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2007/08/28のBlog
[ 20:06 ]
100円ショップで商品を見て回っていたら、観葉植物を売っていた。初めて見かけた。7、8種類ほどあったが、なにしろ100円なので、100円分の大きさしかない。全種類欲しかったが、自転車で来ていたので全部持って帰れない。
そこで、シンゴジウム、クワズイモ、コーヒーを買った。クワズイモだけは、一番大きなものを選んだので10センチほどあったが、シンゴジウムとコーヒーは100円の値段分しかなく、数センチの大きさだった。
家で、さっそくプランターに移植した。どれも熱帯か亜熱帯の植物だと思う。熊谷は熱帯植物が向いているだろうが、今や亜熱帯地方である東京の気候も、これらの植物の生育に最適だと思う。一月もすれば、5倍くらいの大きさになって、3つで1500円分くらいのサイズになるのではと期待している。
冬前には、巨大な植木鉢を3個、1500円くらいで買ってきて、また移植して部屋に移動させて冬に備えたいと思う。一番の楽しみは、コーヒーの木である。缶コーヒーでさえ100円以上する時代だから、100円(税別)で買ったコーヒーの木が大きくなって実がなり、コップ一杯飲めれば元が取れる。
豆を炒って東京コーヒーを味わえるのはいつだろう。肥料をガンガンやって、早く大きくして早く飲んでみたいものだ。
そこで、シンゴジウム、クワズイモ、コーヒーを買った。クワズイモだけは、一番大きなものを選んだので10センチほどあったが、シンゴジウムとコーヒーは100円の値段分しかなく、数センチの大きさだった。
家で、さっそくプランターに移植した。どれも熱帯か亜熱帯の植物だと思う。熊谷は熱帯植物が向いているだろうが、今や亜熱帯地方である東京の気候も、これらの植物の生育に最適だと思う。一月もすれば、5倍くらいの大きさになって、3つで1500円分くらいのサイズになるのではと期待している。
冬前には、巨大な植木鉢を3個、1500円くらいで買ってきて、また移植して部屋に移動させて冬に備えたいと思う。一番の楽しみは、コーヒーの木である。缶コーヒーでさえ100円以上する時代だから、100円(税別)で買ったコーヒーの木が大きくなって実がなり、コップ一杯飲めれば元が取れる。
豆を炒って東京コーヒーを味わえるのはいつだろう。肥料をガンガンやって、早く大きくして早く飲んでみたいものだ。
[ 00:34 ]
名古屋で31歳のOLの方が、見ず知らずの3人の男に惨殺される事件があった。殺さた磯谷さんは、食べ歩きのブログを書いておられた。ご自分のプロフィールには「ごく普通のOL」と自己紹介されていた。お母様と二人で暮らしておられたらしい。食べ歩きのブログを読むと、「叔母の還暦とオジサマの喜寿のお祝いに、母と私でご招待♪ 」とあった。読んでいて辛くなって、それ以上読めなかった。
3人の男にとって、磯谷さんは金を奪い取る対象でしかなかった。しかし殺された磯谷さんに繋がる多くの人たちがいる。その男達の磯谷さんを殺す行為は、磯谷さんに繋がる人たちの心をも殺した。
死は、たとえ自然死であれ、周りの人間にとって受け容れがたいことである。理不尽で許されざることだ。まして、死が他人によってもたらされたら、身内の人間が許すものか。直接関係のないぼくでも、強い憤りを感じる。
殺人を、しかも大量殺人を合法とするのが戦争だ。殺人は、国益のためだと正当化するのが戦争だ。イラクで、毎日何十何百もの命が奪われている。一般市民が、殺され続けている。戦闘とは無縁の女性や子供達が、日々殺されている。理不尽な無辜の人たちの死である。死んでいく人たちの周りには、その死を歎き苦しむ多くの人たちいるだろう。彼らの悲しみや苦しみは、やがて、そのような死へ向かわせた侵略者達への怒りへと転化していく。かって、イラク人がアメリカまで出かけてアメリカ人を殺したことがあったか? かって、アフガニスタン人が日本人を殺しに日本へやってきたことがあったか?
