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Bonjour あんず
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2008/05/06のBlog
ゴールデンウィーク最後の日、吹田市立博物館へ。今開催中の展覧会に興味があったわけではない。「地域と博物館」という市民フォーラムがあるというので、連休の最後をちょっと真面目に〆たいと思ったからだ。

「博物館の評価基準」はどこにあるかという点で激論?が交わされたが、「やはり入場者数だろう」という意見もあれば、「入館者が少なくても内容が濃ければそれなりに評価すべきだ」など、いろいろあった。どちらにも理があるが、「多くの市民が知らない博物館」の現状を考えれば、「知ってもらう」仕掛けをすべきことは明白である。

市民の血税を毎年何億と使っているのである。一般企業ベースで考えればこんなのんびりしたことは言ってられない。親方日の丸とはこのことだろう。
つまり、「知ってもらう」仕掛けができないのだ。「仕掛けたいがそのノウハウを持った人間がいない」こと、そこにポイントがあることに気づいていないところに問題がある。したがっていくら議論しても噛みあわない。
すべてを学芸員任せでは無理。かれらの学術的な側面がどの程度なのかは知らないが、いわゆるアカデミズムの専門家のはずだ。広報の手立てや人を呼び込むソフトなど知るよしも学ぶ時間もなく、その点を責めるのも筋違いである。「人&金」をかけてでもそこのテコいれをしない限り何も変わらず、「人の来ない中途半端な象牙の塔」のままだろう。マネジメント全体の見直しは必須の急務である。

今博物館では「西村公朝展」が行われている。吹田市立博物館の初代館長で仏像彫刻の大家である。11年間館長を務めた立派な人だが「名選手イコール名監督ならず」、博物館の事業としての展開に腕を振るったとは思えない。何もしなかったにちがいない。いわゆる名誉職で、職員にとっては今よりずっとやりやすかっただろう。
今回1000万円規模の展覧会のはずだが人は入っていない。当たり前である。
一般の人に期待感をもたせる仕掛けが見当たらないからだ。
2008/05/05のBlog
昨日三田の隠れ家に16名が集まっての懇親会。三田肉は折り紙つきのおいしさだが、空気の良さは抜群!新しいメンバーも加えて談論風発、会話ははずんだ。時折常連のウグイスが、「ホーホーケキョ、ケキョケキョ」と会話に加わってくる。時にキツツキやメジロもやって来るが、わが隠れ家の主はあくまでもウグイス一家なのだ。

今回もバラエティに富んだ方々に集まっていただき、まさに「異業種交流会」となった。ほんとにありがたいことである。
市会議員や民生委員長、大学教授にコピーライター、中国語の通訳、新聞記者、電気のプロに食材のプロ、色とりどりのメンバーが三田肉をほおばり、酒と名のつく各種飲料を喉に流し、二次会のカラオケに興じた。

庭の手入れは一仕事。やってもやっても追いつかない。
「出来る限り自然を残したい」という思いもあって・・・といういい訳で強引に納得してもらうわけだが、それも「おいしさのうち」と思っていただくしかない。森林浴、森林浴。この秋にはもう少し環境を整え、和風庭園を楽しんでいただこうと思っている。竹林の奥の院にはいつ手がつくのだろうか。
「黒竹庵」と名付けたいこの一角、多くの皆さんを呼び込んで対話を楽しみ、そこから何事かを発信するおもろい「たまり」にできたら・・・と思っている。
2008/05/02のBlog
花のゴールデンウィーク、三田の隠れ家に行ったり来たり泊まったり・・・。
隠れ家は古い民家だが150坪ほどの庭があり、放置しておくとすぐに雑草の巣窟になってしまう。丹精込めて造られた和風庭園の石組みも、雑草に包まれてしまったのでは元も子もない。特にこの時期は雑草軍団が勢力を拡張し、今を盛りのヒラドツツジなど笹の隙間からやっと顔を出すという有様である。笹は根っこから掘り起こせばいいのだが、庭一面を覆っているビロードのような古苔が台無しになってしまう。
覚悟して這いつくばり、地表から数センチも掘ると網の目のような竹のパイプラインが露出してくる。鋏を入れるとバネのように反発してくるやっかいなヤツだ。
樫の大木やマテバ椎が生み落としたどんぐりが一面にまき散らされ、芽を吹いてはびこり放題。イトヒバや杉の子もここそこに生えだしている。引っこ抜いたり切り込んだりしていくのだが、山椒や南天、イヌツゲの子たちも元気よく伸びているのでバサバサ切るわけにもいかず、細かい手作業になる。けっこうこれが腰にくるのだ。

モチノキ、サザンカ、モッコク、カイヅカなど、立ち木を順番に散髪していくのだが、マキや杉、手間のかかる松の剪定はついつい後回しになる。「よし、今日こそ松にかかるぞ」と、地下足袋姿も勇ましくはびこる低木から手をつけていくうち、結局取り残されてしまう。4本ある松の剪定は一日仕事と覚えなくてはいけない。この庭の手入れに一人の手では限界があり数日を要するのだ。刈っては運び梯子を移動させ刈り込んでは運ぶうち、切り落とした枝葉がいつのまにか山を築く。乾燥させて燃やすのだが、そのときは当然焼き芋がおやつとなる。

