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2008/09/20のBlog
[ 11:48 ]
[ 差異資本主義 ]
米国経済国家管理措置問題:同一性主義経済の終焉と差異共鳴主義経済の勃興:不良資産のブラックホール
テーマ:金融・為替・株式・債券・通貨・税
ポールスン財務長官の述べた、経済大危機に対する国家管理的施策であるが、三本柱となっている。
1)国家保障組織の形成であり、何千億ドルを投入して、「不良資産」を購入する措置。「不良資産買い取り機構」である。(問題資産を銀行から切り離す政策)
2)連邦(国家)による資金の保障の措置。(投資家元本保証)
3)(以下の叙述では不明であるが、おそらく)空売りの一時的な禁止の措置。(空売り規制)
いちばんの問題は、ポールスン財務長官の述べる数千億ドルの資金を何処から得るのかである。(日本から絞り取ろうとするのは目に見えているし、ドル紙幣大量発行の措置もあるだろう。)
結局、連邦政府が負債を抱えることになる。AIGやファニーメイやフレディマックの国家管理化に加えて、今回の措置はそれをはるかに超える国家管理化であり、途轍も無い資金が必要になる。
連邦政府の権威・威信によって、国家管理による救済措置を取るわけであるが、これが失敗すると、連邦政府破綻となる。
いったいどこから資金を調達するのか。資金調達「マジック」は何か。
ここで、日本以上に、中国資本が眼中に入る。そうすると、連邦政府は中国政府にいわば生殺与奪の権利を与えることになる。連邦政府の覇権の終りではないだろうか。多極化というよりは、中国覇権主義が発生することになるだろう。
それとは別に、今度の国家管理措置によって、アメリカ経済/世界経済は回復するのだろうか。これまでの、マネーゲームは消えて、量的価値は縮小・収縮するだろう。差異共鳴資本主義へと向かわざるを得ないだろう。
しかし、投入される公的資金の債務はどうするのか、である。これが、火薬庫である。大震源である。これがブラックホールである。
The US treasury has put forward a three-pronged plan. It wants to create a state-sponsored organisation which will spend hundreds of billions of dollars buying banks' bad debts.
Alongside this, there will be federal insurance to protect money held by nervous investors in usually ultra-safe money market funds which have been teetering this week due to their exposure to troubled banks.
Echoing action in Britain, the US authorities imposed a temporary ban yesterday on speculators who are accused of driving down financial stocks.
The treasury secretary, Henry Paulson, admitted that it would be expensive for the government to tidy banks' bad debts - but he said doing nothing would be far more costly.
http://www.guardian.co.uk/business/2008/sep/19/wallstreet.banking
Markets rocket on US bailout package for struggling banks
* Andrew Clark in New York
* guardian.co.uk ,
* Friday September 19 2008 16:35 BST
参考:
現在起こっている世界的な金融危機は、基本的に二つの要因から生じている。
2008.09.19 Friday
・・・・・
(解説)
一つは、デリバテイブに内在する不連続性の問題。
もう一つは、レバレッジに内在する、「架空の乗数的蜃気楼」、異次元を現存在と錯覚する人間の愚かな知性である。
このデリバテイブとレバレッジの異なる作用を混同する風潮が盛んに見られるが、このような不合理な風潮は、問題の解決を遠のかせてしまう。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=682014
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
****************************
米財務長官、資産問題解決に向け追加で数千億ドル必要と表明
2008年 09月 20日 08:24 JST
[ワシントン 19日 ロイター] ポールソン米財務長官は19日、金融機関や経済を脅かす流動性の低い資産を除去する策が必要で、そのような資産問題から金融機関を救済するため追加で数千億ドルが必要になるとの認識を示した。
同長官は「われわれは、金融システムにおける圧迫要因に対して、抜本的かつ包括的に対応するため、追加の断固たる措置を取る必要がある」と指摘。「額としては数千億ドルを検討しており、本当に効果を生み出し、本質的な問題解決のために十分な規模となる必要がある」と語った。
これに先立ち財務省は、米短期資金投資信託(MMF)市場の信頼回復に向けた一時的保証プログラムのために、為替安定基金から最大500億ドル拠出すると発表した。
長官は、ケースバイケースの対応は十分でなく、一段と包括的な対策について米議会関係者と協議するとした。
「連邦政府は、金融機関を圧迫し経済を脅かしている流動性の低い資産を除去するプログラムを導入する必要がある。問題のある資産に対するこのプログラムは適切に作成され、最大限の効果をもたらす規模でなければならない一方で、納税者を可能な限り保護する内容でなければならない」と語った。
速やかな追加措置が必要となるなか、一段と包括的な対策について、週末と来週にかけて議会と協力していくとした。
「まず、モーゲージ市場に重要な追加資金を供給するため、米政府系住宅金融機関(GSE)のファニーメイとフレディマックは、モーゲージ担保証券(MBS)の買い取りを拡大する」と述べた。
加えて、財務省も今月に入り発表したMBS買い取り計画を一段と拡大する方針を示した。
長官は「これら2つの措置はモーゲージ資産に対するある程度の支援となるが、十分ではない」と指摘。問題資産の多くはGSEや財務省が買い取ることが不可能であり、こうした不良資産を取り除くための方策を議会が検討することが重要との見方を示した。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-33853620080919
*****************************
米政府、数千億ドルの問題資産買い取りへ-大恐慌以来の権限強化(2)
9月19日(ブルームバーグ):米政府は問題資産を銀行から切り離す政策に動き、短期金融市場からの資金流出に歯止めをかけた。金融システムに対する連邦政府の権限は大恐慌以来で最も強化された格好だ。
ポールソン米財務長官は19日の記者会見で、債権買い取りについて「数千億ドル規模になる」と予想。「明確な効果を表すほど大規模で、問題の核心を突いた内容にする必要がある」と述べた。
財務省は19日、米国の為替安定化基金から最大500億ドル(約5兆 3800億円)を用い、マネー・マーケット・ファンド(MMF)投資家の元本を保証する計画を明らかにした。米連邦準備制度理事会(FRB)は商業銀行向けの融資を拡大した。17日にMMF解約総額が過去最高の892億ドルに上る中、今回の措置は崩壊の瀬戸際にある信用市場を救済することが狙いだ。
ポールソン長官とバーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長がまとめた今回の計画には、容易に現金化できない資産を企業のバランスシートから除去することが含まれる。これを好感し、株式相場は英国や中国など世界的に上昇した。ドルも上昇し、米2年債利回りは23年ぶりの大幅な上昇となった。
プリンストン大学のアラン・ブラインダー教授(元FRB副議長)は「これは市場の治癒に向けた大きな一歩で、市場の不透明感払しょくに向けた大きな一歩でもある。これは非常に慎重に作成される必要がある。必要なのは大規模でシステミックな措置だ」と話した。
空売り規制
今回の計画は金融・住宅市場の改善に向けたポールソン長官とバーナンキ議長のこれまでの努力が失敗に終わったことを認める形となった。米政府は過去12日間にアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)のほか、ファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)とフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)を公的管理下に置き、リーマン・ブラザーズ・ホールディングスは連邦破産法11条に基づく会社更生手続きの適用を申請した。
18日夜にポールソン長官とバーナンキ議長と会談した議会指導者は関連法案を早急に通過させる意向を表明している。
コックス米証券取引委員会(SEC)委員長は18日、議会指導者と会談後、市場の流動性確保を目指した新たな規制を検討する姿勢を示した。SECは19日、金融株の空売りを10月2日まで禁止すると発表した。英当局は18 日、類似の措置をとった。
更新日時 : 2008/09/20 02:14 JST
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003017&sid=acJox.ym3LrQ&refer=jp_news_index
米財務省:マネーマーケット・ファンドの保有資産保証へ-500億ドル拠出 米財務省は19日、マネーマーケット・ファンド(MMF)の投資家を金融市場混乱から守るため、米国の為替安定化基金から最大500億ドル(約5兆3800億円)を投じる計画を発表した。
米FRB、MMF支援へ公定歩合で貸出-GSE債購入計画も発表 米連邦準備制度理事会(FRB)は19日、銀行がマネー・マーケット・ファンド(MMF)の解約に応じる際の資金を融資する方針を表明した。また、金融市場の流動性を確保するため、プライマリーディーラー(米政府証券公認ディーラー)から政府支援機関(GSE)債を購入する計画も明らかにした。
http://www.bloomberg.co.jp/news/
テーマ:金融・為替・株式・債券・通貨・税
ポールスン財務長官の述べた、経済大危機に対する国家管理的施策であるが、三本柱となっている。
1)国家保障組織の形成であり、何千億ドルを投入して、「不良資産」を購入する措置。「不良資産買い取り機構」である。(問題資産を銀行から切り離す政策)
2)連邦(国家)による資金の保障の措置。(投資家元本保証)
3)(以下の叙述では不明であるが、おそらく)空売りの一時的な禁止の措置。(空売り規制)
いちばんの問題は、ポールスン財務長官の述べる数千億ドルの資金を何処から得るのかである。(日本から絞り取ろうとするのは目に見えているし、ドル紙幣大量発行の措置もあるだろう。)
結局、連邦政府が負債を抱えることになる。AIGやファニーメイやフレディマックの国家管理化に加えて、今回の措置はそれをはるかに超える国家管理化であり、途轍も無い資金が必要になる。
連邦政府の権威・威信によって、国家管理による救済措置を取るわけであるが、これが失敗すると、連邦政府破綻となる。
いったいどこから資金を調達するのか。資金調達「マジック」は何か。
ここで、日本以上に、中国資本が眼中に入る。そうすると、連邦政府は中国政府にいわば生殺与奪の権利を与えることになる。連邦政府の覇権の終りではないだろうか。多極化というよりは、中国覇権主義が発生することになるだろう。
それとは別に、今度の国家管理措置によって、アメリカ経済/世界経済は回復するのだろうか。これまでの、マネーゲームは消えて、量的価値は縮小・収縮するだろう。差異共鳴資本主義へと向かわざるを得ないだろう。
しかし、投入される公的資金の債務はどうするのか、である。これが、火薬庫である。大震源である。これがブラックホールである。
The US treasury has put forward a three-pronged plan. It wants to create a state-sponsored organisation which will spend hundreds of billions of dollars buying banks' bad debts.
