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半地下の手記
Blog
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2006/10/31のBlog
10月

なんだかんだで、今年も終盤に突入。
ついこないだまで、夏だ!あちぃ!って感じだったのに。
いーや、あと3ヶ月もあるのです。

秋の空の、澄んだ遠い感じ、好き。
梨と柿も好き。



 ☆★告知★☆
UTの個展、の情報
2006年12月11日から16日
@ギャラリー山口(1階)
[ギャラリーのホームページ その1]
[ギャラリーのホームページ その2]



[画像]
《記憶の予感》
2006/08/11
岩絵具、アクリル絵具、和紙
80.3×116.7cm
《A View Through Memories》
Powdered mineral pigments and acrylic on hemp paper
by UT
※画像の無断転載・転用は禁止です

DM
[ 01:18 ] [ 雑記 ]
日曜に、DMが届きました。
高いところには頼まなかったから、色校の確認などはできなかったので、色味がどうなるかけっこう気にしていました。
まぁ、自分で印刷するとしたら不合格ラインだけど、でも色味が違えど充分伝わると思います。作品が良いから(でたっ/笑)。

かなりの部数を画廊に渡しますが、それでも僕の手元に残った分は”確実に”余ります(苦笑)。

ので、
えぇと、一応DMは来月の掲示板に載せるつもりだけれど、もし欲しいという方がいたら、ご連絡ください。ご来場下さる場合、手元にあった方が確実に便利だとは思います。あ、もちろん、来られない方も全く問題ないです。Doblogユーザーじゃない方も遠慮なくどうぞ。
ご連絡いただければ、必ず送らせていただきます。
phosphorescence@cocoa.plala.or.jp
までメールをお願いします。(アドレスは半角に直してください)

2006/10/28のBlog
……コソ
皆様、お久しぶりです。
久々の更新です。

何をしていたかと言うと…
ルソー展観に行ったあたりから、ちょいとグロッキーになったというかなんというか。
あとは、制作、制作、制作!!
ここにきて、焦りだすというか、DMとかプレスリリースとか、慣れない作業に焦燥感を。
あとは、おっきめの作品を描こう、とういうことで、今取り組んでいるわけです。
朝寝て朝起きる感じ。

個展では、大作は100号2枚のみにするつもりです。大作主義は嫌い(笑)。
作品と大きさが1番うまくリンクするところで見せていきたい。

あ、DMは到着を待つのみとなりました。


えーと、『ピカソとモディリアーニの時代』で書くと言っておいたキュビスムについてですが、ちゃんと書くので待ってください。
あと、Ussyさん、お約束の象徴主義のエントリーですが、これも書くのでお待ち下さい。

ところで、1つのエントリーから複数のエントリーへTBって無理なの?できるんでしょうか?はてなはてな??
…あっ、自力で解決です。
2006/10/13のBlog
アンリ・ルソー(Henri Rousseau)[1844-1910]は、フランスの画家。
結構、謎に包まれている画家で、未だに良くわからないことも多いし、実際行動も意味不明だったりします。簡単に言えば変な人。
結婚は2回。そして、刑務所にも2回入っている。一度は窃盗。一度は銀行詐欺。そして名誉回復のために軍隊に入るが、ずっと二等兵のまま。
とても貧乏でもあった。どれくらい貧乏かと言うと、死後は共同墓地へ埋葬されたくらい。これを憐れんだピカソたちが墓を作ってあげたりした。

いつ絵を描きだしたかも、はっきりとはしていない。しっかりと描きだしたのは、だいたい40歳くらいらしい。
ただ、当時にしてはとても奇妙な絵だったため、嘲笑されまくった。さんざん馬鹿にされたのである。ある評論家は「ルソー氏は、目を閉じ、足で描く」と評した。
虚言家でもあり、サロンに出品するが落選したのに、インタヴュー(手紙?)では、入選した、と嘘をついた。また、作品に何度も描かれる熱帯(メキシコ)は、ルソーが行ったことがあるように誤解されているかもしれない。実際、ルソー自身もメキシコへ行ったことがある、と言っているが、これまた嘘で、実際はメキシコなど行ったことがないのである。

今日のルソーがあるのは、無審査で誰でも出品できた「アンデパンダン展(独立美術展)」があったからで、これにルソーは出品を続けた。
ルソーを最初に評価したのは、詩人・小説家のアルフレッド・ジャリ。この人も変人で、道でタバコの火を貸してと頼まれた際、いいよと言ってピストルを発砲した。
ルソーが評価し始められるのは、1907年頃で、評価したのはピカソやアポリネールなどである。死んだのが1910年なので、評価されない時期がだいぶ長かった。

