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2008/07/24のBlog
[ 18:16 ]
[ PLATONIC SYNERGY ]
今は簡単に考察するだけであるが(p.s. 詳論となった)、今日の多くの日本人の陥っている自我意識であるが、これは、ナルシシズムが基盤にあると思われるのであり、この力学を明確する必要があると思いついたのである。
これまで、何度も考察してきたが、今一つ決定力の欠ける考察と言わざるを得ない。そういうことで、精緻に考察を試みたい。
同一性主義の自我にある自己中心主義エネルギーはどこから来るのか。そこには、尊大な興奮があり、侮蔑・軽蔑・嘲笑・愚弄・見下し・侮辱・嫌悪・憎悪等があり、高圧・慢心・高慢・傲慢さ等々がある。また、怒りや憤激がある。衝動的であり、独断・専断・独善的である。いわば、病的な同一性心性なのである。
当然、理論的には、二項対立がある。自我が優越し、他者が劣等である。この自我優位/他者劣位の二項対立性とは、これまで、検討してきたように、同一性による差異(他者)の否定に存すると言えよう。
端的に、自我による他者の「見下し」の原因は何か。根本から考えると、優越感以前には、劣等感があると考えられるのである。自我は、同一性主義となる以前は、差異に対して、劣等感を感じていたはずである。劣等感ではなくても、少なくとも、「自信喪失」である。
ここで少し迂回してみよう。女神の神話においては、当然、中心・支配者は女神である。その脇侍のように、女神の子の男性(双子)がいる。【参照:釈迦三尊仏の様式】
そして、父権神話とは、その補佐であった女神の子が独立することに存する。英雄神話の半面はこれと重なる。
この女神の子・男性の独立が、同一性形成を導くと考えられる。問題は、何故、女神の支配から独立する必要があるのかである。
女神の支配とは、原始的な差異共振様相を意味すると私は考えている。だから、原始的差異共振様相から独立する女神の子=「英雄」が存するということである。
何故、独立するのかと言えば、それは、差異・他者である差異共振様相から分離する要請があるからだろう。つまり、自己同一性(=自我)を形成する要請である。
そして、いったい、この要請とは何なのかということである。この問題については、既に繰り返し繰り返し検討した。しかし、そこでは、否定的な評価があった。差異共振性における悲・苦が存するので、それを否定・抑圧・排除して、自己同一性(自我)の優位を構築するということことであった。
しかし、Media Pointにおける太極を考えると、そこには、自然の転変する力学が考えられる。陽極へと志向する力学が生ずるときが考えられる。このときは、当然、陰極を否定する力学となると考えられる。
PS理論から言えば、陰極-iを否定して、陽極+iへと志向する力学である。暫定的に、陽化と呼んでおこう。当然、同一性化である。理論的には、(+i)*〔-(-i)〕⇒-1と考えられる。平明に言えば、+iの自乗、(+i)^2=-1である。
しかし、このように考えると、構造主義的である。主観が入らないのである。思うに、自然力学の一環として、構造的に陽化があることは認める必要があるのではないだろうか。
問題は、陽化が発生して、同一性意識(自我意識、自己同一性意識)が形成されても、否定されたとは言え、陰極-i自体は現存しているのであるから、陰極のもつ「力」ないしは「エネルギー」は隠然として存していると言わなくてはならない。つまり、陽化によって、同一性自己(自我)が形成されても、いわば、無意識においては、陰極-i、差異、他者が存しているのであり、それが、同一性自己(自我)と対立していると考えられるのである。
即ち、精神現象(正確に言えば、精神身体現象である)において、同一性自己と差異他者の対立が厳然として存在しているということであり、矛盾・葛藤・齟齬の様態にあるということになる。永遠の対立である。
しかしながら、陽化においては、同一性志向性が優位にあるので、当然、陰極である差異他者は劣位におかれると端的明快に言えるのではないだろうか。これが二項対立の根因・起因であると考えられるのである。だから、同一性自己は他者差異の否定に傾斜する力学をもつのである。ここに、上記の否定感情が入ると言えるだろう。これで、一つの問題、即ち、二項対立の発生原因は解明できたとしよう。【p.s. 一点注意すべきことは、本来、+iと-iは共振様相ないしは極性・対極性様相にあるのであり、他者差異-iの否定は、単に、陰極の否定だけではなく、差異共振(共鳴)性の否定でもあるということである。】
次は、ナルシシズムである。しかし、この問題はもう以上の考察から自明的であると考えられる。即ち、陽化=同一性化とは、陽極が陽極自体を映すことと言い換えられるのではないだろうか。つまり、「自己」が「自己」を映すということである。そう、鏡像である。つまり、陽極+iが鏡面となり、陽極自体+iを鏡像として映し、それと結合するということである。換言すると、自己鏡像化である。自己が自己を映すのである。自己完結主義である。
これで、ナルシシズムの説明はつくのではないだろうか。そして、悪の発生もこれで説明できるであろう。同一性自己主義、ここに、ナルシシズムがあり、他者差異否定、つまり、反倫理があるのである。
さて、最後に、敷衍的に、一神教(ヤハウェ的一神教)について、この視点から見てみよう。
一神教、つまり、ヤハウェ的一神教であるが、それは、端的に、同一性自己の形而上学と言うことができよう。陽化の形而上学である。多神教・異教・自然宗教を排除するのは、陽化の徹底化と見ることができよう。【イエス教は、本来は多神教、女神教であると考えられる。だから、キリスト教は絶対矛盾的自己同一と言えないことはない。】
しかし、重要な点は、超越神性ないしは超越性である。それは、多神教にはない点である【p.s. 正確に言うならば、多神教にも、超越性があるのである。でなければ、神性は発生しないだろう。ただし、多神教においては、超越性と自然性とが共鳴する関係にあることが、一神教との決定的差異である。だから、多神教は内在的超越性をもつ考えられるかもしれない。それは、正しいだろう。しかしながら、PS理論は、即非的内在/超越性をもつ言うべきである。】。差異他者を否定したとき、それは、抽象化を意味するのである(抽象芸術と一神教との関係があるだろう)。偶像の禁止である。
そして、超越性の根源は、イデア界(虚軸)にあると考えられるのである。PS理論から見ると、Media Point が、消失・喪失して、超越性と現象性の絶対的二元論が発生したと考えられるのである。神の世界と現象世界を結ぶものは、何もなくなったのである。ただ、信仰があるだけとなったのである。あるいは、キリスト教で言えば、キリストと聖霊を介すしか、神とのコミュニケーション(語呂合わせすれば、カミュニケーションである。【p.s. 精緻にいうと、一神教においては、神と人間とのコミュニケーションがあるのかどうか難しいところである。プロテスタンティズムを見てわかるように、神からの一方的な恩寵の有無が、救済と関係するのであるから、正確に言えば、コミュニケーション、カミュニケーションがないのである。】)はなくなったのである。
ここでは、Media Pointの喪失がいちばんのポイントである。【これが、精神文化的に、西洋と東洋を分離するポイントである。】とまれ、ヤハウェ的一神教によって、いわば、超越的同一性自己主義が発生したのである。あるいは、形而上学的自己同一性主義の形成である。そして、これが、西洋文明の支配・主導的精神であり、これが、西洋資本主義を駆動させている精神であると考えることができよう。単に、同一性自己主義ではなくて、超越的ないし形而上学的同一性自己主義であるということである。その帰結が、今日のサブプライムローン問題である。
根本的に差異共振精神を否定しているので、このような惨禍となるのである。ただし、イエスの精神には、本来、差異共振性があるのであるが、それが、ヤハウェ的一神教性によって、阻害されてしまっていると考えられるのである。
これまで、何度も考察してきたが、今一つ決定力の欠ける考察と言わざるを得ない。そういうことで、精緻に考察を試みたい。
同一性主義の自我にある自己中心主義エネルギーはどこから来るのか。そこには、尊大な興奮があり、侮蔑・軽蔑・嘲笑・愚弄・見下し・侮辱・嫌悪・憎悪等があり、高圧・慢心・高慢・傲慢さ等々がある。また、怒りや憤激がある。衝動的であり、独断・専断・独善的である。いわば、病的な同一性心性なのである。
当然、理論的には、二項対立がある。自我が優越し、他者が劣等である。この自我優位/他者劣位の二項対立性とは、これまで、検討してきたように、同一性による差異(他者)の否定に存すると言えよう。
端的に、自我による他者の「見下し」の原因は何か。根本から考えると、優越感以前には、劣等感があると考えられるのである。自我は、同一性主義となる以前は、差異に対して、劣等感を感じていたはずである。劣等感ではなくても、少なくとも、「自信喪失」である。
ここで少し迂回してみよう。女神の神話においては、当然、中心・支配者は女神である。その脇侍のように、女神の子の男性(双子)がいる。【参照:釈迦三尊仏の様式】
そして、父権神話とは、その補佐であった女神の子が独立することに存する。英雄神話の半面はこれと重なる。
