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2007/12/24のBlog
[ 20:51 ]
[ 映画/映像/アニメ ]
『MAGNUM PHOTOS マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』
(1999年 ドイツ 89分)
監督:ライナー・ホルツマー 出演:マグナムのみなさん
--------------------------------------------------------------------
もう年内は(金欠だから)展覧会とか行かないぞ。と思っていたのだけれど、Fさんからお誘いを受け、昨日は色々行ってきました。
新宿で待ち合わせ、恵比寿の東京都写真美術館へ。
マグナムのドキュメンタリーを見る。
「マグナム・フォト」とは、ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京に組織を置く集団写真家集団。多くの有名写真家が在籍。
もともとは、写真家の権利を守り、自由に活動するために、ロバート・キャパ(Robert Capa)、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)、ジョージ・ロジャー(George Rodger)、デヴィッド・シーモア(David Seymour)、らが1947年に創設。
以来、フォト・ジャーナリズムの第一線集団として、世界に名を轟かせ、現在ももちろんマグナムブランドは健在。20世紀の重要な場面、重要な人物を、本当に数多く撮影し、世界へと伝えてきた。
そんなマグナムの、現在を映したドキュメンタリー。今は約50人の会員がいるが、そのうちの何人かにインタビューしたり、実際の撮影現場に密着したりした映画。
そういった意味で、とても興味深いものです。
候補生→準会員→会員、というステップを経て、会員になるんだぁ。年に1回、全会員が集って周回が行われ、そこで会員希望者から送られてきた作品を見て、無記名投票によって新しい会員が選出される、ということも初めて知った。
やっぱりキャパやブレッソン、が好きだけれど、現在の会員が何を考えているかとかが、本人の口から語られたりする。
それぞれがそれぞれの考えを持っていて、なんというか意外な感じを受けるところもあり、現在のマグナムをチラリと見れる。
撮影に同行している場面も多くあるのだけれど、各自本当に自由に足を運んで、自由にシャッターを切って。写真が好きなんだなぁ、という1番大切なところが見れて良かった。生活の延長に仕事がある感じを受けて、素敵だなと思った。
UTさんは、途中でちょっぴり居眠りしちゃったけど(笑)。
[メモ]
『MAGNUM PHOTOS マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』
@東京都写真美術館 (恵比寿)
2008年1月18日まで
以後、名古屋、大阪で上映。
(1999年 ドイツ 89分)
監督:ライナー・ホルツマー 出演:マグナムのみなさん
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もう年内は(金欠だから)展覧会とか行かないぞ。と思っていたのだけれど、Fさんからお誘いを受け、昨日は色々行ってきました。
新宿で待ち合わせ、恵比寿の東京都写真美術館へ。
マグナムのドキュメンタリーを見る。
「マグナム・フォト」とは、ニューヨーク、パリ、ロンドン、東京に組織を置く集団写真家集団。多くの有名写真家が在籍。
もともとは、写真家の権利を守り、自由に活動するために、ロバート・キャパ(Robert Capa)、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)、ジョージ・ロジャー(George Rodger)、デヴィッド・シーモア(David Seymour)、らが1947年に創設。
以来、フォト・ジャーナリズムの第一線集団として、世界に名を轟かせ、現在ももちろんマグナムブランドは健在。20世紀の重要な場面、重要な人物を、本当に数多く撮影し、世界へと伝えてきた。
そんなマグナムの、現在を映したドキュメンタリー。今は約50人の会員がいるが、そのうちの何人かにインタビューしたり、実際の撮影現場に密着したりした映画。
そういった意味で、とても興味深いものです。
候補生→準会員→会員、というステップを経て、会員になるんだぁ。年に1回、全会員が集って周回が行われ、そこで会員希望者から送られてきた作品を見て、無記名投票によって新しい会員が選出される、ということも初めて知った。
やっぱりキャパやブレッソン、が好きだけれど、現在の会員が何を考えているかとかが、本人の口から語られたりする。
それぞれがそれぞれの考えを持っていて、なんというか意外な感じを受けるところもあり、現在のマグナムをチラリと見れる。
撮影に同行している場面も多くあるのだけれど、各自本当に自由に足を運んで、自由にシャッターを切って。写真が好きなんだなぁ、という1番大切なところが見れて良かった。生活の延長に仕事がある感じを受けて、素敵だなと思った。
UTさんは、途中でちょっぴり居眠りしちゃったけど(笑)。
[メモ]
『MAGNUM PHOTOS マグナム・フォト 世界を変える写真家たち』
@東京都写真美術館 (恵比寿)
2008年1月18日まで
以後、名古屋、大阪で上映。
2007/12/21のBlog
[ 23:59 ]
[ 本 ]
『生きて死ぬ私』 1998年
著:茂木健一郎 (ちくま文庫) 672円
--------------------------------------------------------------------
今までも何度かこのブログで名前を出している茂木健一郎の本です。