他にも、フリーメイソンのメンバーだったり、音楽の才能もあり曲を描いたり、バイオリンがうまかったり、戯曲も作ったり、と、なかなか面白い人。


さて、ルソーのことの話ばかりになってしまったが、展覧会はというと、「ルソー展」ということではなく、「ルソーとルソーに関係する画家、及びルソーから影響を受けた日本の画家の展覧会」ということなら、なかなか良い展覧会だとは思う。ルソーや他の素朴派の画家、ルソーから影響を受けた日本の画家、ルソーから影響を受けた日本の写真家、と幅広く鑑賞できるからだ。
ただ、ルソーの作品は少なく、ルソーを観たい、ということなら もっと! と思ってしまう。まぁ、多くの人がルソーの作品を見たいだろうから、そういう意味では正直不満だろう。
でも、ルソーはいいな、と本当に思った。少ない作品ながらも、そのことは充分わかった。最初の部屋がルソーなのだが、僕は興奮してしまった。

ルソーの作品は、「静けさ」に満ちている。特に、町や人物を描いたのはそうだ。なんというか、停止した感じなのだ。
ただしそこに、何か「妖気」のようなものが漂い、その不思議な空気は動いているのだ。
今回はルソーの作品数が少ないので、確認しづらいかもしれないが、ルソー作品のもう1つの大きな特徴は「正面性」である。

(この作品がわかりやすいかな→)(注:これは展覧会には出てない。最初の画像に写っている《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》でもわかるだろう↑)

ルソーの絵は、物や人物や動物が、だいたい正面を向いている(もしくは真横)。葉っぱなども、とことん正面向きの葉や植物である。
このことが、不思議な画面の停止感を生み出す要素の1つにもなっているだろう。
ただ、正面から描いた最大の理由は、「描こうとする物を真正面からとらえていく」ということにあった。このことで、本当にモチーフを正面から描いたのだ。
偏見がないのだ。「自分」と「世界」があるだけで、そこに偏見も何もない。だから、子供を描いてもかわいくない。ちょっと無気味な感じだったりする。子供は可愛い、という偏見もないのだから。
描こうとする物を正面からとらえようと向かっていくわけだが、「逆に、描いた物がルソーをとらえてはなさない」境地にまでいく。ルソーはその中を生きる。対象がルソーをとらえてくるのだ。
こういったことが、絵の世界そのものを生きてしまう、と言われることに繋がる。

絵の世界を生きた、ということについてこんなエピソードがある。
熱帯を描いた作品が並べてあるアトリエで、ルソーが人と話していた時、ルソーは「ここは暑苦しいからね」と言いながら窓を開けたらしい。


そんな、興味深いルソー。是非、もっと作品を観たいな、と思った。
ルソーが魅力的な画家だ、ということは分かると思うし、ルソー関連というとらえかたなら観るものは多いので、そういうことでなら行ってみるといいと思う展覧会。
ただし、出ているルソーの作品が少ないんだから、せめて質の高いものかと言うと、僕には全てがそうとは思えなかった、と付け加える。でも、それでもすごく刺激を受けた、とも付け加える(笑)。


--preludioさんの記事にTB--
--栗坊さんの記事にTB--
--駒込こまさんの記事にTB--
(2006/10/28)



[メモ]
ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 アンリ・ルソーと素朴派、ルソーに魅せられた日本人美術家たち
世田谷美術館 (世田谷区)
12月10日まで

2006/10/07のBlog
[ 15:45 ] [ 展覧会/ART ]
この展覧会は、仏像オンリーの展覧会。
しかも、一木造り(1本の木材を削っていって作る)の仏像オンリーの展覧会である。
以前、仏像に目覚めた僕は、一カ所に仏像が集まっているこの機会に観ておこうと思ったわけです。

いやぁ、すごかったです。1本の木から彫っているとは思えない。冷静に考えてすご過ぎです。神技、いや、仏技。
本来、日本中をへんぴなとこまで巡り歩かねば見れない、しかも見れる時期が決まってたり、なんてするわけなのに、こうやって集まっているのだから、いい機会である。仏像好きなら逃せない。
そんな、美術館に入った瞬間に、拝む対象から鑑賞の対象になってしまう。さぞ、仏像たちも居心地の悪いことじゃないのか。と言われたら、ぐうの音も出ませんが。まぁ、見直すきっかけになるじゃないかと。

