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2007/03/13のBlog
[ 08:56 ]
[ 館長ノート ]
子どもは「社会の宝」ですが、博物館にとっても将来の大切なお客様です。
3/24に「吹田の子どもたち」の討論会をやります。
コーディネーターは香坂(吹田博)さん、
パネルには椿原さん(前教育長)、渡辺さん(吹田市教育委員会)ら現場経験豊かな人たちに私がくわわります。
今、教育の現場はたいへん困難な状況に追い込まれています。吹田では新聞に報じられるような大事件は幸いにして起こっていませんが、授業時間短縮、総合学習、塾など量的なもの、進学、不登校、いじめ、家庭など質にかかわるもの。さらにアレルギー、花粉症、過栄養、拒食などの病気や健康、そして(教師側で言えば)団塊世代の先生方の大量退職など、問題は山積しています。
「むかしの暮らしと学校」展は明治、大正、昭和初期の生活を、子どもの視点に近づけた展示をです。毎年、この時期に、小学3年生が団体で見学に来る名物企画展で、吹田市ばかりでなく他の市からもやってきます。最近の動きで注目されるのは、博物館が、体験型へと変わっていることです。わたしたちも、コマ遊び、ハタ織り、下駄、火打ち石、おんぶ赤ちゃん人形など、ボランティアの方々が実際の経験を語り聞かせる、などのプログラム作りに努力しています。
もっと充実させることが出来る、三年生だけでなく他の学年も、中学生、いや若い教員までが学び楽しめるものをと言う声があがり、学校との連携を強化したシステム作りを考えることになりました。このシンポジウムはその第一歩です。
打ち合わせ会を何度かやったのですが、色々おもしろい意見が出てきました。
●先生方に「公開研究会」をやってもらう。
●小学生になってもらい実際に「授業」を体験。
●展示の時代をもっと新しく、60年代、70年代のものも入れる。NTそだちの父兄はもういっぱいいるのだから。、
●こころと身体の相談室をやる
●紫金山で博物館クロカンを開催!
教育の現場、教師ー子どもー保護者の輪のなかに、博物館が参加できるようになれば、大変有意義であり、おもしろくなるだろうと思います。討論会は、フロアからの参加をきたいしています。活発な意見交換をやりましょう。
(カンチョー)
3/24に「吹田の子どもたち」の討論会をやります。
コーディネーターは香坂(吹田博)さん、
パネルには椿原さん(前教育長)、渡辺さん(吹田市教育委員会)ら現場経験豊かな人たちに私がくわわります。
今、教育の現場はたいへん困難な状況に追い込まれています。吹田では新聞に報じられるような大事件は幸いにして起こっていませんが、授業時間短縮、総合学習、塾など量的なもの、進学、不登校、いじめ、家庭など質にかかわるもの。さらにアレルギー、花粉症、過栄養、拒食などの病気や健康、そして(教師側で言えば)団塊世代の先生方の大量退職など、問題は山積しています。
「むかしの暮らしと学校」展は明治、大正、昭和初期の生活を、子どもの視点に近づけた展示をです。毎年、この時期に、小学3年生が団体で見学に来る名物企画展で、吹田市ばかりでなく他の市からもやってきます。最近の動きで注目されるのは、博物館が、体験型へと変わっていることです。わたしたちも、コマ遊び、ハタ織り、下駄、火打ち石、おんぶ赤ちゃん人形など、ボランティアの方々が実際の経験を語り聞かせる、などのプログラム作りに努力しています。
もっと充実させることが出来る、三年生だけでなく他の学年も、中学生、いや若い教員までが学び楽しめるものをと言う声があがり、学校との連携を強化したシステム作りを考えることになりました。このシンポジウムはその第一歩です。
打ち合わせ会を何度かやったのですが、色々おもしろい意見が出てきました。
●先生方に「公開研究会」をやってもらう。
●小学生になってもらい実際に「授業」を体験。
●展示の時代をもっと新しく、60年代、70年代のものも入れる。NTそだちの父兄はもういっぱいいるのだから。、
●こころと身体の相談室をやる
●紫金山で博物館クロカンを開催!
教育の現場、教師ー子どもー保護者の輪のなかに、博物館が参加できるようになれば、大変有意義であり、おもしろくなるだろうと思います。討論会は、フロアからの参加をきたいしています。活発な意見交換をやりましょう。
(カンチョー)
2007/03/10のBlog
[ 16:49 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
遠く飛騨から投稿をいただきました。飛騨は一昨年の愛知万博では(隣の県ですから)かなり盛り上がったようです。(okkun)
=================================================================
大阪万博には父親が行っただけで、月の石を見てくることができたのかどうか、今は土産にもらった記念切手が残っているだけです。この記念切手はやがて通っていた小学校ではじまる「にわか切手集めブーム」で注目を集める切手となっていきました。
さて、一昨年の愛知万博では、ネット情報が大変役に立ちました。休日は朝からパソコンの前に貼りつき、予約チケットを手に入れるのに苦心しました。チケットを手に入れると、見学先の情報あれこれは、裏情報を紹介するHPを手がかりにしました。渋滞の避け方から便利な駐車場の場所とその料金、身支度から入退場のシステム案内まで、まるでダイヤモンド社の「地球の歩き方」のような貴重な情報がいくつも出ていました。おかげで、人気の企業パビリオンへもスムーズに行け、がっちり楽しんでくることができました。
印象的だったのはモンゴル館のソフトクリーム。岩塩ソフトという、魅惑的な青色のソフトクリームは、なんじゃこれは!という、爽やかさのかけらもない味わいでした。暑かった愛知万博。弁当の持ち込み騒動に首相までが出動していました。
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大阪万博には父親が行っただけで、月の石を見てくることができたのかどうか、今は土産にもらった記念切手が残っているだけです。この記念切手はやがて通っていた小学校ではじまる「にわか切手集めブーム」で注目を集める切手となっていきました。
さて、一昨年の愛知万博では、ネット情報が大変役に立ちました。休日は朝からパソコンの前に貼りつき、予約チケットを手に入れるのに苦心しました。チケットを手に入れると、見学先の情報あれこれは、裏情報を紹介するHPを手がかりにしました。渋滞の避け方から便利な駐車場の場所とその料金、身支度から入退場のシステム案内まで、まるでダイヤモンド社の「地球の歩き方」のような貴重な情報がいくつも出ていました。おかげで、人気の企業パビリオンへもスムーズに行け、がっちり楽しんでくることができました。
印象的だったのはモンゴル館のソフトクリーム。岩塩ソフトという、魅惑的な青色のソフトクリームは、なんじゃこれは!という、爽やかさのかけらもない味わいでした。暑かった愛知万博。弁当の持ち込み騒動に首相までが出動していました。
[ 15:07 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
2007/03/09のBlog
[ 13:22 ]
[ 私たちの活動 ]
開催日時 2007年3月7日(水) 19.00~21.30
場所 博物館講座室
盛り上げ会から12人、博物館側から6人が出席し、下記の議題についてあつい議論が繰りひろげられました。
報告1.
