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K-SOHYA POEM BLOG
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2008/12/10のBlog
──季節の一句鑑賞──

降る雪や明治は遠くなりにけり・・・・・・・・・・・・・・・中村草田男

この句は草田男の数多い句の中でも、とりわけ有名な作品である。
今では作者名さえ知らずに、この句を口にしている人も多いだろう。
この句の由来は、昭和6年、草田男が20年ぶりに東京で小学校上級生当時通学した母校・青南小学校(東京、青山高樹町在住当時)を訪ね、往時を回想して作ったものという。
初案は「雪は降り」だった。
しかし、推敲された「降る雪や」の方が、ずっといい。「雪は降り」では、雪の降る動きは示せても、下の句につながるだけで趣はでない。「降る雪や」と切れ字「や」と置いて、一旦ここで一拍おいたために、中7下5の叙述の印象が一段と深くなる作用をしている。
「降る雪や」という上句が「明治は遠く」という中7に、離れつつ大きく転じてゆくところに、この句の秘密というか工夫があり、有名になり過ぎたにもかかわらず、或るういういしい感慨の所在が紛れずに保たれているのも、その所為だろう。(昭和11年刊『長子』所載)
「明治は遠く」に関していうと、句が作られたのが昭和6年ということは、大正15年プラス5年(大正15年と昭和元年は重なる)で、合計20年である。「一昔」という年月の区切りはほぼ10年と言われているから、まさに「二昔」(ふたむかし)と言えるだろう。
今年、「平成20年」は、昭和の年号が終ってほぼ二昔になるので、この頃では「昭和は遠くなりにけり」などと言われるようになってきた。歳月の経つのは早いものである。

北国では、もう「初雪」の便りも済んだ。
本州の太平洋岸では、まだまだ先の話である。
というより、雪の降り方には、北と南では、全くちがうのである。北国では西からの低気圧と寒気によって降雪が起こるのに対して、太平洋岸に雪が降るのは、俗に「台湾坊主」という低気圧が南岸を東進するときに、北から寒気が進入して雪を降らせるのである。雪片も大きく、水分をたっぷり含んだ重い雪でベタ雪であって送電線などの倒壊などの被害をもたらす。そんな時期は真冬というより晩冬、春先に多い。2.26事件の日の大雪などが、そうである。

日本の古来の美意識では「雪・月・花」と言って、文芸における三大季題となっている。
言うまでもないが「花」=「桜」であることを指摘しておきたい。
そんな訳で「雪」を詠んだ句も多い。

 馬をさへながむる雪の朝かな・・・・・・・・芭蕉

 市人よ此の笠売らう雪の傘・・・・・・・・芭蕉

 撓みては雪待つ竹のけしきかな・・・・・・・・芭蕉

 箱根越す人も有るらし今朝の雪・・・・・・・・芭蕉

 我がものとおもへばかろし笠の上・・・・・・・・其角

 下京や雪つむ上の夜の雨・・・・・・・・凡兆

 心からしなのの雪に降られけり・・・・・・・・一茶

 むまさうな雪がふうはりふはりかな・・・・・・・・一茶

 是がまあつひの栖か雪五尺・・・・・・・・一茶

 雪ちらりちらり見事な月夜かな・・・・・・・・一茶

などの名句がある。明治以後の句は、また後日。
2008/12/09のBlog
──季節の歌鑑賞──

黄落を振り返り見る野のたひら
 野はゆく年の影曳くばかり
・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
本年も師走に突入して、はや初旬が終ろうとしている。そろそろ年賀状の用意をしなければならないか。
辺りを見回してみると、落葉樹の木々はあらかた葉を落とし、先日までは赤や黄の「紅葉」をつけて照り映えていたのが、足もとにたっぷりと落葉の絨緞を敷き詰めたようになっている。
おかげで、野末は見晴らしがよくなって木々の根元まで陽が射すようになった。
これから冬至までの半月ほどが、一年中で一番昼が短く、夜が長い頃である。
「紅葉散る」というのが「冬」の季語である。
紅葉し、かつ散り始める晩秋から、紅葉散るの冬へ、季節は確実に動いてゆく。美しく散り敷くこともあり、土まみれになって貼りついていることもあり、紅葉の在りようも、
人生に似て、さまざまである。
写真②③④は「散り敷く」紅葉である。これらはネット上で、piita3氏のページから拝借したものであり、場所は京都郊外の「勧修寺」である。
ここに名を記して御礼申し上げる。

