Blog
2007/12/01のBlog
[ 00:21 ]
2007/07/01 21:01:27熟年離婚 ~「その後」を楽しく生きるための処方箋~ (単行本)
熟年離婚 ~「その後」を楽しく生きるための処方箋~ (単行本)
岡野 あつこ (監修), 新生活問題研究会 (編さん)
英知出版
平成18年 3月 24日 発行
2007年 2月 点訳
最近年金分割で相談が急増している熟年離婚問題には少し興味がありました。
障害者のなかには熟年を待たずして配偶者から離婚されるケースが多いのです。
また、著者が「離婚カウンセラー」であることにも興味を持ちました。
そんな理由からざっと読んでみました。
この本によれば、「熟年離婚」とは、20年以上連れ添った中高年の夫婦が離婚することらしいですね。
20年未満は熟年ではないということですね。
第1巻
みなさん危険度チェックをしてみるのもいいかもしれませんね。
誰しも離婚を一度は考えたことはあるでしょう?
まあ、この本に書かれているDV(ドメスティック ヴァイオレンス)とかセックスレスの話は若い夫婦でも聞きますよね?
私が衝撃を受けたのは第2章に紹介されている幾つかのケースのなかに、ケース4「出世コースを外れ、堕落した夫」があったのです。
私のように途中で障害者になった多くの人たちは会社に留まるのも困難です。解雇されるケースがかなりあります。再就職は極めて困難なものです。
たとえ企業に留まっても出世なんかとんでもない。降格されたり、日の当たらない職場へ配置転換されたり、それは大変なものです。
もうこのケース4はわが身です。
なんだか恐くなってきました。
第2巻
まあ離婚しないにこしたこともないのですが、どうしても離婚すると決心するのならこの第3章にあるシミレーションをお勧めします。
離婚を決心しても準備期間が必要です。何をどうするかこの本を読んでください。
手続きもスンナリ行くとも限りませんので調停とかこの本を読んでください。
特に慰謝料、生活費など経済的問題をキッチリ解決しておくことがポイントですので、この本を読んでください。
第3巻
若い人の離婚と異なり、熟年離婚する人たちは高齢者だということを自覚しておかなければならないのですね。
なかには再婚する人もいるかもしれませんが、もう結婚なんてこりごりだ、これから一人で気楽に生きるんだという人も多いでしょうね。
従って余生は若い人ほど長くないのですからしっかりライフプランを立てることが寛容ですね。
自分の老後をどうするか明確に計画しておくことですね。
また自分が死んだらその後どうするか、どうしてもらうか、葬式、遺産相続などちゃんと決めて準備しておくことが大事ですね。
まあいろいろ考えると離婚はそう簡単にはできなくなるかもしれませんね。
でも、あなたは離婚を決心し実行したのですから、自分の老後をちゃんとしておけば、あとは人生楽しく暮らせるはずです。
その楽しく暮らすプランもちゃんと立ててから離婚したほうがいいかもしれませんね。
そんな離婚後のライフプランもこの本には書いていますから参考になりますよ。
熟年離婚 ~「その後」を楽しく生きるための処方箋~ (単行本)
岡野 あつこ (監修), 新生活問題研究会 (編さん)
英知出版
平成18年 3月 24日 発行
2007年 2月 点訳
最近年金分割で相談が急増している熟年離婚問題には少し興味がありました。
障害者のなかには熟年を待たずして配偶者から離婚されるケースが多いのです。
また、著者が「離婚カウンセラー」であることにも興味を持ちました。
そんな理由からざっと読んでみました。
この本によれば、「熟年離婚」とは、20年以上連れ添った中高年の夫婦が離婚することらしいですね。
20年未満は熟年ではないということですね。
第1巻
みなさん危険度チェックをしてみるのもいいかもしれませんね。
誰しも離婚を一度は考えたことはあるでしょう?
まあ、この本に書かれているDV(ドメスティック ヴァイオレンス)とかセックスレスの話は若い夫婦でも聞きますよね?
私が衝撃を受けたのは第2章に紹介されている幾つかのケースのなかに、ケース4「出世コースを外れ、堕落した夫」があったのです。
私のように途中で障害者になった多くの人たちは会社に留まるのも困難です。解雇されるケースがかなりあります。再就職は極めて困難なものです。
たとえ企業に留まっても出世なんかとんでもない。降格されたり、日の当たらない職場へ配置転換されたり、それは大変なものです。
もうこのケース4はわが身です。
なんだか恐くなってきました。
第2巻
まあ離婚しないにこしたこともないのですが、どうしても離婚すると決心するのならこの第3章にあるシミレーションをお勧めします。
離婚を決心しても準備期間が必要です。何をどうするかこの本を読んでください。
手続きもスンナリ行くとも限りませんので調停とかこの本を読んでください。
特に慰謝料、生活費など経済的問題をキッチリ解決しておくことがポイントですので、この本を読んでください。
第3巻
若い人の離婚と異なり、熟年離婚する人たちは高齢者だということを自覚しておかなければならないのですね。
なかには再婚する人もいるかもしれませんが、もう結婚なんてこりごりだ、これから一人で気楽に生きるんだという人も多いでしょうね。
従って余生は若い人ほど長くないのですからしっかりライフプランを立てることが寛容ですね。
自分の老後をどうするか明確に計画しておくことですね。
また自分が死んだらその後どうするか、どうしてもらうか、葬式、遺産相続などちゃんと決めて準備しておくことが大事ですね。
まあいろいろ考えると離婚はそう簡単にはできなくなるかもしれませんね。
でも、あなたは離婚を決心し実行したのですから、自分の老後をちゃんとしておけば、あとは人生楽しく暮らせるはずです。
その楽しく暮らすプランもちゃんと立ててから離婚したほうがいいかもしれませんね。
そんな離婚後のライフプランもこの本には書いていますから参考になりますよ。
[ 00:17 ]
2007/07/01 12:59:18車椅子の旅 -- 障害をもって知った自然のやさしさ--
車椅子の旅 -- 障害をもって知った自然のやさしさ--
てらざわ ようすけ (著)
いらすと さとう くにお
監修 発行:【財】「小さな親切」運動 大阪本部
平成18年 4月 10日 発行
2007年 2月 点訳
私はこの本を読むまで大阪にこの本を発行した【財】「小さな親切」運動 大阪本部があることを知りませんでした。
私は失明してから視覚障害に関する情報はかなり集めましたが、まだまだ障害全般に関する知識も情報も少ないことを感じました。
------------
私もスポーツは大好きなので車椅子バスケットの選手などと話すこともあります。
しかし、この本の著者は同じ車椅子でも介護度5ですからほとんど寝たきり状態の方ですね。
著者は昭和10年生まれ、勤務医を定年退職し、歯科医院を開業してしばらくした平成10年12月1日朝起きてガーンと頭を殴られたような衝撃を感じて脳内出血で倒れて以来車椅子生活者になったのですね。
ということは団塊の世代の我々より一回り年長の方ですね。
9年前、60の坂の途中で脳内出血で障害者になったのですね。
他人ごとではありません。寝る前にコップ一杯の水を飲みましょうね。
著者には奥様が居ます。施設で暮らし、2ヶ月に1度のペースで旅行を楽しんでいます。でも一人では動けないんです。
旅のきっかけは弟夫婦の誘いで出かけた新大阪から安曇野への旅行ですね。
この旅で著者は多くの発見と気付きをしています。
でもこの本はそんな単なる旅を楽しむという本ではありません。
著者が社会のために何か役にたつことができないかと考え行動したのがこの本なのです。
この絵本がどのような経過で出版されたか書かれています。
【財】「小さな親切」運動 大阪本部の平成18年度活動方針「地球を救う親切運動」の一環としてこの絵本は出版されたのです。
このHPのなかの、「小さな親切」運動 大阪本部にこの絵本のことが書かれています。
高槻市にある医療法人「せんようかい」北摂総合病院、 この病院は前記【財】「小さな親切」運動 大阪本部の賛助会員なんですね。
2ヶ月交代で職員が親切係りとして親切運動をしています。
看護士さんと臨床検査技師のレポートも掲載されていますので読んでみてください。
世の中のみなさんがこのような親切な心を持てば今の世の殺伐さは少しは緩和されるかもしれませんね。
時代の流れが速すぎてあちこちに歪が生じています。
せめて心だけはゆるやかな時間を持ちたいものですね。
ところで、Webで「車椅子の旅」で検索すると膨大な量の関連情報がヒットします。
車椅子利用のみなさん外出や旅行を楽しんでいるんですね。
私は見えませんので観光という目で見て楽しむことはできませんが、車椅子のみなさんは目で見て楽しむことができます。
今まで読んだ本によればやはり移動もさることながら、便所の問題が車椅子の障害者の方には大きな社会問題ですね。
私達見えない者には駅や道路など移動に関するバリアフリーが社会問題ですね。
最近は旅行会社も障害者を対象にした旅行プランを提案していますが高いですね。
車椅子など肢体障害の方を対象にしたプランが多く、視覚障害者は少ないですね。
しかも、パック旅行の倍の値段ですね。
それならボランティアのガイドさんの旅費など負担してもパック旅行のほうを選びますね。
もう少し安いプランも可能ではないかと思うのです。
例えば現地のボランティアのガイドさんと組むとか倍の値段は高すぎます。
せめて1.5倍までの値段なら妥協しますが、いまの旅行会社のプランはどれをとっても高いものです。
おっと話がそれました。
要するに障害を負っても何か社会の役に立つこともできるということですね。
私も社会へ貢献したいとあるプランを考えています。
年内練って来年から実行です。
障害の有無に関らず、誰でも社会へ貢献するボランティア活動はできると思うのです。
車椅子の旅 -- 障害をもって知った自然のやさしさ--
てらざわ ようすけ (著)
いらすと さとう くにお
監修 発行:【財】「小さな親切」運動 大阪本部
平成18年 4月 10日 発行
2007年 2月 点訳
私はこの本を読むまで大阪にこの本を発行した【財】「小さな親切」運動 大阪本部があることを知りませんでした。
私は失明してから視覚障害に関する情報はかなり集めましたが、まだまだ障害全般に関する知識も情報も少ないことを感じました。
------------
私もスポーツは大好きなので車椅子バスケットの選手などと話すこともあります。
しかし、この本の著者は同じ車椅子でも介護度5ですからほとんど寝たきり状態の方ですね。
著者は昭和10年生まれ、勤務医を定年退職し、歯科医院を開業してしばらくした平成10年12月1日朝起きてガーンと頭を殴られたような衝撃を感じて脳内出血で倒れて以来車椅子生活者になったのですね。
ということは団塊の世代の我々より一回り年長の方ですね。
9年前、60の坂の途中で脳内出血で障害者になったのですね。
他人ごとではありません。寝る前にコップ一杯の水を飲みましょうね。
著者には奥様が居ます。施設で暮らし、2ヶ月に1度のペースで旅行を楽しんでいます。でも一人では動けないんです。
旅のきっかけは弟夫婦の誘いで出かけた新大阪から安曇野への旅行ですね。
この旅で著者は多くの発見と気付きをしています。
でもこの本はそんな単なる旅を楽しむという本ではありません。
著者が社会のために何か役にたつことができないかと考え行動したのがこの本なのです。
この絵本がどのような経過で出版されたか書かれています。
【財】「小さな親切」運動 大阪本部の平成18年度活動方針「地球を救う親切運動」の一環としてこの絵本は出版されたのです。
このHPのなかの、「小さな親切」運動 大阪本部にこの絵本のことが書かれています。
高槻市にある医療法人「せんようかい」北摂総合病院、 この病院は前記【財】「小さな親切」運動 大阪本部の賛助会員なんですね。
2ヶ月交代で職員が親切係りとして親切運動をしています。
看護士さんと臨床検査技師のレポートも掲載されていますので読んでみてください。
世の中のみなさんがこのような親切な心を持てば今の世の殺伐さは少しは緩和されるかもしれませんね。
時代の流れが速すぎてあちこちに歪が生じています。
せめて心だけはゆるやかな時間を持ちたいものですね。
ところで、Webで「車椅子の旅」で検索すると膨大な量の関連情報がヒットします。
車椅子利用のみなさん外出や旅行を楽しんでいるんですね。
私は見えませんので観光という目で見て楽しむことはできませんが、車椅子のみなさんは目で見て楽しむことができます。
今まで読んだ本によればやはり移動もさることながら、便所の問題が車椅子の障害者の方には大きな社会問題ですね。
私達見えない者には駅や道路など移動に関するバリアフリーが社会問題ですね。
最近は旅行会社も障害者を対象にした旅行プランを提案していますが高いですね。
車椅子など肢体障害の方を対象にしたプランが多く、視覚障害者は少ないですね。
しかも、パック旅行の倍の値段ですね。
それならボランティアのガイドさんの旅費など負担してもパック旅行のほうを選びますね。
もう少し安いプランも可能ではないかと思うのです。
例えば現地のボランティアのガイドさんと組むとか倍の値段は高すぎます。
せめて1.5倍までの値段なら妥協しますが、いまの旅行会社のプランはどれをとっても高いものです。
おっと話がそれました。
要するに障害を負っても何か社会の役に立つこともできるということですね。
私も社会へ貢献したいとあるプランを考えています。
年内練って来年から実行です。
障害の有無に関らず、誰でも社会へ貢献するボランティア活動はできると思うのです。
2007/11/30のBlog
[ 21:40 ]
2007/06/25 1:54:33盲目の犬ぞりレーサー
盲目の犬ぞりレーサー
私に見えるのは可能性だけ
レイチェル・セドリス著
リック・スティーバー著
山田 貴久訳
幻冬舎
2006年 3月 25日 発行
2007年 4月 30日 点訳
いやあ、愕きました。
主人公は20歳の女性なんです。しかも盲目なんです。
そんな彼女が危険一杯スリル一杯、一歩間違えば命を落とす過酷な犬ぞりレーサーなんです。
彼女の考え方も学ぶところがあります。
日本の盲人関係の本を読むと両親のなかでも母親が偉い場合が多いのですが、この本に関しては父親が偉いですね。
可愛い自分の娘をここまで信じて鍛えることができるんですね。
私もかなり盲人に関する本を読みましたが、両親のショックは医者から「あなたのお子さんは盲目です。」と宣告されたときのようですね。
私も中途で見えなくなりましたが、少しは見えていた頃医者から「将来失明します。」と宣告されたときは目のまえが真っ暗になった思いがあります。
第1巻
後でわかるのですが、主人公は先天的色覚異常という世界中で100人、18万人に一人という20年前に発見された難病なんですね。
どんな見え方かというと眼鏡をかけてそこにワセリンを塗った上体ですね。
彼女が生まれて間もない頃、彼女をめぐって両親の意見というか考え方が異なり、やがて幼い彼女を残して母親は離婚して行くのです。
私も盲人に関する本を読んでいると離婚されるケースが多いですね。
先日聞いた話なんですが50歳後半の女性で失明した途端ダンナさんから離婚されて生活訓練を受けるために入所して来たという人がいました。
見えなくなると役にたたないと配偶者を離婚するケースは今でもあるのです。
彼女の父親は犬ぞりのマッシャーですが、どうしてマッシャーになったか?
