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天上大風
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2008/06/11のBlog
お父さんが白い犬のホワイト家族ですが、正式には白戸家と言うようです。お父さんが犬という珍しい一家はどこに住んでいるのだろうと思っていましたが、最新CMで判明しました。ご近所でした。番地までは不明ですが、多摩市落合もしくは、鶴牧のようです。CMの「アヤ間違える」篇を見たら馴染みの場所でした。ベネッセ東京本社のビルが見えます。CMは、地図のこのあたりで、多摩中央公園で撮られたようです。テレビでは、そこを散歩をしていることから、白戸家は近所に住んでいるということになります。それで、落合か鶴牧であろうと推測したわけです。

ただ注意が必要です。そのあたりの時空がどうもゆがんでいるようです。その公園から、南にわずか数百m行ったところには、二子玉川学園高校があります。TBSのRookies(ルーキーズ)の舞台なのです。その番組は、一度見ただけなのですが、そのときの画面から、二子玉川学園高校のすぐ近くには多摩川がありました。二子橋が出てきました。ですが、実際は多摩市から多摩川は遠いです。ぼくもときどき行くのですが、正式なルートで行くと二子玉川までは自転車で1時間半くらいかかります。

多摩中央公園と二子玉川は20キロは離れているのですが、多摩市にある二子玉川学園高校から二子玉川にはすぐ行けるということは、どこかにワープがあるのでしょう。それで、白戸家の周りも時空がゆがんでいてあっというまにワープして多摩中央公園に来ていたのかもしれません。そう考えると、白戸家は多摩市在住でないのかもしれません。
DOS/Vという言葉は、まだ存在あるのだろうか? NECのPCが日本の標準だったころ、海外のPCでもソフト的に日本語表示を可能にしたPCが出回るようになった。それをDOS/V機と呼んでいた。

秋葉原のショップごとに、ショップ製作のDOS/VのPCを売っていた。そのころ自分のお金で買った最初のPCは、秋葉原のそのようなPCだった。当時は、NEC(そこのPCは国民機とまで呼ばれていた)だと100万円くらいする性能のものが、DOS/Vだと1/3くらいの価格で買えた。PCの発展はその後目覚しかった。技術の進歩に伴い、そのPCでCDを読めるようにした。音を鳴らすようにした。それからネットに繋げるようにした。新しい技術が流行ると、すぐさま対応していた。それで、秋葉原にはよく行っていた。

やがて国民機が、もはや国民機で無くなったころに無料OSのLinuxというものが表れた。Linuxには、OSも無料だし、コンピュータ言語のコンパイラが無料で付いていた。無料というのは素晴らしかった。Linuxの入ったCDを秋葉原で買ってきてインストールしようとした。だが、Linuxが日本に入ってきたばかりのときで・・というか秋葉原に入ってきたばかりのときで、マニュアルも何もなかった。そのため、X Windowの設定にものすごく時間を要した。どう設定して良いかわからなかったので、あらゆる組み合わせを試すしかなかった。モニターにXの文字が表示されたときは嬉しかった。そのころまで秋葉原には足繁く通っていた。

やがてDOS/Vが標準となり、標準となったがゆえに、その言葉さえ死語となっていった。国民機という言葉は無くなり、OSの世界では、MSというグローバリズムが吹き荒れた。またLinuxに関しても、マニュアル本が山のように出た。街も変わった。秋葉原の駅前には高層ビルが建ち、東京の他の繁華街と同一化していった。オタクの街ということで評判をとり、やがてメイド喫茶などが表れ始めた。そのころ、ぼくにとっては、秋葉原から興味のあるものが無くなっていった。足が遠ざかっていった。駅周辺には高層ビルが建ち、見たことのない街へと急速に変貌していった。

博多では中学生のころ早朝に港近くを歩いていると、「兄ちゃん仕事見つかったね?」と車に乗ったあまり人相のよくない人から声をかけられることがあった。その日の沖中士の仕事を斡旋する人たちだった。人を集め、雇い主に紹介することを仕事にする人たちだった。少し怖い感じのする人たちだった。

秋葉原の変貌の中、日本が変わって行った。ハケンを企業に斡旋することがビジネスとなる時代へと変貌していった。ヤクザのシノギがビジネスと呼ばれる時代になったということだ。秋葉原もそのようなハケン業会社が、電器店でないのに、店を構えるようになっていった。

