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半地下の手記
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2007/08/27のBlog
[ 06:56 ] [ 吐露 ]
ぬあっ!

勉強が足りないっ!!

2007/08/19のBlog
ドリアン・グレイの肖像
著:オスカー・ワイルド 訳:福田恆存 (新潮文庫) 620円
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オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)[1854-1900]は、アイルランドのダブリン出身の小説家・戯曲家。『サロメ』などで有名な、19世紀末の作家である。
1895年、人気を博した作家となっていたワイルドであったが、同性愛により逮捕され、刑務所暮らしとなる。この後は悲惨な人生であった。97年に出所するが、服役中に破産宣告を受けた。晩年はセバスチャン・メルモスという名で過ごし、パリで死んだ。


何とも不思議な、大変面白い作品。

貴族のヘンリー・ウォットン卿、画家のバジル・ホールウォード、そして美貌の青年ドリアン・グレイ、の3人を中心にした物語。
バジルがドリアンの肖像画を描くわけだけれど、それがとてつもない魅力を持った作品に仕上がった。
ドリアンは絵の前で思わず呟く。
「いつまでも若さを失わずにいるのがぼく自身で、老いこんでいくのがこの絵だったなら!」
ドリアンは自宅にこの絵を飾るわけだけれど、あるとき気がつくと、何と願いが叶っているではないか。自分は老けず、絵が老け込み、自分は醜悪なことをしても、絵が醜悪な表情になっていく。
最初は喜んでいるんだけれど、だんだん絵を見ていられなくなり、誰の眼にも触れないように気を配り……。
といった内容。

ヘンリー卿は快楽主義者で、頭はいいのだけれど、あえて世間とズレたがる人物。だが、その妖しさが人を惹きつける。
一方ドリアンは、元々はとても美青年で、おとなしい性格で上品で。でも、ヘンリー卿と出会って、ヘンリー卿の妖しい魅力に強く感化される。若さと美しさの重要性に気づくよう教えたのもヘンリー卿であり、その結果絵の前で願いを口にし、気づかないうちに絵との不思議な神秘の契約も結ばれることになった。

もう単純に話が面白いです。
ヘンリー卿の言葉、ドリアンの変化、飽きません。

もともとドリアンは願いが叶ったのに、それに苦しめられる結果となった。
人間の欲望、願望、その先にあるもの…。
特にドリアンの場合、人間の生物としての絶対の宿命に逆らったものだったわけで。リミットが外れると、人間はおかしくなってしまうものらしい。
ファウストとメフィストフェレスの関係を思い出す。

小説中には、キラリと光る言葉がたくさんある。この作品のキラリは、妖しくキラリ、である。ヘンリー卿の台詞も多くがそうだ。解説の言葉を借りれば「刺戟的逆説」が魅了する。いかに頭のキレた人物かが分かる、考えさせる言葉たち。

バジルは、ドリアンと出会って絵が格段に良くなる。
描く風景画にはドリアンが入っている、とバジルは言う。
そして、ドリアンの肖像画には、バジル自身の魂が入っていると言う。
ここに芸術の面白さがある。筆先に理屈を超えたものが入ってしまったのだ。


魂の契約をしてしまったドリアンの変遷も。
ヘンリー卿の言葉も。
面白く読める作品です。


それから、ワイルドといえば、「芸術のための芸術」。
序文にも痺れましょう。


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芸術が映しだすものは、人生を観る人間であって、人生そのものではない。
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或る芸術作品に関する意見がまちまちであることは、とりもなおさず、その作品が斬新かつ複雑で、生命力に溢れていることを意味している。
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忠実さの中には激しい所有欲がかくれている。なにしろ、この世の中には、他人にひろわれる心配がなかったら、惜しげもなく捨てさることのできるものが無数にあるのだから。
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桜桃をぼんやり口に運ぶ。真夜中にもぎとられたもので、月の冷たさが滲みこんでいた。
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2007/08/14のBlog
[ 16:40 ] [ 展覧会/ART ]
何だこの暑さは。ボイルされているような暑さ。
が、レッツアクティヴである。
駅で体調悪くて30分闘う。
が、レッツアクティヴである。

新宿へ。
期待とかはまったくしていないけれど、一応チェックするつもりだったので、観に行ってみたのです。

サーカスをテーマとした作品を集めた展覧会。
ピカソクレーシャガールなど海外作家9人と、国内作家18人の作品が出品されている。

派手さがある、とかそういった事はないし、画家を寄せ集めたのね、と言われそうなところだが、意外や意外、なかなか良かったのです。
「サーカス」をテーマにしたのが成功した感じ。
サーカスをテーマにした有名がかの作品を連続して観るのは、良い体験だった。同じ主題を扱っても、サーカスの如くそれぞれの味を楽しめる。