Alongside this, there will be federal insurance to protect money held by nervous investors in usually ultra-safe money market funds which have been teetering this week due to their exposure to troubled banks.
Echoing action in Britain, the US authorities imposed a temporary ban yesterday on speculators who are accused of driving down financial stocks.
The treasury secretary, Henry Paulson, admitted that it would be expensive for the government to tidy banks' bad debts - but he said doing nothing would be far more costly.
http://www.guardian.co.uk/business/2008/sep/19/wallstreet.banking
Markets rocket on US bailout package for struggling banks
* Andrew Clark in New York
* guardian.co.uk ,
* Friday September 19 2008 16:35 BST
参考:
現在起こっている世界的な金融危機は、基本的に二つの要因から生じている。
2008.09.19 Friday
・・・・・
(解説)
一つは、デリバテイブに内在する不連続性の問題。
もう一つは、レバレッジに内在する、「架空の乗数的蜃気楼」、異次元を現存在と錯覚する人間の愚かな知性である。
このデリバテイブとレバレッジの異なる作用を混同する風潮が盛んに見られるが、このような不合理な風潮は、問題の解決を遠のかせてしまう。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=682014
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
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米財務長官、資産問題解決に向け追加で数千億ドル必要と表明
2008年 09月 20日 08:24 JST
[ワシントン 19日 ロイター] ポールソン米財務長官は19日、金融機関や経済を脅かす流動性の低い資産を除去する策が必要で、そのような資産問題から金融機関を救済するため追加で数千億ドルが必要になるとの認識を示した。
同長官は「われわれは、金融システムにおける圧迫要因に対して、抜本的かつ包括的に対応するため、追加の断固たる措置を取る必要がある」と指摘。「額としては数千億ドルを検討しており、本当に効果を生み出し、本質的な問題解決のために十分な規模となる必要がある」と語った。
これに先立ち財務省は、米短期資金投資信託(MMF)市場の信頼回復に向けた一時的保証プログラムのために、為替安定基金から最大500億ドル拠出すると発表した。
長官は、ケースバイケースの対応は十分でなく、一段と包括的な対策について米議会関係者と協議するとした。
「連邦政府は、金融機関を圧迫し経済を脅かしている流動性の低い資産を除去するプログラムを導入する必要がある。問題のある資産に対するこのプログラムは適切に作成され、最大限の効果をもたらす規模でなければならない一方で、納税者を可能な限り保護する内容でなければならない」と語った。
速やかな追加措置が必要となるなか、一段と包括的な対策について、週末と来週にかけて議会と協力していくとした。
「まず、モーゲージ市場に重要な追加資金を供給するため、米政府系住宅金融機関(GSE)のファニーメイとフレディマックは、モーゲージ担保証券(MBS)の買い取りを拡大する」と述べた。
加えて、財務省も今月に入り発表したMBS買い取り計画を一段と拡大する方針を示した。
長官は「これら2つの措置はモーゲージ資産に対するある程度の支援となるが、十分ではない」と指摘。問題資産の多くはGSEや財務省が買い取ることが不可能であり、こうした不良資産を取り除くための方策を議会が検討することが重要との見方を示した。
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-33853620080919
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米政府、数千億ドルの問題資産買い取りへ-大恐慌以来の権限強化(2)
9月19日(ブルームバーグ):米政府は問題資産を銀行から切り離す政策に動き、短期金融市場からの資金流出に歯止めをかけた。金融システムに対する連邦政府の権限は大恐慌以来で最も強化された格好だ。
ポールソン米財務長官は19日の記者会見で、債権買い取りについて「数千億ドル規模になる」と予想。「明確な効果を表すほど大規模で、問題の核心を突いた内容にする必要がある」と述べた。
財務省は19日、米国の為替安定化基金から最大500億ドル(約5兆 3800億円)を用い、マネー・マーケット・ファンド(MMF)投資家の元本を保証する計画を明らかにした。米連邦準備制度理事会(FRB)は商業銀行向けの融資を拡大した。17日にMMF解約総額が過去最高の892億ドルに上る中、今回の措置は崩壊の瀬戸際にある信用市場を救済することが狙いだ。
ポールソン長官とバーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長がまとめた今回の計画には、容易に現金化できない資産を企業のバランスシートから除去することが含まれる。これを好感し、株式相場は英国や中国など世界的に上昇した。ドルも上昇し、米2年債利回りは23年ぶりの大幅な上昇となった。
プリンストン大学のアラン・ブラインダー教授(元FRB副議長)は「これは市場の治癒に向けた大きな一歩で、市場の不透明感払しょくに向けた大きな一歩でもある。これは非常に慎重に作成される必要がある。必要なのは大規模でシステミックな措置だ」と話した。
空売り規制
今回の計画は金融・住宅市場の改善に向けたポールソン長官とバーナンキ議長のこれまでの努力が失敗に終わったことを認める形となった。米政府は過去12日間にアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)のほか、ファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)とフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)を公的管理下に置き、リーマン・ブラザーズ・ホールディングスは連邦破産法11条に基づく会社更生手続きの適用を申請した。
18日夜にポールソン長官とバーナンキ議長と会談した議会指導者は関連法案を早急に通過させる意向を表明している。
コックス米証券取引委員会(SEC)委員長は18日、議会指導者と会談後、市場の流動性確保を目指した新たな規制を検討する姿勢を示した。SECは19日、金融株の空売りを10月2日まで禁止すると発表した。英当局は18 日、類似の措置をとった。
更新日時 : 2008/09/20 02:14 JST
http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003017&sid=acJox.ym3LrQ&refer=jp_news_index
米財務省:マネーマーケット・ファンドの保有資産保証へ-500億ドル拠出 米財務省は19日、マネーマーケット・ファンド(MMF)の投資家を金融市場混乱から守るため、米国の為替安定化基金から最大500億ドル(約5兆3800億円)を投じる計画を発表した。
米FRB、MMF支援へ公定歩合で貸出-GSE債購入計画も発表 米連邦準備制度理事会(FRB)は19日、銀行がマネー・マーケット・ファンド(MMF)の解約に応じる際の資金を融資する方針を表明した。また、金融市場の流動性を確保するため、プライマリーディーラー(米政府証券公認ディーラー)から政府支援機関(GSE)債を購入する計画も明らかにした。
http://www.bloomberg.co.jp/news/
2008/08/19のBlog
[ 10:01 ]
以下のブログでは更新をしています。
http://ameblo.jp/renshi/
http://protophilosophy.noblog.net/
