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2007/11/30のBlog
[ 09:46 ]
[ お知らせ ]
11/25-12/7 新婚旅行に行ってきます。アルバニアとセルビア。
イタリア、ギリシア、マケドニアにも立ち寄る予定です。
イタリア、ギリシア、マケドニアにも立ち寄る予定です。
2007/11/25のBlog
[ 13:08 ]
[ お知らせ ]
成田空港にいます。
出国したところです。
なもなく離陸です。行ってきます。戻りは12/7です。
出国したところです。
なもなく離陸です。行ってきます。戻りは12/7です。
2007/11/16のBlog
[ 09:49 ]
[ ヨーロッパ ]
「私たちの国はかつてヨーロッパの北朝鮮でした」
背丈約160cmと小柄な、目つきがワシのように鋭い西洋人が祖国のことをひと言でいいあらわした。僕も彼女も男性の率直な物言いにすっかり心奪われた。
昨年の旅行博でのことだった。
会場をぶらついていて、たまたま見つけたその国のブース。駅のキオスクよりも小さく男性がひとりいるだけだし、その国の名前はあまり知られていないためか、人気がなかった。しかし、かねてからその国のことが気になっていた僕は、興味本位で立ち寄ってみた。その国のことを何も知らなかったらたぶん他の人たち同様に立ち寄っていなかっただろう。
アルバニア…。
この国についての僕のイメージは北朝鮮並みに奇妙きてれつな国、というものだった。
鎖国政策。無神論国家。ネズミ講による国家破たん。イタリアに押し寄せるボートピープル。そしてコソボ紛争。
平穏そのものの戦後を歩んできた日本とくらべその歩みは月とスッポンのようにかけ離れている。
自分の国の見舞われた不運から、目を背けたいだろうに、その男性は逆に祖国の特殊性をさりげなくアピールする。どんな観光資源があるのかはともかく、その男性の人柄に魅せられた僕らは「そのうち行きたいね」と話し合うようになっていた。
そして、新婚旅行先としてこの国を選んだ。
調べてみると、観光地としてもなかなか面白そうな場所だということがわかってきた。
近年は経済成長を続けていて治安も回復しているらしい。
奇妙きてれつなころの思い出がこの国から消え去らないうちに見てみたい。
11/25-12/7までの間。
イタリアとギリシアはアルバニア出入国のため経由。
マケドニアは観光と国境見学。セルビアには現地人の友人に会いに行く。
ミラノ-バーリ(イタリア)
デュレス、ティラナ、ボクラデツ、クルヤ、シュコダル、ジロカストロなど(アルバニア)
ベオグラード(セルビア)
オフリッド(マケドニア)
イオアニア-アテネ(ギリシア)
写真は「闘うアルバニア」より。独自の社会主義を貫いていた時代のころ。げんこつが敬礼らしい。
ちなみに冒頭の男性。大使です。
彼については機会を改めて書きたいと思います。
アルバニアの国旗は双頭のワシです。
彼のまなざしの鋭さと関係がある…のかもしれません。
背丈約160cmと小柄な、目つきがワシのように鋭い西洋人が祖国のことをひと言でいいあらわした。僕も彼女も男性の率直な物言いにすっかり心奪われた。
昨年の旅行博でのことだった。
会場をぶらついていて、たまたま見つけたその国のブース。駅のキオスクよりも小さく男性がひとりいるだけだし、その国の名前はあまり知られていないためか、人気がなかった。しかし、かねてからその国のことが気になっていた僕は、興味本位で立ち寄ってみた。その国のことを何も知らなかったらたぶん他の人たち同様に立ち寄っていなかっただろう。
アルバニア…。
この国についての僕のイメージは北朝鮮並みに奇妙きてれつな国、というものだった。
鎖国政策。無神論国家。ネズミ講による国家破たん。イタリアに押し寄せるボートピープル。そしてコソボ紛争。
平穏そのものの戦後を歩んできた日本とくらべその歩みは月とスッポンのようにかけ離れている。
自分の国の見舞われた不運から、目を背けたいだろうに、その男性は逆に祖国の特殊性をさりげなくアピールする。どんな観光資源があるのかはともかく、その男性の人柄に魅せられた僕らは「そのうち行きたいね」と話し合うようになっていた。
そして、新婚旅行先としてこの国を選んだ。
