Blog
2006/03/15のBlog
[ 10:06 ]
[ いじめ ]
誰にでも好き嫌いの感情はあるでしょう。
どうしても好きになれない人もいるし
そう感じることは仕方ないことですよね。
私たちは誰でも未熟な人間ですから・・・・
でもだからといって嫌いな人を
攻撃したり仲間はずれにしたり
いじめたりする行動をとってもいいという
理由にはなりません。
感情はそれぞれがコントロールしなければ
私達の社会は成り立たないからです。
それから誰か1人の人を
何かの理由で嫌いなんじゃなくて
あの人たちはみんな嫌い!
という場合はどうでしょうか?
その理由が例えば
ユダヤ人だから
外国人だから
エイズだから
イスラム教だから
少数民族だから
同性愛者だから
ホームレスだから
貧乏だから
大金持ちだから
運動神経が鈍いから
偏差値が低いから
転校生だから
などの場合はどうでしょうか?
そういうことはその本人の努力だけでは
どうすることもできないようなことですよね。
例えば生まれながらだったり
親の事情であったり・・・・・
そういうことを理由にして
嫌ったり排除しようとしたり
攻撃したり馬鹿にしたりするのが
差別という恥ずべき行為です。
なぜならたまたま自分はそうではないという
安全地帯に身を置いて
その人たちを高いところから見下ろすような
誰かを侮辱する態度は
傲慢で卑怯ではないでしょうか。
私たちは誰でも幸せになるために
この世に生まれてきたのです。
不幸になるために生まれてきた人など
どこにもいません。
だからお互いの幸せを尊重しなければなりません。
人の幸せの手伝いができなくてもいいけど
人の幸せをぶち壊すような行為は
決して許されないことです。
そうしないと誰にも幸せな人生が送れない様な
悲惨で残酷な世界になってしまうでしょう。
どうしても好きになれない人もいるし
そう感じることは仕方ないことですよね。
私たちは誰でも未熟な人間ですから・・・・
でもだからといって嫌いな人を
攻撃したり仲間はずれにしたり
いじめたりする行動をとってもいいという
理由にはなりません。
感情はそれぞれがコントロールしなければ
私達の社会は成り立たないからです。
それから誰か1人の人を
何かの理由で嫌いなんじゃなくて
あの人たちはみんな嫌い!
という場合はどうでしょうか?
その理由が例えば
ユダヤ人だから
外国人だから
エイズだから
イスラム教だから
少数民族だから
同性愛者だから
ホームレスだから
貧乏だから
大金持ちだから
運動神経が鈍いから
偏差値が低いから
転校生だから
などの場合はどうでしょうか?
そういうことはその本人の努力だけでは
どうすることもできないようなことですよね。
例えば生まれながらだったり
親の事情であったり・・・・・
そういうことを理由にして
嫌ったり排除しようとしたり
攻撃したり馬鹿にしたりするのが
差別という恥ずべき行為です。
なぜならたまたま自分はそうではないという
安全地帯に身を置いて
その人たちを高いところから見下ろすような
誰かを侮辱する態度は
傲慢で卑怯ではないでしょうか。
私たちは誰でも幸せになるために
この世に生まれてきたのです。
不幸になるために生まれてきた人など
どこにもいません。
だからお互いの幸せを尊重しなければなりません。
人の幸せの手伝いができなくてもいいけど
人の幸せをぶち壊すような行為は
決して許されないことです。
そうしないと誰にも幸せな人生が送れない様な
悲惨で残酷な世界になってしまうでしょう。
2006/03/14のBlog
[ 09:24 ]
[ 五七五 ]
2006/03/12のBlog
[ 10:43 ]
[ 不登校 ]
最近のニュースについて
「世田谷区中学2年生の放火事件」
つらい事件が起きてしまいました。
お母さんのお腹に10ヶ月も入っていて
やっとこの世に生まれてきたのに
わずか2ヶ月で命を終わってしまった
赤ちゃんのことを思うと本当に
つらく悲しいことです。
そんな大変なことをしてしまうほど
中学生の彼は悩み苦しんでいたんですね。
誰も彼と一緒に泣いてくれたり
気持ちをすこしでもわかろうとしてくれる人も
いなかったのでしょうか?
