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半地下の手記
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2006/05/12のBlog
[ 16:49 ] [ 絵画鑑賞のススメ ]
このジャンルでは、1人の画家について1点しか書かないつもりだったのだけど、またムンクを。
今回は、

《カール・ヨハン街の夕べ》
エドヴァルド・ムンク 1892年



ムンクについては、前回の《叫び》の時に書いたから省略。

この絵は、どうだろう?
《叫び》に負けず劣らず不気味に思うかもしれない。

右の黒い影がムンク。
道の奥には国会議事堂がある。
ムンクは奥へ進んで行く。
その他の人々は、こちらへ向かってくる。なんとも生気のない顔をして。

調べてみると、この歩いてくる大勢の人々は、服装からも分かるようにブルジョワらしい。
ブルジョワの規範と制約に縛られた人々、そして法と秩序の砦の国会議事堂。国会議事堂の窓は光を放ち、ブルジョワたちを見下ろしている。
などと、色々読み解けるらしい。

が、僕としては、そんなことはどうでもいい。

大勢の人々の流れに逆らい、ひとり逆行して進むムンク。
この絵に漂うのは、圧倒的な孤独感、それが重要だと僕は思う。

以下、ムンクの日記。
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通りがかりの人々は皆彼にいぶかしげな独特の視線を投げかける。
彼らが自分を見ている、じっと見つめているのを彼は知っている。
どの顔もどの顔も、街灯の光に青ざめている。
彼は何か考え事をしようと必死に試みたが、無駄だった。
頭の中は空っぽだ。
それで上の窓のほうをじっと見つめようと努力した。
そして再び通行人が彼の視線を遮る。
全身がわなわなと震え、どっと汗が噴き出す。
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ムンクの感じた孤独感、漂っていると思う。伝わってくる絵。
これは夢ではなく、ムンクの場合は現実。



しかし、前の《叫び》この《カール・ヨハン街の夕べ》を描いた十数年後、こんな絵を描いてます。

《太陽》
452.4×788.5cm(でかいっ!)

うーむ、どうですか。

2006/05/06のBlog
シッダールタ
著:ヘルマン・ヘッセ 訳:高橋健二 (新潮文庫) 380円
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ヘッセです。
過去のヘッセ本の記事はこちら。
・『郷愁(ペーター・カーメンチント)
・『クヌルプ
・『荒野のおおかみ


タイトルからも分かるように、インドの仏教がベースになった作品。
シッダールタが主人公で、彼元々は僧なんですが、この人の生涯が描かれています。

ただし、仏教について書かれたわけではないです。
あくまで、ヘッセの書いた物語になっています。
ヘッセ自身、20年以上インド思想を研究していたらしく、ヘッセ自身の宗教的体験に基づいています。

シッダールタ君はもともと優秀な一目置かれるようなバラモン僧だったのだけれど、思い立って沙門(巡礼の苦行者)になって各地を放浪するのです。そこから、色々と経験していくという。

で、最終的に、悟りや知恵は教えることはできない、ということになるのですが、それなら、切々と綴られているこの本自体の存在が否定されるわけになるわけで、矛盾じゃん、と思うかもしれませんが、その事自体を伝えるため、と解釈しました。

前半は、正直別に好きな感じじゃなくて(特に前の『荒野のおおかみ』が良かったのもあって)、うーん、こういうのは僕は好きじゃなーい、今更言われなくたっていいもん、って思ったんだけど、後半で盛り返した感じ。ヘッセは裏切らなかった。最終的に面白かったです。
なんか、なぜか感動してしまった。

ヘッセってこういうのも書くのかぁ、と思いつつも、ヘッセらしいな、という作品。



このエントリージャンル(「本/文学」)では、なるべく作家が偏らないように固め読みはしないように、って思ってたんだけど、ちょっとねヘッセはまだ続きます。他のも読みつつ。

