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2008/10/14のBlog
[ 21:12 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
日本が太平洋戦争に突入する直前の日本人の生活が写真で紹介されている雑誌である。日本が如何に無理な戦争をしていたか、この雑誌を見ると極めて良く分かる。何故なら、戦争をやる前から国民は窮乏生活を強いられていたのである。戦争に突入してからも相変わらず窮乏生活を続けなければならなかった。
この雑誌を見ていると、ある場所にはっきりと日米の格差が書かれている。アメリカが工業、農業など経済大国であることが書かれているのである。これだけはっきり分かっているのに何故戦争をやったのだろうか。最初から負ける喧嘩をしたようなものである。
時代は変わって現在を見てみると、アメリカが経済大国であることには間違いないのだ。昔と違う事は、回りの国々がよく勉強して努力をしてきたため、アメリカが考えている事にも間違いがあるということが分かってきた。しかし、アメリカはその事に気が付いていないのかもしれない。
ところで、日本はどうであろうか。太平洋戦争で敵であったアメリカとは蜜月関係とやらになっている。それも自分を全く捨ててアメリカの言いなりになっている。しかし、これも国民が選んだ政治家が行っているので仕方のないことだろう。
古い日本(戦前)と新しい日本(戦後)を比較してみると何が変ったのだろうか。時代は軍国主義から民主主義になったというが、国民の性格は余り変っていないみたいだ。短いフレーズで国民の多くが靡いた小泉劇場と、軍国主義を許した戦前の国民のどこが違うのだろうか。選挙が終わったら自分に総てが降りかかる事を忘れてしまう国民はどのように理解したらいいのか。戦争じゃなければ命まで奪われる事がないからいいのかもしれない。
この雑誌を見ていると、ある場所にはっきりと日米の格差が書かれている。アメリカが工業、農業など経済大国であることが書かれているのである。これだけはっきり分かっているのに何故戦争をやったのだろうか。最初から負ける喧嘩をしたようなものである。
時代は変わって現在を見てみると、アメリカが経済大国であることには間違いないのだ。昔と違う事は、回りの国々がよく勉強して努力をしてきたため、アメリカが考えている事にも間違いがあるということが分かってきた。しかし、アメリカはその事に気が付いていないのかもしれない。
ところで、日本はどうであろうか。太平洋戦争で敵であったアメリカとは蜜月関係とやらになっている。それも自分を全く捨ててアメリカの言いなりになっている。しかし、これも国民が選んだ政治家が行っているので仕方のないことだろう。
古い日本(戦前)と新しい日本(戦後)を比較してみると何が変ったのだろうか。時代は軍国主義から民主主義になったというが、国民の性格は余り変っていないみたいだ。短いフレーズで国民の多くが靡いた小泉劇場と、軍国主義を許した戦前の国民のどこが違うのだろうか。選挙が終わったら自分に総てが降りかかる事を忘れてしまう国民はどのように理解したらいいのか。戦争じゃなければ命まで奪われる事がないからいいのかもしれない。
2008/10/07のBlog
[ 19:45 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
日本の企業経営者の基本的理念は何だろうか。金儲けできれば何をやっても良いということなのだろうか。余りにも短絡的で、経営者とはとてもいえないものだ。企業経営者となって人を使うということの意味を殆んど理解していない。社会で果たす企業の役割を全く考えていない。
以上のことは日本経団連に加盟している大手企業にも言えることである。中小企業、零細企業だけにいえることではない。超大手企業の経営者にも上記のことに当てはまる経営者がいるのである。海外で活躍している企業経営者もいるのである。正に日本の恥を海外にまで推し進めているのである。
違法行為をしてまで企業業績を伸ばしたいのだろうか。立派な大学を卒業して優秀な成績を収めて企業経営者のトップに躍り出た人が、どうして違法行為をしてまで企業を護ろうとするのか。本来経営者が部下に違法行為をしないように努めるのが当たり前の事である。
