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2008/05/02のBlog
[ 00:46 ]
変なニュースがあった。
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和歌山県紀の川市は1日、勤務時間中に公用パソコンでインターネットのアダルトサイトを頻繁に閲覧していたとして、同市建設部地籍調査課の課長補佐(57)を停職3か月の懲戒処分にし、係長に降任したと発表した。
課長補佐は昨年7月の1か月間だけでも約17万回、アダルトサイトにアクセスしていた。(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080501-OYT1T00354.htm)
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変だと思うのは、「1か月間だけでも約17万回アクセス」という点だ。それだけの回数を一月にアクセスすることが可能なのだろうか?
一月に25日間、一日に8時間働いたとすると一月間の労働総時間は200時間となる。これを、分でいうと1万2千分で72万秒となる。報道では、この課長補佐は、1か月間で17万回アクセスしたということだから、1か月間の間4.2秒に1回は、アダルトサイトにアクセスしていたということになる。
4.2秒毎に新しいサイトにアクセスしては、次のサイトへアクセスをすることを1ヵ月続けたというのがこの報道だ。
この報道が正しいとすれば、この紀の川市の課長補佐氏は、アダルトサイトにアクセスして鑑賞し十分満足し見飽きてしまい、別のサイトにアクセルするまでが、4.2秒ということになる。しかも、それを毎日8時間続けるということだ。この課長補佐氏は、頭の回転が速く、興味を持ち飽きるまでの時間が異様に短いのであろうか? この課長補佐氏が仮に毎回毎回違うサイトにアクセスしているとすると、一日あたり6千8百サイトにアクセスしていたということだ。
いくら調査課のプロとは言え、これだけの調査は無理じゃないかと思うが、降任させられているから、事実なのであろう。紀の川市調査官というのは、このようなプロの神業をもってしてはじめて勤まるのであろう。
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和歌山県紀の川市は1日、勤務時間中に公用パソコンでインターネットのアダルトサイトを頻繁に閲覧していたとして、同市建設部地籍調査課の課長補佐(57)を停職3か月の懲戒処分にし、係長に降任したと発表した。
課長補佐は昨年7月の1か月間だけでも約17万回、アダルトサイトにアクセスしていた。(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080501-OYT1T00354.htm)
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変だと思うのは、「1か月間だけでも約17万回アクセス」という点だ。それだけの回数を一月にアクセスすることが可能なのだろうか?
一月に25日間、一日に8時間働いたとすると一月間の労働総時間は200時間となる。これを、分でいうと1万2千分で72万秒となる。報道では、この課長補佐は、1か月間で17万回アクセスしたということだから、1か月間の間4.2秒に1回は、アダルトサイトにアクセスしていたということになる。
4.2秒毎に新しいサイトにアクセスしては、次のサイトへアクセスをすることを1ヵ月続けたというのがこの報道だ。
この報道が正しいとすれば、この紀の川市の課長補佐氏は、アダルトサイトにアクセスして鑑賞し十分満足し見飽きてしまい、別のサイトにアクセルするまでが、4.2秒ということになる。しかも、それを毎日8時間続けるということだ。この課長補佐氏は、頭の回転が速く、興味を持ち飽きるまでの時間が異様に短いのであろうか? この課長補佐氏が仮に毎回毎回違うサイトにアクセスしているとすると、一日あたり6千8百サイトにアクセスしていたということだ。
いくら調査課のプロとは言え、これだけの調査は無理じゃないかと思うが、降任させられているから、事実なのであろう。紀の川市調査官というのは、このようなプロの神業をもってしてはじめて勤まるのであろう。
2008/04/30のBlog
[ 22:53 ]
『7─9月期の電気料金、前期比137円値上げの6797円=東電』ということで、電気代は上がり続ける。原油価格の高騰に伴い電気料金の値上げが行われているとも思うが、それは一因でしかない。