調べてみると、観光地としてもなかなか面白そうな場所だということがわかってきた。
近年は経済成長を続けていて治安も回復しているらしい。
奇妙きてれつなころの思い出がこの国から消え去らないうちに見てみたい。
11/25-12/7までの間。
イタリアとギリシアはアルバニア出入国のため経由。
マケドニアは観光と国境見学。セルビアには現地人の友人に会いに行く。
ミラノ-バーリ(イタリア)
デュレス、ティラナ、ボクラデツ、クルヤ、シュコダル、ジロカストロなど(アルバニア)
ベオグラード(セルビア)
オフリッド(マケドニア)
イオアニア-アテネ(ギリシア)
写真は「闘うアルバニア」より。独自の社会主義を貫いていた時代のころ。げんこつが敬礼らしい。
ちなみに冒頭の男性。大使です。
彼については機会を改めて書きたいと思います。
アルバニアの国旗は双頭のワシです。
彼のまなざしの鋭さと関係がある…のかもしれません。
2007/10/31のBlog
[ 15:47 ]
[ お知らせ ]
2007/10/29のBlog
[ 13:55 ]
[ 沖縄 ]
中国の活動家4人乗せた船、尖閣諸島に接近 上陸の意向
2007年10月28日23時58分
尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張する中国の活動家グループは28日、メンバー4人を乗せた抗議船が同諸島に接近したことを明らかにした。メンバーを同諸島に上陸させる意向を示している。
中国の活動家でつくる中国民間保釣連合会(保釣は釣魚島の領有権保持の意味)によると、抗議船は25日ごろ、中国福建省を出発。28日夕までに同諸島から約7カイリ(約13キロ)の海上に到着した。同会は「釣魚島が中国の領土である歴史的事実を、日本の国民に平和的に訴える」としている。
同会によると、同諸島に抗議船を出すのは02年以降4度目。今年8月、同様の主張をする香港の活動家グループが抗議船出航を計画したが、香港当局が許可しなかった。中国政府が「日中関係は好転しつつあり、大局を見る必要がある」との書簡をグループに送るなど牽制(けんせい)していた。
◇
海上保安庁によると、同庁の巡視船が28日午後5時35分ごろ、尖閣諸島の西約27キロの海上に、中国籍とみられる青色の漁船を発見した。船は同6時22分、中国国旗を掲げ、同島の西約22キロの領海線を越えて侵入。巡視船が退去するよう警告を続けたところ、同7時20分、島に約20キロまで接近したところで反転、同35分に領海を出た。(朝日新聞より)
香港の保釣行動委員会の船かと思ったのですが、大陸側でしたね。香港の団体は8月に記者会見まで開いて出港をめざすことを明言していました。2月に彼らに会ったときもできれば今年行きたいと言っていました。しかし香港当局が許可せず出港することはできませんでした。
なので、このニュースを知り、まさかと思いましたがなるほどです。
大陸側の船でしたか。それにしてもたった4人での出港とは低調ですね。秘密に出港していたそうで、そうでなかったら彼らがどこまで近づいたのかを僕も逐一チェックしていたでしょう。
ちょうど一年前の香港の保釣団体の接近に比べて、海保の阻止行動は地味な印象です。前回は各保安区から援軍を呼び寄せ体当たりまでかましましたが、今回は放水だけのようですし。
2007年10月28日23時58分
尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権を主張する中国の活動家グループは28日、メンバー4人を乗せた抗議船が同諸島に接近したことを明らかにした。メンバーを同諸島に上陸させる意向を示している。
中国の活動家でつくる中国民間保釣連合会(保釣は釣魚島の領有権保持の意味)によると、抗議船は25日ごろ、中国福建省を出発。28日夕までに同諸島から約7カイリ(約13キロ)の海上に到着した。同会は「釣魚島が中国の領土である歴史的事実を、日本の国民に平和的に訴える」としている。
同会によると、同諸島に抗議船を出すのは02年以降4度目。今年8月、同様の主張をする香港の活動家グループが抗議船出航を計画したが、香港当局が許可しなかった。中国政府が「日中関係は好転しつつあり、大局を見る必要がある」との書簡をグループに送るなど牽制(けんせい)していた。