2006/05/04のBlog
ゴッホの手紙(中)
著:フィンセント・ファン・ゴッホ 編:J.V.ゴッホ・ボンゲル 訳:硲伊之助
(岩波文庫) 735円
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ゴッホの手紙の中巻です。
上巻のエントリーはこちら
あと、チラッとゴッホのことを書いたのはこちら

この中巻には、弟テオ宛の手紙が収録されていいます。テオと一緒に住んでた頃から、アルルで黄色い家の内部を整えるまで、の期間の分。

いや、つくづくゴッホは真面目だと思う。
本当に画家について考え抜いた人だな、と。
友達のゴーギャンやベルナールのこととかについても、とても気にしていたり。
しかも、未来の画家たちのために準備を整えよう、とまで思っていて、最終的な画家の勝利を信じて生きた人だなと思わされました。

大抵手紙の最初はこう始まります。
どうふうの50フラン札をどうもありがとう。(笑)
もう、弟のテオへ無心しまくりです(笑)。

知らない人の為に言っておくと、ゴッホの弟テオドール・ファン・ゴッホは画商です。兄フィンセントへ仕送りをして、ゴッホが活動できるように支援しました。
また、テオは自分の息子に「フィンセント」とつまり兄と同じ名前を命名しています。そして、ゴッホの死の数ヶ月後にテオも死にます。


読むと、絵画へのひたむきさと貧乏っぷりがわかります。
絶えず、色彩について考えていたんだなぁ。
あいかわらず日本人を大絶賛してます。


上巻もそうですが、ゴッホの考え方とか分かって、けっこう面白い。
ただ、人名とかの訳が、今流通しているのと発音が違って、分かりにくい。


以下、本文から抜粋。

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 二つの補色を結ぶことによって、その混ぜ合わせと対立や、近い調子の神秘的な振動によって、これら二人の恋人たちの愛を表現すること。暗い背景に対する明るい調子の輝きによって、ある額に秘められた思想を表現すること。
 星によって希望を表現すること。夕日の輝きによってある人間の烈しさを表現すること。もちろんそこには表面的な写実はないが、それこそ実在するものなのではないだろうか。

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 色彩によって語るのでなければ、或る考えを伝えることはできない。

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 僕は、日本人がその作品のすべてのものにもっている極度の明確さを羨ましく思う。それは決して厭な感じを与えもしないし、急いで描いたようにも見えない。彼らの仕事は呼吸のように単純で、まるで服のボタンでもかけるように簡単に、楽々と確かな数本の線で人物を描きあげる。

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色々書こうとすると、ゴッホの紹介になってしまいそうなんで、本についてはこのくらいで。

2006/05/03のBlog
荒野のおおかみ
著:ヘルマン・ヘッセ 訳:高橋健二 (新潮文庫) 540円
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ヘッセは前に、
・『郷愁(ペーター・カーメンチント)
・『クヌルプ
を、書きました。そこにヘッセのことも書いてます。


今回の『荒野のおおかみ』、1927年の作品です。うーん、約80年前の作品かぁ。すごいなぁ。
と、読むと思うと思います。

ヘッセって、どーゆーわけか誤解があって、子供の読み物、とか思っている人も多いと思うけれど、全然そんなことはないです。
あぁ、やっぱ深いなぁ、と今回も思いました。

短く伝えるのは難しいなぁ。

どの角度から見るかによっても変わるし、多重の視点が効いている。…ようでいて、実は荒野のおおかみハリー・ハラー(主人公)1本に絞って、彼を軸に多層な世界を見せつつ、その世界がなんなのか際立たせている。コントラストの妙。

ヘッセ、熱く冷静だな、と思う。
鋭く見てるな、と。

最後の方で、増えすぎた人間を減らすための戦争のシーン(架空)があるんだけど、ヘッセは大戦中、非戦論者としてかなり厳しい立場に立たされたんですよ。
その、彼がこういう表現をしたか、みたいな衝撃もある。
増えすぎた人口を減らす、といえば、むかーし星新一の何かの話で似たようなのがあったなぁ、と急に思い出した。
何にしても、手段が戦争で、ハリーさんは非戦論者なんだけど、この架空の世界では、バシバシ殺すんですよ。
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 めいめいの人間が、息苦しくなり、生活がもはやほんとに楽しめなくなったので、その不満を適切に表現し、ブリキの安物文明世界を全面的に破壊する道を開くべく努力している戦争だった。すべての人の目から破壊欲と殺人欲とが明るく正当に笑っているのを、私は見た。この赤い野生の花は私自身の中でも高く肉太に咲き、ほかの人のに劣らず笑っていた。喜んで私は戦いに参加した。