たまに表面にまだ彫り痕があって、滑らかじゃないのを目にしたことがある。
今回もそういった仏像の展示もあって、僕はただ技術がないだけか遊び心なんだろうな、と思っていたんだけど、全然違ったのですね。
なんでも「鉈彫(なたぼり)」というらしく、あれは、一木造の仏像が、木から現れてくるところを表現したものらしく、それを知るとなるほど、と思う。
この鉈彫の仏像で、「宝誌和尚立像」というのがあった。宝誌和尚というのは中国の僧侶で、顔の皮を自分で剥ぐと、下から十一面観音が顔をのぞかせ、様々に顔が変化するので画家が描けなかった、という人。
いや、なんでこの仏像をピックアップしているかというと、この仏像の写真がロラン・バルトの『表徴の帝国』(アートな考えの上での重要書、映画見る上で、とか)の表紙に使われていて、本文でも言及されているのを思い出したから。あっ、あれだっ!と会場で思った。
この仏像は、顔がぱかっと真ん中から左右に開いていて、中からもう1つ顔がのぞいています。


何にしても、顔の表情から衣の表現、柔らかい表現、体の曲線、手の表現、台座の蓮、一度じっくり見てみるといいのではないかな、と思う。すごい。
なんというか、僕が仏像を好きとか嫌いとかいいとか判断する基準の1つに、見たときにふわっと周りに空間が感じられるか、というのがある。
つまり、仏像を作っているのだろうけれど、同時に周りの空間を作れているか、みたいなことだ。それがあると漂っているのだ、ふわふわとその世界の空気が。それを感じた時、あぁ空間が回っている、と思うし、より一層その仏像に引き込まれる。一種の独特の場が生まれる。これが心地よい。


ということで、興味があれば見てみるといいと思います。


--栗坊さんの記事にTB--
(2006/10/28)



[メモ]
仏像 一木にこめられた祈り
東京国立博物館・平成館 (上野)
12月3日まで

2006/10/01のBlog
[ 21:09 ] [ 雑記 ]
個展も近づいてきたので、ついに最初の告知をしました。
上の掲示板で↑

日程の変更は有り得ないと思います。
ギリギリでもろ年末にはならないようにしたつもりです。師走ですが、来ていただければ嬉しいです。
観て損がないようにしなきゃ……
がんばります。

DMできたら、アップするつもりです。

2006/09/30のBlog
9月

夜なんかは、すっかり涼しくなってきた感じ。

個展へ向けて、大きめの絵もぽつぽつ完成したり、描き始めたりです。

絶妙なインターバルで更新する当ブログ(笑)。
ゆるゆるまったりとした時間を過ごしながら、どうぞくつろいでいってください。



[画像]
《記憶の予感》
2006/08/11
岩絵具、アクリル絵具、和紙
50.0×65.2cm
《A View Through Memories》
Powdered mineral pigments and acrylic on hemp paper
by UT
※画像の無断転載・転用は禁止です

2006/09/28のBlog
ベルギーでは、『ベルギー近代の美』を以前にレポしましたが、今回は、ベルギー王国最大の美術館である「ベルギー王立美術館」の展覧会。

ベルギー、特に象徴主義が好きだし、専門の授業も受け、専門の先生に作品を見てもらっている僕としては、結構気になっていた。

まぁ、でも作品の質とか展覧会としてどうなのかな、とかなり訝しがりながら行ったわけですが、これまたボリュームあって見応えがあった。

そして、これまた、そこそこ人が入っていてちょっと意外だった。

個人的に、フェルナン・クノップフ(Fernand Khnopff)は僕の大好きな画家だし、ウィリアム・ドゥグーヴ・ド・ヌンク(William Degouve de Nuncques)も好きで、これらの作家の作品が観れたのは嬉しかった。
他にも、ジェームズ・アンソール(James Ensor)ジャン・デルヴィル(Jean Delville)グザヴィエ・メルリ(Xavier Mellery)ポール・デルヴォー(Paul Delvaux)、そして、ルネ・マグリット(Renè Magritte)などの作品も観ることができる。
もっと昔の画家では、ブリューゲルルーベンスドラクロワヴァン・ダイクなど、全体として見応えがある。