2月14日、浜屋敷主催の「まちづくり市民団体交流会」で、盛り上げ会から2人、発表者として参加し、千里ニュータンウ展の報告をした。
議案1.
名神(西日本高速道路株式会社)の吹田サービスエリアと博物館との連絡通路を作るよう吹田市へ提案する件。
議案2.
吹田市市民活動災害保障制度に加入継続の件
議案3.
紫金山公園の運営協議会を発足させるにあたり、当盛り上げ会に対しても協議会準備準備委員会より、一名の委員派遣の要請があるので、これに応ずる件。
→公園運営管理にも参画する必要があり、派遣を決定。
議案4.
ボランティアのあべき姿について審議
議案5.
盛り上げ会のブログについて→現存の「千里ニュータウン展をやった吹田市立博物館を万博展でも小山館長と盛り上げるブログ」を活用する。
議案6.
次回開催日について
→大阪万博展の委員会が本格化するので、次回予定日は当面入れない。
なお、万博展の委員応募は19名。内盛り上げ会から14名。委員数が少ないので、追加応募を歓迎する。
次回万博展委員会は3月21日(水)15.00~ 博物館講座室で。
場所 博物館講座室
盛り上げ会から12人、博物館側から6人が出席し、下記の議題についてあつい議論が繰りひろげられました。
報告1.
2月14日、浜屋敷主催の「まちづくり市民団体交流会」で、盛り上げ会から2人、発表者として参加し、千里ニュータンウ展の報告をした。
議案1.
名神(西日本高速道路株式会社)の吹田サービスエリアと博物館との連絡通路を作るよう吹田市へ提案する件。
議案2.
吹田市市民活動災害保障制度に加入継続の件
議案3.
紫金山公園の運営協議会を発足させるにあたり、当盛り上げ会に対しても協議会準備準備委員会より、一名の委員派遣の要請があるので、これに応ずる件。
→公園運営管理にも参画する必要があり、派遣を決定。
議案4.
ボランティアのあべき姿について審議
議案5.
盛り上げ会のブログについて→現存の「千里ニュータウン展をやった吹田市立博物館を万博展でも小山館長と盛り上げるブログ」を活用する。
議案6.
次回開催日について
→大阪万博展の委員会が本格化するので、次回予定日は当面入れない。
なお、万博展の委員応募は19名。内盛り上げ会から14名。委員数が少ないので、追加応募を歓迎する。
次回万博展委員会は3月21日(水)15.00~ 博物館講座室で。
2007/03/08のBlog
[ 22:12 ]
(迷わず会場にたどりついた)カンチョーが仕切って懇親会。
・琥珀は嵐の後の海に浮かんでいることが多い
・縄文時代の翡翠はなぜ西日本で発見されないの?
・翡翠はフォッサマグナ近くで生まれている。素材はさんご礁。
・琥珀は嵐の後の海に浮かんでいることが多い
・縄文時代の翡翠はなぜ西日本で発見されないの?
・翡翠はフォッサマグナ近くで生まれている。素材はさんご礁。
[ 16:01 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
梅棹さんが70年万博を成功に導いた一人であることはよく知られています。どうしてそうなったのかを聞いてみたくて、万博公園にあるミンパクの梅棹資料室を訪れました。今年は梅棹さんが『文明の生態史観』がでて50年、それに関係する文章の口述筆記を終えたところ、いいタイミングでした。
1963年、「オリンピックの次は万博だ、それは大阪で」という声が澎湃としてあがってきた。「情報産業論」を書いた関係から『放送朝日』の五十嵐道子さんが世話役になって、小松左京、加藤秀俊さんらと、アメリカ大陸へ視察旅行に行った。
ニューヨーク(世界博1964)、モントリオール(万博1967)、メキシコシティ(オリンピック1968。民族博物館は後のミンパクづくりの参考になった)とハワイ(なんにもしないで楽しんだ)。
ニューヨークで「たいしたことない、もっといいものができる」と確信した。研究会を開いて具体像をつくあげていった。志を同じうする人が自然に集まってきて、その輪は財界や政界まで広がっていった。時代に勢いがあった。
今でも思い出すのは万博宣言文をかいたこと。「進歩と調和」のキーワードは、誰かがそこからぬきだしたものだ。開会式での首相、石坂万博会長らの演説も。北白川の自宅の板の間に這いつくばって書いたのをおぼえている。
-あの万博の意味は?
日本人がそれまでの伝統のアカを一気に洗い落としてしまったことだろう。これからの社会にあらわれる装置や技術-テレビ、道路、車、外国とのつきあい方、ニュータウンの使い方。それを実際に目の当たりに見て、理解したのだとおもう。
-それは誤解ではなかったのですか
いや、市民は「わかった」のだ。そして今日の情報社会へとステップの切り替えが自然にできた。
(なんとも凄みのある要約ですねぇ)
1963年、「オリンピックの次は万博だ、それは大阪で」という声が澎湃としてあがってきた。「情報産業論」を書いた関係から『放送朝日』の五十嵐道子さんが世話役になって、小松左京、加藤秀俊さんらと、アメリカ大陸へ視察旅行に行った。
ニューヨーク(世界博1964)、モントリオール(万博1967)、メキシコシティ(オリンピック1968。民族博物館は後のミンパクづくりの参考になった)とハワイ(なんにもしないで楽しんだ)。
ニューヨークで「たいしたことない、もっといいものができる」と確信した。研究会を開いて具体像をつくあげていった。志を同じうする人が自然に集まってきて、その輪は財界や政界まで広がっていった。時代に勢いがあった。
今でも思い出すのは万博宣言文をかいたこと。「進歩と調和」のキーワードは、誰かがそこからぬきだしたものだ。開会式での首相、石坂万博会長らの演説も。北白川の自宅の板の間に這いつくばって書いたのをおぼえている。
-あの万博の意味は?