◇
海上保安庁によると、同庁の巡視船が28日午後5時35分ごろ、尖閣諸島の西約27キロの海上に、中国籍とみられる青色の漁船を発見した。船は同6時22分、中国国旗を掲げ、同島の西約22キロの領海線を越えて侵入。巡視船が退去するよう警告を続けたところ、同7時20分、島に約20キロまで接近したところで反転、同35分に領海を出た。(朝日新聞より)
香港の保釣行動委員会の船かと思ったのですが、大陸側でしたね。香港の団体は8月に記者会見まで開いて出港をめざすことを明言していました。2月に彼らに会ったときもできれば今年行きたいと言っていました。しかし香港当局が許可せず出港することはできませんでした。
なので、このニュースを知り、まさかと思いましたがなるほどです。
大陸側の船でしたか。それにしてもたった4人での出港とは低調ですね。秘密に出港していたそうで、そうでなかったら彼らがどこまで近づいたのかを僕も逐一チェックしていたでしょう。
ちょうど一年前の香港の保釣団体の接近に比べて、海保の阻止行動は地味な印象です。前回は各保安区から援軍を呼び寄せ体当たりまでかましましたが、今回は放水だけのようですし。
尖閣諸島については中国も自国の領海法のなかで、自国領だと明言していますが、かといってこうした官製でない運動をされるというのは目の上のたんこぶなんでしょう。
彼らの運動の特徴は尖閣諸島の領有問題を歴史問題とリンクさせて考えていることです。
彼らは自分たちが反日運動家だと見られることを嫌い、平和主義を掲げているのだといったことを主張します。持っている知識は概してステレオタイプです。いろいろ彼らのインタビューを読みましたが、活動家の中に納得できるほどの論理を持っている人は今のところ知りません。
彼らはインタビューで日本についていろいろと要望を述べていますが、誤解にもとづく主張が目立ち、あまり勉強していないなこの人たちと思わせます。
僕が会った香港の活動家は「あなたは新しい教科書を問題だと思いませんか」と僕に言いました。彼らに「じゃあ読んだことはあるのか」と切り返すと、照れくさそうに「読んでいない。読みたいから日本から送ってください」とのことでした。
僕は彼らの活動のパワーの源を自分探しでないかと見ています。中国人としてのアイデンティティの確認。これではないかと。
それにしてもこの領海って概念、今でこそ12海里(約22キロ)ですが、伝統的には3海里だったわけで、そのころは排他的経済水域って概念もなかったわけです。
海の国境という概念が国際的に強化されず、中国が経済的に力をつけなかったら。
東シナ海に資源が隠されていることが発表されなかったら…。
どうなっていたことでしょうね。
「尖閣諸島」というキーワードでGOGGLE検索すると「尖閣諸島旅行なら」と書かれたリンクが右の方に出ます。笑
写真は二枚とも西牟田が今年、撮影したものです。
2007/10/27のBlog
[ 14:59 ]
[ お知らせ ]
マンガ北朝鮮
友人の村上和巳が原作を担当しています。
僕は現地写真を提供しました。
拉致事件や核兵器だけが“北の脅威”ではない!!
朝鮮総連、マスコミ、政治家……
日本国内に巣食う北の信奉者たち!
いま、政治的・軍事的にもっとも注目されている国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)。毎日ニュースをにぎわせているが、中にはなぜ日本で報道されないのか? と不思議に思う事件も存在します。北朝鮮だけでなく、日本のマスコミや政治家の姿勢にも不信感を持っている国民は多いはず。
本書では、主人公「八雲哲也」を中心に、北朝鮮に関わりの深い事件をストーリーにからめ、マンガでわかりやすく解説します。一般的な報道からは見えない北朝鮮関連事件が持つ“もうひとつの顔”を考察し、日朝友好関係への道を模索する内容となります。(出版社HPより)
しっかりと情報がちりばめられているわりには分かりやすい仕上がりになっています。
原作者、村上君のインタピューはこちら。
友人の村上和巳が原作を担当しています。
僕は現地写真を提供しました。
拉致事件や核兵器だけが“北の脅威”ではない!!