『夫木和歌抄』に

秋暮れし紅葉の色に重ねても衣かへうき今日の空かな

という歌があるが、これは初冬の紅葉を詠ったものである。秋用の衣から、冬用の着物に「衣替え」するのも、憂いことである、と詠まれている。
昔の人は、こういう「痛ましい」感じのもの、「あわれ」の思いの強いものに拘ったのであった。
『古今集』に

山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり・・・躬恒

という歌があるが、落葉となる紅葉のはかなさが中心のイメージと言える。

 夕映に何の水輪や冬紅葉・・・・・・・・渡辺水巴

 冬紅葉冬のひかりをあつめけり・・・・・・・久保田万太郎

 美しく老ゆるも死ぬも冬紅葉・・・・・・・松井草一路

などの句は「冬紅葉」という季語の名句といえるだろう。
以下、「紅葉散る」「木の葉」などの句を引いて終る。

 紅葉散るや筧の中を水は行き・・・・・・・・尾崎迷堂

 尽大地燃ゆるがごとき散紅葉・・・・・・・・赤星水竹居

 紅葉散るしづけさに耳塞がれつ・・・・・・・・岡田貞峰

 今日ありてかたみに紅葉ちるを踏む・・・・・・・・藤野基一

 木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ・・・・・・・・加藤楸邨

 木の葉散るわれ生涯に何為せし・・・・・・・・相馬遷子
2008/12/08のBlog
──季節の歌鑑賞──

振り返ることのむなしさ腰下ろす
 石の冷えより冬に入りゆく
・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
写真①は、私の歌とは何の関係もないが、「腰下ろす石」ということで、ネット上で検索して発見した「義経の腰掛石」というものである。
頼朝に追われて逃げる義経が、休息のために腰かけたとされる石。京都の郊外の山科の京都薬科大学の校内にある。

 躓きし石にものいふ寒さかな・・・・・・・・野村喜舟

という句を先に紹介したが、「つまづく」石か、「腰かける」石かの違いはあるが、こういうように、無機物で、しかも自分とは何ら縁故のない、いわば「路傍の石」というものをも、詩歌の世界では、おのが対象物として作品化することが出来るのである。
私の歌しかり、この野村氏の句しかりである。
「冷たい」とか「冷える」という冬の寒さをいう言葉だが、これらは肌の感覚で捉えた「即物的」な表現である。
「京の底冷え」というが、これは底の方から、しんしんと冷えてくる感じである。
「石」や「水」という無機物は、冷え切ると、物凄く冷たいものである。

 なつかしき京の底冷え覚えつつ・・・・・・・・高浜虚子

という句があるが、虚子は南国の四国・松山の人であるから、何かの機会に訪れた京都の底冷えはひどく身に堪えて「記憶」にとどめられたのであろう。その意識が、この句の表現になっている。

 底冷の洛中にわが生家残る・・・・・・・・村山古郷

 底冷えの底に母病むかなしさよ・・・・・・・・井戸昌子

これらの人々は京都生まれだということが判る。
寒さが厳しくなると、水や土、室内のものまで凍ることがある。
若い頃に京都の北の「鞍馬」寺の門前の友人の家に泊めてもらったことがあるが、そこは寒くて、朝起きたら、寝ている肩口に粉雪がかすかに積もっていたことがある。障子の隙間から入ったものである。
家のすぐ裏に谷川が流れていたが、この辺りでは、撃ち取った猪の体は、そのまま谷川にロープでつないで水に漬けて置いておくのだそうである。いわば天然の冷蔵庫ということだが、そうすることによって猪についているダニなどの虫が死んで、ちょうど都合がよいのだ、ということだった。
今は暖冬化したので、一概には言えないが、京都市内でも、同志社大学のある「今出川」通より北では、比叡おろしの風に乗って粉雪がちらちら降るのが厳寒の常だった。
京都大学のある辺りも今出川通に面しているので、比叡おろしがまともに吹くので寒い。