http://ameblo.jp/renshi/
http://protophilosophy.noblog.net/
2008/08/02のBlog
[ 23:03 ]
[ 出アメリカ/ニッポン独立宣言2005 ]
財政学批判的学習:裁量支出とプログラム支出と天下り根絶:PS原理、PSPrinciple
テーマ:福田政権とポスト福田
以下、鋭敏な経済学者植草一秀氏のトランス官僚主義のための「教科書」である。財政について実に明快に説明しているし、天下り根絶の意味も明快に説明されている。官僚封建的同一性主義への脱構築主義であると同時に、国民経済再構築主義(差異共鳴国民経済)のための指針が説かれている。
そう、PSセオリー的政治経済学である。
p.s. 思うに、PSセオリーとはPS原理、PSPrinciple(PSP)と言えるのではないだろうか。多様な現象の原型を取りだしているのではないだろうか。端的に言えば、Media Point ArchitypeないしはMedia Point Prototypeではないだろうか。即ち、Media Pointから生まれる同一性現象と差異現象の関係を捉えているのではないだろうか。つまり、図式化すれば、
1.差異共鳴現象の発現
2.同一性主義現象の発現
3.同一性現象と差異共鳴現象との併存(後者が新たに賦活される)
4.高次の差異共鳴現象(1とは同類の現象であるが、レベルが上がった状態。いわば、ラセン的回帰である。)
このように変化する動きがPS原理ではないだろうか。中心核は、Media Pointである。後で検討。
p.p.s. Kaisetsu氏の用語を用いれば、Media Point Mode(MPM)が、このMedia Point Architype ないしはMedia Point Prototypeではないだろうか。
とまれ、Media Pointを入れて、再図式化すれば、
Media Point Mode
1.Media Point Energy:(+i)*(-i)
2.差異共鳴現象(差異共振現象):⇒+1
3.同一性主義現象:(+i)*〔-(-i)〕⇒-1
4.同一性主義現象と差異共鳴現象の併存:(-1)&(+1)
5.同一性主義現象を包摂した高次の差異共鳴現象:(+i)*(-i)⇒+1
6.New Media Point Energy:(+j)*(-j)
と仮に表記しておこう。
これは、実は、神話や物語の図式にもなるのである。そう、オールマイティである。
*******************************
福田新体制は「アンシャン・レジーム」である。「霞が関政治」に復古した。旧来の自民党政治への回帰だ。「福田-伊吹-与謝野」のトライアングルが「財務省政治」を取り仕切る。
「財務省政治」の基本方針は上述したように、①官僚利権の温存、②国民福祉の切り捨て、③消費税増税の断行、である。
財務省の歳出削減政策と「無駄ゼロ政策」 は表裏一体の関係にある。財務省の歳出削減対象の「御三家」は、①公共事業、②地方、③社会保障費、である。国民生活に直結する費目が優先して切り込まれる。
他方、財務省の裁量支出は拡張される。「裁量支出」こそ「財務省権力の源泉」なのだ。道路特定財源の「一般財源化」、概算要求基準における「重点枠」は「財務省の自由裁量枠」である。財務省は「予算配分権」こそ「権力の源泉」と認識し、「自由裁量枠」拡張を熱望している。
「社会保障支出」は「プログラム支出」 とも呼ばれる。制度を確定すると支出金額が自動的に決定される。最も透明性の高い支出だが、財務省は「プログラム支出」を嫌う。「プログラム支出」には「予算を配分する権力」をふりかざす余地がないからだ。
歳出削減で真っ先に切り込まれるのが「プログラム支出」だ。国民からすれば、利権の温床になる「裁量支出」を切り込み、「プログラム支出」を温存してもらいたいのだが、財務省は正反対の方向を向いている。なぜなら、財務省は国民の幸福ではなく財務省の幸福のために行動しているからだ。
・・・・・
日本の国会財政は天下り機関に11兆円を超す資金を投入している。「天下り」と「天下り機関」の根絶は想像を超す歳出削減効果を生む。
福田政権は「財源論を伴わない社会保障制度再構築論議」は無責任だと民主党を批判するが、
「天下り根絶を伴わない消費税増税論議」の方がはるかに国民に対して無責任である。
「天下り根絶」によって、大きな財源を生み出すことが可能だ。また、対米隷属の外貨準備運用が8年間で100兆円の機会損失を生み出した。「100兆円損失」の責任も追及しなければならない。
福田政権は衆議院選挙対策として745億円原油高対策を決定したが、「裁量支出」=「利権支出」=「バラマキ支出」政策の典型だ。最も優れた原油高対策は「ガソリン税暫定税率撤廃」である。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_fef1.html
植草一秀の『知られざる真実』
テーマ:福田政権とポスト福田
以下、鋭敏な経済学者植草一秀氏のトランス官僚主義のための「教科書」である。財政について実に明快に説明しているし、天下り根絶の意味も明快に説明されている。官僚封建的同一性主義への脱構築主義であると同時に、国民経済再構築主義(差異共鳴国民経済)のための指針が説かれている。
そう、PSセオリー的政治経済学である。
p.s. 思うに、PSセオリーとはPS原理、PSPrinciple(PSP)と言えるのではないだろうか。多様な現象の原型を取りだしているのではないだろうか。端的に言えば、Media Point ArchitypeないしはMedia Point Prototypeではないだろうか。即ち、Media Pointから生まれる同一性現象と差異現象の関係を捉えているのではないだろうか。つまり、図式化すれば、
1.差異共鳴現象の発現
2.同一性主義現象の発現
3.同一性現象と差異共鳴現象との併存(後者が新たに賦活される)
4.高次の差異共鳴現象(1とは同類の現象であるが、レベルが上がった状態。いわば、ラセン的回帰である。)
このように変化する動きがPS原理ではないだろうか。中心核は、Media Pointである。後で検討。
p.p.s. Kaisetsu氏の用語を用いれば、Media Point Mode(MPM)が、このMedia Point Architype ないしはMedia Point Prototypeではないだろうか。
とまれ、Media Pointを入れて、再図式化すれば、
Media Point Mode
1.Media Point Energy:(+i)*(-i)
2.差異共鳴現象(差異共振現象):⇒+1
3.同一性主義現象:(+i)*〔-(-i)〕⇒-1
4.同一性主義現象と差異共鳴現象の併存:(-1)&(+1)
5.同一性主義現象を包摂した高次の差異共鳴現象:(+i)*(-i)⇒+1
6.New Media Point Energy:(+j)*(-j)
と仮に表記しておこう。
これは、実は、神話や物語の図式にもなるのである。そう、オールマイティである。
*******************************
福田新体制は「アンシャン・レジーム」である。「霞が関政治」に復古した。旧来の自民党政治への回帰だ。「福田-伊吹-与謝野」のトライアングルが「財務省政治」を取り仕切る。
「財務省政治」の基本方針は上述したように、①官僚利権の温存、②国民福祉の切り捨て、③消費税増税の断行、である。
財務省の歳出削減政策と「無駄ゼロ政策」 は表裏一体の関係にある。財務省の歳出削減対象の「御三家」は、①公共事業、②地方、③社会保障費、である。国民生活に直結する費目が優先して切り込まれる。
他方、財務省の裁量支出は拡張される。「裁量支出」こそ「財務省権力の源泉」なのだ。道路特定財源の「一般財源化」、概算要求基準における「重点枠」は「財務省の自由裁量枠」である。財務省は「予算配分権」こそ「権力の源泉」と認識し、「自由裁量枠」拡張を熱望している。
「社会保障支出」は「プログラム支出」 とも呼ばれる。制度を確定すると支出金額が自動的に決定される。最も透明性の高い支出だが、財務省は「プログラム支出」を嫌う。「プログラム支出」には「予算を配分する権力」をふりかざす余地がないからだ。
歳出削減で真っ先に切り込まれるのが「プログラム支出」だ。国民からすれば、利権の温床になる「裁量支出」を切り込み、「プログラム支出」を温存してもらいたいのだが、財務省は正反対の方向を向いている。なぜなら、財務省は国民の幸福ではなく財務省の幸福のために行動しているからだ。
・・・・・
日本の国会財政は天下り機関に11兆円を超す資金を投入している。「天下り」と「天下り機関」の根絶は想像を超す歳出削減効果を生む。
福田政権は「財源論を伴わない社会保障制度再構築論議」は無責任だと民主党を批判するが、
