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2008/05/20のBlog
[ 00:11 ]
ニュースを見るたびに四川大地震の被害者の数が多くなっていく。映像を見ていると辛くなる。当初言われていたM7.8もM8に改められたようだ。
震源近くは三千メートルから4千メートルという富士山を越える山岳地帯が回りにある。日本で近い雰囲気というと南アルプスのような感じであろうか。報道では、「今回の地震でこの一帯の地殻は9m隆起しており、ヒマラヤ山脈も少なくとも数mは高くなっている」ということだ。日本いうと、南アルプスの巨大な北岳やそれに連なる山々が一気に隆起したようなものだろう。今回の地震の桁外れのエネルギーがわかる。
震源近くでは、人々は山を縫って流れる川の両岸に住んでいるようだ。テレビを見ていたら震源から一番近い町として映秀鎮の映像が映っていた。映秀鎮は、都江堰(とこうえん)市から10数キロ登った地点にある。周りを山に取り囲まれていて、取り囲む山の崖が聳えていた。どの崖でも土砂崩れが起こっていて、地震の凄まじさを感じさせた。山さえ崩れる揺れの中で、映秀鎮の町は瓦礫の山となっていた。
毎日悲しいニュースを見ていて何か出来ないかと思い、今日ようやく銀行から募金を送った。報道を通じて、中国の被災地の様子を見て、少しでも役にたてばと思ったからだ。ぼくと同じように、多くの人は、地震の情報が公開されているから悲しみを共有し、何とかしてあげたいと思っていることだろう。
だが、中国で起きていると同じような、あるいはもっと悲惨な状況にあるところもある。しかもそれは自然現象ではなく、人為的な戦争という災害である。ところが、戦争での被災現場は報道されることはない。
アフガニスタンやイラクでは英米侵略軍により爆撃され、地震で被害を受けた中国と同じように、多くの町が瓦礫の山へと人為的に破壊されたことだろう。瓦礫の山の中には、中国と同じように多くの被災者が閉じ込められたことだろう。だがそこには、彼らを救う救助隊もいなければ、その悲惨な状況を伝えるメディアもいない。テレビから流れるものは、イラクで歓迎を受ける米兵の映像でしかしない。ハリウッド映画と同じで作り物の映像だ。日本の茶の間で、それを見た日本人は、イラクで起きていることを知ることもない。そして、コイズミが煽ると、無邪気にイラク自衛隊派遣に賛成した。しかも、正義感から。
地震報道により多くの人が中国の人とともに、悲しみを分かちあう経験をしている。だが、メディアは人を騙す道具ともなる。権力を握る者たちはそれを支配し、世論を操作する。
震源近くは三千メートルから4千メートルという富士山を越える山岳地帯が回りにある。日本で近い雰囲気というと南アルプスのような感じであろうか。報道では、「今回の地震でこの一帯の地殻は9m隆起しており、ヒマラヤ山脈も少なくとも数mは高くなっている」ということだ。日本いうと、南アルプスの巨大な北岳やそれに連なる山々が一気に隆起したようなものだろう。今回の地震の桁外れのエネルギーがわかる。
震源近くでは、人々は山を縫って流れる川の両岸に住んでいるようだ。テレビを見ていたら震源から一番近い町として映秀鎮の映像が映っていた。映秀鎮は、都江堰(とこうえん)市から10数キロ登った地点にある。周りを山に取り囲まれていて、取り囲む山の崖が聳えていた。どの崖でも土砂崩れが起こっていて、地震の凄まじさを感じさせた。山さえ崩れる揺れの中で、映秀鎮の町は瓦礫の山となっていた。
毎日悲しいニュースを見ていて何か出来ないかと思い、今日ようやく銀行から募金を送った。報道を通じて、中国の被災地の様子を見て、少しでも役にたてばと思ったからだ。ぼくと同じように、多くの人は、地震の情報が公開されているから悲しみを共有し、何とかしてあげたいと思っていることだろう。
