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2006/11/19のBlog
[ 16:05 ]
[ 雑記 ]
土曜に観た展覧会アップしましたが、まだ
『クリーブランド美術館展』と
『ビル・ヴィオラ展』
が残っています。
ちゃんと書くのでしばらくおまちください。
『クリーブランド美術館展』と
『ビル・ヴィオラ展』
が残っています。
ちゃんと書くのでしばらくおまちください。
[ 15:39 ]
[ 展覧会/ART ]
以前、大きな展覧会のレポを書いた杉本博司の展覧会。今回はギャラリーでの小規模の展示です。
入り口のカウンターにコンセプトみたいなかなり長い文章があったけど、全部は読まなかったし、ちょっと良くわかりません(苦笑)。
作品もイマイチ良くわからなかったです……。
本当のオリジナリティとかオリジナルとは。…みたいなことが書いてあったんだけど。
とりあえず、前回の記事をご覧ください…。
[メモ]
杉本博司「本歌取り」
@ギャラリー小柳 (銀座)
2007年1月27日まで
入り口のカウンターにコンセプトみたいなかなり長い文章があったけど、全部は読まなかったし、ちょっと良くわかりません(苦笑)。
作品もイマイチ良くわからなかったです……。
本当のオリジナリティとかオリジナルとは。…みたいなことが書いてあったんだけど。
とりあえず、前回の記事をご覧ください…。
[メモ]
杉本博司「本歌取り」
@ギャラリー小柳 (銀座)
2007年1月27日まで
[ 15:06 ]
[ 展覧会/ART ]
蜷川実花[1972-]は写真家。木村伊兵衛写真賞受賞者。演出家の蜷川幸雄の娘です。
作品は、とてもカラフルで、派手な色の写真が特徴。所謂ガーリー系の写真家というか、HIROMIXとかと同世代の若手写真家さんかな。モデルとかも沢山撮っている人。
若い人に超人気です。
こんな感じ→
今まで、花とか風景とかモデルとか撮っていたけど、今回も花。
森村泰昌展と同じ建物内のギャラリーでやっていたので観た。
なんの情報もなく展示を観たのだけれど、一見いわゆる蜷川実花らしいポップすぎるくらいにポップな色遣いで華やかな写真たち。それがギャラリーいっぱいに展示されている。全て花を撮ったものなのだけれど、その色も相まって非常にトロピカルな印象なのである。
でも、よく見ると、生花ではない。造花である。何でだろう、と思っていた。
ほぅほぅ、と観ていたら、小山登美夫さん(オーナーで有名ギャラリスト)たちの会話が聞こえてきた。聞き耳を立ててみる…
「これは全部墓地。メキシコの墓地なんですよ」
!!!!!
なるほどっ!そういうことだったのか。
今回の展覧会は「永遠の花」というタイトルがついている。
墓地に捧げる花は造花で、それは枯れることなく、ということでだ。墓場だけど枯れずに、明るく。そんな、メキシコの土地なのだ。
枯れない造花で死者に捧げるから「永遠の花」。
しかし、見た目の印象とはすごいもので、色彩の力というのは、何も知らないで見る者には明るさしか思い浮かばせない。写真のイメージとはそういうものだろう。鑑賞者は常に受け手である。
それを改めて確認したのです。
イメージによる印象。
【参考:以前の写真についての記事】(せっかく紹介されているので…)
・写真について[第1回](ポートレイトについて)
・写真について[第2回](モノクロの写真について)
・『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』(スナップ・ショット、フォトジャーナリズムについて)
[メモ]
蜷川実花展 --永遠の花2--
@小山登美夫ギャラリー (江東区)
12月9日まで
『蜷川実花展 --永遠の花1--』が、東京ワンダーサイト渋谷でひらかれています。
作品は、とてもカラフルで、派手な色の写真が特徴。所謂ガーリー系の写真家というか、HIROMIXとかと同世代の若手写真家さんかな。モデルとかも沢山撮っている人。
若い人に超人気です。
こんな感じ→
今まで、花とか風景とかモデルとか撮っていたけど、今回も花。
森村泰昌展と同じ建物内のギャラリーでやっていたので観た。
なんの情報もなく展示を観たのだけれど、一見いわゆる蜷川実花らしいポップすぎるくらいにポップな色遣いで華やかな写真たち。それがギャラリーいっぱいに展示されている。全て花を撮ったものなのだけれど、その色も相まって非常にトロピカルな印象なのである。
でも、よく見ると、生花ではない。造花である。何でだろう、と思っていた。
ほぅほぅ、と観ていたら、小山登美夫さん(オーナーで有名ギャラリスト)たちの会話が聞こえてきた。聞き耳を立ててみる…
「これは全部墓地。メキシコの墓地なんですよ」
!!!!!