日本人がそれまでの伝統のアカを一気に洗い落としてしまったことだろう。これからの社会にあらわれる装置や技術-テレビ、道路、車、外国とのつきあい方、ニュータウンの使い方。それを実際に目の当たりに見て、理解したのだとおもう。
-それは誤解ではなかったのですか
いや、市民は「わかった」のだ。そして今日の情報社会へとステップの切り替えが自然にできた。
(なんとも凄みのある要約ですねぇ)
2007/03/06のBlog
[ 20:06 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
元テレビマンKさんの話は続きます。
ソ連館の広報の通訳というか、日本のマスコミ相手の窓口やった広報担当していた人がユダヤ系白系ロシア人のアンチービンさんという、めちゃくちゃ日本語のうまい人やってん。このおっさん、日本の県立千葉一中って優秀なとこを出てて、戦争が始まったからソ連帰って、モスクワ大学かどこかで日本語の勉強したっていう。で、ものすごいきれいな日本語、山の手言葉を話すんや。「そうでございましょう」という言い方。
「あんた、大学で何を研究してたんや」って聞いたら、「日本語の乱れについて」やて(笑)。「Kさんの日本語は、何、おっしゃっているか、ワカリマセン」「あたりまえや、大阪弁やないか」(笑)
この人、後日談があるねん。万博のしばらく後に、ブレジネフ書記長の単独インタビューをやろうということで、モスクワに行った。その時に出てきたんが、そのおっさん、アンチービンさんやってん。「アンチービンさん、よぉ、あんたかいな、面倒見てくれるの」。モスクワには、その後何度も通ったけれど、便利でよかったよ。
(聞き書き・こぼら)
ソ連館の広報の通訳というか、日本のマスコミ相手の窓口やった広報担当していた人がユダヤ系白系ロシア人のアンチービンさんという、めちゃくちゃ日本語のうまい人やってん。このおっさん、日本の県立千葉一中って優秀なとこを出てて、戦争が始まったからソ連帰って、モスクワ大学かどこかで日本語の勉強したっていう。で、ものすごいきれいな日本語、山の手言葉を話すんや。「そうでございましょう」という言い方。
「あんた、大学で何を研究してたんや」って聞いたら、「日本語の乱れについて」やて(笑)。「Kさんの日本語は、何、おっしゃっているか、ワカリマセン」「あたりまえや、大阪弁やないか」(笑)
この人、後日談があるねん。万博のしばらく後に、ブレジネフ書記長の単独インタビューをやろうということで、モスクワに行った。その時に出てきたんが、そのおっさん、アンチービンさんやってん。「アンチービンさん、よぉ、あんたかいな、面倒見てくれるの」。モスクワには、その後何度も通ったけれど、便利でよかったよ。
(聞き書き・こぼら)
2007/03/05のBlog
[ 20:52 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
テレビマンだったKさんの話(つづき)です。
思い出の深いのは、万博開幕前から始まった『経済ワンセット エキスポニッポン』という番組、スポンサーのN証券は、わりあい自由にやらせてくれたね。
万博が始まった頃やったけど、お客さんがゲートでずらっと並んでるねん。その人たちが、ゲートが開くやいなや、早くお目当てのパビリオンに向かって、走り出すわけや。それで、おれ、思いついた。競馬で、はじめにパッパカパーゆうてから、ガシャーンっとスタートするところがあるやろ。あの音を、万博のゲートの開くときの映像にかぶせて流したったんや。これは受けた(笑)。
月の石を食わせるっていうのもやった。え、何かって?アメリカ館はものすごいPRしていて、マスコミもとりあげるから、月の石に人気があったやろ。大阪に、その月の石にそっくりのお菓子をつくって、売ってるところがあるということがわかったんや、どこだったか忘れたけど。カルメ焼きに色をつけて、月の石そっくり。
部下に買いに行かせて、スタジオで、それを本物の展示と同じように3本脚で支えてターンテーブルに載せて回して、スポットライト当てた。スタジオにはお客を入れてるねんけれど、「あっ、月の石や、見てみ」って言ってる。ほんで、そこに入っていって、ケースをちょっとあけて、がーっと食うたってん(笑)。「わーっ、えらいことする!」。実はお菓子やったという、そんなことをやったんや。おもろかったでぇ。
(聞き書き・こぼら)
思い出の深いのは、万博開幕前から始まった『経済ワンセット エキスポニッポン』という番組、スポンサーのN証券は、わりあい自由にやらせてくれたね。
万博が始まった頃やったけど、お客さんがゲートでずらっと並んでるねん。その人たちが、ゲートが開くやいなや、早くお目当てのパビリオンに向かって、走り出すわけや。それで、おれ、思いついた。競馬で、はじめにパッパカパーゆうてから、ガシャーンっとスタートするところがあるやろ。あの音を、万博のゲートの開くときの映像にかぶせて流したったんや。これは受けた(笑)。
月の石を食わせるっていうのもやった。え、何かって?アメリカ館はものすごいPRしていて、マスコミもとりあげるから、月の石に人気があったやろ。大阪に、その月の石にそっくりのお菓子をつくって、売ってるところがあるということがわかったんや、どこだったか忘れたけど。カルメ焼きに色をつけて、月の石そっくり。
部下に買いに行かせて、スタジオで、それを本物の展示と同じように3本脚で支えてターンテーブルに載せて回して、スポットライト当てた。スタジオにはお客を入れてるねんけれど、「あっ、月の石や、見てみ」って言ってる。ほんで、そこに入っていって、ケースをちょっとあけて、がーっと食うたってん(笑)。「わーっ、えらいことする!」。実はお菓子やったという、そんなことをやったんや。おもろかったでぇ。