両親が離婚することはこれまで生きてきた場所が
足元から崩壊することですから
子どもにとっては大変な負担になるのですね。
それがわかっていてもどうしても
別れなければならない夫婦が
現実にはたくさんいます。
そんな厳しい環境の上、いじめにもあっていて
彼にはどこにも居場所がなかったんですね。
どんなにつらく孤独感を募らせていたことでしょう。
お母さんも1人親家庭になって必死でがんばり
おそらく彼のことを落ち着いて考える心のゆとりも
持てなかったのかも知れません。
お父さんの方は再婚して
赤ちゃんが生まれるときだったんですね。
それでも彼への父親としての責任を
果たそうとがんばったんでしょうね。
児童相談センターでは彼に
母のところか、父のところか、施設かを選ぶように言い
彼は父のところを選んだと聞いていますが
それからほんの数ヶ月でこの様な悲劇が
起きてしまったわけです。
子どもには意見表明権があり、
自分のことは自分で決められることになっています。
しかし彼はまだ14才です。
しかも不登校気味だったので
周りの友達や先生などから
いろいろなことを知ったり
学んだりする機会は他の子よりも
すごく少なかったはずです。
彼は知っていたでしょうか?
離婚して結婚に失敗した大人は
自分にすっかり自信を無くしてしまい
人生にも迷いが出てきてしまうことを。
赤ちゃんが生まれた家庭はどこでも
赤ちゃんがすべての中心になることを。
そのくらい命の誕生とは
周りに強いインパクトを与えることなのです。
赤ちゃんを産んだ後のお母さんは
数ヶ月間は寝不足になり
精神的にも肉体的にも
非常に大変だということを。
赤ちゃんはまだ昼と夜の区別がつかず
少なくても3時間ごとに起きるので
お母さんは1日中無我夢中で過ごし
自分の顔を洗うことも歯磨きも忘れそうなほどです。
彼はただ施設に行くよりは父のほうを選んだのでしょう。
でもその重要な判断をするために
どのくらいの具体的な情報があったのでしょうか?
単純な気持ちだけでは判断できないような
複雑な事情があったのに
そのことの大人側からのフォローと
十分な話し合いが必要だったのではないでしょうか?
子どもの気持ちを尊重するということの重みを
周りの大人がわかっていたのかどうか気になります。
最も重要なことは子どもの気持ちを尊重し
自己責任にすることではなく、
子どもにとって最もよいことを
皆で一緒に考えることです。
それと父も母も彼に登校を促すということに
熱心だったようですが、
不登校の子どもへの対応について
十分な理解があったのでしょうか?
不登校の子どもとどのように接すればよいのか
保護者へのサポートがものすごく重要であると思います。
親は素人なのですし、自分が経験していないことは
わからないことだらけでしょう。
専門家であっても簡単に解決できないような問題を
親だからという理由だけで
何とかしなければとあせってしまうのは
危険なことではないでしょうか?
2度とこんな悲劇が起きないためにも
自分ができないとことは恥と思わずに
専門家の手を借りて欲しいと思います。
親と子は血がつながり、関係が近すぎるからこそ
逆にこじらせてしまったり、難しい面もあることを
多くの保護者に気づいて欲しいと思います。
「世田谷区中学2年生の放火事件」
つらい事件が起きてしまいました。
お母さんのお腹に10ヶ月も入っていて
やっとこの世に生まれてきたのに
わずか2ヶ月で命を終わってしまった
赤ちゃんのことを思うと本当に
つらく悲しいことです。
そんな大変なことをしてしまうほど
中学生の彼は悩み苦しんでいたんですね。
誰も彼と一緒に泣いてくれたり
気持ちをすこしでもわかろうとしてくれる人も
いなかったのでしょうか?
両親が離婚することはこれまで生きてきた場所が
足元から崩壊することですから
子どもにとっては大変な負担になるのですね。
それがわかっていてもどうしても
別れなければならない夫婦が
現実にはたくさんいます。
そんな厳しい環境の上、いじめにもあっていて
彼にはどこにも居場所がなかったんですね。
どんなにつらく孤独感を募らせていたことでしょう。
お母さんも1人親家庭になって必死でがんばり
おそらく彼のことを落ち着いて考える心のゆとりも
持てなかったのかも知れません。
お父さんの方は再婚して
赤ちゃんが生まれるときだったんですね。
それでも彼への父親としての責任を
果たそうとがんばったんでしょうね。
児童相談センターでは彼に
母のところか、父のところか、施設かを選ぶように言い
彼は父のところを選んだと聞いていますが
それからほんの数ヶ月でこの様な悲劇が
起きてしまったわけです。
子どもには意見表明権があり、
自分のことは自分で決められることになっています。
しかし彼はまだ14才です。
しかも不登校気味だったので
周りの友達や先生などから
いろいろなことを知ったり
学んだりする機会は他の子よりも
すごく少なかったはずです。
彼は知っていたでしょうか?
