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2008/05/15のBlog
[ 16:28 ]
今、競泳用の水着が話題になっている。SPEED社製を着用した選手が自己記録を次々に更新し、世界記録も塗り替えているというので大騒ぎである。大阪のメーカーが「ならばやってやろうじゃないか」と新素材を開発し好評だという。
しかしポイントはやはり選手の才能である。
「いかに早く走るか、泳ぐか」で思い出したのはカーレースだ。昭和50年、今から33年前の話だが忘れられない思い出がある。
星野一義という男との出会いである。
当時カーレーシングの世界では高原敬武、高橋国光、生沢徹、鮒子田寛、米山二郎、津々見友彦、長谷見昌弘といった、蒼々たるメンバーがしのぎを削り、若手はスポンサードの問題もあり、なかなか割り込む機会がなかった。
そんな折、フォーミュラチャンピオンレースを手がけていた本多氏と飲む機会があり、「星野という速い男がいる。スポンサードして環境を整えてやったら日本一のレーサーになる。協力してくれないか」と持ちかけられた。当時カーキチだった小生は、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットへよく観戦に出かけていたが、モトクロスでは敵なし、下のFJ1300クラスでも強かった星野一義の名前は知っていた。
「よし星野に賭けてみよう」と、当時仕事で深いつきあいがあった西武セゾングループにかけあい、多店舗展開を目指して勢いのあった西友がバックアップしてくれることになった。資金援助をする条件として①優勝すること、②優勝したマシーンを指定する店頭に飾り、レーサーのサイン会を行うことを約束させられた。まさに賭けである。
こうして星野のFⅡ(F2000)のデビュー戦が決まった。
レース当日の富士スピードウェイは雨と霧だった。前日の予選で並みいる強豪を抑えてトップ、ポールポジションを得ていたが、微差である。前夜の星野は食事も喉を通らぬほど緊張していて、かける言葉も選べないほどだった。
レース本番、安の定出遅れて5番手に下がったが、周回ごとにぐいぐい追い込み、結局ぶっちぎりでチェッカーフラッグを受けたのだ。ピットで抱き合い、びしょぬれになるほどシャンパンをかけまくったことは言うまでもない。
その後も星野は活躍し、日本を代表するレーシングドラーバーになった。
今、星野一義の顔から当時の精悍な面影は消え、よき親父になっている。
カーレースはマシーンの性能が大きく左右するが、やはり最後はそれを操る才能に尽きる。
布切れ1枚にそれほど大騒ぎすることはない。
星野と一杯飲りたくなってきた。
しかしポイントはやはり選手の才能である。
「いかに早く走るか、泳ぐか」で思い出したのはカーレースだ。昭和50年、今から33年前の話だが忘れられない思い出がある。
星野一義という男との出会いである。
当時カーレーシングの世界では高原敬武、高橋国光、生沢徹、鮒子田寛、米山二郎、津々見友彦、長谷見昌弘といった、蒼々たるメンバーがしのぎを削り、若手はスポンサードの問題もあり、なかなか割り込む機会がなかった。
そんな折、フォーミュラチャンピオンレースを手がけていた本多氏と飲む機会があり、「星野という速い男がいる。スポンサードして環境を整えてやったら日本一のレーサーになる。協力してくれないか」と持ちかけられた。当時カーキチだった小生は、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットへよく観戦に出かけていたが、モトクロスでは敵なし、下のFJ1300クラスでも強かった星野一義の名前は知っていた。
「よし星野に賭けてみよう」と、当時仕事で深いつきあいがあった西武セゾングループにかけあい、多店舗展開を目指して勢いのあった西友がバックアップしてくれることになった。資金援助をする条件として①優勝すること、②優勝したマシーンを指定する店頭に飾り、レーサーのサイン会を行うことを約束させられた。まさに賭けである。
こうして星野のFⅡ(F2000)のデビュー戦が決まった。
レース当日の富士スピードウェイは雨と霧だった。前日の予選で並みいる強豪を抑えてトップ、ポールポジションを得ていたが、微差である。前夜の星野は食事も喉を通らぬほど緊張していて、かける言葉も選べないほどだった。
