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天上大風
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2008/05/04のBlog
米軍指導の連合軍は2001年のアフガニスタン侵略のときに劣化ウラン弾を使用した。侵略直後の調査で、アフガンでの高レベルのウラニウムが見つかっているので使用されたことは間違いない。劣化ウラン弾というのは、ウラン中のウラン235の割合が天然ウランよりも低いものから作った大砲の弾である。天然ウラン中のウラン235の割合は0.7%ほどであるが、この濃度を5%ほどまで上げて初めて原子炉での燃料となる。このウラン精製の際に出てくるゴミが、劣化ウランである。これは比重が大きいので、大砲の弾として使用すると破壊力が大きい。bunker busterと言われる爆弾は、地下数十メートルまでもぐって爆発するが、そこにもこの劣化ウランが使用されていた。ビン・ラディンが潜んでいると思われていた山岳地帯一帯に、このbuker busterが落とされ劣化ウランが灰燼として飛び散ったと思われる。

米軍は、この劣化ウラン弾が健康へ影響することを認めていない。だが、アフガニスタンではこの2年ほどの間に奇形児の割合が倍増したという(BBC)。アフガニスタンは世界でも有数の貧困国であるから国民の栄養状態も悪い。そのため、これがウランの影響であるかどうかは直ちに結論できないという。だがウランから出てくる放射線が安全なわけはない。放射性物質が一度体内に入ると、そこから放射線を出し続ける。米国は、劣化ウラン弾が人への影響がないと主張するのであれば、ホワイトハウスの庭石に敷き詰めてみれば良い。道路舗装の際も、劣化ウランを砂利の代わりに全米で使えば良いだろう。

劣化ウランの99%以上は、ウラン238であるが、そのの半減期は約45億年であり、ウラン235の半減期は7億年であるから、一度灰燼としてばら撒かれたウランの放射能はほぼ下がることがない。 原子力発電に必要なウラン精製の際に生じるゴミである劣化ウランを、アメリカは、自国で処分せずに侵略戦争を利用してアフガニスタンやイラクの地に捨てている。悪魔の仕業としか思えない。
2008/05/03のBlog
箱根は木工作品で有名なところで、現在製造していないが昔は七福神の神が入れ子のになっていて、順番は知らないが、たとえば大黒様の中に、少し小さな恵比寿様がいて、その中には更に小さな他の神様がいてというような入れ子細工を作っていた。ロシアのマトリョーシカの元ではないかとも言われている。木工作品で現在でも製造していて、有名なものに寄木細工がある。その中でもお土産屋さんで有名なものにひみつ箱というのがある。大きさは宝石箱くらいなのだが、その箱には蓋がない。開くことは開いて、工夫をすれば開く。その開けかたが、難しい。それで「ひみつ箱」と呼ぶ。

箱の表面は寄木造で模様が入っている。模様に紛れてわからないのだが、幾本かの線は、板の継ぎ目になっていてスライドできるようになっている。直方体六面のうち、最初にどこかの面に潜んでいる、ある部分をずらさなくてはいけない。そうすることにより、他の面の他の一部をずらすことが可能となる。それをずらすと、他の部分がずらせるようになってということが何度か続く。次々とずらしていくことにより、ひみつ箱を開けることができる。

ここを見ると、簡単なものは4回ほどであるが、複雑なものは、なんと72回もずらしていく過程がある。開けかたの説明書も膨大なものなのであろう。やってみると、4回くらいでも、説明書なしでは結構難しい。

2年前のクリスマスに、デンマークのヤコブの家に、そのひみつ箱の中にクリスマスカードを忍ばせて送った。ヤコブのお父さんが、きっと、はまるに違いないと思ったからだった。3年前にヤコブの家のクリスマスの呼ばれて行った。そのときヤコブのお父さんと話した。グリーンランドに以前住んでいたことがあったためか、家の壁には大きなグリーンランドの地図があった。グリーンランドの地図の北部を示しながら、「このあたりは雪が殆ど降らない。寒すぎて水分の蒸発が起こらない。そのため雪の量は少なく、砂漠地帯と同じだ」と説明してくれた。ものごとに理屈があることを面白く感じる人だとわかった。ぼくも、そのような理屈の説明を面白く感じる方であるから、ヤコブのお父さんの趣味も想像がついた。