離婚して結婚に失敗した大人は
自分にすっかり自信を無くしてしまい
人生にも迷いが出てきてしまうことを。
赤ちゃんが生まれた家庭はどこでも
赤ちゃんがすべての中心になることを。
そのくらい命の誕生とは
周りに強いインパクトを与えることなのです。
赤ちゃんを産んだ後のお母さんは
数ヶ月間は寝不足になり
精神的にも肉体的にも
非常に大変だということを。
赤ちゃんはまだ昼と夜の区別がつかず
少なくても3時間ごとに起きるので
お母さんは1日中無我夢中で過ごし
自分の顔を洗うことも歯磨きも忘れそうなほどです。
彼はただ施設に行くよりは父のほうを選んだのでしょう。
でもその重要な判断をするために
どのくらいの具体的な情報があったのでしょうか?
単純な気持ちだけでは判断できないような
複雑な事情があったのに
そのことの大人側からのフォローと
十分な話し合いが必要だったのではないでしょうか?
子どもの気持ちを尊重するということの重みを
周りの大人がわかっていたのかどうか気になります。
最も重要なことは子どもの気持ちを尊重し
自己責任にすることではなく、
子どもにとって最もよいことを
皆で一緒に考えることです。
それと父も母も彼に登校を促すということに
熱心だったようですが、
不登校の子どもへの対応について
十分な理解があったのでしょうか?
不登校の子どもとどのように接すればよいのか
保護者へのサポートがものすごく重要であると思います。
親は素人なのですし、自分が経験していないことは
わからないことだらけでしょう。
専門家であっても簡単に解決できないような問題を
親だからという理由だけで
何とかしなければとあせってしまうのは
危険なことではないでしょうか?
2度とこんな悲劇が起きないためにも
自分ができないとことは恥と思わずに
専門家の手を借りて欲しいと思います。
親と子は血がつながり、関係が近すぎるからこそ
逆にこじらせてしまったり、難しい面もあることを
多くの保護者に気づいて欲しいと思います。
2006/03/09のBlog
[ 09:27 ]
[ いじめ ]
体罰は法律で禁止されています。
いつからかといえば明治憲法の時代からです。
もともと体罰が多かったのはキリスト教の文化圏で
善悪のけじめを厳しく教えていたそうですが、
日本ではもともと宗教的な戒律が厳しいこともなく
江戸時代の寺子屋でも体罰はあまりなかったようです。
ただ戦争中に軍人が学校教育の現場に入ってきて
厳しく軍事教練などをする中で体罰が日常的になり
その名残が今も体育会系の部活などにあるようです。
中学や高校では子どもは体も大きいし反抗期でもあり
教師や部活の監督もカッとして殴りつけて
怪我を負わせるなどの例もあり
生徒の入院治療や監督の辞任などに
発展してしまう深刻なケースもあります。
では小学校ではどうでしょうか?
まだ体も小さく幼い面もあるので
教師が本気でカッとして激しい暴力を振るう
ということは少ないようです。
例えばつねったり、ひっぱったり、たたいたり、
無視したり、言葉の暴力を浴びせたり・・・・・
これらは病院に行くようなこともないので
なかなか表に出ることもなく
教室という密室で行われているので
外からは見えないことも多いのです。
それに幼い子どもは親からも叱られる事が日常的なので、
仮に教師に体罰をされてもそのことの重大さには
気づきにくいかもしれません。
もし不快感や抵抗感を持ってもそれを十分に
親に伝える表現力も不足しているかもしれません。
この様な状況で日常的に教室で体罰が繰り返されている場合、
子どもに与える心理的影響は計り知れません。
自分がされなくてもクラスの誰かが体罰を受けている様子を
毎日のように見せられることはどんなにストレスになっていることでしょう。
また教師を怒らせると体罰が来るという繰り返しの中で、
子どもは教師の顔色を伺う窮屈な学校生活を強いられることになります。
保護者の中には時々
「体罰してでもどんどん厳しくしつけてください』という人がいますが、
自分自身は友達の前で体罰を受ける屈辱に耐えられるでしょうか?