この女神の子・男性の独立が、同一性形成を導くと考えられる。問題は、何故、女神の支配から独立する必要があるのかである。
女神の支配とは、原始的な差異共振様相を意味すると私は考えている。だから、原始的差異共振様相から独立する女神の子=「英雄」が存するということである。
何故、独立するのかと言えば、それは、差異・他者である差異共振様相から分離する要請があるからだろう。つまり、自己同一性(=自我)を形成する要請である。
そして、いったい、この要請とは何なのかということである。この問題については、既に繰り返し繰り返し検討した。しかし、そこでは、否定的な評価があった。差異共振性における悲・苦が存するので、それを否定・抑圧・排除して、自己同一性(自我)の優位を構築するということことであった。
しかし、Media Pointにおける太極を考えると、そこには、自然の転変する力学が考えられる。陽極へと志向する力学が生ずるときが考えられる。このときは、当然、陰極を否定する力学となると考えられる。
PS理論から言えば、陰極-iを否定して、陽極+iへと志向する力学である。暫定的に、陽化と呼んでおこう。当然、同一性化である。理論的には、(+i)*〔-(-i)〕⇒-1と考えられる。平明に言えば、+iの自乗、(+i)^2=-1である。
しかし、このように考えると、構造主義的である。主観が入らないのである。思うに、自然力学の一環として、構造的に陽化があることは認める必要があるのではないだろうか。
問題は、陽化が発生して、同一性意識(自我意識、自己同一性意識)が形成されても、否定されたとは言え、陰極-i自体は現存しているのであるから、陰極のもつ「力」ないしは「エネルギー」は隠然として存していると言わなくてはならない。つまり、陽化によって、同一性自己(自我)が形成されても、いわば、無意識においては、陰極-i、差異、他者が存しているのであり、それが、同一性自己(自我)と対立していると考えられるのである。
即ち、精神現象(正確に言えば、精神身体現象である)において、同一性自己と差異他者の対立が厳然として存在しているということであり、矛盾・葛藤・齟齬の様態にあるということになる。永遠の対立である。
しかしながら、陽化においては、同一性志向性が優位にあるので、当然、陰極である差異他者は劣位におかれると端的明快に言えるのではないだろうか。これが二項対立の根因・起因であると考えられるのである。だから、同一性自己は他者差異の否定に傾斜する力学をもつのである。ここに、上記の否定感情が入ると言えるだろう。これで、一つの問題、即ち、二項対立の発生原因は解明できたとしよう。【p.s. 一点注意すべきことは、本来、+iと-iは共振様相ないしは極性・対極性様相にあるのであり、他者差異-iの否定は、単に、陰極の否定だけではなく、差異共振(共鳴)性の否定でもあるということである。】
次は、ナルシシズムである。しかし、この問題はもう以上の考察から自明的であると考えられる。即ち、陽化=同一性化とは、陽極が陽極自体を映すことと言い換えられるのではないだろうか。つまり、「自己」が「自己」を映すということである。そう、鏡像である。つまり、陽極+iが鏡面となり、陽極自体+iを鏡像として映し、それと結合するということである。換言すると、自己鏡像化である。自己が自己を映すのである。自己完結主義である。
これで、ナルシシズムの説明はつくのではないだろうか。そして、悪の発生もこれで説明できるであろう。同一性自己主義、ここに、ナルシシズムがあり、他者差異否定、つまり、反倫理があるのである。
さて、最後に、敷衍的に、一神教(ヤハウェ的一神教)について、この視点から見てみよう。
一神教、つまり、ヤハウェ的一神教であるが、それは、端的に、同一性自己の形而上学と言うことができよう。陽化の形而上学である。多神教・異教・自然宗教を排除するのは、陽化の徹底化と見ることができよう。【イエス教は、本来は多神教、女神教であると考えられる。だから、キリスト教は絶対矛盾的自己同一と言えないことはない。】
しかし、重要な点は、超越神性ないしは超越性である。それは、多神教にはない点である【p.s. 正確に言うならば、多神教にも、超越性があるのである。でなければ、神性は発生しないだろう。ただし、多神教においては、超越性と自然性とが共鳴する関係にあることが、一神教との決定的差異である。だから、多神教は内在的超越性をもつ考えられるかもしれない。それは、正しいだろう。しかしながら、PS理論は、即非的内在/超越性をもつ言うべきである。】。差異他者を否定したとき、それは、抽象化を意味するのである(抽象芸術と一神教との関係があるだろう)。偶像の禁止である。
そして、超越性の根源は、イデア界(虚軸)にあると考えられるのである。PS理論から見ると、Media Point が、消失・喪失して、超越性と現象性の絶対的二元論が発生したと考えられるのである。神の世界と現象世界を結ぶものは、何もなくなったのである。ただ、信仰があるだけとなったのである。あるいは、キリスト教で言えば、キリストと聖霊を介すしか、神とのコミュニケーション(語呂合わせすれば、カミュニケーションである。【p.s. 精緻にいうと、一神教においては、神と人間とのコミュニケーションがあるのかどうか難しいところである。プロテスタンティズムを見てわかるように、神からの一方的な恩寵の有無が、救済と関係するのであるから、正確に言えば、コミュニケーション、カミュニケーションがないのである。】)はなくなったのである。
ここでは、Media Pointの喪失がいちばんのポイントである。【これが、精神文化的に、西洋と東洋を分離するポイントである。】とまれ、ヤハウェ的一神教によって、いわば、超越的同一性自己主義が発生したのである。あるいは、形而上学的自己同一性主義の形成である。そして、これが、西洋文明の支配・主導的精神であり、これが、西洋資本主義を駆動させている精神であると考えることができよう。単に、同一性自己主義ではなくて、超越的ないし形而上学的同一性自己主義であるということである。その帰結が、今日のサブプライムローン問題である。
根本的に差異共振精神を否定しているので、このような惨禍となるのである。ただし、イエスの精神には、本来、差異共振性があるのであるが、それが、ヤハウェ的一神教性によって、阻害されてしまっていると考えられるのである。
2008/07/20のBlog
[ 11:26 ]
[ 精神問題 ]
今、フェミニズムの古典の本(『自分だけの部屋』)を読んでいて、そこに、女性の劣等性を論ずる男性の精神を分析して、そこに怒り、憤激があると指摘してあった。
天才的な作家であるから、鋭敏な洞察力をもっている。私は、この怒りや憤激というものが、今日、日本(に限らないが)社会の精神病理を説く鍵ではないかと感じた。
思えば、オウム真理教の信者たちの中にも、社会への憤激があったと思う。これが、反社会的破壊行動へと駆り立てたと言えるのではないだろうか。ニーチェ哲学で言えば、ルサンチマン(怨恨)である。【p.s. 私見では、中沢新一がグノーシス主義を説いていたが、オウム真理教に肩入れした彼の精神には、ルサンチマンが深く根差していると思う。】
さらに思えば、小泉構造改革「ファシズム」も、社会にあるルサンチマンにつけ込んだ現象であったのであり、今日でもルサンチマンは重低音として蔓延していると言えよう。これが、短絡的な暴力行為・凶悪な犯罪の根因ではないかと思われるのである。
ルサンチマンについては、これまで、同一性に傾斜している人間の精神から発生すると述べてきた。差異における反感が発生し、差異自体を肯定的に知性化できずに、暴力的情動であるルサンチマンが発生するというように考えた。
ここに、怒り・憤激の要素を見ることができるし、そう捉えることで、今日の精神病理やそれに基づく犯罪を説明できるように思えるのである。
では、怒り・憤激とは何か。つまり、短絡的な怒り・憤激とは何かということである。端的に言えば、ここには、他者の欠落・欠損した、自己同一性中心主義があると言えよう。
だから、近代的自我・近代合理主義の病理ということができるし、父権主義の病理ということができると思う。それらは、端的に、同一性主義であり、差異・他者を否定・排除するのである。
つまり、自己同一性主義の欲望中心であり、それに反する・否定する他者・差異を暴力的に否定・排除するといいうことである。
これは、端的に、近代主義の帰結であると言える。差異を否定・抑圧・排除・隠蔽する近代同一性主義の帰結であると考えられるのである。
(この無意識的な)怒り・憤激について、明確に述べよう。それは、自己同一性欲望主義がもつ差異への怒り・憤激ということだろう。それは、我が侭の極致である。独善・独断・専断的な自我主義・利己主義の極致であろう。
一見、怒りや憤激には一見、倫理性・道徳性があるように見えるかもしれない。しかし、それは、いわば、偽装された倫理・道徳に過ぎず、本体は、究極の自己同一性欲望主義・利己主義であると考えられるのである。
そう、ハイパー・モダンがここにあるのである。差異の究極的な否定がここに、怒り・憤激として出現していると考えられるのである。
ポスト・モダンは、差異と同一性との混淆に帰結したが、今日、純粋差異・絶対的差異・特異性を肯定し、共振・共鳴するトランス・モダンの知性へと転換する時点に達していると考えられるのである。