茂木健一郎[1962-]は脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所のシニアリサーチャーであり、東京工業大などで研究室を持ち、東京芸大でも教鞭をとっている。
芸大で教鞭からもわかるように“脳と創造性”は氏のテーマの1つであることによるアートへの言及、そしてそのハッとする言動、もうひとつ言えば、鬼恐ろしいほどの多忙さというか濃密な時間の使い方、という点によって、前から個人的に気になっている存在。
以前トークショーにも行きましたね。
そんな茂木健一郎の『生きて死ぬ私』。簡単に言えばエッセイである。
理論書や科学書ではなく、エッセイである。文系の僕でも、右回転にしか見えない僕でも読めた。
茂木さんと言えばクオリアだが、僕の理解した限りでクオリアを説明すると、質感らしい。例えば、赤という色を見て感じる「赤らしさ」。音楽を聴いて感じる感覚。長嶋茂雄という人を思い浮かべた時の長嶋茂雄という独特の質感。脳が感じるそういったそれぞれが持つそれぞれの質感がクオリアであり、つまり全てはクオリアである、という事ができるようだ。
余談だが、このクオリアの秘密が解ければ、ノーベル賞100個に相当するほど、それほど難しいらしい。
さて、本では最初に人生の転機として、過去のある出来事から始まる。
電車に乗っている時、何気なしに電車の音を聴いていたら、突然「ガタンゴトン」という音が生々しい質感をもって迫ってきたこと。また、夜にオレンジ色の街灯をぼんやりと見ていた時、そのオレンジ色がなぜオレンジ色とわかるのだろう、と急に思ったという。
この本で、茂木さんはある1つのことを宣言している。
つまり、
「人生のすべては、脳の中にある。」
ということだ。
これは、脳科学の立場から、純然たる事実らしい。
そして、
人間の心は、脳内現象にすぎない。
人間の喜びも、悲しみも、すべての感情は、脳の中にある。
だから、
物質である脳に、どうして心という精神現象が宿るのか?
と、科学的アプローチが生まれるし、
人間とは何か?
という普遍的な問いに脳科学者の立場から取り組んでいる。
それに、死後の世界も否定している。生きている間がすべてで、だからこそ生きている間を充実させるべきだ、と言っている。
こうして書いてみると、スピリチュアルなものが好きな人や、信心深い人は、この人に対して少なからず嫌悪感を持つと思う。
僕も、この本の出だしでこう言った事が述べられるので、けっこうショッキングだったというか、僕はオカルトっぽいの好きなので、なんというか色々信じたいのです。
そんな僕ですが、不思議と読み進めても嫌悪感が出ないのです。
なぜか。
この本はですね、そういった冷静というかそういう立場から書かれているけれど、にもかかわらず、優しさとあたたかさがあるんだよね。不思議な事に。
何故かは分からないのだけれど、大きな何かの中にゆらゆらと浮かんでいる感覚というか、そういった独特の温度がある。
だから、読む事が出来るのかなぁ、と思った。
それに、僕が常に心がけている1つの事がある。
とりあえず話を聞いて、一旦咀嚼するということだ。頭ごなしに否定したり決めつけてはいけない。話を聞かないやつ程、浅薄だと思っている。
氏のいう多様性ということを借りるならば、まさに多様性を受け入れること。
茂木さんが冷たい人間ではない、ということは、そうやってしっかり向き合って本を読めばわかる。
それに、アートに対して語っていることとか聞いていれば、それは充分わかるでしょう。本当に人間と向き合っているというか、見つめているというか。
本自体は、エッセイと言った事からも分かるように、哲学的な話や、過去の出来事など、色んなことが話されています。
1回くらいは読んでみてもいいんじゃないかな、と思う本。
著:茂木健一郎 (ちくま文庫) 672円
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今までも何度かこのブログで名前を出している茂木健一郎の本です。
茂木健一郎[1962-]は脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所のシニアリサーチャーであり、東京工業大などで研究室を持ち、東京芸大でも教鞭をとっている。
芸大で教鞭からもわかるように“脳と創造性”は氏のテーマの1つであることによるアートへの言及、そしてそのハッとする言動、もうひとつ言えば、鬼恐ろしいほどの多忙さというか濃密な時間の使い方、という点によって、前から個人的に気になっている存在。
以前トークショーにも行きましたね。
そんな茂木健一郎の『生きて死ぬ私』。簡単に言えばエッセイである。
理論書や科学書ではなく、エッセイである。文系の僕でも、右回転にしか見えない僕でも読めた。
茂木さんと言えばクオリアだが、僕の理解した限りでクオリアを説明すると、質感らしい。例えば、赤という色を見て感じる「赤らしさ」。音楽を聴いて感じる感覚。長嶋茂雄という人を思い浮かべた時の長嶋茂雄という独特の質感。脳が感じるそういったそれぞれが持つそれぞれの質感がクオリアであり、つまり全てはクオリアである、という事ができるようだ。
余談だが、このクオリアの秘密が解ければ、ノーベル賞100個に相当するほど、それほど難しいらしい。
さて、本では最初に人生の転機として、過去のある出来事から始まる。
電車に乗っている時、何気なしに電車の音を聴いていたら、突然「ガタンゴトン」という音が生々しい質感をもって迫ってきたこと。また、夜にオレンジ色の街灯をぼんやりと見ていた時、そのオレンジ色がなぜオレンジ色とわかるのだろう、と急に思ったという。
この本で、茂木さんはある1つのことを宣言している。
つまり、
「人生のすべては、脳の中にある。」
ということだ。
これは、脳科学の立場から、純然たる事実らしい。
そして、
人間の心は、脳内現象にすぎない。
人間の喜びも、悲しみも、すべての感情は、脳の中にある。
だから、
物質である脳に、どうして心という精神現象が宿るのか?