日本の発電の発電方式の内訳(2004)をみると、29%が原子力、26%が液化天然ガス、25%が石炭、10%が石油、11%が水力等による。
となっているので、原油価格の上昇による部分はわずか10%部分の値上げでしかない。他の液化天然ガスや、石炭の価格の変動の方が影響は大きい。
ウランも価格は上昇しているが、原子力発電所の説明によると影響は少ないということのようだ。理由は、『発電に占める費用の中で、燃料費の割合は小さいという。だから、高価なプルトニウムでも影響は小さいのでMOX燃料を推進する』とのことだ。このあたりは、物言う株主がJパワー経営陣と論戦してほしいのだが、政府の介入があるので期待はできない。
各燃料のこの一年間の動向を見ておく:
・原油価格は現在120ドル弱であるが、一年前は64ドルほどであった。1.88倍ほど上がっていることになる。(http://futures.tradingcharts.com/chart/CO/M)
・貿易統計価格推移を見ると液化天然ガスは、2007年の3月から2008年の3月までの1年間で1.4倍値上がりしている。(http://www.irumagas.co.jp/soumu/cif_kakaku2005.htm)
・石炭に関しては、種類が多く価格がそれぞれ異なるがNorthern Applanciaというものの価格を見ると、07年4月で45ドルほどであったものが、08年4月では105ドルまで上がっている。一年間で2.33倍上がっている。(http://www.eia.doe.gov/cneaf/coal/page/coalnews/coalmar.html)
つまり、地下資源の高騰は原油のみではない。発電に関連するすべての燃料が高騰している。高騰しなかったのは、水力発電の雨の値段だけだ。雨だけはスマイルと同じく0円のままだ。
日本のエネルギーの大半は海外からの輸入でまかなわれている。それらのエネルギーを生み出すときに、二酸化炭素が発生する。二酸化炭素の多い企業(06年度)のトップ10を見ると以下のようになっている。
(1)東京電力 6888
(2)JFEスチール 6029
(3)新日本製鉄 5933
(4)中部電力 4732
(5)Jパワー 4356
(6)東北電力 3413
(7)中国電力 2546
(8)住友金属工業 2214
(9)九州電力 2129
(10)関西電力 2048
(単位は万トン。二酸化炭素換算)
企業別に見ると、電力会社6社とJパワーも入とで7社が発電関連企業だ。住友金属工業は、主たる事業は鉄鋼業なので、製鉄業と分類すると、製鉄業が残りの3社ということになる。電力会社と製鉄だけでトップ10が構成されている。
日本の二酸化炭素の排出をみると、電力配分前の段階では、日本の二酸化炭素発生源の3割は発電所から生じている。また、製鉄業においてはコークスを燃やすので、やはり二酸化炭素の発生は多い。このような産業部門からの排出も約3割である。一方、民生家庭というのは、電力配分後であっても全排出量の13.5%に過ぎない(2000年度)。
燃料のほぼ100%を海外に頼る日本であるから、燃料価格のインフレ状態の影響を大きく受ける。燃料を大量消費する電力会社、産業、運輸のすべてがこのインフレの影響を被る。
日本で一番二酸化炭素の多い企業は、東京電力だ。その東京電力は昨年今年と大幅にその二酸化炭素排出量が増えている。2007年の地震以来、柏崎刈羽原発7基が止まったままであるから、その代用としての高い燃料を買って火力発電所をフル操業中で、それによる二酸化炭素排出が増えている。
これからも、原発という精密機械を日本のような地震国に建設する限り、長期にわたる運用停止は日本の各地で交互に起こることだろう。たとえ大事故に繋がらなくても、エネルギーの安定供給という見地から、日本が原発に頼って良いかの検討が必要だ。地震国であるのだから、原発を作るのに向いていない国であることは明らかだ。
資産運用では、分散投資が基本らしいが、エネルギーもそうだろう。海外の燃料の高騰の影響を受けない風力、太陽光、地熱などの「国産燃料」を大幅に増やすことの方が先でないかと思う。国産で、しかも二酸化炭素を排出しない。
日本の発電の発電方式の内訳(2004)をみると、29%が原子力、26%が液化天然ガス、25%が石炭、10%が石油、11%が水力等による。
となっているので、原油価格の上昇による部分はわずか10%部分の値上げでしかない。他の液化天然ガスや、石炭の価格の変動の方が影響は大きい。
