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2008/01/31のBlog
[ 14:31 ]
[ ヨーロッパ ]
2008/01/29のBlog
2008/01/28のBlog
[ 14:44 ]
[ ヨーロッパ ]
クルヤという山腹に広がる古都を目指していたのですが、途中、ジョージ・W・ブッシュという名のバー・カフェを見つけます。
クルヤのある山の麓にあるフシュ・クルヤという街でのことです。
実はこの街に昨年6月にジョージ・W・ブッシュが訪れているのです。
運転手はいいます。
「このカフェでブッシュ大統領はコーヒーを飲んだんだ」
クルヤのある山の麓にあるフシュ・クルヤという街でのことです。
実はこの街に昨年6月にジョージ・W・ブッシュが訪れているのです。
運転手はいいます。
「このカフェでブッシュ大統領はコーヒーを飲んだんだ」
そのころブッシュがアルバニアを訪れたのは知っていましたが、まさか彼が訪れた場所にこようとは!
アルバニア人がブッシュを歓迎するのには理由があります。
ブッシュはコソボ独立を支持する発言をしているのです。
また、ブッシュが来ることで、「自分たちの国もここまで認められるようになった」という風にアルバニア人は受け止めるのです。
帰国してから調べたのですが、この建物の前当たりでブッシュは群衆と握手をしています。そのときの模様です。
ブッシュはなんとそのとき時計を盗まれたといいます。
時計はポケットにあった、とか、落とした時計はボディガードが拾ったとか、いろいろ説があるようですが、見つかったのでしょうか。
写真はAP通信より。
アルバニア人がブッシュを歓迎するのには理由があります。
ブッシュはコソボ独立を支持する発言をしているのです。
また、ブッシュが来ることで、「自分たちの国もここまで認められるようになった」という風にアルバニア人は受け止めるのです。
帰国してから調べたのですが、この建物の前当たりでブッシュは群衆と握手をしています。そのときの模様です。
ブッシュはなんとそのとき時計を盗まれたといいます。
時計はポケットにあった、とか、落とした時計はボディガードが拾ったとか、いろいろ説があるようですが、見つかったのでしょうか。
写真はAP通信より。
2008/01/27のBlog
[ 22:52 ]
[ ヨーロッパ ]
午後、いっしょについてきてくれたバルダは敬虔なムスリムです。
アメリカの大学に通い、そのころムスリムとしての自分に目覚めました。
彼女のいってたころは同時多発テロがあったころですから、あの事件とそれによる世界の激動というものが強く影響しているのでしょう。
祖国に帰ってきた後、ムスリムとしての規律を生活の中に取り入れていきます。
日々のお祈りやラマダーン。
ラマダーンの期間、ムスリムは日が出ている間、飲食を行いません。
僕らとティラナを歩いた日、バルダはラマダーンの続きをやっていました。
正式な期間はすでに終わっていましたが、諸事情によって先送りにすることが出来るそうなのです。
アメリカの大学に通い、そのころムスリムとしての自分に目覚めました。
彼女のいってたころは同時多発テロがあったころですから、あの事件とそれによる世界の激動というものが強く影響しているのでしょう。
祖国に帰ってきた後、ムスリムとしての規律を生活の中に取り入れていきます。
日々のお祈りやラマダーン。
ラマダーンの期間、ムスリムは日が出ている間、飲食を行いません。
僕らとティラナを歩いた日、バルダはラマダーンの続きをやっていました。
正式な期間はすでに終わっていましたが、諸事情によって先送りにすることが出来るそうなのです。
そんなわけで彼女は我々と歩いている間、一切の飲食はしませんでした。
お祈りもきっちりとやります。
それが我々と一緒に行動しているときであってもです。
ただ我々は生きた信仰に触れられるのが楽しいので、気にするどころか喜んで一緒にモスクに行きました。