それはこの本を読んでください。
ロマンがあります。男ならロマンを求めて生きたいものですね。
主人公の彼女は女性でしたね?
そんな父親も娘の法的な盲目の宣告を受けてから悩みました。
考え抜いた父親の結論はこうでした。
父親の生きがいであったマッシャーを捨てて娘の幸せを優先させたのです。
ほとんどの盲人が辿るように彼女も白杖歩行を習うのです。
しかし人々の哀れみの言葉により彼女と父親は白杖を使うことを止めるのです。
読者の見えるみなさんには恐らく納得できないことでしょう。
しかし、私も中途失明し、何が一番腹立たしいかと言えば、毎日毎日便所掃除のおばさんから「見えないのね。可哀想に。」と哀れみの言葉をかけられることです。
TVかなにかの「同乗するより金をくれ。」という文句を思い出しますが、口先だけで「可哀想に」といわれるとムカツクのです。
それに比べ何も云わずにそっと手を差し伸べてバスの乗降を助けてくれる社員もいます。親切が身にしみるひと時です。
さて、父親は再婚し、また離婚し、そしてマッシャーの仕事に戻るのです。
この第1巻の終わりに書かれている「いじめ」、それも見えない[弱い者いじめ]は平等をうたうアメリカとは思えない陰湿、陰惨、狡猾なものですね。彼女はよく耐えました。しかし、後で知った父親の憤慨は思いに余るものがありますね。
第2巻にもいじめが書かれています。アメリカもヒドイ国です。自由、平等の裏には障害者をいじめてもいいということでしょうか?
しかしオッパイも膨らむ頃から彼女も反撃に出るように成長したのです。
そして、彼女は高校入学前には身長が6インチ(約15cm)伸び、筋肉が30ポンド(約14kg)ついたのです。
ウエイトリフティングと走りこみで肉体が変わり、それにつれて彼女を取り巻く環境も一変したのです。
もうチョッカイを出す者もいません。
第2巻
ここに彼女が11歳のとき始めて1マイル単独で走ったことが描写されています。
それから1000回以上も1マイル走るのです。
それでやっと3マイル(約4.8km)単独で走ることを許可されるのです。
ただし、ソリでなく自力で1.5マイル(約2.4km)走れることをお父さんからつきつけられたのです。
もともと彼女はランナーとしての素質を小学校入学前に父親に伴奏してもらったレースで認められています。
そして後述されているように、オリンピック選考会で400mで堂々と3位に入賞するのですから。
しかし、クロスカントリー クラブに入り、そしてレースに出場し彼女は完走したのです。
それから彼女は、初級クラスからのレースを皮切りにだんだん上級クラスの犬ぞりレースに参加して行くのです。
しかし、見えないが故に見落として失敗をすることが何度もあるのです。
うまく行くことだってあります。
それは新聞の格好のネタになります。
それである事件が起きるのですが、内容はこの本を読んでください。
第3巻
やがて12頭だてなど中級クラスに参加するのですが、協会から猛反対に会うのです。
また大会で身体が冷え切ってソリから取り残されるようなこともあるのです。
でもなんだかんだで「スノー プリンンセス」の称号なんかももらうのです。
15歳の少女が標高2センメートル以上の山、峠は3200mもの標高を越えて500マイルのレースに挑むのです。10日間もの長いレースに盲目で立ち向かうのです。
みなさん、本を読んで興奮してください。
テレビは密着取材、多くのマスメディアがずっと取材に同行していたのですよ。
この後も彼女の挑戦は続きます。
最終的に彼女はアイディタロッド トレイル レースに参加するのですが、アイディタロッド トレイル委員会はそう簡単に盲目の彼女のエントリーを認可してはくれないのです。
否認されるのですが、マスメディアのバックアップもありそれからも委員会との交渉は続くのです。
第4巻
ここでは彼女がアイディタロッド トレイル レースへの参加を勝ち取るのに委員会とどれだけ戦ったか述べられています。
最終的に委員会も長時間の討議を何回も持って条件つきで認めてくれたのです。
やがて24頭の犬を率いて特訓が始まるのです。
それから、アイディタロッドの資格認定レースに挑戦して行くのです。
どれも厳しいものです。読んでいて手に汗を握ります。みなさん読んでください。
そして遂にアイディタロッドレース参加資格をゲットするのです。
この「アイディタロッド レース」がどれほど過酷なものかはWebで検索して調べてみてください。
きっと愕くことでしょう。
このレースに盲目の主人公が挑戦するのです。
リーダー犬はじめ犬の育成がどんなに重要化、そして視覚補助者との連携など課題は山積みです。
これらの課題を読むだけでもその困難性がわかります。
さてレースの始まりです。
犬もだんだんやせ細るのですね。
いかに過酷かわかると思います。
やがて動ける犬も6頭まで減り、最後は1頭だけになり、彼女もリタイアするのです。
でも、2006年 3月 4日、主人公はアイディタロッド トレイル レースをスタートするのです。
この本はこれだけ書いて終わっています。
経過も結果も書いていません。
以上、読み終えてこんなスゴイ女性がいることを知りました。
以前6大陸の最高峰を登破したアメリカの盲人の本も読んだことがあります。
彼は全盲でした。
でもこの本の主人公は弱視ですね。全盲ではないのです。
白杖を使わなくても歩いているようです。
それらのことを差引いても女性としてみただけでもスゴイですね。
チャレンジ精神をもらいます。
盲目の犬ぞりレーサー
私に見えるのは可能性だけ
レイチェル・セドリス著
リック・スティーバー著
山田 貴久訳
幻冬舎
2006年 3月 25日 発行
2007年 4月 30日 点訳
いやあ、愕きました。
主人公は20歳の女性なんです。しかも盲目なんです。
そんな彼女が危険一杯スリル一杯、一歩間違えば命を落とす過酷な犬ぞりレーサーなんです。
彼女の考え方も学ぶところがあります。
日本の盲人関係の本を読むと両親のなかでも母親が偉い場合が多いのですが、この本に関しては父親が偉いですね。
可愛い自分の娘をここまで信じて鍛えることができるんですね。
私もかなり盲人に関する本を読みましたが、両親のショックは医者から「あなたのお子さんは盲目です。」と宣告されたときのようですね。
私も中途で見えなくなりましたが、少しは見えていた頃医者から「将来失明します。」と宣告されたときは目のまえが真っ暗になった思いがあります。
第1巻
後でわかるのですが、主人公は先天的色覚異常という世界中で100人、18万人に一人という20年前に発見された難病なんですね。
どんな見え方かというと眼鏡をかけてそこにワセリンを塗った上体ですね。
彼女が生まれて間もない頃、彼女をめぐって両親の意見というか考え方が異なり、やがて幼い彼女を残して母親は離婚して行くのです。
私も盲人に関する本を読んでいると離婚されるケースが多いですね。
先日聞いた話なんですが50歳後半の女性で失明した途端ダンナさんから離婚されて生活訓練を受けるために入所して来たという人がいました。
見えなくなると役にたたないと配偶者を離婚するケースは今でもあるのです。
彼女の父親は犬ぞりのマッシャーですが、どうしてマッシャーになったか?
それはこの本を読んでください。
ロマンがあります。男ならロマンを求めて生きたいものですね。
主人公の彼女は女性でしたね?
そんな父親も娘の法的な盲目の宣告を受けてから悩みました。
考え抜いた父親の結論はこうでした。
父親の生きがいであったマッシャーを捨てて娘の幸せを優先させたのです。
ほとんどの盲人が辿るように彼女も白杖歩行を習うのです。
しかし人々の哀れみの言葉により彼女と父親は白杖を使うことを止めるのです。
読者の見えるみなさんには恐らく納得できないことでしょう。
しかし、私も中途失明し、何が一番腹立たしいかと言えば、毎日毎日便所掃除のおばさんから「見えないのね。可哀想に。」と哀れみの言葉をかけられることです。
TVかなにかの「同乗するより金をくれ。」という文句を思い出しますが、口先だけで「可哀想に」といわれるとムカツクのです。
それに比べ何も云わずにそっと手を差し伸べてバスの乗降を助けてくれる社員もいます。親切が身にしみるひと時です。
さて、父親は再婚し、また離婚し、そしてマッシャーの仕事に戻るのです。
この第1巻の終わりに書かれている「いじめ」、それも見えない[弱い者いじめ]は平等をうたうアメリカとは思えない陰湿、陰惨、狡猾なものですね。彼女はよく耐えました。しかし、後で知った父親の憤慨は思いに余るものがありますね。
第2巻にもいじめが書かれています。アメリカもヒドイ国です。自由、平等の裏には障害者をいじめてもいいということでしょうか?