「凍る」「氷る」「凍(こご)ゆる」「凍(い)てる」などの言葉を使った句もたくさんある。

 月光は凍りて宙に停れる・・・・・・・・山口誓子

 晒桶古鏡のごとく氷つたり・・・・・・・・阿波野青畝

 凍らんとするしづけさを星流れ・・・・・・・・野見山朱鳥

 折鶴のごとくに葱の凍てたるよ・・・・・・・・加倉井秋を

 馬の瞳も零下に碧む峠口・・・・・・・・飯田龍太

このように「自然現象」をも「人事」つまり人間にかかわるものとして作品化出来るのである。
今日は私の歌をきっかけにして、冬の寒さの表現の言葉を、さまざまに「敷衍」してみた。いかがだろうか。
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今日の「日付」のことで書いておく。
今日、12月8日は、六十数年前に、正確には1941年(昭和16年)に、日本がハワイの真珠湾を艦載機で奇襲し、アメリカと戦闘状態に入った日である。詳しくは太平洋戦争の年表を見てもらいたい。
そして、戦争開始からしばらくは戦果をあげたが、アメリカの国を挙げた「反攻」に遭い、遂には敗戦に至ることになった。
連合艦隊司令長官だった山本五十六は、開戦すれば日本はアメリカに必ず負ける、と反対したが、命令されたからには軍人として最善を尽すのは当然として、飛行機による真珠湾奇襲攻撃という戦術を立てたのも彼だと言われている。
今の若い人たちの中では、日本がアメリカと戦ったことを知らない人も居るということなので、敢えて、開戦記念日に際して書いておく。
2008/12/07のBlog
──季節の一句鑑賞──

話寒し終りはソクラテスになりて・・・・・・・・・・・・・・・加藤知世子

はじめに、この句に詠まれる「ソクラテス」のことについて少し書く。
ソクラテスは古代ギリシアの哲学者だが、BC469年頃~399年
4月27日に生きた人である。没年がはっきりしているのは、論争を
ねたまれて毒ニンジンを食べて獄死しているからである。
獄のなかでは、自分のことは一切弁明しなかったという。
この句は、その事実を踏まえて作られているようだ。

彼の妻はクサンチッペというが、三人の子があって、「悪妻」として有名だが、これは後世の作り話とされる。
この句の解釈として、クサンチッペのように悪妻の役割をして、というのも考えられるが、その場合には「ソクラテスの妻」と表現されなくてはならないから、これは無いだろう。
掲出した図版は「ソクラテスの死」というJ.L.ダヴィッド作の絵である。(1787年)
加藤知世子は加藤楸邨の夫人であり、苦学した楸邨をよく支えた人である。

話のついでにソクラテスのことを少し書き加えておくと、ソクラテス自身は著作を行わなかったため、その思想は弟子のプラトンや、歴史家のクセノポンの著作を通じて今に紹介されている。
今日は「寒し」というのが本論であるから、それに戻る。
さまざまな寒さがあろう。
冬のはじめに感じるひやっとした寒さ。寒気きびしい厳寒。酷寒。大寒などの他に、心理的な寒さ、心の寒さ、時代の寒さなど色々と挙げられよう。
『古今集』に

み吉野の山の白雪つもるらし古里寒くなりまさるなり・・・・・是則

という歌があるが、雪とともに言われ、また月寒し、冴ゆる、肌寒、身も冷ゆる、など対象や感覚を通して表現される。古来、この季題を詠んだ名句は多い。

 葱白く洗ひたてたる寒さかな・・・・・・・・芭蕉

 寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき・・・・・・・・芭蕉

 塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店・・・・・・・・芭蕉

 藍壺にきれを失ふ寒さかな・・・・・・・・丈草

 易水にねぶか流るる寒さかな・・・・・・・・蕪村

 椋鳥と人に呼ばるる寒さかな・・・・・・・・一茶

 次の間の灯で膳につく寒さかな・・・・・・・・一茶

などの句が、どの句も、寒さをきわだたせるものの選び方が見事である。
2008/12/06のBlog
──季節の一句鑑賞──

霜夜来し髪のしめりの愛(いと)しけれ・・・・・・・・・・・・・・大野林火

日が短い反面、冬は夜が長い。暖炉、炉、炬燵などが暖房としては風情があるが、今ではエアコンで部屋を暖めるのが主流であろうか。
「暖炉」に赤々と燃える火をみながら家族や友人たちと談笑するというのが理想であり、典型的な冬の夜の「癒し」というべきだろう。
私の住む辺りでは極寒の土地ではないから、部屋全体をエアコンで温めるということはしない。専ら、炬燵で暖を取るのが通常である。ひどく冷える極寒の夜にはガス・ストーブなどを短時間、補助的につける。
一番いいのは「掘りコタツ」である。脚が楽だし、姿勢も背中が丸まらなくて、いい。
下半身を暖めるのが一番だ。
今も私は、掘りコタツで、パソコンをいじっている。
冬の夜を表現する言葉は、いくつもある。
「冬夜」「夜半の冬」「寒夜」などの他に「霜夜」(しもよ)という言葉があり、これは霜の降りる夜のことを表す。霜は、地表の温度が氷点以下になると出来るもので、普通は朝の日の出前に出来るが、夜によく晴れて放射冷却のきびしい時などに、霜が白く見えはじめる。そういう冷えのきびしい夜を「霜夜」という。
『新古今集』に

