立』書評の文章なども的確であるので、読んでみてもらいたい。
「わたしの好きなお国ことば」という小エッセイなども面白い。
東京新聞「土曜訪問」の「吉野の山中から文明を批判─前登志夫さん」という、死の少し前の取材記事も面白い。 ご覧あれ。
なお角川書店『短歌』誌7月号で、追悼特集・前登志夫の足跡、というのが組まれているので読んでみると彼のことが概観できるだろう。榎幸子編になる詳細な「年譜」も載っていて参考になる。
以下、彼の歌を少し抄出して終わりたい。
かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり──『子午線の繭』
あなうらゆ翔びたつ雉の黄金(きん)のこゑ夭夭(えうえう)として樹樹は走れる
死者も樹も垂直に生ふる場所を過ぎこぼしきたれるは木の実か罪か
夕闇にまぎれて村に近づけば盗賊のごとくわれは華やぐ
帰るとはつひの処刑(しおき)か谷間より湧きくる蛍いくつ数へし
暗道(くらみち)のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か
しんしんと青き傾斜(なぞへ)に陽は差して谷行(たにかう)といふ亡びもあらむ──『霊異記 』
この父が鬼にかへらむ峠まで落暉(らつき)の坂を背負はれてゆけ
さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は
檜の山の枝差し交はす高みよりくるひかりあり素志たがはざれ
向う山のぬかにしぶとく雪のこるいくとせみつつ浄まるわれか──『縄文紀』
われの死ぬ静けき山か月の出は樹木のこずゑしろくけぶりぬ
残雪の山に歩まむ 春がすみはや棚引きてわれは山びと
夜となりて山なみくろく聳ゆなり家族(うから)の睡りやままゆの睡り
ひかり湧く木の間の雪を踏みゆけば木樵のわれにことばさきはふ
志なほくあるべし今の世に歌まなびするいのちなるゆゑ──『樹下集』
垂直に樹液はのぼれ山びとの歌詠むこころ血のみなかみぞ
草萌えろ、木の芽も萌えろ、すんすんと春あけぼのの摩羅のさやけさ
行け、若葉 さやげる山の夏こだまひるがへるまのかなしみにして
くさむらに晩夏の汗を拭ひけりいくたび悔ゆるいのちなるべし
国原に虹かかる日よ鹿のごと翁さびつつ山を下りぬ──『鳥獣虫魚』
天上の一枝を折りて土に差す靄ふかきかなわれの国原
木木の芽に春の霙(みぞれ)のひかるなりああ山鳩の声ひかるなり
葛城にかかれる虹を西行と仰ぎ見にけり山びとわれは
崖りうえにほんのしばらく繭のごと棲まはれてもらふと四方(よも)を拝めり
単純に生きたがりけり花野行く女童(めわらは)ひくく遅遅と歩みて──『青童子』
夢のごと火はもえてをり森ふかく童子のわれのさまよへる秋
紫の紫雲英(れんげ)の原の縁行けり見はてぬ夢を童子歩めり
いつまでも成熟なさぬわが青をしぼりしぼりて春の黒森
風鈴となりて漂ふ乳いろのコンドームこそ春いかのぼり
雹降れり樹下山人の禿頭はげしく撃ちて雹は弾めり──『流転』
亡びゆく国のはたてに蹲る蟇(ひき)引き連れて真夏の無頼
かたはらにサリンをいだき睡りゐる若者と行く春の地下道
卑し卑し、王のむらさき新緑の野を運ばれて五月となれり(オウム真理教の尊師捕へられる)
いまだわれ見ざりしもののひとつにてヘア写真集たのしきごとし
葬式はなさずともよしと長(をさ)の子に言ひしのみにて夏を迎ふる
木々にふるきさらぎの雨あけがたに霙となれるまでを聴きをり──『鳥總立』
こともなく染井吉野は咲きそめて立ち遅れたる力士ありけり
真珠色の鯨なるべししなやかにわれの娘は寝返りをする
夢なべてかたく鋭し夏花の殊に明るきまひるまにして
力つきてわが眠るとき瞼より春の樹液の動かむとする
あしひきの山の霜夜を燃えつづく花びらありき老のきりぎし──『落人の家』
山こぶし咲ける斜面(なだり)にまむかひて年寄といふ言葉を愛づる
やうやくにわれの煩悩も淡くなり歌詠むことは息するごとし
静かなる余生であれよ小春日の枯草分けて孕み鹿歩む
野遊びにも一人のユダがゐるならむ小禽(せうきん)のこゑ空に澄めれば
無数のわれと一人のわれのはざまにて繭青々と重なりてをり
魂はもつともかろき歌ならむ風蘭の花たかく咲きをり
2008/07/31のBlog
[ 09:14 ]
[ 月次掲示板 ]
七月になりました。
梅雨が明けると、いよいよ盛夏です。
夕月に七月の蝶のぼりけり・・・・・・・・・・・・原石鼎
少年のつばさなす耳七月へ・・・・・・・・・・・・林邦彦
耳鳴か梅雨明蝉かとも訊す・・・・・・・・篠田悌二郎
梅雨明けや麒麟の首は柵をぬき・・・・・・杉浦静樹
夏暁のこゆきみどりの時間かな・・・・・・・平井照敏
ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いて下さい。頂いたコメントには必ずお返事しますので、私の「返信」を忘れずにご覧下さい。
このDoblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
