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2008/03/15のBlog
[ 20:35 ]
[ 文学 ]
私にとって、「大切な小説」を書く小説家の条件のひとつに、「異性の登場人物をどれだけ魅力的に描いているか」というのがある。男性の小説家なら女の登場人物を、女性の小説家ならどれだけ男の登場人物を面白く魅力的に描いているか、が小説家の大切な腕の見せ所の一つではないか、と思ってきた。自分が忘れることのできないヒロインたちを生み出した作家の男女比を思い返すと、圧倒的に男の小説家の小説のほうが多かったように思う。女性の描いたヒロインで忘れられないのもいっぱいいるが、自分が女性であるせいか、「男性が描いた」、というだけで、「この人は男性なのに、なぜにここまで女性の気持ちを正確に描き出すことができるのか??」という不可思議さにいつまでも悩まされるからかもしれない。
その本を読むずいぶん前から、自分にとって親しいヒロインになるに違いない、と感じていたヒロインがいる。名前は「テレーズ・デスケルウ」(モーリアック著)。15年ほど前、雑誌か何かで、故遠藤周作氏が、この本の女主人公について書いていたのを読んで、その人物像に惹きつけられ、「いつか読んでみたい。」とずっと頭の片隅で思ってきた。その後すぐに村松 剛氏訳の単行本を買ったことは買ったのだが、生来のズボラな性格から、「買った以上はいつでも読める」などと言い訳しながらうっちゃっていた。だが最近、本屋で遠藤周作本人が訳した「テレーズ・デスケルウ」を見つけ、15年前の文章を突然思い出し、氏の訳で、「今こそ本当に読んでみたい」、という気持ちになり、改めて購入して読むことになった。その小説のあらすじはこうである・・・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・テレーズは、古い因習に縛られた村で成長し、やがて、自分の家柄の家名とつりあった家柄の男と結婚する。テレーズには、発達した経済観念や財産への執着もあったため、この結婚をさほど悪いものとは考えていなかった。夫は常識的で面白みの無い男だと思っていたが、他の男よりも土地を持っており、学歴もある分、随分ましだとテレーズは思っていた。彼女は幼いころから内面に抱えていたある種の空虚さから、相手が誰であれ、愛情のよろこびに身を任せたり、喜びの感情に満たされたりすることが自分に起きるなど、鼻から信じていなかった。このように醒めた性格だったため、常に周囲の人々の考えや感情の動きを、ただただシニカルに傍観しているようなところが彼女にはあった。旦那との夫婦関係も、精神的にも官能的にも喜びや陶酔をかんじることはなく、その行為の最中にも旦那の行為をただただ動物を眺めるかのような醒めた目で眺めているのだった。
子どもが生まれても、テレーズの気持ちに変化は起きなかった。妊娠中も、母性の喜びに身をひたすこともなく、ただただ「この子どもが生まれない方法があったなら」、という思いが頭をよぎるのだった。テレーズは古い因習と財産、世間体を保つためだけに腐心する常識的な夫とともに、茫漠として隔絶された田舎の村で日々暮らすことを、いつまでも続く苦役のように感じた。
そんなあるとき、テレーズの夫は、自分の心臓の調子が芳しくないのを払拭しようと、砒素療法を始める。砒素は、数滴なら心臓の薬になるらしいが、その限度を越すと猛烈な毒薬となる。ある昼下がり、テレーズは、夫が心そこにない様子で自分のコップに砒素を数滴たらしているのをぼんやりと見つめていた。そのとき、夫はテレーズにたずねる。「おれは今、砒素をコップに入れただろうか?」。このとき、テレーズは二倍の量の砒素を夫が服用しているのを黙ってやり過ごす。
夫はその後、瀕死の状況に陥り、テレーズが故意に自分を死なせようとしたことに気づくのだが・・・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という話である。なぜ、15年前、遠藤周作氏の文章を読んで、「この本を読みたい」と思ったか、といえば、氏が文中で、ある問いを立てていたからである。遠藤氏によれば、テレーズの夫はつねに常識的で実利的な冷たい夫として描かれているが、小説中、たった一箇所、テレーズが夫の「ある一面」を理解していなかった、ということが描かれているところがある、というのである。雑誌にはそれに続けて、「それが分かった人は私に手紙をくれ、当ったら私のサインをあげる」、というようなことが書かれていた。
今となっては、氏は他界し、もう手紙を出すこともできなくなったわけだが、私はこの小説を読んで、それはここではないか、と思われる場面に遭遇した。それは夫が服毒事件の後、短期間旅に出た後に帰宅し、出迎えた妻のやつれ変わり果てた姿を見た瞬間のことではないか、と思った。が、正解はもう確かめようもない。
しかし、人というのはなんと、(たとえ夫婦のような一番近しい人間同士であっても)、目の前にその人がいないと、自分の思ったようにその人物像を歪めてしまうことだろう・・・。否、たとえその人を目の前にしても、その人の真の姿に触れることはできず、それぞれが自分の思いばかりに囚われて、互いの言葉がすれ違って行き交うのである。しかしそんな人間たちの淋しい現実を受け入れたからこそ、このヒロインは最後には人を愛おしい、と思うようになるのかもしれない。久々に私にとって、再読の必要を強く感じさせる小説だった。
その本を読むずいぶん前から、自分にとって親しいヒロインになるに違いない、と感じていたヒロインがいる。名前は「テレーズ・デスケルウ」(モーリアック著)。15年ほど前、雑誌か何かで、故遠藤周作氏が、この本の女主人公について書いていたのを読んで、その人物像に惹きつけられ、「いつか読んでみたい。」とずっと頭の片隅で思ってきた。その後すぐに村松 剛氏訳の単行本を買ったことは買ったのだが、生来のズボラな性格から、「買った以上はいつでも読める」などと言い訳しながらうっちゃっていた。だが最近、本屋で遠藤周作本人が訳した「テレーズ・デスケルウ」を見つけ、15年前の文章を突然思い出し、氏の訳で、「今こそ本当に読んでみたい」、という気持ちになり、改めて購入して読むことになった。その小説のあらすじはこうである・・・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・テレーズは、古い因習に縛られた村で成長し、やがて、自分の家柄の家名とつりあった家柄の男と結婚する。テレーズには、発達した経済観念や財産への執着もあったため、この結婚をさほど悪いものとは考えていなかった。夫は常識的で面白みの無い男だと思っていたが、他の男よりも土地を持っており、学歴もある分、随分ましだとテレーズは思っていた。彼女は幼いころから内面に抱えていたある種の空虚さから、相手が誰であれ、愛情のよろこびに身を任せたり、喜びの感情に満たされたりすることが自分に起きるなど、鼻から信じていなかった。このように醒めた性格だったため、常に周囲の人々の考えや感情の動きを、ただただシニカルに傍観しているようなところが彼女にはあった。旦那との夫婦関係も、精神的にも官能的にも喜びや陶酔をかんじることはなく、その行為の最中にも旦那の行為をただただ動物を眺めるかのような醒めた目で眺めているのだった。
子どもが生まれても、テレーズの気持ちに変化は起きなかった。妊娠中も、母性の喜びに身をひたすこともなく、ただただ「この子どもが生まれない方法があったなら」、という思いが頭をよぎるのだった。テレーズは古い因習と財産、世間体を保つためだけに腐心する常識的な夫とともに、茫漠として隔絶された田舎の村で日々暮らすことを、いつまでも続く苦役のように感じた。
そんなあるとき、テレーズの夫は、自分の心臓の調子が芳しくないのを払拭しようと、砒素療法を始める。砒素は、数滴なら心臓の薬になるらしいが、その限度を越すと猛烈な毒薬となる。ある昼下がり、テレーズは、夫が心そこにない様子で自分のコップに砒素を数滴たらしているのをぼんやりと見つめていた。そのとき、夫はテレーズにたずねる。「おれは今、砒素をコップに入れただろうか?」。このとき、テレーズは二倍の量の砒素を夫が服用しているのを黙ってやり過ごす。
夫はその後、瀕死の状況に陥り、テレーズが故意に自分を死なせようとしたことに気づくのだが・・・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
という話である。なぜ、15年前、遠藤周作氏の文章を読んで、「この本を読みたい」と思ったか、といえば、氏が文中で、ある問いを立てていたからである。遠藤氏によれば、テレーズの夫はつねに常識的で実利的な冷たい夫として描かれているが、小説中、たった一箇所、テレーズが夫の「ある一面」を理解していなかった、ということが描かれているところがある、というのである。雑誌にはそれに続けて、「それが分かった人は私に手紙をくれ、当ったら私のサインをあげる」、というようなことが書かれていた。
今となっては、氏は他界し、もう手紙を出すこともできなくなったわけだが、私はこの小説を読んで、それはここではないか、と思われる場面に遭遇した。それは夫が服毒事件の後、短期間旅に出た後に帰宅し、出迎えた妻のやつれ変わり果てた姿を見た瞬間のことではないか、と思った。が、正解はもう確かめようもない。
しかし、人というのはなんと、(たとえ夫婦のような一番近しい人間同士であっても)、目の前にその人がいないと、自分の思ったようにその人物像を歪めてしまうことだろう・・・。否、たとえその人を目の前にしても、その人の真の姿に触れることはできず、それぞれが自分の思いばかりに囚われて、互いの言葉がすれ違って行き交うのである。しかしそんな人間たちの淋しい現実を受け入れたからこそ、このヒロインは最後には人を愛おしい、と思うようになるのかもしれない。久々に私にとって、再読の必要を強く感じさせる小説だった。
