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2008/06/30のBlog
[ 23:59 ]
[ 掲示板 ]
2008/06/25のBlog
[ 23:59 ]
[ 雑記 ]
個展へ向けた作品が、形になって出現し始めた。
前回個展終了時以来、新たな段階を模索しつつ、展覧会を巡って吸収して、色々掴めてきた、とたまにここでも書いてきたけれど、ようやくそれが僕の身体を通して作品に現れる。
良いです。
相当に、Breakthrough していると思う。
それは取りも直さず、破壊できたということだ。
今までの安定や安心を壊して、脱することをしないと、大きな変化や進展は手にすることができない。
自分でも個展が楽しみだ。
意気込んで、個展用のパネルを大量注文。
想像以上の経済的困窮…。
そして、描かなきゃならない作品の多さ。また、新たにかなり手強いハードルを設定して、自らを追い込む。
雨が降らないだろう休日。
アクティヴにしようと思い、銀座で画廊を巡ることにする。
突然連絡し、大学時代の数少ない友人、砂川くんと待ち合わせ。
正午、銀座着。
銀座から日本橋にかけ、かなりな数のギャラリーへ。20軒近くくらい行っただろうか。一度にこんなに行ったのは久しぶり。
本当に星の数程、アーティスト志望者や作家はいる。
突出しなければ。
流行に乗ること無く、時代に消費されることなく、淡々と自分でいること。ただし、作品は間違いなく良いものであること。
前回個展終了時以来、新たな段階を模索しつつ、展覧会を巡って吸収して、色々掴めてきた、とたまにここでも書いてきたけれど、ようやくそれが僕の身体を通して作品に現れる。
良いです。
相当に、Breakthrough していると思う。
それは取りも直さず、破壊できたということだ。
今までの安定や安心を壊して、脱することをしないと、大きな変化や進展は手にすることができない。
自分でも個展が楽しみだ。
意気込んで、個展用のパネルを大量注文。
想像以上の経済的困窮…。
そして、描かなきゃならない作品の多さ。また、新たにかなり手強いハードルを設定して、自らを追い込む。
雨が降らないだろう休日。
アクティヴにしようと思い、銀座で画廊を巡ることにする。
突然連絡し、大学時代の数少ない友人、砂川くんと待ち合わせ。
正午、銀座着。
銀座から日本橋にかけ、かなりな数のギャラリーへ。20軒近くくらい行っただろうか。一度にこんなに行ったのは久しぶり。
本当に星の数程、アーティスト志望者や作家はいる。
突出しなければ。
流行に乗ること無く、時代に消費されることなく、淡々と自分でいること。ただし、作品は間違いなく良いものであること。
2008/06/19のBlog
[ 23:57 ]
[ 展覧会/ART ]
日本画教室2回目。
デッサンを転写して、下塗りに入れる人は入った。
なかなか良いペースで順調順調。岩絵具の扱いの未知数っぷりに驚いていたようですが、思ったように扱えないのが岩絵具。そう簡単にはいきません。
戸惑いながらも、ぬりぬりぬりぬり。楽しんで欲しいです。
終了後は、有楽町へ。出光美術館。
以前は汐留でルオーを観た。今回は、出光美術館のコレクションから。
ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault)[1871-1958]は、フランスの画家。
1871年5月27日、パリ・コミューン(革命政府)の崩壊前日、砲撃のさなか地下室で生まれる。ルオーの家は、音楽に溢れた家で、幼い頃から音楽を身近に感じながら育つ。14歳で、ステンドグラス職人のもとへ奉公にでる。
90年に画家になる決意をして、国立美術学校へ入学。92年からはギュスターヴ・モローが就任し、マティスらとともに指導を受けた。以後、モローを厚く信奉。95年にはローマ賞に応募するが落選。この結果に師であるモローは不満を抱き、退学を勧め、ルオーは退学した。98年にモロー死去。これには非常に深いショックを受け、生活の困窮も重なり、以後数年間体調を崩し、転地療養を重ねた。モローの自宅はモロー美術館となるが、遺言により、ルオーが初代館長を務めた。2人の親密さが伺われるだろう。
後には、画商アンブロワーズ・ヴォラールが以後の全作品の購入を申し出て(1913年)、専属契約を結び(17年)、一緒に仕事をしていくことになる。相当多忙になるが、これによって代表作となる版画集等を作る機会を得た。
87歳で死去(Wikiの享年は間違いのはず)。
今回の展覧会は、質量ともに世界最大規模のルオーコレクションである出光コレクションによる展示。《受難(パッション)》や《ミセレーレ》などを一気に観ることが出来る。メインはそれらの連作になるが、初期と晩年の作品も展示。