レース本番、安の定出遅れて5番手に下がったが、周回ごとにぐいぐい追い込み、結局ぶっちぎりでチェッカーフラッグを受けたのだ。ピットで抱き合い、びしょぬれになるほどシャンパンをかけまくったことは言うまでもない。
その後も星野は活躍し、日本を代表するレーシングドラーバーになった。
今、星野一義の顔から当時の精悍な面影は消え、よき親父になっている。
カーレースはマシーンの性能が大きく左右するが、やはり最後はそれを操る才能に尽きる。
布切れ1枚にそれほど大騒ぎすることはない。
星野と一杯飲りたくなってきた。
2008/05/14のBlog
[ 16:51 ]
黙想の3日間がかなり効いて、このところ少々暗い日々が続いた。依頼されている企画書の制作も遅々として進んでいない。ここはガラリと気分を変えなくてはとうさぎ小屋のレイアウトを変えてみた。本棚の移動には汗をかいたが、我ながら心地よい出来栄えだ。
どっかり椅子に座ってみると、またまた日曜日の叔父の葬儀が甦ってくる。
銅鑼あり太鼓あり、曹洞宗(禅宗)のしきたりに法ったものだったが、イベント的にとらえれば60点をあげてもいい。不謹慎な感想だが、戒名代が50万円を下らないということを耳にしていたので、どのような構成で死者を弔うのか多少の興味はあった。なにせ「○○なんとか居士」と命名するだけでウン十万円とはチト高過ぎると思った。「葬式仏教」とか「弔いを待つ坊さん」と揶揄される実態を検証してもいいかと考えたのも確かだ。
人間が生きていくことはイベントの連続である。
誕生して祝い、入学卒業して祝い、結婚して大いに祝う。葬式だけは悲しいイベントである。
正月だ桃の節句だ端午の節句だと祝い、七夕を通り過ぎるとお盆でばたばたし、運動会をがんばったら七五三、そして年末協奏曲と相成る。その間にもバレンタインデーやゴールデンウィーク、クリスマスといったカタカナのイベントが差し込まれるのだ。「衣替え」もそのひとつに加えていいかもしれない。
年がら年中イベントで彩られているわけだ。
人生はイベント、なんにもない日常にも、台本どおりいかないハプニングが潜んでいる。
生まれるのも死ぬのもいわばハプニングである。
それがイベントであり、だからおもしろいとも言える。
庭の手入れをしていたら蛇が顔を出した。思わぬ出来事。
殺傷する気になれず、つまんで側溝へ放り込んでやった。
あまり気持ちのいいハプニングではない。
どっかり椅子に座ってみると、またまた日曜日の叔父の葬儀が甦ってくる。
銅鑼あり太鼓あり、曹洞宗(禅宗)のしきたりに法ったものだったが、イベント的にとらえれば60点をあげてもいい。不謹慎な感想だが、戒名代が50万円を下らないということを耳にしていたので、どのような構成で死者を弔うのか多少の興味はあった。なにせ「○○なんとか居士」と命名するだけでウン十万円とはチト高過ぎると思った。「葬式仏教」とか「弔いを待つ坊さん」と揶揄される実態を検証してもいいかと考えたのも確かだ。
人間が生きていくことはイベントの連続である。
誕生して祝い、入学卒業して祝い、結婚して大いに祝う。葬式だけは悲しいイベントである。
正月だ桃の節句だ端午の節句だと祝い、七夕を通り過ぎるとお盆でばたばたし、運動会をがんばったら七五三、そして年末協奏曲と相成る。その間にもバレンタインデーやゴールデンウィーク、クリスマスといったカタカナのイベントが差し込まれるのだ。「衣替え」もそのひとつに加えていいかもしれない。
年がら年中イベントで彩られているわけだ。
人生はイベント、なんにもない日常にも、台本どおりいかないハプニングが潜んでいる。
生まれるのも死ぬのもいわばハプニングである。
それがイベントであり、だからおもしろいとも言える。
庭の手入れをしていたら蛇が顔を出した。思わぬ出来事。
殺傷する気になれず、つまんで側溝へ放り込んでやった。
あまり気持ちのいいハプニングではない。
2008/05/12のBlog
[ 14:12 ]
先の週末は叔父の通夜と葬儀があり、人間の生と死を考える黙想の3日間となった。
人間誰にも平等にやってくる死について、まして自分の死について普段じっくり考えることはない。若いうちは特にそうだが、すぐに疲れを感じたり年金特別便などが届くようになると「歳くったなぁ」などと、後ろから数えたくなったりするものだ。
人間千差万別、価値観や倫理観まで異なる。死ぬまで金儲けに走るもよし、権力の座に固執するもよし、はたまたおざなりな日常に満足するもよし、ただ「人間は1回しか経験できない」ことだけは確かなことだ。