2008/03/02のBlog
[ 11:31 ]
[ プロパガンダ ]
関連するツナミンさんの記事
芸能人には、容姿で収入を得ている人も多い。そういう人が、タレント本などを出す場合、自分の姿を表紙に使用することはある意味当然の行為とも思える。しかし、最近は、容姿で収入を得るような生業についてない人でも、自著の表紙に自分の写真を使用している本を多く見かける。いや、テレビやインターネットなど、視覚による情報網が発達した今、容姿も込みで売り出すことで、本のイメージも左右される、ということかもしれず、本業がモデルやタレントでなくても、売れる容姿なら、収入の手段となりうる、ということかもしれない。きっと、顔写真を表紙にすることにためらいを感じない作家や学者、というのは、自らの容姿になんらかの自信を抱いている人たちなのであろう。
出版社にとっても、才色兼備に憧れる読者をターゲットにしたい場合や、「顔をテレビで見たことがあるから手にとってみよう」と思う読者に訴えるのに、このような表紙は大変効果的であると思われる。そのせいか、顔写真が表紙になる作家や学者は、一度ならず二度三度と自らの姿が表紙になっているように思う。
これは、その著者のルックスが(も)好き、という読者にとっては、有難く、戦略的にも正しい装丁なのであろう。私自身は、どんな美男美女でも、著者の顔写真が装丁された本は持ってて恥ずかしいのであまり好きではないのだが、表紙にどんな装画や写真を使うのも自由であるから、とくに思うこともなかったのであった。
しかし、そんな数々の、自著に著者自らの姿が映し出された本たちのなかにあって、刊行当時、「ぎょっ」と思わされたのが右上写真の本である。柳美里という作家の「命」という本であるが、この表紙には柳氏本人と、柳の子どもがうつしだされている。この写真から推測すると、おそらくこの子は生後半年にも満たないのではないかと見える。
柳本人が自著の表紙になることはいいのであるが、この子は、「自分が『本の表紙になる』ということがどうゆうことであるか」、を考えられるようにならないうちに本の表紙になってしまったのではないだろうか。この子が年頃になって、「なぜ僕の写真を使ったの?」と言い出さない保障はない。柳美里は、思春期の青少年のこころについて語ることの多い作家であるわけだが、その言動から推測すると、子ども一般のこころに敏感であろうとしてきた人なのではないかと思われる。しかしそんな人でも、母親になると、自分の子どものこころについて、少しばかり盲目になってしまうことがあるのであろうか。子どものいない私には推し量りきれない、謎の多い表紙である。
芸能人には、容姿で収入を得ている人も多い。そういう人が、タレント本などを出す場合、自分の姿を表紙に使用することはある意味当然の行為とも思える。しかし、最近は、容姿で収入を得るような生業についてない人でも、自著の表紙に自分の写真を使用している本を多く見かける。いや、テレビやインターネットなど、視覚による情報網が発達した今、容姿も込みで売り出すことで、本のイメージも左右される、ということかもしれず、本業がモデルやタレントでなくても、売れる容姿なら、収入の手段となりうる、ということかもしれない。きっと、顔写真を表紙にすることにためらいを感じない作家や学者、というのは、自らの容姿になんらかの自信を抱いている人たちなのであろう。
出版社にとっても、才色兼備に憧れる読者をターゲットにしたい場合や、「顔をテレビで見たことがあるから手にとってみよう」と思う読者に訴えるのに、このような表紙は大変効果的であると思われる。そのせいか、顔写真が表紙になる作家や学者は、一度ならず二度三度と自らの姿が表紙になっているように思う。
これは、その著者のルックスが(も)好き、という読者にとっては、有難く、戦略的にも正しい装丁なのであろう。私自身は、どんな美男美女でも、著者の顔写真が装丁された本は持ってて恥ずかしいのであまり好きではないのだが、表紙にどんな装画や写真を使うのも自由であるから、とくに思うこともなかったのであった。
しかし、そんな数々の、自著に著者自らの姿が映し出された本たちのなかにあって、刊行当時、「ぎょっ」と思わされたのが右上写真の本である。柳美里という作家の「命」という本であるが、この表紙には柳氏本人と、柳の子どもがうつしだされている。この写真から推測すると、おそらくこの子は生後半年にも満たないのではないかと見える。
柳本人が自著の表紙になることはいいのであるが、この子は、「自分が『本の表紙になる』ということがどうゆうことであるか」、を考えられるようにならないうちに本の表紙になってしまったのではないだろうか。この子が年頃になって、「なぜ僕の写真を使ったの?」と言い出さない保障はない。柳美里は、思春期の青少年のこころについて語ることの多い作家であるわけだが、その言動から推測すると、子ども一般のこころに敏感であろうとしてきた人なのではないかと思われる。しかしそんな人でも、母親になると、自分の子どものこころについて、少しばかり盲目になってしまうことがあるのであろうか。子どものいない私には推し量りきれない、謎の多い表紙である。
2008/02/15のBlog
[ 22:26 ]
[ 労働 ]
「こちらからは向こうが丸見えだが、向こうからはこちらが見えない」、、、この場合、優位に立っているのは、こちら側のような気がするが、それが当てはまらないのがテレビかもしれない。私はしょっちゅうテレビを見ているが、向こうはそんなこと知ったことではないだろう。向こうから私の行動は見えないのだが、なぜか力関係は私のほうが圧倒的に弱いのである。
しかし最近、こちらの方が優位に立っているような気にさせられる人がテレビにも出てくる。それはバラエティ番組などで、VTRが流れる際、画面の隅の小さな枠にそれを眺めるスタジオの面々が映し出されるときである。従来、テレビ画面上に小さな枠を見かけるときというのは、衛生中継などで離れたところにいる人とコミュニケーションしている様子が流れるときであったが、最近の小枠は意味が違う。
もともと、タレントがテレビに出てるときというのは、タレントが労働しているところを見せられているわけである。大勢のタレントが雛壇にずらりと並んでいるような番組も数多いが、そんな中、時間中、一言も発しない人がいる場合、カメラに撮られることだけがその人の労働ということになるのであろう。しかし、番組中別のVTRが流れ出すとどうか。そのときもはや、スタジオのタレントは「撮られる」、という労働すら消失するのである。
そこで導入された、(のかどうかは知らないが)、小枠にタレントがVTRを眺めている様子を映し出す、という手法。スポンサーにしてみれば、視聴率を稼いでもらうために莫大な出演料を払っているのに、VTR毎に遮られては対費用効果が薄れるから、番組の間中彼らの姿を映してほしい、と要望しているのだろうか。それとも、「VTRが流れる間もタレントは一応仕事をしている」、という局側のアリバイ作りなのか。急に表情が真剣になるところや、さも興味深げにVTRに見入る様子が抜き撮りされるわけだが、していることは視聴者と同じであることは否めない。衛生中継などと違い、殆どの場合、彼らの映像がなくても番組は成立すると思われる。
だが、出演タレントのファンの人からすればあの小枠は、憧れのタレントと同じVTRを眺めながら、彼らの表情を確かめつつ共感するためのツールなのかもしれない。確かに、ファンがたくさんいるようなタレントは、人気の熱量が高ければ高いほど、「存在している」ということだけで価値が生じ、何もしなくても労働が成立することもあるであろう。しかし、小枠に顔が映し出されることだけでは、まったく労働が成立しないようなタレントでも、あの瞬間ギャラは派生しているのである。そうである以上、小枠に映し出されている間にも笑わせたり感銘を与えたりしてほしいものだと思う。それが彼らの労働なのである。小枠の中の人々は、労働を監視されている、、、、、その錯覚がテレビにしては珍しく、こちらに優位を感じさせるのかもしれない。
しかし最近、こちらの方が優位に立っているような気にさせられる人がテレビにも出てくる。それはバラエティ番組などで、VTRが流れる際、画面の隅の小さな枠にそれを眺めるスタジオの面々が映し出されるときである。従来、テレビ画面上に小さな枠を見かけるときというのは、衛生中継などで離れたところにいる人とコミュニケーションしている様子が流れるときであったが、最近の小枠は意味が違う。
もともと、タレントがテレビに出てるときというのは、タレントが労働しているところを見せられているわけである。大勢のタレントが雛壇にずらりと並んでいるような番組も数多いが、そんな中、時間中、一言も発しない人がいる場合、カメラに撮られることだけがその人の労働ということになるのであろう。しかし、番組中別のVTRが流れ出すとどうか。そのときもはや、スタジオのタレントは「撮られる」、という労働すら消失するのである。
そこで導入された、(のかどうかは知らないが)、小枠にタレントがVTRを眺めている様子を映し出す、という手法。スポンサーにしてみれば、視聴率を稼いでもらうために莫大な出演料を払っているのに、VTR毎に遮られては対費用効果が薄れるから、番組の間中彼らの姿を映してほしい、と要望しているのだろうか。それとも、「VTRが流れる間もタレントは一応仕事をしている」、という局側のアリバイ作りなのか。急に表情が真剣になるところや、さも興味深げにVTRに見入る様子が抜き撮りされるわけだが、していることは視聴者と同じであることは否めない。衛生中継などと違い、殆どの場合、彼らの映像がなくても番組は成立すると思われる。