朝鮮総連、マスコミ、政治家……
日本国内に巣食う北の信奉者たち!
いま、政治的・軍事的にもっとも注目されている国、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)。毎日ニュースをにぎわせているが、中にはなぜ日本で報道されないのか? と不思議に思う事件も存在します。北朝鮮だけでなく、日本のマスコミや政治家の姿勢にも不信感を持っている国民は多いはず。
本書では、主人公「八雲哲也」を中心に、北朝鮮に関わりの深い事件をストーリーにからめ、マンガでわかりやすく解説します。一般的な報道からは見えない北朝鮮関連事件が持つ“もうひとつの顔”を考察し、日朝友好関係への道を模索する内容となります。(出版社HPより)
しっかりと情報がちりばめられているわりには分かりやすい仕上がりになっています。
原作者、村上君のインタピューはこちら。
2007/10/16のBlog
[ 22:50 ]
[ いも日記 ]
2ヶ月前に植えたイモ、オクラ、ショウガのその後です。
イモとショウガはまったくダメでしたが、オクラはすくすく育ち、花を何度も咲かせ、そのたびに実をつけています。
結婚して2ヶ月がたちました。
すっかり朝型生活に慣れてきました。
「日本の国境」についての書籍ですが、今のところは作業が目に見える形で結実していません。しかしこのたび本の骨子がやっとまとまりだしました。いよいよというかやっとというか本格的な執筆に入れそうです。実は本にできるぐらいの原稿をすでに書き上げています。一年以上かけて書いたのですが、これらはすべて捨てるつもりです。
お披露目パーティを10/14に行ないました。
お世話になっている方々になるべく多く来ていただきたいと思い、たくさんの方に声をかけたのですが、それも限界がありました。声をかけられなかった知り合いの皆さん、申し訳ありません。そして当日来ていただいた皆様、あまり話す時間が作れず申し訳ありませんでした。東横インではないですが、サンキューゴメンネの心境です。
パーティの模様の文章及び写真は以下からご覧ください。
撮られてばかりで僕の手元に当日の写真はほとんどないんです。
その1
その2
その3
パーティの模様をブログに書いてくださった皆様、リンクさせていただきますよ。
イモとショウガはまったくダメでしたが、オクラはすくすく育ち、花を何度も咲かせ、そのたびに実をつけています。
結婚して2ヶ月がたちました。
すっかり朝型生活に慣れてきました。
「日本の国境」についての書籍ですが、今のところは作業が目に見える形で結実していません。しかしこのたび本の骨子がやっとまとまりだしました。いよいよというかやっとというか本格的な執筆に入れそうです。実は本にできるぐらいの原稿をすでに書き上げています。一年以上かけて書いたのですが、これらはすべて捨てるつもりです。
お披露目パーティを10/14に行ないました。
お世話になっている方々になるべく多く来ていただきたいと思い、たくさんの方に声をかけたのですが、それも限界がありました。声をかけられなかった知り合いの皆さん、申し訳ありません。そして当日来ていただいた皆様、あまり話す時間が作れず申し訳ありませんでした。東横インではないですが、サンキューゴメンネの心境です。
パーティの模様の文章及び写真は以下からご覧ください。
撮られてばかりで僕の手元に当日の写真はほとんどないんです。
その1
その2
その3
パーティの模様をブログに書いてくださった皆様、リンクさせていただきますよ。
2007/10/12のBlog
[ 14:06 ]
[ 音楽・舞台・映画 ]
ドラマー のなか悟空さんとは2年あまり絶交状態だったが、最近ようやく和解した。拙著が発売にこぎ着けるまでにずいぶん力になっていただいたというのに、僕の失礼が原因で縁が切れていたのだ。僕に対しての「ライブ立ち入り禁止令」がようやく解かれたので、見に行った。