だが、中国で起きていると同じような、あるいはもっと悲惨な状況にあるところもある。しかもそれは自然現象ではなく、人為的な戦争という災害である。ところが、戦争での被災現場は報道されることはない。
アフガニスタンやイラクでは英米侵略軍により爆撃され、地震で被害を受けた中国と同じように、多くの町が瓦礫の山へと人為的に破壊されたことだろう。瓦礫の山の中には、中国と同じように多くの被災者が閉じ込められたことだろう。だがそこには、彼らを救う救助隊もいなければ、その悲惨な状況を伝えるメディアもいない。テレビから流れるものは、イラクで歓迎を受ける米兵の映像でしかしない。ハリウッド映画と同じで作り物の映像だ。日本の茶の間で、それを見た日本人は、イラクで起きていることを知ることもない。そして、コイズミが煽ると、無邪気にイラク自衛隊派遣に賛成した。しかも、正義感から。
地震報道により多くの人が中国の人とともに、悲しみを分かちあう経験をしている。だが、メディアは人を騙す道具ともなる。権力を握る者たちはそれを支配し、世論を操作する。
2008/05/19のBlog
[ 01:37 ]
土曜日の夜10時半のテレビ東京の地球街道を見た。1968年21歳で、玉川学園の学生の演劇部のヨーロッパ公演でデンマークを訪れた俳優の西岡德馬さんが、再び40年ぶりにデンマークを訪れるという内容だった。
ぼく自身の経験とダブル部分も多く、すごく深く心に沁みる番組だった。ぼくは昔、学生時代にデンマークに1年と少しの間居たことがある。このページの左下に「■ Danmarkから 」にリンクがはってある。そこには、25年ぶりにデンマークを訪れたときの記録が残っている。
昔旅をしたり、暮らした場所に何十年も経って再び訪れると自分というものが少し分かった気になるものだと思う。西岡さんは40年前に泊まったユースホステルに行き、その時に撮った写真の場所を発見する。そこはコペンハーゲンの郊外にあり、ユースの側には同じように湖があり、その周りに同じように家が建っていた。40年前とほとんど同じで変わっていなかった。デンマーク人は昔のものを大事にする。家も手入れを続けて何十年も何百年も使い続ける。だから、40年ほどでは町並みに大きな変化は無い。
ぼくが最初にコペンに着いたのは土曜日だった。日にちは忘れたが、曜日だけは忘れない。西岡さんがコペンを訪れた後10年ほど後の頃だ。当時、学生だったぼくはお金も無く、日本から一番安いヨーロッパ行きのチケットを買った。タイ航空の南回りのチケットだった。香港、バンコク、デリー(だったか?)を経てフランクフルトに入った。バンコクではトランジットに狂いが生じ数時間ロビーで待機した。日本を発ちフランクフルトに着くまで30時間ほどかかった。旅の疲れもゲーテの町に舞い上がり、興奮状態で何も疲れを感じなかった。
フランクフルト駅で、コペンまで列車の切符を買った。列車は満員で座席がなく、床に座り込んだ。隣にいた威勢の良いノルウェーの兄ちゃんとスーパーで買ったワインで酒盛りをした。ワインの値段の相場も知らず、すごく安い値段のワインがあったので、ドイツで買い求めていた。ワインの値段を言うと、その兄ちゃんは顔をしかめたが、飲み始めると、何しろぼくの奢りの只酒であったから喜んで飲んだ。飲むにつけ大声で、あれやこれや話をした。ノルウェーの自慢話が、ノルウェーの兄ちゃんに似合って好ましく思えた。彼はノルウェーが好きなのだと分かった。
7月の終わりころであったが、まだ夜は長く車窓から外を見ると深夜なのに空はまだ完全には闇ではなかった。そのノルウェーの兄ちゃんは、あまりにもガラが悪かったので、側にいたドイツ人の女の子はノルウェーの兄ちゃんが英語で話しかけても、言葉が分からないふりをしていた。そのドイツ人の女の子は、列車の通路の窓際に折りたたみ椅子があって、ぼくらから離れていった。酔っ払いたちの話が煩かったのかもしれないが、ぼくは、ノルウェー人の兄ちゃんがガラが悪いからだと思った。それで、通路に出てドイツ語で話しかけてみた。ノルウェー人には英語が分からないふりをしていたのだが、ドイツ語では答えてくれた。だが、ぼくはドイツ語は一時熱心に勉強した時代があったのだが、数年間まったく勉強しないというブランクがあったため、会話は長く続かなかった。