ウランも価格は上昇しているが、原子力発電所の説明によると影響は少ないということのようだ。理由は、『発電に占める費用の中で、燃料費の割合は小さいという。だから、高価なプルトニウムでも影響は小さいのでMOX燃料を推進する』とのことだ。このあたりは、物言う株主がJパワー経営陣と論戦してほしいのだが、政府の介入があるので期待はできない。
各燃料のこの一年間の動向を見ておく:
・原油価格は現在120ドル弱であるが、一年前は64ドルほどであった。1.88倍ほど上がっていることになる。(http://futures.tradingcharts.com/chart/CO/M)
・貿易統計価格推移を見ると液化天然ガスは、2007年の3月から2008年の3月までの1年間で1.4倍値上がりしている。(http://www.irumagas.co.jp/soumu/cif_kakaku2005.htm)
・石炭に関しては、種類が多く価格がそれぞれ異なるがNorthern Applanciaというものの価格を見ると、07年4月で45ドルほどであったものが、08年4月では105ドルまで上がっている。一年間で2.33倍上がっている。(http://www.eia.doe.gov/cneaf/coal/page/coalnews/coalmar.html)
つまり、地下資源の高騰は原油のみではない。発電に関連するすべての燃料が高騰している。高騰しなかったのは、水力発電の雨の値段だけだ。雨だけはスマイルと同じく0円のままだ。
日本のエネルギーの大半は海外からの輸入でまかなわれている。それらのエネルギーを生み出すときに、二酸化炭素が発生する。二酸化炭素の多い企業(06年度)のトップ10を見ると以下のようになっている。
(1)東京電力 6888
(2)JFEスチール 6029
(3)新日本製鉄 5933
(4)中部電力 4732
(5)Jパワー 4356
(6)東北電力 3413
(7)中国電力 2546
(8)住友金属工業 2214
(9)九州電力 2129
(10)関西電力 2048
(単位は万トン。二酸化炭素換算)
企業別に見ると、電力会社6社とJパワーも入とで7社が発電関連企業だ。住友金属工業は、主たる事業は鉄鋼業なので、製鉄業と分類すると、製鉄業が残りの3社ということになる。電力会社と製鉄だけでトップ10が構成されている。
日本の二酸化炭素の排出をみると、電力配分前の段階では、日本の二酸化炭素発生源の3割は発電所から生じている。また、製鉄業においてはコークスを燃やすので、やはり二酸化炭素の発生は多い。このような産業部門からの排出も約3割である。一方、民生家庭というのは、電力配分後であっても全排出量の13.5%に過ぎない(2000年度)。
燃料のほぼ100%を海外に頼る日本であるから、燃料価格のインフレ状態の影響を大きく受ける。燃料を大量消費する電力会社、産業、運輸のすべてがこのインフレの影響を被る。
日本で一番二酸化炭素の多い企業は、東京電力だ。その東京電力は昨年今年と大幅にその二酸化炭素排出量が増えている。2007年の地震以来、柏崎刈羽原発7基が止まったままであるから、その代用としての高い燃料を買って火力発電所をフル操業中で、それによる二酸化炭素排出が増えている。
これからも、原発という精密機械を日本のような地震国に建設する限り、長期にわたる運用停止は日本の各地で交互に起こることだろう。たとえ大事故に繋がらなくても、エネルギーの安定供給という見地から、日本が原発に頼って良いかの検討が必要だ。地震国であるのだから、原発を作るのに向いていない国であることは明らかだ。
資産運用では、分散投資が基本らしいが、エネルギーもそうだろう。海外の燃料の高騰の影響を受けない風力、太陽光、地熱などの「国産燃料」を大幅に増やすことの方が先でないかと思う。国産で、しかも二酸化炭素を排出しない。
[ 00:21 ]
ぼくはニュータウンと呼ばれる場所に住んでいる。数十年前は丘陵地帯だった所が、整地され道路が作られた。脇を削って通された道路の両面は斜面で、そこにツツジが植えられている。最初、ツツジが植栽されたのだが、その後はあまり手入れされていない。そのためツツジの周りは野草が生い茂っている。園芸種と野生種の戦いでは、人の手が入らないと、野生種が勝つ。もともと、その土地の土壌にあった野生種が勝つことは当然の結果だ。ツツジは元々園芸種だが、長年ほったらかしにされていて、徐々に野生味を取り戻したのだろう。毎年、好き放題伸びきった野草の中に、ツツジは毎年花を咲かせている。そして、その木の大きさも徐々に大きくなってきている。薄がコロニーを作るように、あるいはセイタカアワダチソウがそのコロニーを乗っ取って新たなコロニーを作るように、野草と競争しながら、野生を取り戻したツツジも徐々にコロニーを作っていくのかもしれない。
