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不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論入門講座
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2006/08/30のBlog
『宇宙意識』 リチャード・モーリス・バック著 尾本憲昭訳 (ナチュラルスピリット)

4931449360 約100年前に書かれ、さまざまな文献に引用されてきたという名著がようやく昨年翻訳されて出版されました。
 著者はイギリスの精神科医。随所に、時代の、国家の、そして彼の職業の影響が感じられます。それはそれとして、基本的な内容は非常に興味深いものです。例によって乱暴に要約しましょう。
 我々人類は他の動物と違い、種として大きな進化を遂げる。それはまた個人の進化をももたらす。その段階は、単純意識(動物にも存在する)から自己意識(人間に特有)へ、そして最終形態である「宇宙意識」へ。一般的に人間は自己意識を持つにとどまるが、歴史上偉大なる宗教家や哲学者、文学者などの一部は、宇宙意識にまで到達する。宇宙意識とは宇宙の生命と秩序に関する意識であり、それは地球と人類の存在すら変える可能性を持っている。しかし、人類の進化として見るならば、現代はいまだ自己意識の段階である…。
http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2005/08/post_ab69.html

不二草紙 本日のおススメ
古今東西 硬軟聖俗 なんでもござれ!今日心に残ったモノ・コト・ヒトを紹介します


参考:和訳(抄訳)
http://www.amazon.co.jp/%5b87%5b99%610f%8b58/dp/4931449360/sr=8-13/qid=1156892013/ref=sr_1_13/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=gateway

原文(無料 pdf版)
Cosmic Consciousness: A Study in the Evolution of the Human Mind

Richard Maurice Bucke
http://67.118.51.201/bol/BookDisplay.cfm?BookNum=45258
2006.8.29(その1)
森田実の言わねばならぬ[302]

質問に答えます私が小沢民主党政権を期待する理由(その2)
日本破壊・日本破滅の小泉・安倍政治を阻止し、倒す力をもった政治家は、いまや、小沢一郎民主党代表ただ一人である

「人生、自由、公共の品位にとって最悪の敵は、完全な無秩序である。二番目の敵は、完全な能率である」(オルダス・ハクスリー『アドニスとアルファベット』1956)
[小泉首相がやろうとしたことは、日本の完全な無秩序化だった。そして小泉首相がめざしたのは完全な能率化だった。その結果、小泉首相は日本を破壊した]