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かた敷きひとりかも寝む

という歌があるが、霜夜の寒さ、さびしさを、よく詠っている。
俳句でも、昔は、ただ寝るしかなかったから

 ひだるさに馴れてよく寝る霜夜かな・・・・・・・・惟然

 念仏より欠(あくび)たふとき霜夜かな・・・・・・・・凡兆

 句を練りて腸(はらわた)うごく霜夜かな・・・・・・・太祇

 我骨のふとんにさはる霜夜かな・・・・・・・・蕪村

などの句が知られている。寝るほかない寒さ、所在のなさが詠まれている。
以下、「冬の夜」ないしは「霜夜」を詠んだ句を引く。
掲出句は「霜夜」を情感ふかく詠んでいて秀逸である。

 冬の夜やおとろへうごく天の川・・・・・・・・渡辺水巴

 寒き夜や折れ曲りたる北斗星・・・・・・・・村上鬼城

 冬の夜やふつふつ煮ゆる鍋のもの・・・・・・・・筏井竹の門

 闇走る犬猫どもの冬の夜・・・・・・・・山口誓子

 わが生くる心音 ト ト と夜半の冬・・・・・・・・富安風生

 一つある寒夜の林檎むかんとす・・・・・・・・田村木国

 耳掘ればがらんどうなる冬夜かな・・・・・・・・大野林火

 大き影もて寄合ひぬ冬夜僧・・・・・・・・中川宋淵

 冬夜世に欲るふぐりのごときやさしきもの・・・・・・・・森澄雄

 寒き夜の夫との間の畳の目・・・・・・・・山口波津女

 縮まりて縮まりて寒夜老いゆけり・・・・・・・・油布五線

 薄綿はのばしかねたる霜夜かな・・・・・・・・芥川龍之介

 もうひとり子欲しと誘ふ霜夜妻・・・・・・・・中条角次郎

 ひとつづつ霜夜の星のみがかれて・・・・・・・・相馬遷子

 病めば霜夜の言葉あたたか犬・猫に・・・・・・・・沖田佐久子

 霜夜経て移り住む家の楢櫟・・・・・・・・杉山岳陽

 霜夜野犬杭を打ち込むごとく啼く・・・・・・・・森澄雄
2008/12/05のBlog
──季節の歌鑑賞──

冬空に遠花火みえ人の訃(ふ)は
 風のごとくに吹き過ぎにけり
・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。

冬の花火は寂しいものである。
花火というのは夏の季節のもので、他の季節には、めったに上がるものではない。
特に、冬の花火というのは何か特別の行事などがある場合に限る。その花火も、主として「音」を聞かせるのが主旨のようであり、華やかさを演出するものではない。
その意味で、掲出した写真は、そぐわないかも知れない。なるべく地味なものを選んでみたが。

われわれは、日常なにげなく暮らしているが、人の「死」というものは、毎日、毎時、ひっきりなしに起っている。若い人の死があれば「もっと生きたかったろうに」と思い、功なり名を遂げた人の死には「よい人生を送られたなぁ」と嘆息したりする。
私のような老年になると友人、知人の死というのは、日常茶飯事となってやって来る。
今しも12月に入ったばかりだが、来年の年賀状を用意する時期だけあって、「喪中につき新年のご挨拶は欠礼します」旨のハガキが次々と舞い込む始末である。
ああ、あいつも遂にくたばったか、と何やら心に去来するものがある昨今である。
しかし、身近な肉親と違って、友人、知人の「死」を知っても、「物凄い」ショックを受けることは、ない、というのが実情だろう。
掲出した歌は、まさに、そういう心情を詠んでいる。
「風の吹き過ぎるように」訃報も「吹き過ぎ去って」ゆくのである。
私の第三歌集『樹々の記憶』 (短歌新聞社)に、こんな歌がある。

「ねむりても旅の花火の胸にひらく」冬の花火ってさみしくていいもんだよ

カギ括弧の中の俳句は大野林火のもので、林火の「辞世の句」と言われている。この歌を含む13の歌は、それぞれの人の「辞世の句」を歌の中にコラージュとして引用してある。大野の作品であることは
*印を振って明記してある。項目名は「辞世①」である。
こういう、自作の中に他人の作品の一部をコラージュとして引用ないしは取り込むのは、現代詩では普通にやられていることだが、短歌の世界は古くて、いろいろ雑音が多くて困ったことがある。歌壇の世界が閉鎖的なのである。