p.s. 付け加えると、今日、差異が賦活されているので、自己同一性欲望中心主義は、反動的に、あるいは、狂気的に、衝動化していると考えられるのである。そう、差異のエネルギーの反動(狂気)がそこには入っていると考えられる。【p.s. この点は精緻に考察する必要がある。同一性ルサンチマンは、差異エネルギーを排除するので、エネルギーが枯渇するのである。そして、心に真空状態が生じるのである。ここには、余裕、遊び、空間がないために、ショート(短絡)ないしは没入が生起すると考えられるのである。この真空的ショートと反動化された差異エネルギーが結びつくのではないだろうか。】
p.p.s. ルサンチマンによる怒り・憤激は、ファナティシズム(狂信主義)に通じていると考えられる。ブッシュ/ネオコンの発生の根因もここにあるのではないだろうか。(ルサンチマン・ファナチシズム、又は、同一性ルサンチマン・ファナティシズムという言葉を造語していいのではないだろうか。
後で、大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」の概念と比較検討してみたい。
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「勉強しろと言われ反感」 埼玉・父刺殺の長女
2008年7月20日 朝刊
埼玉県川口市のマンションで19日、男性会社員(46)が刺されて死亡した事件で、殺人未遂の現行犯で逮捕された長女(15)が、武南署の調べに「両親から『勉強しろ』と言われることに反感があった」と供述していることが分かった。司法解剖の結果、男性の死因は包丁が肺まで達したことによる出血性ショックと判明した。
長女は当初、取り乱して意味不明のことを話していたが、次第に落ち着きを取り戻し「父親とは普段からあまり会話はなかった」とも供述、武南署は長女に刑事責任能力があるとみて、さらに詳しい動機を調べる。
長女が通うさいたま市内の私立中学校では校長らが19日午後、記者会見。長女の成績は3年生で中位で、期末テストで成績が下がった英会話の追試を18日に受ける予定だったが無断で欠席。担任が自宅に電話すると、小学6年の長男(12)が「風邪で寝ている」と答えたという。
長女は3年生になり6月に1日欠席しただけ。校長は「いじめなどのトラブルはなかった」と戸惑いがちに話した。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008072002000059.html?ref=rank
長女「父親とはあまり会話なかった」 刺殺事件
2008年7月19日23時43分
埼玉県川口市のマンションに住む製薬会社員の男性(46)が、中学3年生の長女(15)に包丁で刺され、死亡した事件で、殺人未遂容疑で逮捕された長女が「父親とはあまり会話がなかった」と話していることが分かった。逮捕直後には「お父さんが家族を殺す夢を見た」などと話していたといい、県警は、長女の父親に対する思いと事件との関連を慎重に調べている。
県警は19日午後、父親を司法解剖し、死因は肺を刺されたことによる出血性ショックと発表した。調べに対し、長女は「寝ているお父さんの上半身を2回刺した。その後のことは、気が動転していて覚えていない」と話したという。父親については「『勉強しろ』と言われて『はい』という、やりとり以外の会話はあまりなかった」といい、「大変なことをしてしまった」と反省している様子だという。動機につながるような話はしていないという。
一方、長女の母親(49)は「2人は大きなけんかもなく普通の父娘で、動機に思い当たることはない」と話しているという。
これまでの調べでは、同日午前3時ごろ、別の寝室にいた母親が、長女の「ギャー」という叫び声と父親のうめき声を聞いたため、父親と長男(12)の寝室に駆けつけて部屋の電気をつけると、長女はベッドの上でぼうぜんとし、台所にあったはずの文化包丁(刃渡り20センチ)がベッドに置かれていた。父親は吐血し、母親に「警察と救急車を呼んでくれ」と話し、警察官が駆けつけた時は床でうずくまっていた。長男は二段ベッドの上で寝ていて、母親が部屋の電気をつけるまで気がつかなかったという。
県警によると、長女と父親は事件前日の18日昼、長男と3人で、自宅近くのファストフード店で昼食をとり、その後、「夕食はカレーにしよう」という話になり、スーパーに立ち寄った。午後5時ごろから、自宅で父親と長女でチキンカレーを作ったという。
長女が通っていた私立中学校によると、長女は同日、英会話の追試を受ける予定だったが、学校に来なかった。担任が自宅に電話すると、弟が「風邪で寝ている」と答えたという。
http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200807190222.html
川口・父刺殺:前日一緒に買い物 母親「仲よかった」
埼玉県川口市の私立中学3年の長女(15)が父親(46)を刺殺したとされる事件で、母親(49)は県警武南署の調べに「父親と長女は仲がよかった」と話している。長女と父親は事件前日に一緒に買い物にでかけ、カレーを作っていた。一方で、長女は「両親に勉強しろと言われると、やる気がなくなった」と供述している。学校によると最近は成績が下がり気味だったが、他にトラブルがなかったかを含め動機の解明を慎重に進める。
調べでは、長女は両親と小6の弟(12)の4人家族。長女は19日午前3時ごろ、寝室で寝ていた父親の胸などを、台所にあった文化包丁で刺して殺害した疑い。3部屋に分かれて寝ていて、父親と弟が同じ寝室だった。司法解剖の結果、傷は胸と額の2カ所。死因は肺を刺されたことによる出血性ショックだった。
調べに対し、長女は当初、「お父さんが家族を殺す夢を見た」という趣旨の話をしたが、その後は「上半身を2回ぐらい刺したが、後のことは気が動転してよくわからない。大変なことをした」。父親については「普段から会話はあまりなかった」と話している。勉強するよう注意されても言い争ったことはないという。落ち着いた様子で取り調べに応じているが、動機については話していない。
母親の警察への説明によると、長女と父親の仲はよかった。18日は父親は仕事が休み。昼間に父親と長女、弟で買い物に行き、夜は、父親と長女が作ったカレーライスを家族で食べた。その後、両親と長女はビデオを観賞。弟は勉強していた。【浅野翔太郎、小泉大士、山崎征克】
◇将来の夢は薬剤師
長女が通っていた埼玉県内の私立中学は事件を受けて19日午後2時から校長らが会見した。
それによると、ほとんど学校を休んだことはなかったが、18日の英会話の追試験を無断欠席したため、担任が自宅に電話すると、弟が「姉は風邪で寝ている」と説明したという。終業式は22日の予定。
成績は中ぐらい。2年の初めまでバスケット部だった。聞かれたことにははっきり答えるが、自己主張するタイプではない。将来の夢について、入学時や1月にあった担任らとの面談では「薬剤師」と伝えていた。教頭は「製薬会社に勤める父親を尊敬していると思った。かなり勉強しないと難しいぞと言うと、『頑張ります』と答えた」と話した。
担任は「転校する生徒へのメッセージレター作りを進んで引き受け、優しい心の持ち主」と述べた。
現場のマンションは川口市北部の住宅街にある。7階建てで約70世帯が入居。小学校が同じで別の中学に通う女子生徒(13)は「先週もマンション内で長女とすれ違うと、笑顔であいさつしてくれた。優しくて頭がよかった」と驚いた様子だった。家族の知人は「18日午後に父親と長女、長男が外出先から帰宅する姿を見かけた。仲がよさそうだったのに」と話した。【稲田佳代、弘田恭子】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080720k0000m040113000c.html
夕食後にトラブルか=衝動的に父親刺す?-中3少女、供述に揺れ・埼玉県警
7月19日20時30分配信 時事通信
埼玉県川口市のマンションで、男性会社員(46)が中学3年の長女(15)に殺害された事件で、長女が衝動的に父親を刺した可能性が高いことが19日、埼玉県警の調べで分かった。県警は家族での夕食後に、父娘の間に何らかのトラブルが生じたとみて調べている。
調べなどによると、長女は18日、学校を休み、父親と長男(12)の3人で買い物に出掛けていた。夕方には父親と長女が仲良く一緒にチキンカレーを作り、午後11時ごろまでは特に変わった様子はなかったという。
事件後も長女は放心状態で逃走する様子はなく、凶器の文化包丁も自宅の台所にあったものだった。
このため、県警は18日深夜以降、2人の間にトラブルが起き、長女が衝動的に包丁を持ち出して父親を殺害したとみている。司法解剖の結果、父親の死因は出血性ショック死だった。
【関連ニュース】
・ 「あきらめないでよかった」=小学卒業文集で中3少女-少女父殺害
・ 中3少女「夢は薬剤師」=3者面談で教諭に-父殺害事件
・ 中3少女、父を殺害=就寝中に刺す?顔と胸-マンション自宅で・埼玉
・ 散歩の親子刺され負傷=殺人未遂で男逮捕-茨城県警
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080719-00000094-jij-soci
