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2006/09/01のBlog
[ 01:08 ]
[ 思考実験 ]
幾何学の問題、次元の問題は、難しい。例えば、どうして、空間は、三次元なのか。ウスペンスキーは、時間も、本来、高次元の空間であると考えている。つまり、時間高次元空間である。どうも、高次元という用語が、わかりにくいように思う。つまり、超次元である。超次元としての高次元である。そして、この超越であるが、絶対超越ではなくて、内在超越である。例えば、三次元空間と二次元空間との関係を見ると、二次元空間にとって、三次元は、内在超越空間と考えられる。絶対超越ならば、認識できないはずである。ということで、内在超越次元として超次元を考えることにする。
すると、ウスペンスキーの思想は、時間は本来、超次元にあるとしている。超次元空間が、時間を発生させていると考えている。当然、超次元とは、第四次元であり、全体で四次元空間となる。そして、ウスペンスキーは、これを、永遠の時間と考えている。つまり、ここでは、時間は、流れないのである。時間が空間となっているのである。過去は、未来と同時存在しているのである。また、永遠の現在となっているのである。いわば、永劫空間である。この四次元の見方は、相対性理論の時空四次元の見方と混同されやすい。時空四次元の時間次元とは、いわば、仮想次元、ヴァーチャルな次元であり、現象的には、不可視のものである。だから、観念・思念・思考上の次元である。理念的次元と言ってもいいのかもしれない。
すると、相対性理論では、時間次元が理念的次元であり、ウスペンスキーの超次元としての原時間次元を考えているということになる。思うに、これは、一体化できるのではないだろうか。理念的次元としての時間次元と超次元としての原時間次元を、理念的次元=超次元として、一体化できるだろう。つまり、「イデア」的存在としての「時間」である。「イデア」的存在としての「時間」とは、永遠の時間であろう。直観では、エネルゲイアである。超次元=「イデア」次元=エネルゲイア=永遠次元である。これが、時空四次元現象を発生させているということだろう。つまり、いわゆる、時間現象とは、超次元の影であるということである。そして、さらに、空間現象も、超次元の影であろう。そう、カントは、超越論的形式を提起したのである。即ち、時空四次元現象とは、超次元・「イデア」次元・エネルゲイア・永遠次元の影であるということになる。直観では、この超次元は、不可分時空次元である。これは、おそらく、不連続的差異論のメディア界である。プラトニック・シナジー理論の零度差異共振シナジー界である。あるいは、コスモスである。プラトンのコーラである。これを作業仮説としよう。つまり、超次元メディア界、超次元コスモス界、超次元差異共振シナジー界が存在し、それが、時空四次元現象を仮現・仮象させているということである。
この超次元・四次元は、零度差異共振シナジー相であり、エネルゲイアであり、極性エネルギーをもっている。ここで、思考実験すると、プラス・エネルギーのとき、現象の光が発生して、時空四次元現象が発生するとしよう。そして、マイナス・エネルギーの場合、時空四次元現象が解体して、超次元(差異共振シナジー相・コスモス)が顕在化するとしよう。つまり、プラス・エネルギーが発動するときは、発光現象があり、これが、時空四次元現象、空間三次元現象を仮現する。しかるに、マイナス・エネルギーが発動するときは、光ではなくて、闇が発生して、超次元が顕在化するということにしよう。
では、問題は、どうして、プラス・エネルギーのとき、三次元空間が仮現するのかということである。連続・同一性作用は、どうして、空間三次元ないし時空四次元現象を仮現するのか、ということである。ここで、思考実験して、1/4回転で、垂直に捩れるということで、XY平面に対して、+Z軸方向に捩れるのである。Y軸・虚軸を零度差異共振界とすると、+Z軸方向への捩れをプラス・エネルギーの方向としよう。つまり、XY+Zの三次元空間を現象界としよう。捩れによって、時間も発生するとしよう。結局、XY+Zが時空四次元現象界である。
それに対して、-Z軸方向への捩れをマイナス・エネルギーの方向としよう。つまり、XYZ三次元空間である。+Z方向が光の現象であり、-Z方向を闇の現象としよう。結局、現象とは、一般に前者だけであり、後者を看過しているのだろう。
とまれ、私が問題にしたいのは、この光と闇の極性現象ではなくて、±Z軸以前の事象である。
ここで、発想を変えよう。私は、二年前、メディア界を平面としてイメージして、半面をイデア界、半面を現象界と考えた。これは、実に単純なイメージである。だから、メディア面ないしメディア平面と呼ぶことができる。メディア平面の不連続極が、イデア界の方向であり、連続極が、現象界の方向である。
では、この平面は、どこに位置しているのだろうか。ここで、また、思考実験すると、XY平面(ガウス平面)が垂直に捩れて、YZ平面になるとしよう。後者をメディア平面としよう。そして、YZ平面において、+X軸と-X軸方向がある。とりあえず、+X軸方向に現象界、-X軸方向にイデア界があるとしよう。それらを、三次元と三次元としよう。計六次元である。
だから、YZ平面=メディア平面が超次元となるのではないだろうか。これが、無限次元・永遠次元・コスモス次元ではないだろうか。今は、ここで留めたい。
p.s. YZ平面が超次元ならば、空間三次元現象は、どう説明されるのだろうか。ここで、カントの超越論的形式論が想起されねばならないだろう。つまり、人間の主観にある形式(ほぼ、構造主義の構造)が、時空間四次元現象を生んでいるという考え方である。
即ち、YZ平面を、この場合、超越論的形式にするのである。そして、ここから発する「光」によって、主体は、いわば、投影して、時空間四次元現象を仮現・仮象させていると考えられないだろうか(参照:プラトンの『国家』の洞窟の比喩)。この投影された影像が、いわゆる現象である。プラトンの洞窟内のスクリーンに映し出された影像である。おそらく、この考えは、それほど、突拍子もないものではない。なぜなら、平面知覚が基盤にあって、それから、立体化されて認識されると考えられるからである。網膜を考えられるといいし、片目で見ると、明らかに、奥行きの次元が喪失されるようになるだろう。
ということで、人間は、超越論的形式である超次元のYZ平面を、通常は、意識せずに、そこから投影された仮象を時空間四次元現象と知覚しているということになるだろう。このYZ平面が、いわば、無意識・潜在意識であり、また、ほぼ、構造主義の構造と考えられるのである。つまり、YZ平面という二次元が、時空間四次元を仮象させていることになる。さらに言えば、XY平面(=ガウス平面)が、根源にあることになる。総合して考えると、現象(仮象)の空間三次元に対して、超次元二次元空間があり、さらに原超次二次元空間がある。即ち、超次元三次元空間ないし超次元立体空間(XYZ空間・立体空間)が内在超越・潜在していることになる。すると、現象三次元+超次元三次元=六次元となる。
注:画像Star of lifeは以下から。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Star_of_life.svg
すると、ウスペンスキーの思想は、時間は本来、超次元にあるとしている。超次元空間が、時間を発生させていると考えている。当然、超次元とは、第四次元であり、全体で四次元空間となる。そして、ウスペンスキーは、これを、永遠の時間と考えている。つまり、ここでは、時間は、流れないのである。時間が空間となっているのである。過去は、未来と同時存在しているのである。また、永遠の現在となっているのである。いわば、永劫空間である。この四次元の見方は、相対性理論の時空四次元の見方と混同されやすい。時空四次元の時間次元とは、いわば、仮想次元、ヴァーチャルな次元であり、現象的には、不可視のものである。だから、観念・思念・思考上の次元である。理念的次元と言ってもいいのかもしれない。