と、科学的アプローチが生まれるし、
人間とは何か?
という普遍的な問いに脳科学者の立場から取り組んでいる。
それに、死後の世界も否定している。生きている間がすべてで、だからこそ生きている間を充実させるべきだ、と言っている。
こうして書いてみると、スピリチュアルなものが好きな人や、信心深い人は、この人に対して少なからず嫌悪感を持つと思う。
僕も、この本の出だしでこう言った事が述べられるので、けっこうショッキングだったというか、僕はオカルトっぽいの好きなので、なんというか色々信じたいのです。
そんな僕ですが、不思議と読み進めても嫌悪感が出ないのです。
なぜか。
この本はですね、そういった冷静というかそういう立場から書かれているけれど、にもかかわらず、優しさとあたたかさがあるんだよね。不思議な事に。
何故かは分からないのだけれど、大きな何かの中にゆらゆらと浮かんでいる感覚というか、そういった独特の温度がある。
だから、読む事が出来るのかなぁ、と思った。
それに、僕が常に心がけている1つの事がある。
とりあえず話を聞いて、一旦咀嚼するということだ。頭ごなしに否定したり決めつけてはいけない。話を聞かないやつ程、浅薄だと思っている。
氏のいう多様性ということを借りるならば、まさに多様性を受け入れること。
茂木さんが冷たい人間ではない、ということは、そうやってしっかり向き合って本を読めばわかる。
それに、アートに対して語っていることとか聞いていれば、それは充分わかるでしょう。本当に人間と向き合っているというか、見つめているというか。
本自体は、エッセイと言った事からも分かるように、哲学的な話や、過去の出来事など、色んなことが話されています。
1回くらいは読んでみてもいいんじゃないかな、と思う本。
2007/12/18のBlog
[ 23:59 ]
[ 本 ]
『海に住む少女』 1931年
著:シュペルヴィエル 訳:永田千奈 (光文社古典新訳文庫) 500円
-----------------------------------------------------------------
ジュール・シュペルヴィエル(Jules Supervielle)[1884-1960]はウルグアイ出身のフランスの小説家。両親はフランス人。
生後8ヶ月でフランスに帰国するが、相次いで両親が死去し、祖母に引き取られる。2歳でウルグアイの伯父夫妻に引き取られ、10歳でこの伯父夫妻と共にフランスへ帰国した。
童話のような優しい語り口の、幻想的な短篇集。全部で10篇が収録されている。
読んでいると、想像力をかき立てられる。現実から飛躍した空間へと思考を誘うような作品たちだった。
静かな、ゆっくりとしたオルゴールの音色が似合いそうな、そんな雰囲気。
でも、最初の3編くらいを読んでいる段階で、だいぶつらかった。ぎゅっと締め付けられるような哀しみ。苦しい。
それが原因か、あまり好きになれないのだ。
中盤過ぎれば、ちょっとは和らいできたのだけれど。たしか。
でも、好まれる感じなのかな。
様々な絵が浮かぶ、静かで、幻想的な、それだけに一層哀しみが引き立つ物語。
------------------
空の秘密を隠すため、星が見張りに出かけて不在の場所には、必ず雲が浮かぶのでした。
------------------
著:シュペルヴィエル 訳:永田千奈 (光文社古典新訳文庫) 500円
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ジュール・シュペルヴィエル(Jules Supervielle)[1884-1960]はウルグアイ出身のフランスの小説家。両親はフランス人。
生後8ヶ月でフランスに帰国するが、相次いで両親が死去し、祖母に引き取られる。2歳でウルグアイの伯父夫妻に引き取られ、10歳でこの伯父夫妻と共にフランスへ帰国した。
童話のような優しい語り口の、幻想的な短篇集。全部で10篇が収録されている。
読んでいると、想像力をかき立てられる。現実から飛躍した空間へと思考を誘うような作品たちだった。
静かな、ゆっくりとしたオルゴールの音色が似合いそうな、そんな雰囲気。
でも、最初の3編くらいを読んでいる段階で、だいぶつらかった。ぎゅっと締め付けられるような哀しみ。苦しい。
それが原因か、あまり好きになれないのだ。
中盤過ぎれば、ちょっとは和らいできたのだけれど。たしか。
でも、好まれる感じなのかな。
様々な絵が浮かぶ、静かで、幻想的な、それだけに一層哀しみが引き立つ物語。
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空の秘密を隠すため、星が見張りに出かけて不在の場所には、必ず雲が浮かぶのでした。
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2007/12/15のBlog
[ 23:59 ]
[ 雑記 ]
個展が終わって、のんびりする間もなく、新作の制作に全力投球中。
次の個展までの期間は短いけれど、前回と比べなんら新鮮さがなく…、などとなるつもりはない。何かしらの変化を見せたい。
そんな風に思いながら、描き描きしております。
ただ、新作を描く資金が切実に…(爆)。
欠かせなかった発泡酒を、こんなに長い間買わないなんて、近年稀に見る現象!