「天下り根絶を伴わない消費税増税論議」の方がはるかに国民に対して無責任である。
「天下り根絶」によって、大きな財源を生み出すことが可能だ。また、対米隷属の外貨準備運用が8年間で100兆円の機会損失を生み出した。「100兆円損失」の責任も追及しなければならない。
福田政権は衆議院選挙対策として745億円原油高対策を決定したが、「裁量支出」=「利権支出」=「バラマキ支出」政策の典型だ。最も優れた原油高対策は「ガソリン税暫定税率撤廃」である。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_fef1.html
植草一秀の『知られざる真実』
[ 20:26 ]
[ 出アメリカ/ニッポン独立宣言2005 ]
財政学批判的学習:裁量支出とプログラム支出と天下り根絶
テーマ:福田政権とポスト福田
以下、鋭敏な経済学者植草一秀氏のトランス官僚主義のための「教科書」である。財政について実に明快に説明しているし、天下り根絶の意味も明快に説明されている。官僚封建的同一性主義への脱構築主義であると同時に、国民経済再構築主義(差異共鳴国民経済)のための指針が説かれている。
そう、PSセオリー的政治経済学である。
*******************************
福田新体制は「アンシャン・レジーム」である。「霞が関政治」に復古した。旧来の自民党政治への回帰だ。「福田伊吹与謝野」のトライアングルが「財務省政治」を取り仕切る。
「財務省政治」の基本方針は上述したように、①官僚利権の温存、②国民福祉の切り捨て、③消費税増税の断行、である。
財務省の歳出削減政策と「無駄ゼロ政策」 は表裏一体の関係にある。財務省の歳出削減対象の「御三家」は、①公共事業、②地方、③社会保障費、である。国民生活に直結する費目が優先して切り込まれる。
他方、財務省の裁量支出は拡張される。「裁量支出」こそ「財務省権力の源泉」なのだ。道路特定財源の「一般財源化」、概算要求基準における「重点枠」は「財務省の自由裁量枠」である。財務省は「予算配分権」こそ「権力の源泉」と認識し、「自由裁量枠」拡張を熱望している。
「社会保障支出」は「プログラム支出」 とも呼ばれる。制度を確定すると支出金額が自動的に決定される。最も透明性の高い支出だが、財務省は「プログラム支出」を嫌う。「プログラム支出」には「予算を配分する権力」をふりかざす余地がないからだ。
歳出削減で真っ先に切り込まれるのが「プログラム支出」だ。国民からすれば、利権の温床になる「裁量支出」を切り込み、「プログラム支出」を温存してもらいたいのだが、財務省は正反対の方向を向いている。なぜなら、財務省は国民の幸福ではなく財務省の幸福のために行動しているからだ。
・・・・・
日本の国会財政は天下り機関に11兆円を超す資金を投入している。「天下り」と「天下り機関」の根絶は想像を超す歳出削減効果を生む。
福田政権は「財源論を伴わない社会保障制度再構築論議」は無責任だと民主党を批判するが、
「天下り根絶を伴わない消費税増税論議」の方がはるかに国民に対して無責任である。
「天下り根絶」によって、大きな財源を生み出すことが可能だ。また、対米隷属の外貨準備運用が8年間で100兆円の機会損失を生み出した。「100兆円損失」の責任も追及しなければならない。
福田政権は衆議院選挙対策として745億円原油高対策を決定したが、「裁量支出」=「利権支出」=「バラマキ支出」政策の典型だ。最も優れた原油高対策は「ガソリン税暫定税率撤廃」である。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_fef1.html
テーマ:福田政権とポスト福田
以下、鋭敏な経済学者植草一秀氏のトランス官僚主義のための「教科書」である。財政について実に明快に説明しているし、天下り根絶の意味も明快に説明されている。官僚封建的同一性主義への脱構築主義であると同時に、国民経済再構築主義(差異共鳴国民経済)のための指針が説かれている。
そう、PSセオリー的政治経済学である。
*******************************
福田新体制は「アンシャン・レジーム」である。「霞が関政治」に復古した。旧来の自民党政治への回帰だ。「福田伊吹与謝野」のトライアングルが「財務省政治」を取り仕切る。
「財務省政治」の基本方針は上述したように、①官僚利権の温存、②国民福祉の切り捨て、③消費税増税の断行、である。
財務省の歳出削減政策と「無駄ゼロ政策」 は表裏一体の関係にある。財務省の歳出削減対象の「御三家」は、①公共事業、②地方、③社会保障費、である。国民生活に直結する費目が優先して切り込まれる。
他方、財務省の裁量支出は拡張される。「裁量支出」こそ「財務省権力の源泉」なのだ。道路特定財源の「一般財源化」、概算要求基準における「重点枠」は「財務省の自由裁量枠」である。財務省は「予算配分権」こそ「権力の源泉」と認識し、「自由裁量枠」拡張を熱望している。
「社会保障支出」は「プログラム支出」 とも呼ばれる。制度を確定すると支出金額が自動的に決定される。最も透明性の高い支出だが、財務省は「プログラム支出」を嫌う。「プログラム支出」には「予算を配分する権力」をふりかざす余地がないからだ。
歳出削減で真っ先に切り込まれるのが「プログラム支出」だ。国民からすれば、利権の温床になる「裁量支出」を切り込み、「プログラム支出」を温存してもらいたいのだが、財務省は正反対の方向を向いている。なぜなら、財務省は国民の幸福ではなく財務省の幸福のために行動しているからだ。
・・・・・
日本の国会財政は天下り機関に11兆円を超す資金を投入している。「天下り」と「天下り機関」の根絶は想像を超す歳出削減効果を生む。
福田政権は「財源論を伴わない社会保障制度再構築論議」は無責任だと民主党を批判するが、
「天下り根絶を伴わない消費税増税論議」の方がはるかに国民に対して無責任である。
「天下り根絶」によって、大きな財源を生み出すことが可能だ。また、対米隷属の外貨準備運用が8年間で100兆円の機会損失を生み出した。「100兆円損失」の責任も追及しなければならない。
福田政権は衆議院選挙対策として745億円原油高対策を決定したが、「裁量支出」=「利権支出」=「バラマキ支出」政策の典型だ。最も優れた原油高対策は「ガソリン税暫定税率撤廃」である。
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_fef1.html
[ 00:41 ]
[ プラトニック・シナジー理論 ]
Kaisetsu氏は、以下のように、bloghiro-dive氏を論語読みの論語知らずと的確に批判している。
*************
デリダの哲学が動的である根拠は何であるのかを提示されず⇒bloghiro-dive氏の「論語読みの論語知らず」
2008.07.30 Wednesday
(結論)
bloghiro-dive氏は、ポスト構造主義を理解していない。(にもかかわらず、ポスト構造主義の代表であるデリダの字句的解釈に執着している。)→「論語読みの論語知らず」
http://blog.kaisetsu.org/?eid=671430
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
*************
傍若無人に、傲り高ぶり、僻み根性と妄想僻をもち、思い込みが激しく決めつけ、まったく説得力なく、他者を罵倒している、権威主義的俗物の bloghiro-dive氏であるが、彼は自身デリダ主義者であることを述べているが、実際は、Kaisetsu氏が分析し、批判するように、論語読みの論語知らずなのである。
私なりにそれを簡単に証明したい。デリダ哲学は、伝統的哲学は、二項対立という形而上学に浸透されているのであり、それは、決定不能性をもっているので、形而上学が脱構築されるというものであるが、もし、真にデリダ主義者ならば、二項対立的発想をするはずはないのである。
それにもかかわらず、bloghiro-dive氏は、自身は哲学博士であり、哲学アカデミズムに奉ずるものであり、哲学アカデミズムの擁護者となり、自身は哲学的優位であり、彼の考えに染まないものは、劣位であり、罵倒の対象となるのである。
これは、正に、二項対立の思想でなくて何であろうか。デリダは二項対立の脱構築をその哲学の中心に置いているのであるが、デリダ主義者の bloghiro-dive氏は、二項対立を体現している哲学博士なのである。言い換えると、bloghiro-dive氏は、デリダ主義・即・反デリダ主義という立場なのであり、彼自身、そのまま、脱構築されているのである。
だから、被脱構築主義のbloghiro-dive氏と言うことになろう。デリダを逆にして、ダリデ哲学研究者のbloghiro-dive氏である。