なるほどっ!そういうことだったのか。
今回の展覧会は「永遠の花」というタイトルがついている。
墓地に捧げる花は造花で、それは枯れることなく、ということでだ。墓場だけど枯れずに、明るく。そんな、メキシコの土地なのだ。
枯れない造花で死者に捧げるから「永遠の花」。
しかし、見た目の印象とはすごいもので、色彩の力というのは、何も知らないで見る者には明るさしか思い浮かばせない。写真のイメージとはそういうものだろう。鑑賞者は常に受け手である。
それを改めて確認したのです。
イメージによる印象。
【参考:以前の写真についての記事】(せっかく紹介されているので…)
・写真について[第1回](ポートレイトについて)
・写真について[第2回](モノクロの写真について)
・『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』(スナップ・ショット、フォトジャーナリズムについて)
[メモ]
蜷川実花展 --永遠の花2--
@小山登美夫ギャラリー (江東区)
12月9日まで
『蜷川実花展 --永遠の花1--』が、東京ワンダーサイト渋谷でひらかれています。
[ 14:35 ]
[ 展覧会/ART ]
森村泰昌(やすまさ)[1951-]は、大阪府出身の美術家。
写真の作品を発表しているアーティストなのだけれど、その作品というのがとても特殊で。どういうものかと言うと、写真の中に自分が入ってしまうのである。
もうすこし分かりやすく言うと、歴史上の名画や名作と呼ばれるものに入るのである。つまり、何か有名な絵画があったとして、その絵の様子を実際に等身大のジオラマのようなものを組んだりCGを使ったりして制作し、人物の部分をちゃんとメイクをして衣装を着た自分が演じ、同じ構図で写真に撮る、ということだ。
そうやって森村は名画の中に入ってきた。今までもマネやゴヤ、そして最近ではフェルメールの《画家のアトリエ》に入ったのが有名で話題になって「新日曜美術館」などでも取り上げられた。
この「セルフ・ポートレート」は、綿密に元の作品を研究し、かなりの細部までこだわって再現しようとする。
まぁ、兎に角数々の作品に入って作品にしてきている人なのです。それらは是非ここのホームページで見てみてください。
ただ、僕は彼のことを研究した時期がないので、一応関係書は持っていますがまだ読んでないし、理解しているわけではないので作品については書けないです。
写真の作品を発表しているアーティストなのだけれど、その作品というのがとても特殊で。どういうものかと言うと、写真の中に自分が入ってしまうのである。
もうすこし分かりやすく言うと、歴史上の名画や名作と呼ばれるものに入るのである。つまり、何か有名な絵画があったとして、その絵の様子を実際に等身大のジオラマのようなものを組んだりCGを使ったりして制作し、人物の部分をちゃんとメイクをして衣装を着た自分が演じ、同じ構図で写真に撮る、ということだ。
そうやって森村は名画の中に入ってきた。今までもマネやゴヤ、そして最近ではフェルメールの《画家のアトリエ》に入ったのが有名で話題になって「新日曜美術館」などでも取り上げられた。
この「セルフ・ポートレート」は、綿密に元の作品を研究し、かなりの細部までこだわって再現しようとする。
まぁ、兎に角数々の作品に入って作品にしてきている人なのです。それらは是非ここのホームページで見てみてください。
ただ、僕は彼のことを研究した時期がないので、一応関係書は持っていますがまだ読んでないし、理解しているわけではないので作品については書けないです。
そして、今回のこの展覧会では、今までと大きく趣向が変わるということで、非常に興味を持って観に行った。
名画などの絵画作品に入るのではなく、歴史上の出来事に入っていたのである。有名な場面のジャーナリズムの写真などである。あの「路上の処刑(ヴェトナム戦争で、捕虜となった解放戦線の兵士が、南ヴェトナム国家警察の本部長の前に引き出され、まさに「パンッ」という感じでこめかみに突きつけられた銃で殺された。白昼の路上でである。それが衛星放送でお茶の間へ配信された。ちなみに、ヴェトナム戦争はテレビで本格的に戦争が放映された最初である)」などがあった。