教師が体罰で子どもたちをコントロールしようとすればするほど、
子どもとの信頼関係は破壊され、ますます教室の空気は最悪になる悪循環でしょう。
体罰で支配するなら暴力団と変わりません。
教師という教育者としての専門性はどこにあるのでしょうか?
私はそういう人は間違って教師になってしまった人で、
教育者の適性に欠ける人は転職すべきだと思います。
それがその人自身の職業生活と
子どもたちの学校生活を健全にする道だと思います。
何よりも子どもにとって家庭の次に
長い時間をすごす学校が
のびのびと安心してすごせる場でなければならず
そのために努力すべき教師が
自らそれをぶち壊すことは
子どもの権利の面からと
公務員の義務の面からも
到底許されないことだと思います。
いつからかといえば明治憲法の時代からです。
もともと体罰が多かったのはキリスト教の文化圏で
善悪のけじめを厳しく教えていたそうですが、
日本ではもともと宗教的な戒律が厳しいこともなく
江戸時代の寺子屋でも体罰はあまりなかったようです。
ただ戦争中に軍人が学校教育の現場に入ってきて
厳しく軍事教練などをする中で体罰が日常的になり
その名残が今も体育会系の部活などにあるようです。
中学や高校では子どもは体も大きいし反抗期でもあり
教師や部活の監督もカッとして殴りつけて
怪我を負わせるなどの例もあり
生徒の入院治療や監督の辞任などに
発展してしまう深刻なケースもあります。
では小学校ではどうでしょうか?
まだ体も小さく幼い面もあるので
教師が本気でカッとして激しい暴力を振るう
ということは少ないようです。
例えばつねったり、ひっぱったり、たたいたり、
無視したり、言葉の暴力を浴びせたり・・・・・
これらは病院に行くようなこともないので
なかなか表に出ることもなく
教室という密室で行われているので
外からは見えないことも多いのです。
それに幼い子どもは親からも叱られる事が日常的なので、
仮に教師に体罰をされてもそのことの重大さには
気づきにくいかもしれません。
もし不快感や抵抗感を持ってもそれを十分に
親に伝える表現力も不足しているかもしれません。
この様な状況で日常的に教室で体罰が繰り返されている場合、
子どもに与える心理的影響は計り知れません。
自分がされなくてもクラスの誰かが体罰を受けている様子を
毎日のように見せられることはどんなにストレスになっていることでしょう。
また教師を怒らせると体罰が来るという繰り返しの中で、
子どもは教師の顔色を伺う窮屈な学校生活を強いられることになります。
保護者の中には時々
「体罰してでもどんどん厳しくしつけてください』という人がいますが、
自分自身は友達の前で体罰を受ける屈辱に耐えられるでしょうか?
教師が体罰で子どもたちをコントロールしようとすればするほど、
子どもとの信頼関係は破壊され、ますます教室の空気は最悪になる悪循環でしょう。
体罰で支配するなら暴力団と変わりません。
教師という教育者としての専門性はどこにあるのでしょうか?
私はそういう人は間違って教師になってしまった人で、
教育者の適性に欠ける人は転職すべきだと思います。
それがその人自身の職業生活と
子どもたちの学校生活を健全にする道だと思います。
何よりも子どもにとって家庭の次に
長い時間をすごす学校が
のびのびと安心してすごせる場でなければならず
そのために努力すべき教師が
自らそれをぶち壊すことは
子どもの権利の面からと
公務員の義務の面からも
到底許されないことだと思います。
2006/03/08のBlog
[ 15:14 ]
[ いじめ ]
私たちは1人1人すべてが違う人間だから
感じ方もそれぞれ違いますよね。
好きな人もいれば嫌いな人もいるのは当たり前。
「みんな仲良く」なんて無理だよね。
「人類みな兄弟』と言われたって
『あんな人とは兄弟なんかなりたくない』
と思うような人もいるよね。
「1年生になったら友達100人できるかな」
という歌もあるけど
もしそうなったらただの八方美人。
もしそんなに友達が多いというならば
それはほんとの友達じゃないかもね。
友達なんて1人でも3人でもいればラッキー。
親類や近所や学校や職場にも
嫌いな人がいるかもしれない。
でも「嫌いだからみんなに悪口を言いふらして
あいつを仲間はずれにしてやろう」とか
「いじめてぺしゃんこにしてやろう」というのは
どうかな?