だが、出演タレントのファンの人からすればあの小枠は、憧れのタレントと同じVTRを眺めながら、彼らの表情を確かめつつ共感するためのツールなのかもしれない。確かに、ファンがたくさんいるようなタレントは、人気の熱量が高ければ高いほど、「存在している」ということだけで価値が生じ、何もしなくても労働が成立することもあるであろう。しかし、小枠に顔が映し出されることだけでは、まったく労働が成立しないようなタレントでも、あの瞬間ギャラは派生しているのである。そうである以上、小枠に映し出されている間にも笑わせたり感銘を与えたりしてほしいものだと思う。それが彼らの労働なのである。小枠の中の人々は、労働を監視されている、、、、、その錯覚がテレビにしては珍しく、こちらに優位を感じさせるのかもしれない。
2008/01/23のBlog
[ 21:44 ]
昨年を漢字一文字で表すと、「偽」という字になる、とどこかで聞いた。ある意味、私も今の日本の「偽」的空気を誘発している一人であるような気がする。つい先日も、今年の抱負は?と問われたので、「大嘘つきになること」と答えておいた。もともと私は嘘をつきたい派なのであるが、なかなかみんなを楽しませるよい嘘はつけたことがない。
「嘘つきは○○のはじまり」というけれども、この○○にあてはまる職業には様々なものがありそうだ。「通訳」を入れたのは田丸公美子氏だったが、他にも作家や広告マン、俳優、商社マン、政治家、弁護士、教師、医者など際限なく挙げられるように思う。政治家やタレントの嘘は単純に「本当の反対」とか、「何かを隠している」というだけでまったく面白みがない嘘が多いが、私が目指しているのは、故ジョージ川口氏のような華麗なる嘘つきである。即興であのような嘘がどんどんつけたらどんなにか楽しいであろうか。というわけで、今年は(も?)嘘ばかり書くかもしれないけれども、どうぞよろしくお願いいたします。これも嘘かもしれないが。
「嘘つきは○○のはじまり」というけれども、この○○にあてはまる職業には様々なものがありそうだ。「通訳」を入れたのは田丸公美子氏だったが、他にも作家や広告マン、俳優、商社マン、政治家、弁護士、教師、医者など際限なく挙げられるように思う。政治家やタレントの嘘は単純に「本当の反対」とか、「何かを隠している」というだけでまったく面白みがない嘘が多いが、私が目指しているのは、故ジョージ川口氏のような華麗なる嘘つきである。即興であのような嘘がどんどんつけたらどんなにか楽しいであろうか。というわけで、今年は(も?)嘘ばかり書くかもしれないけれども、どうぞよろしくお願いいたします。これも嘘かもしれないが。
2008/01/19のBlog
[ 19:42 ]
何を今更、という感じですが、あけましておめでとうございます。ご無沙汰しております。諸般の事情で、たまにしかパソコンを開けない状況が続きそうなので、しばらくコメント欄、トラックバック機能を閉じさせていただきます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
鏡 響子
鏡 響子
2007/12/24のBlog
[ 13:28 ]
[ 不埒な日常 ]
「人間の不幸の源は、感覚が五感に分かれていることだ。」と言ったのはシモーヌ・ヴェイユだったが、目、耳、鼻、手、舌を通じてバラバラに世界を感じるほかない人間は、物事を完璧に全的に感じる瞬間をもっていないのかもしれない。
だが、全的に感じられないからこそ、生き物は生き残るため、五感を発達させてきたのだろう。不完全な五感を駆使しながら、あらゆる気配を感じ取るのである。視力や嗅覚の衰えた野生動物は、敵に襲われて死ぬ。
不完全な感覚しか持っていない人間なのだから、すぐれた芸術というのは全て、見る人に何かを「全的」に感じさせる要素を持っているような気がしてくる。絵なのに音が聴こえてきそうな作品、音楽なのに色を感じさせる作品、匂いを感じる絵、五感のすべてに訴える料理、などなど。アフリカで野生生活を送っていた少年が、西洋料理に抜群の才能を示した、というエピソードを読んだことがあるが、それも当然のことなのかもしれない。
視力はもともと良くなかったが、最近いろいろな場面で支障をきたすようになった私は、いよいよ眼鏡を作りに眼鏡店に行った。視力が大変悪いにも関わらず、裸眼で過ごしてきたので、よく見えないことに関しては、勝手な想像で補ってきたように思う。それで想像力が発達したかといわれると、まったくそんなことは無く、かえって、退化していったように思う。よく見えないなら、テレビとネットに見せてもらおう、と頼るからかもしれない。テレビやネットの画面では、はるか遠くのものが目の前に見える。これは人間の視野の拡大ともいえる。だが、私自身の五感そのものを鍛える必要はないので、アフリカの少年よりも、明らかに人間として衰退しているに違いない。今日は、そんな生活を反省しつつ、外に出て遠くにある山でも眺めて、自分の目が一体何を見るためについているのか、考えてみることにしよう・・・。
※写真は、「五感」をテーマにした中世の織物 「貴婦人と一角獣」
だが、全的に感じられないからこそ、生き物は生き残るため、五感を発達させてきたのだろう。不完全な五感を駆使しながら、あらゆる気配を感じ取るのである。視力や嗅覚の衰えた野生動物は、敵に襲われて死ぬ。
不完全な感覚しか持っていない人間なのだから、すぐれた芸術というのは全て、見る人に何かを「全的」に感じさせる要素を持っているような気がしてくる。絵なのに音が聴こえてきそうな作品、音楽なのに色を感じさせる作品、匂いを感じる絵、五感のすべてに訴える料理、などなど。アフリカで野生生活を送っていた少年が、西洋料理に抜群の才能を示した、というエピソードを読んだことがあるが、それも当然のことなのかもしれない。
視力はもともと良くなかったが、最近いろいろな場面で支障をきたすようになった私は、いよいよ眼鏡を作りに眼鏡店に行った。視力が大変悪いにも関わらず、裸眼で過ごしてきたので、よく見えないことに関しては、勝手な想像で補ってきたように思う。それで想像力が発達したかといわれると、まったくそんなことは無く、かえって、退化していったように思う。よく見えないなら、テレビとネットに見せてもらおう、と頼るからかもしれない。テレビやネットの画面では、はるか遠くのものが目の前に見える。これは人間の視野の拡大ともいえる。だが、私自身の五感そのものを鍛える必要はないので、アフリカの少年よりも、明らかに人間として衰退しているに違いない。今日は、そんな生活を反省しつつ、外に出て遠くにある山でも眺めて、自分の目が一体何を見るためについているのか、考えてみることにしよう・・・。
※写真は、「五感」をテーマにした中世の織物 「貴婦人と一角獣」
[ 13:27 ]
[ 不埒な日常 ]
今年は健康診断を遅れて受けた。職場でただ一人だけ遅れて受けたので、レントゲン室はガラ空きだった。女性はガウンを羽織って、撮影室に入るように言われているのだが、そのガウンが見当たらない。上半身裸に近い状態で、あちこち控え室内を探し回るがないのである。さんざん探し回り、やっと、突き当りの壁にエメラルドグリーンのガウンを見つける。それを羽織って撮影室に入った途端、検査技師が操作室から出てきた。「それ着てたら何も写らないよ!!それは僕らが着るものなの!君が着るのはこっち。」と控え室につれ戻され、木綿のガウンを渡される。私が着ていたのは、鉛の防護服だったことにこのとき気づく。最初から控え室にぶら下がっていた木綿のガウンが私には全然見えていなかったのだ。
私は、「放射能よけを着てエックス線検査を受けようとした人間」、として、しばらく職場の笑いものになっていた。胸部に異常はなかったが、視力の退化を痛感させられた。
私は、「放射能よけを着てエックス線検査を受けようとした人間」、として、しばらく職場の笑いものになっていた。胸部に異常はなかったが、視力の退化を痛感させられた。
[ 13:27 ]
[ 不埒な日常 ]
今年は健康診断を遅れて受けた。血液検査で、注射の中に噴出す血を眺めていると、これは、私の一部なのか、もうそうではないのか、などと考える。でも、この血が今自分の皮膚についたら、あわてて落とそうとするだろう。やはりあの血は私ではないのだ。
自分から剥落したもの、というのはなぜ汚らわしいのだろう。いや、自分だけではなく、他人から剥落したものもそうなのだ。美しい人の輝く髪も、抜け落ちてひとすじの髪の毛になった途端、なぜか汚らわしく感じる。さっきまであんなきれいな髪の一部だったのに・・・。
赤い血も、きれいな髪も、抜けた途端に死んでしまう。人の死体の一部のようなものだから、汚らわしく感じるのかもしれない。
注射に入った血を、もはや自分とは感じられなくなってしまうように、命を失ったら、自分の死体を「もう自分じゃない」、などと感じたりするだろうか。
もうそのときには、そう感じる自分自身もいなくなっているわけだが。でも、いなくなるってきっとそういうことなのだ。あとあと死体は残っても、やっぱりそれは私じゃないのだろう。
自分から剥落したもの、というのはなぜ汚らわしいのだろう。いや、自分だけではなく、他人から剥落したものもそうなのだ。美しい人の輝く髪も、抜け落ちてひとすじの髪の毛になった途端、なぜか汚らわしく感じる。さっきまであんなきれいな髪の一部だったのに・・・。
赤い血も、きれいな髪も、抜けた途端に死んでしまう。人の死体の一部のようなものだから、汚らわしく感じるのかもしれない。
注射に入った血を、もはや自分とは感じられなくなってしまうように、命を失ったら、自分の死体を「もう自分じゃない」、などと感じたりするだろうか。
もうそのときには、そう感じる自分自身もいなくなっているわけだが。でも、いなくなるってきっとそういうことなのだ。あとあと死体は残っても、やっぱりそれは私じゃないのだろう。
2007/12/08のBlog
[ 13:01 ]
関連するツナミンさんの記事
2007年私のベスト本は、
鈴木道彦 「越境の時 1960年代と在日」