私は、このDoblogをWeb上のHPと連動したものとして、日々詩作品や文章を書き溜めています。
私の、このBLOGは文芸に──特に「詩歌句」に特化したものとして編集しています。
体裁としては、今はもう終了したが朝日新聞の大岡信「折々のうた」、読売新聞の長谷川櫂「四季」、毎日新聞の坪内稔典「季節のたより」などを参照して分量としては、かなり長目の記事を書いています。
自作も多目に採り上げています。
ぜひ多くの方のご訪問と閲覧をお願いします。
2008年7月26日に私のBLOGへのアクセス数が遂に680000件を超えた。67万件を超えたのが
2008年7月7日であるから何とも早い達成であり感慨ふかいものがある。
私の場合、検索サイトからの人などDoblog以外からのアクセスが多いらしい。
アクセスして下さった人たちに心から感謝します。これからもよろしく。
■─My Works─■
私のWebのHP「木村草弥の詩と旅のページ─《風景のコスモロジー》─」にアクセスして頂くと、目次が20個弱並んでいます。詩、四冊の歌集の自選歌などの短歌と批評文、連句、旅日記、エッセイなど、自作と他人の作品が収録されており、各「目次」からリンク出来ます。
http://www.google.co.jp/あるいはhttp://www.yahoo.co.jp/で「木村草弥」と検索して頂くと、数百件の検索結果が出ます。重複も多いのですが、詳しく全部検索して頂くと、他には載らないエッセイなども読めます。
BLOGの文章はジャンル別に分けてあります。閲覧は左側の「ジャンル」から、お入り下さい。
このBLOGをご覧になっての感想は、下部の「コメントを見る・書く」をクリックして記入願います。
バックナンバーは、左記の「カレンダー」のお好きな月の「朱字」をクリックして呼び出して読んで下さい。
「黒字」になっている年、月、日は、過去未来とも「書き込み記事」のないものです。
■木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、
ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集)の題名はWebのHPをご覧下さい。よろしく。
梅雨が明けると、いよいよ盛夏です。
夕月に七月の蝶のぼりけり・・・・・・・・・・・・原石鼎
少年のつばさなす耳七月へ・・・・・・・・・・・・林邦彦
耳鳴か梅雨明蝉かとも訊す・・・・・・・・篠田悌二郎
梅雨明けや麒麟の首は柵をぬき・・・・・・杉浦静樹
夏暁のこゆきみどりの時間かな・・・・・・・平井照敏
ご来訪くださいまして有難うございます。
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自作も多目に採り上げています。
ぜひ多くの方のご訪問と閲覧をお願いします。
2008年7月26日に私のBLOGへのアクセス数が遂に680000件を超えた。67万件を超えたのが
2008年7月7日であるから何とも早い達成であり感慨ふかいものがある。
私の場合、検索サイトからの人などDoblog以外からのアクセスが多いらしい。
アクセスして下さった人たちに心から感謝します。これからもよろしく。
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■他称「若」年寄の日々侘び寂びのblogが京都に関する記事が満載で面白い。
もっとも、競馬の記事などもあるので、karesansui氏の「侘び寂びに関する記事」目次を呼び出してお読み下さい。
■前田雀郎ネット(yahantei)氏運営の『晴生のブログ』が面白い。俳句、川柳、連句などに関する豊富な話題の記事が満載だ。ぜひアクセスしてみて下さい。
■ 「角川書店」話題の新刊書
■ 「新潮社」今月の新刊
■ 講談社BOOK倶楽部
■ 「集英社文庫」新刊
■ 「岩波書店」
■ 「青土社・ユリイカ」
■Titleback&others──Designed by Naomi&千秋
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2008/07/30のBlog
[ 14:42 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
百日を咲きつぐ草に想ふなり
離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
「百日草」は名前の通り夏の間、百日間も秋まで咲きつづける草花である。病気などにも罹らず極めて強い花である。この歌は「花言葉」をネタに歌の連作を作っていた時のものであり、百日草の花言葉は「不在の友を想う」である。
百日を咲きつぐ草に想ふなり
離れゆきたる友ありしこと・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