天才的な作家であるから、鋭敏な洞察力をもっている。私は、この怒りや憤激というものが、今日、日本(に限らないが)社会の精神病理を説く鍵ではないかと感じた。
思えば、オウム真理教の信者たちの中にも、社会への憤激があったと思う。これが、反社会的破壊行動へと駆り立てたと言えるのではないだろうか。ニーチェ哲学で言えば、ルサンチマン(怨恨)である。【p.s. 私見では、中沢新一がグノーシス主義を説いていたが、オウム真理教に肩入れした彼の精神には、ルサンチマンが深く根差していると思う。】
さらに思えば、小泉構造改革「ファシズム」も、社会にあるルサンチマンにつけ込んだ現象であったのであり、今日でもルサンチマンは重低音として蔓延していると言えよう。これが、短絡的な暴力行為・凶悪な犯罪の根因ではないかと思われるのである。
ルサンチマンについては、これまで、同一性に傾斜している人間の精神から発生すると述べてきた。差異における反感が発生し、差異自体を肯定的に知性化できずに、暴力的情動であるルサンチマンが発生するというように考えた。
ここに、怒り・憤激の要素を見ることができるし、そう捉えることで、今日の精神病理やそれに基づく犯罪を説明できるように思えるのである。
では、怒り・憤激とは何か。つまり、短絡的な怒り・憤激とは何かということである。端的に言えば、ここには、他者の欠落・欠損した、自己同一性中心主義があると言えよう。
だから、近代的自我・近代合理主義の病理ということができるし、父権主義の病理ということができると思う。それらは、端的に、同一性主義であり、差異・他者を否定・排除するのである。
つまり、自己同一性主義の欲望中心であり、それに反する・否定する他者・差異を暴力的に否定・排除するといいうことである。
これは、端的に、近代主義の帰結であると言える。差異を否定・抑圧・排除・隠蔽する近代同一性主義の帰結であると考えられるのである。
(この無意識的な)怒り・憤激について、明確に述べよう。それは、自己同一性欲望主義がもつ差異への怒り・憤激ということだろう。それは、我が侭の極致である。独善・独断・専断的な自我主義・利己主義の極致であろう。
一見、怒りや憤激には一見、倫理性・道徳性があるように見えるかもしれない。しかし、それは、いわば、偽装された倫理・道徳に過ぎず、本体は、究極の自己同一性欲望主義・利己主義であると考えられるのである。
そう、ハイパー・モダンがここにあるのである。差異の究極的な否定がここに、怒り・憤激として出現していると考えられるのである。
ポスト・モダンは、差異と同一性との混淆に帰結したが、今日、純粋差異・絶対的差異・特異性を肯定し、共振・共鳴するトランス・モダンの知性へと転換する時点に達していると考えられるのである。
p.s. 付け加えると、今日、差異が賦活されているので、自己同一性欲望中心主義は、反動的に、あるいは、狂気的に、衝動化していると考えられるのである。そう、差異のエネルギーの反動(狂気)がそこには入っていると考えられる。【p.s. この点は精緻に考察する必要がある。同一性ルサンチマンは、差異エネルギーを排除するので、エネルギーが枯渇するのである。そして、心に真空状態が生じるのである。ここには、余裕、遊び、空間がないために、ショート(短絡)ないしは没入が生起すると考えられるのである。この真空的ショートと反動化された差異エネルギーが結びつくのではないだろうか。】
p.p.s. ルサンチマンによる怒り・憤激は、ファナティシズム(狂信主義)に通じていると考えられる。ブッシュ/ネオコンの発生の根因もここにあるのではないだろうか。(ルサンチマン・ファナチシズム、又は、同一性ルサンチマン・ファナティシズムという言葉を造語していいのではないだろうか。
後で、大澤真幸氏の「アイロニカルな没入」の概念と比較検討してみたい。
*******************************
「勉強しろと言われ反感」 埼玉・父刺殺の長女
2008年7月20日 朝刊
埼玉県川口市のマンションで19日、男性会社員(46)が刺されて死亡した事件で、殺人未遂の現行犯で逮捕された長女(15)が、武南署の調べに「両親から『勉強しろ』と言われることに反感があった」と供述していることが分かった。司法解剖の結果、男性の死因は包丁が肺まで達したことによる出血性ショックと判明した。
長女は当初、取り乱して意味不明のことを話していたが、次第に落ち着きを取り戻し「父親とは普段からあまり会話はなかった」とも供述、武南署は長女に刑事責任能力があるとみて、さらに詳しい動機を調べる。
長女が通うさいたま市内の私立中学校では校長らが19日午後、記者会見。長女の成績は3年生で中位で、期末テストで成績が下がった英会話の追試を18日に受ける予定だったが無断で欠席。担任が自宅に電話すると、小学6年の長男(12)が「風邪で寝ている」と答えたという。
長女は3年生になり6月に1日欠席しただけ。校長は「いじめなどのトラブルはなかった」と戸惑いがちに話した。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2008072002000059.html?ref=rank
長女「父親とはあまり会話なかった」 刺殺事件
2008年7月19日23時43分
埼玉県川口市のマンションに住む製薬会社員の男性(46)が、中学3年生の長女(15)に包丁で刺され、死亡した事件で、殺人未遂容疑で逮捕された長女が「父親とはあまり会話がなかった」と話していることが分かった。逮捕直後には「お父さんが家族を殺す夢を見た」などと話していたといい、県警は、長女の父親に対する思いと事件との関連を慎重に調べている。
県警は19日午後、父親を司法解剖し、死因は肺を刺されたことによる出血性ショックと発表した。調べに対し、長女は「寝ているお父さんの上半身を2回刺した。その後のことは、気が動転していて覚えていない」と話したという。父親については「『勉強しろ』と言われて『はい』という、やりとり以外の会話はあまりなかった」といい、「大変なことをしてしまった」と反省している様子だという。動機につながるような話はしていないという。
一方、長女の母親(49)は「2人は大きなけんかもなく普通の父娘で、動機に思い当たることはない」と話しているという。
これまでの調べでは、同日午前3時ごろ、別の寝室にいた母親が、長女の「ギャー」という叫び声と父親のうめき声を聞いたため、父親と長男(12)の寝室に駆けつけて部屋の電気をつけると、長女はベッドの上でぼうぜんとし、台所にあったはずの文化包丁(刃渡り20センチ)がベッドに置かれていた。父親は吐血し、母親に「警察と救急車を呼んでくれ」と話し、警察官が駆けつけた時は床でうずくまっていた。長男は二段ベッドの上で寝ていて、母親が部屋の電気をつけるまで気がつかなかったという。
県警によると、長女と父親は事件前日の18日昼、長男と3人で、自宅近くのファストフード店で昼食をとり、その後、「夕食はカレーにしよう」という話になり、スーパーに立ち寄った。午後5時ごろから、自宅で父親と長女でチキンカレーを作ったという。
長女が通っていた私立中学校によると、長女は同日、英会話の追試を受ける予定だったが、学校に来なかった。担任が自宅に電話すると、弟が「風邪で寝ている」と答えたという。
http://www.asahi.com/national/update/0719/TKY200807190222.html
川口・父刺殺:前日一緒に買い物 母親「仲よかった」
埼玉県川口市の私立中学3年の長女(15)が父親(46)を刺殺したとされる事件で、母親(49)は県警武南署の調べに「父親と長女は仲がよかった」と話している。長女と父親は事件前日に一緒に買い物にでかけ、カレーを作っていた。一方で、長女は「両親に勉強しろと言われると、やる気がなくなった」と供述している。学校によると最近は成績が下がり気味だったが、他にトラブルがなかったかを含め動機の解明を慎重に進める。
調べでは、長女は両親と小6の弟(12)の4人家族。長女は19日午前3時ごろ、寝室で寝ていた父親の胸などを、台所にあった文化包丁で刺して殺害した疑い。3部屋に分かれて寝ていて、父親と弟が同じ寝室だった。司法解剖の結果、傷は胸と額の2カ所。死因は肺を刺されたことによる出血性ショックだった。
調べに対し、長女は当初、「お父さんが家族を殺す夢を見た」という趣旨の話をしたが、その後は「上半身を2回ぐらい刺したが、後のことは気が動転してよくわからない。大変なことをした」。父親については「普段から会話はあまりなかった」と話している。勉強するよう注意されても言い争ったことはないという。落ち着いた様子で取り調べに応じているが、動機については話していない。
母親の警察への説明によると、長女と父親の仲はよかった。18日は父親は仕事が休み。昼間に父親と長女、弟で買い物に行き、夜は、父親と長女が作ったカレーライスを家族で食べた。その後、両親と長女はビデオを観賞。弟は勉強していた。【浅野翔太郎、小泉大士、山崎征克】
◇将来の夢は薬剤師
長女が通っていた埼玉県内の私立中学は事件を受けて19日午後2時から校長らが会見した。
それによると、ほとんど学校を休んだことはなかったが、18日の英会話の追試験を無断欠席したため、担任が自宅に電話すると、弟が「姉は風邪で寝ている」と説明したという。終業式は22日の予定。