そんなことにエネルギー使うのって無駄じゃないかな?
ただ無理して自分の気持ちに嘘をついてまで
嫌いな人と付き合わなくちゃならないとしたら
結構ストレスだけどね。
大人になったら仕事をする上で
そういう大変なこともあるけど・・・・
普通は嫌いな人とは距離を置いて
お互いに傷つけあわないようにする方が
いいんじゃないかな?
そのほうがお互いによいなら
それは差別なんかじゃないと思います。
ただどうしてもクラスの班や部活などで
嫌いな人と一緒にやらなければならないときもあります。
そういう時はイヤなのはお互い様なんだから
少しは我慢して協力しなければね・・・・
でももしかしたら、そういうことがきっかけで
意外と気があったり、第1印象とぜんぜん違って
いいやつだったりして友達になることもあるんだよね。
そういうところが人間の面白いところだね。
食べ物と同じで『食わず嫌い」だったけど
食べたらすごくおいしくてびっくりなんてこともね。
感じ方もそれぞれ違いますよね。
好きな人もいれば嫌いな人もいるのは当たり前。
「みんな仲良く」なんて無理だよね。
「人類みな兄弟』と言われたって
『あんな人とは兄弟なんかなりたくない』
と思うような人もいるよね。
「1年生になったら友達100人できるかな」
という歌もあるけど
もしそうなったらただの八方美人。
もしそんなに友達が多いというならば
それはほんとの友達じゃないかもね。
友達なんて1人でも3人でもいればラッキー。
親類や近所や学校や職場にも
嫌いな人がいるかもしれない。
でも「嫌いだからみんなに悪口を言いふらして
あいつを仲間はずれにしてやろう」とか
「いじめてぺしゃんこにしてやろう」というのは
どうかな?
そんなことにエネルギー使うのって無駄じゃないかな?
ただ無理して自分の気持ちに嘘をついてまで
嫌いな人と付き合わなくちゃならないとしたら
結構ストレスだけどね。
大人になったら仕事をする上で
そういう大変なこともあるけど・・・・
普通は嫌いな人とは距離を置いて
お互いに傷つけあわないようにする方が
いいんじゃないかな?
そのほうがお互いによいなら
それは差別なんかじゃないと思います。
ただどうしてもクラスの班や部活などで
嫌いな人と一緒にやらなければならないときもあります。
そういう時はイヤなのはお互い様なんだから
少しは我慢して協力しなければね・・・・
でももしかしたら、そういうことがきっかけで
意外と気があったり、第1印象とぜんぜん違って
いいやつだったりして友達になることもあるんだよね。
そういうところが人間の面白いところだね。
食べ物と同じで『食わず嫌い」だったけど
食べたらすごくおいしくてびっくりなんてこともね。
2006/03/07のBlog
[ 17:45 ]
[ 人間関係 ]
最近読んだ本より
子どもにとってもっとも大切なものは遊び。
大人に管理されず指図されず
自分の意志で行動する中で
子どもは自分自身の主人公になれ
自由な創造力を発揮できる。
自分の主人公になったことのない者の
精神は自立できない。
自由の楽しさを知った人間でなければ
自由の尊さを知らない。
管理されてばかりで育つと
問題が起こったら管理者の責任と考える。
自分の責任を忘れない人間を作るのが自由。
(自由は人間にとってもっとも大切で必要なもの。
だから悪いことをした人への罰は
牢獄に閉じ込め自由を奪うこと。
それが人間にとって1番つらく
堪えることだそうです。
そして自由を本当に体で理解するためには
遊びが欠かせないんだね。
子どもにとってそんなに遊びが大切だなんて
親や先生は思っているのかな?
勉強すればすぐ点数に結果が出るから
わかりやすいけど
遊んだ効果はすぐには目に見えないよね。
だからあまる注目されないけど
目に見えないものだって
大切なものはいっぱいあるのにね。
大人から見てわかりやすいものや
結果が見えるものばかりにこだわるのは
子どものためじゃなくて
大人の安心のためなんじゃないかな?)