です。この本は、渡辺清の「砕かれた神」同様、ツナミンさんのご紹介で知ることができた本でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「お前、今、俺の足を踏んだだろ。」
高校からの帰り道、いきなり後ろから怒鳴られて振り向くと、そこには近くの朝鮮高校の生徒がいた。
「踏んでません。」というと、彼は近づいてきて「土下座して謝れ。」という。
「踏んでないのに土下座なんて納得できない。」と伝えると、彼はさらに恫喝しはじめた。頭にきていた私もまた、彼を睨みつけていたのだと思うが、まっすぐに目の遭ったその瞬間、彼の目の奥に一瞬激しい光がひらめいた。その光を見た瞬間、私はハッとさせられた。その光は、私に向けられた怒りの真実性を示していた。私は何もした覚えが無いのに、彼に「何かをしたにちがいない・・・」、それが何だかは分からないが、そうはっきりと感じた。私は土下座こそしなかったが、気がつくと彼に謝っていた。
このときのことは、高校を卒業してから後も、随分何度も思い返した。私はその都度、自分が恫喝されたり、殴られるのが怖くて、その場を逃げ切るために謝ったのではないか、と自問した。もしそうなら、自分がいわれのない因縁に気圧されて謝罪したことは、恥ずべき、取り返しのつかない過ちだと思った。しかし、あのとき、確かに自分が何もした覚えは無いのにも関わらず、「何かしたに違いない。」と彼に確信させられたのだ。その「何か」とは何だったのか・・・・。
私は、「自分」というものをとらえるとき、自分の覚えている、知っている「私」だけで、私というものを認識している。しかし、私の姿はそれだけではない。自分の記憶に残っていない私も存在している。しかもそれは、私が生まれて以降の私だけとは限らない。生まれる前からの過去の出来事によっても私が形作られていることを、彼との出会い、そして、この本を通じて、今一度考えさせられた。そしてそこでは、彼の足を踏んだ私、「身に覚えの無い私」、もまた確かに存在しているのだ、ということに慄然としたのだった。
この本に魅せられた理由は他にもある。それはかつて私が大変影響を受けた、小松川事件の犯人、李珍宇のことを今一度捉えなおさせてくれた、ということだった。
李は傑出した思考力と、抜群の表現力に恵まれながらも、殺人という反社会的行為により、社会から抹殺される運命をたどった。彼の獄中書簡(「罪と死と愛と」三一書房)を読むと、李は、極貧の朝鮮人として、日本人からも、朝鮮人からも差別されるという環境に生まれ育ったのがわかる。李は、自分の犯した罪に、環境の影響を認めながらも、「自分が環境の中でいかにつとめたか」という、自分自身の行為の責任を自らに問い続けることを最期まで忘れなかった。しかし、その上でこんなことを書いているのである。「私は二人の人を殺しましたが、あのままとらえられなかったら、機会あるごとに人を殺したことは確かです。」と。
これを読んで、「人はどんな状況にあっても、その状況に対してどういう態度をとるかについて、最後まで自由を有している(Byフランクル)」、という説の信奉者だった私が、本当に「どこまで人間が状況に対して自由でありうるのか」について考えこまざるを得なくなった。一体人は、自分自身の性格・環境が生み出す運命からどこまで自由になれるのだろうか。李は、自身の「殺人を犯さざるをえない必然」を予感していた。私はこれまで、李が殺人を「内面的必然」と考え、それによって死刑になり、自らを犠牲にせざるを得なかった、自由を完全に奪われた人、のような気がしていた。しかし、李は、敢えて殺人を犯したうえで、死刑になることを主体的に選び取ることで自由と責任を実現したのだ、と鈴木氏はいう。「殺さざるを得ない」、と感じていた李の自由とは、「選択の余地の無い選択」を自ら選択するという、抜き差しならないものでしかなかった。李には、「殺す」というただ一つの必然しか感じられず、その「たったひとつ取りうる」、と感じた行動を、能動的に選ぶことで自由を体現するという、負の、無限小の自由でしか自己を実現するしかなかったのだ・・・・。
しかし、たとえ選択の余地がなかったとしても、主体的にそれを選び取った以上、そこには責任が生じる。そして、「越境の時」の中で、鈴木道彦は、李個人の殺人行為の責任を認めながらも、彼を「殺人」という無限小の負の自由に追いやった、不幸な環境を生み出したことに、日本人は加担していはしなかったのか、と問うているのである。これは私がかつてあの男子生徒の足を踏んだのかどうか、「覚えがない」、「知らない」こととも、大きな関わりがある問題である。それまで、李珍宇のことは、暗い運命を辿った傑出した表現者としてのとらえかたばかりしてきた私だった。が、「越境の時」を読んで以来、李珍宇は、あの因縁をつけてきた男子生徒とともに、私の知らない私自身の姿、知らずに平気で他者の足を踏んでいる私の姿について、もう一度考えさせてくれる人物の一人になったのであった。
<追記>
コメントやトラックバックを頂いたあとで、記事に加筆や修正を加えるのは、大変気が引けるのですが、今回、ツナミンさんのトラックバックをいただき、再度、この本や、李珍宇について考え直し、記事の後半部分を修正いたしました。
2007年私のベスト本は、
鈴木道彦 「越境の時 1960年代と在日」
です。この本は、渡辺清の「砕かれた神」同様、ツナミンさんのご紹介で知ることができた本でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「お前、今、俺の足を踏んだだろ。」
高校からの帰り道、いきなり後ろから怒鳴られて振り向くと、そこには近くの朝鮮高校の生徒がいた。
「踏んでません。」というと、彼は近づいてきて「土下座して謝れ。」という。
「踏んでないのに土下座なんて納得できない。」と伝えると、彼はさらに恫喝しはじめた。頭にきていた私もまた、彼を睨みつけていたのだと思うが、まっすぐに目の遭ったその瞬間、彼の目の奥に一瞬激しい光がひらめいた。その光を見た瞬間、私はハッとさせられた。その光は、私に向けられた怒りの真実性を示していた。私は何もした覚えが無いのに、彼に「何かをしたにちがいない・・・」、それが何だかは分からないが、そうはっきりと感じた。私は土下座こそしなかったが、気がつくと彼に謝っていた。
このときのことは、高校を卒業してから後も、随分何度も思い返した。私はその都度、自分が恫喝されたり、殴られるのが怖くて、その場を逃げ切るために謝ったのではないか、と自問した。もしそうなら、自分がいわれのない因縁に気圧されて謝罪したことは、恥ずべき、取り返しのつかない過ちだと思った。しかし、あのとき、確かに自分が何もした覚えは無いのにも関わらず、「何かしたに違いない。」と彼に確信させられたのだ。その「何か」とは何だったのか・・・・。
私は、「自分」というものをとらえるとき、自分の覚えている、知っている「私」だけで、私というものを認識している。しかし、私の姿はそれだけではない。自分の記憶に残っていない私も存在している。しかもそれは、私が生まれて以降の私だけとは限らない。生まれる前からの過去の出来事によっても私が形作られていることを、彼との出会い、そして、この本を通じて、今一度考えさせられた。そしてそこでは、彼の足を踏んだ私、「身に覚えの無い私」、もまた確かに存在しているのだ、ということに慄然としたのだった。
この本に魅せられた理由は他にもある。それはかつて私が大変影響を受けた、小松川事件の犯人、李珍宇のことを今一度捉えなおさせてくれた、ということだった。
李は傑出した思考力と、抜群の表現力に恵まれながらも、殺人という反社会的行為により、社会から抹殺される運命をたどった。彼の獄中書簡(「罪と死と愛と」三一書房)を読むと、李は、極貧の朝鮮人として、日本人からも、朝鮮人からも差別されるという環境に生まれ育ったのがわかる。李は、自分の犯した罪に、環境の影響を認めながらも、「自分が環境の中でいかにつとめたか」という、自分自身の行為の責任を自らに問い続けることを最期まで忘れなかった。しかし、その上でこんなことを書いているのである。「私は二人の人を殺しましたが、あのままとらえられなかったら、機会あるごとに人を殺したことは確かです。」と。
これを読んで、「人はどんな状況にあっても、その状況に対してどういう態度をとるかについて、最後まで自由を有している(Byフランクル)」、という説の信奉者だった私が、本当に「どこまで人間が状況に対して自由でありうるのか」について考えこまざるを得なくなった。一体人は、自分自身の性格・環境が生み出す運命からどこまで自由になれるのだろうか。李は、自身の「殺人を犯さざるをえない必然」を予感していた。私はこれまで、李が殺人を「内面的必然」と考え、それによって死刑になり、自らを犠牲にせざるを得なかった、自由を完全に奪われた人、のような気がしていた。しかし、李は、敢えて殺人を犯したうえで、死刑になることを主体的に選び取ることで自由と責任を実現したのだ、と鈴木氏はいう。「殺さざるを得ない」、と感じていた李の自由とは、「選択の余地の無い選択」を自ら選択するという、抜き差しならないものでしかなかった。李には、「殺す」というただ一つの必然しか感じられず、その「たったひとつ取りうる」、と感じた行動を、能動的に選ぶことで自由を体現するという、負の、無限小の自由でしか自己を実現するしかなかったのだ・・・・。
しかし、たとえ選択の余地がなかったとしても、主体的にそれを選び取った以上、そこには責任が生じる。そして、「越境の時」の中で、鈴木道彦は、李個人の殺人行為の責任を認めながらも、彼を「殺人」という無限小の負の自由に追いやった、不幸な環境を生み出したことに、日本人は加担していはしなかったのか、と問うているのである。これは私がかつてあの男子生徒の足を踏んだのかどうか、「覚えがない」、「知らない」こととも、大きな関わりがある問題である。それまで、李珍宇のことは、暗い運命を辿った傑出した表現者としてのとらえかたばかりしてきた私だった。が、「越境の時」を読んで以来、李珍宇は、あの因縁をつけてきた男子生徒とともに、私の知らない私自身の姿、知らずに平気で他者の足を踏んでいる私の姿について、もう一度考えさせてくれる人物の一人になったのであった。