しかし、こうしてガーッと集中して描いている時って、どういうわけか、色々美術書を読んで勉強したくなって、タイミングが。
知りたい事や描きたい事で爆発しそう。
でも、かなり今、脳みそシフト中ですね。確実に意識が上がっているという実感がある。
すごく集中できている。
深く深く、真実を語ろうと思います。
次の個展までの期間は短いけれど、前回と比べなんら新鮮さがなく…、などとなるつもりはない。何かしらの変化を見せたい。
そんな風に思いながら、描き描きしております。
ただ、新作を描く資金が切実に…(爆)。
欠かせなかった発泡酒を、こんなに長い間買わないなんて、近年稀に見る現象!
しかし、こうしてガーッと集中して描いている時って、どういうわけか、色々美術書を読んで勉強したくなって、タイミングが。
知りたい事や描きたい事で爆発しそう。
でも、かなり今、脳みそシフト中ですね。確実に意識が上がっているという実感がある。
すごく集中できている。
深く深く、真実を語ろうと思います。
2007/12/12のBlog
[ 23:59 ]
[ 雑記 ]
来春くらいから始まるかもしれないとある事のため、浦和へ打ち合わせに行く。
浦和駅から歩く道は、祭りの真っ只中だった。
出店が延々と続く。
祭りの通りは匂やかだ。
色取り取り。美味しそうな香り。
明日にはなくなってしまう儚さ。
そんなところが好きだ。
浦和駅から歩く道は、祭りの真っ只中だった。
出店が延々と続く。
祭りの通りは匂やかだ。
色取り取り。美味しそうな香り。
明日にはなくなってしまう儚さ。
そんなところが好きだ。
2007/12/09のBlog
[ 17:06 ]
[ UTの個展など ]
この度、UTさんの個展、
『加藤 雄太 展 -記憶と予感を通して-』
が終了しました。
足を運んで下さった方々、どうもありがとうございました。
行くことは出来ずとも応援して下さっている方々、どうもありがとうございました。
来られなかった方々も多いと思うので、会場の様子を少々。
『加藤 雄太 展 -記憶と予感を通して-』
が終了しました。
足を運んで下さった方々、どうもありがとうございました。
行くことは出来ずとも応援して下さっている方々、どうもありがとうございました。
来られなかった方々も多いと思うので、会場の様子を少々。
1ヶ月、こんな長い期間個展をするということが、卒業した年に訪れるとは、流石に思ってもいなかったですが、なんとも幸運です。
終わってみると、どうして短く感じるのだろう。
病院という場所ということもあり、なかなか絵を見にくる人は稀な環境でしたが、それはそれで、非常に考える所もあり、色々と思いを新たにした次第です。
終わってみると、どうして短く感じるのだろう。
病院という場所ということもあり、なかなか絵を見にくる人は稀な環境でしたが、それはそれで、非常に考える所もあり、色々と思いを新たにした次第です。
中には、とても気に入ってくれたのか、2度足を運んでいただいたかたもいるようで、もう嬉しいというかありがたいというか、感無量ですね。
来年2月の個展も迫っています。今はもう完全にそこへフォーカスして、素晴らしいものにしようと思っています。
やるしかないんだ。
僕が描く前はこの世に存在すらしなかったものを生み出しているという誇り。
そして生まれたものが間違いなく良いものであるという自信。
来年2月の個展も迫っています。今はもう完全にそこへフォーカスして、素晴らしいものにしようと思っています。
やるしかないんだ。
僕が描く前はこの世に存在すらしなかったものを生み出しているという誇り。
そして生まれたものが間違いなく良いものであるという自信。
2007/12/05のBlog
[ 23:59 ]
[ 展覧会/ART ]
アルベール・アンカー(Albert Anker)[1831-1910]は、スイスの画家。秋から春はパリで制作するため滞在し、夏は故郷で過ごした。写実的に叙情的な作品を描いたが、その舞台はことごとく故郷のスイス、インス村である。