子どもにとってもっとも大切なものは遊び。
大人に管理されず指図されず
自分の意志で行動する中で
子どもは自分自身の主人公になれ
自由な創造力を発揮できる。
自分の主人公になったことのない者の
精神は自立できない。
自由の楽しさを知った人間でなければ
自由の尊さを知らない。
管理されてばかりで育つと
問題が起こったら管理者の責任と考える。
自分の責任を忘れない人間を作るのが自由。
(自由は人間にとってもっとも大切で必要なもの。
だから悪いことをした人への罰は
牢獄に閉じ込め自由を奪うこと。
それが人間にとって1番つらく
堪えることだそうです。
そして自由を本当に体で理解するためには
遊びが欠かせないんだね。
子どもにとってそんなに遊びが大切だなんて
親や先生は思っているのかな?
勉強すればすぐ点数に結果が出るから
わかりやすいけど
遊んだ効果はすぐには目に見えないよね。
だからあまる注目されないけど
目に見えないものだって
大切なものはいっぱいあるのにね。
大人から見てわかりやすいものや
結果が見えるものばかりにこだわるのは
子どものためじゃなくて
大人の安心のためなんじゃないかな?)
2006/03/06のBlog
[ 10:08 ]
[ いじめ ]
最近の新聞より
<観客、猿まね『人種差別』
エトー選手、祖国の旗掲げ抗議>
サッカースペイン1部リーグの
バルセロナーサラゴサ戦で
地元のサラゴサの観客が
猿をまねた奇声を上げ続け
エトー選手が黒人であることを侮辱し
怒ったエトー選手は抗議のために
競技場から立ち去ろうとし
監督らの説得でとどまった。
その後のデポルティボ戦で
決勝ゴールを奪ったエトー選手は
観客席から投げ入れられた
カメルーンの国旗を高々と掲げて得点を喜び
自身がアフリカ出身であることを誇示した。
この問題でスペインサッカー協会は
サラゴサに9,000ユーロ(約126万円)の罰金を命じたが
スペイン政府の反暴力委員会はそれ以上の厳罰を要求。
エトー選手は記者会見で
『サポーターを反省させるため
本拠の1年間試合禁止処分が必要だ』と話した。
(でもさあ、これと同じようなことが毎日のように
学校のクラスで行われているんだよね。
でもこんなふうに、差別やいじめは
残酷で人間として許されない行為なんだと
はっきり誰にでもわかるように示したり、
責任を持って具体的に対応してくれるケースが
いったいどの程度あるのかな?
それはただ担任の人間性次第で
運がよければ・・・・という次元の話だよね。
そんなのおかしいよね。
担任次第でこどもの環境が
天国と地獄ほど違うなんて・・・・
教育がこんなに個人の資質で左右されるのって
逆に言えば社会の中で
教育とは誰のためなのか?
子どものためなのだという基本原則が
一貫していないからだよね。
そこさえきちんと社会全体の認識としてあれば
何年間もいじめを繰り返すことはできないはずだし
我慢の限界になって不登校になったり
そのまま引きこもりになったりする人は
こんなに増えないはずだよね・・・・・)
<観客、猿まね『人種差別』
エトー選手、祖国の旗掲げ抗議>
サッカースペイン1部リーグの
バルセロナーサラゴサ戦で
地元のサラゴサの観客が
猿をまねた奇声を上げ続け
エトー選手が黒人であることを侮辱し
怒ったエトー選手は抗議のために
競技場から立ち去ろうとし
監督らの説得でとどまった。
その後のデポルティボ戦で
決勝ゴールを奪ったエトー選手は
観客席から投げ入れられた
カメルーンの国旗を高々と掲げて得点を喜び
自身がアフリカ出身であることを誇示した。
この問題でスペインサッカー協会は
サラゴサに9,000ユーロ(約126万円)の罰金を命じたが
スペイン政府の反暴力委員会はそれ以上の厳罰を要求。
エトー選手は記者会見で
『サポーターを反省させるため
本拠の1年間試合禁止処分が必要だ』と話した。
(でもさあ、これと同じようなことが毎日のように
学校のクラスで行われているんだよね。
でもこんなふうに、差別やいじめは
残酷で人間として許されない行為なんだと
はっきり誰にでもわかるように示したり、
責任を持って具体的に対応してくれるケースが
いったいどの程度あるのかな?