狙い通り、お父さんは、ぼくが送ったひみつ箱にはまった。開けかたの紙を英訳した紙を一緒に送ったのだが、日本に来たヤコブから聞いた話では、お父さんはそれを見ずに自分で開けようと何日もかけたらしい。そして、すっかりひみつ箱に、はまってしまったお父さんは、現在日本にいるヤコブに、「小さなひみつ箱を数個送ってくれ」とのメールを書いた。目的はひみつ箱に自宅で開くパーティーの招待状を入れて、友人に送るのだという。

ヤコブがその話をぼくにしたので、ぼくは「パーティーには誰も来ないと思う」と答えた。ヤコブも、「ぼくもそう思う」と答えた。だが、お父さんはきっと招待状を入れたヤコブの送ったひみつ箱を友達に送って、友達が来ても来なくても、大喜びしているに違いないと思う。
2008/05/02のBlog
変なニュースがあった。
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和歌山県紀の川市は1日、勤務時間中に公用パソコンでインターネットのアダルトサイトを頻繁に閲覧していたとして、同市建設部地籍調査課の課長補佐(57)を停職3か月の懲戒処分にし、係長に降任したと発表した。

 課長補佐は昨年7月の1か月間だけでも約17万回、アダルトサイトにアクセスしていた。(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080501-OYT1T00354.htm)
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変だと思うのは、「1か月間だけでも約17万回アクセス」という点だ。それだけの回数を一月にアクセスすることが可能なのだろうか?

一月に25日間、一日に8時間働いたとすると一月間の労働総時間は200時間となる。これを、分でいうと1万2千分で72万秒となる。報道では、この課長補佐は、1か月間で17万回アクセスしたということだから、1か月間の間4.2秒に1回は、アダルトサイトにアクセスしていたということになる。

4.2秒毎に新しいサイトにアクセスしては、次のサイトへアクセスをすることを1ヵ月続けたというのがこの報道だ。

この報道が正しいとすれば、この紀の川市の課長補佐氏は、アダルトサイトにアクセスして鑑賞し十分満足し見飽きてしまい、別のサイトにアクセルするまでが、4.2秒ということになる。しかも、それを毎日8時間続けるということだ。この課長補佐氏は、頭の回転が速く、興味を持ち飽きるまでの時間が異様に短いのであろうか? この課長補佐氏が仮に毎回毎回違うサイトにアクセスしているとすると、一日あたり6千8百サイトにアクセスしていたということだ。

いくら調査課のプロとは言え、これだけの調査は無理じゃないかと思うが、降任させられているから、事実なのであろう。紀の川市調査官というのは、このようなプロの神業をもってしてはじめて勤まるのであろう。
2008/04/30のBlog
『7─9月期の電気料金、前期比137円値上げの6797円=東電』ということで、電気代は上がり続ける。原油価格の高騰に伴い電気料金の値上げが行われているとも思うが、それは一因でしかない。

日本の発電の発電方式の内訳(2004)をみると、29%が原子力、26%が液化天然ガス、25%が石炭、10%が石油、11%が水力等による。

となっているので、原油価格の上昇による部分はわずか10%部分の値上げでしかない。他の液化天然ガスや、石炭の価格の変動の方が影響は大きい。

ウランも価格は上昇しているが、原子力発電所の説明によると影響は少ないということのようだ。理由は、『発電に占める費用の中で、燃料費の割合は小さいという。だから、高価なプルトニウムでも影響は小さいのでMOX燃料を推進する』とのことだ。このあたりは、物言う株主がJパワー経営陣と論戦してほしいのだが、政府の介入があるので期待はできない。

各燃料のこの一年間の動向を見ておく:

・原油価格は現在120ドル弱であるが、一年前は64ドルほどであった。1.88倍ほど上がっていることになる。(http://futures.tradingcharts.com/chart/CO/M)

・貿易統計価格推移を見ると液化天然ガスは、2007年の3月から2008年の3月までの1年間で1.4倍値上がりしている。(http://www.irumagas.co.jp/soumu/cif_kakaku2005.htm)