しかしオッパイも膨らむ頃から彼女も反撃に出るように成長したのです。
そして、彼女は高校入学前には身長が6インチ(約15cm)伸び、筋肉が30ポンド(約14kg)ついたのです。
ウエイトリフティングと走りこみで肉体が変わり、それにつれて彼女を取り巻く環境も一変したのです。
もうチョッカイを出す者もいません。
第2巻
ここに彼女が11歳のとき始めて1マイル単独で走ったことが描写されています。
それから1000回以上も1マイル走るのです。
それでやっと3マイル(約4.8km)単独で走ることを許可されるのです。
ただし、ソリでなく自力で1.5マイル(約2.4km)走れることをお父さんからつきつけられたのです。
もともと彼女はランナーとしての素質を小学校入学前に父親に伴奏してもらったレースで認められています。
そして後述されているように、オリンピック選考会で400mで堂々と3位に入賞するのですから。
しかし、クロスカントリー クラブに入り、そしてレースに出場し彼女は完走したのです。
それから彼女は、初級クラスからのレースを皮切りにだんだん上級クラスの犬ぞりレースに参加して行くのです。
しかし、見えないが故に見落として失敗をすることが何度もあるのです。
うまく行くことだってあります。
それは新聞の格好のネタになります。
それである事件が起きるのですが、内容はこの本を読んでください。
第3巻
やがて12頭だてなど中級クラスに参加するのですが、協会から猛反対に会うのです。
また大会で身体が冷え切ってソリから取り残されるようなこともあるのです。
でもなんだかんだで「スノー プリンンセス」の称号なんかももらうのです。
15歳の少女が標高2センメートル以上の山、峠は3200mもの標高を越えて500マイルのレースに挑むのです。10日間もの長いレースに盲目で立ち向かうのです。
みなさん、本を読んで興奮してください。
テレビは密着取材、多くのマスメディアがずっと取材に同行していたのですよ。
この後も彼女の挑戦は続きます。
最終的に彼女はアイディタロッド トレイル レースに参加するのですが、アイディタロッド トレイル委員会はそう簡単に盲目の彼女のエントリーを認可してはくれないのです。
否認されるのですが、マスメディアのバックアップもありそれからも委員会との交渉は続くのです。
第4巻
ここでは彼女がアイディタロッド トレイル レースへの参加を勝ち取るのに委員会とどれだけ戦ったか述べられています。
最終的に委員会も長時間の討議を何回も持って条件つきで認めてくれたのです。
やがて24頭の犬を率いて特訓が始まるのです。
それから、アイディタロッドの資格認定レースに挑戦して行くのです。
どれも厳しいものです。読んでいて手に汗を握ります。みなさん読んでください。
そして遂にアイディタロッドレース参加資格をゲットするのです。
この「アイディタロッド レース」がどれほど過酷なものかはWebで検索して調べてみてください。
きっと愕くことでしょう。
このレースに盲目の主人公が挑戦するのです。
リーダー犬はじめ犬の育成がどんなに重要化、そして視覚補助者との連携など課題は山積みです。
これらの課題を読むだけでもその困難性がわかります。
さてレースの始まりです。
犬もだんだんやせ細るのですね。
いかに過酷かわかると思います。
やがて動ける犬も6頭まで減り、最後は1頭だけになり、彼女もリタイアするのです。
でも、2006年 3月 4日、主人公はアイディタロッド トレイル レースをスタートするのです。
この本はこれだけ書いて終わっています。
経過も結果も書いていません。
以上、読み終えてこんなスゴイ女性がいることを知りました。
以前6大陸の最高峰を登破したアメリカの盲人の本も読んだことがあります。
彼は全盲でした。
でもこの本の主人公は弱視ですね。全盲ではないのです。
白杖を使わなくても歩いているようです。
それらのことを差引いても女性としてみただけでもスゴイですね。
チャレンジ精神をもらいます。
[ 21:34 ]
2007/06/12 23:21:13「分かりやすい話し方」の技術 言いたいことを相手に確実に伝える15の方法
「分かりやすい話し方」の技術 言いたいことを相手に確実に伝える15の方法
吉田たかよし/著
講談社
2005年 5月 20日 発行
平成 18年 11月 10日 点訳
著者の履歴も珍しいですね。
1964年生まれ、NHKアナウンサー、代議士秘書、そして医師なんですね。
私は見えなくなってから毎日パソコンに向って読んだり書いたりしていますが、人と話すことがめっきり少なくなりました。
最近は家内から「あんたの云っていることがわからない。」とか、「モゴモゴして言葉がはっきりしない。」なんえ云われています。
「どぎゃんかせんといかん!」と私も思うようになってきています。
言葉が口ごもって鮮明でないだけでなく、どうも私の言っていることが相手にちゃんと伝わっていないようです。
この本には15のテクニックが載っているようですから読んでから実行してみようかな?なんて思っています。
第1巻
アナウンサーは終日自分の話すことを録音させられて、後で自分で聴くとそのわかりにくさに愕くそうです。
これは私も一度家で家族と話すときなどにやってみようかなと思います。
ICレコーダーなら小さくてポケットの内側に入りますし、長時間録音できるからです。
1 矢印メモで分かりにくい話し方の原因を探れ!
聞き手が理解できない複雑な構文も矢印メモで各々の構成の関連づけと全体像を明確に整理することができるのです。
わかりにくい例とわかりやすい例が具体的に述べられていますからみなさん読んでみてください。
書く文章と違うのは言葉は消えて行くということです。
文章と違って聴衆は全体像がわかりません。聴衆に全体像を最初に説明するだけでなく、話の途中でも全体との関係を説明してその構成を説明することですね。
話の前提となる常識が相手にも常識か?気をつけたい点です。
2 「要は何を言いたいんだ!」と言われないための、話の展開術(いつまでたっても結論が分からない
第2巻
(続き)
話の全体像が見えるように話すことです。
落伍に見るように映像化できるように話すことです。
それには、矢印メモを使って映像化することです。
3 ちょっとした工夫で格段に分かりやすく話せるテクニック
原稿を丸読みしないことです。
矢印メモで全体を掴み、各構成は自分で肉付けして話すと説得力が出てきます。
上がってしまうこともあるでしょうから、手のひらに矢印メモをカンニングメモとして書いておくとよいでしょう。
プレゼンでは聴衆の目線の誘導がポイントとのことです。
結論はあとがきにも書いていますが「矢印メモ」を活用して説得力のある話し方をしましょうということですね。
まあ、本を読んでもスピーチがうまくなることもないでしょう。
これからは朝の一言、クライアントとの対話、会議でのプレゼンなどICレコーダーに録音して自分で聴きなおしてみようかな?!
「分かりやすい話し方」の技術 言いたいことを相手に確実に伝える15の方法
吉田たかよし/著
講談社
2005年 5月 20日 発行
平成 18年 11月 10日 点訳
著者の履歴も珍しいですね。
1964年生まれ、NHKアナウンサー、代議士秘書、そして医師なんですね。
私は見えなくなってから毎日パソコンに向って読んだり書いたりしていますが、人と話すことがめっきり少なくなりました。
最近は家内から「あんたの云っていることがわからない。」とか、「モゴモゴして言葉がはっきりしない。」なんえ云われています。
「どぎゃんかせんといかん!」と私も思うようになってきています。
言葉が口ごもって鮮明でないだけでなく、どうも私の言っていることが相手にちゃんと伝わっていないようです。
この本には15のテクニックが載っているようですから読んでから実行してみようかな?なんて思っています。
第1巻
アナウンサーは終日自分の話すことを録音させられて、後で自分で聴くとそのわかりにくさに愕くそうです。
これは私も一度家で家族と話すときなどにやってみようかなと思います。
ICレコーダーなら小さくてポケットの内側に入りますし、長時間録音できるからです。
1 矢印メモで分かりにくい話し方の原因を探れ!
聞き手が理解できない複雑な構文も矢印メモで各々の構成の関連づけと全体像を明確に整理することができるのです。
わかりにくい例とわかりやすい例が具体的に述べられていますからみなさん読んでみてください。
書く文章と違うのは言葉は消えて行くということです。
文章と違って聴衆は全体像がわかりません。聴衆に全体像を最初に説明するだけでなく、話の途中でも全体との関係を説明してその構成を説明することですね。
話の前提となる常識が相手にも常識か?気をつけたい点です。
2 「要は何を言いたいんだ!」と言われないための、話の展開術(いつまでたっても結論が分からない
第2巻
(続き)
話の全体像が見えるように話すことです。
落伍に見るように映像化できるように話すことです。
それには、矢印メモを使って映像化することです。
3 ちょっとした工夫で格段に分かりやすく話せるテクニック
原稿を丸読みしないことです。
矢印メモで全体を掴み、各構成は自分で肉付けして話すと説得力が出てきます。
上がってしまうこともあるでしょうから、手のひらに矢印メモをカンニングメモとして書いておくとよいでしょう。
プレゼンでは聴衆の目線の誘導がポイントとのことです。
結論はあとがきにも書いていますが「矢印メモ」を活用して説得力のある話し方をしましょうということですね。
まあ、本を読んでもスピーチがうまくなることもないでしょう。
これからは朝の一言、クライアントとの対話、会議でのプレゼンなどICレコーダーに録音して自分で聴きなおしてみようかな?!
[ 21:28 ]
2007/06/09 15:35:49心の生まれる場所
心の生まれる場所
カウンセリング 希望が生まれる瞬間
・竹森元彦 著
ふくろう出版
2005年 3月 14日 発行
2007年 4月 21日 点訳
今私はカウンセリングに興味を持ち始めています。
それでこの本を読んでカウンセラーの仕事の一旦を知ることができればと思い、読み始めました。
この本はスクール カウンセリングに関する本ですね。
でもひょっとすれば私の孫が直面するかもしれない事例がたくさん紹介されているようです。
内容はみなさん読んでいただけるとわかると思いますが、学生の抱える悩み、家族の持つ悩みなどを垣間見ることができそうです。
例えば、不登校の学生、不登校児の母親、非行の子ども、買い物依存の女性、リスト カットの学生、DV(ドメスティック ヴァイオレンス)など24のエピソードが綴られています。
「心の居場所」を誰もが求めているのを痛感しました。
Webでは著者のことはあまり紹介されていないようですが、巻末に1965年生まれの臨床心理士でありスクール カウンセリングを専門とする香川大学の順教授のようです。
私もカウンセラーになりたいと思っていますので、カウンセラーの立場から私の学びをメモしておきます。
話し方とか考え方とか捉え方とか学んでみたいと思います。
感想にはなっていません。単なる私の防備録にすぎないものかもしれません。
第1巻
「どう したのかな?何か困ったことがあるの?」
「そうか、大変だね。」
「そう。 辛いんですね」
「さきさんの家庭はどうなの? お母さんには聞いてもらった?」
「でも、誰かに聞いてもらえたり、安心して喋れたら少し楽になりますよね。 さきさんには、何か自分を受け入れてもらえないような寂しさや辛さを感じます」
「何かとても寂しそうです。 家に居場所がないのかな?」
「よく来てくれましたね。 緊張しなくていいですよ」
「学校に来にくそうなので心配です。 やっぱり、学校は大変かな」
「そう、厳しいからね。 家は落ち着く?」
「とても緊張されていますね。 もう少しゆっくりとお話ください」
「頑張ろうとしているとき、お母さんやお父さんが一緒に考えたり、応援してくれないと辛いですよね。 もう一度学校に行くということは勇気がいるし、不安や恐いことも多いはずだから」
「わかりました。 お母さんと会ってもいいですか? お母さんに自分の気持を伝えられないなら、私のほうからお母さんに、さえこさんの気持を少しだけ伝えてみましょうか」
「そうですね。 お母さんも大変でしたね」
「お母さん、立派ですね」
「どうして、家出なんかしたのかな?」
「家庭はどうですか。 お父さん、お母さんとはどうですか」
「毎日、辛いですね。 あせっても、うまく行きませんから、ゆっくりですね」
「大変そうですね」
「いろいろと工夫しながら、なんとか乗越えて行ってます。 落ち着いて考えれば、なんとか道は開かれるのですね」
「そうですか。 これまでお父さんに理解して欲しいと思いつつ、その気持を受け入れてもらえず、お父さんの気持に沿って行動してきたのですね。 自分の気持をお父さんに受け入れて欲しいのですね」
「お母さんはどうなんですか」
「今日は一緒に来たんだね。 待っているの大変だね」
第2巻
「そうですか。 何も云わないんですね。 それはお母さんとしても辛いですよね」
「どのようなご相談でしょうか。 少しお聞かせ願えませんか」
「そんなに大変だったんですね。 おばあちゃんわ、よく頑張りますね」。
「そうですか、 彼なりには努力をしたのに、それを理解してもらえない。」
「よく頑張りましたね」
「お母さんなりに、やすしくんのことを心配しているし、無理のない関りをしようと心がけています。 その気持はやすしくんに伝わっています。 母親なりの子育てでいいと思いますよ。 自信をもってください」