p.s. 以下の私に対するbloghiro-dive氏のコメントであるが、それはそのまま彼自身に当てはまるのである。私は彼が、統合失調症の可能性が高いと心配している。是非、神経科等に行って治療されることを勧めたい。
『なぜこの狂信者はデリダに拘るのか意味不明ですね!デリダを肯定してるわけでもないのに。もちろんお得意の恣意的「思い込み」と「捏造」、「妄想」の作用でそう「思い込んでいる」のでしょう。これまでの文章読めば明白なこと。』
http://ameblo.jp/bloghiro-dive/entry-10122415750.html
差異と反復それでも差異と反復/言論闘争の時代
p.p.s. 知に対して、知で答えるのではなく、bd氏は権威主義の鎧を身に纏い、他者を見下し、己を守ろうとしている。ビビって、PS理論の知を知るまいという態度をとっているようだ。どうやら、PS理論を恐れていると見たが、いかがか。bloghiro-dive氏は、大人げないレトリックはおやめなさい。見苦しいですぞ。もっと、誠実な、誠意をもった言動をとりなさい。哲学者なら堂々とした言動を取りなさい。
3p.s. 法曹家としてのbloghiro-dive氏の文章を拝読しましたが、哲学者のbloghiro-dive氏とは別人ですね。私は前者を尊敬しますが、後者は尊敬できません。だから、残酷な言い方になりますが、哲学者には向いていませんね。bloghiro-diveさん、あなたは善人ですが、哲学者の過酷な人生には向いていません。これが私の診断書です。
参照:
「金銭の借入の問題は早めに弁護士に相談してください。自分で背負い込むと絶望的になり、また同時に生活が成立せずに医療が受けられないなど生死に関わることになります。債務で悩んで死を選ぶ勇気があるなら、迷わず法律事務所に駆け込んでください。その瞬間から債権者の取り立てや交渉から解放されます。弁護士介入通知一通で人生が立て直すことができます。」
http://ameblo.jp/bloghiro-dive/entry-10122415750.html
4p.s. 因みに、languid-graduatestudent氏であるが、bloghiro-dive氏の、いわば、子分になっていますね。法曹家としてのbloghiro-dive氏は真似ていいですが、「哲学者」としての彼は真似ては不幸になると推測します。
*************
デリダの哲学が動的である根拠は何であるのかを提示されず⇒bloghiro-dive氏の「論語読みの論語知らず」
2008.07.30 Wednesday
(結論)
bloghiro-dive氏は、ポスト構造主義を理解していない。(にもかかわらず、ポスト構造主義の代表であるデリダの字句的解釈に執着している。)→「論語読みの論語知らず」
http://blog.kaisetsu.org/?eid=671430
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
*************
傍若無人に、傲り高ぶり、僻み根性と妄想僻をもち、思い込みが激しく決めつけ、まったく説得力なく、他者を罵倒している、権威主義的俗物の bloghiro-dive氏であるが、彼は自身デリダ主義者であることを述べているが、実際は、Kaisetsu氏が分析し、批判するように、論語読みの論語知らずなのである。
私なりにそれを簡単に証明したい。デリダ哲学は、伝統的哲学は、二項対立という形而上学に浸透されているのであり、それは、決定不能性をもっているので、形而上学が脱構築されるというものであるが、もし、真にデリダ主義者ならば、二項対立的発想をするはずはないのである。
それにもかかわらず、bloghiro-dive氏は、自身は哲学博士であり、哲学アカデミズムに奉ずるものであり、哲学アカデミズムの擁護者となり、自身は哲学的優位であり、彼の考えに染まないものは、劣位であり、罵倒の対象となるのである。
これは、正に、二項対立の思想でなくて何であろうか。デリダは二項対立の脱構築をその哲学の中心に置いているのであるが、デリダ主義者の bloghiro-dive氏は、二項対立を体現している哲学博士なのである。言い換えると、bloghiro-dive氏は、デリダ主義・即・反デリダ主義という立場なのであり、彼自身、そのまま、脱構築されているのである。
だから、被脱構築主義のbloghiro-dive氏と言うことになろう。デリダを逆にして、ダリデ哲学研究者のbloghiro-dive氏である。
p.s. 以下の私に対するbloghiro-dive氏のコメントであるが、それはそのまま彼自身に当てはまるのである。私は彼が、統合失調症の可能性が高いと心配している。是非、神経科等に行って治療されることを勧めたい。
『なぜこの狂信者はデリダに拘るのか意味不明ですね!デリダを肯定してるわけでもないのに。もちろんお得意の恣意的「思い込み」と「捏造」、「妄想」の作用でそう「思い込んでいる」のでしょう。これまでの文章読めば明白なこと。』
http://ameblo.jp/bloghiro-dive/entry-10122415750.html
差異と反復それでも差異と反復/言論闘争の時代
p.p.s. 知に対して、知で答えるのではなく、bd氏は権威主義の鎧を身に纏い、他者を見下し、己を守ろうとしている。ビビって、PS理論の知を知るまいという態度をとっているようだ。どうやら、PS理論を恐れていると見たが、いかがか。bloghiro-dive氏は、大人げないレトリックはおやめなさい。見苦しいですぞ。もっと、誠実な、誠意をもった言動をとりなさい。哲学者なら堂々とした言動を取りなさい。
3p.s. 法曹家としてのbloghiro-dive氏の文章を拝読しましたが、哲学者のbloghiro-dive氏とは別人ですね。私は前者を尊敬しますが、後者は尊敬できません。だから、残酷な言い方になりますが、哲学者には向いていませんね。bloghiro-diveさん、あなたは善人ですが、哲学者の過酷な人生には向いていません。これが私の診断書です。
参照:
「金銭の借入の問題は早めに弁護士に相談してください。自分で背負い込むと絶望的になり、また同時に生活が成立せずに医療が受けられないなど生死に関わることになります。債務で悩んで死を選ぶ勇気があるなら、迷わず法律事務所に駆け込んでください。その瞬間から債権者の取り立てや交渉から解放されます。弁護士介入通知一通で人生が立て直すことができます。」
http://ameblo.jp/bloghiro-dive/entry-10122415750.html
4p.s. 因みに、languid-graduatestudent氏であるが、bloghiro-dive氏の、いわば、子分になっていますね。法曹家としてのbloghiro-dive氏は真似ていいですが、「哲学者」としての彼は真似ては不幸になると推測します。
2008/07/27のBlog
[ 13:42 ]
[ 検討問題 ]
1)現象界について
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-19.html
以上の迷惑コメントがあった記事(「メディア界の連結力学・構造について」)は、不連続的差異論を説いていた頃のもので、約三年前のもの(2005年10月07日付け)であったが、それを読み返して、現象界についての発想が浮かんだので、ここで検討したい。
問題は、以前にも検討したが、-1と+1との関係である。この問題は実に興味深い、いわば、不思議な問題である。
-1は同一性主義である。それは、自己同一性主義であり、自我主義であり、物質主義である。フッサールが『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(以下、『危機』)で述べたことと関係する。フッサールが批判する自然的態度は、-1の自我主義的見方であるのではないだろうか。
+1の見方とは、差異共振・差異共鳴の精神身体認識(精神身体はMedia Point的であるが、思うに、精身を造語したい)であるが、通常は、ないしは、ポスト・モダンは、-1と+1とが混淆して、連続化しているのである。【p.s. -1と+1との混淆は、ドゥルーズの場合に的確にあてはまる。デリダの場合は、そうではないので、陳謝し、訂正したい。デリダの脱構築主義は、微妙なところがあって、不連続的差異論に近いのであるが、超越性の否定を前提にもって、諸哲学において、-1と+1が共存している様相・様態を確認して、-1の同一性システムに対して、+1の差異が並存している事態を提示して、同一性システムを脱構築するものと考えられるのであり、混淆というよりは、同一性と差異との併存と言わなくてはならない。】
ここで端的に、構想を言うならば、物質現象とは-1であり、精神身体現象は+1である。しかしながら、現代の見方は、前者中心であり、後者は否定・抑圧・排除・隠蔽されていると考えられる。