まだ絶交していた今年の4月、新宿の老舗ライブハウス「ピットイン」でとあるイベントが開かれた。「第1回D-1ドラム選手権」というもので、8人の新進ドラマーと悟空さんを含むベテラン3人が、トーナメントでドラム合戦を繰り広げ、誰が一番かを決めるというものだった。
このイベントの1位と2位である竜巻太郎、HIKO、そして悟空さん。それぞれのドラマーが相棒のベーシストを引き連れ、2対2対2のタッグマッチをする。そこに鈴木放屁というサックス吹きが加わるというもの。これが僕が見に行ったライブ。10/9のことだ。以下は悟空さんのHPより。
10/9 上野「なってるハウス」 3ドラム3ベースで6人タッグマッチ
のなか悟空(Dr)とヒゴヒロシ(EB)のチーム
VS
HIKO(Dr)と望月(EB)のチーム
VS
竜巻太郎(Ds)と市瀬大悟(W・Bass)のチーム
*3チームが同時にセッションするが、1つのチームは1度に1人しか演奏できない。演奏交代はタッチで。
*2ステージ目は抽選により、新チームをその場で結成し、再びタッグマッチのセッションを。
合羽橋にある なってるハウスというハコで、30分ぐらい遅れて行った。30人ほどですし詰めになる小さな会場の中に入ると、そこはまるで溶鉱炉の中のような熱気に包まれていた。ドロドロに溶けた鉄の熱さで自分の体がたちまち溶けてしまう。そんな錯覚に陥った。
悟空さんのバンドはベースとサックスのトリオ。リード楽器がドラムの伴奏に聞こえる。そんな独特の秩序がある。しかし今回のセッションは秩序はもはやない。三人のドラマー、ベーシストのパワーとテクニックの応酬はお互いのリズムを溶かしあう修羅場だった。
もちろん体験したことはないが、地獄に突然放り込まれたときのようなそんな感じだった。まさに無間地獄だ。
まだ絶交していた今年の4月、新宿の老舗ライブハウス「ピットイン」でとあるイベントが開かれた。「第1回D-1ドラム選手権」というもので、8人の新進ドラマーと悟空さんを含むベテラン3人が、トーナメントでドラム合戦を繰り広げ、誰が一番かを決めるというものだった。
このイベントの1位と2位である竜巻太郎、HIKO、そして悟空さん。それぞれのドラマーが相棒のベーシストを引き連れ、2対2対2のタッグマッチをする。そこに鈴木放屁というサックス吹きが加わるというもの。これが僕が見に行ったライブ。10/9のことだ。以下は悟空さんのHPより。
10/9 上野「なってるハウス」 3ドラム3ベースで6人タッグマッチ
のなか悟空(Dr)とヒゴヒロシ(EB)のチーム
VS
HIKO(Dr)と望月(EB)のチーム
VS
竜巻太郎(Ds)と市瀬大悟(W・Bass)のチーム
*3チームが同時にセッションするが、1つのチームは1度に1人しか演奏できない。演奏交代はタッチで。
*2ステージ目は抽選により、新チームをその場で結成し、再びタッグマッチのセッションを。
合羽橋にある なってるハウスというハコで、30分ぐらい遅れて行った。30人ほどですし詰めになる小さな会場の中に入ると、そこはまるで溶鉱炉の中のような熱気に包まれていた。ドロドロに溶けた鉄の熱さで自分の体がたちまち溶けてしまう。そんな錯覚に陥った。
悟空さんのバンドはベースとサックスのトリオ。リード楽器がドラムの伴奏に聞こえる。そんな独特の秩序がある。しかし今回のセッションは秩序はもはやない。三人のドラマー、ベーシストのパワーとテクニックの応酬はお互いのリズムを溶かしあう修羅場だった。
もちろん体験したことはないが、地獄に突然放り込まれたときのようなそんな感じだった。まさに無間地獄だ。
2ステージ目は新チームにてタッグマッチが行なわれるはずだったが、プレーヤー同士が負けん気を見せ、すぐに同じ編成の無間地獄に戻ってしまった。
鈴木放屁さんがサックスで入ったが独特の存在感を放ちつつも、残念ながら音はあまり聞こえなかった。
やはりドラムに目がいった。
タコが墨を吐いて逃げていくような必死な表情で高速フレーズを編み出すHIKOさん。彼のひたむきなプレーは胸を撃たれた。
鈴木放屁さんがサックスで入ったが独特の存在感を放ちつつも、残念ながら音はあまり聞こえなかった。