<追記>
コメントやトラックバックを頂いたあとで、記事に加筆や修正を加えるのは、大変気が引けるのですが、今回、ツナミンさんのトラックバックをいただき、再度、この本や、李珍宇について考え直し、記事の後半部分を修正いたしました。
2007/12/02のBlog
[ 12:54 ]
[ 随想 ]
一口に「読書傾向」といってもいろいろあるのだろうが、これまでの経験からすると、大きく二つの座標が存在するように思う。
一つは、広大な範囲の書物を渉猟する座標。この座標指数が高い人は、ほんとうにいろいろな本を何でも読んでいるので、本についての話をちょっと聞いただけで、いつも瞠目させられるものである。一方、もう一つの座標は、ある作家や思想家の作品を全部、繰り返し繰り返し読む座標。この座標の指数が高い人は往々にして、あまり読書の守備範囲は広くないように思う。
もちろん、二つの指数は人それぞれで混在しているわけだが、私のなかでの「読書家」というのはもっぱら前者の、多読濫読が出来る人をさしている。
私自身についていえば、後者の指数しか備わっていない。そのせいか、これまでの生涯で自分の身になった本はみじめなほど少ない。前者の多読濫読にあこがれ、そういうことができる人になりたい、といろいろな本を手当たり次第読んでいた時期もあったのだが、どのように頑張っても自分の本の守備範囲を広げることはできなかった。
というのも、守備範囲を広げたくていろいろな本を読んでいても、結局はその作家や書き手の本を「全部読みたくなるかどうか」「何度でも繰り返しよみたくなるかどうか」、が私の中での重要な判断基準にいつもあり、読みたくならない書き手の場合は、せっかく読んでも読んだことすらも忘れてしまうことが多かったからである。そんな読み方をつづけるうちに、私のキイロアタマに入るタイプの本や容量はあらかじめ決まってしまっているのではないか、と慄然とした。きっと、本当の読書家なら、読んだ本はすべて、良くも悪くも、全身に本がすうーっとしみわたっていくのではないだろうか。そして、そのタイプの友人に、幾多の本の読後感をたずねると、本当にそうなのだと確信する。このタイプの人は、溺れそうな広大な書物の海のなかで、ある本の意味をしっかりと位置づけたり、別の本との関連を語ったりすることができるのである。
後者の読み方しかできない私にはそれができない。私が読んだ本の量は少なすぎる。読書家の友人が新たな本を読んでいる時間、私は決まりきったいつもの本しか読んでいないのだから当然である。この偏狭な読み方に強いて利点を挙げるとするならば、作家が初期から晩年にいたるまで、どんな生の風景を通り過ぎ、最期にどんな境地にたどり着き、この世の何を垣間見てしまったのか、が、おぼろげに分かる気がするときがあることであろうか・・・。それは、私が実生活で目と鼻の先にぶら下げられても到底見過ごしてしまうような、一生かかっても垣間見ることのできない境地が開ける瞬間でもある。これはこれで読書の大きな喜びの一つではあるのだが・・・。しかし、結局そんな境地が見えたとしても、それが別の膨大な読書量に支えられていなければ、違う現実を生きる私にとってどんな意味があるのか分からずじまいのような気がする。
そして、世の中には、前者と後者の読書傾向が両方とも抜群に強い人も存在している。こういうタイプの人は、最強の読書家であるように思う。ある作家が生涯をかけて見た境地は、世界の中でどこから受け継がれ、後に別の作家にどのように受け継がれたか、広大な読書量を背景に位置づけられるのである。こういうことの出来る人は、読むだけでなく、書くことの出来る人でもあるような気がする。おそらく、書くことを生業にしている人たちは、読む力にも大変恵まれた人ではないか、と思えてくる。
歳を重ねるにつれ、自分の偏狭な読書傾向を矯正できるかもしれない、という幻想も抱くことは少なくなった。だからこそ、私は違う本の読み方ができる人々との交流を求めているのかもしれない。自分が膨大な本を読めなくても、違う読書傾向を持った人と対話することで、偏狭な世界観を少しでも広い視野から見直すことができるかもしれないからだ・・・・・。
一つは、広大な範囲の書物を渉猟する座標。この座標指数が高い人は、ほんとうにいろいろな本を何でも読んでいるので、本についての話をちょっと聞いただけで、いつも瞠目させられるものである。一方、もう一つの座標は、ある作家や思想家の作品を全部、繰り返し繰り返し読む座標。この座標の指数が高い人は往々にして、あまり読書の守備範囲は広くないように思う。
もちろん、二つの指数は人それぞれで混在しているわけだが、私のなかでの「読書家」というのはもっぱら前者の、多読濫読が出来る人をさしている。
私自身についていえば、後者の指数しか備わっていない。そのせいか、これまでの生涯で自分の身になった本はみじめなほど少ない。前者の多読濫読にあこがれ、そういうことができる人になりたい、といろいろな本を手当たり次第読んでいた時期もあったのだが、どのように頑張っても自分の本の守備範囲を広げることはできなかった。
というのも、守備範囲を広げたくていろいろな本を読んでいても、結局はその作家や書き手の本を「全部読みたくなるかどうか」「何度でも繰り返しよみたくなるかどうか」、が私の中での重要な判断基準にいつもあり、読みたくならない書き手の場合は、せっかく読んでも読んだことすらも忘れてしまうことが多かったからである。そんな読み方をつづけるうちに、私のキイロアタマに入るタイプの本や容量はあらかじめ決まってしまっているのではないか、と慄然とした。きっと、本当の読書家なら、読んだ本はすべて、良くも悪くも、全身に本がすうーっとしみわたっていくのではないだろうか。そして、そのタイプの友人に、幾多の本の読後感をたずねると、本当にそうなのだと確信する。このタイプの人は、溺れそうな広大な書物の海のなかで、ある本の意味をしっかりと位置づけたり、別の本との関連を語ったりすることができるのである。
後者の読み方しかできない私にはそれができない。私が読んだ本の量は少なすぎる。読書家の友人が新たな本を読んでいる時間、私は決まりきったいつもの本しか読んでいないのだから当然である。この偏狭な読み方に強いて利点を挙げるとするならば、作家が初期から晩年にいたるまで、どんな生の風景を通り過ぎ、最期にどんな境地にたどり着き、この世の何を垣間見てしまったのか、が、おぼろげに分かる気がするときがあることであろうか・・・。それは、私が実生活で目と鼻の先にぶら下げられても到底見過ごしてしまうような、一生かかっても垣間見ることのできない境地が開ける瞬間でもある。これはこれで読書の大きな喜びの一つではあるのだが・・・。しかし、結局そんな境地が見えたとしても、それが別の膨大な読書量に支えられていなければ、違う現実を生きる私にとってどんな意味があるのか分からずじまいのような気がする。
そして、世の中には、前者と後者の読書傾向が両方とも抜群に強い人も存在している。こういうタイプの人は、最強の読書家であるように思う。ある作家が生涯をかけて見た境地は、世界の中でどこから受け継がれ、後に別の作家にどのように受け継がれたか、広大な読書量を背景に位置づけられるのである。こういうことの出来る人は、読むだけでなく、書くことの出来る人でもあるような気がする。おそらく、書くことを生業にしている人たちは、読む力にも大変恵まれた人ではないか、と思えてくる。
歳を重ねるにつれ、自分の偏狭な読書傾向を矯正できるかもしれない、という幻想も抱くことは少なくなった。だからこそ、私は違う本の読み方ができる人々との交流を求めているのかもしれない。自分が膨大な本を読めなくても、違う読書傾向を持った人と対話することで、偏狭な世界観を少しでも広い視野から見直すことができるかもしれないからだ・・・・・。
2007/11/08のBlog
[ 23:12 ]
[ 随想 ]
以下の駄文は、BFAさんのブログ「save point」を読んで書いた独り言です・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
90年代の初めころだったと思うが、「ああ、生き難い生き難い、なんて生き難い世の中だろう。」そうつぶやいたら、「ああ生きやすい生きやすい、なんて生きやすい世の中だろう。」と返された。私は、「今の世の中の一体どこが生きやすいのか?」、その人に根拠を正した。すると、「『ああ野麦峠』のころに比べたらずっと生きやすいでしょ。君もあのころ生まれていたら、女工になって結核で死ぬ以外に人生なんてなかったんだよ。」という。彼の言っていることは正しかったが、まったく共感できなかった。
おそらくすべての人々は、どの時代に生まれ合わせても、生き難い、悪しき時代を生きなければならない運命にあるのだろう。その生きがたさ、悪しさが様々であるとしても、だ。人類史上、悪しき時代から逃れられる人は一人もいなかったのである。
それでは、私にとっての生きがたさとは何だったのか。それは、「生きる価値のなさ」と言えるかもしれない。たしかに私には、「女工になって死ぬ」以外の様々な人生があった。しかし、どのようにあがいても、「私が生きて、死んでいく意味は本当はこれなのだな。」というこころの奥底で納得できるような価値の裏付け、それに満たされた仕事に巡り合うことはなかった。今の日本は「価値」を徹底的に拒む、という点において、女工になって死ぬこととはまた違う絶望を私に用意していたのである。