最近、コンプライアンスと云う横文字を使って、恰も法律を遵守しているかのように振舞っている企業があるが、言葉だけでは法律を遵守した事にはならない。実行する事が重要なのである。日本の将来を背負って立つ若者の為にどのような企業理念を描いたらいいのか。自分が経営する企業が社会に果す役割をしっかり見つめる事が出来る経営者になることが大切なのである。理念もなく、将来の展望を持たない企業経営者は、早く身を引くべきである。
以上のことは日本経団連に加盟している大手企業にも言えることである。中小企業、零細企業だけにいえることではない。超大手企業の経営者にも上記のことに当てはまる経営者がいるのである。海外で活躍している企業経営者もいるのである。正に日本の恥を海外にまで推し進めているのである。
違法行為をしてまで企業業績を伸ばしたいのだろうか。立派な大学を卒業して優秀な成績を収めて企業経営者のトップに躍り出た人が、どうして違法行為をしてまで企業を護ろうとするのか。本来経営者が部下に違法行為をしないように努めるのが当たり前の事である。
最近、コンプライアンスと云う横文字を使って、恰も法律を遵守しているかのように振舞っている企業があるが、言葉だけでは法律を遵守した事にはならない。実行する事が重要なのである。日本の将来を背負って立つ若者の為にどのような企業理念を描いたらいいのか。自分が経営する企業が社会に果す役割をしっかり見つめる事が出来る経営者になることが大切なのである。理念もなく、将来の展望を持たない企業経営者は、早く身を引くべきである。
2008/10/05のBlog
[ 09:38 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
「自民党をどげんかせんと」 東国原知事、国政に意欲
宮崎県知事さん、何か思い上がっていないか?お国のために立ち上がるというのなら分かる。しかし、「自民党の為に」となると話は違う。今の日本の混乱を起こしたのは自民党の独裁が続いたからではないのか。その事を何と心得違いをしているのだろう。宮崎県民の為に立ち上がったことは立派だと思っていた。そして色々な事をやりぬいた。そこまでは良かったが、何を勘違いをしているのか。
宮崎県をこれから良くしようと立ち上がったところなのに志半ばで放り投げていくつもりなのだろうか。安部元総理、福田禅総理と同じことをやるつもりなのか。宮崎賢人を侮辱していないだろうか。宮崎県人ではないのでその気持ちはわからない。もし小生が住んでいる県知事が同じようなことをするとしたら許しがたいことである。
宮崎県知事さん、もっと日本のためにやることがあるのではないか。自民党などといわずに日本国家、日本国民のために身を粉にしてもらえないのか。政治に首を突っ込んだのなら、「天下国家の為に」という坂本竜馬のような気持ちになってもらえないのだろうか。
今までの宮崎県に対して行ってきたことが何とも淋しいものになってくる。まさか国政に出るための売名行為だった、と言いたくはないが。このまま引退したほうがよっぽどいい印象だ。
宮崎県知事さん、何か思い上がっていないか?お国のために立ち上がるというのなら分かる。しかし、「自民党の為に」となると話は違う。今の日本の混乱を起こしたのは自民党の独裁が続いたからではないのか。その事を何と心得違いをしているのだろう。宮崎県民の為に立ち上がったことは立派だと思っていた。そして色々な事をやりぬいた。そこまでは良かったが、何を勘違いをしているのか。
宮崎県をこれから良くしようと立ち上がったところなのに志半ばで放り投げていくつもりなのだろうか。安部元総理、福田禅総理と同じことをやるつもりなのか。宮崎賢人を侮辱していないだろうか。宮崎県人ではないのでその気持ちはわからない。もし小生が住んでいる県知事が同じようなことをするとしたら許しがたいことである。
宮崎県知事さん、もっと日本のためにやることがあるのではないか。自民党などといわずに日本国家、日本国民のために身を粉にしてもらえないのか。政治に首を突っ込んだのなら、「天下国家の為に」という坂本竜馬のような気持ちになってもらえないのだろうか。
今までの宮崎県に対して行ってきたことが何とも淋しいものになってくる。まさか国政に出るための売名行為だった、と言いたくはないが。このまま引退したほうがよっぽどいい印象だ。
2008/10/04のBlog
[ 11:22 ]
[ 古本屋日記 ]
日本の漢字文化は少し廃れてきたとはいえ、まだまだ実生活で使われている。横文字が氾濫する現在、世界に名だたる漢字文化をどのように維持していくか。アジアで漢字文化を維持しているのは日本と中国、台湾しかなくなってしまった。韓国は漢字を捨ててハングルの文化を取り入れている。