と、チラシには説明があり、この時期他に観てない展覧会はないかなぁと思っていたら、この展覧会が目に飛び込んだので、見てみようと思っていた。
スイスでは国民的な人気がある画家らしいが、僕は全く知りませんでした。今回初めて知った画家。
今後、展覧会へ行こうと思っている人のために、展覧会選択の参考になればと、僕はこのブログでは至って正直に書くことにしているので、今回も正直に書きます。
作品はどれもアカデミックに描かれたもので、それは別にいいのだけれど、描かれている人物たちは大変美化されている印象を受け、なんともクサいドラマのワンシーンの様である。
モデルが誰なのかわからないけれど、家族や村が大好きなんだなぁ、ということはたしかに伝わる。が、それ以上のものはない。絵に深みがまるでないのだ。
インス村の中では1番絵がうまい人、ということで残っているのではないだろうか。これが、パリで勝負していたら、消えてしまっている気がする…。
本当にスイスで人気なのか疑問だ。
でも、それでも、数枚は良い作品があった。明らかに他より素晴らしいのが。
やっぱり断然、そういう絵に目がいきますよね。
ただ、展示構成も強引な所があるように思え、あまり褒められる点が見つからない展覧会でした。
と、いうことで、観終わった後は、N先生とカフェで座談会。カフェとは言えど、飲むものはアルコール。
あとで気づいてビックリしたのだが、夕方から9時過ぎまで、延々と話し合っていた。そんなに長時間だったとは!
目標と野望と情熱と、色々と語った気がする。
こんな奇妙奇天烈ですごいことを口にする駆け出し画家と“真剣に向き合って”いただいていることに、いつも本当に感謝です。
1人の人間と、全力で向き合う、ことは難しい。ましてや、その継続は尚更。
それだけに、なんて素敵なのだろうと思います。
N先生とお別れして帰宅する途中、乗り換えの新宿で携帯を見ると、着信履歴がある。
高校の同級生からだ。拓徳くんは、お互いの実家が近い。
電話をしてみると、仕事が終わった後、僕の個展を観るために銀座へ行ったのだけれど(飯田橋なのに/苦笑)、どこかわからないから電話をくれたらしい。結局分からなかったから今は渋谷にいるとのこと。
「なら今から新宿で会おう」と言う。
即来てくれて、共に居酒屋へ消える。
このフットワークの軽さ。
僕はしょっちゅう自分の都合なのだが、柔軟に合わせ飛んで来てくれる。そういう友が数名いる。
うだうだするような間はない。
このリズムの良さがとても心地よい。これまた感謝感謝です。
[メモ]
アンカー展
@Bunkamura ザ・ミュージアム (渋谷)
1月20日まで
と、チラシには説明があり、この時期他に観てない展覧会はないかなぁと思っていたら、この展覧会が目に飛び込んだので、見てみようと思っていた。
スイスでは国民的な人気がある画家らしいが、僕は全く知りませんでした。今回初めて知った画家。
今後、展覧会へ行こうと思っている人のために、展覧会選択の参考になればと、僕はこのブログでは至って正直に書くことにしているので、今回も正直に書きます。
作品はどれもアカデミックに描かれたもので、それは別にいいのだけれど、描かれている人物たちは大変美化されている印象を受け、なんともクサいドラマのワンシーンの様である。
モデルが誰なのかわからないけれど、家族や村が大好きなんだなぁ、ということはたしかに伝わる。が、それ以上のものはない。絵に深みがまるでないのだ。
インス村の中では1番絵がうまい人、ということで残っているのではないだろうか。これが、パリで勝負していたら、消えてしまっている気がする…。
本当にスイスで人気なのか疑問だ。
でも、それでも、数枚は良い作品があった。明らかに他より素晴らしいのが。
やっぱり断然、そういう絵に目がいきますよね。
ただ、展示構成も強引な所があるように思え、あまり褒められる点が見つからない展覧会でした。
と、いうことで、観終わった後は、N先生とカフェで座談会。カフェとは言えど、飲むものはアルコール。
あとで気づいてビックリしたのだが、夕方から9時過ぎまで、延々と話し合っていた。そんなに長時間だったとは!