(聞き書き・こぼら)
2007/03/04のBlog
[ 15:40 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
万博当時は、入社して約十年、働き盛りの35歳。まだパビリオンが建設中のうちから、会場内に記者クラブがつくられ、閉会するまでほとんど会社には行かず、ずっとそこに詰めていたそうです。毎日、パビリオンができあがっていくようすは、「毒キノコがにょきにょき出てくるような感じやったわ」。
シロウトの8ミリでもみんな興奮するんだから、プロの映像があれば、と誰でも思うのですが、1970年頃というのは、まだVTRのフィルムが高く、さすがのテレビ局でも使いまわしていたのだそうです(皆様の受信料で成り立っている、どこぞの公共放送は別だろうけど)。ですから残念ながら、この当時の番組VTRはほとんど残っていないのです。では、どんな番組をやっていたのか、知る方法は・・・驚くべきは、このKさん宅に、万博関連番組の台本が残されていました。さすがにガリ版からは一歩すすんでいますが、まだ文字はまだ手書きです。ふと目にしたのが、わざわざ<カラー多元中継>と冠がついている台本。えっ、放送時間は3月14日の午前10時半~午後1時半。そうか、開会式をまるまる放送しているんだ!こういう番組が成り立つほどに、万博が注目されていたのですね。
2007/03/03のBlog
[ 11:45 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
このブログの連載企画を知ったのをきっかけに、店に来た客に「千里万博の思い出」を問うようになった。やはり地元だ。大抵の人がしばし盛り上がってくれる。これで客の年齢や人となりも見当がつく。
今日の女性客は「大学1年で初デートだったわ。家を出るとき何処へも誰ととも言わなかったのに、万博で姉にバッタリ会ったの」「えーあのすごい人並みの広大な会場で家族と偶然会うなんてあるんですか!」「そりゃあびっくりしたわよ。姉の相手、前の人と違ってたわ、でも姉妹ともあの時の相手が夫。食事?どこも混んでいたわね。キッコーマンのレストランを覚えてるわ」
私は当時地方出のビンボー学生。入学時世話になった兄の友人が誘ってくれたのだがこの人が苦手だった。色白、関西のぼんで物静か…なのだ。沈黙が続く万博見学は拷問だった。何を見たのか、何を食べたのか覚えていない。救いは夕方入場のチケットだったこと。
80年代半ばから私は万博公園に隣接して住んでいるが、子どもが小さい頃は四季折々何度も出かけた。本当に広い。遊び方はいくらでもある。あるときは緑探しゲーム。葉はこんなにも種類があったのかと驚く。パビリオン跡地には記念プレートが埋め込んである。プレートを探し出すスタンプラリーも楽しいゲームだった。実際に並んでやっと入場できたパビリオンなら当時の汗まで蘇ってくるのかも知れない。当時を知らなくてもプレートから想像が膨らむ。いつも子どもより自分が楽しんでいたような気がする。
万博跡地利用の数ある案の中から「緑に包まれた文化公園に」と決定したのは閉幕直後だったという。「30年で森をつくってほしい」と依頼された造園業吉村元男さん(現鳥取環境大学教授)は、森を三つの型に分け、シイやカシなど常緑樹中心の「密生林」、クヌギやコナラなど落葉樹が主体の「疎生林」、そして広大な芝生にムクやエノキなどがある「散開林」、と森の表情に変化をつけたそうだ。
吹田に万博公園が<ある>幸せを思うと、吹田操車場跡地を緑の森に、というナショナルトラスト運動には賛同したい。私も地主になろう!
(by sutan)
パビリオン記念碑を探すウオークラリー:「基本コース」は園内33ヵ所、所要時間2~3時間。「チャレンジコース」はエキスポランド(別途入場料が必要)を含む88ヵ所、同4~5時間。入場受付で申し込めば、記念碑に埋め込まれている刻印を鉛筆などでこすって写しとるスクラッチブックが無料でもらえる。
今日の女性客は「大学1年で初デートだったわ。家を出るとき何処へも誰ととも言わなかったのに、万博で姉にバッタリ会ったの」「えーあのすごい人並みの広大な会場で家族と偶然会うなんてあるんですか!」「そりゃあびっくりしたわよ。姉の相手、前の人と違ってたわ、でも姉妹ともあの時の相手が夫。食事?どこも混んでいたわね。キッコーマンのレストランを覚えてるわ」
私は当時地方出のビンボー学生。入学時世話になった兄の友人が誘ってくれたのだがこの人が苦手だった。色白、関西のぼんで物静か…なのだ。沈黙が続く万博見学は拷問だった。何を見たのか、何を食べたのか覚えていない。救いは夕方入場のチケットだったこと。
80年代半ばから私は万博公園に隣接して住んでいるが、子どもが小さい頃は四季折々何度も出かけた。本当に広い。遊び方はいくらでもある。あるときは緑探しゲーム。葉はこんなにも種類があったのかと驚く。パビリオン跡地には記念プレートが埋め込んである。プレートを探し出すスタンプラリーも楽しいゲームだった。実際に並んでやっと入場できたパビリオンなら当時の汗まで蘇ってくるのかも知れない。当時を知らなくてもプレートから想像が膨らむ。いつも子どもより自分が楽しんでいたような気がする。
万博跡地利用の数ある案の中から「緑に包まれた文化公園に」と決定したのは閉幕直後だったという。「30年で森をつくってほしい」と依頼された造園業吉村元男さん(現鳥取環境大学教授)は、森を三つの型に分け、シイやカシなど常緑樹中心の「密生林」、クヌギやコナラなど落葉樹が主体の「疎生林」、そして広大な芝生にムクやエノキなどがある「散開林」、と森の表情に変化をつけたそうだ。
吹田に万博公園が<ある>幸せを思うと、吹田操車場跡地を緑の森に、というナショナルトラスト運動には賛同したい。私も地主になろう!