女性ふたり、男性ふたりずつに別れました。女性二人はちゃんと祈ったようです。
お祈りもきっちりとやります。
それが我々と一緒に行動しているときであってもです。
ただ我々は生きた信仰に触れられるのが楽しいので、気にするどころか喜んで一緒にモスクに行きました。
女性ふたり、男性ふたりずつに別れました。女性二人はちゃんと祈ったようです。
鳥が集団で飛んでいます。
夕方、巣にでもかえるのでしょうか。
4時半ごろでしょうか。
一緒に歩いていてずいぶんやつれている様子がわかりました。
まだ暗くなりきっていませんでしたがバルダはもう日没だと判断し、一目散に軽食スタンドへと移動、彼女に追いつくともしゃもしゃと必死に食べていました。
夕方、巣にでもかえるのでしょうか。
4時半ごろでしょうか。
一緒に歩いていてずいぶんやつれている様子がわかりました。
まだ暗くなりきっていませんでしたがバルダはもう日没だと判断し、一目散に軽食スタンドへと移動、彼女に追いつくともしゃもしゃと必死に食べていました。
2008/01/26のBlog
[ 12:36 ]
[ ヨーロッパ ]
古代から第二次大戦後まで詳しく展示されていました。
かなり見応えがあります。
この国がいかに他国の影響を受け続けて来たのかがわかりました。
独立のため戦った人たちの展示は社会主義時代も変わりないでしょうが、
その時代はホッジャ時代の過酷な生活、なんていうコーナーはなかったはずです。
ガイドのモンディは博物館に入るとき、友人を呼び寄せました。
アメリカの大学を卒業したバルダという、とても聡明な女性でした。
この二人のやり取りが夫婦漫才のようでした。
以下は祖国の英雄スカンデルベグの銅像を見ながらの会話です。
「スカンデルベグが十数回侵略を跳ね返したってことになってるけど、属国になってでも戦いをさけていれば人口が3分の1にまで減ることはなかったはずだよ。彼は英雄扱いされ、スカンデルベグ像はどれも大男として描かれているけど本当は小さい男だったんだ」
「モンディね、私たち祖国の英雄なんだから、ちょっとぐらい敬意を払いなさいよ」
彼にゲンコツ式の挨拶の写真を見せます。
「狂ってる。まだ社会主義を信奉してる奴がいるなんて」
「ふざけてポーズを取れるぐらい、それだけ客観的にあの時代を振り返られるようになったのよ。それって素敵じゃない?」
かなり見応えがあります。
この国がいかに他国の影響を受け続けて来たのかがわかりました。
独立のため戦った人たちの展示は社会主義時代も変わりないでしょうが、
その時代はホッジャ時代の過酷な生活、なんていうコーナーはなかったはずです。
ガイドのモンディは博物館に入るとき、友人を呼び寄せました。
アメリカの大学を卒業したバルダという、とても聡明な女性でした。
この二人のやり取りが夫婦漫才のようでした。
以下は祖国の英雄スカンデルベグの銅像を見ながらの会話です。
「スカンデルベグが十数回侵略を跳ね返したってことになってるけど、属国になってでも戦いをさけていれば人口が3分の1にまで減ることはなかったはずだよ。彼は英雄扱いされ、スカンデルベグ像はどれも大男として描かれているけど本当は小さい男だったんだ」
「モンディね、私たち祖国の英雄なんだから、ちょっとぐらい敬意を払いなさいよ」
彼にゲンコツ式の挨拶の写真を見せます。
「狂ってる。まだ社会主義を信奉してる奴がいるなんて」
「ふざけてポーズを取れるぐらい、それだけ客観的にあの時代を振り返られるようになったのよ。それって素敵じゃない?」
2008/01/24のBlog
[ 23:35 ]
[ ヨーロッパ ]
アルバニアには独裁者が君臨していました。
エンベル・ホッジャです。
くわしくはここを読んでください。
90年代初め、社会主義政権が政権の座から滑り落ちたとき、若者たちが立ち上がりました。ソ連のレーニン像、イラクのフセイン像のようにホッジャ像も倒されました。
ティラナの中心部、スカンデルベグ広場のホッジャ像もそうです。