成績は中ぐらい。2年の初めまでバスケット部だった。聞かれたことにははっきり答えるが、自己主張するタイプではない。将来の夢について、入学時や1月にあった担任らとの面談では「薬剤師」と伝えていた。教頭は「製薬会社に勤める父親を尊敬していると思った。かなり勉強しないと難しいぞと言うと、『頑張ります』と答えた」と話した。
担任は「転校する生徒へのメッセージレター作りを進んで引き受け、優しい心の持ち主」と述べた。
現場のマンションは川口市北部の住宅街にある。7階建てで約70世帯が入居。小学校が同じで別の中学に通う女子生徒(13)は「先週もマンション内で長女とすれ違うと、笑顔であいさつしてくれた。優しくて頭がよかった」と驚いた様子だった。家族の知人は「18日午後に父親と長女、長男が外出先から帰宅する姿を見かけた。仲がよさそうだったのに」と話した。【稲田佳代、弘田恭子】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080720k0000m040113000c.html
夕食後にトラブルか=衝動的に父親刺す?-中3少女、供述に揺れ・埼玉県警
7月19日20時30分配信 時事通信
埼玉県川口市のマンションで、男性会社員(46)が中学3年の長女(15)に殺害された事件で、長女が衝動的に父親を刺した可能性が高いことが19日、埼玉県警の調べで分かった。県警は家族での夕食後に、父娘の間に何らかのトラブルが生じたとみて調べている。
調べなどによると、長女は18日、学校を休み、父親と長男(12)の3人で買い物に出掛けていた。夕方には父親と長女が仲良く一緒にチキンカレーを作り、午後11時ごろまでは特に変わった様子はなかったという。
事件後も長女は放心状態で逃走する様子はなく、凶器の文化包丁も自宅の台所にあったものだった。
このため、県警は18日深夜以降、2人の間にトラブルが起き、長女が衝動的に包丁を持ち出して父親を殺害したとみている。司法解剖の結果、父親の死因は出血性ショック死だった。
【関連ニュース】
・ 「あきらめないでよかった」=小学卒業文集で中3少女-少女父殺害
・ 中3少女「夢は薬剤師」=3者面談で教諭に-父殺害事件
・ 中3少女、父を殺害=就寝中に刺す?顔と胸-マンション自宅で・埼玉
・ 散歩の親子刺され負傷=殺人未遂で男逮捕-茨城県警
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080719-00000094-jij-soci
2008/07/15のBlog
[ 01:27 ]
[ メディア・ポイントMP ]
今日は余裕がないので、詳論できないが、簡単に触れると、同一性という現象形式は、視覚において、鏡像を基盤にしていると考えられる。
では、鏡像とはどういう力学から発生するのだろうか。これまで、何度か検討してきたが、今一つ明瞭ではない。
これは、直感では、Media Pointにおける力学である。+iが-iに関係するときに、鏡像が発生するのではないだろうか。そう、先の考察から言えば、差異・同一性形式(差同形式)において発生するのではないだろうか。即ち、差異+iと差異-iとの関係において、同一性が発生する。この同一性の基盤が鏡像であると考えられる。
思うに、差異+iが差異(他者)-iに関係するとき、自己像を投影すると考えられる。即ち、+iを-iへ投影するのである。だから、(+i)*-(-i)⇒-1になると考えられる。
しかし、問題はそれほど単純ではない。なぜなら、Media Pointにおいて、差異共振的同一性(+1)が形成されると考えられるからである。思うに、この同一性が鏡像ではないのか、あるいは、少なくとも、鏡像に関係しているのではないのか。
そう、Media Pointにおいて、差異があると同時に、同一性が生起するという即非様相が発生しているのである。差異共振性とは正に、その即非様相を意味するのである。
差異であり、且つ、同一性であるという即非様相があることを十分確認しないといけない。
そして、この同一性の基盤が鏡像であると思われるのである。そう、端的に言えば、Media Point において、鏡像が形成されると同時に、差異が存在しているのである。しかしながら、同一性志向性=自我は、差異を否定して、鏡像=同一性に没入=感情移入すると考えられるのである。
つまり、+iの「自己」が同一性に没入して、他者であり-iを否定するということではないだろうか。同一性=鏡像という影像が発生するが、それに同一性化するのが、+iの同一性志向性ではないだろうか。
一つの差異である+iが+1へと没入するのである。これは、他者-iの否定であると同時に、自己+iの否定と言えるのではないだろうか。
そう、ラカン的に言えば、鏡像段階とは、差異・他者の否定であり、同一性=鏡像への没入段階と言えるのではないだろうか。
この事態・事象は、+iの自乗ないしは、-iの自乗で、-1となると言えるように思う。つまり、Media Pointが「鏡像段階」であり、ここで、+1が-1へと転換されると考えられるのである。これが、正に、自我=自己同一性の発生である。
問題は、この鏡像自我形成からの脱却である。これは、端的に、最高度に難しい。何故なら、生起した同一性像=鏡像は、固定した物質像=現象像であるからである。
例えば、眼前にあるコップを疑うことはできないのである。コップはコップとしての同一性をもっているのであるからである。般若経で言えば、「色(しき)」である。問題は、この同一性像=鏡像に没入することである。ここにおいて、差異が否定されるのである。
ここにおいて、仏教・大乗仏教の哲学的意義があるのである。PS理論が明らかにしたように、差異はイデア的な差異共振性であり、同一性からは、離脱したものなのである。
差異は端的に、イデアである。これを取り戻さないといけないである。ここに瞑想の大きな意義があるのである。あるいは、精神文化の意義があるのである。【思うに、今日、これが欠落しているので、批判知性が形成されないのではないだろうか。瞑想性があれば、外的対象への距離が生まれて、批判的観察ができると考えられるのである。】
そう、難しいのは、差異は同一性を形成しつつも、同時に、差異自体であるという即非事態が生起することである。【不連続的差異論の大きな意義がこれを発見したことである。そして、ポスト・モダンは、差異と同一性を峻別できずに、連続化させたままであったのである。】
ということで、鏡像の発生とは、正に、同一性の形成と見ていいことが確認された。思うに、この鏡像への関係は、男性文化(父権文化)の場合、正に、同一性主義的になり、女性文化(母権文化)の場合、同一性に対して、距離、すなわち、差異を保持すると思われるのである。
ということで、これまで説いてきたように、脱父権文化としての新母権文化の創造が今日、必然であると考えられるのである。
では、鏡像とはどういう力学から発生するのだろうか。これまで、何度か検討してきたが、今一つ明瞭ではない。
これは、直感では、Media Pointにおける力学である。+iが-iに関係するときに、鏡像が発生するのではないだろうか。そう、先の考察から言えば、差異・同一性形式(差同形式)において発生するのではないだろうか。即ち、差異+iと差異-iとの関係において、同一性が発生する。この同一性の基盤が鏡像であると考えられる。
思うに、差異+iが差異(他者)-iに関係するとき、自己像を投影すると考えられる。即ち、+iを-iへ投影するのである。だから、(+i)*-(-i)⇒-1になると考えられる。
しかし、問題はそれほど単純ではない。なぜなら、Media Pointにおいて、差異共振的同一性(+1)が形成されると考えられるからである。思うに、この同一性が鏡像ではないのか、あるいは、少なくとも、鏡像に関係しているのではないのか。
そう、Media Pointにおいて、差異があると同時に、同一性が生起するという即非様相が発生しているのである。差異共振性とは正に、その即非様相を意味するのである。
差異であり、且つ、同一性であるという即非様相があることを十分確認しないといけない。
そして、この同一性の基盤が鏡像であると思われるのである。そう、端的に言えば、Media Point において、鏡像が形成されると同時に、差異が存在しているのである。しかしながら、同一性志向性=自我は、差異を否定して、鏡像=同一性に没入=感情移入すると考えられるのである。
つまり、+iの「自己」が同一性に没入して、他者であり-iを否定するということではないだろうか。同一性=鏡像という影像が発生するが、それに同一性化するのが、+iの同一性志向性ではないだろうか。
一つの差異である+iが+1へと没入するのである。これは、他者-iの否定であると同時に、自己+iの否定と言えるのではないだろうか。
そう、ラカン的に言えば、鏡像段階とは、差異・他者の否定であり、同一性=鏡像への没入段階と言えるのではないだろうか。
この事態・事象は、+iの自乗ないしは、-iの自乗で、-1となると言えるように思う。つまり、Media Pointが「鏡像段階」であり、ここで、+1が-1へと転換されると考えられるのである。これが、正に、自我=自己同一性の発生である。
問題は、この鏡像自我形成からの脱却である。これは、端的に、最高度に難しい。何故なら、生起した同一性像=鏡像は、固定した物質像=現象像であるからである。
