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Mike The Bike
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1983/08/01のBlog
[ 16:58 ] [ モーターサイクル ]
最近、廃墟マニアが多くて、色々のサイトが有り賑やかです。私も、湯川温泉やホテルスシヨシ等の有名スポットに何箇所か付き合され?ましたが不法侵入で通報される等の事件がよく報道されます。

そんな風潮に乗ったような番組が先ほど朝日放送で有り、思わず見てしまいました。そのなかの一つ、悲劇の秘湯として紹介されていたには、私が25年ほど前に訪れた田代元湯でした!確かにバイクを止めてから30分、山道を歩いて、つり橋を渡って行く、電気の着ていないランプの宿でした。90年代に廃業されたようです。

なんでも、例の八甲田山の行軍の際に、この温泉を目指していたが、辿り着けずに199人が凍死したのだそうだ。

翌日訪れた太宰治の斜陽館。
この当時は旅館と喫茶を営業していたが、現在は閉館されているようだ。
この時はスズキの刀で北海道から東北をまわりました。
恐山、2度目です。
10年前に比べると、観光地化されてます。
発荷峠から十和田湖を望む。
1977/08/25のBlog
[ 15:48 ] [ 自転車 ]
白浜まで輪行。

日置川に掛かるこの橋は05年現在、未だ残ってます。
昔の42号線はこんなでしたね!
66年のツアーを思い出します。
橋杭岩
潮岬

今考えると、66年の時は勿論ですが、この時も夏休み中にも関わらず、車も少なく良い時代に走れたナァと思いますね。
1977/06/26のBlog
☆コース: 伊丹⇒ 千歳空港→ 札幌→ 稚内 →礼文島→利尻島→ 利尻山登山 → 稚内→ サロベツ原野→ 小樽(フェリー) 舞鶴

72年の北海道ツーリングで渡れなかった利尻・礼文に自転車を担いで行きました。
定番の最北端の地

サロベツから利尻山を望みます。

稚内駅、この頃は未だ良い雰囲気ですね。
途中には利尻登山礼文8時間コースも、天気が良い!
有名なネコ岩です。
礼文島縦断利尻一周してきました。

 
 
1977/06/25のBlog
[ 23:42 ] [ 自転車 ]
利尻に渡り、島内一周
姫沼から。
全然、車は通りません!
ノンビリ、走れます。
一周して、港に戻って着ました。
1977/06/24のBlog
[ 16:07 ] [ 自転車 ]
スコトン岬からスタート。
誰も居ないので、セルフで。
ダート部分ではノンビリと。
あれが桃岩です。
もうすぐ7月なのに、寒いです!
アップダウンが結構あります。
1977/06/23のBlog
上部に見えるスコトン岬からスタート。
岬の先にとど島が見えてます。
ユースの同宿者と歩きます。
向こうに見える桃岩が終点。
誰もいない漁村。
お土産に、こんな貝殻を拾いました。
1977/06/22のBlog
[ 15:39 ] [ 山 ]
念願の利尻登山に出発。
この頃は海抜0からスタートです。ユースで知り合った慶大女生と登ります。
途中にある山小屋で休憩。
山頂が近づいてきました
反対側からのルートはかなり危険です。
礼文が足元にみえます。

map
1977/06/21のBlog
[ 17:02 ] [ 自転車 ]
稚内への列車は夕方発なので駅で自転車を組み立て、市内をポタってみる。
サロベツ原野
向かい風の中。
牛もノンビリ
後は豊富から列車に乗り込んで、旅もおわりです。
1976/07/15のBlog
7月1日は富士山の山開きです。
何時もテレビのニュースお見ながらまぁよくあんなにゾロゾロと連なって山登りするなぁっと思います。他人のお尻を見ながら歩いて何が楽しいのでしょうか!


私が富士山に登ったのは中部ツーリングの途中に今頃の山開きから2週間日ほど過ぎた平日だったので殆ど人に会うことはなかったです。

小さい火山岩がコロコロして歩き難い道を5時間で登り、下りは1歩足を踏み出すと5メートル程ズズゥーと滑っていくので、1時間半で降りてきました。

関西からだと遠いので、なかなか行けませんが、矢張り日本一の山!1度は登っておきたい山ですね。
1975/08/16のBlog
[ 11:06 ] [ 山 ]
先ず島内を一周
西海岸はダートで、車とは一台も会わなかった。
トロッコ線路をトコトコと歩くが、枕木と歩幅が合わず、歩き難い!
ウイルソン株、
今では考えられないが、ここで一人に合っただけだった。
内部の祠は今も有るらしい。
縄文杉