初期、連作、晩年ともにそれぞれがそれぞれの魅力を持ち、ルオーへの評価が自分の中で改まる。良かったのだ。
敬虔なカトリック信者であるルオーは、その作風からも宗教画として語られることが多いようだが、その色が濃くなるのは連作に取り組みだしてからのようで、初期の作品は人間の生活に視線が注がれる。僕はこの段階が結構好きだ。サーカスの道化などはルオーの好んだモチーフだ。作品に描かれるのはサーカスの舞台にいる姿ではなく、ステージから降りた1人の人間としての道化である。ルオー独特のタッチと色彩で描かれる姿からは、生活の苦しさや疲れが滲み出る。
キリストの物語を描く作品に関しては、もはやそれ自体が神々しい。
版画の深い黒。あるいは油彩のレリーフかと思うくらいの厚い厚い盛り上がったマチエール。それらはさながら祈りを塗り固めているようだ。写実的に描かれた宗教画とはまた違う、独特の慈しみの深さがあるように思った。
全体を一貫する大きくて大胆な筆遣いと、その暗い色彩には、雄弁な沈黙がある。
力強い筆触と、塗っては削りまた塗り重ねられてきた画面に、深い精神が積み重なっているように思った。
静寂の絵画。祈りの絵画。
聞こえない声に耳を澄ますと、色々と聞こえてきた。
[メモ]
没後50年 ルオー大回顧展
@出光美術館 (丸の内)
8月17日まで
デッサンを転写して、下塗りに入れる人は入った。
なかなか良いペースで順調順調。岩絵具の扱いの未知数っぷりに驚いていたようですが、思ったように扱えないのが岩絵具。そう簡単にはいきません。
戸惑いながらも、ぬりぬりぬりぬり。楽しんで欲しいです。
終了後は、有楽町へ。出光美術館。
以前は汐留でルオーを観た。今回は、出光美術館のコレクションから。
ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault)[1871-1958]は、フランスの画家。
1871年5月27日、パリ・コミューン(革命政府)の崩壊前日、砲撃のさなか地下室で生まれる。ルオーの家は、音楽に溢れた家で、幼い頃から音楽を身近に感じながら育つ。14歳で、ステンドグラス職人のもとへ奉公にでる。
90年に画家になる決意をして、国立美術学校へ入学。92年からはギュスターヴ・モローが就任し、マティスらとともに指導を受けた。以後、モローを厚く信奉。95年にはローマ賞に応募するが落選。この結果に師であるモローは不満を抱き、退学を勧め、ルオーは退学した。98年にモロー死去。これには非常に深いショックを受け、生活の困窮も重なり、以後数年間体調を崩し、転地療養を重ねた。モローの自宅はモロー美術館となるが、遺言により、ルオーが初代館長を務めた。2人の親密さが伺われるだろう。
後には、画商アンブロワーズ・ヴォラールが以後の全作品の購入を申し出て(1913年)、専属契約を結び(17年)、一緒に仕事をしていくことになる。相当多忙になるが、これによって代表作となる版画集等を作る機会を得た。
87歳で死去(Wikiの享年は間違いのはず)。
今回の展覧会は、質量ともに世界最大規模のルオーコレクションである出光コレクションによる展示。《受難(パッション)》や《ミセレーレ》などを一気に観ることが出来る。メインはそれらの連作になるが、初期と晩年の作品も展示。
初期、連作、晩年ともにそれぞれがそれぞれの魅力を持ち、ルオーへの評価が自分の中で改まる。良かったのだ。
敬虔なカトリック信者であるルオーは、その作風からも宗教画として語られることが多いようだが、その色が濃くなるのは連作に取り組みだしてからのようで、初期の作品は人間の生活に視線が注がれる。僕はこの段階が結構好きだ。サーカスの道化などはルオーの好んだモチーフだ。作品に描かれるのはサーカスの舞台にいる姿ではなく、ステージから降りた1人の人間としての道化である。ルオー独特のタッチと色彩で描かれる姿からは、生活の苦しさや疲れが滲み出る。
キリストの物語を描く作品に関しては、もはやそれ自体が神々しい。
版画の深い黒。あるいは油彩のレリーフかと思うくらいの厚い厚い盛り上がったマチエール。それらはさながら祈りを塗り固めているようだ。写実的に描かれた宗教画とはまた違う、独特の慈しみの深さがあるように思った。
全体を一貫する大きくて大胆な筆遣いと、その暗い色彩には、雄弁な沈黙がある。
力強い筆触と、塗っては削りまた塗り重ねられてきた画面に、深い精神が積み重なっているように思った。
静寂の絵画。祈りの絵画。
聞こえない声に耳を澄ますと、色々と聞こえてきた。
[メモ]
没後50年 ルオー大回顧展
@出光美術館 (丸の内)
8月17日まで
2008/06/16のBlog
[ 23:58 ]
[ 展覧会/ART ]