話は突然変わる。昔話だ。遠藤賢治という歌手がいる。彼の歌詞に衝撃を受けたことがあった。「君の胸に顔を埋めて ぼくはいつもひとりぼっちみたいだ とわざという」と一節を聞いたときのことだ。どうしてこのような言葉を言えるのだろうと驚いた。
昔話だと最初に断ったように、今の時代では何の衝撃でもないだろうと思う。でも、昔この歌詞は、少なくとも、ぼくにとって衝撃的だった。ぼくは、九州で育った。あの有名な、男尊女卑の土地柄だ。人は、ひとりで考えて生きているつもりでも、生まれた場所にずいぶん影響されるものだと思う。男尊女卑の誉れ、あるいは非難轟々の土地で育ち、男は強くなくてはいけない、弱い者苛めは卑怯であるとか男は泣いてはいけない等々を、直接聞いたことはなかったものの、なんとなくそういう風にならねばならないというような環境の中で育った。だから、自分の弱点を告白したり、ましてや弱点を作り上げて人の関心をかうようなことを恥ずかしく思うようになっていた。
だから、「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」という歌詞を聞いたときは驚いた。男でも女性に甘える人がいるのだ、しかもひとりぼっちみたいであるということで女性の同情を引きつけることまで言って甘えることができる人がいるのだという驚きであった。
時代性と地域性もあるからここで書いていることが何が驚きであるか、うまく伝わらないのかもしれない。人は観念を刷り込まれて生きている。その観念こそが人が人であることの所以かもしれない。だが、人は人であると同時に動物であり、その刷り込まれた観念が動物であることを否定しているのかもしれない。人は動物であるのに、動物でない何者かが人なのかもしれない。
ぼくは他人に甘えることが苦手だ。弱みを見せて同情をかうことができない。「武士は食わねど高楊枝」的な傲慢さか、矜持が染み付いている。人には、「あの人は大丈夫」と思わせなければいけないという強迫観念を持ちながら生きている。だからこそ「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」と言える男が世間にはいることに驚愕した。
甘えることは、何となく卑怯だという感じがある。一種の演技だし、それは嘘ということだし、相手の優しさを利用していることだし、嫌だと感じる。でも、「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」とひとことが言えて、甘えることができたら、どんなに良いだろうと思う。きっと、その一言嘘さえ言うこができれば、世界が一変するかもしれないと思う。オセロの一手で、白黒が総て逆転するように、世界がまったく別の世界になるに違いない。でも、その一言は禁句に思える。九州の「男は強くなければ」という大定理に洗脳されるとそう思ってしまう。
男はいつも嘘がうまいね
女よりも子供よりも嘘がうまいね
女は嘘が好きだね
昨日よりも明日よりも嘘が好きだね
(中島みゆき 歌姫)
という歌がある。ここには、「男は強くなければ」などという混乱した思考の結晶はない。「男というものは嘘がうまい」という、男の本性を顕した歌詞が書いてある。もともとは、男というものはそういうものなのだと思う。「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」男だけが「君の胸に顔を埋め」ることはできたのは、その言葉が、男の気持ち素直に表現できていたから受け容れられた結果なのであろう。
「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざと」言える人は、本当は強い人なのだと思う。甘える弱い人間を演じながら、その弱さが女性の母性本能を擽り、己の弱さを曝け出すようにみせかけた嘘が、女性に受け容れれることを知りつくし甘えて見せている。かような人は精神的にはタフだと思う。「男は強くなければ」などと痩せ我慢をする必要はないのだ。
「男は強くなければ」との脅迫観念に捕らわれている男とは、園芸種のツツジみたいな気がする。「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざと」言える野生の男と勝負すれば負けるに決まっている。
でも・・・とも思う。本の題名は忘れたが、福岡の八女に大陸から引き上げた作家の五木寛之の本にある男の話が書いてあった。話の一部に、『好きな女性と結婚した男が、その奥さんが好きな男に会いに行くことに気づく。しかし、止めもせず、心の中で行くなと願いながら見送る』という場面があった。これは、甘えることのできない、「男は強くなくては」ということだけを信じる男の振る舞いだ。あまりにも九州人ぽい、甘えることを拒否した男の悲劇だ。