ブッシュは喧伝する。イラクやアフガニスタンでの戦いはテロとの戦いだと。テロとの戦いに勝利しないと、彼らがアメリカにやってきてテロを仕掛けるのだと。鸚鵡のように、小泉は言う。イラクやアフガニスタンでの戦いはテロとの戦いだと。テロとの戦いに勝利しないと、彼らが日本にやってきてテロを仕掛けるのだと。鸚鵡のように安倍は言う。イラクやアフガニスタンでの戦いはテロとの戦いだと。テロとの戦いに勝利しないと、彼らが日本にやってきてテロを仕掛けるのだと。
だが、アフガニスタンから東京へアフガニスタン人がテロのためやってくるのか?
国連の統計で貧困を定義する際に、「1日2ドル以下で生活している」という基準が使われることが多い。アフガニスタンの.一人当たりGDPは、約228ドル(2004年:世銀)である。1ドルにも満たないのだ。食べるものを求め、日々生きるか死ぬかの生活をしていることがわかる。そんな彼らを、日本へのテロに駆り立てるような悪事を彼らに日本は行なっているのか?
自衛隊はイラクでイラク侵略軍の米軍への協力を行なってる。一切明らかになっていないが、米兵や兵器をイラクへ運び殺人の手伝いをしているのだろう。自衛隊は、インド洋で、アフガニスタンを侵略する米海軍艦艇への給油活動を行なっている。日本はアフガニスタンやイラクで、米軍の手下として侵略戦争を行なっているのだ。直接弾を撃たなくても、裏で弾を運び殺人の手伝いをしているが日本だ。日本は、理不尽な殺人の当事者だ。しかも殺人の理由というが、ブッシュという殺人鬼の応援のためだという。名古屋の3人の男達とどこが違う。
殺人を推し進めるのは安倍の率いる軍国主義者の自公だけではない。民主のネオコン前原は言う。「アフガニスタンでのテロとの戦いから日本が抜けることは国益に反する」。アメリカとの協調が日本の国益という印象を受ける発言だ。
だが、ブッシュはアメリカの少数派である。ブッシュの支持率は、安倍と同じでアメリカできわめて少数である。ところが、ブッシュの手先である日本のネオコン前原は、ブッシュに従順であることが国益と主張している。ところがブッシュは今やレイムダックに過ぎないのであるから、ブッシュを支援する行為はアメリカ全体から見ると、反米行為と言っても良い。したがって前原のいうブッシュと言うアメリカの嫌われものを支持することは国益とはならない。
そもそも国益などというが、安倍やネオコン前原は、アフガニスタンの一般人を殺すことで、利益を得て嬉しいのか? 人を殺して金を奪うくらいならば、飢え死にすることを選べよ。美しい国ならば、それくらいの気概は持てよ。
日本は他国の無辜の人を殺すことは止めるべきだ。殺人を推し進める「テロ特措法延長」を潰すべきだ。
3人の男にとって、磯谷さんは金を奪い取る対象でしかなかった。しかし殺された磯谷さんに繋がる多くの人たちがいる。その男達の磯谷さんを殺す行為は、磯谷さんに繋がる人たちの心をも殺した。
死は、たとえ自然死であれ、周りの人間にとって受け容れがたいことである。理不尽で許されざることだ。まして、死が他人によってもたらされたら、身内の人間が許すものか。直接関係のないぼくでも、強い憤りを感じる。
殺人を、しかも大量殺人を合法とするのが戦争だ。殺人は、国益のためだと正当化するのが戦争だ。イラクで、毎日何十何百もの命が奪われている。一般市民が、殺され続けている。戦闘とは無縁の女性や子供達が、日々殺されている。理不尽な無辜の人たちの死である。死んでいく人たちの周りには、その死を歎き苦しむ多くの人たちいるだろう。彼らの悲しみや苦しみは、やがて、そのような死へ向かわせた侵略者達への怒りへと転化していく。かって、イラク人がアメリカまで出かけてアメリカ人を殺したことがあったか? かって、アフガニスタン人が日本人を殺しに日本へやってきたことがあったか?
ブッシュは喧伝する。イラクやアフガニスタンでの戦いはテロとの戦いだと。テロとの戦いに勝利しないと、彼らがアメリカにやってきてテロを仕掛けるのだと。鸚鵡のように、小泉は言う。イラクやアフガニスタンでの戦いはテロとの戦いだと。テロとの戦いに勝利しないと、彼らが日本にやってきてテロを仕掛けるのだと。鸚鵡のように安倍は言う。イラクやアフガニスタンでの戦いはテロとの戦いだと。テロとの戦いに勝利しないと、彼らが日本にやってきてテロを仕掛けるのだと。
だが、アフガニスタンから東京へアフガニスタン人がテロのためやってくるのか?