列車は土曜日にコペンハーゲン中央駅に着いた。デンマークの文部省に行けば、一年間暮らす寮を紹介してもらえることになっていた。そこで文部省に行ったら、閉まっていた。今でこそ日本も週休二日制だが、当時の日本は土曜日は半ドンの日で休みではなかった。その感覚で、デンマークでも土曜日も開いているとばかり思って行った。だが、閉まっていた。
途方に呉れたが、寮だから、大学に行けば何とかなるだろうと思い、コペンハーゲン大学に行ってみた。門の守衛さんに、寮はどこかと尋ねた。いろいろと電話をかけて調べてくれたが、分からなかった。後で分かったことだが、寮はコペンハーゲン大学に属するものではなかった。学生であれば、学校に依らず入れる共通の寮だったのだから、分かるはずもなかった。ほんとうに途方に呉れてしまった。
守衛さんが、お菓子呉れた。黒いキャンディーだった。口に入れたら、食べたことのない強烈な味がした。ナフタリンかもしれない、毒かもしれないと思う、経験したことのない強烈な味がした。だが、守衛さんの好意はわかったので、吐き出さなかった。後で、分かったのだがラクリスという名前のお菓子でデンマーク人の好みのお菓子だ。だが、外国人の味覚の理解を超えている。もっとも、今のぼくは、その奇妙な味のお菓子を嫌いではない。クサヤが癖になるようなものかもしれない。守衛さんは、「月曜日には文部省が開くから、月曜日まではユースに泊まると良い」とユースを紹介してくれた。
ユースがどこにあったのかも、どのようにしてユースに辿りついたのかは記憶はないのだが、ぼくのことだから歩いて行ったに違いない。記憶にあるユースは、大きなガランとした部屋に2段ベッドが並んでいた。宿泊客には、インド人がたくさんいた。彼らもコペンに着いたばかりのようだった。ひとりが、バーガーキングに行って、販売の女の子とデートの約束を取り付けたと他のインド人に自慢話をしていた。ぼくはベッドに横になって彼等の話を聞いていた。インド人の誰かが、ラジカセでインドの歌謡曲をならしていた。遥かなるヨーロッパの北端のユースで、その曲はすごくアジア的に聞こえた。日本のことを少し思い出した。インドさえ、デンマークよりも日本に近いのだろうと思った。
ぼく自身の経験とダブル部分も多く、すごく深く心に沁みる番組だった。ぼくは昔、学生時代にデンマークに1年と少しの間居たことがある。このページの左下に「■ Danmarkから 」にリンクがはってある。そこには、25年ぶりにデンマークを訪れたときの記録が残っている。
昔旅をしたり、暮らした場所に何十年も経って再び訪れると自分というものが少し分かった気になるものだと思う。西岡さんは40年前に泊まったユースホステルに行き、その時に撮った写真の場所を発見する。そこはコペンハーゲンの郊外にあり、ユースの側には同じように湖があり、その周りに同じように家が建っていた。40年前とほとんど同じで変わっていなかった。デンマーク人は昔のものを大事にする。家も手入れを続けて何十年も何百年も使い続ける。だから、40年ほどでは町並みに大きな変化は無い。
ぼくが最初にコペンに着いたのは土曜日だった。日にちは忘れたが、曜日だけは忘れない。西岡さんがコペンを訪れた後10年ほど後の頃だ。当時、学生だったぼくはお金も無く、日本から一番安いヨーロッパ行きのチケットを買った。タイ航空の南回りのチケットだった。香港、バンコク、デリー(だったか?)を経てフランクフルトに入った。バンコクではトランジットに狂いが生じ数時間ロビーで待機した。日本を発ちフランクフルトに着くまで30時間ほどかかった。旅の疲れもゲーテの町に舞い上がり、興奮状態で何も疲れを感じなかった。