特に、肖像画ではヴァン・ダイクのがすごい。一歩突き抜けた肖像画だ。
そして、アンソールの自画像に、画家としての確固たる決意や意思を感じる。ものすごく良い自画像だと思った。

そして、クノップフ。《シューマンを聴きながら》や《ジェルメーヌ・ヴィーナーの肖像》など有名な作品が出ている。あの柔らかさと、漂うメランコリー。あぁ…。
クノップフと言えば写真を作品に取り入れた画家であるが、この写真を使った作品も良かった。あの色遣いはすごいとしか言いようがない。

ド・ヌンクの本領は夜の絵である。夜の画家として素晴らしいのだ。そして、その夜の様子を描いた《孔雀》が出ていた。この作家はパステルで描く。パステルでこの色遣い…、また打ちのめされました。

とにかく、16世紀後半のフランドル絵画から、20世紀前半のベルギー絵画まで、その400年の歴史をまとめて観てみることができる機会となっている。
そして、改めてフランドル、ベルギーの芸術の歴史の深さや層の厚さ、画家の顔ぶれを知ることができる。ヨーロッパ美術というと一般的にイタリアやフランスなどにどうしてもなりがちであるが、今回のこの地方も見逃せないことは展覧会を観れば分かるだろう。

展示はだんだんと歴史を辿っていく、つまり昔から近代へと進むわけだが、アカデミズムの歴史画や肖像画などから、だんだんと、それこそクノップフ以降の展示とかは、精神性を描いた絵画へと移行していっている気がした。こうした人間の内面を見つめた作品も、興味を持つと面白い。

なかなか見応えあります。ダリ展とあわせて見てみては?同じ上野公園だし。
これも観て損無しだと思います。


--栗坊さんの記事にTB--
(2006/10/28)



[メモ]
ベルギー王立美術館展
国立西洋美術館 (上野)
12月10日まで

巡回:→長崎県美術館→国立国際美術館

[ 12:00 ] [ 展覧会/ART ]
さあ、始まりました。ダリの展覧会
23日に始まったばかり。
平日の昼前に着いたのだけれど、……混んでいた。すでに。藤田嗣治超えてるかも。

まず最初に告ぐ!
なるだけ早いうちに、しかもできれば平日に、さらに言うと早い時間に行きたまえっ!


さて、サルバドール・ダリ(Salvador Dali)[1904-1989]は、言わずと知れたスペインの画家。20世紀を代表する画家の1人であるとともに、シュルレアリスムを代表する画家として多くの人が真っ先にダリを思い浮かべるのではないだろうか。

シュルレアリスムについては、以前「UTによるシュルレアリスム講座」を書いています。展覧会へ行く前に、目を通すといいかもしれません。

ダリは絵画だけでなく、ダリのイメージを表現する手段として映画に非常に興味を示し、映画監督ルイス・ブニュエルと共同で映画作品を作っている。
それが、『アンダルシアの犬』(amazon)である。
今回の展覧会の解説で知ったのだが、ダリの名前が初めて日本のメディアに出たのは、この『アンダルシアの犬』の記事だったらしい。1930年のこと。
この映画は、いきなりしょっぱな冒頭で、女性の眼球をカミソリで裂くところのアップから始まるというショッキングな幕開け。僕はDVDをもっているので、是非ともキャプチャーして画像を載せたかったけれど、現在我が半地下は、DVDを置いてある棚がパネルで完全にふさがっていて、取り出すことができない。なんとも悔しいが割愛させていただきます。

ちなみに、ダリはマドリードの「学生館」で暮らす時期があった。「学生館」とは、カトリック思想に基づいた保守的な教育方針を批判し、教会の手によらない自由な学問によって社会を変革する力を育成することを目的とした学生寮。ここで、以前『血の婚礼』を紹介した詩人・戯曲家ガルシア・ロルカなどと知り合った。

さて、シュルレアリスムについては以前書いていることだし、ダリの人生やダリの「唯一の女性、ミューズ、コーディネーター」である妻ガラとのことについて書いたりすると、途方もない長いエントリーになりそうなので、そろそろ展覧会の感想にいこうかと。


ダリと言うネーミング・バリュー的なもので話題を呼ぼう、みたいな物かと思ったら、ダリの10代の頃の作品から晩年の作品まで、ダリのアートワークを一望できるいい展覧会だった。
初期の自画像、シュルレアリスムの表現、原子核神秘主義、偏執狂的批判的方法、ダブル・イメージ、など非常に幅広くダリの作品を見ることができる。
油彩はもちろん、素描、若い頃の落書きのような物、途中には『アンダルシアの犬』を上映しているスペースもある。