それはただ担任の人間性次第で
運がよければ・・・・という次元の話だよね。
そんなのおかしいよね。
担任次第でこどもの環境が
天国と地獄ほど違うなんて・・・・
教育がこんなに個人の資質で左右されるのって
逆に言えば社会の中で
教育とは誰のためなのか?
子どものためなのだという基本原則が
一貫していないからだよね。
そこさえきちんと社会全体の認識としてあれば
何年間もいじめを繰り返すことはできないはずだし
我慢の限界になって不登校になったり
そのまま引きこもりになったりする人は
こんなに増えないはずだよね・・・・・)
2006/03/05のBlog
[ 11:06 ]
[ いじめ ]
最近読んだ本より
いじめをなくすためには
観衆と傍観者の4層構造を
どう揺るがし分解できるのかに
かかっており、そのためには
感情教育の積み重ねが重要である。
子どもたちの他者への否定的情動的態度、
例えば嫉妬や悪意、侮蔑などが
沸き起こってきたときに
その感情の激発を回避できる力や
自分をコントロールしうる自発的な力を
育てる情念教育が必要である。
またいじめらる側の子どもは
自尊感情が脆弱である。
例えば自殺した子どもの遺書には
恨みがつづられているが
外部や他者へ向かう行動の表現の力を
身に付けることで
主体の蘇生をはかることが重要である。
(う~ん、かなり難しい表現だよね。
言葉も難しいけど
言っている内容も難しいよね。
それと、もしこういう教育法が有効だとしても
それを実際に誰が行うのかな?
教育現場で可能なのかな?
と思ってしまいます。
残念ながら学校でも家庭でも
子どもの教育=学力の獲得
と考えられているのが現実ではないでしょうか?
本当は教育の目的は人格の形成なんだけどね)
いじめをなくすためには
観衆と傍観者の4層構造を
どう揺るがし分解できるのかに
かかっており、そのためには
感情教育の積み重ねが重要である。
子どもたちの他者への否定的情動的態度、
例えば嫉妬や悪意、侮蔑などが
沸き起こってきたときに
その感情の激発を回避できる力や
自分をコントロールしうる自発的な力を
育てる情念教育が必要である。
またいじめらる側の子どもは
自尊感情が脆弱である。
例えば自殺した子どもの遺書には
恨みがつづられているが
外部や他者へ向かう行動の表現の力を
身に付けることで
主体の蘇生をはかることが重要である。
(う~ん、かなり難しい表現だよね。
言葉も難しいけど
言っている内容も難しいよね。
それと、もしこういう教育法が有効だとしても
それを実際に誰が行うのかな?
教育現場で可能なのかな?
と思ってしまいます。
残念ながら学校でも家庭でも
子どもの教育=学力の獲得
と考えられているのが現実ではないでしょうか?
本当は教育の目的は人格の形成なんだけどね)
2006/03/03のBlog
[ 09:29 ]
[ いじめ ]
最近の新聞より
「オウム・松本被告の次男の入学拒む」
私立中学を受験し合格して入学金を払ったが
学校から『松本被告の息子とわかったので
入学を辞退して欲しい』と言われた。
学校の言い分は
『教団の影響下にないとは言い切れない
生徒を入学させれば大きな支障が
出る恐れがある。本人に罪はないが、
現在の教育環境を守りたい』
ということです。
(でもねえ、この子はオウム事件のときは
まだ生まれたばかりで何もわからなかったのです。
その子が来るとどんなことがおきるのかな?
他の保護者から抗議が来たり
入学志願者が減ったりしたら
学校経営上問題があるのかな?
私はある家族のことを思い出しました。
父親が殺人容疑者のまま自殺したのです。
その時子どもは小学生が3人でした。
そういう場合は家族は引っ越してしまうことが
多いようですが、おそらく母親と幼い3人の子どもは
引越しもできなかったのでしょう。
周りの興味本位や冷たい視線を浴びながら
そのままその貸し家でがんばって生きました。
もちろんいろいろんなことがあったでしょう。
しかしそれから数十年経ちました。
今その家族は貸家を買い取り
新築して母親と一緒に暮らしているそうです。
そこまで来るのにどんな苦しみや悲しみを
味わったことでしょう。
それでも家族で乗り越えて立派に成長し
いまどき珍しいほどの親孝行をしています。
私は彼らを心から尊敬しています。
もし私だったらそんな強さとやさしさを
持つことができるかどうか自信はありません。
『どんな親だから子どもはこうだ』なんて
誰にもわからないはずです。
子どもは親を選べないのですから
親と子どもを一緒くたにするのは
おかしいのではないでしょうか?)