(たまたまそのシーンのDVD映像を持っていたのでキャプチャー。「NHK映像の世紀第9集:ベトナムの衝撃」より)→
DVDではカラーで動画なので、この後ガクッと崩れ落ちて、こめかみからピューっと血が出ますが、そこは載せないどきます。
そして、もう1つのテーマは三島由紀夫であった。
そういったように、今回の展示は今後の新しい方向性を見せるものだろうか、と気になった感じです。
[メモ]
森村泰昌「烈火の季節/なにものかへのレクイエム・その壱」
@SHUGOARTS (江東区)
12月11日まで
名画などの絵画作品に入るのではなく、歴史上の出来事に入っていたのである。有名な場面のジャーナリズムの写真などである。あの「路上の処刑(ヴェトナム戦争で、捕虜となった解放戦線の兵士が、南ヴェトナム国家警察の本部長の前に引き出され、まさに「パンッ」という感じでこめかみに突きつけられた銃で殺された。白昼の路上でである。それが衛星放送でお茶の間へ配信された。ちなみに、ヴェトナム戦争はテレビで本格的に戦争が放映された最初である)」などがあった。
(たまたまそのシーンのDVD映像を持っていたのでキャプチャー。「NHK映像の世紀第9集:ベトナムの衝撃」より)→
DVDではカラーで動画なので、この後ガクッと崩れ落ちて、こめかみからピューっと血が出ますが、そこは載せないどきます。
そして、もう1つのテーマは三島由紀夫であった。
そういったように、今回の展示は今後の新しい方向性を見せるものだろうか、と気になった感じです。
[メモ]
森村泰昌「烈火の季節/なにものかへのレクイエム・その壱」
@SHUGOARTS (江東区)
12月11日まで
[ 14:13 ]
[ 展覧会/ART ]
竹内栖鳳(たけうちせいほう)[1864-1942]は日本画家。京都出身。日本画家でかなり有名です。第1回文化勲章を横山大観とともに受賞。竹杖塾や学校でも教鞭をとったり、後進の育成にも努めた。
弟子として、上村松園、西村五雲、橋本関雪、土田麦僊、村上華岳、小野竹喬、池田遙邨など、日本画のオールスターのような面子がいる。
山種美術館での展覧会の記事は何度か書いてきたが(上の松園のリンクもそう)、この美術館は美術館というかオフィス。ビルの一階です。なので(なのか?)いつも結構空いていて、かなりじっくり見れます。点数も少ないし。そのくせ、日本画のすごい名品を数々持っているという美術館。
今回は、竹内栖鳳の作品で重要文化財の《斑猫(はんびょう)》が出品されている。初めて見ました。
その《斑猫》とは、1匹猫が描かれただけの絵なんだけれど、良かった。毛並みの柔らかさが出ているのだ。何と言うか、ふわっという感じに描かれている。あぁ、ふわふわしているな、というのが分かるのである。
そして、そのぼやっとというか、毛並みの表現は、あまりにふわりとしているため、焦点が合わない感覚をおぼえる程だ。
栖鳳の作品はこの他にもそこそこあって、そして述べたような弟子たちの作品もある。
この弟子たちの作品も良かった。特に、福田平八郎と西村五雲。竹喬なんかも。色遣いや構図に、いわゆる”どうですか日本画です”みたいな堅っぽさがなく、なんとも現代的。作者を隠して現代の作家の作品と言われても信じてしまうだろう。良かった。
西村五雲はモチーフを捉える瞬間と構図の素晴らしさ。雪のつもった枝に雀がとまっていて、羽を突いている瞬間、周りの雪がほのかに散る。そんな一瞬を描いたシンプルな絵。素晴らしい。
特にエルミタージュ美術館展を観た後ということもあるが、日本美術に見る構図の独特な美意識。空間の取り方、余白。モチーフのシンプルさなど。そういった物を際立って感じることができた。
[メモ]
竹内栖鳳と弟子たち --重要文化財「斑猫」登場--
@山種美術館 (千代田区)
11月19日まで…えっ、今日!?