ここで、やや迂回して、量子論について言うと、それは、物質同一性-1の近代科学に対して、+1のトランス・モダン・サイエンスを提起しているのではないだろうか。ただし、量子を物質主義的に捉え、イデアとして捉えていないので、不十分と考えられるのである。イデア(対極イデア:正確に言うと、双極イデアか?。四元的イデアということになるし、Media Pointを加えると、五元的イデアとなるのではないだろうか)の共鳴である量子という考えには達していないのである。【電磁波は、結局、イデアでいいのではないだろうか。一般的には、まだ、物質主義的視点で捉えているだろう。イデアとしての電磁波であろう。】
ということで、現象とは、一般には、-1の物質現象として考えられている。しかし、心的現象・精神現象があり、これがうまく捉えられていないのである。例えば、「気」をどう捉えるのか、ということもあるし、どのように宗教現象、神秘現象を理解するのかということもある。それらを脳生理学的に捉える傾向があるが、それはやはり、物質主義である。
心的現象は、+1と捉える必要があるだろう。フッサールは『危機』で、-1という自然的態度を還元(解体)して、(⇒)+1の超越論的主観性を説いたと考えられる。ただし、既述のように、フッサールは主観的同一性に囚われていたので、差異共鳴(太極イデア)という考えには達しなかったのである。
端的に言えば、現象の表層は-1の物質現象であり、現象の深層・実相は+1の精神現象(精神身体現象)であるということになる。そして、-1と+1とは即非様相にあるということになろう。先にバッハ音楽について述べたが、バッハ音楽は、-1の聴覚を介して、+1の精神現象(差異共鳴現象)が奇跡的に豊饒に表現されていると言えよう。そして、芸術の感動とは、+1の表現を介して、Media Pointが開いて、イデアに接することにあるのではないだろうか。崇高さとは正にそのように考えられるのである。そう、正に、プラトンの説いた美や善はそのようなものであろう。また、根源的真理はそのようなものだろう。
さて、ここで、再度、ポスト・モダンについて触れると、超越性(虚軸、イデア性)を否定して、Media Pointを実軸に留めているので、その差異(差延)とは、ゼロに閉塞した+1を意味するのであり、それで、袋小路になっているのである。つまり、虚軸・超越性のもつ開放性がないのである。閉塞された差異と言えるのである。だから、ポスト・モダンは、モダンとトランス・モダンの境界にあると言えるだろう。モダンの縁と言えよう。
では、構造主義はどう把握できるだろうか。直感では、ほとんど、ポスト・モダンに近いのである。二元対立構造は、言わば、-1の視点から見た+1で説明ができそうである。つまり、物質的二元論(二項対立)の視点から、精神身体現象+1を見ると、二元対立構造が現われると考えられるのである。つまり、即非性のない対立構造である。せいぜい、両義性の構想に留まるのである。【デリダのファルマコンの考えも、これに近いだろう。】
整理するなら、構造主義は、物質主義-1から差異現象+1を見たものであり、ポスト・モダンはゼロ・ポイント⇒+1の理論と言えようか。そして、不連続的差異論はMedia Pointを捉えた一つのブレークスルーと考えられよう。そして、PS理論は、さらに差異をイデア的共鳴現象と捉えたのである。【p.s. デリダの脱構築理論は、上述したが、不連続的差異論に接近している。ただし、水平軸的特異性としての差異を捉えているので、垂直性が欠落しているために、いわば、三次元にとどまっているのである。】
2)日本人に個はあるか。昨日の雑踏を見て、また、公的空間でべたべたする男女を見て、日本人は、個として独立しているのかと思う。
官僚支配唯物社会主義体制下にあって、日本社会において、日本人は個としての営為をもたないように、抑圧されているのではないだろうか。官僚封建主義にあって、官僚中央集権によって、政治、経済、メディア、教育、文化等々が支配されているのであり、個としての自由な営為をもてないように、巧妙に抑圧・拘束されているのではないだろうか。
一般の日本人は、その被束縛が、もう気がつかなくなっているのではないのか。いつの間にか、差異を抑圧する同一性主義に染まっているのに気づいていないように思えるのである。つまり、日本人は、同一性主義という「精神病」に罹っているのではないか。
3)「精神分裂症」について:同一性主義は、「精神分裂症」を生む。
同一性資本主義は、パラノイアと同時に、「精神分裂症」を生むのではないだろうか。【p.s. これは、理解しやすい。何故なら、同一性主義は、自己同一性完結主義=パラノイアとなるのであり、同時に、否定・排除・隠蔽した差異他者-iが、他者の人格として、発現すると考えられるからである。これでは、二重人格であるが、Media Pointの多様・多元性を考えれば、多重人格が考えられよう。】
4)言語空間について:言語とMedia Point精神身体現象
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-19.html
以上の迷惑コメントがあった記事(「メディア界の連結力学・構造について」)は、不連続的差異論を説いていた頃のもので、約三年前のもの(2005年10月07日付け)であったが、それを読み返して、現象界についての発想が浮かんだので、ここで検討したい。
問題は、以前にも検討したが、-1と+1との関係である。この問題は実に興味深い、いわば、不思議な問題である。
-1は同一性主義である。それは、自己同一性主義であり、自我主義であり、物質主義である。フッサールが『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(以下、『危機』)で述べたことと関係する。フッサールが批判する自然的態度は、-1の自我主義的見方であるのではないだろうか。
+1の見方とは、差異共振・差異共鳴の精神身体認識(精神身体はMedia Point的であるが、思うに、精身を造語したい)であるが、通常は、ないしは、ポスト・モダンは、-1と+1とが混淆して、連続化しているのである。【p.s. -1と+1との混淆は、ドゥルーズの場合に的確にあてはまる。デリダの場合は、そうではないので、陳謝し、訂正したい。デリダの脱構築主義は、微妙なところがあって、不連続的差異論に近いのであるが、超越性の否定を前提にもって、諸哲学において、-1と+1が共存している様相・様態を確認して、-1の同一性システムに対して、+1の差異が並存している事態を提示して、同一性システムを脱構築するものと考えられるのであり、混淆というよりは、同一性と差異との併存と言わなくてはならない。】
ここで端的に、構想を言うならば、物質現象とは-1であり、精神身体現象は+1である。しかしながら、現代の見方は、前者中心であり、後者は否定・抑圧・排除・隠蔽されていると考えられる。
ここで、やや迂回して、量子論について言うと、それは、物質同一性-1の近代科学に対して、+1のトランス・モダン・サイエンスを提起しているのではないだろうか。ただし、量子を物質主義的に捉え、イデアとして捉えていないので、不十分と考えられるのである。イデア(対極イデア:正確に言うと、双極イデアか?。四元的イデアということになるし、Media Pointを加えると、五元的イデアとなるのではないだろうか)の共鳴である量子という考えには達していないのである。【電磁波は、結局、イデアでいいのではないだろうか。一般的には、まだ、物質主義的視点で捉えているだろう。イデアとしての電磁波であろう。】
ということで、現象とは、一般には、-1の物質現象として考えられている。しかし、心的現象・精神現象があり、これがうまく捉えられていないのである。例えば、「気」をどう捉えるのか、ということもあるし、どのように宗教現象、神秘現象を理解するのかということもある。それらを脳生理学的に捉える傾向があるが、それはやはり、物質主義である。
心的現象は、+1と捉える必要があるだろう。フッサールは『危機』で、-1という自然的態度を還元(解体)して、(⇒)+1の超越論的主観性を説いたと考えられる。ただし、既述のように、フッサールは主観的同一性に囚われていたので、差異共鳴(太極イデア)という考えには達しなかったのである。
端的に言えば、現象の表層は-1の物質現象であり、現象の深層・実相は+1の精神現象(精神身体現象)であるということになる。そして、-1と+1とは即非様相にあるということになろう。先にバッハ音楽について述べたが、バッハ音楽は、-1の聴覚を介して、+1の精神現象(差異共鳴現象)が奇跡的に豊饒に表現されていると言えよう。そして、芸術の感動とは、+1の表現を介して、Media Pointが開いて、イデアに接することにあるのではないだろうか。崇高さとは正にそのように考えられるのである。そう、正に、プラトンの説いた美や善はそのようなものであろう。また、根源的真理はそのようなものだろう。