すると、相対性理論では、時間次元が理念的次元であり、ウスペンスキーの超次元としての原時間次元を考えているということになる。思うに、これは、一体化できるのではないだろうか。理念的次元としての時間次元と超次元としての原時間次元を、理念的次元=超次元として、一体化できるだろう。つまり、「イデア」的存在としての「時間」である。「イデア」的存在としての「時間」とは、永遠の時間であろう。直観では、エネルゲイアである。超次元=「イデア」次元=エネルゲイア=永遠次元である。これが、時空四次元現象を発生させているということだろう。つまり、いわゆる、時間現象とは、超次元の影であるということである。そして、さらに、空間現象も、超次元の影であろう。そう、カントは、超越論的形式を提起したのである。即ち、時空四次元現象とは、超次元・「イデア」次元・エネルゲイア・永遠次元の影であるということになる。直観では、この超次元は、不可分時空次元である。これは、おそらく、不連続的差異論のメディア界である。プラトニック・シナジー理論の零度差異共振シナジー界である。あるいは、コスモスである。プラトンのコーラである。これを作業仮説としよう。つまり、超次元メディア界、超次元コスモス界、超次元差異共振シナジー界が存在し、それが、時空四次元現象を仮現・仮象させているということである。
この超次元・四次元は、零度差異共振シナジー相であり、エネルゲイアであり、極性エネルギーをもっている。ここで、思考実験すると、プラス・エネルギーのとき、現象の光が発生して、時空四次元現象が発生するとしよう。そして、マイナス・エネルギーの場合、時空四次元現象が解体して、超次元(差異共振シナジー相・コスモス)が顕在化するとしよう。つまり、プラス・エネルギーが発動するときは、発光現象があり、これが、時空四次元現象、空間三次元現象を仮現する。しかるに、マイナス・エネルギーが発動するときは、光ではなくて、闇が発生して、超次元が顕在化するということにしよう。
では、問題は、どうして、プラス・エネルギーのとき、三次元空間が仮現するのかということである。連続・同一性作用は、どうして、空間三次元ないし時空四次元現象を仮現するのか、ということである。ここで、思考実験して、1/4回転で、垂直に捩れるということで、XY平面に対して、+Z軸方向に捩れるのである。Y軸・虚軸を零度差異共振界とすると、+Z軸方向への捩れをプラス・エネルギーの方向としよう。つまり、XY+Zの三次元空間を現象界としよう。捩れによって、時間も発生するとしよう。結局、XY+Zが時空四次元現象界である。
それに対して、-Z軸方向への捩れをマイナス・エネルギーの方向としよう。つまり、XYZ三次元空間である。+Z方向が光の現象であり、-Z方向を闇の現象としよう。結局、現象とは、一般に前者だけであり、後者を看過しているのだろう。
とまれ、私が問題にしたいのは、この光と闇の極性現象ではなくて、±Z軸以前の事象である。
ここで、発想を変えよう。私は、二年前、メディア界を平面としてイメージして、半面をイデア界、半面を現象界と考えた。これは、実に単純なイメージである。だから、メディア面ないしメディア平面と呼ぶことができる。メディア平面の不連続極が、イデア界の方向であり、連続極が、現象界の方向である。
では、この平面は、どこに位置しているのだろうか。ここで、また、思考実験すると、XY平面(ガウス平面)が垂直に捩れて、YZ平面になるとしよう。後者をメディア平面としよう。そして、YZ平面において、+X軸と-X軸方向がある。とりあえず、+X軸方向に現象界、-X軸方向にイデア界があるとしよう。それらを、三次元と三次元としよう。計六次元である。
だから、YZ平面=メディア平面が超次元となるのではないだろうか。これが、無限次元・永遠次元・コスモス次元ではないだろうか。今は、ここで留めたい。
p.s. YZ平面が超次元ならば、空間三次元現象は、どう説明されるのだろうか。ここで、カントの超越論的形式論が想起されねばならないだろう。つまり、人間の主観にある形式(ほぼ、構造主義の構造)が、時空間四次元現象を生んでいるという考え方である。
即ち、YZ平面を、この場合、超越論的形式にするのである。そして、ここから発する「光」によって、主体は、いわば、投影して、時空間四次元現象を仮現・仮象させていると考えられないだろうか(参照:プラトンの『国家』の洞窟の比喩)。この投影された影像が、いわゆる現象である。プラトンの洞窟内のスクリーンに映し出された影像である。おそらく、この考えは、それほど、突拍子もないものではない。なぜなら、平面知覚が基盤にあって、それから、立体化されて認識されると考えられるからである。網膜を考えられるといいし、片目で見ると、明らかに、奥行きの次元が喪失されるようになるだろう。
ということで、人間は、超越論的形式である超次元のYZ平面を、通常は、意識せずに、そこから投影された仮象を時空間四次元現象と知覚しているということになるだろう。このYZ平面が、いわば、無意識・潜在意識であり、また、ほぼ、構造主義の構造と考えられるのである。つまり、YZ平面という二次元が、時空間四次元を仮象させていることになる。さらに言えば、XY平面(=ガウス平面)が、根源にあることになる。総合して考えると、現象(仮象)の空間三次元に対して、超次元二次元空間があり、さらに原超次二次元空間がある。即ち、超次元三次元空間ないし超次元立体空間(XYZ空間・立体空間)が内在超越・潜在していることになる。すると、現象三次元+超次元三次元=六次元となる。
注:画像Star of lifeは以下から。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Star_of_life.svg
2006/08/31のBlog
[ 17:15 ]
[ 出アメリカ/ニッポン独立宣言2005 ]
2006.8.30(その1)
森田実の言わねばならぬ[305]
質問に答えます私が小沢一郎民主党政権を期待する理由(その3)
小沢氏は平和の政治家である
「君子に三戒有り」(孔子)
[君子(政治指導者)には三つの戒めるべきことがある。若い時は「色」すなわち色欲を慎め、壮年期には「闘」すなわち他者との衝突による争いを慎め、老年期には「得」すなわち物欲、金銭欲を慎めという意味]
小沢一郎氏は、苦節12年を経て、政権交代を実現して政権をとる入り口に立った。いまの小沢一郎氏の立場は、徳川幕府を開く直前の徳川家康に似ている。2007年夏の参院選(または衆参同日選)が天下分け目の関ヶ原となる。
日本の再建ができる最後のカリスマ政治家が小沢一郎氏である。小沢氏はすでに自己改造に成功した。民主党改造の第一歩を踏み出した。小沢政治の究極の目標は日本再建である。
小泉首相は最後の最後まで「戒め」を破りつづけている。小泉首相は「他者との衝突による争い」を好み、つねに争いに勝つことをめざし、トラブルを起こした。この「抗争好き」の小泉首相を最大限にバックアップしてきたのが、アメリカのブッシュ大統領であり、面白がって褒めあげたのが日本の愚かすぎるマスコミであった。この結果、つまらぬ意地を張る人格低劣な政治家があたかも英雄のごとき存在になった。すべてが狂っていた。
こんな倒錯した時代をなお継続しようとしているのが、安倍晋三氏と「猫も杓子もアベ」状態の自民党の大多数の政治家とマスコミ、安倍氏をバックアップするブッシュ政権だ。 「いい加減にしろ」と言いたい。
小沢一郎氏は、壮年期に「他者との衝突による争い」を繰り返した時期があった。小沢氏は純粋すぎたため、周辺の者にきびしすぎた時があった。しかし小沢氏はこのことを反省し、自らの努力によって「闘」気(争気)を克服した。小沢氏はもともと「色」や「得」を好まぬ人物である。小沢氏は「三戒」を克服した。晩年の徳川家康に似てきた。
小沢氏自身が述べている「僕はこれまで、自分の政治理念や主張、政治姿勢を貫き通したい気持ちが強く、そのために角が立ち、批判されてきた。今回、政権交代を十分に狙える民主党の代表になった。多くの議員や候補者をまとめ、国民の支持を得るには和が必要。今まで足りなかった面にも配慮したい」(『豪腕維新』、角川書店、2006年8月10日刊、245ページ)。 現役の政治家で、これほど率直に自分自身の過去についての反省を語る人は、小沢氏一人である。小沢氏は「三戒」を乗り越えたのだ。
小沢氏は「日本を内部崩壊させるわけにはいかない」(『豪腕維新』の表4の言葉)と主張する。正論である。
小沢氏の小泉政治批判は痛烈であり、正論である。『豪腕維新』の〈「弱者切り捨て」の小泉政治〉においてこう書いている(pp.200201)。 《小泉政治とは「改革」の名の下で、徹底した弱肉強食の世の中を作ろうとしている。まさに冷酷非情な心の持ち主。人間として温かい心がないのが、最大の問題点といえる。》
《民主党が小泉自民党と決定的に違うのは、国民に対して温かく思いやりがある改革を行っていくこと。改革によって弱者を切り捨てるのではなく、自ら創意・工夫をこらし、努力するものにチャンスを与えると同時に、社会全体で助け合いを支え合っていく政治を行うことだ。政権交代を成し遂げて、それを実行したい。》
この主張は正しい。
小沢一郎氏は、小泉首相が破壊した日本を再建することができる最適の政治家であると私は思う。【つづく】