特に、ベルナール・ビュッフェジョルジュ・ルオー、マルク・シャガールの作品に惹かれた。
素通りしてしまいそうな何てことない画面。が、ちゃんと画面を見つめてみれば、ビュッフェのセンス、ルオーの表現力、シャガールの雰囲気、に改めて感銘を受ける。

他にも、マティスの切り絵による「JAZZ」シリーズ(マティスは「サーカス」というシリーズにしたかったが、画商の意向で「JAZZ」になった)なども見ることが出来きます。

でもやっぱり僕は、ローランサンとレジェは好みじゃないなぁ、とも思った(笑)。


日本の作家に関していえば、あまり良くなかったと思います。パリなどに留学して現地の画家の影響やらで、サーカスを描いてみるわけですが、それだけに「自分」というものが足りない。おフランス帰りザンス、的なものを感じてしまって、僕はダメでした。いや、そうそうたるメンバーなんですけどね…。


パネル解説では、近代サーカスは1770年頃にイギリスで生まれた、と書いてあったけれど、僕が知る限り、サーカスの起源はエジプトです。ジプシーの文化がサーカスだったわけで。貧しかった彼らが、移動式住居とともに旅して回りながら芸を見せ、生活をしていたのが、最初のサーカスの起源。北へと進む中、ヨーロッパに輸入されたはず。
ヨーロッパでは今でも移動式遊園地とかありますよね。

そのため、サーカスを扱った作品って、どこか異国情緒溢れると言うか、メランコリーやジプシーっぽさが多いと思う。そういった感じが僕は好き。
アーティストが絵のモチーフとして選んだのも、そういった部分が影響しているだろうと思う。


絵画によるサーカス展。
猛暑のなか涼みに観に行ってみても、良いと思います。

夏休みなのでちびっこが多くてビックリ。



[メモ]
解き放たれたイメージ サーカス展
損保ジャパン東郷青児美術館 (新宿)
9月2日まで

2007/08/09のBlog
どうしようもない暑さにくてんくてん。
早起きにしくじり、展覧会へ行けず。

が、一度歩き出せば、体はしゃんとするものだ。
午後、銀座の Aux Bacchanales で、N先生と会う。6月下旬に会って以来。
春までは毎週会っていたのに……。そう思うと、一度一度を濃密にしたいと思う。

銀座の別の喫茶店へ移動。僕の近作の写真をお見せし懇談。

いつも僕は、自分の作品に自信を持っているし信じている。が、それを確信へと変えてくれるのはこの瞬間だ。

心の中で握り拳をつくり、おっしゃ、と叫ぶのである(苦笑)。
そう、よかったのです。ますますヴィジョンも開けた!
はっぴー、Happy!
んふふ…、なにがどうなっだって?まだ秘密です。今後にご期待下さいませ♪


夕方、再び Aux Bacchanales へ戻り、作家さんなど、皆さんと合流。
うおや一丁 へ移動しアルコホリック。
皆さん→
左から、画家の有坂さん、加藤雄太、日本画家の黒須夏子さん、N先生こと美術評論家の中村先生、デザイナーの内田さん、画家の黒須信雄さん。

シャッター押してくれた店員さんが若干手ブレですが(苦笑)、こういう写真は極めて貴重ではないかと……。

いやはや、なんとも濃厚な会話が飛び交っていたかと思います。
だって全員が全員、知識人かつクリエイティヴ。
小生はひたすら日本酒と煙草を飲んでいた気がします。

それにしても、体がエネルギーを得るのは、こういう時だと思う。
刺激を受けたときの内なる振動というのは、とても嬉しくありがたい。不思議な高揚と心地よさ。

終盤、ここでも自作の写真をお見せし、とても良いものを得られた。
次の個展、やりますよ!僕は!


明日というか今日はバイトだ。6時前に起きなきゃ。では、おやすみなさい。

2007/08/05のBlog
[ 14:12 ] [ こんなのも ]
昨夜は、荒川での花火大会だったのです。

以前、うちの目の前の荒川の様子を見せました。
で、その後知って驚いたのだけれど、何と、まさにあそこが打ち上げ場所!!
つまり、目の前……。素晴らしいっ♪

僕の部屋からの眺めはこんな感じ→

目の前の木がちょっと邪魔ですね。
なので少しだけ移動してみると……
こんな感じ→
素晴らしい!!