「花火」というのは「夏」の季語であり、ここでは季節が違うので引用するのは遠慮しておく。
2008/12/04のBlog
──季節の一句鑑賞──

生あるものこの冬蝶に逢ひしのみ・・・・・・・・・・・・・・福田蓼汀

俳句の冬の季語に「冬蝶」というのがある。
蝶は完全変態する昆虫であり、卵、幼虫、蛹、成虫の4状態の中のどれかで越冬する。
成虫で越冬する蝶は、暖かい日には舞い出てくる。
写真①は「黄蝶」である。
写真②は「ムラサキシジミ」である。本州中央部では、写真に挙げた蝶の他には「テングチョウ」「キタテハ」などが成虫で越冬する蝶として見られる。冬の暖かい日ざしの中で日光浴をしたりする。休眠状態のまま越冬するのである。
凍てつく冬に、なぜ彼らが大丈夫かというと、体液中に糖アルコールが含まれていて、それが言わば「不凍液」の役目を果たしているのだ。ある実験によるとマイナス24~26度くらいまで凍らないことが報告されている。
そんな休眠状態中の彼らが、突然の温度上昇があると目覚め、飛び立つという訳である。
写真③は「ルリタテハ」である。

私の歌に(第二歌集『嘉木』(角川書店)所載)

雷鳴が記憶をつんざく夜明けにてまほろばの紙となりたる冬蝶

というのがある。

私の歌について言うと、そういう休眠中の蝶を「まほろばの紙」として、私は捉えたのであった。この歌全体の醸し出す雰囲気を味わってもらいたい。物みなが凍りつく冬の夜明けにあって、息をひそめて休んでいる「冬蝶」が、「まほろば」でなくて何であろうか、まるで「紙」のように身をやつしてーーー。

「冬蝶」「冬の蝶」「凍蝶」という季語の句を少し引いて終る。
なお「凍蝶」というのは、冬の季節が深まり、厳寒のものを言う。

 茶畑の波濤が生みし冬の蝶・・・・・・・・富安風生

 冬の瑠璃蝶密着の翅開き初む・・・・・・・・中村草田男

 わが咳がたたしめし冬の蝶は舞ふ・・・・・・・・加藤楸邨

 冬の蝶睦む影なくしづみけり・・・・・・・・西島麦南

 冬蝶を口もていちどならず吹く・・・・・・・・三橋敏雄

 冬蝶の夢見むとゐる伽藍かな・・・・・・・・藤田湘子

 冬の蝶ためらへば日がなくなるぞ・・・・・・・・中村春芳

 湖へ木戸あいてゐる冬の蝶・・・・・・・・阪本政子

 冬蝶の翔てば静かに影従ふ・・・・・・・・高田秋仁

 凍蝶に指ふるるまでちかづきぬ・・・・・・・・橋本多佳子

 凍蝶を見し身の如くかへりみる・・・・・・・・中村汀女

 凍蝶も現し身に添ふ十二月・・・・・・・・中村苑子

 凍蝶を過(あやまち)のごと瓶に飼ふ・・・・・・・・飯島晴子

 冬の蛾のいきいきといま現れし・・・・・・・・高島茂

 凍蝶か凍蝶の死か吹かれあり・・・・・・・・坊城俊樹

 遠つ世の禁色の蝶凍てにけり・・・・・・・・石田小坡

 翅ひらくたび凍蝶の色こぼす・・・・・・・・井手千二
2008/12/03のBlog
──季節の歌鑑賞──

野仏の翳(かげ)れば野には何もなく
 すとんと冬陽落ちてゆきたり
・・・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥

この歌は私の第二歌集『嘉木』(角川書店)に載るものである。
冬の景色で、趣のあるのは、やはり田園だろう。野原一面に荒れた、さびたような風景
──これを「冬ざれ」と呼ぶ。
「冬ざれ」という言葉は、はじめは「冬されば」と使い「冬になれば」の意味で使われたが、次第に「冬ざれ」に変じて「冬のも中」の意味になり、「冬至って草木凋落し自然が荒(すさ)んだ相を呈している」ということを表すようになった。

 冬ざれや小鳥のあさる韮畑・・・・・・・・・・・・・与謝蕪村

の句などは、そのような意味で使われている。
「冬めく」という言葉がある。
目に見える景色が、すっかり冬景色になっていなくても、いかにも冬らしくなってきた、という感じを指す言葉である。本州の太平洋岸辺りでは、今ころの風景は、この「冬めく」という感じではないだろうか。冬の季節は11月はじめ辺りから冷暖冷暖を繰り返しながら、一歩づつ寒さが深まってゆくので、暖かい日のあとに、急に冬らしい寒い朝を迎えたりするのである。

「霜月」という言葉があるが、これは陰暦11月の和名で、太陽暦では12月に当たるだろう。寒さが加わって、冬がたけなわになりはじめる頃である。
『奥義抄』『和歌童蒙抄』に、「霜月とは霜しきりに降る故」とも「霜いたく冴ゆるによりて」とも書かれている。
ともかく霜が降るほど寒くなった、本格的な冬の月ということである。