http://www.pluto.dti.ne.jp/%7Emor97512/C02856.HTML
森田実の言わねばならぬ[305]
質問に答えます私が小沢一郎民主党政権を期待する理由(その3)
小沢氏は平和の政治家である
「君子に三戒有り」(孔子)
[君子(政治指導者)には三つの戒めるべきことがある。若い時は「色」すなわち色欲を慎め、壮年期には「闘」すなわち他者との衝突による争いを慎め、老年期には「得」すなわち物欲、金銭欲を慎めという意味]
小沢一郎氏は、苦節12年を経て、政権交代を実現して政権をとる入り口に立った。いまの小沢一郎氏の立場は、徳川幕府を開く直前の徳川家康に似ている。2007年夏の参院選(または衆参同日選)が天下分け目の関ヶ原となる。
日本の再建ができる最後のカリスマ政治家が小沢一郎氏である。小沢氏はすでに自己改造に成功した。民主党改造の第一歩を踏み出した。小沢政治の究極の目標は日本再建である。
小泉首相は最後の最後まで「戒め」を破りつづけている。小泉首相は「他者との衝突による争い」を好み、つねに争いに勝つことをめざし、トラブルを起こした。この「抗争好き」の小泉首相を最大限にバックアップしてきたのが、アメリカのブッシュ大統領であり、面白がって褒めあげたのが日本の愚かすぎるマスコミであった。この結果、つまらぬ意地を張る人格低劣な政治家があたかも英雄のごとき存在になった。すべてが狂っていた。
こんな倒錯した時代をなお継続しようとしているのが、安倍晋三氏と「猫も杓子もアベ」状態の自民党の大多数の政治家とマスコミ、安倍氏をバックアップするブッシュ政権だ。 「いい加減にしろ」と言いたい。
小沢一郎氏は、壮年期に「他者との衝突による争い」を繰り返した時期があった。小沢氏は純粋すぎたため、周辺の者にきびしすぎた時があった。しかし小沢氏はこのことを反省し、自らの努力によって「闘」気(争気)を克服した。小沢氏はもともと「色」や「得」を好まぬ人物である。小沢氏は「三戒」を克服した。晩年の徳川家康に似てきた。
小沢氏自身が述べている「僕はこれまで、自分の政治理念や主張、政治姿勢を貫き通したい気持ちが強く、そのために角が立ち、批判されてきた。今回、政権交代を十分に狙える民主党の代表になった。多くの議員や候補者をまとめ、国民の支持を得るには和が必要。今まで足りなかった面にも配慮したい」(『豪腕維新』、角川書店、2006年8月10日刊、245ページ)。 現役の政治家で、これほど率直に自分自身の過去についての反省を語る人は、小沢氏一人である。小沢氏は「三戒」を乗り越えたのだ。
小沢氏は「日本を内部崩壊させるわけにはいかない」(『豪腕維新』の表4の言葉)と主張する。正論である。
小沢氏の小泉政治批判は痛烈であり、正論である。『豪腕維新』の〈「弱者切り捨て」の小泉政治〉においてこう書いている(pp.200201)。 《小泉政治とは「改革」の名の下で、徹底した弱肉強食の世の中を作ろうとしている。まさに冷酷非情な心の持ち主。人間として温かい心がないのが、最大の問題点といえる。》
《民主党が小泉自民党と決定的に違うのは、国民に対して温かく思いやりがある改革を行っていくこと。改革によって弱者を切り捨てるのではなく、自ら創意・工夫をこらし、努力するものにチャンスを与えると同時に、社会全体で助け合いを支え合っていく政治を行うことだ。政権交代を成し遂げて、それを実行したい。》
この主張は正しい。
小沢一郎氏は、小泉首相が破壊した日本を再建することができる最適の政治家であると私は思う。【つづく】
http://www.pluto.dti.ne.jp/%7Emor97512/C02856.HTML
[ 15:09 ]
[ ポスト・キリスト教 ]
簡単に触れると、不連続的差異論から見ると、
「父」=イデア界
「聖霊」=メディア界
「子」=現象界
となるだろう。コスモスあるいは差異共振シナジー・フィールドとは、「聖霊」=メディア界の領域にあるのである。そして、ウスペンスキーの説く永遠の次元(四次元)もここに当たるだろう。では、イデア界が五次元となるのだろうか。いちおう、そのように見ていいのかもしれない。
問題は、私の直感では、自我の特異性は、イデア界に達しているということである。つまり、単に四次元空間(ウスペンスキー)に生きているだけでなく、五次元空間に生きていることになると思えるのである。この五次元がなければ、四次元(差異共振シナジー)が純化されないと思うのである。つまり、不連続的差異とは、五次元に存すると思うのである。(幾何学の問題があるが、ここでは、検討しない。)
では、四次元と五次元、どう違うのだろうか。(途中)
p.s. 補足すると、聖母マリア・聖母子(イシス/オシリスに相当する)は、「聖霊」=メディア界に当たるだろう。そして、プラトンの説くコーラもここに存すると考えられる。
p.p.s. 差異共振シナジーとは、画像の中心、大円に内接する三つの円の重なった真ん中の領域に相当するだろう。
3p.s. 画像の中心部=差異共振シナジー領域が、六次元になるのかもしれない。
4p.s. 本文で、自我の特異性は、イデア界に達していると述べたが、ここは、保留したい箇所である。微妙で、危険な箇所である。つまり、自我の特異性と言ったが、これが、果たして、そうなのかという問題がある。私が自我の特異性と思っているものが、同一性自我であるかもしれないのであるから。しかし、これは、換言すると、単独自我である。フッサール現象学の志向性に相当するのである。だから、イデア界の絶対的差異に通じると言っていいように思えるのだが。後で再検討したい。
注:画像は以下からです。
http://de.wikipedia.org/wiki/Bild:Dreieinigkeit.gif
「父」=イデア界
「聖霊」=メディア界
「子」=現象界
となるだろう。コスモスあるいは差異共振シナジー・フィールドとは、「聖霊」=メディア界の領域にあるのである。そして、ウスペンスキーの説く永遠の次元(四次元)もここに当たるだろう。では、イデア界が五次元となるのだろうか。いちおう、そのように見ていいのかもしれない。
問題は、私の直感では、自我の特異性は、イデア界に達しているということである。つまり、単に四次元空間(ウスペンスキー)に生きているだけでなく、五次元空間に生きていることになると思えるのである。この五次元がなければ、四次元(差異共振シナジー)が純化されないと思うのである。つまり、不連続的差異とは、五次元に存すると思うのである。(幾何学の問題があるが、ここでは、検討しない。)
では、四次元と五次元、どう違うのだろうか。(途中)
p.s. 補足すると、聖母マリア・聖母子(イシス/オシリスに相当する)は、「聖霊」=メディア界に当たるだろう。そして、プラトンの説くコーラもここに存すると考えられる。
p.p.s. 差異共振シナジーとは、画像の中心、大円に内接する三つの円の重なった真ん中の領域に相当するだろう。
3p.s. 画像の中心部=差異共振シナジー領域が、六次元になるのかもしれない。
4p.s. 本文で、自我の特異性は、イデア界に達していると述べたが、ここは、保留したい箇所である。微妙で、危険な箇所である。つまり、自我の特異性と言ったが、これが、果たして、そうなのかという問題がある。私が自我の特異性と思っているものが、同一性自我であるかもしれないのであるから。しかし、これは、換言すると、単独自我である。フッサール現象学の志向性に相当するのである。だから、イデア界の絶対的差異に通じると言っていいように思えるのだが。後で再検討したい。
注:画像は以下からです。
http://de.wikipedia.org/wiki/Bild:Dreieinigkeit.gif
[ 06:59 ]
[ P.D.ウスペンスキー ]
『ターシャム・オルガヌム(第三の思考規範)世界の謎への鍵 』(P.D. ウスペンスキー 著)を強く推薦します。
私見では、この奇蹟的書物は、ニーチェ哲学/フッサール哲学と、不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論との間の、いわば、ミッシング・リンクであります。
p.s. 補足しますと、西田哲学の絶対矛盾的自己同一と鈴木大拙の即非の論理と一致する「論理学」(「第三のオルガノン」=原論理学/プロト・オルガヌム)を説いています。
http://www.amazon.co.jp/%30bf%30fc%30b7%30e3%30e0%30fb%30aa%30eb%30ac%30cc%30e0%7b2c%4e09%306e%601d%8003%898f%7bc4%2015%4e16%754c%306e%8b0e%3078%306e%9375/dp/4795223793/ref=sr_11_1/250-8960880-5103431?ie=UTF8