日本人で国語辞典と漢和辞典を知らない人はいない。又それを使ったことがない人もいないはずだ。但し、難しい漢字になると普段使わなければ忘れてしまいそうだ。漢字検定なるものがあるが、これに挑戦して漢字の難しさを体験する事もできる。
「漢字雑話」は、大変難しい漢字の語源を辿っている。語源を知ることは漢字本来の意味を知ることである。意味を知ればある場面で何故この漢字を使うかがよく理解できるというもの。同じ読みでも使う漢字が違えば「なるほど」と納得できる。漢字の成り立ちも同じことが言える。表意文字の良さを体験するのもいいかもしれない。
「漢字雑和」でも頻繁に引用される書物に「説文」というのがある。原本は「説文解字注」と云う本である。字の成り立ち及び本来の意味を知る上では極めて重要な本である。現在使われている略した漢字では本来の意味を知るのは難しい。「漢字雑和」では、非常に分かり易く漢字を解説している。
漢字文化を護る為に、昔の人たちは大変苦労してきた。これから日本人が漢字をどのように護っていくのかよく考えなければならないだろう。横文字も必要かもしれないが、漢字は漢字で色々な意味を持っている。昔の人たちの知恵がこの中に納まっているのである。古い文化と新しい文化を競合させることも大切な事である。
日本人で国語辞典と漢和辞典を知らない人はいない。又それを使ったことがない人もいないはずだ。但し、難しい漢字になると普段使わなければ忘れてしまいそうだ。漢字検定なるものがあるが、これに挑戦して漢字の難しさを体験する事もできる。
「漢字雑話」は、大変難しい漢字の語源を辿っている。語源を知ることは漢字本来の意味を知ることである。意味を知ればある場面で何故この漢字を使うかがよく理解できるというもの。同じ読みでも使う漢字が違えば「なるほど」と納得できる。漢字の成り立ちも同じことが言える。表意文字の良さを体験するのもいいかもしれない。
「漢字雑和」でも頻繁に引用される書物に「説文」というのがある。原本は「説文解字注」と云う本である。字の成り立ち及び本来の意味を知る上では極めて重要な本である。現在使われている略した漢字では本来の意味を知るのは難しい。「漢字雑和」では、非常に分かり易く漢字を解説している。
漢字文化を護る為に、昔の人たちは大変苦労してきた。これから日本人が漢字をどのように護っていくのかよく考えなければならないだろう。横文字も必要かもしれないが、漢字は漢字で色々な意味を持っている。昔の人たちの知恵がこの中に納まっているのである。古い文化と新しい文化を競合させることも大切な事である。
2008/10/01のBlog
[ 10:23 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
不断から国民の為にいい政治をしていれば国民の審判を恐れる事はないはず。国民の生活の安全を脅かすような事を、政府が行っていること自体問題がある。本来であれば農林水産省と厚生労働省は解体されてもおかしくはない。生活に最も直結している「食の安全」を蔑ろにして、官僚の組織を護る事に専念してきた政府与党の責任は重い。また、老後の生活を脅かしている年金問題は、何時になったら解決の糸口を掴むのか。
政府与党と高級官僚は自らの血を流してでも国民のために解決すべきなのに、自己保身にのみ力を注いでいる。国民の為に政治や行政を殆んどやらないで国民から支持をもらえると思っているのだろうか。民主主義と言う言葉を前面に出すのはいいが、言葉だけが一人で歩いているような感じがする。
「安全」「安心」と云う言葉をもう一度国語辞典で調べて欲しい。国民に不安全と不安心を与え、生活に不安が押し寄せていることを国会議員たちは理解しているのだろうか。
国民が苦しむ姿が描けない国会議員が多くいる、と云う現実を国民もよく見なければならない。国会議員の定数は半分にしてでも国民の生活に、その税金をつぎ込むべきである。
一部の政府与党の国会議員から増税の話が出ているが、道路特定財源の無駄遣いを無くさないで何が増税か。官僚も今の定員では多すぎるのではないだろうか。民間企業では一人の人間が沢山の仕事をこなしている。官僚は縦割り組織の為、暇な人間がいても忙しいところに応援をすることは無いと云う。官僚の人員削減をすれば仕事を合理化でき、人件費の削減もできるはずである。
政府与党が国民の審判を受けたくない理由は、国民の為の政治をしていないからである。国民の審判を受けて堂々と仕事をすればいいのである。