 霜月や日まぜにしけて冬籠・・・・・・・・向井去来

という句は、霜月という季語の「本意」(ほい)だと言われている。
これらの言葉を季語として含む句を引いて終る。

 冬ざれや石に腰かけ我孤独・・・・・・・・高浜虚子

 冬ざるる豆柿のあまさとほりけり・・・・・・・・室生犀星

 冬ざるる顰(ひそみ)を深く裏浅間・・・・・・・・富安風生

 冬ざれやころろと鳴ける檻の鶴・・・・・・・・水原秋桜子

 冬ざれの中に角帽あぶらじみ・・・・・・・・山口誓子

 大石や二つに割れて冬ざるる・・・・・・・・村上鬼城

 舗道ありなほ冬ざれの田を列ね・・・・・・・・加藤楸邨

 しらたきと豆腐と買ひて冬ざるる・・・・・・・・久保田万太郎

 冬ざれや父母の拠る灯がわが灯(ともし)・・・・・・・・野沢節子

 冬ざれや卵の中の薄あかり・・・・・・・・秋山卓三

 口に袖あてて行く人冬めける・・・・・・・・高浜虚子

 かへりきて冬めくわが家童女あり・・・・・・・・飯田蛇笏

 冬めくや引き捨てて積む葡萄蔓・・・・・・・・伊藤月草

 欠航といふも冬めくもののうち・・・・・・・・高野素十

 冬めくやこころ素直に朝梳毛・・・・・・・・石橋秀野

 冬めくや土竜の土の新しく・・・・・・・・遠藤紅雨

 好日のつづきながらも冬めきぬ・・・・・・・・田倉桃生

 霜月や日ごとにうとき菊畑・・・・・・・・高浜虚子

 霜月のかたつむりこときれてゐし・・・・・・・・日野草城

 雪待月林はもののこゑ透る・・・・・・・・加藤楸邨

 霜月や軒にかさねし鰻笊・・・・・・・・安住敦

 霜月や手燭の翳のマリア像・・・・・・・・倉田春名
2008/12/02のBlog
──季節の一句鑑賞──

生きるの大好き冬のはじめが春に似て・・・・・・・・・・・池田澄子

「冬」という季節の概念は、歳時記では「立冬」(11月8日頃)から「立春」(2月4日頃)の前日までを言う。太陽暦では、ほぼ11月、12月、1月に当たる。気象上からは12月、1月、2月ということになる。
また「九冬」という言葉があり、これは冬九旬、すなわち冬の90日間のことである。
「三冬」というのがあり、これは初冬、中冬、晩冬を表現する。
他に「玄冬」「玄帝」「黒帝」「冬帝」「冬将軍」というような言葉もある。
ここに掲出した写真は、フリー壁紙の「珈琲ぶれいく」のサイトから拝借したものであり、極めて鮮明な画像で、クリックして拡大してもらえば、より迫力のある写真が見られる。記して御礼を申し上げる。

冬の気圧配置は西高東低型になることが多く、西に大陸高気圧、東に低気圧があって、寒い季節風が吹く。太平洋側は乾燥して晴れ、日本海側は曇りや雪になる。もちろん、それらがいろいろに変化して日本の冬の気象が形作られることになる。
寒さも一本調子というわけではなく、「寒」に入っても「三寒四温」という強弱の推移を辿ることになる。
『古今集』に

山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば・・・・・・・源宗于

という歌があるが、「枯れてさびしい」「ものの終り」というのを表現しているものである。
なお、「冬」ふゆ、という呼び方の由来は「冷える」「ひゆ」から来ていると言われている。つまり、天気が悪くて「冷ゆる」ゆえ、とされている。
太陽暦で12月はじめという今の季節は「初冬」ということになる。「しょとう」とも「はつふゆ」とも訓(よ)まれる。
野山の枯れ色が目立ちはじめ、北国からは雪の便りが聞かれるようになる。農作物の収穫はほぼ済み、冬になだれこんで行くような時である。
『夫木和歌抄』に

冬されば野原もいとど霜がれてものさびしくもなりまさるかな・・・・・・俊成

と詠まれる季節感である。
因みに申し上げておくと「冬されば」というのは「冬になれば」という意味である。
「冬」という言葉をめぐっては、まだまだ書きたいことがあるが、今日は、このくらいにして、「冬」ないしは「初冬」という季語を含んだ句を引いて終る。
掲出句には、とかく「縮こまり」がちな初冬らしくない、明るい句を選んでみた。
いかがだろうか。