参照:
『ターシャム・オルガヌム』はなぜかくも優れているのか
AN HOMAGE TO TERTIUM ORGANUM by H.Takahashi
§1 この本を見よ
20世紀最高の書物、否、これまで人間の手によって書かれた中でも最高の部類に属する書物である『ターシャム・オルガヌム(第三の思考規範)世界の謎への鍵』(P.D.ウスペンスキー著)は、それ自身の価値によってあらゆる驚嘆と称賛を受けるに値する。この書を前にしては、いつ、どこで、誰によって書かれたかはほとんど問題ではなくなる。これは一個の生命を持った芸術作品であり、人間を超えた知性が、何らかの宇宙的必然から一人の人間の頭脳を用いて自己の思想を表現した有機的創造物である。
http://homepage1.nifty.com/pdo/homagetoTO.htm
私見では、この奇蹟的書物は、ニーチェ哲学/フッサール哲学と、不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論との間の、いわば、ミッシング・リンクであります。
p.s. 補足しますと、西田哲学の絶対矛盾的自己同一と鈴木大拙の即非の論理と一致する「論理学」(「第三のオルガノン」=原論理学/プロト・オルガヌム)を説いています。
http://www.amazon.co.jp/%30bf%30fc%30b7%30e3%30e0%30fb%30aa%30eb%30ac%30cc%30e0%7b2c%4e09%306e%601d%8003%898f%7bc4%2015%4e16%754c%306e%8b0e%3078%306e%9375/dp/4795223793/ref=sr_11_1/250-8960880-5103431?ie=UTF8
参照:
『ターシャム・オルガヌム』はなぜかくも優れているのか
AN HOMAGE TO TERTIUM ORGANUM by H.Takahashi
§1 この本を見よ
20世紀最高の書物、否、これまで人間の手によって書かれた中でも最高の部類に属する書物である『ターシャム・オルガヌム(第三の思考規範)世界の謎への鍵』(P.D.ウスペンスキー著)は、それ自身の価値によってあらゆる驚嘆と称賛を受けるに値する。この書を前にしては、いつ、どこで、誰によって書かれたかはほとんど問題ではなくなる。これは一個の生命を持った芸術作品であり、人間を超えた知性が、何らかの宇宙的必然から一人の人間の頭脳を用いて自己の思想を表現した有機的創造物である。
http://homepage1.nifty.com/pdo/homagetoTO.htm
[ 06:10 ]
[ 哲学 ]
ドイツ観念論
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ドイツ観念論者たち。カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル
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ドイツ観念論者たち。カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル
ドイツ観念論 (der deutsche Idealismus) は18世紀末から19世紀半ばにドイツの主にルター派地域において展開された哲学思想。
目次
[非表示]
* 1 概要
* 2 ドイツ観念論という呼称
* 3 カントからドイツ観念論へ
* 4 展開と相互交流
* 5 哲学史におけるドイツ観念論の位置
* 6 文献
[編集]
概要
ドイツ古典主義哲学やドイツ理想主義哲学とも呼ばれる(これらのような呼称にした場合、該当する思想家が若干ことなることがある)。マルクス主義を国家理念の嚆矢とした国々ではドイツ市民的観念論 (der deutsch-bürgerliche Idealismus) と呼ばれたが現在この呼称は廃れている。後述するが、これらの名称は19世紀後半からの哲学史研究のなかで生じたのであり、ドイツ観念論に分類される思想家たちが、こうした名称を用いたわけではない。
カントの批判哲学およびそれに対する ヤコービの批判に刺激され、神または絶対者と呼ばれる観念的原理の自己展開として世界および人間を捉えることをその特徴とする。哲学者フィヒテ、シェリング、ヘーゲルのほかラインホルト、ヘルダーリーン、ゾルガー、神学者フリードリッヒ・シュライエルマッハーがドイツ観念論の主要な論者とみなされる。
なおカント自身がドイツ観念論に属するかどうかは、研究者により見解が分かれるが、カント哲学とドイツ観念論を分けて考える学者が多い。その根拠は、あるいはドイツ観念論に含まれる思想家がカントとはその時代に哲学的に対立関係にあったという哲学史的な事情、またカントが認識理性の対象ではないとした神(物自体)が、ドイツ観念論では哲学のもっとも重要な主題であり、知の対象とされる両者の哲学上の立場の違いに求められる。一方、カントにおいても物自体は実践理性の要請であって哲学体系の中におかれており哲学の主要な主題であること、さらにはドイツ観念論の主要な論者はカントから出発して自己の体系を構築したことを重視し、ドイツ観念論の初めにカント(のコペルニクス的転回以降)をおく哲学史家もいる。これに対してドイツ古典主義哲学は、カントとドイツ観念論の連続性を重視し、カントを含む呼称である。
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ドイツ観念論という呼称
「ドイツ観念論」期と呼ばれていた時代の人々は、自らの哲学をドイツ観念論とは呼んでいなかった。「ドイツ観念論」という呼称は、20世紀初頭の新カント学派や新ヘーゲル学派の哲学史の学者達(リヒャルト・クローナーやニコライ・ハルトマンなど)が、これら一連の思想家の総称として「ドイツ観念論」として紹介したことにより、普及したものである。この名称は、同時代の哲学史家のローゼンツヴァイクが1917年に発見し「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」(Das älteste Systemprogramm des deutschen Idealismus)と呼んだ著者不明の哲学的断片(1796年から1797年の間に筆記)に拠っている。この名称自体は草稿の本文にはなくローゼンツヴァイクが付したものである。
なお、この断片の著者については幾つかの説がある。断片自体はフリードリヒ・ヘーゲルによって書き写されたものである。ローゼンツヴァイクはこれをフリードリヒ・シェリングのものであるとした。しかしのちに筆者としてヘーゲル、ヘルダーリン、集団筆者説などが提唱され、どれも決定的な説とはなっていないのが現状である。草稿の内容は上に挙げた三人の思想と大きく関わっているものの、フィヒテとは関わりが薄く、その点から「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」という名称の妥当性にも疑問がある。たとえば体系草稿は倫理学と美的なものの結びつきを要求し、民衆に与えられるべき哲学的な「新しい神話」の創出を哲学の目標とするが、フィヒテにはそのような美的なものへの関心と要求は薄い。
このようにドイツ観念論者と総称されている思想家の中でも、その内容は思想家によって様々に異なる。しかしカント哲学を出発点として「自己意識」や「精神」、「自我」などの精神的なもの、さらに言えば、前にも触れているとおり、その根底として観念的原理の自己展開をおき、それを絶対者あるいは神と呼んで、後者との関わりによって世界や人間の本質を捉える立場から説明しようとする「観念論」の立場の哲学であるという点では一致していると言える。
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カントからドイツ観念論へ
イマヌエル・カントの三批判書はしばしばカント哲学といわれる。これはすでにドイツ観念論の時代にもそうであった。しかしカントは自身の「批判」 を「哲学」とはみなさなかった。「批判」とは哲学の予備学として、人間理性によって遂行される限りでの哲学の前提としての理性 (Vernunft) の性格を示すものである。カントはそれまでの哲学、すなわち形而上学を、人間理性の性格を踏まえない空虚な体系、「独断論のまどろみ」であると批判した。そして人間の認識のあり方とその前提としての超越論的認識を問い、また、そのような前提をもつ人間理性の対象となりうるものは何であるかについての考究に向かった。この理性の法廷での審査が批判 (Kritik) である。批判を通じて、伝統的な哲学の対象であった存在 (Sein) や神 (Gott) は、認識理性によっては認識 (erkennen) されえず、ただ思惟 (denken) することのみが可能なものとされた。そしてカントにとって形而上学たる哲学 (Philosophie) は批判の上にのみ書かれうるものであった。