 小泉首相によって破壊された日本を再建する見識と能力をもつ政治家は、いまの政界においては小沢一郎氏ただ一人であるというのが、私の見方である。
 私が小沢一郎氏への期待を表明してから、5カ月が経つが、この間、いくつかの批判をいただいた。そのほとんどが、マスコミがでっち上げてきた小沢氏の負のイメージにもとづいたものだった。または自分の頭で理想の政治家を描いて、その理想像と小沢氏の過去のイメージとの間に差があるということであって、現実の政界において小沢氏以上にすぐれた政治家がいると考えた結果ではない。小沢一郎氏以上の能力ある政治家がいないことを認めた上で、ないものねだりをしているのである。あまりにも非現実的である。これでは政治にならない。政治は現実的相対的選択である。
 小泉首相は日本を滅茶苦茶にしてしまった。後継者になる可能性の高い安倍晋三氏は小泉政治を継承するという。安倍氏は小泉首相以上の反中国主義者であり、中国との対立、紛争を求めている政治家だ。戦争愛好者だ。しかも、政治能力は未知数だ。安倍晋三氏にあるのはマスコミによってつくられた人気だけである。安倍イメージは政治的意図と工作によってつくり上げられたものだ。安倍氏に、小泉政治によって壊された日本を建て直すことを期待するなどということは、到底、できることではない。
 しかも、自民党国会議員の状況は、「猫も杓子も安倍」である。「勝ち馬に乗れ」「乗り遅れるな」「寄らば大樹の陰」の大雪崩が起きている。いまの自民党は、1930年代のファシズム、ナチズム、日本軍国主義に似ている。まことに浅ましい光景である。自民党は、これでも政治家の集団といえるのだろうか。もはや自民党には日本の政治を担う力はない、と断定せざるをえない。
 いま政界全体を見渡したところ、公平に見て、政権を担当できる能力をもった政治家は、小沢一郎氏ただ一人である。小沢一郎氏は、日本を再建させるため、政権を取らなければならない。これが小沢氏に与えられた歴史的使命である。
 小沢一郎氏が次の総選挙までに民主党を政権担当能力をもつ政党に鍛え上げ、総選挙で自公連合軍を打ち破り、小沢民主党政権を樹立することが、日本再建の道であることについては、偏狭な考えをもった自民党員と公明党員でなければ、十分理解できることであろう。大多数の日本国民が納得できることではないかと思う。
 大多数の日本国民が小沢一郎氏の真実の姿と政治家としてのすぐれた資質を知り、小沢氏の理念と政策を理解し、民主党員全員が小沢イズムのもとで団結したとき、小沢一郎氏がつくった小選挙区制に生命の血が通い、総選挙による政権交代のチャンスが訪れる。
 これが、小沢氏が描く、日本再建の戦略であり、戦術である。私は、日本再建には、この小沢戦略を成功させる以外、道はないと思っている。【つづく】
これについては、ある意味では、検討済みではあるが、ここで、明確にしたい。
 連続・同一性自我・近代的自我は、差異・他者を否定・排除する。この否定・排除の暴力の度合いが問題なのである。狂気の暴力である。凶暴性があるのであるが、これは、全体主義的なのである。つまり、自我絶対的なのである。そう、これを問題にしたいのである。自我絶対的な暴力が、ここにはあるのである。この自我絶対的暴力の絶対性がどこから発しているのかである。父権暴力と言ってもいい。アメリカ国家暴力と言ってもいい。
 これは、根本から考えなくてはならない。即ち、極性エネルギーにおいて、プラス・エネルギーが連続・同一性志向性となると、これまで、考えてきた(仮説)。プラス・エネルギーが連続・同一性自我、換言すると、近代的自我を形成すると言える。すると、同一性自我・近代的自我とは、本来、超越的であるのがわかる。つまり、超越次元、コスモス次元から発動しているのであるから。この典型が、ヤハウェである。ヤハウェが、プラス・エネルギーによる連続・同一性自我の典型的表現だと考えられよう。超越神となるのは、正しいのである。不連続的差異論で言うメディア界という内在超越(超越論)界から発しているからである。そう、同一性自我暴力とは、言わば、内在超越的暴力であり、神的暴力なのである。私は、近代的自我を狂気と呼んできたが、ここから見ると、その狂気とは、内在超越的暴力であると解明できるのである。
 これで、ようやく、この問題に、究極的に結論が出たような感じがある。近代的自我・近代合理主義について、これまで、おそらく、何百回と議論してきて、それなりに解明を試みてきた。これまでの、結論は、複合的なもので、粗差異とプラス・エネルギーの複合と見てきたのである。これは、これなりに正しいのであるが、ここでの究明によって、これが、内在超越次元の暴力狂気であることが明確になったのである。神的狂気、一神教的狂気、ヤハウェ的狂気ということになったのである。
 近代的自我の暴力・狂気とは、内在超越的・父権一神教的・ヤハウェ的暴力・狂気なのである。形而上学的暴力・狂気なのである。近代主義とは、明確に、形而上学的なのである。そう、だから、近代的自我の問題は、通常の理性・知性では解決しないのである。形而上学的事象なので、形而上学的解決が必要なのである。そう、結局、近代主義を形而上学的に解明する必要があるのである。そして、これは、新イデア論である不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論によってこそ、なされ得るのである。なぜなら、現代において、形而上学ないし哲学は、ほぼ壊滅状態であり、近代主義・近代的自我・近代合理主義を、批判的超克ができないからである。

p.s. これで、小泉首相の「狂気」も完璧に説明できるだろう。

p.p.s. 資本主義批判も、この根底から為され得るだろう。交換価値=貨幣経済とは、やはり、この形而上学・内在超越構造(ほぼ、カントの超越論的形式、あるいは、構造主義の構造に相当する)から発しているのであり、この構造を解体しない限り、暴力を振るうと言えよう。結局、資本主義は、この内在超越的暴力・狂気と結びついているのである。この内在超越的連続・同一性構造の脱構造化・解体・「脱構築」が必須である。これによって、差異共振シナジー経済・ポスト資本主義が可能となると考えられるのである。不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論が、この革命をもたらすだろう。内在超越論的連続・同一性自我=近代的自我の解体なくして、人類の未来はないだろう。ポスト近代的自我としての差異共振シナジー自我への変容が必須である。人類進化の黎明が、これで、もたらされるだろう。