国連の統計で貧困を定義する際に、「1日2ドル以下で生活している」という基準が使われることが多い。アフガニスタンの.一人当たりGDPは、約228ドル(2004年:世銀)である。1ドルにも満たないのだ。食べるものを求め、日々生きるか死ぬかの生活をしていることがわかる。そんな彼らを、日本へのテロに駆り立てるような悪事を彼らに日本は行なっているのか?
自衛隊はイラクでイラク侵略軍の米軍への協力を行なってる。一切明らかになっていないが、米兵や兵器をイラクへ運び殺人の手伝いをしているのだろう。自衛隊は、インド洋で、アフガニスタンを侵略する米海軍艦艇への給油活動を行なっている。日本はアフガニスタンやイラクで、米軍の手下として侵略戦争を行なっているのだ。直接弾を撃たなくても、裏で弾を運び殺人の手伝いをしているが日本だ。日本は、理不尽な殺人の当事者だ。しかも殺人の理由というが、ブッシュという殺人鬼の応援のためだという。名古屋の3人の男達とどこが違う。
殺人を推し進めるのは安倍の率いる軍国主義者の自公だけではない。民主のネオコン前原は言う。「アフガニスタンでのテロとの戦いから日本が抜けることは国益に反する」。アメリカとの協調が日本の国益という印象を受ける発言だ。
だが、ブッシュはアメリカの少数派である。ブッシュの支持率は、安倍と同じでアメリカできわめて少数である。ところが、ブッシュの手先である日本のネオコン前原は、ブッシュに従順であることが国益と主張している。ところがブッシュは今やレイムダックに過ぎないのであるから、ブッシュを支援する行為はアメリカ全体から見ると、反米行為と言っても良い。したがって前原のいうブッシュと言うアメリカの嫌われものを支持することは国益とはならない。
そもそも国益などというが、安倍やネオコン前原は、アフガニスタンの一般人を殺すことで、利益を得て嬉しいのか? 人を殺して金を奪うくらいならば、飢え死にすることを選べよ。美しい国ならば、それくらいの気概は持てよ。
日本は他国の無辜の人を殺すことは止めるべきだ。殺人を推し進める「テロ特措法延長」を潰すべきだ。
2007/08/26のBlog
[ 22:38 ]
長谷寺と室生寺にはで今まで行ったことがなかった。興福寺や東大寺ほど交通の便の良いところではなく、行こうと思っていたのだが機会がなかった。室生寺には、ずっと行きたいと思っていた。その室生寺の五重の塔が、数年前に、台風で倒れた木に半分潰された写真を見たときはショックだったが、再建可能と聞いたときはほっとした。そして、ようやく先日、両寺を訪れることができた。
奈良駅のすぐ側に泊まっていた。駅に長谷寺というのがあったので、JRと近鉄を使って、まず長谷寺に行った。駅から、2キロほ歩いたが、古い門前町を見ながら歩くのは、楽しかった。蓬入りの団子が名物らしく、蓬団子屋がたくさんあった。暑い日で、門前町には観光客は見かけなかったが、長谷寺の中には、数名の参拝客がいた。長谷寺は、門から山の中腹にある本堂までは階段が続く。お年寄りには、大変な参拝だ。長谷観音は、さすがに迫力あった。観音様を拝んでいた人が、左側の方へ小走りへ行ったかと思うと、建物を回って来たらしく、すぐに左側から小走りで戻ってきて、また拝んだ。何をしているのだろうかと思っていたら、その動作を繰り返していた。少し年配の方と若い女性が二人で繰り返していた。お百度参りだろうかと思った。親子で、何か願をかけておられたのだろう。
奈良駅のすぐ側に泊まっていた。駅に長谷寺というのがあったので、JRと近鉄を使って、まず長谷寺に行った。駅から、2キロほ歩いたが、古い門前町を見ながら歩くのは、楽しかった。蓬入りの団子が名物らしく、蓬団子屋がたくさんあった。暑い日で、門前町には観光客は見かけなかったが、長谷寺の中には、数名の参拝客がいた。長谷寺は、門から山の中腹にある本堂までは階段が続く。お年寄りには、大変な参拝だ。長谷観音は、さすがに迫力あった。観音様を拝んでいた人が、左側の方へ小走りへ行ったかと思うと、建物を回って来たらしく、すぐに左側から小走りで戻ってきて、また拝んだ。何をしているのだろうかと思っていたら、その動作を繰り返していた。少し年配の方と若い女性が二人で繰り返していた。お百度参りだろうかと思った。親子で、何か願をかけておられたのだろう。