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悪によって問題を提起する。
しかも、その悪すらここでは相対的な観念。


ハリー・ハラーの感覚や思考を通じて、色々と見ていくわけで、それがなかなか楽しめます。
人の中には、色んな「私」がいるのだよ、と。
それがどういうことなのかは、ネタバレになりそうだから書かないこととして。

社会的な面、という意味でも、均一的、大量生産、情報の氾濫、色んなことに色んな問いを投げかけています。見事に現代でも、それはブレない。
たぶん、この本が何かを考えるきっかけ、みたいなものなのかなぁ。

1つ確かだと思うのは、何だかんだ言ってヘッセは人間に希望を持っていた、ということ。未来があると信じていた。
最終的に救われる感じになるこの読後感は何なんだろう。

ただし、万人受けではないね、きっと。
全然ピンと来ない人はピンと来ないと思う。つまんなく感じるだろうし。
でも、僕はすごい気に入っちゃった。おすすめです。

てか、この内容について、短く書くの無理ー(笑)。
何とも意味不明な締まりのない感じで。

2006/04/30のBlog
新年度。

季節も冬から春へ移っているようです。
四季が感じられる国で、良かったと思う。
冬ぐらい寒くていいと思うから、冬は嫌いじゃない。
それでも人は、春を望むと、自然と冬は悪い奴になってしまうようで。
でも、冬がなかったら、「春だぁ」ってなんないよね。

まぁ、躍動する季節、始まり、いいんじゃないかな。

本当に望むは心の春だったりするんですが…。


本のこと展覧会や美術、などなど他にも今月も書いていくような気がします。
どうぞよろしく。
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[画像]
《記憶としての風景》
2005/12/09
岩絵具、アクリル絵具、和紙
41.0×53.0cm
《A View Through Memories》
Powdered mineral pigments and acrylic on hemp paper
by UT
※画像の無断転載・転用は禁止です

公募展の新聞記事」
送られて来たので、一応ご報告。作品は上のとは違いますよ。

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本家HPに入賞作品がアップされたようです。
が、直接リンクをはれない(不適切な語句で拒否される)ので、こちらからたどって行ってください。
カラーでタイトル付きで見れます。
僕の作品に関しては、色味が良くないです……。こっちの色の方が近いです。
(04/12)

-写真についての第1回はこちら-

えっと、前の『LA JETÈE』のエントリーで、モノクロームの写真と音声で構成と書きましたが、よくよく考えると、カラー写真もあります(汗)。訂正。
モノクロとカラーの写真がうまい具合にかみ合って、いい感じです。

それと、この映画は「他の時間がイメージできる」ということが究極のテーマな気がします。
「他の時間」とは、かつてあった時間をイメージとして定着できる(=写真)、ということですね。この能力に主人公は長けていたわけです。

ちなみに、この『LA JETÈE』をリメイクしたのが『12モンキーズ』です。

そんな意味で、写真と密接に関係する映画だと思います。



さて、モノクロームの写真、ということに触れたので、せっかくだからちょっと書いてみることに。
まず最初に、「白黒」と「モノクロ」は違います。白黒は、そのまま白黒ですが、モノクロは「モノクローム」、クロームとはカラーのことなので、つまり「単色」ということになります。モノクロ写真は単色写真ということですね。

写真が発明されて、最初はもちろんモノクロのみだったのですが、その後カラー写真が登場します。僕たちが見ているカラーの世界を定着できるのに、なぜわざわざモノクロで写真を撮るのでしょうか?