フランクフルト駅で、コペンまで列車の切符を買った。列車は満員で座席がなく、床に座り込んだ。隣にいた威勢の良いノルウェーの兄ちゃんとスーパーで買ったワインで酒盛りをした。ワインの値段の相場も知らず、すごく安い値段のワインがあったので、ドイツで買い求めていた。ワインの値段を言うと、その兄ちゃんは顔をしかめたが、飲み始めると、何しろぼくの奢りの只酒であったから喜んで飲んだ。飲むにつけ大声で、あれやこれや話をした。ノルウェーの自慢話が、ノルウェーの兄ちゃんに似合って好ましく思えた。彼はノルウェーが好きなのだと分かった。
7月の終わりころであったが、まだ夜は長く車窓から外を見ると深夜なのに空はまだ完全には闇ではなかった。そのノルウェーの兄ちゃんは、あまりにもガラが悪かったので、側にいたドイツ人の女の子はノルウェーの兄ちゃんが英語で話しかけても、言葉が分からないふりをしていた。そのドイツ人の女の子は、列車の通路の窓際に折りたたみ椅子があって、ぼくらから離れていった。酔っ払いたちの話が煩かったのかもしれないが、ぼくは、ノルウェー人の兄ちゃんがガラが悪いからだと思った。それで、通路に出てドイツ語で話しかけてみた。ノルウェー人には英語が分からないふりをしていたのだが、ドイツ語では答えてくれた。だが、ぼくはドイツ語は一時熱心に勉強した時代があったのだが、数年間まったく勉強しないというブランクがあったため、会話は長く続かなかった。
列車は土曜日にコペンハーゲン中央駅に着いた。デンマークの文部省に行けば、一年間暮らす寮を紹介してもらえることになっていた。そこで文部省に行ったら、閉まっていた。今でこそ日本も週休二日制だが、当時の日本は土曜日は半ドンの日で休みではなかった。その感覚で、デンマークでも土曜日も開いているとばかり思って行った。だが、閉まっていた。
途方に呉れたが、寮だから、大学に行けば何とかなるだろうと思い、コペンハーゲン大学に行ってみた。門の守衛さんに、寮はどこかと尋ねた。いろいろと電話をかけて調べてくれたが、分からなかった。後で分かったことだが、寮はコペンハーゲン大学に属するものではなかった。学生であれば、学校に依らず入れる共通の寮だったのだから、分かるはずもなかった。ほんとうに途方に呉れてしまった。
守衛さんが、お菓子呉れた。黒いキャンディーだった。口に入れたら、食べたことのない強烈な味がした。ナフタリンかもしれない、毒かもしれないと思う、経験したことのない強烈な味がした。だが、守衛さんの好意はわかったので、吐き出さなかった。後で、分かったのだがラクリスという名前のお菓子でデンマーク人の好みのお菓子だ。だが、外国人の味覚の理解を超えている。もっとも、今のぼくは、その奇妙な味のお菓子を嫌いではない。クサヤが癖になるようなものかもしれない。守衛さんは、「月曜日には文部省が開くから、月曜日まではユースに泊まると良い」とユースを紹介してくれた。
ユースがどこにあったのかも、どのようにしてユースに辿りついたのかは記憶はないのだが、ぼくのことだから歩いて行ったに違いない。記憶にあるユースは、大きなガランとした部屋に2段ベッドが並んでいた。宿泊客には、インド人がたくさんいた。彼らもコペンに着いたばかりのようだった。ひとりが、バーガーキングに行って、販売の女の子とデートの約束を取り付けたと他のインド人に自慢話をしていた。ぼくはベッドに横になって彼等の話を聞いていた。インド人の誰かが、ラジカセでインドの歌謡曲をならしていた。遥かなるヨーロッパの北端のユースで、その曲はすごくアジア的に聞こえた。日本のことを少し思い出した。インドさえ、デンマークよりも日本に近いのだろうと思った。
2008/05/17のBlog