「学校へは、無理して行かなくてもいい。 いまの状況で、やすしくんがどう歩くか。 私達はそれを支えるしかないのです。 金髪は、きっと急には変わらないでしょう。 少し色を落として登校したのは彼なりの努力です。 よくなろうとしているんです。 だったら、それを支えるしかないですよね」
「どんなことで困っているのかな」
「いいえ、いろいろと大変だね」
「そんなことがあったんですね --。 離婚されて良かったですね」
「きっと少しずつ落ち着いてきますよ」
「もう、よく頑張られたではないですか。 お母さんなりに、頑張った。 もう あまり無理をしなくてもいいんではないですか」
「どうされたのですか?」
「お母さんは、どんなお子さんでした?」
「これまで頑張ってきたんですね」
「どんな風に?」
「大変ですね」
「どのような経過なのでしょう」
「どうしてでしょうね」
「どんな子どもなのでしょう?」
「いつでも、相談室に来ていいよ」
「本当によく来てくれましたね。 嬉しいよ」
以上カウンセラーの話しかけることばのみメモしました。
カウンセラーは決して指示しません。
傾聴しながら寄り添って共感するのです。
心の生まれる場所
カウンセリング 希望が生まれる瞬間
・竹森元彦 著
ふくろう出版
2005年 3月 14日 発行
2007年 4月 21日 点訳
今私はカウンセリングに興味を持ち始めています。
それでこの本を読んでカウンセラーの仕事の一旦を知ることができればと思い、読み始めました。
この本はスクール カウンセリングに関する本ですね。
でもひょっとすれば私の孫が直面するかもしれない事例がたくさん紹介されているようです。
内容はみなさん読んでいただけるとわかると思いますが、学生の抱える悩み、家族の持つ悩みなどを垣間見ることができそうです。
例えば、不登校の学生、不登校児の母親、非行の子ども、買い物依存の女性、リスト カットの学生、DV(ドメスティック ヴァイオレンス)など24のエピソードが綴られています。
「心の居場所」を誰もが求めているのを痛感しました。
Webでは著者のことはあまり紹介されていないようですが、巻末に1965年生まれの臨床心理士でありスクール カウンセリングを専門とする香川大学の順教授のようです。
私もカウンセラーになりたいと思っていますので、カウンセラーの立場から私の学びをメモしておきます。
話し方とか考え方とか捉え方とか学んでみたいと思います。
感想にはなっていません。単なる私の防備録にすぎないものかもしれません。
第1巻
「どう したのかな?何か困ったことがあるの?」
「そうか、大変だね。」
「そう。 辛いんですね」
「さきさんの家庭はどうなの? お母さんには聞いてもらった?」
「でも、誰かに聞いてもらえたり、安心して喋れたら少し楽になりますよね。 さきさんには、何か自分を受け入れてもらえないような寂しさや辛さを感じます」
「何かとても寂しそうです。 家に居場所がないのかな?」
「よく来てくれましたね。 緊張しなくていいですよ」
「学校に来にくそうなので心配です。 やっぱり、学校は大変かな」
「そう、厳しいからね。 家は落ち着く?」
「とても緊張されていますね。 もう少しゆっくりとお話ください」
「頑張ろうとしているとき、お母さんやお父さんが一緒に考えたり、応援してくれないと辛いですよね。 もう一度学校に行くということは勇気がいるし、不安や恐いことも多いはずだから」
「わかりました。 お母さんと会ってもいいですか? お母さんに自分の気持を伝えられないなら、私のほうからお母さんに、さえこさんの気持を少しだけ伝えてみましょうか」
「そうですね。 お母さんも大変でしたね」
「お母さん、立派ですね」
「どうして、家出なんかしたのかな?」
「家庭はどうですか。 お父さん、お母さんとはどうですか」
「毎日、辛いですね。 あせっても、うまく行きませんから、ゆっくりですね」
「大変そうですね」
「いろいろと工夫しながら、なんとか乗越えて行ってます。 落ち着いて考えれば、なんとか道は開かれるのですね」
「そうですか。 これまでお父さんに理解して欲しいと思いつつ、その気持を受け入れてもらえず、お父さんの気持に沿って行動してきたのですね。 自分の気持をお父さんに受け入れて欲しいのですね」
「お母さんはどうなんですか」
「今日は一緒に来たんだね。 待っているの大変だね」
第2巻
「そうですか。 何も云わないんですね。 それはお母さんとしても辛いですよね」
「どのようなご相談でしょうか。 少しお聞かせ願えませんか」
「そんなに大変だったんですね。 おばあちゃんわ、よく頑張りますね」。
「そうですか、 彼なりには努力をしたのに、それを理解してもらえない。」
「よく頑張りましたね」
「お母さんなりに、やすしくんのことを心配しているし、無理のない関りをしようと心がけています。 その気持はやすしくんに伝わっています。 母親なりの子育てでいいと思いますよ。 自信をもってください」
「学校へは、無理して行かなくてもいい。 いまの状況で、やすしくんがどう歩くか。 私達はそれを支えるしかないのです。 金髪は、きっと急には変わらないでしょう。 少し色を落として登校したのは彼なりの努力です。 よくなろうとしているんです。 だったら、それを支えるしかないですよね」
「どんなことで困っているのかな」
「いいえ、いろいろと大変だね」
「そんなことがあったんですね --。 離婚されて良かったですね」
「きっと少しずつ落ち着いてきますよ」
「もう、よく頑張られたではないですか。 お母さんなりに、頑張った。 もう あまり無理をしなくてもいいんではないですか」
「どうされたのですか?」
「お母さんは、どんなお子さんでした?」
「これまで頑張ってきたんですね」
「どんな風に?」
「大変ですね」
「どのような経過なのでしょう」
「どうしてでしょうね」
「どんな子どもなのでしょう?」
「いつでも、相談室に来ていいよ」
「本当によく来てくれましたね。 嬉しいよ」
以上カウンセラーの話しかけることばのみメモしました。
カウンセラーは決して指示しません。
傾聴しながら寄り添って共感するのです。
[ 20:46 ]
2007/06/03 15:38:45中村久子の生涯 --四肢切断の一生--
中村久子の生涯 --四肢切断の一生--
黒瀬 昇次郎著
致知出版社
1989年 11月 30日 発行
古いので点訳年月日は書いていない。
私はturtleのMLでこの本を紹介され、驚きを感じ早速「ないーぶネット」からdlして読み始めました。
Webで「中村久子の生涯」で検索すると多くヒットしますので彼女がどのような女性でどのような生涯を送ったかわかると思います。
例えば、中村久子 女史等が詳しく彼女に関して記述していると思います。
中村久子は、明治30年に飛騨の高山(岐阜県)に生まれ、数えで3歳のとき、「突発性脱疽」(肉が焼け、骨がくさる病気)を患い、両手両脚切断し、「だるま娘」として見世物小屋で働くのです。
彼女、彼女の家族、とにかくすさまじい一生ですね。自殺者が3万人を越える現代人に是非読んでもらいたい一冊ですね。
この本は点字本にして7巻もありますから通常の本の二倍のボリュームですね。
とにかく読んで行きます。
第1巻
この巻には彼女の出生から子守をするまでが書かれています。
彼女は3歳のとき脱疽で両手の肘から先、両脚の膝から先を切断されるのです。
当時障害児は学校にも行かせてもらえず、彼女は本を見て6年生レベルまで独学するのです。並大抵のことではありません。
途中光を失ったときは私もハラハラしました。
親の愛とはかくも深く尊いものだとつくづく思いました。
両親を入れて4人家族の顛末には涙が流れて止みません。
母親の心中しようとした気持はそのときの逆境からすれば誰でも選んだ道でしょう。
母親は強い。再婚しながら彼女を厳しく育てて行くのです。
この厳しさが彼女を着物が縫えるように、糸を結べるように、針に糸を通すことができるようになるのです。
彼女がつばでベトベトにならずに着物が縫えるようになるまで行く年かかったことでしょう。
彼女は人形の着物も縫っています。
とにかく、ここは感動せずにはおれません。
そして、叔母のお陰で本を読み教養を身につけたことはそれからの彼女にとって良いことだったと思いますね。
72歳まで二人の子供も育て、スゴイ女性です。
あの「五体不満足」の古代版というよりもっとすごいですね。
第2巻
この巻には彼女が20歳のとき高山から名古屋まで大八車で4日間難路を旅して見世物小屋に売られて行く様子が描写されています。
彼女本人、分かれる母親、このときの心情はいかばかりだったでしょう。
売られた先では見世物小屋で「だるま娘」として大人気になるのです。
両手両脚足がなくて筆を口にくわえて文字を書くなどし、決して卑しい芸はしなかったところが偉いですね。
具体的には、彼女は口に筆を加えて短冊などに文字を書く見世物を演じるのです。
京都では「たまご娘」という同じように四肢のない40歳の女性に会います。子供が二人いるのです。
彼女も腕に輪をはめてそれに棒をつけるなど工夫して不自由なく生活しているのです。
見世物小屋には両手のない女性もちゃんと子供を産み育てなんでも足でし、不自由なく日常生活もしているのです。
確かに血のにじむような訓練と努力は必要かもしれませんが、成せばなる、工夫と努力で障害を克服できるのです。
興行師は叔父で、彼女を高尚な芸人に育てるのです。
お茶も習わせ習字も習い教養を身に付けて行くのです。
彼女も、つかの間ですが本もよみ芝居も見て楽しい芸人生活を送るのです。
でもそんな人の良い叔父は佐藤というずるい興行師に騙されて彼女を3年?かの契約で売るのです。
佐藤は甘言とは裏腹に、稼げる「だるま娘」をあのてこのてでがんじがらめにして逃げられないようにするのです。
年期があける直前、幼い頃引き裂かれた孤児院で育った弟がクリーニング店で働いていることがわかるのです。
しかし、すぐに瀕死の状態で入院、彼女は佐藤に半年の年期を延期してもらい会いに行くのです。
ここに血縁の深さがわかります。母親は心臓で入院し臨終の我が子にも会えないのです。
何故このような過酷な運命が彼女、彼女の家族には襲い掛かるのでしょう?
第3巻
この巻は波乱万丈、読む私の心が浮いたり沈んだり、大きく揺れたりとにかくハラハラしました。
彼女は「だるま娘」として全国の工業師から引く手あまたなのです。稼げるからです。
インテリの彼女は田舎では受けが少なくても都会では大うけなのです。
彼女に結婚を申し込む者もたくさんいました。彼女と組んで儲けようとする下心のある者から見物に来た水平さんまで。
彼女は扶助会の雑誌に応募して懸賞金をもらいます。
実際に彼女にあった社長はサラに金をくれ、義足までプレゼントしたのです。
東大病院で義足をつけるための手術を受け、義足をつけて歩く練習をする彼女。
ついに夢にまで見た一人で歩けることが現実になったのです。どんなに嬉しいことでしょう。
やがて彼女も恋をし、その相手ではありませんが結婚するのです。
そのご主人の昔の杯を交わした悪い親分にこきつかわれ、彼は死ぬ一歩手前まで搾り取られるのです。
彼女は強かった。
冷静に親分3人を無効に回し何日も粘り強く交渉を重ね、遂にその親分のところを離れることに成功するのです。
これも彼女の教養のおかげで、決して感情的にならず理論的に筋を通したからこそ成せたわざなのです。
しかし、遅かったのです。ご主人は身体を壊し瀕死の状態です。
そこから立ち直る彼女等の苦労は読んでいてジンときます。
幸せ不幸せの試練は何度も何度も彼女を襲うのです。
そんな彼女も出産して五体満足な子供を貧乏のなかで授かるのです。
芸人の世界でかくも波乱万丈、浮き沈み、横揺れの激しいドラマのような人生があるのだと心を揺さぶられながら読みました。
第4巻
この巻も波乱万丈、彼女になんでこんなに苦労が襲い掛かるのだろうと思います。
叔母が危篤で高山に帰るのです。
その間関東大震災が勃発します。
不治の病で助からない夫は神奈川にいます。動けないからです。
ズタズタになった鉄橋を闇のなか必死で危険を犯して渡るシーンは彼女の強さを感じます。誰もがそこまで出来なかったことです。
ところがやっと帰り着いてみると、家財、金目のものはみな盗まれていたのです。動けないご主人はただじっと見ているより手はなかったのです。口惜しかったことでしょう。
やがて叔母が死に、夫も死んだのです。
子供を抱えて彼女は貧乏の苦労が始まるのです。
やがて再婚、そしてまたしても女の子を産むのです。
ところがこの主人も脳膜炎で死んでしまうのです。なんと幸に恵まれない彼女でしょう!
二人の子供を抱えて四肢のない彼女がどうして生きていくか?
考え悩み、工業以外に生きる道はないと悟るのです。
またしても彼女を狙う悪い罠がかけられるのですが、彼女の機転で難を逃れ、読む私もほっとします。
だが生活は困窮を極めるのです。
またしてもふとしたことからある男と結婚します。興行には男手が必用だからでもあります。
そして台湾に工業中にその男の子を産むのです。
だが遊び好きのこの男は籍を入れようとしないのです。
そして、この女の子は後に「はしか」で死んでしまうのです。なんと可哀想なことでしょう。
この男、子供が嫌いで女遊びが好きで金を使い彼女は貧乏に苦労するのです。
この男との苦労はこの本を読んでいて彼女の因縁を呪うより、その男との縁を切ることを願いますね。
彼女はどこまでも死ぬより辛いような苦労をし続けるのですが、彼女のなかに仏がいるのでしょうか、強く生き抜いて行くのです。
この巻の終わりでこの男に愛想をつかし、我が子を引き取る決心をする彼女です。
ここから彼女はこんな遊びに金を湯水のごとく使う夫をたてることをやめて、自ら決心し行動するようになるのです。
しかし、こんな苦労をしている女性がいたとは・・・!