「百日草」は名前の通り夏の間、百日間も秋まで咲きつづける草花である。病気などにも罹らず極めて強い花である。この歌は「花言葉」をネタに歌の連作を作っていた時のものであり、百日草の花言葉は「不在の友を想う」である。
花言葉のことだが、私の歌の「離れゆきたる友」というのは正確ではなく、私の方から何となく離れていった、というべきだろうか。
私の性癖として、友人、知人の何らかが鼻につくと身を引くところがあるのである。一種の潔癖主義というか、包容力のなさ、ということであろうか。
百日草に戻ると、この草は私の子供の頃からある草で日本の草のように思っていたが、外来種らしい。外国では「薬用」として栽培されていたという。
地味な花で、今では余り盛んに植えられては居ないようだ。
私の性癖として、友人、知人の何らかが鼻につくと身を引くところがあるのである。一種の潔癖主義というか、包容力のなさ、ということであろうか。
百日草に戻ると、この草は私の子供の頃からある草で日本の草のように思っていたが、外来種らしい。外国では「薬用」として栽培されていたという。
地味な花で、今では余り盛んに植えられては居ないようだ。
今では、これも秋まで百日以上も咲きつづける写真③の「日日草」が、これに取って代わるだろう。
極めて安価な草で、病気にも強く、広く植えられている。私の方でも植えている。
いま調べたところ「百日草」はメキシコ原産でキク科の一年草で、「日日草」は西インド原産でキョウチクトウ科の一年草という。
歳時記にも、両方とも載っているので、それらを引いて終わりたい。
極めて安価な草で、病気にも強く、広く植えられている。私の方でも植えている。
いま調べたところ「百日草」はメキシコ原産でキク科の一年草で、「日日草」は西インド原産でキョウチクトウ科の一年草という。
歳時記にも、両方とも載っているので、それらを引いて終わりたい。
百日草ごうごう海は鳴るばかり・・・・・・・・三橋鷹女
蝶歩く百日草の花の上・・・・・・・・高野素十
これよりの百日草の花一つ・・・・・・・・松本たかし
一つ咲き百日草のはじめかな・・・・・・・・瀬野直堂
病みて日々百日草の盛りかな・・・・・・・・村山古郷
心濁りて何もせぬ日の百日草・・・・・・・・草間時彦
朝の職人きびきびうごき百日草・・・・・・・・上村通草
毎日の百日草と揚羽かな・・・・・・・・三輪一壺
母子年金受く日日草の中を来て・・・・・・・・紀芳子
働かねば喰えぬ日々草咲けり・・・・・・・・佐伯月女
日日草なほざりにせし病日記・・・・・・・・角川源義
紅さしてはぢらふ花の日日草・・・・・・・・渡辺桂子
日日草バタ屋はバタ屋どち睦び・・・・・・・・小池一寛
嫁せば嫁して仕ふ母あり日日草・・・・・・・・白川京子
些事多し日日草の咲けるさへ・・・・・・・・・増島野花
出勤の靴結ふ日ざし日日草・・・・・・・・鶴間まさし
2008/07/29のBlog
[ 14:08 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
いふならば余燼の生や百日紅・・・・・・・・・・・・・・能村登四郎
百日紅──「さるすべり」は漢字読みして「ひゃくじっこう」とも呼ばれるが、この木もインド原産という。最初は仏縁の木だったという。インド=お釈迦様という連想になるのであろうか。だから、はじめは寺院に植えられ、次第に一般に普及したという。
百日紅というのは夏の間、百日間咲きつづけるというところからの意味である。和名はサルスベリで、木肌がつるつるで、木登りの得意な猿でも滑りそうな、という意味の命名であろうか。写真の木肌を見てもらいたい。
プロである「植木職人」でも、木から落ちることがある(実際に転落事故が多く体を痛めることがある)ので、験(げん)をかついで植木屋は「さるすべり」とは呼ばず「ひゃくじっこう」と言う。
元来、南国産であるから春の芽立ちは遅く、秋には早くも葉を落してしまう。
この木も夾竹桃と同じく、夏の代表的な花木である。
掲出の能村の句は、今の私の立場を言い表したようで、すぐにいただいた。
以下、歳時記に載る句を引く。
炎天の地上花あり百日紅・・・・・・・高浜虚子
さるすべり夏百日を過ぎてもや・・・・・・・・・石川桂郎
いつの世も祷(いのり)は切や百日紅・・・・・・・・中村汀女
朝よりも夕の初心百日紅・・・・・・・・後藤比奈夫
さるすべり百千の花観世音・・・・・・・・松崎鉄之介
一枝はすぐ立ち風のさるすべり・・・・・・・・川崎展宏
さるすべりしろばなちらす夢違ひ・・・・・・・・飯島晴子
さるすべり懈(ものう)く亀の争へり・・・・・・・・角川春樹
秘仏見て女身ただよふ百日紅・・・・・・・・黛執
軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・・・・・大牧広
百日紅ちちははひとつ墓の中・・・・・・・・上野燎
いふならば余燼の生や百日紅・・・・・・・・・・・・・・能村登四郎
百日紅──「さるすべり」は漢字読みして「ひゃくじっこう」とも呼ばれるが、この木もインド原産という。最初は仏縁の木だったという。インド=お釈迦様という連想になるのであろうか。だから、はじめは寺院に植えられ、次第に一般に普及したという。