例えば、眼前にあるコップを疑うことはできないのである。コップはコップとしての同一性をもっているのであるからである。般若経で言えば、「色(しき)」である。問題は、この同一性像=鏡像に没入することである。ここにおいて、差異が否定されるのである。
ここにおいて、仏教・大乗仏教の哲学的意義があるのである。PS理論が明らかにしたように、差異はイデア的な差異共振性であり、同一性からは、離脱したものなのである。
差異は端的に、イデアである。これを取り戻さないといけないである。ここに瞑想の大きな意義があるのである。あるいは、精神文化の意義があるのである。【思うに、今日、これが欠落しているので、批判知性が形成されないのではないだろうか。瞑想性があれば、外的対象への距離が生まれて、批判的観察ができると考えられるのである。】
そう、難しいのは、差異は同一性を形成しつつも、同時に、差異自体であるという即非事態が生起することである。【不連続的差異論の大きな意義がこれを発見したことである。そして、ポスト・モダンは、差異と同一性を峻別できずに、連続化させたままであったのである。】
ということで、鏡像の発生とは、正に、同一性の形成と見ていいことが確認された。思うに、この鏡像への関係は、男性文化(父権文化)の場合、正に、同一性主義的になり、女性文化(母権文化)の場合、同一性に対して、距離、すなわち、差異を保持すると思われるのである。
ということで、これまで説いてきたように、脱父権文化としての新母権文化の創造が今日、必然であると考えられるのである。
2008/07/12のBlog
[ 22:49 ]
[ ニッポン・ルネサンス ]
トランス日本大崩壊と新たな建国へ向けて:多元差異共鳴社会としてのトランス・モダン共同体の創造
テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画
世界経済の落ち込みとともに、日本経済も鋭く落ち込み、また、財政上の大借金もあり、さらにその他諸々の問題があり、日本大崩壊は避けられないようである。私は、70年代初期から憂国の思いが強かったので、その意味でも、大手術は必要であると考えている。
言葉で言って通じない場合は荒療治が必要なのである。有無を言わさずに、身体に直截に響く打開方法が必要なのである。
というわけで、ポスト日本大崩壊を考えたい。おそらく、もうこれまで享受した物質的豊かさは望めなくなるだろう。もっとも、常温核融合等のエネルギー革新が起れば、話しは別であるが。
小さな政府ならぬ、小さな生活になるだろう。つまり、旧に復すことになるのではないだろうか。身の丈にあった生活になるのではないだろうか。
とまれ、一言で言えば、トランス・モダン化が必須であるということである。哲学では、プラトニック・シナジー理論が、その方向を提示しているが、それは、近代合理主義=唯物科学・技術の超克である。イデア界=高次元界を認める必要があるということになる。これは、精神革新である。
次に、経済であるが、モダン経済とは、同一性価値=貨幣価値の拡大を主導的であった。これが、今日では、諸バブルを引き起こし、世界経済を混乱させているのである。
私は、無利子経済ないしはマイナス利子経済の導入が必要であると感じている。これは、同一性価値=貨幣価値の増殖(利殖)を否定して、経済の差異価値を肯定評価するものである。実質経済になるのである。量的経済から質的経済になりうると考えられる。
そう、端的に、物質主義的経済から、差異共振経済になるということである。だから、基本的な物質的インフラの整備の充実が必要くらいで、後は、精神的価値の進展が主導的になると考えられるのである。
次に、食料の保持のことである。これは、自然・宇宙との関係が重要になる。私は、以前、何度も述べたが、自然へと経済価値を還流させることが必要であると考えている。今日の都市文明は明らかに、自然を破壊して、自滅するのが目に見えている。
思うに、ここに、共同体の働きが重要になると考えられる。産業と共同体が連携して、富を食料・自然保持のために消費する必要があると思う。食料自然共同体資本消費である。
つまり、食料自然共同体のための資本、簡単に言えば、自然共同体資本とその銀行が必要であると思われるのである。差異共振銀行である。
ということで、簡単であるが、以上の三つのことが必須である。三大革新である。「三位一体」である。繰り返すと、
1)トランス・モダン精神進化(神道ルネサンス)
2)物質主義経済から差異価値経済への転移
3)食料自然共同体資本=差異共振資本の創造
となる。
参考:
★ 2008年7月12日 土曜日 、15時半更新
・・・
余談 国家破綻
筆者は2008年8月頃、日本国家が明確に破綻すると予測してきた。今のところ、それを補強する材料はあっても否定する材料はない。
どうなるかといえば、小渕償還130兆円の借り換え債問題、新規国債手当が不能になり、予算確保のメドが立たず、国政運営の基礎的な資金が欠乏するわけだ。そこで、年金支払い削減・停止、公務員給与減額・停止、あらゆる社会保障の停止などが俎上に登り、てんやわんやの大騒ぎになると予想している。
もちろん、これまでも予測通りにスムーズにことが運んだことはなく、昨年11月に予測したアメリカ経済崩壊は、すでに9ヶ月経て、おおむね、その方向に動き、新年早々シティ銀行などが破綻倒産するとの予想も、死に体ではあるものの、まだ延命していることから、全般に数ヶ月程度、時期がずれることはありうるが、基本的な必然性、方向性がピント外れということはないと思う。
これは、社会・経済の物理的必然性に、人の大きな意志が加わって、未来を変動させる力として働くからだろうと思う。
しかし、現段階にあっても、日米欧、資本主義、先進諸国の経済破綻は間違いのない現実であり、いかなる救済方法も存在しない。ただ延命手段がいくつか残されているだけだ。それは、粉飾決算であったり、意図的な情報捏造であったり、戦争による強引な問題のすり替え、隠蔽だったりするわけだが、カネという潤滑剤が回らなくなって、世界経済が停滞し、あらゆる社会機能が破滅するという事態を回避することにはならない。
経済問題は、一般大衆に問題の本質を隠蔽する目的で、なかなか分かりやすい解説がなく、専門用語が飛び交って、経済専門家アナリストでさえ、事態を正しく見極めている者はごく少数にすぎない。
筆者は、この半年あまり情報収集してきて、比較的信頼性の高いサイトとして、藤原直哉・副島隆彦・株式日記・田中宇・ネバダなどを挙げておく。ブルームバーグやバフェット・ソロスなどの当事者情報は、操作情報が多分に含まれていて信用しかねる。ブッシュやバーナンキの演説を聴いているようなものだ。
上に引用したサイトでは、すでに昨年後半から、今日の事態、ドル崩壊を正確に予測しており、これが一過性のものではなく、近代資本主義体制の全面崩壊に進展せざるをえないほどの根源的な革命としての「時代破滅」であることを指摘している。
さて、来月にも日本国家の経済基盤が破綻すると予想しているわけだが、具体的な進展については、まだ分からないことが多い。最初にやることは、官僚たちが自分たちの権益を保全するために弱者を踏み台にし、切り捨てるだろうということだ。現代日本の宦官だち、霞ヶ関の特権階級どもは、まず生活保護や医療補助など、あらゆる社会保障を切り捨て、年金を減額し、弱い立場の人たちを狙い撃ちにして、自分たちの給与水準や特権を守ろうとするだろう。
これで国民が怒って国家を完全に見放し、救いのない大混乱に陥るというシナリオくらいしか、まだ見えていない。
具体的なシナリオは見えないが、破滅に至る必然性を作り出した原因は、隠しようもないほどはっきりしている。
それは組織共同体の崩壊である。それは数名の家族から数百名の会社組織、数千万人の国家組織に至るまで、すべての組織共同体に共通する根元法則であり、「人間の法則」である。 人が集団になれば必ず発生する法則である。
一つの組織体、例えば最小単位である「家族」を考えてみればよい。家族という組織は、基本的に互助組織である。互いに弱点をフォローし合い、連帯し、支え合って生き抜いてゆく組織体である。それを膠着成立させるのは信頼・愛情という糊に他ならない。
信頼・愛情が存在しなければ、それは親子であっても、もはや家族ではない。組織は膠着されずバラバラになってしまう。
逆に、愛と信頼に結ばれた家族があるということは、構成員の人生を素晴らしく豊かに充実させ、それは、ますます強固になる。だが、そうした家族の強い絆を示すものは、決して恵まれた豪邸や学歴、社会的地位ではなく、むしろ逆なのだ。
抜きんでた豪邸・美邸を建設し、美貌の妻を得て、高級車に乗る一見、恵まれた家族には、その膠着が妬まれ、破壊してやろうとする周囲の意志が働くことになり、やがて内部から崩壊し、ついにはバラバラにされてしまう。
逆に、みすぼらしい家、豊かでない生活で、苦しい生活を思いやり支え合う貧しい家族は一致団結し、その愛を強め、ますます絆を深め、すばらしい家族生活を享受することになるだろう。
会社や国家も同じであって、オンボロ、プレハブの社屋、安月給で、恵まれない会社であっても、互いに思いやりがあり、連帯感のある会社は、ますます団結し、素晴らしい会社に成長してゆくだろう。
国家も、戦後、貧しい時代、公務員が安月給で奮闘していた時代、みんなが互いに暖かい思いやりをもち、連帯感を見いだし、一致団結して困難に立ち向かっていった時代、強力な愛国心が醸成されていった。