この日は無人の山小屋に泊まり、翌日、宮ノ浦岳を目指したが、あまりの豪雨で、途中で引き返したのは残念だった。
1972/07/14のBlog
[ 02:29 ] [ モーターサイクル ]
初めての北海道なので、行きは自走で行くことにする。
*14日
前日までの集中豪雨のあとの小雨の中、カッパを着込んで夜中の12時の時報とともに出発する。
名阪道が土砂崩れで通行止めとのことだが、一応、天理まで行ってみると、
矢張りダメなので、大津まで出て、1号線に入り、鈴鹿、浜松、静岡と通り東京に着く。
この間の事は、弁当を食べた事と静岡駅近辺で道に迷った事位しか覚えてない。

4号線の入り口が解らないので、皇居前で地図を調べていて、たまたま通りがかった白バイを手を挙げて止めて聞いてみると、先導してあげるから付いて来いとのことで、遠慮無く送ってもらう。

その後、日光のユースに無事到着し、すぐ仮眠! 本日の走行距離750km!だった。
夕食時には綺麗な東京の銀行員のお姉さんとお知り合いになり、コリャー初日からラッキー!
*15日
結構高い料金を払って磐梯吾妻スカイラインを通るが霧でなにも見えず。松島ユース泊まり
*16日
4号線を北上し中尊寺を拝観。
三陸海岸に出て、前を走っていた白バイに付いて65㌔位で巡航していると、
止められて、追尾でも違反になるぞと脅される。

宮古で浄土が浜を見学後、竜泉洞前にてテント泊。
寝ていると夜中にポリが来て懐中電灯浴びせながらの不審尋問を受ける。

*17日
 管理人のおじさんに鍵を開けてもらい、開園前に竜泉洞を1人で見学。
 しかし、1年前にこの鍾乳湖に潜ったまま行方不明のダイバーがいたのを知っていたので気味悪かったな。
 
 
盛岡に出ようと適当に走っていると凄いトレック道を走るが国道もダートなので気にせずに走る。田沢湖までも酷道だったが、そこから十和田までの区間がまた凄かった、コースみたい!後年、イーハトーブトライアル参加時に寄って思い出しながら走ってみましたが、舗装されていてイメージが全然違っていた。
十和田湖ユース泊。

*18日
期待していた奥入瀬(何故か写真を写していない)を通り、下北半島を北上、恐山に。
この頃はまだ人も少なく異様な雰囲気で気色悪かったなぁ。大間からフェリーで函館着。大沼のユースを目指してトンネルを抜けるとそこには北海道が!!
 
とうとう、来たゾー!

*19日
 長万部のロングストレートを岡林信康の「申し訳ないが、気分が良い」を大声で歌いながら走る。岩内、神恵内から開通したばかりの酷道で積丹を横断し神威岬に。
 札幌のユース泊。

*20日
 定番の時計台へ。
当然この当時はまだ雄冬海岸には道は無く、大きく遠回りして留萌へ。
ここから稚内まで延々工事中のダートだった。
 
 サロベツ原野の入り口付近から見た利尻山
 稚内ユース泊

*21日
 いよいよ最北端の宗谷岬だ!
 
この頃は未だバイクで傍まで行けた。

網走まで、海岸沿いは又もや酷道なので浜頓別から旭川を通り、
美人のペアレントが居ると有名な層雲峡ユースへ。

*22日
現在では高速コーナーを楽しめる大雪国道だが当時はまるでモトクロコースだった。

網走刑務所の前で出所の1枚! ↓に続く
[ 02:29 ] [ モーターサイクル ]
知床方面に入り、オシンコシンの滝。当時下の道は未だ出来ていない。
噂の岩尾別ユースに泊まる。
 
FS-1でツーリング中の女子高生とバイク談義していると、同宿者が乗ってみたいと言い出し、彼女が貸してあげるが案の定、こかしてレバーを折られる。パーツは網走にしかなく、足止めされていた。


*24日
 宿泊者男女15人程で、カムイワッカの滝で混浴!もちスッポンポンで!

*25日
 野付半島をカッ飛び(凄い凸凹)、トドワラ
 当時は奥までバイクでも入れた、TOPの写真。

納沙布岬から霧多布へ。
 ユース経験史上最悪の厚岸ユース(旅館の兼業)に。まぁ良い経験か?
 同宿者と話してみると長崎の友人の同級生だと判りビックリ!

*26日
 厚岸大橋は未だ無く、小さいフェリーで国道に。
 途中の幸福の駅で知り合った凄い山形弁の人と広尾でテント泊
 
*27日
 教科書で見ていた黄金道路から 襟裳岬へ
ウトナイ湖ユース泊
*28日 
昭和新山 
 地球岬 洞爺湖
オコタンペコ 30分の山登りが必要 

 もう1日走る予定だったが、フェリー会社に問い合わすと乗船可とのことで、
 繰り上げて帰ることに。


 この当時の北海道の道は本当に凄い状況で、殆ど各地が工事中だった。

 前方を砂煙が移動しているので、近づいてみるとバスだったりした。

 2年後に再訪してみると、主要道の殆どが舗装されていたのには驚かされた。

 こんな遠い所にはもう2度と来ることは無いだろうと思っていたが、

 後年、10数回も行くことに!