「オウム・松本被告の次男の入学拒む」
私立中学を受験し合格して入学金を払ったが
学校から『松本被告の息子とわかったので
入学を辞退して欲しい』と言われた。
学校の言い分は
『教団の影響下にないとは言い切れない
生徒を入学させれば大きな支障が
出る恐れがある。本人に罪はないが、
現在の教育環境を守りたい』
ということです。
(でもねえ、この子はオウム事件のときは
まだ生まれたばかりで何もわからなかったのです。
その子が来るとどんなことがおきるのかな?
他の保護者から抗議が来たり
入学志願者が減ったりしたら
学校経営上問題があるのかな?
私はある家族のことを思い出しました。
父親が殺人容疑者のまま自殺したのです。
その時子どもは小学生が3人でした。
そういう場合は家族は引っ越してしまうことが
多いようですが、おそらく母親と幼い3人の子どもは
引越しもできなかったのでしょう。
周りの興味本位や冷たい視線を浴びながら
そのままその貸し家でがんばって生きました。
もちろんいろいろんなことがあったでしょう。
しかしそれから数十年経ちました。
今その家族は貸家を買い取り
新築して母親と一緒に暮らしているそうです。
そこまで来るのにどんな苦しみや悲しみを
味わったことでしょう。
それでも家族で乗り越えて立派に成長し
いまどき珍しいほどの親孝行をしています。
私は彼らを心から尊敬しています。
もし私だったらそんな強さとやさしさを
持つことができるかどうか自信はありません。
『どんな親だから子どもはこうだ』なんて
誰にもわからないはずです。
子どもは親を選べないのですから
親と子どもを一緒くたにするのは
おかしいのではないでしょうか?)
2006/03/02のBlog
[ 09:00 ]
[ いじめ ]
最近読んだ本より
いじめの加害者がわけもなく
被害者をさげすむことは
差別に他ならない。
いじめられっこという人種は存在しない。
誰でもいつ少数派にならないとは
限らない。
いじめは社会的な死を意味する
なぜなら彼らの生きる場所を
クラスや学校から奪うものだから。
いじめは普通の犯罪のように
例えば窃盗のように・・・・
加害者に利益をもたらさない。
被害者が自分の財や美徳や価値を
失うことが志向される。
例えば放火のように・・・
他者の幸福を奪うものである。
いじめや差別は心の問題ではない。
差別は個人の意識に根ざすものではなく
集団の無意識にある。
主観性の現象ではなく
相互主観的なもの
社会的概念である。
(少し難しい表現だけど
例えばホームレスを襲撃するこどもの
背後にはホームレスに偏見と差別を持つ
大人社会があり、
クラスで誰かがいじめられている時
その背後にはそれをはやしたり
許したりする集団がいるということですね。
だからその個人をどうにかしようとするのでなく
社会全体、集団全体で考え
取り組まなければならない
根源的な問題なんですよね。)
いじめの加害者がわけもなく
被害者をさげすむことは
差別に他ならない。
いじめられっこという人種は存在しない。
誰でもいつ少数派にならないとは
限らない。
いじめは社会的な死を意味する
なぜなら彼らの生きる場所を
クラスや学校から奪うものだから。
いじめは普通の犯罪のように
例えば窃盗のように・・・・
加害者に利益をもたらさない。
被害者が自分の財や美徳や価値を
失うことが志向される。
例えば放火のように・・・
他者の幸福を奪うものである。
いじめや差別は心の問題ではない。
差別は個人の意識に根ざすものではなく
集団の無意識にある。
主観性の現象ではなく
相互主観的なもの
社会的概念である。
(少し難しい表現だけど
例えばホームレスを襲撃するこどもの
背後にはホームレスに偏見と差別を持つ
大人社会があり、
クラスで誰かがいじめられている時
その背後にはそれをはやしたり
許したりする集団がいるということですね。
だからその個人をどうにかしようとするのでなく
社会全体、集団全体で考え
取り組まなければならない
根源的な問題なんですよね。)