弟子として、上村松園、西村五雲、橋本関雪、土田麦僊、村上華岳、小野竹喬、池田遙邨など、日本画のオールスターのような面子がいる。
山種美術館での展覧会の記事は何度か書いてきたが(上の松園のリンクもそう)、この美術館は美術館というかオフィス。ビルの一階です。なので(なのか?)いつも結構空いていて、かなりじっくり見れます。点数も少ないし。そのくせ、日本画のすごい名品を数々持っているという美術館。
今回は、竹内栖鳳の作品で重要文化財の《斑猫(はんびょう)》が出品されている。初めて見ました。
その《斑猫》とは、1匹猫が描かれただけの絵なんだけれど、良かった。毛並みの柔らかさが出ているのだ。何と言うか、ふわっという感じに描かれている。あぁ、ふわふわしているな、というのが分かるのである。
そして、そのぼやっとというか、毛並みの表現は、あまりにふわりとしているため、焦点が合わない感覚をおぼえる程だ。
栖鳳の作品はこの他にもそこそこあって、そして述べたような弟子たちの作品もある。
この弟子たちの作品も良かった。特に、福田平八郎と西村五雲。竹喬なんかも。色遣いや構図に、いわゆる”どうですか日本画です”みたいな堅っぽさがなく、なんとも現代的。作者を隠して現代の作家の作品と言われても信じてしまうだろう。良かった。
西村五雲はモチーフを捉える瞬間と構図の素晴らしさ。雪のつもった枝に雀がとまっていて、羽を突いている瞬間、周りの雪がほのかに散る。そんな一瞬を描いたシンプルな絵。素晴らしい。
特にエルミタージュ美術館展を観た後ということもあるが、日本美術に見る構図の独特な美意識。空間の取り方、余白。モチーフのシンプルさなど。そういった物を際立って感じることができた。
[メモ]
竹内栖鳳と弟子たち --重要文化財「斑猫」登場--
@山種美術館 (千代田区)
11月19日まで…えっ、今日!?
[ 14:02 ]
[ 展覧会/ART ]
金曜に行った展覧会をどんどんと。
だいぶ多くの数を行きました。午前中から夜まで…。
まずは、東京都美術館の『大エルミタージュ美術館展』。
都美館ということと「エルミタージュ」ということで、絶対混んでいると思った。
…ええ、混んでいました。
今回の展覧会は、世界最大級の美術館の1つであるエルミタージュ美術館の300万点のコレクションの中から、「都市と自然と人々」をテーマに80点で構成されている。15世紀以降から近代までの絵画作品が展示されている。
テーマがテーマだけに、展示されている作品の画題は「人間と自然の関係」を描いたようなものが多い。
自然と言っても色々だ。自然が大いなる脅威となったり、あるいはそこから恵みをもらったり、その中で生活をしたり…様々な要素がある。
なので、展示作品も自然の中で人々が暮らしている姿。宴を開いたり、あるいは山を越え移動していたり、家を建て生活していたり。ニワトリを飼っている絵もあったなぁ。
一方では、室内の慎ましやかな生活が描かれているのもある。
あるいは、嵐だろうか、森の木々がことごとくなぎ倒されている姿。自然の猛威の前に人間は無力だ。
また、別の作品では、とらえられた獲物や果物が静物画として描かれている。そう、この自然の中で食糧も得ている。
中には、ただただ壮大な岩山の風景もある。
森の向こうに見える廃墟が描かれたもの。人間の建造物は、栄華は永遠ではない。そんなことを思わせる。
その中での人間。それをコントラストによって示そうとしている展示。
展示は昔の絵から近代へと時系列になっているのだが、町の様子を描いた絵を見ていくと、文明の発展の様子が分かる。どんどんと町が発達し、技術も進歩し、町や生活が近代化してきたのが良くわかる。街が拓かれていく。
さながら、発展への讃歌のようだ。
そういった構成によるもの。
中には、モネ(今回の干し草はあまりよくなかった)やゴーギャン、マティスやピカソなど、有名どころも来ている。
というか、僕が観に行った最大の理由は、ゴーギャン!最近最も気になると同時にすごいと思う画家の1人だから。
展示内容が述べたような構成なので、単調ということはあるが、いい展示なのだと思う。というのも、如何せん混んでいるので。それでも、観たい絵や気になる絵のところで集中して観る感じにすれば、楽しめるかとは思います。
--momo♪さんの記事にTB--
[メモ]
いま甦る巨匠たち400年の記憶 大エルミタージュ美術館展 ヴェネツィア派からモネ、ゴーギャン、ルノワール、ピカソまで
@東京都美術館 (上野)
12月24日まで
巡回:→名古屋市美術館→京都市美術館
だいぶ多くの数を行きました。午前中から夜まで…。
まずは、東京都美術館の『大エルミタージュ美術館展』。
都美館ということと「エルミタージュ」ということで、絶対混んでいると思った。