百日紅というのは夏の間、百日間咲きつづけるというところからの意味である。和名はサルスベリで、木肌がつるつるで、木登りの得意な猿でも滑りそうな、という意味の命名であろうか。写真の木肌を見てもらいたい。
プロである「植木職人」でも、木から落ちることがある(実際に転落事故が多く体を痛めることがある)ので、験(げん)をかついで植木屋は「さるすべり」とは呼ばず「ひゃくじっこう」と言う。
元来、南国産であるから春の芽立ちは遅く、秋には早くも葉を落してしまう。
この木も夾竹桃と同じく、夏の代表的な花木である。
掲出の能村の句は、今の私の立場を言い表したようで、すぐにいただいた。
以下、歳時記に載る句を引く。
炎天の地上花あり百日紅・・・・・・・高浜虚子
さるすべり夏百日を過ぎてもや・・・・・・・・・石川桂郎
いつの世も祷(いのり)は切や百日紅・・・・・・・・中村汀女
朝よりも夕の初心百日紅・・・・・・・・後藤比奈夫
さるすべり百千の花観世音・・・・・・・・松崎鉄之介
一枝はすぐ立ち風のさるすべり・・・・・・・・川崎展宏
さるすべりしろばなちらす夢違ひ・・・・・・・・飯島晴子
さるすべり懈(ものう)く亀の争へり・・・・・・・・角川春樹
秘仏見て女身ただよふ百日紅・・・・・・・・黛執
軽く飲む筈の深酔さるすべり・・・・・・・・大牧広
百日紅ちちははひとつ墓の中・・・・・・・・上野燎
2008/07/28のBlog
[ 13:58 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
夾竹桃は夏の花である。私の子供の頃には夾竹桃なんていう木は、そんなには生えていなかったが、今やあちこちに盛っている。
キョウチクトウは葉が狭く、花が桃に似ているという漢名をそのまま転用している。
うらごゑのどこからかして夾竹桃・・・・・・・・・・・・・・・高島茂
夾竹桃は夏の花である。私の子供の頃には夾竹桃なんていう木は、そんなには生えていなかったが、今やあちこちに盛っている。
キョウチクトウは葉が狭く、花が桃に似ているという漢名をそのまま転用している。
夾竹桃は原産地はインドだが、江戸時代に中国から渡来して、当初は仏縁の木として寺院に植えられたが、後に一般に植栽されるようになった。
花は6月頃から咲きはじめ9月一杯咲きつづける。
とにかく炎暑が好きな木であり、強健な木なので公害にも強く、高速道路や工場地帯の隔離壁の作用をする木として多用されている。
花の色は紅色、赤色、白色などさまざまである。
花は6月頃から咲きはじめ9月一杯咲きつづける。
とにかく炎暑が好きな木であり、強健な木なので公害にも強く、高速道路や工場地帯の隔離壁の作用をする木として多用されている。
花の色は紅色、赤色、白色などさまざまである。
炎天下に咲く花というのは限られており、夾竹桃は夏の花として欠かすことの出来ない花となった。
日本人には八月の原爆記念日、敗戦記念日など炎暑の時期に重い、辛い記憶の日々がめぐって来るが、それらの折々の風景として夾竹桃が強く脳裏に焼きつくのである。
生命力の強さに励まされるという人も居る。ただ毒を持っているので敬遠される向きもある。明治維新の後の「西南戦役」の際に兵士が、この木で箸を作って十数人が死亡したということが伝えられている。
日本人には八月の原爆記念日、敗戦記念日など炎暑の時期に重い、辛い記憶の日々がめぐって来るが、それらの折々の風景として夾竹桃が強く脳裏に焼きつくのである。
生命力の強さに励まされるという人も居る。ただ毒を持っているので敬遠される向きもある。明治維新の後の「西南戦役」の際に兵士が、この木で箸を作って十数人が死亡したということが伝えられている。
私の歌にも夾竹桃を詠んだものはあるが、今回は遠慮して、歳時記に載る俳句を引いて終わる。句に詠まれるのも多く、俳人には好まれる花のようだ。
夾竹桃戦車は青き油こぼす・・・・・・・・中村草田男
夾竹桃旅は南へばかりかな・・・・・・・・福永耕二
夾竹桃花のをはりの海荒るる・・・・・・・・桂信子
夾竹桃昼は衰へ睡りけり・・・・・・・・草間時彦
白は目に涼し夾竹桃さへも・・・・・・・・稲畑汀子
夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・千代田葛彦
歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃・・・・・・・・角川照子
夾竹桃河は疲れを溜めて流れ・・・・・・・・有働亨
夾竹桃燃ゆる揺れざま終戦日・・・・・・・・松崎鉄之介
夾竹桃しんかんたるに人をにくむ・・・・・・・・加藤楸邨
夾竹桃奈良のほとけの雀いろ・・・・・・・・角川春樹
夾竹桃造船の音ぶつかり来・・・・・・・・矢島渚男
夾竹桃直線の道空港へ・・・・・・・・宮川杵名男
鬱勃たる夾竹桃の夜明けかな・・・・・・・・平井照敏
夾竹桃戦車は青き油こぼす・・・・・・・・中村草田男