第5巻
彼女の偉いところは、当時芸人に学問は要らないと云われていましたが、我が子に学問をさせたことであります。
しかし、興行の太夫の彼女には子供とは一緒に暮らせませんので、誰かに預ける必用があります。親子別離の生活ですね。
「夫の代わりは居ても、子供の代わりは居ない。」名言ですね。
当時、放蕩者のご主人に経済的にも家庭的にも苦しんでいたとき、彼女はある寝たきりでありながら文学の創作と人生相談、それに本の販売をしている彼女より年上の女性に会うのです。
その女性は20歳のころリューマチで寝たきりになるのです。
しかし文学的才能をある人から認められて文学的創作活動と本の販売で生活できるようになるのです。
ここでも学問が身を助けています。
久子はこの女性が「生かされている」と云うクリスチャンだと知ります。
それから久子は「恨み」から「感謝」の人生へ考え方を変えるのです。
手足のない女性、性的いやがらせもあったでしょうが彼女の書き残したものにはおくびにも生活の嫌なことは書かれていないのです。
彼女は当時は不治の病で死ぬより手はなかった結核にかかりながらにんにくを食べて治したり、再発したとき親切な医者から無料で治してもらったり、彼女の人徳というか、生かされている大いなる力が彼女に作用していることを感じます。
天は自ら助ける者を助く。
彼女は学習院大学で皇族の前で義足を脱がされ芸を披露していますね。
この放蕩男とは彼との間に産まれた子「たえ子」の7回忌が過ぎて離婚していますね。そのとき家が一軒建つ金を彼に渡しています。
そして、再婚。このご主人とは最後まで連れ添っています。
彼女は精神をよりどころにした生活を目指して興行会から足を洗うのです。たった6円しか残っていない再出発資金で昭和12年のことです。
人脈は有り難いものです。
千葉という人が、「中村久子後援会」を組織してくれて身体障害者の相談役に育ててくれたのです。
また彼女はライトハウスの岩橋武夫氏からヘレンケラーに会わせてもらうのです。
重度身体障害者の行き着くところ「生かされている。」、没我の世界。
彼女は人形の着物を縫い、それを着せた人形をヘレンに壇上で渡すのです。
ヘレンは云いました。 「私より不幸な人、そして私より偉大な人」
第6巻
久子は生活面では経済的に困窮しています。
そんなとき精神的に親鸞に傾倒し悟りににたものを得ています。
彼女は求道者なのです。
その後再度経済的理由もあり興行会に戻りますが、昭和14年の日米戦争で興行会から足を洗います。
彼女の本の1節:
〈人生に絶望なし〉 -- 弛まざる努力と、逞しい意志力の前には道は常に開けて行く。
また対談で彼女はこう話しています。
身体不自由者は普通人以上に努力が必要なのです。
やらずにひねくれた気持、反抗の気持や、呪う気持こそ自分の最も恐ろしい敵なのです。
誰かを頼りたいと思うから愚痴が出るのです。
運命は自分で開拓して行く気概を持たなければなりませんわね。
これ以上私は書きませんが、この第6巻には彼女の魂の高みが記述されていますので、みなさん味わいながら熟読されることをお勧めします。
第7巻
昭和37年4月12日から三日間、久子はNHKの〈人生読本〉で「御恩」と題して放送したのです。
これは全国で大きな反響を呼びました。感動した多くの人々から寄付金が寄せられました。
この金に彼女の金を寄せて彼女は母に報いるべく「ひも観世音菩薩像」の銅像を建立するのです。
この2年後に彼女は71歳と3か月余で亡くなるのですが。
そして木下先生に検体し脳、眼球、内臓など提供したのです。
『無碍の道』に載せられている彼女の短歌を是非みなさん読んでみてください。
きっと深井感動を覚えることでしょう。
この巻末に「花びらの一片」という彼女の講演をテープおこしした文章が書いていますので、みなさん味わいながら読んでみてください。
「病気では死なない」「生かされている」などなど深い言葉が散りばめられています。
巻末に彼女の年表が載っています。
振り返りながら読むと、かくも波乱万丈の人生をよくぞ生き抜いたと感動を覚えます。
彼女の時代の昔に比べて現代は恵まれているとつくづく感じます。
私がこんなことを云うとどこからかお叱りの言葉が聞こえそうですが、昔の障害者に比べれば今の障害者はむしろ甘やかされているのかもしれません。
でも厳しくてもいいから働ける場を政府にもっと増やしてもらいたいと思いますね。
金を与えるより働ける場を与えるほうが正しい政策と私は思います。
金を与えてもそのときの生活ができるだけです。
教育、訓練により仕事ができるように知識、技能を身につけて働ければ一生金を稼いで暮らすことができます。
この本は20年以上も前に書かれた本ですが、いろいろ考えさせられる問題を提議しているように思います。
中村久子の生涯 --四肢切断の一生--
黒瀬 昇次郎著
致知出版社
1989年 11月 30日 発行
古いので点訳年月日は書いていない。
私はturtleのMLでこの本を紹介され、驚きを感じ早速「ないーぶネット」からdlして読み始めました。
Webで「中村久子の生涯」で検索すると多くヒットしますので彼女がどのような女性でどのような生涯を送ったかわかると思います。
例えば、中村久子 女史等が詳しく彼女に関して記述していると思います。
中村久子は、明治30年に飛騨の高山(岐阜県)に生まれ、数えで3歳のとき、「突発性脱疽」(肉が焼け、骨がくさる病気)を患い、両手両脚切断し、「だるま娘」として見世物小屋で働くのです。
彼女、彼女の家族、とにかくすさまじい一生ですね。自殺者が3万人を越える現代人に是非読んでもらいたい一冊ですね。
この本は点字本にして7巻もありますから通常の本の二倍のボリュームですね。
とにかく読んで行きます。
第1巻
この巻には彼女の出生から子守をするまでが書かれています。
彼女は3歳のとき脱疽で両手の肘から先、両脚の膝から先を切断されるのです。
当時障害児は学校にも行かせてもらえず、彼女は本を見て6年生レベルまで独学するのです。並大抵のことではありません。
途中光を失ったときは私もハラハラしました。
親の愛とはかくも深く尊いものだとつくづく思いました。
両親を入れて4人家族の顛末には涙が流れて止みません。
母親の心中しようとした気持はそのときの逆境からすれば誰でも選んだ道でしょう。
母親は強い。再婚しながら彼女を厳しく育てて行くのです。
この厳しさが彼女を着物が縫えるように、糸を結べるように、針に糸を通すことができるようになるのです。
彼女がつばでベトベトにならずに着物が縫えるようになるまで行く年かかったことでしょう。
彼女は人形の着物も縫っています。
とにかく、ここは感動せずにはおれません。
そして、叔母のお陰で本を読み教養を身につけたことはそれからの彼女にとって良いことだったと思いますね。
72歳まで二人の子供も育て、スゴイ女性です。
あの「五体不満足」の古代版というよりもっとすごいですね。
第2巻
この巻には彼女が20歳のとき高山から名古屋まで大八車で4日間難路を旅して見世物小屋に売られて行く様子が描写されています。
彼女本人、分かれる母親、このときの心情はいかばかりだったでしょう。
売られた先では見世物小屋で「だるま娘」として大人気になるのです。
両手両脚足がなくて筆を口にくわえて文字を書くなどし、決して卑しい芸はしなかったところが偉いですね。
具体的には、彼女は口に筆を加えて短冊などに文字を書く見世物を演じるのです。
京都では「たまご娘」という同じように四肢のない40歳の女性に会います。子供が二人いるのです。
彼女も腕に輪をはめてそれに棒をつけるなど工夫して不自由なく生活しているのです。
見世物小屋には両手のない女性もちゃんと子供を産み育てなんでも足でし、不自由なく日常生活もしているのです。
確かに血のにじむような訓練と努力は必要かもしれませんが、成せばなる、工夫と努力で障害を克服できるのです。
興行師は叔父で、彼女を高尚な芸人に育てるのです。
お茶も習わせ習字も習い教養を身に付けて行くのです。
彼女も、つかの間ですが本もよみ芝居も見て楽しい芸人生活を送るのです。
でもそんな人の良い叔父は佐藤というずるい興行師に騙されて彼女を3年?かの契約で売るのです。
佐藤は甘言とは裏腹に、稼げる「だるま娘」をあのてこのてでがんじがらめにして逃げられないようにするのです。
年期があける直前、幼い頃引き裂かれた孤児院で育った弟がクリーニング店で働いていることがわかるのです。
しかし、すぐに瀕死の状態で入院、彼女は佐藤に半年の年期を延期してもらい会いに行くのです。
ここに血縁の深さがわかります。母親は心臓で入院し臨終の我が子にも会えないのです。
何故このような過酷な運命が彼女、彼女の家族には襲い掛かるのでしょう?
第3巻
この巻は波乱万丈、読む私の心が浮いたり沈んだり、大きく揺れたりとにかくハラハラしました。
彼女は「だるま娘」として全国の工業師から引く手あまたなのです。稼げるからです。
インテリの彼女は田舎では受けが少なくても都会では大うけなのです。
彼女に結婚を申し込む者もたくさんいました。彼女と組んで儲けようとする下心のある者から見物に来た水平さんまで。
彼女は扶助会の雑誌に応募して懸賞金をもらいます。
実際に彼女にあった社長はサラに金をくれ、義足までプレゼントしたのです。
東大病院で義足をつけるための手術を受け、義足をつけて歩く練習をする彼女。
ついに夢にまで見た一人で歩けることが現実になったのです。どんなに嬉しいことでしょう。
やがて彼女も恋をし、その相手ではありませんが結婚するのです。
そのご主人の昔の杯を交わした悪い親分にこきつかわれ、彼は死ぬ一歩手前まで搾り取られるのです。
彼女は強かった。
冷静に親分3人を無効に回し何日も粘り強く交渉を重ね、遂にその親分のところを離れることに成功するのです。
これも彼女の教養のおかげで、決して感情的にならず理論的に筋を通したからこそ成せたわざなのです。
しかし、遅かったのです。ご主人は身体を壊し瀕死の状態です。
そこから立ち直る彼女等の苦労は読んでいてジンときます。
幸せ不幸せの試練は何度も何度も彼女を襲うのです。
そんな彼女も出産して五体満足な子供を貧乏のなかで授かるのです。
芸人の世界でかくも波乱万丈、浮き沈み、横揺れの激しいドラマのような人生があるのだと心を揺さぶられながら読みました。
第4巻
この巻も波乱万丈、彼女になんでこんなに苦労が襲い掛かるのだろうと思います。
叔母が危篤で高山に帰るのです。
その間関東大震災が勃発します。
不治の病で助からない夫は神奈川にいます。動けないからです。
ズタズタになった鉄橋を闇のなか必死で危険を犯して渡るシーンは彼女の強さを感じます。誰もがそこまで出来なかったことです。
ところがやっと帰り着いてみると、家財、金目のものはみな盗まれていたのです。動けないご主人はただじっと見ているより手はなかったのです。口惜しかったことでしょう。
やがて叔母が死に、夫も死んだのです。
子供を抱えて彼女は貧乏の苦労が始まるのです。
やがて再婚、そしてまたしても女の子を産むのです。
ところがこの主人も脳膜炎で死んでしまうのです。なんと幸に恵まれない彼女でしょう!
二人の子供を抱えて四肢のない彼女がどうして生きていくか?
考え悩み、工業以外に生きる道はないと悟るのです。
またしても彼女を狙う悪い罠がかけられるのですが、彼女の機転で難を逃れ、読む私もほっとします。
だが生活は困窮を極めるのです。
またしてもふとしたことからある男と結婚します。興行には男手が必用だからでもあります。
そして台湾に工業中にその男の子を産むのです。
だが遊び好きのこの男は籍を入れようとしないのです。
そして、この女の子は後に「はしか」で死んでしまうのです。なんと可哀想なことでしょう。
この男、子供が嫌いで女遊びが好きで金を使い彼女は貧乏に苦労するのです。
この男との苦労はこの本を読んでいて彼女の因縁を呪うより、その男との縁を切ることを願いますね。
彼女はどこまでも死ぬより辛いような苦労をし続けるのですが、彼女のなかに仏がいるのでしょうか、強く生き抜いて行くのです。
この巻の終わりでこの男に愛想をつかし、我が子を引き取る決心をする彼女です。
ここから彼女はこんな遊びに金を湯水のごとく使う夫をたてることをやめて、自ら決心し行動するようになるのです。
しかし、こんな苦労をしている女性がいたとは・・・!