[ 22:09 ]
今日のお昼過ぎに、テレビをつけたら、報道特捜プロジェクトをやっていた。日テレというとナベツネの顔がチラつき、またろくでもない番組をやっているに違いないと思ったが、意外なことに、すごく良かった。少し驚いた。
低周波公害を取り上げていた。人の耳は40Hz以上の周波数しか音として認識しない。ところが、40Hz以下の音でも空気の振動であることには変わりはない。そのため、その音圧が高いときには、たとえ音が聞こえなくても大きなエネルギーの伝播であるからたとえば重なった皿をガタガタと鳴らす。このような低周波の音を聞き様々な心身の不調を訴える人がいる。それを問題にする医師もいる。
番組では、20年以上低周波音に苦しめられている人を、市役所や環境庁がどう取り扱うかを放送していた。
市役所は、取り締まる法律がないので何もできないと答えていた。環境庁の担当者の返答が酷いものだった。
①低周波の被害には感受性の違いがある。音圧の基準を決めると、基準値以下の音圧で被害を受ける人を救うことができない。よって基準値を決めることはできない
②国民の苦情の全てに対して法律があるわけではない。法が整備されていなくても市役所が対応すべきである
環境省のアホぶりを如実に表す答弁だった。
①の環境省役人の言っていることは、「基準を設ければ1000名が救われる。だが、その基準以下の数値でも被害を受けておられる1名が救えないから、基準はもうけない。その結果は、1001名全員が救われないことになる」ということだ。これが、環境省の見解なのである。このようなバカなことをテレビでぬけぬけと言っていた。アホの真髄を見る思いがした。
税金で食っているくせに、環境省の役人は自分を何様だと思っているのであろうか。思い上がるのも良い加減にせよと言いたい。①の発言からわかるように、低周波の音が、人に害があることは環境省役人は認識している。ところが、筋の通らない勝手な理由をつけて、手を打とうとしない。これは不作為の罪に該当する。環境省は組織であるから、このテレビに出てきた役人だけが非難されるべきでなく、環境省全体が不作為の罪で問われるべきである。
このような機能不全の省など潰してしまってよい。現在の環境省には、アホ役人を税金で食わせる以外の存在意義はあるのか? 反国民的環境省のアホ役人たちを、なぜ税金で養う必要があるのか? 環境省を潰せば、環境省の無能役人に払う税金を、国民にとって有意義な使い道にまわすことが可能となる。国交省、厚生省と有害だけが売り物の省の報道が連日続く。悪辣なことは、それらの省ほど目立たぬが、悪いこともしなければ良いこともしない、不作為だけが取り得の環境省も百害あって一利なしな存在のひとつだろう。
低周波公害を取り上げていた。人の耳は40Hz以上の周波数しか音として認識しない。ところが、40Hz以下の音でも空気の振動であることには変わりはない。そのため、その音圧が高いときには、たとえ音が聞こえなくても大きなエネルギーの伝播であるからたとえば重なった皿をガタガタと鳴らす。このような低周波の音を聞き様々な心身の不調を訴える人がいる。それを問題にする医師もいる。
番組では、20年以上低周波音に苦しめられている人を、市役所や環境庁がどう取り扱うかを放送していた。
市役所は、取り締まる法律がないので何もできないと答えていた。環境庁の担当者の返答が酷いものだった。
①低周波の被害には感受性の違いがある。音圧の基準を決めると、基準値以下の音圧で被害を受ける人を救うことができない。よって基準値を決めることはできない
②国民の苦情の全てに対して法律があるわけではない。法が整備されていなくても市役所が対応すべきである
環境省のアホぶりを如実に表す答弁だった。