日曜日。上野へ。リンタロさんと会い、国立西洋美術館へ。
まだ、開催2日目の展示を観る。
カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot)[1796-1875]は、フランスの画家。ジャン=
フランソワ・ミレーなどとともに、バルビゾン派を代表する画家として人気が高い。
ブルジョワジーの家に生まれ、絵筆を取った後はイタリアへ留学もした。
このように、コローといえば巨匠であり、バルビゾン派と言えば真っ先に名前が浮かぶ1人であるが、ミレー等の影に隠れてしまうためか、その作品の質とは裏腹に、なかなかコロー単独で語られる機会は目にしない。プラスα的な感じでサラッと流されてしまう立場と言えなくもない。
なので、今回コロー展という形で展覧会が開催されるのは、実はなかなか貴重な気もする。
実際、会場へ行って作品リストを観てみると、ほとんどがコローの作品で構成されていることを知る。同時大の画家の絵をこれでもかと展示して埋め合わせているのでは、という懸念は払拭される。
そのため、コローらしい風景画が会場を埋め尽くすわけなので、展示を観ていってもなかなか変化や新鮮味を感じることはできない。同じ質感の絵がずらーっと続く。
普通なら、かなりダルくなると思う。ただ、コローの作品の場合、それがなかったのだ。コローに関しては、作品1点だけを観るというより、こうして大量の作品を一連の作品と言うか、展示室という空間の中に身を漂わせるといった感覚で鑑賞するのが良い。次々と並んでいる詩情あふれる穏やかな風景画をリズム良く鑑賞していくというのが、心地よいのだろうと思った。
描かれている風景というのは、都市部の喧噪ではなく、森の中や湖畔、村など、静かな自然の息吹きが感じられる景色である。
物静かであり、空気に満ちている。
風や光が、画面から溢れてきそうな、柔らかい表現。
感動する対象が、身近な自然である時、その筆触は湿度と空気を生むのだと知った。
肖像画を集めた部屋もあった。
展示では、コローに影響を受けた画家たちの作品がぽつぽつと散見されるのだが、関連が分からない。とりあえず的で、余計な気がする。
変化に富む画家ではないので、単調と思ってしまうと単調だが、コローの作品を一堂に観る機会ではある。作品自体は素敵なので、チャンスと思って観てみるのも良いと思います。
--preludioさんの記事にTB--
[メモ]
コロー 光と追憶の変奏曲
@国立西洋美術館 (上野)
8月31日まで
まだ、開催2日目の展示を観る。
カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot)[1796-1875]は、フランスの画家。ジャン=
フランソワ・ミレーなどとともに、バルビゾン派を代表する画家として人気が高い。
ブルジョワジーの家に生まれ、絵筆を取った後はイタリアへ留学もした。
このように、コローといえば巨匠であり、バルビゾン派と言えば真っ先に名前が浮かぶ1人であるが、ミレー等の影に隠れてしまうためか、その作品の質とは裏腹に、なかなかコロー単独で語られる機会は目にしない。プラスα的な感じでサラッと流されてしまう立場と言えなくもない。
なので、今回コロー展という形で展覧会が開催されるのは、実はなかなか貴重な気もする。
実際、会場へ行って作品リストを観てみると、ほとんどがコローの作品で構成されていることを知る。同時大の画家の絵をこれでもかと展示して埋め合わせているのでは、という懸念は払拭される。
そのため、コローらしい風景画が会場を埋め尽くすわけなので、展示を観ていってもなかなか変化や新鮮味を感じることはできない。同じ質感の絵がずらーっと続く。
普通なら、かなりダルくなると思う。ただ、コローの作品の場合、それがなかったのだ。コローに関しては、作品1点だけを観るというより、こうして大量の作品を一連の作品と言うか、展示室という空間の中に身を漂わせるといった感覚で鑑賞するのが良い。次々と並んでいる詩情あふれる穏やかな風景画をリズム良く鑑賞していくというのが、心地よいのだろうと思った。
描かれている風景というのは、都市部の喧噪ではなく、森の中や湖畔、村など、静かな自然の息吹きが感じられる景色である。
物静かであり、空気に満ちている。
風や光が、画面から溢れてきそうな、柔らかい表現。
感動する対象が、身近な自然である時、その筆触は湿度と空気を生むのだと知った。
肖像画を集めた部屋もあった。
展示では、コローに影響を受けた画家たちの作品がぽつぽつと散見されるのだが、関連が分からない。とりあえず的で、余計な気がする。
変化に富む画家ではないので、単調と思ってしまうと単調だが、コローの作品を一堂に観る機会ではある。作品自体は素敵なので、チャンスと思って観てみるのも良いと思います。