やはりドラムに目がいった。
タコが墨を吐いて逃げていくような必死な表情で高速フレーズを編み出すHIKOさん。彼のひたむきなプレーは胸を撃たれた。
2007/10/10のBlog
[ 13:57 ]
[ そう遠くないところへの旅 ]
9/28に軽井沢のことを書きましたが補足と訂正があります。以下、「旧満州開拓団の戦後」というブックレットやいくつかのホームページを参考にしました。
軽井沢ですが、戦前、まったく未開拓の場所だったというわけではありません。
江戸時代は中山道の宿場町として栄え、明治維新後はキリスト宣教師たち、そして日本の文化人たちの避暑地となりました。
太平洋戦争中は在日の欧米人たちが別荘やホテルに強制収容されたそうです。
名門の万平ホテルは終戦まもなくの時期、ナチスドイツ軍が収容されたり、その後米軍将校向けの宿泊基地として機能したとか。
旧満州開拓団大日向村の人々が軽井沢に再入植をしたのは昭和22年の2月のことでした。
「堀川源雄団長以下三七名の先遣隊はカラマツの原生林のなか、ひざまである雪をかき分け探索し、ついに湧水を発見、再起の地をここと決めた。それによって、大陸から生還した人びとのうち七〇戸が、この地にクワをふるうことになった。(中略)これらの人びとが着のみ着のままの、想像に絶する開墾生活に入ったのだった」(「旧満州開拓団の戦後―証言-昭和史の断面」より)
一反あたり入植時は70円だったものが72万円になったそうで、人びとは土地がお金になることを実感、次々に離農しきました。
軽井沢は土地ブームに沸き、お金持ちの避暑地から、庶民も訪れるレジャースポットとなっていきます。そういえば一時期、ジョン・レノン一家が軽井沢に住んでいたこともありましたよね。前述の万平ホテルにジョン一家は長期滞在していたこともありました。
そんななかで西武グループによるゴルフ場開発問題が大日向地区を襲います。昭和54年のことです。そのころすでに、専業農家は前述の坂本夫妻だけでした。
結局、西武は撤退しましたが、大日向地区の開発は現在進行形で続いています。
僕個人としては資本主義的な価値観だけでこの町を変えていって欲しくないと思っています。今後も大日向地区のことを見守っていこうと思っています。
軽井沢ですが、戦前、まったく未開拓の場所だったというわけではありません。
江戸時代は中山道の宿場町として栄え、明治維新後はキリスト宣教師たち、そして日本の文化人たちの避暑地となりました。
太平洋戦争中は在日の欧米人たちが別荘やホテルに強制収容されたそうです。
名門の万平ホテルは終戦まもなくの時期、ナチスドイツ軍が収容されたり、その後米軍将校向けの宿泊基地として機能したとか。
旧満州開拓団大日向村の人々が軽井沢に再入植をしたのは昭和22年の2月のことでした。
「堀川源雄団長以下三七名の先遣隊はカラマツの原生林のなか、ひざまである雪をかき分け探索し、ついに湧水を発見、再起の地をここと決めた。それによって、大陸から生還した人びとのうち七〇戸が、この地にクワをふるうことになった。(中略)これらの人びとが着のみ着のままの、想像に絶する開墾生活に入ったのだった」(「旧満州開拓団の戦後―証言-昭和史の断面」より)
一反あたり入植時は70円だったものが72万円になったそうで、人びとは土地がお金になることを実感、次々に離農しきました。
軽井沢は土地ブームに沸き、お金持ちの避暑地から、庶民も訪れるレジャースポットとなっていきます。そういえば一時期、ジョン・レノン一家が軽井沢に住んでいたこともありましたよね。前述の万平ホテルにジョン一家は長期滞在していたこともありました。
そんななかで西武グループによるゴルフ場開発問題が大日向地区を襲います。昭和54年のことです。そのころすでに、専業農家は前述の坂本夫妻だけでした。
結局、西武は撤退しましたが、大日向地区の開発は現在進行形で続いています。
僕個人としては資本主義的な価値観だけでこの町を変えていって欲しくないと思っています。今後も大日向地区のことを見守っていこうと思っています。