注:画像The Ancient of Days by William Blakeは、以下からのものです。
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/blake/
WebMuseum
Blake, William
© 14 Oct 2002, Nicolas Pioch - Top - Up - Info
2006/08/29のBlog
[ 21:47 ] [ 出アメリカ/ニッポン独立宣言2005 ]
簡単に述べたい。私は昔からマスコミ嫌いである。そう、十代の頃は、新聞の切り抜きをよくしたものであったが。では、いつから、マスコミ嫌いになったのだろうか。ずいずん、以前から、社説に偽善・欺瞞を感じたのであり、そこから、マスコミ嫌いになったと思う。簡単に言えば、口舌の徒であるということである。有言不実行だから、嫌いなのである。国民を代弁する発言をするが、それで終わっていると思う。否、代弁なら代弁でいいのであるが、あまりに見え透いたパフォーマンスに、嫌気が差したのである。だから、パフォーマンス屋の小泉首相の先駆者は、マスコミなのである。
 では、なぜ、マスコミはパフォーマンス屋になるのか考えよう。この問題は、これまでの近代主義批判がそのままあてはまると思う。マスコミという同一性を価値基準にしていて、差異を喪失しているからだろう。もし、マスコミに差異があるなら、それは、マスコミに勤務する一人一人という差異でなくてはならない。単独の差異が共立した、マスコミであれば、それは、立派なマスコミとなるだろう。しかし、社説を見る限り、差異はない。国民の代弁という同一性を価値基準にして、差異を排除しているのである。やはり、この代弁に問題があるだろう。代弁ではいけないのである。マスメディアの差異・特異性・単独性、絶対的単独性において、発言する義務があるのである。つまり、日本のマスコミは、近代主義的で、プロトモダン・原近代的ではないのである。つまり、根本から、日本のマスコミは、間違っているのである。邪悪である。
 次に、小泉/安倍自民党であるが、これも、同様の批判が適用できる。アメリカを同一性価値基準として、アメリカに従属しているのである。日本という差異を喪失しているのである。これが、たいへん危険なのは、アメリカは差異であるのに、アメリカに同一性価値を見ているからである。これも、根本的に誤謬なのである。
 結局、日本の指導機関は、近代主義的同一性に染まっていて、差異に盲目なのである。ここに、戦後・現代日本の幻想・妄想・狂気が存するのである。日本亡国である。国破れて山河無し。

p.s. マスコミ批判をすると、どうも、嫌悪感で興奮して、冷静にならなくなるようだ。そう、虫酸が走るというのが実際のところである(近親憎悪なのだろうか)。ここで、冷静に考えてみると、マスコミに対する嫌悪感の原因は一つではなくて、いくつかあり、それが、集まって、強い嫌悪感を生むのだろう。

1.優等生的発言であり、真実を言っていない。当たり障りのないことを言う。凡庸な記事が多い。洞察力がない。批判力がない。これは致命的である。
2.記者自身の個性が乏しい。
3.国民の代弁をするが、しかし、国民は、多様であり、代弁はできないから、欺瞞的である。