「おぎゃぁ」と生まれ、学校で何がしかを学び、使命感に燃えても燃えなくても社会に出てもまれ、それなりの階段を昇ったり、女性は育児に追われたりしているうちに皺をきざみ、気がつけば寄る年波に愕然とし、諦める人もいれば第二の人生だとギアチェンジする人もいる。どれほどのダイヤを集めても、その先には必ず十字架がついて回る、それが人間の宿命だ。充実感と空疎感、それは所詮表と裏の関係なのだ。
「確かなもの」が欲しいが、そのことを考えるゆとりを与えない日常が広がり続け、あっという間に屍と化して土に返る。
宇宙の、地球の、その片隅で、人間は蟻のように右だ左だとうごめいている。
しかし時として一人の人間の死は大きい。自らの生きざまを確認させてくれるからだ。
健康で生かされているうちは前向きでありたいと思う。
人間誰にも平等にやってくる死について、まして自分の死について普段じっくり考えることはない。若いうちは特にそうだが、すぐに疲れを感じたり年金特別便などが届くようになると「歳くったなぁ」などと、後ろから数えたくなったりするものだ。
人間千差万別、価値観や倫理観まで異なる。死ぬまで金儲けに走るもよし、権力の座に固執するもよし、はたまたおざなりな日常に満足するもよし、ただ「人間は1回しか経験できない」ことだけは確かなことだ。
「おぎゃぁ」と生まれ、学校で何がしかを学び、使命感に燃えても燃えなくても社会に出てもまれ、それなりの階段を昇ったり、女性は育児に追われたりしているうちに皺をきざみ、気がつけば寄る年波に愕然とし、諦める人もいれば第二の人生だとギアチェンジする人もいる。どれほどのダイヤを集めても、その先には必ず十字架がついて回る、それが人間の宿命だ。充実感と空疎感、それは所詮表と裏の関係なのだ。
「確かなもの」が欲しいが、そのことを考えるゆとりを与えない日常が広がり続け、あっという間に屍と化して土に返る。
宇宙の、地球の、その片隅で、人間は蟻のように右だ左だとうごめいている。
しかし時として一人の人間の死は大きい。自らの生きざまを確認させてくれるからだ。
健康で生かされているうちは前向きでありたいと思う。
2008/05/09のBlog
[ 20:20 ]
「ゴールデンウィークには退院する」と言っていた叔父が今朝亡くなった。
家内の母の一番下の弟で71歳、肝臓癌だったが早すぎる死である。叔父といっても年齢が近いこともあり、信頼関係の中で多くの良き思い出を共有する間柄だった。
城之崎温泉から竹野へ、イヤというほど食べた数度のカニ旅行。メンバーだった有馬富士カンツリークラブでの楽しいゴルフ、麻雀に至っては何度となく卓を囲んだものだ。最近は「雀会」なるものを組織して麻雀をやっていたが、ゲームの途中で「上り手」についてよく電話をしてきた。小生は指南役だったのだ。三田駅近くの家には仲間と共に襲来し、酒びたしのカラオケ大会やゲームに打ち興じ、挙句の果てに泊まりこんでしまったことも度々あった。
こどもは息子二人、その結婚式には媒酌人を頼まれるほどの仲でもあった。
三田駅に近く、JRの線路沿いに住んでいたが、電車が通過するたびガタピシ音がする環境をなぜ気に入っていたのか不思議に思ったこともあった。しかし十数件並んだその一角のコミュニケーションは抜群で、叔父貴はそこでのリーダー格だったのだ。だれからも愛される裏腹なしのザクッとした性格は、小生も見習いたかった。
彼の父母、つまり祖母が住んでいた家は三田からJRで三つ目、相野というところにあるが、そここそがわが隠れ家であり、住むに耐えるように補修を重ねたのもこの叔父だった。全部含めると300坪はあろうかという石組みの庭にも二人の味わいを感じる。その愛する祖母も叔父もこの世から去った。二人の香りが染み付いたこの家は宝物である。
もはや理屈抜きに全面移住するしかないと思う。
叔父さん、あと半チャンでいいから卓を囲んでよ。
合掌。
家内の母の一番下の弟で71歳、肝臓癌だったが早すぎる死である。叔父といっても年齢が近いこともあり、信頼関係の中で多くの良き思い出を共有する間柄だった。
城之崎温泉から竹野へ、イヤというほど食べた数度のカニ旅行。メンバーだった有馬富士カンツリークラブでの楽しいゴルフ、麻雀に至っては何度となく卓を囲んだものだ。最近は「雀会」なるものを組織して麻雀をやっていたが、ゲームの途中で「上り手」についてよく電話をしてきた。小生は指南役だったのだ。三田駅近くの家には仲間と共に襲来し、酒びたしのカラオケ大会やゲームに打ち興じ、挙句の果てに泊まりこんでしまったことも度々あった。
こどもは息子二人、その結婚式には媒酌人を頼まれるほどの仲でもあった。