甘えることが出来ればと思っている男が、実は、一番の甘えん坊で、甘えることが必要な人間である。
話は突然変わる。昔話だ。遠藤賢治という歌手がいる。彼の歌詞に衝撃を受けたことがあった。「君の胸に顔を埋めて ぼくはいつもひとりぼっちみたいだ とわざという」と一節を聞いたときのことだ。どうしてこのような言葉を言えるのだろうと驚いた。
昔話だと最初に断ったように、今の時代では何の衝撃でもないだろうと思う。でも、昔この歌詞は、少なくとも、ぼくにとって衝撃的だった。ぼくは、九州で育った。あの有名な、男尊女卑の土地柄だ。人は、ひとりで考えて生きているつもりでも、生まれた場所にずいぶん影響されるものだと思う。男尊女卑の誉れ、あるいは非難轟々の土地で育ち、男は強くなくてはいけない、弱い者苛めは卑怯であるとか男は泣いてはいけない等々を、直接聞いたことはなかったものの、なんとなくそういう風にならねばならないというような環境の中で育った。だから、自分の弱点を告白したり、ましてや弱点を作り上げて人の関心をかうようなことを恥ずかしく思うようになっていた。
だから、「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」という歌詞を聞いたときは驚いた。男でも女性に甘える人がいるのだ、しかもひとりぼっちみたいであるということで女性の同情を引きつけることまで言って甘えることができる人がいるのだという驚きであった。
時代性と地域性もあるからここで書いていることが何が驚きであるか、うまく伝わらないのかもしれない。人は観念を刷り込まれて生きている。その観念こそが人が人であることの所以かもしれない。だが、人は人であると同時に動物であり、その刷り込まれた観念が動物であることを否定しているのかもしれない。人は動物であるのに、動物でない何者かが人なのかもしれない。
ぼくは他人に甘えることが苦手だ。弱みを見せて同情をかうことができない。「武士は食わねど高楊枝」的な傲慢さか、矜持が染み付いている。人には、「あの人は大丈夫」と思わせなければいけないという強迫観念を持ちながら生きている。だからこそ「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」と言える男が世間にはいることに驚愕した。
甘えることは、何となく卑怯だという感じがある。一種の演技だし、それは嘘ということだし、相手の優しさを利用していることだし、嫌だと感じる。でも、「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」とひとことが言えて、甘えることができたら、どんなに良いだろうと思う。きっと、その一言嘘さえ言うこができれば、世界が一変するかもしれないと思う。オセロの一手で、白黒が総て逆転するように、世界がまったく別の世界になるに違いない。でも、その一言は禁句に思える。九州の「男は強くなければ」という大定理に洗脳されるとそう思ってしまう。
男はいつも嘘がうまいね
女よりも子供よりも嘘がうまいね
女は嘘が好きだね
昨日よりも明日よりも嘘が好きだね
(中島みゆき 歌姫)
という歌がある。ここには、「男は強くなければ」などという混乱した思考の結晶はない。「男というものは嘘がうまい」という、男の本性を顕した歌詞が書いてある。もともとは、男というものはそういうものなのだと思う。「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」男だけが「君の胸に顔を埋め」ることはできたのは、その言葉が、男の気持ち素直に表現できていたから受け容れられた結果なのであろう。
「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざと」言える人は、本当は強い人なのだと思う。甘える弱い人間を演じながら、その弱さが女性の母性本能を擽り、己の弱さを曝け出すようにみせかけた嘘が、女性に受け容れれることを知りつくし甘えて見せている。かような人は精神的にはタフだと思う。「男は強くなければ」などと痩せ我慢をする必要はないのだ。
「男は強くなければ」との脅迫観念に捕らわれている男とは、園芸種のツツジみたいな気がする。「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざと」言える野生の男と勝負すれば負けるに決まっている。