まとめると、同一性価値観であり、差異がない。つまり、低能・低劣である。思うに、夜郎自大な尊大な人間が巣くっているのだろう。近代的自我の権化集団だろう。

p.p.s. メディアの大道は、ミクロ・メディアである。ミクロコミである。

3p.s. ■近代的自我とは、連続・同一性狂気となるだろう

私はこれまで、近代主義、近代的自我とは狂気であると言ってきた。真実・真理は、差異にあるなら、当然そうである。差異否定・排除の力学が、暴力であり、憎悪であり、ルサンチマンである。悪魔性としての近代主義なのである。西欧近代は、欧米近代は、たいへんな文化を作ったものである。稿をあらためて、再考したい。
この問題は、不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論から、容易に答えることができる。これは、何度も既述したように、メディア界の極性エネルギーのプラス・エネルギーによる連続・同一性自我形成志向性によって悪・無知・無明が生じるのである。つまり、人間は、必然的に、悪として、生起・発現するのである。一種性悪説である。もっとも、少し保留が必要である。人類史において、極性エネルギーの交替は、反復されてきた(と想定できる)から、単純に、プラス・エネルギーが原因とは言えない。ここには、人類史の秘密があるだろう。西洋文明は、おそらく、徹底したプラス・エネルギーの文明であり、プラス・エネルギーの、一種究極態(エンテレケイア)にあるのではないだろうか。(もっとも、それ以前の黎明の父権主義が純粋なプラス・エネルギー事象かもしれないが、この帰結として、西洋文明を考えたい。)
 これをどう考えたらいいのだろうか。これこそ、正に、太極性ではないだろうか。極性の中に極性があるのである。つまり、たとえば、プラス極(陽極)の中に、マイナス極(陰極)があり、逆も同様である。つまり、人類史は、根源的極性、即ち、太極の変動を発現してきたのではないだろうか。たとえば、根源的極性におけるプラス極・陽極における極性変化があり、逆に、根源的極性におけるマイナス極・陰極における極性変化があったと仮説するのである。
 明快にするために、用語を造語しよう。太極性・根源的極性を、太陰極・太陽極の極性とし、太陰極と太陽極における極性をそれぞれ、陰極・陽極の極性としよう。つまり、2×2=4となる。(ここで、徹底して批判したヌース理論では、双対性という考えがあるが、この用語を使用してもいいだろうし、双極性という用語でもいいだろう。とりあえず、双極性としようか。つまり、二つの極性という意味で使用するのである。)とまれ、四元論ないし双極四元論となる(D.H.ロレンスの『無意識の幻想曲』では、見事に、ヨガ・心身論的コスモス四元論が説かれている。是非、参照されたい。)。
 以上のように考えると、人類史は、太陰極の様相と太陽極の様相との交替があると仮説できる。そして、西洋文明は、太陽極における陽極(プラス・エネルギー)に位置するのではないかと思えるのである。つまり、陽の陽であり、極端である。だから、易経に倣えば、陽極まりて、陰に転ずということで、必然的に、西洋文明は解体して、太陰極の陰極の新しい「文明」が生起すると考えられるのである。これが、私の考えている新コスモス「文明」(新東洋「文明」)である。占星術では、水瓶座の時代である。後で、より精緻に検討したい。

p.s. 智慧・叡智・般若・ソフィアの問題検討が抜けてしまっているので、後で、論考したい。

p.p.s. 易経で、八卦があるが、それは、2^3×2^3=8×8=64卦である。最初の2^3を太陽極、二番目の2^3を太陰極と見ることができないだろうか。
 とまれ、極性が、ここには、6個あることになる。6極性である。すると、太陰極の中に、三つの極性があることになるだろう。つまり、入れ子構造として、太陰極に三元極性があるということになる。そして、太陽極にも三元極性がある。これは、次元とすれば、太陰極で三次元極性、太陽極で三次元極性を内包・包摂している。そして、太極性の極性自体は四次元極性である。そして、太極全体は、五次元と見ることができるのかもしれない。ウスペンスキーの高次元としての四次元空間とは、この太極四次元空間なのだろうか。後で、さらに検討を進展させたい。