・石炭に関しては、種類が多く価格がそれぞれ異なるがNorthern Applanciaというものの価格を見ると、07年4月で45ドルほどであったものが、08年4月では105ドルまで上がっている。一年間で2.33倍上がっている。(http://www.eia.doe.gov/cneaf/coal/page/coalnews/coalmar.html)

つまり、地下資源の高騰は原油のみではない。発電に関連するすべての燃料が高騰している。高騰しなかったのは、水力発電の雨の値段だけだ。雨だけはスマイルと同じく0円のままだ。

日本のエネルギーの大半は海外からの輸入でまかなわれている。それらのエネルギーを生み出すときに、二酸化炭素が発生する。二酸化炭素の多い企業(06年度)のトップ10を見ると以下のようになっている。

(1)東京電力 6888

(2)JFEスチール 6029

(3)新日本製鉄 5933

(4)中部電力 4732

(5)Jパワー 4356

(6)東北電力 3413

(7)中国電力 2546

(8)住友金属工業 2214

(9)九州電力 2129

(10)関西電力 2048

(単位は万トン。二酸化炭素換算)

企業別に見ると、電力会社6社とJパワーも入とで7社が発電関連企業だ。住友金属工業は、主たる事業は鉄鋼業なので、製鉄業と分類すると、製鉄業が残りの3社ということになる。電力会社と製鉄だけでトップ10が構成されている。

日本の二酸化炭素の排出をみると、電力配分前の段階では、日本の二酸化炭素発生源の3割は発電所から生じている。また、製鉄業においてはコークスを燃やすので、やはり二酸化炭素の発生は多い。このような産業部門からの排出も約3割である。一方、民生家庭というのは、電力配分後であっても全排出量の13.5%に過ぎない(2000年度)。

燃料のほぼ100%を海外に頼る日本であるから、燃料価格のインフレ状態の影響を大きく受ける。燃料を大量消費する電力会社、産業、運輸のすべてがこのインフレの影響を被る。

日本で一番二酸化炭素の多い企業は、東京電力だ。その東京電力は昨年今年と大幅にその二酸化炭素排出量が増えている。2007年の地震以来、柏崎刈羽原発7基が止まったままであるから、その代用としての高い燃料を買って火力発電所をフル操業中で、それによる二酸化炭素排出が増えている。

これからも、原発という精密機械を日本のような地震国に建設する限り、長期にわたる運用停止は日本の各地で交互に起こることだろう。たとえ大事故に繋がらなくても、エネルギーの安定供給という見地から、日本が原発に頼って良いかの検討が必要だ。地震国であるのだから、原発を作るのに向いていない国であることは明らかだ。

資産運用では、分散投資が基本らしいが、エネルギーもそうだろう。海外の燃料の高騰の影響を受けない風力、太陽光、地熱などの「国産燃料」を大幅に増やすことの方が先でないかと思う。国産で、しかも二酸化炭素を排出しない。
ぼくはニュータウンと呼ばれる場所に住んでいる。数十年前は丘陵地帯だった所が、整地され道路が作られた。脇を削って通された道路の両面は斜面で、そこにツツジが植えられている。最初、ツツジが植栽されたのだが、その後はあまり手入れされていない。そのためツツジの周りは野草が生い茂っている。園芸種と野生種の戦いでは、人の手が入らないと、野生種が勝つ。もともと、その土地の土壌にあった野生種が勝つことは当然の結果だ。ツツジは元々園芸種だが、長年ほったらかしにされていて、徐々に野生味を取り戻したのだろう。毎年、好き放題伸びきった野草の中に、ツツジは毎年花を咲かせている。そして、その木の大きさも徐々に大きくなってきている。薄がコロニーを作るように、あるいはセイタカアワダチソウがそのコロニーを乗っ取って新たなコロニーを作るように、野草と競争しながら、野生を取り戻したツツジも徐々にコロニーを作っていくのかもしれない。

話は突然変わる。昔話だ。遠藤賢治という歌手がいる。彼の歌詞に衝撃を受けたことがあった。「君の胸に顔を埋めて ぼくはいつもひとりぼっちみたいだ とわざという」と一節を聞いたときのことだ。どうしてこのような言葉を言えるのだろうと驚いた。