(by sutan)
パビリオン記念碑を探すウオークラリー:「基本コース」は園内33ヵ所、所要時間2~3時間。「チャレンジコース」はエキスポランド(別途入場料が必要)を含む88ヵ所、同4~5時間。入場受付で申し込めば、記念碑に埋め込まれている刻印を鉛筆などでこすって写しとるスクラッチブックが無料でもらえる。
2007/03/02のBlog
[ 20:07 ]
[ 館長ノート ]
吹田の景観展の講演会に外国カードを一枚加えることにしました。
ミンパクに10数人からなるオーストラリア研究グループがあり、現在、統括役は久保正敏さん、コンピュ-タ屋の視点からオーストラリア社会、ことにアボリジニ文化について興味深い論文をものしています。
日時:2007年5月20日(日)14:00~
テーマ:「ワニと暮らす人々-アボリジニの事例-」
場所:吹田市立博物館講座室
久保先生のプロフィールは、こちら→みんぱくHP。
ミンパクに10数人からなるオーストラリア研究グループがあり、現在、統括役は久保正敏さん、コンピュ-タ屋の視点からオーストラリア社会、ことにアボリジニ文化について興味深い論文をものしています。
日時:2007年5月20日(日)14:00~
テーマ:「ワニと暮らす人々-アボリジニの事例-」
場所:吹田市立博物館講座室
久保先生のプロフィールは、こちら→みんぱくHP。
北海岸のアーネムランド中央部にマニングリダの町があり、その管轄地にあるアウト・ステーションと呼ばれる三〇人前後のムラが研究グループの主要なフィールドだった。熱帯のこの地には、海水性のクロコダイル(イリエワニ)と、体長3mくらいまでの淡水性のクロコダイルの二種がいます。問題は巨大で凶暴なイリエワニ。
村人たちとワニの話をすると、大変盛り上がる。浜辺のムラでは「昔、大きなヤツが河口に紛れ込んできて、毎朝このあたりを散歩していた。身体を引きずったあとは溝のよう、横に大きな爪痕、追いかけられたときはすごいスピードだった」「嘘やん」「ほんとだ」。川沿いのムラでは「ワニは賢くてな、水の中からじっと観てるんだ。こちらの行動パタ-ンが分かってからおそう。だから規則正しく生活しないこと」「?」。犬が食われたという話、遠いムラの浜辺で老女がおそわれたという話、川縁で「あれ、ワニかな」などと呟かれるとぞっとする。
いま、イリエワニが少ないのは、盛んに駆除が行われた時期があったからのようだ。その時の彼らの反応が奇妙だった。白人にはワニは危険物以外の何者でもないが、彼らは、「そうではない、正しいlook after(世話)の方法がある、そのための歌や踊りのある儀礼がある」。長老はワニのウジャウジャいる川を渡る方法を教えてくれた(よう渡らなんだけど)。
村人たちとワニの話をすると、大変盛り上がる。浜辺のムラでは「昔、大きなヤツが河口に紛れ込んできて、毎朝このあたりを散歩していた。身体を引きずったあとは溝のよう、横に大きな爪痕、追いかけられたときはすごいスピードだった」「嘘やん」「ほんとだ」。川沿いのムラでは「ワニは賢くてな、水の中からじっと観てるんだ。こちらの行動パタ-ンが分かってからおそう。だから規則正しく生活しないこと」「?」。犬が食われたという話、遠いムラの浜辺で老女がおそわれたという話、川縁で「あれ、ワニかな」などと呟かれるとぞっとする。
いま、イリエワニが少ないのは、盛んに駆除が行われた時期があったからのようだ。その時の彼らの反応が奇妙だった。白人にはワニは危険物以外の何者でもないが、彼らは、「そうではない、正しいlook after(世話)の方法がある、そのための歌や踊りのある儀礼がある」。長老はワニのウジャウジャいる川を渡る方法を教えてくれた(よう渡らなんだけど)。
かれらはどうもワニと人とを区別してないらしい。ワニをクラン(氏族)のトーテム(祖先)としている人たちもいる。ワニは食糧にされることもあるが、そんな人は、どんなに飢えていても口にしないという。動物が祖先というのはキリスト教文化の白人は理解できないようだが、飯のあと寝転がっていてウシになったり、ツルを女房にしたりしていた日本人には、わりとあっさり分かるような気がした。
ワニと暮らした人々と暮らしたわたしたち。久保先生の話に、私も加わって、かつてのフィールドワークの日々を語ってみたいと思います。
(カンチョー)
写真上:ワニの樹皮画 (中央アーネムランド)民博所蔵
写真中:ワニがすむ川 (撮影:2004.8.)
写真下:ムラの女性たちと (撮影:2004.8.)
ワニと暮らした人々と暮らしたわたしたち。久保先生の話に、私も加わって、かつてのフィールドワークの日々を語ってみたいと思います。
(カンチョー)
写真上:ワニの樹皮画 (中央アーネムランド)民博所蔵
写真中:ワニがすむ川 (撮影:2004.8.)
写真下:ムラの女性たちと (撮影:2004.8.)
2007/03/01のBlog
[ 23:30 ]
[ 07EXPO70・わたしと万博 ]
かの有名な大阪万博に僅差で参加できなかった70年代生れにとって、バンパクといえば遊園地(なぜか我が家が遊びに行くと必ず雨が降った)と太陽の塔!なのです。そんな小学生だった元奈良県民(いまは他県に出稼ぎ中)には、あの塔の中身が展示室になっているとは全く予想外、最近まで知りませんでした。そして、そして、どうやら往時は「バンパク美術展」なるプロジェクトによって美術家たちにがんがん作品制作・発表の機会が与えられたらしいということも、某美術館で現代美術展を担当してはじめて知った新知見でありました。正確には万博美術館(パビリオン?)で「調和の発見」というテーマで41カ国630点を展示した展覧会と、「現代の飛躍」に124人(うち日本人36人)の作家を招聘しての現代美術展が開催されたということですが、どなたかお覚えありますか?
バンパク前夜の1950~60年代は日本の現代美術がたいへん元気!独自のムーブメントが生れ、たくさんの新しい試みが生れた、いわば日本美術の黄金時代でもありました。(関西では「具体」が有名ですよね。)当時のとんがったアーティストたちは政府?の莫大な予算を投じてのめったにない特需を歓迎しつつも、「質より量」的な発注をされる制作の現場にちょっと反発を感じたり‥複雑な感慨をもったようです。いずれにせよ、このバンパク美術展を契機に日本に美術界が根付いたということは、やっぱり「文化振興」って可能だし、有意義なのですよ。がんばれ、ハクブツカン!
(へぐり)
バンパク前夜の1950~60年代は日本の現代美術がたいへん元気!独自のムーブメントが生れ、たくさんの新しい試みが生れた、いわば日本美術の黄金時代でもありました。(関西では「具体」が有名ですよね。)当時のとんがったアーティストたちは政府?の莫大な予算を投じてのめったにない特需を歓迎しつつも、「質より量」的な発注をされる制作の現場にちょっと反発を感じたり‥複雑な感慨をもったようです。いずれにせよ、このバンパク美術展を契機に日本に美術界が根付いたということは、やっぱり「文化振興」って可能だし、有意義なのですよ。がんばれ、ハクブツカン!