3p.s. 上記のp.p.s.の太極四次元という考えは、おかしいだろう。極性が六つあるのであるから、太極六次元とならなくてはならないのではないだろうか。一次元で、一つの極性(二元)が生じる。二次元で二つの極性が生じる(四元)。三次元で三つの極性が生じる(八元)。四次元で四つの極性が生じる(十六元)。五次元で五つの極性が生じる(三十二元)。六次元で六つの極性が生じる(六十四元)。つまり、易経を基にするなら、太極六次元で、六十四元があるということになる。明快にするために、六十四相(位相・事相・様相・事象)と呼ぼう。六次元ならば、ウスペンスキーの六次元と関係するのかもしれない。
 因みに、この、言わば、極性次元論であるが、これをこのまま高次元論とするなら、太極六次元論において、現在の空間三次元時間一次元の時空四次元を超えて、さらに、二次元が超越的に潜在している(あるいは、超越包摂している)ということになるだろう。もっとも、時間次元の第四次元であるが、これは、ウスペンスキーが説くように、無限次元としていいのではないだろうか。不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論では、Y軸・虚軸である。
 また、これまでの思考実験で、XYZ1、Z2、Z3の五次元を想定したが、六次元となると、考え直さないといけなくなる。思うに、XYZが根源的三次元で、たとえば、A1, A2, A3の現象空間三次元を考えられないだろうか。

4p.s. さらに言えば、ゼロ次元(零次元)を考えると、それが、究極の太極、元太極となるだろう。すると、七次元となる。

5p.s. とまれ、最初に述べた太極四元論・双極四元論は、原四元論・プロト四元論(即ち、ガウス平面・複素平面)として基盤・ベースにあるのではないだろうか。そして、ここから、通常生きていると考えられている、時空四次元という現象界が発現(仮現・仮象)するのではないだろうか。即ち、太極・双極四元論=太極二次元プラス時空四次元=六次元である。
 問題は、第三次元の扱いである。第三次元を時間次元として、それに対して、空間三次元を加えて、時空間四次元となる。しかし、ウスペンスキーが『ターシャム・オルガヌム』で問題にしている四次元(いわば、時間空間次元)は、ここでいう、第三次元ではない。それは、第二次元に相当するのではないだろうか。つまり、虚軸次元である。まとめると、

X軸=第一次元
Y軸・虚軸=第二次元(『ターシャム・オルガヌム』の四次元:時間空間次元)
Z軸=仮想時間次元(仮想時間軸)
A1軸、A2軸、A3軸=空間三次元

で計六次元であり、ゼロ次元(零次元)を入れると、七次元となる。

6p.s. 問題のポイントは、時間空間次元と仮想時間次元の関係である。つまり、第二次元と第三次元の関係である。仮想時間次元ないし仮想時間軸(ないし時間軸)とは何か、等々の問題がある。

7p.s. ウスペンスキーの考えからすると、ここでの次元の数え方は反対である。空間三次元が、A1~A3であり、時間空間次元が四次元だから、Z軸かY軸になるのである。もし、Z軸を時間空間次元にするなら、Y軸とX軸、即ち、ガウス平面は何になるのかということになる。
 しかしながら、発生的には、X軸から考える方が正しいのである。後で、再検討したい。


参考:

太極図
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%A5%B5%E5%9B%B3

易経
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%93%E7%B5%8C
フリードリヒ・マックス・ミュラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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フリードリヒ・マックス・ミュラー(Friedrich Max Muller、1823年12月6日 - 1900年10月28日)は、ドイツ・デッサウに生まれ、イギリスに帰化したドイツの東洋学者、比較言語学者、比較神話学者。父は詩人として知られるヴィルヘルム・ミュラー。

ベルリン大学に学び、パリでE・ビュルヌフに師事する。その後イギリスに渡り、1850年オックスフォード大学教授。インドの古典について多数の校訂、翻訳を行う。神話を言語の病によって生じたと主張し、またインド神話とギリシア神話の固有名の間に対応関係が見出せるとした。さらに印欧語族神話を太陽神話として読み解くことを提唱、同様に神話を暴風神話として読み解いたアダルベルト・クーンらとともに自然神話論的な解釈を展開した。こうした学説はその後台頭した人類学的な解釈などによて明確に否定され、現在では省みられないもの、一時は1学派を形成し、現在にいたる神話学の隆盛に火をつけた。

1900年にオックスフォードで亡くなった。
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関連項目

* 比較神話学
* 太陽神

執筆の途中です この「フリードリヒ・マックス・ミュラー」は、人名に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC" より作成