アルバイトで、朝、品出しをしている時、こっそり「花火ぴあ」を見て調べてみたら(笑)……
なんか有料席もあるらしく、人出は44万人とのこと。
昨日もアルバイトだったので、18時前くらいに地元の駅まで帰ってくると、人人人。
駅内のお店も幕がかかって営業してないし、ベンチも閉鎖、トイレも閉鎖。
道路は当然閉鎖。
中央分離帯までブルーシートで場所取り(笑)。
それにしても、目の前で見れて感激でした。

花火を見ると、いつも泣きそうになる。
何が心をとらえるのか。
スケールや綺麗さ、も、そうなのだろうけれど、しかし花火の本質は「儚さ」だと思う。
ほとんどの花火は所謂「見頃」の状態を1秒と保たない。
その瞬間性で美しさを爆発させるのが、響くのだと思う。
これがもし、何時間も何日間も空に同じ状態を保ったら、この不思議な感動とは違うものになってしまうだろう。
ヒューゥと音を立てながら一筋の線を描き昇っていくのを眺めている間の、期待している時間。
その後の瞬間の美しさ。
でも、その姿をとどめ所有することは出来ない。

あぁ、そうか。
花火の「花」って、その形態だけではなくて、咲いては散っていくそのサイクルも意味に含んでいるのかもしれない。

体に来る振動が心地よかった。


そういえば今日は、仙台で七夕祭り前夜祭の花火大会ですね(だよね?)。
一昨年くらいまでは、毎年行っていたけど、ここ最近ご無沙汰。

2007/08/01のBlog
[ 21:46 ] [ 展覧会/ART ]
すっごい楽しみにしていた展覧会。
この夏のハイライトの1つでしょう。
早速行って来ました。


オディロン・ルドン(Odilon Redon)[1840-1916]は、フランスの画家。
木炭や版画の黒という色彩のみで作品を数多く残した。後年は解き放たれたかのように、彩やかなパステル画や油彩を描いた。
パリでは印象派が誕生し、徐々に隆盛していたのにも関わらず、ルドンはひたすら黒という色彩で描き続け、時代の匂いを敏感に感じ取ったかのような画面やその画風により、象徴主義の画家となった。
描かれた絵は、画家の創造力を源泉とした非常にユニークな画面で、不思議さと奥深さを兼ねそろえている。
といった人で、僕の大好きな画家の1人。


展覧会は「ルドンの黒」というタイトル通り、上述した色を使い始める前の黒い絵をメインに構成され、最後の部屋に鮮やかな色彩の絵が展示されている。
全200点のボリュームある展覧会。
とても良かった!

ルドンは様々な文学作品の挿絵も多く描いているのだけれど、そういった一連のシリーズもしっかり見ることが出来る。

それにしても、黒が深い。
漆の世界には「漆黒」という言葉があるが、まさにそういった類いのもので、単なる黒を突き抜けた魅力がある。
静かな、沈黙の世界の、饒舌。

以前の、『澁澤龍彦 幻想美術館』でもパネルで澁澤の言葉が紹介されていたように、ここにあるルドンの黒は、もうすでにあらゆる色彩を内包していて、後年のパステルや油彩は、ただその秘められていた色彩を解放しただけ、というのが、作品を観ていると良くわかる。

植物学や天文学、ダーウィンの進化論に哲学、そして文学。色んなことに興味を持っていたルドン。本当に貪欲な人というか、好奇心旺盛だなぁ、と。そういった色んなことが、作品に反映してくるのがすごい。

ルドンの創造力が生んだ怪しくも魅力的な世界。
その世界を前に、黒の中へ深く深く吸い込まれてゆき、鮮やかな色彩に夢のようにたゆたう。そうやって自由に感じれば良いのだと思う。


大量に見られるチャンス。オススメです。



[メモ]
ルドンの黒 眼をとじると見えてくる異形の友人たち
Bunkamura ザ・ミュージアム (渋谷)
8月26日まで

2007/07/31のBlog
最近淋しい掲示板(苦笑)。
おそらく、この時期の記事で1番多いであろうフレーズ……

もう半年っ!!

ですね。
もうしばらくすると、
2007年の春秋も早々に過ぎ去り…、などとなってしまうのだろうか。

蒸し蒸しと暑い今日この頃、早速蚊に刺され左手の小指が腫れてます。
今月も行きたい展覧会が結構あるようで、アクティヴにいきたい。

新たに変化を得て溢れてくるイメージが、なかなか画面に表すことが出来ずに、むぅ、ですが、それでもなんとか漕ぎ着けた新作をどうぞ。
なんとも季節感バッチリな色合いですが、図ったわけではなく、そもそも海でもなかったり。



[画像]
《記憶の予感》(仮)
2007/07/01
岩絵具、板
31.8×41.0cm
《Expectation of Memories》(temporary)
Powdered mineral pigments on wood
※画像の無断転載・転用は禁止です

バイト後、泉田法師君と焼き鳥を頬張りながらアルコホリック。
といっても、彼は酒が苦手。
毎回思うけど、これだけ気を置かずに、酒を飲める時間は大切。リセット……は困るけれど、リフレッシュ、である。