一方ドイツ観念論の代表的な思索家たちは、再び神と存在を直接のかつ究極の対象として取り上げた。人間の知としての哲学の真正の対象は神的なもの、あるいは端的に神であると宣言した彼らは、それぞれの思想が、かつそれのみが真正な哲学であるとの自負にたった。この自覚を共有するのがドイツ観念論だとすれば、カントはドイツ観念論の思想家とは一線を画すといわねばならないだろう。カントの著作を「哲学」として受容したヤコービ、ラインホルト、フィヒテ、シェリングらの若い世代は、カントの理論に潜む理性の二重性と分裂を、自らの哲学によって超え、統一をもたらそうとした。いいかえれば、カントが物自体 (Ding an sich) と認識 (Erkenntnis) あるいは神と人間理性の間においた断絶をふたたび統一にもたらそうとする運動が、ドイツ観念論だったのである。そのような統一を与えるのが、自己意識すなわち私(自我)であり、さらにそのような意識を可能にする根拠でありかつ意識の究極の対象である絶対者ないし神である。ところでこの思想は、しばしば先鋭化して伝統宗教のもつ神概念と対立し、またカントが否定した神の認識可能性を再び主張することになる。一方カントは、学者の言説には自由な言論が認められるべきだが、社会の安定のためにはそのような言説を控える事はやむをない場合があるとも考えていた。皮肉な事に、カント自身によって刺激されたドイツ観念論の急進性は、カントの穏健さとは相容れないものだった。ドイツ観念論の初期の展開はカントの最晩年に当たるが、カントは陽にフィヒテらを批判した。またドイツ観念論の思想家たちも、カントの二世界論を不徹底なものと言明し、カントを超えることを標榜した。しかしカントが1804年になくなったとき、カントの思想の限界を指摘してやまなかったドイツ観念論の思想家たちは、一様にドイツの思想を革新したこの巨人の死を悼んだのである。
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展開と相互交流
ドイツ観念論はその成立過程から、一人の思想家による単独での思索の成果ではなく、むしろ当時の哲学者らによる様々な意見交換・批判などの交流によって展開した。その出発点にはカント哲学によって開かれた超越論的自我とその働きによる世界の把握がある。ここから、カントの哲学が厳しく分断した認識と物自体の統一を「信仰」という概念にもとめたヤコービ、実践理性と理論理性との統一を「自我」概念に求めたフィヒテ、フィヒテの絶対的自我の立場の盲点ともいえる「自然」という問題をも体系に取り入れ、自然を自我(精神)の超越論的前史としたフリードリヒ・シェリング、こうしたシェリングの精神と自然をも同一にしうる絶対者からでは差別された有限的な存在を導き出せないとしたヘーゲルの哲学が、相互の協同と論争の流れのなかで展開していった(詳しくは各思想家の項を参照のこと)。この流れの中にも、さらにラインホルト、ヘルダーらといった多くの思想家との交流と論争が加わり、またロマン主義と呼ばれた同時代の芸術・文学現象との交流があり、ドイツ語圏を蔽う巨大な思想運動が展開したのである。そのような交流の場となったのが、フィヒテやシェリングがゲーテにイェーナ大学の教授陣として招聘されたイェーナであり、フィヒテ、ゾルガー、シュライヤーマハー、後にはヘーゲルやシェリングが大学で教鞭をとったベルリンであり、あるいはヤコービやシェリングが王立アカデミーの、のちには大学のスタッフを勤めたミュンヘンであった。
しかし交流は決して快い結果ばかりを生み出したわけではない。フィヒテは感激をもってカントを訪れ、カント哲学を発展させたと自負したが、カントとフィヒテの間柄は良好ではなく、カントはフィヒテを自分の哲学を誤解している人物として非難した。シェリングとフィヒテはイェーナ大学の同僚として親しみ、共同の哲学雑誌の出版を構想したが、自然概念をめぐる二人の哲学的立場の対立は、互いの哲学上の立場を理解しないままに、苦々しい言葉の応酬となって終わった。シェリングとヘーゲルは神学校からの長い交流があり、ヘーゲルは、シェリング哲学の擁護者として最初の本『シェリング哲学とフィヒテ哲学との差異』を出版し、二人はイェーナで1802年から1803年のあいだ哲学雑誌を共同で出版した。しかし10年とたたないうちに、1807年ヘーゲルは『精神の現象の学』序言で「すべての牛を暗くする闇夜」という比喩で、痛烈にシェリングの絶対者把握を批判し、二人の友情は断絶するに到る。以後二人の間には、互いの哲学を真っ向から批判しあう、教壇上の言説の対立があるばかりであった。またヤコービとシェリングの間にも神概念をめぐる論争がある。宗教哲学者シュライヤーマハーとヘーゲルの宗教哲学は対立し、ベルリンでは二人が論文の審査をめぐって決闘したという風評が流れた事さえあった。さらに若い私講師ショーペンハウエルは、ヘーゲルに挑み同じ時間に講義を開講して、結果生涯ヘーゲルを呪詛しつづける事になる。チュービンゲン神学校を出てすぐのシェリング、ヘーゲル、ヘルダーリン三人の若い牧歌的な書簡のやり取りを除けば、ドイツ観念論の壮麗な体系の下には私怨をも伴った激しく苦い論争の地層が厚く横たわっているのである。
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哲学史におけるドイツ観念論の位置
ドイツ観念論の成立にあたって重要な思想としては、カントのほか、プラトン、古代教父思想、ドイツ神秘主義、スピノザ、ライプニッツ、自然哲学、また哲学思想とは云いがたいがヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンおよびヘルダー、ハーマン、ゲーテなどの思想がある。また、同時期に文学界ではシュレーゲル兄弟を中心としてロマン主義(ドイツロマン主義)が台頭し、ドイツ観念論と呼ばれる哲学者とたちと密に交流し互いに影響しあったことも重要である。彼が集った小都市イェナやベルリンは当時の精神文化の中心地となった。なおドイツ観念論はヘーゲルの死後直系の弟子たちの世代が終わると共に、マルクス主義を除けばほぼ影響力を失ったが、新ヘーゲル学派以降ドイツ観念論の研究は再び見直され、現在では近代哲学の最も重要な一時期であるという評価が定着している。また、一般的にはカントに端を発し、フィヒテ、シェリングという過渡期を経て、ヘーゲルでもってドイツ観念論は完成するという見地(これは新ヘーゲル主義の哲学研究者による見方が示し、定着したものでもある)であるが、これはフィヒテやシェリングの哲学の欠点を補ってヘーゲルが哲学を展開したということではない。上記に見たように、激しい論争の元で展開されており、互いに自身の哲学こそ、真なるものと思っていた。従って、他者の批判には相応に応えており、一筋縄ではいかないのが現状である。上記にあげた一般的な見方が絶対的なのか、また新しい視点からドイツ観念論の哲学の特徴を論ずることは出来ないか、現在の世界各国のドイツ観念論に関心のある哲学研究者の課題であろう。
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文献
ドイツ観念論についての日本語の文献は多い。ここでは、ドイツ観念論全体を俯瞰し、個別の思想家や著作への案内となるもののなかから、入手しやすく比較的前提知識を要さないものを挙げた。
* 廣松渉・加藤尚武・坂部恵他編『講座 ドイツ観念論』全6巻 弘文堂 1990年
* 大橋良介・大峯顕他編『叢書 ドイツ観念論との対話』6巻 ミネルヴァ書房 1994年
* 大橋良介著『絶対者のゆくえ ドイツ観念論と現代世界』ミネルヴァ書房 (入門書として最適) 1993年
* ニコライ・ハルトマン著(村岡晋一監訳)『ドイツ観念論の哲学』 作品社 2004年
* リヒャルト・クローナー著(上妻精監訳)『ドイツ観念論の発展 カントからヘーゲルまで』 理想社 1998年(1巻)・2000年(2巻)・原タイトルは Von Kant bis Hegel、(カントからヘーゲルまで)
* 岩崎武雄著『カントからヘーゲルへ』 東大出版会 1977年
* 高山守編『カントとドイツ観念論』(講座近・現代ドイツ哲学I) 理想社 2004年
* 大橋良介編『ドイツ観念論を学ぶ人のために』 世界思想社 2006年
など多数