地方から上京してきた青年が職を求めて秋葉原のそれらの店に訪れる。ハケンの仕事を秋葉原で紹介されても、不況のおりであるから、ハケン先でリストラをされることもあるだろう。そのことに切れた青年は、自分の知る中で一番人が大勢いる町である秋葉原へ向かう。そして無差別に人を殺す…かもしれない。

秋葉原の街の変貌を見ると、秋葉原が日本の社会構造の変化をみごとに体現していることがわかる。良い変化か、それとも悪い変化かなのかは、数十年後に判断されるのだろう。
2008/06/10のBlog
秋葉原の事件の解明はこれから進んでいくのであろうが、ぼくはアメリカで起きている銃乱射による無差別殺人の日本版があちらこちらで起き始めたということだろうと感じている。アメリカ型社会へ日本がなりつつあるのだから、アメリカの銃乱射による無差別殺人が日本で起こっても不思議ではない。日米はそっくりで、その共通点は格差社会であるという点である。

日米は、ヨーロッパのような格差の小さな国とは決定的に違う。共通格差の指標として使われるジニ係数をみると、この10年ほどで、日本がヨーロッパのように格差の少ない社会から、アメリカのような格差社会へ移行してきた。かって、日本は、一億層中流と言われるような格差の少ないヨーロッパに近い社会であった。だが、コイズミと竹中が日本をアメリカ型の格差社会へと変えていった。一億総中流から、大半の下流と一部の高額所得者の格差社会への変化こそが、彼等の目指したものであった。国民の給与を下げ、銀行の利子を下げ、庶民の保険料や税金だけは上げ、その保険金も役人がちょろまかし、代わりに法人税は大幅に下げた。それがコイズミ竹中の新自由主義だった。

国民がコイズミ竹中の新自由主義支持で得たものは、アメリカの紙屑国債と一億下流社会と、将来への不安、絶望だった。失ったものは、社会の活力であり、社会正義であり、人々の善意であり、誇りであり将来への夢であった。

閉塞感の中で、将来を絶望する人たちの攻撃が自分へ向かう場合は自殺となる。この10年ほど自殺者の数は3万人を超えている。それ以前とは明らかな増加を示している。将来を絶望する人たちの攻撃対象は自分自身だけではない。自暴自棄で自分を殺すのであるから他人をも殺す。自分さえ平気で殺すのであるから、他人は平気で殺す。

現在、政府は経団連の御手洗から言われて消費税を上げる算段をしているが、これまた国民苛めだろう。自民党と公明党が実行しようてしている姥捨て山制度にしても弱い者から毟ることしかしない。コイズミ竹中の格差拡大路線の継承にすぎない。

多くの日本の若者の未来とは、コイズミ竹中が目指した日本とはどんな社会だろうか? 多くの若い人達には、派遣の仕事しかない。賃金が低くボーナスもない。僅かな収入しかないのに、物を買うと多くの消費税を払わなければいけない。やっと生きていくお金しかないので貯金などできるはずもない。歳をとり、働けなくなったら多額の保険金を取られ、払えないと病院にもいけない。

コイズミ竹中の売国路線を変えることができるのだろうか? 秋葉原の惨状のすぐ側のステージでは、タレントのショーは続けられていたという。この周りへの無関心こそが、自公の日本破壊の推進力になっているのだろうと思う。

コイズミの狙い通り破壊された日本は、アメリカと同じような世界に冠たる格差社会となった。社会へ不満を持ち、絶望して人の数が急激に増えていく。アメリカと同じく、無差別殺人がこれからも学校や地域で頻発する社会となることだろう。このような中で、加藤容疑者の、「勝ち組はみんな死ねばいい」との言葉と同じ考えの人間が次々と現れるに違いない。
2008/06/08のBlog
昨晩はヤコブと日本人の友人とで神楽坂のすきやき屋に行った。そこには何度か行こうと言って予約を入れようとしたがそのたびに満員で、3回目の予約で、昨日ようやく入ることができた。そこは、なにしろ安いし、狭いので、特に冬は予約を取るのが難しい。