①の環境省役人の言っていることは、「基準を設ければ1000名が救われる。だが、その基準以下の数値でも被害を受けておられる1名が救えないから、基準はもうけない。その結果は、1001名全員が救われないことになる」ということだ。これが、環境省の見解なのである。このようなバカなことをテレビでぬけぬけと言っていた。アホの真髄を見る思いがした。
税金で食っているくせに、環境省の役人は自分を何様だと思っているのであろうか。思い上がるのも良い加減にせよと言いたい。①の発言からわかるように、低周波の音が、人に害があることは環境省役人は認識している。ところが、筋の通らない勝手な理由をつけて、手を打とうとしない。これは不作為の罪に該当する。環境省は組織であるから、このテレビに出てきた役人だけが非難されるべきでなく、環境省全体が不作為の罪で問われるべきである。
このような機能不全の省など潰してしまってよい。現在の環境省には、アホ役人を税金で食わせる以外の存在意義はあるのか? 反国民的環境省のアホ役人たちを、なぜ税金で養う必要があるのか? 環境省を潰せば、環境省の無能役人に払う税金を、国民にとって有意義な使い道にまわすことが可能となる。国交省、厚生省と有害だけが売り物の省の報道が連日続く。悪辣なことは、それらの省ほど目立たぬが、悪いこともしなければ良いこともしない、不作為だけが取り得の環境省も百害あって一利なしな存在のひとつだろう。
[ 00:28 ]
空手の練習に行ったら、道場の先生がウクライナの空手道場を見てきて日本に帰ってきたばかりだった。ウクライナの空手道場を見て、そこの練習生たちの礼儀正しい態度に感銘を受けたようだった。練習に来ている小学生たちに、返事をするときは、「ハイ、センセイ」と言いなさいと、ウクライナの道場で行なわれていることを、早速日本の子供達に教え込んでいた。
ぼくも、以前デンマークの空手道場に通っていた。また道場に来ているほかの人も、空手はアメリカで最初に習っている。自分自身の経験や、その人の話から、海外の道場の様子は想像がつくのだが、ウクライナでも想像通りのようだ。外国の道場の雰囲気は、ウクライナの道場に限らず、昔の日本の空手道場そのままなのだ。
最近の日本の空手道場の雰囲気は、以前から比較すると、大きく変わったと思う。昔は、練習も激しいし、道場内での上下関係もピリッとした緊張関係で厳しかったのではないかと想像する。戦前の道場などは、誰もが怪我で、道場に誰も来なかったなどという話も聞いたことがある。だが、たとえ厳しくても、猛練習を通じて強くなりたいと思う人の数は多かったのだろう。だが、最近の空手道場は、全国どこも、あまり厳しくないのではないかと思う。仮に、厳しければ、生徒がすぐに辞めてしまうに違いない。日本人の変化に伴い、空手道場の雰囲気も変わって行かないと成り立たないのではなかろうか。
ところが、外国の空手は違う。昔の厳しい時代に、日本で空手を習った外国人たちが、自国で空手を広めていった。その昔の空手とは、猛練習であり、厳しい上下関係の時代の空手だ。日本から離れた海外にいるからこそ、自分が習った空手を絶対だと思い、日本で習ったままに、伝統を守ろうとしてきたものと想像する。センセイには、「ハイ、センセイ」と答えるように何十年も指導し続けてきたことだろうし、そこで育った弟子達も厳しさこそが空手と理解しているのだと思う。
自分で確認したわけではないのだが、米国の豆腐は美味しいという。日本の豆腐は固めるために凝固剤を使う。昔はにがりを使用していたのだが、にがりを使うと時間がかかるため凝固剤を利用する。大量生産をして安くスーパーなどに卸さないと競争ができないからだ。ところが、アメリカ人の作る豆腐は、昔の日本の豆腐の製造法を守っているので、にがりを使って製造するという。そのため、むしろ米国産の豆腐に日本の伝統的豆腐の味が残って美味しいとのことだ。
正倉院が千数百年前の諸外国の文化を保存しているように、日本の文化を学んだ外国人が、空手や豆腐に限らず多くの日本の文化の伝統を守っているのかもしれない。