政府与党と高級官僚は自らの血を流してでも国民のために解決すべきなのに、自己保身にのみ力を注いでいる。国民の為に政治や行政を殆んどやらないで国民から支持をもらえると思っているのだろうか。民主主義と言う言葉を前面に出すのはいいが、言葉だけが一人で歩いているような感じがする。
「安全」「安心」と云う言葉をもう一度国語辞典で調べて欲しい。国民に不安全と不安心を与え、生活に不安が押し寄せていることを国会議員たちは理解しているのだろうか。
国民が苦しむ姿が描けない国会議員が多くいる、と云う現実を国民もよく見なければならない。国会議員の定数は半分にしてでも国民の生活に、その税金をつぎ込むべきである。
一部の政府与党の国会議員から増税の話が出ているが、道路特定財源の無駄遣いを無くさないで何が増税か。官僚も今の定員では多すぎるのではないだろうか。民間企業では一人の人間が沢山の仕事をこなしている。官僚は縦割り組織の為、暇な人間がいても忙しいところに応援をすることは無いと云う。官僚の人員削減をすれば仕事を合理化でき、人件費の削減もできるはずである。
政府与党が国民の審判を受けたくない理由は、国民の為の政治をしていないからである。国民の審判を受けて堂々と仕事をすればいいのである。
2008/09/26のBlog
[ 20:48 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
今回新しい内閣が発足したが、その中の大臣の顔ぶれは2世、3正議員が半数以上にのぼった。彼らに社会が抱えている歪や格差をどのくらい理解しているのだろうか。特に総理大臣は生まれながらにして富豪であり、社会人になった時には社長になっていた。その後は無条件に国会議員になった。落選したとはいえ生活に困ったわけではない。国会議員になってからは何不自由なく現在まで過ごしている。この人に社会の歪や格差など理解できるはずはない。
今、日本では社会に大変多くの貧困層が増加し、格差社会になっている。この問題を解決するには、国会議員の定数を半減してその予算を社会の貧困層に振り向ける必要があるのではないだろうか。また、道路特定財源の一部を社会の為に使うべきではないだろうか。勿論、道路特定財源は取り敢えず廃止すべきであるが、もし形を代えて残すとしたら社会システムの改善に役立ててもいいのではないか。
2世、3世の大臣たちには社会の歪の経験などしていないはずである。彼らの顔は何処を向いているのか。それは国家予算である。お金の方に顔が向いている為に、国民がどのくらい苦しんでいるのか全く分からない。理解できるはずはないのである。
これは国民にも責任がある。目の前の事しか見えない国民が自分で自分の首を絞めている。小泉劇場の時、多くの国民は政府与党に投票をした。しかし、後期高齢者医療制度が強引に国会を通った事を殆んどの国民は見逃している。投票をした人の中には、そんなことは知らされていなかったという。これほど愚かな国民は世界にいるであろうか。ワンフレーズの言葉に誤魔化された国民の愚かさは今後も続くかもしれない。それは自分が吐いたつばが自分に戻るだけなのである。
今、日本では社会に大変多くの貧困層が増加し、格差社会になっている。この問題を解決するには、国会議員の定数を半減してその予算を社会の貧困層に振り向ける必要があるのではないだろうか。また、道路特定財源の一部を社会の為に使うべきではないだろうか。勿論、道路特定財源は取り敢えず廃止すべきであるが、もし形を代えて残すとしたら社会システムの改善に役立ててもいいのではないか。
2世、3世の大臣たちには社会の歪の経験などしていないはずである。彼らの顔は何処を向いているのか。それは国家予算である。お金の方に顔が向いている為に、国民がどのくらい苦しんでいるのか全く分からない。理解できるはずはないのである。
これは国民にも責任がある。目の前の事しか見えない国民が自分で自分の首を絞めている。小泉劇場の時、多くの国民は政府与党に投票をした。しかし、後期高齢者医療制度が強引に国会を通った事を殆んどの国民は見逃している。投票をした人の中には、そんなことは知らされていなかったという。これほど愚かな国民は世界にいるであろうか。ワンフレーズの言葉に誤魔化された国民の愚かさは今後も続くかもしれない。それは自分が吐いたつばが自分に戻るだけなのである。
2008/09/24のBlog