今の日本の若者に用意されている「価値」は、徹底した実利主義(つまり・カ・ネ)のみである。これは、一見実利とは関係のなさそうな世界の本質にまで浸透していて、その冷徹さにはゾッとさせられるほどである。今や、実利主義は自明すぎて、人々に意識されることもない。、どの人が、何の道を選ぼうともただそれだけが宿命なのである。これは一見、人間が主体的に実利を追求しているかのようだが、どっこい人間は、実利主義実現のための道具にしかすぎない。私たちが何に突き動かされているのかは今もって不明である。
もはや手段にしか過ぎない人間は、金以外に生きる価値を実現することは許されておらず、万が一それ以外の価値を夢見ようものなら、一瞬にしてまっとうといわれるようなレールからは滑り落ちていく。私もまた例外ではなかった。
実利以外の価値を夢見たために、レールから外れてしまう若者に対して、働く大人たちは冷たい。彼らからしたら、価値の不在に悩む若者など大変不経済な人間だからであろう。当時の私にかけられた、働くおじさんたちの侮蔑のことばは、今でも忘れられない。おそらく、その言葉から察するに、私など、「生活苦を知らない贅沢な悩みを悩む怠けものの若者に見えた」ということだったのだろう。彼らの見識はある意味では正しかった。しかし、生きる価値がない世界に生きなければならない、ということがどれほど人を飢え渇かせ、かつ絶望に陥れるか、という感覚には彼らは鈍感であった。
この手の苦痛は、現世的に決してよきものとしてはあらわれては来ない。一連の苦しみが、この世界のどこかで称賛されるようなことは決して起こりえないであろう。しかし、価値不在の苦痛や、危機意識を持った人というものは、もしかしたら、今の時代を否定的な意味で代表する権利がある人かもしれないのである・・・・。矛盾するようだが、苦痛を味わう人は少数派かもしれないのに、普遍的意味で「大勢いる」といってもいいのかもしれない。当時、漠然と考えていたことだが、「同じ苦痛をたくさんの人が味わっていたとしても、傑出した苦痛、傑出した危機意識だけが、価値不在の文化を切り開くかもしれない」、と思ったのを覚えている。もちろん私はそこまでの苦痛の才には恵まれなかった。
そんな私も今ではしがない、実利探求の勤め人だ。私が現在職業生活を営めているのは、当時抱えていた矛盾や葛藤を解決できたからではない。探していた価値を発見したからでもない。私の人生の無意味さは今なお当時となんら変わりが無い。ただあのころと違うのは、価値の不在が引き起こす苦痛、「絶望」のような閉ざされたものによってすら、他者と連なり開かれてゆくことが可能なのだ、という経験が私を支えていることかもしれない。
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90年代の初めころだったと思うが、「ああ、生き難い生き難い、なんて生き難い世の中だろう。」そうつぶやいたら、「ああ生きやすい生きやすい、なんて生きやすい世の中だろう。」と返された。私は、「今の世の中の一体どこが生きやすいのか?」、その人に根拠を正した。すると、「『ああ野麦峠』のころに比べたらずっと生きやすいでしょ。君もあのころ生まれていたら、女工になって結核で死ぬ以外に人生なんてなかったんだよ。」という。彼の言っていることは正しかったが、まったく共感できなかった。
おそらくすべての人々は、どの時代に生まれ合わせても、生き難い、悪しき時代を生きなければならない運命にあるのだろう。その生きがたさ、悪しさが様々であるとしても、だ。人類史上、悪しき時代から逃れられる人は一人もいなかったのである。
それでは、私にとっての生きがたさとは何だったのか。それは、「生きる価値のなさ」と言えるかもしれない。たしかに私には、「女工になって死ぬ」以外の様々な人生があった。しかし、どのようにあがいても、「私が生きて、死んでいく意味は本当はこれなのだな。」というこころの奥底で納得できるような価値の裏付け、それに満たされた仕事に巡り合うことはなかった。今の日本は「価値」を徹底的に拒む、という点において、女工になって死ぬこととはまた違う絶望を私に用意していたのである。
今の日本の若者に用意されている「価値」は、徹底した実利主義(つまり・カ・ネ)のみである。これは、一見実利とは関係のなさそうな世界の本質にまで浸透していて、その冷徹さにはゾッとさせられるほどである。今や、実利主義は自明すぎて、人々に意識されることもない。、どの人が、何の道を選ぼうともただそれだけが宿命なのである。これは一見、人間が主体的に実利を追求しているかのようだが、どっこい人間は、実利主義実現のための道具にしかすぎない。私たちが何に突き動かされているのかは今もって不明である。
もはや手段にしか過ぎない人間は、金以外に生きる価値を実現することは許されておらず、万が一それ以外の価値を夢見ようものなら、一瞬にしてまっとうといわれるようなレールからは滑り落ちていく。私もまた例外ではなかった。
実利以外の価値を夢見たために、レールから外れてしまう若者に対して、働く大人たちは冷たい。彼らからしたら、価値の不在に悩む若者など大変不経済な人間だからであろう。当時の私にかけられた、働くおじさんたちの侮蔑のことばは、今でも忘れられない。おそらく、その言葉から察するに、私など、「生活苦を知らない贅沢な悩みを悩む怠けものの若者に見えた」ということだったのだろう。彼らの見識はある意味では正しかった。しかし、生きる価値がない世界に生きなければならない、ということがどれほど人を飢え渇かせ、かつ絶望に陥れるか、という感覚には彼らは鈍感であった。
この手の苦痛は、現世的に決してよきものとしてはあらわれては来ない。一連の苦しみが、この世界のどこかで称賛されるようなことは決して起こりえないであろう。しかし、価値不在の苦痛や、危機意識を持った人というものは、もしかしたら、今の時代を否定的な意味で代表する権利がある人かもしれないのである・・・・。矛盾するようだが、苦痛を味わう人は少数派かもしれないのに、普遍的意味で「大勢いる」といってもいいのかもしれない。当時、漠然と考えていたことだが、「同じ苦痛をたくさんの人が味わっていたとしても、傑出した苦痛、傑出した危機意識だけが、価値不在の文化を切り開くかもしれない」、と思ったのを覚えている。もちろん私はそこまでの苦痛の才には恵まれなかった。
そんな私も今ではしがない、実利探求の勤め人だ。私が現在職業生活を営めているのは、当時抱えていた矛盾や葛藤を解決できたからではない。探していた価値を発見したからでもない。私の人生の無意味さは今なお当時となんら変わりが無い。ただあのころと違うのは、価値の不在が引き起こす苦痛、「絶望」のような閉ざされたものによってすら、他者と連なり開かれてゆくことが可能なのだ、という経験が私を支えていることかもしれない。
2007/10/30のBlog
[ 22:44 ]
[ 不埒な日常 ]
私の勤め先には、敷地内に住み着いた猫が20匹ほどいる。野良猫の類に入るが、全部に名前がついている。絶えずどれかが出産の時期を迎えているので、数は増え続ける一方だ。その上、近親相姦を繰り返しているためか、模様がおんなじでほとんど見分けがつかない。だが、猫派の職員は、それぞれの名前を呼び分けて、餌を与え、愛玩用としている。
ときどき、敷地管理人のQというオヤジが網をもって歩いていることがある。尾行した職員によると、子猫を捕獲しては、敷地裏手の山で、大久保清のようなことをしているらしい。
Qのホロコーストを阻止するため、猫派の職員は親猫ともども子猫たちを自宅に連れ帰り、大きくなったらまた連れて来る、ということを繰り返している。
私自身はさほど猫好きというわけではないのだが、猫派の職員には尊敬できる人物が多いので、猫をオヤジから守ることには協力している。
一度、「少しの間だけ」と頼まれて、佐々木さんという猫を自宅にかくまっていたことがある。私のアパートは犬猫禁止なのであるが、帰宅してドアの前に立つと、いつもかすかな不安におそわれた。ドアの向こうから泣き声がすると「隣人に感づかれたのでは」とおののき、何も聴こえないときは、自分の居ぬ間に死んだのでは、と根拠もなく思うのだ。そしてやおらドアを開け、渦巻きになってすやすやと眠っている猫を発見してホッとするのだった。そのたび、戦争中、ユダヤ人をかくまっていたオランダ人の勇気を思った。猫ごときでビクビクしている私には、人間をかくまうなど到底できそうもないとわかってがっかりした。
猫は人間に積極的好意を示さない代わり、こちらの真意をすべて見透かしているようなところがある。「しゃしゃきしゃーん」などといって撫でてやっても、「猫なで声だしやがって。」とブ然とした表情でされるがままになっているし、好物をちらつかせても、その手には乗らないといわんばかりに無視することも多い。鋭い眼光で見つめられると、私が本当は嫌っている職員が誰なのか知っていて、しかもその職員にとっている私の態度がどこまで嘘っぱちかもお見通しのように思えてくる。一緒に過ごした時間はわずかだったが、猫には「自分がかくまわれている」という感覚はないように思え、「仕方なくかくまわれるフリをしてやっている」という表情のほうが勝っていたように思う。かくまう期日が満了し、悠然と歩み去る佐々木さんの姿を見たとき、猫戦争などしている人間を一番バカにしているのは実は当の猫たちではないのかと思えてくるのだった。
最近Qのほかに新たな脅威となっている人物がいる。猫嫌いのため、猫からも人間からも嫌われている中年女性職員、Gだ。Gは、猫を見ると雑巾を引き裂くような悲鳴をあげるばかりでなく、虫の居所が悪いと熱湯をかけにいくという。職場の経営者は猫を撲滅させようとしているので、Gの暴挙に正面切って怒れる人はいない。Gがやかんを持って歩いていたという情報が入るたび、猫派の人たちは恐慌状態に陥っている。そして子猫を先回りして連れてきては、みんなで手分けしてかくまうのであった。