長谷寺の後に、室生寺に行こうと思って近鉄の二つ先の、室生口大野という駅へ行った。駅に降りたものの、どこに室生寺があるかわからない。何の案内もない。おかしいと思って歩いていたら、川べりに大野寺という寺があり、川向うに大きな岩に彫られた仏様が、見えた。摩崖仏というらしい。写真では伝わらないが巨大な仏様だ。室生寺はどこだろうかと、川沿いに歩いていると、車用の案内で室生寺7キロの案内が見えた。駅に、室生寺への案内がなかったはずだ。それに、駅名も室生寺でなく室生口となっていた。バスが来たら、乗ろうと思って歩き始めたが、ぜんぜんバス停がなかった。室生川沿いに作られた広い道なのに、ほとんど車が来ないし、道の両側には家一軒なかった。山道がなぜか舗装してある感じの道だった。結局、室生寺まで数百メートルのところでバスに抜かれたが、結局バスに乗らず最後まで歩いた。なんと山の奥深いところにある寺だろう。ただし、途中には家もなかったのに、室生寺付近だけは、みやげ物屋や、旅館があり門前町を成していた。
2007/08/25のBlog
[ 21:32 ]
1年半ほど前に、以下のようなことを書いていた。
所得のジニ係数といわれる所得の不平等度を測る指標がある。平等が0の値を取り、不平等が1に近づくとされている。日本は、1990年の0.4334から2002年は0.4983に上昇した。このほぼ0.5の数値は、国民の総所得の3/4を、所得の高い方の1/4の人だけで占めることを表す。世界と比較すると、より平等なヨーロッパ諸国よりも、貧富の差の激しい米英に近い。
下の記事①のように、2005年ののジニ係数の発表があった。「国民の総所得の3/4を、所得の高い方の1/4の人だけで占める」基準の0.5を超えている。弱者は死ぬしかない社会、強者にひとりでに富が集中する社会。自分さえ良ければ良い社会というのが格差社会であり、そのような社会への移行は、小泉「改革」支持という日本人の選択であった。この小泉への圧倒的な支持が、昔の日本型、あるいはヨーロッパ型の平等な社会から、弱肉強食のアメリカ型社会をもたらした。小泉は、弱者へのみ「痛み」を押し付け、その小泉を支持した日本人の選択した結果が、このジニ係数の変化である。格差社会への移行を数値でまとめておく。
1990年 0.4334
2002年 0.4983
2005年 0.5263
また、記事②のように、わずか3年間で、世帯の所得数が9.7%も減少している。個人消費が伸びるはずがない。景気が回復するはずがない。経済政策的にも、小泉の格差社会への「改革」は間違っていたということだ。
◆ジニ係数の記事
①世帯ごとの所得のばらつきを示す指標「ジニ係数」が2005年に0.5263と過去最高になったことが厚生労働省の調査で分かった。
(http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20070825AT3S2402824082007.html)
②一方、世帯の所得額は465万8000円で、前回調査の510万8000円から約45万円減少した。(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070824it14.htm)
所得のジニ係数といわれる所得の不平等度を測る指標がある。平等が0の値を取り、不平等が1に近づくとされている。日本は、1990年の0.4334から2002年は0.4983に上昇した。このほぼ0.5の数値は、国民の総所得の3/4を、所得の高い方の1/4の人だけで占めることを表す。世界と比較すると、より平等なヨーロッパ諸国よりも、貧富の差の激しい米英に近い。
下の記事①のように、2005年ののジニ係数の発表があった。「国民の総所得の3/4を、所得の高い方の1/4の人だけで占める」基準の0.5を超えている。弱者は死ぬしかない社会、強者にひとりでに富が集中する社会。自分さえ良ければ良い社会というのが格差社会であり、そのような社会への移行は、小泉「改革」支持という日本人の選択であった。この小泉への圧倒的な支持が、昔の日本型、あるいはヨーロッパ型の平等な社会から、弱肉強食のアメリカ型社会をもたらした。小泉は、弱者へのみ「痛み」を押し付け、その小泉を支持した日本人の選択した結果が、このジニ係数の変化である。格差社会への移行を数値でまとめておく。
1990年 0.4334
2002年 0.4983
2005年 0.5263
また、記事②のように、わずか3年間で、世帯の所得数が9.7%も減少している。個人消費が伸びるはずがない。景気が回復するはずがない。経済政策的にも、小泉の格差社会への「改革」は間違っていたということだ。
◆ジニ係数の記事
①世帯ごとの所得のばらつきを示す指標「ジニ係数」が2005年に0.5263と過去最高になったことが厚生労働省の調査で分かった。
(http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20070825AT3S2402824082007.html)