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カテゴリ: 世界観 | 哲学
注:画像は以下から。
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ドイツ観念論者たち。カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル
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ドイツ観念論者たち。カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル
ドイツ観念論 (der deutsche Idealismus) は18世紀末から19世紀半ばにドイツの主にルター派地域において展開された哲学思想。
目次
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* 1 概要
* 2 ドイツ観念論という呼称
* 3 カントからドイツ観念論へ
* 4 展開と相互交流
* 5 哲学史におけるドイツ観念論の位置
* 6 文献
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概要
ドイツ古典主義哲学やドイツ理想主義哲学とも呼ばれる(これらのような呼称にした場合、該当する思想家が若干ことなることがある)。マルクス主義を国家理念の嚆矢とした国々ではドイツ市民的観念論 (der deutsch-bürgerliche Idealismus) と呼ばれたが現在この呼称は廃れている。後述するが、これらの名称は19世紀後半からの哲学史研究のなかで生じたのであり、ドイツ観念論に分類される思想家たちが、こうした名称を用いたわけではない。
カントの批判哲学およびそれに対する ヤコービの批判に刺激され、神または絶対者と呼ばれる観念的原理の自己展開として世界および人間を捉えることをその特徴とする。哲学者フィヒテ、シェリング、ヘーゲルのほかラインホルト、ヘルダーリーン、ゾルガー、神学者フリードリッヒ・シュライエルマッハーがドイツ観念論の主要な論者とみなされる。
なおカント自身がドイツ観念論に属するかどうかは、研究者により見解が分かれるが、カント哲学とドイツ観念論を分けて考える学者が多い。その根拠は、あるいはドイツ観念論に含まれる思想家がカントとはその時代に哲学的に対立関係にあったという哲学史的な事情、またカントが認識理性の対象ではないとした神(物自体)が、ドイツ観念論では哲学のもっとも重要な主題であり、知の対象とされる両者の哲学上の立場の違いに求められる。一方、カントにおいても物自体は実践理性の要請であって哲学体系の中におかれており哲学の主要な主題であること、さらにはドイツ観念論の主要な論者はカントから出発して自己の体系を構築したことを重視し、ドイツ観念論の初めにカント(のコペルニクス的転回以降)をおく哲学史家もいる。これに対してドイツ古典主義哲学は、カントとドイツ観念論の連続性を重視し、カントを含む呼称である。
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ドイツ観念論という呼称
「ドイツ観念論」期と呼ばれていた時代の人々は、自らの哲学をドイツ観念論とは呼んでいなかった。「ドイツ観念論」という呼称は、20世紀初頭の新カント学派や新ヘーゲル学派の哲学史の学者達(リヒャルト・クローナーやニコライ・ハルトマンなど)が、これら一連の思想家の総称として「ドイツ観念論」として紹介したことにより、普及したものである。この名称は、同時代の哲学史家のローゼンツヴァイクが1917年に発見し「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」(Das älteste Systemprogramm des deutschen Idealismus)と呼んだ著者不明の哲学的断片(1796年から1797年の間に筆記)に拠っている。この名称自体は草稿の本文にはなくローゼンツヴァイクが付したものである。
なお、この断片の著者については幾つかの説がある。断片自体はフリードリヒ・ヘーゲルによって書き写されたものである。ローゼンツヴァイクはこれをフリードリヒ・シェリングのものであるとした。しかしのちに筆者としてヘーゲル、ヘルダーリン、集団筆者説などが提唱され、どれも決定的な説とはなっていないのが現状である。草稿の内容は上に挙げた三人の思想と大きく関わっているものの、フィヒテとは関わりが薄く、その点から「ドイツ観念論の最古の体系プログラム」という名称の妥当性にも疑問がある。たとえば体系草稿は倫理学と美的なものの結びつきを要求し、民衆に与えられるべき哲学的な「新しい神話」の創出を哲学の目標とするが、フィヒテにはそのような美的なものへの関心と要求は薄い。
このようにドイツ観念論者と総称されている思想家の中でも、その内容は思想家によって様々に異なる。しかしカント哲学を出発点として「自己意識」や「精神」、「自我」などの精神的なもの、さらに言えば、前にも触れているとおり、その根底として観念的原理の自己展開をおき、それを絶対者あるいは神と呼んで、後者との関わりによって世界や人間の本質を捉える立場から説明しようとする「観念論」の立場の哲学であるという点では一致していると言える。
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カントからドイツ観念論へ
イマヌエル・カントの三批判書はしばしばカント哲学といわれる。これはすでにドイツ観念論の時代にもそうであった。しかしカントは自身の「批判」 を「哲学」とはみなさなかった。「批判」とは哲学の予備学として、人間理性によって遂行される限りでの哲学の前提としての理性 (Vernunft) の性格を示すものである。カントはそれまでの哲学、すなわち形而上学を、人間理性の性格を踏まえない空虚な体系、「独断論のまどろみ」であると批判した。そして人間の認識のあり方とその前提としての超越論的認識を問い、また、そのような前提をもつ人間理性の対象となりうるものは何であるかについての考究に向かった。この理性の法廷での審査が批判 (Kritik) である。批判を通じて、伝統的な哲学の対象であった存在 (Sein) や神 (Gott) は、認識理性によっては認識 (erkennen) されえず、ただ思惟 (denken) することのみが可能なものとされた。そしてカントにとって形而上学たる哲学 (Philosophie) は批判の上にのみ書かれうるものであった。
一方ドイツ観念論の代表的な思索家たちは、再び神と存在を直接のかつ究極の対象として取り上げた。人間の知としての哲学の真正の対象は神的なもの、あるいは端的に神であると宣言した彼らは、それぞれの思想が、かつそれのみが真正な哲学であるとの自負にたった。この自覚を共有するのがドイツ観念論だとすれば、カントはドイツ観念論の思想家とは一線を画すといわねばならないだろう。カントの著作を「哲学」として受容したヤコービ、ラインホルト、フィヒテ、シェリングらの若い世代は、カントの理論に潜む理性の二重性と分裂を、自らの哲学によって超え、統一をもたらそうとした。いいかえれば、カントが物自体 (Ding an sich) と認識 (Erkenntnis) あるいは神と人間理性の間においた断絶をふたたび統一にもたらそうとする運動が、ドイツ観念論だったのである。そのような統一を与えるのが、自己意識すなわち私(自我)であり、さらにそのような意識を可能にする根拠でありかつ意識の究極の対象である絶対者ないし神である。ところでこの思想は、しばしば先鋭化して伝統宗教のもつ神概念と対立し、またカントが否定した神の認識可能性を再び主張することになる。一方カントは、学者の言説には自由な言論が認められるべきだが、社会の安定のためにはそのような言説を控える事はやむをない場合があるとも考えていた。皮肉な事に、カント自身によって刺激されたドイツ観念論の急進性は、カントの穏健さとは相容れないものだった。ドイツ観念論の初期の展開はカントの最晩年に当たるが、カントは陽にフィヒテらを批判した。またドイツ観念論の思想家たちも、カントの二世界論を不徹底なものと言明し、カントを超えることを標榜した。しかしカントが1804年になくなったとき、カントの思想の限界を指摘してやまなかったドイツ観念論の思想家たちは、一様にドイツの思想を革新したこの巨人の死を悼んだのである。
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展開と相互交流