--preludioさんの記事にTB--
[メモ]
コロー 光と追憶の変奏曲
@国立西洋美術館 (上野)
8月31日まで
2008/06/12のBlog
[ 21:57 ]
[ 展覧会/ART ]
12時。講座が終わり、満足感を得ながら外へ出ると、雨は小降りになっていた。
六本木へ行く。
エミリー・カーメ・ウングワレー(Emily Kame Kngwarreye)[1910頃-1996]は、オーストラリアのアボリジニの画家。
1977年からろうけつ染めというものの制作を開始。その後、1988年くらいから、キャンバスにアクリル絵具で絵を描くようになる。その後、亡くなるまでの8年間で、3000点以上の作品を描いた。
オーストラリアのユートピアという一帯で生涯を送り、ユートピアに隣接するアルハルクラという地域を故郷とした。作品は、アボリジニ独特の民族的な絵柄で、世界中で個展が開かれ、97年にはヴェネツィア・ビエンナーレのオーストラリア代表に選ばれた。
今回の展覧会は、エミリーの作品を初めて日本で紹介したものである。
作品は年代順かつ画風ごとに並べられ、エミリーの作品の全体を観ることができる。
作品は、線や点が集積して画面を埋め尽くしたものがほとんどで、抽象画のようだ。
エミリー自身はイーゼルに立てかけたりせず、キャンバスを地面において周囲から描いていくという手法をとったらしい。よって、作品には天地が存在せず、図版や会場の展示のされ方は、必ずしも一致しない。そのへんは、美術館側のセンスに一任されるらしい。縦構図か横構図かすらも、決まっていないのだ。
展示室へ入ると、最初は初期の作品を見ることになる。
この時期の作品には、色濃く民族的風合いが見て取れる。
もともとエミリーは、部族の儀礼などのため、ボディ・ペインティングや砂絵を生活の一環として描いてきた。それが、キャンバスに描く機会を得た時に、そのまま画面に表れたといった感じである。
アボリジニだよな、と思わざるを得ない図柄が画面いっぱいに広がる。
祭りや土俗的なものを感じさせる作品たち。
それが、画家としてのスタートだったようだ。
その後、作風が変わり始める。
点描がメインのもの。非常にカラフルなもの。直線的な線のみで構成されたもの。編み目のように入り組んだ線で構成されたもの。そして、最晩年の、刷毛でささっと塗ったようなもの。
特に、点描がメインの作品と、カラフルな色が埋め尽くす作品が、とても良かった。それまでの民族的な匂いの強い作品とは違い、美術として素晴らしいと思ったのだ。
しかも、とても大きい作品が多く、相当な迫力がある。
彼女は、美術教育は全く受けていない。世間のアートシーンもほとんど知らなかったようだ。
恐らく、自作についても僕らの言う「美術」「芸術」という概念は無かったのではないかと思う。
そんなエミリーが描いた作品に芸術的価値を観る我々文明人。この辺は、アートの持つ面白さの1つだろう。
作品全体は、ぶれること無く1つの方向を向いている。
とことん自分のコミュニティや文化、土地を讃美する精神に貫かれている。展示を観ていると、このことを本当に強烈に感じる。
画風が変わろうと、描かれているものはユートピアであり、どんなに自然を敬っていることか。
出自、が持つ影響は本当に大きいと、感じざるを得ない。
季節ごとに移ろう自然の色。
ヤムイモが地中に張る根。畑の土のひび割れ。
全てはモチーフとなって、作品に表れてくる。
絵画や芸術の持つ、根源的な強さ。
文脈や技術が不要になる瞬間。
言語化できない感覚。
色んなものが体感できるでしょう。
展示構成も非常に観易く、ゆったりとしたものだったので良かった。
こういった作品に触れるのも良いと思います。興味があれば是非観てみてください。
帰りは、最初こそ小雨だったが、途中、雨は上がった。
雨上がりの午後特有のキラキラとした光が、車窓から射し込んだ。それだけで、満足感は何割増かになる。
そうだ、ここにはここの自然がある。
[メモ]
エミリー・ウングワレー展 アボリジニが生んだ天才画家
@国立新美術館 (六本木)
7月28日まで
六本木へ行く。
エミリー・カーメ・ウングワレー(Emily Kame Kngwarreye)[1910頃-1996]は、オーストラリアのアボリジニの画家。
1977年からろうけつ染めというものの制作を開始。その後、1988年くらいから、キャンバスにアクリル絵具で絵を描くようになる。その後、亡くなるまでの8年間で、3000点以上の作品を描いた。
オーストラリアのユートピアという一帯で生涯を送り、ユートピアに隣接するアルハルクラという地域を故郷とした。作品は、アボリジニ独特の民族的な絵柄で、世界中で個展が開かれ、97年にはヴェネツィア・ビエンナーレのオーストラリア代表に選ばれた。