こうして仕事そっちのけで猫戦争をやっている私の職場は、ろくでもない勤め先と思われるかもしれないが、事実その通りなのである。
ときどき、敷地管理人のQというオヤジが網をもって歩いていることがある。尾行した職員によると、子猫を捕獲しては、敷地裏手の山で、大久保清のようなことをしているらしい。
Qのホロコーストを阻止するため、猫派の職員は親猫ともども子猫たちを自宅に連れ帰り、大きくなったらまた連れて来る、ということを繰り返している。
私自身はさほど猫好きというわけではないのだが、猫派の職員には尊敬できる人物が多いので、猫をオヤジから守ることには協力している。
一度、「少しの間だけ」と頼まれて、佐々木さんという猫を自宅にかくまっていたことがある。私のアパートは犬猫禁止なのであるが、帰宅してドアの前に立つと、いつもかすかな不安におそわれた。ドアの向こうから泣き声がすると「隣人に感づかれたのでは」とおののき、何も聴こえないときは、自分の居ぬ間に死んだのでは、と根拠もなく思うのだ。そしてやおらドアを開け、渦巻きになってすやすやと眠っている猫を発見してホッとするのだった。そのたび、戦争中、ユダヤ人をかくまっていたオランダ人の勇気を思った。猫ごときでビクビクしている私には、人間をかくまうなど到底できそうもないとわかってがっかりした。
猫は人間に積極的好意を示さない代わり、こちらの真意をすべて見透かしているようなところがある。「しゃしゃきしゃーん」などといって撫でてやっても、「猫なで声だしやがって。」とブ然とした表情でされるがままになっているし、好物をちらつかせても、その手には乗らないといわんばかりに無視することも多い。鋭い眼光で見つめられると、私が本当は嫌っている職員が誰なのか知っていて、しかもその職員にとっている私の態度がどこまで嘘っぱちかもお見通しのように思えてくる。一緒に過ごした時間はわずかだったが、猫には「自分がかくまわれている」という感覚はないように思え、「仕方なくかくまわれるフリをしてやっている」という表情のほうが勝っていたように思う。かくまう期日が満了し、悠然と歩み去る佐々木さんの姿を見たとき、猫戦争などしている人間を一番バカにしているのは実は当の猫たちではないのかと思えてくるのだった。
最近Qのほかに新たな脅威となっている人物がいる。猫嫌いのため、猫からも人間からも嫌われている中年女性職員、Gだ。Gは、猫を見ると雑巾を引き裂くような悲鳴をあげるばかりでなく、虫の居所が悪いと熱湯をかけにいくという。職場の経営者は猫を撲滅させようとしているので、Gの暴挙に正面切って怒れる人はいない。Gがやかんを持って歩いていたという情報が入るたび、猫派の人たちは恐慌状態に陥っている。そして子猫を先回りして連れてきては、みんなで手分けしてかくまうのであった。
こうして仕事そっちのけで猫戦争をやっている私の職場は、ろくでもない勤め先と思われるかもしれないが、事実その通りなのである。
2007/10/27のBlog
[ 23:39 ]
[ 労働 ]
誰かのことを、「あの人は髪結いの亭主だ」というとき、そこにはあまりいい意味は込められていないように思う。このことの影には、「男は仕事をして稼がなければならない。」という根拠のない、根強い思い入れがあるせいかもしれない。
自由主義化される前のハンガリーでは、無職という概念は存在しなかったという。「働かざるもの食うべからず」とのたまった某先生の影響下にあったためか、無職というのは犯罪であり、失業即逮捕だったそうだ。こんな国では、「髪結いの亭主」という概念自体が存在しないのかもしれないが、もしあった場合には、やはり大変罪深い状態ということになるのであろう。
働かないことが悪いことであるという考え方はよくあるわけだが、しかし、私がこれまでに出会った髪結いの亭主たちは、逆に働くことの罪深さを教えてくれたような気がする。これが、亭主がバリバリ稼ぐ専業主婦の友人と話していても、働くことの罪深さやバカばかしさを思い知らされたりはしない。だが、こんな風に感じるのも、彼らがまだまだ男性の中の少数派だからなのかもしれず、私のほうにもまた「男性は働くべきで、ぷらぷらしてるのは珍しい状態」という偏見が宿っているせいなのかもしれない。
ウイーンで出会ったO氏は、朝からカフェで白ワインを飲んでは、ふざけてばかりいる人であった。私はこの人ほど飲酒量の多い人間に会ったことがない。何しろ、五歳のときから飲んでおり、40歳を過ぎた今は朝から晩まで酔っ払っているのである。家に遊びに行ったら、冷蔵庫の中身が全部酒だったのには驚いた。この人とは、何か真面目な話をしていても、いつの間にか全部ふざけちらした話になってしまうのだったが、私は、真面目な話よりもふざけちらした話のほうが高等なのだということをこの人から学んだ。 また、この人と話していると、なぜか、すべての真面目な事柄がバカバカしく思えてきてしまい、人間は本来、働くべきではなく、あくせく真面目に生きていることすらもが、自分が社会に騙されて、悪い夢を見させられているだけなのだ、と思えてきてしまうのだった。
彼の奥さんは美しいオーストリア女性で車を十台以上所有してバリバリと会社を経営している。三人で食事した際、お勘定を私と奥さんとでお互い、「私が払います。」と言い合っていたのだが、O氏は「女性二人が勘定を払うことで揉めているのに小生は何もしない。恥ずかしい限りですな。アハハハハ!」と言っている。こんなことで肩身を狭く感じてしまうような男では、髪結いの亭主業は到底つとまらないのだな、と私は思った。
絵描きのK氏もまた、まったく収入のない人であった。絵描きなのだから、無職とはいえないのかもしれないが、画商が家に来て、高値(300万円くらい)で絵を買い取ろうとしても、絶対売ろうとしない。自分の素晴らしい絵を金などで汚したくない、というのが彼の持論で、生活はすべて会社経営をする奥さんが支えていた。こんな風だとちょっとは奥さんに肩身も狭いのではないか、と一般的には思い勝ちだが、彼はまったく頓着しない人であった。というのも、愛人とその子どもを一つ屋根の下に住まわせていたのである。彼に収入がないのだから、愛人の生活費も奥さんが稼いでいたのだろうか。彼はその後、自分の最高傑作は自分の子どもである、と言い残して出奔したらしい。K氏を見ていると、収入のために好きでもない仕事にものすごいエネルギーを投入している私の生き方を比べてしまったりしたものであった。
I氏もまた、働いたことの無い人だったが、I氏が上の二人と違っていたのは、根っからの共産主義者だったことだろうか。共産主義についてはよくわからない私だったが、「働かない共産主義ってあるのだろうか?」 と思ったことを覚えている。彼がしていたことといえば、一日中、次々に出る各新聞と各雑誌、共産主義関係の書籍をくまなく読むことだけであった。そんな生活を二十年も続けているものだから、ものすごい博識なのだ。何か話しかけると、かなり過激で革命的なことを言う。薄給でありながらも、生活を支えていた奥さんは、「頼むから何の仕事でもいいから働いて欲しい」、と深刻に嘆いていたが、日本の社会の根本そのものを否定している彼にとっては、どの仕事も罪深いということになるのであろう。I氏の話を聞いていると、私の職業もまた罪深い社会構造の上に成り立っている罪深い仕事なのだ、と説得されてしまうのであった。
彼ら三人に共通していたのは、女性からは受けがいいのに、男性からは不信を買いやすかったところだろうか。多くの男性の目から見ると、「なんであんな男が女性に受けがいいのか?」という苦々しい目で見られていたように思う。彼らは、働かないわけなので、仕事上での男たちとの信頼関係や、義理を当てにしない世界に生きている。私の目から見ても、かなりノンシャランスに生きているかのように見えたが、その実、人々からの白眼視という軋轢に耐えていたのだろうか。だが、彼らと話していると、働かないことのほうが、尊いことであるような気がしてくるから不思議である。髪結いの亭主は少数派だ。だが、そういう義憤にも似た男たちの感想を漏れ聞くたび、実は、多くの男性の心の奥底に、自分でも気づかない「髪結いの亭主」願望がひそんでいるのではないのか・・・?そんな気がしてくることがあるのである。
自由主義化される前のハンガリーでは、無職という概念は存在しなかったという。「働かざるもの食うべからず」とのたまった某先生の影響下にあったためか、無職というのは犯罪であり、失業即逮捕だったそうだ。こんな国では、「髪結いの亭主」という概念自体が存在しないのかもしれないが、もしあった場合には、やはり大変罪深い状態ということになるのであろう。
働かないことが悪いことであるという考え方はよくあるわけだが、しかし、私がこれまでに出会った髪結いの亭主たちは、逆に働くことの罪深さを教えてくれたような気がする。これが、亭主がバリバリ稼ぐ専業主婦の友人と話していても、働くことの罪深さやバカばかしさを思い知らされたりはしない。だが、こんな風に感じるのも、彼らがまだまだ男性の中の少数派だからなのかもしれず、私のほうにもまた「男性は働くべきで、ぷらぷらしてるのは珍しい状態」という偏見が宿っているせいなのかもしれない。
ウイーンで出会ったO氏は、朝からカフェで白ワインを飲んでは、ふざけてばかりいる人であった。私はこの人ほど飲酒量の多い人間に会ったことがない。何しろ、五歳のときから飲んでおり、40歳を過ぎた今は朝から晩まで酔っ払っているのである。家に遊びに行ったら、冷蔵庫の中身が全部酒だったのには驚いた。この人とは、何か真面目な話をしていても、いつの間にか全部ふざけちらした話になってしまうのだったが、私は、真面目な話よりもふざけちらした話のほうが高等なのだということをこの人から学んだ。 また、この人と話していると、なぜか、すべての真面目な事柄がバカバカしく思えてきてしまい、人間は本来、働くべきではなく、あくせく真面目に生きていることすらもが、自分が社会に騙されて、悪い夢を見させられているだけなのだ、と思えてきてしまうのだった。