第5巻
彼女の偉いところは、当時芸人に学問は要らないと云われていましたが、我が子に学問をさせたことであります。
しかし、興行の太夫の彼女には子供とは一緒に暮らせませんので、誰かに預ける必用があります。親子別離の生活ですね。
「夫の代わりは居ても、子供の代わりは居ない。」名言ですね。
当時、放蕩者のご主人に経済的にも家庭的にも苦しんでいたとき、彼女はある寝たきりでありながら文学の創作と人生相談、それに本の販売をしている彼女より年上の女性に会うのです。
その女性は20歳のころリューマチで寝たきりになるのです。
しかし文学的才能をある人から認められて文学的創作活動と本の販売で生活できるようになるのです。
ここでも学問が身を助けています。
久子はこの女性が「生かされている」と云うクリスチャンだと知ります。
それから久子は「恨み」から「感謝」の人生へ考え方を変えるのです。
手足のない女性、性的いやがらせもあったでしょうが彼女の書き残したものにはおくびにも生活の嫌なことは書かれていないのです。
彼女は当時は不治の病で死ぬより手はなかった結核にかかりながらにんにくを食べて治したり、再発したとき親切な医者から無料で治してもらったり、彼女の人徳というか、生かされている大いなる力が彼女に作用していることを感じます。
天は自ら助ける者を助く。
彼女は学習院大学で皇族の前で義足を脱がされ芸を披露していますね。
この放蕩男とは彼との間に産まれた子「たえ子」の7回忌が過ぎて離婚していますね。そのとき家が一軒建つ金を彼に渡しています。
そして、再婚。このご主人とは最後まで連れ添っています。
彼女は精神をよりどころにした生活を目指して興行会から足を洗うのです。たった6円しか残っていない再出発資金で昭和12年のことです。
人脈は有り難いものです。
千葉という人が、「中村久子後援会」を組織してくれて身体障害者の相談役に育ててくれたのです。
また彼女はライトハウスの岩橋武夫氏からヘレンケラーに会わせてもらうのです。
重度身体障害者の行き着くところ「生かされている。」、没我の世界。
彼女は人形の着物を縫い、それを着せた人形をヘレンに壇上で渡すのです。
ヘレンは云いました。 「私より不幸な人、そして私より偉大な人」
第6巻
久子は生活面では経済的に困窮しています。
そんなとき精神的に親鸞に傾倒し悟りににたものを得ています。
彼女は求道者なのです。
その後再度経済的理由もあり興行会に戻りますが、昭和14年の日米戦争で興行会から足を洗います。
彼女の本の1節:
〈人生に絶望なし〉 -- 弛まざる努力と、逞しい意志力の前には道は常に開けて行く。
また対談で彼女はこう話しています。
身体不自由者は普通人以上に努力が必要なのです。
やらずにひねくれた気持、反抗の気持や、呪う気持こそ自分の最も恐ろしい敵なのです。
誰かを頼りたいと思うから愚痴が出るのです。
運命は自分で開拓して行く気概を持たなければなりませんわね。
これ以上私は書きませんが、この第6巻には彼女の魂の高みが記述されていますので、みなさん味わいながら熟読されることをお勧めします。
第7巻
昭和37年4月12日から三日間、久子はNHKの〈人生読本〉で「御恩」と題して放送したのです。
これは全国で大きな反響を呼びました。感動した多くの人々から寄付金が寄せられました。
この金に彼女の金を寄せて彼女は母に報いるべく「ひも観世音菩薩像」の銅像を建立するのです。
この2年後に彼女は71歳と3か月余で亡くなるのですが。
そして木下先生に検体し脳、眼球、内臓など提供したのです。
『無碍の道』に載せられている彼女の短歌を是非みなさん読んでみてください。
きっと深井感動を覚えることでしょう。
この巻末に「花びらの一片」という彼女の講演をテープおこしした文章が書いていますので、みなさん味わいながら読んでみてください。
「病気では死なない」「生かされている」などなど深い言葉が散りばめられています。
巻末に彼女の年表が載っています。
振り返りながら読むと、かくも波乱万丈の人生をよくぞ生き抜いたと感動を覚えます。
彼女の時代の昔に比べて現代は恵まれているとつくづく感じます。
私がこんなことを云うとどこからかお叱りの言葉が聞こえそうですが、昔の障害者に比べれば今の障害者はむしろ甘やかされているのかもしれません。
でも厳しくてもいいから働ける場を政府にもっと増やしてもらいたいと思いますね。
金を与えるより働ける場を与えるほうが正しい政策と私は思います。
金を与えてもそのときの生活ができるだけです。
教育、訓練により仕事ができるように知識、技能を身につけて働ければ一生金を稼いで暮らすことができます。
この本は20年以上も前に書かれた本ですが、いろいろ考えさせられる問題を提議しているように思います。
[ 00:14 ]
2007/05/18 21:02:18怒りの川田さん―全盲だから見えた日本のリアル
怒りの川田さん―全盲だから見えた日本のリアル
・川田 隆一【著】
オクムラ書房
2006年 12月 9日 発行
2007年 4月 点訳
私は著者をMLではよく知っていますし、NHK[視覚障害]者の皆さんへでも聴いていましたし、彼の本も読みました。
とにかく珍しく自己主張の強い方ですね。
果たしてどんな怒りをぶちまけているのでしょう?
早速読んでみます。
第1巻
(まえがき)
著者「川田隆一」さんを私が知ったのは、最初彼の本を読んだときでした。
それからしばらくNHKラジオ「視覚障害者の皆さんへ」という番組にしばらく出演していて、彼の語りからしっかりした人だなあという印象を受けましたね。
1960年生まれといいますから今46歳でしょうか?でもこの本を書いたときは45歳だと書いていますね。
彼は生まれつきの全盲です。
彼は盲学校から明治学院大学社会学部卒業。コンテンツ制作会社、コンピュータ会社のアクセシビリティ部門、1年間の米国留学などを経験して、視覚障害者向け専門放送局のディレクターとして活躍。4度の転職、しかし今は無職で現在は、真のノーマライゼーション社会の実現を目指して、著述業に専念と書いています。彼なら著述だって何だってやり遂げることができると思います。
彼の主張の通り盲人にはこの世の中決して平穏、平坦ではありません。
私も失明して過去の私を半生しながら思うのですが、見える人も盲人をもっと理解して欲しいし、盲人も卑屈にならず堂々と生きて欲しいと強く思います。
第1章 嘘のような本当の話
盲導犬が賢いと一般の人は思うでしょう?
私も見えていた頃は盲導犬が判断して横断歩道を渡っているのだと思っていました。
事実はまったく違うのです。
全て盲人が判断して「GO」、[STOP]など指示して、その指示に従って主人を導いて歩くだけなんです。
また、とあるレストランに彼女と行ったときのウエイトレスの盲人を無視し敬遠する態度に著者は怒っています。
盲人にどう接したらいいかわからないだけではなさそうですね。
どうせ見えないし話しかけてもわからないだろう。横に見える人がいるのだからその人に話しかけようと思うのでしょうか?
障害者もお客様です。接遇教育をそのレストランもするべきですね。
私も家族とレストランにはよく行きますが、ちゃんと座るときは椅子を押してくれますし、料理を運んでテーブルに置くとその料理の説明とナイフやフォークの位置を教えてくれますし、行きつけのレストランでは手をとって器を触らせてくれます。
これは私もよく経験するのですが、見える人と同伴のとき、例えばデパートで買い物をするとき店員は盲人に話しかけないで同伴の見える人に話しかけますね。
盲人はちゃんと聴こえます。判断もできます。ただ見えないだけです。
盲人がお客様ならそのお客様に話しかけてください。
私はいろいろな場面でこの経験を味わいますね。
見える人は盲人に話してもわからないと思うのでしょうね。
また両親が盲目の小学生の担任の先生は盲人の親は弁当を作れないと思ったらしいのです。
とんだ誤解ですね。
盲人は料理だって裁縫だって生活のことは全てできるのです。生活訓練も受けているからです。
だから両親が盲人で子供をちゃんと育てている人も多いでしょう。
また母親のこういう偏見を子供に教えてはいけませんね。でも、そう思うのかもしれませんね。哀しいですね。
遊びに来た子供がこういうのです。
「あのね、うちのママから、M君ちではジュースを飲んではだめって云われたの。 おばさんはお目めが見えないから、コップを洗えないでしょ。 汚いコップでジュースを飲むと病気になるから、おばさんがくれたジュースは飲んじゃ いけないんだって」
子供は正直ですね。母親の言いつけをちゃんと守って云うのでした。
盲人だってちゃんと洗剤できれいに洗います。
盲人に対する誤解というより偏見、いや差別だと思いませんか?
この盲人の母親は悲しみました。そして、缶ジュースを冷蔵庫に一杯入れてその子に見せたそうです。
盲人の就職は極めて困難です。
ここには著者がNHKに応募した際のことが書かれています。
これが事実だとしたらNHKは表の顔は「視覚障害者の皆さんへ」とか「キラッと生きる」の番組を持っていながら、その裏の顔は見えない者など決して採用しないという恐い本性を隠しているのですね。
しかしメルマガやblogの読者の行動が少しはNHKを変えたのかもしれません。
私は思うのですが、盲人がいくら文句を言っても聞き入れてもらえなかったのに、見える学生が文句を言うとそれは聞き入れて少しは反映するという盲人軽視、盲人蔑視の風潮が現実には強く存在するということですね。
第2章 街で見つけたバリアフリー詐欺
銀行にしろ金融機関はタッチパネルがほとんどですね。
盲人には仕えません。
何故凹凸のある機械にしてくれないのでしょう?
それでも著者等の運動で盲人用タッチパネルATMが出来ているそうです。
電話機のような受話器に番号がついていて音声で案内してくれるそうです。
でもこのATMを装備している金融機関は極めて少ないそうです。
しかも実際は使えずポーズだけとっている金融機関もあるそうです。
CSRだのどうだの云いながら現実派経済的にペイしないことには消極的ですね。
私は家内に頼んでいますが、盲人は結婚相手も少なく独身の人も多くいます。誰にも頼れません。
そうかと云って他人に暗証番号を教えるのもためらわれますよね。
盲人同士の夫婦が多いのも現実です。
どうしてATMを使えと云うのでしょう?
見えない者が不自由なく金融機関を利用したいものです。
第2巻
第3章 地獄行きグランプリ!日本代表候補者リスト
確かに悲劇のヒロイン、感動のドラマに失明は小道具として使えるかもしれませんね。しかし、事実と違うことも多いことを知って欲しいですね。
ドラマなんかそうでしょう。
またドキュメンタリー番組でもシナリオ通りのヤラセだってあるのです。
盲人もラジオよりテレビを見ます。テレビを聴くとは云いません。見えなくても見ると云うのです。これは見える者からはおかしいと云う声が聞こえてくるようですが、生物学的には脳の視野を使っているのですから正しいと言えますね。
テレビ番組のほうが金をかけていますし情報量も多いのです。
確かに病院はいろいろな物を廊下に置いたりバリアのあるところですね。行きたくない所の一つかもしれません。
盲人が一人で入院すると「付き添いを付けてください」と云われる。完全介護と言いながら、おかしいと思いませんか?
それから駅のプラットホームは恐いですね。盲人で落ちたことのない人は稀でしょう。
人ごみのなかで、あの騒音のなかで杖も使えず耳の感覚も騒音で妨害されるからです。
著者も伝言ダイヤルでセックスフレンドを作るとはスゴイ。
階段よりエレベーターのほうが安全だと思うボランティアは大きな誤解をしています。
エレベーターに乗るとボタンの位置も何階を押すかも分りませんし、降りてからどの方向に行くかもわかりません。無理にエレベーターに乗せないでください。
確かにボランティアさんでさえ障害者を見下している人もいますし、ハローワークの職員もそうなんでしょうね。
どうしたら視覚障害者を理解してもらえるのでしょう?
見えない、だから、何もできない、この考え方は私の会社の人事だけでなく世間の常識なのかもしれませんね。でも間違っているのです。
第3巻
第4章 ブラボー!!泣く子と障害者には勝てませんから
女性専用車輌には視覚障害者も乗っていいこと知っていましたか?