 冬帝先づ日をなげかけて駒ケ嶽・・・・・・・・高浜虚子

 冬といふもの流れつぐ深山川・・・・・・・・飯田蛇笏

 何といふ淋しきところ宇治の冬・・・・・・・・星野立子

 中年や独語おどろく冬の坂・・・・・・・・西東三鬼

 鳥の名のわが名がわびし冬侘し・・・・・・・・三橋鷹女

 冬すでに路標にまがふ墓一基・・・・・・・・中村草田男

 冬青き松をいつしんに見るときあり・・・・・・・・石田波郷

 虹消えて馬鹿らしきまで冬の鼻・・・・・・・・・加藤楸邨

 雉子鳴いて冬はしづかに軽井沢・・・・・・・・野見山朱鳥

 父母や椎樫の冬チカチカす・・・・・・・・森澄雄

 山河はや冬かがやきて位に即けり・・・・・・・・飯田龍太

 歳月やまた鉄骨の冬錆びて・・・・・・・・杉山岳陽

 海光を海にかへして冬の崖・・・・・・・・平井照敏
初冬や庭木にかわく藁の音・・・・・・・・室生犀星

 初冬やシャベルの先の擦り切れて・・・・・・・・山口誓子

 初冬や行李の底の木綿縞・・・・・・・・細見綾子

 初冬や涙のごとき雲流れ・・・・・・・・岸秋渓子

 鳥たちに木の実の豪華冬はじまる・・・・・・・・八幡城太郎

 只の顔して冬のはじめのほとの神・・・・・・・・森澄雄

 初冬の浄土びかりす熊野灘・・・・・・・・・福田甲子雄

 冬はじめ捨つべきものを捨て始む・・・・・・・・三浦美知子

 母の彳つ高さを冬のはじめとす・・・・・・・・長谷川双魚

 初冬の海を鏡に子の読書・・・・・・・・原和子
2008/12/01のBlog
──<非>季節の歌鑑賞──

わがつたなき生(いのち)のなぎて朝光に
 花模様のブラウス濯ぎゐたりき
・・・・・・・・・・・・・・・・中埜由季子

中埜由季子(なかの・ゆきこ)さんは、1945年高知県生まれの人で、大阪薬科大学を出られた。
1993年に第40回角川短歌賞を受賞された。
この歌は第三歌集『朱き月』(2007年角川書店刊)に載るものである。
私の詩集『免疫系』贈呈のお返しとして恵贈されたものである。
中埜由季子さんには、『町、また道のべ』 『京の曙』の歌集がある。
彼女の夫君は医師であり、目下、京都府南端の木津川市にある「公立山城病院」の院長をなさっている。
ここは京都府南部での拠点病院であり、糖尿病治療の専門家らしい。

以下、私の目に止まった歌を引く。

金柑の棘あと疼くてのひらをめぐりてきざむわが脈動は

けふもまた夫と子と帰宅遅ければ灯ともす船のやうにわれゐる

春雷の遠のくかの谷青あをと立ちやまぬ風の渦ひかりゐん

わが弱きこころ支へて包みくるる樹下とおもひひとしきり寄る

朝あをき刃のやうなるわが腕にコロンの滴くだけて光る

あやしくも今宵光りてくれなゐの火星と照りあふわれの地球儀

沈黙の表情厳しき夫なれど帰りし息子にシチュー煮てをり


ふたりの子帰宅し揃ふを確かめて夫がふたたび書斎に籠る

このあした割れば弾力ある卵われに覚めよと照らしてやまず

白髪のひかるわが髪手触れつつ寂しく老いるのみと思はず

凍りたる雪割りて逞しく生ひしもの春キャベツ売る店内をゆく

賀茂街道とよみふくかぜ耳底にかそけくなりて光る夜の雲

春雷のひかり弾きて照りかへし賀茂茄子太るほとりを歩む

曇日の湖上叫びゆく水鳥の真紅の咽喉見たるたまゆら


子を叱るわれなりしかどおどおどと夕べ老母に叱られゐたり

泳ぎきり夏潮まとふわがからだ砂上にふとき雫をおとす

トンカツを揚げてカツ丼作らんとおもふ試験日近き子のため

玄米とぎ菜をきざみし手しばし止め俳句作りていますわが母

みづみづと高峰いづる朱き月てりてぬくもる街屋根しづか

つたなくも生きゆくわれに葉を垂れて黙し見まもる桃の一樹は

ひたむきに生きつつをれば米をとぐ手に立春の光さしをり
2008/11/30のBlog
■■■■■ お 知 ら せ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
かねて製作中の私の詩集『免疫系』(角川書店刊)が出来上がりました。
限定400部の少数のため、一般書店への配本ルートには乗っておりません。
お取り寄せご希望の方は
(株)角川学芸出版TEL 03-3817-8536へ木村草弥詩集『免疫系』希望と
ご一報ください。 速やかにお届けします。 定価(税込み)3000円のみで提供。
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カバー図版はクリックすると大きくなる。大きくなった図版の右下に拡大マークが出る
ので、それをクリックすると更に大きく鮮明にご覧いただけます。