夾竹桃旅は南へばかりかな・・・・・・・・福永耕二
夾竹桃花のをはりの海荒るる・・・・・・・・桂信子
夾竹桃昼は衰へ睡りけり・・・・・・・・草間時彦
白は目に涼し夾竹桃さへも・・・・・・・・稲畑汀子
夾竹桃東京砂漠灼けはじむ・・・・・・・・千代田葛彦
歯を抜きてちから抜けたり夾竹桃・・・・・・・・角川照子
夾竹桃河は疲れを溜めて流れ・・・・・・・・有働亨
夾竹桃燃ゆる揺れざま終戦日・・・・・・・・松崎鉄之介
夾竹桃しんかんたるに人をにくむ・・・・・・・・加藤楸邨
夾竹桃奈良のほとけの雀いろ・・・・・・・・角川春樹
夾竹桃造船の音ぶつかり来・・・・・・・・矢島渚男
夾竹桃直線の道空港へ・・・・・・・・宮川杵名男
鬱勃たる夾竹桃の夜明けかな・・・・・・・・平井照敏
2008/07/27のBlog
[ 13:24 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
蝙蝠に村々暮るる大和かな・・・・・・・・・・・・・・・大峯あきら
大峯あきらは
本名、大峯顕。昭和4年7月1日生まれ。「晨」代表同人。毎日俳壇選者。大阪大学名誉教授。放送大学客員教授 。
奈良生れで、句集に『吉野』『夏の峠』『宇宙塾』などがある。
哲学者で浄土真宗僧侶、俳人。龍谷大学教授も務める、中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。
この句は奈良県生まれの彼らしく、大和の夏の夕暮れの景を巧みに詠んでいる。
日本で人家近くで見られる蝙蝠(こうもり)は「アブラコウモリ」(イエコウモリ)と呼ばれるもので、掲出する写真は、いずれも、これである。
アブラコウモリは東アジアの人家に棲む小型のヒナコウモリ科の哺乳類。日本でもっとも普通に見られる住家性の蝙蝠。
蝙蝠に村々暮るる大和かな・・・・・・・・・・・・・・・大峯あきら
大峯あきらは
本名、大峯顕。昭和4年7月1日生まれ。「晨」代表同人。毎日俳壇選者。大阪大学名誉教授。放送大学客員教授 。
奈良生れで、句集に『吉野』『夏の峠』『宇宙塾』などがある。
哲学者で浄土真宗僧侶、俳人。龍谷大学教授も務める、中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。
この句は奈良県生まれの彼らしく、大和の夏の夕暮れの景を巧みに詠んでいる。
日本で人家近くで見られる蝙蝠(こうもり)は「アブラコウモリ」(イエコウモリ)と呼ばれるもので、掲出する写真は、いずれも、これである。
アブラコウモリは東アジアの人家に棲む小型のヒナコウモリ科の哺乳類。日本でもっとも普通に見られる住家性の蝙蝠。
写真②は蝙蝠の口。
アブラコウモリは翼をひろげた長さが20センチほど。翼の間に見えるのが股間膜。これで羽ばたいて飛ぶ。体長は約5センチ、前腕長3.2~3.5センチ、体重6~9グラムという。
普通は木造、プレハブなどの建物の羽目板の内側や戸袋などに棲みついたりするらしい。数年前に二階の廊下に蝙蝠が入り込んで、妻が娘に早く追い出すように注意したことがある。下手に家の中に入れると棲みつかれてしまう。
アブラコウモリは翼をひろげた長さが20センチほど。翼の間に見えるのが股間膜。これで羽ばたいて飛ぶ。体長は約5センチ、前腕長3.2~3.5センチ、体重6~9グラムという。
普通は木造、プレハブなどの建物の羽目板の内側や戸袋などに棲みついたりするらしい。数年前に二階の廊下に蝙蝠が入り込んで、妻が娘に早く追い出すように注意したことがある。下手に家の中に入れると棲みつかれてしまう。
鉄筋コンクリートの住宅の外に開孔する排気管の中に棲みついたりするらしい。この種類は洞窟や森林には棲まない。
夕方、街中や川の上を集団で飛びまわって飛びながら蚊や羽虫を食べている。
ツバメかと思って、よく見ると尻尾がないのでコウモリだと判る。
私が、このイエコウモリに初めて出会ったのは戦争末期に米軍の焼夷弾爆撃から街を守るために防火帯として広い道路を作るというので人家を強制的に壊した、いわゆる「疎開道路」という政策のために京都駅南側の人家の引き倒しに動員された時である。
人家に潜んでいたイエコウモリを学友の誰かが捕まえて掌の中に包んでいたのである。掴んでみると哺乳類だから暖かかった印象が第一である。
コウモリは人には聞こえない周波数の高い声を出してレーダーのように使って、障害物を巧みに避けるという。
蝙蝠は俳句などでは「かはほり」というが、これは蚊を欲するゆえと言い、この「かわほり」が転じてコウモリとなったという。姿や習性から気味悪い動物と思われがちだが、虫などを食べる有益な動物だということである。
以下、歳時記に載る蝙蝠の句を引いて終わる。
かはほりやむかひの女房こちを見る・・・・・・・・与謝蕪村
かはほりや仁王の腕にぶらさがり・・・・・・・・小林一茶
蝙蝠に暮れゆく水の広さかな・・・・・・・・高浜虚子
蝙蝠やひるも灯ともす楽屋口・・・・・・・・永井荷風
歌舞伎座へ橋々かかり蚊食鳥・・・・・・・・山口青邨