ぼくも、以前デンマークの空手道場に通っていた。また道場に来ているほかの人も、空手はアメリカで最初に習っている。自分自身の経験や、その人の話から、海外の道場の様子は想像がつくのだが、ウクライナでも想像通りのようだ。外国の道場の雰囲気は、ウクライナの道場に限らず、昔の日本の空手道場そのままなのだ。
最近の日本の空手道場の雰囲気は、以前から比較すると、大きく変わったと思う。昔は、練習も激しいし、道場内での上下関係もピリッとした緊張関係で厳しかったのではないかと想像する。戦前の道場などは、誰もが怪我で、道場に誰も来なかったなどという話も聞いたことがある。だが、たとえ厳しくても、猛練習を通じて強くなりたいと思う人の数は多かったのだろう。だが、最近の空手道場は、全国どこも、あまり厳しくないのではないかと思う。仮に、厳しければ、生徒がすぐに辞めてしまうに違いない。日本人の変化に伴い、空手道場の雰囲気も変わって行かないと成り立たないのではなかろうか。
ところが、外国の空手は違う。昔の厳しい時代に、日本で空手を習った外国人たちが、自国で空手を広めていった。その昔の空手とは、猛練習であり、厳しい上下関係の時代の空手だ。日本から離れた海外にいるからこそ、自分が習った空手を絶対だと思い、日本で習ったままに、伝統を守ろうとしてきたものと想像する。センセイには、「ハイ、センセイ」と答えるように何十年も指導し続けてきたことだろうし、そこで育った弟子達も厳しさこそが空手と理解しているのだと思う。
自分で確認したわけではないのだが、米国の豆腐は美味しいという。日本の豆腐は固めるために凝固剤を使う。昔はにがりを使用していたのだが、にがりを使うと時間がかかるため凝固剤を利用する。大量生産をして安くスーパーなどに卸さないと競争ができないからだ。ところが、アメリカ人の作る豆腐は、昔の日本の豆腐の製造法を守っているので、にがりを使って製造するという。そのため、むしろ米国産の豆腐に日本の伝統的豆腐の味が残って美味しいとのことだ。
正倉院が千数百年前の諸外国の文化を保存しているように、日本の文化を学んだ外国人が、空手や豆腐に限らず多くの日本の文化の伝統を守っているのかもしれない。
2008/05/15のBlog
[ 20:04 ]
四川大地震の一報を聞いたとき、すぐに三峡ダムのことが気になった。巨大なダムであるからその決壊を心配した。だが、震源は成都の北西の都江堰市(とこうえんし)の西20キロほどの場所で、三峡ダムからは遠かった。しかし、地震によるダム決壊というのは妄想でもないようだ。都江堰市は、扇状地にある。少し下ると四川盆地が広がっている。次のようなニュースがあった。
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都江堰市上流のダムに亀裂 安全確保で緊急放流を開始
http://www.47news.jp/CN/200805/CN2008051401000739.html
【北京14日共同】新華社などによると、中国の四川大地震で、震源地の四川省アバ・チベット族チャン族自治州☆川(ぶんせん)県にある紫坪埔ダムの堤頂部に亀裂が見つかり、「極めて危険な状況」(地元幹部)となったため、水利省は14日、ダムの安全確保のために緊急放流を開始した。
同ダムは2006年に完成した発電や洪水調節用の多目的ダムで、総貯水量は日本最大の徳山ダム(岐阜県)の2倍弱に当たる11億1200万立方メートル。水利省は、仮にダムが決壊すれば、約9キロ下流にある人口約60万人の都江堰市が、完全に水没する大災害になるとして対策を急いでいる。
紫坪埔ダムでは同日、水利省次官や専門家がダムを検査し、通常の放流量を大幅に超える毎秒700立方メートルの放流を行うことを決定。また万一に備えて、既に約2000人の兵士が現場に急行しているとの情報もある。