角川書店月刊「短歌」誌11月号から同誌に載る「新刊歌集」の紹介文のキャプションには

<詩と短歌と・・・・言葉の森を逍遥して、そこにある詩神に出会い、新たなるイメージを膨らませて一つの“心”に仕上げていく。病に伏した妻。その最後の一瞬まで看取り、思い出としての一刻一刻を文字に留めていった。この詩集に詩人の慟哭と魂の軌跡がそのまま封じ込められている。感動の詩集。>
11月になりました。世界恐慌との声もありますが。。。。
文化の日、勤労感謝の日の連休など秋の日を楽しみましょう。

 老いそめて恋も切なれ秋夕べ・・・・・・・・・・・・高井几董
 さびしさを日々のいのちぞ雁渡る・・・・・・・・橋本多佳子
 風と来てオロフレ山に
の声・・・・・・・・・・・長谷川草洲
 灯を点けて顔驚きぬ秋の暮・・・・・・・・・・・・・・小川軽舟
 秋の夜ことりと置きしルームキー・・・・・・・・・高山きく代
 ゴルゴダへの道ひと握りの塩を盛る・・・・・・・・・高島茂
 鉄道技師を父にキリコの地中海・・・・・・・・・・・・高島茂
 身近にも紅葉ありけりたたなづく・・・・・・・・・・高島征夫
 栗飯の栗の大きく料理店・・・・・・・・・・・・・・・・高島征夫


ご来訪くださいまして有難うございます。
ぜひコメントを置いて下さい。頂いたコメントには必ずお返事しますので、私の「返信」を忘れずにご覧下さい。
このDoblogは、私の知人、友人にも公開しているので、閲覧の便宜のために少し説明させて下さい。
私は、このDoblogをWeb上のHPと連動したものとして、日々詩作品や文章を書き溜めています。
私の、このBLOGは文芸に──特に「詩歌句」に特化したものとして編集しています。
体裁としては、今はもう終了したが朝日新聞の大岡信「折々のうた」、読売新聞の長谷川櫂「四季」、毎日新聞の坪内稔典「季節のたより」などを参照して分量としては、かなり長目の記事を書いています。
自作も多目に採り上げています。
ぜひ多くの方のご訪問と閲覧をお願いします。

2008年11月22日に私のBLOGへのアクセス数が遂に740000件を超えた。73万件を超えたのが
2008年10月30日であるから何とも早い達成であり感慨ふかいものがある。
私の場合、検索サイトからの人などDoblog以外からのアクセスが多いらしい。
アクセスして下さった人たちに心から感謝します。これからもよろしく。


■─My Works─■
私のWebのHP「木村草弥の詩と旅のページ─《風景のコスモロジー》─」にアクセスして頂くと、目次が20個弱並んでいます。詩、四冊の歌集の自選歌などの短歌と批評文、連句、旅日記、エッセイなど、自作と他人の作品が収録されており、各「目次」からリンク出来ます。
http://www.google.co.jp/あるいはhttp://www.yahoo.co.jp/で「木村草弥」と検索して頂くと、数百件の検索結果が出ます。重複も多いのですが、詳しく全部検索して頂くと、他には載らないエッセイなども読めます。
BLOGの文章はジャンル別に分けてあります。閲覧は左側の「ジャンル」から、お入り下さい。
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木村草弥の本について
私の本は、目下、出版社からは取り寄せ出来ません。「日本の古本屋」に出回っていることがありますから、
ここから検索してみて下さい。もう何人もお買いいただいています。
本(歌集)の題名はWebのHPをご覧下さい。よろしく。
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他称「若」年寄の日々侘び寂びのblogが京都に関する記事が満載で面白い。
もっとも、競馬の記事などもあるので、karesansui氏の「侘び寂びに関する記事」目次を呼び出してお読み下さい。
前田雀郎ネット(yahantei)氏運営の『晴生のブログ』が面白い。俳句、川柳、連句などに関する豊富な話題の記事が満載だ。ぜひアクセスしてみて下さい。
「角川書店」話題の新刊書
「新潮社」今月の新刊
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「集英社文庫」新刊
「岩波書店」
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2008/11/29のBlog