目標と野望と情熱と、色々と語った気がする。
こんな奇妙奇天烈ですごいことを口にする駆け出し画家と“真剣に向き合って”いただいていることに、いつも本当に感謝です。
1人の人間と、全力で向き合う、ことは難しい。ましてや、その継続は尚更。
それだけに、なんて素敵なのだろうと思います。
N先生とお別れして帰宅する途中、乗り換えの新宿で携帯を見ると、着信履歴がある。
高校の同級生からだ。拓徳くんは、お互いの実家が近い。
電話をしてみると、仕事が終わった後、僕の個展を観るために銀座へ行ったのだけれど(飯田橋なのに/苦笑)、どこかわからないから電話をくれたらしい。結局分からなかったから今は渋谷にいるとのこと。
「なら今から新宿で会おう」と言う。
即来てくれて、共に居酒屋へ消える。
このフットワークの軽さ。
僕はしょっちゅう自分の都合なのだが、柔軟に合わせ飛んで来てくれる。そういう友が数名いる。
うだうだするような間はない。
このリズムの良さがとても心地よい。これまた感謝感謝です。
[メモ]
アンカー展
@Bunkamura ザ・ミュージアム (渋谷)
1月20日まで
[ 23:50 ]
[ 展覧会/ART ]
今日も時間とにらめっこしながらの移動だった。
まずは、飯田橋へ行って自分の個展をチェック。
もう、会期も終盤の終盤。1ヶ月。まだ終わってないけれど、長かったなぁ。残りの数日。作品たちに頑張ってもらいたい。
上野へ。
初めて行く画廊。送られてきたDMや雑誌でちょっと気になったので行ってみた。
まずは、飯田橋へ行って自分の個展をチェック。
もう、会期も終盤の終盤。1ヶ月。まだ終わってないけれど、長かったなぁ。残りの数日。作品たちに頑張ってもらいたい。
上野へ。
初めて行く画廊。送られてきたDMや雑誌でちょっと気になったので行ってみた。
京橋へ。
ギャラリー山口の地下1階の展示を観る。
『齊藤瑠里展』
僕より2歳上のまったく知らない画家なのだけれど、ちょいと気になって観に来たのだ。
いつもは大抵、画廊なんてマッハで観終わる。
それがどうだ。立ち止まってしまった。
何だ一体!?誰なんだキミは!?と、いう具合の強さのある作品。無視できない。
茂木氏の言っていた「無関心よりも引っかかるものの方が強い」ということを、改めて体験する。
いやね、素直に言えば良かったのです。不思議な良さ。
銀座へ。
ギャラリーを2カ所見て回る。
その後、渋谷へ。本当は画材屋のセールへまずは行く予定だったが、もう時間がなくなっていた。
というのも、たまたま同じ日に同じ展覧会へ行くことが分かったので、N先生と待ち合わせ。『アンカー展』を観るのである。
Bunkamura前の灰皿で3週間ぶりにお会いして、Bunkamura ザ・ミュージアムへ。
この記事は次に独立させましょう。
ギャラリー山口の地下1階の展示を観る。
『齊藤瑠里展』
僕より2歳上のまったく知らない画家なのだけれど、ちょいと気になって観に来たのだ。
いつもは大抵、画廊なんてマッハで観終わる。
それがどうだ。立ち止まってしまった。
何だ一体!?誰なんだキミは!?と、いう具合の強さのある作品。無視できない。
茂木氏の言っていた「無関心よりも引っかかるものの方が強い」ということを、改めて体験する。
いやね、素直に言えば良かったのです。不思議な良さ。
銀座へ。
ギャラリーを2カ所見て回る。
その後、渋谷へ。本当は画材屋のセールへまずは行く予定だったが、もう時間がなくなっていた。
というのも、たまたま同じ日に同じ展覧会へ行くことが分かったので、N先生と待ち合わせ。『アンカー展』を観るのである。
Bunkamura前の灰皿で3週間ぶりにお会いして、Bunkamura ザ・ミュージアムへ。
この記事は次に独立させましょう。
2007/12/04のBlog
[ 20:48 ]
[ 映画/映像/アニメ ]
『アルベルト・ジャコメッティ 本質を見つめる芸術家』
監督:ハインツ・バトラー
--------------------------------------------------------------------
ジャコメッティのドキュメンタリーDVDが発売された!
監督は、『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』のハインツ・バトラー。
Amazonで26%OFFだったので、即予約して買ってしまった。
以前、展覧会の記事を書いたように、ジャコメッティ・ファンの僕としてはとても嬉しい出来事。
それだけに、内容は少しがっかり、だったかなぁ。
ジャコメッティより、周囲の人々の回想インタビューが多くて。まぁしようがないのだけれど。
でも、それでも、ジャコメッティの深い言葉の数々、そして貴重な制作シーンなども収録されているので、楽しめました。
周囲の人の証言にしても、なかなかぶっ飛んでて興味深いエピソードがあったりして、それもそれでジャコメッティを知れて面白かった。
特典映像で20分くらい、美術評論家ジェイムズ・ロードが語るジャコメッティのバイオグラフィが収録されていて、これはなかなか良かったです。
どうして作品が細長いのか、小さいのか、ジャコメッティ自身が語っていたりして、なかなか貴重な1本。
監督:ハインツ・バトラー
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ジャコメッティのドキュメンタリーDVDが発売された!