でも・・・とも思う。本の題名は忘れたが、福岡の八女に大陸から引き上げた作家の五木寛之の本にある男の話が書いてあった。話の一部に、『好きな女性と結婚した男が、その奥さんが好きな男に会いに行くことに気づく。しかし、止めもせず、心の中で行くなと願いながら見送る』という場面があった。これは、甘えることのできない、「男は強くなくては」ということだけを信じる男の振る舞いだ。あまりにも九州人ぽい、甘えることを拒否した男の悲劇だ。
甘えることが出来ればと思っている男が、実は、一番の甘えん坊で、甘えることが必要な人間である。
2008/04/29のBlog
[ 00:17 ]
友人に、物知りで、並外れた推理力をもち、いわゆる大変な秀才がいるのだが、彼も決して万能ではないということがわかる事があった。数日前その彼が、右目の左半分の白目が真っ赤に充血しているのに気づいたという。『脳内出血でオラこのまま死ぬのか、と思うと気分が悪くなった』という。
彼は学校の先生をやっているのだが、授業に行ったものの、『今日は体調が悪いのでここまでにします』と授業を途中で止めてしまったという。脳出血で死にそうなので、授業を早めに終わったのだ。
脳出血であれば、舌がもつれる、左半身か右半身が痺れる、動かないなどの症状があるはずであるが、彼は教室まで歩いて行き、授業では喋っている。その時点で、別の病気を考えるのが普通であると思うが、彼は脳出血で死に行く自分を思いに捕らわれていた。もうすぐ死ぬと思い、気分が悪くなったようだ。
授業後しばらく休んでいても、気分は良くないものの、死ぬ気配がない。そこで、ようやく脳の病気でなく目の病気かもしれないと思ったらしい。
ぼくは子供のころ福岡に住んでいた。春になると中国から黄砂が飛んできて、景色に霞がかかったようになる。そして、いつも目が赤くなり眼科に行っていた。春の年中行事のようなものだった。だから目が充血したら目の病気だと即座に思う。
想像で、脳出血を仮想体験したその彼は、一度も結膜炎の類に罹ったことがなかったらしい。それで、目が充血したのを見て、脳出血で死の淵を漂っている気分になったようだ。並外れた推理力が外に向けられると鋭い推理が可能なのに、自分自身のことになると、判断が狂うもののようだ。
彼は学校の先生をやっているのだが、授業に行ったものの、『今日は体調が悪いのでここまでにします』と授業を途中で止めてしまったという。脳出血で死にそうなので、授業を早めに終わったのだ。
脳出血であれば、舌がもつれる、左半身か右半身が痺れる、動かないなどの症状があるはずであるが、彼は教室まで歩いて行き、授業では喋っている。その時点で、別の病気を考えるのが普通であると思うが、彼は脳出血で死に行く自分を思いに捕らわれていた。もうすぐ死ぬと思い、気分が悪くなったようだ。
授業後しばらく休んでいても、気分は良くないものの、死ぬ気配がない。そこで、ようやく脳の病気でなく目の病気かもしれないと思ったらしい。
ぼくは子供のころ福岡に住んでいた。春になると中国から黄砂が飛んできて、景色に霞がかかったようになる。そして、いつも目が赤くなり眼科に行っていた。春の年中行事のようなものだった。だから目が充血したら目の病気だと即座に思う。
想像で、脳出血を仮想体験したその彼は、一度も結膜炎の類に罹ったことがなかったらしい。それで、目が充血したのを見て、脳出血で死の淵を漂っている気分になったようだ。並外れた推理力が外に向けられると鋭い推理が可能なのに、自分自身のことになると、判断が狂うもののようだ。
2008/04/28のBlog
[ 01:04 ]
耐震偽装事件は、姉歯建築士ひとりの特異な人物による個人的事件にされて終わってしまった感がある。だが、数値は忘れたが、姉歯物件だけでなく、日本全体のマンションの何割かのマンションに耐震不足であろうと報じられていた。従って、これは姉歯建築士ひとりの問題ではない。建築基準法のシステムの問題である。おそらく日本のマンションのうち、何万棟ものマンションが耐震不足なのだ。このような耐震不足が起こるようなシステムを作ったのが、国土交通省であり、その責任ある立場の人間が山本繁太郎という男だった。この山本繁太郎をゲンダイの報道で紹介すると、
「しかも山本氏といえば、旧建設省時代にノーパンしゃぶしゃぶ接待問題で名前が挙がったこともある人物。耐震偽装問題が発覚した国交省住宅局長時には、業界から、ザル法の建築基準法をほったらかしにして責任をすべて民に押し付けた、と酷評されました」
(http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/society/story/04gendainet02036359/)