昔話だと最初に断ったように、今の時代では何の衝撃でもないだろうと思う。でも、昔この歌詞は、少なくとも、ぼくにとって衝撃的だった。ぼくは、九州で育った。あの有名な、男尊女卑の土地柄だ。人は、ひとりで考えて生きているつもりでも、生まれた場所にずいぶん影響されるものだと思う。男尊女卑の誉れ、あるいは非難轟々の土地で育ち、男は強くなくてはいけない、弱い者苛めは卑怯であるとか男は泣いてはいけない等々を、直接聞いたことはなかったものの、なんとなくそういう風にならねばならないというような環境の中で育った。だから、自分の弱点を告白したり、ましてや弱点を作り上げて人の関心をかうようなことを恥ずかしく思うようになっていた。

だから、「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」という歌詞を聞いたときは驚いた。男でも女性に甘える人がいるのだ、しかもひとりぼっちみたいであるということで女性の同情を引きつけることまで言って甘えることができる人がいるのだという驚きであった。

時代性と地域性もあるからここで書いていることが何が驚きであるか、うまく伝わらないのかもしれない。人は観念を刷り込まれて生きている。その観念こそが人が人であることの所以かもしれない。だが、人は人であると同時に動物であり、その刷り込まれた観念が動物であることを否定しているのかもしれない。人は動物であるのに、動物でない何者かが人なのかもしれない。

ぼくは他人に甘えることが苦手だ。弱みを見せて同情をかうことができない。「武士は食わねど高楊枝」的な傲慢さか、矜持が染み付いている。人には、「あの人は大丈夫」と思わせなければいけないという強迫観念を持ちながら生きている。だからこそ「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」と言える男が世間にはいることに驚愕した。

甘えることは、何となく卑怯だという感じがある。一種の演技だし、それは嘘ということだし、相手の優しさを利用していることだし、嫌だと感じる。でも、「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」とひとことが言えて、甘えることができたら、どんなに良いだろうと思う。きっと、その一言嘘さえ言うこができれば、世界が一変するかもしれないと思う。オセロの一手で、白黒が総て逆転するように、世界がまったく別の世界になるに違いない。でも、その一言は禁句に思える。九州の「男は強くなければ」という大定理に洗脳されるとそう思ってしまう。

男はいつも嘘がうまいね
女よりも子供よりも嘘がうまいね
女は嘘が好きだね
昨日よりも明日よりも嘘が好きだね
(中島みゆき 歌姫)

という歌がある。ここには、「男は強くなければ」などという混乱した思考の結晶はない。「男というものは嘘がうまい」という、男の本性を顕した歌詞が書いてある。もともとは、男というものはそういうものなのだと思う。「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざという」男だけが「君の胸に顔を埋め」ることはできたのは、その言葉が、男の気持ち素直に表現できていたから受け容れられた結果なのであろう。

「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざと」言える人は、本当は強い人なのだと思う。甘える弱い人間を演じながら、その弱さが女性の母性本能を擽り、己の弱さを曝け出すようにみせかけた嘘が、女性に受け容れれることを知りつくし甘えて見せている。かような人は精神的にはタフだと思う。「男は強くなければ」などと痩せ我慢をする必要はないのだ。

「男は強くなければ」との脅迫観念に捕らわれている男とは、園芸種のツツジみたいな気がする。「ぼくはいつもひとりぼっちみたいだとわざと」言える野生の男と勝負すれば負けるに決まっている。

でも・・・とも思う。本の題名は忘れたが、福岡の八女に大陸から引き上げた作家の五木寛之の本にある男の話が書いてあった。話の一部に、『好きな女性と結婚した男が、その奥さんが好きな男に会いに行くことに気づく。しかし、止めもせず、心の中で行くなと願いながら見送る』という場面があった。これは、甘えることのできない、「男は強くなくては」ということだけを信じる男の振る舞いだ。あまりにも九州人ぽい、甘えることを拒否した男の悲劇だ。

甘えることが出来ればと思っている男が、実は、一番の甘えん坊で、甘えることが必要な人間である。