1920から30年代、カラーではなくモノクロームでしか撮影できないモノクロームの美学を見出した写真家たちがいました。
モノクロームの美学とは、1つは”ネガ”の世界です。つまり、人間の肉眼ではない世界。ネガは1つのプロセスであって、表現の方法ではなかったのですが、この時代にドイツの芸術家たちがこれに注目しました。
つまり、”ネガ”で世界を見ると、ある恐れや不安を感じるということに気づいたのです。

ネガに限らず、「影」ってのは何かを案じさせるようなものがあります。
写真は光の痕跡ですが、影を定着させるとも言えます。このことにアーティストが敏感になるわけです。
影の表現・モノクロームの表現でしかできない表現があるのでは、と。
そもそも、影・暗部がなければ写真は成り立たないわけです。

もう1つ、ノスタルジーということが重要に。
これは、現代に生きる我々に関してですが、
たとえばグレーやセピア色のモノクロームの写真を見たり、古い退色してしまった写真を見た時に、どうしてもノスタルジックな感じを受けてしまうのです。ある種の切なさ、みたいな。
これは、20世紀末に生きた人間は、どうしてもカラー情報が繁栄している世界において、そう感じざるを得ないように義務づけられてしまっているからだと思います。

モノクローム、影、などについて考えるのも、なかなか面白い。

まとまりがないですが、モノクロームって言葉が出たので、ちょっとだけ書いてみました。

2006/04/29のBlog
[ 15:42 ] [ 映画/映像/アニメ ]
LA JETÈE(ラ・ジュテ)
(フランス 1962年 29分)
監督:クリス・マルケル
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この映画は、29分と短いのですが、とても良質な映画です。

全編、モノクロームの写真と音声のみで構成されています。
つまり、動画がないのです。

JETÈEとは、フランス語で「送迎台」のこと。

映画の内容は、なかなか深い。

舞台はパリ。
第三次世界大戦が勃発して、地上は廃墟となります。生存者たちは地下で生活し、その地下は勝利者たちが支配している。勝利者たちは他の生存者を捕虜としているのです。
勝利者たちは、ある研究に没頭します。つまり、時間に穴をあけて、人間を過去へ送り込むということに。過去へ送って、戦争の原因となる薬や装置を持ってこさせる、というのが目的。早い話が、人類の滅亡を防ごうとするのです。
ここで言うタイムワープは、僕が理解した限りでは、肉体がワープするのではなく、意識がワープします。
そこで、その実験の被験者に捕虜たちがなるのですが、なかなかうまくいかず、被験者は死んでしまったり錯乱したりします。過去へいくにはあまりに衝撃が強く耐えられないのです。
しかし、そんな中、主人公の男だけはうまく時間を行き来できます。彼は過去に対する強いイメージを想像力を持っていた。時間を行き来するのに耐え得るくらいつよくイメージすることができたのです。
そんな彼の、過去へのタイムスリップが話のメインになるのですが…。

彼は、第三次世界大戦勃発以前に、少年の頃オルリー空港で一瞬見かけた女性に恋をしていました。
過去へ送られる中で、彼はその女性を見つけ、恋人になるのですね。過去へ送られても、彼の意識や姿は現在のままです。

そんな中、話はどんどん展開していくのですが…。
最後に、彼は、現在ではなく、その過去に生きたいと願います。
そして、勝利者たちから逃れて、過去にいようとするのですが、…それは時間が、現在が、許さないのです。人は過去には生きられない。彼は、追っ手に抹殺されます。

そんな話。

内容もいいのですが、モノクロームの写真のみで構成された映像もいいです。
これは、写真のある面を、強く意識させる作品な気がします。
つまり、写真とは撮られた瞬間から「過去」になるわけですが、その過去を見つめることによって、未来が透けてしまった……。という、ある種の写真が持つ予感性、それを感じさせると思います。

また、モノクロの画像が、こうした過去を舞台にすることに、非常にマッチしている感じ。
「モノクロ写真」のことについては、もしかしたら、次にエントリーを立てて、書くかもしれません。