監督は、『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』のハインツ・バトラー。
Amazonで26%OFFだったので、即予約して買ってしまった。
以前、展覧会の記事を書いたように、ジャコメッティ・ファンの僕としてはとても嬉しい出来事。
それだけに、内容は少しがっかり、だったかなぁ。
ジャコメッティより、周囲の人々の回想インタビューが多くて。まぁしようがないのだけれど。
でも、それでも、ジャコメッティの深い言葉の数々、そして貴重な制作シーンなども収録されているので、楽しめました。
周囲の人の証言にしても、なかなかぶっ飛んでて興味深いエピソードがあったりして、それもそれでジャコメッティを知れて面白かった。
特典映像で20分くらい、美術評論家ジェイムズ・ロードが語るジャコメッティのバイオグラフィが収録されていて、これはなかなか良かったです。
どうして作品が細長いのか、小さいのか、ジャコメッティ自身が語っていたりして、なかなか貴重な1本。
2007/12/02のBlog
[ 19:08 ]
[ 展覧会/ART ]
自分の個展、六本木クロッシング、阪本トクロウ、ときて、もう夕方。
慌てて国立新美術館へ。
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)[1632-1675]は、オランダの画家。17世紀を代表する画家の一人。
現存する作品は30点少々と、極めて少ない。この作品数でこの巨匠っぷりというのは、すごいことだ。《真珠の耳飾りの少女》で有名な、あの画家です。
生涯のほとんどをデルフトで過ごし、《デルフトの眺望》という作品も残している。UTさんが大好きな作品の一つです。
フェルメールは謎が多いがかでもあり、彼のことについては資料によってまちまちである。
生前は無名であり、死後評価された。と記述するものもあれば、生前もそれなりに有名で、死後、美術史から一度消えるが、その後再評価された、とするものもある。
いずれにしても、一度人々の記憶から忘れられてしまったことがあるが、19世紀になって現在の評価が確立したようだ。
その為なのか、作品は世界中に分散し、なかなか一堂に観る機会はない。
信用していいのかよくわからないが、フェルメール自身は画家としてではなく、画商として生計を立てていたらしい。
フェルメールと言えば、以前記事にした「カメラ・オブスクーラ」を制作に用いたことが有名で、ちょっと前に随分話題になった。
また、フェルメールの使う青は、宝石ラピス・ラズリを粉末にしたものである。当時、金よりも高価だったため、この青は非常に貴重なものだった。このことがよく話題にされるが、今UTが使っている岩絵具の「群青」はラピス・ラズリである。別に、際立って特別なことではないと、ここで言っておきたい。天然岩絵具が高い理由が分かっていただけるでしょうか。
話が逸れてしまいましたが、フェルメールは43歳で死去。なんとも惜しいです。
展覧会のことに入りましょう。
まず驚いたのは、会場の空き具合。僕はてっきりモネ展ぐらい混んでいるんだろうなぁ…、と思っていて、それが今まで足を運ばなかった理由なのだけれど、フェルメールにしてはビックリする程の人の少なさ。いやぁ、嬉しい限りです。
フェルメールと同時代のオランダの画家たちの作品が沢山あり、メインのフェルメールは《牛乳を注ぐ女》が1枚。
フェルメール以外はさらっと観た。
フェルメール、素晴らしかった。
あれだけの数の作品が展示されている中で、明らかに際立って異彩を放っている。これは大げさでもなんでもなく事実である。
なぜこれだけ見とれてしまうのか。沢山のなかで、この1枚が立ち上がってくるのか。
他と見比べたりしながら鑑賞していて、…わかった。
当時のオランダ市民たちの様子が描かれた風俗画、という同じカテゴリーの作品ではあるのだけれども、その他の画家たちの絵は「当時の様子を伝える資料的」な印象を持った。つまり、人物などもどこかポーズのようで、舞台のワンシーンというような感じなのだ。
それに対してフェルメールの《牛乳を注ぐ女》は、当時の貧しい市民の一生活が描かれているのではあるが、それ以上にこの女、つまり人間が描かれている。この女性の、まさに365日を感じさせる絵のだ。きっとこの女性は、24時間後も同じことをしているだろう…と。
描かれている女性は驚く程ふくよかで、表情も穏やかである。
が、その牛乳を注ぐ仕草、肩の辺りに疲れというか気怠さが表れているように思う。
慎ましく幸せではあるけれども、生活に対するある種の「諦観」が絵に描かれているのだ。
そして、この暗黙の諦観は、時代を超え現代にも通ずる。
無意識の領域の人間生活の本質がそこには封じ込められているのではないだろうか。
もう1つ明らかな違いを言えば、その他の画家たちの絵が停止・静止しているのに対し、《牛乳を注ぐ女》は、牛乳を注ぎ続けている。何とも言えない微妙な“動”を感じた。
あと、単純に圧倒的に上手いです。
というのが、今回感じたこと。
この1枚を観るためだけにも、足を運ぶ価値はあると思います。
ちなみに、いよいよ閉館が近づいてくると、もう観客はほとんどいなくなって、《牛乳を注ぐ女》を邪魔されず好きなだけ観ることができました!