[ 13:32 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
後期高齢者医療の見直しに慎重 経済財政担当相
こんな記事が日経NETに出ていた。やっぱり口から出任せに云った事がはっきりした。政治家は何故口から出任せの事を恰も本当のように言うのだろう。それも新しく発足した総理大臣の口から出た言葉である。厚生労働大臣が人気取りの為に行ったという事がはき利した。政府が国民にウソをつくのは多少馴れているがこれほど鮮明なウソは珍しい。
後期高齢者医療制度を政府が見直すといったが、どのような問題があり、それをどのように見直すのか全く見えていない。具体的なものを示さないで「総選挙が近づいたから「見直す」といって置けば国民は馬鹿だから誤魔化せるよ」とでも思っているのだろうか。しかし、過去にこんな事で何回も国民を誤魔化してきたのだから、再度誤魔化そうとしたに違いない。
昔、政治家を三百代言、千三つ、などと揶揄していた時代があったが、未だに直らないのか。こんな政治家ばかり出てくるという裏には、二代目、3代目と云う政治家一家ばかりが揃っているからではないだろうか。政治を食い物にする人間しかいないという現実があるからではないか。政治で財を成すなどと云う非民主的なことがまかり通っているからではないか。
民主主義と云う言葉を使っているが偽善に見えて仕方がない。格差社会をつくって「これが良い社会なのだ」と云う政治家が多くいる現実を見ると、情けないと思う。幕藩政治に逆戻りしなければいいのだが。武士に生まれた人間は生涯武士、貧乏人に生まれた人間は生涯貧乏人、と云う格差社会をつくった政治家と財界の考え方が本当の民主主義なのだろうか。
こんな記事が日経NETに出ていた。やっぱり口から出任せに云った事がはっきりした。政治家は何故口から出任せの事を恰も本当のように言うのだろう。それも新しく発足した総理大臣の口から出た言葉である。厚生労働大臣が人気取りの為に行ったという事がはき利した。政府が国民にウソをつくのは多少馴れているがこれほど鮮明なウソは珍しい。
後期高齢者医療制度を政府が見直すといったが、どのような問題があり、それをどのように見直すのか全く見えていない。具体的なものを示さないで「総選挙が近づいたから「見直す」といって置けば国民は馬鹿だから誤魔化せるよ」とでも思っているのだろうか。しかし、過去にこんな事で何回も国民を誤魔化してきたのだから、再度誤魔化そうとしたに違いない。
昔、政治家を三百代言、千三つ、などと揶揄していた時代があったが、未だに直らないのか。こんな政治家ばかり出てくるという裏には、二代目、3代目と云う政治家一家ばかりが揃っているからではないだろうか。政治を食い物にする人間しかいないという現実があるからではないか。政治で財を成すなどと云う非民主的なことがまかり通っているからではないか。
民主主義と云う言葉を使っているが偽善に見えて仕方がない。格差社会をつくって「これが良い社会なのだ」と云う政治家が多くいる現実を見ると、情けないと思う。幕藩政治に逆戻りしなければいいのだが。武士に生まれた人間は生涯武士、貧乏人に生まれた人間は生涯貧乏人、と云う格差社会をつくった政治家と財界の考え方が本当の民主主義なのだろうか。
2008/09/22のBlog
[ 13:50 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
マスコミは表題の二つの言葉を全く節操なく使っている。政府は当初、事故米と云う言葉を使っていたが、いつの間にか汚染米に変わっていた。しかし、マスコミは二つの言葉を同時に使っているのだ。たかが言葉一つ、どっちでもいいじゃないか、と思うかもしれないが、一寸待て。
言葉と云うものは大切なものであるという事を肝に銘じるべきである。言葉一つ間違っただけで殺人事件に発展する事だってあるのだから。ある新聞の投書欄に、この事故米と汚染米のことが出ていた。政府は、事故米と云う言葉を公用語の如く使っていたが、こんな言葉は何処にもない。勝手に官庁が作った造語である。言葉で、そのものの本質を誤魔化そうとする気持ちがあるから、こんな言葉を作ったのであろう。輸入するときから汚染されていたのだから「汚染米」なのである。何故「事故米」などとウソをつかなければならなかったのだろうか。
ウソをつくのは農林水産省だけではない。外の官公庁も全く同じ。役所は誤魔化そうとするときには、殆んどウソをつく。これは日本だけに限るのだろうか。公務員が国民を欺くのは、公務員が本来の仕事をしていないということである。