蝙蝠に稽古囃子のはじめかな・・・・・・・・石田波郷
三日月に初蝙蝠の卍澄み・・・・・・・・川端茅舎
かはほりやさらしじゆばんのはだざはり・・・・・・・・日野草城
鰡はねて河面くらし蚊食鳥・・・・・・・・水原秋桜子
蝙蝠や父の洗濯ばたりばたり・・・・・・・・中村草田男
蝙蝠や西焼け東月明の・・・・・・・・平畑静塔
蝙蝠に浜のたそがれながきかな・・・・・・・・山下滋久
妻の手に研ぎし庖丁夕蝙蝠・・・・・・・・海崎芳朗
夕方、街中や川の上を集団で飛びまわって飛びながら蚊や羽虫を食べている。
ツバメかと思って、よく見ると尻尾がないのでコウモリだと判る。
私が、このイエコウモリに初めて出会ったのは戦争末期に米軍の焼夷弾爆撃から街を守るために防火帯として広い道路を作るというので人家を強制的に壊した、いわゆる「疎開道路」という政策のために京都駅南側の人家の引き倒しに動員された時である。
人家に潜んでいたイエコウモリを学友の誰かが捕まえて掌の中に包んでいたのである。掴んでみると哺乳類だから暖かかった印象が第一である。
コウモリは人には聞こえない周波数の高い声を出してレーダーのように使って、障害物を巧みに避けるという。
蝙蝠は俳句などでは「かはほり」というが、これは蚊を欲するゆえと言い、この「かわほり」が転じてコウモリとなったという。姿や習性から気味悪い動物と思われがちだが、虫などを食べる有益な動物だということである。
以下、歳時記に載る蝙蝠の句を引いて終わる。
かはほりやむかひの女房こちを見る・・・・・・・・与謝蕪村
かはほりや仁王の腕にぶらさがり・・・・・・・・小林一茶
蝙蝠に暮れゆく水の広さかな・・・・・・・・高浜虚子
蝙蝠やひるも灯ともす楽屋口・・・・・・・・永井荷風
歌舞伎座へ橋々かかり蚊食鳥・・・・・・・・山口青邨
蝙蝠に稽古囃子のはじめかな・・・・・・・・石田波郷
三日月に初蝙蝠の卍澄み・・・・・・・・川端茅舎
かはほりやさらしじゆばんのはだざはり・・・・・・・・日野草城
鰡はねて河面くらし蚊食鳥・・・・・・・・水原秋桜子
蝙蝠や父の洗濯ばたりばたり・・・・・・・・中村草田男
蝙蝠や西焼け東月明の・・・・・・・・平畑静塔
蝙蝠に浜のたそがれながきかな・・・・・・・・山下滋久
妻の手に研ぎし庖丁夕蝙蝠・・・・・・・・海崎芳朗
2008/07/26のBlog
[ 13:06 ]
[ 季節の一句鑑賞 ]
──季節の一句鑑賞──
昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・・・・・・・・飯島晴子
「昼顔」は、およそ野生のもので、よく目にするものとしては「浜昼顔」であろうか。ヒルガオ科の蔓性多年草で、各地の海岸の砂地に自生する。砂の中に地下茎が横に走り、地上茎も長く伸びて砂の上を這い、丸くて厚く、光沢のある葉を互生する。
旺盛な繁殖力で、ときに広い面積に群生しているのを見かけることがある。地域によって異なるが5、6月ごろ葉腋に長い柄を出し、淡い紅色の花を上向きに開く。
この飯島晴子の句は、他の「存在感」を誇示するような花ではなく、地味に生きているヒルガオを「途方に暮れる色」と表現したのが秀逸である。
私には昼顔や浜昼顔を詠んだ歌はないので、歳時記から句を引いて終わる。
きらきらと浜昼顔が先んじぬ・・・・・・・・中村汀女
浜昼顔咲き揃ひみな揺れちがふ・・・・・・・・山口草堂
浜昼顔風に囁きやすく咲く・・・・・・・・野見山朱鳥
はまひるがほ空が帽子におりてきて・・・・・・・・川崎展宏
浜昼顔タンカー白く過ぎゆける・・・・・・・・滝春一
浜ひるがほ砂が捧ぐる頂きに・・・・・・・・沢木欣一
つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・清崎敏郎
海高し浜昼顔に跼む吾に・・・・・・・・森田峠
浜昼顔鳶が落とせし魚光り・・・・・・・宮下翠舟
浜昼顔廃舟錨錆び果てぬ・・・・・・・・小林康治
潮泡の音なく崩れ浜昼顔・・・・・・・・稲垣法城子
天日は浜昼顔に鬱(ふさ)ぎつつ・・・・・・・・中村苑子
浜昼顔島の空港影もたず・・・・・・・・古賀まり子
風筋は浜昼顔を駈け去りし・・・・・・・・加藤三七子
這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・高橋沐石
海鳴りや浜昼顔の引けば寄り・・・・・・・・下鉢清子
浜昼顔に坐すやさしさの何処より・・・・・・・・向笠和子
昼顔のあれは途方に暮るる色・・・・・・・・・・・・・・・飯島晴子
「昼顔」は、およそ野生のもので、よく目にするものとしては「浜昼顔」であろうか。ヒルガオ科の蔓性多年草で、各地の海岸の砂地に自生する。砂の中に地下茎が横に走り、地上茎も長く伸びて砂の上を這い、丸くて厚く、光沢のある葉を互生する。
旺盛な繁殖力で、ときに広い面積に群生しているのを見かけることがある。地域によって異なるが5、6月ごろ葉腋に長い柄を出し、淡い紅色の花を上向きに開く。
この飯島晴子の句は、他の「存在感」を誇示するような花ではなく、地味に生きているヒルガオを「途方に暮れる色」と表現したのが秀逸である。