ということだ。山本繁太郎とはノーパンしゃぶしゃぶ男でもある。耐震偽装責任逃れであり、ノーパンしゃぶしゃぶ男でもある山本は、恥も外聞もなく山口2区補選に出馬した。山本は、ノーパンしゃぶしゃぶ接待を受ける品性下品な男であるから、他にもどれほどの悪事を働いているのかわかったものではない。
このノーパンしゃぶしゃぶ山本は山口出身で、同郷の安倍晋三と親しかった。安倍晋三の後援会安晋会の副会長が、耐震不足ホテルを出したアパグループ会長であった。耐震偽装マンションのヒューザー社長などは逮捕された。マスコミも批判を繰り返した。一方、アパグループに対する態度は、異常に寛容でありマスコミも殆ど取り上げなかった。異常なアンバランスであった。裏でどのような力が働いていたかを推測される事件であった。
このときの国交省局長とその裏に同郷の安倍がいたことから、いろいろと推測はできるものの、何が裏にあったのかは、わからない。だが、ノーパンしゃぶしゃぶ山本に胡散臭さを感じた人は多かったはずだ。
日本中の多くのマンション等が、建築基準法の不備により、大地震が起きたときに壊れるかもしれない。その責任を取るべき立場にありながら、責任を姉歯に押しつける卑劣な行為を行なったのがノーパンしゃぶしゃぶ山本である。
その山本を山口二区補選に担ぎ出し婆様まで動因して、応援しまくっていたのが、耐震偽装ホテルアパを後援会副会長に抱える安倍であった。山本の出馬は、恥知らずの行為であり、世間を舐めているとしか言いようがない暴挙であったと思う。その品性下劣極まりない山本を創価学会が応援していた。また、安倍一家は歴代というか、岸の代から隣国のカルト宗教と関わりが深い。そのため、山口二区補選では、内外のカルトが結託して山本を応援した選挙とも言える。
先ほどのニュースで、山口二区補選で、ノーパンしゃぶしゃぶ山本が破れた。山口二区にはカルトに騙されている人間ばかりでないということだ。山本が仮に勝っていたら日本という国が、カルトがカルトを信じない人たちを支配する社会へと一歩近づくところであった。
「しかも山本氏といえば、旧建設省時代にノーパンしゃぶしゃぶ接待問題で名前が挙がったこともある人物。耐震偽装問題が発覚した国交省住宅局長時には、業界から、ザル法の建築基準法をほったらかしにして責任をすべて民に押し付けた、と酷評されました」
(http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/society/story/04gendainet02036359/)
ということだ。山本繁太郎とはノーパンしゃぶしゃぶ男でもある。耐震偽装責任逃れであり、ノーパンしゃぶしゃぶ男でもある山本は、恥も外聞もなく山口2区補選に出馬した。山本は、ノーパンしゃぶしゃぶ接待を受ける品性下品な男であるから、他にもどれほどの悪事を働いているのかわかったものではない。
このノーパンしゃぶしゃぶ山本は山口出身で、同郷の安倍晋三と親しかった。安倍晋三の後援会安晋会の副会長が、耐震不足ホテルを出したアパグループ会長であった。耐震偽装マンションのヒューザー社長などは逮捕された。マスコミも批判を繰り返した。一方、アパグループに対する態度は、異常に寛容でありマスコミも殆ど取り上げなかった。異常なアンバランスであった。裏でどのような力が働いていたかを推測される事件であった。
このときの国交省局長とその裏に同郷の安倍がいたことから、いろいろと推測はできるものの、何が裏にあったのかは、わからない。だが、ノーパンしゃぶしゃぶ山本に胡散臭さを感じた人は多かったはずだ。
日本中の多くのマンション等が、建築基準法の不備により、大地震が起きたときに壊れるかもしれない。その責任を取るべき立場にありながら、責任を姉歯に押しつける卑劣な行為を行なったのがノーパンしゃぶしゃぶ山本である。
その山本を山口二区補選に担ぎ出し婆様まで動因して、応援しまくっていたのが、耐震偽装ホテルアパを後援会副会長に抱える安倍であった。山本の出馬は、恥知らずの行為であり、世間を舐めているとしか言いようがない暴挙であったと思う。その品性下劣極まりない山本を創価学会が応援していた。また、安倍一家は歴代というか、岸の代から隣国のカルト宗教と関わりが深い。そのため、山口二区補選では、内外のカルトが結託して山本を応援した選挙とも言える。
先ほどのニュースで、山口二区補選で、ノーパンしゃぶしゃぶ山本が破れた。山口二区にはカルトに騙されている人間ばかりでないということだ。山本が仮に勝っていたら日本という国が、カルトがカルトを信じない人たちを支配する社会へと一歩近づくところであった。