(へぐり)
2007/02/28のBlog
[ 20:00 ]
[ イベント予告 ]
昨日の居酒屋たんぽぽでも話題にあがっていたようですが、
浜屋敷で以下の講座があります。ご参加をお待ちしております。
3月8日(木)18:30~20:00
「縄文の翡翠と琥珀の物語」
講師:馬宇志彩奈(バウシ・イローナ)さん
(写真 ヒスイ海岸でヒスイを探索中?のイローナさん)
イローナさんは、オランダのご出身で、日本の考古学を研究、とくに縄文のヒスイがご専門です(日本人でも難解な日本考古学の文献を、日本語ですらすら読んでいらっしゃいます)。現在、京都の総合地球環境学研究所(地球研)で研究されています。
参加500円。申込み06-4860-9731
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckbni208/ibento.htm
詳しくは、浜屋敷のHP↑をご覧ください。
「カンチョーの乱入が期待されている」とのことですが、コメントにも書きましたように、スケジュールはちゃんとおさえております!問題はちゃんとたどり着けるかどうか・・・クルマで行くからだめなのかな~先日は、地図もちゃんと持ってでかけたんですが、わかんなくなってしまったそうです。
乱入はカンチョーだけではありません。
昨年「吹田の景観を掘りおこす」シンポジウムでお世話になった内山純蔵先生も、おこしくださるそうです。内山先生は、本日2月28日に京都の昭和堂から『縄文の動物考古学―西日本の低湿地遺跡から見えてきた生活像』を出されました。http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/mokuroku/catalog/rekisi.html#ISBN978-4-8122-0710-9
縄文の人びとは、なにを食べ、どのように日々の糧をえ、いかに自然と関わっていたのか?を、動物考古学から解明しようとした意欲的な本です。ぜひご一読ください。
(本の帯にカンチョーの推薦文がついてます。)
(こぼら)
浜屋敷で以下の講座があります。ご参加をお待ちしております。
3月8日(木)18:30~20:00
「縄文の翡翠と琥珀の物語」
講師:馬宇志彩奈(バウシ・イローナ)さん
(写真 ヒスイ海岸でヒスイを探索中?のイローナさん)
イローナさんは、オランダのご出身で、日本の考古学を研究、とくに縄文のヒスイがご専門です(日本人でも難解な日本考古学の文献を、日本語ですらすら読んでいらっしゃいます)。現在、京都の総合地球環境学研究所(地球研)で研究されています。
参加500円。申込み06-4860-9731
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckbni208/ibento.htm
詳しくは、浜屋敷のHP↑をご覧ください。
「カンチョーの乱入が期待されている」とのことですが、コメントにも書きましたように、スケジュールはちゃんとおさえております!問題はちゃんとたどり着けるかどうか・・・クルマで行くからだめなのかな~先日は、地図もちゃんと持ってでかけたんですが、わかんなくなってしまったそうです。
乱入はカンチョーだけではありません。
昨年「吹田の景観を掘りおこす」シンポジウムでお世話になった内山純蔵先生も、おこしくださるそうです。内山先生は、本日2月28日に京都の昭和堂から『縄文の動物考古学―西日本の低湿地遺跡から見えてきた生活像』を出されました。http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/mokuroku/catalog/rekisi.html#ISBN978-4-8122-0710-9
縄文の人びとは、なにを食べ、どのように日々の糧をえ、いかに自然と関わっていたのか?を、動物考古学から解明しようとした意欲的な本です。ぜひご一読ください。
(本の帯にカンチョーの推薦文がついてます。)
(こぼら)
2007/02/27のBlog
[ 23:53 ]
[ 居酒屋たんぽぽ ]
今年2回目の「居酒屋たんぽぽ」
①4月4日(水)~10(火)午前10時~午後8時
松坂屋高槻店(4階サロンカトレア特設会場)で
「程一彦のおいしい世界展」があります。
②(社)CISV日本協会関西支部では
カナダ(トロント)7月6日~8月2日、
ドイツ(ダームシュタット)7月13日~8月9日
のサマーキャンプ参加者:11歳ビレッジ男児2名、女児4名、引率リーダー男1名、女2名の募集をしてます。引率リーダーは派遣時21歳以上です。
http://www12.ocn.ne.jp/~cisv/newnews.htm
③浜屋敷では
★3月3日(土)午前11時~午後3時
「みんなで楽しいひなまつり」をします。参加無料。申込み不要。
★3月4日(日)午後1時半~4時
「クラシックCDコンサート」をします。参加500円。申込み06-4860-9731
★3月8日(木)午後6時半~8時
「縄文の翡翠と琥珀の物語」講師:馬宇志彩奈(バウシ・イローナ)さん
参加500円。申込み06-4860-9731
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckbni208/ibento.htm
④すいた市民環境会議は「吹田操車場跡地について」提言しました。
ナショナル・トラスト方式で市民が土地を購入して森にしましょう。
http://www3.big.or.jp/~sskk/suisoato.htm
⑤浜屋敷の新機軸「吹田まち案内人」の催しがあり、本日、旧吹田村を歩いた様子(DVD)をきょうちゃんが上映してくださいました。西尾邸では館長の三浦さんがじきじきパネルの説明をなさっていました。
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckbni208/poster81.html
その他現在の医療、介護の背景・・・見えにくいところを語り合いました。
PS
3月8日の浜屋敷「縄文の翡翠と琥珀の物語」ではカンチョー乱入が期待されています。
おーぼら
①4月4日(水)~10(火)午前10時~午後8時
松坂屋高槻店(4階サロンカトレア特設会場)で
「程一彦のおいしい世界展」があります。
②(社)CISV日本協会関西支部では
カナダ(トロント)7月6日~8月2日、
ドイツ(ダームシュタット)7月13日~8月9日
のサマーキャンプ参加者:11歳ビレッジ男児2名、女児4名、引率リーダー男1名、女2名の募集をしてます。引率リーダーは派遣時21歳以上です。
http://www12.ocn.ne.jp/~cisv/newnews.htm
③浜屋敷では
★3月3日(土)午前11時~午後3時
「みんなで楽しいひなまつり」をします。参加無料。申込み不要。
★3月4日(日)午後1時半~4時
「クラシックCDコンサート」をします。参加500円。申込み06-4860-9731
★3月8日(木)午後6時半~8時
「縄文の翡翠と琥珀の物語」講師:馬宇志彩奈(バウシ・イローナ)さん
参加500円。申込み06-4860-9731
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckbni208/ibento.htm
④すいた市民環境会議は「吹田操車場跡地について」提言しました。
ナショナル・トラスト方式で市民が土地を購入して森にしましょう。
http://www3.big.or.jp/~sskk/suisoato.htm
⑤浜屋敷の新機軸「吹田まち案内人」の催しがあり、本日、旧吹田村を歩いた様子(DVD)をきょうちゃんが上映してくださいました。西尾邸では館長の三浦さんがじきじきパネルの説明をなさっていました。
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckbni208/poster81.html
その他現在の医療、介護の背景・・・見えにくいところを語り合いました。
PS
3月8日の浜屋敷「縄文の翡翠と琥珀の物語」ではカンチョー乱入が期待されています。
おーぼら
2007/02/26のBlog
[ 13:45 ]
[ 館長ノート ]
3万人の跫音で、お約束していた賞品を、飛騨高山でみつくろってきました。
●1.ズバリあたったde賞
「角正」という由緒ある料理屋さんの一位(イチイ)製の雷除箸
この箸は、「角正」で食べないと、もらえないお箸です。箸だけを買うことはできないのですが、ぼくちゃんがおかみに頼み込んで、特別にもらってきました。イチイの木の箸で食べると、雷よけ、そして健康によいという言い伝えがあるそうです。
(こぼらのつぶやき…カンチョーは「ぼくちゃんのルックスがいいからもらえた」と主張していますが、どうなんだか?)