今回の展覧会は、エミリーの作品を初めて日本で紹介したものである。
作品は年代順かつ画風ごとに並べられ、エミリーの作品の全体を観ることができる。
作品は、線や点が集積して画面を埋め尽くしたものがほとんどで、抽象画のようだ。
エミリー自身はイーゼルに立てかけたりせず、キャンバスを地面において周囲から描いていくという手法をとったらしい。よって、作品には天地が存在せず、図版や会場の展示のされ方は、必ずしも一致しない。そのへんは、美術館側のセンスに一任されるらしい。縦構図か横構図かすらも、決まっていないのだ。
展示室へ入ると、最初は初期の作品を見ることになる。
この時期の作品には、色濃く民族的風合いが見て取れる。
もともとエミリーは、部族の儀礼などのため、ボディ・ペインティングや砂絵を生活の一環として描いてきた。それが、キャンバスに描く機会を得た時に、そのまま画面に表れたといった感じである。
アボリジニだよな、と思わざるを得ない図柄が画面いっぱいに広がる。
祭りや土俗的なものを感じさせる作品たち。
それが、画家としてのスタートだったようだ。
その後、作風が変わり始める。
点描がメインのもの。非常にカラフルなもの。直線的な線のみで構成されたもの。編み目のように入り組んだ線で構成されたもの。そして、最晩年の、刷毛でささっと塗ったようなもの。
特に、点描がメインの作品と、カラフルな色が埋め尽くす作品が、とても良かった。それまでの民族的な匂いの強い作品とは違い、美術として素晴らしいと思ったのだ。
しかも、とても大きい作品が多く、相当な迫力がある。
彼女は、美術教育は全く受けていない。世間のアートシーンもほとんど知らなかったようだ。
恐らく、自作についても僕らの言う「美術」「芸術」という概念は無かったのではないかと思う。
そんなエミリーが描いた作品に芸術的価値を観る我々文明人。この辺は、アートの持つ面白さの1つだろう。
作品全体は、ぶれること無く1つの方向を向いている。
とことん自分のコミュニティや文化、土地を讃美する精神に貫かれている。展示を観ていると、このことを本当に強烈に感じる。
画風が変わろうと、描かれているものはユートピアであり、どんなに自然を敬っていることか。
出自、が持つ影響は本当に大きいと、感じざるを得ない。
季節ごとに移ろう自然の色。
ヤムイモが地中に張る根。畑の土のひび割れ。
全てはモチーフとなって、作品に表れてくる。
絵画や芸術の持つ、根源的な強さ。
文脈や技術が不要になる瞬間。
言語化できない感覚。
色んなものが体感できるでしょう。
展示構成も非常に観易く、ゆったりとしたものだったので良かった。
こういった作品に触れるのも良いと思います。興味があれば是非観てみてください。
帰りは、最初こそ小雨だったが、途中、雨は上がった。
雨上がりの午後特有のキラキラとした光が、車窓から射し込んだ。それだけで、満足感は何割増かになる。
そうだ、ここにはここの自然がある。
[メモ]
エミリー・ウングワレー展 アボリジニが生んだ天才画家
@国立新美術館 (六本木)
7月28日まで
[ 21:09 ]
[ 雑記 ]
ついにこの日を迎え、UT画伯による日本画教室が開講しました。
前日、N先生に先達としての助言を求めたところ、
緊張は全くいらないけれど、適度な高揚感が必要。天才は常に自然体で臨むものです。
との言葉をいただく。
あいにくの雨。
僕は武蔵浦和駅から徒歩で公民館へ向かうのだが、途中お腹が痛くて(苦笑)。
それでも、初日だから1時間前の9時に到着。画材や今日の流れを確認する。
12名。今後、1人増える可能性があるらしい。
こんな若者が講師でビックリしたでしょうが、始まってみると、非常に和やかに進み、心配していた今日の予定をこなせた。
とても好印象を持ってもらえたようで、ほっと一息。
良いスタートが切れた。
終了後は、そのまま六本木へ向かい、国立新美術館での展示を観る。
前日、N先生に先達としての助言を求めたところ、
緊張は全くいらないけれど、適度な高揚感が必要。天才は常に自然体で臨むものです。
との言葉をいただく。
あいにくの雨。
僕は武蔵浦和駅から徒歩で公民館へ向かうのだが、途中お腹が痛くて(苦笑)。
それでも、初日だから1時間前の9時に到着。画材や今日の流れを確認する。
12名。今後、1人増える可能性があるらしい。
こんな若者が講師でビックリしたでしょうが、始まってみると、非常に和やかに進み、心配していた今日の予定をこなせた。
とても好印象を持ってもらえたようで、ほっと一息。
良いスタートが切れた。
終了後は、そのまま六本木へ向かい、国立新美術館での展示を観る。
2008/06/10のBlog
[ 17:46 ]
[ 展覧会/ART ]
快晴。