(注)☆はサンズイに文
---------------------------------------------------------
紫坪埔ダムの位置がわからなかったので、グーグルマップで都江堰市を貫く川を上流に上がってみた。ダムがあったので、これかもしれない。
紫坪埔ダムは、記事にあるように、日本最大のダムの2倍弱の水を蓄えるという。仮に、決壊したときの被害は想像を絶する甚大なものになったことであったろう。都江堰市の扇状地を下った水は、更に下り成都にも達したことであろう。四川盆地は穀倉地帯であるということであるから農業への影響も大きかったはずだ。
不幸中の幸いで、ダムは亀裂で済んで、現在放水中であるという。余震が来る前に十分に水位が下がることを願うしかない。
上記のグーグルのマップだがズーム・アウトすると、左側に緑色の矢印が現れると思う。そこが震源である。さらにズーム・アウトすると山容が分かってくる。航空写真モードよりも、地形モードでの方が明瞭かと思う。山脈の骨は北東から南西へ向かっている。この方向と垂直な方向から、圧迫を受けて褶曲が起きて山脈を形作っていることが想像される。この山脈の骨沿いに、断層が生じたのであろう。
グーグルマップとは便利なものだ。パソコンの前にいて、地震被害をあれこれと考えることができる。
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都江堰市上流のダムに亀裂 安全確保で緊急放流を開始
http://www.47news.jp/CN/200805/CN2008051401000739.html
【北京14日共同】新華社などによると、中国の四川大地震で、震源地の四川省アバ・チベット族チャン族自治州☆川(ぶんせん)県にある紫坪埔ダムの堤頂部に亀裂が見つかり、「極めて危険な状況」(地元幹部)となったため、水利省は14日、ダムの安全確保のために緊急放流を開始した。
同ダムは2006年に完成した発電や洪水調節用の多目的ダムで、総貯水量は日本最大の徳山ダム(岐阜県)の2倍弱に当たる11億1200万立方メートル。水利省は、仮にダムが決壊すれば、約9キロ下流にある人口約60万人の都江堰市が、完全に水没する大災害になるとして対策を急いでいる。
紫坪埔ダムでは同日、水利省次官や専門家がダムを検査し、通常の放流量を大幅に超える毎秒700立方メートルの放流を行うことを決定。また万一に備えて、既に約2000人の兵士が現場に急行しているとの情報もある。
(注)☆はサンズイに文
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紫坪埔ダムの位置がわからなかったので、グーグルマップで都江堰市を貫く川を上流に上がってみた。ダムがあったので、これかもしれない。
紫坪埔ダムは、記事にあるように、日本最大のダムの2倍弱の水を蓄えるという。仮に、決壊したときの被害は想像を絶する甚大なものになったことであったろう。都江堰市の扇状地を下った水は、更に下り成都にも達したことであろう。四川盆地は穀倉地帯であるということであるから農業への影響も大きかったはずだ。
不幸中の幸いで、ダムは亀裂で済んで、現在放水中であるという。余震が来る前に十分に水位が下がることを願うしかない。
上記のグーグルのマップだがズーム・アウトすると、左側に緑色の矢印が現れると思う。そこが震源である。さらにズーム・アウトすると山容が分かってくる。航空写真モードよりも、地形モードでの方が明瞭かと思う。山脈の骨は北東から南西へ向かっている。この方向と垂直な方向から、圧迫を受けて褶曲が起きて山脈を形作っていることが想像される。この山脈の骨沿いに、断層が生じたのであろう。
グーグルマップとは便利なものだ。パソコンの前にいて、地震被害をあれこれと考えることができる。