●2.副賞
高山名菓げんこつあめ
どしどしコメントに書き込んで、ご応募ください!!
※3万人達成日の予想があたった方は、このブログで発表しますので、ご自分で直接、吹田市立博物館まで受け取りにお越しください。
※正解者多数の場合は…早い者勝ちにしよっかな?「げんこつあめ」をわけっこしてもらおっかな?
(カンチョー+こぼら、okkun)
●1.ズバリあたったde賞
「角正」という由緒ある料理屋さんの一位(イチイ)製の雷除箸
この箸は、「角正」で食べないと、もらえないお箸です。箸だけを買うことはできないのですが、ぼくちゃんがおかみに頼み込んで、特別にもらってきました。イチイの木の箸で食べると、雷よけ、そして健康によいという言い伝えがあるそうです。
(こぼらのつぶやき…カンチョーは「ぼくちゃんのルックスがいいからもらえた」と主張していますが、どうなんだか?)
●2.副賞
高山名菓げんこつあめ
どしどしコメントに書き込んで、ご応募ください!!
※3万人達成日の予想があたった方は、このブログで発表しますので、ご自分で直接、吹田市立博物館まで受け取りにお越しください。
※正解者多数の場合は…早い者勝ちにしよっかな?「げんこつあめ」をわけっこしてもらおっかな?
(カンチョー+こぼら、okkun)
[ 11:57 ]
[ 館長ノート ]
春の特展についてはこれまでゾウやワニのことばかり書いてましたが、けっしてゾウばかりではありません。他のこともやります。
金関恕先生に講演をお願いするために弥生時代研究の総本山、大阪府立弥生文化博物館へ、タカハシ君といってきました。
先生は最近、タミル語の大野晋さんと共著で『考古学・人類学・言語学との対話-日本語はどこから来たのか』というたいへん刺激的な本を出版されています。(写真右上)
弥生時代になって、水田稲作という強力な生産技術が大陸から導入され、日本各地に急速に広がります。コメは熱帯性の植物ですが、モンスーン帯にある温帯(とくに西日本)性気候にも適した作物だったようです。その結果、それ以前にはほとんど使われることのなかった湿地が水田として利用されるようになりました。取水、排水のための水路で画された水田という生産装置のちかくにヒトが集まり、定住的な村をつくります。背後の常緑の森(山)は、肥料、燃料、有用植物を利用するためにきられて、コナラやマツの二次林にかわりました。弥生時代から、人の手がよく入った風景、今の私たちの心に残るウサギおいしかの山的景観が作られ始めたのです。
金関恕先生に講演をお願いするために弥生時代研究の総本山、大阪府立弥生文化博物館へ、タカハシ君といってきました。
先生は最近、タミル語の大野晋さんと共著で『考古学・人類学・言語学との対話-日本語はどこから来たのか』というたいへん刺激的な本を出版されています。(写真右上)
弥生時代になって、水田稲作という強力な生産技術が大陸から導入され、日本各地に急速に広がります。コメは熱帯性の植物ですが、モンスーン帯にある温帯(とくに西日本)性気候にも適した作物だったようです。その結果、それ以前にはほとんど使われることのなかった湿地が水田として利用されるようになりました。取水、排水のための水路で画された水田という生産装置のちかくにヒトが集まり、定住的な村をつくります。背後の常緑の森(山)は、肥料、燃料、有用植物を利用するためにきられて、コナラやマツの二次林にかわりました。弥生時代から、人の手がよく入った風景、今の私たちの心に残るウサギおいしかの山的景観が作られ始めたのです。
村が集まって小さなクニになり、離合集散をくり返しながら統一されて、大陸と外交関係を持つ国にそだっていきました。3世紀末の日本について、魏志倭人伝は、女王が鬼道をつかって、民を惑わし、国を治めていたと書かれています。また、彼女が死んだ後、男の王を立てたら、国が乱れたので、再び女の王を立てたらようやく治まったとあります。
鬼道とは、霊や魂と交流できるシャーマンのようなものでしょう。また、女じゃなければ国が治まらなかったのもおもしろい。超自然的な力、女性による統治、コミュニケーションはどんな言葉をつかったか、女王の服装やおしゃれにいたるまで金関先生との話は尽きることがありませんでした。
ヤマタイ国は九州にあったのか、近畿なのか。
もし近畿なら、吹田はヤマタイ国のどこにあったのでしょうと聞いたら、そんな事を講演のあとのトークでみなさんとお話できると楽しいでしょうねと先生はおっしゃいました。4月22日(日)の講演会「鬼道につかえた卑弥呼」が楽しみです。
(カンチョー)
写真下は、弥生文化博物館が復原した卑弥呼
(平成10年特別展「卑弥呼の宝石箱-ちょっとオシャレな弥生人-」
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/data3.htmlより)
鬼道とは、霊や魂と交流できるシャーマンのようなものでしょう。また、女じゃなければ国が治まらなかったのもおもしろい。超自然的な力、女性による統治、コミュニケーションはどんな言葉をつかったか、女王の服装やおしゃれにいたるまで金関先生との話は尽きることがありませんでした。
ヤマタイ国は九州にあったのか、近畿なのか。
もし近畿なら、吹田はヤマタイ国のどこにあったのでしょうと聞いたら、そんな事を講演のあとのトークでみなさんとお話できると楽しいでしょうねと先生はおっしゃいました。4月22日(日)の講演会「鬼道につかえた卑弥呼」が楽しみです。
(カンチョー)
写真下は、弥生文化博物館が復原した卑弥呼
(平成10年特別展「卑弥呼の宝石箱-ちょっとオシャレな弥生人-」
http://www.kanku-city.or.jp/yayoi/data3.htmlより)
2007/02/21のBlog
[ 22:28 ]
[ 館長ノート ]