カテゴリ: 人名関連のスタブ項目 | 1832年生 | 1900年没 | ドイツの言語学者 | 東洋学者 | 神話学者

英語サイト
http://en.wikipedia.org/wiki/Max_M%C3%BCller

参考:「神話学の歴史」
http://www.h4.dion.ne.jp/~kotozuki/mythhistory.htm
2006.8.28(その1)
森田実の言わねばならぬ[300]

質問に答えます私が小沢民主党政権を期待する理由(その1)
政権交代・小沢民主党政権の樹立以外に日本再建の道なし

「疾風に勁草を知る」(『後漢書』王覇伝)
[激しい風の吹くことによってはじめて、風にも吹き折れぬ強い草が見分けられる]

 いまの日本は、最悪の状況にある。モラルは崩壊、政界は無気力集団と化し、民放テレビは真面目さを失い幼児・青少年の心を荒廃させる低劣な番組を垂れ流している。大新聞の記者たちは理念と信念と正義感と社会的責任感を失い、政治権力の手先となって操られている。小泉首相のデタラメ政治を批判する者を排除するなど、大愚行を行っている。
 福井日銀総裁に見られるように、モラルなき恥知らず的人物が高い地位にしがみついている。日本の指導的地位にいる人間たちのモラルは崩壊してしまっている。
 自民党総裁選は日本の政治の堕落と低迷を如実に示している。自民党総裁選への立候補を正式には表明していない、政見も明らかにしていない実力未知数の安倍晋三官房長官にたいして「猫も杓子も…」のごとく、すり寄り、先を争うかのように支持表明をしている自民党幹部の姿は浅ましく、醜悪である。窮極のポピュリズムである。谷垣禎一財務相、麻生太郎外相の二人をそれぞれ支持する少数の国会議員以外の大多数の自民党国会議員は、勝ち馬に乗り遅れるな、寄らば大樹の陰とばかりに、安倍氏のマスコミ人気の前にひれ伏している。
 この5年4カ月に及ぶ小泉首相の行為は、ほとんど狂気に等しいものであるにもかかわらず、これを新聞すら賛美しているのは、まことに驚くべきことである。
 民主党代表選が行われた2006年4月7日以前の民主党は、崩壊寸前の危機にあった。4月7日の代表選で、民主党は立ち直りのきっかけを掴んだ。日本の政治が崩壊寸前の状況になっていたときに小沢一郎氏が登場してきた。小沢一郎の復活である。ここで、われわれが重視すべきは、復活した小沢一郎氏は過去の小沢氏と同じ政治家ではなく、「ニュー小沢」だということである。
 小沢氏はこの十数年間の逆境の時代に、己との戦いに勝って自己改造を成し遂げた。人格を磨き、倫理的に卓越した指導者としての資質を身につけた。
 代表に就任した小沢氏は、まず民主党の体質改善に着手し、指導部を団結させた。
 小沢氏はすぐれた戦略家である。戦略目標は次の衆院選に勝利し小沢民主党政権を樹立すること。そのための第一歩として2007年夏の参院選(同日選もありうる)で自公連立与党の議席数を過半数割れに追い込む(衆院選と同時なら政権を取る)。
 政権交代小沢民主党政権の樹立は、長い間の自民党政権、とくに最近の小泉政権によって破壊された日本を再建する第一歩である。
 小沢一郎氏は日本の救世主になる使命をもって政治家として復活してきたと私は思う。
 小沢氏は勁草(強い草、節操・意志の堅固な人物)である。いま日本が必要としているのは、小沢氏のような高い理想と確固たる信念をもった強い政治指導者である。
 日本国民は、小沢氏を支持し、小沢氏とともに進み、小沢民主党政権を樹立することによって、小泉自民党政治によって破壊された日本を再建することが可能となるとの希望をもつことができる。「小沢一郎」の名は、日本国民の未来への希望である、と私は思うのである。これが、私が小沢民主党政権を期待する第一の理由である 小沢一郎氏は、今日の日本において、最もすぐれた政治家であると私は思っている。
 第一に、小沢氏は大変純粋な精神の持ち主である。ここでいう純粋な精神とは、政治家としての純粋な精神という意味である。常に「公」を考え、国民を心配し、将来を考えている。小沢氏はいい意味でプロの政治家である。