さて、ここで、再度、ポスト・モダンについて触れると、超越性(虚軸、イデア性)を否定して、Media Pointを実軸に留めているので、その差異(差延)とは、ゼロに閉塞した+1を意味するのであり、それで、袋小路になっているのである。つまり、虚軸・超越性のもつ開放性がないのである。閉塞された差異と言えるのである。だから、ポスト・モダンは、モダンとトランス・モダンの境界にあると言えるだろう。モダンの縁と言えよう。
では、構造主義はどう把握できるだろうか。直感では、ほとんど、ポスト・モダンに近いのである。二元対立構造は、言わば、-1の視点から見た+1で説明ができそうである。つまり、物質的二元論(二項対立)の視点から、精神身体現象+1を見ると、二元対立構造が現われると考えられるのである。つまり、即非性のない対立構造である。せいぜい、両義性の構想に留まるのである。【デリダのファルマコンの考えも、これに近いだろう。】
整理するなら、構造主義は、物質主義-1から差異現象+1を見たものであり、ポスト・モダンはゼロ・ポイント⇒+1の理論と言えようか。そして、不連続的差異論はMedia Pointを捉えた一つのブレークスルーと考えられよう。そして、PS理論は、さらに差異をイデア的共鳴現象と捉えたのである。【p.s. デリダの脱構築理論は、上述したが、不連続的差異論に接近している。ただし、水平軸的特異性としての差異を捉えているので、垂直性が欠落しているために、いわば、三次元にとどまっているのである。】
2)日本人に個はあるか。昨日の雑踏を見て、また、公的空間でべたべたする男女を見て、日本人は、個として独立しているのかと思う。
官僚支配唯物社会主義体制下にあって、日本社会において、日本人は個としての営為をもたないように、抑圧されているのではないだろうか。官僚封建主義にあって、官僚中央集権によって、政治、経済、メディア、教育、文化等々が支配されているのであり、個としての自由な営為をもてないように、巧妙に抑圧・拘束されているのではないだろうか。
一般の日本人は、その被束縛が、もう気がつかなくなっているのではないのか。いつの間にか、差異を抑圧する同一性主義に染まっているのに気づいていないように思えるのである。つまり、日本人は、同一性主義という「精神病」に罹っているのではないか。
3)「精神分裂症」について:同一性主義は、「精神分裂症」を生む。
同一性資本主義は、パラノイアと同時に、「精神分裂症」を生むのではないだろうか。【p.s. これは、理解しやすい。何故なら、同一性主義は、自己同一性完結主義=パラノイアとなるのであり、同時に、否定・排除・隠蔽した差異他者-iが、他者の人格として、発現すると考えられるからである。これでは、二重人格であるが、Media Pointの多様・多元性を考えれば、多重人格が考えられよう。】
4)言語空間について:言語とMedia Point精神身体現象
2008/07/24のBlog
[ 18:16 ]
[ PLATONIC SYNERGY ]
今は簡単に考察するだけであるが(p.s. 詳論となった)、今日の多くの日本人の陥っている自我意識であるが、これは、ナルシシズムが基盤にあると思われるのであり、この力学を明確する必要があると思いついたのである。
これまで、何度も考察してきたが、今一つ決定力の欠ける考察と言わざるを得ない。そういうことで、精緻に考察を試みたい。
同一性主義の自我にある自己中心主義エネルギーはどこから来るのか。そこには、尊大な興奮があり、侮蔑・軽蔑・嘲笑・愚弄・見下し・侮辱・嫌悪・憎悪等があり、高圧・慢心・高慢・傲慢さ等々がある。また、怒りや憤激がある。衝動的であり、独断・専断・独善的である。いわば、病的な同一性心性なのである。
当然、理論的には、二項対立がある。自我が優越し、他者が劣等である。この自我優位/他者劣位の二項対立性とは、これまで、検討してきたように、同一性による差異(他者)の否定に存すると言えよう。
端的に、自我による他者の「見下し」の原因は何か。根本から考えると、優越感以前には、劣等感があると考えられるのである。自我は、同一性主義となる以前は、差異に対して、劣等感を感じていたはずである。劣等感ではなくても、少なくとも、「自信喪失」である。
ここで少し迂回してみよう。女神の神話においては、当然、中心・支配者は女神である。その脇侍のように、女神の子の男性(双子)がいる。【参照:釈迦三尊仏の様式】
そして、父権神話とは、その補佐であった女神の子が独立することに存する。英雄神話の半面はこれと重なる。
この女神の子・男性の独立が、同一性形成を導くと考えられる。問題は、何故、女神の支配から独立する必要があるのかである。
女神の支配とは、原始的な差異共振様相を意味すると私は考えている。だから、原始的差異共振様相から独立する女神の子=「英雄」が存するということである。
何故、独立するのかと言えば、それは、差異・他者である差異共振様相から分離する要請があるからだろう。つまり、自己同一性(=自我)を形成する要請である。
そして、いったい、この要請とは何なのかということである。この問題については、既に繰り返し繰り返し検討した。しかし、そこでは、否定的な評価があった。差異共振性における悲・苦が存するので、それを否定・抑圧・排除して、自己同一性(自我)の優位を構築するということことであった。
しかし、Media Pointにおける太極を考えると、そこには、自然の転変する力学が考えられる。陽極へと志向する力学が生ずるときが考えられる。このときは、当然、陰極を否定する力学となると考えられる。
PS理論から言えば、陰極-iを否定して、陽極+iへと志向する力学である。暫定的に、陽化と呼んでおこう。当然、同一性化である。理論的には、(+i)*〔-(-i)〕⇒-1と考えられる。平明に言えば、+iの自乗、(+i)^2=-1である。
しかし、このように考えると、構造主義的である。主観が入らないのである。思うに、自然力学の一環として、構造的に陽化があることは認める必要があるのではないだろうか。
問題は、陽化が発生して、同一性意識(自我意識、自己同一性意識)が形成されても、否定されたとは言え、陰極-i自体は現存しているのであるから、陰極のもつ「力」ないしは「エネルギー」は隠然として存していると言わなくてはならない。つまり、陽化によって、同一性自己(自我)が形成されても、いわば、無意識においては、陰極-i、差異、他者が存しているのであり、それが、同一性自己(自我)と対立していると考えられるのである。
即ち、精神現象(正確に言えば、精神身体現象である)において、同一性自己と差異他者の対立が厳然として存在しているということであり、矛盾・葛藤・齟齬の様態にあるということになる。永遠の対立である。
しかしながら、陽化においては、同一性志向性が優位にあるので、当然、陰極である差異他者は劣位におかれると端的明快に言えるのではないだろうか。これが二項対立の根因・起因であると考えられるのである。だから、同一性自己は他者差異の否定に傾斜する力学をもつのである。ここに、上記の否定感情が入ると言えるだろう。これで、一つの問題、即ち、二項対立の発生原因は解明できたとしよう。【p.s. 一点注意すべきことは、本来、+iと-iは共振様相ないしは極性・対極性様相にあるのであり、他者差異-iの否定は、単に、陰極の否定だけではなく、差異共振(共鳴)性の否定でもあるということである。】
次は、ナルシシズムである。しかし、この問題はもう以上の考察から自明的であると考えられる。即ち、陽化=同一性化とは、陽極が陽極自体を映すことと言い換えられるのではないだろうか。つまり、「自己」が「自己」を映すということである。そう、鏡像である。つまり、陽極+iが鏡面となり、陽極自体+iを鏡像として映し、それと結合するということである。換言すると、自己鏡像化である。自己が自己を映すのである。自己完結主義である。
これで、ナルシシズムの説明はつくのではないだろうか。そして、悪の発生もこれで説明できるであろう。同一性自己主義、ここに、ナルシシズムがあり、他者差異否定、つまり、反倫理があるのである。
さて、最後に、敷衍的に、一神教(ヤハウェ的一神教)について、この視点から見てみよう。
一神教、つまり、ヤハウェ的一神教であるが、それは、端的に、同一性自己の形而上学と言うことができよう。陽化の形而上学である。多神教・異教・自然宗教を排除するのは、陽化の徹底化と見ることができよう。【イエス教は、本来は多神教、女神教であると考えられる。だから、キリスト教は絶対矛盾的自己同一と言えないことはない。】