彼の奥さんは美しいオーストリア女性で車を十台以上所有してバリバリと会社を経営している。三人で食事した際、お勘定を私と奥さんとでお互い、「私が払います。」と言い合っていたのだが、O氏は「女性二人が勘定を払うことで揉めているのに小生は何もしない。恥ずかしい限りですな。アハハハハ!」と言っている。こんなことで肩身を狭く感じてしまうような男では、髪結いの亭主業は到底つとまらないのだな、と私は思った。
絵描きのK氏もまた、まったく収入のない人であった。絵描きなのだから、無職とはいえないのかもしれないが、画商が家に来て、高値(300万円くらい)で絵を買い取ろうとしても、絶対売ろうとしない。自分の素晴らしい絵を金などで汚したくない、というのが彼の持論で、生活はすべて会社経営をする奥さんが支えていた。こんな風だとちょっとは奥さんに肩身も狭いのではないか、と一般的には思い勝ちだが、彼はまったく頓着しない人であった。というのも、愛人とその子どもを一つ屋根の下に住まわせていたのである。彼に収入がないのだから、愛人の生活費も奥さんが稼いでいたのだろうか。彼はその後、自分の最高傑作は自分の子どもである、と言い残して出奔したらしい。K氏を見ていると、収入のために好きでもない仕事にものすごいエネルギーを投入している私の生き方を比べてしまったりしたものであった。
I氏もまた、働いたことの無い人だったが、I氏が上の二人と違っていたのは、根っからの共産主義者だったことだろうか。共産主義についてはよくわからない私だったが、「働かない共産主義ってあるのだろうか?」 と思ったことを覚えている。彼がしていたことといえば、一日中、次々に出る各新聞と各雑誌、共産主義関係の書籍をくまなく読むことだけであった。そんな生活を二十年も続けているものだから、ものすごい博識なのだ。何か話しかけると、かなり過激で革命的なことを言う。薄給でありながらも、生活を支えていた奥さんは、「頼むから何の仕事でもいいから働いて欲しい」、と深刻に嘆いていたが、日本の社会の根本そのものを否定している彼にとっては、どの仕事も罪深いということになるのであろう。I氏の話を聞いていると、私の職業もまた罪深い社会構造の上に成り立っている罪深い仕事なのだ、と説得されてしまうのであった。
彼ら三人に共通していたのは、女性からは受けがいいのに、男性からは不信を買いやすかったところだろうか。多くの男性の目から見ると、「なんであんな男が女性に受けがいいのか?」という苦々しい目で見られていたように思う。彼らは、働かないわけなので、仕事上での男たちとの信頼関係や、義理を当てにしない世界に生きている。私の目から見ても、かなりノンシャランスに生きているかのように見えたが、その実、人々からの白眼視という軋轢に耐えていたのだろうか。だが、彼らと話していると、働かないことのほうが、尊いことであるような気がしてくるから不思議である。髪結いの亭主は少数派だ。だが、そういう義憤にも似た男たちの感想を漏れ聞くたび、実は、多くの男性の心の奥底に、自分でも気づかない「髪結いの亭主」願望がひそんでいるのではないのか・・・?そんな気がしてくることがあるのである。
2007/10/07のBlog
[ 12:35 ]
[ 旅 ]
私は旅行以外で海外に行ったことがなく、外国の知人や海外に住んだ友人と話していて「知らない有名人」や「食べ物」が出てくると、それは日本で言うと何にあたるのか?考えさせられることがときにある。
「フリオ・イグレシアス」を日本人にたとえると、「すごく売れてる中条きよし」だと聞いて、「フリオのすべてを理解した」、と言ったのはナンシー関氏だったが、こういう膝を打つような喩えは滅多に聞くことが出来ない。そもそも広い世界の森羅万象を狭い日本にあるものすべてで喩えようとすることに無理があるのだろうが、日本原住民のような私にとってはそういう良い訳を介さなければ、海外の人々のこころの琴線に触れることはできないのである。
こんな人間であるためか、海外に行っても、ありのままの外国の姿を捉えるというより、何でも日本のものに喩えて解釈する癖が抜けない。私は、ありのままの事象から、自分の感性を揺さぶることができない、大変貧困な感性の持ち主であるといえよう。
初めて行った海外の国はスイスだったのだが、行く前に想像していたのは、「ヨーロッパアルプスが白々と連なるさわやかな国」、というイメージだった。しかし、着陸寸前に私の眼に見えていたのは、小諸の風景であった。私にとってスイスは、完全なヨーロッパの国だったはずが、行った後では、「大きい長野」に変わった。旅行中、「本当にスイスに来た」と感じたのは、ある弁当を食べたときである。スイスの旅行会社の計らいで、なぜか一度だけ日本食の弁当が配られたことがあったのだが、ご飯に梅干、おかずは焼き魚ときゅうりの漬物、というものだった。この弁当の味はいまでも忘れられない。梅干と思ったのは実は、さくらんぼのドライフルーツで、しかもご飯つぶは丸っこく、お米の味がしなかった。この時初めて、飛行機から見たスイスの農村地帯には水田がなかったことを思い出した。梅干し=さくらんぼのドライフルーツなんて、「梅=桜=さくらんぼ」、「干し=ドライフルーツ」、という直訳の思考回路が手にとるようにわかってちょっと泣けてくる。が、直訳が不正解であることは数多い。「フリオ・イグレシアス=中条きよし」の公式で行けば、「梅干し=さくらんぼのドライフルーツ」はペケであろう。「焼き魚弁当」をスイスの料理に例えたら、「パンにチーズ」かもしれないではないか。しかし、郷土料理と言われて出されたチーズフォンデュよりも、あの弁当にははるか遠いスイスの郷土の味が出ていたように思う。
これと似たような経験に、チェコで食べたスパゲティ・カルボナーラというのがある。カルボナーラといえば、香辛料は黒コショウというイメージだが、この時食べたのにはパプリカやナツメグがたくさん入っていて、赤みがかった色をしていた。チェコ人にとってのナツメグはコショウなのかもしれず、このパスタがある意味、本場チェコ料理よりも、「チェコ風味」というものがどういうものなのかを教えてくれた気がした。もっとも、私はイタリアでパスタを食べたことがないので、私の頭の中のパスタも、全く誤解されたパスタ料理であるかもしれず、翻訳作業は複雑なのであるが。
いまや、世界中の料理が本場の味で食べられると言われている東京の町だが、世界の料理がそのままの形で家庭生活に根付いている例は少ないようにも思える。ハウスバーモントカレーを食べてしかめ面をしたインドの知人がいたが、これは彼にとっては、懐石料理や寿司よりも日本の郷土の味を象徴していたのかもしれない。
「フリオ・イグレシアス」を日本人にたとえると、「すごく売れてる中条きよし」だと聞いて、「フリオのすべてを理解した」、と言ったのはナンシー関氏だったが、こういう膝を打つような喩えは滅多に聞くことが出来ない。そもそも広い世界の森羅万象を狭い日本にあるものすべてで喩えようとすることに無理があるのだろうが、日本原住民のような私にとってはそういう良い訳を介さなければ、海外の人々のこころの琴線に触れることはできないのである。
こんな人間であるためか、海外に行っても、ありのままの外国の姿を捉えるというより、何でも日本のものに喩えて解釈する癖が抜けない。私は、ありのままの事象から、自分の感性を揺さぶることができない、大変貧困な感性の持ち主であるといえよう。
初めて行った海外の国はスイスだったのだが、行く前に想像していたのは、「ヨーロッパアルプスが白々と連なるさわやかな国」、というイメージだった。しかし、着陸寸前に私の眼に見えていたのは、小諸の風景であった。私にとってスイスは、完全なヨーロッパの国だったはずが、行った後では、「大きい長野」に変わった。旅行中、「本当にスイスに来た」と感じたのは、ある弁当を食べたときである。スイスの旅行会社の計らいで、なぜか一度だけ日本食の弁当が配られたことがあったのだが、ご飯に梅干、おかずは焼き魚ときゅうりの漬物、というものだった。この弁当の味はいまでも忘れられない。梅干と思ったのは実は、さくらんぼのドライフルーツで、しかもご飯つぶは丸っこく、お米の味がしなかった。この時初めて、飛行機から見たスイスの農村地帯には水田がなかったことを思い出した。梅干し=さくらんぼのドライフルーツなんて、「梅=桜=さくらんぼ」、「干し=ドライフルーツ」、という直訳の思考回路が手にとるようにわかってちょっと泣けてくる。が、直訳が不正解であることは数多い。「フリオ・イグレシアス=中条きよし」の公式で行けば、「梅干し=さくらんぼのドライフルーツ」はペケであろう。「焼き魚弁当」をスイスの料理に例えたら、「パンにチーズ」かもしれないではないか。しかし、郷土料理と言われて出されたチーズフォンデュよりも、あの弁当にははるか遠いスイスの郷土の味が出ていたように思う。
これと似たような経験に、チェコで食べたスパゲティ・カルボナーラというのがある。カルボナーラといえば、香辛料は黒コショウというイメージだが、この時食べたのにはパプリカやナツメグがたくさん入っていて、赤みがかった色をしていた。チェコ人にとってのナツメグはコショウなのかもしれず、このパスタがある意味、本場チェコ料理よりも、「チェコ風味」というものがどういうものなのかを教えてくれた気がした。もっとも、私はイタリアでパスタを食べたことがないので、私の頭の中のパスタも、全く誤解されたパスタ料理であるかもしれず、翻訳作業は複雑なのであるが。
いまや、世界中の料理が本場の味で食べられると言われている東京の町だが、世界の料理がそのままの形で家庭生活に根付いている例は少ないようにも思える。ハウスバーモントカレーを食べてしかめ面をしたインドの知人がいたが、これは彼にとっては、懐石料理や寿司よりも日本の郷土の味を象徴していたのかもしれない。