今、汚染米が全国の学校給食で消費されてしまった事が報道されている。国民の健康を護るべき責務がある農林水産省は、国民を欺いた事になる。本来なら汚染米に関係する部署の全員が解雇されてしかるべきである。こんなことをして公務員として仕事をしているとでも思っているのだろうか。サイバーテロではなく食品テロである。許しがたい犯罪を国民は黙ってみているが、これ等の犯罪を防ぐ手立てを考えなければならない。農林水産省は業者のせいにしているがとんでもない事だ。総理大臣が無責任だから官公庁もそれに「右へならへ」になったのだろうか。こんな人を総理大臣にしたのは誰なのだろう。
言葉と云うものは大切なものであるという事を肝に銘じるべきである。言葉一つ間違っただけで殺人事件に発展する事だってあるのだから。ある新聞の投書欄に、この事故米と汚染米のことが出ていた。政府は、事故米と云う言葉を公用語の如く使っていたが、こんな言葉は何処にもない。勝手に官庁が作った造語である。言葉で、そのものの本質を誤魔化そうとする気持ちがあるから、こんな言葉を作ったのであろう。輸入するときから汚染されていたのだから「汚染米」なのである。何故「事故米」などとウソをつかなければならなかったのだろうか。
ウソをつくのは農林水産省だけではない。外の官公庁も全く同じ。役所は誤魔化そうとするときには、殆んどウソをつく。これは日本だけに限るのだろうか。公務員が国民を欺くのは、公務員が本来の仕事をしていないということである。
今、汚染米が全国の学校給食で消費されてしまった事が報道されている。国民の健康を護るべき責務がある農林水産省は、国民を欺いた事になる。本来なら汚染米に関係する部署の全員が解雇されてしかるべきである。こんなことをして公務員として仕事をしているとでも思っているのだろうか。サイバーテロではなく食品テロである。許しがたい犯罪を国民は黙ってみているが、これ等の犯罪を防ぐ手立てを考えなければならない。農林水産省は業者のせいにしているがとんでもない事だ。総理大臣が無責任だから官公庁もそれに「右へならへ」になったのだろうか。こんな人を総理大臣にしたのは誰なのだろう。
2008/09/20のBlog
[ 05:35 ]
[ 苦言・提言・いい加減 ]
厚生労働大臣の発言である。あれだけ今後も続けるといっていた大臣が、総選挙直前になってこの発言は何とした事か。要は最初から廃止をすると言えば良かったのに、総選挙でこの問題を問われたらまずいという事なのだ。政府与党が考えている国民の医療制度とはそんなものなのか。
後期高齢者医療制度を発足させたそもそもの理由は何なのか。現在の健康保険制度では財政的に難しくなるという事で切り離したのではないか。大体、75歳以上の高齢者だけを切り離した保険制度自体成り立たないはず。そんなことが厚生労働省の高級官僚は分からないのだろうか。保険制度の基本を最初から勉強をしなおす事が第一である。
今後は少子化が益々進み、高齢者がどんどん増加する。この事態を打開するには総ての人間を対象にした医療制度を考えなければ駄目なのである。高級官僚は卓上だけの数字をはじいて実際の医療現場を無視している。だから中小の医療施設が無くなって医療崩壊が起きているのである。大病院集中は悪い点ばかりではないが、そこから離れた所に住んでいる人達はどうすればいいのか。過疎地の対策を何も考えないでは現在の医療制度は成り立たない。
後期高齢者医療制度を卓上だけで考えた厚生労働省の高級官僚たちは、実際に医療現場へ行って見て来た事があるのだろうか。数字だけを追っている人間に人間の痛みが分かるのだろうか。新聞の投書欄に、汚染米を農水省の食堂で職員に食べてもらうべきである、と云うのが載っていた。どの高級官僚も現実を見ていないというのが問題なのである。
制度設計をする時に、卓上だけで実施する事のお粗末さは、幼稚園生と同じである。単に総選挙が近づいたから見直す、などといっている厚生労働大臣の発言は信用できない。その場限りの発言をして人気取りをしようと考えているのだろう。これもお粗末としか云えない。今まで云って来たことは総てウソだったのか。
後期高齢者医療制度を発足させたそもそもの理由は何なのか。現在の健康保険制度では財政的に難しくなるという事で切り離したのではないか。大体、75歳以上の高齢者だけを切り離した保険制度自体成り立たないはず。そんなことが厚生労働省の高級官僚は分からないのだろうか。保険制度の基本を最初から勉強をしなおす事が第一である。