観ていて思ったのは、思っている以上にダリは世の中の出来事に興味を持ち、そして作品にそれらを反映させていたということ。
原子は常に動いていることやアインシュタインの相対性理論等の影響で、モチーフの生物が素早く動いているかのような絵や、時計が溶けてみたり(カマンベール・チーズというのももちろん理解してますよ)、世の中の出来事、科学の発見に興味があったのが、敏感だったのがわかる。

色んなイメージが1枚の絵の中にあったり、とてもエロティックであったり、鑑賞者はその絵画に想像を巡らせ、世界観を味わう。

いずれにしても、いっけん良くわからない、そして意味が無いようなダリの絵画。しかし、本人も言っているように、そこにこそ一貫した意味や真実がある、ということを執拗に追求している。

展示の最後の部屋に、「立体鏡作品」というのが2作ほど展示されている。
《六つの本当の鏡のなかに仮に映し出される六つの仮想の角膜によって永遠化される、背後からガラを描く背後から見たダリ》
《太陽の後ろはるか遠くに全裸で出現するガラを見るために雲の形をした金羊毛を開けるダリの手》
である。
これは、ほとんど同じだが微妙に異なる2枚の絵で1つの作品となっていて、それらが左右に並んで展示されているのだが、右目で左の絵、左目で右の絵を観ることによって(所謂、現代のマジックアイとかそういう感覚)、立体的に作品が見えるというもの。会場でチャレンジしたが人が邪魔だし、作品の間隔が広いので、すっげー無理だった(苦笑)。
が、筆者UTさん、このエントリー書きながら、たった今図録を見て再チャレンジしました……できたぁっ!!おぉぉ、立体的っ♪
皆さん図録を買いましょう(笑)。

かなり、ボリュームある展覧会だと思います。
さすがに《記憶の固執(柔らかい時計)》(最初の)とか《内乱の予感(茹でたインゲン豆のある柔らかい構造)》とかは来てないですが、それでも見応えはあると思います。

見て損ない展覧会。



ちなみに…
『サルバドール・ダリ 世界が愛した芸術家ダリの超現実的な人生』(以前のダリのDVDの記事)



--まかロールさんの記事にTB--
--preludioさんの記事にTB--
(2006/10/31)



[メモ]
生誕100年記念 ダリ回顧展
上野の森美術館 (上野)
1月4日まで
2006/09/22のBlog
[ 15:20 ] [ 展覧会/ART ]
日曜日にテレビでやっているNHKの「日曜美術館(現在の「新日曜美術館」)が、今年で放送30年目を迎えるということで、今まで番組に登場した作品から集め構成された展覧会。

変わった展覧会でした。
というのも、テレビ番組をもとにした展覧会ならではの演出。
展示されている作品は、その作品や作家が紹介された回の放送中の、出演者の印象的な言葉などが同時にパネルに書かれ横に展示してある。
出演者にとってその作品がどういった物か、どういう風に素晴らしいと思うのか、また直接の知り合いならば作家はどういう人だったのか、を語った言葉が作品とともに紹介されているわけである。
もちろん、その文章にされているものはその人個人の捉え方であって、それが正しいというわけではないが、作品がどう人に影響を与え得るか、ということの考察にはなるだろう。また、鑑賞者の意見や見方とそれが違うならば、そういう人もいるんだぁ、と思えるわけで。

架空の「日曜美術館」という美術館の収蔵品を観ている感じ。
テレビ番組なので、そこに一貫した美術史や何かしらのテーマでまとめて、ということはなく、したがって古今東西の著名な作家の作品を観ることができるわけである。
一作家につき1点から3点くらいなので、次々に脈絡なく作品は目に飛び込んでくるわけで、色んなタイプの作品に触れたいということならいい機会かもしれない。
有名な作家が多数取り上げられているので、お気に入りの作品を見つけたりできるかも。

途中何カ所か、昔の放送を短く観ることができるコーナーもあり、興味がある人が出ていたら、観てみると面白いかも。



--栗坊さんの記事にTB--


[メモ]
NHK名品と映像でたどる、とっておきの美術案内 日曜美術館30年展
東京藝術大学大学美術館 (上野)
10月15日まで