本日で28,000+のアクセス。「千里NTが・・・」のブログが3万を超えたときokkunが、ブログを入場者にカウントすべきだ、そうすると5万人。と興奮していたのを思い出します。このブログは最近は200を超える日も珍しくなくなりました。とくに、「わたしと万博」が好評のようで、取材をしていて、万博の話をしはじめると、止まらなくなる人が多い。万博はそれほどのインパクトがあったのですね。これから、もっともっとおもしろい話が集まるだろうと思います。秋の展覧会では5万の入館者も夢ではないと思うようになりました。
●そこでクイズ・・・、3万突破は○月○日でしょう?(賞品だしてもいいけど)
カンチョー
●そこでクイズ・・・、3万突破は○月○日でしょう?(賞品だしてもいいけど)
カンチョー
[ 19:10 ]
[ 館長ノート ]
1.5万年前頃の氷河期のピークのあと、地球はどんどん温暖化しました。その結果、海面がもりあがって、内陸に押し入ってきました。今わたしたちが、地球温暖化についておびえているような現象が、現実に起こったのです。その結果、日本列島はやせ細り、北で樺太とつながっていた陸橋も消えて大陸から隔絶されてしまいました。
縄文時代は1.3万年前ころ土器が発明されて始まりました。大型動物がいなくなったので(シカ、イノシシなどの中型獣はのこりましたが)、主食を肉から植物へと変えなければならなかった。
温暖化のため、森は東日本では針葉樹林から落葉樹林へとかわり、もっと暖かかった西日本では照葉樹林になりました。さいわい、ここでは食料となる植物の種類が多く、育ちやすかった(とくに落葉樹林で)。植物の毒やアクをとりのぞき、デンプンをアルファ化して、消化しやすくするには、土器で煮沸することが効果的だったのです。そして、量がおおい植物食が開発されたことによって、人口が増加していったのです。
・・・ということで縄文人は温暖化に困ることはなかった。
縄文時代は1.3万年前ころ土器が発明されて始まりました。大型動物がいなくなったので(シカ、イノシシなどの中型獣はのこりましたが)、主食を肉から植物へと変えなければならなかった。
温暖化のため、森は東日本では針葉樹林から落葉樹林へとかわり、もっと暖かかった西日本では照葉樹林になりました。さいわい、ここでは食料となる植物の種類が多く、育ちやすかった(とくに落葉樹林で)。植物の毒やアクをとりのぞき、デンプンをアルファ化して、消化しやすくするには、土器で煮沸することが効果的だったのです。そして、量がおおい植物食が開発されたことによって、人口が増加していったのです。
・・・ということで縄文人は温暖化に困ることはなかった。
気候の温暖化によって吹田付近の景色はどのように変わったのでしょう。寒い頃、川がながれ湖沼と草原が広がって、ナウマンゾウやオオツノジカが歩き回っていた瀬戸内海は海になってしまいました。森は現在とあまり変わらなかったようです。海岸は五反島遺跡の付近まで押し寄せてきていました。そこで縄文人は、貝、魚、海獣、海藻などの海資源を積極的に開発したのです。タンパク源は、前の時代より楽に手に入れられるようになったでしょう。
絵(右):画・秋元宏さん「約5000年前の吹田」
絵(右):画・秋元宏さん「約5000年前の吹田」
吹田市で、現在発見されている縄文時代の遺跡は13ケ所、千里丘陵の東麓から平野部にかけて分布しており、縄文時代のほぼ全期間にわたって、人が住んでいたようです。
吹田市では本格的な縄文時代の発掘が行われていないので、集落の遺構やまとまった遺物は発見されていません。だから、どのように村をつくり、家を建て、ものを貯蔵し、死者を埋葬し、儀式を行っていたかは、ほとんどわかっていません。
しかし、道具類を見ると、矢先につける石の鏃、槍先につかった先頭器、動物の皮を剥いだり、肉をきったスクレイパーなどが出ていることから、狩猟を行っていたことは確実です。また、人工遺物は見つかっていないのですが、五反島遺跡からは、砂浜でとれるハマグリ、マガキ、オオノガイ、やや深いところにいるアカニシなどの貝類(写真下)やウシサワラなど魚の骨が見つかっているので、漁労もやっていたことがわかります。気候の温暖化がピークに達した7000~6000年前に海面が上昇して、今の大阪市の平野部は浅い湾(古河内湾と呼ばれている)になっていたので、海資源の開発が始められたのでしょう。
近隣遺跡のありかたを参考にすると、西日本の遺跡は東日本と比べて、規模が小さく、遺物も少ないことがわかります。東日本の縄文社会が定住的でしっかりしたムラをつくったのに対し、よく移動する生活が長く続いたようです。
しかし、縄文時代が終わりに近づくにつれて、遺跡数は増えていき、本格的な稲作が導入された弥生時代以降は、人口がぐんぐん増え、日本の中核となる地域に育っていくのです。
(カンチョー)
吹田市では本格的な縄文時代の発掘が行われていないので、集落の遺構やまとまった遺物は発見されていません。だから、どのように村をつくり、家を建て、ものを貯蔵し、死者を埋葬し、儀式を行っていたかは、ほとんどわかっていません。
しかし、道具類を見ると、矢先につける石の鏃、槍先につかった先頭器、動物の皮を剥いだり、肉をきったスクレイパーなどが出ていることから、狩猟を行っていたことは確実です。また、人工遺物は見つかっていないのですが、五反島遺跡からは、砂浜でとれるハマグリ、マガキ、オオノガイ、やや深いところにいるアカニシなどの貝類(写真下)やウシサワラなど魚の骨が見つかっているので、漁労もやっていたことがわかります。気候の温暖化がピークに達した7000~6000年前に海面が上昇して、今の大阪市の平野部は浅い湾(古河内湾と呼ばれている)になっていたので、海資源の開発が始められたのでしょう。
近隣遺跡のありかたを参考にすると、西日本の遺跡は東日本と比べて、規模が小さく、遺物も少ないことがわかります。東日本の縄文社会が定住的でしっかりしたムラをつくったのに対し、よく移動する生活が長く続いたようです。
しかし、縄文時代が終わりに近づくにつれて、遺跡数は増えていき、本格的な稲作が導入された弥生時代以降は、人口がぐんぐん増え、日本の中核となる地域に育っていくのです。
(カンチョー)
2007/02/19のBlog
[ 22:48 ]
[ 館長ノート ]
吹田の酒づくり
摂津
摂津