今後は少子化が益々進み、高齢者がどんどん増加する。この事態を打開するには総ての人間を対象にした医療制度を考えなければ駄目なのである。高級官僚は卓上だけの数字をはじいて実際の医療現場を無視している。だから中小の医療施設が無くなって医療崩壊が起きているのである。大病院集中は悪い点ばかりではないが、そこから離れた所に住んでいる人達はどうすればいいのか。過疎地の対策を何も考えないでは現在の医療制度は成り立たない。
後期高齢者医療制度を卓上だけで考えた厚生労働省の高級官僚たちは、実際に医療現場へ行って見て来た事があるのだろうか。数字だけを追っている人間に人間の痛みが分かるのだろうか。新聞の投書欄に、汚染米を農水省の食堂で職員に食べてもらうべきである、と云うのが載っていた。どの高級官僚も現実を見ていないというのが問題なのである。
制度設計をする時に、卓上だけで実施する事のお粗末さは、幼稚園生と同じである。単に総選挙が近づいたから見直す、などといっている厚生労働大臣の発言は信用できない。その場限りの発言をして人気取りをしようと考えているのだろう。これもお粗末としか云えない。今まで云って来たことは総てウソだったのか。
2008/09/19のBlog
[ 04:49 ]
[ 古本屋日記 ]
日本に正式な刑事法が取り入れられたのは、当然の事ながら明治維新後のことである。現在の刑法は、明治40年に制定された。幕藩時代には、一般人に適用されたのが「御定書百ヶ條」、武士に適用されたのが「武家諸法度」である。特に、御定百ヶ條は、一般人に公に知らされたものではなく、町奉行が知っているだけであった。
明治維新から刑法が制定されるまでの40年の間には、赦律、仮刑律、新律綱領、改定律、などがあり、明治13年に旧刑法が制定され、実際には、明治15年に刑法治罪法が実施された。
ここで紹介する本には、御定書百ヶ條、赦律、仮刑律、新律綱領、改定律例、校正律例稿、日本刑法草案、刑法審査修正案、刑法、などが収録されている。詳しい事は、多くの学者、研究者などがこれ等の詳細について論文などを発表しているので、それらを参照していただきたい。
日本で「死刑」について「絞首刑」を定めたのは刑法からである。因みに、陸軍刑法、海軍刑法では「死刑」は「絞首刑」ではなく「銃殺刑」となる。「新律綱領」には、絞首刑をどのような方法(絞首台に上って首に縄をかけるところ、踏み板の構造、縄の種類)で実施するか図面により記されている。
昨年は、現在の刑法が施行されて丁度100年になる。100年の間には刑法に新に追加された項目が幾つかある。時代が変われば、昔の条文では対応できないものも出てくる。改正したり追加したりしても対応が難しいものも次から次へと出てくる。人間の悪知恵も際限がない。法律を作るのは人間であり、その法律を破るのも人間である。人間の知恵を良い方に活用されればいいのだが、世の中、中々上手くはいかない。無理が通れば道理が引っ込む。法律で縛るのも限界があるのは仕方のないことだろうか。
明治維新から刑法が制定されるまでの40年の間には、赦律、仮刑律、新律綱領、改定律、などがあり、明治13年に旧刑法が制定され、実際には、明治15年に刑法治罪法が実施された。
ここで紹介する本には、御定書百ヶ條、赦律、仮刑律、新律綱領、改定律例、校正律例稿、日本刑法草案、刑法審査修正案、刑法、などが収録されている。詳しい事は、多くの学者、研究者などがこれ等の詳細について論文などを発表しているので、それらを参照していただきたい。
日本で「死刑」について「絞首刑」を定めたのは刑法からである。因みに、陸軍刑法、海軍刑法では「死刑」は「絞首刑」ではなく「銃殺刑」となる。「新律綱領」には、絞首刑をどのような方法(絞首台に上って首に縄をかけるところ、踏み板の構造、縄の種類)で実施するか図面により記されている。
昨年は、現在の刑法が施行されて丁度100年になる。100年の間には刑法に新に追加された項目が幾つかある。時代が変われば、昔の条文では対応できないものも出てくる。改正したり追加したりしても対応が難しいものも次から次へと出てくる。人間の悪知恵も際限がない。法律を作るのは人間であり、その法律を破るのも人間である。人間の知恵を良い方に活用されればいいのだが、世の中、中々上手くはいかない。無理が通れば道理が引っ込む。法律で縛るのも限界があるのは仕方のないことだろうか。
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