他の部屋に関しては、貸し切り状態!
ラッキーだったなぁ♪
[メモ]
フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
@国立新美術館 (六本木)
12月17日まで
慌てて国立新美術館へ。
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)[1632-1675]は、オランダの画家。17世紀を代表する画家の一人。
現存する作品は30点少々と、極めて少ない。この作品数でこの巨匠っぷりというのは、すごいことだ。《真珠の耳飾りの少女》で有名な、あの画家です。
生涯のほとんどをデルフトで過ごし、《デルフトの眺望》という作品も残している。UTさんが大好きな作品の一つです。
フェルメールは謎が多いがかでもあり、彼のことについては資料によってまちまちである。
生前は無名であり、死後評価された。と記述するものもあれば、生前もそれなりに有名で、死後、美術史から一度消えるが、その後再評価された、とするものもある。
いずれにしても、一度人々の記憶から忘れられてしまったことがあるが、19世紀になって現在の評価が確立したようだ。
その為なのか、作品は世界中に分散し、なかなか一堂に観る機会はない。
信用していいのかよくわからないが、フェルメール自身は画家としてではなく、画商として生計を立てていたらしい。
フェルメールと言えば、以前記事にした「カメラ・オブスクーラ」を制作に用いたことが有名で、ちょっと前に随分話題になった。
また、フェルメールの使う青は、宝石ラピス・ラズリを粉末にしたものである。当時、金よりも高価だったため、この青は非常に貴重なものだった。このことがよく話題にされるが、今UTが使っている岩絵具の「群青」はラピス・ラズリである。別に、際立って特別なことではないと、ここで言っておきたい。天然岩絵具が高い理由が分かっていただけるでしょうか。
話が逸れてしまいましたが、フェルメールは43歳で死去。なんとも惜しいです。
展覧会のことに入りましょう。
まず驚いたのは、会場の空き具合。僕はてっきりモネ展ぐらい混んでいるんだろうなぁ…、と思っていて、それが今まで足を運ばなかった理由なのだけれど、フェルメールにしてはビックリする程の人の少なさ。いやぁ、嬉しい限りです。
フェルメールと同時代のオランダの画家たちの作品が沢山あり、メインのフェルメールは《牛乳を注ぐ女》が1枚。
フェルメール以外はさらっと観た。
フェルメール、素晴らしかった。
あれだけの数の作品が展示されている中で、明らかに際立って異彩を放っている。これは大げさでもなんでもなく事実である。
なぜこれだけ見とれてしまうのか。沢山のなかで、この1枚が立ち上がってくるのか。
他と見比べたりしながら鑑賞していて、…わかった。
当時のオランダ市民たちの様子が描かれた風俗画、という同じカテゴリーの作品ではあるのだけれども、その他の画家たちの絵は「当時の様子を伝える資料的」な印象を持った。つまり、人物などもどこかポーズのようで、舞台のワンシーンというような感じなのだ。
それに対してフェルメールの《牛乳を注ぐ女》は、当時の貧しい市民の一生活が描かれているのではあるが、それ以上にこの女、つまり人間が描かれている。この女性の、まさに365日を感じさせる絵のだ。きっとこの女性は、24時間後も同じことをしているだろう…と。
描かれている女性は驚く程ふくよかで、表情も穏やかである。
が、その牛乳を注ぐ仕草、肩の辺りに疲れというか気怠さが表れているように思う。
慎ましく幸せではあるけれども、生活に対するある種の「諦観」が絵に描かれているのだ。
そして、この暗黙の諦観は、時代を超え現代にも通ずる。
無意識の領域の人間生活の本質がそこには封じ込められているのではないだろうか。
もう1つ明らかな違いを言えば、その他の画家たちの絵が停止・静止しているのに対し、《牛乳を注ぐ女》は、牛乳を注ぎ続けている。何とも言えない微妙な“動”を感じた。
あと、単純に圧倒的に上手いです。
というのが、今回感じたこと。
この1枚を観るためだけにも、足を運ぶ価値はあると思います。
ちなみに、いよいよ閉館が近づいてくると、もう観客はほとんどいなくなって、《牛乳を注ぐ女》を邪魔されず好きなだけ観ることができました!
他の部屋に関しては、貸し切り状態!
ラッキーだったなぁ♪
[メモ]
フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展
@国立新美術館 (六本木)
12月17日まで