私には昼顔や浜昼顔を詠んだ歌はないので、歳時記から句を引いて終わる。
きらきらと浜昼顔が先んじぬ・・・・・・・・中村汀女
浜昼顔咲き揃ひみな揺れちがふ・・・・・・・・山口草堂
浜昼顔風に囁きやすく咲く・・・・・・・・野見山朱鳥
はまひるがほ空が帽子におりてきて・・・・・・・・川崎展宏
浜昼顔タンカー白く過ぎゆける・・・・・・・・滝春一
浜ひるがほ砂が捧ぐる頂きに・・・・・・・・沢木欣一
つつつつと浜昼顔の吹かるるよ・・・・・・・・清崎敏郎
海高し浜昼顔に跼む吾に・・・・・・・・森田峠
浜昼顔鳶が落とせし魚光り・・・・・・・宮下翠舟
浜昼顔廃舟錨錆び果てぬ・・・・・・・・小林康治
潮泡の音なく崩れ浜昼顔・・・・・・・・稲垣法城子
天日は浜昼顔に鬱(ふさ)ぎつつ・・・・・・・・中村苑子
浜昼顔島の空港影もたず・・・・・・・・古賀まり子
風筋は浜昼顔を駈け去りし・・・・・・・・加藤三七子
這ひながら根の消えてをり浜昼顔・・・・・・・・高橋沐石
海鳴りや浜昼顔の引けば寄り・・・・・・・・下鉢清子
浜昼顔に坐すやさしさの何処より・・・・・・・・向笠和子
2008/07/25のBlog
[ 13:36 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の一首鑑賞──
一文字に引き結びたる唇の
地蔵よ雷雨の野づらをゆくか・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「地蔵菩薩」は五十六億七千万年先に弥勒下生、という仏教説話に基づいて衆生を救いにやって来るという。特に、子供の守り神として古くから庶民に信仰されている親しみのある仏様である。だから路傍や墓地の入り口に鎮座する「六体地蔵」などで目にするものである。
掲出した歌の一つ前に
風化の貌(かほ)晒せる石が記憶する蜜蜂の羽音と遠雷の響きと
という歌があるが、これも一体のものとして鑑賞してもらいたい。
時まさに「雷雨」の季節であるから、ふさわしいと思う。
一文字に引き結びたる唇の
地蔵よ雷雨の野づらをゆくか・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
この歌は私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
「地蔵菩薩」は五十六億七千万年先に弥勒下生、という仏教説話に基づいて衆生を救いにやって来るという。特に、子供の守り神として古くから庶民に信仰されている親しみのある仏様である。だから路傍や墓地の入り口に鎮座する「六体地蔵」などで目にするものである。
掲出した歌の一つ前に
風化の貌(かほ)晒せる石が記憶する蜜蜂の羽音と遠雷の響きと
という歌があるが、これも一体のものとして鑑賞してもらいたい。
時まさに「雷雨」の季節であるから、ふさわしいと思う。
私の歌のイメージは、雷雨の中もいとわずに子供たちを引き連れて地蔵が野づらを渡ってゆく、という空想である。
「雷」を「いかづち」と言うが、これは元は「いかつち」で、「いか(厳)」「つ(の)」「ち(霊)」の意味であり、「いかめしく、おそろしい神」の意であった。だから古くから「いみじう恐ろしきもの」(枕草子)とされてきた。そんな恐ろしい雷雨でも、地蔵には何ら支障はないのである。
そんなことを考えながら、以下の雷雨の句を見てもらいたい。雷は「はたた神」とも言う。
はたた神過ぎし匂ひの朴に満つ・・・・・・・・川端茅舎
夜の雲のみづみづしさや雷のあと・・・・・・・原石鼎
はたた神下りきて屋根の草さわぐ・・・・・・・・山口青邨
赤ん坊の蹠(あなうら)あつし雷の下・・・・・・・・加藤楸邨
遠雷や睡ればいまだいとけなく・・・・・・・・中村汀女
遠雷のいとかすかなるたしかさよ・・・・・・・・細見綾子
激雷に剃りて女の頚(えり)つめたし・・・・・・・・石川桂郎
遠雷やはづしてひかる耳かざり・・・・・・・・木下夕爾
真夜の雷傲然とわれ書を去らず・・・・・・・・加藤楸邨
鳴神や暗くなりつつ能最中(さなか)・・・・・・・・松本たかし
睡る子の手足ひらきて雷の風・・・・・・・・飯田龍太
大雷雨国引の嶺々発光す・・・・・・・・鬼村破骨
「雷」を「いかづち」と言うが、これは元は「いかつち」で、「いか(厳)」「つ(の)」「ち(霊)」の意味であり、「いかめしく、おそろしい神」の意であった。だから古くから「いみじう恐ろしきもの」(枕草子)とされてきた。そんな恐ろしい雷雨でも、地蔵には何ら支障はないのである。
そんなことを考えながら、以下の雷雨の句を見てもらいたい。雷は「はたた神」とも言う。
はたた神過ぎし匂ひの朴に満つ・・・・・・・・川端茅舎
夜の雲のみづみづしさや雷のあと・・・・・・・原石鼎
はたた神下りきて屋根の草さわぐ・・・・・・・・山口青邨
赤ん坊の蹠(あなうら)あつし雷の下・・・・・・・・加藤楸邨
遠雷や睡ればいまだいとけなく・・・・・・・・中村汀女