…ええ、混んでいました。
今回の展覧会は、世界最大級の美術館の1つであるエルミタージュ美術館の300万点のコレクションの中から、「都市と自然と人々」をテーマに80点で構成されている。15世紀以降から近代までの絵画作品が展示されている。
テーマがテーマだけに、展示されている作品の画題は「人間と自然の関係」を描いたようなものが多い。
自然と言っても色々だ。自然が大いなる脅威となったり、あるいはそこから恵みをもらったり、その中で生活をしたり…様々な要素がある。
なので、展示作品も自然の中で人々が暮らしている姿。宴を開いたり、あるいは山を越え移動していたり、家を建て生活していたり。ニワトリを飼っている絵もあったなぁ。
一方では、室内の慎ましやかな生活が描かれているのもある。
あるいは、嵐だろうか、森の木々がことごとくなぎ倒されている姿。自然の猛威の前に人間は無力だ。
また、別の作品では、とらえられた獲物や果物が静物画として描かれている。そう、この自然の中で食糧も得ている。
中には、ただただ壮大な岩山の風景もある。
森の向こうに見える廃墟が描かれたもの。人間の建造物は、栄華は永遠ではない。そんなことを思わせる。
その中での人間。それをコントラストによって示そうとしている展示。
展示は昔の絵から近代へと時系列になっているのだが、町の様子を描いた絵を見ていくと、文明の発展の様子が分かる。どんどんと町が発達し、技術も進歩し、町や生活が近代化してきたのが良くわかる。街が拓かれていく。
さながら、発展への讃歌のようだ。
そういった構成によるもの。
中には、モネ(今回の干し草はあまりよくなかった)やゴーギャン、マティスやピカソなど、有名どころも来ている。
というか、僕が観に行った最大の理由は、ゴーギャン!最近最も気になると同時にすごいと思う画家の1人だから。
展示内容が述べたような構成なので、単調ということはあるが、いい展示なのだと思う。というのも、如何せん混んでいるので。それでも、観たい絵や気になる絵のところで集中して観る感じにすれば、楽しめるかとは思います。
--momo♪さんの記事にTB--
[メモ]
いま甦る巨匠たち400年の記憶 大エルミタージュ美術館展 ヴェネツィア派からモネ、ゴーギャン、ルノワール、ピカソまで
@東京都美術館 (上野)
12月24日まで
巡回:→名古屋市美術館→京都市美術館
2006/11/17のBlog
[ 08:07 ]
[ 雑記 ]
今日は…
展覧会頑張るぞ。
たくさん観るぞ。
久しぶりだぞ。
たくさん過ぎて…
レポは明日かもしれないです(苦笑)
果たして予定をこなせるか…
展覧会頑張るぞ。
たくさん観るぞ。
久しぶりだぞ。
たくさん過ぎて…
レポは明日かもしれないです(苦笑)
果たして予定をこなせるか…
2006/11/11のBlog
[ 17:48 ]
[ 雑記 ]
いよいよ来月の11日まであと1ヶ月!
思えば、個展開催が決定したのは、ちょうど1年前くらい。
うーん……
準備が悪い(苦笑)。
できるだけいい作品を並べたいので、まだ描くぞ。
思えば、個展開催が決定したのは、ちょうど1年前くらい。
うーん……
準備が悪い(苦笑)。
できるだけいい作品を並べたいので、まだ描くぞ。
2006/11/09のBlog
[ 15:00 ]
[ 展覧会/ART ]
僕的「何々ism」講座(笑)
●印象派講座
●シュルレアリスム講座
に、次いで第三弾。
今回は、『ピカソとモディリアーニの時代』で書くと言った「キュビスム」についてです。
【Cubisme(キュビスム)】
「絵画とは真実を伝えるための嘘である」 ---パブロ・ピカソ
キュビスム、と聞いて思うのは、「わかりにくい」というか「わからない」というのが一般の意見ではないだろうか。
印象派なんかと比べて、キュビスムというのはこれといってまとまっていない。それぞれがそれぞれにキュビスムをした、という感じ。明確なグループや思想があったわけではない。
色んな画家がキュビスムの絵を描いたわけですが、今回取り上げるのは、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)[1881-1973]とジョルジュ・ブラック(Georges Braque)[1882-1963]です。なぜなら、この2人によってキュビスムは始まったし、なにより1番明確な意図があるというか、いわゆるキュビスム風、みたいなことではない画家だからである。
この、ピカソとブラックのキュビスムを「正統的キュビスム」と僕は呼んでいる。それ以外のキュビスム風の画家たちを「サロン・キュビスト」とします。
さて、キュビスムの元になったのは何か?何によってキュビスムが生まれることになったか?