昨夜は午前5:30くらいにベッドに入ったのだが、それでも朝起きて、洗濯をし、久しぶりの美術館へ。電車に乗り、新宿へ向かう。
モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)[1876-1958]はフランスの画家。フォーヴィスムを代表する画家である。フォーヴ(fauverie)とはフランス語で野獣という意味で、1905年に開催されたサロン・ドートンヌで、ヴラマンクの作品が展示してあった部屋は荒々しい色彩の作品が並んでおり、それらの作品を当時の批評家が「野獣のようだ」と評したことに由来する。
ヴラマンク自身は画家として歩み始める以前は、競輪の選手、そして飲食店でのヴァイオリン奏者として生計をたてていた。
アンドレ・ドランと列車の車内で偶然出会い意気投合し、郊外に共同でアトリエを借り、1900年から画家として活動を始めた。
今回の展覧会は、そんなヴラマンクの初期から晩年の作品までを紹介するもの。
あまり良い評判を耳にしなかったので、期待していなかったのだが、良い作品たちだった。もっと評価されていいと思う。
僕は、ヴラマンクはフォーヴの画家だ、くらいにしか思っていなかったが、今回それが良い意味で裏切られた。
ヴラマンクの才能の豊かさが感じられる。本当に多種多様な表現に驚く。
所謂フォーヴの時代の他にも、キュヴィスム風、セザンヌっぽいもの、落ち着いた風景画、色んな表現を出来たことがわかる。
こういった一連の流れを観ることが出来ただけでも価値があった。
花や果物や卓上の物など静物画も観られたが、これらはつまらない。鼻持ちならんっ、といった感じだ。
そんな中、圧倒的に風景画が魅力的だった。
緑萌える風景。寂れた雪景色。どちらも大胆な塗りであるのに、静寂に満ちている。
フォルムも色も、とても良い。
それにしても、静かな、寂しい風景が多い。たとえ空が渦巻いていても、やはり物悲しい。風景を描きながら、まるで自分の内面を描いているよう。文明や物質を讃えるのではない、社会への無言の抵抗を貫くような、そんな絵だ。ただ、私、がいる。
終盤に展示されていた風景画たちは、まるでアメリカ文学。広漠とした自然を感じさせる絵で、それまでのとは、明らかに印象が変わる。
ただ、海や港を描いた作品はいただけなかった。
まるで「老人と海」のようで。なんだかピタリとハマっているというか予定調和というかなんというか。痒い。
何でも無い景色。緑と建物があるだけの景色。
それでも、これだけ絵になる。
とてもとても不思議な印象がこびりついた。
昨夜は午前5:30くらいにベッドに入ったのだが、それでも朝起きて、洗濯をし、久しぶりの美術館へ。電車に乗り、新宿へ向かう。
モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck)[1876-1958]はフランスの画家。フォーヴィスムを代表する画家である。フォーヴ(fauverie)とはフランス語で野獣という意味で、1905年に開催されたサロン・ドートンヌで、ヴラマンクの作品が展示してあった部屋は荒々しい色彩の作品が並んでおり、それらの作品を当時の批評家が「野獣のようだ」と評したことに由来する。
ヴラマンク自身は画家として歩み始める以前は、競輪の選手、そして飲食店でのヴァイオリン奏者として生計をたてていた。
アンドレ・ドランと列車の車内で偶然出会い意気投合し、郊外に共同でアトリエを借り、1900年から画家として活動を始めた。
今回の展覧会は、そんなヴラマンクの初期から晩年の作品までを紹介するもの。
あまり良い評判を耳にしなかったので、期待していなかったのだが、良い作品たちだった。もっと評価されていいと思う。
僕は、ヴラマンクはフォーヴの画家だ、くらいにしか思っていなかったが、今回それが良い意味で裏切られた。
ヴラマンクの才能の豊かさが感じられる。本当に多種多様な表現に驚く。
所謂フォーヴの時代の他にも、キュヴィスム風、セザンヌっぽいもの、落ち着いた風景画、色んな表現を出来たことがわかる。
こういった一連の流れを観ることが出来ただけでも価値があった。
花や果物や卓上の物など静物画も観られたが、これらはつまらない。鼻持ちならんっ、といった感じだ。
そんな中、圧倒的に風景画が魅力的だった。
緑萌える風景。寂れた雪景色。どちらも大胆な塗りであるのに、静寂に満ちている。
フォルムも色も、とても良い。
それにしても、静かな、寂しい風景が多い。たとえ空が渦巻いていても、やはり物悲しい。風景を描きながら、まるで自分の内面を描いているよう。文明や物質を讃えるのではない、社会への無言の抵抗を貫くような、そんな絵だ。ただ、私、がいる。
終盤に展示されていた風景画たちは、まるでアメリカ文学。広漠とした自然を感じさせる絵で、それまでのとは、明らかに印象が変わる。