2007/10/08のBlog
[ 09:16 ]
[ アジアの国々 ]
この前読んだ、「ミャンマーという国への旅」(晶文社)という本には軍事政権下に張り巡らされた、国民監視体制の徹底ぶりが余すところなく書かれていて、改めて嫌な政権だという思いを抱きました。
だけど民主化すればすべてうまくいくかどうかはとても懐疑的です。サダム・フセインのいたイラク、タリバーンのいたアフガニスタンはその強権体制に市民たちはおびえつつも、保たれた平和に満足していた人は多かったのでしょう。僕がタリバーン政権下のアフガンに行ったときに出会った人たちの多くは「窮屈だけど戦争が終わって良かったよ」との感想を漏らしていました。
もし軍政が政権から降り、スーチーさんを元首に民主的な政権が誕生したとしてもその場合、本当にうまくいくんでしょうか。多民族が入り交じっている国ですから、民主化した途端に本格的な内戦に突入する、といったことはないでしょうか。そんなことを集会に行って考えてしまいました。
そもそも民主主義という概念を全面的に信用していいものなのか。
民主主義なんて概念は西洋からの借り物です。
国民国家にしても民主主義にしてもそれらの概念はフランス革命など市民革命を契機にして広まったわけです。それらの概念はヨーロッパ列強が植民地争奪戦を繰り広げ、世界中に広まっていきます。
しかし国民が主権なんて考え方は一歩間違えばずいぶん危険です。しっかりとした指導者が常にどの国にもいるとは限りません。ヒットラーのような指導者が出てくる可能性もあります。
中世の時代だと傭兵など限られた人たちが戦争をやっていたのですが、国民国家の時代になった20世紀の戦争は国による総力戦ですから、被害も甚大になってしまいました。
そんなわけで二つの大戦ではそれまでになかった途方もない被害を各国に及ぼしました。テクノロジーの進化ということもあるのでしょうけど、世界中が国民国家というシステムを採用する潮流ってのが起きてなかったら、世界はもっと平和だったような気がします。
世界中が民主主義、国民国家システムを認め、世界はつながりました。だけどその分搾取は大規模になったし、たくさんの血が流れたわけです。
一方で、民主主義は植民地化されていた国・地域が独立を果たそうとするときの指標となりました。まあ、その場合の民というのは国民一人一人というわけでなく、孫文の掲げていた三民主義のように民族主義である場合が多かったわけですが。
アジアやアフリカの国境線の多くは植民地時代の名残です。ビルマの国境線はイギリスが違った国境線を引いていれば全然違ったところにひかれていたでしょう。この国のシステムの大枠もイギリスが作り上げたものです。そこに太平洋戦争当時の日本による占領があり、その影響も統治の仕方や軍歌に影響を残しています。
支配した国の影響から逃れられないビルマという国。この国にとって一番いいシステムが何であるのか。アウンサンスーチーさんは欧米の傀儡だという噂も耳にします。カルザイ政権のアフガンがタリバーン時代のアフガンとどちらが住んでいる人にとって幸せなんでしょうか。アフガンと比較したとき、スーチーさんが元首をつとめるビルマが落ち着いたいい国になるのか。不安はぬぐえません。
軍事独裁の元、高度成長を果たした韓国のようにうまく行った国もあります。ただしこの場合、アメリカや日本というまわりの国の存在があったこそですので、ビルマと単純な比較はできませんが。
もし、国民の大部分が現政権にうんざりし、民主化を望んでいるのなら、結果がどうなるかはさておき改革してみたほうがいいのでしょう。悲惨な現状を維持するよりはそのほうがたとえ民主化の結果、国内が大混乱に陥ったとしてもまだ納得のしがいがあるのではないでしょうか。
PS.吉田さんの言うには、ミャンマー軍のパレードに日本軍の替え歌が使われているとのこと。北朝鮮もミャンマーもかつての日本の悪い部分ばかり受け継いでいるような、彼らが受け継いでくれたからこそ、日本はこんな毒気のない国になったんじゃないだろうか。そんな埒もないことをふっと考えてしまいました。彼は僕が感激した「森の回廊」(大宅賞受賞作)の取材内容をそのまま語っていたので聞いたような話というのは当然ですね。