外人客もよく見かける。日本といえば、「すし」か「すきやき」だからと、誰もが考えるのだろう。今や、すしはグローバルで日本のすしを食べるのを楽しみにしている外国人も多いが、すしが今ほど有名でなかった頃は、生魚を食べる習慣のない国の人にとって、外国人にすしを食べさせて良いものかどうか迷った。外国人といえば肉だろうから、すきやきならばOKだろうと、外国人といえばすきやきが昔から定番だったようだ。

飛行機事故で亡くなった坂本九さんの歌でアメリカでも流行った歌で「上を向いて歩こう」があったが、米国では「Sukiyaki」というタイトルだった。昔、アメリカのスーパーに入ったときに坂本九さんの「上を向いて歩こう」がスーパーの中で流れていた。Sukiyakiが実際にアメリカでも流行していたのだとわかった。日本人の歌だから、アメリカ人でもわかる日本語のSukiyakiになったのだろう。

その店では、外国人は生卵はダメかもしれないということを知っているようで、ヤコブにたまごは大丈夫かと尋ねていた。ダイジョウブデスとヤコブが勉強中の日本語で答えていた。話を聞くとデンマークではフレンチトーストみたいなものに生卵をかけたりして食べていたとのことだ。ヤコブ一家だけでなく、デンマーク人は生卵を食べる習慣があったらしい。だが、20年ほど前に卵の中に入っていたサルモネラで事故が起き、それ以来デンマークでは、生卵をあまり食べなくなったとのことだった。デンマーク人は、生にしんの酢漬けは食べるし、生卵も食べるし、すしも生卵つきのすきやきも大丈夫だ。

その後で、神楽坂の狭い路地をぐるぐると回り、時間がまだ早かったので居酒屋の「こりゃうめぇ」に入った。そして、『「これはおいしいです」という日本語は正しいが、ほとんど誰も使わない。「これはうまい」をくずして「こりゃうめぇ」というのが普通だ』と教えてあげた。ヤコブは「こりゃうめぇ」を何度も練習していたので、これから「こりゃうめぇ」を連発するに違いない。

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この4、5日スパムメールの数が異常な数来るようになった。それまでは20ほどだったのだが、昨日は100を越えていた。海外からのものがほとんどだったのだが、日本からも数個混じっている。Spam Mail Killerというソフトを使っている。キーワードでひっかけるので、キーワードにこの数日日本語を登録した。一応ソフトで捨てるのであるが、間違えてひっかかったものもあるので捨てたものの送り主だけはざっと目を通す。一日20ならば良いが、100だと作業がいやになる。送り主に、スパムメールを送り返したいが、アドレスは偽装なのでどうしようもない。困ったものだ。
2008/06/07のBlog
ずっと昔のことだ。デンマークを離れることになった。住んでいた寮の近くを目に焼き付けておこうと歩いた。コペンの郊外で周りにはりんごの果樹園が広がっていた。果樹園の間の道をどんどんと歩いていくと、風車があった。ぼくの頭の中にある風車の知識は、風車はオランダにあって運河から沁みてくる水を汲み上げて排水する動力ということだった。でも、デンマークにも風車はあって、それはおそらく粉を搗くために用いられていたのだろうと思った。

これまたずっと昔のことだった。アメリカの雑誌に野生の七面鳥の飛ぶ絵を広告に使ったバーボンウィスキーの絵があった。アメリカの七面鳥は飛ぶことが不思議だったが、そのお酒も一度飲んでみたいものだと思っていた。アメリカはだだっ広く、車でいくら走ってもトウモロコシ畑が続くのだと聞いた。だから、バーボンを作るのだろうと思った。

サンパウロではチューハイに似た飲み物が人気だった。ライムを搾りいれるが甘くて飲みやすかった。ベースはラムということだった。ラムはスーパーの酒のコーナーに置いてあったので買った。日本の感覚からいうと、ウソかと思うほど安かった。200円ほどで一本が買えた。サトウキビがいくらでも取れるから安いのだろうと思った。

そして長い時間が経った。地球の温度が少し上がった。そのせいか、デンマークは風車の生産高1位の会社ができた。アメリカではトウモロコシから取ったエタノールを車に飲ませ、ブラジルではサトウキビから作ったエタノールを車に飲ませるようになった。