普段使っていない筋肉はびっくり、何百回と鋏を動かした手首は悲鳴をあげ、パソコンのキーボードに向かってもどこか違和感が残る。シャワーを浴び全身真綿状態でへたり込み、冷えたビールを流し込むと、綿と化した肉体にふわーっと浸みこんでいくのがわかる。しかし至福の時でもある。

あさって4日、日曜日、ここに14~15名集まって春のバーベキューの集いをする。長年続いている恒例行事である。庭の隅にしつらえたBBQコーナーは、廃材を利用して作ったテーブルとベンチがあるが、その補修も素人大工でなんとか済ませた。わが手作りで美しくはないが、ここはワイルドにいくのだと納得してもらうしかない。
澄んだ空気と三田牛、そして何よりもレギュラーで歌ってくれるウグイスの声を楽しんでもらおうと思っている。

(写真は玄関先に咲いた愛らしいタイツリ草)
2008/04/29のBlog
ぶらりとあんず公園へ。わが家からほんの100m散歩には程遠いが、あんずの実がぼちぼちふくらむ季節である。近寄って見上げたら案の定こもれびの中に小さな実が二つ三つ。あと2週間もしたら愛らしい実がたわわにつくにちがいない。

あんず公園はこの地域のこどもたちのたまり場。
ボール遊びに鬼ごっこ、砂場ではちっちゃな子がおかあさんと遊んでいる。ふと見ると、あんずの木の下に3人、猫背でなにやらこちょこちょやっている。のぞいてみると一様にゲーム機を手にして指先を動かしている。
こどもの遊びも変わったものだ。
われらが幼少のころはゲーム機など無かったし、わんぱく遊びを編み出したものだ。
カンけり、びー玉、べーごま、ゴムとび・・・竹とんぼなど肥後の守で作ったものだ。
木の上にすみかを作ったり、かえるを捕まえて競争したり・・・。
小学校にあがるまで奥能登に疎開していたが、家の前は海、竹棹の先に赤い布とよもぎをつけて岩場をくすぐり、タコを捕った。もちろん夕餉のメインディッシュになったが、それも遊びのひとつだった。

こどもは遊びの天才のはずである。
ところが今は、創るより与えられたモノでしか遊べず、仲間と連れ立って遊ぶより個の世界にはまっているように思う。親に押し付けられた塾やお稽古ごとに時間を取られ、遊ぶ自由を制約されている子供も多い。憐れである。
きちんと遊んでこなかった子供はいつまでも未成熟、ほんとの大人にはなりきれない。
そのことを心底理解している親も少なくなった。
無茶をすれば怪我をするし、殴られたら痛い。ルールを守らなけらば叱られる・・・そんなことは当たり前のこと。体感させることが大切なのだ。
ゲームのようにリセットできないことを教えるべきだ。
遊びからしか学べないことがどれほどあるか・・・今の親たちは知らないのだろうか。
モノがあふれ何でも手に入る時代、親がわが子のみをかわいがり、何でも与えてしまう時代、本当の豊かさとは何かを問いたい。
モノがなければ、与えなければ子供は遊びを創りだす・・・。
古き良き時代が懐かしい。

そんなことをつらつら想う、今日は「昭和の日」。





2008/04/28のBlog
今住んでいる五月が丘エリアは、隣接する千里ニュータウン等に比べると若い世帯が多い。特にわが家も含めて周辺のマンションは若いサラリーマンの家族が多く、転勤などでの出入りが頻繁である。
今日もお隣のマンションのKさんがサヨナラ。朝から引越しセンターのトラックに家財道具が次々に運び込まれていた。Kさんのお子さんはまだ幼く、この先学校などのことを考えれば身軽なうちの転勤のほうが安心かもしれない。若い彼には自治会の役員としての活躍にも期待していただけに残念だが仕方がない。聞けばひとまず東京へ行き、会社の方針によるとその後オランダへ転勤する可能性が高いという。
遠いところへ行ってしまうのだ。

奇しくも今日は「ブラジル移住100周年の日」にあたる。
今ブラジルの日系社会は150万人に膨らんでいるというが、1908年に神戸から移民船「笠戸丸」で海を渡った約800人の日本人の苦労は並大抵ではなかっただろう。第二次世界大戦をはさみ、激動の生活だったことは容易に想像できる。今その人たちの子孫はどんな暮らしをしているのだろう。
わが祖父の兄、つまり小生の大伯父も移民としてブラジルに渡った。
身内の話によればコーヒー園で成功しているというが、真偽のほどは定かではない。しかし、血のつながりのある人間が地球の裏側にいることを考えると摩訶不思議な想いである。以前中南米に赴いた折、なんとか消息を得たいと考えたことがあったが、もはやそのパワーはない。

今日の新聞各紙に「移民100年」の特集が組まれているが、朝日の見出しには「新天地へ、そして・・・」とある。
「そして・・・」のあとは人生いろいろを読み取るしかない。
Kさんには新天地でがんばってほしいと願う。
小生にもいずれそんな日が来るのだろう。