しかし、重要な点は、超越神性ないしは超越性である。それは、多神教にはない点である【p.s. 正確に言うならば、多神教にも、超越性があるのである。でなければ、神性は発生しないだろう。ただし、多神教においては、超越性と自然性とが共鳴する関係にあることが、一神教との決定的差異である。だから、多神教は内在的超越性をもつ考えられるかもしれない。それは、正しいだろう。しかしながら、PS理論は、即非的内在/超越性をもつ言うべきである。】。差異他者を否定したとき、それは、抽象化を意味するのである(抽象芸術と一神教との関係があるだろう)。偶像の禁止である。
そして、超越性の根源は、イデア界(虚軸)にあると考えられるのである。PS理論から見ると、Media Point が、消失・喪失して、超越性と現象性の絶対的二元論が発生したと考えられるのである。神の世界と現象世界を結ぶものは、何もなくなったのである。ただ、信仰があるだけとなったのである。あるいは、キリスト教で言えば、キリストと聖霊を介すしか、神とのコミュニケーション(語呂合わせすれば、カミュニケーションである。【p.s. 精緻にいうと、一神教においては、神と人間とのコミュニケーションがあるのかどうか難しいところである。プロテスタンティズムを見てわかるように、神からの一方的な恩寵の有無が、救済と関係するのであるから、正確に言えば、コミュニケーション、カミュニケーションがないのである。】)はなくなったのである。
ここでは、Media Pointの喪失がいちばんのポイントである。【これが、精神文化的に、西洋と東洋を分離するポイントである。】とまれ、ヤハウェ的一神教によって、いわば、超越的同一性自己主義が発生したのである。あるいは、形而上学的自己同一性主義の形成である。そして、これが、西洋文明の支配・主導的精神であり、これが、西洋資本主義を駆動させている精神であると考えることができよう。単に、同一性自己主義ではなくて、超越的ないし
これまで、何度も考察してきたが、今一つ決定力の欠ける考察と言わざるを得ない。そういうことで、精緻に考察を試みたい。
同一性主義の自我にある自己中心主義エネルギーはどこから来るのか。そこには、尊大な興奮があり、侮蔑・軽蔑・嘲笑・愚弄・見下し・侮辱・嫌悪・憎悪等があり、高圧・慢心・高慢・傲慢さ等々がある。また、怒りや憤激がある。衝動的であり、独断・専断・独善的である。いわば、病的な同一性心性なのである。
当然、理論的には、二項対立がある。自我が優越し、他者が劣等である。この自我優位/他者劣位の二項対立性とは、これまで、検討してきたように、同一性による差異(他者)の否定に存すると言えよう。
端的に、自我による他者の「見下し」の原因は何か。根本から考えると、優越感以前には、劣等感があると考えられるのである。自我は、同一性主義となる以前は、差異に対して、劣等感を感じていたはずである。劣等感ではなくても、少なくとも、「自信喪失」である。
ここで少し迂回してみよう。女神の神話においては、当然、中心・支配者は女神である。その脇侍のように、女神の子の男性(双子)がいる。【参照:釈迦三尊仏の様式】
そして、父権神話とは、その補佐であった女神の子が独立することに存する。英雄神話の半面はこれと重なる。
この女神の子・男性の独立が、同一性形成を導くと考えられる。問題は、何故、女神の支配から独立する必要があるのかである。
女神の支配とは、原始的な差異共振様相を意味すると私は考えている。だから、原始的差異共振様相から独立する女神の子=「英雄」が存するということである。
何故、独立するのかと言えば、それは、差異・他者である差異共振様相から分離する要請があるからだろう。つまり、自己同一性(=自我)を形成する要請である。
そして、いったい、この要請とは何なのかということである。この問題については、既に繰り返し繰り返し検討した。しかし、そこでは、否定的な評価があった。差異共振性における悲・苦が存するので、それを否定・抑圧・排除して、自己同一性(自我)の優位を構築するということことであった。
しかし、Media Pointにおける太極を考えると、そこには、自然の転変する力学が考えられる。陽極へと志向する力学が生ずるときが考えられる。このときは、当然、陰極を否定する力学となると考えられる。
PS理論から言えば、陰極-iを否定して、陽極+iへと志向する力学である。暫定的に、陽化と呼んでおこう。当然、同一性化である。理論的には、(+i)*〔-(-i)〕⇒-1と考えられる。平明に言えば、+iの自乗、(+i)^2=-1である。
しかし、このように考えると、構造主義的である。主観が入らないのである。思うに、自然力学の一環として、構造的に陽化があることは認める必要があるのではないだろうか。
問題は、陽化が発生して、同一性意識(自我意識、自己同一性意識)が形成されても、否定されたとは言え、陰極-i自体は現存しているのであるから、陰極のもつ「力」ないしは「エネルギー」は隠然として存していると言わなくてはならない。つまり、陽化によって、同一性自己(自我)が形成されても、いわば、無意識においては、陰極-i、差異、他者が存しているのであり、それが、同一性自己(自我)と対立していると考えられるのである。
即ち、精神現象(正確に言えば、精神身体現象である)において、同一性自己と差異他者の対立が厳然として存在しているということであり、矛盾・葛藤・齟齬の様態にあるということになる。永遠の対立である。
しかしながら、陽化においては、同一性志向性が優位にあるので、当然、陰極である差異他者は劣位におかれると端的明快に言えるのではないだろうか。これが二項対立の根因・起因であると考えられるのである。だから、同一性自己は他者差異の否定に傾斜する力学をもつのである。ここに、上記の否定感情が入ると言えるだろう。これで、一つの問題、即ち、二項対立の発生原因は解明できたとしよう。【p.s. 一点注意すべきことは、本来、+iと-iは共振様相ないしは極性・対極性様相にあるのであり、他者差異-iの否定は、単に、陰極の否定だけではなく、差異共振(共鳴)性の否定でもあるということである。】
次は、ナルシシズムである。しかし、この問題はもう以上の考察から自明的であると考えられる。即ち、陽化=同一性化とは、陽極が陽極自体を映すことと言い換えられるのではないだろうか。つまり、「自己」が「自己」を映すということである。そう、鏡像である。つまり、陽極+iが鏡面となり、陽極自体+iを鏡像として映し、それと結合するということである。換言すると、自己鏡像化である。自己が自己を映すのである。自己完結主義である。
これで、ナルシシズムの説明はつくのではないだろうか。そして、悪の発生もこれで説明できるであろう。同一性自己主義、ここに、ナルシシズムがあり、他者差異否定、つまり、反倫理があるのである。
さて、最後に、敷衍的に、一神教(ヤハウェ的一神教)について、この視点から見てみよう。
一神教、つまり、ヤハウェ的一神教であるが、それは、端的に、同一性自己の形而上学と言うことができよう。陽化の形而上学である。多神教・異教・自然宗教を排除するのは、陽化の徹底化と見ることができよう。【イエス教は、本来は多神教、女神教であると考えられる。だから、キリスト教は絶対矛盾的自己同一と言えないことはない。】
しかし、重要な点は、超越神性ないしは超越性である。それは、多神教にはない点である【p.s. 正確に言うならば、多神教にも、超越性があるのである。でなければ、神性は発生しないだろう。ただし、多神教においては、超越性と自然性とが共鳴する関係にあることが、一神教との決定的差異である。だから、多神教は内在的超越性をもつ考えられるかもしれない。それは、正しいだろう。しかしながら、PS理論は、即非的内在/超越性をもつ言うべきである。】。差異他者を否定したとき、それは、抽象化を意味するのである(抽象芸術と一神教との関係があるだろう)。偶像の禁止である。
そして、超越性の根源は、イデア界(虚軸)にあると考えられるのである。PS理論から見ると、Media Point が、消失・喪失して、超越性と現象性の絶対的二元論が発生したと考えられるのである。神の世界と現象世界を結ぶものは、何もなくなったのである。ただ、信仰があるだけとなったのである。あるいは、キリスト教で言えば、キリストと聖霊を介すしか、神とのコミュニケーション(語呂合わせすれば、カミュニケーションである。【p.s. 精緻にいうと、一神教においては、神と人間とのコミュニケーションがあるのかどうか難しいところである。プロテスタンティズムを見てわかるように、神からの一方的な恩寵の有無が、救済と関係するのであるから、正確に言えば、コミュニケーション、カミュニケーションがないのである。】)はなくなったのである。
ここでは、Media Pointの喪失がいちばんのポイントである。【これが、精神文化的に、西洋と東洋を分離するポイントである。】とまれ、ヤハウェ的一神教によって、いわば、超越的同一性自己主義が発生したのである。あるいは、形而上学的自己同一性主義の形成である。そして、これが、西洋文明の支配・主導的精神であり、これが、西洋資本主義を駆動させている精神であると考えることができよう。単に、同一性自己主義ではなくて、超越的ないし