1つはセザンヌの影響。つまり…
平面的。幾何学的フォルムへの還元。
そして、多視点の導入。
モチーフを描く時、同一の視点から描くという常識を打ち破った。つまり、物を一カ所から見ていても、その裏側や下など、その位置から見えない部分はわからない。当たり前のことです。そんな中、より”対象を把握するため”に、モチーフの向こう側へ回ってみたりするわけですね。そして、そうやって色々な視点から観察した結果を、同一平面上に絵画として構築するのです。
●印象派講座
●シュルレアリスム講座
に、次いで第三弾。
今回は、『ピカソとモディリアーニの時代』で書くと言った「キュビスム」についてです。
【Cubisme(キュビスム)】
「絵画とは真実を伝えるための嘘である」 ---パブロ・ピカソ
キュビスム、と聞いて思うのは、「わかりにくい」というか「わからない」というのが一般の意見ではないだろうか。
印象派なんかと比べて、キュビスムというのはこれといってまとまっていない。それぞれがそれぞれにキュビスムをした、という感じ。明確なグループや思想があったわけではない。
色んな画家がキュビスムの絵を描いたわけですが、今回取り上げるのは、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)[1881-1973]とジョルジュ・ブラック(Georges Braque)[1882-1963]です。なぜなら、この2人によってキュビスムは始まったし、なにより1番明確な意図があるというか、いわゆるキュビスム風、みたいなことではない画家だからである。
この、ピカソとブラックのキュビスムを「正統的キュビスム」と僕は呼んでいる。それ以外のキュビスム風の画家たちを「サロン・キュビスト」とします。
さて、キュビスムの元になったのは何か?何によってキュビスムが生まれることになったか?
1つはセザンヌの影響。つまり…
平面的。幾何学的フォルムへの還元。
そして、多視点の導入。
モチーフを描く時、同一の視点から描くという常識を打ち破った。つまり、物を一カ所から見ていても、その裏側や下など、その位置から見えない部分はわからない。当たり前のことです。そんな中、より”対象を把握するため”に、モチーフの向こう側へ回ってみたりするわけですね。そして、そうやって色々な視点から観察した結果を、同一平面上に絵画として構築するのです。
《果物籠のある静物》
ポール・セザンヌ 1888-1890年
固定された視点、一点透視、などからは考えられない手法なのがわかるでしょう。
こうしたセザンヌの多視点の導入ということを、さらに押し進めたのがピカソやブラックなわけです。
そして、キュビスムの絵を見れば、平面的、幾何学的フォルム、というのも分かると思います。
もう1つとして、アフリカの彫刻がよく言われます。デフォルメされた独特の表情を持つ彫刻である。実際、ピカソのアトリエにも、ある時期からアフリカの彫刻が収集され増えていったらしい。
ピカソとブラックの正統的キュビスムですが、二つの時代に分けることができます。(そもそも、キュビスムの時代を1907-14年と考える。)
・1907-11の「分析的キュビスム」
・1912-14の「総合的キュビスム」
辞書を引けば分かるけれど、分析と総合は対義語。
「分析的キュビスム」とは、一見何が描いてあるかさっぱりわからない、読解不可のように、モチーフが非常に細かく分解されて構築されたキュビスム。
「総合的キュビスム」とは、絵画の中に文字やコラージュなどを取り入れていたり、分解も比較的緩やかな、何が描いてあるか分かる感じのキュビスム。
ポール・セザンヌ 1888-1890年
固定された視点、一点透視、などからは考えられない手法なのがわかるでしょう。
こうしたセザンヌの多視点の導入ということを、さらに押し進めたのがピカソやブラックなわけです。
そして、キュビスムの絵を見れば、平面的、幾何学的フォルム、というのも分かると思います。
もう1つとして、アフリカの彫刻がよく言われます。デフォルメされた独特の表情を持つ彫刻である。実際、ピカソのアトリエにも、ある時期からアフリカの彫刻が収集され増えていったらしい。
ピカソとブラックの正統的キュビスムですが、二つの時代に分けることができます。(そもそも、キュビスムの時代を1907-14年と考える。)
・1907-11の「分析的キュビスム」
・1912-14の「総合的キュビスム」
辞書を引けば分かるけれど、分析と総合は対義語。
「分析的キュビスム」とは、一見何が描いてあるかさっぱりわからない、読解不可のように、モチーフが非常に細かく分解されて構築されたキュビスム。