ただ、海や港を描いた作品はいただけなかった。
まるで「老人と海」のようで。なんだかピタリとハマっているというか予定調和というかなんというか。痒い。
何でも無い景色。緑と建物があるだけの景色。
それでも、これだけ絵になる。
とてもとても不思議な印象がこびりついた。
それはそうと、隣にはモード学園の建物が建設中。
42階の窓から見えてビックリした。
その後、銀座へ。カフェで休みつつ画廊を巡る。
来年の個展を正式に決める。初秋です。
池袋へ移動し、画材を購入。明後日は日本画教室初日だ。
[メモ]
没後50年 モーリス・ド・ヴラマンク展
@損保ジャパン東郷青児美術館 (新宿)
6月29日まで
2008/06/09のBlog
[ 23:55 ]
[ 雑記 ]
御陰さまで、日本画教室は、それなりに格好のつく人数が集まった。
その画材の調達に、先日は雨の中出かける。
予算のことを考えると、本当に難しい。とくに、岩絵具なんか、いくらも買えない。必要最低限を何にするか悩む。
5回という回数もまた難しい。支持体の準備やら何やら、一体どう進めたものかと考え続ける。膠等のシェアも上手くいくだろうか。
短期間で、日本画の1つの講座を成立させる難しさを、始まる前から痛感。それ故に、このハードルを乗り越えた時は、大きな充実感を得られるだろう。
いよいよ今週の木曜に迫っているのだ。
あわせて、個展の制作も進めている。今回は大作も並べたいのだ。そして、事前のプレスリリースもしっかりしたい。
毎回毎回、次の発表を思う時に、「ああ僕は、何かしらの新たなイメージを見せることが出来るだろうか、変化を見せることが出来るだろうか」と作家として超えねばならぬハードルのプレッシャーを感じる。進歩故の破壊は前進であるが、停滞は創造力の枯渇だ。避けたい。
しかしこの前、制作中にそれは達成できる感触を得た。
日々の吸収が実を結ぶ瞬間をまたしても体験できた。川村記念美術館へ行ったことは大きかった。
ボナールの色彩とロスコの深みを、自分の言語で表出すること。「強度」に関する大きな前進。
是非、個展に期待してください。
展覧会へも行きたいし、個展用の画材も揃えねばと思うけれど、何にしても講座がなぁ。これを機会に日本画を勉強し直しておかねば。こんな時じゃないと、なかなか復習しないし。
そうだ。グループ展用の小品も準備しなければ。
その画材の調達に、先日は雨の中出かける。
予算のことを考えると、本当に難しい。とくに、岩絵具なんか、いくらも買えない。必要最低限を何にするか悩む。
5回という回数もまた難しい。支持体の準備やら何やら、一体どう進めたものかと考え続ける。膠等のシェアも上手くいくだろうか。
短期間で、日本画の1つの講座を成立させる難しさを、始まる前から痛感。それ故に、このハードルを乗り越えた時は、大きな充実感を得られるだろう。
いよいよ今週の木曜に迫っているのだ。
あわせて、個展の制作も進めている。今回は大作も並べたいのだ。そして、事前のプレスリリースもしっかりしたい。
毎回毎回、次の発表を思う時に、「ああ僕は、何かしらの新たなイメージを見せることが出来るだろうか、変化を見せることが出来るだろうか」と作家として超えねばならぬハードルのプレッシャーを感じる。進歩故の破壊は前進であるが、停滞は創造力の枯渇だ。避けたい。
しかしこの前、制作中にそれは達成できる感触を得た。
日々の吸収が実を結ぶ瞬間をまたしても体験できた。川村記念美術館へ行ったことは大きかった。
ボナールの色彩とロスコの深みを、自分の言語で表出すること。「強度」に関する大きな前進。
是非、個展に期待してください。
展覧会へも行きたいし、個展用の画材も揃えねばと思うけれど、何にしても講座がなぁ。これを機会に日本画を勉強し直しておかねば。こんな時じゃないと、なかなか復習しないし。
そうだ。グループ展用の小品も準備しなければ。
2008/06/05のBlog
[ 03:00 ]
[ 雑記 ]
最近、何かと外食の機会が多い。
先日はmakaki氏とうちの近所のもんじゃ屋へ。
もんじゃ焼きなんてなんて久しぶりなのだろう。あんまり食べる機会ないでしょう。
なぜか全うなメニューをあまりたのまない2人。
これは、ほうれん草とチーズ。もんじゃじゃありません。
先日はmakaki氏とうちの近所のもんじゃ屋へ。
もんじゃ焼きなんてなんて久しぶりなのだろう。あんまり食べる機会ないでしょう。
なぜか全うなメニューをあまりたのまない2人。
これは、ほうれん草とチーズ。もんじゃじゃありません。
お店で注文しても、自分で作るあたりに、非常に夢中になる。
しかも店内は海の家っぽい。
そしてお客は少なく、度々我々だけに。
メニューを眺めると、衝撃の文字がっ!!