ところが見せかけの豊かさを手中にし、役所の見せかけばかりが立派になり、役人が親切を失い、自分の利権、権益だけにしか関心を示さなくなり、他人を妬み、思いやりをなくしてしまった時代、人々の国家に対する希望は失われ、国家を愛さなくなった。だから破綻するのである。
組織が破綻する理由、国家が崩壊する理由は、上に述べた事情がすべてであって、それ以外でも、それ以上でもない。
みんなが所属する組織に連帯感を抱き、愛し、自分の故郷のように思えるとき、組織は最大の機能、威力を発揮するのであって、構成員すべての人たちに思いやりと連帯感を抱いて、自分が、この組織を支えようとするモチベーションを作りだし、これのみによって組織は命の息吹を獲得するのである。
だが、強力な組織は、やがて組織内に格差・差別を産み出す。妬み、怨嗟が組織を覆うようになり、連帯感や思いやりは失われ、特権を享受する幹部以外、誰も組織を支えたいと思わなくなり、そうして崩壊するのである。
今では、もっと極端で、組織を底辺で支え続けてくれた、本当の功労者を追放し、会社という形式だけに頼り、ある日気付いてみれば、利権大好き、利己主義だけの幹部しかおらず、カラッポの形骸だけが音を立てて崩壊するという有様だ。
まずは、戦争で崩壊した日本国家が再建されて60余年、今、再び音を立てて日本国が瓦解しようとする場面に遭遇しているわけだが、倒れる事情は、上のように、日本国の利権を食い物にする輩がのさばり、大衆がそれを見て、まじめに国家を支えるのがバカバカしくなり、腐敗した役人に倣って、利己主義、蓄財、見栄張り競争を謳歌するようになり、支える者のいなくなった巨大な形骸、虚構が瓦解するのである。
どうして、こうなってしまったのか? 何が間違っていたのか? については、いろいろ言うべきこともある。まずは基本は、日本国を支える人たちが連帯感を失い、思いやりを見失い、利己主義に走って、支える人たちが逃げてしまったのである。
筆者は、こうした利己主義を作り出した最大の原因は、先の戦争における大崩壊のとき、壊すべきものをキチンと壊さなかったためだと考えている。天皇をはじめ、特権階級の差別思想を残したことが、国民に差別階層社会の幻想を与え、上昇志向の誤った出し抜き主義を与え、人間にとって一番大切な、守るべき指標が、他人に対する思いやり、連帯を作り出すことだという真実を見失わせたのである。
だからオチコボレを作って救済しようとせず、道を誤った人を立ち直らせようとせず制裁排除してきた結果、自分たち自身が排除される時代がやってきたのである。
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm
東海アマチュア無線 地震予知研究会
テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画
世界経済の落ち込みとともに、日本経済も鋭く落ち込み、また、財政上の大借金もあり、さらにその他諸々の問題があり、日本大崩壊は避けられないようである。私は、70年代初期から憂国の思いが強かったので、その意味でも、大手術は必要であると考えている。
言葉で言って通じない場合は荒療治が必要なのである。有無を言わさずに、身体に直截に響く打開方法が必要なのである。
というわけで、ポスト日本大崩壊を考えたい。おそらく、もうこれまで享受した物質的豊かさは望めなくなるだろう。もっとも、常温核融合等のエネルギー革新が起れば、話しは別であるが。
小さな政府ならぬ、小さな生活になるだろう。つまり、旧に復すことになるのではないだろうか。身の丈にあった生活になるのではないだろうか。
とまれ、一言で言えば、トランス・モダン化が必須であるということである。哲学では、プラトニック・シナジー理論が、その方向を提示しているが、それは、近代合理主義=唯物科学・技術の超克である。イデア界=高次元界を認める必要があるということになる。これは、精神革新である。
次に、経済であるが、モダン経済とは、同一性価値=貨幣価値の拡大を主導的であった。これが、今日では、諸バブルを引き起こし、世界経済を混乱させているのである。
私は、無利子経済ないしはマイナス利子経済の導入が必要であると感じている。これは、同一性価値=貨幣価値の増殖(利殖)を否定して、経済の差異価値を肯定評価するものである。実質経済になるのである。量的経済から質的経済になりうると考えられる。
そう、端的に、物質主義的経済から、差異共振経済になるということである。だから、基本的な物質的インフラの整備の充実が必要くらいで、後は、精神的価値の進展が主導的になると考えられるのである。
次に、食料の保持のことである。これは、自然・宇宙との関係が重要になる。私は、以前、何度も述べたが、自然へと経済価値を還流させることが必要であると考えている。今日の都市文明は明らかに、自然を破壊して、自滅するのが目に見えている。
思うに、ここに、共同体の働きが重要になると考えられる。産業と共同体が連携して、富を食料・自然保持のために消費する必要があると思う。食料自然共同体資本消費である。
つまり、食料自然共同体のための資本、簡単に言えば、自然共同体資本とその銀行が必要であると思われるのである。差異共振銀行である。
ということで、簡単であるが、以上の三つのことが必須である。三大革新である。「三位一体」である。繰り返すと、
1)トランス・モダン精神進化(神道ルネサンス)
2)物質主義経済から差異価値経済への転移
3)食料自然共同体資本=差異共振資本の創造
となる。
参考:
★ 2008年7月12日 土曜日 、15時半更新
・・・
余談 国家破綻
筆者は2008年8月頃、日本国家が明確に破綻すると予測してきた。今のところ、それを補強する材料はあっても否定する材料はない。
どうなるかといえば、小渕償還130兆円の借り換え債問題、新規国債手当が不能になり、予算確保のメドが立たず、国政運営の基礎的な資金が欠乏するわけだ。そこで、年金支払い削減・停止、公務員給与減額・停止、あらゆる社会保障の停止などが俎上に登り、てんやわんやの大騒ぎになると予想している。
もちろん、これまでも予測通りにスムーズにことが運んだことはなく、昨年11月に予測したアメリカ経済崩壊は、すでに9ヶ月経て、おおむね、その方向に動き、新年早々シティ銀行などが破綻倒産するとの予想も、死に体ではあるものの、まだ延命していることから、全般に数ヶ月程度、時期がずれることはありうるが、基本的な必然性、方向性がピント外れということはないと思う。
これは、社会・経済の物理的必然性に、人の大きな意志が加わって、未来を変動させる力として働くからだろうと思う。
しかし、現段階にあっても、日米欧、資本主義、先進諸国の経済破綻は間違いのない現実であり、いかなる救済方法も存在しない。ただ延命手段がいくつか残されているだけだ。それは、粉飾決算であったり、意図的な情報捏造であったり、戦争による強引な問題のすり替え、隠蔽だったりするわけだが、カネという潤滑剤が回らなくなって、世界経済が停滞し、あらゆる社会機能が破滅するという事態を回避することにはならない。
経済問題は、一般大衆に問題の本質を隠蔽する目的で、なかなか分かりやすい解説がなく、専門用語が飛び交って、経済専門家アナリストでさえ、事態を正しく見極めている者はごく少数にすぎない。
筆者は、この半年あまり情報収集してきて、比較的信頼性の高いサイトとして、藤原直哉・副島隆彦・株式日記・田中宇・ネバダなどを挙げておく。ブルームバーグやバフェット・ソロスなどの当事者情報は、操作情報が多分に含まれていて信用しかねる。ブッシュやバーナンキの演説を聴いているようなものだ。
上に引用したサイトでは、すでに昨年後半から、今日の事態、ドル崩壊を正確に予測しており、これが一過性のものではなく、近代資本主義体制の全面崩壊に進展せざるをえないほどの根源的な革命としての「時代破滅」であることを指摘している。
さて、来月にも日本国家の経済基盤が破綻すると予想しているわけだが、具体的な進展については、まだ分からないことが多い。最初にやることは、官僚たちが自分たちの権益を保全するために弱者を踏み台にし、切り捨てるだろうということだ。現代日本の宦官だち、霞ヶ関の特権階級どもは、まず生活保護や医療補助など、あらゆる社会保障を切り捨て、年金を減額し、弱い立場の人たちを狙い撃ちにして、自分たちの給与水準や特権を守ろうとするだろう。
これで国民が怒って国家を完全に見放し、救いのない大混乱に陥るというシナリオくらいしか、まだ見えていない。
具体的なシナリオは見えないが、破滅に至る必然性を作り出した原因は、隠しようもないほどはっきりしている。
それは組織共同体の崩壊である。それは数名の家族から数百名の会社組織、数千万人の国家組織に至るまで、すべての組織共同体に共通する根元法則であり、「人間の法則」である。 人が集団になれば必ず発生する法則である。
一つの組織体、例えば最小単位である「家族」を考えてみればよい。家族という組織は、基本的に互助組織である。互いに弱点をフォローし合い、連帯し、支え合って生き抜いてゆく組織体である。それを膠着成立させるのは信頼・愛情という糊に他ならない。
信頼・愛情が存在しなければ、それは親子であっても、もはや家族ではない。組織は膠着されずバラバラになってしまう。