「総合的キュビスム」とは、絵画の中に文字やコラージュなどを取り入れていたり、分解も比較的緩やかな、何が描いてあるか分かる感じのキュビスム。
ちなみに、キュビスムの始まりを1907年としたが、これはピカソの有名な作品《アヴィニョンの娘たち》が描かれた時(このアヴィニョンとは、アヴィニョン(フランスの地名)の娘、ということではなく、アヴィニョンという娼婦館の名前で、描かれている女性は娼婦)。ただし、《アヴィニョンの娘たち》がキュビスムの最初の作品かというと、実はこれ以前にもあるようです。
では、結局キュビスムとは何なのかということだけど、色んなことをふまえて説明しつつ長ーく詳しく書けば、より深い理解に繋がるのだろうけど、そうすると何だか長くなりすぎてかえって複雑になりそうなので、とりあえずエッセンスを書くことに。
対象の本質をより掴もうとするため、多視点を導入したとは述べた通り。そして、ピカソ、ブラックがそれをさらに進めた、と言いました。
画面のある部分はAという位置からモチーフを見た状態。またある部分は左側へ回り込んで見た状態。ある部分は反対側へ回り込んで見た状態。…というのが画面に配置されて、そして「分析的キュビスム」はこれが非常に非常に細かく行われ、ほとんど何が描いてあるか分からないくらいに分解されて再構築されたもの。
では、結局キュビスムとは何なのかということだけど、色んなことをふまえて説明しつつ長ーく詳しく書けば、より深い理解に繋がるのだろうけど、そうすると何だか長くなりすぎてかえって複雑になりそうなので、とりあえずエッセンスを書くことに。
対象の本質をより掴もうとするため、多視点を導入したとは述べた通り。そして、ピカソ、ブラックがそれをさらに進めた、と言いました。
画面のある部分はAという位置からモチーフを見た状態。またある部分は左側へ回り込んで見た状態。ある部分は反対側へ回り込んで見た状態。…というのが画面に配置されて、そして「分析的キュビスム」はこれが非常に非常に細かく行われ、ほとんど何が描いてあるか分からないくらいに分解されて再構築されたもの。
《アンブロワーズ・ヴォラールの肖像》
パブロ・ピカソ 1910年
こうして描かれた絵に、一体どんな意味があるか?
このように色んな位置から見たものを1枚の画面に描くのだから、画家は移動します。ある角度から見るために移動、別な角度から見るために移動、これを繰り返すわけです。移動、あるいは距離、そして色んな位置から見るのだから、時間という要素も入ってきます。一度に色んな角度からは見れないですね。
そして、記憶。見て記憶したものを、キャンバスの前へ戻って描くわけです。
この「移動」して「記憶」したそれぞれの瞬間瞬間が意識として画面にたくさん定着されている。
それぞれの瞬間に……
移動した場所、見て記憶したもの、その時の意識、
こういった同時には有り得ないそれぞれの時間のものが、同時に画面にある。
これがキュビスム。(ピカソ、ブラックの)
そんなことしたから何なの?普通にじょうずに描いた方がいいじゃない。わかりやすいしさー。
えぇ、確かに。でも、違うんですよ。もっと本質に迫ろうとしたんです。
1つの重要なキーワード。「匂い、あるいは香り」
ピカソは、キュビスムのリアリティは香りのようなもの、と言っています。僕はこれはとても大切なことだと思っています。キュビスムだけじゃなく、絵画を見る上で重要視しています。
仮に何かの匂いを嗅いだとしましょう。「匂い」は確かにありますよね。何か香ったら確かに感じているのだから存在している。でも見えない。状況によっては、どこから匂いが出ているのかわからない。
そういった、「目に見えない、でも確かにある」というもの。いわば、雰囲気のようなもの。描かれたモチーフの場の雰囲気を描いた。それがキュビスムだと。
そして、たとえ一見何が描いてあるか分からない絵でも、その匂いのようなものから、またタイトルから、画面に描かれているパーツなどを探し出し、鑑賞者が再統合する。こうして追体験というか、絵を感じるのです。
分析的キュビスムなんて、現実の空間的な思考なんてまったくあてにならない。
しかし、暗示されているものによって、それらを集積させて、場の雰囲気を醸し出す。
ピカソの言葉
「絵画とは真実を伝えるための嘘である」
とても的確に言い表したフレーズだと思う。
たしか以前にもこの言葉を僕のブログで書いたことがあったと思ったけど(検索したらやっぱありました)、ここまでの文章を読めば、理解できるのではないでしょうか?