写真はホッジャ像のあった場所です。タイルが剥げているところがそうです。
僕らはこの日、ガイドをつけたのですが、そのガイドは17歳のときホッジャ像を倒した一人でした。彼は当時のことを以下のように振り返りました。
「あのころは希望に満ちていた。みんな興奮していた。新しい世界が広がるような気がしていたね」
エンベル・ホッジャです。
くわしくはここを読んでください。
90年代初め、社会主義政権が政権の座から滑り落ちたとき、若者たちが立ち上がりました。ソ連のレーニン像、イラクのフセイン像のようにホッジャ像も倒されました。
ティラナの中心部、スカンデルベグ広場のホッジャ像もそうです。
写真はホッジャ像のあった場所です。タイルが剥げているところがそうです。
僕らはこの日、ガイドをつけたのですが、そのガイドは17歳のときホッジャ像を倒した一人でした。彼は当時のことを以下のように振り返りました。
「あのころは希望に満ちていた。みんな興奮していた。新しい世界が広がるような気がしていたね」
この建物はかつてホッジャ博物館でした。
建築家をやっていた娘(今もやっているかは不明)が設計したそうです。
ホッジャが亡くなった翌年(86年)にオープンしました。
現在は展示場になっているようで、この日は車が陳列されているようでした。
建築家をやっていた娘(今もやっているかは不明)が設計したそうです。
ホッジャが亡くなった翌年(86年)にオープンしました。
現在は展示場になっているようで、この日は車が陳列されているようでした。
2008/01/23のBlog
2008/01/22のBlog
[ 09:42 ]
[ ヨーロッパ ]
妻は渡されたスカーフをかぶります。
入るとイマームが中にいました。
社会主義の時代、彼らは心の中で祈ることしかできなかったそうです。
宗教弾圧のためです。
モスクや教会の壁画は破壊され、牧師は労働者として工場に送られました。
18世紀に建てられたこの建物は幸い破壊されなかったようです。
ガイドに聞くと「文化財なので当然だよ。なんで壊す必要があるんだ」とのこと。
他の場所ではミナレット(尖塔)が折られたモスクもあって、当然という感じはしませんでした。
入るとイマームが中にいました。
社会主義の時代、彼らは心の中で祈ることしかできなかったそうです。
宗教弾圧のためです。
モスクや教会の壁画は破壊され、牧師は労働者として工場に送られました。
18世紀に建てられたこの建物は幸い破壊されなかったようです。
ガイドに聞くと「文化財なので当然だよ。なんで壊す必要があるんだ」とのこと。
他の場所ではミナレット(尖塔)が折られたモスクもあって、当然という感じはしませんでした。
こちらは街のモスク。
90年代初頭に社会主義政権が政権の座から転落しました。
それ以後、だんだんと宗教が復活してきているのです。
以前はモスクで祈ることは許されませんでした。
そうした時代が長く続いたせいか。
それともバルカンの地では信仰がゆるいのか。
エセムスリムが珍しくありません。
ガイドもそうです。
彼はムスリムのはずですが一緒には祈りません。
しかもお祈りの場で携帯電話を使ってペラペラ話しているではありませんか。
彼には信仰心のカケラもないようです。
90年代初頭に社会主義政権が政権の座から転落しました。
それ以後、だんだんと宗教が復活してきているのです。
以前はモスクで祈ることは許されませんでした。
そうした時代が長く続いたせいか。
それともバルカンの地では信仰がゆるいのか。
エセムスリムが珍しくありません。
ガイドもそうです。
彼はムスリムのはずですが一緒には祈りません。
しかもお祈りの場で携帯電話を使ってペラペラ話しているではありませんか。
彼には信仰心のカケラもないようです。
2008/01/21のBlog
[ 10:14 ]
[ ヨーロッパ ]
2008/01/20のBlog
[ 00:30 ]
[ ヨーロッパ ]