逆に、愛と信頼に結ばれた家族があるということは、構成員の人生を素晴らしく豊かに充実させ、それは、ますます強固になる。だが、そうした家族の強い絆を示すものは、決して恵まれた豪邸や学歴、社会的地位ではなく、むしろ逆なのだ。
抜きんでた豪邸・美邸を建設し、美貌の妻を得て、高級車に乗る一見、恵まれた家族には、その膠着が妬まれ、破壊してやろうとする周囲の意志が働くことになり、やがて内部から崩壊し、ついにはバラバラにされてしまう。
逆に、みすぼらしい家、豊かでない生活で、苦しい生活を思いやり支え合う貧しい家族は一致団結し、その愛を強め、ますます絆を深め、すばらしい家族生活を享受することになるだろう。
会社や国家も同じであって、オンボロ、プレハブの社屋、安月給で、恵まれない会社であっても、互いに思いやりがあり、連帯感のある会社は、ますます団結し、素晴らしい会社に成長してゆくだろう。
国家も、戦後、貧しい時代、公務員が安月給で奮闘していた時代、みんなが互いに暖かい思いやりをもち、連帯感を見いだし、一致団結して困難に立ち向かっていった時代、強力な愛国心が醸成されていった。
ところが見せかけの豊かさを手中にし、役所の見せかけばかりが立派になり、役人が親切を失い、自分の利権、権益だけにしか関心を示さなくなり、他人を妬み、思いやりをなくしてしまった時代、人々の国家に対する希望は失われ、国家を愛さなくなった。だから破綻するのである。
組織が破綻する理由、国家が崩壊する理由は、上に述べた事情がすべてであって、それ以外でも、それ以上でもない。
みんなが所属する組織に連帯感を抱き、愛し、自分の故郷のように思えるとき、組織は最大の機能、威力を発揮するのであって、構成員すべての人たちに思いやりと連帯感を抱いて、自分が、この組織を支えようとするモチベーションを作りだし、これのみによって組織は命の息吹を獲得するのである。
だが、強力な組織は、やがて組織内に格差・差別を産み出す。妬み、怨嗟が組織を覆うようになり、連帯感や思いやりは失われ、特権を享受する幹部以外、誰も組織を支えたいと思わなくなり、そうして崩壊するのである。
今では、もっと極端で、組織を底辺で支え続けてくれた、本当の功労者を追放し、会社という形式だけに頼り、ある日気付いてみれば、利権大好き、利己主義だけの幹部しかおらず、カラッポの形骸だけが音を立てて崩壊するという有様だ。
まずは、戦争で崩壊した日本国家が再建されて60余年、今、再び音を立てて日本国が瓦解しようとする場面に遭遇しているわけだが、倒れる事情は、上のように、日本国の利権を食い物にする輩がのさばり、大衆がそれを見て、まじめに国家を支えるのがバカバカしくなり、腐敗した役人に倣って、利己主義、蓄財、見栄張り競争を謳歌するようになり、支える者のいなくなった巨大な形骸、虚構が瓦解するのである。
どうして、こうなってしまったのか? 何が間違っていたのか? については、いろいろ言うべきこともある。まずは基本は、日本国を支える人たちが連帯感を失い、思いやりを見失い、利己主義に走って、支える人たちが逃げてしまったのである。
筆者は、こうした利己主義を作り出した最大の原因は、先の戦争における大崩壊のとき、壊すべきものをキチンと壊さなかったためだと考えている。天皇をはじめ、特権階級の差別思想を残したことが、国民に差別階層社会の幻想を与え、上昇志向の誤った出し抜き主義を与え、人間にとって一番大切な、守るべき指標が、他人に対する思いやり、連帯を作り出すことだという真実を見失わせたのである。
だからオチコボレを作って救済しようとせず、道を誤った人を立ち直らせようとせず制裁排除してきた結果、自分たち自身が排除される時代がやってきたのである。
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm
東海アマチュア無線 地震予知研究会
2008/07/03のBlog
[ 02:17 ]
[ PLATONIC SYNERGY ]
私自身のことを考えると、戦後の唯物教育を受けて、精神を疎外することになったと思う。それは、生のエネルギーの枯渇を意味するのである。それは、また、ニヒリズムを生じさせるのである。
今日の日本人の学力低下や日本総体の劣化は、確実に、戦後唯物論の帰結であると考えられるのである。唯物論は、精神を滅ぼす考え方であり、端的に、悪魔的な思想である。これは、自滅・自壊的な思想であり、これを乗り越える必要があるのである。
私は神道の復活を唱えているが、結局は、イデア・エネルギーを心身に取り込むことを意味するのである。あるいは、Media Pointを知的に開放することを意味する。即ち、Media Pointを心身において開くことにより、差異共振エネルギーであるイデア・エネルギー(コスモス・エネルギー)が流入し、心身が賦活すると考えられるのである。
学力は、この流入したイデア・エネルギーによって、向上すると考えられるのである。このイデア・エネルギーを取り込む技法に関しては、東洋は豊饒である。そう、「気」とは正に、イデア・エネルギーであると考えられる。(電磁波の本体もこれであると考えられる。これについては、後で検討したい。)
また、今日蔓延する心の病であるが、これも、私見では、戦後唯物論の帰結である。イデア・エネルギー(生エネルギー)が枯渇しているので、心身が衰退していると考えられるのである。日本人は、疾く、戦後唯物論から脱出すべきである。
イデア・エネルギーは、いわば、宗教エネルギーと言えるが、しかしながら、知的に捉えるならば、イデア・エネルギーと言うのが正しい。
おそらく、イデア・エネルギーを取り込むための問題点は、そのエネルギーがあまりにも強力であるため、あるいは、物質的知性にとって、あまりにも異質であるために、一般に、知性が混乱させられる点ではないだろうか。
そう、宗教、信仰へと救いを求めるのはいいとしても、問題は、知性を麻痺させて盲信、狂信する点が問題なのである。そう、今日、必要なのは、いうならば、知的宗教、知的信仰であろう。知性なき宗教、信仰は邪道である。
思うに、知性の鍛練が、イデア・エネルギーを取り込むための大前提となるだろう。そのためには、哲学が必須である。哲学は本来、感性を包摂する形式の知性を探求する学、プロト学知である。そこには、論理学や数学的知性も関係する。
とまれ、哲学は、学・知性の根本である。ここを鍛えないと、イデア・エネルギーを知的に取り込むことはできず、返って、大変危険であると言わなくてはいけない。そう、ここには、スキュラとカリュブデスの危険があると言えよう。一方では、新興宗教的盲信であり、他方では、オカルティズムである。(ただし、宗教やオカルティズムは、批判的に見れば、叡知が隠されていると考えられる。)
思うに、19世紀後半から20世紀全体にかけての、哲学的問題の核心は、イデア・エネルギー(認識
今日の日本人の学力低下や日本総体の劣化は、確実に、戦後唯物論の帰結であると考えられるのである。唯物論は、精神を滅ぼす考え方であり、端的に、悪魔的な思想である。これは、自滅・自壊的な思想であり、これを乗り越える必要があるのである。
私は神道の復活を唱えているが、結局は、イデア・エネルギーを心身に取り込むことを意味するのである。あるいは、Media Pointを知的に開放することを意味する。即ち、Media Pointを心身において開くことにより、差異共振エネルギーであるイデア・エネルギー(コスモス・エネルギー)が流入し、心身が賦活すると考えられるのである。
学力は、この流入したイデア・エネルギーによって、向上すると考えられるのである。このイデア・エネルギーを取り込む技法に関しては、東洋は豊饒である。そう、「気」とは正に、イデア・エネルギーであると考えられる。(電磁波の本体もこれであると考えられる。これについては、後で検討したい。)
また、今日蔓延する心の病であるが、これも、私見では、戦後唯物論の帰結である。イデア・エネルギー(生エネルギー)が枯渇しているので、心身が衰退していると考えられるのである。日本人は、疾く、戦後唯物論から脱出すべきである。
イデア・エネルギーは、いわば、宗教エネルギーと言えるが、しかしながら、知的に捉えるならば、イデア・エネルギーと言うのが正しい。
おそらく、イデア・エネルギーを取り込むための問題点は、そのエネルギーがあまりにも強力であるため、あるいは、物質的知性にとって、あまりにも異質であるために、一般に、知性が混乱させられる点ではないだろうか。
そう、宗教、信仰へと救いを求めるのはいいとしても、問題は、知性を麻痺させて盲信、狂信する点が問題なのである。そう、今日、必要なのは、いうならば、知的宗教、知的信仰であろう。知性なき宗教、信仰は邪道である。
思うに、知性の鍛練が、イデア・エネルギーを取り込むための大前提となるだろう。そのためには、哲学が必須である。哲学は本来、感性を包摂する形式の知性を探求する学、プロト学知である。そこには、論理学や数学的知性も関係する。
とまれ、哲学は、学・知性の根本である。ここを鍛えないと、イデア・エネルギーを知的に取り込むことはできず、返って、大変危険であると言わなくてはいけない。そう、ここには、スキュラとカリュブデスの危険があると言えよう。一方では、新興宗教的盲信であり、他方では、オカルティズムである。(ただし、宗教やオカルティズムは、批判的に見れば、叡知が隠されていると考えられる。)
思うに、19世紀後半から20世紀全体にかけての、哲学的問題の核心は、イデア・エネルギー(認識