 10年ほど前に私が、友人の政治家から頼まれて、「政治に関する10の格言」を作成したことがある。以下のとおり。
 一、政は正なり(孔子『論語』)
 二、政(まつりごと)は民を養うに在り(『書経』)
 三、政(まつりごと)の興る所は民の心に順うに在り。政の廃する所は民の心に逆らう に在り(管子)
 四、政(まつりごと)を為すは人にあり(孔子『中庸』)
 五、政事乱るるは則ち冢宰(ちょうさい)の罪なり(荀子)
 六、政(まつりごと)を為すは猶(なお)沐(もく)するがごとし(韓非子)
 七、政治の目的は善が為し易く悪の為し難い社会をつくること(グラッドストーン、イ ギリスの政治家)
 八、無用の長物たる政府こそ最良である(フンボルト、ドイツの政治家)
 九、すべての権力は崩れ去る。絶対的権力は絶対的に崩壊する(アクトン、イギリスの 歴史家)
 十、政治は科学ではなく術である(ビスマルク) ここに記した10項目は、普通の政治家ならすべて知っていることである。問題は、それぞれの政治家が、これらの言葉をどう扱ってきたか、という点である。これを若い時代から自分自身の生き方、実践の基準にしてきたか、それとも単なる知識としてしか考えなかったか、ここで大きな違いが出てくる。小沢氏は上記の格言の精神を掴んでいる。政治のあり方も「術」も心得ている。
 小沢一郎氏は、これを自分の政治家の日常生活のなかに取り入れてきた。小沢氏は常に「公」を第一に考えてきた。小沢氏には「私」がないのである。これが私の言う「政治家としての純粋さ」である。
 第二は、小沢氏は若いときから政治指導者としての強い自覚をもって政治生活を送ってきた。若いときは、小沢氏は純粋すぎた上、強い自覚が過剰になって同僚やライバルたちとの無用のトラブルを起こしたこともあったが、長ずるにつれて角が取れ、いまや熟達の境地にある。人間は若いときはときに過度の闘争心によって過ちをすることもあるが、成長期には諸々の躓きもある。それを教訓として成長すればよいのである。
 第三に、小沢氏は社会に対する強い責任感の持ち主である。強烈な社会的責任感をもっているがゆえに、苦難にぶつかっても耐えることができる。小沢氏はこの15年間、戦い抜いてきた。成功の回数より失敗の回数のほうがはるかに多かったが、へこたれることはなかった。へこたれないのは、小沢氏がきわめて強い社会的責任感の持ち主だからである。
 小選挙区導入から12年経ったが、その間選挙による政権交代は実現しなかった。しかし小沢氏はあきらめない。ついに小沢氏は、次の選挙で雌雄を決するところまできたのである。小沢氏の小選挙区制による政権交代が可能となる政治体制づくりの執念が結実したのである。
 最近の自民党はひどすぎる。自民党は9月下旬に総裁選挙を行う。ポスト小泉の本命は安倍晋三氏と見られているが、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三とつづく岸信介直系の自民党タカ派に政権をゆだねてつづけていいのか、と自民党国会議員に問いたい。安倍氏の政策・公約すら発表されていない段階から、先を争うかのように安倍支持を表明するゴマスラーに日本の政治をゆだねているのは、おそろしいことである。しかも安倍氏には批判勢力すらほとんどいない。これでは 1930年代のファシズム、ナチズム、日本の大政翼賛政治と同じではないか。
 これは自民党の堕落である。ひどい堕落である。もはや自民党内に自己変革の力はない。こうなった以上、政権交代による小沢民主党政権の樹立しか日本再建の手段はないと思う。
 自民党には、事実上、反小泉派が存在しなくなった。自民党内での政権交代は不可能になった。
 この閉塞状況を打破する力をもつ政治家は、いまの政界には小沢氏一人しかいない。
 以上が、小沢一郎氏を支持する第一の理由である。【つづく】

http://www.pluto.dti.ne.jp/%7Emor97512/C02851.HTML