女性で知らない人のほうが多いものですから、うっかり見えない者が乗ろうものならブーイングですね。
でも盲人、恐らく全盲ではなくていくらか見えう人でしょうが、エロ親父、エッチな盲人も多いというかいるようですね。
まあ、こんなタッチのテクニックがあったのかと愕いたりあきれたり。
これでは見える人が見えないふりをして悪いことをしたくなるのも無理はありませんね。
第5章 不思議な障害者大集合
著者はアメリカで勇気を身につけたようですね。今でも単独で行くそうです。
アメリカで仲良くなった全盲の女性、やはりパスタが食べにくいのですね。著者も蕎麦が食べにくいと書いています。
私もわかりますね。うまく捕まえることができない、うまく汁に入れることが出来ない、きれいに食べることができないからですね。
見えない人に固有の動作があるそうです。
見えない者はうつむきかげんになる、身体が揺れるなどなど明確な奇異に映る動作があるそうです。
私もこれからなるのかもしれません。気をつけなくては。
著者はこう悟っています。
障害者の自立とは、つまるところ、他人との関係をいかに上手につくり、どれだけ頼み上手になれるかということではないでしょうか。
私も頼み上手な車椅子の女性を知っています。本当に感心します。
第4巻
第6章 剥がしてやるぞ、健常者の化けの皮!
著者に同感するところもありますが、そうでない部分もかなりあります。
何故だろうと私なりに考えてみました。
根本は著者は先天盲で見える世界をまったく知らないからですね。
盲人も甘えるなと主張しながら、マーケティングの面での見た目の印象をよくするという観念が理解できないようですね。
無理もないことですね。
ここは著者は従順に素直に受け入れるべきですね。反発、反論していますが、これは明かに世間の常識からは変なことです。
でも、わかりました。
著者は健常者と一緒に仕事をすることにこれだけの不安と恐れを抱いていたのですね。
なんだかんだ云っても障害者相手の商売だとか、障害者の世界でしか強がりをいえない存在だったのですね。
ここに先天盲と中途失明者との深井溝がありそうです。
やはり企業で働くことの困難さは盲人自らが壁を作っているのも一因かもしれません。
と云うより先天盲の人が企業で働くことは極めて困難かもしれませんね。
なにか特技を身につけないと難しい気がしますね。
障害者は立派だったりお金持ではいけないのです。同情の対象でなくてはならないのです。
人々はそんな障害者に優越感を持てるから生きる元気がでるのでしょう。
第7章 そろそろ本音で話そうよ、本当のノーマライゼーションを目指して
この本を読んで福祉施設で働く職員の一端を垣間見た感じがします。
私もいつかはお世話になるかもしれないので、心の片隅にそっと置いておこうと思います。
著者は、障害者はもっと強くならないといけないと主張しています。同感です。
かって私はMLで著者の発言はよく読みました。
なかなかの理論家、ディベイトの達人ですね。
同じ視覚障害者のなかには反発する人もかなりいました。
でも私の目からは著者の言い分もかなり正論だと思える部分もありました。
この本は彼の言いたいことをズバリ述べていて受け入れる受け入れないに関らず多くの問題提議をしています。
見える人も見えない人も読んで一度考え直してみるのもよいかもしれません。
そして自分の意見をしっかり持てるようになればいいのではないでしょうか。
怒りの川田さん―全盲だから見えた日本のリアル
・川田 隆一【著】
オクムラ書房
2006年 12月 9日 発行
2007年 4月 点訳
私は著者をMLではよく知っていますし、NHK[視覚障害]者の皆さんへでも聴いていましたし、彼の本も読みました。
とにかく珍しく自己主張の強い方ですね。
果たしてどんな怒りをぶちまけているのでしょう?
早速読んでみます。
第1巻
(まえがき)
著者「川田隆一」さんを私が知ったのは、最初彼の本を読んだときでした。
それからしばらくNHKラジオ「視覚障害者の皆さんへ」という番組にしばらく出演していて、彼の語りからしっかりした人だなあという印象を受けましたね。
1960年生まれといいますから今46歳でしょうか?でもこの本を書いたときは45歳だと書いていますね。
彼は生まれつきの全盲です。
彼は盲学校から明治学院大学社会学部卒業。コンテンツ制作会社、コンピュータ会社のアクセシビリティ部門、1年間の米国留学などを経験して、視覚障害者向け専門放送局のディレクターとして活躍。4度の転職、しかし今は無職で現在は、真のノーマライゼーション社会の実現を目指して、著述業に専念と書いています。彼なら著述だって何だってやり遂げることができると思います。
彼の主張の通り盲人にはこの世の中決して平穏、平坦ではありません。
私も失明して過去の私を半生しながら思うのですが、見える人も盲人をもっと理解して欲しいし、盲人も卑屈にならず堂々と生きて欲しいと強く思います。
第1章 嘘のような本当の話
盲導犬が賢いと一般の人は思うでしょう?
私も見えていた頃は盲導犬が判断して横断歩道を渡っているのだと思っていました。
事実はまったく違うのです。
全て盲人が判断して「GO」、[STOP]など指示して、その指示に従って主人を導いて歩くだけなんです。
また、とあるレストランに彼女と行ったときのウエイトレスの盲人を無視し敬遠する態度に著者は怒っています。
盲人にどう接したらいいかわからないだけではなさそうですね。
どうせ見えないし話しかけてもわからないだろう。横に見える人がいるのだからその人に話しかけようと思うのでしょうか?
障害者もお客様です。接遇教育をそのレストランもするべきですね。
私も家族とレストランにはよく行きますが、ちゃんと座るときは椅子を押してくれますし、料理を運んでテーブルに置くとその料理の説明とナイフやフォークの位置を教えてくれますし、行きつけのレストランでは手をとって器を触らせてくれます。
これは私もよく経験するのですが、見える人と同伴のとき、例えばデパートで買い物をするとき店員は盲人に話しかけないで同伴の見える人に話しかけますね。
盲人はちゃんと聴こえます。判断もできます。ただ見えないだけです。
盲人がお客様ならそのお客様に話しかけてください。
私はいろいろな場面でこの経験を味わいますね。
見える人は盲人に話してもわからないと思うのでしょうね。
また両親が盲目の小学生の担任の先生は盲人の親は弁当を作れないと思ったらしいのです。
とんだ誤解ですね。
盲人は料理だって裁縫だって生活のことは全てできるのです。生活訓練も受けているからです。
だから両親が盲人で子供をちゃんと育てている人も多いでしょう。
また母親のこういう偏見を子供に教えてはいけませんね。でも、そう思うのかもしれませんね。哀しいですね。
遊びに来た子供がこういうのです。
「あのね、うちのママから、M君ちではジュースを飲んではだめって云われたの。 おばさんはお目めが見えないから、コップを洗えないでしょ。 汚いコップでジュースを飲むと病気になるから、おばさんがくれたジュースは飲んじゃ いけないんだって」
子供は正直ですね。母親の言いつけをちゃんと守って云うのでした。
盲人だってちゃんと洗剤できれいに洗います。
盲人に対する誤解というより偏見、いや差別だと思いませんか?
この盲人の母親は悲しみました。そして、缶ジュースを冷蔵庫に一杯入れてその子に見せたそうです。
盲人の就職は極めて困難です。
ここには著者がNHKに応募した際のことが書かれています。
これが事実だとしたらNHKは表の顔は「視覚障害者の皆さんへ」とか「キラッと生きる」の番組を持っていながら、その裏の顔は見えない者など決して採用しないという恐い本性を隠しているのですね。
しかしメルマガやblogの読者の行動が少しはNHKを変えたのかもしれません。
私は思うのですが、盲人がいくら文句を言っても聞き入れてもらえなかったのに、見える学生が文句を言うとそれは聞き入れて少しは反映するという盲人軽視、盲人蔑視の風潮が現実には強く存在するということですね。
第2章 街で見つけたバリアフリー詐欺
銀行にしろ金融機関はタッチパネルがほとんどですね。
盲人には仕えません。
何故凹凸のある機械にしてくれないのでしょう?
それでも著者等の運動で盲人用タッチパネルATMが出来ているそうです。
電話機のような受話器に番号がついていて音声で案内してくれるそうです。
でもこのATMを装備している金融機関は極めて少ないそうです。
しかも実際は使えずポーズだけとっている金融機関もあるそうです。
CSRだのどうだの云いながら現実派経済的にペイしないことには消極的ですね。
私は家内に頼んでいますが、盲人は結婚相手も少なく独身の人も多くいます。誰にも頼れません。
そうかと云って他人に暗証番号を教えるのもためらわれますよね。
盲人同士の夫婦が多いのも現実です。
どうしてATMを使えと云うのでしょう?
見えない者が不自由なく金融機関を利用したいものです。
第2巻
第3章 地獄行きグランプリ!日本代表候補者リスト
確かに悲劇のヒロイン、感動のドラマに失明は小道具として使えるかもしれませんね。しかし、事実と違うことも多いことを知って欲しいですね。
ドラマなんかそうでしょう。
またドキュメンタリー番組でもシナリオ通りのヤラセだってあるのです。
盲人もラジオよりテレビを見ます。テレビを聴くとは云いません。見えなくても見ると云うのです。これは見える者からはおかしいと云う声が聞こえてくるようですが、生物学的には脳の視野を使っているのですから正しいと言えますね。
テレビ番組のほうが金をかけていますし情報量も多いのです。
確かに病院はいろいろな物を廊下に置いたりバリアのあるところですね。行きたくない所の一つかもしれません。
盲人が一人で入院すると「付き添いを付けてください」と云われる。完全介護と言いながら、おかしいと思いませんか?
それから駅のプラットホームは恐いですね。盲人で落ちたことのない人は稀でしょう。
人ごみのなかで、あの騒音のなかで杖も使えず耳の感覚も騒音で妨害されるからです。
著者も伝言ダイヤルでセックスフレンドを作るとはスゴイ。
階段よりエレベーターのほうが安全だと思うボランティアは大きな誤解をしています。
エレベーターに乗るとボタンの位置も何階を押すかも分りませんし、降りてからどの方向に行くかもわかりません。無理にエレベーターに乗せないでください。
確かにボランティアさんでさえ障害者を見下している人もいますし、ハローワークの職員もそうなんでしょうね。
どうしたら視覚障害者を理解してもらえるのでしょう?
見えない、だから、何もできない、この考え方は私の会社の人事だけでなく世間の常識なのかもしれませんね。でも間違っているのです。
第3巻
第4章 ブラボー!!泣く子と障害者には勝てませんから
女性専用車輌には視覚障害者も乗っていいこと知っていましたか?
女性で知らない人のほうが多いものですから、うっかり見えない者が乗ろうものならブーイングですね。
でも盲人、恐らく全盲ではなくていくらか見えう人でしょうが、エロ親父、エッチな盲人も多いというかいるようですね。
まあ、こんなタッチのテクニックがあったのかと愕いたりあきれたり。
これでは見える人が見えないふりをして悪いことをしたくなるのも無理はありませんね。
第5章 不思議な障害者大集合
著者はアメリカで勇気を身につけたようですね。今でも単独で行くそうです。
アメリカで仲良くなった全盲の女性、やはりパスタが食べにくいのですね。著者も蕎麦が食べにくいと書いています。
私もわかりますね。うまく捕まえることができない、うまく汁に入れることが出来ない、きれいに食べることができないからですね。
見えない人に固有の動作があるそうです。
見えない者はうつむきかげんになる、身体が揺れるなどなど明確な奇異に映る動作があるそうです。
私もこれからなるのかもしれません。気をつけなくては。
著者はこう悟っています。
障害者の自立とは、つまるところ、他人との関係をいかに上手につくり、どれだけ頼み上手になれるかということではないでしょうか。
私も頼み上手な車椅子の女性を知っています。本当に感心します。
第4巻
第6章 剥がしてやるぞ、健常者の化けの皮!