1966/12/27のBlog
[ 12:22 ] [ モーターサイクル ]
高一の冬休みに入り、バイクの免許を取得。
当時の区分けは原付と自動二輪だけでした。しかもテスト車は125CCのスクーターだ!

合格率は3割くらだったかな?
初バイクは当時250クラス最速のスズキT-20、市販車初の6速!
1966/08/18のBlog
中学3年の夏に同級生のH井君と来夏の近畿一周サイクリング計画を立てていました。ところがH井君は大阪一の進学校を受験予定だったので、回りのみんなからは計画倒れになるだろうと言われていましたが、予定通りに高一の夏に決行しました!

1966/08/01 map・・map2
24時の時報とともにスタート、18日間の旅が始まりました。
海岸沿いを行くと、奈良県を通らないので、穴虫峠で犬に吠えられながら大和高田まで出て、24号線を南下します。
御所を過ぎた辺りで、明るくなってきました。
手前はH井君のワンダーフォーゲル号!私はナショナルです。

1日目は150㌔程走って、有田の先の田村という何時も家から泳ぎに来ている海岸でキャンプです。

2日目は昨日の疲れも有り10時にのんびりとスタート!ところが、日の岬や道成寺など、あちこち寄り道したので、22時ごろまで走って、ようやく白浜の海岸でキャンプ。map・・ map2

3日目のスタートは円月島から、まだまだ元気です。 map
なんとH井君は学校の図書館からコースの殆どを網羅するだけの5万分の1の地図を借り出してきていました。流石、勉強家は違います!

三段壁にて、二人ともスポーツマンのバッグが新しいですね。
この旅行の為に、バッグとフロントキャリアを新調しました。

海岸沿いに42号線に出るルートは工事中で未だ通れず、しかたなく山の中を通って富田川を目指します。
余りの暑さに、山中の一軒家で水を頂いたのを覚えてます。

42号線に出て、富田川を渡りトンネルを抜けると、いよいよダートの始まりです。
ここから串本まで信号も無く、ずぅっと荒れた工事中の未舗装路地獄でした!

これは転倒したのではなく、路肩に止めたらこけただけです。
これが日置川辺りの国道42号ですよ!この時は、写してないで手伝ってヨ!と思いましたが、今となれば楽しい写真です。

町に来ると茶店が有り、まるで昔の街道を旅しているようでした。反対方向からのサイクリストとすれ違うと、どちらからともなく、立ち止まって、道路情報の交換をしていました。

続く↓
1966/08/01のBlog
橋杭岩辺りは、流石に舗装されてます。
ちなみにこの前日は、1番道路状況の酷かった周参見泊だったのですが、民家の横の空き地ににテントを張る許可を貰いにいって家に泊めていただくことになりました。

旅行後に礼状を出すと、今まで何人も泊めたけど、こんなのを貰ったのは初めてですと返事が帰ってきたのにはビックリしました!

4日目の朝、泳ぐ余力は無いです。
このテントもこのツアー用に松屋町に在った当時としては珍しいミズノのアウトレットショップで買いました。
17泊中、テント泊は11日、駅泊は2日、知人宅2日、見ず知らずの方宅2日でした。


かなりの登りになるのが分かってH井君は行かないと言うので、国道の交差点に残して、一人で那智の滝まで往復しました。

あまり待たせる訳にもいかず、大社の階段も駆け足でいきました。

これが、今回の旅のハイライトの矢ノ川峠です、前日は熊野駅に泊り。 map

朝早く、鬼が城に寄った後、峠を攻めます。途中でパブリカに1台すれ違った以外は車の記憶は無い。
当然、峠には未だ茶店が有りましたが、寄りませんでした。

6時頃ににようやく尾鷲に着くと、花火大会の真っ最中で、テントを張れそうも無く、
泣く泣く、真っ暗な中もう一つ峠を越えて相賀まで行きました。

駅で寝ようとしていると、大台が原で山小屋を経営しているという方から自分の家に泊めてあげるよと言われ、遠慮なく泊めていただく。


この後、伊勢、名古屋、岐阜から敦賀に出て、若狭湾(此処も凄い酷道)を通り、舞鶴、綾部、大津、明石、淡路島を経て大阪に戻りました。

先日、矢ノ川に有った碑の前で、40年ぶりに写真を撮ってきました。

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