ドイツ観念論はその成立過程から、一人の思想家による単独での思索の成果ではなく、むしろ当時の哲学者らによる様々な意見交換・批判などの交流によって展開した。その出発点にはカント哲学によって開かれた超越論的自我とその働きによる世界の把握がある。ここから、カントの哲学が厳しく分断した認識と物自体の統一を「信仰」という概念にもとめたヤコービ、実践理性と理論理性との統一を「自我」概念に求めたフィヒテ、フィヒテの絶対的自我の立場の盲点ともいえる「自然」という問題をも体系に取り入れ、自然を自我(精神)の超越論的前史としたフリードリヒ・シェリング、こうしたシェリングの精神と自然をも同一にしうる絶対者からでは差別された有限的な存在を導き出せないとしたヘーゲルの哲学が、相互の協同と論争の流れのなかで展開していった(詳しくは各思想家の項を参照のこと)。この流れの中にも、さらにラインホルト、ヘルダーらといった多くの思想家との交流と論争が加わり、またロマン主義と呼ばれた同時代の芸術・文学現象との交流があり、ドイツ語圏を蔽う巨大な思想運動が展開したのである。そのような交流の場となったのが、フィヒテやシェリングがゲーテにイェーナ大学の教授陣として招聘されたイェーナであり、フィヒテ、ゾルガー、シュライヤーマハー、後にはヘーゲルやシェリングが大学で教鞭をとったベルリンであり、あるいはヤコービやシェリングが王立アカデミーの、のちには大学のスタッフを勤めたミュンヘンであった。
しかし交流は決して快い結果ばかりを生み出したわけではない。フィヒテは感激をもってカントを訪れ、カント哲学を発展させたと自負したが、カントとフィヒテの間柄は良好ではなく、カントはフィヒテを自分の哲学を誤解している人物として非難した。シェリングとフィヒテはイェーナ大学の同僚として親しみ、共同の哲学雑誌の出版を構想したが、自然概念をめぐる二人の哲学的立場の対立は、互いの哲学上の立場を理解しないままに、苦々しい言葉の応酬となって終わった。シェリングとヘーゲルは神学校からの長い交流があり、ヘーゲルは、シェリング哲学の擁護者として最初の本『シェリング哲学とフィヒテ哲学との差異』を出版し、二人はイェーナで1802年から1803年のあいだ哲学雑誌を共同で出版した。しかし10年とたたないうちに、1807年ヘーゲルは『精神の現象の学』序言で「すべての牛を暗くする闇夜」という比喩で、痛烈にシェリングの絶対者把握を批判し、二人の友情は断絶するに到る。以後二人の間には、互いの哲学を真っ向から批判しあう、教壇上の言説の対立があるばかりであった。またヤコービとシェリングの間にも神概念をめぐる論争がある。宗教哲学者シュライヤーマハーとヘーゲルの宗教哲学は対立し、ベルリンでは二人が論文の審査をめぐって決闘したという風評が流れた事さえあった。さらに若い私講師ショーペンハウエルは、ヘーゲルに挑み同じ時間に講義を開講して、結果生涯ヘーゲルを呪詛しつづける事になる。チュービンゲン神学校を出てすぐのシェリング、ヘーゲル、ヘルダーリン三人の若い牧歌的な書簡のやり取りを除けば、ドイツ観念論の壮麗な体系の下には私怨をも伴った激しく苦い論争の地層が厚く横たわっているのである。
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哲学史におけるドイツ観念論の位置
ドイツ観念論の成立にあたって重要な思想としては、カントのほか、プラトン、古代教父思想、ドイツ神秘主義、スピノザ、ライプニッツ、自然哲学、また哲学思想とは云いがたいがヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンおよびヘルダー、ハーマン、ゲーテなどの思想がある。また、同時期に文学界ではシュレーゲル兄弟を中心としてロマン主義(ドイツロマン主義)が台頭し、ドイツ観念論と呼ばれる哲学者とたちと密に交流し互いに影響しあったことも重要である。彼が集った小都市イェナやベルリンは当時の精神文化の中心地となった。なおドイツ観念論はヘーゲルの死後直系の弟子たちの世代が終わると共に、マルクス主義を除けばほぼ影響力を失ったが、新ヘーゲル学派以降ドイツ観念論の研究は再び見直され、現在では近代哲学の最も重要な一時期であるという評価が定着している。また、一般的にはカントに端を発し、フィヒテ、シェリングという過渡期を経て、ヘーゲルでもってドイツ観念論は完成するという見地(これは新ヘーゲル主義の哲学研究者による見方が示し、定着したものでもある)であるが、これはフィヒテやシェリングの哲学の欠点を補ってヘーゲルが哲学を展開したということではない。上記に見たように、激しい論争の元で展開されており、互いに自身の哲学こそ、真なるものと思っていた。従って、他者の批判には相応に応えており、一筋縄ではいかないのが現状である。上記にあげた一般的な見方が絶対的なのか、また新しい視点からドイツ観念論の哲学の特徴を論ずることは出来ないか、現在の世界各国のドイツ観念論に関心のある哲学研究者の課題であろう。
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文献
ドイツ観念論についての日本語の文献は多い。ここでは、ドイツ観念論全体を俯瞰し、個別の思想家や著作への案内となるもののなかから、入手しやすく比較的前提知識を要さないものを挙げた。
* 廣松渉・加藤尚武・坂部恵他編『講座 ドイツ観念論』全6巻 弘文堂 1990年
* 大橋良介・大峯顕他編『叢書 ドイツ観念論との対話』6巻 ミネルヴァ書房 1994年
* 大橋良介著『絶対者のゆくえ ドイツ観念論と現代世界』ミネルヴァ書房 (入門書として最適) 1993年
* ニコライ・ハルトマン著(村岡晋一監訳)『ドイツ観念論の哲学』 作品社 2004年
* リヒャルト・クローナー著(上妻精監訳)『ドイツ観念論の発展 カントからヘーゲルまで』 理想社 1998年(1巻)・2000年(2巻)・原タイトルは Von Kant bis Hegel、(カントからヘーゲルまで)
* 岩崎武雄著『カントからヘーゲルへ』 東大出版会 1977年
* 高山守編『カントとドイツ観念論』(講座近・現代ドイツ哲学I) 理想社 2004年
* 大橋良介編『ドイツ観念論を学ぶ人のために』 世界思想社 2006年
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カテゴリ: 世界観 | 哲学
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[ 05:48 ]
[ 哲学 ]
『ターシャム・オルガヌム』の第22章に、「神秘的」体験に関して、ヘーゲルについて言及してあったので、ふと、ヘーゲル哲学の理性のことを考えたので、ここで、簡単に記したい。
ヘーゲルは『精神現象学』の中で、理性とは、自分が全実在であるという確信である、というようなことを述べている。この全実在という心的事象は、「神秘的」体験に近いものがあるのである。しかし、ヘーゲルはこれを理性と呼んでいるのである。これは、先の近代的自我の批判的解明に則して言えば、内在超越的連続・同一性自我「理性」ということになるように思えるのである。この内在超越性が、絶対性・全体性を内包するのである。つまり、不連続的差異論で言えば、メディア界のプラス・エネルギーに相当するのである。そう、だから、ヘーゲルの理性とは、ヤハウェ的力動と同じである。つまり、正に、近代的自我・近代合理主義なのである。つまり、
内在超越的連続・同一性(自我)=近代的合理性=ヘーゲル哲学理性
ということになる。ヘーゲルはカントを無視して、近代合理主義哲学を立てたのである。
ところで、一点疑念があるのは、全実在であるという確信というヘーゲルの言葉に関してである。全実在という意識には、コスモス的意識があるように感じられるのである。これをどう考えるのかである。
これは、やはり、内在超越性的全体性ということで、説明できると思う。ヤハウェ的全一性と考えればいいと思う。
ならば、逆に考えると、ヤハウェ的全体性とは、コスモス的意識があるということになるだろう。これは、きわめて興味深い事柄である。というのは、超越神とコスモスが結びついているということになるからである。超越神とは当然ながら、コスモスを超越しているのであるが、そうではないことになるのである。根本的矛盾である。
どうも、ヘーゲルの理性と超越神の「理性」とは、異なるようである。ヘーゲルの理性は、確かに、コスモス性を帯びているが、超越神の内在超越性は、コスモスを超越包摂しているのだと思う。
ここは、微妙な問題だと思う。考えれば、コスモスというものが、自然を内在超越し、包摂しているだろう。コスモス=自然ではないのである。コスモスは、内在超越的であり、超越神とは、この点で一致するだろう!