「あんもんじゃ」
アンジョンファンっぽいネーミングじゃないか。
しかもオススメになっている!
一体どういうものなのか、もはや想像がつかない。masakiさんがすかさず注文。店員も思わず失笑のその正体とは。
しかも店内は海の家っぽい。
そしてお客は少なく、度々我々だけに。
メニューを眺めると、衝撃の文字がっ!!
「あんもんじゃ」
アンジョンファンっぽいネーミングじゃないか。
しかもオススメになっている!
一体どういうものなのか、もはや想像がつかない。masakiさんがすかさず注文。店員も思わず失笑のその正体とは。
何が正解かもはやわかりませんが、とりあえずもんじゃ界のルールにのっとるスポーツマンシップを見せねばと、土手を作りたらーりと。
それにしても、絶えず手を動かし、焼け具合に気を配るあたり、普通の飲み屋と違って、全く眠くなりません。鉄板の熱気も良い感じに作用し、ぽかぽかで。
あんもんじゃは美味でした(本当)。
それにしても、絶えず手を動かし、焼け具合に気を配るあたり、普通の飲み屋と違って、全く眠くなりません。鉄板の熱気も良い感じに作用し、ぽかぽかで。
あんもんじゃは美味でした(本当)。
気づかれた方も多いかと思いますが、メニューのあんもんじゃの下には…
「デザートもんじゃ」
あんもんじゃからのラッシュはデザートもんじゃで。
何故かジョッキで来る…(笑)。
誰もがこのまま食べた方が絶対おいしいと思うところではあるが、スポーツマンシップを忘れない我々は、ちゃんと鉄板で焼かせて頂きました。
お腹も満足したし、そろそろ帰ろうかという頃、小池エイコさんがご来場。さらに2分後にリンタロさんがご来場。
性懲りも無く、アンジョンファン、アゲイン。
もんじゃ屋自体が初めてくらいだったのだけれど、こういったメニューって普通なのだろうか。Deep。
それはそうと、最近携帯電話を変えたのですが(iPhone発表おせーよ)、新しい携帯で初めて撮ったムービーは、デザートもんじゃの調理風景でした。
この記事の画像は、携帯で撮影したものです。
auのW61SA。ネットの評判はボコボコで無惨なものですが、僕は当たり機体だったようで、大変快調で満足♪素晴らしい。
「デザートもんじゃ」
あんもんじゃからのラッシュはデザートもんじゃで。
何故かジョッキで来る…(笑)。
誰もがこのまま食べた方が絶対おいしいと思うところではあるが、スポーツマンシップを忘れない我々は、ちゃんと鉄板で焼かせて頂きました。
お腹も満足したし、そろそろ帰ろうかという頃、小池エイコさんがご来場。さらに2分後にリンタロさんがご来場。
性懲りも無く、アンジョンファン、アゲイン。
もんじゃ屋自体が初めてくらいだったのだけれど、こういったメニューって普通なのだろうか。Deep。
それはそうと、最近携帯電話を変えたのですが(iPhone発表おせーよ)、新しい携帯で初めて撮ったムービーは、デザートもんじゃの調理風景でした。
この記事の画像は、携帯で撮影したものです。
auのW61SA。ネットの評判はボコボコで無惨なものですが、僕は当たり機体だったようで、大変快調で満足♪素晴らしい。
2008/05/31のBlog
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