②一方、世帯の所得額は465万8000円で、前回調査の510万8000円から約45万円減少した。(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070824it14.htm)
[ 00:40 ]
安倍首相は、インドで環境戦略「美しい星50」を説明したとの報道があった。これは2050年度までに、二酸化炭素削減を半分にするというものであるが、別に戦略などなくても日本の二酸化炭素排出は半減する。
現在の日本の人口の半分は0.64億人ほどだ。2050年の日本の人口は、1億人まで減っている。従って、2050年までに一人当たりの二酸化炭素排出量を、36%ほど減らせば、日本としては50%削減が実現される。
一方、2050年の世界の人口は90億人を超えている。今よりも20数億人分のエネルギーを必要としている。しかも、2050年までに、石油、天然ガスは枯渇の秒読み段階となっている。そのためため、エネルギーの値段は高騰している。エネルギーが今とは比べものにならないほど高価なため、ありとあらゆるエネルギーの効率的使用が行なわれる。たとえば、仮にそのときまでガソリン車があればの話だが、車はリッター50キロが普通の世界となっていることだろう。このような環境であるため、日本のエネルギー使用量が36%(=50%削減)は優に減る。
一方、インドだが現在、世界で二酸化炭素排出量は5位であっても、一人当たりの二酸化炭素排出量で見ると、日本の20分の1程度であろう。仮にインドが50%削減をしなくてはいけないとなると、現在の人口を10億人として、2050年には現在の5億人分のエネルギーしか使えないということになる。2050年のインドの人口は16億を超えている。16億人が5億人分のエネルギーを使うということは、実質的に今よりも70%ほどの削減が必要となるということだ。インドに二酸化炭素削減を望むことは、ほとんど不可能だ。
このような、現在のひとりあたりの二酸化炭素排出量の違いと、2050年までの人口の増減の違いを考慮した上で、日印両国間協議は行なわれなければいけなかった。安倍首相が戦略を建てるべきは、自分が責任を取る必要もなく、自然に実現される2050年の話でなくて、京都議定書のマイナス6%の実現の話だ。期限は来年から2012年までと迫っているのに、政府として何の戦略もないではないか。「美しい星50」などという無意味で、自分の死後の世界で責任を取る必要のない明後日の話でなく、現実の今日やるべき戦略だ。
現在の日本の人口の半分は0.64億人ほどだ。2050年の日本の人口は、1億人まで減っている。従って、2050年までに一人当たりの二酸化炭素排出量を、36%ほど減らせば、日本としては50%削減が実現される。
一方、2050年の世界の人口は90億人を超えている。今よりも20数億人分のエネルギーを必要としている。しかも、2050年までに、石油、天然ガスは枯渇の秒読み段階となっている。そのためため、エネルギーの値段は高騰している。エネルギーが今とは比べものにならないほど高価なため、ありとあらゆるエネルギーの効率的使用が行なわれる。たとえば、仮にそのときまでガソリン車があればの話だが、車はリッター50キロが普通の世界となっていることだろう。このような環境であるため、日本のエネルギー使用量が36%(=50%削減)は優に減る。
一方、インドだが現在、世界で二酸化炭素排出量は5位であっても、一人当たりの二酸化炭素排出量で見ると、日本の20分の1程度であろう。仮にインドが50%削減をしなくてはいけないとなると、現在の人口を10億人として、2050年には現在の5億人分のエネルギーしか使えないということになる。2050年のインドの人口は16億を超えている。16億人が5億人分のエネルギーを使うということは、実質的に今よりも70%ほどの削減が必要となるということだ。インドに二酸化炭素削減を望むことは、ほとんど不可能だ。
このような、現在のひとりあたりの二酸化炭素排出量の違いと、2050年までの人口の増減の違いを考慮した上で、日印両国間協議は行なわれなければいけなかった。安倍首相が戦略を建てるべきは、自分が責任を取る必要もなく、自然に実現される2050年の話でなくて、京都議定書のマイナス6%の実現の話だ。期限は来年から2012年までと迫っているのに、政府として何の戦略もないではないか。「美しい星50」などという無意味で、自分の死後の世界で責任を取る必要のない明後日の話でなく、現実の今日やるべき戦略だ。