だけど民主化すればすべてうまくいくかどうかはとても懐疑的です。サダム・フセインのいたイラク、タリバーンのいたアフガニスタンはその強権体制に市民たちはおびえつつも、保たれた平和に満足していた人は多かったのでしょう。僕がタリバーン政権下のアフガンに行ったときに出会った人たちの多くは「窮屈だけど戦争が終わって良かったよ」との感想を漏らしていました。
もし軍政が政権から降り、スーチーさんを元首に民主的な政権が誕生したとしてもその場合、本当にうまくいくんでしょうか。多民族が入り交じっている国ですから、民主化した途端に本格的な内戦に突入する、といったことはないでしょうか。そんなことを集会に行って考えてしまいました。
そもそも民主主義という概念を全面的に信用していいものなのか。
民主主義なんて概念は西洋からの借り物です。
国民国家にしても民主主義にしてもそれらの概念はフランス革命など市民革命を契機にして広まったわけです。それらの概念はヨーロッパ列強が植民地争奪戦を繰り広げ、世界中に広まっていきます。
しかし国民が主権なんて考え方は一歩間違えばずいぶん危険です。しっかりとした指導者が常にどの国にもいるとは限りません。ヒットラーのような指導者が出てくる可能性もあります。
中世の時代だと傭兵など限られた人たちが戦争をやっていたのですが、国民国家の時代になった20世紀の戦争は国による総力戦ですから、被害も甚大になってしまいました。
そんなわけで二つの大戦ではそれまでになかった途方もない被害を各国に及ぼしました。テクノロジーの進化ということもあるのでしょうけど、世界中が国民国家というシステムを採用する潮流ってのが起きてなかったら、世界はもっと平和だったような気がします。
世界中が民主主義、国民国家システムを認め、世界はつながりました。だけどその分搾取は大規模になったし、たくさんの血が流れたわけです。
一方で、民主主義は植民地化されていた国・地域が独立を果たそうとするときの指標となりました。まあ、その場合の民というのは国民一人一人というわけでなく、孫文の掲げていた三民主義のように民族主義である場合が多かったわけですが。
アジアやアフリカの国境線の多くは植民地時代の名残です。ビルマの国境線はイギリスが違った国境線を引いていれば全然違ったところにひかれていたでしょう。この国のシステムの大枠もイギリスが作り上げたものです。そこに太平洋戦争当時の日本による占領があり、その影響も統治の仕方や軍歌に影響を残しています。
支配した国の影響から逃れられないビルマという国。この国にとって一番いいシステムが何であるのか。アウンサンスーチーさんは欧米の傀儡だという噂も耳にします。カルザイ政権のアフガンがタリバーン時代のアフガンとどちらが住んでいる人にとって幸せなんでしょうか。アフガンと比較したとき、スーチーさんが元首をつとめるビルマが落ち着いたいい国になるのか。不安はぬぐえません。
軍事独裁の元、高度成長を果たした韓国のようにうまく行った国もあります。ただしこの場合、アメリカや日本というまわりの国の存在があったこそですので、ビルマと単純な比較はできませんが。
もし、国民の大部分が現政権にうんざりし、民主化を望んでいるのなら、結果がどうなるかはさておき改革してみたほうがいいのでしょう。悲惨な現状を維持するよりはそのほうがたとえ民主化の結果、国内が大混乱に陥ったとしてもまだ納得のしがいがあるのではないでしょうか。
PS.吉田さんの言うには、ミャンマー軍のパレードに日本軍の替え歌が使われているとのこと。北朝鮮もミャンマーもかつての日本の悪い部分ばかり受け継いでいるような、彼らが受け継いでくれたからこそ、日本はこんな毒気のない国になったんじゃないだろうか。そんな埒もないことをふっと考えてしまいました。彼は僕が感激した「森の回廊」(大宅賞受賞作)の取材内容をそのまま語っていたので聞いたような話というのは当然ですね。