それと、全編にわたって静止画と音声と説明しましたが、本当は、途中一カ所だけごく短い時間動画が入ります。それが、なんとも言えない味を出しています。うっかりすると気づかないくらいわずかな動画です。探してみてください。

写真好きの人にも、見てもらいたい作品な気がする。

おすすめの1作。

2006/04/25のBlog
[ 19:55 ] [ 絵画鑑賞のススメ ]
絵画鑑賞のススメ】第2回です。
今回は、


《叫び》
エドヴァルド・ムンク 1893年


エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)[1863-1944]は、ノルウェーの画家です。
北欧のアーティストっていうのはあまりいないので、珍しい。あ、北欧は街などに洗練されたデザインが溢れていることは承知で言っています。

例によって、このエントリー・ジャンルでは、あくまで作品1点について語るので、あまりムンク自身について詳しくは書きませんが、さらっとだけ説明すると…、

ムンクは軍医の息子で、
4歳のとき母が死去、姉のソフィエが15歳で死去、弟は30歳で死亡、父はムンクが29歳のときに死亡、妹のラウラは発狂して精神病院に。
唯一健康だったのが、1番下の妹インゲル。このインゲルは、ムンクの絵のモデルとして、良く登場する。
ムンクは、自分についてこう言っている。
「病・狂気・死、それらは私のゆりかごに付き添う天使だった」

ノルウェーは当時、遅れた文化都市でした。
ムンクが故郷で評価されるのは1908年(45歳)の時です。
いかにノルウェーが遅れていて、ムンクが進んでいたか。

ちなみに、ムンクを1番初めに評価したのは、作家のイプセン
他にもストリンドベリに擁護されたりする。マラルメの火曜会にも出席。

で、ムンクの理解には他にも本当に色々あるけど、省略します。


絵の話に入ります。
なぜ、この絵を選んだかと言えば、おそらく最も勘違いが多くて、誤解されているだろうと思うからです。
良く、「ムンクの叫び」と言われますが、上にも書いたようにこの絵のタイトルはあくまで《叫び》。
ここが、そもそも勘違いのきっかけだと思います。

つまり、絵の中央にいるのはムンクなんですが、このムンクは顔の両側に手をあてて叫んでいるのではないです。
耳に手をあてて、耳を塞いでいるのです。

ムンクは日記にこう書いています。
『僕は友人2人と散歩していた。日が沈み始め、突然空が血のように赤くなった。僕は立ち止まった、疲れ切って手すりに寄りかかって。青黒いフィヨルドと街の上に、血の色と炎の舌が見えた。友人たちはそのまま歩いていたが、僕はそこに立ち止まった、恐ろしさに震えながら。僕は大自然を貫く終わりのない叫びを聞いた。色彩は悲鳴を発した。』

ようするに、周囲の自然から、超自然的な叫びが聞こえて来て、それに怯えて耳を塞いでいるわけです。

左の黒影は、2人の友人ですね。
奥の景色は北欧独特のフィヨルド。
さらにいうと、この橋の奥、つまり左の奥の方には、発狂した妹ラウラが入院している精神病院があります。


ムンクというと、この《叫び》ばかりが有名ですが、他にもたくさん良い作品があります。
僕は好きな画家です。


どうでしょう?
ちょっと見え方が変わるのでは?
へんてこな絵ではないのです。

2006/04/24のBlog
[ 23:49 ] [ トラックバック ]
[momo♪さん]のところで見つけた「擬態語占い」にTBです。面白そうなんで。

結果は………

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あなたにピッタリな擬態語は

【しっとり】です
明るく勇気があり、野性的で、自信家でもあります。
自分の考えをしっかりと持っていて、他人の意志では動かない強情さがありますが、
センチメンタルな面がありロマンチストでもあります。

●相性のいいタイプ●
 【シャキーーン】
 【シャーーーッ】
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とのこと。
明るい、ということと、野性的、ということ意外は、かなーり合っているような気がします(笑)。

ね?

これは、見逃せない気が……。

これです

行きたいなぁ。
行きましょう♪