たしかに現実そのままを描写したりはしてない。形は滅茶苦茶だし、ハチャメチャに構成されている。
しかし、リアルに描く以上にリアルにその場の雰囲気を、本質を伝えようとした。それ故に、表面的な描写から離れた。
パブロ・ピカソ 1910年
こうして描かれた絵に、一体どんな意味があるか?
このように色んな位置から見たものを1枚の画面に描くのだから、画家は移動します。ある角度から見るために移動、別な角度から見るために移動、これを繰り返すわけです。移動、あるいは距離、そして色んな位置から見るのだから、時間という要素も入ってきます。一度に色んな角度からは見れないですね。
そして、記憶。見て記憶したものを、キャンバスの前へ戻って描くわけです。
この「移動」して「記憶」したそれぞれの瞬間瞬間が意識として画面にたくさん定着されている。
それぞれの瞬間に……
移動した場所、見て記憶したもの、その時の意識、
こういった同時には有り得ないそれぞれの時間のものが、同時に画面にある。
これがキュビスム。(ピカソ、ブラックの)
そんなことしたから何なの?普通にじょうずに描いた方がいいじゃない。わかりやすいしさー。
えぇ、確かに。でも、違うんですよ。もっと本質に迫ろうとしたんです。
1つの重要なキーワード。「匂い、あるいは香り」
ピカソは、キュビスムのリアリティは香りのようなもの、と言っています。僕はこれはとても大切なことだと思っています。キュビスムだけじゃなく、絵画を見る上で重要視しています。
仮に何かの匂いを嗅いだとしましょう。「匂い」は確かにありますよね。何か香ったら確かに感じているのだから存在している。でも見えない。状況によっては、どこから匂いが出ているのかわからない。
そういった、「目に見えない、でも確かにある」というもの。いわば、雰囲気のようなもの。描かれたモチーフの場の雰囲気を描いた。それがキュビスムだと。
そして、たとえ一見何が描いてあるか分からない絵でも、その匂いのようなものから、またタイトルから、画面に描かれているパーツなどを探し出し、鑑賞者が再統合する。こうして追体験というか、絵を感じるのです。
分析的キュビスムなんて、現実の空間的な思考なんてまったくあてにならない。
しかし、暗示されているものによって、それらを集積させて、場の雰囲気を醸し出す。
ピカソの言葉
「絵画とは真実を伝えるための嘘である」
とても的確に言い表したフレーズだと思う。
たしか以前にもこの言葉を僕のブログで書いたことがあったと思ったけど(検索したらやっぱありました)、ここまでの文章を読めば、理解できるのではないでしょうか?
たしかに現実そのままを描写したりはしてない。形は滅茶苦茶だし、ハチャメチャに構成されている。
しかし、リアルに描く以上にリアルにその場の雰囲気を、本質を伝えようとした。それ故に、表面的な描写から離れた。
2006/11/08のBlog
[ 04:27 ]
[ 吐露 ]
本が読みたい。
オラ、本が読みたいです。
でも、どうもここ最近集中力がなくてなのか、読む本といえば画集とかになってしまいます。
無意識にヒントを探しているのかもしれないけれど。
どうも、小説や文芸書が…(苦笑)。
だから、流石に最近は若干購入ペースを緩めて。
じゃないと半地下の底が抜けて、「半」じゃなくて「真性」の地下になってしまう(The 大げさ)。
あ、読んだ本はいくらかたまってます。
鬼私的読書感想文を最近書いてないけれど、突然ぽつぽつっとあげるかもしれないです。
オラ、本が読みたいです。
でも、どうもここ最近集中力がなくてなのか、読む本といえば画集とかになってしまいます。
無意識にヒントを探しているのかもしれないけれど。
どうも、小説や文芸書が…(苦笑)。
だから、流石に最近は若干購入ペースを緩めて。
じゃないと半地下の底が抜けて、「半」じゃなくて「真性」の地下になってしまう(The 大げさ)。
あ、読んだ本はいくらかたまってます。
鬼私的読書感想文を最近書いてないけれど、突然ぽつぽつっとあげるかもしれないです。