再び雷が轟く中帰宅し、爆睡。
夢を見る。

夢の中で、自作について議論しているところを見る。
その中で聞いた、とあるワンフレーズが、目覚めた今も脳裏にこびりついている。
同時に見た、絵のイメージ。
これもしっかり覚えている。

さぁ、この意識の変性状態で得たヒントはヒントなのか。
感触を得られたことはたしか。

目覚めたら、晴れていた。
梅雨が明けたのならいいな。

2007/07/26のBlog
[ 17:52 ] [ 展覧会/ART ]
埼玉の荒川のほとりへ帰っております。

さて、短期帰仙最中日に、宮城県美術館へ行ってきた。
ここには、佐藤忠良記念館があって、ものすっっっごい久々に入ったのである。

佐藤忠良(ちゅうりょう)[1912-]は、宮城県出身の彫刻家。日本を代表する彫刻家の一人。

1990年に、宮城県美術館に佐藤忠良記念館ができた。
久々に入ったら、こんなに立派だったか、と驚く。

それにしても、作品が良かったのでビックリした。
あるべき形、と、自然さ、と言おうか。

佐藤忠良はオーギュスト・ロダンに傾倒した時期もあったのだが、ロダンっぽくないところがよい。
というのも、近代日本の彫刻を観ていると、あまりの「これ、ロダンでしょ」的なフォルムに辟易することが多い。そんなわけで、平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)などの作品を観ると、ものすごく素晴らしく思う。
佐藤忠良の作品を観ていたら、自己の表現というものを強く感じた。自然だし、観ていて心地よい。

立ち寄って良かったと思った。

ちなみに、美術館内には、
「アリスの庭」
とう場所がある。

そこで撮ったウサギさん。



[メモ]
佐藤忠良記念館
宮城県美術館 (仙台市)
常設展につき常時

2007/07/22のBlog
トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す
著:トーマス・マン 訳:高橋義孝 (新潮文庫) 420円
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トーマス・マン(Thomas Mann)[1875-1955]は、ドイツの作家。
ブッデンブローク家の人びと』(1901)という作品で名を上げ、ヴィスコンティが映画化している『ヴェニスに死す』なんかは有名なので聞いたことがあるのでは。1924年には、11年の歳月をかけ『魔の山』を完成させる。1929年にノーベル賞を受賞した。
ドイツを代表する小説家のひとり。


さて、今回の本は、『トニオ・クレーゲル』と『ヴェニスに死す』の2編が収録されている。

『トニオ・クレーゲル』は、トニオ君という文士の話。
少年期から描写は始まり、その後のトニオの生活が描かれる。
芸術への憧憬を持っていたトニオは、どこか孤高の人で、まるで何かを探すように、だが極めて必然のように、様々に土地を渡る。
この話の中では、芸術についてうんと書かれている。そして、それが面白く、惹きつけるものがあった。
物に名前をつけること。
認識の嘔吐。
など、いくつも興味深いことが書かれている。
読んでいると、心が旅をするような、不思議な感覚。
深く洞察し、感ずる、トニオ君。しかし、そんな彼がが彷徨しながらも、なにか開放されるというか、突き抜ける瞬間があるというか、読んでいてそういう場面があるように思えた。
それが、なんでだろう、今思い出して残っている感触は、あったかさなのだ。


『ヴェニスに死す』は、アシェンバハという老人の話。彼も作家である。とても売れっ子。
とある経緯で、ヴェニスへ長期旅行することにしたアシェンバハ。しかし、そこで、どうしようもなく美しく魅力的な幼い少年を、同じホテルに見つけてしまう。彼を見ていたいが為に、ずるずるヴェニス滞在は延びていくわけなのだが。
心理描写が美しい。


どちらの作品にも言えることなのだけれど、とても綺麗なのだ。
どうしようもなく美しくて、切なささえ美しさになってしまう。
キラキラ光っている思い出箱、という理屈のない感覚を持ってしまった。

押し付けがましい硬さなどなく、ちらちらと「美」や「芸術」が見える文章。
アーティストとして僕は、とても素敵な本だと思いました。
おススメです。


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波の中には歓呼の声のようなものが沸き上がってきた。そうしてこの声は暴風と怒涛の響きにまさるほどに強いもののように思われた。愛情に油を注がれて、海へ寄せる歌声が心の中に響きわたった。なんじわが若き日の猛き友よ、今ぞわれら結ぼおれたり……しかしそのさきは続けられなかった。この詩は完成せず、十分に仕上げられず、また、悠々として何か纏まったものに刻み上げられることがなかった。彼の心は生きていたからである。

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