三田駅に近く、JRの線路沿いに住んでいたが、電車が通過するたびガタピシ音がする環境をなぜ気に入っていたのか不思議に思ったこともあった。しかし十数件並んだその一角のコミュニケーションは抜群で、叔父貴はそこでのリーダー格だったのだ。だれからも愛される裏腹なしのザクッとした性格は、小生も見習いたかった。
彼の父母、つまり祖母が住んでいた家は三田からJRで三つ目、相野というところにあるが、そここそがわが隠れ家であり、住むに耐えるように補修を重ねたのもこの叔父だった。全部含めると300坪はあろうかという石組みの庭にも二人の味わいを感じる。その愛する祖母も叔父もこの世から去った。二人の香りが染み付いたこの家は宝物である。
もはや理屈抜きに全面移住するしかないと思う。
叔父さん、あと半チャンでいいから卓を囲んでよ。
合掌。
2008/05/06のBlog
[ 23:54 ]
ゴールデンウィーク最後の日、吹田市立博物館へ。今開催中の展覧会に興味があったわけではない。「地域と博物館」という市民フォーラムがあるというので、連休の最後をちょっと真面目に〆たいと思ったからだ。
「博物館の評価基準」はどこにあるかという点で激論?が交わされたが、「やはり入場者数だろう」という意見もあれば、「入館者が少なくても内容が濃ければそれなりに評価すべきだ」など、いろいろあった。どちらにも理があるが、「多くの市民が知らない博物館」の現状を考えれば、「知ってもらう」仕掛けをすべきことは明白である。
市民の血税を毎年何億と使っているのである。一般企業ベースで考えればこんなのんびりしたことは言ってられない。親方日の丸とはこのことだろう。
つまり、「知ってもらう」仕掛けができないのだ。「仕掛けたいがそのノウハウを持った人間がいない」こと、そこにポイントがあることに気づいていないところに問題がある。したがっていくら議論しても噛みあわない。
すべてを学芸員任せでは無理。かれらの学術的な側面がどの程度なのかは知らないが、いわゆるアカデミズムの専門家のはずだ。広報の手立てや人を呼び込むソフトなど知るよしも学ぶ時間もなく、その点を責めるのも筋違いである。「人&金」をかけてでもそこのテコいれをしない限り何も変わらず、「人の来ない中途半端な象牙の塔」のままだろう。マネジメント全体の見直しは必須の急務である。
今博物館では「西村公朝展」が行われている。吹田市立博物館の初代館長で仏像彫刻の大家である。11年間館長を務めた立派な人だが「名選手イコール名監督ならず」、博物館の事業としての展開に腕を振るったとは思えない。何もしなかったにちがいない。いわゆる名誉職で、職員にとっては今よりずっとやりやすかっただろう。
今回1000万円規模の展覧会のはずだが人は入っていない。当たり前である。
一般の人に期待感をもたせる仕掛けが見当たらないからだ。
「博物館の評価基準」はどこにあるかという点で激論?が交わされたが、「やはり入場者数だろう」という意見もあれば、「入館者が少なくても内容が濃ければそれなりに評価すべきだ」など、いろいろあった。どちらにも理があるが、「多くの市民が知らない博物館」の現状を考えれば、「知ってもらう」仕掛けをすべきことは明白である。
市民の血税を毎年何億と使っているのである。一般企業ベースで考えればこんなのんびりしたことは言ってられない。親方日の丸とはこのことだろう。
つまり、「知ってもらう」仕掛けができないのだ。「仕掛けたいがそのノウハウを持った人間がいない」こと、そこにポイントがあることに気づいていないところに問題がある。したがっていくら議論しても噛みあわない。
すべてを学芸員任せでは無理。かれらの学術的な側面がどの程度なのかは知らないが、いわゆるアカデミズムの専門家のはずだ。広報の手立てや人を呼び込むソフトなど知るよしも学ぶ時間もなく、その点を責めるのも筋違いである。「人&金」をかけてでもそこのテコいれをしない限り何も変わらず、「人の来ない中途半端な象牙の塔」のままだろう。マネジメント全体の見直しは必須の急務である。
今博物館では「西村公朝展」が行われている。吹田市立博物館の初代館長で仏像彫刻の大家である。11年間館長を務めた立派な人だが「名選手イコール名監督ならず」、博物館の事業としての展開に腕を振るったとは思えない。何もしなかったにちがいない。いわゆる名誉職で、職員にとっては今よりずっとやりやすかっただろう。
今回1000万円規模の展覧会のはずだが人は入っていない。当たり前である。
一般の人に期待感をもたせる仕掛けが見当たらないからだ。