丁寧に考えよう。全実在であるという確信というヘーゲルの理性とは、コスモス的であり、超越神的ではない。思うに、この理性の考え方に問題があるのだ。ここで、直観で述べたい。
ヘーゲルの理性は、有り体に言えば、ドゥルーズの差異と同質だと思う。連続的差異(=微分)なのだと思う。あるいは、ベルクソンの差異と同質なのだと思う。思うに、「イデア」と「知性」を結びつけるものである。そして、ここに、弁証法が成立するのだろう。つまり、「イデア」と「知性」との対立の統一としてのヘーゲル弁証法である。これが可能なのは、差異が連続的だからであろう。
では、ここで、超越神との関係を見ると、超越神は、内在超越的連続・同一性志向性であるから、やはり、ヘーゲルの理性と一致するようだ。
では、先の、超越神のコスモス性の問題に戻ろう。そう、連続・同一性をもつ限り(p.s. ここは、完全に誤りである。連続・同一性ではなくて、内在超越性があるから、コスモス性をもつのである。訂正したい。)、超越神と言えども、コスモス性をもつと言えよう。ただし、コスモスを、超越しているのであるが。だから、正確に言えば、やはり、内在超越であり、単なる超越ではないのである。超越神という考えはおそらく誤りであろう。内在超越神としての一神教の神ではないだろうか。ということで、やはり、ヘーゲルの理性と「超越神」は一致するのである。
では、超越神の超越性はどこから発生したのだろうか。どうして、内在性が取れて、単に超越性となったのだろうか。それは、プラス・エネルギーのもつ連続・同一性のためだろう。これは、自我絶対性である(「わたしはある」という神)。自我絶対性が超越性を生んだのだろう。つまり、連続・同一性は、自然を取り込んでしまうということだろう。連続・同一性は、確かに、自然と重なるが、それだけで終わらずに、自我絶対性へと回帰するのである。そう、これが、ヘーゲルの疎外の止揚であろう。
修正して、簡単にまとめると、
1)ヘーゲルの理性と「超越神」は一致する
2)「超越神」は、正しくは、内在超越神である
3)両者はコスモス性を一面ではもつ
ヘーゲルは『精神現象学』の中で、理性とは、自分が全実在であるという確信である、というようなことを述べている。この全実在という心的事象は、「神秘的」体験に近いものがあるのである。しかし、ヘーゲルはこれを理性と呼んでいるのである。これは、先の近代的自我の批判的解明に則して言えば、内在超越的連続・同一性自我「理性」ということになるように思えるのである。この内在超越性が、絶対性・全体性を内包するのである。つまり、不連続的差異論で言えば、メディア界のプラス・エネルギーに相当するのである。そう、だから、ヘーゲルの理性とは、ヤハウェ的力動と同じである。つまり、正に、近代的自我・近代合理主義なのである。つまり、
内在超越的連続・同一性(自我)=近代的合理性=ヘーゲル哲学理性
ということになる。ヘーゲルはカントを無視して、近代合理主義哲学を立てたのである。
ところで、一点疑念があるのは、全実在であるという確信というヘーゲルの言葉に関してである。全実在という意識には、コスモス的意識があるように感じられるのである。これをどう考えるのかである。
これは、やはり、内在超越性的全体性ということで、説明できると思う。ヤハウェ的全一性と考えればいいと思う。
ならば、逆に考えると、ヤハウェ的全体性とは、コスモス的意識があるということになるだろう。これは、きわめて興味深い事柄である。というのは、超越神とコスモスが結びついているということになるからである。超越神とは当然ながら、コスモスを超越しているのであるが、そうではないことになるのである。根本的矛盾である。
どうも、ヘーゲルの理性と超越神の「理性」とは、異なるようである。ヘーゲルの理性は、確かに、コスモス性を帯びているが、超越神の内在超越性は、コスモスを超越包摂しているのだと思う。
ここは、微妙な問題だと思う。考えれば、コスモスというものが、自然を内在超越し、包摂しているだろう。コスモス=自然ではないのである。コスモスは、内在超越的であり、超越神とは、この点で一致するだろう!
丁寧に考えよう。全実在であるという確信というヘーゲルの理性とは、コスモス的であり、超越神的ではない。思うに、この理性の考え方に問題があるのだ。ここで、直観で述べたい。
ヘーゲルの理性は、有り体に言えば、ドゥルーズの差異と同質だと思う。連続的差異(=微分)なのだと思う。あるいは、ベルクソンの差異と同質なのだと思う。思うに、「イデア」と「知性」を結びつけるものである。そして、ここに、弁証法が成立するのだろう。つまり、「イデア」と「知性」との対立の統一としてのヘーゲル弁証法である。これが可能なのは、差異が連続的だからであろう。
では、ここで、超越神との関係を見ると、超越神は、内在超越的連続・同一性志向性であるから、やはり、ヘーゲルの理性と一致するようだ。
では、先の、超越神のコスモス性の問題に戻ろう。そう、連続・同一性をもつ限り(p.s. ここは、完全に誤りである。連続・同一性ではなくて、内在超越性があるから、コスモス性をもつのである。訂正したい。)、超越神と言えども、コスモス性をもつと言えよう。ただし、コスモスを、超越しているのであるが。だから、正確に言えば、やはり、内在超越であり、単なる超越ではないのである。超越神という考えはおそらく誤りであろう。内在超越神としての一神教の神ではないだろうか。ということで、やはり、ヘーゲルの理性と「超越神」は一致するのである。
では、超越神の超越性はどこから発生したのだろうか。どうして、内在性が取れて、単に超越性となったのだろうか。それは、プラス・エネルギーのもつ連続・同一性のためだろう。これは、自我絶対性である(「わたしはある」という神)。自我絶対性が超越性を生んだのだろう。つまり、連続・同一性は、自然を取り込んでしまうということだろう。連続・同一性は、確かに、自然と重なるが、それだけで終わらずに、自我絶対性へと回帰するのである。そう、これが、ヘーゲルの疎外の止揚であろう。
修正して、簡単にまとめると、
1)ヘーゲルの理性と「超越神」は一致する
2)「超越神」は、正しくは、内在超越神である
3)両者はコスモス性を一面ではもつ