著者に同感するところもありますが、そうでない部分もかなりあります。
何故だろうと私なりに考えてみました。
根本は著者は先天盲で見える世界をまったく知らないからですね。
盲人も甘えるなと主張しながら、マーケティングの面での見た目の印象をよくするという観念が理解できないようですね。
無理もないことですね。
ここは著者は従順に素直に受け入れるべきですね。反発、反論していますが、これは明かに世間の常識からは変なことです。
でも、わかりました。
著者は健常者と一緒に仕事をすることにこれだけの不安と恐れを抱いていたのですね。
なんだかんだ云っても障害者相手の商売だとか、障害者の世界でしか強がりをいえない存在だったのですね。
ここに先天盲と中途失明者との深井溝がありそうです。
やはり企業で働くことの困難さは盲人自らが壁を作っているのも一因かもしれません。
と云うより先天盲の人が企業で働くことは極めて困難かもしれませんね。
なにか特技を身につけないと難しい気がしますね。
障害者は立派だったりお金持ではいけないのです。同情の対象でなくてはならないのです。
人々はそんな障害者に優越感を持てるから生きる元気がでるのでしょう。
第7章 そろそろ本音で話そうよ、本当のノーマライゼーションを目指して
この本を読んで福祉施設で働く職員の一端を垣間見た感じがします。
私もいつかはお世話になるかもしれないので、心の片隅にそっと置いておこうと思います。
著者は、障害者はもっと強くならないといけないと主張しています。同感です。
かって私はMLで著者の発言はよく読みました。
なかなかの理論家、ディベイトの達人ですね。
同じ視覚障害者のなかには反発する人もかなりいました。
でも私の目からは著者の言い分もかなり正論だと思える部分もありました。
この本は彼の言いたいことをズバリ述べていて受け入れる受け入れないに関らず多くの問題提議をしています。
見える人も見えない人も読んで一度考え直してみるのもよいかもしれません。
そして自分の意見をしっかり持てるようになればいいのではないでしょうか。
[ 00:08 ]
2007/05/05 7:54:43いのちのハードル
いのちのハードル
「1リットルの涙」母の手記
木藤潮香(著)
エフエー出版
1989年 5月30日 発行
2003年 11月 点訳
この本は「1リットルの涙」の娘が亡くなってから1年、その母親の手記ですね。
紗英の日記 木藤亜也 に先の「1リットルの涙」とこの母の書いた「命のハードル」が書かれていますね。
第1巻
前半は亜也の手紙と詩・作文…いのちを見つめてと題して先の「1リットルの涙」に収録されていなかったあやさんの日記が書いていますね。
亜也と共に歩いた十年(病魔との闘いに母の視点から書いています。
「1リットルの涙」の理解が深まりますね。
それにしても、 共働きの家庭にあって、母親は職業、主婦、そしてあやさんの看病、とてもハードですね。
でも病院は冷たいというか、第三者的で温かみはないですね。
今も昔も人手不足かもしれませんし、あやさんは手間がかかるかもしれません、しかし、病院の「お母さん仕事を辞められませんか?」はないと思いますね。
結局そのT医師と喧嘩してその病院から退院するのです。
このT医師のようなタイプは多いのではないでしょうか?
弱い立場の患者は恐らく我慢することがほとんどでしょう。
よくぞこの母親は喧嘩してくれました。
第2巻
あやさんの症状の進行と家族の看病の様子が描かれています。
食べることにしても刻んだり、摩り下ろしたりあやさんが食べることができるように工夫しなければなりません。
気道に食物が行かないように注意しなければなりません。
しもの世話もしなければなりません。
会話も「文字盤」を使ってするのです。
もうあやさんはわかるような言葉は発せないのです。
この本を読んでわかったのですが、20歳のとき、もう一人では身の回りの生活はできない状態で何度も転院しているのですね。
死ぬまでの5年間で4回の転院、何十人もの家政婦さんの世話になったことも知りました。
「1リットルの涙」の本だけではわからないこともこの本から知りました。
文字盤だけで短い言葉で思いを伝えることは難しいですね。
誤解もあったり、いやあ、読んでいるだけで大変です。
誤飲するので、食事はすり鉢で擦ってまるで鳥の餌のようにして食べるのですね。
それも2時間もかかるのです。
家政婦さんにもいろいろな人が、それぞれそれまでの人生経歴を持ってみな違うのですね。
あやさんは食べさせてもらえず痩せて、ストレスから硬直を起こすこともあったのですね。
母親の怒り、しかし、次々と交代する家政婦、なかなか見付からない家政婦に強くも言えず心の平穏を保つのにいかに自制するか苦労していますね。
そんななかスーっと呼吸が止まったのも見逃さなかったG家政婦さん、彼女の処置で人口呼吸機が間に合い意識はなくなってもあやさんは数ヶ月生き延びたのです。
でも25歳になってお茶さえ飲めなくなるのです。
母親は回顧します。
あやさんから生きる意味を問われてそのときには答えられませんでした。
でもこう言うのです。
「書くことはできるね?それがあやの仕事だよ。
いつかきっとあやのやり遂げた仕事が、人の役に立つときが来るからね」
この本には50冊ほどの日記と書いていますから毎日書いて貯まった量は膨大なものだったのでしょう。
それらの中から母親が選び編集して「1リットルの涙」が出版され多くの人々に感動を与え生きる力を与えたのですね。
それを補完するのが母親の書いたこの「命のハードル」の本ですね。
この本から「1リットルの涙」の日記を原稿用紙に書き写した様子を知りました。
涙ながらに忙しい合間を無駄にしないで一生懸命書き写したのですね。
50冊の日記、広告用紙に書いたメモ、それらを秋の初めカら書き写し始め終わったのが12月そして、数百枚の原稿を出版社に送ったのです。
勿論あやさんにゲラを読んで了解してもらったことは云うまでもありません。
第3巻
「1リットルの涙」の本が昭和61年2月8日、あやさん23歳のときに出版されたのです。
母親はあやさんの枕元で十数日かけて読んであげるのです。
日記を出版することで人の役に立つ。それが社会に参加することになる。
あやさんが社会の役に立ちたいと云っていた願いがかなったのですね。
私も自分が障害者になっていろいろな人の本を読み、勇気と元気をもらいました。
障害を持ってもいかに生きるべきか、そんなヒントをたくさんもらいました。
あやさんも、あやさんの母親も本を出版することによって世の中の人々に愛と勇気を与えることができたのではないかと私も思います。
読者からの毎日たくさんの手紙はあやさんを元気づけたことでしょう。
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞などメディアに報道されたのですね。
当時の私はまったく知りませんでしたね。
読者のなかには北海道から鈴蘭を届けてくれる者もいたそうです。
でもこのときのあやさんは身長153cmに体重25kgしかない竹のようにやせ細った少女だったのです。
本を出版したことで(山本 子先生;須永博士先生;山川豊さん;荒木正人さん;笠木透さん)などの素晴らしい出会いも生まれたのですね。
特に須永博士「すなが ひろし」先生の詩はここに書きたい気持ですが、あえて書きません。みなさん読んでください。
また笠木透(かさぎ とおる)さんの曲の詩もあえて書きません。
彼は、1リットルの涙」の芝居を劇団四日市が上演したときのテーマソング、その作詞作曲家です。
とにかくあやさんに関係した感謝すべき人々の幾人かについて母親は書いていますね。
この後あやさんの死は苦しみをこれ以上与えないためにあえて人工呼吸器もつけなかったのですね。
母親の苦しい気持が伝わってきます。
だから呼吸が停止しても心臓はその後も4日間動き続けたのです。
その心臓が動いている間に葬式の準備をして・・・・もう書けません。みなさんこの本を読んでください。
いのちのハードル
「1リットルの涙」母の手記
木藤潮香(著)
エフエー出版
1989年 5月30日 発行
2003年 11月 点訳
この本は「1リットルの涙」の娘が亡くなってから1年、その母親の手記ですね。
紗英の日記 木藤亜也 に先の「1リットルの涙」とこの母の書いた「命のハードル」が書かれていますね。
第1巻
前半は亜也の手紙と詩・作文…いのちを見つめてと題して先の「1リットルの涙」に収録されていなかったあやさんの日記が書いていますね。
亜也と共に歩いた十年(病魔との闘いに母の視点から書いています。
「1リットルの涙」の理解が深まりますね。
それにしても、 共働きの家庭にあって、母親は職業、主婦、そしてあやさんの看病、とてもハードですね。
でも病院は冷たいというか、第三者的で温かみはないですね。
今も昔も人手不足かもしれませんし、あやさんは手間がかかるかもしれません、しかし、病院の「お母さん仕事を辞められませんか?」はないと思いますね。
結局そのT医師と喧嘩してその病院から退院するのです。
このT医師のようなタイプは多いのではないでしょうか?
弱い立場の患者は恐らく我慢することがほとんどでしょう。
よくぞこの母親は喧嘩してくれました。
第2巻
あやさんの症状の進行と家族の看病の様子が描かれています。
食べることにしても刻んだり、摩り下ろしたりあやさんが食べることができるように工夫しなければなりません。
気道に食物が行かないように注意しなければなりません。
しもの世話もしなければなりません。
会話も「文字盤」を使ってするのです。
もうあやさんはわかるような言葉は発せないのです。
この本を読んでわかったのですが、20歳のとき、もう一人では身の回りの生活はできない状態で何度も転院しているのですね。
死ぬまでの5年間で4回の転院、何十人もの家政婦さんの世話になったことも知りました。
「1リットルの涙」の本だけではわからないこともこの本から知りました。
文字盤だけで短い言葉で思いを伝えることは難しいですね。
誤解もあったり、いやあ、読んでいるだけで大変です。
誤飲するので、食事はすり鉢で擦ってまるで鳥の餌のようにして食べるのですね。
それも2時間もかかるのです。
家政婦さんにもいろいろな人が、それぞれそれまでの人生経歴を持ってみな違うのですね。
あやさんは食べさせてもらえず痩せて、ストレスから硬直を起こすこともあったのですね。
母親の怒り、しかし、次々と交代する家政婦、なかなか見付からない家政婦に強くも言えず心の平穏を保つのにいかに自制するか苦労していますね。
そんななかスーっと呼吸が止まったのも見逃さなかったG家政婦さん、彼女の処置で人口呼吸機が間に合い意識はなくなってもあやさんは数ヶ月生き延びたのです。
でも25歳になってお茶さえ飲めなくなるのです。
母親は回顧します。
あやさんから生きる意味を問われてそのときには答えられませんでした。
でもこう言うのです。
「書くことはできるね?それがあやの仕事だよ。
いつかきっとあやのやり遂げた仕事が、人の役に立つときが来るからね」
この本には50冊ほどの日記と書いていますから毎日書いて貯まった量は膨大なものだったのでしょう。
それらの中から母親が選び編集して「1リットルの涙」が出版され多くの人々に感動を与え生きる力を与えたのですね。
それを補完するのが母親の書いたこの「命のハードル」の本ですね。
この本から「1リットルの涙」の日記を原稿用紙に書き写した様子を知りました。
涙ながらに忙しい合間を無駄にしないで一生懸命書き写したのですね。
50冊の日記、広告用紙に書いたメモ、それらを秋の初めカら書き写し始め終わったのが12月そして、数百枚の原稿を出版社に送ったのです。
勿論あやさんにゲラを読んで了解してもらったことは云うまでもありません。
第3巻
「1リットルの涙」の本が昭和61年2月8日、あやさん23歳のときに出版されたのです。
母親はあやさんの枕元で十数日かけて読んであげるのです。
日記を出版することで人の役に立つ。それが社会に参加することになる。
あやさんが社会の役に立ちたいと云っていた願いがかなったのですね。
私も自分が障害者になっていろいろな人の本を読み、勇気と元気をもらいました。
障害を持ってもいかに生きるべきか、そんなヒントをたくさんもらいました。
あやさんも、あやさんの母親も本を出版することによって世の中の人々に愛と勇気を与えることができたのではないかと私も思います。
読者からの毎日たくさんの手紙はあやさんを元気づけたことでしょう。
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞などメディアに報道されたのですね。
当時の私はまったく知りませんでしたね。
読者のなかには北海道から鈴蘭を届けてくれる者もいたそうです。
でもこのときのあやさんは身長153cmに体重25kgしかない竹のようにやせ細った少女だったのです。
本を出版したことで(山本 子先生;須永博士先生;山川豊さん;荒木正人さん;笠木透さん)などの素晴らしい出会いも生まれたのですね。
特に須永博士「すなが ひろし」先生の詩はここに書きたい気持ですが、あえて書きません。みなさん読んでください。
また笠木透(かさぎ とおる)さんの曲の詩もあえて書きません。
彼は、1リットルの涙」の芝居を劇団四日市が上演したときのテーマソング、その作詞作曲家です。
とにかくあやさんに関係した感謝すべき人々の幾人かについて母親は書いていますね。
この後あやさんの死は苦しみをこれ以上与えないためにあえて人工呼吸器もつけなかったのですね。
母親の苦しい気持が伝わってきます。
だから呼吸が停止しても心臓はその後も4日間動き続けたのです。
その心臓が動いている間に葬式の準備をして・・・・もう書けません。みなさんこの本を読んでください。