遠雷のいとかすかなるたしかさよ・・・・・・・・細見綾子
激雷に剃りて女の頚(えり)つめたし・・・・・・・・石川桂郎
遠雷やはづしてひかる耳かざり・・・・・・・・木下夕爾
真夜の雷傲然とわれ書を去らず・・・・・・・・加藤楸邨
鳴神や暗くなりつつ能最中(さなか)・・・・・・・・松本たかし
睡る子の手足ひらきて雷の風・・・・・・・・飯田龍太
大雷雨国引の嶺々発光す・・・・・・・・鬼村破骨
2008/07/24のBlog
[ 13:07 ]
[ 季節の一首鑑賞 ]
──季節の歌鑑賞──
献立(こんだて)は有季定型と鰻丼(うなどん)を
妻は供しぬ土用丑の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
今日は土用に入って初めての「丑の日」である。この日には「うなぎ」を食べることになっている。
年によっては土用に二回「丑の日」があり、今年がそれである。
この歌はもう二十年も前の歌で私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
亡妻・弥生は俳句をやっていたので「有季定型」というのは、そこから来ている。定型という言葉には、季節の
食事の「定番」という意味もこめてある。
この歌は私のWeb上のHPでもご覧いただける。
いつまでも亡妻でもあるまい、と思われるかも知れないし、また今年は「中国産」のものに発ガン物質などの混入事件などがあって、とかく「うなぎ」の評判が悪いが、今日の「丑の日」の記事として適当なものがないので、お許しを。
「うなぎ」好きの私なればこそである。
献立(こんだて)は有季定型と鰻丼(うなどん)を
妻は供しぬ土用丑の日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥
今日は土用に入って初めての「丑の日」である。この日には「うなぎ」を食べることになっている。
年によっては土用に二回「丑の日」があり、今年がそれである。
この歌はもう二十年も前の歌で私の第一歌集『茶の四季』(角川書店)に載るものである。
亡妻・弥生は俳句をやっていたので「有季定型」というのは、そこから来ている。定型という言葉には、季節の
食事の「定番」という意味もこめてある。
この歌は私のWeb上のHPでもご覧いただける。
いつまでも亡妻でもあるまい、と思われるかも知れないし、また今年は「中国産」のものに発ガン物質などの混入事件などがあって、とかく「うなぎ」の評判が悪いが、今日の「丑の日」の記事として適当なものがないので、お許しを。
「うなぎ」好きの私なればこそである。
「土用」あるいは「丑の日」などの言葉は、「暦」に関係するもので、土用は二十四節気のもの。丑の日は十二支のものである。深遠な暦法の話が、こうして、すっかり日本人の庶民の生活に溶け込んでいるのも微笑ましいことである。
それよりも先ず、二番目の写真は名古屋地方で食べられる「ひつまぶし」という鰻丼の一種である。セットになっていると結構高くて2000円くらいはする。中京圏ということで三重県でも出てくる。名古屋は独特の生活慣習を持っているところで、うどんも「きしめん」という幅広のものが愛用される。
それよりも先ず、二番目の写真は名古屋地方で食べられる「ひつまぶし」という鰻丼の一種である。セットになっていると結構高くて2000円くらいはする。中京圏ということで三重県でも出てくる。名古屋は独特の生活慣習を持っているところで、うどんも「きしめん」という幅広のものが愛用される。
三番目の写真は普通の「うな重」だが、このくらいの膳になると3000円~4000円は、する。肝吸いが付いていれば当然である。
ここで土用の丑の日に鰻が日を決めて食べられるようになったイキサツの薀蓄を少し。
江戸時代、何か鰻の食用増進に良い知恵はないかと、さる鰻屋が平賀源内に相談したところ、源内が「本日、丑の日」と紙に書いて店頭に張り出した、のがはじまりとされている。土用の丑の日に消費される鰻の数は、物凄いもので、鰻屋としては平賀源内は神様みたいなものである。
この話には前段がある。「万葉集」に大伴家持の歌として
石麻呂にわれ物申す夏痩せに吉(よし)といふものぞ鰻とり食(め)せ
という有名な歌がある。夏痩せに鰻が有効という、最古のキャッチコピーとも言えるが、平賀源内は、この歌を知っていたものと思われる。
ここで土用の丑の日に鰻が日を決めて食べられるようになったイキサツの薀蓄を少し。
江戸時代、何か鰻の食用増進に良い知恵はないかと、さる鰻屋が平賀源内に相談したところ、源内が「本日、丑の日」と紙に書いて店頭に張り出した、のがはじまりとされている。土用の丑の日に消費される鰻の数は、物凄いもので、鰻屋としては平賀源内は神様みたいなものである。
この話には前段がある。「万葉集」に大伴家持の歌として
石麻呂にわれ物申す夏痩せに吉(よし)といふものぞ鰻とり食(め)せ
という有名な歌がある。夏痩せに鰻が有効という、最古のキャッチコピーとも言えるが、平賀源内は、この歌を知っていたものと思われる。